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ウィトゲンシュタイン『哲学探究』読書会
1
:
ムラタ
:2023/03/21(火) 20:13:04
6月あるいは7月からウィトゲンシュタイン『哲学探求』を読んでいく運びとなりました。
つきましては新規参加者(オンライン参加者含む)を募集いたします。
参加希望者はこの掲示板に書き込んで下さい。どなたでも歓迎いたします。
テキストは鬼界訳『哲学探究』(講談社)を利用します。
各自範囲を読んだ上で参加されることが推奨されます。
会場は大阪浪速区民センターで、時間は14時から17時まで、月一回、日祝日の開催となります。
293
:
AD
:2025/07/14(月) 19:14:36
292訂正
1行目 (誤)呼んで → (正)読んで
294
:
ムラタ
:2025/07/14(月) 19:24:28
>>292
まぁ、僕も次の第8章に展開されているという永井氏の私的言語については読んではおらず、それを読まないうちに否定するのもやや不誠実な態度だとは思うので、暇な時にでも読んでみようと思います。
295
:
ウラサキ
:2025/07/14(月) 20:11:37
>>285
●が彼にしか分からない(日常語に翻訳出来ない)独特の味だとしたらどうでしょうか?
296
:
ウラサキ
:2025/07/14(月) 20:20:32
243節の「私的言語」の定義は以下の部分ですよね?
「人がそれによって自分の内的体験ー自分の感覚や気分ーを、自分だけのために書き記したり、言い表わしたりすることができるような言語」
まさに独自の評価基準を持つワイン愛好家のテイスティング日記は当てはまるのでは?
297
:
ムラタ
:2025/07/14(月) 20:37:58
>>296
むしろその直後の文章が重要な箇所でしょう。
「そんなことなら我々の日常の言語でできるのではないか? ―私が言いたいのはそういうことではない。この言語に属する語は、話者のみが知ることのできるものを、すなわち話者の直接的で私的な感覚を指示するのだ。つまり他人にはこの言語が理解できないのだ。」
298
:
ウラサキ
:2025/07/14(月) 20:42:53
>
>>297
「彼にしか分からない(日常語に翻訳出来ない)独特の味」は「話者の直接的で私的な感覚を指示する」ことになりませんか?
299
:
ウラサキ
:2025/07/14(月) 21:07:42
プロの哲学者である野矢茂樹、永井均、エイヤー、クリプキらが軒並み誤読している(らしい)程難解なウィトゲンシュタインの文章を正しく理解できる人は本当にスゴい読解力だと尊敬します。
300
:
久保共生
:2025/07/14(月) 21:20:15
>>299
少なくとも、野矢茂樹の著書はかなり読みましたが、特に大きな誤読はないと思いますよ。
永井氏に関してはどの著書も自身の<私>の哲学に結び付ける傾向が強すぎて、誤読か否かおそらく判然としないのではないでしょうか。
エイヤーはよく知りませんが、クリプキに関しては、少なくとも私的言語の解釈をめぐって誤読しているというような指摘は聞いたことがないです。
301
:
ムラタ
:2025/07/14(月) 21:26:56
>>298
本当に彼にしか分からないのなら、それは『探求』で想定された私的言語「E」と何ら変わらないものになるとは思いますが、現実に存在する独自の評価基準を持ったワイン愛好家がつけるテイスティング日記はどのような彼独自の記号を使ったとしてもそれは私的言語とはならないでしょう。
「この記号はどんな意味?」とそのワイン愛好家に尋ねたり、あるいは尋ねた人が違った使い方をして「そうじゃないよ」と訂正を受けたりすることで普通に公共的な言語ゲームに組み込まれうるので。
そして、もし言語ゲームに組み込まれえないワイン愛好家もいるかもしれない、とおっしゃるのなら、その彼独自の記号は彼自身もその記号を理解していないということになるでしょう。
ウラサキさんは、私的言語が不可能ということを、人は私的に規則に従うことは出来ないという規則の議論から遡って考えられてはいかがでしょうか? それから、言語の意味というのも超越的な意味というものが生活実践以前に独立してあるのではなく、あくまで生活の実践においてたち現れているものだということも。
302
:
久保共生
:2025/07/14(月) 22:04:24
>>295
>●が彼にしか分からない(日常語に翻訳出来ない)独特の味だとしたらどうでしょうか?
