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ウィトゲンシュタイン『哲学探究』読書会
1
:
ムラタ
:2023/03/21(火) 20:13:04
6月あるいは7月からウィトゲンシュタイン『哲学探求』を読んでいく運びとなりました。
つきましては新規参加者(オンライン参加者含む)を募集いたします。
参加希望者はこの掲示板に書き込んで下さい。どなたでも歓迎いたします。
テキストは鬼界訳『哲学探究』(講談社)を利用します。
各自範囲を読んだ上で参加されることが推奨されます。
会場は大阪浪速区民センターで、時間は14時から17時まで、月一回、日祝日の開催となります。
202
:
ムラタ
:2025/01/09(木) 12:35:43
すいません、やはり次回も欠席させて頂きます。
おそらく当日にはかなり良くなっていると思うのですが、
やや重めの感染症で、他の方にうつる可能性も少なくないですので。
というわけで、次回は申し訳ありませんが、オンライン配信はなしということでお願いします。
203
:
ウラサキ
:2025/01/09(木) 12:46:38
😰
204
:
久保共生
:2025/01/09(木) 22:26:13
父とおぐすさんと野口さんで相談した結果、1月の会は中止することになりました。
次回は2月11日(火・祝)になります。
よろしくお願いします。
1月の会場費は5人で折半ということにしましょう。
205
:
ムラタ
:2025/01/09(木) 23:48:46
1月の会中止の旨、承知いたしました。
1月の会場費も折半でいいと思います。
ただ、キャンセルが出来るなら、返金の可能性があり、また他の人にも空いた部屋を使ってもらえるので、可能ならした方が良いように思います。
今ネットでキャンセルしようとしたら、ネットでは出来ない仕組みになっているらしく、直接窓口に問い合わせ下さいと表示がありました。
明日僕が電話してもいいのですが、おそらく久保君が代表者になっているので、僕では出来ない可能性があります。
久保くんには何度もお手数かけるのですが、もし面倒でないなら電話して頂きたいのですが・・・
面倒なら別にそのままでもいいと思います。
206
:
ムラタ
:2025/01/13(月) 17:20:32
次回の詳細です。
日時:2月11日 (火・祝) 13時から17時
集合場所:浪速区民センター
範囲:第194-217節 (講談社鬼界訳 p.167〜181)
会場費1560円を参加者で等分して負担
オンライン参加者は無料、オブザーバーも歓迎
今後の予定
3月2日(日)
4月13日(日)
207
:
ウラサキ
:2025/02/09(日) 16:09:45
2月11日もオンライン参加希望致します🙇♂️
208
:
ムラタ
:2025/02/09(日) 22:34:35
ウラサキさん
承知いたしました。
当日はよろしくお願いします。
209
:
マイマイ
:2025/02/10(月) 13:27:09
こんにちは。
オンライン・オブザーバーで参加希望です。
210
:
ムラタ
:2025/02/10(月) 16:35:58
マイマイさん
新規参加者の方でしょうか。
了解いたしました。よろしくお願いします。
211
:
AD
:2025/02/11(火) 12:09:19
オンライン・オブザーバーで参加予定です。
212
:
ムラタ
:2025/02/11(火) 12:55:15
本日はこちら。先頭にhをつけて下さい。
ttps://meet.google.com/rnk-ijvf-quu
213
:
ムラタ
:2025/02/11(火) 19:56:14
次回の詳細です。
日時:3月2日 (日) 13時から17時
集合場所:浪速区民センター
範囲:第204-242節 (講談社鬼界訳 p.174〜188)
会場費1560円を参加者で等分して負担
オンライン参加者は無料、オブザーバーも歓迎
今後の予定
4月13日(日)
5月11日(日)
6月21日(土)
7月13日(日)
214
:
ウラサキ
:2025/02/25(火) 10:37:16
3月2日もオンライン参加希望致します🙏
215
:
ムラタ
:2025/02/25(火) 16:07:57
ウラサキさん
了解いたしました。よろしくお願いします。
216
:
AD
:2025/03/01(土) 09:48:03
明日、オンライン・オブザーバー参加予定ですが、遅れるかもしれません。
217
:
ムラタ
:2025/03/01(土) 17:53:27
ADさん
了解いたしました。
218
:
マイマイ
:2025/03/02(日) 05:52:08
本日もオンライン・オブザーバーで参加予定です。少し遅れるかもしれません。よろしくお願いいたします。
219
:
ムラタ
:2025/03/02(日) 09:35:02
マイマイさん
了解いたしました。
こちらこそよろしくお願いいたします。
220
:
ムラタ
