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日本大陸を考察・ネタスレ その148
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日本大陸のSSや考察・ネタを書き込むスレです。
スレが荒れる事のないように喧嘩や煽り合いは厳禁です。
みんなで仲良く日本大陸世界を楽しみましょう。
尚、このスレは憂鬱本編とは無関係という事を前提としてearth氏の許可が下りています。
憂鬱本編に関係するネタを書くときは本編の設定を遵守し、細心の注意を払いましょう。
各職人様の作品や、スレで語られた内容設定の数だけ世界線が存在しており、皆それぞれ日本大陸です。
設定に関して疑問に思う処などがあれば職人様や住人の皆様に質問し、大いに議論しましょう。
投稿する作品の設定は下記の説明にある日本大陸の基本ルールを遵守していれば、どのようなネタでも自由です。
また既存のアニメーション作品、ゲーム作品等の創作物とクロスを取り扱ったネタについては
下記の日本大陸クロスネタスレご利用してください。
日本大陸の設定は日本大陸スレ及び日本大陸クロスネタスレのみの設定であり、他スレへの持ち出しは厳禁です。
【書き込みにあたっての注意】――日本大陸世界の公式想定まとめ(wikiより転載)
0――【日本大陸の民族や資源に関して】
・日本大陸の主要民族については史実同様に日本民族というほぼ単一民族で構成されているものとする。
・日本大陸は、豊富な資源に恵まれているものとする。
1――【歴史的事実に関して】
・日本大陸世界は「基本的な歴史的事実において」史実世界と共通するものとする。
・「基本的な歴史的事実」は、歴史年表に記される出来事の名称および結果である。
その影響は日本大陸本土周辺において厳密に守られるべきであり、その外縁や海外における出来事はこの目的を達するためにある程度の改変を可とする。
・上記の「基本的な歴史的事実」以外、たとえば歴史的人物の来歴や出来事の経過については、「基本的な歴史的事実」例えば「関ヶ原の戦いにおいて徳川氏が勝利する」といった事象を妨げない限りにおいて、日本大陸世界の地理・自然・人物その他の状況を勘案した上で自由な想定を可とする。
ただし、歴史的重要人物の生死や重要行動については慎重な想定を要する。
・日本大陸本土周辺における「基本的な歴史的事実」を達成するための想定は、自然科学的に妥当な理論および手段方法をとり、かつ社会科学的にも可能な限り妥当な想定をもって行うものとする。
・日本大陸世界における「基本的な歴史的事実」は、幕末前後から転生者たちによる干渉が大規模化し最終的に「明治維新成立」を目的にと改変を可とする。
史実や憂鬱世界とは違った明治維新となる可能性が高いだろう。
・明治維新以後については本編同様、自由な想定を行うものとする。
2――【夢幻会に関して】
・例外を除いて転生者が転生する人物の条件は、基本的に憂鬱世界の条件と変わらないものとする。
・大陸日本の人口増大に比例するように転生者の規模も増大するものとする。
・上記の理由により再転生者だけにこだわらず、史実世界や憂鬱世界からの一回目の転生者も存在するものとする。
・最初の日本大陸ネタで転生者出現の時期があいまいな事とアヘン戦争で改革の機運が高まったという記述を根拠に憂鬱世界からの再転生者および史実・憂鬱世界からの1回目の転生者が登場し始める年代は、転生する史実の人物の明治維新以後の生存を条件として19世紀初頭からとする。
(例として天保の改革の時代に転生者が鳥居耀蔵に転生しているものとする。)
・また上記の条件に史実で他殺や自害などで死亡した人物で生きていたら明治維新まで生存できる可能性のある人物も含まれるものとする(例・井伊直弼など)。
3――【自然環境に関して】
・自然および地理的な想定は、自然科学上妥当なものとする。
・架空の生物種や架空の地理的特徴は史実世界に存在する、あるいは存在したものをもとにする。
・想定に際しては「地球史的な出来事」を勘案し、たとえば恐竜が進化した知的生命体が地球の覇者となるような大規模改変はこれを避けること。
・日本大陸本土およびその周辺環境については、「面積が10倍程度であり、『北海道・本州・四国・九州および付属諸諸島』により構成され、
気候においては史実と大きな違いはなく、火山性の山岳地帯を有し、史実同様大規模な海流によってほどよくユーラシア大陸から隔絶されつつも繋がりは失っていない」もの、
すなわち史実と類似したものとする。
・面積広大化に伴う各地の緯度変化などの自然科学的に避け得ない事象に関しては上記に優先する。
・以上を順守する限りにおいて、想定は自由である。
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大陸日本におけるコーカソイド系民族について (中編)
3 漢時代の匈奴
匈奴は紀元前4世紀〜5世紀にモンゴル高原からユーラシア中央部にかけて活動していた遊牧民族である。
たびたび中華への侵入、攻撃を繰り返し漢の武帝による攻撃や様々な要因で大打撃を受けつつも北魏の時代まで存続し、
やがてこれまでの異民族同様多くが中華の民へ同化され埋もれていった。
世界史の教科書などでも取り上げられるこの民族であるが、言語系統や民族系統などは現在に至るも決定的な説は出ておらず不明なままである。
一般的には、当時東胡と呼ばれていた後のモンゴル系、テュルク系のモンゴロイド、または
それら様々な語族や部族が混在した勢力だったのではないかとされる。
しかし、実は匈奴はコーカソイド系、或いは様々な部族や民族が入り混じっているがコーカソイド系が主体ではなかったのかという説がある。
発掘された石像や毛織物の容貌が明らかに白色人種の風貌であることや、後漢時代に分裂したうちの片方である北匈奴が滅亡して中華圏から姿を消した後
康居(現カザフスタン)へと逃れ北部に居住し悦般となったことが北斉の『魏書』や唐の『北史』などに記されており、
それが後にアフガニスタン北東部へと南下してエフタルとなりインドやペルシャから「白いフン」、中華からは「白匈奴」と呼ばれていたためだ。
少なくとも、史実においても匈奴には多数のコーカソイド系民族が含まれていたことは間違いないだろう。
しかしこの世界ではスキタイ人の大移動により活発となった草原の道を通り多くの金髪因子がやって来たため、匈奴は殆どが北方系コーカソイドの集団であった。
匈奴は戦国時代から趙・燕・斉・魏・韓などと共に秦への攻撃を行ったが、これらの五ヶ国は滅ぼされ趙・燕・斉の3ヶ国に住んでいた
北方系コーカソイド民族達400万人以上が日本大陸西部へと逃れていった。
匈奴も軍勢を撃破され、内蒙古のオルドス地方を占領されると同時に長城も築かれるなど始皇帝の存命中は劣勢の状態が続いていた。
しかし始皇帝の死後、冒頓単于が即位すると再び勢力を拡大し、東の東胡を滅ぼした後に西の大月氏を敗走させ南の楼煩を併合。
そして楚漢戦争中の中華へと侵攻し、瞬く間に巨大な大帝国を築き上げた。
漢の初代皇帝劉邦も匈奴に大敗を喫し、毎年貢物を送る弱腰外交を取らざるを得なくなる。
だが漢で武帝が即位するとそれまでの弱腰外交から一転して攻勢に転じ、衛青や霍去病といった優れた将に恵まれた漢軍によって匈奴は打ち破られ、
内蒙古の地まで奪わてしまい、漢から人質を要求されるなど完全に力関係が逆転してしまう。
その後も傘下諸部族や匈奴寄りの周辺諸国の離反、内紛による東西分裂など苦しい時代が続いたが、
その後何とか国土を統一させしばしの間漢と匈奴は平和な時代を過ごすことができた。
そして漢の一時滅亡や新の建国、そして滅亡と後漢の成立といった中華地域の混乱が訪れると再び勢力を盛り返し、辺境地域を散々に荒らし回った。
しかし後漢建国から暫く経った46年、匈奴国内で異常なまでの日照りや蝗害に見舞われ前代未聞の大飢饉が発生した。
これにより、史実匈奴では国民の3分の2が餓死したと言われるほどの大打撃を受けたと言われている。
匈奴の人口は140万人〜200万人ほどであったとされており、事実だとすれば90万人〜130万人が死亡したことになる。
当然の如く匈奴は大幅に弱体化することとなった。
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しかし大陸世界においては史実と少し異なる展開を見せる。
日本東部に住んでいるスキタイ系の民族と匈奴は同じ北方系コーカソイド集団であり、
かつて日本へ移り住んだ集団が通っていた経路を通じ活発ではないものの最低限の交流は維持されていた。
そして大飢饉により本来死すべきであった匈奴の民たちは、餓死するくらいならばと日本への移動を開始する。
本国での飢餓や日本への移動の最中に10万人あまりが死亡したものの、実に120万人もの人々が間宮海峡を渡り樺太、北海道、東日本へと移民した。
秦の統一による西日本へのコーカソイド移民には及ばないものの、空前の規模の民族大移動が再び行われたことになる。
当地にいたスキタイ人たちは、同じ系統の民族であったことや
広大という言葉すら不足するほど土地が有り余っていたなどの要因から彼らを同朋として迎え入れ、自らの勢力へと組み込んでいった。
匈奴の君主であった単于蒲奴も、領域内の民の移動を黙認していた。
というより、重荷になるとむしろ積極的に口減らしとばかりに送り出してすらいた。
大飢饉から2年後の48年、匈奴は分裂し南匈奴が建国された。
南匈奴は北匈奴を攻撃し、本拠地をも陥落させ北匈奴は更に北方へと後退していった。
その後南匈奴は漢に臣従し、長城の内側に住むことを許されたり大飢饉の際に食料の援助を受けるなど厚遇された。
北匈奴も勢力を盛り返し辺境の地を荒らし回っていたものの、史実では南匈奴が漢に厚遇されていると聞くと年間数千人の投降者が出たとされている。
