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「のと」本編

152shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/23(土) 21:33:02
統本情報部は、一課から七課までの課からなっており、それぞれが担当地域を担っている。
情報部にはそれ以外に総務課がおかれている。
総務課には、後の世界で、庶務と呼ばれる一般雑務をこなす係もあるが、情報部においては、特別な扱いを受けていた。
通常は、五年前より受け入れが始まった事務系の女性兵士が、総務課より各課に派遣され、雑務をこなしているが、時折、そんな彼女達とは全く毛色の違う将兵が総務課より各課に派遣されてくる。
彼らか派遣されてくると、課長と打ち合わせをし、時には何人かの課員が呼ばれ、必要な情報を入手すると、出て行って暫くは戻ってこない。
否、場合によっては、それきり音沙汰の無い場合すらある。
勿論、課員は、彼らが何者かは判っているが、それは口にしない。
総務課特務班、世界の様々な紛争地域を渡り歩き、時には非合法な活動もこなしながら、情報部の必要とする情報を入手してくる実働要員だった。

佐藤が短い休暇を終え、特務班に顔を出すと、直ぐに班長に呼ばれた。
「体調は?」
「万全です。」
「そうか。この書類に目を通し、一時に部長室に出頭するように。」
班長は、めんどくさそうに書類を渡すと、もう用は無いというように、手で追い払う。
一言なんか言ってやろうかと思うが、罵声ではこの班長には勝てそうに無いので、黙って書類を受け取り、軽く頭を下げ、自席に戻る。
パラパラと渡された書類に目を通す。
一目見て、今度の任地は中華東北区である事が見て取れた。
俗に言う、満蒙である。
挟み込まれた白地図には、現在の満蒙地域の北辺軍、所謂張学良が指揮官の中華民国国軍の配置から、停戦監視団、帝国軍の配置まで全て記載されていた。
そうか、ロシアか・・・
更に地図には、アムール川を挟むように、対岸に位置するソ連軍の配置状況まで記載されている。
しかし、最近何かあったかな・・・
書類に尚も目を通しながら、佐藤は一人で、状況を推測してみる。
ソ連が脅威であることは、今も昔も変わらない。
しかしながら、ここ数年は国境紛争等も起きておらず、おとなしいものだった。
と言うことは、何か起きるのか、いや、起こすのか?
起こすなら、自分がそれを命じられるのは願い下げだなと思いながらも、取りあえず、与えられた情報は全て把握するように、少し真剣に書類に目を向けた。

153shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/23(土) 21:33:39
「失礼します。」
部長室に入ると、既に先客がいた。
「梅津だ。宜しく。」
軽く頭を下げ、指し示されたソファに腰を下ろす。
「資料は読んだな。早速だが、行き先は、乾岔子(カンチャーズ)島だ。」
その名前を聞いても、一体何処にあるのか、佐藤には全く検討がつかなかった。
「アムール川沿い、ハルピンの北西400キロの地点、言うまでも無く中ソ国境だ。」
佐藤は、いやそうに繭をしかめる。
「一応、一個中隊を付ける。身分は、停戦監視団派遣将校。後方支援としては、ハルピンで習熟訓練中の戦車中隊が、演習も兼ねて、国境周辺を警備中だ。指揮官は島田大尉。50キロ程上流の、アイグンで、中華民国北辺軍に引渡し予定の新式河川砲艦が試験中だ。こちらは、木村大佐が試験管として乗船していることとなっているので、いざとなったら、彼の指揮下に入るように。」
佐藤の眉が釣り上がる。
ここまで、大掛かりな準備が整っている以上、事はただ事ではない。
「「のと」情報は知ってるな。」
改めて確認するまでもない。
総務課特務班が派遣される地点は、「のと」情報と呼ばれる丸秘情報からによる場合が多く、その由来は様々な噂があるが、精度の高い防諜情報である。
「今回は、精度はそれ程高いものではないが、アムール川にある中州に、ソ連軍が侵攻を企てているとの事だ。」
なるほど、その為の出動ならば、良く判る。
しかしそれが、特務班が動くほどの事なのか。
佐藤の疑問が顔に現れたのか、梅津が尚も話を続ける。
「現地指揮官の独断ならば、単なる国境での小競り合いで終る。しかし、裏でソ連首脳の意思が働いていたら、どう思う?」
「威力偵察ですか?」
何らかの意図があり、実施されるならば、それはその後の侵攻準備に他ならない。
なるほど、欧州でも徐々にきな臭い雰囲気が漂い始めていると聞く。
ソ連が動くとすれば、東か西か、どちらも可能性はある。
西が慌しくなり、列強がそれにかまけている間に、東で動く可能性、逆に東を固めておき、その間に西で動く可能性、両方とも可能であろう。
いくら、現在は大きな紛争も無く、帝国とソ連、中華の関係が比較的良好とは言え、ソ連が中国共産党を支援しているのは、公然の秘密だし、ロシアはロシアである。
「どちらの可能性が高いと考えられますか?」
「その判断がつかんから、情報部が動かざる得ないんだよ。」
それまで、黙って聞いていた堀部長が、ポツリと言った。
ごもっとも・・・
佐藤は、軽く頭を下げ、部長に敬意を表する。
「まあ、どちらにしても、禍根を断つため、中洲への侵入者は殲滅してくれ。但し、あくまでも中華国軍の手によってだ。」
「それは・・・難しいですね。」
「判っている。しかし、国軍が国境紛争一つ解決出来ないと判れば、ソ連はつけ上がる。帝国が他の地域での紛争にかまけて、動けないと見れば、何をするか判らんからな。」
なるほど、帝国は欧州に参戦する積りらしい。
その位は、ここにいれば、佐藤でも判る。
梅津はその辺りまで理解したらしい佐藤の顔を満足そうに見つめる。
まあ、「のと」資料では、陸軍中野学校の創設者と書かれている以上は、この位は当然か・・・
そんな事を梅津が考えているのは、佐藤幸徳中佐には、判るはずも無かった。

154shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/23(土) 21:34:20
「大尉、田中大尉・・・」
「うん、あっ、俺か。」
生半可な返事を返すと、若い榊少尉の顔に、この人大丈夫かと言う表情が浮かんでいる。
佐藤は、思わず心の中で苦笑する。
今の自分は佐藤ではなく、田中大尉だった。
いかん、いかん、気をつけなければ・・・
と言っても、佐藤がそれを気にしている訳でもない。
40過ぎて、うだつの上がらない大尉役なので、結構気に入っている。
ぼおっとしていても、誰も不思議に思わないし、呼ばれて返事をしなくても、怪しまれない。
結構楽だな、大尉と言うのも。
「で、なんだ。」
「監視所の司令がお見えです。」
「おお、それは如何、挨拶せねば。」
大げさに驚いて、後ろを振り返ると、自分と似たようなやや小太りの少佐が困った顔で、こちらを見ていた。
いかにもぞんざいな敬礼を交わす。
それでも、階級章から、少佐と判るので、相手が手を下ろすまで、ちゃんと待った。
「停戦監視団、田中大尉、二人は、大衡中尉、榊少尉です。」
「東北辺防軍、劉少佐です。何かあったのですか?」
どちらかと言えば、濁音がきついが、それでも流暢な英語が帰ってくる。
昔は、日本語か北京語が使われていたが、最近では英語が共通語になりつつある。
勿論、佐藤も英語どころか、北京語も使えるが、ここはわざとゆっくりとした英語で答える。
「先月、北安郊外で、問題を起こした共産匪賊を追っています。ええっと、ソ連に逃げ込もうとしているとの情報があり、暫くこの辺りで警戒させて頂きたい。」

155shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/23(土) 21:35:01
これは本当である。
蒋介石も張学良も、共産党の暗躍には手を焼いていた。
流石に、大規模な紛争は、治まっていたが、共産党はその代わり、徹底したゲリラ戦法に切り替え、あちこちで小競り合いを引き起こしている。
特に満州地区では、中華本土の腐敗した利権構造の為、逃げ出してくる人々が後を絶たず、お蔭で、紛れ込んでくる共産党員もきりが無かった。
まあ、満州地区では、停戦監視団や、東北辺防軍そのものが、利権構造とは無縁の存在であるので、中国中央とは違い、それほど彼らには活躍の場所は無い。
それでも時折、郊外で爆弾騒ぎなどか起こるのは止められなかった。
何せ、裏ではモンゴル経由で、ソ連製の武器弾薬が流れ込んでおり、幾ら規制しようとしても、広い大陸故、抜け道はいくらでもあった。
 ちなみに、東北辺防軍そのものが、利権構造から切り離されているのは、何も張学良を含む北方軍閥が、精錬潔白な訳では無い。
フリートレードゾーンのせいで、通関手数料である、3%以上の賄賂を要求できないため、通行料や、その他の名目で、軍隊が上がりを掠める事が出来なくなってしまった為である。
しかも、高畑達が、彼らに投資顧問を派遣し、裏技的な金儲けの方法を伝授している点も大きかった。
彼らは、満州地区の治安の維持が、日々増えてゆく資産の為に必要不可欠なものである事を良く理解しており、それ故、東北辺防軍が健全である事が要求されていたのである。

目の前にいる中国人の少佐も、その新しい東北辺防軍を良く表わしていた。
昔の軍閥と違い、この五年間で彼らの待遇は遥かに良くなっている。
しかも、少佐ともなれば、収入はかなりのものである。
制服も自分で誂えたものであろう、佐藤達が着ている停戦監視団のものよりも見栄えが良い。
血色の良さそうな顔に、小太りではあるが、流石に軍人らしく、無駄な贅肉に塗れている訳では無い。
今は、佐藤が手渡した、書類に目を通してるが、その態度も堂々としている。

156shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/23(土) 21:35:45
「判りました、暫くこの辺りで、警戒待機されるのですね。宿舎は、どうされます?」
別に、彼が親切で言っている訳ではない。
いや、劉少佐の場合は、親切心からかも知れないが、とにかく、停戦監視団と北辺軍の間の協定では、北辺軍が提供したサービスには、相応の代価が支払われる事となっており、その請求は、よっぽど無茶を言わない限り、受け入れられる。
「いや、お申し出はありがたいのですが、共産匪賊に網を張って待ち伏せですから、そう言う訳には行かないんですよ。」
佐藤は残念そうに、言う。
北辺軍の少佐クラスともなると、専用のコックを引き連れている事もある。
提供される料理は、後で請求出来る事もあり、かなり豪華である。
「ほう、それは残念ですね。まあ、今晩位宿舎においでになりませんか、食事くらいは良いでしょう。」
「えっ、それは、」
「大尉!」
思わず承諾しようとすると、横から榊少尉が、肘でつついてくる。
「折角ですが、特命ですので、お受けする訳には参りませんよね、大尉」
「えっ、おまえ、な、何を・・・」
「お忘れですか、あくまでも気付かれないように留意を払えと言われたじゃないですか。」
「そ、それは・・・そうだが、しかしなあ・・・」
二人がこそこそ話し出したのを、劉少佐は、少し呆れ顔で、大衡中尉に視線を向ける。
年下の少尉が、うだつの上がらない大尉に諫言している図そのものの構図に、何とも言えない。
大衡中尉が、無駄ですと言うように、首を軽く振る。
「命令です・・・」、「日華友好・・・」とか言う言葉が聞こえてくるが、やがて意見がまとまったようだった。

「失礼致しました。劉少佐、まことに残念ながら、そのお誘いもお断りせざるを得ません。」
大尉は非常に残念そうな、いや未練たっぷりでこちらを見つめてくる。
きっともう一度誘いを掛ければ、今度は喜んで乗ってきそうである。
しかし、横にいる若い少尉は、さも当然であると言う顔で、真っ直ぐに見つめている。
まあそこまで、誘う義理もないし、何よりもそうなった時に、この若い将校のいらぬ恨みでも買いそうで怖い。
「判りました。まあお互い仕事ですからね。それで、食料の方は?」
「ああ、それは、後で兵舎の方に、給食班を向かわせますので、宜しく。」
「そりゃ良い、兵が喜びます。では宜しく。」
敬礼を交わすと、停戦監視団の三人の将校は、まだぶつぶつぼやいている大尉を中尉があやすように、何か言いながら、部隊の方に戻って行った。

157shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/23(土) 21:36:26
あれじゃ、本当に共産匪賊とやらを捕まえられるのかね。
そんな事を思いながら、北辺軍少佐も、監視哨の中に戻る。

少なくとも、これで北辺軍には警戒されることは無かろう。
まだ心配ならないと睨んでいる榊少尉を半分からかいながらも、佐藤は心の中で一人頷く。
最も、中華料理を食べ損ねたのは本当に残念ではあったが。
まあ、食材を交換出来るから、隊の給食班が何かそれらしいものを作ってくれるのを期待するか。

大陸からの撤兵からこっち、導入された新しい制度に、給食班の整備があった。
それまでのような、兵一人一人に、飯ごうを持たせ、自炊させるのを廃止し、給食班による一括調理による配給制に部隊の食事は変わっていた。
食材は予め、補給品として用意されており、現地での略奪まがいの行為は堅く禁じられている。
これは、民衆の恨みを買わないために当然と言えば当然の事なのだが、その代わり、いかにも日本人らしく、食事に凝る給食班の班長達は、物々交換による食材の調達を行うようになっていた。
軍も、最初は便衣隊などの暗躍を恐れ、禁止しようとしていたが、それも今では積極的に奨励している。
帝国が持ち込んだ食材に、意外と人気がある事が判ったせいだった。
缶詰で提供される、鯨の大和煮や鮭や鮪の水煮等は、結構現地でも喜ばれた。
そして、最も人気のあるのが、五年前から食材に導入された乾燥麺だった。
何よりも、長期保存が利き、かさばらない点が、導入の理由だったが、予め味付けし、揚げてある乾燥麺は、お湯に入れて茹でるだけで結構上手いと評判になっていた。
製造元の日新製粉では、増産に励んでいるらしいが、まだまだ中華の辺境では数が少なく、貴重品扱いとなっており、補給班が、設営の準備を始めると、近所の農家から、食材を持って交換に来る程だった。

「それじゃ、少尉、何名か連れて、他の小隊の配置を確認してきてくれ。ジープを使ってかまわんよ。」
佐藤は辺りの地図を取り出し、眺めながら、榊少尉に告げる。
「この辺りが野営地に使えそうだな。取りあえず、この辺りが本部になるか。」
「そうですね、そこなら、隠れるにも適してそうですし、川にも近いですね。」
横から地図を覗き込み、大衡が答える。
「うん、どうした、何かあるか。」
佐藤は、榊がまだ動き出さないので、不振そうに声を掛ける。
一瞬、何か言いたそうな顔を浮かべた榊少尉だが、すばやく敬礼すると、きびすを返して、兵隊を呼び、準備にかかる。

158shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/23(土) 21:37:06
「彼、絶対、大尉が自分のいない間に、大佐の招待を受けに行くんだと思ってますよ。」
馬鹿言えと言う顔を大衡に向けながら、それには気が付かなかったと一人納得する。
まあ、仕事が無ければ、否定は出来ないな。
あいつ、絶対サボらないで下さいと言いたかったんだろうな。
流石に、上官二人に対して、そこまで口は聞けない。
それに兵も見ている。
兵隊の前では上官の悪口を言わない位の教育は受けているようだった。
しかし、あまりに手を抜くとその内には彼もそんな教育も忘れてしまいそうだった。
まあ、二週間も一緒に行動していると、その辺はさっしが着く。
新任の榊少尉にすれば、自分のような上官は許せないのだろう。
偵察車に、三名程の兵隊を乗せ、榊少尉が出発して行くと、佐藤は改めて、残りの兵隊を見回す。
残った兵隊達は、休めの体制のままで、こちらの指示を待ち受けている。
全員がこれからの行動に興味津々であるが、それでも殆どの兵隊がその気持ちを上手く隠しているのに気が付き、佐藤は心の中で微笑む。
兵達の多くは、召集兵ではなく、ある程度熟練兵を選んであるのが判るだけに、安心出来る。
特に、残った下士官は、いかにも歴戦のつわものとと言う感じで、完全な職業軍人そのもののふてぶてしさで待機している。
十分な間合いを取り、兵たちから少し距離を置いて何気なさそうに佇んでいるが、警戒は崩していない。
昭和維新後、大きな紛争も起きていない帝国軍に取り、貴重な実践経験者であろう。
一瞬、視線が会うと、曹長は慌てて目を逸らした。
その仕草に、ふと疑問を感じ、佐藤は曹長を手で差し招く。

159shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/23(土) 21:37:47
「ここの手前500メートル程戻った所に道があっただろう。ここだ。」
地図を広げ、曹長にも見えるように示しながら、佐藤は話す。
「ここを暫く進んだこの辺り、ここに本部を築く。ところで貴様、任務は聞いているか。」
流石に、隊長の自分がそう聞くのもおかしい気もする。
数年前までは、何をしに行くのかが知らされる方がまれだったのだ。
どこかで、引っかかる気がしたため、会話を繋ぐ為に聞いただけだった。
「はあ、一応は。」
曹長も、何か迷っているようで、言い方が曖昧である。
しかし、何か覚悟を決めたらしく、曹長は、ビシッと背筋を伸ばすと、
「失礼いたしました。本職の聞いていますのは、建前だけであります。田中大尉殿。」
やや痩せた鋭い目つきの曹長の、覚悟を決めて、探り入れるような言い方に、佐藤の目が少し動く。
『だいい』、『たいい』ではなく、旧陸軍の呼び方である。しかもご丁寧に『どの』まで付けている。
総軍創設以来、殿は普段は使われなくなった。大尉も陸海共通の『たいい』に変わっている。
ピンと来るものがあり、少し口調を改める。
「貴様、軍に何年になる。」
「ハッ、今年で20年です。先の大戦の折には、歩兵第32連隊でした。」
そうか、あそこにいたのか。それでは隠しても仕方ない。
佐藤は、大衡と目を合わせ、頷きあう。
歩兵第32連隊は、当事佐藤が中隊長を務めた部隊だった。
そして、大衡も、違う名前でそこにいたのだった。
「確か、チンタオだったな。名前は?」
「ハイ、坂口健吾特務曹長です。」
坂口は、あの頃まだ一等兵だった筈だ。それが特務とは、偉くなったもんである。
「そうか、坂口一等兵か、偉くなったなあ。」
大衡も、やっと思い出したのか、嬉しそうに言う。
「はっ、ありがとうございます。」
坂口がほっとした顔で、嬉しそうに答える。
そりゃそうである。
指揮官として、二名の将校が赴任してきた時、坂口は唖然とした。
二人とも、年はとっているが、明らかに坂口が最初に配属された部隊の小隊長と中隊長である。
当時連隊で、佐藤中尉と仲村少尉の凸凹コンビを知らないものはいない程の二人だった。
普段は、将校にしておくのはもったいない程、気さくで、とにかく兵を大事にする指揮官だった。
戦闘となると、人が変わったように、獰猛になるが、それでも、その命令はその後の無理難題を吹っかける天保銭将校とは全く違っていた。
それに、この二人はきっと忘れているであろうが、坂口は中隊長に命を救われたと信じている。
この中隊長がいなければ、そして、自分の属した小隊の指揮を仲村少尉が取っていなければ、あの時生きては帰れなかっただろう。
そんな、軍では珍しい事に、坂口自身が敬愛する指揮官二人組みが赴任してきたのである。
本当ならば、挨拶に行きたい所だったが、名前と階級が合わない。
坂口が覚えている中隊長は、佐藤幸徳の筈だが、田中幸徳と名乗られているし、小隊長は仲村栄一が、大衡栄一となっている。
二人とも、どこかの家系でも継いだのかとも思ったが、それよりも階級が合わない。
確か、中隊長は五年前に中佐になられていた筈だし、小隊長は少佐だった筈である。
何かある。
伊達に、特務曹長と名乗っている訳ではない。
それくらいは、坂口も察しがつく。
ここは、黙っていなければと思うのだが、それでも本人達を目にすると、落ち着かなくなるのはどうしようもなかった。

160shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/23(土) 21:38:34
「それで、坂口曹長、どうして建前と気がついた。」
一通りの歓談を終らせ、佐藤が問いかける。
少なくとも、坂口のような歴戦の曹長が部隊にいるのは安心できる。
まあ、兵隊の経歴を確認しないで、編成を考えたやつには、帰ったらきっちりと落とし前はつけさすが、今はありがたい。
「ハッ、中隊の兵が、古参中心で選抜されております。それに、武装もほぼ充足体制です。」
言う通りだった。
近衛教導兵団ならばいざ知らず、沖縄特選管区所属の監視団派遣部隊にしては、装備が良すぎる。
「ふむ、やりすぎかな。で、それだけか?」
「いえ、戦車中隊が、後方に待機している点も、尋常ではありません。」
坂口が付け足す。
やはり、曹クラスの情報網は侮れない。
特に、任地によっては自分達の命が掛かっているだけに、情報収集は死活問題だろう。
「これは、何かあると思いましたが、やばいのは出来れば遠慮させて貰いたいと、他の連中と話しておった所に、大尉が着任されました。」
坂口が、言葉を選ぶように、話す。
「大尉が、あの当事の中隊長のお知り合いの方ならば、邪険にはされまいと、後は当たって砕けろです。」
「おまえなあ、他の連中だったら、ただじゃすまんぞ。」
佐藤はあきれてしまう。
自分だから、かなり突っ込んでも大丈夫だと言われては、あまり好い気はしない。
「ハッ、申し訳ございません。何分当事の中隊長は、それは型破りの方でしたから。」
隣で仲村が、笑いを堪えて真っ赤になっているのが、余計に気に障る。
しかし、一体どんな話になっているのか。
今回の件が終ったら、聞き出さねば。
「うむ、良く判った。詳しい事は言えんが、露西亜が越境してくる可能性がある。」
とにかく話はそこまでにし、声を落として、要点だけ伝える。
「場所は、一キロ程上流の中洲、乾岔子(カンチャーズ)島が怪しい。場合によっては、河川砲艦がお出ましの可能性もある。」
「河川砲艦ですか、剣呑ですな。」
坂口も、打って変わって真面目な顔で、一言も聞き逃すまいと、顔を寄せる。
「問題は、ここが中華だと言う事だ。撃退、いや殲滅してしまう必要はあるのだが、帝国軍が全面に出る訳にはいかん。」
「それで、三八が多いんですか。」
坂口も、兵員輸送車の中に、普段より余分に三八式歩兵銃が積んであるのは気が付いていた。
歩兵の携帯兵器は、五年前から順次、新式の九二式小銃に更新が進められていた。
40発入りの弾奏を用い、連射の効く小銃は、重宝がられていたが、三八式も、一部程度の良いものは残され、主に狙撃銃として部隊では、射撃の上手いものに渡されていた。
その三八が余分に積んであるのである。
北辺軍に紛れて、三八による狙撃を多用しようと言う考えは、坂口でも思いつく。

こいつ、中々鋭いな・・・
いや、この位は誰でも思いつくか。
佐藤は、少しがっかりしながらも、それは表情には出さない。
「そうだ、北辺軍があくまでも主功で、帝国軍はそれをサポートする事となる。遠距離からの狙撃や迫による砲撃、夜間戦闘、トラップの準備、貴様にやってもらう事は、沢山ありそうだな。」
軍は下士官で持つ。
ばれてしまったのは問題だが、この場合逆に良かったかもしれない。
信頼できる下士官が一人いるといないでは、その後の展開が全く違ってくるのだから。

161shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:22:46
「大尉、大尉!」
テントの外から押し殺したような声で、榊少尉が叫んでいる。
本部を決め、設営を行ってから五日が過ぎていた。
最初は、部隊にも緊張があったが、それも五日目の明け方近くともなると、少しずつ弛緩した空気が広がり始めていた頃だった。
「なんだあ・・・」
いかにも寝てましたと言う顔を浮かべ、佐藤はテントから出る。
「巡回に出ていた兵からの報告です。対岸で何かおかしな動きがあるとの事です。」
「お前、そんな事で俺を起こしたのか。全く、一体なんだってんだ。で、巡回に出てたのは誰だ。」
ちょっとやりすぎかなとも思うが、少し怒った顔で、榊少尉を睨む。
「ハッ、坂口曹長の分隊です。おい、曹長!」
暗闇の中から、坂口が進み出る。
坂口に分隊を与え、夜間の警戒に行かせたのは佐藤自身なのだが、それは言わない。
二日前に、密かに対岸の偵察に出向いた仲村が、情報を掴んで来ていた。
それによると、戦車数台を含む、大隊規模の部隊が前進して来ていた。
しかも、その後方には更に、数個師団規模の部隊が待機しているようである。
まあ後方の師団は、あくまでも後詰であろう。
師団規模での戦闘となると、最早国境紛争と呼べるレベルを超えてしまう。
第一そこまでの部隊を対岸に渡すための船舶の手配が行われている気配は無かった。
少なくとも大隊規模の部隊で、用意が整い次第、乾岔子(カンチャーズ)島を占領してしまう気であろう。
「対岸で、何やら音が聞こえました。」
「うん、対岸の音?」
「ハイ、夜間ですから結構遠くまで聞こえます。いや、対岸まで聞こえる程ですから、一両や二両の車輌が動いている音ではありません。」
「ふむ、ロシアが何かたくらんでいるのか。匪賊の迎えの準備か?」
自分でも白々しすぎて、声が棒読みに近くなっているのを慌ててごまかす。
「榊少尉、どう考える。」
「ハイ、共産匪賊がロシアと連絡を取っているならば、対岸で何か騒ぎを起こし、その間に、それほど遠くない地点からの渡河かと。」
「うむ、悪くないな。しかし、この辺りで渡河できるのは、我々のいる地点だぞ。その間をどうやって通り抜ける積りだ。」
「はあ、そうですね。あっ、逆に対岸ではなく、カンチャース島辺りで騒ぎを起こす積りでは。そうすれば、我々もそちらに気を取られて、監視哨と配置の間の警戒が薄れるかと。」
坊ちゃんだと思っていたが、榊も割合と頭は働くようである。
それ程誘導する必要もなく、望みの答えに辿り着いてくれた。
但し、ロシアの連中は別に匪賊を迎えに来るのが、その目的ではないだろう。
実際はこちらが予めリークした匪賊の話に乗って、中華領である中州を占領してしまおうと考えているのであろう。
「あっ、そう言えば、小型船舶でしょうか、トラックとは違うエンジン音も聞こえました。」
「あたりだな。で、どうする。」

162shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:23:23
「はっ、直ちに、我々も部隊をカンチャース島まで前進させ、待ち伏せします。敵の侵攻を阻止し、速やかに現状復帰致します。」
「40点」
「はあ、」
「一つ、ここは中華民国領だ。帝国軍が動く訳にはいかない。二つ、我々は停戦監視団であり、帝国軍ですらない。従って、国境紛争には介入する訳にはいかない。」
「あっ、そうですね・・・ それでは、直ちに劉少佐に連絡、我々は対岸で監視を継続。特に匪賊の渡河に注意を払います。」
「うーん、70点。」
「えっ、と言いますと。」
少しむっとしているのが判るだけに、面白い。
本当に、若いやつは判りやすくて楽しい。
「北辺軍は、大切な友邦である。我々はその辺りも考慮する必要がある。」
「直ちに、戦闘準備を整え、第一、第二小隊は、北辺軍の支援、第三小隊は、匪賊の接近に備え後方警戒に当たる。大衡中尉!」
「はっ!」
いつの間にか、出動準備を終えた大衡中尉が後方に控えている。
「第三小隊を任す。榊少尉!」
「は、ハイッ!」
いつもと違い、突然厳しい口調に変わった、佐藤に驚きを隠せない。
「直ちに、北辺軍劉少佐の元に行き、状況を報告。」
「ハイ!」
「あっ、それから、劉少佐には、「監視団は、表立っては国境紛争には関われませんが、出来うる限りの支援は致します。」とちゃんと伝えるんだぞ。それと、準備が整い次第、こちらから伺うともな。」
最後だけ、いつもの佐藤の口調である。
声を潜め、まるで子供の悪巧みを告げるような、その言い方に、榊は少し憮然とする。
「ハイ、了解しました。」
それでも、軽く答礼すると、急いでジープに走り寄る。

「やけに、丁寧ですね。」
大衡中尉事、仲村がニヤニヤしながら、佐藤につぶやく。
「なに、部下を育てるのも、上官の仕事だ。」
仲村は、口を半分開き、何か言おうとするが、それを飲み込み、頭を左右に振る。
イヤイヤ、この人がそれだけの理由で、これほど懇切丁寧に、状況を理解させた筈は無い。
きっと、榊少尉は大変な目にあうのだろうな・・・
佐藤も、仲村との付き合いは、長い。
何を考えているのかは、判ったが、特に何も言わない。
どうせ、こいつもその辺りは判っているだろう。

163shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:23:56
「坂口曹長!」
気持ちを切り替え、坂口を側に呼ぶ。
本部用のテントに入ると、仲村が手早く付近の地図を床机の上に広げる。
「迫の小隊は?」
「ハイ、ここに適当な場所がありました。正面は潅木に覆われていますが、十分な射角が取れます。一応、カンチャース島の要所までの方位、距離の計測は済ませました。広さは、不十分でしたので、兵を使い、広げてあります。」
やはり、有能な下士官を持つと楽である。
仲村と連絡を取りながら、既に準備を済ましている。
「移動地点は?」
振り返って、仲村に確認する。
「一応、第三までは、整備してあります。それ以外には、予備として未整備ですが、二つほどは。」
そんなの当たり前でしょと言う顔で、仲村が答える。
時々、無性に腹が立つのは、こういう時だ。
副官としては、申し分ないのだが、態度がでかいのが玉に瑕である。
佐藤は自分の事を棚に上げて、仲村をジロリと睨んだ。
そんな佐藤にびくともしないのが、仲村である。
あくまでも涼しい顔で、次の命令を待ち受ける。
「よし、カンチャース島自体はどうだ。確か中華の役人と、数名の砂金取りの連中がいた筈だが。」
「ああ、砂金取りの連中は、既に昨日退去しています。臨時収入が入ったと町に行くと言っておりました。役人の方は、突然北平からの呼び出しで、慌しく出て行きましたが。」
やはり、その辺りは抜け目が無い。
「ふん、上出来だ。戦車中隊はどこまで前進している。」
「ハッ、後方10キロの地点で待機中です。」
「今は、まだその辺りで良いな。それじゃ、何か抜けはないか。」
坂口は、びっくりしたように、首を振る。
目の前の中隊長は、自分のような曹長をも参謀のように扱っている。
確かに、型破りな人だと思っていたが、良いのかこれで。

「よし、それじゃ、仲村、後は任せたぞ。坂口、貴様の率いる分隊に、渡河の準備をさせろ。渡河用の船は、」
ちらっと仲村を見ると、軽く頷いたので、そのまま続ける。
「場所は、良しここだ。ここで待機してろ。車輌は少し下げて隠しとけ。無線を忘れるな。俺は、監視所に行き、話を終えたらそこに行く。何か質問は?」
二人とも異論はなさそうだった。
「それじゃ、かかれ。」

164shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:24:39
監視所まで着くと、榊から話が通っているのか、辺りの雰囲気が慌しい。
乗ってきたジープの兵に、そのまま待機するように言い、佐藤は中に入る。
外観は、二階建てだが、コンクリートの床があり、どうやら指揮所は地下に設けられているようだった。
金があるって良いな・・・
ほんの少し前まで、国境地帯の監視所と言えば、塹壕と、簡単なトーチカだったものだ。
それが、ここ数年で、コンクリート作りの立派なものに代わっている。
地下に向かう階段の前で、歩哨に要件を告げると、直ぐに確認が済んだのか、通してくれた。
階段の奥に鉄製の扉があり、中は結構広い指揮所になっていた。
どうやら、地下式のトーチカを先に作り、その上に監視所を設けたようである。
確かに、これなら、上の監視所が破壊されれば、誰もここに指揮所があるとは思わないであろう。
中央のテーブルに地図が広げられ、劉少佐が、それを見ながら部下に指示を出している。
榊少尉がこちらに気付き、軽く目礼する。
佐藤は、劉少佐の側に寄り、軽く頭を下げながら、直ぐに話を始める。

「どんな状況ですか?」
「田中大尉、助かったよ。君の所の部下が知らせてくれたのでな。直ぐに小隊を編成し、カンチャース島に渡らせるよう指示した。帝国軍はサポートに回ってくれると言う事だが?」
劉少佐は、サポートに力を込めて、こちらを探るように問いかけてくる。
少佐も馬鹿ではない。
五日近くも側にいるのだから、佐藤の率いる中隊が、かなり増強されているのは判っている。
それを当てにしてソ連軍に対応するのと、しないのでは全く意味が違う。
「はあ、一応我々は、停戦監視団ですから、表に出るわけには行きません。まあ、ばれない範囲で、可能な限りと言うとこですね。」
「うむ、それでもありがたい。宜しく頼む。」
このおっさん、中々やるな。
最近でこそ、日本人をあからさまに嫌うやつは減ったが、それでもそれまでの態度が態度だけに、反感を持っているやつは、少なくない。
それが、階級が上なのに、素直に頭を下げれるとは、たいしたものである。
「判りました。出来うる限り援護させて頂きます。」
流石にこんな所で敬礼する訳にも行かず、少し姿勢を正して、答える。
「で、早速ですが、小管も、分隊を引き連れて、カンチャース島まで渡ります。榊少尉を連絡将校として、こちらに残しておきますので、何かありましたら、彼を通じてご命令下さい。」
「貴官が、行くのか?」
流石に、劉少佐は驚いたように問う。
「ハイ、ソ連軍の国境警備隊が、匪賊の援護として騒ぎを起こすだけならば、小競り合い程度で、引き上げるものと思います。」
「うむ、そうだろうな。」
「しかし、国境の警備状況を探ろうとしているのであれば、事はそう簡単には済まないでしょう。」
「貴官は、大規模な威力偵察の可能性があると考えているのか。」
「いえっ、今のところはまだそこまでは。ただ、その可能性もある以上、この目で確認しておきたいと考えております。」
「そうか、了解した。しかし、無理はするなよ。私も友邦の士官に怪我でもされたら立場が無い。それに、君にはまだ食事に付き合ってもらってないしな。」
「ハッ、これが済みましたら、是非とも御相伴させて頂きます。」
にやっと微笑みながら、再び頭を軽く下げる。
きびすを返し、二人の会話を、目を丸くして眺めていた榊を招く。
「榊少尉、貴様はここに連絡将校として残れ。ジープの無線に常に一人兵を付けておくのを忘れるな。」
「えっ、は、ハイ、了解しました!」
うむっと頷き、劉少佐に軽く会釈して出て行こうとした。
「あっ、大尉!」
榊少尉が後ろから声を掛けてくる。
「ご無事でお戻りください。」
こいつ、俺が危ない目に会うと思っている。
軽く頷き、指揮室を出ながら、思わずニヤニヤ笑いそうになる。
俺に言わせれば、どう考えても、こっちの方が危なくなる筈だった。

165shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:25:17
川沿いの、指定地点のかなり手前で、ジープを止めて、辺りを見回す。
おっ、あそこか。
坂口の分隊が乗ってきた兵員輸送車がどこかこの辺りに、隠してある筈だった。
そろそろ夜も明けようか、かなり明るくなってきていたが、直ぐには見つからなかった。
轍も綺麗に消して、半分埋まっているような感じで、上手く偽装してあり、最初から輸送車を見つける積りで見ていなければまず気がつくまい。
ジープから降り、運転してきた兵には、そのまま本隊に戻るように命じ、川に向かって歩いて行く。
この時期、やぶ蚊が多いのは閉口するが、内地と違い、乾燥した地面は歩きやすい。
直ぐに、坂口らが待ち受けている場所に到着する。
「用意は出来ております。そろそろあちらさんも、渡河の準備を進めているようです。」
坂口が直ぐに飛んできて、敬礼もそこそこに状況を報告する。
早く渡河してしまわないと、敵さんに見つかってしまうと言う気持ちがありありと浮かんでいる。
「おお、すまん、直ぐに行こう。」
「ハッ」
2艘のゴムボートを引きずるようにして、川に浮かべながら、全員がボートに乗り込む。
佐藤も乗り込むと、直ぐに小型のエンジンが動き出し、ボートはゆっくりとカンチャース島に向かう。
幾ら川向こうから見えない点を選んで渡河していると言え、くぐもったようなエンジン音に全員が、気が気でない。
こんな所を襲われたら、お陀仏である。
兵たちも、ボートに積んであった、オールだけではなく、小銃の銃把をも使って、必死に漕ぐ。
幸い、弾も飛んでこず、何とか島まで辿り着けた。
全員が手早くボートから降りると、そのままボートを陸の上に引きずり上げる。
何せ、ボートには武器弾薬も積んであるから、全員必死だった。
最も、既に前日までにかなりの弾薬を島に運び込ませてはいたが、弾は大いにこした事は無い。
後の手配は、坂口に任せ、佐藤は二人ほど兵を連れて、島の中央に向かう。
全周四キロ程の小さな島だが、中央部には、中華民国の領土である事を示すように、簡単な詰め所が建てられていた。
一応、気休め程度だが、塀も作られており、普段は役人も詰めている。
佐藤達がそこまで辿り着くと、既に北辺軍の兵士が詰めており、鋭い誰何を浴びせてくる。
勿論、撃たれては堪らないので、ちゃんと目立つように途中から通路の真ん中を歩いてきた。
相手が、停戦監視団の将校と判ると、慌てて敬礼して来るのを軽く制し、責任者を呼ぶ。
建物から走り出てきた将校は中尉だった。
「北辺軍、梁中尉です。」
「停戦監視団、田中大尉だ。劉少佐には話は通してある。で、どうだソ連の様子は。」
手短に話すと、何か言いたげだったが、直ぐに気を取り直して、話し始める。
「ハイ、先ほどから対岸の動きは更に活発になっています。もう直ぐにでもこちらに渡ってきそうです。」
「で、中華北辺軍としては、どう対処するのだ。」
「はあ、一応警告ぐらいはする必要があります。あいつらの事ですから、そんな事聞きはしないでしょうが。」
実に、嫌そうに梁中尉が答える。
警告を発するのは梁中尉自身であり、それの返事が銃弾である可能性は十分あるのだ。
「そうか、で、警告を聞かない場合の対応は、」
「相手から弾が飛んでこなければ、警告射、飛んでくれば応戦です。」
普段はそんな対応を取っているとはとても思えなかったが、それは言うべき事ではない。
少なくとも、停戦監視団がいる所ではある程度お行儀よく対応しようと、努力は認めるべきである。
「そうか、良く理解できた。監視団としては、これは国境紛争なので管轄外であるが、劉少佐とも相談し、万が一ソビエト連邦の国境守備隊が国境侵犯を行った場合、監視団と言う立場は表には出せないが、全面的に北辺軍に協力する。一応一個小隊連れてきている。軽機もある。直ぐに配置に着こう。」
勿論、梁中尉に依存はある筈も無い。
手早く、配置を相談し、兵達を持ち場につかせる。

166shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:25:57
「大尉、来ました。」
梁中尉と話していると、坂口が走ってくる。
早速、二人は対岸が見渡せる地点まで走りよった。
川向こうから、三隻の小型船舶がこちらに向かって来ていた。
あちらから見えないように、腹ばいになったまま、佐藤は双眼鏡を取り出し、眺める。
「一隻は、河川砲艦だな。後の二隻は武装はなさそうだ。全部で2、30人程度か。」
ふと、横を見ると、佐藤の手にしたカールツァイスの双眼鏡を羨ましそうに、梁中尉が見ている。
高い金出して手に入れた最新式だけに、自尊心がくすぐられる。
そのまま、双眼鏡を渡してやると、軽く礼をして、梁中尉も近寄って来る船を注視する。
「どうやら、やる気満々ですね。でも、あまり警戒しているようには見えません。」
「そりゃそうだろう、こんな早朝からこちらが待ち伏せしているとは思ってもいないだろう。」
二人とも、一旦下がって、話を続ける。
その前に、佐藤が手を出して双眼鏡を取り返すのは忘れない。
梁中尉も名残り惜しそうに、それを返す。
昔なら、戦闘のドサクサに紛れて双眼鏡欲しさに、後ろから撃たれかねないな・・・
物騒な考えが頭をよぎるが、慌てて打ち消す。
「しかし、あれじゃ、警告にのこのこ出て行くのは自殺行為だな。どうする。」
「そうですね。一応警告は発しないと・・・」
梁中尉も困りこんでいる。
「メガホンか何か無いか。それなら陰に隠れて、声は届くだろう。格好なんか気にしている場合じゃないと思うぞ。」
兵の前で弱気を見せる事と、実際の危険を天秤に掛けて、梁中尉はまだ悩んでいる。
「貴官が撃たれたら、指揮系統もあったもんじゃない。ここは格好より、実利だろう。」
そこまで言って、ようやく自分を納得させたのか、梁中尉は頷き、詰め所に戻って行った。

167shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:26:37
佐藤は、坂口を呼ぶ。
「迫は、あちらまで届くか?」
「はあ、射程はギリギリですが、何とかなると思います。」
「それじゃ、用意させとけ、とにかく今は追い払わねばどうしようもない。」
佐藤は辺りを見回し、暫く考え込む。
河川砲艦は、小型船舶に、76ミリ歩兵砲を搭載して、装甲を施したものであろう。
あれが本格的に撃ってくれば、こちらは下がるしかない。
少なくとも、まともな塹壕すら用意していない状況では、どうしようもない。
迫撃砲の砲撃に、慌てて下がってくれれば良いが、幸運を当てにする訳にもいかない。
対戦車小隊の37ミリが三門あるが、あれは川向こうだ。
こんな事なら、一門位こちらに運ばせれば良かったとも思うが、最初からそんな事まで出来る訳ない。
「坂口!」
「はいっ!」
真横で声がしたので、びっくりするが、隣にいるのだから当然だった。
「あれあるか、ええっと、携帯式の擲弾筒、グレネードとか言うやつ。」
「はあ、一応、小銃分だけは、運んできておりますが?」
あんなもん、使うんですかと、顔が語っている。
最新式の装備と言う事で、派遣される前に渡された携帯式の擲弾発射装置だった。
小銃の銃身に装着し、小型の手榴弾のようなものを500メートル程飛ばせるとの事で、使用実績を報告してくれと言われて渡されたものだった。
そんなうんさくさいものを渡されて、兵が喜ぶ筈も無い。
佐藤自身だって、最初に使うのは願い下げだ。
第一、手元で爆発したらお陀仏だし、銃にどんな負担が掛かるのかも判らない。
技官は、これは大丈夫だと言っていたが、「これは」が気になる。
それでも、この状況ではすがってみるしかない。
「直ぐに、配れ。迫撃砲の砲弾が飛んできたら、各自、そうだな三発発射しろ。方向は大体で良い。」
「はっ、手配します。」
坂口が走り去る。
佐藤も急いで、通信手の待機している所に走る。

「大衡中尉を呼び出せ。」
通信手は、直ぐにダイヤルを調整し、相手と話を始める。
直ぐに、マイクとヘッドフォンを佐藤に手渡す。
「大衡中尉、そこにいるのか?」
「ハイ、大衡です。」
「直ぐに、戦車中隊、島田大尉に連絡を入れ、川沿いまで前進して貰え。それと、排土板が着いた車輌がある筈だから、直ぐにこちらに渡せるように用意しとけ。」
「あー、船が必要ですね。了解しました。」
仲村の事だから、船の手配ぐらい何とかするだろう。
「赤軍の野郎、しょっぱなから河川砲艦を持ち込んできやがった。何とか撃退出来たら、直ぐに排土板着きの戦車と、対戦車砲小隊を一個こちらに渡すんだ。」
「はい、了解しました。で、撃退できない場合は?」
こいつ、本当に嫌なこと聞きやがる。
「その場合は、後は頼んだぞ。」
イヤイヤだが、そう答える。
誰が、仲村なんかに後を頼むもんか。
必ず、還ってやる。
「ハイ、りょーかいしました。」
あいつも、そんな事起きる訳ないと思ってやがる。
一瞬、ここでくたばってやろうかとも思うが、あほらしいので、そのまま通信を切る。

168shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:27:12
「おい、これアイグンまで届くか。」
「はっ、アイグンですか。」
通信手は、急いで地図を取り出そうとする。
「大体50キロ位だ。」
「ああそれなら、大丈夫です。届きます。」
「それなら、アイグンの木村大佐を呼び出してくれ。周波数は、○○××だ。コードネームは、きつつき、これで通る筈だ。」
通信手は、すぐさま通信機に向かい、呼び出しを始める。
暫く、待っていると通信手がこちらに向かい頷く。
「木村大佐ですか。」
一方は既に入れてあるので、直ぐに出てくれる筈だった。
「おお、さと・・・否、田中大尉か、どうした。」
「ハイ、ソ連が国境を侵そうとしています。」
「うん、それは聞いているが。」
「最初から、河川砲艦を仕立てています。」
「判った。こちらも出動する。」
流石に話が早い。
「驚くなよ、こっちの河川砲艦は凄いからな。それじゃ。」
直ぐに切れてしまい、佐藤は少し唖然とする。
話は早いのは良いのだが、あいつ、大佐に昇格したのに、あんなんで良いのか。
いいのか、あんなに腰が軽くて・・・
無意識の内に、マイクとヘッドフォンを返し、首を振りながら、急いで戻る。
どうやら間に合ったようだった。
先ほどの所に腹ばいになると、まさしくソ連の舟艇が、島に着上する所だった。

何名かのロシア兵が、川に膝まで浸かり、河岸に走り寄って来る所だった。
手にしたロープを引っ張り始めると、直ぐに何名かの兵がそれを補助する。
河川砲艦は、一応、船首を上流に向け、数十メートルの所で流されない程度のエンジン音を響かせ、停止している。
二隻の船が、何とか固定されると、簡単な板が渡され、将校らしい人物が、それを渡って、上陸してきた。

さて、こちらの様子はどうなんだ・・・
「そこの船、ここは中華共和国の領土である。君達は不法にわが国の領土を侵犯している。直ちに退去しなさい。」
どうやら、メガホンレベルではない。
拡声器の設備でもあったのか、かなり通った梁中尉の声が、辺りに響く。
そんなもんまであるとは、佐藤も予想すらしなかったが、これはこれで効果的だ。
梁中尉はご丁寧にも、同じ内容をロシア語で繰返している。
更に、彼が英語に切り替えて話し始めると、突然銃声が響き渡る。
頭を竦めたまま、双眼鏡を向けると、将校の後からついて出てきたやつが、拳銃を振り回している。
あれが、政治将校と言うやつかな・・・
普通の軍人ならば、兵を散開させ、安全を確保してから様子を見る。
もう少し賢ければ、白旗でも立てて、様子を見るため、特使を派遣してくるであろう。
しかし、そんなまともな思考を全て打ち消すように、その男は、将校に何か怒鳴っている。
すぐさま将校は、兵たちに小銃を構え、前進を命じたようだ。
訳も判らず、ロシア兵が走るようにこちらに向かって来る。
このままだと、白兵戦も考えねばならないかと、思ったが、再び先ほどの政治将校が何かを叫んで、その心配を打ち消してくれた。
ロシア兵が一斉に発砲したのだった。

169shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:27:42
その途端、回り中から銃声が響いた。
真っ先に倒れたのは、将校らしい人物だった。
それも数発の玉があたったようで、ピクリとも動かない。
ロシア兵も打ち返してくるが、既に半数が倒れている。
後の連中は、その場に腹ばいになって撃っているが、このままでは彼らは一人も助からんだろう。
佐藤は、すぐさま双眼鏡を川に停泊したままの、河川砲艦に向ける。
やはり、気がついたのか、船が動き始めている。

「坂口!迫だっ!」
「ハイ、了解しました!」
帝国の下士官は凄い。何処にいるかの確認すらしていなかったが、いつの間にか側に戻ってきている。
返事をすると、すぐさま物凄い速さで、腹ばいのまま後方に進むかと思うと、そのまま後ろに手を振る。
間に合うのか。
再び、双眼鏡を河川砲艦に向けた。
船は、速度を上げ、ゆっくりと旋回している。
どうやら、走りながら砲撃する積りだ。
ロシア兵の被害は出ているが、この程度では、被害の内には入らないであろう。
76ミリで砲撃されれば、今の状況では、弾が当たった辺りの兵は助からない。
その時、微かな音がして、後方から幾つかの砲弾が落下してくる。
その途端、シュポッと言うような音が多数聞こえたかと思うと、目の前に地獄が生じた。

閃光が広がり、爆風と同時に、多数の火の玉が河川砲艦辺りから、ロシア兵のいる辺りまで、一斉に広がる。
しかも、それは暫く続き、辺り一面、白い煙で満たされた。
迫撃砲の砲撃は、まだ続いていたが、それでも少し視界が回復すると、砲艦は既に対岸に向かって、退散し始めている。
「迫撃砲中止!」
佐藤は立ち上がると、後方に大声で叫ぶ。
辺りが静かになると、目の前の河岸には動くもの一つ無かった。

170shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:28:13
「田中大尉」
ぼおっと、タバコを燻らせ、川辺の清掃を見ていた佐藤に、後ろから声が掛かる。
「我が方の損害は、負傷者が三名、軽症です。ああ、ありがとうございました。」
梁中尉が、少しやつれたような顔をこちらに向け、軽く頭を下げる。
「うん、礼は要らんよ。出来ることをしたまでだ。」
「ハア・・・しかし、凄いですね。」
辺りを見回しながら、梁中尉が溜め息を付く。
全体としては、半時にも及ばない戦闘だった。
日中側には、軽症者が数名出ただけで、対するソ連軍は、半数が死亡、残りは重軽症で、既に後ろの小屋に運び込まれ、治療を受けている。
「こんなもん、単なる偶然だ。連中の事だ、すぐさま体制を整えて、出っ張って来る。」
「それよりも、次の攻撃に備えるため、増援の要請と、塹壕の構築をお願いする。河川砲艦があの砲を打ち出したら、このままではえらい事になる。劉少佐からは何と?」
梁中尉は、一瞬何か言いたそうだが、それを諦め、答える。
「一応、直ぐに増援を連れてこちらに来られるとの事です。」
劉少佐も、ソ連の狙いがこの島の占領だと決めたらしい。
「一応、ソ連の狙いはこの島だろうが、他の地域も・・・いや、良い。お待ちしておりますと伝えて下さい。」
あの少佐なら、その辺りは抜かりなくやるだろう。
あまり、北辺軍に命令っぽく見える言動は控えたい。
「了解しまた。では。」

梁中尉が戻って行くと、佐藤は溜め息を吐き、側に来ていた坂口を促す。
「グレネードですか、あれはダメであります。」
「そうか?こんだけ結果が出れば、喜ぶぞ。」
坂口が首を左右に振る。
「報告致します。個人用擲弾発射装置ですが、12機用意してありまたが、現在使用に耐えるのは三機だけであります。戦闘開始時から、使い物にならなかった。言わば初段から不発のものが三機、二発目が不発になったものが二機、三発打てたが、それ以降動かないのが三機、四発打てたものもあったのですが、それも動きません。一回の戦闘で、計9機の不良ではとても兵に持たす訳には参りません。」
「うん、判った、判った。直ぐに回収して、技研に送り返してしまえ。しかしまあ、お蔭で助かったがな。」
「ハイ、これは望外のものだと思います。ちゃんと動けば、かなり使い勝手はありそうです。」
坂口も素直に頷く。
この上官が、下手に格好をつけるのを嫌うのは良く知っている。
あんな河川砲艦がまともに撃ってきたら、どんなことになっていたかと思うと、つくづく運が良かったとしか言いようが無い。

「とにかく、北辺軍を手伝って、塹壕作りだ。次はああはいかん。」
「ろ助、来ますか?」
「特務曹長殿が、それを聞いてどうすんだ。そんな事は誰とは言わんが新任の少尉殿にでも聞くんだな。」
佐藤が苦笑いを浮かべて、さっさと歩き始める。
少し調子に乗りすぎたと、坂口は反省しながら、その後姿に敬礼するのだった。
20名前後の死傷者で、赤軍がカンチャースを諦める筈もなかった。
今度はああは行くまい。
とにかく、穴掘りだ。
そう思いながら、坂口も駆け足で、兵達達の所に向かう。

171shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:28:44
戦闘になった河岸とは反対側に目をやりながら、佐藤は通信手の所に向かった。
「あっ、大尉、連絡が入っています。」
丁度、誰かから無線が入っていたようで、すぐさまマイクとヘッドフォンを渡される。
「誰からだ?」
「島田大尉です。川向こうに到着されたようです。」
早いなと、思いながらも、佐藤はマイクに口を向ける。
「田中です、どうぞ。」
「おおっ、田中大尉ですか。こちらは島田です。ご無沙汰しております。今河岸に到着しました。ご無事ですか。」
「ああ、大丈夫だ。ソ連さんは、目くらましに騙されて、一旦引いてくれた。またじきに来るだろうから、至急塹壕を作りたい。貴様の所に、排土板付きの戦車があったろ。あれをこちらに渡してくれ。手はずは大衡に言ってある。至急頼む。」
「了解しました。他の戦車のご用命はないですか?」
「いや、こっちの島の上じゃ、精々土に埋めてトーチカにする位しか役に立たん。それよりも島とそちら側の水路の確保を頼む。」
「判りました。では、ご無事で。」
島田大尉の口調は、少し残念そうであった。
97式の装甲は、37ミリでは貫通出来ない造りになっているが、ソ連の76ミリではどうだか判らない。
まあ76ミリと言っても今では旧式の単身砲だろうから、理屈の上では400メートルも離れればまず大丈夫とは思うが、それでもこんな狭い島で装甲試験をする気にはならない。
それに、木村大佐もじき現れるだろうから、河川砲艦には河川砲艦で対応してもらった方が良い。
マイクセットを通信手に返し、一旦中央の小屋に向かう。

梁中尉と、防御について打ち合わせを済まし、川辺に戻ると、既に対岸からは、大きな筏のようなものが近づいて来ていた。
中央のシートに覆われた大きなものが多分戦車だろう。
連絡が入っていたのだろう、坂口が既に数人の兵を連れて来ている。
河岸までその筏が近づくと、素早くロープが投げられ、兵たちがそれを固定する。
佐藤達が渡ってきた時に使ったようなゴムボートならば引き上げてしまえるが、筏となるとそうも行かない。
手早くシートが取られ、ガソリンエンジンのややかん高い音が響き渡る。

172shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:29:20
97式中戦車、昭和10年から配備が始まった、帝国が誇る最新鋭の戦闘車両である。
傾斜のついた前面装甲と、丸みを帯びた砲塔は、明らかにそれまでの戦車のイメージとは全く違うものだった。
最初に部隊に配備された時には、どうしてこれが中戦車なのだと言うのが、戦車兵たちのもっぱらの感想だった。
少なくとも、今まで細々と配備されていたこれ以前の戦車と比較すれば、どうみても重戦車である。
しかしながら、部隊の中から特に選抜され、習熟訓練に派遣された特技章持ちの兵や下士官達は、大村総合演習場から帰ってくると、様子が一変する。
彼らは部隊の演習でも、そして勿論たまに発生する小規模な紛争においても、徹底した機動戦術に拘るようになり、停車しての射撃は最低限に抑えようと必死になるのだった。
そう、彼らは大村で、いやと言うほど思い知らされるのである。
97式は、あくまでも中戦車であり、それよりも遥かに強力な重戦車が帝国には存在することを。
現在はほぼ手作りで、制作費が駆逐艦に相当すると言われ、演習に用いるしかないが、いずれ帝国が本格生産に乗り出すであろう、次期、いや次の次かもしれない、強力無比な戦車。
搭載されている砲塔は100ミリ以上でありながら、そのシルエットは、限りなく低い。
演習を行えば、到底自分達の97式が届かない距離から、正確な模擬弾を叩き込んでくる、隔絶した存在。
そんな戦車がいずれ登場すると判れば、戦車兵達もその戦い方からおごりが消えるのも無理なかった。

とは言え、現在では多分最強の戦車の部類に入る、97式中戦車は、慎重に動き出し、河岸に設置する。
筏が傾きかけるが、それでも強力なキャタピラは地面を掴み、何とか無事島に乗り上げることが出来た。
普通の97式と違い、カンチャース島に降り立った戦車には、背後に長方形の鉄板のような物が付いていた。
簡易式だが、排土版がついており、その意味ではトラクターとして使える一台である。

「田中大尉!お久しぶりです。」
砲塔から顔を出して、嬉しそうに佐藤に話しかけてくるのは、島田大尉だった。
「なんだ、結局貴様、来たのか。」
「ええっ、対岸の守りは部下に任せて来ました。あちらより、大尉のいる所の方が面白そうですしね。」
半分、笑いを堪えるような言い方で、島田は茶化すように、言ってくる。
何せ、本土で出動する前に、木村大佐と三人で打ち合わせを行っており、島田も佐藤が変名を使っている事を知っている。
しかも、こいつは恐怖と言う感情をどこかに置き忘れたような漢であり、その行動基準は、面白いかそうでないかに限られている。
「判った、判った。直ぐに排土板を使って、援体壕を作るのを手伝ってくれ。急げ、じきに赤軍さんがやってくる。」
「了解しました。」
エンジンが、一際うなりを上げて、戦車は兵たちに先導されて、作業に向かっていった。

173shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:30:06
「た、大尉!」
やれやれと首を振っている佐藤に、坂口が声を掛ける。
うん、と首をそちらに向け、佐藤も驚いたように、口を開ける。
幅の広いアムール川の上流から猛烈な勢いで、一隻の艦艇が近づいてくる。
あっという間に、近づいてきたそれは、急激にその速度を落とし、佐藤達が佇む河岸に、停戦しようとしていた。
勿論、艦尾に翻っている旗は、中華民国国旗であるため、誰も慌てることなく、唖然とその船体を見つめていた。
昔、朝鮮に亀甲船とか言う名前の船があったな。
佐藤は、停船した船を見つめてそんな事を考えた。
シルエットは、鋭い鏃型の船体に、上部まで装甲で覆われた突起の少ない形状は、何か悪い冗談のように思えた。
軸船に沿うように、丁度中央に、くぼみがあり、そこからは37ミリはありそうな砲塔が覗いている。
これじゃあ、まるで戦車だな。
そんな感想を覚えていると、船体の中央部のハッチのようなものが開き、将校が顔をだす。
「よう、佐藤!、いや違ったね。田中大尉、大丈夫だったか。」
顔を出したのは、案の定、木村大佐である。
どうして、こいつはこんなヘンな船に乗っているのだ。
佐藤は頭を抱えたくなった。