「日常語に翻訳出来ない」というのをどのようなレベルで想定しているのでしょうか?
自分が言いたいことを表現するのにふさわしい日常語が存在しない、というのはしばしば起こりうることでしょう。
(例えば、哲学をする場面ではよく起こります。だからこそ、「言語ゲーム」だとか「家族的類似性」だとかいう独自の用語を導入したりするわけです。)
けれども、新しい概念や評価基準を導入する際には、既存の文法(ワインの味を評価する言語ゲームの文法)を無視することは決して不可能であり、私的に語の意味を定義することなどできません。
むしろ、既存の言語ゲームの一つの駒になるように、位置づけられねばならないでしょう。
●という記号で、もしもワインの味を語る言語ゲームを一切拒絶する、既存の文法による説明が一切不可能な何ものかを語ったというならば、それを私的言語と呼んでもよいかと思います。
ただ、この次元では、彼自身も自分が何を語っているのか理解できないと思います。
303
:
久保共生
:2025/07/14(月) 22:16:24
ちなみにクリプキは『ウィトゲンシュタインのパラドックス』で、「私的言語論は、規則のパラドクスの議論において、すでに明確に論じられている」と述べています。
少なくともこの指摘に関しては、誤読どころか慧眼と言うべきでしょう。
304
:
ウラサキ
:2025/07/15(火) 05:04:44
>>300
ADさんが引用されていた永井均さんの著作における野矢茂樹さんの「特定の人に繰り返し起こる、彼だけが識別できる、独特の体験の名前E」という「私的言語」の解釈は誤読ではない、と
とのことですね?
また、「クリプキの誤読」とされているのは、「私的言語」以外の部分だ、ということですね?
エイヤーはいくつかの著書や論文の中でウィトゲンシュタインを批判して「私的言語は可能である」という主張をしていました。
305
:
ウラサキ
:2025/07/15(火) 05:13:13
>>301
>人は私的に規則に従うことは出来ないという規則の議論
実はその部分もよく理解できておりません。
「私的な規則」は実際にはよくあるように感じます(^^;)
往々にしてゆるゆるになる傾向があるかと思いますが、
中には「強迫神経症」みたいな方もおられるようです。
306
:
ウラサキ
:2025/07/15(火) 08:08:04
>>301
「立山」という銘柄の清酒があるのでですが、ある店で常連客の一人が「メチャクチャ甘い」と評していましたが、
店の人や私はそれ程甘いとは感じませんでした。
おそらく特定の人にしか感じることの出来ない甘味成分が存在するのだと思います。
同様にワインの味にも特定の人にしか感じる事の出来ない味(甘味や渋みとも異なる)もあるのではないでしょうか?
もしその特別な味を「●」で記入している人がいたら、
そしてその味の成分を感じる事の出来る人が世界で一人しかいないとしたら、
「●」は私的言語でしょうか?
307
:
久保共生
:2025/07/15(火) 13:53:00
>>304
今、『哲学の密かな戦い』の該当の部分を読んでいるところですが、今のところ永井均が私的言語の意味を誤って理解しているようにしか見えません。
もう少し読んでみますが、永井均は私的言語論を誤読している可能性が高いと思います。
エイヤーについてですが、彼が私的言語を批判しているのは知っているのですが、その詳細を知らないので、誤読しているかどうかは分かりません。
308
:
久保共生
:2025/07/15(火) 14:27:26
>>305
これも誤読しやすいところですが、「私的に規則に従う」というのを「自分ルールを決めてそれに従う」みたいな意味で理解しないでください。
個人的にルールを決めて自分でそれに従うことなんて当然可能ですし、普通によくあることです。
けれども、そのルールというのがその人にしか理解できないものだとしたらどうでしょうか?
他の人はそこに何ら規則の片鱗も見出せないとしたらどうでしょうか?
それでもその人は規則に従っていると言えるでしょうか?
ここでの「私的に規則に従う」とはおおよそこのような意味です。
やはりここでも「私的」という言葉を日常語とは異なる意味で使っているので、注意が必要です。
309
:
久保共生
:2025/07/15(火) 14:41:12
>>306
>もしその特別な味を「●」で記入している人がいたら、そしてその味の成分を感じる事の出来る人が世界で一人しかいないとしたら、「●」は私的言語でしょうか?