しかし大陸世界においては、裏切り者の南匈奴や宿敵の漢に降ることをよしとせず、史実の投降者たちは日本大陸へ移動していった。
このため小規模ではあるものの東日本への移民が断続的に到来することとなった。
しかし87年に北匈奴へ東の鮮卑族が侵入し当時の単于が殺害され、更に蝗害による飢饉まで発生し北匈奴は大混乱に見舞われた。
このため北匈奴の民は鮮卑を避けて大きく北を迂回し日本へと逃れる動きを加速させた。
これに乗じて南匈奴と漢は連合軍を結成し、89年に北匈奴への攻撃を開始する。
史実ではこの攻撃に北匈奴は敗北し、20万人もの投降者を出したと言われているがこれらも大陸世界では鮮卑を避ける北方迂回ルートで日本へと逃げ延びていった。
そして91年、遂に北匈奴は漢の攻撃により決定的な打撃を受けた。
北匈奴の単于は日本へと逃げようとしていたが、漢に臣従していた東の鮮卑が今まで領域を北周りに通って日本へ逃げる一般の民は放っておいたものの、今回ばかりは逃がさないと南の漢や南匈奴と包囲網を張っていたため、単于に率いられた北匈奴は西への逃走を開始する。
これにより北匈奴は中華圏から完全に姿を消し、悦般やエフタルとして活動を続け、現代ではパキスタン北部やイラン北部、アフガニスタンの一部などで僅かにその痕跡が見られるのみとなっている。
しかし大陸日本においては数十年に及ぶ移動で実に150万人あまりもの匈奴の民がスキタイ勢力下の東日本へと流入した。
これにより当時100万人ほどであった人口が一気に250万人にまで増加し、数的には西の大和朝廷に劣勢であるものの大幅な国力増進を成し遂げることとなった。
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4 五胡十六国時代
後漢の滅亡後に三国時代の戦乱を終わらせ中華を統一した西晋だが、当初有能であった初代皇帝の司馬炎は統一しただけで満足してしまい、
急速に政治への興味を失うと同時に女遊びに耽るなど統一までの頃の姿が嘘のように堕落していき、国家基盤の整備を怠った。
その子司馬衷も暗愚であり、皇后である賈南風はそれを利用し国政を自分たちの一族が握るため、各地の皇族たちによる八王の乱と呼ばれる内乱を引き起こした。
それと同時に各地の諸侯は傭兵として異民族を国内に引き入れたため、内乱と合わせて西晋は大混乱に見舞われた。
これを期に隋統一までの300年あまりにわたり、中華は再び動乱の時代を迎えた。
この頃中華へと侵入、胎動した異民族は主に匈奴・鮮卑・羯・・羌の5つであり、これらは五胡と呼ばれた。
このうち氐と羌はチベット系の民族であったとされている。
しかし羌に関しては当時印欧語族であったという説が存在したり、
羌の構成種族であった小月氏(大月氏と違い中華に留まった者たち)はコーカソイド系だという話が存在する。
だが現在の四川省で羌の子孫と言われる少数民族のチャン族はモンゴロイド系の外見で
チベット・ビルマ語派のチャン語を話しており、正確な所は不明である。
匈奴は分裂し漢に臣従することで生き延びていた南匈奴のことであり、この世界においてはコーカソイド系の集団であった。
羯は匈奴や小月氏から派生した集団であるとされており、漢民族からは「白羯」と言われ印欧語族に分類されるコーカソイド系であったと見られている。
鮮卑は後漢までの歴史書ではモンゴル系の集団であったとされているが、西晋時代に流入してきた鮮卑族は「白虜」、
要するに肌が白かったと言われており「赤髯碧眼」など明らかにコーカソイド的な容貌をしていたという。
また南朝時代の宋で編纂された説話集「異苑」において、東晋の二代目皇帝である司馬紹の政敵だった軍人の王敦は、司馬紹のことを「黄頭鮮卑奴(金髪の鮮卑野郎)」と呼んでいたと記されている。
司馬紹の母親であった荀氏は北方の燕(現在の遼寧省付近)に居住していた鮮卑族の出身であったとされており、司馬紹の金髪は母親からの遺伝と見られる。
このように、少なくとも西晋時代以降の鮮卑は北方系コーカソイドの集団であった。
つまるところ五胡と呼ばれた異民族のうち3つがコーカソイド系異民族であったということになる。
八王の乱によって中央が乱れると、各地への威令が届かなくなると同時に不運にも毎年のように飢饉が続き西晋は急速に弱体化していった。
この情勢にまずは中華西方の奥地にいた氐族と羌族が反乱を起こし、氐族の李特が成都を占領した後その息子李雄が皇帝を称し成漢(後蜀)の建国を宣言する。
それに乗じ匈奴の酋長であった劉淵が漢王を名乗り、漢を建国した。
劉淵は聡明であると同時に非常に寛容な英傑であり、漢族や白羯を傘下に加え瞬く間に勢力を拡大。
これら異民族の反乱「永嘉の乱」が五胡十六国時代の本格的な幕開けとなった。
もはや西晋の衰退ぶりは目を覆わんばかりの惨状であり、遂に漢国五代目の劉聡が西晋の首都洛陽を陥落させる。
この際洛陽は焼き払われ皇族・貴族・市民らの多くが殺戮、当時の皇帝であった司馬熾も連行され2年後に毒殺される。
これによって西晋は完全に滅亡し残党も華北から撤退、甥の司馬睿を擁立し江南の地で東晋を建国する。
西晋を滅亡させた劉聡は皇帝に即位し国号を漢から趙(前趙)に改めたが、その子劉曜の時代に
白羯出身で奴隷から将軍に成り上がった石勒と対立し反乱を起こされる。
劉曜は投降後の振舞いが原因で暗殺され、その子劉煕も将校や王、公卿もろとも皆殺しの目に遭い、
前趙は漢の時代も含めてわずか25年で滅亡し後趙が建国された。
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この頃の華北の地は漢人の多くが駆逐され、完全に異民族の土地になっていた。
特に中部から東部にかけてその地を闊歩しているのは匈奴、白羯、鮮卑といった北方系コーカソイドの集団であった。
当初の後趙は漢民族の知識人などを登用し華北の安定を成し遂げたものの、その後帝室内部での抗争が頻発するようになると
国内は不安定化すると同時に漢民族も冷遇されるようになり、華北の漢民族の不満は年を経るごとに蓄積された。
そんな中第三代皇帝石虎の養孫で石閔と名乗っていた漢民族出身の武将冉閔は傀儡とした皇帝を相次いで擁立するなど権勢を誇っていたが
その態度から擁立した相手に排除されそうになると今度は漢民族に呼びかけて反乱を決行する。
首都の鄴で始まったこの反乱により、胡人が老若男女問わず20万人も虐殺されたと言われている。
それだけでなく漢民族でも体格が大きかったり鼻が高い、髭が多いなどの特徴をしたものが胡人とされて多数殺害されるほどの酷さであったという。
冉閔は皇帝に即位して国号を大魏(冉魏)と定め、後趙との戦争を開始。
後趙は鮮卑族の前燕にも援軍を要請し共同で冉魏の討伐を行ったものの撃退され、
さらに最後の皇帝石祗が部下に殺害され後趙は滅亡した。
また冉閔は建国にあたって『殺胡令』という「国内外に関わらず武器を持った胡人は殺せ」
「胡人を殺害した漢民族は官位を授与、または位を上げる」などといった
漢民族による積極的な胡人殺害を推奨する命令を天下に公布し、徹底的な漢民族至上主義の国家建設を推し進めていった。
史実ではこの命令により華北各地で漢民族による胡人に対する凄まじい暴虐の嵐が吹き荒れた。
特に白羯などはその後中華の歴史に殆ど名前が登場しなくなるほどの大打撃を受けた。
またこの混乱で各地で盗賊も跋扈するようになったため、華北は大飢饉に見舞われ人肉を喰らい合うこともあったという。
最終的に数百万人もの胡人が漢民族による虐殺や飢饉などで命を落としたとされ、華北は酷く荒廃した。
だがここでこの時代の日本にいた転生者たちが再び暗躍し、現地のコーカソイド系遊牧民を救うため渤海湾から日本への脱出を決行する。
また鮮卑族の西燕にも協力を要請し、同国の領域であった遼東半島に避難民を移動させそこにも大規模な脱出船団を何度も派遣した。
なお、当時朝鮮半島南端に居住していた戦国時代に中華から逃れてきた趙・燕・斉の遺民たちも
自分たちと同じ民を漢民族による蛮行から救うべきだと協力を表明し、こちらも脱出船団を派遣するなど日本の動きを支援した。
現地の胡人たちも、この地から逃れることができるのであればと日本への亡命を選択した。
冉魏は当然の如くそれを防ごうとしたが、国内の混乱や前燕の攻撃によって頓挫。
漢民族の絶え間ない攻撃や盗賊の跋扈、飢饉や疫病の蔓延により膨大な犠牲者を出しつつも150万人以上の胡人が日本へと逃れることに成功する。
冉魏も西燕の攻撃により僅か2年で攻め滅ぼされ、その西燕もチベット系の氐族に建国された前秦に滅ぼさるなど目まぐるしい展開が続いたが
前秦による華北統一と漢民族の登用や匈奴、鮮卑の積極的な移住政策により一時的に平穏を取り戻すことができた。
しかし南北統一を強行し東晋へ侵攻するも大敗を喫したことにより、各地の統制が緩み異民族も次々に離反するなど前秦は急速に弱体化した。
その後鮮卑族によって建国された後燕や西燕、攻め込んだ東晋といった国々によってあっけなく滅ぼされ、再び戦乱の世に逆戻りしてしまう。
ここで鮮卑族の一派である拓跋部の中核氏族である拓跋氏に率いられた北魏が台頭。
華北に割拠していた国々を次々に滅ぼして回り、遂に華北を統一して五胡十六国時代を終結させ、中華は南北朝時代へと突入していく。
また統一過程で後燕、西燕、北燕、南燕といった拓跋部とは別の鮮卑族の国家(北燕は鮮卑化した漢人状軍によって建国されたが)も
北魏や東晋によって滅ぼされていき、この過程で大量の鮮卑族がかつての後趙滅亡時のように大量に日本へと逃げ延びていった。
五胡十六国時代の終結までに、日本大陸に亡命したコーカソイド系異民族300万人余りに上ると言われている。
その後中華で中心を占めるようになった拓跋部を中心とする鮮卑族は漢化しつつも唐の時代に至るまで支配層として存続したが、
やがて匈奴同様に完全に漢民族へと取り込まれてしまい現代ではその痕跡は歴史書以外では一切見られない。
