したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

ウィトゲンシュタイン『哲学探究』読書会

1ムラタ:2023/03/21(火) 20:13:04
6月あるいは7月からウィトゲンシュタイン『哲学探求』を読んでいく運びとなりました。
つきましては新規参加者(オンライン参加者含む)を募集いたします。
参加希望者はこの掲示板に書き込んで下さい。どなたでも歓迎いたします。

テキストは鬼界訳『哲学探究』(講談社)を利用します。
各自範囲を読んだ上で参加されることが推奨されます。

会場は大阪浪速区民センターで、時間は14時から17時まで、月一回、日祝日の開催となります。

95ムラタ:2024/02/24(土) 03:52:30
2023年10月に岩波新書から発売された野矢茂樹『言語哲学がはじまる』を読みました。
この本で主に扱っているのはフレーゲ、ラッセル、前期ウィトゲンシュタインで、『探究』については最後おまけ程度に触れているだけです。つまり直接『探究』の解説を試みた本ではないのですが、ご存知のように『探究』は『論考』期の自己自身、あるいはラッセル等の言語観を批判的に検討するという形をとっていますので、『探究』で対峙している相手を明確化できるという意味では間接的に少しは『探究』読解の助けとなるように思われました。したがってここにこの本を推薦しておくことにします。
例えばラッセルについて、前回意味不明と飛ばした記述理論(固有名の話)や、彼が「これ」だけが真に純粋な名であるといったにわかには受け入れ難い考えに至ったプロセス等が紹介されています。
読み始めた当初予想していたよりもかなり読むのに骨が折れました(野矢茂樹の本でも難しい方かもしれません。野矢茂樹の説明はいつも通り分かりやすいのですが、そもそも内容が難しい)が、『探究』のことは放っておいても単純に面白い本だと思います。

96ウラサキ:2024/02/24(土) 05:26:36
ラッセルの記述理論については、
借りて読んだので今手元には無いのですが、三浦俊彦『ラッセルのパラドックス』(岩波新書)の説明が分かり易かった記憶があります。
あと、戸田山和久『論理学をつくる』のp.208〜211にもコンパクトで明快な記述理論の解説があります。
ただこの本はデカく高価で、論理学教科書としてはあまりお薦めではありません。
図書館などで借りてそのページだけコピーすれば十分でしょう。
Russell自身が書いた"On Denoting"「表示について」や『数理哲学序説』第16章「記述」は、
説明がやたらと回りくどい上に、例も令和日本の我々にはあまりピンと来ず、
あまりお薦めではありません。

97おぐす:2024/03/01(金) 15:37:38
ムラタさんご推薦の野矢茂樹著「言語哲学がはじまる」を術後の病室のベッドで読了しました。
内容は著者の「『論理哲学論考』を読む」の第3章をさらに分かり易く敷衍したものですが、言語哲学の源流の三人を、まったくレベルを落とさずに、しかもこれだけ読者に優しく論述できるとは、さすがに野矢先生ですね。
私にフレーゲ、ラッセル、ウィトゲンシュタインの言語哲学を端的に理解させてくれたのは、服部裕幸の「言語哲学入門」と飯田隆の「言語哲学大全」のⅠ,Ⅱでした。両先生には自分のようなド素人の蒙を啓いていただいて有りがたやです。

98おぐす:2024/03/01(金) 15:48:04
>「『論理哲学論考』を読む」の第3章を

の件り、第4章の「これでラッセルのパラドクスは解決する」です。すみません。

99ウラサキ:2024/03/01(金) 21:38:03
飯田隆『言語哲学大全』は、
田島正樹氏が「やたらと枝葉の部分にこだわって幹の部分が見えづらい」と評しておられましたが、
私も全く同感です。余程労力と時間を厭わない方以外にはお薦め出来ません。

100おぐす:2024/03/01(金) 23:02:29
>ウラサキさん
「言語哲学大全」は個人的に言語哲学の入門書としてたいへん役に立ったと言うことを申したまでで、取り立てて他の方に推薦するつもりで挙げたわけではありません。
ウラサキさんは「言語哲学大全」という著作を、よほどご自分の労力と時間を厭わずに読まれ、あげくその労力と時間を無駄にされた腹立たしさからのご意見なのでしょうか。そうであれば残念な読書体験であったことにご同情いたします。
あるいは田島氏のご指摘を受けて、それならまともに労力と時間を使って読む価値はあらずと断じてのご意見なのでしょうか。もしそうであればそれほどまでに私淑されている先達をお持ちのウラサキさんを微笑ましく思います。
ウラサキさんの懸念なさるほど「言語哲学大全」Ⅰ,Ⅱはそれほど労力と時間を費やさずとも読める本でしたが、私に田島氏ほどの見識はないので「やたらと枝葉の部分にこだわって幹の部分が見えづらい」とのご批評は胸に納めておきたいと思います。

