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歴史掲示板

10109国家元首:2019/12/31(火) 09:30:39
古代極東を単純に考えることはできない。
>さら西方に軍を進めて、比利(ひり) 辟中(へちゅう) 布弥支(ほむき) 半古(はんこ)の四つの邑を降伏させた記事がある。

そうですね。最初に制圧した地域から西は、新羅方面ではなくて、その逆ですね。勘違いしていました。


私の感覚だと、やはり昔からの噂どおり、ヤマト勢力ともっとも関係がありそうなのは百済である。ヤマトはもともと百済と同じ集団だった。それが分かれて、一方は日本列島に入りヤマトとなり、半島に残ったほうが百済になった。

百済には、中国や西域からの文化や技術を持った人々の流入があり、独自の文化を持つようになった。ヤマトは、倭人勢力を吸収したことで、基礎体力が爆発的に増加した。土木工事や軍事に強く、文化は旧来の伝統が維持されやすかった。縄文勢力は吸収合併されなかったため、ヤマトとの交戦がつづくことになった。

ヤマトの出自としてはやはり夫余が怪しい、と思って夫余を調べたが、どうも高句麗や新羅との類縁性はあってもヤマトとは違う感じがする。ユダヤ本隊(非秦氏)との関係は強くても、ヒクソス(ヤマト)との関係は薄いと思う。

ウィキペディア「夫余」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%25A4%25AB%25E4%25BD%2599

ヤマト勢力は実に不思議な集団である。どう考えても倭人とか江南文化の系統とは違うのに、西方・北方アジアに移動経路を辿ろうとしても見つからない。その一方で、文化的な実態は強く持っている。それに比べると、ユダヤ集団(本隊と秦氏の2系統)のほうは、分かりやすいと思う。

遊牧民の国家というのは、色々な勢力が離合集散を繰り返しながら成立してきた。「ヒクソス」という言葉も、一つの民族を表す言葉ではない。いくつもある異なる諸グループの中の一グループが優勢となって、それが国家の代表になったところで、他のグループが消えたわけではない場合もある。

だから、ある勢力・文化が長期間歴史的上に現れないからといっても、それが消えてしまったとは限らないし、また歴史上に新たな形をまとって現れないとは限らないのである。私にとって、ヤマトとはそのようなものの代表例なのである。

「古代装飾模様 九州の装飾古墳」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.netpia.jp%2Fhistory%2Findex.htm




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