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歴史掲示板

10095国家元首:2019/12/28(土) 14:19:16
倭の五王
秦氏の渡来について記述があるのは、古事記ではなくて日本書紀のほうのようです。勘違いしていました。

ウィキペディア「倭の五王」より

「倭の五王とは、古代中国の歴史書に登場する倭国の五人の王、讃・珍・済・興・武をいう。5世紀初頭から末葉まで、およそ1世紀近くに渡って主に南朝の宋(420年-479年)に朝貢した。・・・

宋の歴史をまとめた『宋書』には、宋代を通じて五人の倭王の使者が貢物を持って参上し、宋の冊封体制下に入って官爵を求めたことが記されている。・・・

方、日本側の史料である『古事記』と『日本書紀』は朝貢の事実を記していないが、倭の五王に比定される天皇の時代に「呉国」と使者のやり取りがあったという記述があり、「呉」とは中国南東部の地域に当たることからこれが南朝の宋を意味するとも考えられる。

・・・また朝鮮半島諸国との外交を有利に進め、なおかつ4世紀後半以降獲得した半島における権益に関して国際的承認を得ることも重要な目的であった。

・・・最終的には「使持節 都督 倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭王」に任ぜられ、新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓についての公認を得たものの、百済に関してはついに認められなかった。」

古代の朝鮮と日本の歴史を考察する上では、今の日本(人)と朝鮮(人)という枠組みで考えてはいけないことが、「倭の五王」の問題ひとつとっても分かります。

この「秦韓」という国と秦氏は、文字の上からは関係がありそうですが、古代朝鮮の国家や民族の実態を解明するのはかなり難しそうです。




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