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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える
766
:
カズミ
:2011/07/18(月) 17:26:35
>764 初心者様
IPアドレスを変えるには、ルータの電源を一度切って、しばらくしてからつけると変わる。
というようなことを以前聞いたことがあります。
今はどうかわかりませんが、一度試して見られてはどうですか?
767
:
もみじ
:2011/07/18(月) 17:57:16
IPの件で脇から失礼。
ググるとその手の話は一杯出てきますが、ブログコメント荒らしがよくやる手口も含まれるので
あんまり多用するとただの嫌がらせになってしまう懸念があります…。
どうかほどほどに。
768
:
トキ
:2011/07/18(月) 17:59:58
>>756
本にして売れたら、印税で宴会をしましょう!
769
:
初心者
:2011/07/18(月) 19:11:58
カズミ様。情報の提供、ありがとうございます。
しばらく前にモデムを交換いたしましたが、そのとき以来、ルーターは
使ってないんですよ。
今は、パソコンを1台、モデムと直結して使っているところなんです。
ルーターの電源を切って変わるのは、プライベートIPアドレスと呼ばれる
やつではないのですかね?
わたくしもあまり詳しいことはわからないのですが、どうもそうじゃない
かという気がいたします。
モデムの電源はしょっちゅう切っておりますが、IPアドレスは変わらない
みたいですね。
前回は5月に変わってるようですから、もうしばらくすれば変わるはずです。
そこでなぐり込みをかけるという手がありますが、アッという間に追放でしょうね。
もみじ様が言われておられるように、確固たる狙いがなければ、たんなるいやがさせ
で終わってしまいそうです。
「訊け」管理人様が何を考えておられるのか、それが気にかかるところですね。
770
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/07/19(火) 06:17:50
>皆々様(笑)
・・・いやーすみません。なんか私と本流管理人殿(+と、愉快な仲間た
ち)のやり取りですが、ああなにか「トホホ」な局面へと入ってしまってお
ります。ああ・・・
いやーまずあの、本流管理人殿「ご報告です」
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=680
から開始しますか。
いやーどなたか、あの御文章なのでありますけど、解釈頂けませんか?(笑)
いやこれ、マジの要請なんですけど、この信仰五歳児にはあのロジック、まっ
たく意味が不明なのですよ。
たとえば「雅宣といふ字不快感」さまへ「ご自分に与えられた批判や進言
に今も応えず、承認も否認もしておられません。」とのことなんですが・・・
「そりゃ貴殿が、書き込み禁止にしちゃったからでしょう(笑)」(※)が
返答になる次第なんですが、これ、間違ってるんだろうか(笑)
その他盛りだくさんでお送りできる今回のネタなんですけど・・・ああこ
れ、やるべきなんでしょうか?(笑)
なんか普通に疑問を述べるだけで、本流が崩壊しちゃうようなレベルの、そんな
質問になるのかもしれませんけど・・・あっ、崩壊はしませんよね(笑)こ
んな「崩壊」なんて言葉まで使用して、どこまで追い詰められてるんでしょう
かこの男(=私)は(笑)
もう私、こんな「崩壊」なんて言葉を使用するまで追い詰められてます。
ですんで安心してご登場くださいね(ハート)
<註>
※ 「そりゃ貴殿が、書き込み禁止にしちゃったからでしょう(笑)」
いやーホント、このあたりのロジックも不明なんだよなあ。
そういえば弊ブログ
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65569342.html
#more
に「シンドラーのリスト」動画を掲載しています。よろしかったらご覧ください。
そしてあの映画ですけど、あの中でこんなユダヤ人職工がおりませんでしたっけ?
・・・たしか腕の良い職工でして、収容所管理人さまがストップウオッチ
で効率を計算するわけですよ。そして彼、「1分で1個の製品を製造可能」な
ことが判明します。
ここで収容所管理人殿「すばらしい腕だね」と賞賛されたあと、こういう
ロジックを持ち出すんですよね・・・
「ところで作業開始から30分経っているのに、なんで腕のよいオマエが10個
しか作っていないんだ?」
・・・それでこの職工、裏庭に連れ出され銃殺されるんですけど、このと
き職工は「3時から15分間、他の将校さまから死体の片付けを命じられてお
りました。その間、作業ができなかったんです」と説明するんですけど・・・
ああ、運動家はこの場面でも躊躇しませんね(笑)「書き込み禁止で他の方
へ反論できなかったんです」なんて理屈、いちいち聞いていたらこれ、雅春
先生の御教え復活の妨げでしょうね、これ(笑)
まあちなみに、同動画01:23以降は視聴してはなりません。まあそれでも
思わず視聴しちゃった方に勧告しますけど、「これは収容所管理人殿であり
決して他人ではない」のであります(笑)その点、ご留意のほどを(笑)
追伸
>「雅宣といふ字不快感」さま
貴殿御文章でありますが・・・これ、反論文提示しても、OKなんでしょう
か(笑)
そう云えば伝え聞きますに、かの「宇治総本山」(?)では15分間連続で、
「笑いの練習」をされるそうですね。貴殿はこの宇治で、この練習用の原稿
をお作りであったのではありませんか?いや素晴らしいご文章でした(笑)
まあどうぞ、こちらへいらっしゃいませ(笑)「金を出せ」「メールアド
レスを出せ」なんて、申しませんから(爆)
むしろこの「訊け」管理人・・・貴殿追撃で「非常に追い詰められている」
現在ですぞ。もう、ケチョンケチョンにしちゃってください。(しかもこの、
ホームグランドの衆人監視下、でw)
771
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/07/19(火) 06:28:03
>学ぶ会の皆様へ
ややオフザケな投稿になりました。一点だけ補足致します。
さて「学ぶ会」の会員各位に於かれてはかの本流掲示版ですが・・・いっ
たいどんな関係なのでありましょうか?これを一旦、明確にする必要はある
のではないでしょうか?まあそのことを、かの本流管理人殿(動画登場の収
容所管理人殿、ではないw)に聞きたいのですけど彼、忙しいみたいですん
で(笑)
もうこうなったら会員各位の方々からの情報を、待つしかないのかなあ、と。
ですので情報提供の労、よろしくお願い申し上げる次第です。
追伸
最近ようやく、活動家のロジックが了解できるようになってきますた(笑)
この文章も活動家から見ますと、こう解釈されちゃうのではないですかね?
たとえば冒頭の「ややオフザケな投稿になりました。」なる一文・・・
これを読むと活動家の方、マジメなんで「ああこれ?フザケてるんですね?」
「じゃあ返答しなくてよいですね?」てな感じになりますよね(笑)
ですんでこれ、活動家の方は返答義務はございません。私が呼びかけているの
はあくまでも、「学ぶ会」を通して御教えを真剣に学ばれておられる、求道者の
方に限ります。どうぞよろしくお願いします。
772
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/07/19(火) 06:30:11
あああ、面倒ですけどもう一点・・・
投稿者が
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
になったり、あと
「訊け」管理人
になったりしてますけど、これ、たんにPCの都合です(笑)他意はありません
のであまり、深刻にお考えになられぬよう(笑)
773
:
「訊け」管理人
:2011/07/19(火) 06:39:07
>760初心者さま
ああなるほど!そういうことなんですね(笑)
もー私のブログには、しょっちゅう来ているくせに、本流管理人さま(笑)ああ、これ、間違いかもしれませんけどね(笑)
でも初心者さま解説で、彼らの行動様式ですが、まあなんとなく判明して
きました(笑)もし私の予感が正しいとするならば本流管理人どの・・・お
かわいそうな方ですね。
774
:
カズミ
:2011/07/19(火) 07:08:25
>769初心者様
申し訳ございません、いい加減なこといっちゃいましたね。
もみじ様の言うとおり、あまり細工するのはいいことではないかも知れません。
ちなみに、ここのページに飛びますと、自分のIPアドレスがわかります。
http://www.ciber-germany.net/
775
:
「訊け」管理人
:2011/07/19(火) 07:21:55
<本流管理人殿が問題にすべき点>
本流管理人どのへ、もう一点だけお知らせが。
投稿者がブログ管理人か「訊け」管理人か・・・そんな話よりも重要な
話がありますよ。以下をご覧ください。
(当掲示版投稿駄文より引用)
さて実は私・・・良心の痛みを覚えるイタズラを、かの本流宣言掲示板に
対して行っておりました。1ヶ月経過しましたので、「犯行声明」を出そう
かと思います。以下話の要点は、当掲示板繁盛の理由は「本流宣言掲示板の
おかげ」というものになろうかと。
さてそのイタズラとは以下書き込みになる次第です。以下のような文章を
私は、本流宣言掲示板に投稿したのでありました。おそらくですがトキさん、
このイタズラ実行の6月7日以降ですが、貴掲示板への訪問者が増加しては
おりませんか?たぶん爆発的に増えていることと思います。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
31 :名無しさん:2011/06/07(火) 14:25:40
注意報!ブログ管理人に注意せよNEW (2558)
日時:2011年06月07日 (火) 11時54分
名前:WEB監視偵察員
合掌ありがとうございます。この掲示板を見るといつも心が洗われる気分
です。はやく本流を復活させ谷口雅春先生を安心させなくてはなりません。
ところで最近見られないブログ管理人様(「谷口雅春に訊け」・・・大聖
師を呼び捨てにできる度量は、ここでは問題にせぬが)に関し、注意喚起
します。
【注意すべき掲示板】
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/-100
結論だけ言えば、一白鳩会員様の風情ですが管理者はブログ管理人様なの
では?そう思います。同君登場されれば縷々説明しますがここでは避けま
す。あたかも一白鳩会員を装い自分を弁護する様は、「ああ、神よ。この
一知半解の若者を救いたまえ」と言いたくなるものです。
また問題記事もあります。
【問題記事】
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65552902.html
冒頭の動画をご覧ください。
突撃してくる武士を自分たちに見立て、震える側の兵隊を我々に見立てて
います・・・・まあ、若気の至りでありましょうけど、かのブログの影響
力を考慮すると心配です。
あの若者に天地一切との和解に「虚説との和解は含まない」ことを、以後
説明したいものです。
追伸
栄光ある薩摩藩を気取り、一知半解の知識で正義を語る者は雅春先生から
叱られますよ。貴君の『生命の實相』読書歴ですが、「まだまだ浅い」と
いわざるを得ない。この点特に付記しておきます。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
まあ敵中(この表現は方便です)に広告掲示板を設置する作業であり、難
航を極めましたが・・・赤壁の戦いにおける孔明の戦術に倣い「敵方へ船を
寄せ、そして敵方にガンガン矢を撃たせる」作戦を採用しました。そしてそ
の矢を大量に持って帰ってくるという・・・まあ、本流宣言管理人殿へ申し
たいのは「これでオアイコと行きますか」てなコメントとなろうかと。同時
に「いたずらしてスミマセンでした」ということには申し上げたいなあと(笑)
まあ代わりに祝福行、本流管理人殿「誠魂位ィ〜」は、特に大声で行います
ので、それでお赦しを(笑)
(引用終了)
私、堂々と「他人なりすまし」を宣言しております(笑)これぞ問題ですぞ
管理人さま(笑)
貴掲示版に忍び込みまして、そして大量の矢(=本流投稿者)を撃たせまして
、そしてその矢をトキさま掲示版に持ち帰ってきたという(笑)あの広告看板
をキッカケに、このトキさま掲示版を知った方も多数おられるのではありません
か?そうだとするならば余ほど、この「他人なりすまし」の方が重罪であろう
と思いますがいかがでしょう?
まあこの重罪こそ「書き込み禁止」の大義名分としてふさわしいのであるまいか?
そう思う次第なのであります。以上ひとこと助言などを。
追伸
まあそれでも・・・
貴掲示版は進入経路が
多すぎですね(笑)
776
:
カズミ
:2011/07/19(火) 07:25:06
>「訊け」管理人様
私は、前原先生のYouTubeを見て衝動的に学ぶ会の会員になったものですが、
本流掲示板では、「訊け」管理人と同じくらいの時期に書き込み禁止処分をくらいました。
もし本流掲示板が学ぶ会の掲示板ならば、いますぐ退会してすると思います(笑)
777
:
「訊け」管理人
:2011/07/19(火) 07:45:48
>カズミさま
情報のご提供を、ありがとうございます。
さて「会」と「板」に関係ですが・・・そう、無関係だと思いたいんです
よね、私も。この関係が「板」からの片思いである限り―「好いている、がんばれ」
である限りは問題ないのです。でも「つきあってくれ、オレをコントロール
してくれ!」てな関係になっていたりしますとね・・・結構問題だと思うのです。
義春さんが見つけたんですけど、本流掲示版設置の報告が某掲示版上で告知され
ていたりしますんで「ええ?!なにこれ」なんですよね、現在の私は。
追伸
まあしかし「会」にもいろいろな派閥があることと思います。このうちどちら
が主流派となるのか?これを見極める必要は、あるのかもしれません。たとえば、
「天地一切と和解せよ」と言われた際の反応が「なんたる挑発!!!」な方々が
主流派なのか、それとも「きわめてアタリマエの話ですよね?」な方々なのか
・・・ああ、ムズカシイ問題ですね(本来はシンプルなんですけどね)
778
:
義春
:2011/07/19(火) 08:13:38
>>777
ブログ管理人さま
補足資料出しておきますね。
光の進軍
http://hikarinoshingun.web.infoseek.co.jp/index.htm
という学ぶ会の関連ホムペから最新ニュースの一覧から
What's NewH23.06.23 実相塾 横浜予定改定
H23.06.22 第7回伊勢二泊見真会報告修正
H23.06.11 学ぶ誌購読料修正、口座修正
H23.04.16 実相塾 横浜予定改定
H23.03.22 生長の家”本流宣言”掲示板リンク変更
H23.03.17 生長の家”本流宣言”掲示板設定
>H23.03.22 生長の家”本流宣言”掲示板リンク変更
>H23.03.17 生長の家”本流宣言”掲示板設定
これなんですよね…しかも、学ぶ会の関連というのは
>H23.06.11 学ぶ誌購読料修正、口座修正
というかなり事務的な内容を含むから分かるというもの。表現からも少なくとも、内部の経理担当者のものでしょう。
又、トップページには
>5.当会の理念
とは学ぶ会の理念を指し示すのは明らか。
…雅春先生を学ぶ会という団体は一体、何なんでしょうか?…と、私は思わざるを得ませんし、もう魑魅魍魎の如き、かの掲示板は雅春先生という名前で、人を惑わせているんじゃ?…と感じています。
学ぶ会関係の方におかれましては、この事態を解消なさる働きを行なわれる様に願います。
779
:
訊中学野球部「管 理人」
:2011/07/19(火) 10:16:04
>鈴夜(ニャンコ)先生
はじめましてニャンコ先生、突然のお便りをお許しください。私は訊中学
野球部の「管 理人」と申します。なお、現首相と名字音がかぶってしまっ
た点ははなはだ、愚生の不徳の致すところでありまして、まあこれは・・・
(中略)・・・あっ!早速要件に入ります。
私にはある悩みがあります。ニャンコ先生、オレ、どうしたらいいっスか?