:2025/03/02(日) 12:53:39
本日はこちらです。
ttps://meet.google.com/dbq-wzmf-eur
221
:
おぐす
:2025/03/02(日) 13:11:45
すみません。今回の日付けまったく失念しておりました。
本日は欠席します。
222
:
ムラタ
:2025/03/03(月) 04:20:22
次回の詳細です。
日時:4月13日 (日) 13時から17時
集合場所:浪速区民センター
範囲:第213-242節 (講談社鬼界訳 p.179〜188)
会場費1560円を参加者で等分して負担
オンライン参加者は無料、オブザーバーも歓迎
今後の予定
5月11日(日)
6月21日(土)
7月13日(日)
8月17日(日)
223
:
ウラサキ
:2025/04/09(水) 09:53:47
4月13日オンライン参加希望いたします🙇♂️
224
:
ムラタ
:2025/04/09(水) 19:22:54
承知いたしました。
4月13日もいつも通り、オンライン配信予定です。
225
:
AD
:2025/04/13(日) 09:52:06
オンライン・オブザーバー参加予定です。
226
:
ムラタ
:2025/04/13(日) 12:54:11
本日はこちらです。
ttps://meet.google.com/ktr-wtgm-etp
227
:
ムラタ
:2025/04/14(月) 00:33:44
次回の詳細です。
日時:5月11日 (日) 13時から17時
集合場所:浪速区民センター
範囲:第224-252節 (講談社鬼界訳 p.183〜195)
会場費1560円を参加者で等分して負担
オンライン参加者は無料、オブザーバーも歓迎
今後の予定
6月21日(土)
7月13日(日)
8月17日(日)
9月21日(日)
228
:
ウラサキ
:2025/05/09(金) 04:54:52
5月11日(日)オンライン参加希望致します🙏
229
:
ムラタ
:2025/05/09(金) 14:29:41
了解いたしました。
当日は宜しくお願いします。
230
:
ムラタ
:2025/05/11(日) 12:54:46
ttps://meet.google.com/qgd-gtza-cct
本日はこちらです。
231
:
ムラタ
:2025/05/11(日) 19:06:22
次回の詳細です。
日時:6月21日 (土) 13時から17時
集合場所:浪速区民センター
範囲:第243-269節 (講談社鬼界訳 p.190〜202)
会場費1560円を参加者で等分して負担
オンライン参加者は無料、オブザーバーも歓迎
今後の予定
7月13日(日)
8月17日(日)
9月21日(日)
11月2日(日)
232
:
ムラタ
:2025/05/11(日) 19:17:49
会の終わりに時間がなくて読めなかったのですが、ウラサキさんから以下のようなコメントがありました。
「赤ちゃんの喃語は私的言語とは言えないか?」
それに対する僕の回答ですが、それは詩的言語とは言えないと思います。
ある言語が私的言語と言えるためには、§256等にも書かれているように、「私自身にしか理解できない言語」である必要があります。しかし、赤ちゃんは自身の喃語(「あうー」など)を意味ある言語として理解していないでしょう。話者自身にすら理解できていない言語は、私的言語の要件を満たしていないと思います。
233
:
ムラタ
:2025/05/11(日) 19:18:53
【訂正】
三行目:詩的言語→私的言語
234
:
ウラサキ
:2025/05/12(月) 03:44:20
ムラタさん、御返答有り難うございます。
某所で『哲学探究』英訳の該当箇所を参考資料として、private language について議論した際、
御自身のお子さんが幼かった頃の喃語をprivate languageの例として紹介された事があり、
こちらが予想していなかった例だけに、気になっておりました。
その方の報告によると、子供さんの中では特定の音声が、大体いつも特定の状態を指しているようだ、とのことでした。
235
:
久保共生
:2025/05/12(月) 08:57:49
>>234
>子供さんの中では特定の音声が、大体いつも特定の状態を指しているようだ
ということは、そこには何らかの規則か、少なくとも規則の萌芽のようなものが見て取れるということなのではないでしょうか。
だとすれば、この例は私的言語の例などではなく、(私的ではない)言語の萌芽、言語獲得の黎明期と見るのが自然であるように思われます。
236
:
ウラサキ
:2025/05/12(月) 10:31:29
共生さん、コメントありがとうございます。
その方の話によると、
はじめのころは、無意味な発声だと思っていたところ、
特定のタイミング(確か興奮した際に)でその語を発していると気付いたそうです。
他方、他者に全く意味を推測されないままになっている発話もあるのではないでしょうか?