しかし日本へと亡命した鮮卑、白羯、匈奴といった面々は混血しつつも当時の容貌を保ったまま現代へとその血脈を繋げることに成功している。
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以上になります。
予定が詰まってしまったことと色々あってプライベートが上手く行かなかったので遅くなってしまいました。
五胡十六国時代に活動していた異民族たちも、史実では同化や民族浄化で消えていきましたが、この世界では
大陸日本に多くの人々が逃れることに成功しています。
ほんと歴史上虐殺や民族浄化は多々見られますけど中国の場合古代からもうスケールというか次元が違うんですよね。
漢民族の方がいくら多数派とは言え数百万人もいた異民族たちが現代では一切その痕跡は表面上見られなくなっているという点も
中華における残虐行為の凄まじさというものを象徴しているのではないでしょうか。
しかし大陸日本と転生者という存在によって、史実の過酷な運命から異民族たちは逃れることができています。
殆ど転生者たちの派手な髪をした美少女たちが欲しいという何とも言えない欲望のせいですが、
まあ異民族たちも安全な場所へ逃れることができるので双方win-winでしょう(笑)
後編では南北朝時代から唐までの時代を書きたいと思います。
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乙です。
取敢えず一言…そんなに銀髪美少女のクラスメイトが欲しいのか!!www
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乙です
歴史のはざまで消え去る筈だった遺伝子が日本大陸に無事にたどり着けた…
銀髪もめでる主義としては、嬉しい限りですなw
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乙。東北が民族大移動でエラいことになってそうだが広大だけど試される
修羅の大陸に何割かはあっという間に溶けていきそうだな
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見ていて思うこと。
中華は虐殺の歴史だなあと。
さらっと数十万人が虐殺されたと何度も書いとるし
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乙です。
かくして銀髪美少女の遺伝子がまた日本大陸に到来ですねw
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政権や王朝が変わるたびに、焚書・殺戮・追放はセットでついてきますからねえ…
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言ってしまえば中国では戦争=虐殺・民族浄化が基本ですからね…
あと三国時代の呉の孫権も青い目や派手な色の髭をしていたとも言われており
鮮卑の血を引いているのではないかという話もありますし
曹操の息子の一人である曹彰は黄色い髭をしており、母親の卞后(2番目の正室)の遺伝とされ
この卞后も鮮卑出身なのではないかと言われています。
なのでゲームの三國無双で派手な色の髪や眼に彫りの深い顔立ちのキャラクターが多数出てきますが
あながち当時の風貌的に間違いという訳ではないんじゃないかという話もあるようです。
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乙です。未来では中国のヲタ達が、ご先祖様達が殺戮や追放なんてアホな真似して
なきゃorzとなってるかもw
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見返してみたら氐という漢字が?として表示されていますね。
?になっているところはチベット系部族の氐、首都のところは鄴です。
見にくくてすいません。
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乙です
結構大量に流れてきてますが、日本も日本で試される大地なので馴染めるまでに割と多くが死んでいきそうですね…
しかし中国は本当定期的に沢山殺してますなぁ。
それでも人材が尽きないんだから二大大河は偉大だわ。
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あれ、表示されない…
殆ど使われない常用外の漢字なのでちゃんと表示されないんでしょうか。
もしあれだったらwiki掲載してもらった時に何とか直しましょうかね。
あと、wiki掲載もokです
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ひらがなで書くくらいですなぁ。
中国系の名称を表す際の漢字って文字化けしやすいんですよね…
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>>347
なるほど、ありがとうございます。
それと大陸日本にいるコーカソイド系の人々ですが
ttps://www.quora.com/Why-did-22-of-non-Muslims-choose-to-live-in-Pakistan-until-1951-despite-communal-action-by-Jinnah
ttp://viola.bz/wp-content/uploads/2012/11/136.jpg
ttps://i.pinimg.com/736x/ff/7c/b8/ff7cb8e1b8dc3fa257d6d7ab6fe80539.jpg
ttps://i.pinimg.com/236x/91/ba/0d/91ba0d456fc78380030d517086099597.jpg
ttps://dogsaurus.files.wordpress.com/2014/07/6248018416_90dc20d33d_o.jpg
ttp://www.ghandchi.com/iranscope/Anthology/KavehFarrokh/300/image051.jpg
ttp://i1.ytimg.com/vi/jQkrP0tPOds/hqdefault.jpg
エフタルの子孫と言われているパキスタンやイランの北部、アフガンの一部の人々がこのような感じなので
大陸日本にいる人々も大体このような感じの見た目になっていると思われます。
あと大陸日本も試される大地的な面はありますが、戦乱の中華は勿論のこと世界的に見ればかなり住みやすい土地なので
そんなに極端に人口が減少することはないと考えています。
ただ史実通りの歴史を辿るとなると奈良時代から平安時代までの人口停滞は間違いなく起こるでしょうが……
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そらシベリアやサハラ砂漠、または政権変わるたびに大量死する中華と比べたらまあw
これで中央アジアや南アジアあたりなんだから欧米とそう変わりませんなぁ。
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確かにコーカソイドなんですけどヨーロッパの白人たちと比べると顔立ちというか
何か微妙に違う感じなんですよね。
大陸日本の土地柄に関しては確かに戦乱の中華やシベリア、砂漠、北極圏、アフリカに比べれば天国も同然ですw
確かに土地柄や自然災害などで犠牲者も出るでしょうがそれでも何割とかいうレベルまではいかず
十分許容範囲内に収まるんじゃないかと思っています。
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日本でも人が大きく減るのは大規模な飢饉の時くらいですからなぁ。
日本の何が強いかと言うと水が豊富という点らしいですね。
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確かに前の議論でも大陸日本は水資源が豊富な上にアメリカに比べれば地下水枯渇の心配も
遥かに少ないので日本の農業生産もアメリカの穀物メジャーが脅威に感じるレベルになる可能性があると
言われてましたからなあ
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日本には水と米と一揆と言う飯を沢山得る事ができる三種の神器があるからな
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>>308
弥次郎さま
公家の門弟は大事に酷使されるようですなのですが。
そのほかにも、技術者たちを囲い込んだり、
のあとが切れているようなのですが。
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>>354
申し訳ないです
×そのほかにも、技術者たちを囲い込んだり、
〇そのほかにも、技術者たちを囲い込んだり、人材の青田狩りをしたりと多々に綿って金銭を使い込んでいる。
修正のほどお願いします…
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>>352
アメリカも輸出のための過剰生産をやらなければ地下水の枯渇なんて多分起こらなかったんだろうけどね
日本ではあくまで自給分+αくらいしか作らないだろうって話
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しかし、よく言われている
「欧州の土地はめっちゃ痩せてるから農民の暮らしは厳しかった」って話
それほどでもないらしいですよ?