いや、「どうしたらいいんでしょうか」以下お読みになって頂けますと幸い
であります。
・・・相談内容はウチの野球部に関してです。まずは部長の 深 井 雅 宣 さん
のことですけど、彼のノックが凄いのです。もう、甲子園(宇治の練成会?)
経験者のノックでして、どれくらい凄いかと云えば「オレのノック、取るな
ー!!!」とかおっしゃるくらいの、なにか 異 次 元 の す ご さ
なのです。
初めは冗談かと思いまして、そして一球だけ捕球したんですけど、そした
らものすごく怒ってしまわれて、そして「これはノック(=対話)じゃねー!
!なーにやってんだオマエ!」てな叱責を受けてしまいまして、部長をかな
り不快にさせてしまったのです・・・まあその後も部長ですけど「カネを出せ」
「メールアドレスを出せ」とかつぶやきながら、 異 次 元 ノ ッ ク
を繰り出してこられました。ああ・・・あの「カネを出せ」「メールアドレス
を出せ」ですが、野球歴五年のわたしじゃ、解釈不能のサインなんですが・・
・
・・・そうしていましたら、副部長の龍さんと云う〝ライト〟の名手――
センターとレフトには「ぜったい立ちたくない」らしいですが――この副部
長もこれを見て「おいオマエ、長髪じゃ野球はやれんぞ」とこう、私を叱る
んです。
「ええ?長髪(=挑発)じゃないですよ、ちゃんと坊主(ルール遵守)にし
てますけど」と言いたいのですが、「いーやオマエのは長髪だ!」と断言さ
れかねない、そんな雰囲気という・・・もう「オマエ、それじゃ 野 球
部 員 じ ゃ ね え !」みたいな空気なんです。オマエに反論は許さ
ず!!ありがとうございます!!!ありがとうございます!!!とまでは、
申してはおられたかどうか失念しましたが。
・・・そして本流監督なんですけど、監督はこれ見ながら、「あれっ?」
とかトボけておられるのです。そしてアイツはブログ管 理人か?「訊け」
管 理人か?なんて云いながら「あの部員は、退部したんじゃなかった?」
なんて申されておいででありまして・・・「いやいや監督、うちにはしょっ
ちゅう、いらしてるじゃないですか」なんて言うと、空気を乱しちゃうんで
言いませんけど・・・まあ、ここまではいいんです。「あの部員は退部した
んじゃなかった?」なんて言われるのはOKなんです、ね。
ですけど本流監督、「深井さんの心温まるノックなのに、あの部員は捕球
する意志を感じない」とか、ものすごく聡明な言葉をご慧眼からお発しにな
られるのです。えーそれは誤解ですよ監督。しかも監督、私に「名手養成ギ
ブス」(書き込み禁止)付けさせたままじゃないですか。それで捕球する意
志を感じない、なんて云われても「それはないって」なんですけど・・・こ
の考え、ニャンコ先生に於かれてはいかが思われますでしょうか。
・・・やっぱ野球歴五年の身には世の中、ワカラナイことが多すぎるので
す。わたしが間違っているかもしれませんが、「それは間違いだ」とニャン
コ先生から言われれば、フンギリもつくと言うもの。これら一連のやり取り
に関してなにか、ニャンコ先生からのアドバイスを頂戴できないでしょうか。
「取るな!」と言われたノック球、やっぱ捕球しちゃマズイんでしょうか。
そして龍副部長へも帽子を取って「長髪(挑発)じゃないです」こと、示し
たほうがよいでしょうか。監督さんにもなにか、申し上げたほうがよろしい
だろうかとも思いますし、「でもそれやっちゃうとまた、空気乱しそうだし」
と悩ましいところなのです。
ああオレは、いったいどうすればよいんでしょう・・・ああホント、どう
したらいいんですかニャンコ先生、教えてくださいニャンコ先生。
・・・そして、「そもそも」ですが、ニャンコ先生、
私の参加した部活動ですけど、
これ、
本当に、
野球部なんでしょうか(笑)
780
:
訊中学野球部「管 理人」
:2011/07/19(火) 10:16:51
いやー「訊け」管理人です。
訊中学の野球部、ですか。私の後輩ですね。
781
:
「訊け」管理人
:2011/07/19(火) 10:17:40
ああああ(汗)
あ、あの学校の野球部って、
ライトばかり
守らされるよね(笑)
782
:
八百比丘尼
:2011/07/19(火) 10:54:28
野球部員の坊やへ
すまぬ。今、島の比丘尼が戻って来ておってな。
嵐の近づく中、ふわりふわりと飛んできたのじゃ。
世界中、遊び回ってばかりおって、とうとう島流しになってしまった。
( いや、本当はご亭主の任地について行った、あっぱれな女だ。)
鈴夜の彼女も一緒でな、
久しぶりの逢瀬に浮かれ切っておるわ。
しばし待たれよ。
再見 合掌。
783
:
「訊け」管理人
:2011/07/19(火) 10:55:29
あああ(泣)ニャンコ先生ぇ〜(泣)
784
:
「訊け」管理人
:2011/07/19(火) 10:56:41
ああああ(汗)うう、上の、上の投稿は、中学生投稿ですね
もーしっかりしろよーもう中学生なんだから
785
:
訊中学野球部「管 理人」
:2011/07/19(火) 11:32:47
そんなことよりブログ管理人さん。
今日はこちらの対応に追われて、ブログ更新お休みですか?
もう、どんだけ根性なしなんですか。
よろしくお願いしますよ、ブログ更新。
786
:
「訊け」管理人
:2011/07/19(火) 11:34:29
今日ははあれだね、可愛い後輩の悩み対応のため、
ブログ記事作成の暇が、ないのだよね。いやー、すまんすまん。
まあ代わりに過去の記事、これでも読んでくれたまえ。
787
:
義春@ハートマン軍曹
:2011/07/19(火) 12:47:22
>>785
厨学生さま
起きろ! 起きろ! 起きろ!
私が訓練教官のハートマン先任軍曹である。
話しかけられたとき以外は口を開くな。
口でクソたれる前と後に“サー”と言え。分かったか! 分かったら返事をしろ!
ふざけるな! 大声だせ! タマ落としたか!
さぁ!本流監督は放っておけ!ランニングだ!気合いだ!気合い!
(…いや、ブラックですんませんw)
788
:
復興G
:2011/07/19(火) 13:23:32
> 683
> 私は何者かというと、思金神に招集された常世の長鳴鳥である、と自覚いたしました。トリ年うまれなものですから。で、常世の長鳴鳥ならば「常住不変の実相世界の真理を宣布する」ことが役目なのでありますが、それは「ココケッコー」(此処結構──今此処天国、極楽浄土)と鳴けばよいのであります。それだけでよいのでありますが、「常住不変の実相世界」なんて大嫌い、とおっしゃる初心者さまに、「なるほど、ここはケッコーなところだったわ」と納得し、大好きになっていただけるよう、いろんなバリエーションで鳴いてみようかなと思っております。
> 687 :初心者:2011/07/14(木)
> 実相世界は可なりや、それとも不可なりや、をめぐる本土決戦がいよいよ間近にせまりつつあることを実感しております。復興G様がどのような鳴き声を聞かせてくださるのかと、警戒しつつも、興味津々でございます。・・・どうか思う存分「ココケッコー」の美声を鳴り響かせてくださいませ。
──ものすごくのろい亀レスですが、いよいよその時がやってまいりました。
さて私は初心者さまがここ1ヵ月ちょっとの間に最新の自然科学、精神科学、社会科学、宗教史、哲学史、等々にまたがる該博な知識を駆使し広大無辺なスケールで展開されてる論議、そして
「生長の家よ、さあどうするのか。これが雅春先生から示された禅の公案であるぞよ」
とおっしゃってる関門を通過しなければならない。しかしこのアホG*が、初心者さまのおっしゃることを咀嚼し、論破することは至難のわざであります。で、脱帽礼拝して逃げようかと思いましたが、それは卑怯であると思い直し、自分の思うところをじっくりと少しずつ、アトランダムに書かせて頂きたいと思います。
*アホG(アホ爺)とは、自己卑下して言ってるのでは
ありません。村上和雄先生は『アホは神の望み』という
本も書かれてます。だから、これは自己讃嘆かも。
テーマに入る前に、まず、「初心者」というお名前、HNは何を意味するか。これはすごいお名前であります。
ふつう、「初心者」といえば「まだ何もわかっていない入門者」という意味で使われます。しかし、「初心」という言葉に実は、まことに深遠きわまりない意味があるのであります。
「初心忘るべからず」という言葉もあります。
かつて「実相研鑽会」(谷口雅春先生の前で地方講師・光明実践委員数人が生長の家の真理について研究発表(体験発表、決意発表を含む)をし、谷口雅春先生のご指導、結語をいただいた)が生長の家本部大道場で行われていた時代、「初発心(しょほっしん)について」というようなテーマで研鑽させていただいた記憶があります。地方講師・光明実践委員はそれぞれ、「初めてみ教えに触れて救われた時の感動を忘れずに人類光明化運動に邁進したい」というような発表をしました。谷口雅春先生はその発表をいちおう賞められた後、次のような御結語を下さいました。
「本当の初心、初発心というのは、過去の一時の心ではなく、今が天地の初発(あめつちのはじめ)の時であるという自覚に立つことであります。“今”というのは、過去・現在・未来と流れている時間の中の現在というところではない。時間・空間は本来ナイ。生命が主であって、時間空間は生命が創りだしたものです。時間も空間も未だ発せざるところ、時間・空間がそこから発した元のところを“未発の中”とも言う。われわれの生命は今、そこに立っているという自覚が本当の初心、初発心です。そこに、すでに一切が備わり調和している実相世界があるのです。」
──神韻渺渺たる先生のお言葉にもうびっくりして、感動に打ち震えました。
初心者様は、この「初心」に立っていらっしゃる方でありますから、まず私はその前にひれ伏して頓首礼拝させていただきます。
(つづく)
789
:
訊中学野球部「管 理人」
:2011/07/19(火) 13:40:30
BGM
http://www.youtube.com/watch?v=0t6rJUkqCss
>義春@ハートマン軍曹さま
(復興G誠魂位ィ〜まことに恐縮です)
>起きろ! 起きろ! 起きろ!
おいっ!さー!朝5時からまっておりましたぁ、さー!!
>私が訓練教官のハートマン先任軍曹である。
さー!!甲子園連れて行ってください、さー!!
>話しかけられたとき以外は口を開くな。
さー!すみませんでした、さー!!
>口でクソたれる前と後に“サー”と言え。分かったか! 分かったら返事をしろ!
さー!! あっ、かたかなで、サー!!
>ふざけるな! 大声だせ! タマ落としたか!
すみません、サー!!
>さぁ!本流監督は放っておけ!ランニングだ!気合いだ!気合い!
ええっ!?あっ、はい!サー!!
>ランニングだ!気合いだ!気合い!
♪く〜も〜わ〜わーきぃ、光溢れてぇ!!サー!!
790
:
義春@ハートマン軍曹
:2011/07/19(火) 13:59:46
>>789
厨学生さま
(真理から)逃げる奴は本流野郎だ!(真理から)逃げねぇ奴はよく訓練された雅春先生の弟子だ!
喋る姿も雅春先生の弟子か?歩く姿も雅春先生の弟子か?それが大事だ!口先野郎なんか雅春先生の弟子じゃない!
クソまじめに努力するこたぁない!
神様に任せりゃ自然と奇跡なんか起こらんでも、人生を突っ込んでくれる!
(ハートマン軍曹語録を改変しますたw)
791
:
訊中学父母会
:2011/07/19(火) 14:10:26
(真理から)逃げる奴は本流野郎だ!
(真理から)逃げねぇ奴はよく訓練された雅春先生の弟子だ!
爆笑
792
:
八百比丘尼
:2011/07/19(火) 14:35:11
わっ!何じゃ!
