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本流対策室/3 板

297役行者:2012/08/16(木) 16:19:27 ID:C04tqMiU

 合掌 

 自然界に起こるすべてのことには原因があります。

 それは、物理的にも、見えない世界においても云えることでしょう!

 その原因を物理的に知るのは科学の力をかりれば何とか突き止められましょう。

 一方、見えない世界の原因に関しては、第三の眼がハッキリ開き、過去、現在、未来に精通している預言者以外はわからないでしょう。

 それこそ、初心者さまが云われるよう、全体でどれだけの確率かを調査しなければならないことなりましょう。

 ですから実際のところ、新聖経と天災との関係性は分からないのが本当のところでしょう。

 ただ、この御盆の時期、大祭が行われる直前に、今まで起きた事のない宇治局部豪雨が起きてしまった当事者の方々にすれば、衝撃的で他人事ではないでしょう。

 みんなが心を一つにして一所懸命、『甘露の法雨』をあげ、復旧作業をする気持ちは理解できます。

298金木犀:2012/08/16(木) 16:34:36 ID:auusu5IE
役行者様

>この眼に見ることが出来ない要因は、人間の問題にしても、自然の問題にしても、状況証拠でしか突き止めることができません。>

その通りだと思います。
生長の家では偶然ということはないのですから、今までの大祭では何もなくて、今回こうした被害が出たことは、
前回と今回で何が違うかというその違いに求めるしかないと思います。

戦争中でも敵の弾が当たる人と当たらない人ありますが、それも偶然ではなく、
弾が外から来て、自分に当たるように思っているけど、自分が引き寄せない限り、けっして弾が当たるものではないと
雅春先生は仰っています。
どんな事件であろうと、自分が引き寄せないものは決して来ないのであり、
物理的要因というのは、単に心が動いたあとの痕跡に過ぎないと思います。

大自然讃歌が、本当に真理の言葉ならば、真言の力というものは誰かが迷いで否定したとしても
そんな迷いに負けるものではないと思いますが、真理でないからこそ、力がないのだと思います。


少なくとも『甘露の法雨』は多くの功徳を顕している経典ですから、
これをしっかりと読むことが、いま我々にできる一番のことですね。

299さくら:2012/08/16(木) 16:45:17 ID:RiL7uXLo
>>237
訊け管理人 様

生長の家のみ教えの観点から、考えをよくまとめて下さり、ありがとうございます。

いいたいことを把握して頂ける方に、すこしでも伝わることがあれば、とても幸いに思っております。
反対のための反対や、細かなところの突つき合いのようなやり取りは、あまり関心が持てないのです。

民主党からも学べるのか?
…とは、ここでわたしが意味することとの関連が判然としませんので、お答えは控えさせて頂きます。


なにか現象が起きた時、み教えに基づいて、自分の心を振り返ったり、
表面的な反応を繰り返すことや現象ばかりみるのではなく、おおきな意味を全体で学んで行くことは、
真摯な信仰の姿勢として、とてもたいせつなことだとわたしもおもっております。
が、一部、過剰な反応には、感じることがありましたので、書かせて頂きました。

300さくら:2012/08/16(木) 16:45:50 ID:RiL7uXLo
>>292
トキ様

ですから、わたしは新聖経は、生長の家の核の教えには相応しいものとは言えないと思っております。

その上で、霊的な関与については、推論で発言するのは、よほど慎重さを要することがあると思っているということです。
むしろ、憶測だけの言及は、控える配慮があっても良いと思っています。
修行を積んだすぐれた霊的指導者ならともかく、
雅春先生ほどの霊格がある方でも、個別の霊視、のようなご指導は、あまりされなかったと思われます。

たしかに、災害の原因の霊的な意義をおときくださいましたが、
現在起こっている災害について、
以前の雅春先生のお言葉がそうだったから、という引用は、一見み教えに基づいているようですが、
自分の考えのために、み教えを利用することにならないか、振り返る余裕もありたいことです。

以前、掲示板のどこだか忘れましたが、奇跡が起こらないから、という根拠で「いまの教え」は虚説だと書いてあるものを読みました。

雅春先生のみ教えは、奇跡が続出したから、すばらしいとの判断が下されるのでしょうか。

その根拠には、わたしは賛同はできません。

それに、あの聖経に、そんなチカラがあると思われてることに、むしろ驚いています。
「人間知」で書かれた詩なのですよね?
なぜ、生長の家の、祈りのふかい宇治の場所で、人間知が、そんな力を持つと考えるのでしょうか、と疑問なのです。

現象から、真摯に自分の心を振り返り、み教えに学ぶことは必要ですが、
霊的な推論での、過剰な反応は避けたいと思っております。

わたしは、大自然賛歌がのった機関紙を、たいへん失礼ですが、破棄してしまいましたが、最近、仕事もうまく行き、プライベートも充実し、幸せです。
怨念などには、あたっておりませんが…。

301さくら、追伸:2012/08/16(木) 16:49:06 ID:RiL7uXLo
あの聖経⇨(大自然賛歌のことです。)

302初心者:2012/08/16(木) 17:29:45 ID:TfQ0e6RA
「全体」の問題はやはり大問題です。しかも生長の家はこの大問題に対応できる
のかということも問題です。できなければ、これが教えの限界ということにもなり
かねないほどの大問題ということになります。

コリン・ウィルソンの『フランケンシュタインの城』には、「稲妻暗算少年」といわれた、
カナダのゼラ・コルバーン少年の逸話が紹介されています。コルバーン少年は、
「稲妻暗算少年」の異名にふさわしい特異な暗算能力を示していたといわれて
いるようです。

何が特異かというと、暗算で短時間のうちに素因数分解をやってのけたという
のですから、その能力は驚くばかりであったようです。ご存知のように、素因数分解
は、試行錯誤でしか計算することができません。「13573は素数か」と聞かれても、
これはひとつひとつの素数で割ってみるよりほかに調べる方法はなく、じっさいの
ところ、13573が素数かどうか、すぐに答えられる人はいないと考えられます。

コルバーン少年は、「36083は素数」かときかれて、すぐさま「素数だ」と答える
ことができたといいます。素数であるということは、36083は、1と36083をのぞく
いかなる整数によっても割り切れないということです。このことを、コルバーン少
年は瞬時に知りえたのですね。いったいどうやってそれを知りえたのか、大きな
ナゾということがいえます。

またコルバーン少年は、「4,294,967,297は素数か」と聞かれると、「それは641で割
れる」とただちに答えたともいいます。いったいどこから641という数字が出てき
たのか、本人にたずねてみてもわからず、ナゾ解きは誰にもできなかったそうです。

素因数分解はコンピューターをもちいてもかんたんではないといいます。なにしろ
ひとつひとつ、しらみつぶしに計算していかなければならないわけですから、いか
に高性能のコンピューターをもちいても、答えを出すには何百万年もかかるという
ようなことが起きてくるようです。

インターネットの暗号通信には「公開鍵」というものがもちいられているようです
が、これは200桁から300桁程度の数字の素因数分解によって得られた答えが、
暗号を開くための「鍵」になっているようです。素因数分解されてしまえば鍵は
開けられてしまいますが、その計算には100万年近くがかかるだろうともいわれ
ているようなので、鍵は絶対に開かないということが保障されているといって
よいようですね。

このようにとてつもなく時間がかかるはずの計算を、コルバーン少年は瞬時に
やってのけることができたといいます。いったいなぜそのような離れ業ができた
のでありましょうか。その答えは、コルバーン少年が何らかの方法によって全体を
知ることができていたからにちがいありません。

コルバーン少年は、何百という計算を同時におこなっていたと考えられますが、
それが可能となるのは、コルバーン少年が(あるいはコルバーン少年の頭脳が)
複数の世界に同時に存在しえた場合にかぎられるはずであります。

コルバーン少年の例からわかるのは、人間は「今ここで降っている雨」の全体を
知ることが、おそらくできるだろうということです。災害の全体を知ることも
おそらくはできるだろうということです。

新聖経が読まれなかったときになにが起きたのか。コルバーン少年ほどの能力が
あれば、状況証拠にたよらずとも、それを知ることも不可能ではないということで
すね。はたして生長の家にそれができるのか、これが問題となりますね。

303初心者:2012/08/16(木) 17:36:17 ID:TfQ0e6RA
訂正いたします。全体を知るには、コルバーン少年の能力をしのぐ必要がある
のかもしれません。それでも全体を知ることは不可能ではないということが
いえるでありましょうね。ただそれを知ってそれを語ったとしても、誰が信じて
くれるのかという問題が残ります。

304goro:2012/08/16(木) 17:52:27 ID:Cc8Z7oOY
大自然賛歌・観世音菩薩讃歌の両方読んでみましたが
天啓を予感させるような言葉はどこにもありません。
知識や知恵で書かれた只の文章でした。

ましてや、宇治の市街地を水浸しにするような
災害の元になるなどとても信じられません。

100歩譲って、1000歩、万歩譲って
自然大災害をもたらす程の逆念悪業の強い文章だとしても
何故に関係のない宇治の町の人々に災害が及ぶのでしょうか?

宇治別格本山に激しい落雷があり、地盤が陥没し、
建築物が炎上消失でもすれば魂消ると思いますが、、、。

トキ様かどなたか証明して下さい。
証明できなければ只のカルトにされてしまいます。

305初心者:2012/08/16(木) 17:57:39 ID:TfQ0e6RA
わたしとさくらちゃんとではアプローチの仕方が異なっているようでありますが、
ひと言いわせていただくなら、そのときどきの都合によって「人間知にも、実相覚
にまさる霊的能力を認めることがある」ということなのでしょうね。

宇治においては、これまで『甘露の法雨』が数え切れないほどに読まれてきたで
ありましょうけれど、人間知による、できたてほやほやの新聖経の悪影響をふせぎ
きれなかったということなのでしょう。

それともこれは見せしめということなのでしょうか。もしそうであれば、生長の家
の内紛に巻き込まれた人々が気の毒としかいいようがありません。

306トキ:2012/08/16(木) 18:06:20 ID:mG7DVLWw
 今朝、文鮮明師の危篤の報道がありました。それとは別に、ある友人から池田大作氏の健康状態が悪化している、という
話も聞きました。友人の母親はPL教をしていましたが、内紛に嫌気がさし、辞めてしまいました。
 いわゆる新宗教と言われる団体の多くが、いろいろな状態にあるとも聞いています。
 また、アラブの春と言われる変化が中東で生じています。共産党もあと数年で消滅する、という人もいます。
宗教法人を取り巻く環境が大きく変化しています。

 こういう状況を考えると、生長の家の問題は、単に総裁個人の問題ではなく、宇宙的な視点で、信仰のあり方が
変化する時期にある事を示しているのかもしれません。総裁は、たぶん、そういう事を考えて、いろいろと努力は
されたのでしょう。

 ただ、申し訳ありませんが、その結果は、私はあまり評価できません。つまり、問題提起は正しかったとは思う
のですが、その回答には、どこかで間違いがあったと思うのです。これは理科系の人なら、理解できると思います
が、理論と実験の間には、必ず差が出ます。その差を見つけて、理論を修正する作業が必要だと思います。そういう
細かい作業をしないで、実務を行うと、どこかで大きな事故が生じます。今の生長の家は、そんな状態だと思い
ます。

 和解をする,話し合いをする、という事は、自分は、そういう修正を行う事かと思っています。

新経本とは関係のない話題になりましたが、お許し下さい。

合掌 ありがとうございます

307アクエリアン:2012/08/16(木) 18:17:34 ID:O5O4ykRY
>>280

SAKURA様


>■むしろ、今回は「災害に遭われまし た方々には、大変申し訳ありません が…確実に【地殻変動…】が、 起きているモノと判断しておりま す…。 ですから、逆に申しますと、断層のあ る場所では、今後「オゾン層の破壊に よります…異常気象」での、 集中豪雨…etc 気を付けるようにと の“メッセージ”と、私は、判断しまし たが…?