「収入(得られる作物)」は日本の農民とそれほど変わらなかったとか
>ttps://ncode.syosetu.com/n0132dz/1/
詳しくは上記のを読んでほしいですが、簡単に言うと
「欧州は1人当たり日本の8倍の面積を耕していたから」だそうです。
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文字を待たず歴史の波に消えて行った遊牧民が日本で文化を育むか
スキタイ等の失われた神話が日本に伝わって文明の揺り籠と言われそうだな
交流範囲的にはギリシャ神話なんかも日本に持ち込まれそう
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>>358
竈の女神さまと冥府の神様の二柱以外はノーサンキューで(震え声
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麦と米の差ですのぉ。
単純な耕作面積での食い扶持が倍以上違ったような?
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耕作面積あたりの収入はこちらが8倍、ただしあちらは同じ労働力しか投入しなくても8倍の面積を耕作できるってことか。
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日本の何が素晴らしいって砂漠みたいな不毛地帯がほぼ存在しないのがねぇ
乾期や乾燥に悩まなくてもいいのは植生からは天国みたいな場所だろう
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いえ。単純にそれだけ多くの畑を作らないと人口比を維持できないってだけなので…>>欧州
畑が広い分だけ投入してる人数も多かったはずですね。
日本の場合は単純に田んぼでの稲作という専門的な労働形態をとったために面積あたりの労働者数が増えてる感じですな。
因みに欧州の土地が痩せているかというと特にそんなことはないです。
単純に使いやすい水源が少ないのと冬がきつい地域が多いからそういったイメージがあるだけで地中海、黒海などに面する地域は大概土地が肥えてますね。
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というかアメリカの地下水枯渇はグレートプレーンズが大穀倉地帯にも関わらず
ステップ気候で降水量が少ないという理由で地下水を使いまくってるせいですからなあ
もし仮に日本がアメリカ並みの穀物輸出国になっても全体的に水資源が豊富なので
地下水もそれほど使わないでしょうし枯渇の心配も可能性は非常に低いのではないかと
ただまあ日本がそういう穀物輸出する感じになるかは世界線によって異なるでしょうが
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どの世界線においても東南アジアは大体押さえてるから穀物輸出はそっちにやってもらうほうが効率良いしね
あのあたりは米なら3〜5期作やっても土地の養分的にはまだ余裕が有る地域だから
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あれって定期的に起こる河の氾濫のおかげでもあるって説を聞いたことありますが、そこら辺の治水業をしっかりやってしまうと3期作、5期作とかできなくなってしまうのでしょうかね?
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そんなエジプトみたいな
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浮稲とかもろに成長途中に氾濫して水に浸かることが前提の稲ですからね
水深に合わせてメートル単位で茎を伸ばして水の上に頭を出す
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>>361
>>363
いえ、蓬莱人形氏の言う通りでして。
イングランドの耕地面積と人口が耕地4297万反、人口425万人なので1人当たり10.11反
日本の耕地面積と人口が田2631万反、畑1836万反、人口3636万人なので1人当たり1.22反
らしいです(イングランドは13世紀、日本は18世紀の数字らしいですが)。
水田の効率はすばらしいですが、製作にも維持にもコストがかかるのでこういう事になるんでしょう。
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東南アジアの稲作は氾濫すること前提の水深ってことです?
>>369
この畑の面積って休耕地とかも入れてのものなんですか?
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確か東南アジアって土壌は豊かな場合が多いですが山地がかなり多くそこを切り開いたり
焼畑農業を行っているので深刻な土壌流出が起こり問題になっているというのを前に見ましたね
あといくらタイやメコンデルタでもさすがに連作を何度もやると土地は痩せるので
定期的な河川の氾濫が必要なのは事実みたいです
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そうなるときっちり治水してしまうと収穫量落ちそうですね(汗
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>>371
詳しくは>>357に示した大元を読んでほしいのですが、含まれているそうです。
さらに言うなら、麦に限らず全ての作物の耕作面積とか。
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>>373
読んでみました。
話は分かりやすく整っていて、内容もしっかりとしているのでした。
ただ話の内容を見るに休耕地も含めると単純に8倍ってことにはならないような。
数字上はそうなるのは理解していますし、米と麦の管理方法の違いというのもわかります。
なのですが上手く言えないのですが労働力的に単純に八倍の面積を耕せていたのかという点で何か引っかかりを感じますね。
単に自分個人の感覚が捻くれていて勘違いしているだけかもしれませんが(汗
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>>374
まあ、「ドイツのソーセージの豊富さは貧しさの象徴」ともいいますから
結局どんなもんなんでしょうね?
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>>375
引っかかったのは同じ人数に対して日本の八倍の耕作面積を切り開いているという点ですね。
ぶっちゃけ当時の人々の体力や道具や運用を考えて物理的にそれは不可能なんじゃと思いまして。
全員がオークみたいな力や体力持ってるならまだしも荒地を一から畑にするのって恐ろしいほどの労力と時間を使いますから(汗
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それだけ面積があると移動するのも大変そうなんですよねえ
誰もが馬やロバの引く車に乗れてた訳でもないだろうし、昔の日本人の徒歩での移動距離とか
考えると、えらい事になるんですが
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塩水法とか正条植えとか中耕除草とかはねくり備中とか人力刈り取り機みたいな、史実明治から昭和にかけての農業チート知識を持ち込んだ転生者が居たんじゃないかな
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>>376
日本は気候的に温かく、多雨な上、湿度も欧州より高いから、作物の成長を阻害する雑草が育ちやすい。
一方、欧州は気候的に寒く、雨が少なく、湿度も低いので、雑草が育ちにくい。
なので、欧州では、収穫までに田畑で作物の世話をする機会が日本より少なく、
下手すれば、種を撒いたら、そのまま収穫まで放置することをあったらしいから、
休耕地があるのを含めて、田畑の世話が少ないとかも関係しているのかも。
日本の農民が雑草取りのためにほぼ毎日田畑の世話をしているのを見た欧米人が、「日本の農民は勤勉だ」と驚いていた理由がそれらしいから。
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主食って視点でも日本は水稲だけど欧州は基本麦、
それも近世まではザラ地でイケちゃうライ麦とかの種が主体だから
面積が広くて手間がかからないか、狭くて手間がかかるかで
お互い収支の分水嶺はプラス側に乗ってるって所やね
上の紹介に上がっていたコラム文でもあるけど
欧州の農業インフラって脆弱というか整備されてないのよね。(除くローマ)
環境維持のコストがかからない(ノーフォークとかはやり方であってインフラでは無い)
「とりあえず掘り起こして均せば何とかなんべ」
だから、ブッチャケ日本の開墾と比べて面積当たりのコストが恐ろしく安い。
日本だと深く掘り返して保水力のある粘土質まで当たる所から始まるし
畦道用に土盛りするとかそもそも水路の確保が要るとか
場所にもよるけど近隣河川整備も関わるし、山間部なら水車まで置く必要もある。
さらに問題なのはこの整備が全て水田用であって生活には一切かかわらないという・・・。
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お米様が収穫量チート植物だったのが悪い(ぉ
大体お米様とちょっと何か育ててれば大体何とかなってたからなぁ…
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>>379
なるほど。気候の違いによる労働時間の違いですか。
ただそれでも8倍にまでなるとは信じがたいですね(汗)
単に既にある畑の面倒を見るならともかく、荒れ地の開拓を進めるのって別次元の話になりますし。
雑草はともかく石の除去、大岩になるとそれを掘り起こすか物によっては場所を変える必要もでてぎすし、切り株を抜くこともあるので大変な重労働ですから。
労働力を考え、作物と畑の手間暇を考えても4倍くらいにしかなんのではと思うのです。
まあ四倍ってのも感覚的な推測なのであてになりませんが(汗)
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>>380
なるほど。
畑を興す、開拓するってことの内容や手間暇自体が違ってる感じなのですね。
確かにそれなら単純な数字化すると大きな差が出るのも納得です。
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>>381
食べるのも楽な点も追加しといてください。
小麦は脱穀して更に小麦粉にしてパンにするため、石臼がどうしても必要だけど、
米は脱穀して炊けばおしまいなので。
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粉にすると言えば、なんで日本じゃ米粉系の食品が少ないんじゃろか。
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そら食うためには炊いた方が早いからでは?
