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本流対策室/3 板
351
:
役行者
:2012/08/17(金) 12:10:31 ID:8ObKoODE
初心者さま
地上に誕生した以上、肉体を持ち合わせます。19巻、20巻の自伝編で雅春先生自ら告白しておりますが、特に12月13日に大悟される前はまあ、酷いモノです。
特に女性に対しては・・・・その後、物質はない、肉体はない、心もない、と悟られるのです。
それから・・では聖人君子であったかというと・・・どうでしょうか、谷口家、生長の家教団に矢継ぎ早に問題が浮上してきます。
その一つ一つ、雅春先生は、たとえば、『善と福との実現』に恵美子先生のことを書かれたり、赤裸々に表現しております。
その一つ一つを見ても、完全であるとは思えませんが、一求道者として、限りなく敬愛しております。ただ、苦悩と絶望の渕を通り越して、いのちを賭けて、12月13日に大悟されたという事実は、私は信じております。そのとき、何かを感じ取っておられると思うのです。
そのことはその後の雅春先生の御文章にありありと記されております。神の地球計画という大きな流れのなかで、生長の家の使命を神との対話において、ご理解しておられると存じます。
もちろん、一求道者として、この地球存在創世の理由、この地球の行く末、まだまだ分からない点がありますので、求道してゆきたいと思いますが、それが故に、問題点と限界とは思ってません。大所からみて、生長の家の弁証法的発展と思っております。
ただ、このことを論ずるのは時期尚早かと存じますし、いまの教団の現状をみるに、あまりにも乖離した課題かと思います。
いまは、決定論的世界における自由意思の問題をテーマにして論ずる前に、我々、生長の家の為すべきコトがあるかと存じます。
それは救済運動かと存じてます。それをまず、運動論の中核に据えるべきかと存じます。
宗教団体として、第一のものを第一にしながら、真理の追究を同時並行ですべきと思っております。
最後に一元論と二元論の問題ですが、少なくとも、釈迦、イエスは一元論です。
この境地を身体全体で理解するのは、並大抵のことではできないと存じております。
雅春先生も簡単に到達したとは思えません。
自由意志の問題ですが、結論をいいますと、神の創世したこの世において、神との繋がりを無視した、自由意志など存在しないと思います。
これは、あくまでも結論であり、徹底的に論ずる必要性はあります。
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