101ムラタ:2024/03/02(土) 05:25:37
僕はまさに今その『言語哲学大全(Ⅰ)』を読んでいます(笑)
『言語哲学がはじまる』のおわりに、フレーゲとラッセルについて、より深く学び考えるには最適と紹介されていたので。
まだ読んでいる途中ではあるのですが、今のところ確かにそのような本になっているように思います。
田島氏の発言の意図やニュアンスは分からないのですが、単なるフレーゲやラッセルの学説の紹介ではなく、それが出現した文脈やその意義なども詳しく書かれているので、もしかしたらそのようなところに「枝葉」を見られたのかもしれません。少なくとも僕には、今のところですが、理論的な部分では「枝葉」と表現されるほど不要な議論はないように思われます。

そもそも飯田氏自身がまえがきで次のようにことわっています。

【言語哲学の「古典的成果」なるものの各々に関して、その結論部分を述べるだけで済ませるということならば、ひょっとすると、最初私が考えていたように、薄っぺらな本一冊の中の一章の紹介で十分間に合ったかもしれない。】

また、同様の箇所において、言語をめぐる哲学的問題で、わが国で決定的に欠けていたのは、各々の理論の位置であり、どのような問題解決のために提示されたものであるかといったコンテキストの理解である、としています。

そのような意図で書かれた本であるがゆえに理論的「幹」が見えにくくなってしまっているという指摘はありうるかなとは思います。
なので一冊目は薄い入門書で理論的「幹」を概観し、二冊目以降に、もし時代的文脈も含めてより深く知りたいという場合に、読むのに適した本なのだと思います。

102ウラサキ:2024/03/02(土) 08:06:57
>100
私は旧版の『言語哲学大全』を全巻を発売時に一冊づつ購入しましたが、
読んだのはⅠの大部分(全部?)とⅡの半分くらい、
ⅢとⅣはまえがきと注と本文のごく一部です。
今から思えば、図書館で借りて面白そうな箇所だけ読めば十分だったと思っています。
2年ほど前、オンラインで『言語哲学大全』の読書会をやってましたので、それにも参加しました。
田島正樹氏のコメントはそこでの御発言です。
その会は初めは全巻読む予定だった様ですが、田島氏の発言もあり、
第Ⅰ巻読了後方針変更し、Ⅱ巻以降の代わりに、
クワインの『論理的観点から』収録論文を2本読んだ後、
今はエヴニン『デイヴィドソン』を読んでいます。
クワインは学生時代から読んでいましたので興味深く読めたのですが、
ただエヴニンの本は私には退屈で、今は読書会のSkype録画を入浴中にbluetoothで聞き流すだけで、
テキストの方は殆ど読んでいません。
田島氏他参加している方は、結構楽しんで居られるようなので、人それぞれだと思います。

『大全』はムラタさんの言うとおり、「二冊目以降」に読むマニア(?)向けの本ではないかと思います。
ただ、そこまで本格的に勉強しようと思うなら、フレーゲ、ラッセル、クワインらの原論文を読んだ方が良いようにも思いますが、
特にラッセルは英語という言語の性質に依拠した記述が多いので、日本語訳では分かりづらいようにも思います。

103ウラサキ:2024/03/02(土) 08:21:00
102で「注」と書いたのは「文献案内」の間違いでした(^^;)

104おぐす:2024/03/02(土) 10:12:01
>ウラサキさん
あなたのコメントは言葉足らずが多いのですよ。
私の挙げた本はどちらも入門書です。服部裕幸氏の本は「言語哲学大全」Ⅰ,Ⅱの縮刷版みたいな内容ですが、帯にもあるように「言語学や哲学の予備知識はいりません。考えながら楽しく読んでください」とあります。
その服部氏が巻末で「本格的入門書」として紹介しているのが飯田氏の「言語哲学大全」です。もちろん相当骨はありますが、案内にもあるように専門家向けの論文ではなく学生や一般読者向けの著作です。出版社も「入門書」と銘打ってあるように「マニア」向けに企画したものではありません。
もっとも「哲学探究」以降のウィトゲンシュタインの論述は、むしろつまらぬ予備知識は捨てて、しっかり考えて読むことを要求されるような論考なので、そこでは読者の読書遍歴が問われることはないでしょう。
およそ読書はじっくり読んでも、入浴中に聞き流しても人それぞれなのですから、言葉足らずの断定や言いっ放しは控えた方がよろしいですね。外国語に精通している方の多くがみごとな日本語の使い手であられることから鑑みても、多少は日本語のお勉強を為されることも必要かと存じます。