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石臼を作るには、それなりの高い技術と労力が必要であり、
米はそれ無しで炊けば食えるわけだから、わざわざ米粉にしてまで食う必要が無かったので、発達しなかった。
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米なら炊けば良いですからね・・・
炊いた後でも加工出来ますし
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餅にするなど加工の多彩さも決して麦には負けんぞ
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餅はなんか違う気がするんだが・・・(-_-;)
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>>390
大して変わらないのでは?
先に火を通すか通さないかの違いですし・・・
原型無くなる迄潰す事に違いは無いかと
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日本に辿り着いた遊遊牧民も米には驚いたろう
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中国に一度土着した歴史があるなら米には慣れてるのでは?
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日本人の米にかける情熱と執念は半端無いからな。稲作の北限が上がったのも日本での品種改良の結果だし
外交&国際問題にまで発展した93年米騒動のトラウマもあるんだろうけど
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因みに中国は稲作他に麦も普通に作っているので両方の食文化が入り乱れていたりします。
げに偉大なるは黄河と長江かな。
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大陸ゆえに気候区分や土壌が違う場所が有るのも加味してあげて。
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大体南が稲作で北が麦作って感じでわかれていたそうです>>中国
まあ水の少ない地域ではまた別だったりするので割と曖昧で適当な区分だったそうですが。
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今、空いてるみたいなんで10分ぐらいから第三試合の投下します
長くなってきたなあ、これ……当初は30kbの短編にする予定だったんですが、景兼先生一人じゃなく
剣豪五人出したのがまずかったのか
完結まで頑張りますorz
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では第三試合の投下開始します
※弥次郎様、日仏ゲート世界 「ご挨拶」の剣牙虎のお話からフランスと剣牙虎の交流の部分、引用させていただきました。事後報告ですみません。
【ネタ】日仏世界・武術交流事情中編その3
「なかなか面白くなっておるのう」
アンリ4世の隣に座る日本人が楽しげに呟く。
どこか神経質そうな、理知的な雰囲気を持つ老いた男だった。
一見すると華奢だが、若い頃は鍛え上げていた事が伺える肉体は老いてもしなやかな強さを感じさせ、鋭い視線は知性と明晰な記憶を伺わせた。
灰色になっているが眉は太く力強く、目つきは鋭く日本人にしては目も大きい。
白人種の血はあまり感じられないが鼻筋は通って高く、輪郭も鋭い。
髭は蓄えているが、こちらも灰色がかってよく手入れされている。
そして、アンリ4世が後に彼を思い出す度、印象に残ったものとして挙げるのが彼の手指だった。
武芸の鍛錬で鍛え上げ、ところどころが節くれだっているのに、どこかほっそりとした優美さと何やら得体の知れぬ怖さを持った指だった。
荒くれ武者でも農民でも、ましてや聖職者でもこんな指の持ち主はいない。
この指の持ち主がそれを振るえば、万を超える者が想像を絶する責め苦の挙げ句に殺されもすれば、逆に多くの者が希望を与えられ生かされる。
生殺与奪をほしいままにする者の中で、たまにこんな指を持つ者が現れる事がある。
あるいは、宗教画に出てくる天使や悪魔も、また。
「そう思わんか? アンリ殿」
そう、織田幕府の先代将軍である織田信長は楽しげに、少し訛りの強いフランス語で繰り返した。
『相変わらず底の読めない御仁だ』
対するアンリ4世の方は未だ覚束ない日本語で応えようとするが、上手い言い回しが思いつかず口澱んでしまう。
「おや、アンリ殿。恥ずかしがるのは芸事の上達の一番の邪魔になりますぞ。もそっと話されよ、儂に人の鍛錬を笑う趣味はありませんでな」
からからと屈託なく笑う日本最大の権力者にして、統一政権を一代で打ち立てた英傑が昨年までフランス語が喋れないどころか、フランスの文化すら知らなかったと
言われて信じられる者はいるだろうか。
日本とフランスを結ぶ門が現れ、両国の政権が交流を持つことを決断してすぐ、この日本の先代将軍はフランス語を覚える事を決め、家臣でフランス語を知る者を召し
出して四六時中話しまくって会話を覚える事に専心したのだった。
噂によればオルレアンにお忍びで出かけ、子供に小遣いをやって話し相手にして会話を覚えたとも。
一度決断すれば、並々ならぬ熱意と恥ずかしげなど微塵も感じずに実行に移す行動力は未だ健在と言えた。
今年で六十七歳。
この世界の歴史を先読みするならば今年の内に亡くなる筈なのだが、まるでその事を感じさせないほど生命力に溢れたエネルギッシュな人物。
それがアンリ4世が後年、どれだけ記憶が曖昧になってもハッキリ思い出せる、織田信長という人物だった。
『なかなかに良い塩梅の空気になって来ておるわ』
アンリ4世の視線に気づくか気づいていないか、信長はそんな事を思いながら大広間を見渡す。
忠明が相手を全滅させてしまい、早くも試合は第三試合になろうとしている。
既にフランス側の空気は最悪なものとなり、宗教的な災いなのではないかと思い始めている者もいるだろう。
こうでなくては。
ここからさらに混乱して追い詰められてくれなければ、面白くない。
そうしなくては、彼の思惑通りになってくれない。
『あの者達なら心配はいらんしな』
長年に渡り無理を言って織田家に留めてしまった景兼は勿論、今ここにいる代表たちの武勇を疑う余地は無い。
彼らが何をやり遂げるつもりであるのか知っている身としては、ただ見守り、フランス側に暴走する者がいないよう目を光らせるだけで良いのだ。
それが、
『ま、片棒を担いじまった儂の仕事よな』
ここまで長く生きるとは自身でも思っていなかった信長にとって、これは見ておかねばならない事でもある。
『仕事はこなす故、せいぜい楽しませてくれよ』
楽しげにうそぶく信長の視線の先で、第三試合が始まろうとしていた。
さて、第三試合以降であるが、多くの記録では一試合ずつが筆を多く割かれ、他の試合は特筆すべきものがないというのが多い。
実際に多くの記憶に残る試合であったのも確かで、今回はそれに忠実に記していく事とする(長くなってきたんで、巻に入ってるんだろとか言わない)。
とにかく第三試合の開始である。
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【第三試合・林崎甚助】
「さて、お初にお目にかかる……ハヤシザキ殿?」
そう挨拶したのは第三試合のフランス代表チームのリーダーである、ラウール・ド・キリアンであった。
今年で三十半ばになるこの男は、一言で言えば現代日本人が想像する典型的なフランス系伊達男だ。
スラリとした長身に誂えた胴着は高級さが一目で分かり、綺麗に撫で付けられた黒髪や口ひげの整い方も美しく、特にクリームなどで手入れしている訳ではないのに手や肌の
艶やかさは栄養や衛生の状態が良い身分の高さを見て取れる。
貴族的な容姿に物腰も優雅で気品があり、言葉遣いも発音も美しいのは当然で子爵位を持つ貴族であり、戦の経験も少なくない人物だった。
この時代の人間だから当然、決闘の経験も多く、今でも顔や手足に目立った傷もなく生きているのは彼の強さをさりげなく証明している。
「こちらこそ、お初にお目にかかる」
対する林崎甚助の方も屈託なく自然に応える。
景兼ほどではないが、来年で還暦になるから良い年の男である。
フランス人騎士から見てずば抜けて長身という訳ではないが均整の取れた肉体をしており、よく鍛錬した剣のような鋭さとしなやかさを漂わせている。
彼らは知らなかったが、十代で居合の極意に開眼し、各地を遍歴しながらその技を磨いてきた武名は高く、日本の武芸者で知らぬ者を探す方が難しいほどの男だ。
もっとも、春風がふいているのを感じさせるようなふんわりとした雰囲気を持つ甚助を見て、彼が苛烈な技を持つ武芸者と思える者も少ないのだが異様な技を持つであろうことは分かる。
何せ、彼が腰に差している木刀は、普段の愛刀と同じく刃長は三尺三寸(約1メートル)。
