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本流対策室/3 板

382初心者:2012/08/17(金) 21:41:53 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

少し質問させてくださいね。

>どんなにいい教えを持っている宗教でも、自分の信じてるものの正しさを主張して「真の〜」「偽の〜」などの区別をつけたり、
自分の感覚や感情重視での、他を排除するような言動があったり、
ほかの知識に対して敬意や関心を示すことができないことなどは、
やはり信仰においては、教えの真髄を汲み取れない未熟なものではないかとおもってしまうのです。

質問とは、上記の一文にたいしてのものです。「いい教えをもっている宗教」
でありながら、その宗教に所属する人々が「自分の信じてるものの正しさを
主張する」かのごとき現象が起きてくるとすれば、それはなぜだとお考えで
しょうか。「真の」とか「偽の」とか言いだす人があらわれるのは、なぜだとお考えに
なられますでしょうか。

いい教えに接していながら、なぜそのような主張に走る人があらわれるので
しょう。なぜなのでしょう。

そもそも「いい教え」とは、何をもってそういうのでしょうか。「いい教え」とは
はたしてなんなのでしょう。

そこで語られる言葉が気持ちよいかどうかで判断されるべきものなのでしょうか。
奇跡が起きるかどうかで判断されるべきものなのでしょうか。それとも、教えのレベ
ルの高さで判断されるべきものなのでしょうか。あるいは、その宗教に所属する
人々の人間性、つまりは寛容の精神とか、愛情の深さとか、礼節を重んじる人々で
あるとか、こういったことがらで判断されるべきものなのでしょうか。ほかに判断
材料となることがあるのでしょうか。

さくらちゃんにとっての「いい教え」とは、どんな教えなのでしょう。


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