「甘味とも渋みとも違う」などのようにワインの味を語る言語ゲームに参加できるのなら、私的言語ではないでしょうね。
何ならより詳しくその味わいについて説明を求めることもできるでしょう。
ワインの味を語る言語ゲームが一切成り立たず、その味について何一つ説明ができないのならば、彼自身にも理解できない何ものかになるでしょうね。
310
:
ウラサキ
:2025/07/15(火) 17:27:10
う〜ん、「私的」って「えもいわれぬ」というか「言葉で表現できない」という意味で使われているようですね。
確かに「言葉で表現できない言語」は、形容矛盾(oxymoron)ですね。
ウィトゲンシュタインの「私的」という形容詞の用法がかなり private (←こちらは通常の意味で)なものだと感じます😅
311
:
ウラサキ
:2025/07/15(火) 17:32:57
>>307
>エイヤーについてですが、彼が私的言語を批判しているのは知っているのですが、その詳細を知らないので、誤読しているかどうかは分かりません。
もし正しく理解していたら、共生さんやムラタさんのように私的言語不可能論になるとしたら、
エイヤーも永井先生同様「誤読している可能性が高い」のではないでしょうか?
312
:
ムラタ
:2025/07/15(火) 20:38:27
>>310
>「私的」って「えもいわれぬ」というか「言葉で表現できない」という意味で使われているようですね。
それもちょっとどうかと思いますが…
public(公的)の対比としてprivate(私的)という言葉を捉えるのがポイントだと思います。
つまり徹底的に非公共的なものとしてのprivateですね。
public(公的)な言語ゲームから完全に締め出された非publicな言語という想定がprivate languageです。
313
:
久保共生
:2025/07/15(火) 21:11:42
>>310
>「私的」って「えもいわれぬ」というか「言葉で表現できない」という意味で使われているようですね。
「言葉で表現できない」のは他者に対してであり、私的言語Eは自分に対しては何らかのことを意味すると想定されています。
つまり、自分にだけ理解できるというふうに解釈すべきです。
「私的言語」の定義がもし「言葉で表現できない言語」であるならば文字通りの形容矛盾ですが、そうではなく「自分にだけ理解できる言語」というのが私的言語の定義です。
形容矛盾と言えるほど自明ではありません。
314
:
久保共生
:2025/07/15(火) 21:21:05
>>312
>public(公的)の対比としてprivate(私的)という言葉を捉えるのがポイントだと思います。
おっしゃっていることに間違いはないのですが、日常的な用法の公的、私的という表現と、ウィトゲンシュタインの用法は異なるので、安易に「公的ー私的」という構図を持ち出すのは誤解の要因になると思います。
実際ウラサキさんは日常的用法とのズレに理解しづらさを感じられているようなので。
315
:
ムラタ
:2025/07/15(火) 22:35:12
>>311
『哲学の密かな戦い』を少し読む限り永井均についてはかなり疑問ですが、エイヤー(あるいは他の人たち)がウィトの私的言語論を正しく理解し、かつ有効な反論を行っていることは十分ありうるように思います。
また、そう思っている方が健全だとも思います。
316
:
ウラサキ
:2025/07/16(水) 04:51:59
>>315
>エイヤー(あるいは他の人たち)がウィトの私的言語論を正しく理解し、かつ有効な反論を行っていることは十分ありうるように思います。
え、ウィトゲンシュタインを正しく理解したら、私的言語が不可能だと納得出来る、ということだったのでは?
たしか、「私的言語が可能だ」という主張は「私的」の意味を誤読している可能性が高い、だったのでは?
317
:
ウラサキ
:2025/07/16(水) 05:05:33
>>313
もし「私的言語」を「自分にだけ理解できる言語」と定義すれば、
私が例に挙げた、独自の味覚を持つワイン愛好家の暗号で書かれたテイスティング日記、も含まれてしまうのでは?
318
:
久保共生
:2025/07/16(水) 05:43:35
>>316
>え、ウィトゲンシュタインを正しく理解したら、私的言語が不可能だと納得出来る、ということだったのでは?