フランス人から見ても、そう見劣りしない体格である甚助であっても、やはり異様な長さの武器を腰に据えているのだ。
『まったく日本人というやつは、どいつもこいつも特大の猫をかぶるのが得意らしい』
日向ぼっこでもしに来たような様子の甚助に、ラウールは内心で苦笑する。
先年、知り合いが彼の地で剣牙虎を見た時、世話をする日本人には子猫のようにじゃれつくのに、いざ戦となれば伝説の悪鬼すら屠ると思えるほどの戦闘力を見せたと聞いていたが、日本に
住まう者は己の恐ろしい部分をさりげなく隠す術を身に付けているのかも知れない。
とは言え、これは試合であるが真剣勝負。
彼とてフランス武者として負けっぱなしでいて平気でいられる厚顔さは無かったから、ここで踏ん張らねばならぬ。
さり気なく決意を胸にしたラウールの右手にはレイピアを模した細身の木剣があり、もう片方の手には……
「ほう、それが西洋盾か」
甚助がしげしげと眺めながら言った通り、ラウールのもう片方の手にはバックラーと呼ばれる小型の円形盾が前腕に括り付けられ、その横から頑丈な革製の小手の姿も見えた。
貴族の誂えものであるから当然、盾の造りもしっかりしているし、小手も分厚いのに指の一本一本が可動するようにできているから、高価なものであるのは一目で分かる。
現代に残された資料を見聞する限り、日本古武道と西洋の古典武術の基本的な技術に特に差は見受けられない。
人体の構造が共通する以上当然の事だが、甚助の居合のようにそれぞれの国にしか無い技法も存在し、西洋剣術と日本剣術を大きく隔てているのが、この盾を使用する技法だった。
騎乗時はともかく、徒歩の際は両手で刀を用いる事の多い日本剣術に対し、片手剣と盾が発達した西洋では、盾を用いて防御するだけでなく相手を殴りつけたり引っ掛けて転倒させたり、あるいは
盾に仕込んだ刃物やスパイクで殺傷してのけたりと、盾という道具の使いこなし方が無数に存在する。
百戦錬磨の甚助にとっても、やはり間近で見るのは初めてであるから、お上りさんのようにしげしげと眺めてしまう。
「そう。そして、これが俺の技だ」
甚助から十分に間合いを開けながら同僚に目配せすると、怪訝な顔をしつつも頼まれた通りに、手のひらほどの大きさに切られた羊皮紙を数枚バラバラに放り投げてくる。
確かに、投げたように見えた。
「ほう、早い突きですな」
次の瞬間、響いた甚助の感嘆の声は、大広間にいる者全員の感想でもあっただろう。
放り投げられた羊皮紙は一枚たりとも床に落ちていない。
全てラウールのレイピアに吸い寄せられるように貫かれ、束ねたような状態になっている。
誰も、どう突いたかを見えた者は……甚助を始めとする剣豪達を除けばいなかった。
恐るべき速さの突きを繰り出し、ラウールは地面に落ちる前に羊皮紙全ての中心を貫いて束ねて見せたのである。
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物理的に突き技は剣術の技でも最も早い部類に入る技術だが、ここまでの技を……木剣で羊皮紙を貫いてしまうほどの鋭さと速さを持つ技を会得するには、どれほどの
才能と修練を要するか。
それを知るがゆえに、甚助は素直に感嘆してみせる。
「お褒めに預かり光栄だ」
突き技だけでなく、架空の相手を前にするかのようにバックラーと小手で防御しながら倒す技や様々な得意技を披露し、そうラウールは甚助に優雅な動作で一礼する。
仕草の一つ一つが洒落ているのが、伊達男の特権なのかもしれない。
「某に技を見せて良かったのかね?」
「勝つも負けるも時の運なら、納得できるようにしておきたいのだよ、ハヤシザキ殿」
そう、フランス人騎士は甚助に言い切る。
「手の内を見せなかったが故に勝てた。それじゃあ当たり前の話だろう? 手の内を知らせておいて、なお勝つ。これこそが誰も卑怯と謗れない、誰もが納得できる決闘の勝ち方だ。
それが俺の流儀だよ……馬鹿だとは思うがね」
「いやいや、そうでもござらんよ」
まるで負けん気の強い孫をなだめるような笑顔で甚助が手を振る。
「武において敵を考えるのは下の下、向き合うべきは己だと言いますしな」
そう言って、ラウールから間合いを離すと甚助はどっかと座ってあぐらをかくと片膝を立てる。
「さて、フランスの御仁が得意技を見せたと言うなら、こちらも相応の礼を取らねば恥でしょうな」
言って、松田にベンチに置いてある袋から何か投げるように指示し、良いのかという顔をした彼がままよとばかりに取り出して投げるや……
「お見事」
次の瞬間には、からからと大広間の床に硬いものが転がる音と共に、ラウールの賛辞が続く。
皆が気づくと、甚助はいつの間にか立ち上がり、鞘から本物の刀のように薄く削られた木刀を抜き放った状態から、するりと再び鞘に収めるところだった。
彼から少し離れたところに転がったのは、殻付きの胡桃。
食べるつもりだったのか、袋に入れていた胡桃を投げさせた甚助は立ち上がるのと同時に抜き放った木刀で、それを砕くのでも割るのでもなく、断ち切ってみせたのだった。
こちらもまた、常人には不可能な真似をしてみせたのは剣豪の茶目っ気か、ラウールへの返礼か。
「それも四つ割りとはね。どう斬ったのかは俺も見えなかった」
床に転がった胡桃は、四つの破片に綺麗に分割されている。
抜き放って斬るのは分かるが、もう一度はどう斬ったのか、それを見えたのは何人もいないだろう。
「それに、見事な剣の抜き方だ。その長い刀をどう抜くのかと思っていたが、まさかそんな風に抜く方法があったとはね」
だが、彼がどう刀を抜いてみせたのかはラウールにも分かった。
抜きやすいと思われる水平方向でなく、甚助はほぼ垂直に刀を抜いて見せたが、原理は単純なものだった。
甚助は立ち上がりながら抜刀するのに合わせて鞘も同じ方向に抜き、ある地点で鞘だけを元の位置へと急激に引き戻したのである。
こうすれば立ち上がる時には刀は抜き放たれ、そのまま相手へと放たれる。
卍抜け
甚助が抜刀の神髄を得るために神社に百日籠もり、満願の日に夢に出た白髪の老人から学んだという、いかなる状況でも刀を抜き放てる技。
林崎流の根幹とも言える技術である。
言ってみれば単純な原理だが、それを可能とするための技術と……それを身につけるためにどれほどの修練をしてのけたのか、ラウールは痛いほどそれがわかったから賛辞の声を惜しまない。
「ま、見せられた以上はこちらも見せねばなりませんでな」
太刀の木刀を収めた甚助は、今度はラウールの盾や小手の技へ返すように小太刀を抜くと、ひょいひょいと振ってみせる。
こちらもまたラウールには見事に見えるが、先程の卍抜けほどのインパクトは無い。
するりと抜いたかと思えば軽やかに振り、ピタリと静止した状態になって再び納刀する。
「林崎先生、今回は小太刀の技も使うんですかね」
「……長生きはするもんだの」
「へ?」
甚助の演武を見ていた松田の背後から、景兼の聞いたこともないような声音でそんな言葉が届いた。
「松田殿、よう見ておくがいいぞ? 絶対に損はありませんで」
振り向くと、珍しく驚いたような顔になった景兼の顔が、にんまりとした笑顔になる。
それはどういう……
そう問おうとしたのと、第三の試合が始まるのは同時だった。
-
これまでの試合のスピーディな終わり方と違い、両者の出だしは緩やかなものだった。
最初、二人は一礼すると5メートルほどの距離を開け、ラウールはレイピアとバックラーを前方に突き出す第六の構えと呼ばれる姿勢で、甚助は木刀の柄に手すら
置かず自然体で対峙し始める。
お互いの剣が絶対に届かない間合いから、二人の足がそろりそろりと動き出す。
少しずつ距離を詰めながら、相手の側面に回るように弧を描いて歩を進めていく姿は上から見れば剣牙虎などの猫科の獣が間合いを詰めていく動作にも通じ、あるいは
太極のマークを描いているかのようにも見えた事だろう。
「甚助殿も、遊びに入りましたな」
「まあ楽しまねば損ですからな」
景兼に忠明が笑って返すのを聞いてか聞かずか、対峙し合うフランスと日本の剣士二人の顔には緊張感はなく、むしろ薄く笑みが浮かんでいた。
無論、ふざけている訳は毛頭なく、ラウールの頬に汗が伝い落ちていく。
『さすがだな。やはり特大の猫かぶりだ』
この間合であれば、ほんの僅か、呼吸のほんの一瞬の間があればラウールは一気に間合いを詰めて突きを食らわせる事ができる自信がある。
だが、そうはできない。
縁側で日向ぼっこをしているような甚助なのに、まるで彼が突き込める隙が無いのだ。
逆に、少しずつ少しずつ防御の間を削り取られているような気がするのは錯覚ではないだろう。
抜いても神速だが、抜く前から勝負を決めにかかっているらしい。
最速の突きが勝つか、最速の抜刀が勝つか
知らず知らずの内に日本とフランス双方ともに黙り込み、固唾を呑んで二人を見守り始めている。
空気が次第に張り詰め、人の息遣いしか聞こえてこない。
「っ!」
その静寂を破ったのはラウールだった。
まるで呼吸を合わせるかのように歩を合わせていたのを、突如として一気に駆け出すが、甚助の間合いに入るまでもう僅かだというのに、彼は柄に手をやろうとすらしない。
なぜ?と皆がそう思った瞬間、
「思い切りましたなあ」
景兼が感嘆の声を出すのと、ラウールが斜め右横……甚助から見て左側に一気にジャンプするのは同時だった。