なるほど、断層のある場所は、気をつけなければならないということですか。

貴重な情報ありがとうございます。

今回の災害には、大自然賛歌が大きな原因となっていたのではないか、という意見に対する反論は、この問題をより深く考えていくためには、非常に重要だと思います。

ディベートの精神ですね。

いろいろな方の意見を読ませてもらっての、現在の私の考えは、やはり、一番最初の、これは、生長の家の信徒及び生長の家の教えを人生の拠り所としている人たちにとっては、神界の生長の家本部から、メッセージが発せられているのだ、と捉えるのが、妥当ではないか、というものです。

偽物のお経をただちに廃棄しなさい、というメッセージですね。

今回の出来事をいかに捉えるのか、によって、今後の生長の家教団のゆくえも決まってくるでしょう。

308初心者:2012/08/16(木) 18:30:29 ID:TfQ0e6RA
生長の家の発想の限界はそれほど高くはない、ということがいえそうですね。

309みすはなまる:2012/08/16(木) 18:35:25 ID:8F/9HDHI
>>306

おそらくトキさまの仰りたいことは…

総裁も、色々努力をしてきたが、結果が良くなかった。
それは、いま現在の結果のなかで、総裁の説いてきたことに誤りがあった。いま現在の結果の出ている過程を、修正していくこと…がトキさまのお考えの和解なのですね。

それは、信徒への正しい真理の普及こそが和解であるという事なのかなと思いました。教区の身近で信徒さんを見てこられているトキさまには、そのように思われるお気持ちが理解出来ない訳ではないです。トキさまの和解のお考えの裏には、地元教区の信徒さんへの、愛情を想うが故に、教団上層部に和解を言い続けられているのでしょうか。

310初心者:2012/08/16(木) 18:56:37 ID:TfQ0e6RA
ようするに、生長の家は病気治し以外になにができるのか、ということで
しょう。なにができるのですか?

311初心者:2012/08/16(木) 19:36:26 ID:TfQ0e6RA
生長の家は、じっさいのところなにができるのですか?
新聖経で災害を引き起こすことができると、本気で考えておられるのですか?
もしそうであるなら、ほかにできることを列挙していただきたく存じます。

312みすはなまる:2012/08/16(木) 20:52:48 ID:1WOYI.Zg
>>310 >>311 初心者さま

一番早い方法は、学ぶ会に行かれてお聞きになられるか、宇治別格本山で練成で学ばれるか、お近くの生長の家教化部で部長先生にお聞きになられるかの方が、初心者さまが一番ご自身の心身もって納得される、一番早く確実な方法ではないかと思います。

313初心者:2012/08/16(木) 21:09:26 ID:TfQ0e6RA
みすはなまる様

とりあえずこれは掲示板のやり取りですので、掲示板で決着をつけるのが
筋であると考えます。掲示板で答えることができなければ、生長の家は
それだけのものでしかありません。

314goro:2012/08/16(木) 21:42:03 ID:Cc8Z7oOY

昔のことですが・・・。
ある学会の信者が原宿本部へきて議論をふっかけ、対応した人がどんな人か知りませんが
学会の人は議論がかみ合わなくなると、さも勝ち誇ったように引き上げ、
信濃町へご注進に及び生長の家を破折したと大威張りであったそうです。

ここの掲示板の人達は生長の家を代表する者たちではありませんので
議論を挑まれても、噛み合うことのない内容ではストレスが溜まるだけです。

どこかの学会の信者みたいに勝ち誇ってお引き上げくださると嬉しいです。

315初心者:2012/08/16(木) 22:02:35 ID:TfQ0e6RA
気のきいたレトリックを思いつかれて、勝ち誇っておられるようにお見受け
いたしました。

気のきいた回答をお待ちいたしております。

316役行者:2012/08/16(木) 22:20:02 ID:C04tqMiU
  
 全体を知る!それは中々、難しいことだと思います。
 

 >新聖経が読まれなかったときになにが起きたのか。 コルバーン少年ほどの能力が あれば、状況証拠にたよらずとも、それを 知ること も不可能ではないということで すね。はたして生長の家にそれができるのか、これ が問題となりますね。 <

 >全体を知るには、コルバーン少年 の能力をしのぐ必要がある のかもしれません。それでも全体を知ることは不可 能ではない ということが いえるでありましょうね。ただそれを知ってそれを 語ったとしても、誰が信じて くれるのかという問題が残ります。<


 たとえば、イエスほどの人物なら全体を知ることは不可能ではないでしょう。

 でなければ、千年王国などのドデカい地球の未来を預言することなどできません。

 ところが一般の方々が知るのは難しいことです。

 だから、状況証拠、つまり、結果で判断してゆくしかないのです。

 結果を見て、原因を探り、よりよい方向に舵を切るしかないでしょう。

 そのようななか、総裁は新聖教という方向に舵を切ってしまいました。
 それはどうやら、人智による補強であることは殆どの方が内心思っていることでしょう。

 神啓が下り、記されたお経を人智で補強している訳です。
 
 もしこのことを良しとされるなら、もう総裁はまっしぐらに突き進むしかないでしょう。

 その結果、どのようなことが待ち受けていようとも・・もちろん、何が待ち受けてるのかは全体把握できない私には予見できません。


 ただ、アクエリアン様はこのように直感で感じられたようです。

 
 >偽物のお経をただちに廃棄しなさい、というメッ セージですね。 今回の出来事をいかに捉えるのか、によって、今後 の生長の家教団のゆくえも決まってくるでしょう。<

 トキ様
 みすはなまる様

 >総裁も、色々努力をしてきたが、結果が良くなかっ た。 それは、いま現在の結果のなかで、総裁の説いてき たことに誤りがあった。いま現在の結果の出ている 過程を、修正していくこと…がトキさまのお考えの 和解なのですね。 <

 きっと、トキ様の和解とはこのようなことだと思います。
 結果がダメなら、その原因を探り、良い方向に舵を切るのが本来の先頭の役目だと思うのです。

 生長の家に何ができるのですか?との初心者さまの問いなのですが、逆に生長の家に何を求めているのですか?ということだと思います。

 『甘露の法雨』を補強することにより、何を求めているのか?何をしてもらいたいのか?
 ということだと思うのです。

 たぶん、大自然と調和した人類の行く末を願っているのだと思います。
  
 このことは、生長の家に限らず、歴史上果たせなかった人類の夢です。 

 総裁はたぶん全体を把握して、このように新経本をお出しになられたと思います。
 もしそうでなければカルトになりますから・・

 
 ところが、今のところ、船出では良い結果は出ておりません。 
 たとえば、般若心経を補強したとしましょう、それは人類が大自然と共存するために!と・・

  その結果、あまり現象的に良くないことが起きたとして、全体把握が間違っていた!と考えるのが大切だと思うのです。

 この地球には目的があると思います。その目的は、神の地球計画とて、プログラミングされていると思います。
 たとえば、イエスの云った、千年王国は必ず到来すると思ってます。
 神の全の計画のなかにプログラミングされているとおもうのです。

 もし、雅春先生はそのことを直感して甘露の法雨を記していたら・・甘露の法雨は全を知っていることになります。

 逆に、新経本がそのことを全のなかに折り込み、製作されていたら、新経本は歴史に認められるでしょう。

 ただし、現時点で結果を見る限り、果たして神智において記されたのか、疑問に思うのです。
 もし、人智とするならば、神の全からは少なくとも外れているので、考え直した方がいいのではないかという結論が導き出されます。
 
 私は甘露の法雨の補強とは、それほど重大なことと感じてます。
   
 
 アクエリアン様が云うように、今回の出来事を機会に、生長の家はもう一度、全を見直す必要があるのではないでしょうか?と思うのです。

317トキ:2012/08/16(木) 23:04:08 ID:5WMV.iAs
 今日は古い高校時代の友人達と会っていました。お返事が遅れてごめんなさい。

 もともと総裁は、「大自然讃歌」にしろ、「観世音菩薩讃歌」にしろ、公式には聖経とは認めていません。聖経を補完するもの(この表現も
信徒には抵抗がありますが)という位置づけでした。が、教団内部の雰囲気としては、事実上の聖経のような扱いがされています。機関誌に全
文が掲載され、経本が出版され、行事で読誦が義務付けられ、という具合になっています。つまり、まもなく甘露の法雨が買えなくなり、代わりに
この新経本が聖経になるのではないか、という不安を感じている人が多いのです。

 で、教団内部の一部の人達のように諸手を上げて賛成という人もおられます。反して、極端に拒絶反応を示す人もいます。私も率直に申しまして
全く読めない人間の一人です。しかし、Sakura様のように喜んで読まれる人もおられるのも事実です。つまり、新経本は、個性の強い内容ですから
中には拒絶反応を示す人もいれば、気持ちよくなる人もいるのです。生きている人間がそうですから、霊の中にも、これを歓迎する人もいれば、
拒絶する人もいると思います。拒絶する霊にあげたら、それは怒るでしょう。

 そして、拒絶反応を示す人にとっては、行事等で強制されるのは、たまらなく不愉快になるのです。(総裁、ごめんなさい)

 では、具体的に、どうするのか? という内容については、教区のヒラ会員の分際では何も言えません。ただ、他の聖経、例えば
日々読誦三十章経とか真理の吟唱は、甘露の法雨が読まれる事が前提になっています。補完というのなら、甘露の法雨などが読まれる
事が条件になるかもしれません。あるいは、行事での取扱いについても、強制はしない、などの扱いができれば、と思います。大事なのは、
現在、教区内で進められている「事実上の聖経化、義務化」というロードは実施しない事を表明する事が大事だと思います。

 ふと、私のごときヒラ会員が感じた事なので、あまり真剣に受け入れないで下さい。

318goro:2012/08/16(木) 23:24:01 ID:Cc8Z7oOY
何をどのように申し上げても「気の利いた」御返事にはなりそうにありません。
三日前の古新聞ではありませんが、「キノウキイタ」御返事になり、
新鮮味を欠くため納得いただけるものにはなりません。

玉石混交・ミソも○ソも一緒の掲示板ですから真剣な議論を
望まれても端っから無理があると思います。

頭脳明晰・博学多識のお方であり、かつシャーマンでもあられますので
ふさわしいフィールドで御確約下さい。

319goro:2012/08/16(木) 23:34:58 ID:Cc8Z7oOY

ふさわしいフィールドで御確約下さい。

上記誤字部分訂正します
ふさわしいフィールドで御活躍下さい。

320初心者:2012/08/16(木) 23:50:33 ID:TfQ0e6RA
なんのためにこちらの掲示板にご登場あそばされたのかといぶかしく
思っておりましたが、どうやら気に入らない掲示板を「くさし」においでに
なられたと見てよさそうな雲行きですね。

気にはなっておりましたが、ようやく合点がいきました。どうかお好きなことを
お書きになってください。なにを書かれようと、とくに気にとめる必要はないと
判断いたしました。

321goro:2012/08/17(金) 00:54:19 ID:Cc8Z7oOY
聞きしに違わぬお方でいらっしゃいました。
眠りの森の美女と機嫌よくお遊び下さい。

返事不要です。念のため・・・。

322金木犀:2012/08/17(金) 07:08:12 ID:auusu5IE
>>316
>私は甘露の法雨の補強とは、それほど重大なことと感じてます。>

そもそも、神が雅春先生を通して、語られたという『甘露の法雨』を補強という事自体
冒涜行為だと思います。
完全であるものを補強したら、むしろ不完全になるに決まっているし、
実際に実相の完全さが語られているものを、現象の迷いを認めるような詩になっているというのですから、
迷いの言葉を集団読誦して、神を騙る行為が、潜在意識の底で、自己処罰の心を起こし、
また罪ありという観念を発生させるのですから、災害を引き寄せる事は当然だと思います。

『大自然讃歌』は神への冒涜という心と、罪ありという迷いの言葉という二つの意識を発生させることで、
非常に危険なものだと感じます。もちろんこれは表面の意識でハッキリ感じると感じナイにかかわらずです。
だから、さくら様のように、破棄するのが正解だと思います。
新経そのものがなにか力をもっているわけではないので、破棄したからといって呪われるわけはありません。
新経が偽物であることを知る、信徒の奥底の心が贖罪を呼ぶのだと思います。

323金木犀:2012/08/17(金) 07:16:37 ID:auusu5IE
もちろん、トキ様の言われるように、霊というのは、地上に人間と同じように感情があるのですから、
このお経を不快に思う霊は多いと思います。霊が不快だという念を起こせば、
やはりそれは形に現れると思います。

324宇治から便り:2012/08/17(金) 07:33:27 ID:???