237
:
ムラタ
:2025/05/12(月) 11:02:31
>他方、他者に全く意味を推測されないままになっている発話もあるのではないでしょうか?
仮にそのような言語が想定されたとしても、それは私的言語ではないでしょう。
赤ちゃんが他者に自らの言語を伝達不可能である理由は、赤ちゃんが公共の言語をまだ習得していないという技術的な伝達不可能性によるものであって、原理的な伝達不可能性によるものではないでしょう。私的言語が伝達不可能であるというのは、技術的に伝達不可能という意味ではなく原理的に伝達不可能性という意味です。
238
:
ウラサキ
:2025/05/12(月) 13:11:00
>237
なるほど、そもそも喃語を private language の例として出してくること自体が勘違いだということですね。
私がその時に配布資料として読んでもらったのは,
Stanford Encyclopedia of Philosphy の"Private Language"の解説と
アンスコム訳『探究』の256節〜271節ですが、
その方が private language の意味を誤解されたのかもしれません。
某外語短大で英語の先生をされている方ですが、
まあそれだけウィトゲンシュタインが難解だということでしょう。
239
:
久保共生
:2025/05/12(月) 18:05:43
>>238
>そもそも喃語を private language の例として出してくること自体が勘違いだということですね。
もっと言えば、ウィトゲンシュタイン的にはprivate language の実例を挙げようとしている時点で間違っているということになるでしょう。
その方がウィトゲンシュタインを批判する文脈で喃語を私的言語の例として出したのであれば話は別ですが、私的言語を解説するのに私的言語の実例を挙げたのであれば、おそらく議論の主旨を誤解されていると思われます。
240
:
ウラサキ
:2025/05/12(月) 19:25:54
>>239
つまり"private language"とは"round square"のような oxymoron だということですね?
永井均さんやAyerの例は、元々が批判目当てであったと?
241
:
久保共生
:2025/05/12(月) 20:16:37
>>240
>つまり"private language"とは"round square"のような oxymoron だということですね?
そう考えて良いと思います。
永井氏やエイヤーについてはきちんと確認していないので断言できませんが、仰る通りおそらく批判目当てではないでしょうか。
242
:
ムラタ
:2025/05/12(月) 22:06:22
>>238
私的言語は【原理的に】翻訳不可能・習得不可能な言語ですが、この【原理的に】という部分に対する誤解があったと思われます。
数年前、チリでヤーガン語話者の最後の女性が亡くなりヤーガン語は消滅しましたが、彼女の世界でたった一人だけが理解できるヤーガン語も決して私的言語であったわけではありません。彼女のヤーガン語は【原理的に】翻訳不可能・習得不可能であったというわけではないからです。
243
:
ウラサキ
:2025/05/13(火) 09:33:58
private language が不可能な理由を簡単に示すと以下の通りで宜しいでしょうか?
前提1:他者に伝わらなければ language ではない。
前提2:他者に伝わると private ではない。
______________________________________
結論: 故に、private language は oximoron(矛盾表現) であり、存在し得ない。
244
:
ウラサキ
:2025/05/13(火) 09:39:07
>>242
ヤーガン語が【原理的に】翻訳・習得可能だということはどのようにして分かったのでしょうか?
245
:
ムラタ
:2025/05/13(火) 16:08:45
>>244
>ヤーガン語が【原理的に】翻訳・習得可能だということはどのようにして分かったのでしょうか?
ごく普通に、例えば我々日本人が英語を翻訳・習得できるようにそれは可能でしょう。
『哲学探究』の文脈で言えば、言語ゲームに参加できるというということが重要だと思います。
ヤーガン語で「ありがとう」は「kepah(ケパ)」と言うそうですが、例えば何か助けてもらった際にいつも「kepah」と互いに言い合うのならば、それは「kepah」という言語を習得したことになるでしょう。
246
:
ウラサキ
:2025/05/13(火) 17:23:41
>>245
「世界でたった一人だけが理解できるヤーガン語」というのは、
「【原理的に】理解できない」のではなく、
「理解しようと思えばできたけど、敢えて誰もしようとは思わなかった」
ということでしょうか?