この前投げた文鎮で破れた障子の穴から
目を出すでない。
デートは楽しかったかえ、鈴夜。
いや、何、ちょっと考え事をな。
教区の組織にいた頃に、われも一度ひどい目に合ったことが‥。
会長、副会長以下えらい人達に、大勢の前で
わらわの活動が生ぬるい、と言われ罵倒されたのじゃ。
真剣みが足りん。もっと真面目にやらんか〜い。とな。
まあ、中には良識ある人もおったのだが、そういう人達はおとなしいで
あまり発言はせぬ。
困ったような顔をして俯くばかり。
下手にかばうと、火の粉がふりかかる。
中心帰一というお題目があるからのう。
くうっ!このクソババアどもめ!と思わず本性が出そうになったが、
鈴夜ががんばって、必殺猫かぶりの術を使ってくれたので
なんとか持ちこたえたがの。
仕方がない。肉体年齢では、あちらは大先輩。
若い者を指導してやってると思うておるのじゃろうて。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、
下げる必要のない頭を下げたぞ。
「渇を入れていただき、ありがとうございました。
おかげ様で目が覚めました。(この組織運動のアホらしさに)」
そう言ってニッコリ笑うてやったわ。
それから約1年間、ひたすら従順にババアどもの言いなりになってやったが、
ある日、いつも通りニコニコ笑って退会届を差し出した。
会長が血相変えて飛んできて
「何で!何でやめるの。一体何があったのよ!」
って叫びやがったわ。
思わず
「三代目が大ばかだから。」って言いそうになったけど、
それを言っちゃあおしめいだ。
「全て私のわがままでございます。
長い間お世話になりました。それではこれにて
ごめんくださいませ。」
静かに去って行きましたとさ。 チャンチャン
そのうちつづく
793
:
初心者
:2011/07/19(火) 15:19:41
カズミ様
ここ2ヶ月間、IPアドレスは固定されたままです。
そろそろ変わる頃だとは思いますが、作戦としては
「行くぞ!行くぞ!」とおどかしておくのがよいかと考えます。
行こうと思えばいつでも行けるんだよ。
そういう態勢を示しておくのが有効かと考えます。
どうせ行ったところで、すぐに追放ですからね。
「行くぞ!行くぞ!」とおどすよりほかに、
こちらにはとるべき手段がございません。
肝心なのは、いつでも行けるという態勢だけはととのえておくということです。
そうすれば、「本流」で混乱が生じたときに、それに乗じて
乗り込むことができます。
794
:
本流ウォッチャー
:2011/07/19(火) 15:37:43
>>793
帝都空襲で混乱でしたねw
あっちが空襲でビックリして
ミッドウェー作戦、立ててくれるといいですねw
795
:
トキ
:2011/07/19(火) 16:28:57
>788
復興G様
ご投稿、ありがとうございました。初心については、書かれている通りだと思います。
なかなか、「我」取れませんから、反省、反省です。
「実相研鑽会」は、昔の「生長の家」誌に掲載されていましたね。
講師や光明実践委員が対象という事ですが、講師や光明実践委員なら誰でも参加できたのでしょうか?
それとも、参加に当たっては、制限があったのでしょうか?
あ、もし、御返答をする事で、身元が露見する可能性がある場合は、気にせずにスルーして下さい。
合掌 ありがとうございます
796
:
復興G
:2011/07/19(火) 16:31:47
さて、前回788 が長鳴鳥の鶏鳴1号としますと、これは第2号であります。
「実相世界」というのは、すべての生命の故郷(ふるさと)であると言えるでしょう。
お盆になると、故郷を離れて仕事をしていた人たちが、超満員すし詰め列車や大渋滞をもものともせず、一斉に「ふるさと帰り」をします。そして親元の故郷に帰ると、たちまち疲れは癒やされ生命がよみがえり、元気になって戻ってきます。そういう生命の故郷(いのちのふるさと)が「実相世界」であると、私は思っています。
実相世界は、いのちの親様がいますところ。今、わが内にいまして自分を生かしてくださっている親神様。その親様います生命の故郷が実相世界だと思っています。親神様がいま自分の生命となって生きていらっしゃるので、親子は一体で、今ここ故郷、実相世界にいるのです。だから、「安らなれ すべて善ければ」(堅信歌)です。
では、前述の「天地の初発(あめつちのはじめ)の時」と、ビッグバンとはどういう関係になりましょうか。
私は、「天地の初発の時」は、ビッグバン以前であると思います。時間・空間がそこから発した元のところ、時間・空間を生み出した元の一点なのですから、本当は「以前」という「時空あり」を前提にした言葉はおかしい、時空を超越した「今」なのですが、便宜上、「ビッグバン以前」という言葉を使いましょう。
もっと言えば、一点もないその中に、ビッグバン後に展開する全て、一切がすでに備わっている世界です。
現象世界は、その「時空を超え、一点もない中に一切無限がすでに備わり、調和している世界」すなわち実相世界にある映像が、時空間のスクリーンに段階を追って順次映し出されて行く映像でありますね。「時空間」というスクリーンそのものが本来ナイものなんですから、そこに映し出された映像も、まさに影であって、本来ナイ。夢まぼろしのようなもの。そこは刻々流転変化する無常の世界である。
では、「常住不変の実相世界」は固定した「静」の世界であるかというと、そうではない。「不変」というと固定したものと思うのは、時空間に展開した現象世界を考えるからで、現象世界にパースペクティブがあるなら、その元の時空間を超えた、時空間を生み出した元の実相世界にもパースペクティブはある。実相世界は「静」でなく「動」でもある。「動」でありながら不変であるという、現象世界では考えられない、一切の根源世界なのです。実相世界は時空以前の世界だけれども、そこには具体的な形も全てあるのです。無限生長の運動もあるのです。退屈するような「静」の世界ではないのです。無限の歓喜に満ちた世界であるのである。
だから讃美歌に、
「われに来よと 主は今
やさしく 呼びたもう
などて愛のひかりを
避けてさまよう
『かえれや わが家に
帰れや』と 主は今呼びたもう」
とあるのであります。
797
:
トキ
:2011/07/19(火) 16:34:47
最初に建てた、このスレッドもほぼ800に達しました。ありがとうございました。
あと200で書けなくなりますが、続いて新しいスレッドを建てます。その新しい
スレッドの名称ですが「「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板」と
いう名称にしようかと考えています。今直ぐに建ててもいいのですが、5つもスレッド
が出来ると、利用者の皆様の不便になる可能性があるので、このスレッドが満杯になる
少し前に建てようかと思っています。
なお、名称で「もっと良い案がある」という人はどんどん寄せて下さい。
合掌 ありがとうございます
798
:
復興G
:2011/07/19(火) 16:48:03
> 795
トキ様
実相研鑽会は東京の地方講師会主催で、だれでも参加できましたね。東京第一教区・第二教区と分かれていない時だったと思います。
799
:
トキ
:2011/07/19(火) 17:41:32
>>798
復興G 様
ご教示、ありがとうございました。
大聖師の直接のご指導を頂戴できるなんて、いい時代だったのですね。
昔の「神誌」の実相研鑽会の記事を読むと、雰囲気が伝わりますし、今でも勉強になります。
執筆者も、お山の先生方に加え、徳久先生とか、藤原先生とかすごい先生ばかりですし、体験談も
生き生きとしていて、お気に入りです。最近は寝る前に昔の「神誌」を何冊も置いて、熟読して
いるので、睡眠不足ぎみです。
合掌 ありがとうございます
800
:
初心者
:2011/07/19(火) 17:45:07
復興G様
ほんじつ最初のご投稿を、あやうく見落とすところでありました。
「おのれ!本流め」。このような不調和な心でおりましたものですから、
注意力が散漫になっておったようであります。
人は、おのれが否定するものに近づいてゆくといいます。わたくしも、
あやうく「本流」のレベルまで駆け降るところでございました。
それにいたしましても、「徹底抗戦」ではなく「徹底降参」というポーズを
見せられながらも、すかさずするどき投稿を書き込みなされるとは、
さすがでございます。
その前に、たしかに「初心者」というのは、大変なネーミングなのでございます。
「未発の中」というほど大それたことは考えておりませぬが、初心とは無限創造の
心であり、つねに流動する心であり、そして何よりも、予期されぬ心なのであります。
何にしましても、相手に心を読まれれば、それで万事休すなのであります。
わたくしも、ときおりヘマをやらかして、心を読まれるようなことをいたしますが、
復興G様にたいしましては、できるかぎり読まれぬように対処いたしたいと考えて
おります。
さっそく、実相世界は「ココケッコー」とお鳴きあそばしました。美声でございます。
まずは、「実相世界にもパースペクティブあり」とお認めになられたところは、
さすがであります。
光があるところにはかならずパースペクティブと差延があるものであります。
実相世界は光に満ちた世界であるといわれております。ならば、パースペクティブも
差延もなければおかしいわけであります。
実相世界におけるパースペクティブの存在をお認めになられた復興G様は、正しいこと
をいわれたことになります。
わかりました。実相世界にはパースペクティブがあり、差延もある。このことから話を
スタートさせることができそうです。
わたくしはただ、実相世界はどこが面白いのか?と、このことに疑問を持っております。
むかし、フォーククルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」という曲が流行りました。
歌詞に「天国よいとこ、いちどはおいで。酒はうまいし、ねえちゃんはきれいだ」というのが
ありましたが、実相世界でも酒は飲めるのでありましょうか。長身美形のおねえさまがたは
おられるのでありましょうか。
おそらくそれはないだろうと考えます。ならばそれに代わって、どのような楽しみが
あるのでありましょうか。それもおそらく、今の人間世界を基準にしては、けっして
はかり知ることのできない、大いなる楽しみなのでありましょうけれど、そうは
いっても、具体的に何もイメージできないというのでは、本当に面白いのかということを
判断することさえできません。
神想観がある。たしかに神想観をしてみるという方法があるかとは思いますが、
わたくしは、神想観につきましては徹底的に挫折しております。いまさらやれと
いわれても、無理でございます。
その代りに、瞑想というほどではございませぬが、真理の奥深さというものを実感して、
いつもいつもハッピーな心境で暮らすことはできております。
ここでひとつうかがいたいのは、このあたりの心境と、神想観によって得られる心境は、
じっさいどのように異なるのかということであります。
わたくしはたしかに、真理を思えば、たちまちにしてハッピーになることができます。
これはもう20年近くも続いております。しかしおそらく、このハッピーな気分と、
実相世界における喜びとは、またかなり違ったものであるかとも考えます。
このあたりにつきまして、復興G様が思われるところをお聞かせねがえれば、
ありがたく存じます。
801
:
役行者
:2011/07/19(火) 19:22:46
>初心者様
良い数字、持って行きましたね!800番です!大当たり(^O^)v
末広がること、間違いなしσ(^_^;
お久しぶり(+_;)
802
:
初心者
:2011/07/19(火) 20:00:13
おや、役行者様。「酒はうまいし、ねえちゃんはきれいだ」とくれば、これは
役行者様の出番でありますから、さっそくご出座いただいたというわけで
ございますね。
帰ってきたヨッパライは、「天国ちゅうところはそんなに甘いもんやおまへんで」と
神様からいわれて、天国を追放されてこの世に戻ってまいりましたが、実相世界といえども、
やはりそれほど甘いものではなく、こちらの心境が高まってなければ、けっして
住みよいところとはいえないのでありましょうか。
じっさいのところ、どうなのでありましょう。実相世界は、やはり境地の問題なので
ありましょうか。境地が低ければ退屈でしかなく、高まるにつれてよさがわかってくる。
そのようなものなのでありましょうか。
すでに酒も女も味わい尽くされた役行者様にしてみれば、これはもうわかりきった
ことであるのかもしれませんが、酒も女もとても味わい尽くしたとはいえないわたくし
とすれば、まだまだこのあたりに未練が残るところなのでありまする。
800番。八百比丘尼おねえさまを思い出してしまいました。
803
:
八百比丘尼
:2011/07/19(火) 21:42:02
ボク、鈴えもん。
のび太くんてば、またジャイアンとスネ夫に野球でコテンパンにされちゃったん
だね。
あ〜ん、鈴えも〜ん。道具出してよ〜。
もう、しょうがないなあ。チャララランララ〜ン。
「光明法語」
7月5日の法語を読んでみて。
ーー汝を呪うものを祝福せよーー
ね、心が清らかになったでしょ。
雅春先生はすごいよね。
早く空き地から帰っておいでよ。
グズグズしてると、またジャイアンのリサイタル始まるよ。
あれ、長いし、すごい声だし、みんな気絶するよね。
鈴夜の漢字教室
<島の比丘尼とのおしゃべりに夢中で
喝の字を間違えてやんの。
渇じゃ、かわくだろ〜が。
熱中症に気をつけましょう。
妖怪の干物は、食えません。>
合掌
804
:
トキ
:2011/07/19(火) 21:49:58
八百比丘尼 様
素敵なご投稿、ありがとうございました。
「光明法語」、読み直します。
合掌 ありがとうございます
805
:
役行者
:2011/07/20(水) 00:08:26
鈴エモンさんの何でもポケットから真理のコトバが出てごじゃる!呼ばれて、飛び出て、ジャジャジャジャーン(^。^)
ついでにもうひとつ、実相世界へ、どこでもドアで、連れてって・・・
体験したい(;_;)/~~~zzz
806
:
「訊け」管理人
:2011/07/20(水) 06:19:27
――――――――――――――――
『光明法語』
――――――――――――――――
七月五日の法語
<汝を呪う者を祝福せよ>
――――――――――――――――
「汝の隣人を愛し、汝の敵を憎めと言いし教えを汝等聞きしことあらん。
されど吾れ汝等に告ぐ、汝の敵を愛せよ。汝を呪う者を祝福せよ。併して汝
をなやめ苦しむる者のために祈れ」
或る日私が聖書を読んでいる時に此の語から霊感を得た。その頃私は私を
裏切って私の為に出世してい乍(なが)ら、私の悪口を言い廻っている或る
人に不快な気持をもっていた。
併しこのキリストの聖句を読んだとき胸がスーッとしたのである。私は彼
を愛しようと決心した。彼が吾が前にそのような姿をあらわすのは自分の心
を鍛えて下さる神の愛である。
――――――――――――――――
七月二十日の法語
<黴菌の使命>
――――――――――――――――
黴菌(ばいきん)にまけると思う人があるが、黴菌は人間を害するもので
はないのである。神の「一」なる生命より分派せる一切の生物は、その本来
の相に於いてはすべて生かし合いであり、殺し合いではないのである。
だいたい黴菌は植物であるが、植物は動物に捕食される(或る分量を提供
する)かわりに、その繁殖、播種移動等を動物にさせて貰うところの生命の
一群である。それはかくの如くつくられているのであって、捕食されること
は苦痛ではなくてその使命である。
<了>
807
:
「訊け」管理人
:2011/07/20(水) 06:21:30
>ニャンコ(鈴エモン)先生
>八百比丘尼さま
まことにまことに我、汝らに告ぐ、
サンキューベリーマッチ(笑)
808
:
「訊け」管理人
:2011/07/20(水) 06:27:01
>ニャンコ(鈴エモン)先生
>八百比丘尼さま
『光明法語』のご紹介なくば愚生、トンデモない反論文を掲載するところ
でありました(笑)誠にありがとうございました。反論文とは、龍さま+不快
さま+葵さま(?)等々の面々に向けてのものでありまして、中には
「訊け」管理人 × 「切れ」管理人
なんていう不調和なものまで・・・(中略)・・・ございましたんで、あ
やうく投稿するところでありました。寸での処で気づかせて頂き、重ねてでは
ありますが御礼申し上げる次第であります。
今後ともどうぞよろしくお願い致します(にゃー)
809
:
「訊け」管理人
:2011/07/20(水) 06:34:49
(×)反論文
(○)質問文、意図確認文
810
:
義春
:2011/07/20(水) 08:57:21
>>808
ブログ管理人さま
切れ管理人って…一寸、コーラ噴いたじゃないですか…コーラ!…なんちゃってw
にしても、ニャンコ先生、スゲーです。
我が家の桃太郎も仕込まんとニャw
811
:
「訊け」管理人
:2011/07/20(水) 09:10:43
>義春さあ
「訊け」管理人 × 「逃げ」管理人
もあったんだけど、ニャンコ菩薩様の念波が、だね・・・こう、押し寄せて
きてね・・・(中略)・・・合掌、礼拝。
812
:
福山雅治
:2011/07/20(水) 09:19:59
BGM
http://www.youtube.com/watch?v=3gqHExUQmUI
えー、あらためましてこんにちは。福山雅治です。いやー最近、ど・う・
で・す・か、皆さん。てことで早速お便りを紹介しましょう・・・(5秒)・
・・ええっと、ペンネーム、が・・・えっと、
「オレは訊け管理人であってブログ管理人でもあり、かつ雅春先生に訊け管理人でもあるのだ。そこはいちいち突っ込むな」
さん、から・・・長いねーペンネーム。なんかあったの?ははは(笑)
ええっと、「福山さんこんばんは」
はい、こんばんは・・・
「ええっと僕は最近、武者小路実篤を読みまして」
・・・ええ?武者小路きみまろ?