 大自然讃歌デビューにて

 様々な体験が続出。

 ・身体が振るえる

 ・汗ダクダク

 ・倒れそうになった

325如月:2012/08/17(金) 07:41:06 ID:ki/haAjk
>>293 ハマナスさま

大祭奉仕、ありがとうございます。
甘露の法雨をあげさせていただきます。
大成功をお祈り申し上げます。
どうか、宇治別格本山をよろしくお願い致します。

326金木犀:2012/08/17(金) 07:48:46 ID:auusu5IE
>>321のように書きましたが、新経が罪ありという言葉でできている以上は
志恩様の仰るように、マイナスのバイブレーションが出ていて、自然災害と波長が合うのも
ありうると思います。持っているだけでも危険ではないかという気がします。
物質は物質にあらず、心が形を表したものである以上、そのお経は、「人類に罪あり」とする心が
形に現われ具象化したものとも言えますから、自然からの報復を呼び込む心の波長でできているといえるかも知れません。

327愛国宣言から:2012/08/17(金) 07:58:34 ID:???


 ≪衝撃情報≫全国報道:「甘露の法雨」 の功徳で、なんと≪遺体発見!!≫


 http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=hikarinomi&amp;mode=res&amp;log=111

328光明掲示板から:2012/08/17(金) 08:03:49 ID:???

 雅宣氏は「生長の家の信仰」など、持っ てはいない。NEW (469) 日


 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=136

329志恩:2012/08/17(金) 08:21:22 ID:.QY5jUA6
生長の家の皆様

パクリで、雅宣総裁がこしらえた
偽経「大自然讃歌」を、生長の家の皆様が、認めるということは、

世界中の歴史ある数々の由緒ある「お経」へ対してでも
大変失礼にあたる【冒涜行為】では、ないでしょうか。

皆で勇気を出して、偽経に「NO」と言いましょう。

そうでなければ、
なにも抵抗せず、黙々と従うということは、

イエスを十字架に架けたピラト、兵卒のように
聖霊天下ったコトバ・「甘露の法雨」を 雅宣総裁とともに十字架に はりつけ釘で打ち込み、

「甘露の法雨」を、抹殺しようと、まさに、そのようにしている
雅宣総裁に、皆様が、こぞって手を貸していることになります。

だいたい、生長の家の恥です。こんなインチキなお経を、平然と世間に売り出すなんて。。。
この行為は、神や、歴史に残る偉大な宗教家の方々や、世間に対する冒涜であります。

私は今朝、「甘露の法雨」を読誦しながら、涙が滂沱と流れました。

330さくら:2012/08/17(金) 08:25:52 ID:RiL7uXLo
トキ様

わたしが書きたところから、話のポイントがずれすぎて、もう話の流れがつかめなくなりましたが、

それぞれが、持っている信念や感情、感想をランダムに書き込めるのが、トキ掲示板の良さですよね。

ただ、わたしも、だれかれに意図を分かってもらもうとは思っておりませんでしたが、
多少の議論の余地があるような、ご理解や、文意を汲んでくださるようなことに、淡い期待を抱いておりました。


ちなみに、わたしは、和解というのは気の合う同士だけでうなづきあって、仲良しすることではなく、
お互いの信念を尊重しながら、どういう面で協力できるか、とか、どういう状態を保つかなどをきちんと整理して、話し合える、対話ができることだとおもっています。

どちらが虚説であるかとか、正しいかを決めることではないとかんじます。
個人でそれぞれが、選べばよいとは思いますが。

331初心者:2012/08/17(金) 08:40:18 ID:TfQ0e6RA
役行者様

>たとえば、イエスほどの人物なら全体を知ることは不可能ではないでしょう。
 でなければ、千年王国などのドデカい地球の未来を預言することなどできません。
 ところが一般の方々が知るのは難しいことです。
 だから、状況証拠、つまり、結果で判断してゆくしかないのです。

結論からいいますと、状況証拠によって、新聖経には災害を呼び込む威力があると
いうことを認める、ということですね。

これならこれでよいのですが、であるなら、これ以降の新聖経にかんする言及は、
以上のような認識にもとづいてなされる、ということを希望いたします。

言及が、そのときどきの都合でちがった方向に向かうというような事態だけは避け
ていただきたいということです。なんにいたしましても、「ミソも○ソも一緒」と
いわれるこちらの掲示板においても、終始一貫した言及が展開されることを希望
いたしたいところであります。

ところで、『眠り姫問題』や「全体」ということを述べてまいりましたが、これはもち
ろん「一般の方々云々」の問題ではなく、「生長の家の教えの問題点と限界」を
さぐりたいとの思惑のもとに展開してきた言説である、ということをまずは
ご理解いただければとおもいます。

なにを問題にしているかといえば、「一元論という決定論的世界において人間は
なぜ自由でいられるのか」ということを問題にしております。

聞くところによりますと、一元論を唱えていた哲学者のスピノザは、「人間の自由」
の問題に突き当たり、しかも生涯にわたってこの問題を解決できなかったという
ことですね。

この問題を雅春先生は、「神は人間に自由をあたえられた」のひと言で解決なさ
いました。一元論の決定論的性質を棚上げにし、「超越項」をもちいることで、
スピノザでさえ解決できなかったとされるこの難問を、雅春先生は解決なさった
のですね。

こうした説明に納得される方はよいですが、一方には「納得できない」とする勢力
も当然のことに存在いたしますね。

どうでしょう。役行者様は、雅春先生のご説明で納得しておられるのでしょうか。
「生長の家を代表する」とされる方々は、この問題をどのようにとらえておられる
のでしょうか。

一元論という決定論的世界にありながら、なぜ自由意思というものが存在しうる
のでしょうか。

この問題を、「生長の家の教えの問題点と限界」に焦点をあてながら考えてみたい
とおもいます。それはひとえに、「雅春先生は生長の家の教えを真に理解しておら
れたのか」の問いに答えを出したいからであります。

332みすはなまる:2012/08/17(金) 09:10:01 ID:lI9dhNGE
>>331 初心者さま

こちらの掲示板管理人のトキさまは

この掲示板は、基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためにサ イトです。

と、>>1において書いてらっしゃいます。

「雅春先生が本当に生長の家の教えを真に理解していたか」の議論をここで行うことは、この場に相応しくないと察しますが…。

もしも
「雅春先生の教えをなぜ、すべての信徒は忠実に教えを実践しないのか」でしたら、話は変わって来るかも知れませんが…。

333初心者:2012/08/17(金) 09:13:42 ID:TfQ0e6RA
一元論はなぜ決定論であるのか、の説明は以前にも試みたことがあります。

二元論的な対立する力を認めないのが一元論ですから、万物は、初期条件等に
よってあらかじめ定められた方向に向かう定めにあるはずです。どこにでも好きな
ほうに向かうことができる自由はどこにもない、ということになるはずですね。

すでに向かうべき方向性が定められている一元論的世界であるにもかかわらず、
人間に、どこにでも向かうことができるという自由意思があるとするなら、神は
どのようにして自由を実現されたのでしょうか。

この「自由実現の仕組み」を雅春先生はどのように説明しておられるのでしょう。
まずはこのあたりをおうかがいしてみたいところであります。

トキ様がいわれるには、こちらには1000人を超える閲覧者がおられるとのこと
です。生長の家を代表するお考えを聞かせていただけるものと期待いたします。

334如月:2012/08/17(金) 09:32:35 ID:ki/haAjk
>>275 初心者さまのアンケートに答えます。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 雅春先生は、生長の家の教えをほんとうの意味で理解しておられたということが、
 はたしていえるのでありましょうか。みなさまはどのようにお考えになられるで ありましょう。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 地上におられた時の雅春先生はラッパでいらっしゃったので
 ほんとうの意味で理解しておられたかについての答えはNOだと思います。
 
 天上界に行かれてからの事は、わかりません。


>>332 みすはなまるさま

ご気分を悪くされたら、申し訳ございません。
ランダムに読んでいたら、上記の初心者さまのアンケートがありましたので回答してみました。
書き込む前に更新したら、みすはなまるさまの意見がございました。
でも自由な言論の場であると信じて書き込ませて下さい。すみません。

雅春先生の残された聖経や聖典には完全無欠の真理があると信じています。
それを、誰よりも理解されていたのは雅春先生ですが、理解度は100%では無かったと思うのです。
もし、100%だったならば、教団が今のような状態であるわけがないからです。

335初心者:2012/08/17(金) 10:08:05 ID:TfQ0e6RA
如月様

生長の家の教えには問題点もあれば限界もある、ということですね。

こちらで「自分こそが真の生長の家である」と主張する方がおられますので、
「なにが真の生長の家か」を問題提起するためにこれを書いております。

問題点も限界も棚上げにしたうえで、言葉の心地よさに身をまかせて、ただただ
信じ込もうとするのが「真の生長の家」であるのか、問題点と限界をあきらかにした
うえで、教えの真偽、正邪をたしかめようと務めるものが「真の生長の家」であるの
か。これを問うているところであります。

336トキ:2012/08/17(金) 10:36:06 ID:lg5v0aR2
>>331

>>「雅春先生は生長の家の教えを真に理解しておられたのか」の問い

 それって、剣道で例えたら、剣道3級の新人が、剣道9段の達人をつかまえて「あの人の剣道はまだまだだ」
と言うようなもので、ギャグにしかなりませんよ。(笑)。我々は武道で例えたら、白帯がせいぜい茶帯。谷口雅春先生
に比較したら、まだまだ新人だと思うのです。

 例えば、谷口雅春先生の言われた事を発展させる、あるいは、時代の変化に応じて進化させる、という発想は
あり得るかもしれませんが、限界があった、という趣旨の発言は師に対して礼を失した発言だと思います。
 また、私は谷口雅春先生を尊敬もしているし、愛してもいるので、そういう発言は悲しいです。

 実相世界にある生長の家>現象世界にある生長の家 という関係にはあると思います。ですから、実相世界
にある生長の家に、現象世界にある生長の家は近づく努力は必要だと信じています。ただ、谷口雅春先生が遷化
された以上、私達、一人一人がその努力をすべきだと思っています。

 せっかく、投稿をして下さったのに、水をさすような意見を書いて、すみません。

 一元論の話題で思い出すのが、私の学校時代の先生が亡くなられる前にお見舞いに行った事がありました。
社会的には地位も名誉もある人でしたが、その人が、つくずく述懐していました。

 「ここまで成功したのは、全て自分の努力と才能の賜物だと思っていた。が、今思うと、みんな、大いなる力
ともいうべき存在がさせていた事だった。自分の意思とか意図があると思っていたのは、錯覚だった。」と。

 実感として、今は思いませんが、自分もやがてこういう心境になる時期がくるのだと思っています。

337初心者:2012/08/17(金) 10:44:44 ID:TfQ0e6RA
トキ様

トキ様はなぜ「雅春先生への批判はご遠慮ください」とわざわざ表明なされた
のでしょうか。これを表明なさるのであれば、総裁先生への批判もご遠慮ねがう
ように明記すべきでありましたね。それをしなければ、一方の批判だけが許され
て、他方の批判は許されないという、いびつな構造が温存されますね。

338如月:2012/08/17(金) 10:55:02 ID:ki/haAjk
>>335 初心者さま

○生長の家の教えには問題点もあれば限界もある○

違います。
教え=真理には問題はありません。
限界もありません。

そのように私は捉えていますが、初心者さまは初心者さまの捉え方でよろしいのではないでしょうか。

339初心者:2012/08/17(金) 11:00:37 ID:TfQ0e6RA
トキ様

どこまで書けば、ギャグがギャグではなくなるのでしょうか。けっこうなことを
書いてきたとはおもいますが、それが「新人レベルの言説である」というのが
トキ様の率直なお考えなのでしょうね。