なにか【原理的に】不可能なことの例を挙げて頂ければ有難いです🙏
247
:
ムラタ
:2025/05/13(火) 19:47:40
>>246
>「理解しようと思えばできたけど、敢えて誰もしようとは思わなかった」ということでしょうか?
そういうことになると思います。
>なにか【原理的に】不可能なことの例を挙げて頂ければ有難いです
例えば数字を、その並びに何の規則性をも見出さないまま書き連ねながら、その数字の並びに規則性を見出している、ということは原理的に不可能でしょう。
248
:
ウラサキ
:2025/05/14(水) 04:49:26
>>247
>その並びに何の規則性をも見出さないまま書き連ねながら、その数字の並びに規則性を見出している
つまり、「【原理的に】不可能」とは「論理的に矛盾する」ということでしょうか?
249
:
ムラタ
:2025/05/14(水) 18:29:44
>>248
>「【原理的に】不可能」とは「論理的に矛盾する」ということでしょうか?
同じ意味とは言い難いですが、しかし雰囲気は何となく掴んでいるようには思います。
私的言語についてはこれから読書会で読んでいくテーマですから、読んでいきながらウラサキさんも僕も理解を深めていけばいいのではないでしょうか。
250
:
ウラサキ
:2025/05/15(木) 02:11:18
>>249
>読んでいきながらウラサキさんも僕も理解を深めていけばいいのではないでしょうか。
そうですね。あまり先入観を持たずに読んだ方が良いみたいですね🙏
251
:
ムラタ
:2025/06/16(月) 00:32:24
コメントで流れてしまいましたので、次回の詳細を再掲しておきます。
次回は日曜でなく土曜ですのでお間違えなきよう。
日時:6月21日 (土) 13時から17時
集合場所:大阪祭典なにわ区民ホール
範囲:第243-269節 (講談社鬼界訳 p.190〜202)
会場費1560円を参加者で等分して負担
オンライン参加者は無料、オブザーバーも歓迎
252
:
ウラサキ
:2025/06/16(月) 03:42:26
今回もオンライン参加希望致します。
ただ少し遅れての参加になりそうです🙇♂️
253
:
ムラタ
:2025/06/16(月) 16:04:03
ウラサキさん
承知いたしました。
先に始めておきますね。
254
:
AD
:2025/06/19(木) 16:20:56
明後日はオンライン・オブザーバで参加予定ですが、遅れるかもしれません。
255
:
ムラタ
:2025/06/19(木) 22:52:29
ADさん
承知しました。
もし遅れられるようなら先に始めておきますね。
256
:
ムラタ
:2025/06/21(土) 12:55:09
本日はこちらです。
ttps://meet.google.com/bsv-nfgt-chd
257
:
ムラタ
:2025/06/21(土) 23:47:44
次回の詳細です。
日時:7月13日 (日) 13時から17時
集合場所:大阪祭典なにわ区民ホール
範囲:第258-292節 (講談社鬼界訳 p.198〜212)
会場費1560円を参加者で等分して負担
オンライン参加者は無料、オブザーバーも歓迎
今後の予定
8月17日(日)
9月21日(日)
11月2日(日)
11月24日(日)
258
:
Urasaki
:2025/07/10(木) 10:18:13
7月13日(日)オンライン参加希望致します🙇♂️
259
:
ムラタ
:2025/07/10(木) 14:28:33
ウラサキさん
承知いたしました。
次回もよろしくお願いします。
260
:
AD
:2025/07/13(日) 08:59:50
本日オンライン・オブザーバーで参加予定です。少々遅れる可能性あり。
261
:
ムラタ
:2025/07/13(日) 09:52:39
承知いたしました。
遅れられるようなら先に始めておきますね。
262
:
ムラタ
:2025/07/13(日) 12:53:45
ttps://meet.google.com/ghk-fsng-nxz
本日はこちらです。
263
:
ムラタ
:2025/07/13(日) 19:58:03