たしか、「私的言語が可能だ」という主張は「私的」の意味を誤読している可能性が高い、だったのでは?
おそらく僕もムラタさんもそんな主張は一度もしていないと思いますよ。
これまでのレスを読み返してみてください。
>>317
>もし「私的言語」を「自分にだけ理解できる言語」と定義すれば、私が例に挙げた、独自の味覚を持つワイン愛好家の暗号で書かれたテイスティング日記、も含まれてしまうのでは?
ワインテイスティング日記が私的言語とは言えないことは上で説明しました。
>>265
やそれ以降のやり取りを読み返してください。
まだ誤解されているようなので注意しておきますが、「自分にだけ理解できる言語」とは、暗号のようなものではなく、他者にはその語の理解の可能性が閉ざされている(いかにしても他者にその意味を伝えることができない言語)という意味です。
暗号は一定の解読手順を踏めば皆にその意味が伝わるので私的言語ではないです。
319
:
Urasaki
:2025/07/16(水) 09:50:12
>>318
おそらく私の読解力不足で、すみません。確認させてください。
①ウィトゲンシュタインの主張を正しく理解して、且つ「私的言語が可能だ」と主張することもあり得るでしょうか?
②ウィトゲンシュタイン自身が『探究』で、「私的言語が不可能だ」とは主張はしていない可能性はあるでしょうか?
ワインテイスティング日記に関しては私が「暗号で書かれた」と表現したのがミスリーディングでした。
要するに「本人にだけしかわからない味を記した言語」という意味です。
確か、「感覚E」日記は『探究』で私的言語の例として使われていたのですよね?
この「感覚E」と「本人だけにしかわからない味」の違いはどこにあるのでしょうか?
320
:
ムラタ
:2025/07/16(水) 13:05:22
>>319
ウィトがどこかに書いていたと思いますが、本来「E」が私的言語であるということを徹底するなら、それを感覚と言うことすら出来ないんです。
感覚とは公共的な言語であり、「E」を感覚「E」と言ってしまうことによって、「本人以外誰にも理解できない」という私的言語の定義からはみ出てしまっているからです。
じゃあ、純粋な私的言語としての「E」ってなんだと問われるかもしれませんが、そういった他者には全く得体の知れないものとしか言いようがないと思います。
321
:
Urasaki
:2025/07/16(水) 13:08:30
>>320
『探究』に出てきた「感覚E」は、ミスリーディングな比喩だということでしょうか?
322
:
ムラタ
:2025/07/16(水) 14:43:11
>>321
ミスリーディングな比喩と言うと何だかウィトが悪いというような感じになってしまいますが、私的言語をイラストレイトするにはどうしても公的言語による私的言語の非純粋化が必要でしょう。でなければ何を言っているのか分からない。
「E」の説明として「感覚」という言葉の代わりに例えば「何か」という言葉を使ったとしても、私的言語に近づいたとは思いますが、やはり純粋な私的言語ではないと思います。
「E」を感覚と言うのは、説明のために必要な挿絵だと考えればいいでしょう。
323
:
久保共生
:2025/07/16(水) 15:25:15
>>319
①は当然ありうるでしょう。
②ですが、少なくとも僕はあり得ないと思います。
私的言語が可能だと主張するのは、規則のパラドックスの議論におけるウィトの主張と矛盾します。
>この「感覚E」と「本人だけにしかわからない味」の違いはどこにあるのでしょうか?