こうしたお考えもまた、まことにけっこうきわまりないなものであります。
これこそが、待ちに待った発言であります。

わたしは総裁ではありません。新人レベルの扱いでかまいませんので、どうか
ご遠慮なくお手合せください。このときを待っておりました。どのような言説
でも、どうか遠慮なく展開してください。

これはいつもの決まり文句ですが、どうか期待を裏切らないでくださいまし。

340初心者:2012/08/17(金) 11:05:40 ID:TfQ0e6RA
如月様

わたしは、問題点と限界について具体的に言及しているつもりでありますが、
それが問題でも限界でもないとされるのであれば、なぜそのようにいえるの
かということを具体的に言及していただきたいところであります(たとえば、
決定論的世界における自由意思の問題などについて)。

ただ言葉だけで「問題点も限界もない」と主張するだけでよいのであれば、
なんだって言えるわけですし、誰にだって言えるのではありませんか。

341初心者:2012/08/17(金) 11:10:00 ID:TfQ0e6RA
トキ様

相手を新人レベルと決めつけて、それについて何も言わないという手は
ありませんよ。

342初心者:2012/08/17(金) 11:22:22 ID:TfQ0e6RA
しつこいようですが、ひと言。

わたしの問いかけは、

「一元論は決定論か」

「一元論が決定論であれば、どのような仕組みで自由意思が担保されたのか」

のふたつです。

こうした問いかけが「新人レベルの問いかけである」と斬って捨てることのできる
生長の家が、わたしはたまらなく好きです。にもかかわらず、これまではまったく
歯牙にもかけてもらえませんでした。

言いつづけた甲斐があって、トキ様がしびれをきらし、ご発言してくださいました。
「待ちに待った」というのは、けっして誇張ではありません。「真の生長の家」の
あの切れ味を、久々に堪能させてくださいませ。

343如月:2012/08/17(金) 11:24:47 ID:ki/haAjk
>>340 初心者さま

ごめんなさい。 プロフィールの紹介が遅れました。

名前:如月
生長の家歴:約半年
アホなりに勉強している途中です。どうぞよろしくお願い致します。

これからも、勉強を続け、いずれは初心者さまの質問に即答できるように頑張ります。
それまで、何回か回答にチャレンジはするようにしますが、きっと中途半端だと思います。
その時に初心者さまに添削していただけると、とても勉強になりますので、見捨てずお願い致します。

現在、私は闇雲に真理を信じています。
初心者さまのお考えについては、私と違う捉えかたという認識です。
感覚的には、いつも悲しんでいらっしゃるような印象ですが、人間的には大好きです。

344志恩:2012/08/17(金) 11:26:54 ID:.QY5jUA6

初心者様は「雅春先生は、生長の家をほんとうの意味で理解しておられたということが、はたして
      いえるでしょうか」と言われましたが、

それは、「イエス(又は、釈迦)は、聖書の教え(又は、仏法)をほんとうの意味で理解しておられたということが、はたして
     いえるでしょうか。』と言ってるのと等しい発言だと思います。

理解するという意味は、頭脳で理解することと、実践して頭でなく腹の底で、魂で理解することと、二通りあると教えられております。

それをおっしゃるなら、雅春先生は、ラッパとなって神さまのメッセージを皆様に伝えられておられたけれど、ご自身は、その教えを、ほんとうに実践されていたのだろうか、
ということだろうと思います。

われわれ信徒から仰ぎ見ていた雅春先生の生き方は、日々、うまずたゆまず神想観されて、「無私でありますように、神の想いが我が想いでありますように、
あなたのコトバが私のコトバになって人々に伝わりますように、そして、人類の一人でも多くの人が幸福になりますように」という謙虚なお心で、

日々原稿を書かれたり、講演もされたり、生長の家の教えを、自らが1人の求道者として、真摯に祈りながら、精一杯実践して生きられて生涯を終えられたと
思っております。

雅春先生は、最晩年、総本山の浄心行のときに、ご自身で書かれた浄心行の書を、信徒の皆様に混じって、熱心に提出されていらしたという話も、有名な話です。

現象的に、生長の家の教えに否定的な孫が、現世に現われたことも、実相が顕れることを信じられて、強く希望されて、一求道者として謙虚にご自分を浄心されて
最後の最後まで、教えを自ら真剣に行じていらした ほんものの 貴いお方だと思います。

問題点があるとお思いなら、他のところで、
べつの宗教を自ら立ち上げてくださいませ。

345うのはな:2012/08/17(金) 11:29:02 ID:KGFWp/kg

 キルケゴールか初心者さんかというぐらい難しくて、
 さくらちゃんか38口径かというぐらいぶっ飛んでいますが、
 如月さんのチャレンジ精神には敬服します。

 御健勝のほどを、、、、、。

346トキ:2012/08/17(金) 11:30:33 ID:lg5v0aR2
初心者様

 この掲示板は、もともと本流掲示板を出入り禁止になった人達が中心になり成立しました。
生長の家「本流復活」について考える、という名称は、現在の生長の家のあり方を議論する趣旨を
含んでいます。もちろん、生長の家の歴史も議論の対象には含めています。が、それはあくまでも
現在の生長の家の解決が前提になると思っています。

 谷口雅春先生を批判する内容を謝絶するのは、実益がなく、害が多いからです。
この掲示板の閲覧者様の大半は生長の家の信徒です。私を含めて生長の家の信徒は開祖に対しては
特別に尊敬と愛情を感じています。その場所で、谷口雅春先生の限界について議論をするのは、議論
が拡散し、収拾がつかなくなる可能性があると思っています。少なくても、私は、議論が制御する
自信はありません。

 谷口雅春先生は17年前に遷化されています。総裁は、現在もお元気で、組織指導をされています。
過去は変えられないが、未来は変えられます。現在の総裁の方針を議論の対象にするのは、そういう
観点もあると思っています。

 この掲示板は検閲は原則としてしません。が、それだけに、投稿意見のうち、板の方針と異なる意見
については、管理人として、その内容は板の管理人の意見とは異なる旨を表明する必要があるのです。
 それをしないと、掲示板として、この意見に賛成している、という印象を与えるきらいがあるからです。
初心者様のご意見はご意見で尊重しますが、谷口雅春先生までも批判の対象にするというのは、板の
設立当初からの趣旨と異なるので、先の投稿をしました。御気分を害された点はお詫びしますが、
ご了解をお願いします。

 では、今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

347さくら:2012/08/17(金) 11:53:36 ID:RiL7uXLo
初心者 様

19世紀のインドに生きた、近代の代表的聖人と言われたラーマクリシュナがいます。

その思想は、アドヴァイタ・ヴェーダーンタと呼ばれる不二一元論哲学を根本とし、現象世界はマーヤー (幻影)でありブラフマン(神)だけが実在であり、解脱の手段は知識である、と説いた方です。

これを知ったとき、わたしは、雅春先生が確立された、実相哲学の真髄を彷彿といたしました。

このラーマクリシュナは、あらゆるインドの宗教宗派の代表に、その奥義を体得したと認められたようで、特異な宗教的天才であったようです。
その後、イスラム教、キリスト教、仏教の真髄をも体感し、全ての神と宗教は一に帰すということを確信するに至っています。

しかし、ラーマクリシュナが自分に縁ある神と慕い、信仰の対象としたのは、ヒンドゥー教の血と酒と殺戮を愛する女神カーリーだったことは、不思議です、

その思想には、
「宇宙の母なる神は子供たちのお腹に合うように料理を作って下さる」
との言葉を残しているように、
各自や各国が縁のある、あらゆる宗教の真髄を認め、
その真髄とは、神の愛ということに尽きることを言われてるようです。
その意味で、神を愛すること以上の、「我執」だけは、厳しく戒めたようですが、その宗教的思想の根本には、限りない寛容があったようです。

真髄を掴んだラーマクリシュナにとっては、神を愛する視点で見たとき、信仰対象の違いなどは縁や文化などのちがいであるに過ぎなくて、それほど問題でなかったのではないかとおもいます。


…つまり、生長の家の万教帰一の真髄も、この思想に共通するものであるものだと、思っているのです。
だから、信仰の対象よりも、その真髄に何をみるかの方が、問題だとおもっています。

348さくら:2012/08/17(金) 11:55:35 ID:RiL7uXLo
しかし、生長の家の実態も、いまやわからないときは正直、ありますね。

生長の家の教えの真髄は、間違っていなくても、そこに何をみているのか、そこで何を信じているのかで、各自行動も考えもちがうので。

「熟れる果を見よ」とは、いつか初心者さまもお使いになっておられましたが、そのとおりかもしれません。

349神の子さん:2012/08/17(金) 11:57:05 ID:RiL7uXLo
わたしは、生長の家に来てから、いわゆる「カルト」に入った方の相談を幾つか受けたことがありますが、
そのとき、心がけたことの一つに、その方が信じているものを、決してこちらの論理で否定したり、低く見ないということがあります。
上の、「万教帰一」の精神は、自分の信仰姿勢にも心がけていることの一つです。
真髄では、つながるものがあると信じてるので。

少なくても、「生理的嫌悪感」のような対応はしないようにします。

ただ、話の中で、あなたが信じることにより、あなたがほんとうの意味で幸福であるのか、周りを幸福にしているのか、自分の信仰の良心に恥じることはないなどを、振り返ってもらうことは問います。
違う意見に耳を傾け、対話ができる状態であるかを確認します。

自分の「信仰」のために他を排除するような気持ちや行動は、
どんなに良い教えを口で言っていても、「カルト」の種だわたしはかんじるのです。

…あなたにとりまして、わたしのインパクトのない言葉は、伝わりましたか?
意味は通じましたでしょうか?

350如月:2012/08/17(金) 11:57:39 ID:ki/haAjk
>>345 うのはなさま

初戦敗退です。
泣きながら土を集めています。相手の投げた球、見えませんでした。
久しぶりにパソコンが動いてくれたので、気分も軽くアンケートに答えたつもりだったのですが。
ベンチ入りすらしていない人間が調子に乗ってしまいました。

351役行者:2012/08/17(金) 12:10:31 ID:8ObKoODE

初心者さま

 地上に誕生した以上、肉体を持ち合わせます。19巻、20巻の自伝編で雅春先生自ら告白しておりますが、特に12月13日に大悟される前はまあ、酷いモノです。
 特に女性に対しては・・・・その後、物質はない、肉体はない、心もない、と悟られるのです。
 それから・・では聖人君子であったかというと・・・どうでしょうか、谷口家、生長の家教団に矢継ぎ早に問題が浮上してきます。
 その一つ一つ、雅春先生は、たとえば、『善と福との実現』に恵美子先生のことを書かれたり、赤裸々に表現しております。
 その一つ一つを見ても、完全であるとは思えませんが、一求道者として、限りなく敬愛しております。ただ、苦悩と絶望の渕を通り越して、いのちを賭けて、12月13日に大悟されたという事実は、私は信じております。そのとき、何かを感じ取っておられると思うのです。
そのことはその後の雅春先生の御文章にありありと記されております。神の地球計画という大きな流れのなかで、生長の家の使命を神との対話において、ご理解しておられると存じます。
 もちろん、一求道者として、この地球存在創世の理由、この地球の行く末、まだまだ分からない点がありますので、求道してゆきたいと思いますが、それが故に、問題点と限界とは思ってません。大所からみて、生長の家の弁証法的発展と思っております。
 ただ、このことを論ずるのは時期尚早かと存じますし、いまの教団の現状をみるに、あまりにも乖離した課題かと思います。
 いまは、決定論的世界における自由意思の問題をテーマにして論ずる前に、我々、生長の家の為すべきコトがあるかと存じます。
 それは救済運動かと存じてます。それをまず、運動論の中核に据えるべきかと存じます。
 宗教団体として、第一のものを第一にしながら、真理の追究を同時並行ですべきと思っております。
 最後に一元論と二元論の問題ですが、少なくとも、釈迦、イエスは一元論です。
 この境地を身体全体で理解するのは、並大抵のことではできないと存じております。
 雅春先生も簡単に到達したとは思えません。
 自由意志の問題ですが、結論をいいますと、神の創世したこの世において、神との繋がりを無視した、自由意志など存在しないと思います。
 これは、あくまでも結論であり、徹底的に論ずる必要性はあります。