あっ、なんだ、実篤ね実篤・・・
「このラジオを借りて、トキさんという方に感謝申し上げたいのです」
・・・と。ああ、なるほどね・・・あっ、あれね?このトキさんって人が親
切な人で、あっ「深切」な人でね、そしてきっと、この訊け管理人さんにね、
武者小路実篤の記事、ね。『理想世界』に出てたやつ、これをメールかなに
かでね、送ってくださったんでしょ?きっと・・・
「 そ の と お り で す 」
っておい!?なんでこの福山の発言を、先取りできた?
(トキさんメール添付資料より一部引用)
――――――――――――――――――――――――――――――
僕はこの世に生まれるということは大変なことで、生まれなかった方が
実に多くありうべき事だと思っている。
―武者小路実篤
(『理想世界』より)
――――――――――――――――――――――――――――――
僕が信用できる人は、自分の生命と他人の生命を大事にすることを本当に
知っている人だ。自分の生命を本当に生かすことが分からない間は勉強すべ
きだ。自分の生命を本当に大事にすることが分からない人の言うことを我々
は聞く必要はないのだ。
(引用終了)
おー、福山雅治も今、感動してます・・・(10秒)・・・良い文章です
ね、きみまろさん。いや、実篤さん。この、「自分の生命と他人の生命を大
事にすることを本当に知っている人だ。」なんだけど、本当〜にそうだよね。
そしてそんな人じゃなきゃ「僕が信用できる人」では、ない、よね。本当に
同意する次第ですし、感動しますよ感動。ああ、いいね!実篤さん。
「でしょ?」
って、お い ! ?
・・・ということで本日のお別れの曲
内田恭子で「あの素晴らしい愛をもう一度」
どうぞ・・・・
http://www.youtube.com/watch?v=vwlOw7TNcg0
お相手は(あくまでも)福山雅治でした。
それではみなさん、さようなら。
813
:
役行者
:2011/07/20(水) 11:52:59
福山さん〜
自分の生命と他人の生命を大切にする人!!
ならば生長過程の私には、人に法を説けないでごじゃるよ。
政治、経済、宗教界と、2世・3世が蔓延っている現在、自分に甘く、
人に厳しい方が結構いるいる・・・
自他共に、真に生命を大切に出来る方は、悲しみ、寂しさを知っている方
なのでしょうね。
ならば、どうする?今の日本、そして、現教団。
抜本的見直しが外から押し寄せてくる・・・内憂外患!!
814
:
「訊け」管理人
:2011/07/20(水) 12:25:03
>役行者さま
己が渡るよりも先に、他者を渡してさしあげる・・・
これぞ菩薩行
と、どっかに書いてありましたよね(ってすみませんw)一知半解ですが。
815
:
「訊け」管理人
:2011/07/20(水) 12:26:05
あっあれー、福山雅治=私であること
バレちゃいましたね(笑)あー実はそう・・・(中略)・・・なんですよ。
816
:
役行者
:2011/07/20(水) 12:52:31
私なんか、スレッド2の639にて、
>そのあとが伊達氏。この人はおそらくあの方で ありましょう わかる人にはわかる わからん人がほとんどでしたけどね
独眼竜 マサムネ 見参!!
まあ、初心者様にはバレバレでござる(*_*;
戦国大名を語り、いざ、出陣!
雅春先生に訊け管理人さまに至っては、私役行者の神通力にて、見破ったでござる(ノ^^)ノ
817
:
「訊け」管理人
:2011/07/20(水) 13:01:29
わたしの正体が実は歌って踊れるアイドルであること・・・
マジで内緒に願います。バレルとなにされるかわかったもんじゃ
ありませんので。
エコタイヤ、
よろしく。
818
:
「訊け」管理人
:2011/07/20(水) 13:11:50
危険なのであまり書きたくなかったんですが、
「大丈夫!」とのことなので書きます。
本流投稿中の山ちゃん1952さんですが、しびれますね。
819
:
「訊け」管理人
:2011/07/20(水) 13:19:22
山ちゃん1952さん
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=677
ちなみになにか、疑惑をもたれておりますけど・・・アッサリ白状しますと、
あれ、工作でもなんでもないのですよ(笑)
いやホント、あの瞬間になぜか(禁止されたIP○個分が)突如、開通した
んですよ。ですんでわたし、「おお本流殿、心が大調和したか」と思ったん
です。それであんな激励・賞賛文を書き込んだんですけど・・・「あれっ?!」
ていう(笑)
あの瞬間、なにが起こったんでしょうかね(笑)いやーやはり神想観は大行
です。なんせIP書き込み制限までも突破しちゃったんですから(笑)
追伸
まあ本流管理人殿・・・・・聡明だけど
あれはたぶん、
操作ミスです(笑)
※ どなた様かを「解除」されたんじゃないですか?そしてそのどなた様かを
解除したつもりになっていたのに、「よりによって」間違って、私を解除しちゃ
ったんでは?(笑)
820
:
義春
:2011/07/20(水) 14:13:14
>>819
ブログ管理人さま
まっ、自壊作用、自壊作用。
ホントに本流掲示板が怨霊の巣窟みたいになってきてますなぁ…観るのも止めとこうかな?と本気で見放しかけてます。
なんていうか、何も知らんのに、よく書けるよなぁ…と一寸、想ったりする。
821
:
初心者
:2011/07/20(水) 17:30:38
気がつかなかったのだが、不快感殿が、訊け管理人殿にあてて、
なにやら返信らしきものを書いておられるではないか。
しかも全文逃げ口上。
恥ずかしげもなく、よく書けるものだ。
穴熊が穴のなかで何やらほざいておる。
「穴から出てこい」といっても出てこない。
穴のなかから、「ボクは正義の味方だ〜」と
いう声だけが聞こえてくる。
言い訳じみたことばかり書きおって。
商人様のお見立てどおり、あれは男では
ないのかもしれぬな。
男なら、もうちっとは堂々としろよ。
相手にしないのが偉い?
相手にしたところで、どうせ君らに勝ち目はないのだから、
相手にしないというのは、たしかによい選択だ。
しかし、それは偉いのとは違う。
それはただの臆病というものなのだ。
822
:
初心者
:2011/07/20(水) 17:50:02
訊け管理人殿は、本流掲示板では自由な話し合いができぬから、
できる場所で話し合おうといっておられるだけだろう。
何をおびえておるのだ、あの連中は。
823
:
初心者
:2011/07/20(水) 19:08:38
くどいようだが、気になることがあるので書くことにする。
気になるのは、不快感殿の「私はお勧めしただけで、『対話』などとは言わなかったのに」
の一文だ。
退去は勧めたが、対話をしようとは言わなかった。
これはつまり、不快感殿は、退去を勧めれば、相手は黙って出ていくと考えていた、
ということか?