佐藤は知る由も無いが、木村昌福大佐は、「のと」発見時に、最初に駆けつけた駆逐艦の艦長だった。
それ以来、彼は総研のメンバーとして活動を強いられている。
それはそうである。
なんにせよ、のとそのものを見てしまっている上に、「のと」資料にも、名前の上がっている提督となる人である。
総研メンバーに取り込まれない訳は無かった。
当初は、陸戦隊を率いた大田実中佐らと同様に、警邏の任務が中心だったが、総研の研究施設が整って来るに連れて、彼らの役割も変わってきた。
研究班が、直接実物のある未来兵器を基に、可能な限りの現在技術と、「のと」そのものに積まれていた各種工作器機を利用して試作品を作り始めると、当然ながらそれを試験する必要が生じたのだ。
結局、外部から新たな要員を取り込むよりはと、木村大佐達が実地試験を行うようになるまでには、それ程時間は必要としなかった。
ただ、二人とも海軍出身であり、陸戦兵器はそれ程得意ではない。
当初は陸戦隊を率いていた大田中佐に任されていたが、研究が進み、未来技術を応用した各種試作兵器が作り出されだすとそうも行かなくなった。
結局、1933年には陸軍部より、新たに栗林大佐が陸戦兵器の試験官として招聘されている。
また、航空機の分野まで試作品の製作が進みだすと、35年には、「のと」資料を基に、元陸軍の加藤健夫少佐、元海軍の淵田美津夫少佐、野中五郎中尉等も招聘されている。

とにかくそのような経緯は佐藤には関係はない。
彼にすれば、情報部の仕事で、秘匿兵器の受け取りと講習に大村の特殊ドックに入った時に出会って以来の付き合いである。
秘匿兵器と言っても、ゴムボートに過ぎなかったが、それでも圧縮空気で一瞬の内に展開出来るそれは、使い勝手が良く、今では結構各地の部隊で使われていた。
技官の説明を聞いていた佐藤の側に現れ、同じように説明を聞いていたかと思うと突然話しかけてきたのが、最初だった。
どうやら、佐藤が実戦で使うと言う事で興味を持ったみたいで、どのように使うかを、色々探りを入れてきた。
その時は、任務が任務であり、曖昧に誤魔化していたが、彼もそれに気が付いたらしく、簡単な自己紹介をして離れて行った。
驚いたのは、それから数ヶ月して、任務から帰国した佐藤の元に彼がやって来た事だった。
わざわざ情報部まで来られる以上、彼のセキュリティレベルが高い事にも驚いたが、高々ゴムボートについて、そこまで尋ねてくる事自体に驚きを覚えたものだった。
結局、その事について、尋ねると、訳が判らない顔で、これがあると、いざと言うときに部下が助かるじゃないかと真剣に言うのに、更に驚かされた。
こいつ、いやこの人は、本当に部下を大切にする人だと気付かされ、それ以来佐藤も真摯に彼の質問に答えた。
それ以来の付き合いである。
木村大佐の方でも、佐藤が気に入ったようで、何かあると直ぐに連絡してくる。
今回の任務に関しても、木村大佐本人が希望して参加してくれたみたいで、それはそれでありがたいとは思っていたが、まさかこんな船で現れるとは予想すらしていなかった。

174shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:30:44
「木村大佐、で、それは何ですか?」
佐藤が、顔一杯に呆れた表情で問いかける。
「うん、これ?中々面白いよ。研究班で、船の船体形状に関して色々作っていてね。丁度英国からマリーンエンジンが幾つか手に入ったので、載せさせてみたら、結構良いものが出来たんだよ。」
ニコニコしながら、そう説明する木村大佐には、佐藤も余計に呆れるしかない。
どう見ても、数百トンレベルの小船にしか過ぎない。
そこに、強力な戦闘機のエンジンを積むなんて、何を考えているのかと、素人の佐藤でも思ってしまう。
「パワーボートと言うらしいんだけどね。残念ながら、速度は凄いんだが、安定性がもう一つだね。結局河川か、湾内位しか使い道はなさそうなんだ。」
木村大佐は、そんな佐藤の呆れ顔に頓着する様子も無く、説明を続ける。
「でまあ、解体するのもなんだから、北辺軍に使って貰えないかとこちらに運んできたんだよ。まあ、丁度手頃な試験になりそうで良かった。で、ソ連軍は直ぐにでも来そうなのかい?」
「えっ、ええ、余り時間は無いと思います。」
「そうか、間に合ったね。もう直ぐ、残りの三隻もやってくるだろうから、何処で配置につこうかね?」
「いや、それでは、一応、こちらにおいで願いますか。」
幾らなんでも、今の自分は田中大尉である。
佐藤は、一応口調に気を使いながら、木村大佐を指揮所代わりに使われている、詰め所までいざなった。

詰め所には劉少佐も駆けつけていた。
木村大佐を連れて、佐藤が中に入ると、流石に驚いたようだが、事情を話すと、納得してくれた。
また木村大佐も、階級には頓着せず、あくまでも劉少佐を立てた事もプラスに働いた。
簡単な打ち合わせを済ますと、全員が忙しそうに動き出す。
それはそうである。
何時再びソ連軍がやってくるのか判らない状況で、ゆっくりと歓談している余裕は無い。
榊少尉も島に来ていたが、この状況では彼の事を、気を使っている暇も無い。
かなり引きつった顔に、可愛そうには思うが、それよりも戦闘準備が優先された。
佐藤も、坂口を引き連れて、陣地の構築状況を見に行くしかなかった。

河岸から少し離れた所で、97式中戦車が後ろ向きに土を押している。
戦車に取り付けられた排土板にしか過ぎないが、それでもあると無いでは全く違う。
見る見る土を盛り上げ、少なくとも前面からの攻撃には暫くは持つ程度の塹壕が出来てい行く。
「全部完成するまで、待ってくれると助かるんだがな。」
誰に言うでもなく、佐藤は呟いた。
とにかく何も無い島に援体が出来るだけでもかなり粘れる。
「大尉、そうも行かないようです。」
坂口が、川向こうを指差して、佐藤を促す。
腰に吊るした双眼鏡をそちらに向けると、今度は二桁以上の船舶が、こちらに向かって動き始めていた。

175shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:31:28
「で、ソ連は間違いなく、こちらのメッセージを受け取ったんだな。」
「ああ、あれだけやられれば、当分、そうだな最低一年は手を出しては来ないだろう。」
アムール川流域のカンチャース島を巡る紛争から、既に二ヶ月が経過していた。
欧州派遣から帰国した井上に、梅津がカンチャース島事件を説明していた。
結局、紛争そのものは、ソ連の完全な敗北に終った。
木村大佐の率いる、4隻の装甲艇の戦果は凄まじく、ソ連が用意した4隻の河川砲艦は、あっという間に沈められていた。
40ノット以上の高速で走り回りながら、37ミリ速射砲を撃ちまくる小型の船舶に翻弄される形で、河川砲艦が沈没すると、後に控えていた兵員輸送用の小型船舶の末路は惨めだった。
しかも、カンチャース島からは、一台だが、97式中戦車が、小型船舶を狙い打ち、それでも島に辿り着こうとした船舶は、護岸に造られた急増のトーチカからの重機の射撃で、次々と沈められていった。
結局、後退命令が出されないまま、ソ連軍は、大隊規模の部隊を失っていた。
この時点でも、ソ連の極東司令部は、強気の姿勢を崩さず、更に部隊を集結させようとしたが、
中華政府からの国境侵犯に対する正式な抗議と、北辺軍が、カンチャース対岸に、部隊を集結させ、渡河準備を始めると、流石にその動きは終息に向かった。
そしてそれに呼応するように、陸海空軍総司令となった蒋介石が、華北の中共軍に対する攻撃を本格化させると、ソ連は日英政府に対して、中華政府との紛争調停を依頼してきたのだった。
「蒋介石も流石にしたたかだよ。不可侵条約の締結を迫っている。」
「ソ連が支援している中共軍を叩き潰さない代わりに、条約の締結による満州地区からのソ連軍の影響の排除が目的か。」
「ああ、それもあるが、主に帝国に対する牽制が目的だろうな。」
「のと」資料を使い、帝国がその進路を大きく変えた結果、中華大陸での覇権争いも、大きく変化していた。
大慶油田からの収入で、他の軍閥とは格段の資金力を持った蒋介石の支配力は強化されており、最早蒋介石政権に直接反旗を翻しているのは、華北の一部を何とか維持している中共軍だけとなっていた。
「のと」世界では、あくまでも各地の軍閥の合意の上に成り立っていた中華政府であったが、現実の世界では、完全に独裁体制を確立し始めていた。
蒋介石にとって、華北の中共軍も、単なる軍閥の一つでしか過ぎず、力でねじ伏せるのは難しく無い。
そして、このような状況の中で、彼にとって気になるのが、張学良率いる北辺軍と、その後ろにいる帝国の存在だった。
他の軍閥に対しては、蒋介石自らの子飼いの部下を送り込む事により、順次完全な支配下に置きつつあった。
しかしながら、北辺軍に対しては、この政策が中々上手く行かない。
張学良は、蒋介石のそのような動きに対して、決して表立っては反対せず、中華政府からの軍人の派遣と言う形を取っての部下の送り込みも素直に受け入れてくる。
しかしながら、送り込んだ部下達は、数ヶ月以内に贈賄の疑いで告発されて、弾き出されるのが常だった。
北方軍閥の支配地域では、蒋介石自身も含めた、他の軍閥では当たり前になっている、各種賄賂が通じないのである。
フリートレードゾーンと言う仕組みが稼動しているせいで、利権構造が全く異質の体制となっているのだが、中央から派遣された子飼いの部下達は、理屈として言い聞かされていても、それが理解出来ず、馬脚を現してしまうのだった。
そして、更に問題を複雑にしているのが、その背後に見え隠れする帝国の存在だった。
勿論、帝国と中華政府の関係が悪化している訳では無い。
しかしながら、北辺軍を完全な支配下に置こうとして、軍事的な衝突が発生した場合に、帝国、特に停戦監視団がどのような動きを示すかは、蒋介石にとっても大きな問題となりつつあった。

この結果が、蒋介石によるソ連に対する不可侵条約の締結へと結びついていた。
そう、満州地区の支配体制の確立のため、蒋介石は、帝国とソ連を手玉に取ろうとしているのだった。

「華北の中共軍支配を黙認する代わりに、不可侵条約の締結、それによる帝国への牽制か。」
「ああ、そうだ。しかし、大丈夫なのか人事ながら、心配してしまうね。」
梅津は溜め息を吐き出しながら、井上に告げる。
「中国共産党の存在を単なる軍閥の一つと捉えている限り、間違ってはいないんじゃないか。」
井上は、冷たく言い放つ。
「まあ、いずれ痛い目に会うのは蒋介石だ。少なくとも中華本土での利権構造が変わらない限り、足元から崩される危険性は大きいし、それを教えてやる義理はないしな。それに、」
「いずれ、放棄する予定の満州地区だ。痛くも痒くも無いか・・・」
梅津が井上の最後の言葉を奪うように、結論を話す。
少しむっとした井上だが、軽く肩を竦めるだけだった。

176shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/06(土) 10:22:18
1938年、欧州では昨年末、フランコ総統の下にスペイン新政権が樹立されたが、戦乱は納まらず、多くの人々は暗い影を感じ取っており、不穏な空気の中で年を開けた。
一月初旬に、イタリアが海軍増強計画を発表すると、各国ともそれに合わせるかのように、新たな艦船の建造計画を表明し、米国ですら、ルーズベルトに代わって大統領に就任していたランドン大統領が、年頭調書で、海軍の増強を提案する始末だった。
アジア地域では、「のと」資料に記されたような、大規模な日中紛争は発生しておらず、蒋介石中華政府は、華北の共産軍も国軍第八軍として取り込み、統一中華政府としての体制を確立しようとしていた。
しかしながら、昨年10月から開始された、日英米との満州地域の停戦監視団の扱いに対する交渉は、1月を迎えても、一向に進展しないままだった。
帝国も含め、参加国すべてが、フリートレードゾーンの存続を望んでいる限りにおいては、当面の交渉が、暗礁に乗り上げるのも無理もなかった。
蒋介石自身も、交渉そのものが、独立中国の体面だけの問題である事を良く認識しており、強攻策に出るよりは、政権の足場固めに精を出しているのが現実だった。

「イタリアは、「のと」資料とほぼ同じ内容か。」
さっきから資料に目を通しながら、色々見比べていた梅津が、井上に話しかける。
「ああ、帝国の改変の影響を一番受けなかった国と言えるからな。」
「独逸は、空母が無い。その代わり巡洋戦艦が一隻増えている。英国もその影響で、プリンスウェールズ級五隻が六隻の建造に。ソ連はまあ、計画だけは立派だな。」
「おお、中々意欲的な計画だよ。戦艦を四隻も作るそうだ。どんな船になるのか興味はあるね。」
「フランスは、まあ、あれだ。政権のごたごたのせいで、腰が据わってないな。それでも、イタリアに対抗出来る艦船の建造だけは続けているのは、立派だな。」
「で、やはり頭の痛いのは、米国だな。」
二人が顔を揃えているのも、米国のランドン大統領の年頭調書のせいだった。

1936年に、帝国も批准した第2次ロンドン軍縮会議は、各国の軍備拡張に対して、ある程度の歯止めにはなっていた。
その証拠に、各国で建造される戦艦の主砲は軒並み14インチクラスであり、排水量も35000トンと言う枠組みをある程度維持しようとしている。
独逸がビスマルク級に15インチを積もうとしたり、ソ連が16インチを積むとの話もあるが、所詮陸軍国の海軍とあまり誰も気にはしてなかった。
しかしながら、独逸の2艦の戦艦建造により、英国が戦艦枠の拡大を要求し、それが認められた結果、日米はスライド条項により、新たな戦艦建造の枠を手に入れていた。
米国は旧型艦のリプレイスとしての枠も含め、3万5千トンクラスならば代替艦4艦、新造6艦、帝国は代替2艦、新造3艦までは建造可能となった。
帝国の場合、厳密に言えば、対英米5.5割が認められた枠なので、3.3艦となるが、そんな船作れる訳は無い。
そこで、英米に対して、交渉が行われ、代替艦2艦、新造戦艦2艦、2万5千トン級の空母2艦の枠を手に入れている。
戦艦を一隻減らし、逆に空母2艦の追加建造を認めさせたわけである。
この結果、戦艦部隊は、旧型に分類されるが、機関及び電装関係を一新している16インチ砲艦の「長門」、「陸奥」、14インチ砲艦の「伊勢」、「日向」、「榛名」、「霧島」。
31年に代替艦として建造が開始され、34年に竣工した新鋭の14インチ砲艦の「金剛」、「比叡」の計8艦体制から、1939年には、新たに竣工する新造艦としての「扶桑」、「山城」と、現存の「春名」、「霧島」の代替艦を含め10艦体制となる予定だった。
しかしながら、帝国は39年には大戦が勃発している事を予測しており、無条約時代が訪れるのを見越していた。
そのため、「榛名」、「霧島」は、解体と称して大改装が密かに予定されている。
そう、帝国は、戦時に突入する39年には、10艦体制ではなく、12艦体制を密かに計画していたのである。
 勿論、「のと」資料の分析から、戦艦に対して航空攻撃が有効である事は理解していたが、それでも、米国の戦艦14艦体制に対して、新造艦6艦、改装艦6艦の体制は、米国が新造艦を就航させても、暫くの間の安全保障としては十分なものであった。
 特に、欧州大戦に対して積極的に介入を目論んでいる状態では、少なくとも4艦程度の派遣は考慮せざるを得ず、残り8艦が本土防衛として残されている点は大きかった。

177shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/06(土) 10:23:12
 ところが、ランドン大統領の年頭調書が、この目論見を大幅に崩す事となった。
なんと、ランドン大統領は、米国が保有する戦艦建造枠を一斉に行使し、現在建造中の2艦に加え、8艦、計10艦の大量建造計画をぶち上げたのだった。
全ての戦艦を本年度中に起工し、全艦を三年後の1941年には竣工させると言うものだった。
少なくとも戦艦に関する限り、1941年には新造艦を組み入れて20艦体制が確立される。
しかも、帝国が目論んでいる代替艦の改装まで対応されれば、24艦体制となってしまうのだった。

「どうみても、景気浮揚策なんだがな。」
「ああ、国内向けだ。しかし、同時に帝国の戦略の大幅な見直しを迫ることとなるな。」
「迷惑以外の何者でも無いな。」
二人が、いや帝国が、頭を抱えたくなるのも、仕方なかった。
ルーズベルトの後を継いで、36年に大統領に就任したランドン大統領は、共和党とは言え、ニューディール政策そのものを全面的に否定した訳ではなかった。
ただ、その政策が、余りにも共産主義的で、結果として労働争議の拡大をもたらした点を突き、ルーズベルトを破っていた。
このため、大統領に就任してからは、大規模公共投資を継続しながら、対外不干渉の原則を守り、農業保護等の政策を打ち出していた。
しかしながら、米国資本が、好景気を示す満州や独逸に流れ出すのを防ぐ事は出来ず、米国の景気は2年経っても低迷し続けており、40年の大統領選挙では、余程の事が無い限り再選される見込みは無いと言われている。
それに対する起死回生の一打とも言うのが、今回の戦艦大量発注である。
確かに、軍備増強は、非常に判りやすい大規模公共投資だった。
戦艦10艦ともなると、現在のドックでは不足しており、本年中に新たに追加のドックが建造される。
また、新造艦の追加に伴い、海軍そのものが要員確保に走る必要から、2万人程度の増員が必要となる。
造船ドック建築に対する周辺での雇用創出、海軍の増員に対する新規雇用に対する期待感等は、ダムや道路建設よりも非常に判りやすかった。
しかも、戦艦だけ建造する訳ではない。
艦隊を編成する以上、補助艦艇も大量に必要となり、来年以降、それらの艦艇の建造が期待される事となる。
勿論、問題が無い訳ではない。
軍事関連の投資は、完成後の見返りが何も無いのである。
道路やダムならば、その後の公共財としての価値もあるが、戦艦は、そのような価値を生み出さない。
あくまでも一時的なカンフル剤でしか過ぎず、しかも、効果が表れるまで、追加投資、即ち継続的な軍備増強が必要となる。
そして、その行き着く所は、戦争だった。
景気浮揚策としての、投資の回収を目論むならば、旧態然としてはいるが、戦争による資源地帯や市場の拡大が必要不可欠となる。
ある程度までは効果的な景気浮揚策であるが、その反動も大きい劇薬と言えよう。

「のと」世界では、ルーズベルトがそれを行い、見事景気を回復させたとも言える。
しかしそれは、同時に戦争での勝利が絶対条件であった。
もしも、米国が敗戦していたなら、大恐慌と呼ばれる米国の不況が冗談に過ぎないような不況に見舞われていただろう。

178shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/06(土) 10:23:51
しかしながら、現実にはそのルーズベルトは既に過去の人物となっている。
ランドン大統領は、ソ連とのコネクションも無ければ、英国のチャーチルと特に中の良い訳で無い。
「軍備が充実すれば、戦争以外に道は無いか。」
梅津がポツリとつぶやく。
「ああ、「のと」世界とは立場が逆転しているな。あちらの世界では、帝国が分不相応な軍備を持ち、戦争に突入したのに、こちらでは、米国がそうなりそうだ。」
「問題は、米国がどこと戦うか・・・だな。」
暫く、二人とも何も言わない。
やがて、徐に井上が口を開いた。
「帝国と言う選択肢は非常に小さいか。」
「あたりまえだろ、そうなるように我々がどれだけ苦労していると思ってるんだ。」
大陸からも撤退し陸軍を縮小し、戦艦の数も減らしている。
しかも、徹底した英国追随外交まで展開しており、満州への米国資本の導入も積極的に行っている。
少なくとも、米国が帝国に因縁をつける材料は無い。
今の時点で、日米が戦争になると言えば、頭がおかしいのではと思われても仕方ない。
「独逸についての参戦は、それを起こらせないためにも、「のと」世界よりも一年早い開戦を目指している訳だし。何よりも、どこも米国に戦争を吹っかけようとはしないぞ。帝国を締め付けて、開戦に持って行くと言う方法も、今更締め付けられる要因もないしなあ。」
梅津が、ぼやくように、井上に投げかける。
「そうなんだよな。ソ連はさらさらそんな気は無いだろうし、英国ならば係争関係になる事案も無い事はないが、「のと」資料を手に入れた今の英国がそれに乗る訳ない。」
井上が少し考えるようにしながら、話続ける。
「一番良いのは、このまま米国が軍備拡張を続けて、世界最大の海軍でも作って貰い、他の列強がそれを無視し続ける。そして、ある日国家として財政破綻でもしてくれたら。いや、ありえんだろうなあ。」
「そりゃ、無理だ。幾らなんでもそう上手く行く訳ない。その前に、米国が自ら戦争を引き起こすだうろな。」
井上が、はっと何かに気がついたように、梅津を睨む。
「まて、戦争を引き起こすだと!」
「えっ、いや、「のと」世界では、帝国がそうじゃないかと思って。中華との戦争で経済が破綻に近づいた時に、言い方は悪いが、米国に戦争を吹っかけたとも取れるだろう。それと同じ事じゃないか。」
「そうか、そうだよな。米国みたいな大国が、そんな馬鹿な事する訳無いと考えつかなかったが、他の選択肢が無くなれば、その可能性もあるのだな。」
「「のと」世界では、国内の反対を押し切る材料としての帝国からの参戦が必要だったが、それすらも考慮しないで、戦争を吹っかけるとなると・・・」
やにわに、井上が立ち上がり、壁際の棚に向かう。
巻かれて置かれていた世界地図を手にすると、部屋のテーブルに広げる。
「どこで、紛争を引き起こす?どこだ?」
じっと地図を眺め、ブツブツつぶやく井上の横に立った梅津も、同様に地図を睨み考え込む。
暫くして、二人は顔を見合わせる。
「そうなると、可能性はここと、ここ、それとここだな。」
二人は、ほぼ同じ可能性に行き当たり、黙りこんでしまう。
米国が、地域紛争を引き起こして、メリットのある場所は限られている。
その結果、米国が権益を手に入れられる地域として、世界地図を眺めれば、井上が指し示したエリアは、限定される。
また、それ故、梅津も躊躇いなく同意したのだった。
特定地域で紛争を捻出し、米国が大規模に介入出来る地点。
それにより、米国に利益をもたらす資源地域となると、おのずから限られてくる。
一つは、中東の石油資源、次が東南アジア、特にオランダ領インドネシア一帯、そして最後が、大慶油田を抱える満州だった。

179shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/06(土) 10:24:29
「可能性が一番低いのは、中東か・・・」
梅津がつぶやく。
「ああ、あまりにも米国から遠い。地中海を通っていては、その前に阻止されてしまう。インド洋から回り込もうにも、英国を味方につけない限り、周りに中継地点が取れない。」
「フィリピンを拠点としてのオランダ領インドネシア、満州がターゲットとなるな。」
二人は考え込む。
「紛争を起こすなら、満州の方がやりやすいだろうな。米国資本もかなり入っており、米国系市民の保護と言う名目で、停戦監視団の増員も可能だ。」
「しかし、その場合は、日英のみならず、ソ連・中華も巻き込む大騒動になるぞ。
まあ、インドネシアの保障占領が良い線だろう。」
梅津が呆れたように言う。
「判らん、そこまで追い詰められたら、何をするか・・・」
そこまで、話して、ふと、井上が顔を上げ、梅津を見る。
「うん、何だ?」
「いや、先走り過ぎたかなと思ってな。」
そう言われて、梅津も苦笑いを浮かべる。
「ああ、そうだな。まだ机上の空論なんてレベルじゃないな。」
「まあ、先を見るのは悪くないが、今はまだ・・・早いな・・・」
「留意はしておくさ、とにかく、総研でのランドン調書に対する意見をまとめよう。」
「ああ、そうだな・・・」
井上も頷き、二人は部屋を出て、総研の研究員との打ち合わせに向かう。
数年後、二人ともこの時の会話を痛いほど思い出す事になろうとは、その時は予想もしなかった。

180shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/06(土) 10:25:01
「ううっ、まだ寒いなあ・・・」
欧州を走り抜ける豪華列車から降り立った高畑は、着ていたコートの襟を立てて、辺りを見回す。
3月に入ったとは言え、まだまだウィーンは冬だった。
「高畑さんでしょうか。」
突然大きな声を掛けられ、高畑はびっくりして振り返る。
「ああ、君は、迎えの?」
「ハッ、榊し・・・、榊です。」
手を額に持って行こうとするのを辛うじて堪えたのが、見ていても判る。
これじゃ、軍人だって丸判りじゃないか。
直立不動の体勢は、どう見ても、帝国軍人そのものだった。
着ている背広がまるで似合っていない。
まだ、若く、真面目そうな顔は緊張に歪んでいる。
「うん、まあ、とにかく、行こうか。」
「ハイ!ご案内致します。」
コチコチに緊張したまま、辺りを警戒しているのが、いかにも判りやすい。
これじゃ、防諜もあったもんじゃないなあ。
呆れ返ると共に、不安になるが、ふと気が付くと、もう一人付かず離れずについてきている。
相手が東洋人でなかったら、全く気が付かない所だった。
ははあ、こっちが正式の護衛か。
高畑は、妙に納得しながら、駅の出口に向かった。
外には、ロールスロイス ファントムⅢが止まっており、思わず高畑も口笛を吹くように、口をすぼめる。
榊が、緊張したように、後部座席の扉を開く。
高畑が中に入ると、既に先客が待っていた。
こちらは、貫禄があり、背広が良く似合っている。
これで葉巻でも咥えれば、米国のギャングの親玉と言っても、信じてしまいそうだった。
「佐藤さんかな?」
「高畑さんですね。宜しく。」
扉が閉まり、車は音も無く走り始めた。
前後に一台ずつ護衛の車が付き、三台はウィーン郊外目指す。
英国の最高級車の乗り心地は流石で、高畑はそれを堪能するように目を閉じた。

「高畑さん、着きましたよ。」
「ああ、すまん。寝てしまったようだ。」
車は、広大な森の中を走っている。
着いたと聞いたのに、辺りは森と言うのは、どう言う事だ。
「ここは、もう敷地の中なんですよ。」
高畑が怪訝な顔を浮かべていると、佐藤が呆れたように言い捨てる。
やがて、その先には宮殿かと思うような大邸宅が見えてき、車はその正面に停車した。
建物からいかにもバトラーと言う感じの男が駆け寄り、車のドアを開けてくれる。
流石に高畑も少しは緊張しながら、建物の中に入った。

181shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/06(土) 10:25:39
佐藤ともう一人、併せて三人だけで、控えの間を通り抜け、正面の部屋に案内された。
「ほおう、流石に欧州の大富豪、凄いものですな。これを見れば東洋の帝国なんぞ、本当に貧乏国だと思い知らされますね。」
暫く待つ間、佐藤が辺りをゆっくりと見回しながら、話しかけてきた。
「ああ、まあ世界一の金持ちの一族だからね。比較は出来んよ。」
高畑も気軽そうに答える。
きっと、どこかで誰かが三人の様子を伺っている筈だった。
幾ら、英国のネイサン・ロスチャイルドの紹介とは言え、当然警戒はしているだろう。

バトラーがお茶を運んでくると、漸く扉が開き、この館の主人が現れた。
「あなたが、高畑さんですか。一度はお会いしたいと思っておりました。」
にこやかに微笑みながら、手を差し出されたが、流石に高畑も緊張が隠せなかった。
ルイス・ロスチャイルド、オーストリア最大、いや欧州一の大富豪との面会である。
握手する手が、震えそうになるのを何とか抑えるのが精一杯だった。
連れの二人の紹介が済むと、ロスチャイルドは正面に腰を下ろす。
「それで、ご用件はなんでしょうか?ネイサンからは、話を聞くようにと言われていますが、出来れば手短にお願いしたいのですが。」
いかにも、人を見下したような言い方に、あきれ返る。
そう来るなら、要件はとっとと済ましてしまうに限る。
「三日後、3月13日に、ナチス独逸が、オーストリアを併合します。予定では、貴方は明日、イタリアに向かって脱出しようと考えてられるでしょうが、それでは遅すぎます。」
流石に驚いたのか、ロスチャイルドの眉が上がり、先を促す。
「我々の車に乗って、このままスイスに向かって頂きたい。その為の用意は出来ております。」
佐藤がその先を引き継いで、話し始める。
「そうですか?あなた方の話が本当だと信じる理由はないんですがね。」
「信じていただかなくても、我々は気にしません。同行願えないなら、無理やりでもお連れするだけですから。」
そう言いながら、佐藤は何処に隠していたのか、背中から、短機関銃を取り出し、ロスチャイルドに突きつけるのだった。
これには、ロスチャイルドも驚き、手にしていたティーカップを落としそうになる。
「これは、玩具のように見えますが、立派に機能します。少なくとも護衛の方が来られる前に、貴方に怪我をさせる事ぐらいは出来ます。」
「ら、乱暴な・・・」
「あ、あの、この男の失礼はお詫びします。一応、ネイサン氏にも了解はとっております。」
高畑が、余りにも短絡的な佐藤の行動に驚いて、慌てて声を掛ける。
「な、なんですか。」
「えっ、いや、言う事を聞かない場合は、無理やりでもお連れするように、頼まれましたので。」
高畑が、頭を掻きながら、仕方なさそうに、答える。
全く、これだから、情報部の軍人は、困るんだよな。
ロスチャイルドはそんな様子に、目を白黒させるが、それでも直ぐに決断したようだった。
「判りました。それでは参りましょう。ネイサンがそこまで言うならば、信じるしかないでしょうしね。用意する時間はありますか?」
その質問に、佐藤が首を左右に振って答える。
「す、すみません。既にナチスの監視が付いています。我々も余り時間の余裕はないと考えていますので、直ちにお願いします。」
なんで、俺が答えなきゃいけないんだ、本当に。
高畑は頭が痛くなるようだった。

182shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/06(土) 10:26:18
「仕方ないですね。まあ、銃器で脅されている立場では、従うしかないですな。」
ロスチャイルドは立ち上がり、それでも執事を呼んで、事情を説明する。
流石に、ロスチャイルド家の執事である。
佐藤が銃を突きつけているにも関わらず、一切それを見ようともせず、主人の話を聞いていた。
「それじゃ、まいりましょうか。」
そう言って、ロスチャイルドは自分が先頭に立って、部屋を出ようとする。
「あっ、その銃のようなもの。本当に弾が出るのですか。」
佐藤が軽く頷く。
「それじゃ、一寸試しに、そこの花瓶を撃って見てくれませんか。」
ばばっと軽い連射音が響き、花瓶は粉々に崩れ落ちる。
「ほう、凄いもんですね。私も一つその銃が欲しいですな。」
「残念ながら、これは売り物では無いので。」
佐藤がそう言うと、ロスチャイルドは、残念そうに首を振りながら、二人を引き連れるようにして、部屋を出て行く。
高畑も慌てて、その後を追う。
しかし、あんな銃、どっから取ってきたのだ。
いや、聞かなくても判る。
少なくとも、背広の後ろに隠せるような機関銃なんて、この世界何処を探しても、手に入る場所なんて他にある訳も無かった。

183shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/10(水) 00:06:58
 スエズ運河は、言葉とは裏腹に、結構広い川のように見える。
日本郵船が誇る2万5千トンの最新鋭の豪華客船、新田丸でも、両岸までは十分な距離がある。
「なんだかなあ・・・」
その豪華客船でも一際豪華な、特別船室のテラスに腰を下ろし、良く冷えたジントニックのグラスを燻らせながら、高畑は、大きく溜め息をついた。
目の前を通り過ぎてゆく、いかにも異国情緒溢れる中東の風景も、彼には目に入っていなかった。
「疲れるなあ・・・」
高畑は、何度目かの溜め息を吐き出し、グラスを口に運ぶ。
「おや、ここにおいでだったのですか。イーデン氏が捜しておられましたよ。」
断りもせず、彼の船室に入ってきて、更にテラスまで高畑を探しにずかずかと入ってくるこの人物が、高畑を疲れさす原因だった。
「あまり、勝手に部屋には入って欲しくないんだけどね。」
「ああ、これは失礼しました。しかし、本官の仕事上、それも止む終えないかと。」
絶対そんな事思ってもいないくせに。

二ヶ月前、オーストリアでルイス・ロスチャイルドを拉致同然に連れ出し、監視していたナチスの特務、所謂ゲシュタポと激しいカーチェイスを行い、挙句の果てには銃撃戦まで演じて見せた統合本部情報部総務課の佐藤大佐だった。
本来ならば、高畑の役割はスイスの某所にある日商が手配した山荘まで、ルイス・ロスチャイルド氏を届ければ終るはずだった。
しかしながら、山荘に到着すると、既にネイサン・ロスチャイルド氏も駆けつけており、その場でロスチャイルド家の緊急会議のようなものが開かれ、その結果が出るまで足止めされてしまった。
会議は三週間近く続き、その間には独逸のロスチャイルド一族のフランク・ゴールドスミスまでやって来て、夜遅くまで何やら話が続いているようだった。
元々、今回のルイス・ロスチャイルド氏の救出劇は、ネイサン氏からの依頼だった。
英国政府筋より、ネイサン氏にナチス独逸のルイス・ロスチャイルド氏が拘束されようとしているとの情報が伝えられ、同時にその救出には、英国政府としては動くことが出来ない旨と、代理に日商の高畑を通じて、帝国政府に依頼してはどうかと言うアドバイスも含まれていた。
まあ、この辺は「のと」情報から、ルイス・ロスチャイルド氏の救出が必要であるとの判断が日英の首脳陣でなされた結果の表上の筋書きである。
ネイサン氏も裏に何かあるとの事は気が付いているだろうが、それには触れず、正式に高畑に依頼をとってきた。
その結果、予め情報部より派遣されていた佐藤大佐以下のメンバーが準備を整え、高畑が、ネイサン・ロスチャイルド氏の紹介で、出向いた訳である。
本来ならば、これで高畑の出番は終了の筈が、足止めをくらい、スイスにある日商の支店から各種指示を出しながら、滞在するしかなかった。

184shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/10(水) 00:09:05
そして、高畑がスイスを離れられないとなると、情報部も部隊のメンバー全てを他に移す訳にも行かず、佐藤大佐以下、四名の要員だけが、スイスに残る事となった。
結局、この四名に対する対応で、高畑が振り回される事となる。
佐藤大佐は、何故かルイス・ロスチャイルド氏に気に入られたようで、会議を行っていない場合には、良く呼び出されて食事を共にしている。
そして、困ったことにそのような場には必ず高畑も招かれる。
佐藤大佐は、英語はそれ程得意ではないようで、言葉数は少なくなるため、会話を繋ぐのが高畑の役割だった。
佐藤大佐の部下もそれぞれが、個性豊かな連中であり、何かしらトラブルを引き起こすと、それに対しての対応も、高畑がするしかない。
英語の殆ど話せないくせに、酒が好きな坂口特務曹長は、町に出て酒場で喧嘩をしてくる。
まだ若い榊少尉は、高畑の護衛任務は継続していると言い張り、何処に行くのでもついてくる。
しかも、あからさまに、周りを警戒する態度を示すので、否でも目立ってしまう。
比較的健全そうに見えた、仲村少佐にしても、あの騒動の最中にどうやったのか、独逸製の武器を多数手に入れており、帝国に持ち帰る方法を相談してくる始末だった。
三週間も経つと、慣れない対応にいい加減疲れていただけに、ネイサンらロスチャイルド家の連中から、相談を持ちかけられた時は、ほっとしたものだった。

「で、私に英国政府に対する仲介を頼むと。」
高畑は更に、頭が痛くなるように思えた。
ロスチャイルド家のお歴々が集まっているかと思うと、代表してネイサン氏が話し始めた内容は、唖然とするような話だった。
どうして、俺なんだ!
高畑は心から叫びたくなる。
要は、ロスチャイルド家は、その家を上げて、ヒトラー打倒に力を貸す事に決めたと言う事を、英国政府首脳に話して欲しいとの事だった。
そんな事ぐらい、自分でやれよと言いたくなるが、よくよく話を聞けば、その裏があった。
要は、英国民としてネイサン氏が話すと、単なる国内での協力関係が主であり、一国と言うレベルを超えた協力となると、仲介者が必要だと言う説明だった。
しかも、痩せても枯れても彼らは商人である。
それだけに、協力には見返りがつきものだと言うのだ。
その交渉を高畑にお願いしたいと言う事である。

185shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/10(水) 00:09:59
本当に油断も隙もありゃしない。
高畑達が、英国とどのような交渉を行ったか、まるで知っているような口ぶりに、脱帽するしかなかった。
帝国は、英国側に立って、来るべき対独戦を戦う事を英国政府に表明していた。
勿論、それは密かにであるが、その為に武器の共同開発から、軍隊レベルでのすり合わせまで既に実施している。
しかしながら、英国を見方につける為だけに、「のと」情報の開示まで行い、その見返りを求めない程帝国も愚かでは無かった。
今回の対独戦への参戦にて、直接的なメリットは、中東における石油資源の開発がある。
「のと」情報より、イラン及びエジプト南部、のと世界では、クゥエート及びサウジアラビアと言う国になっている地域での優先的石油開発権を認めさせていた。
ロスチャイルド家がその辺りの事情をどの程度まで理解しているのかは、流石に聞くわけにも行かない。
それでも彼らが、少なくとも日英の間で石油資源に関する取引が行われた事を知っているのは間違いなかった。
なぜなら、ロスチャイルド家としての対独戦に対する全面支援の見返りも、新たな石油資源の開発に関してだったのである。

それから一ヶ月、高畑は再びロンドンに戻り、総研の情報班と検討を加えながら、英国政府に対する交渉を行う羽目になった。
最終的に、イタリア領リビアで発見されるであろう油田の開発権を、「今後発見される新たな油田に対する第一開発権をシェル石油に認める」と言う形で、交渉を纏め上げた。

そして、漸く日英の最終交渉が行われるインド洋に向かうために、英国代表のイーデン外相と最新鋭の日本郵船の豪華客船に乗っているのだった。

186shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/10(水) 00:10:43
「で、なんで、貴方が一緒にいるのですか?」
うんざりした顔で、ずかずかと部屋に押し入ってきた佐藤大佐に対して、高畑は問いかける。
英国に戻った後は、ようやく開放されたと思っていたのに、船に乗り込んだ途端、彼らがいたのだった。
「お忘れですか、我々の任務は、高畑さん、貴方の護衛ですからね。」
おそらく、堀さん辺りの差し金だろう。
護衛と言うのは嘘ではないだろうが、監視の役割も兼ねているに違いない。
最近、総研の情報班と、統本情報部の間で、色々確執が増えて来ている。
まあ、情報を扱うと言う意味では、両者が反目するのは仕方ないのだが、ここまで来ると流石にうんざりする。
今度、情報班の班長に会ったら、良く言っとこう。

「で、イーデン氏は何と。」
「はあ、高畑さんは何処にいるかと聞かれまして。アデンに着いてからの予定の確認だと思われます。」
「それじゃ、行かなきゃな。判った。」
徐に立ち上がり、テラスから部屋に戻る。
しっかりと、仲村少佐と、坂口曹長まで控えている。
うんざりしながら、部屋を出ると、ご丁寧に直立不動で、榊少尉が挨拶をしてくる。
本当に、軍人ってやつは。
高畑は頭を左右に振りながら、イーデン氏の部屋に向かうのだった。

結局、新田丸がアデンに着くと、高畑、イーデン等は随行の数名を引き連れ、密かに下船する。
しっかりと佐藤大佐の案内で、暫く車で海岸線を移動すると、停泊中の四発の大型飛行艇が待ち受けていた。
彼らはそれに乗り込むと、飛行艇はすべるように動き出し、やがて海岸からは見えなくなっていった。

187shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/13(土) 17:15:58
 チャゴス諸島、ディエゴガルシア島、2年前に、帝国が緊急展開軍のプロトタイプを初めて英国に開示した場所である。それ以来、この諸島は日英の秘匿活動の拠点として大きく変貌していく事となった。
 島から、本来の住民は全て他の諸島への移住を強制され、代わりに各種軍事施設が急ピッチで建造されており、今もその建造は続けられていた。
最終的には、4000メートル級の大型滑走路を初め、一度に5万人の兵員を収容できる各種施設、大量の武器弾薬を備蓄する倉庫群、そしてこれらの諸施設を維持管理するための荷揚げ能力の有する大規模港湾施設に至るまで、それはここがインド洋に浮かぶ孤島群だとは想像も出来ない程の充実が目指されていた。
そして、建設が進むこれらの施設を横目に、既にここには大量の物資が運び込まれつつあった。
いや、物資のみならず、多くの軍人さえも、集結し始めていた。
大きく弧を描く岩礁の中には、多数の輸送船が停泊しており、そことは少し離れた所には、帝国国軍の艦艇や、英国海軍の艦艇すらも停泊している。
 現在集積しているのは、対独戦に向けた第一陣であり、帝国、英国からの兵員を抽出した二個兵団であった。
本年に入り、日英は対独戦に向け、機動兵団の本格編成に突入していた。
帝国は、九州管区の機動兵団がその第一陣に選ばれ、旅団毎に移動を開始している。
彼らは、連隊規模で、輸送船団に組み込まれ、密かにオーストラリアに向かった。
秘匿と言っても、九州管区の兵団3万人近くが丸々一個移動する訳だから、完全に隠蔽する事など不可能である。
その為、兵団の将校達には、半年の特別機動訓練を英国軍と実施するため、オーストラリアに向かうとの情報が与えられていた。
明らかに、来るべき欧州大戦の準備と丸判りであるが、それは覚悟の上である。
要は、参戦時期を見誤ってくれればそれで良いのである。
指定の港湾まで、列車で運ばれた兵士達は、背中に一杯の装備を背負い、船に乗り込んで行く。
良く見れば、船の大きさに対して、乗り込む兵士の数が少ないのは判るはずだが、別に乗船港がここだけと限られる訳では無い。
実際に同じような船が、日付をずらして他の港湾に現れており、それを裏付けている。
これと呼応するように、英国でも、本国師団が丸々二個、オーストラリアに派遣される事となり、その準備は盛大に実施されていた。
こちらは、逆に独逸等に対してのアピールの意味合いが強い。
即ち、英国はいざとなれば参戦出来る体制は整えようとしているが、師団をオーストラリアに送る以上、その時期はまだ先であると。
オーストラリアに到着した、日英の兵団要員は、その地に集積された機動用車輌を提供され、一ヶ月程の合同訓練が実施される。
彼らに関しては、元々本国にいる時から、分隊レベルでの機動訓練は優先的に実施されていたのでその期間は比較的短い。
むしろ、第二陣、三陣となる兵団の訓練期間が長くなるのが、仕方ない事であるが、厳しかった。
訓練の終了した彼らは、再び輸送船に乗り込み、ディエゴガルシアまで渡って来ていたのである。
第一陣は、ここで装備を完全充足し、用意が整い次第、南アフリカに向かう。
その頃には、第二陣がここ、ディエゴガルシア、第三陣がオーストラリアに展開される。
そして、作戦命令が発令されるまで、そこで待機することとなるのだった。

188shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/13(土) 17:19:11
「壮観なものですね、輸送船が60隻、護衛艦隊二個群、空母が4席もこの狭い岩礁に待機しているのは。」
「ああ、ある意味無茶ですね。事故でも起こったら目も当てられない。一体いくら金が掛かっていると思っているのか。」
高畑は、イーデン氏の言葉に、嫌そうに相槌を打つ。
狭い岩礁内だけに、停泊できる場所も限られてくる。
結果として、10隻以上の輸送船が、串刺しのようにくっつき合って止まっているのは、結構怖いものがある。
しかも、その船の中には弾薬が満載されており、ここに一発でも爆弾が落ちたらと思うと、落ち着いてろと言う方が無茶だった。