352さくら:2012/08/17(金) 12:25:42 ID:0i7KfNLo
あ、>>349
は、さくらです。

353みすはなまる:2012/08/17(金) 12:27:44 ID:jTTNb0C6
>>334 如月さま

申し訳ありません。仕事中で返信出来ませんので、改めて夜にさせてください。
私は気分をこわしたりしてはおりませんので、ご安心下さいませ。

354ハマナス:2012/08/17(金) 12:32:29 ID:mR2szZkc
トキ様、如月様、皆さま

応援をありがとうございます。

今年の大祭奉仕の参加者は340名だそうです。
宇治は素晴らしいお天気です。

皆さまと同様に私も生長の家の御教えで、そして宇治の練成会で救われました。
ご恩返しのつもりで、ご奉仕させて頂きます。
丁度、休みも取れて、有り難いです。

感謝合掌

355初心者:2012/08/17(金) 14:06:27 ID:TfQ0e6RA
トキ様

トキ様はさきほど、剣道にたとえて、3級とか9段とかの言い方をされておられま
したが、ここでお伺いいたしたいのは、生長の家には「これは神意である」とか
「これは神意ではない」とかというように、神のご意向をまるで熟知しておられる
かのような発言をなさる方がときおり見受けられますが、このような人と神との
関係を剣道にたとえるなら、どういう階級になるとお考えでありましょうか。

わたしが雅春先生のことを語ればそれがギャグになるということは、神を語る
とはどういうことなのでしょう。このあたり、どうしてもはっきりさせておきたい
ところであります。なにはともあれ、これについてはご返事いただきますことを
強く要望いたしたいとおもいます。

356初心者:2012/08/17(金) 14:56:56 ID:TfQ0e6RA
それと、わたしが雅春先生の教えを批判いたいしますのには理由があります。
その理由とは、雅春先生の教えが絶対化されイデオロギー化されていることが
不快であるから、ということになります。

トキ様はつねづね「和解」を主張しておられますが、それは雅春先生の教えの
絶対化とイデオロギー化を温存したうえでの「和解」をいっておられるので
しょうか。それとも、教えの絶対化やイデオロギー化はない、と考えておられる
のでありましょうか。

かねてより申しておりますように、教えの絶対化、イデオロギー化は、「彼らは
生長の家がなにをなそうとしているかを知らない。しかしそれでも彼らは生長の家
をやっている」ことから起こるものと考えます。

生長の家としてなすべき、実現可能なヴィジョンがなにひとつとして示されて
いない現状では、教えの絶対化やイデオロギー化は、上記のような理由から
かならず起こります。ヴィジョンの不在をおぎなうためのもっとも手っ取り早い方法
として、教えの絶対化やイデオロギー化が避けがたく起こります。

具体的なヴィジョンを示せないのであれば、雅春先生の教えを批判という形で
相対化することでしか、教えの絶対化やイデオロギー化の動きに対抗することは
できないでありましょう。

ことここにいたっても、「われこそは真の生長の家」と主張するといったように、
教えの絶対化やイデオロギー化に拍車をかけるがごとき言動があとを絶つことは
ないといえます。教えの相対化がこんにちほど必要とされた時期はなかったもの
と考えます。

トキ様は「過去は変えられない」といっておられますが、教えの絶対化やイデオロ
ギー化は、すでに過去の問題になったとの認識なのでしょうか。それともそのよう
なことは最初からなかったとお考えなのでしょうか。どちらかの認識のもとに、
トキ様は「和解」を訴えておられるということなのでありましょうか。

ここでひと言ことわっておきますと、わたしはけっして和解の画策などはいたしま
せん。教えの絶対化やイデオロギー化が不快であるとの理由から、教えの相対化を
画策しているといったような次第であります。

357初心者:2012/08/17(金) 15:20:51 ID:TfQ0e6RA
役行者様

役行者様は「救済運動」の具体的なヴィジョンをお持ちなのでしょうか。

わたしは、新興宗教は、成熟した宗教となるために、「病気治し」を第一とする
時期をすでに脱したとも考えておりますが、いまだ新興宗教は「病気治し」を
第一に取り組むべき時期にあるとお考えなのでしょうか。

それと、役行者様は正しく理解してくださっておられるようですが、わたしのいう
「雅春先生は生長の家の教えを真に理解しておられたのか」というのは、「雅春
先生は教えの問題点と限界をご存じであったのか」との問いであります。

教えの限界をまったく問題にすることなく、その完全無欠性や万能性を信じ込んで
いるあいだは、みずからの立場を相対化し、客観的に評価することなどけっして
できるはずもありません。おのれの全能感に酔い知れ、大言壮語するのが関の山で
あり、これが教えの絶対化やイデオロギー化の温床となる可能性さえあります。

役行者様は、教えの問題点や限界をひとりとして訴えるものがいないということ
を望まれますでしょうか。

358トキ:2012/08/17(金) 15:22:55 ID:lg5v0aR2
>>355

初心者様

 ご丁寧なお返事、ありがとうございました。

 初心者様の言動には尊敬の念を感じていますが、今回のご発言には賛成できないと思っています。
つまり、谷口雅春先生が生長の家を理解していない、というのは、裏返せば初心者様は生長の家を
理解している、という事が前提となります。確か、初心者様は以前は生長の家の組織には
所属しておられましたが、現在は生長の家の組織からは距離を置いていると記憶しています。

 初心者様は初心者様なりに、生長の家の勉強をされているとは思いますが、さすがに私も初心者様
が谷口雅春先生よりも生長の家の真理をご存知だとは思っていません。どんな分野でもそうですが
この生長の家の信仰も、勉強すればいくらでお奥があります。もちろん、かくいう私もまだ
まだ勉強が足りないと思っています。白帯とか茶帯という表現が気に障ったら、それはすみませんが、
勉強をし、実践をするにつれ、いくら勉強をしても完璧ではない、という感想を持っています。
谷口雅春先生ですら、私も一求道者に過ぎない、と言われています。師匠ですらそうですから、
生長の家を学ぶ人間は、みな、それぐらいの謙虚な気持ちは必要だと思っています。

 つまり、初心者様が発言をしたから白帯とか茶帯という表現を使ったのではなく、谷口雅春先生が
生長の家を理解していない、という内容について賛同ができない事を言いたかったのです。

 それと、教えの絶対化、イデオロギー化の問題については、この場で即答ができるような問題では
ありません。この点、私は初心者様の主張を理解していないと思います。が、一般論として、個人の
良心の範疇に入るのなら、それは個人の選択に任せても良いと思います。

 おそらく、初心者様が危惧されるのは、信仰とか教義は組織的な指導方針になったときに“暴走”の
危険性がある点かもしれません。しかし、それは、教えの相対化ではなく、組織論での対応でも十分
に対応ができるのではないか、と思っています。

 この点については、私も勉強が不足しているので、皆様のご意見をお願い致します。

合掌 ありがとうございます

359初心者:2012/08/17(金) 15:52:54 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

ラーマクリシュナーは、クリシュナムルティーとは別人なのですね。クリシュナには、
たしか「神」という意味があったようにもおもいますが、神と関係したところで
つけられた名前であるのかもしれません。なんにしても、きちんと区別しなければ
とんだ恥をかかされそうです。

それにいたしましても、「解脱の手段は知識である」であるというのは、ことに今の
生長の家の人々のあいだでは反感を持たれてしまいそうな言いまわしでありますね。

ただこれは知識を積み重ねてみればわかることであり、知識を積み重ねずして
わかることではありませんね。増上慢のそしりをおそれずにいえば、知識の積み重
ねが解脱のための有効な手段であることは間違いありません。問題は、知識の量
であるとともにそのネットワークですね。知識を積み重ねたところでどのような
ネットワークを築くかで勝負は決まるとおもいます。

万人が共有することで意味をもつ知識にオリジナリティーはほとんど期待できな
いので、オリジナリティーが発揮できるかどうかは、集めた知識でいかにユニーク
なネットワークを構築できるかにかかっているといって過言ではないでしょう。

これは想像でしかありませんが、ユニークな形で築かれたネットワークが、宇宙、
すなわちブラフマンと共鳴することで、その人それぞれの解脱が実現されるもの
と考えます。

したがって、この教えでなければ解脱できないということは、まずあり得ないと
いえますね。それこそ可能なかぎりの知識を集めて、それによって人にはない
ネットワークを築き上きあげることで、自分だけのオリジナリティーにあふれた悟り
に到達することも不可能ではないということですね。

それがどのような形であれ、ブラフマンとのユニークな共鳴が悟りであるといえ
そうです。

360初心者:2012/08/17(金) 15:58:32 ID:TfQ0e6RA
トキ様は、ニュートンがニュートン力学を理解していなかったとする考え方には
賛同なされますでしょうか。わたしは自分がニュートンより上であるとは、露ほど
も考えておりませんが、ニュートンがニュートン力学を理解していなかったとする
考え方には賛同いたします。

361初心者:2012/08/17(金) 16:05:20 ID:TfQ0e6RA
ご存じのように、量子力学にしてもひも理論にしても、その問題点や限界が
いまだ明らかにされていないという意味で、理解されているとは言いがたい
という気がいたします。

生長の家の教えにしても、その問題点や限界が明らかにされたときが、それが
理解されたときといえる気がいたします。

362goro:2012/08/17(金) 16:19:19 ID:Cc8Z7oOY
警報!

博覧強記の初心者様お考えや御意見を伺っていると
三代目も同じような方なんだろうと思います。

三代目と同じベクトルを強烈に感じています。
生長の家の素朴な信徒にとっては多分、劇薬になります。

※ベクトル=志向性 傾向性 観点 視点 方向性 強引性 粘着性

363役行者:2012/08/17(金) 16:29:31 ID:8ObKoODE

 初心者さま


>「雅春先生は教えの問題点と限界をご存じであったのか」との問いであります。<

  教えの神髄は普遍ですが、その周辺部分は絶えず新陳代謝します。
 つまり、肉体に例えるなら、生命があり、肉体は絶えず新陳代謝しなければ身体が滞ってしまいます。それと同じように、常に神髄は変わりませんが、真理の表現として、組織として絶えず、新陳代謝、この場合は、弁証法的発展をして行かなければ、滞ってしまいます。それが、硬直化すると、イデオロギー、思想の絶対化による支配がその組織を形成することになるでしょう。そこには発展は望めません。
 ですから、普通の企業でもそうですが、常に危機意識が必要で、問題点と限界を洗い出し、ディベイトを必要性はあるでしょう。
 そこで、上記質問ですが、これは三代目の役目と存じます。
 まず、アプローチの仕方が大切だと存じます。先代を慕っていた方々を生かしつつ、持論を述べてゆく。アプローチの仕方によっては交わると思うのです。
 その辺、徳川家光公は上手であったと思われます。

 次に
 
 >役行者様は「救済運動」の具体的なヴィジョンをお持ちなのでしょうか。

わたしは、新興宗教は、成熟した宗教となるために、「病気治し」を第一とする
時期をすでに脱したとも考えておりますが、いまだ新興宗教は「病気治し」を
第一に取り組むべき時期にあるとお考えなのでしょうか。<

 これは訊けさあがよく言っていたことなのですが、いまの社会は大変な状況に置かれていると思います。そのなか、何万モノ若い命が自ら失われているのです。
 つまり、どちらかと言いますと、この医学が発達した世の中において、身体の病と云うより、心の病の救済が大切だと思うのです。
 現組織会員の使命を具体的にし、本部の練成道場の役割、教区の練成道場の役割、そして、誌友会のポディションと役割、個人指導においてのどのような指導を旨とするか、などなど、話し合い、よりよい救済システムをみんなで創ってゆく必要性があると存じます。
 もちらん、縦の真理が中核となり、横の真理の対処法などはドンドン進化していると思うのです。そこをドンドン改善してゆく必要があるかと存じます。
 人類は、病んでいると思います。そこにくさびを打ち込み、人々の心に光を指してゆくことは大切なコトと思います。
 真理追究、環境問題、社会問題、教育問題、また、日本の生活が脅かされつつある政治問題(地方自立型社会の形成なども含)などなどは、宗教団体の立場としては、第二義的に活動してゆく!そのようなシステムをつくればいいのでないかと存じます。
 生長の家には沢山優秀な方が居られるので、みんなに聞き、情報収集すればよりよいシステムが構築できると思います。
 取りあえず、今いる信徒一人一人の心に光を灯すにはどうしたらいいのか?そこから始まるのではないかと思います。