次回の詳細です。
日時:8月17日(日) 13時から17時
集合場所:大阪祭典なにわ区民ホール
範囲:第267-292節 (講談社鬼界訳 p.201〜212)
会場費1560円を参加者で等分して負担
オンライン参加者は無料、オブザーバーも歓迎
今後の予定
9月21日(日)
11月2日(日)
11月24日(日)
12月28日(日)
264
:
ウラサキ
:2025/07/14(月) 02:20:27
独特な好みを持ったワイン愛好家が、自分のワイン選定のために、
(他人に読めない)独自の記号で付けているワインテイスティング日記を、
「私的(private)ではない」、と呼ぶ理由がよく分かりませんでした😟
265
:
久保共生
:2025/07/14(月) 08:52:15
そもそも「ワイン選定のためのテイスティングをして、その結果をメモしている」という状況設定を皆で共有できている時点で私的言語とは全く違うでしょう。
確かにこれだけでは彼がどのような基準でワインを評価しているのか分かりませんが、少なくとも「ワイン選定のための味の評価を記したもの」という意味は伝わります。
とすれば、「ワインテイスティング日記」は「ワインの味について語る」言語ゲームと言わざるを得ないでしょう。
彼独自の記号の意味が分からないのなら、「この記号はワインのどのような味を表しているのか?」と彼に尋ねることができるだろうし、彼はそれに対し「この記号はワインの風味にかくかくしかじかな性質があることを表しているんだ」などと返答することもできるでしょう。
このとき「ワインテイスティング日記」はまぎれもなく、ワインの味を語る言語ゲームの一つの駒になっているのであり、いかにしても言語ゲームが成立しないような言語(私的言語)では全くありません。
266
:
AD
:2025/07/14(月) 08:57:02
#258で、繰り返し生じる感覚に「E」という記号を付ける例を挙げ、今後その感覚が生じてもそれまでのその感覚と同じかどうかは判定基準がないのでEは(私的)言語ではない、とのことですが、例えば公共言語である「痛い」についても、前回の(その人が感じる)感覚が前回の(その人が感じる)感覚と同じだとする判定基準はないのでは。
私見では、前者では0次内包に相当する感覚(=しかたなくEと名付けた?)に相当する一次内包言語(単語)がまだなく、後者にはすでにある(=痛い)ので、一次内包相当言語のみを言語とするならばEは言語ではないとされたのでは。
267
:
AD
:2025/07/14(月) 09:00:18
(訂正)
#266 2行目 (誤)前回の →(正)今回の
268
:
Urasaki
:2025/07/14(月) 09:52:45
ワインの味覚・香り・風味にも、感覚Eと同じように客観的同定基準のない(個人的な)ものがあるように思います。
ある特定銘柄の酒をある人は「甘い」と感じ、別の人は「辛い」と感じることはよくあります。
269
:
久保共生
:2025/07/14(月) 10:06:41
>>266
>例えば公共言語である「痛い」についても、前回の(その人が感じる)感覚が前回の(その人が感じる)感覚と同じだとする判定基準はないのでは。
判定基準は言語ゲームにおいての皆の合意です。
われわれはその都度の感覚を同じ「痛み」として語り、それに皆が異論を唱えず合意するから、同じだと見なされるのです。
これは、規則のパラドックスの箇所などで繰り返し論じられてきたことです。
言語の規則や意味、あるいはその理解といったものが言語ゲームを超えたところに在って、しかる後に言語ゲームに参加するというのではない。
言語の規則や意味、理解というのは、言語ゲームを通してその都度、確認され、合意され、あるいは修正されるところのものである。
この点を踏まえれば、私的言語が不可能だという主張は、至極当然の帰結ではないでしょうか。
270
:
Urasaki
:2025/07/14(月) 10:35:11
個人的なワインテイスティング日記の場合、その言語ゲームの参加者は書き手一人だけではないでしょうか?
他に誰一人としてその暗号日記を読まなくても、「私的」とは呼ばないのですか?