そうではないだろう。
こんなくだらんことを追求するために、あたしはくどくどと書いているわけではない。
「退去は勧めたが、対話をしようとは言わなかった」
この子供じみた言い方はどこかで聞いたことがある。
いうまでもなくそれは、20年前の副総裁の物言いだ。
あのときの副総裁の物言いに「そっくり」なのだ。
はっきりといま記憶がよみがえった。
不快感殿のパーソナリティーは、現総裁のそれにきわめて近いのだ。
現総裁がなぜ嫌われるのか、そのわけもわかった。
もしも不快感殿のようなパーソナリティーが身近に、しかもそれが
上司のような存在であれば、あたしはきっと堪えられないような気持に
なるだろう。
いまこうしてよみがえった、この苦々しい記憶の、その何十倍も何百倍もの苦痛を、
おそらく多くの人たちが抱え込んだまま、今日まで生きてこられたのだろう。
あたしにしたところで、不快感殿が総裁であれば、われを忘れて「追放」を
叫びたくなるだろう。
不快感殿は、リアルな感覚をもたらしてくれたようだ。
不快感殿の存在価値は、けっして小さくはないということだ。
824
:
義春
:2011/07/20(水) 19:29:58
>>823
初心者さま
それだから(ハリーポッターを習ってw)例のあの方は…雅宣総裁の愛弟子って書いたんですよ。選民思想とか色々な面で雅宣総裁によく似てらっしゃる…というか、本人か?というくらいにね。
まぁー…私は冷たい人間ゆえにフルボッコにしますが別の価値観の人と話せない人だろうと思ってますよ。
825
:
復興G
:2011/07/20(水) 20:17:00
> 800 初心者さま
ありがとうございます。
またまた亀レスになりました。
> 「天国よいとこ、いちどはおいで。酒はうまいし、ねえちゃんはきれいだ」というのがありましたが、実相世界でも酒は飲めるのでありましょうか。長身美形のおねえさまがたはおられるのでありましょうか。
──神様には御神酒を献げるのが祭りの行事であります。“サケ”は“栄える気”という意味だそうで、神様も御神酒を召し上がるのですから、神の国なる実相世界ではもちろん酒は飲めて、おいしいでありましょうね。そして、高天原ではアメノウズメノミコトが裸踊りをなさってるんですし、龍宮城では乙姫様が舞い踊っておられるのであります。高天原も龍宮城も、実相世界の別名でございますから、「ねえちゃんはきれいだ」どころではないと存じます。
> 神想観がある。たしかに神想観をしてみるという方法があるかとは思いますが、わたくしは、神想観につきましては徹底的に挫折しております。いまさらやれといわれても、無理でございます。
──そんなことは心配ご無用、神想観をする必要は全くございません。神想観してもしなくても、今此処天国、極楽浄土なのでございます。「生命の実相は自性円満(そのままでえんまん)」と教えられております。「そのままで」というのは「神想観してもしなくても」ということでございます。神想観しなければ、自覚しなければ現れないようなものは完全円満ということはできません。そのままで「今此処天国 極楽浄土」なのですから、「バンザイ!!」とただよろこべばよいのでございます。その、よろこぶ行が神想観なのでございます。
初心者さまは、かつて“本流宣言”の方で<大所高所 (2374) 日時:2011年06月02日>
「感謝の心を持つこと。これが誰にでもできる、神の流出を正しく受け止める方法なのです。感謝によって神の流出を正しく受け止めることができれば、完全円満な調和した世界があらわれてくる。このことを雅春先生は説いてくださっておられるのです。」
とお書きになっていたではありませんか。私はそのお言葉を注目して、ちゃんとログを保存しておりますぞ。
わかっていらっしゃるのに、というか、わかっていらっしゃるからこそ、われわれに「公案」として試験問題を出されたのでございますね。
私の解答には合格点が頂けますでしょうか、おそれながらお伺いを申し上げます。
826
:
初心者
:2011/07/20(水) 20:19:41
たしかに、義春殿がこのようなことをいわれておりましたな。
20年ぶりに記憶がよみがえり、リアルな体験となりましたわ。
本流には近づかぬほうがよさそうですな。
827
:
初心者
:2011/07/20(水) 22:04:33
復興G様、ありがとうございます。
もちろん「感謝をすれば」の一文は覚えておりますとも。
ただ、神の流出を受け取る方法はひとつではなく、いくつもあるようです。
そのなかで、生長の家のみなさまにいちばんわかっていただき易いのが、
「感謝」ということだろうと思います。
じつは、これを書いたあとで、こちらの掲示板にも書いておりますように、
「実在宇宙」、これをわたくしはドリームタイムと呼んでおりますが、これを
発見いたしまして、神の流出とは、ドリームタイムからの流出、つまりは
ドリーミングではないかと考えるようになったのであります。
それと、神の流出という言葉も、生長の家のみなさまにわかっていただき
易いようにと選んだ言葉でありまして、個人的には「一者の流出」という
言葉を使っておるのであります。
「一者の流出」とは、少し前にこちらに書き込みいたしました、ヘルメス思想の
精髄ともいえる考え方でありまして、ヨーロッパの神秘思想は、その源流を
たどると、ほとんどがヘルメスの「一者の流出」にたどりつくようであります。
それで、「一者の流出」は錬金術師たちによって研究が続けられてきたので
ありますが、近代になって、心理学者のユングが、錬金術の研究から、
「一者の流出」の受け止め方を発見したのであります。
それをユングは、個性化、あるいは個体化と呼んでおりますが、説明をすると
長くなりますので、またの機会にゆずることにいたしまして、ユングの研究を
継承する形で、錬金術をオカルト的に解釈したのが、ルドルフ・シュタイナーで
あったのです。
シュタイナーは、「一者の流出」を受け止める器として聖杯(グラール)を考えました。
心のなかに聖杯をつくることで「一者の流出」は受け止められる。このことに
気づいたのであります。そして聖杯をつくり出す方法が、感謝であり、日時計主義の
実践であったということです。
それでわたくしが「大所高所」で紹介いたしましたのが、シュタイナーの錬金術なので
ありました。ところが、ではわたくしがシュタイナーの方法を実践しておるのかといいます、
これは実践しておりません。実践はしておりませんが、生長の家のみなさまに紹介する
には、これがいちばんよい方法だろうと思いまして、この方法を紹介いたしましたの
であります。
ではわたくしは、何も実践していないのかというと、そういうことではなくて、
じつはこちらでたびたび引用いたしておりますアーノルド・ミンデルこそがユングの
方法を受け継いでおりまして、ただそれは、ユングの方法とはまったく似ても似つかぬ
方法であり、なかなか気づきにくいのでありますが、わたくしの見るところでは、
ミンデルの主張するドリーミングこそが、ユングのいう個性化、あるいは個体化の
方法ということになってくるのであります。
それでわたくしは、「実在宇宙」の発見よりこちら、さらにドリーミングにのめり込みまして、
じつはドリーミングは、ここ4年ぐらいずっと、「一者の流出」を受け止める方法として
ドリーミングに関心を持っており、それがここにきて、さらにのめり込むということに
なってきまして、ですから、わたくしの「一者の流出」を受け止める方法は、感謝ではなく、
ドリーミングの自覚ということになってくるのであります。
ドリーミングという言葉を使っても、生長の家のみなさまにはわかりにくいのであります
から、シュタイナーの聖杯に近い方法として、感謝ということを使って、「一者の流出」、
つまりは神の流出の受け止め方の方法を紹介させていただいたような次第であります。
828
:
復興G
:2011/07/20(水) 22:14:32
> 800 初心者さま
追伸です(長鳴鳥の鶏鳴4号になるでしょうか)
> ・・・・わたくしはたしかに、真理を思えば、たちまちにしてハッピーになることができます。これはもう20年近くも続いております。しかしおそらく、このハッピーな気分と、実相世界における喜びとは、またかなり違ったものであるかとも考えます。このあたりにつきまして、復興G様が思われるところをお聞かせねがえれば、ありがたく存じます。
実相世界は常に今此処にあり、遠くにあるものではございません。感謝の思いでハッピーになられれば、それはそのまま実相世界におけるよろこびそのもの以外の何ものでもないと存じます。
なお、私は以前、「基本的神想観」は面白くないと思ってたときがありました。それが、今は面白くなりました。
なぜかというと、「神の無限の生かす力わが内に流れ入る流れ入る・・・・・・」と念ずるときに、わが肉体に流れ入ると念じたのでは面白くなかったんです。それが、「肉体はなかったんだ、自分はなかったんだ。すべてが自分だったんだ」と思って、まずは「家内のうちに流れ入る・・・・満たされている、生かされている・・・・もはや家内は自分の力で生きているのではない。神のいのちがここにありて生き給うている。家内は神にまします」というように念ずることができるようになったとき、以前よりも格段に神想観が面白く楽しくなってきた。そして夫婦円満大調和になった、という体験があります。
で、今私は、生長の家現総裁に対しても、同様にして
「神の無限の生かす力谷口雅宣総裁のうちに流れ入る流れ入る・・・・満たされている、生かされている・・・・もはや総裁は自分の力で生きていらっしゃるのではない。神のいのちがここにありて生き給うている。総裁は神にまします」というように念ずることを実行してるんです。
アホか! とおっしゃる方があるかも知れませんが、私は村上和雄先生がおっしゃるように、アホな祈りをつづけたい。
「世界で起こる問題の原因は、私たち自身にあります。そして、その解決も、また私たち自身から始まるのです。世界を変えるのに必要な力は、あなた自身にあるのです」
とも、おっしゃっています。
「奇跡を呼ぶ100万回の祈り」を重ねて、天の岩戸開きの準備をしましょう。
それが、『教団で起きているゴタゴタは、谷口雅春先生がわたくしたちに示された禅の公案です。雅春先生は、こんにちの事態をすでに予知しておられたはずです。それを承知の上で世襲制を承認し、わたしたちに公案として残して行かれたのではないですか。弟子として恥ずかしくない答えを出しましょう。』と初心者さまがおっしゃった、公案への答えになるのではないかと、私は考えているのです。
829
:
復興G
:2011/07/20(水) 22:37:16
> 827 :初心者様
すれ違いになりましたね。
> 神の流出を受け取る方法はひとつではなく、いくつもあるようです。そのなかで、生長の家のみなさまにいちばんわかっていただき易いのが、「感謝」ということだろうと思います。
神の造り給うた実相世界は、無限の多様性を秘めているのですから、神(一者といってもよろしいでしょう)の流出を受けとる方法も当然ひとつではなく、多様であってしかるべきでしょう。無相であって無限相、自由自在なのが神であり仏(ほどけ)であるのですから。だから面白いのではないでしょうか。
830
:
初心者
:2011/07/20(水) 22:42:07
復興G様
前回の投稿はかなり錯綜しておりますが、これは、これまでは、実相世界と
現象世界のふたつの世界の関係について考えておればよかったのですが、
ここにドリームタイムという言葉があらたに加わってまいりまして、
ドリーミングの定義が大幅に変わってきたのが原因であります。
以前は、ドリーミングを実相世界からの流出と理解しておりましたが、これは
つまり、ドリームタイムとは実相世界のことだと理解していたということなので
あります(ドリームタイムイコール実相世界でありますから、ドリームタイムという
言葉を使う必要がなかったのであります)。ところがここへきて、実在宇宙、
つまりは今の宇宙の発見により、ドリームタイムは、実相世界ではなく実在宇宙のことだと
ようやく気づいたのであります。
これにより、実在宇宙発見以前に書き込まれた「大所高所」の内容につきましても、
本来であれば変更せねばならないところなのでありますが、意味としては十分に
通用いたしますので、こまかな変更は見送ることにいたしまして、そのために、
前回の投稿文にいくらかわかりにくいところが出てくることになったような次第で
あります。
これはいってみれば、わたくしには経験のないことでありますが、新しい彼女と
歩いていると、以前の彼女とバツタリ出会い、話しかけられて右往左往している
ような状態なのであります。なかなかに説明がむつかしく、語句の説明にいささか
の混乱があるような次第であります。
それと実相世界でありますが、酒が飲めて、長身美形のおねえさまがおられる
のであれば、いうことはありません。ただひとつ疑問があります。わたくしが
考える現象世界には、見せかけの現象世界と真の現象世界のふたつがあります。
真の現象世界がドリームタイムであります。
現象世界と実相世界が相似形であるとするなら、実相世界にも、見せかけの実相世界と
真の実相世界のふたつがあるはずであります。もしもそうであるのなら、わたくしは、
復興G様のご説明に納得いたしますが、そうでなければ、納得しがたいということに
なってまいります。難しい質問だとは思いますが、実相世界にも、見せかけの世界と
真の世界のふたつがあるのかどうか、いかがでありましょうか。
831
:
初心者
:2011/07/20(水) 23:01:37
復興G様
神想観にいたしましても、ドリーミングの自覚にいたしましても、流入、あるいは流出を
観じるということでは、共通点があるかと存じます。つねにハッピーでいられるという
ことは、つねに神想観をしているのと同じことであるとこれまで考えてまいりました。
復興G様より、それもまた実相世界のよろこびであるといっていただき、わたくしも
たしかにそうだと思いますので、迷わずこのままの道を進むことにいたします。
公案の答えはひとつではなく、各人がそれぞれに出すものであると心得ます。
復興G様は、アホ力を存分に発揮されて、弟子の名に恥じぬ答えを出さねばなりません。
わたくしはわたくしで、弟子として、雅春先生に顔向けできる答えを出さねばなりません。
掲示板で悪戦苦闘しておりますが、あれやこれやともまれたことで、以前よりはだいぶ
マシな状態になってきたと思います。
復興G様ほどに心は定まってはおりませぬが、ドリーミングの力でなんとかできそうな
気がいたします。ドリーミングもまた、広大無辺の大真理なのでございますから。
832
:
復興G
:2011/07/20(水) 23:07:39
> 830 :初心者様
> 実相世界にも、見せかけの世界と真の世界のふたつがあるのかどうか、いかがでありましょうか。
まことに難しい質問でありますね。
私は、実相世界に見せかけの実相世界と真の実相世界のふたつがあるとは思っておりませんでした。しかし、谷口雅春先生は『古事記と現代の預言』で、
「天照大御神が岩戸隠れなさったとき、高天原も暗くなった。これは、高天原は実相世界ですから永久に暗くなることはないのですが、見る人の心の秩序が顛倒(てんどう)して心が暗くなれば、どんなに光明遍照の実相世界でも暗く見えます。それは悟りをひらいた人には、この世界は「唯心所現の世界」即ち心の想いが展開した世界だとわかりますが、悟りのひらいていない人には、この世界が物質の塊の暗黒世界だと見えるようなものであります。」
と書かれていますから、そういうこともあるのかと、びっくりしました。私は実相世界を全部見てきたというわけではないので、わかりませんが、谷口雅春先生がそうおっしゃっているのだから、そうなのだと思います。
833
:
初心者
:2011/07/21(木) 10:11:26
復興G様、ありがとうございます。
実相世界はふたつあるのか。たしかに難しい質問をしてしまいました。
答えはとうぶんこないだろうと、勝手に思い込んでおりましたが、さっそく
ご返事をいただきまして、復興G様がいかに熱心な雅春先生のお弟子様で
あられるのかということを、深く感じ入った次第であります。
引用していただきました『古事記と現代の預言』のご文章を拝見して、まことに
おこがましい言い方ではありますが、実相世界についてようやく納得できたという
思いであります。実相世界もまた心が展開する世界である。このことをようやく確認
できました。
これもすべて、復興G様のおかげでございます。
それにいたしましても、適材適所に雅春先生がお書きになられたご文章を引用なされる
というのは、さすがに筋金入りの信徒でなければできぬことであります。
そのような方から、こうして直接ご指導いただけましたことは、まさに望外の幸運以外の
なにものでもなく、これもまたネットならではの功徳であることを再認識させて
いただきました。
実相世界については、これまでの認識をあらためることにいたします。「ココケッコー」の
鳴き声が、なんとも心地よく聞こえくるではありませぬか。
まだまだ、ほかの点についても疑問はありますが、いずれ機会をもうけていただき、ご指導
いただければありがたく存じます。
834
:
復興G
:2011/07/21(木) 10:46:09
>833 :初心者様
どうぞお手柔らかにお願い申し上げます。
835
:
初心者
:2011/07/21(木) 11:35:48
復興G様
「感謝はやっていない」と書きましたが、それでも、ごくたまにではありますが、
わけもなく、まるで感謝の惑星にでもワープしたかのような、そんな心境になる
ことがあります。
自分の周囲がぜんぶ感謝なのです。そんな状態になることがあります。べつに
感謝しようと思っているわけではありませぬが、なぜかしら、惑星的ともいえる
感謝状態に陥ってしまうことが、ごくたまにあるようです。
それとわたくしは、物事をシャカリキになって実現しようとはいたしません。
このあたりは、復興G様のいっておられるアホ力(あほか、ではありません。
「あほぢから」と読んでください)に近いものであるのかもしれませぬが、
これは、わたくし的には、これは「無為自然」ということになるのであります。
無為自然とは、生長の家的にいえば、「わがわざはわがなすにあらず」であります。
だいたい物事は、ボーッとしているあいだに実現してしまうようなのであります。
かの道元は「諸仏の大道、究尽するところ、透脱なり、現成なり」と、究極の悟りの
境地を語ったといいます。
「透脱」とは何も考えずにボーッとしているということであり、これが無為自然で
あります。シャカリキになって物事を実現しようとしても、なかなか実現するものでは
ありません。
わたくしは、最初はとにかくジタバタいたしますが、ある時期をすぎると、ジタバタをやめて、
ボーッといたします。ボーッとしているあいだに、物事は実現してゆきます。これが「透脱なり、
現成なり」であります。
今回のドタバタにいたしましても、わたくしは、部外者でありながら、これまでずいぶんと
ジタバタしてまいりました。復興G様のおかげで、どうやらそれも落ち着き、無為自然のままに、アホ力を発揮できる段階に達しつつあるような気がしてまいりました。
わたくしは、わたくしの周囲で、できる範囲でアホ力を発揮することにいたしましょう。
それが無為自然というものであります。
それにいたしましても、このたびは、復興G様に大変なお手間をとらせてしまいました。
過去の記事を読んでいただいたようで、それは大変に根気のいる作業ではなかったかと、
いまさらながらに、復興G様の誠心(まことのこころ)を実感させていただいておるような
次第です。
真理において、生半可な心では人と接しない。それが復興G様のご信条であることを
知りました。このような方が、いまだ生長の家におられることを知り、未来への希望を
確信したのは、おそらくわたくしだけではないと考えます。
836
:
復興G
:2011/07/21(木) 12:31:51
> 835 :初心者様
初心者さまの前記ご文章を拝読し、なんだか訳もなく涙がこみ上げてまいりました。年ですね。
ありがとうございます。
> 「感謝はやっていない」と書きましたが、それでも、ごくたまにではありますが、わけもなく、まるで感謝の惑星にでもワープしたかのような、そんな心境になることがあります。自分の周囲がぜんぶ感謝なのです。そんな状態になることがあります。べつに感謝しようと思っているわけではありませぬが、なぜかしら、惑星的ともいえる感謝状態に陥ってしまうことが、ごくたまにあるようです。
──それ、最高ですね。感謝というのは、しようと思ってするものではなく、おのずから湧いてくるのが本当の感謝でしょう。
> わたくしは、最初はとにかくジタバタいたしますが、ある時期をすぎると、ジタバタをやめて、ボーッといたします。ボーッとしているあいだに、物事は実現してゆきます。これが「透脱なり、現成なり」であります。
それ、最高です! 「み業は神が為し給う」 ですね。
それで行きましょう!