105おぐす:2024/03/02(土) 12:53:26
参考までに「言語哲学大全」旧版に飯田氏が書かれた「まえがき」を抄出しておきます。

本書は、まさしく啓蒙的、ということは純粋に利他的な動機から書れたものである。その啓蒙的精神から言っても、
本書が予想している読者は「フレーゲ」とか「ラッセル」とかいった名前を聞いたことはあるが、そうした哲学者が
何をなぜ主張したかについては、ほとんど知らないといった(しかし、知りたいと思っている)人びとである。
どうか「哲学」という名前がついているからと言って敬遠しないで頂きたいというのが、私の望みである。

この件りを目にしたとき、まさしく私が著者の想定した読者に含まれていることに安堵したことを覚えています。ただ研究者というものは意図せずハードルを上げてしまうものらしく、中途半端な予備知識は要らずとも、自前の頭を使わされる、しっかり骨太の「入門書」でありました。
なので私のような浅学には、著者の志は高くとも、読者の低い目線にまでかがんで「言語哲学がはじまる」のような優しい本も書いてくださる野矢先生のような存在は非常に有りがたいですね。

106ムラタ:2024/03/02(土) 13:07:07
『言語哲学大全』は労力を要する本格的入門書ということでいいでしょう。
個人的な印象では、たかだかフレーゲ110ページ、ラッセル75ページしか割り当てられていないのですから、他の日本語の言語哲学の入門書よりは記述量が多いとは思うし、砕けた書き方もしていないので、読むのに相当苦労はしますが、「マニア」向けとか「枝葉」という表現にはやや違和を感じはします。
もっとも、要点を簡潔に知りたいという人にとっては不要な情報も多いということも理解できます。
何を必要としているかによって、その本が過剰な「マニア」向けのものになったり、あるいは逆に、「不足」を感じたりもする、というのは当然のことでしょう。

107ウラサキ:2024/03/02(土) 13:42:37
我々は専門家ではありませんので、各自自分に応じた仕方で楽しめば良いと思います。
ただ、非専門家の方に「言語哲学入門書で何かお薦めはありますか?」と尋ねられた際には、
私は『大全』は薦めません。量も多いし、値段も張りますから。
「『言語哲学大全』はどうでしょうか?」と尋ねられたら、
「図書館で借りて、少し読んで見てから判断されてはどうでしょうか?」と言います。
でも中には「大全」というタイトルや、大部の本に引かれる方も居られるようなので、
個人的趣味を否定するつもりはありません。

108おぐす:2024/03/02(土) 20:50:49
「言語哲学大全」はそんなに「量が多い」ですかね。ちなみに「言語学大全Ⅰ」は262ページで、同じ菊判の放送大学のテキストが平均その程度でしょうか。飯田氏の序文によると初めは「注」も飛ばして読むのが良いそうですから、それだと170ページほどになります。
野矢氏の「言語哲学がはじまる」は253ページです。菊判と新書版の違いを考慮しても「注」を抜けば文字数はこちらの方が多いような気もしますが。何を以て「大部」というのか。大半の書籍は「大部」になっちゃいますね。
「値段が張る」はわかります。「大全」の値段だと牛丼なら1週間はランチにありつけます。若い頃に給金を貰えるようになって嬉しかったのは学生時代は躊躇した書籍を買えるようになったこと。ウラサキさんは大半は読みもしない「言語哲学大全」全巻を購入されたのですから、その豪気は羨ましい限りです。
私は「大全Ⅰ」を読了して後「大全Ⅱ」の内容が読むに値するのを確認して購入する決断をしました。わが家の刀自は私が1冊の本を購入するのに小1時間も迷うので、あきれはてて書店には同伴してくれません。書籍も安いに越したことはないですね。