271
:
久保共生
:2025/07/14(月) 10:35:47
>>268
>ワインの味覚・香り・風味にも、感覚Eと同じように客観的同定基準のない(個人的な)ものがあるように思います。
おそらく「私的」の意味を誤解されているかと。
一つ言えることは主観ー客観の構図で考えるのは、きわめて誤解を招きやすいという点です。
当然、味覚にしても嗅覚にしても感じ方は人それぞれであり、「Aという刺激には必ず、Xという感じ方をする」などという一般法則はないでしょう。
そしてこういうものに対して、我々は個人的だとか主観的だとか言うわけです。
ただ、このことと私的言語が不可能だという議論には、何の関係もありません。
私的言語不可能論は、「感じ方は人それぞれ」という感覚の個人的・主観的な側面とは何の関係もありません。
加えて言えば、私的言語不可能論は、感覚の一般法則のような「客観的基準」の必要性を訴えるものでも全くありません。
読書会の最中にも言いましたが、258節を「語が意味を持つためには主観的な印象ではダメで、明確な客観的基準が必要だ」みたいに読むのは間違いだと思われます。
かなり誤読しやすい書き方なので注意が必要ですが、これまでの規則のパラドックス等の議論の文脈を踏まえれば、このような誤読は避けられるかと思います。
272
:
AD
:2025/07/14(月) 10:47:34
久保共生さん、言語規則、意味、理解についてはそのとおりだと思います。(判定順準=皆の合意)
ただ判定前?の、個々の感覚(と言ってしまうと言語になるのか)は0次内包として、それに見合う?公共言語(一次内包)がない場合に(もちろん言語ゲームの判定会場には載せられませんが)、私的言語とされてしまうのでは。
273
:
Urasaki
:2025/07/14(月) 13:11:51
結局、私的言語の「私的(private)」の意味がよく分かりません😥
手元の辞書では、
private adj. personal; belonging to or concerning oneself or a small group; not for the public
とありますが、『探究』での意味はそれいずれでもないのでしょうか?
274
:
久保共生
:2025/07/14(月) 13:20:47
>>270
>個人的なワインテイスティング日記の場合、その言語ゲームの参加者は書き手一人だけではないでしょうか?
ワインテイスティング日記自体は一人で書いていますが、ワインの味を評価する言語ゲームは、公共のものであり、この書き手だけのものではありません。仮に独自の記号を作るとしても、ワインの味を評価する言語ゲームの文法規則に則って作るのでなければ、彼自身にも理解ができないものになるでしょう。
275
:
Urasaki
:2025/07/14(月) 13:42:07
>>274
すると、感覚E日記も公共言語の「文法規則に則って」作れば、「私的」ではないのでしょうか?
このワイン愛好家は独自の好みを持っていて、その評価はプロ鑑定家や一般のワイン愛好家の評価とは大きく異なっているという想定です。
276
:
久保共生
:2025/07/14(月) 13:49:55
>>272
>ただ判定前?の、個々の感覚(と言ってしまうと言語になるのか)は0次内包として、それに見合う?公共言語(一次内包)がない場合に(もちろん言語ゲームの判定会場には載せられませんが)、私的言語とされてしまうのでは。
0次内包とは、「語られる以前の感覚そのもの」みたいな意味ですよね?
だとすると、そもそも「0次内包」は言語ではないのでは?
そもそもとして言語でないものは、当然私的言語とは呼べないでしょう。
277
:
久保共生
:2025/07/14(月) 14:00:29
>すると、感覚E日記も公共言語の「文法規則に則って」作れば、「私的」ではないのでしょうか?
そう解釈してよいかと思います。
>このワイン愛好家は独自の好みを持っていて、その評価はプロ鑑定家や一般のワイン愛好家の評価とは大きく異なっているという想定です。
好みや価値判断が異なっているのであって、文法規則が異なっているわけではないでしょう。
278
:
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:2025/07/14(月) 14:34:46
>>276
今は言語とは呼べない感覚Eも、みんなであれこれ議論?して(痛みに似ているのか? どれくらいの間隔を置いて生ずるのか? 痒みではないのか? 私も似た感覚が生ずるのだが、等々)そのうちみんなの合意を得て(立派な)言語として認められる可能性もあり?