364初心者:2012/08/17(金) 16:46:58 ID:TfQ0e6RA
三日前のざれごとではなく、具体論で語っていただきましょうか。
でなければ、三代目とのちがいを明らかにすることができません。

365初心者:2012/08/17(金) 16:56:01 ID:TfQ0e6RA
劇薬はまだ劇薬とわかるだけマシであるのかもしれません。

問題は、その毒性に気づかず服用しつづけることでありましょう。

366初心者:2012/08/17(金) 17:41:59 ID:TfQ0e6RA
役行者様

わたしはかつて、ちょっとした「救済プログラム」を教団に提示したことが
ありますが、「それは人間知でしかない」として、おおっぴらに、あるいは暗黙の
了解のうちに、試されるでもなく却下されてしまいました。

生長の家では、なにをなすにしても、もちいることができるのは、きわめて限定
された手法だけですね。それ以外の手法は、心情的に、まちがいなく拒絶されます
(こちらの掲示板における、わたしへの拒否反応も、論理によってではなく、すべて
が心情的な反発ですね。三代目と似ているのは、わたしのベクトルではなく、みな
さまのベクトルでありましょう)。

生長の家がなにもできない理由はこれで明らかかと存じます。生長の家ができる
ことはかぎられていますね。しかもそれはみずからが課した「しばり」によってで
す。

367金木犀:2012/08/17(金) 17:53:14 ID:auusu5IE
役行者様

>教えの神髄は普遍ですが、その周辺部分は絶えず新陳代謝します。>

の意味が今ひとつわかりません。周辺部分というのは、運動の展開の仕方という意味なのでしょうか。
仮に教義そのものの周辺部分とは、例えば何を指すのかが、よくわかりません。

古来より宗教は、仏教、キリスト教と、いろいろ偉大な宗教がありましたが、雅春先生は、こうした宗教の本質は同じであり、
生長の家は、これら宗教と本質はおなじであるが、新しい表現法により、画期的に悟りを得やすいものとしたと
言われていたと思います。
科学は、ニュートンも言ったように、古人の研究の積み重ねの上に乗って、さらに自分の研究を積み重ねて、より発展させることができますが、
宗教は、一人一人が一から自分の中で発展させて霊的成長をしていくしかないと思います。雅春先生の編み出された表現法で、より悟りやすくなったとはいえ、
悟るのは、自分が悟るしかなく、宗教とは、自分と神との関係、自分と世界との関係ですから、だから雅春先生は、自分はラッパであると言われたのであり、
神の言葉をそのまま我を挟まずに伝える役目であり、主人公はあくまで各人一人一人なので、
それ故、教団の継承者は、神の言葉をやはりそのまま、まっすぐに受け継ぐべきなのだと思います。

新陳代謝は組織の方法論のみに限られるのではないでしょうか。

368さくら:2012/08/17(金) 17:54:46 ID:0i7KfNLo
初心者さま

クリシュナムルティとラーマクリシュナは、わたしはどちらの教えも尊敬していますが、別人です。

クリシュナとは、聖者に対する尊称を意味するようですね。

ところで、わたしがこの聖人の思想を持ち出したのは、
知識の積み重ねが悟りに繋がると強調したかったからではありません。

もちろん、そこもたいせつな真理の一面なので、否定はしません。
知識といっても、…ほんと、
一部の生長の家の方には、「人間知」とばかにされ拒否反応をあらわされかねませんが、
雅春先生をはじめ、宗教的才能に溢れた方は、教えの土台に、きちんと「知」の部分をたいせつに積み重ねてこられたものがあると思っています。

この、「理性」も、人間の悟りの重要な部分をしめるのでしょうね。
知識を人間知として、考えないことを、自分の信仰の純粋性、潔癖性の表れとしている人もいるようですが、
歴史的聖人の悟りをみると、そうとはいえなさそうな気がします。

だから、初心者さまが、真理の探求のため、知識を重んじられてこられたことは、真摯な探求のお姿だと、尊重しておりますよ。

369さくら:2012/08/17(金) 17:55:24 ID:0i7KfNLo
しかし、わたしがお伝えしたかったのは、まずはそういうことではなく、
初心者さまは、どうしても生長の家の教えの誤謬を追求したいようなのですが、
わたしは、正直、宗教の信仰にかんして、お互いの信じるものの間違えを指摘しあったり、正当性を主張しあったりすることに時間を費やすのは、どちらかというと、疑問なのです。


どんなにいい教えを持っている宗教でも、自分の信じてるものの正しさを主張して「真の〜」「偽の〜」などの区別をつけたり、
自分の感覚や感情重視での、他を排除するような言動があったり、
ほかの知識に対して敬意や関心を示すことができないことなどは、
やはり信仰においては、教えの真髄を汲み取れない未熟なものではないかとおもってしまうのです。

…たとえば今回の、小さな例ですけれど、雅宣総裁の知識によって書かれた詩を、災害の原因とあえて強調して公的な場で流布したりする類の言動などは、
成熟した信仰姿勢とは、やはり思えないのです。

370さくら:2012/08/17(金) 17:56:13 ID:0i7KfNLo
仏教界の最高権威であり、深い悟りを究められたダライ・ラマ14世が、科学の探求をされ科学者との対話を続けておられると書いたとき、
「それは、ダライ・ラマ14世が、真髄が分かってないからだ」と、スターダスト様に書かれ、がっかりしたことがありますが、
わたしは、反対なことをおもっていました。
ダライ・ラマ14世が、科学からも、仏教的真理の真髄を探求される知的好奇心には、
本物の真理探求者としての心意気をかんじますし、それこそ、仏教の真髄を悟られているからこその、信仰姿勢だと尊敬しています。

どんな教えの中にも、神に通じる真髄を見いだして、
そこになにを表せるかということの方が、
ずっと、たいせつであるように感じるのです。

いまの生長の家は、どうなのでしょう。
初心者さまが言われるように何を実現しているのでしょうね。


万教帰一の「看板」を掲げた生長の家は、このラーマクリシュナのすべての宗教に神の真髄を見つけた悟りのように、
どんな教えの中にもその真髄を見つけていくことが、ほんとはできるはずだとおもっていましたが。

371さくら:2012/08/17(金) 17:59:32 ID:0i7KfNLo
初心者さま

…書き過ぎましたが、誤解なく、伝わっていますか?

372さくら:2012/08/17(金) 19:05:58 ID:0i7KfNLo
掲示板において、わたしが意見を書けば、ほんとうにその度、
「初心者さまの良き理解者だ」とか、「しっぽりコンビ」などという、
書かれた文意を理解しようとするおつもりもなく、
わたしにとりましては、人格否定に通じるような揶揄の部類があるようですが、
わたしはこうした言動は、きちんとした対話の精神とは、認めておりませんので、
このような揶揄への返答は控えさせて頂いております。

反対意見だからといって、無視をするようなことをするつもりはありませんが、このような揶揄の類は、
対話の価値を感じませんので、失礼しておりますことを、ここでお断りさせて頂きます。



373役行者:2012/08/17(金) 19:07:11 ID:8ObKoODE

金木犀さま

>古来より宗教は、仏教、キリスト教と、いろいろ偉大な宗教がありましたが、雅春先生は、こうした宗教の本質は同じであり、
生長の家は、これら宗教と本質はおなじであるが、新しい表現法により、画期的に悟りを得やすいものとしたと言われていたと思います。<


 ここですね。悟りの近道はない、と思いますが、それでも分かりやすい表現の方がありがたいです。色即是空よりも、物質ない、の方が分かりやすいです。
 それは、最終的には個人と神との関係において、個人の精進次第だと思います。
 ただ、表現、またアプローチの仕方が変わっただけで、人々の魂に与える影響力は違います。

 その表現方法や、アプローチの仕方は変わってもいいのではないかと思うのです。
 たとえば、生長の家では、練成会で浄心行という方法があります。これで父母に感謝でき、滂沱の涙を流し、生まれ変わった方が山のようにいます。
 
 この父母に感謝するということに関しても、いろんなアプローチの仕方があると思うのです。そのような方法論は、ディベイトし、話し合いのもと、更新していってもいいのではないかと思うのです、勿論、浄心行は浄心行で厳守して執り行うべきですが・・・

 それは、唯神実相の縦の真理は、しっかりと把握すべきでしょう。また、神想観とか型のあるものは、厳守すべきだと思います。
 ただ、時代や場所によって変化あるものは、変えても良いのではないかと思うのです。
 でなければ、万教は帰一しません。
 

 これらのことも、みんなで話し合い、よりよい表現法やアプローチの仕方を構築することが大切だと思います。

374アクエリアン:2012/08/17(金) 19:08:35 ID:sfLKgO82
大自然讃歌(惨歌?)に関する
まとめレス

>>316

役行者様

コメントありがとうございます。

>その結果 あまり現象的に良くな とが起きたとして 全体把握が間 違って た!と考えるのが大切だと思 うのです

そうですね。
こういう謙虚な姿勢が必要だと思います。

>ただし 現時点で結果を見る限り 果たして神智にお て記されたのか 疑問に思うのです

う―ん、そこまで慎重になる必要はないと思うのですが。

そもそも、こんな人に(というと失礼ですが)、
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=136
お経などあまくだってくるとは考えられない、と思うのが普通じゃないですか。

役行者様の慎重な姿勢は素晴らしいと思いますが、この場合、もう少しご自分の直感を信じられたらと思います。

ただし、役行者様の慎重な姿勢を見習って、ひよっとして、雅宣総裁、隠れて、秘密
裡に猛烈な修行されて、霊的に著しく向上され、神からの啓示を受けることができる霊的レベルに到達された、と考えることもできますが、さあどうでしょうか。
もし、そうだとしても、それだけの霊的レベルに到達されていたら、そもそも、補強などという発想は思い浮かばなかったはずです。
補強という発想自体が霊的レベルの幼さを示して余りあるということができるのではないでしょうか。

>>322

金木犀様

>そもそも 神が雅春先生を通して 語 られたと いう『甘露の法雨』を補強と いう事自体 冒涜行為だと思 ます

まったくおっしゃる通りだと思います。
この偽物のお経に対する、
最も正鵠を射ている言葉だと思います。
さすが、金木犀様ですね。
物事の核心をズバリと衝く洞察力は素晴らしいです。

大体、こんなことは、ここで
断罪される前に、現教団内部でピシャリと否定されなければならない、宗教者、信仰者としての根源的な問題ですよね。
それがなされなかったところに、現教団のレベルの著しい低下が伺えます。

>>329

志恩様

>だ いた い、生長の家の恥です 。こんな インチキなお経を 平然と世間に売り 出すなんて 。この行為は 神や 、歴史に残る偉大な 宗教家の方々や 、世間に対する冒涜で あります

教団の幹部は、何をぼやっと
しているのでしょうか。
足元に火の粉が降りかかっているというのに、触らぬ神に祟りなしという態度を決め込んでいるのでしょうか。

他教団の物笑いの種になっていることでしょう。

375さくら:2012/08/17(金) 19:50:31 ID:0i7KfNLo
いつもいつも、歪曲されたご理解があると嫌なので、
ここではご迷惑と承知しておりますが、あえて何度も、おことわりさせて頂きます。

わたしは、雅宣総裁の味方でも、敵でもありませんし、
ローマ字のSAKURA様とは、考え方も、ご意見も違っております。

一人の方の意見に対して、自分のことばで、考えたいとおもっておりますが、
なにか、生長の家の言葉をつかわないと、考えをご理解していただくことが、
たいへん困難にかんじます。