837
:
トキ
:2011/07/21(木) 20:05:42
いつも素晴らしいご投稿をして下さり、深く感謝申し上げます。
ところで、最初に建てたこのスレッドが835を越したのですが、そろそろ「信仰/体験板」
スレッドをアップしようと思います。このスレッドはそのまま残りますが、1000越しても、
更新をしない、という方針で行くつもりです。
そのスレッドの趣旨としては、ここと同じく、信仰や体験などをテーマにして、運動などは
書かない方針でいます。
いきなり建てたら驚かれるので、予告してからアップします。数日内で建てる予定です。
では、宜しくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
838
:
初心者
:2011/07/21(木) 21:30:16
トキ様、了解いたしました。
839
:
トキ
:2011/07/26(火) 11:36:08
このスレッドが使われないままなので、マイナーなネタを一つ。
ある好青年が、いきなり「生長の家に入りたい」と言って、教化部に来られました。
私が担当になり、いろいろと組織内でお世話をさせていただきました。
さて、しばらくしてから、その青年が「トキさん、実は申し上げなければいけない
事があります。」と言い出します。「何ですか?」と質問をすると、その青年曰く、
「実は、私は統一教会の幹部で職員なんです。生長の家をスパイしにきていました。」
というので、仰天。何でも、他の宗教を調査するため、生長の家を始め、いくつかの宗教
をかけもちでしていたというからスゴいです。それが、いつの間にか洗脳が解けたらしく、
「もう統一教会は止めます。ですから、脱会するのを手伝って下さい。」と
言われ、同時に、今までの行為を細大漏らさず話してくれました。ついでに、今まで調査
したいろんな宗教のネタも話してくれたので、面白かったです。でも、統一教会のやって
いる事は笑える事ばかりではありませんでした。彼は、オウムまで潜入した経験があると
話していました。
どうも、聞いていると、彼だけでなく、多数の統一教会の活動者が身分を偽って各種の
団体に潜入しているようです。で、たまに、彼のように途中で洗脳が解けて、自分から自首
するケースがあるようです。実際、生長の家でも、他にあったみたいです。
その後、彼は、生命の安全のため、他府県にすぐに移転し、連絡が切れました。
どうしているのでしょうね。
合掌 ありがとうございます
840
:
義春
:2011/07/26(火) 13:20:05
>>839
トキさま
元気にしていたら良いンですけど。
にしても、ホントにめんどくさい連中ですよね、アイツ等。
841
:
復興G
:2011/07/26(火) 16:30:19
──<村上和雄著『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』より(1)>──
プロローグ 東日本大震災が私たちに提示したもの
あの日から、「何かが変わった」と感じている人は多いのではないでしょうか。
2011年3月11日。私たちは未曾有の大地震、大津波、原発事故の同時発生という、世界の歴史の中でも稀な大惨事に見舞われました。
その瞬間まで、誰もが当たり前のように享受していた「日常」が文字通り崩れ去ったのです。慣れ親しんだ風景が一変し、身近な人や物を失い、残ったのは瓦礫の山。21世紀の日本で、そんな世界が現実のものになるとは誰が想像したでしょう。
大震災から1ヵ月が過ぎても、マグニチュード6クラスの余震が続き、多くの人が避難所暮らしを余儀なくされ、行方不明者の捜索もままならない。そして原発事故収束の見通しもまるで立たない。
本書は、そんな状況の中で書き始めなければなりませんでした。
果たして、今、こうして目の前に起こっている現実は何なのか。それに対して何ができるのか。ひとりの科学者として、そして人間として、何か言い表しがたい「大きな問い」を突きつけられているように感じました。
科学者の本分で言うならば、現状を冷静にとらえ、データを分析し仮説をたて、さまざまなエビデンス(証拠)を集めて、正しい知見を出すことが仕事です。
しかし、今回の大震災は、そういった人知の及ぶ範囲ではない、もっと根源的な答えを考えなさいと言われているような気がしてならないのです。
それは、別の言い方をすれば「目に見えるものだけではなく、目に見えないものも含めて考えなさい」ということなのかもしれません。
───────────────
(つづく)
842
:
復興G
:2011/07/26(火) 16:46:23
──<村上和雄著『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』より(2)>──
私の専門は生命科学、遺伝子研究ですが、科学者だから目に見えるものだけを相手にしているのかというと、実はそうではありません。
生命の設計図と呼ばれるDNA(デオキシリボ核酸)を解読し、その働きが理解できるようになっても、そもそもなぜ、そのようにDNAが振る舞い、エネルギーを使って細胞をつくり続けるのかは「見えない」のです。そうした、一見、見えないけれど確実にある何か、そうしたものを無視して、今回の大震災が私たちに提示した「大きな問い」に答えることはできないのではないか、私はそう思っています。
そのようなことを言うと「科学者なのに科学的でない」「論理的整合性があるのか」とおかしなものでも見るように批判されたり、あるいは心配をされるかもしれません。しかし、実は科学の歴史においても、画期的な大発見や大発明は「科学的でない」ことがキッカケになっていることがたくさんあるのです。
毎日毎日、思うような結果が出ない実験に疲れ果て、半分、気晴らしのように違う材料を混ぜてみたら思わぬ物質が出来上がった。そんな偶然や失敗から成果が生まれるケースは科学の世界ではザラにあります。かの有名な世界初の抗生物質ペニシリンの発見も、細菌学者フレミングの雑然とした実験室で放置されていた黄色ブドウ球菌の培地に、たまたまアオカビが繁殖し、そのカビの周囲だけ細菌が生育していないことに気づいたことによるものでした。
こういった、科学らしからぬ成果を「ナイト・サイエンス(夜の科学)」と呼びます。これに対して、論理的で計画的な科学的方法に基づいた「デイ・サイエンス(昼の科学)」と呼ばれるものだけが科学ではないのです。むしろ、どちらか一方だけでも、現在の科学は成り立たないでしょう。だからこそ、科学者は「偶然」のように思えることも含め、より多くの物ごとに謙虚に向き合わなければなりません。
───────────────
(つづく)
843
:
復興G
:2011/07/26(火) 16:51:02
──<村上和雄著『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』より(3)>──
実は、私個人も、震災前にそのような思いを新たにする経験をしていました。
それは奇しくも、大震災の前年、2010年の秋。私は脳梗塞を起こし、病床に伏していたのです。
50年にも及ぶ生命科学の研究の経験から、「命」の尊さを、私はそれまでも知っているつもりではありました。多くの著作で、講演で、そのことを語ってきました。
しかし、自分が病を得て、私は初めて気づいたのです。
それは、命の尊さを「頭で理解していただけだった」ということに。つまりそれは、命というものをいろんな角度から見ているようでいて、目に見えるものしか「見ていなかった」ということと同義だったのです。
自分の命、そして今回の大震災で失われた多くの命。どちらも本当に尊いものです。これだけ科学や技術が進歩しても、そして世界中のお金をつぎ込んでも、私たちは命のもとになる細胞一個すらつくりだすことはできない。そのょうなすごい細胞が約60兆個もそろい、それぞれの役割を持ちながらお互いにきちんと調和して、この命を動かしているのです。
まさに奇跡といってもいいぐらいです。
私はよく「ひとつの命が誕生するのは1億円の宝くじが100万回連続で当たるのと同じぐらいの確率なんですよ」ということをお話しします。
これは、生物学における世界最高レベルの賞「ダーウィン・メダル」を日本人で唯一受賞された遺伝学者の木村資生先生がおっしゃっていたことです。
そんな奇跡の集合体である命を自分は持ち、さらには「生かされている」ということを病気を通して気づき、また今回の大震災によって覚醒させられた思いがします。
まさに「有り難い」命を持ち、生かされている私たちが、ただただ悲嘆に暮れていたり、何も考えず無為のうちに過ごして良いはずがないのです。それこそ亡くなられた方々に申し訳が立たないでしょう。
どんな物ごとにも、目に見える面と見えない面があります。今回の震災でいえば、未曾有の被害、さまざまな混乱というものは目に見えます。そして、私たちは、その目に見える部分で嘆き悲しみ、無力感や絶望感を持ち、目に見える世の中のインフラや機能が回復してきたことに希望を持ちます。これは、当たり前のこと。ですが、もう一方の「見えない面」にも意識を向けるべきではないでしょうか。
日本人は、本来目に見えないことを大切にして、何か行動するときには森羅万象を慮(おもんぱか)る心を持って生きてきました。自然の恵みを育む太陽を「おてんとうさま」と敬い、おてんとうさまに恥ずかしくないように、と生き方を律して、何かの恩恵を受けても「おかげさま」と感謝する。そうした、見えないものへの畏敬の念を、特別な祈りの中だけでなく、日常の中で持ち続けてきた民族だったはずです。
その日本人が、目に見える経済効率やシステム、技術といったことばかりに重きを置いた営みを送ってきた中に起こった今回の大震災。
これは、そうした日本を憂う、大自然からの何らかのメッセージだと思えてならないのです。
私たちは、目に見えない大切な何かを置き去りにしてきてはいないか。そのことを今回、私は意外なところからも気づかされました。
現代はインターネット社会です。日本で起こった大震災とその被害の詳細は、瞬く間に世界中を駆け巡りました。すると、こんなメッセージがインターネット上で飛び交い始めたのです。
「Pray for Japan」── 日本のために祈ろう。
写真で、ツイッターというメッセージブログで、世代も国境も宗教も超えて、世界中から届けられた「祈り」の言葉。これまでにも世界では、さまざまな災害や危機がありましたが、こんなにもひとつの国のために「祈りのリレー」が行われたことはかつてなかったことでしょう。このような状況で、直接被災者に届かないかもしれない、しかしそれでも、祈らずにはいられない。そんな何とも形容しがたい思いや気持ちが、世界中から伝わってきたのです。それは、本当に魂がふるえるような出来事でした。
と同時に、その思いに感応するように「今こそ頑張らなくては」「何か自分にやれることを始めなければ」「もう一度、我々本来の姿に立ち返らなければ」という気持ちのスイッチが多くの日本人に入ったのも事実です。
震災では、目に見えるものが破壊され失われましたが、同時に「目に見えない大切なもの」が自分たちの心の中に残っていると多くの人が気づいたのです。
それは、先ほど触れたように、日本人が本来持っていた豊かな精神性の灯りに再びスイッチが入れられたことで、照らし出され見え始めた瞬間だったのかもしれません。
───────────────
(つづく)
844
:
復興G
:2011/07/26(火) 17:43:22
──<村上和雄著『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』より(4)>──
第1章 今、「祈り」が必要な理由