109ムラタ:2024/03/02(土) 22:10:37
>>108
四巻すべてまとめて見るなら他の入門書と比べて「大部」に見えるということでしょうね。
しかし、ご指摘のように、フレーゲ・ラッセル・ウィト等各々の学説・理論を紹介する「量」としては他の入門書とはあまり差はないように思います。
それよりも読んでいて苦労するのは「質」の部分です。
きっちりとした書き方になっているので、とても『言語哲学がはじまる』のようには読めません。
例えばフレーゲのパートでは、僕は記号論理学を学んだ経験がありますし、『言語哲学がはじまる』等の本も多少は読んでいるので、なんとか食らいついてはいますが、言語哲学に全く触れた経験のない人は、余程の根気がないと論点も分からないまま挫折してしまうのではないでしょうか。ウラサキさんのおっしゃっていることはそういうことなのだと思います。
僕も今のところ、とりあえずⅠだけ読んでみるつもりです。
立ち読みしてⅡ以降、とりわけⅢ、Ⅳは読み通す根気はないとないように思われましたので。

値段についての話題も出ていたのでこちらについても一言。自分は別に裕福でもないですが、こういった哲学書などの読書については、他の趣味活動に比べてコストに対するパフォーマンスが高すぎるように思っています。
『大全』新版は税抜き2800円でしたが、おそらく読むのに一ヶ月程度はかかりそうなので、他の趣味に比べれば相当お金をかけずに楽しめているのではないでしょうか。
むしろこんな安い値段で楽しませてもらって申し訳ないぐらいの気持ちがあるので、苦労して書いた割にはたいして懐が潤ってないはずの筆者に印税をと、感謝の意をこめて、古本では買わず、積極的に新品購入するようにしています。

110おぐす:2024/03/02(土) 23:37:44
>109

特に申し上げることはございません。
貴君によき読書と、よき人生を。

111ウラサキ:2024/03/28(木) 11:36:02
3月31日もオンライン参加希望致します🙏

112ムラタ:2024/03/28(木) 15:26:57
承知いたしました。
今回も当然配信します。

113AD:2024/03/31(日) 08:59:29
今日もオンライン・オブザーバ参加予定です。

114ムラタ:2024/03/31(日) 12:54:46
本日はこちらです。
ttps://meet.google.com/gwt-uysq-oey

115ムラタ:2024/03/31(日) 19:19:27
次回の詳細です。

日時:4月21日 (日) 13時から17時
集合場所:浪速区民センター 
範囲:第99-133節 (講談社鬼界訳 p.102〜116)
会場費1560円を参加者で等分して負担
オンライン参加者は無料、オブザーバーも歓迎

今後の予定
5月19日(日)
6月16日(日)
7月21日(日)

116ムラタ:2024/04/02(火) 22:46:54
先日の会は論理について議論が白熱しましたね。
それに対する僕の意見と疑問を残しておきます。

第89節で、野口さんが、『探究』の「論理学(英訳ではlogic)はすべての学問の根底に位置しているように思われたのだ」という内容に対し、量子力学の観点から異を唱えられたのがきっかけでした。
おそらく野口さんは量子論理を念頭においておられたのだと思います。
量子論理については、家に帰って少し調べてみましたが、以下のブリタニカ国際大百科辞典の説明が分かりやすかったです。
ttps://kotobank.jp/word/量子論理-178327

量子力学の世界において、普段われわれが使っている古典論理とは異なる量子論理という論理体系がある、ということです。
これについて僕は、「そうか」と思うだけで、別に何の反論もありません。

さて、問題は、『探究』第89節で書かれていた「論理」というのが「古典論理」を意味していたのか、それとも「量子論理」を意味していたのか、ということです。
おそらく、野口さんは、前者のように『探究』第89節で書かれている「論理」を「古典論理」として解釈されたのではないでしょうか。だからこそ反論があった。
しかし、僕が思うのは、おそらく、『探究』で書かれた「論理」は、「古典論理」でも「量子論理」でもなく、それとは別次元の論理だということです。
古典論理というのは、確かにわれわれの常識的な論理を表現したもののように思います。しかし、われわれが古典論理をもって知的探究の推論を行っていると言うのなら、それはヘンだと思います。
古典論理(あるいは量子論理も)というのはすでに「語られたもの」であって、僕らが普段知的探究をする際に用いている論理(それが『探究』で書かれた「論理」だと思う)というのは、もっと手前にある、語られる以前にあるものなのではないでしょうか?
しかし、ここのところが、どうも曖昧で、うまく言語化できません。
野口さんを説得させるだけの説明もできたようには思いません…