そして、跳躍する瞬間、僅かに身を捻りながら跳んだラウールはそのまま勢いをつけて回転し、自身の体重と回転の遠心力が一気に乗ったレイピアを甚助へ突き出す。
中国拳法にも駆けながら相手の横へと跳躍し、回転して背後から蹴りを入れてしまう大技があるが、ラウールも自身の研究によって似たような技を身に着けたのだろう。
奇襲の効果と、十分なスピードと体重の乗った一撃を、それも防ぎづらい頭上からの一撃とあれば達人とて防ぎようが無い。
誰もがそう思ったが、
「え?」
誰かがキョトンとした声を出した。
ラウールが絶対の自信を持って突き出したレイピアが届く寸前、到達する筈だった甚助の上半身が消失していた。
無論、消えた訳ではない。
甚助の頭も上半身もちゃんとある。
だが、その位置は先程まで見ていた場所になく、そこからずっと下がったところにあった。
ラウールが跳躍し、回転を始めるのに合わせて甚助は相手の方を向くや体を開いて身を沈め、最初に見せた趺踞と呼ばれる胡座に片膝立てた姿勢になっていたのだ。
こうなると、突き技や跳躍技の弱点……一度体重を乗せてしまえば、容易に方向を変えれないのが仇となる。
ラウールのレイピアの切っ先が耳横を掠めるほどの近い場所を通るのと、甚助が抜刀しながら立ち上がるのは同時だった。
一瞬で抜刀した甚助の木刀は方向転換出来ないラウールを一刀で仕留める。
誰もがそう思っていただろうが、
『あなたなら、きっと俺の突きをも破るだろうと信じていたぞ! ハヤシザキ殿』
ただ一人、甚助がそうするであろうと信じていたラウールは、最後の奥の手を用いた。
だが、剣豪達以外で誰が彼のとった戦法を見極められただろうか。
甚助の木刀が下から斬り上げてくるのをバックラーで受け止めるのでなく、滑らせるようにして衝撃を受け流すや、ラウールは小手で木刀を掴み、地面へと着地しようとする
自分の体重を乗せて捻ったのである。
-
日本剣術と西洋剣術の最大の違いの一つがこれで、相手の剣の刃ごと刀身を掴んで制する技術がヨーロッパには数世紀に渡って伝承されてきた。
無論、日本剣術にも相手の刀の刀身を掴むなどして制圧する技法はあるが、刃ごと握って制圧してしまう前提で組み立てられた技術はまず存在しない。
例え剣豪である甚助と言えど、初見殺しとも言えるやり方で、なおかつ経験した事がまず無いであろう技を使われたら、絶対に引っかからないとは言えないだろう。
卑怯とは思わない。
先程、自身の手の内を見せた時、実際は相手の刃を小手で掴んで倒す技も見せていた。
説明こそしていないが、彼ほどの剣豪に見せたというのは教えたというのと同じことなのだから、何ら恥じるものをラウールは感じていない。
それに加え跳躍しての奇襲もブラフとして、ラウールは最初から甚助の木刀をまず奪ってしまうつもりで、そのためなら、受け止めた盾を固定した前腕と木刀を掴む小手の
中を折り砕かせる事すら構わない心づもりでいたのだ。
恥じるものは何一つ無く、そして、そこまでの覚悟をもって挑んだ彼の賭けは成功した。
梃子の要領で木刀の切っ先を掴まれて捻られた甚助は、そのまま体を持っていかれないように手を離してしまう。
地面に転がるように素早く着地したラウールが膝立ちとなって、人体の構造上避けにくい下方向から甚助への意趣返しをするかのように突きを繰り出すのと、甚助が小太刀を
抜くのは同時だった。
だが、小太刀とレイピアではリーチが違いすぎる。
フランス側の全員と、日本側の何人かもラウールの勝利を幻視してしまう。
本当に、一瞬の後にはそんな光景が広がっていると誰もがそう思った。
「……教えてくれないか、ハヤシザキ殿」
「何でも構わんよ」
「あなたの実力なら、俺の奇襲も木刀を奪う技も見抜いて破れていたのではないか? なぜ、敢えて付き合ってくれた?」
「そうですなあ」
ラウールの問いに甚助は首をひねる。
「武術とは、絶体絶命の危機から生を拾い上げる術。ならば、敢えて危機に体を晒した時にこそ、逆に勝利の目が見えるというもの。そういう事ですよ」
「なるほど、それは真理ですな」
言われてラウールの口元に晴れやかな笑みが浮かぶ。
その喉元には甚助の小太刀の木刀が突きつけられているが、ラウールのレイピアは甚助の体に届いていない。
「何が……」
傍で見ていた松田にも訳が分からなかった。
甚助が小太刀を抜刀したところまでは、誰もが見えていたが、その次の瞬間が訳が分からなかった。
まるで木の枝でも振るかのような軽やかな振りでラウールのレイピアは撃ち落とされ、跳ね上がった小太刀はそのまま彼の喉元へと突きつけられたのだ。
その動きが、さっき甚助が小太刀を抜いて見せた動きそのままのものであったのに気づいたのは、剣豪たちを除いて僅かにしか存在しなかった。
実戦で相対する相手に見せた形そのままで技をやり遂げてしまうなど、離れ業にも程がある。
「だから、よう見ておくように言ったであろう? 松田殿」
景兼の声が背後から届く。
「儂も卜伝先生に見せてもらった時以来、久々に見たでな」
「へ? じゃあ、あれが……塚原卜伝の」
景兼が頷き、ようやく松田にも合点がいった。
一之太刀
戦国時代最強にして最高の剣豪の一人として、塚原卜伝の名を挙げない者はいないだろう。
生涯無敗のまま世を去った剣聖の奥義として、名前だけ知られている技が一ノ太刀。
史実では足利義輝や北畠具教に伝授したと伝えられる幻の技であるが、史実でも林崎甚助は卜伝に一ノ太刀を伝授されたという伝承が存在する。
伝える派によっては一子相伝で伝えられ、小太刀を用いる技として伝えられているという。
この大陸日本の世界でもまた甚助は卜伝から教えを受けていたようで、抜いた小太刀でラウールのレイピアを撃ち落とすと同時に、彼の喉元へと突きを放ってみせたのだった。
最初から、甚助は奥の手のさらに奥の手を見せ、きっちりそれを使って勝利したのである。
-
「一つ頼みがある、ハヤシザキ殿」
「何でしょう?」
立ち上がりレイピアを鞘に収め、小手と盾を外しながらラウールは訝しむ甚助に左手を差し出した。
「あなたの国の習慣ではないかもしれんが、できれば握手してほしい。心臓に近い方の手で」
「これで良ければ」
なんとなく意味は察したのだろう。
木刀を納めた甚助もふんわりと笑いながら手を差し出し、二人の手がガッチリ握られる。
どちらの顔にも、先程までの真剣勝負の名残は微塵も見当たらない。
「勝てば栄光、負ければ惨めといいたいところだが、今回ばかりは誇りをもって敗者とならせていただくぞ、ハヤシザキ殿」
真剣勝負が終われば、もう敵ではないとばかりに快笑したラウールは大広間を見渡し、よく通る声で宣言する。
「この試合、ハヤシザキ殿の勝ちだ」
どよめく観衆を前に、手を離したラウールが優雅に相手に一礼すると、甚助もまるで打ち合わせでもしていたかのような完璧なタイミングと美しい一礼で応える。
「彼の勝利を称えてくれないか? フランス騎士の名が泣くぞ」
未だどよめく同僚たちをたしなめるように言いながら、ラウールは甚助に向かって困ったように片目をつぶって試合場を後にした。
「フランス人というのは洒落が効いていますな」
「甚助殿も遊びのコツを心得ておられますから」
「分からぬ野暮もいそうですがな」
「ま、本人は心得ておるでしょう」
景兼と定次の言葉に忠明がそんな事を言うが、重位がフランス側を見やりながら付け足す。
実際、ベンチに戻ったラウールに詰め寄る者もいたのだが、この貴公子然とした伊達男は苦笑しながら首を振った。
「よしてくれ。俺は敗北の苦い酒は甘んじて飲めるが、負け惜しみの腐った酒は飲めんのだ」
なお言い募る者に、ラウールは続ける
「それに、最初からハヤシザキ殿は俺との勝負に付き合う必要などなかった。あの最後に見せた技は太刀でも使えただろう。ならば、最初の一合で俺は破られていた。敢えて
俺の流儀に付き合い、その上で彼は勝ったのだ。……俺を負け犬と呼ぶのは構わんが、恥知らずにはなれんよ」
そう、全てを悟ったような顔で静かに告げた。
そこには、これ以上の文句があるならまず自分が受けて立つという意思表示が込められ、そうまで言われては誰も口を挟む事ができない。
「この交流会で思惑の崩れる者は多勢出るだろうし、話がどうなるか分からんが……」
黙った同僚たちを横目で見やりながら、ラウールは呟き、そして破顔する。
「あのような男たちが住まう日本という国、見たくなったぞ」
敗北してなお爽やかさを失わず、伊達男の挟持を崩さない男はそう言って自分の敗北を締めくくったのだった。
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以上で、第三試合終了です。
どんどん長くなってしまって、本当申し訳ありません。
wiki転載の方はご自由にどうぞ
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乙でした。流石フランス武人、負けて尚良き華を見せてくれる…
しかしまぁ、日本側の剣豪たちもゲートの向こうにこんな面白い武人が居て、心底楽しんでそうですなぁ(小並感)
日本とは一風変わった思想や戦場の元で形成され、磨き上げられた武具や剣術、武技。武者修行と称して
双方の武人が往来初めて何か面白話展開したりするかもですな、将来
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乙です。
フランスの剣豪が魅せてくれた!!