文字通り、世界を震撼させた今回の大震災。激しい揺れのさなか、心の底から「早くこの揺れがおさまってほしい」と、思わず念じた人は多かったのではないでしょうか。
何か想定外のことが起こったときの、とっさの祈り。
それは、誰に教えられたわけでもなく自然にわき上がってくるものです。太古の昔から、私たち人間は、そのような祈りとともに生きてきたといってもいいと思います。
では、いったい、この「祈り」とは何に向けられたものなのでしょうか。そして、なぜ私たちは祈るのでしょうか。
あの地震が発生したとき、東京都内にいたある知人女性は、
「本気で祈ったのは、あの地震の日が人生で初めてだったと思います」
と話していました。
この女性は、昭和46年(1971年)生まれ。つまり、日本が高度経済成長を遂げるさなかに育ち、物質的な不自由さを味わうという経験をしていない世代です。
彼女は地震発生時、都内の自宅の近くにいたため、帰宅困難にはなりませんでしたが、すぐに家族と連絡を取ろうとして、まず、携帯電話が通じないことに気がついたそうです。
彼女には、知的障害のある妹がいます。その時刻は、都内の勤務先にいるはずですが、交通機関がマヒした状態で妹がどうやって帰宅すればいいのか、それが、彼女の最大の心配事でした。このような状態で混乱して、怖い思いをしていないだろうか。不安と心配が急な夕立の雲のようにわき起こってきました。
今すぐ連絡を取りたい相手と連絡が取れない。
「生まれた時から電話があることが当たり前の生活をしていますから、『連絡が取れない』なんて想像したことすらありませんでした。連絡が取れない、と分かったとき、無意識に取ったのが『祈る』という行動でした。それしかできなかった」
テレビの画面では被災地の惨状とともに、都心で帰宅困難になった人の群れが上空から映し出されていました。彼女は通じない携帯電話を握り締めながら、画面を見つめ膝を祈って「無事に帰宅してほしい」と願い、祈り続けたといいます。
果たして、彼女の祈りはきちんと通じていました。
日付が変わろうか、という頃になって、ようやく妹は、大渋滞の中、勤務先の先輩が送り届けようと自分の車に乗せてくれていたことが分かったのです。
彼女は言います。
「妹の無事を知って思ったんです。電話もない時代に暮らしていた人たちは、こうやって身近な人たちのことを思い、祈っていたのかもしれないなと」
この出来事は、大震災が多くの人々にもたらした苦難の、ほんのわずかな部分かもしれません。けれども私は、このとき同じように日本中で、いや世界中で、多くの人の無事を祈る思いが飛び交っていたと感じました。
人には、「祈ることしかできない」というときが必ずあります。
ともすれば、現代では、そうした状況は人間としての無力さの表れのように思われがちですが、それは違います。
人は、無力だから祈るのではなく、祈りには思いもよらない力があるから祈るのです。
太古から、人間はそうした力を知っていて、本当に苦しいときに、まさに祈りの遺伝子のスイッチがパチンと入るようにできているのです。
祈りには力がある。そして、そのことを私たちは遺伝子レベルで受け継いでいる。そうでなければ、誰に教えられたわけでもないのに、「祈る」という行為をいちばん大切なときに行うでしょうか。
プロローグでも触れましたが、人間は奇跡ともいえる細胞のバランスで成り立っています。人間の中に備わっているもので、無駄なものは何ひとつとしてないといっていいでしょう。これは遺伝子レペルでも、同じです。だとしたら、「祈り」という無意識にとってしまう行為は、人間という生物にとって最初から組み込まれている大切な働きと考えたほうが自然かもしれません。
───────────────
(つづく)
845
:
初心者
:2011/07/27(水) 12:09:44
復興G様、ありがとうございます。
わたくしは、べつの掲示板でも書きましたように、祈りは苦手です。
こういうことを書きますと女性蔑視とも受け取られそうでありますが、
祈りとは女がやるものだとしいう考えからどうしても抜け出すことが
できないのであります。
このあたりが弱点なのであります。べつの掲示板で、メルクリウスを引きあいに
出して書きましたように、人間の究極の目標が両性を具有することであるのは
わかっているつもりでありますが、しかしどうしても、祈りは乙女の仕草だという
観念が支配的となり、祈るということができないのであります。
青年会では、男子青年と女子青年はつねに対立しておりました。
対立といっても、それは活動だけにかぎるもので、それ以外のときは、
わたくしが率先して女子青年とは仲良くさせていただいておりました。
活動のなかで、女子青年は、つねに「祈り」を前面に押し立てておりました。
それに反発する男子青年は、祈りを拒否し、力づくの活動を実践していた
ように思います。
わたくしは、手前味噌ではありますが、その力ずくの活動を主導していたのが
自分であったと考えております。
このときの体験がベースとなって、祈るという行為には徹底した嫌悪感を
もよおします。実相世界にたいする嫌悪感は、復興G様のご愛念によりまして
すでに解消いたしました。しかし祈りにたいする嫌悪感は、確固とした体験が
ベースになっておりますので、それはさらに強固な嫌悪感となって、わたくしの
なかに巣くっておるのでございます。
復興G様。どうかわたくしのこの気持ちを理解してやってくださいませ。
846
:
復興G
:2011/07/27(水) 18:54:55
>845:初心者さま
合掌 よきテーマをお与えくださいまして、ありがとうございます。
>祈りは乙女の仕草だという観念
──「乙女の祈り」というピアノ曲が思い浮かびました(笑)。
考えてみれば、たしかに「祈り」は「内向き」「受動的」で、「力づくの活動」は「外向き」「能動的」だと言えますから、「祈りは乙女の仕草」だという観念は、外れてはいないかも知れませんね。
しかし、私はこう思います。
「力づくの活動」は、内から突き上げる思いがあるから、パワーが湧き出て、それが出来る。
その「内から突き上げる思い」は、一種の「祈り」であると言うことが出来る。「祈り」は「生宣り」、すなわち生命のそこから湧き出るコトバ、思いであると言われますからね。
祈りと行動は、別々のものではなく、一つなのではないでしょうか。私においてはそうなのですが、初心者さまは
「祈りにたいする嫌悪感は、確固とした体験がベースになっております」
とおっしゃっているのは、どういう体験なのでしょうか。お伺いしたいと思います。
847
:
初心者
:2011/07/27(水) 22:58:59
復興G様
わたくしの気持ちを理解していただいてありがとうございます。
>祈りと行動は、別々のものではなく、一つなのではないでしょうか。私においてはそうなのですが、初心者さまは
わたくしは、いまだ祈りとは何かということがわかっておらないのだと思います。
「祈る」というと、どうしても教会のチャペルにひざまずく乙女の姿を連想してしまいます。
自分のなかからこみあげてくる思いはもちろんありますが、これが祈りだと感じたことは、
残念ながらありません。こみあげてくる思いと教会の乙女の姿とは、どうしてもむすび
つかない。固定観念というものなのでありましょうか。祈るという姿に、抵抗を禁じえない
でおります。
>「祈りにたいする嫌悪感は、確固とした体験がベースになっております」
とおっしゃっているのは、どういう体験なのでしょうか。お伺いしたいと思います。
体験とは青年会での活動です。わたくしは、活動のなかで、とにかく成果をあげる
ということを考えておりました。目標を立ててそれを実現する。これを当然のことと
考えておりました。
ところが実際に活動をしてみると、最初に戸惑ったのが、女子青年が非協力的だと
いうことであったのです。こちらが計画を立てて示しても、相手にしてもらえないのです。
計画そのものに興味を示そうともしません。
それでも、地元の単位青年会の女子青年は協力的でした。わたくしがどんなにわがままを
いっても、じっと堪えて協力してくれました。しかし、教区単位の活動となると、単位青年会
の女子青年は出てきません。教区の女子青年を相手にしなくてはならなくなります。
ここで協力をとりつけることができなくなってしまうのであります。どうして協力してもらえ
ないのか。その理由がやがてあきらかとなりました。祈ること。これが理由であったのです。
「祈ればいい」。こんな言葉をなんども聞かされました。具体的な計画を立てる必要もない。
祈ってさえいればことは実現する。教区の女子青年は、こうした考え方に基づいて行動して
いるようでありました。
男はこういうやり方には満足できません。計画を立ててそれを実現する。それが男の
よろこびなのであります。祈って実現させる。そんなやり方など、とうてい受け入れら
れぬ。それが男子青年すべての考え方であったと思います。
相手の考え方を受け入れられないのは、女子青年もおなじでありました。男子青年の
やり方は受け入れられない。それが彼女たちの考え方であったのでありましょう。
反目がつづきました。わたくしは、祈るということが嫌いになりました。だんじて祈りは
せぬ。そうなのです。わたくしは、だんじて祈りたくはないのです。
848
:
復興G
:2011/07/28(木) 20:26:26
>847 :初心者様
実は私も、最初から祈りが好きだったわけではありません。
私もかつて、高校2年生の終わり頃まで、目に見えるものだけが信じられるものであって、目に見えない神とか仏とかを信じて祈る人というのは少し頭の足りない人だろう、あるいはもう棺桶に片足つっこみかけたような年寄りが、「死んでも命がありますように」と、溺れる者が藁をもつかむような気持ちで祈るなんて、「死んだら命はないに決まっているのに、ばかばかしい」ぐらいに思って、信仰心を持つ人を軽蔑する思いをもっていました。
ところがある日突然、天地がひっくり返るような、観の転換が起こったのです。見えるものは夢まぼろしのように、本当にあるものではなく、むしろ目に見えないもの、生命的・霊的なものこそが実在するのではないかと。
そして、本当の「祈り」というのは外なる何ものかに泣きつくことではなく、内なる生命の声を聴くことだ、ということを谷口雅春先生から学びました。
ところが、「神想観をせよ。理屈で、頭で考えたってだめだ、神想観しなければ生長の家じゃない、神想観しなければ救われない」などと言われると、私は猛反発しました。「それじゃ、谷口雅春先生が生長の家を創始されるまでの人たちは救われることが出来なかったのか? 神とは、そんな不完全なものしか作れなかったのか」と。
だから、私も神想観は嫌いで、苦手でした。「生長の家は“ねばならぬ”という束縛から人間を解放する」と言いながら“神想観はせねばならぬ”というのは矛盾している、と思いました。
『生命の實相』は第1巻から第8巻までが特に基本真理が説かれていて重要だと言われますが、私にとって一番コミットするのは第7巻「生活篇」で、その他の巻は退屈でした。「生活篇」を読んで心を躍らせ、がんばっていました。
それでも、私は初心者さまのように“だんじて祈りはせぬ”という思いを貫く根性がなくて、ある時から、教化部で行われている早朝神想観の集いに毎朝参加するようになりました。
それは、榎本恵吾先生に出会ったことが大きなきっかけでした──。
(このつづき、後ほどにさせてください。)
849
:
「訊け」管理人
:2011/07/28(木) 21:32:53
>復興Gさま
うわー、つづきが早く読みたいです。元・無神論者の私も、貴殿と
同じようなことを考えておりました(笑)
ああそんな中で復興Gさまが、どんな風なきっかけで神想観を・・・?