「自由な掲示板なのでわたしは構わない」という問題でなく、
歪曲されたご理解で、一括りにされるのは、
わたし個人としましては、ほんとうに、その都度、迷惑をかんじております。

376志恩:2012/08/17(金) 20:13:53 ID:.QY5jUA6
味方でも敵でもないそうで、それは失礼いたしました。

さくらさんは、でも、初心者様の一番の良き理解者でおられると,感じております。
ですから、
初心者様は、これほどまでに、さくらちゃん、さくらちゃんと頼りにされてるのではないでしょうか。

私は、それに対して、批判するきもちは、ございません。
さくらさんは、反論されるときは、
反論もされてますし、私にとりましても、為になる いい意見もおっしゃってます。

377goro:2012/08/17(金) 21:01:21 ID:Cc8Z7oOY
気分転換に久しぶりに「弟子像」を読んでいます。

タバコを辞めたくてもやめられない80歳の老婦人に
服部先生は「あなたは、止めよう止めようと思っていられるから
止められないのである。止めたらいいんです」

誠にごもっともな御指導で、気分がすっきりでした。
単純明解ですね。議論畢竟益なし、柳は緑、花は紅

機輪の転ずるところ達者もなを迷う・・・。
尊師は、処世訓として「真理にすら拘るな」と教えられています。

378志恩:2012/08/17(金) 21:09:34 ID:.QY5jUA6
今日は、一元論のことが話題に出ていましたので、
インド哲学の「不二一元論」について,調べていましたら、シャンカラヤの不二一元論(アドヴァイダ)を
竹下先生という人が解説している短い動画がありまして、思想の説明とは別に、このようなことを言っていました。

哲学の一元論でも 二元論でも 哲学を、文字で表現するということは、地球儀の世界地図を、地図として平面に書くようなもので、
球形のものを平なところに、完全に書き表すことは出来ないように、文字には完全には書き表せないものです。

書き表すことのできない、見えない、隠れた部分というものがあるのです。
ですから、突こうとする人が、一元論でも二元論でも、突こうとすれば、いくらでも隙がありますから、突くことができるのです。

一元論が自分に合ってると思う人は、一元論でいけばいいし、二元論が自分は正しいとおもう人は、二元論でいけばいいのです。
人のこと、とやかくいうことではない。人は,人なのですから。

ということを言われてました。

不二一元論については、生長の家の教えと似ているところがありますが、今日は、これについて書きたい気分でないので、
今日は,書きません.あしからず。

379志恩:2012/08/17(金) 21:14:00 ID:.QY5jUA6
goroさま

「弟子像」をお持ちなんですね、すごい!あの本は、なかなか手に入らない幻の名著ですのに、
よく手に入りましたね。
 私は,何とか,手にいれることができました。厚い本ですよね。

380goro:2012/08/17(金) 21:27:01 ID:Cc8Z7oOY
志恩様

弟子像の出版についてもいささか
関わりを持たせていただきましたので
直接いただくことができました。

残念ながら詳しくはお話できませんが・・・。

381志恩:2012/08/17(金) 21:31:11 ID:.QY5jUA6
goroさま

弟子像の出版についても、goro様は関わりを…

そうですかぁ♫ それは、それは、おどろきです。

382初心者:2012/08/17(金) 21:41:53 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

少し質問させてくださいね。

>どんなにいい教えを持っている宗教でも、自分の信じてるものの正しさを主張して「真の〜」「偽の〜」などの区別をつけたり、
自分の感覚や感情重視での、他を排除するような言動があったり、
ほかの知識に対して敬意や関心を示すことができないことなどは、
やはり信仰においては、教えの真髄を汲み取れない未熟なものではないかとおもってしまうのです。

質問とは、上記の一文にたいしてのものです。「いい教えをもっている宗教」
でありながら、その宗教に所属する人々が「自分の信じてるものの正しさを
主張する」かのごとき現象が起きてくるとすれば、それはなぜだとお考えで
しょうか。「真の」とか「偽の」とか言いだす人があらわれるのは、なぜだとお考えに
なられますでしょうか。

いい教えに接していながら、なぜそのような主張に走る人があらわれるので
しょう。なぜなのでしょう。

そもそも「いい教え」とは、何をもってそういうのでしょうか。「いい教え」とは
はたしてなんなのでしょう。

そこで語られる言葉が気持ちよいかどうかで判断されるべきものなのでしょうか。
奇跡が起きるかどうかで判断されるべきものなのでしょうか。それとも、教えのレベ
ルの高さで判断されるべきものなのでしょうか。あるいは、その宗教に所属する
人々の人間性、つまりは寛容の精神とか、愛情の深さとか、礼節を重んじる人々で
あるとか、こういったことがらで判断されるべきものなのでしょうか。ほかに判断
材料となることがあるのでしょうか。

さくらちゃんにとっての「いい教え」とは、どんな教えなのでしょう。

383初心者:2012/08/17(金) 21:45:53 ID:TfQ0e6RA
わたしもかつてこちらで、一元論でも二元論でも、その人の好きなほうで
よいということを述べたことがあります。

そのときは見事に否定されましたけど、生長の家も少しは進歩したと考えて
よろしいのでしょうね。

384初心者:2012/08/17(金) 22:10:49 ID:TfQ0e6RA
決定論的世界でありながら自由意思を担保できる仕組みがあるとすれば、
それは多世界以外に考えられませんね。問題は、このような仕組みがあった
として、それがどのようにして救済に結びつくかということです。

この問題を、このところずっと考えつづけておりますが、仕組みが仕組みなだけ
に、これといった名案はいっこうに浮かんできそうもありません。

385志恩:2012/08/17(金) 23:08:45 ID:.QY5jUA6
一元論でも二元論でもいい、というふうに誤解される事,書きましたので、
訂正します。

生長の家の教えは、一元論ですから、その組織の長たるお方が、二元論を主張するのは、本当は、変なのです。
でも変ですが、

初心者様は、一元論であるわれわれ信徒に対して、なぜ一元論なのだと、よく責めておられますから、
われわれが、一元論を信じていて、貴方が、どうしても二元論を主張されるなら、
われわれは われわれ、あなたは あなた。

それぞれが信ずる道を行くしか無い。

そういう意味で言ったのです。紛らわしい事言ってしまってすみません。

ただ私は、実相実在の世界とは別に、この現象世界の舞台を設定されたのは、神だと思っている人間です。
ですから、他のお方とは,少し考え方が違うかもしれません。もちろん、この現象世界の舞台も無ではありますが、

そして、与えられた現象世界で、表現して行くのは、本当は無い
我々の心を表現した世界だと思っています。魂の修行のために表現していく世界です。

386みすはなまる:2012/08/17(金) 23:27:49 ID:VT4MxbM.
>>334 如月さま

大変遅くなりました。多くのトキさまをはじめとする、大先輩方が、沢山投稿をされており、私の思いと同感する部分が多くございます。

私の投稿で蒸し返すようになるかもしれませんが、少しお話をさせてください。

雅春先生は自らを、求道者であると言われてらっしゃいました。
雅春先生は、吾はラッパなり…神様のパイプとして、真理をお説き下さいました。

私は、生長の家の真理で、雅春先生の数知れず多くの御著書で、聖経で、宇治の練成会で救われた者です。
この生長の家の真理があれば怖れるものはありません。

雅春先生の理解度が100%でなく、もし100%であったなら、教団は今の状態であるわけがない…と如月さまは仰いました。

雅春先生は、この現象世界に与えられた生をもって、常に謙虚に神様のパイプとして、真理をお説き下さいました。

今の教団の状態の責任が、雅春先生にあると言われるのですか?
甘えてはいけません。


私はそのようなことを、微塵も感じたことはございません。むしろ、一信徒として今の現状は、雅春先生に申し訳なく思います。
雅春先生がお説き下さった、偉大な真理を、私達信徒がいかに受け止め、いかに実践していくか、雅春先生はその道筋を、御著書や講演等でお説き下さったのです。

今の現状は、雅春先生がお説き下さった真理を、信徒ひとりひとりが、いかに実践してきたか…問われていると思います。

私は偉大な師に対して、理解度が100%でなかった…などという失礼極まりない…あえてそう申します。そのようなあなたの感情に抗議します。
この抗議は決して、如月さま…あなたの神の子を否定するわけではありません。あなたは、心のお優しい方だとお察ししております。

私は私の思いを、あなたに強いる訳ではございません。
ただ、雅春先生は私にとり…私だけではないでしょう。偉大な師なのです。ご先祖様のお陰で自分があると同じく、生長の家の真理に出会わなければ、今の私はないのです。

ですから、強く言わせていただきました。

生長の家の真理をもとに、自分の人生に責任を持ち、常に神様と繋がる生活を行いたいと思います。
真理に甘えず、謙虚に実践していきたいと思います。

387さくら:2012/08/18(土) 07:10:30 ID:0i7KfNLo
>>382


初心者さま

「いい教え」とは、曖昧な書き方でした。

イスラム教でもキリスト教でも、仏教でも、…おそらくヒンディー教のカーリー信仰でも(どのような教えか知りませんが)
その根本にあるものは、「いい教え」と言えるのだとおもいます。

世の中の様々な宗教は、時代と人に合わせて現れたもので、
基本的には、各人が自分に縁のある教えを学ぶことで、根本の真理至ることができれば、良いのではないかとおもいますが。

どちらが正しいなどの争いが起こるのは、その教えの根本にたどり着く前に、
比較の世界で、利を争うからではないでしょうか。

ただ、「いい教え」と一口にいえば、いわゆる「カルト(セクト)」でもいいこと言ってる、ある面からみれば、「いい教えだ」となりかねないですが、
その場合、簡単に書くと、
その宗教団体のなかで、

信者の人格の基本的尊重
信者の家族との良質な関係
信者と社会との健全なつながり

などを見る必要があるとおもいます。
ほかに細かいカルトの定義がありますが、だいたい、その定義に外れるものは、よい宗教と言えるのではないかな、と判断したりします。
個人的問題でなく、宗教に入ることでこのバランスを崩すようなら、いいことを言っていても、よい宗教とは言えないとおもいます。

わたしにとっては、とのことですが、
わたしは生長の家を知ってから、家族や社会との関係が、劇的に(笑)改善しました。
また、人間の本質が、神に通じるものであると知って、自分や周りの方の存在の神聖さを貴ぶことができるようになりました。
(まあ、それまでがひどすぎたんでしょうけれど…)
わたしの場合は、ほんとうにご縁があって、生長の家の方に愛念を頂いて生まれかわった経験や、信仰によって、いままで自分という殻の境界をこえるような愛を感じて世界観が変わったことから、
信仰の本質は愛にある…とかんじますので、教えの本質に、愛の精神が深くある宗教は、良いものだと感じます。

388さくら:2012/08/18(土) 07:11:12 ID:0i7KfNLo
参考ですが、カルト的な要素のある宗教組織の、一部の特徴です。

1.真理はその組織に占有されており、その組織を通してのみ知ることができると主張する。

2.組織を通して与えられた情報や考え方に対しては、疑ってはならない

3.自分の頭で考えることをしないように指導する

4.世界を組織と外部とに二分する世界観を持つ

5.白黒を常にはっきりさせる傾向が強い

6.外部情報に対して強い警戒感を与え、信者の情報経路に様々な制限を加える

7.信者に対して偏った情報、偽りの情報を提供することがしばしばある

8.組織から離脱した人間からの情報に接することを禁じる

9.家庭や社会との関わりで多くのトラブルを生じている

10.社会からの迫害意識を持ち、それをかえってバネにする

11.外部に対して正体を隠す傾向がある

12.生活が細部にわたって規定される

13.組織が信者の生活のすべてになっている

14.共同体内部でのみ通用する言葉を多く持っている

15.組織からの離脱について極度の恐怖心を与える

また、マイクル・シャーマーによれば、一般的に以下のように定義されたようです。

指導者に対する崇拝
聖人、あるいは神格に向けられるものとさして変わらない賛美。

指導者の無謬(むびゅう)性
指導者は絶対に間違いを犯さないという確信。

指導者の知識の広さ
哲学的な事柄から日常の些細なことまで、指導者の信条や口にすることはなんでも無条件に受け入れる。

説得のテクニック
新たな信徒を獲得し、現状の信仰心を補強するために、寛大なものから威圧的なものまで手段はさまざま。

秘密の計画
信仰の真の目的と計画が曖昧としている、あるいは新規入信者や一般大衆にはそれらが明確に提示されていない。

欺瞞
入信者や信徒は、その頂点に立つ指導者や集団の中枢部に関してすべてを知らされるわけではなく、また大きな混乱を招くような不備や厄介事に発展しそうな事件、あるいは状況は隠蔽されている。