117久保共生:2024/04/04(木) 00:45:09
>>116

野口さんは、なんらかのものXについて、それが「Aである∧Aでない」という命題が量子力学では真になりうると仰っていましたが、それは量子論理でも真にはならないでしょう。
矛盾律を認めないのはさすがにヤバいですよ。
そもそも僕は、量子力学によって数学の公理系に根本的な見直しが必要になったなどという話はこれまで聞いたことがないのですが、そんなことはあるのでしょうか?(多分ないと思います。)

尤も、量子論理などを持ち出さなくても、新しい数学のために公理がアップデートされることは普通にあります。
例えば、非ユークリッド幾何では、ユークリッド幾何の5つ目の公理(平行線に関する公理)を満たさないものとして扱ったりします。

けれども、このような話と、89節の話とはかなりズレていると思います。
以下のように考えるのはどうでしょうか?

公理とは有意味な言語の使用のために、当然満たしておかなければならない規則として提示されたものですが、それゆえにその証明は不可能です。
けれども我々はそれが正しい、あるいは間違いと判断するからこそ、それを公理として採用したり、しなかったりするわけです。
では、その妥当性を決定するための指針とは一体何なのか。
思うに、これこそが「論理」と呼ぶべきものであり、ムラタさんが仰るように、

>もっと手前にある、語られる以前にあるもの

ということになるのではないでしょうか。
公理自体は、様々な語りの様式の中でアップデートされうるとしても、そのアップデートは決して恣意的に行われるのではなく、何かしらの妥当性に基づいて行われるわけです。
ここにこそ、論理についての考察が、「あらゆる事物の本質」の探究に通ずると考える理由があるのだと思います。

端的にまとめれば、「論理とは公理に妥当性を与えるための指針」、といったところでしょうか。

118ムラタ:2024/04/05(金) 00:36:53
>>117

>>116を投稿した後で思ったのですが、論理がうまく語れないのは原理的に当然のことだったのかもしれません。第89節で、有名なアウグスティヌスの時間に関する文章の引用がありましたが、論理もまた、時間と同様に、原理的に、常に語りえぬ手前にあるもの、というのがその存在形式なのですから。

公理にも様々なヴァリエーションがあり、また物理学の文脈では量子論理や古典論理などもある。それらのものはすでにわれわれの前に体系化されたものであり、それぞれがそれなりにわれわれを納得させるだけの妥当性を所有しているが、その妥当性の基礎・指針になっているのは、他の明文化された体系ではなく、明文化される以前の、われわれの論理なんですよね。

119ウラサキ:2024/04/18(木) 07:47:10
ttps://outlook.live.com/mail/0/inbox/id/AQMkADAwATE0YzcwLWQxODQtNDJlOC0wMAItMDAKAEYAAAPIGD7FAtM3RaENqlcWXdmNBwA1oXCXKuYMQa8JMndA7XUkAAACAQwAAAA1oXCXKuYMQa8JMndA7XUkAAfcY7HJAAAA(←冒頭にhを追加)
量子力学に関してこういうの↑見つけました。4月20日(土)19:30-21:00 Zoomk開催だそうです。
私は申し込みました。

120ムラタ:2024/04/18(木) 10:17:19
>>119
ウラサキさん

(冒頭にhをつけ)貼り付けたのですが、見ることができませんでした。
(outlookにはサインイン済み)
別のリンクの方が良いのかもしれません。

121ウラサキ:2024/04/18(木) 19:41:33
あ、すみません。これはどうでしょうか?
☟(冒頭にhを追加)
ttps://0420-2qualia.peatix.com/event/3923508/view?utm_campaign=pod-13167394&utm_medium=email&utm_source=follow-organizer&utm_content=9547469&dlvid=a76faf3e-4088-40aa-95f8-f4015bea8abe&sltid=0

122NA:2024/04/18(木) 22:44:44
>>115
はじめまして、哲学について興味をもっております。40後半になりますが、通信教育などで勉強中です。ついていけるかわかりませんので、4月21日オブザーバーで参加させていただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

123ムラタ:2024/04/18(木) 23:12:01
>>121
問題なく見ることができました。

124ムラタ:2024/04/18(木) 23:21:31
>>122
NA様、はじめまして。
参加希望承りました。歓迎いたします。
13時頃にここにGoogle MeetのURLを貼り付けますので、そちらからどうぞ。
雑音とデータ量を抑えるために、映像はオフにして、発言時以外はそちら側はマイクをミュートにして頂けたらと思います。
何か不明な点があれば、何でもどうぞ。