279
:
ムラタ
:2025/07/14(月) 14:54:17
>>278
そのような共同体の合意を得れば当然言語として認められるでしょう。
それは新しい公共的な言語が生まれる場面と言っていいと思います。
しかし、そのような合意を得ることができないというのが私的言語の定義だったことを思い出してください。つまり定義上、私的言語「E」はそのような合意を得ることができません。
280
:
ムラタ
:2025/07/14(月) 16:34:04
永井均氏の用語が出てきたので、ふと家にあった永井氏が私的言語について書いた文章を読んでみたのですが、ごく単純に、私的言語の定義を誤解しておられるだけのようでした。
『哲学の密かな戦い』(p.266,267)において、彼は以下のように主張しています。
私的言語「E」の意味は原理的に誰にでも理解できる。なぜなら「特定の人に繰り返し起こる、彼だけが識別できる、独特の体験の名前E」という説明は誰にでもその意味が理解出来るからだ。そしてその意味が理解できるのだから、当然他人は、理解したその意味に基づいて、その語の誤用をたしなめることができる、と。
しかし、これは私的言語の定義を誤解していると言わざるを得ないでしょう。なぜなら、私的言語は定義上、他人とそのような理解・合意の可能性が完全に閉め出されているものだからです。私的言語「E」は定義上誰にも理解できないものなので、私的言語「E」が「誰にでも理解できる」と言うことは定義として禁止された行為です。
もちろん「特定の人に繰り返し起こる、彼だけが識別できる、独特の体験の名前E」という私的言語「E」の説明は私的言語「E」というものがあると仮定して、それを公共言語でイラストレイトしたものなので、当然、他人にも理解が可能です。しかしそれは本来ないものをあるものとして公共的な言語で表現したものであって、それを理解できることと私的言語「E」が理解できるということは全然別の話なのですが、永井氏はこれを混同してしまっているようです。
281
:
ウラサキ
:2025/07/14(月) 17:06:04
>>277
>好みや価値判断が異なっているのであって、文法規則が異なっているわけではないでしょう。
文法規則も何も、自分で考案した独自の記号を使ったメモという想定です。
例えば「7/14 ●++/§△★」のような。
282
:
ウラサキ
:2025/07/14(月) 17:16:11
>>280
>それは本来ないものをあるものとして公共的な言語で表現したものであって
「本来ない」と表現するのは論点先取では?「あるのかないのか分からない」と表現すべきでは?
もし私的言語の定義が「他人とそのような理解・合意の可能性が完全に閉め出されているもの」なら、
ある個人がそのような言語を使ってるかどうかも分かりようにないかと思いますが、、、。
一部の統合失調症患者の例みたいに。
283
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:2025/07/14(月) 17:34:15
>>280
手元の同著で確認しましたが、3〜6行目は(手元の新版ではp.222〜)、永井が野矢茂樹著「語りえぬものを語る」18章について批判した中で、永井ではなく野矢が私的言語だとしている記述を取り出したもの(ではないかと)。野矢の同著でも確認しました。
そして、永井の私的言語についてのコメントはこの後に延々と続きますが、省略。
284
:
ウラサキ
:2025/07/14(月) 17:37:10
ウィトゲンシュタイン自身による「私的言語」の明示的な定義って、どこかにありましたっけ?🤔
285
:
久保共生
:2025/07/14(月) 17:49:53
>>281
「7/14 ●++/§△★」は、暗号のようなものか、あるいは省略記号のようなものなのでしょうか?
もしそうならば、既存の文法規則に置換可能なはずであり、彼自身も「●はかくかくを意味し、++はしかじかを意味し‥‥」と説明できるはずです。
既存の文法との対応関係で理解しているのならば、全く私的とは言えないでしょう。
286
:
久保共生
:2025/07/14(月) 17:54:25
>>284
243節が私的言語の定義と言えるのではないでしょうか。
287
:
ムラタ
:2025/07/14(月) 17:59:00
>>282
>「本来ない」と表現するのは論点先取では?
「本来ない」ということを根拠として「ない」ということを導いたなら論点先取ですが、そのような推論はしていないはずです。
>ある個人がそのような言語を使ってるかどうかも分かりようにないかと思いますが、、、。
おっしゃるように、もし私的言語があると仮定するなら、それが言語かどうかもよく分からないというものになるかと思います。
>>284
第243節がそうでしょう。
288
:
久保共生
:2025/07/14(月) 18:15:16
>>280
永井氏が私的言語の定義を誤解しているかどうかはともかく、この引用だけでは何が言いたいのかよく分からないですね。
ただ単に「私的言語の定義は皆が理解できる」と言っているだけに見えます。(そりゃそうでしょう。)
少なくともこれだけでは、ウィトの私的言語不可能論に対する何の論駁にもなっていませんし、どう関係するのかも分かりません。
289
:
ムラタ
:2025/07/14(月) 18:15:18
>>283
?
何をおっしゃりたいのかよく分からなかったです。
<「E」は意味と真偽を有する有用な公共言語であらざるをえない>というのが『哲学の密かな戦い』第7章1節のタイトルであり、僕が
>>280
の3から6行で書いたことと対応していると思いますが、この「E」は野矢氏独自の解釈の「E」であり、永井氏の「E」あるいはウィトの「E」とは別物とおっしゃりたいのでしょうか?