「本人だけにしかわからない味」というのが、文字通り一切他の人に説明ができない、味を語る言語ゲームに全く参加できない何ものかであるのならば、258節の「E」と同種のものと解釈できるとは思います。
ただ実際には、「味」と言ってしまっている時点で「甘味とも渋みとも違う」などと語ることが可能だと思うので、味を語る言語ゲームに全く参加できないという状況は考えづらいでしょう。
324
:
Urasaki
:2025/07/16(水) 15:48:21
>>322
323
なるほど、「感覚」と言ってしまっている時点で「痛みとも痒みとも違う」などと語ることが可能になるので、感覚を語る言語ゲームに全く参加できないという状況も考えづらいのですね。
まさに「私的言語」って「語り得ない言語」「言葉にできない言語」という意味なのですね。
そのようないわば「非言語」に「私的言語」というミスリーディングなネーミングを付けているところが、
ウィトゲンシュタインの難解さの一因ではないかと思います。
以前、ある英語ディスカッションの会で、『探究』256〜271節の英訳を読んでもらった上で、
「私的言語は可能か?」という質問をしたところ、約半数が可能と答え、
ある方はお子さん幼少期の喃語を例に挙げられました。
残りの半数は「そもそも何の話か分からない」と答えましたが、
「不可能」と答えた方はゼロでした。
325
:
久保共生
:2025/07/16(水) 21:39:21
>>324
>まさに「私的言語」って「語り得ない言語」「言葉にできない言語」という意味なのですね。
ただし、自分自身だけはその意味するところが理解できるという設定です。
>残りの半数は「そもそも何の話か分からない」と答えましたが、「不可能」と答えた方はゼロでした。
規則のパラドックスの議論からの流れを理解せずに私的言語論の部分だけを読んでも、ほぼ読解は不可能だと思います。
326
:
久保共生
:2025/07/16(水) 21:57:32
思うに、私的言語論で論じようとしているのは、鬼界訳第9章冒頭の解説にも書いてある通り「感覚は内的体験の名である」という考えへの批判でしょう。
もし感覚というものの意味するところが自分の内的体験なのだとすれば、他者との実践(言語ゲーム)を一切介さずに自分の中だけでその意味を画定させることができるはずです。
こうしたところから「私的言語は可能か?」という問いが出てくるのだと考えられます。
ウィトゲンシュタインとしては、言語ゲームなくして言語は意味を持ちえないと考えるので、当然私的言語は不可能だという結論になるはずでしょう。
327
:
Urasaki
:2025/07/17(木) 11:05:59
『探究』を読んでいると、
「この筆者は、言語習得と言語使用を区別していないのではないか?」
と時々思います。
下敷きを団扇に使うように、
元々言語ゲームに参加するために習得した言語を、
本来の用途とは外れた目的(例えば内的体験の記述などの「私的」用途)に使うこともあるのではないかと思いました。
328
:
久保共生
:2025/07/17(木) 20:32:26
>>327
>「この筆者は、言語習得と言語使用を区別していないのではないか?」
区別していないというか、言語習得は言語使用(言語ゲーム)の中に含まれると考えるべきだと思います。
例えば、りんごを指して「これは何?」と尋ね、「りんごという果物だよ」と答えるのも、立派な言語ゲームです。
なので、
>元々言語ゲームに参加するために習得した言語
という表現は不適切で、我々は言語習得の段階から既に言語ゲームに参加していると言うべきでしょう。
>本来の用途とは外れた目的(例えば内的体験の記述などの「私的」用途)に使うこともあるのではないかと思いました。
本来のものとは外れた言語使用は当然存在しますし、言語ゲームは本来の使い方以外許容しないような固定的なものではありません。
むしろウィトゲンシュタインは、「言語ゲーム」という見方によって『論考』では考えていなかったその都度的な柔軟な言語使用の可能性を描こうとしているように思われます。
ただし本来の用途からの逸脱は、言語ゲームという実践の場においてのみ可能だと考えるので、言語ゲームが一切成り立たない私的言語は不可能だということになるわけです。
329
:
ウラサキ
:2025/07/17(木) 20:52:47
>>328
ウィトゲンシュタインはペイシェンスのような一人言語ゲームは想定しなかったのでしょうか?
330
:
久保共生
:2025/07/17(木) 22:26:03
>>329
ペイシェンスは一人で遊ぶゲームですが、そのルールは公的なものです。
ルールを知らない人に対しても説明することが可能です。
このような言語ゲームなら当然成立すると考えてよいでしょう。
331
:
ウラサキ
:2025/07/18(金) 03:29:25
>>330
中には自分で勝手にルールを作って一人でカードゲームを楽しんでいる人もいるのでは?
同様に、言語もそのような楽しみ方が出来るような気がします。
332
:
久保共生
:2025/07/18(金) 08:52:16
>>331
>中には自分で勝手にルールを作って一人でカードゲームを楽しんでいる人もいるのでは?