今後の展開が楽しみです。
850
:
初心者
:2011/07/28(木) 21:54:22
復興G様も、わたくしと似たような体験をしておられたのですね。
851
:
復興G
:2011/07/29(金) 17:05:43
>849 :「訊け」管理人様
>850 :初心者様
遅くなりました。
私も青年会活動に挺身して光明実践委員になり、常に「神想観をしなければだめだ」と言われ続けていましたが、それは苦手でした。
ところが榎本恵吾先生に出会って──榎本先生は、
「神想観してから生まれてきたんじゃない。神想観しても、しなくても、そのままで円満完全なのが人間だ。神を信じる必要はない。神の方でこちらを信じていてくれるだけで十分だ。ただ喜べばいいんだ」
とコトバの力で“ねばならぬ”という束縛から私を解放してくれました。それで楽になって、うれしくなって早朝神想観の集いに通うようになったんです。
東京で原宿本部の早朝行事に約5年通い、その後地方の教化部道場の早朝行事に約20年間、毎朝通って神想観をしました。それでいつの間にか、「神想観苦手意識」は解消していましたが、「神想観大好き」とまではなかなかいきませんでした。
その間、いろいろな神想観を習いました。「基本的神想観」「浄円月観」「如意宝珠観」「蓮華日宝王地観」等々……その中で、最後まで一番苦手だったのは、「基本的神想観」でした。基本的神想観ではいちばん雑念が起きやすく、教えられてるような精神集中ができないのです。
私は今思えば、青年時代、初心者さまと似てたかもしれません。青年会活動のなかで、とにかく成果をあげるということを考えてがんばってました。目標を立ててそれを実現することばかり考えてたら、いつのまにか闘争的になり、うまくいったら自分の手柄とし、うまくいかなかったら他人のせいにして、つっかかってました。それでとげとげしい雰囲気になっていたようです。
これではいけない、と気がついたとき、「浄円月観」を習ったので特にそれを、本気でやりました。まん円いお月様のような、やわらかくあたたかく浄らかで美しい雰囲気が自分をとりまき、後光のようなオーラとなって自分から発している、という有様をじーっと心に描き見つめる。その「浄円月観」の神想観をしばらく続けていたら、ひとから言われるようになったんです──「○さんの雰囲気はすばらしく輝いて来た」と。
で、神想観というのは効き目があるもんだ、とうれしくなり、その祈りを、勤めていた会社で自分が作る作品に応用し始めました。「神の無限の愛わが作品に流れ入りて愛の霊光燦然と輝き給う。これに浄円月の雰囲気ただよう。・・・・これを使ってくださるすべての人々に平和と喜びを与え、すべての人々の罪を赦し、すべての人々を愛するのである」と念じて制作に打ち込んだら、私の作品が喜ばれて爆発的に売れるようになった、ということが起きました。それでまず、「浄円月観」の神想観は好きになりました。
(つづく)
852
:
初心者
:2011/07/29(金) 17:47:20
復興G様、ありがとうございます
復興G様の「浄円月観」のご体験は、わたくしにも十分に納得ができるものであります。
どうやらわたくしにも試練のときがまいったようでございます。
試練を乗り切るために、すぐさま神想観というわけにはまいりませんが、復興G様のご体験に
ならって、わたくしなりの方法を編み出してみることにいたします。
853
:
復興G
:2011/07/30(土) 11:44:40
>852 :初心者様
レスをいただき、ありがとうございます。
さて、私はまず「浄円月観」の神想観は、その成果に味をしめて好きになりましたが、前述したように、最後まで一番苦手だったのは、「基本的神想観」でした。
基本的神想観は、どうも面白くない。いちばん雑念が起きやすく、言われてるような集中ができないのです。
で、「基本的神想観」は面白くないと思ってたのですが、最近やっと面白くなってきました。
それも、榎本恵吾先生のおかげです。
榎本先生が昇天されてから、恵吾先生の書き遺されたものや講話のDVDなどをくりかえし拝読・拝聴していましたら、あるときフト気がついたんです。
「自分が、自分が」と戦ってた「自分」は本来無かったんだ。空っぽだったんだ。空っぽだとわかったら、自由自在。自分の中にすべてがあり、すべての中に自分があった、と気がつきました。
榎本先生は、こうおっしゃってました。
──────────
神の国とは、すべてが完全に満ち足りているということであります。一つでも足りないということのないものであります。そして「神の国は汝らの内にあり」とは、既にあるから、これから外を探さなくともよいということであります。この「外」にあたるのが、たとえ「修行」ということであっても、神の国は既にわが「内にのみ」あるのですから、修行するというような、ある時間の経過という未来なる「外」に求める必要はないということであります。
またこのことは、天地万物が吾が内なる神の国より発していること、湧出していることを意味しているのであります。
神の国がわが内にあるかぎり、すべてのものはわが内より展開し生れ出でたものであります。山も川も草も木も空も海も、日本も天皇も、谷口雅春先生も、生長の家も住吉大神も、天照大御神も、すべてはわが内なる神の国から出でまし給うたのであります。これは、天地は失せても崩れることのない真理であります。ここに天地万物の一体、即ち大調和のすがたがあるのであります。また、天地万物がわが内なる神の展開し給うたものであるということは、神が出でまし顕われ給うているのでありますから、天地一切は大和解そのものであるということであります。感謝、和解、大調和は今此処にあり、であります。
「招神歌(かみよびうた)」の中の「元津(もとつ)みたまゆ幸(さき)はえ給え」というお言葉は、人格的に神をよびたい我々人間の本性的なものにこたえて下さる神への歌でありますが、もう一つ「元津みたま」とは神のいのちであり、その神そのものは内にましますのであります。それ故「元津みたまゆ幸はえ給え」とは、わが内なる神と神の国にある「元津みたま」をすべてに向って「幸はえ給え」ということであります。つまり、自分は元津みたまを「分け与えられる」方ではなく、内なる神とともに、元津みたまを「わけ与える」存在であることの宣言なのであります。そして神と、ひとつの神が広がっているその広がりを、天地宇宙というのでありますから、このさまを四首目の「天地の祖神の道」と表現されているのであります。「道は宇宙にみちて欠けざるが故に道という」と『甘露の法雨』にあります。われと神と一つなる生命が全宇宙となってひろがり、全宇宙をなして満ち満ちているのであります。この全宇宙を「生長の家」というのであります。生長の家とは、天地万物を生み出し生長発展させる原理であり、その原理はわが内なる神の国にあるのであります。わが生命は、「生長の家」をなして存在しているのであります。それはまた絶えず外へ外へと拡がり生長する生命なのであります。
(榎本恵吾先生著『研修のヒント』より抜粋)
──────────
──『招神歌で「元津みたまゆ幸はえ給え」と祈るのは、もらうんじゃなくて与えるんだ。──
(つづく)
854
:
復興G
:2011/07/31(日) 07:03:00
前にも言いましたように、榎本先生が昇天されてから、恵吾先生の書き遺されたものや講話のDVDなどをくりかえし拝読・拝聴していましたら、あるときフト気がついた──
自分が、まだ現象にとらわれて「自分が、自分が」と戦ってた「自分」は本来無かったんだ。空っぽだったんだ。空っぽだとわかったら、自由自在。自分の中にすべてがあり、すべての中に自分があった。すべてが自分だったんだ──と、ふと気がついたんです。
そのとき、榎本先生がおっしゃってる
<「招神歌」の中の「元津みたまゆ幸はえ給え」というお言葉は、わが内なる神と神の国にある「元津みたま」をすべてに向って「幸はえ給え」ということであります。>
そのことを思い出し、そうだ! それを実修し始めました。「元津みたまを、生きとし生けるすべてのものに幸はえ給え」という思いで招神歌を唱えるようにしたんです。
そして、前にも言いましたように、基本的神想観で念ずるときにも、まず身近な妻を思い浮かべて
「神の無限の生かす力、○○(妻)のうちに流れ入る・・・・満たされている、生かされている・・・・もはや○○は自分の力で生きているのではない。神のいのちがここにありて生き給うている。○○は神にまします」というように念ずることができるようになったとき、以前よりも格段に神想観が面白く楽しくなって、基本的神想観も大好きになってきた。そして夫婦円満大調和になり、万事がスムースに展開するようになってきたんです。
ここまでは自分だけのことなんですが、これから、別スレッドの「トーキングスティックボード」から触発された思いを書きます。
前記、榎本先生が言われている、
「神の国がわが内にあるかぎり、すべてのものはわが内より展開し生れ出でたものであります。山も川も草も木も空も海も、日本も天皇も、谷口雅春先生も、生長の家も住吉大神も、天照大御神も、すべてはわが内なる神の国から出でまし給うたのであります。これは、天地は失せても崩れることのない真理であります。」
これは実にすごい言葉であります。
(つづく)
855
:
復興G
:2011/07/31(日) 20:30:54 ID:Ir7svY6w
「トーキングスティックボード」から触発された思いを書きます、と<854>に書きましたが、スレッド3の方で、義春様・初心者様がボードの書き込みについての投稿文(140・142)を読んで、本当に感動しました。
義春さんのおっしゃる「一切者の自覚」というのは、前述 榎本恵吾先生のおっしゃる
「すべてのものはわが内より展開し生れ出でたものであります。山も川も草も木も空も海も、日本も天皇も、谷口雅春先生も、生長の家も住吉大神も、天照大御神も、すべてはわが内なる神の国から出でまし給うたのであります。」
という自覚が、その究極でありましょう。
榎本先生は、
「これは、天地は失せても崩れることのない真理であります。」
と強く断言されているんです。
それで、私も目覚めたんです。
常にこの自覚を持ち続けたい、というのが私の今の最大の思いなのであります。
856
:
「訊け」管理人
:2011/08/01(月) 08:26:12 ID:D0Kb5yw.
>復興Gさま
──『招神歌で「元津みたまゆ幸はえ給え」と祈るのは、もらうんじゃなく
て与えるんだ。──
ああ『弟子像』拝読しているからでありましょうか、上記引用の貴殿御文章
でありますが、なにか「ピタッ」と来ました。ありがとうございます。
お陰で、と申しますか今朝の神想観ですが・・・ああ素晴らしいものになり
ました。無論、「識ったから素晴らしくなった」わけではありませんが、
本来の素晴らしさを五官で認知できました。これは良い体験でした。
今から営業会議です。全出席者に「さきはえ」するつもりで臨みます。
誠に誠にありがとうございます。
追伸
本日は営業会議後、『弟子像』を拝読しようと思っております。そして
本日の拝読予定章でありますが「山口先生」の章、ここへ進みます。私は
同先生を全く存じ上げないのですけど、榎本先生が、どのような観察をどの
ように描かれるのか・・・今から楽しみです。
857
:
初心者
:2011/08/01(月) 13:14:26 ID:4IaAZAME
ブログ管理人殿
山口先生とはどなたですか?
わたくし、山口県、松陰道場の山口先生には大変によくしていただきました。
おなじ山口先生なのでしょうか。
松陰道場の山口先生のことは、一生涯忘れることができないと思います。
858
:
初心者
:2011/08/01(月) 13:35:24 ID:4IaAZAME
ブログ管理人殿
どうやらわたくしの記憶違いのようであります。
あの先生は、H先生であられました。
なんともお恥ずかしいかぎりであります。
この件は忘れてくださいませ。
859
:
「訊け」管理人
:2011/08/01(月) 14:56:07 ID:UodBcqiE
(このスレでよいのやら、と迷いながらの投稿です)
> 伝 統 さ ま
す、す、す、杉本中佐の御名ですが、雅春先生の本に
載っていたということ!でありますか!?
●天皇獨在 (生長の家本流宣言掲示板)
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=727
いやー、この童子さまのご投稿ですが、素晴らしいですね。特に
『天皇信仰(二)』ですが、「そうそうそう!そうなのだ!」と声を
あげております。これ、皆で声高らかに音読したいものですね。
いつも良質の御投稿をありがとうございます。貴殿なかりせばかの掲示板
・・・(中略)・・・「日本化するとは實相化すること」である。うんうん。
860
:
初心者
:2011/08/04(木) 09:57:10 ID:4IaAZAME
復興G様
返信が遅れて申し訳ありません。
じつは、復興G様のお考えを理解しかねておるのであります。
スパッと入ってこない。そんな感覚なのであります。
>「神の国がわが内にあるかぎり、すべてのものはわが内より展開し生れ出でたものであります。山も川も草も木も空も海も、日本も天皇も、谷口雅春先生も、生長の家も住吉大神も、天照大御神も、すべてはわが内なる神の国から出でまし給うたのであります。これは、天地は失せても崩れることのない真理であります。」
復興G様のいっておられる祈りとは、自分のなかにあるものが表に出ようとする際の衝動のようなものだということになるのでありましょうか。そうした衝動が言葉や想念の形をとったとき、それが祈りになるということなのでしょうか。
もしそうであったとしても、これを「祈り」という言葉で表現する理由は何なのでありましょう。「命の宣りごと」という言葉があります。内なる衝動を「命の宣りごと」と考えることはもちろん可能であると思いますが、無理にこのように考えずとも、衝動は衝動として受け止めてよいのではないかとわたくしは考えます。衝動を「祈り」という言葉に置き換えているとするなら、それはいったいなぜなのでありましょう。
861
:
復興G
:2011/08/04(木) 10:44:01 ID:Ir7svY6w
>860 :初心者様
私は、初心者様のおっしゃっている「ドリーミング」というのも、一種の深い「祈り」であろうかと思っています。まだ充分理解できたわけではありませんが──。
今日はこれから出かけなければならない予定がありますので、くわしくはまた夜以後に……。
862
:
復興G
:2011/08/05(金) 05:31:54 ID:Ir7svY6w
>860 :初心者様
>祈りとは、自分のなかにあるものが表に出ようとする際の衝動のようなものだということになるのでありましょうか。そうした衝動が言葉や想念の形をとったとき、それが祈りになるということなのでしょうか。
もしそうであったとしても、これを「祈り」という言葉で表現する理由は何なのでありましょう。「命の宣りごと」という言葉があります。内なる衝動を「命の宣りごと」と考えることはもちろん可能であると思いますが、無理にこのように考えずとも、衝動は衝動として受け止めてよいのではないかとわたくしは考えます。衝動を「祈り」という言葉に置き換えているとするなら、それはいったいなぜなのでありましょう。<
──「衝動」には性的衝動もあれば、「衝動買い」なんていうのもありますね。性的衝動や衝動買いが「祈り」であるとは言えないでしょう。
では、「祈り」とは何か。
「祈り」とは、個我を超えた大いなるものに帰命しようとする思いを述べる言葉、と言えるのではないでしょうか。
それは、魂の深いところから湧き出てくる衝動の一種とは言えるでしょうが、衝動のすべてが祈りであるとは言えないでしょう。
それで、『初心者様のおっしゃっている「ドリーミング」というのも、一種の深い「祈り」であろうかと思っています』と申し上げたのであります。
>「神の国がわが内にあるかぎり、すべてのものはわが内より展開し生れ出でたものであります。山も川も草も木も空も海も、日本も天皇も、谷口雅春先生も、生長の家も住吉大神も、天照大御神も、すべてはわが内なる神の国から出でまし給うたのであります。これは、天地は失せても崩れることのない真理であります。」(榎本恵吾講師)
これは、極めて深い祈りから出てきた言葉だと、私は思います。
863
:
初心者
:2011/08/05(金) 09:31:12 ID:4IaAZAME
復興G様
>「祈り」とは、個我を超えた大いなるものに帰命しようとする思いを述べる言葉、と言えるのではないでしょうか。
それは、魂の深いところから湧き出てくる衝動の一種とは言えるでしょうが、衝動のすべてが祈りであるとは言えないでしょう。
なんとなくわかるような気がいたします。人間はおそらく、心の奥深くに、これだけは
表現したいという思いを持っているはずなのですね。芸術家はそれを、絵画や音楽として
表現しますね。この意味で、絵画や音楽は、芸術家の「祈り」が形となったものと考えること
ができそうであります。
心のやさしい人であれば、苦しんでいる人を見たときに、「楽になって欲しい」という思いを
起こすはずですよね。この思いが「祈り」となりますね。復興G様がおっしゃっておられます
ように、すべてが自分から出たものだとすれば、苦しんでいる人も自分から出たということに
なりますね。そこから悲しむという思いが出てきますね。この悲しみから、楽になって欲しい
という願いが出てきますね。これらすべてのものが自分から出たということになります。
すべては自分から出たものだ。だからすべての物事にたいして責任を持つ。これが「祈り」と
いうことなのでありましょうか。
864
:
復興G
:2011/08/05(金) 14:27:10 ID:Ir7svY6w
>863 :初心者様
まさに、そういうことだと思います。
そしてさらに、「苦しんでいる人も、悲しんでいる人も、本当は神の無限の愛に包まれているんだから、安心してお任せなさい。苦しみも悲しみも本来ナイ世界に、あなたはすでに救われているんですよ。よろこんでいいのですよ」と、実相を礼拝し祝福してあげる、というのが最高の愛語になるのではないか──榎本先生はいつもそうしておられたように思います。私もそれに続きたい、と思っています。
865
:
初心者
:2011/08/05(金) 14:36:25 ID:4IaAZAME
復興G様
ありがとうございます。「祈り」にたいする抵抗感がやわらぎました。
復興G様がいっておられるように、ドリーミングはまさしく「祈り」であります。
ことさらに祈ろうとせずとも、そのままで祈っている。
これでよいのだと思います。
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