金融面および性的な利用
入信者や信徒は、その金銭およびそのほかの資産を差し出すよう説得され、指導者には一人かそれ以上の信徒との性的関係が許されている。

絶対的な真理
さまざまなテーマにおいて、指導者、あるいは集団が見いだした究極の知識に対する盲信。

絶対的な道徳観
指導者、あるいは集団が確立した、組織の内外を問わず等しくあてはまる、思考および行動に関する善悪の基準への盲信。その道徳の基準にきちんと従えば、
組織の一員としていられるが、そうでない者は破門されるか罰せられる。

389初心者:2012/08/18(土) 08:58:36 ID:TfQ0e6RA
「雅春先生は生長の家の教えを真に理解しておられたのか」の問いかけが、
どうも、わたしが意図したものとはちがった方向でとらえられているようですね。

この問いかけはすぐれて哲学的な命題であるはずです。ニュートン力学が真に
理解されたのは、相対性理論によって、それまでニュートン力学成立の条件と
されていた「絶対空間」、「絶対時間」の前提が崩されたときである、とする
考え方が、この命題の核心部分にあります。

この核心部分が意味するのは、「ニュートン力学とはこういうものだったのか」と
いうことが、相対性理論の登場によって「すっきりと理解された」ということなの
ですね。

相対性理論が登場する以前でも、ニュートン力学にたいして「何かおかしい」と
いう漠とした疑問はあったとおもいますね。ですけども、疑問の正体が誰にも
わからず、ニュートン自身によっても理解されていなかったということがいえる
はずなのです。

難解ではあるにしても、相対性理論によって、時間、空間の相対性が示された
ことで、「ああ、こういうことだったのか」ということが多くの人々によって
理解され、それまで漠としてあった疑問が解消されたという出来事は、たしかに
あったとおもいます。

これを生長の家の教えにあてはめるなら、生長の家の教えを超える「とてつも
ない思想」があらわれて、「生長の家の教えとはこういうものだったのか」と
いうことがいえたときに、生長の家の教えがはじめて理解されたといえる
のではないか、ということをわたしはこちらで述べております。

ニュートンの話にもどしますと、ニュートン力学を否定しているともいえる相対性
理論の登場によって、逆にニュートン力学が理解されたというのは、それが逆説の
ようにもおもえるという意味で、すぐれて哲学的な出来事ではなかったか、という
ことをわたしは申しております。

以上のようなことをわたしは述べておりますが、これにたいしてトキ様は、
「ギャグ」という言葉や「新人レベルの言説にすぎない」といったような意味の
表現や「雅春先生よりも自分のほうが上だと見ているようで許せない」といった
ちょくせつ的な言いまわしで否定的な見解を述べられたというのが、これまでの
経緯であります。

もう一度いいますが、「雅春先生は生長の家の教えを真に理解しておられたのか」
の問いは、すぐれて哲学的な命題を含んでいるとわたしは考えておりますが、
トキ様はこれを「ギャグ」と認定しておられるということですね(「逆説」イコール
「ギャグ」という思考パターンなのでありましょうか)。

トキ様のお考えでは、ニュートンの一件も「ギャグ」ということになるはずです。
わたしの言っていることに反対の意見を持つのは当然のことでありますが、
少なくともこちらが「哲学的」ととらえている命題にたいして、これを「ギャグ」と
いわれるのであれば、「ギャグであることの意味」を明確にしていただきたいと
いうことにどうしてもなってまいります。

トキ様、「ギャグ」とはどういう意味で言っておられるのでありましょうか。

390トキ:2012/08/18(土) 09:40:55 ID:eHiCXuWw
初心者様

 今、時間がないので、簡単にご説明を申し上げます。

 この掲示板の閲覧者様の大半は、生長の家の信徒です。生長の家の信徒の圧倒的多数は、谷口雅春先生を
尊敬しています。初心者様の意図とは別に、「雅春先生は生長の家の教えを真に理解しておられたのか」
という表現は、信徒には絶句するようなインパクトを受けます。その点を表現したかったのです。

 が、私は、どの立場であれ、投稿者様を尊敬しております。もし、私の最初の武道の段位の例えが初心者様に
侮辱したような印象を与えたとしたら、その点は私の真意とは異なりますので、お詫びして、撤回します。
 私は、初心者様を含め、全ての投稿者様にレスペクトを表現したいと思っています。

 ニュートンは、私の記憶に間違いがなければ、学生時代に疫病が流行り、大学が閉鎖されたので、閑に
まかせて研究をしているところで、数々の発見をしたみたいです。万有引力もそうですが、微分積分もそうです。
それを「プリンキプル」という本にまとめたのが、ニュートンの科学の体系になったと思います。

 後世の人が、それを整備し、体系化したのは事実ですが、最初のインスピレーションはあくまでもニュートン
のものである、と言えると思います。ただ、私は、初心者様の意図を正確に理解しているとは思えないので、そ
れ以上の評価はご遠慮申し上げます。

 以上、簡単ですが、宜しくお願いします。初心者様がせっかくの投稿に対して、侮辱されたような印象を受けた
としたら、管理人としては、申し訳なく、ここに深くお詫びいたします。

合掌 ありがとうございます

391さくら:2012/08/18(土) 09:45:43 ID:0i7KfNLo
>>388
追伸

宗教組織のよくない傾向としては、付け加えられることは幾つかあるとはおもいます。

たとえば、「陰謀説」のような歴史観、世界観を持ちだして、それに基づいた情報を流したり行動を起こさせることや、

修行をおさめた指導者の立場で霊格の高い指導をするのとは違い、
ある現象を、推測だけで、霊的な意義付をして情報を流すことで、周りに恐怖心や嫌悪を与えたりすることなども、
慎重になった方がよいと考えています。

392初心者:2012/08/18(土) 09:51:11 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

簡単にひと言のべます。

「いい教え」の十分条件を見いだすのはなかなか難しいでありましょうけども、
必要条件としていえるのは、その教えを受けたものが「みずからの立場を相対化
できる」というのが、「いい教え」の条件ではないかとわたしは考えます。

この意味で、信徒がその立場を絶対化させてしまう教えは、はたして「いい教え」
なのかとの疑問を持ちます。

こんにちの事態に雅春先生の責任はあるのかということですが、「ない」といわ
れるのであれば、「甘え」という言葉でごまかすのではなく、きちんとした具体的
な考え述べるべきであります。

雅春先生が扇情的な表現を多用されたのは事実であります。扇情的な表現に
あおられて、みずからの立場を絶対化させてしまった信徒がいるとすれば、これを
雅春先生の責任であるとすることに異論をさしはさむ余地はない、というのが
わたしの考えであります。

「絶対的真理」の表現を好み、「真の生長の家」といっておられるお方は、おそらく
みずからの立場を絶対化しておられるのでありましょう。もしも生長の家の教えが
「いい教え」であれば、このような事態はふせげたものと考えますが、いかがで
ありましょう。

教義が扇情的な表現で説かれれば、それを聞くものはたしかによい気持ちには
なれるでありましょうけれども、その結果としてみずからの立場を絶対化させて
しまう信徒があらわれるとすれば、どんなにそれが心地よくとも「いい教え」とは
いえないような気がいたしますね。

信徒が、説かれた「教え」やみずからの立場を絶対化させてしまうような教えは
「いい教え」とはいえない、というのがわたしの現時点での結論であります(こう
した考え方はカルトにもあてはまるでありましょう)。

この意味では、仏教(といってもいろいろあるようですが)は、教義が絶対化される
でもなく、信徒がその立場を絶対化することもないようにおもえますので、「いい
教え」といってよいのではないか、という気はいたします。

393役行者:2012/08/18(土) 09:51:57 ID:8ObKoODE

>>384

初心者さま

>問題は、このような仕組みがあったとして、それがどのようにして救済に結びつくかということです。
この問題を、このところずっと考えつづけておりますが、仕組みが仕組みなだけ
に、これといった名案はいっこうに浮かんできそうもありません。<

 たぶん、昨年になりますかぁ・・・救済研究のため実験室に籠もられ、志恩さまが煙をみた云ってましたので、ずっと研究を続けていたようですね。
 ご心情、お察しいたします。
 
 それにしても、我々地下室にいる住人からすると、初心者さまの説いていることは100階建ての屋上の実験室から、しかも天に向かって説かれているような内容なので、取りあえず、置いといて・・地下室の方も見て頂き、救済運動の現実的な展開の方の監修のほども同時並行で構わないので、みていただけるとうれしいです。


                                   合掌

394初心者:2012/08/18(土) 10:49:08 ID:TfQ0e6RA
役行者様

わたしも、まわりからのプレッシャーもあって、物見遊山の旅という
わけにはいかないのですよ。

じっさいのところ、この仕組みは、20年以上も前から、救済の一手段と
して、一部の若者たちのあいだで注目を浴びているものなのですが、20年
たった今でも、世の中はまったく変わっておりません。

このあたりの事情は、生長の家とおなじだといえますね。

395初心者:2012/08/18(土) 10:54:06 ID:TfQ0e6RA
トキ様

これは、「侮辱」されたとか、していないとかという「小さな問題」なのでしょうか。
「侮辱」という一点に収束させてよい問題なのでしょうか。

わたしは、ひとつの哲学的、あるいは宗教的ともいえる問題を提起しているつもり
であって、それ以外のことはまったく意図していなかったつもりであります。

トキ様の言い分を聞いておりますと、「雅春先生は生長の家の教えを理解しておら
れたのか」のわたしの問いかけを、トキ様はまったく理解しておられないということ
のようです。

つまり、理解できないことにたいして、「ギャグ」とか「新人レベル」とかの反応を
示しておられたということです。

生長の家には、「人間知」という言葉を好んで用いられる人々がおられますが、こう
した人々も、じつはトキ様とおなじことをやっておられます。そこにあるのは、相手
の言い分がろくに理解できていないにもかかわらず、一方的な思い込みを動員す
ることで「人間知にすぎない」と相手をさげすみ、そうすることで、自分の身を
相手よりも上の立場に置こうとの算段なのです。

その証拠に、相手の言い分のどこが人間知なのかということを、そうした人々は
具体的に語ることができません。今回のトキ様とおなじような一方的な思い込み
によって、相手を「人間知」と、あるいは「新人レベル」と決めつけようとしておられ
るのでありますね(たしかにわたしは新人レベルであるともいえますが、じっさい
にお手合せいただかなければ、どこまでの新人レベルであるのかさえ確認する
ことはできません。どうかお手合せを)。

今回のギャグ発言や新人レベル発言などの、いつもノラリクラリとしておられるトキ
様にしては画期的ともいえる物言いが、生長の家の人々が心の奥底に隠し持って
おられであろう「相手をさげすみたい」とする衝動のあらわれではないことをせつ
に願うばかりであります。

提示いたしました哲学的(と私が考えている)問題にかんしては、トキ様にはご理解
いただけなかったということにしておきます。

396初心者:2012/08/18(土) 11:00:53 ID:TfQ0e6RA
ところで役行者様、雅春先生の教えが完全無欠であるとは、その教えをもってすれ
ば森羅万象のすべてを矛盾なく説明できる、という意味とはちがっているのでしょうか。

「完全無欠」ということがことさらに強調されているようなので、わたしもいろいろ
と問いを投げかけております。生長の家では、「完全無欠」はどういう意味で使われ
ているのでしょうか。


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