290
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:2025/07/14(月) 18:32:37
283について
280が、永井がこのように誤解している、と読めたので、端にそれは違うのではと書いただけです。
永井の解釈は「哲学の密かな闘い」8章にあるとおりです。
291
:
ムラタ
:2025/07/14(月) 19:01:48
>>290
ウィトや野矢の私的言語「E」は公共言語にならざるをえず、それとは別に永井独自の私的言語「E」があり、それは可能ということでしょうか?
そもそも私的言語「E」はウィトの「E」であって、それとは別の私的言語「E」をもちだしてそれが可能だと言ってもしょうがないと思うのですが…
それに、ウィトや野矢の「E」が公共言語にならざるを得ないというのも単純に誤解だと思います。だってその導出の根拠<「E」の説明は公共的に理解できるから>も意味不明です。
292
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:2025/07/14(月) 19:12:43
野矢の私的言語理解はよくわかりません。ウィトについては、今現に「探究」を呼んで理解するしかありません。永井は上記290にあるとおりです。私自身は、それら及び皆さんの議論を聴きながら理解しようと。
293
:
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:2025/07/14(月) 19:14:36
292訂正
1行目 (誤)呼んで → (正)読んで
294
:
ムラタ
:2025/07/14(月) 19:24:28
>>292
まぁ、僕も次の第8章に展開されているという永井氏の私的言語については読んではおらず、それを読まないうちに否定するのもやや不誠実な態度だとは思うので、暇な時にでも読んでみようと思います。
295
:
ウラサキ
:2025/07/14(月) 20:11:37
>>285
●が彼にしか分からない(日常語に翻訳出来ない)独特の味だとしたらどうでしょうか?
296
:
ウラサキ
:2025/07/14(月) 20:20:32
243節の「私的言語」の定義は以下の部分ですよね?
「人がそれによって自分の内的体験ー自分の感覚や気分ーを、自分だけのために書き記したり、言い表わしたりすることができるような言語」
まさに独自の評価基準を持つワイン愛好家のテイスティング日記は当てはまるのでは?
297
:
ムラタ
:2025/07/14(月) 20:37:58
>>296
むしろその直後の文章が重要な箇所でしょう。
「そんなことなら我々の日常の言語でできるのではないか? ―私が言いたいのはそういうことではない。この言語に属する語は、話者のみが知ることのできるものを、すなわち話者の直接的で私的な感覚を指示するのだ。つまり他人にはこの言語が理解できないのだ。」
298
:
ウラサキ
:2025/07/14(月) 20:42:53
>
>>297
「彼にしか分からない(日常語に翻訳出来ない)独特の味」は「話者の直接的で私的な感覚を指示する」ことになりませんか?
299
:
ウラサキ
:2025/07/14(月) 21:07:42
プロの哲学者である野矢茂樹、永井均、エイヤー、クリプキらが軒並み誤読している(らしい)程難解なウィトゲンシュタインの文章を正しく理解できる人は本当にスゴい読解力だと尊敬します。
300
:
久保共生
:2025/07/14(月) 21:20:15
>>299
少なくとも、野矢茂樹の著書はかなり読みましたが、特に大きな誤読はないと思いますよ。
永井氏に関してはどの著書も自身の<私>の哲学に結び付ける傾向が強すぎて、誤読か否かおそらく判然としないのではないでしょうか。
エイヤーはよく知りませんが、クリプキに関しては、少なくとも私的言語の解釈をめぐって誤読しているというような指摘は聞いたことがないです。
301
:
ムラタ
:2025/07/14(月) 21:26:56
>>298
本当に彼にしか分からないのなら、それは『探求』で想定された私的言語「E」と何ら変わらないものになるとは思いますが、現実に存在する独自の評価基準を持ったワイン愛好家がつけるテイスティング日記はどのような彼独自の記号を使ったとしてもそれは私的言語とはならないでしょう。
「この記号はどんな意味?」とそのワイン愛好家に尋ねたり、あるいは尋ねた人が違った使い方をして「そうじゃないよ」と訂正を受けたりすることで普通に公共的な言語ゲームに組み込まれうるので。
そして、もし言語ゲームに組み込まれえないワイン愛好家もいるかもしれない、とおっしゃるのなら、その彼独自の記号は彼自身もその記号を理解していないということになるでしょう。
ウラサキさんは、私的言語が不可能ということを、人は私的に規則に従うことは出来ないという規則の議論から遡って考えられてはいかがでしょうか? それから、言語の意味というのも超越的な意味というものが生活実践以前に独立してあるのではなく、あくまで生活の実践においてたち現れているものだということも。
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