勿論可能です。
ですが、もしも他の人がそのゲームに何の規則も見出せず、またルールについて一切の説明ができないとしたらどうでしょうか?
それでも、彼は何らかのゲームをしていると言えるでしょうか?
彼は何らかのルールに従っていると言えるでしょうか?
私的言語で想定されているのは、このようなレベルの話です。
333
:
Urasaki
:2025/07/18(金) 10:16:46
>>332
統合失調症患者の意味不明な言葉も、
もしかしたら彼らの中ではなんらかのルールに従っているのかもしれませんね。
ただ我々にはそれが理解できないだけかも知れません。
334
:
ウラサキ
:2025/07/19(土) 05:14:45
ウィトゲンシュタインの主張を単純にまとめると、
如何の通りでしょうか?
私的であれば、他人には伝わらない。
他人に伝わらなければ、言語では無い。
∴私的な言語は無い。
335
:
ウラサキ
:2025/07/19(土) 05:17:06
如何→以下 😅
336
:
久保共生
:2025/07/19(土) 22:35:48
>>334
その理解で大きく間違っているということはないと思います。
強いて言えば、「他人に伝わる」かどうかというより、「その語を用いて他人と何らかのやり取りが可能か(言語ゲームとして機能しうるか)」という点に着目したほうがよいかとは思います。
337
:
ウラサキ
:2025/07/20(日) 04:39:33
>>336
>「その語を用いて他人と何らかのやり取りが可能か(言語ゲームとして機能しうるか)」
ということは、やはりウィトは「一人言語ゲームは不可能」という前提でしょうか?
言語習得では無く、言語使用に関してです。
338
:
久保共生
:2025/07/20(日) 23:54:36
>>337
「一人言語ゲーム」が何を意味するかによりますが、例えば上で議論した独自の記号を用いたワインテイスティング日記などは普通に可能でしょう。
ですが、その独自の記法を他の人に説明できない、すなわちその記号を用いた言語ゲームが一切不可能であるならば、自分自身でもその意味を理解することができないということになるでしょう。
その意味では「一人言語ゲーム」は不可能だということになるかと思います。
339
:
ウラサキ
:2025/07/21(月) 06:18:10
>>338
他の人に説明しようと思えばできるけど、敢えて自分だけでやってる「一人言語ゲーム」は可能ということですね。
こういう意図的に自分一人で使ってる言語を「私的」とは呼ばない点がウィトゲンシュタインの独自用法だと思います。
統合失調症患者の意味不明な発話は、彼の分類だと「非言語」になるのでしょうか?
340
:
久保共生
:2025/07/22(火) 22:30:19
>>339
>統合失調症患者の意味不明な発話は、彼の分類だと「非言語」になるのでしょうか?
統合失調症患者の発話が実際どのようなものかをよく知っているわけではないので、はっきりとしたことは言えませんが、結構微妙なラインではないでしょうか。
次々に無秩序に関係のない言葉が出てくる「言葉のサラダ」と呼ばれる現象は、そこに一切規則が見いだせない限り「非言語」的なものということになるでしょう。
ただ意思疎通が完全に不可能かというと必ずしもそういうわけでもないようなので、微妙な事例だと思われます。
341
:
ウラサキ
:2025/07/23(水) 05:05:06
>>340
具体的イメージを掴みやすいように、西丸四方『異常性各社の世界』から発話の例をいくつか引用します。
(1)花は性だ。そして時計です。今日も、明日も、永久にそうです。
(2)お医者さんは試験を受けてパン屋です。パンは北極です。議会は稲妻です。私は父から生まれた。父は母です。
(3)あなたはえらいですよ、そまつにする奴は罰があたる。虎が出たら一丈一尺、その通りまちがいない、いやもうありがとうございます、何ともいえない、めんじょうはんしょう、ばしやあぼうが、きどものじんたい、なかんなきなく、むかしゃあぼんだい、そりやはぼげ、びょうかんしゃく、食わず飲まず。
(4)光る 頭 痛い だめだ 頭 光る だめだ 光る 痛い 頭 光る だめだ。
(5)あーんときて がーんとして うーんといって ぱーんときて えーっとやって しーんとして。
342
:
ウラサキ
:2025/07/23(水) 05:08:19
『異常性各社の世界』→『異常性格者の世界』 😅
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