125ウラサキ:2024/04/20(土) 05:22:52
私もオンライン参加希望です🙏

126おぐす:2024/04/20(土) 20:32:15
>>117
久保さんとムラタさんのコメントを興味深く面白く拝見しました。

公理自体は、いつの時代でも普遍的に承認されるような自明の理ではなくて、様々な語りの様式の中における何らかの妥当性のもとで成立している。ある意味仮定された命題としての公理に妥当性を与えるための指針が「論理」であるということでしょうか。(間違っていたら御免。的外れなら指摘してください)

ここで示される「論理」は「哲学探究」以降に言及されるウィトゲンシュタインに特有の「文法」に重なるものがあるように思いました。もちろん「論理」と「文法」には相違点もありますが、「文法」自体もあらかじめ所与として具現しているものではなく、人間の言語活動の歴史の中で生成したもの(生成しつつあるもの)です。いわゆる「論理形式」も語りえず示されるものですから。

ただ「論考」の段階においては「文法」は隠蔽されており「論理形式」と「文法」はウィトゲンシュタインにとって言語の有意味性の超越的条件であったように思います。

127ムラタ:2024/04/20(土) 21:40:02
>>125
了解いたしました。

128ムラタ:2024/04/20(土) 21:41:22
>>126

「文法」という言葉は、これまで読んだところにも、それから明日の範囲でも出ていましたが、明らかに(英文法などとして使われるような)普通の意味で使われておらず、またウィト自身も明確な説明を与えていないので、何を言わんととしているのか、どうも今ひとつ掴みにくいですね。

キー概念のひとつであると思われるので、明日の議論で俎上に載せて深めてみるのもいいかもしれません。

129ウラサキ:2024/04/21(日) 10:00:15
ウィトは「文法」を「言語(使用)」の意味で使っているように見えます。

130AD:2024/04/21(日) 11:00:14
オンライン・オブザーバー参加予定です。

131ムラタ:2024/04/21(日) 12:59:11
本日はこちらです
ttps://meet.google.com/axz-ftxu-har

132ムラタ:2024/04/21(日) 13:07:04
↑先頭にhをつけて下さい。

133NA:2024/04/21(日) 17:15:20
今日はありがとうございました。なかなかこのように哲学を論じることを聞く機会がないので、刺激になり、勉強になりました。また、ぜひ参加させていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

134ムラタ:2024/04/21(日) 19:36:16
>>133
いえ、どういたしまして。
専門家の集まりではありませんが、アカデミックではない、ということは、メリットもあるように思っています。
また是非ご参加下さい。

135ムラタ:2024/04/21(日) 19:38:48
次回の詳細です。

日時:5月19日 (日) 13時から17時
集合場所:浪速区民センター 
範囲:第119-142節 (講談社鬼界訳 p.110〜127)
会場費1560円を参加者で等分して負担
オンライン参加者は無料、オブザーバーも歓迎

今後の予定
6月16日(日)
7月21日(日)
8月18日(日)

136ウラサキ:2024/05/16(木) 10:19:59
5月19日もオンライン参加希望致します🙏

137ムラタ:2024/05/16(木) 21:51:34
>>136
了解いたしました。

138NA:2024/05/17(金) 18:10:27
今回も行くのに都合が悪く、
オンライン参加、希望させていただいてよろしいでしょうか?

139ムラタ:2024/05/17(金) 22:48:03
>>138
もちろんです。
よろしくお願いします。

140AD:2024/05/19(日) 10:05:52
オンライン・オブザーバ参加予定です。

141ムラタ:2024/05/19(日) 12:55:28
本日はこちらです。
ttps://meet.google.com/dwq-zefx-xfg
先頭にhをつけてください。

142ムラタ:2024/05/19(日) 19:15:26
次回の詳細です。

日時:6月16日 (日) 13時から17時
集合場所:浪速区民センター 
範囲:第135-155節 (講談社鬼界訳 p.119〜135)
会場費1560円を参加者で等分して負担
オンライン参加者は無料、オブザーバーも歓迎

今後の予定
7月21日(日)
8月18日(日)
9月15日(日)

143ウラサキ:2024/05/20(月) 10:35:27
6月16日は所用につき、残念ですが参加できません🙇‍♂️

144ムラタ:2024/05/20(月) 15:37:11
>>143
了解いたしました。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板