レイピアは囮、本命は鎧と籠手を利用した押さえつけとは!!流石は西洋剣術といいますか、優雅さと泥の中でも生き残るために磨かれた戦い方が剛毅で美しい……戦場では殺撃も容赦なくやったのでしょうなぁ。
戦いの中で油断なく、負けてもなお華々しく嫌味がない。ラウールさん、吟遊詩人が唄う時代ならきっとより高潔な戦士として人気になってたでしょうなぁ。
西洋剣術の強さというか、特色も見れて素晴らしい話になってました。双方ともに強くカッコよかったです。
ああ、次の話が楽しみ……!
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乙です
双方の武が惜しげもなくぶつかり合う…いいものですねぇ…
遊びが混じっているとはいえ、こういった真剣勝負はこちらも血が熱くなるような錯覚を覚えます
というか、完全に初見のレイピアとバックラーの組み合わせの技を即座に見破ってその先を行くとかどんだけですか(白目
勝負も燃えましたが、君主同士の掛け合いもいいものでしたねぇ…
というか、大殿、お忍びでオルレアンに行っていたんですかw
常識にとらわれない行動力と発想力は老いてもなお盛んで、エネルギッシュですねw
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乙です
ノッブは若々しい印象が強いですが、こういった老信長もまたいいものですな。
この世界では史実よりも老いた後の信長を書く作品も増えそうです。
フランスの伊達騎士さんは見事なものでした。
技、タイミング、見切りと全てが最高の物を出しましたね。
普通なら十戦しても十勝して可笑しくないレベルですが、これでも届かなかったか…
日本側の達人が怪物すぎるw
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乙です。
「猫をかぶる」がフランスでも諺になりそうw
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乙です。
ラウールはゲート通って日本で修行しそうですねw
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乙。この信長実は眼帯してたりエルフ語話せそうだw
日仏ともに滅茶苦茶勉強になる試合だな
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乙です。
伝説の剣聖である塚原卜伝の奥義の一之太刀が生で見られるとは素晴らしい試合ですね。
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皆様、感想ありがとうございます。
>>406 陣龍様
三十年戦争の最中、夢幻衆を知る邪教の者達に生贄と狙われた少女を守護して旅を続ける宮本武蔵
助けるは柳生十兵衛と新米銃士ダルタニアンなんて無茶ネタ考えたりしてますが、需要ありますかねえ?
>>407 時風様
フランスって優雅に見えて農業国だからか、どっか朴訥とした泥臭さがありますよね
景兼先生の相手が正統派、忠明先生の相手が変則的だったんで、甚助先生の相手は優雅な人になってもらいました
>>408 弥次郎様
信長様、日仏世界ではどんな人物なんだろうかと悩みながら書いたんですが、大丈夫でしたでしょうか
オルレアンのあれは噂にしましたが、大陸世界の信長様なら、あれぐらいやりそうなエネルギーあるかなあと思いましてw
アンリ4世にとって、色んな意味で忘れがたい人なんじゃないかなあと>信長様
>>409 トゥ!ヘァ!様
老いた信長ってどんな感じなんだろうかと悩んでたんですが、映画エンゼル・ハートの魔王にして紳士を演じたロバート・デ・
ニーロと原作の描写からイメージしてみました
知的で優雅でエネルギッシュ、内心で別の思惑を楽しむ魔王の底知れなさを併せ持つ感じで
>>410 モントゴメリー様
史実世界の猫をかぶると、何か違った使い方になりそうですねw
>>411様
日仏の武人達が行き来すると、また違った話のネタが生まれるんですかねえw
デュマと史実より早めに生まれた十返舎一九が、日仏道中膝栗毛を共同執筆なんてネタ、後で考えたいなあ
>>412 New様
信長様はホント、フリー素材として使いやすいお方ですやねw
日仏世界の武人達の今後は、これから書けるといいんですが
>>413 ハニワ一号様
大陸日本で史実通り矢傷数箇所ぐらいしか負傷せず、死ぬまで不覚取らなかった卜伝先生ってどんな怪物だったやらw
それでは、次回も頑張ります。
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>>邪教の者達に生贄と狙われた少女を守護して旅を続ける宮本武蔵 助けるは柳生十兵衛と新米銃士ダルタニアン
なにそれ面白そう(小並感)
日仏版三銃士!って感じですかね。
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シベリア柳生も居るかな?(分かる人居るかな)
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逆襲されると困るな
ラブリー眼帯とか
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>>415
石川賢調でやりたいんですけど、やれるんかなあw
フランス側からもう一人出したいんですけど、当時のフランスの剣豪って言うとシラノ・ド・ベルジュラック
ぐらいなんですが、出す予定の年代だと彼まだ子供なんですよねえ
ドミノ現象で史実より早く生まれた設定にすればなんとかなるかなあ
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>>418
子供であっても強い!
もしくは、旅する中、戦いで強くなっていった…(人外に修行をつけてもらった)。
と、いうのも面白いので。
ちびシラノ君でもよいのではないでしょうか?
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>>419
ユリアンくんポジなシラノもいいかもしれませんねw
今の連載が終わったら、考えますかね
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ざっとwikiで見ただけですけど
シラノが軍を退いたのが22歳(1640年に負傷>翌年除隊)で回復後に剣術を修めてる(20代半ば?)みたいですね
そして史実の武蔵の没年が1645年で61歳
夢幻衆の介入で武蔵の寿命が伸ばせれば老剣客と青年剣士のハチャメチャ道中記でワンチャンいけそうですかね?
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>>416
シベリア柳生ならぬフランス柳生が登場するかもw
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>>421
まあ、武蔵を中年オジサンで出したい感じですから、やっぱ少年になるのかなあ>シラノ
その前に今書いてるのを終わらせないとorz
取り敢えず折返しは過ぎた……筈w
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武蔵は史実でも孤児だったり親戚だったりする少年を拾っては鍛え上げて、自分の代わりに藩に仕官させていました。
それも、藩主側近の小姓(護衛役)とかで。自分が仕官すると一つの藩に拘束されるけど、養子にした弟子なら複数の藩に仕官させる事が出来るので。
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あ、なんか佐藤賢一の「二人のガスコン」でちょっと閃いたかもww
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二人のガスコンは良かったですよねw
ただ、クライマックスの戦闘が出だしと結果だけだったのが個人的にさびしかったなあw
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>>418
ケン・イシカワ調とはまた難儀なw
楽しみに待っております。
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>>422
娘の名前はフリーシャから何に変わるのか・・・?
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>>423
シラノを乳母車に乗せて旅をするのですねわかります
そして乳母車には謎の斬馬刀やら謎のガトリング砲やら謎の重装甲モードへの変形機能やら
三歳児が百メートル以上投げられて殺傷力抜群という謎の手榴弾が「一軍をせん滅させるくらいの数」搭載されているのですね
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日仏世界とは関係ないが広大な大陸日本は水戸黄門が旅する場所に困らんだろうな。
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