「しかし、その為のロスチャイルド家でしょう。高畑さんも努力なされたじゃないですか。」
イーデン氏は笑いながら、話しかけてくる。
「のと」資料では、この年の三月にチェンバレン首相の対イタリア宥和政策に反対して外相を辞任している筈だが、現在でも英国外相の地位に留まっている。
そう、のと資料が、彼の経歴も大きく変えつつあった。
同盟国日本との共闘体制が確立されると、宥和政策は、39年までの時間稼ぎではなく、38年までと一年早まっている。
既に開戦時期は、独逸のチェコスロバキア侵入時と決められており、これに対してはイーデンも異議を挟む事なく、結果として外相の辞任までには至っていない。
しかも、今回のロスチャイルド家の取り込みにより、彼の立場は更に変わっていた。
ルイス・ロスチャイルドの救出により、一族を挙げての英国支援を決定したロスチャイルド家が、戦争指導者として強く望んだのが彼だった。
そして、ロスチャイルド家が望む以上、他の財界要人に対する根回しは終了しており、チェンバレン首相や、政府関連者もその方向での政策策定に向けて動き出していた。
当初、帝国は「のと」資料も含め、各種情報分析から、チェンバレンーチャーチルでの推移を予想していた。
特に、チャーチルはロスチャイルド家とも親しく、当然ながら、ロスチャイルド家は彼を推してくるものと思われていた。
ところが、現実にはチャーチルではなく、イーデンを推薦したのだった。
流石に高畑も、ネイサン氏と二人きりの時に、その事を聞いてみる誘惑には勝てなかった。
ネイサン氏の答えは短的だった。
「彼は、米国に近すぎる。」
これがその回答だった。
ロスチャイルド家は、日英の戦争準備を独自のルートで調べ上げ、彼らなりの結論として、米国抜きで対独戦を戦い切れる、いや、自分達が資金援助すれば、可能であるとの結論に達したようだった。
また、それ故、独逸の財閥である一族のゴールドスミス家も、日英側に立っての協力を申し入れてきている訳ではある。
 戦争には金が掛かる。
日英併せて六個の完全機動化兵団の武装、100隻以上の輸送船の手配など、どれ一つとっても、膨大な金額が必要となるのは言うまでも無い。
「のと」世界では、米国がこの戦費を肩代わりし、そして第一次大戦時よりも更に情け容赦無く取立て、大英帝国は没落している。
それが判っているだけに、戦費の調達を米国に依存するわけには行かなかった。
そして、それ以外のスポンサーとして日英が目をつけたのが、ロスチャイルド家を筆頭とする欧州の大富豪達だった。

189shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/13(土) 17:19:54
「いや、戦費調達の目処がある程度立ったのは、嬉しいんですが、やはりこれだけのものを用意したのが、戦争となると消えて行くのが何ともねえ。それにきれい事かもしれませんが、やはり人死にが出るのはやり切れませんね。」
「ああ、成程、判りました。それならば、私もきれい事にしか過ぎないでしょうが、こう返すしかありませんね。つまり、我々が努力しないと、更に被害は増えるのです、と。」
「確かに、おっしゃる通りです。きれい事、だけどそれが人生ですね。」
「ええ、それじゃ、そろそろ行きましょうか。」
「そうですね、参りましょう。例え建前だけでも、「より良き明日を作るために。」」
「より良き明日を目指して。」
英国の次世代の指導者イーデンと、帝国の影の財務長官と言われる高畑は、ここ数ヶ月の活動を通じて、お互い相手を認め合う存在となっていたのだった。

190shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/13(土) 17:21:26
 1938年5月24日、欧州での戦乱の気配が濃厚になる中、彼らはその部屋に集まっていた。
大英帝国全権大使イーデン外相、駐英全権大使吉田茂、カニンガム陸軍中将、サマービル海軍中将、山口多聞中将(役務)、栗林少将(役務)、英国情報部マッキンレー部長、帝国統合本部情報部堀貞吉部長、特別情報担当、ケインズ、クラーク、そして総研井上、高畑らであった。
誰がどこで気を使ったのか、日英の主要メンバーの比率は丁度一対一に設定されていた。
公式にはイーデンは、インド独立問題を検討するため、スエズを越えてインドに向かう船の上であり、吉田茂は、逆に英国に向かう船の上にいる事となっていた。
 他のメンバーも何らかの理由を付けて移動中と言う名目で、彼らは密かにディエゴガルシアに集まってきていたのだった。
「全員揃ったようですね、それでは始めましょうか。」
イーデンと高畑が揃って部屋に入り、席に着くと、井上が話し始める。
「本会議は、公式には来るべき対独戦に向けた日英の最終打ち合わせ会議です。それ故、今回設立された、日英統合軍欧州派遣司令官であるカニンガム中将に会議の進行はお願いすることとなります。」
井上は、カニンガム中将に軽く頭を下げる。
「そして、まあ、今更ここにいる皆様には隠す必要も無いのですが、これは「のと」情報に関する最初の日英共同会議である点もご認識頂きたい。」
「それは、どう解釈すれば良いのかな。」
イーデンが怪訝そうに井上に尋ねる。
「つまり、ここで話された内容のかなりの部分が議事録から抹消される可能性があると言う点を、お含み置き願いたいのです。」
「ああ、そりゃそうだね。表に出せない内容がかなりあるだろう。」
吉田がいかにもと言う顔で頷く。
「そう言う事です。では、カニンガム中将、宜しくお願いします。」
井上が頭を下げると、日英統合軍欧州派遣司令官、カニンガム中将が徐に立ち上がった。

そう、カニンガム中将の司令官と言う立場は、決して二つの国家の別々の軍隊を運営する連合軍の司令官ではない。
あくまでも、日英両国が一つの軍として組織された統合軍の司令官だった。

191shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/13(土) 17:22:18
1936年より始まった日英の武器共同開発に端を発した一連の、両国の武装の共用化は、一年もしない内に、全ての分野にまで広がった。
何しろ、満州地区では武装監視団の名目で、英国将校の下に、帝国将兵が配備についている。
東南アジアでは、艦隊指揮権は英国にありながら、その艦隊そものは帝国が運営すると言う状況が、既に数年に渡って続いていた事もあり、少なくともアジア方面での武装を共用する事に関しては、何処からも異議は出なかった。
そして何よりもコストの問題がそれに拍車を掛けた。
満州、オーストラリア、インドに作られた、公称トラクター工場、実質戦車工場での戦車生産は、部品の共用化、最新鋭の製造機器、そして徹底した生産管理の手法の導入で、誰も予想すらしなかったほどのコストダウンをもたらした。
何しろ、帝国内では、大村にある工廠と、三菱重工静岡工場、帝国車輌群馬車輌部の三箇所、日英共同出資による満州、オーストラリアの工場、その上に、ロールスロイス社の本国工場とインドのニューデリー工場の世界計7箇所で二年間強の期間、同一車種を生産し続けたのである。
しかも、大村の工廠と、ロールスロイスの本国工場以外の生産ラインは、その設計から、冶具に至るまで全て同じものが使われている。
工場により生産ラインの数は、4本から6本であるが、戦車生産に使われたのはその半分のラインである。
それでも全部のラインを合わすと、20本近い同一ラインによる同一機種の生産と言う、かって無かった生産方式である。
「のと」資料を縦横に活用し、戦後のマスプロダクションの考え方を全面に押し出し、どこかでトラブルが発生したならば、全生産ラインに直ちにその対応策が通達されると言うシステマチックな対応は、これまで存在した、いかなる生産方法も太刀打ち出来ないものだった。
その結果、1937年中に、年間生産台数は6千台にも達する。
むしろ、エンジンや主砲、砲塔の生産が追いつかず、急遽同様の生産方式が導入された程だった。
エンジンは全てロールスロイスマリーンエンジンのディ・チューンバージョンであるが、英国ロールスロイス社での生産だけでは到底足りず、帝国では、三菱重工と中島製作所がライセンス生産を実施している。
両社とも、航空機エンジンとしての需要も高いため、三菱は岡山に、中島製作所は、栃木にそれぞれ専用のエンジン工場を新たに建設し、その需要に対応することとなった。
しかしながら、主砲と砲塔、特に鋳造砲塔は、最後まで生産に追いつかず、結局生産された97式シリーズは、1万台を超えたが、その1/3が様々なバリエーションの車輌として完成している。
 ともかく、これだけの車輌を生産した結果、そのコストは、関係者全てを唖然とさせるものだった。
何しろ、最終的に、一台辺りの単価が3万円を切るまで下がってしまったのである。
戦車、それも現在では最強の一つに十分数えられる中戦車の値段が、装甲車程度まで落ちたことに、両国の軍事関係者が狂喜乱舞したのも頷けよう。
少なくとも、多くの陸戦関係者の頭の中に、大平原を駆け抜ける、機甲師団の勇姿が浮かんだことは間違いない。
おかげで、両国政府とも、軍部からの機甲部隊増設の要求に四苦八苦する羽目になった。

192shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/13(土) 17:23:10
 値段はともかく、主要陸戦兵器の戦車のこのような状況が明らかになった37年には、戦闘機に関しても、両国での共同開発・生産が本格化する。
帝国側が、当初からマリーンエンジンを戦闘機開発の主要エンジンに据えていたことも、この開発を推進した。
英国側では、既にプロトタイプの完成していたスピットファイヤを、帝国側では97試戦闘機「疾風」を持ち寄り、量産型の検討を行った。
元々、ある程度スピットファイヤを意識して作られた97試である。
帝国側も、97試そのものにそれ程のこだわりは無い。
スピットファイヤのプロトタイプに幾つかの提案を行い、量産型を決定している。
最も、この影で、帝国において、何人もの技術者が自棄酒に浸ることになったのは別の話であるが。
とにかくこうして、英国側ではスピットファイヤ、帝国名称疾風改の共同生産も開始された。
その後、更に共同開発・生産項目は増加し、各種野砲、高射砲、兵員輸送車、更には戦艦まで共用設計が行われるに至る。
 流石に、戦艦そのものの生産に関しては、共用部品の多様化で落ち着いたが、この結果、両軍の意識はかなり変化した。
即ち、帝国軍の装備には認めるべき点があると、しぶしぶながら英国側も認め、また帝国側も、「のと」資料から時代に先行した武装体系を展開しようとしていたが、かなりの部分で検討課題がある事を気がつかされることとなった。
例えば、将来の小銃弾が小型化する事が判っているため、帝国は6.5ミリより大きな口径の携帯兵器に消極的であった。
しかしながら、小隊レベルでの火力支援の減少に繋がるとの指摘により、英国製の携帯型の機関銃、と言ってもかなりの重量であるが、を採用している。

193shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/13(土) 17:24:06
そして、「のと」資料の存在が、一部英国首脳陣に開示されると、英国内で一大パニックが発生した。
帝国が、所謂未来技術を手に入れており、しかも、それを9年近く秘匿しながら、展開していた。
このことが、一挙に帝国脅威論に発展するまでに、それほど時間は掛からなかった。
一国だけ突出したアドバンテージを有しており、しかもそれが黄色人種であると言う、人種論まで飛び出す始末だった。
しかしながら、「のと」資料の自由閲覧が許可された、ケインズ、クラークらが帰国すると、それは終息して行った。
ケインズは、自らの経済的な視点から、帝国の政策の的確さを評価し、クラークはまだ若いながらも、その可能性に着目し、首脳陣を説得して回る。
最も、ケインズにすれば、自らの経済論がある程度実践されている事実、及び「のと」世界では米国に経済を牛耳られていると言う資料を提示されれば自らその方向も決まろう。
二人は、今更帝国の脅威を訴えるより、英国がそれに乗る事の方が、メリットが大きい事を説いて回ったのである。
とにかく、全てが遅すぎた。
既に、英国は、武装の共同開発・生産の面で帝国との連携に抜き差しならないレベルまで踏み込んでいた。
こうして、あるものは積極的に、そして一部はしぶしぶながら、帝国、即ち総研の打ち出した建策に、英国は乗ることを決めたのだった。

こうなると、英国の対応は素早かった。
早々に、軍の共同運用の打診を打ち出してきた。
即ち、これまでの計画では日英は連合軍と言う形で、それぞれの運用を行い、作戦レベルでのすり合わせを行うと言うものだった。
これに対して、英国側の新たな提案は、それを更に一歩踏み込み、指揮系統の統一から、部隊運用・補給に至るまで一つの軍として運用しようと言うものだった。
これまで、アジア地域においては、英国仕官による帝国軍の武装監視団の運用等は行われていたが、この提案は、更に逆の場合も含んでいた。
いや、とにかく帝国軍、英国軍と言う区分ではなく、統合軍として一つにしようとい言う提案だった。
具体的には、本国警備の軍はこれに含めない。
逆に、地球レベルでの軍事活動においては、日英は一つの軍としての組織を形成すると言うものだった。
指揮系統に関しても、アジア地域、太平洋に於いては、帝国政府の主導を認める。
欧州、大西洋、インド洋地域では英国政府の主導を認めると言うものだった。
勿論、通常は両国政府の合意が前提であるが、緊急を要する対応を行う必要が生じた場合、両国とも事後承諾を認めると言う事であった。
英国側が、正式にアジア・太平洋地域を帝国の勢力範囲と認めた事は、ある意味喜ばしい事であるが、逆に言えば、それ以外では英国の権益を優先すると言う事である。

194shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/13(土) 17:25:05
今度は、帝国側が一大パニックに陥った。
アジア地域以外での軍の指揮権を移譲せよと迫っているようなものだと、憤慨するものもいれば、帝国の権益を確保できると単純に喜ぶものもいる。
そして、この海外活動における統一軍の形成を置き土産に、濱口首相は10年近くに及ぶ、政権の座から降りる事を表明したのだった。
最も、この辺りの内容は、政府及び国軍、そして野党政治家の一部のみが知っている事実であり、国民への発表は、本年10月頃に予定されている欧州大戦の開始まで伏せられている。
とにかく、英国の大胆すぎる提案に対して、濱口首相は身体を張って、それに答えて見せた訳であり、反対意見も自ら封じられる事となった。

所長も含めた総研主要メンバー達は、濱口首相も含めた秘密会議の席上でこの結論を採択していた。
全員が、気がついていた。
「軍の統一運用」、これが何をもたらすかを。
「宜しいのですか?」
結局、誰もそれを口にする事が出来ず、所長にその質問をぶつけたのは、濱口首相だった。
「何がだね。私は賛成だが?」
所長は落ち着いた口調で、言葉を返す。
「し、しかし、軍の統一運用は、始まりにしか過ぎません!」
堪えきれず、梅津が思わず叫んでいた。
所長は、黙って頷く。
「軍の統一運用により、両国の垣根は一層低くなります。そして、それにより両国政府間での調整事項は、膨大なものとなる。」
井上が、誰に言い聞かせるでもなく、話し始める。
「統一運用が上手く行けば行くほど、両国の恒常的な調整機関の設立が必要となり、それは外交問題一切に関する権限がいずれ必要となる。そして、その調整内容は、直ぐに軍事レベルだけではすまなくなり、行政機関としての権限が必要となる。その行き着く先は・・・、連邦政府。」
井上が話し終えても、暫く誰も何も言わない。
皇居に隣接する、今では総研の分室になっているこの部屋は、9年前に、井上と梅津が始めて所長にあったその部屋でもあった。
小さな部屋に、井上ら五人、それに所長と濱口首相の七人も入ればもう一杯である。
静まり返った部屋の中で、全員が所長を見つめ続ける。
「四方の海 みな同朋(はらから)と 思う世に など波風の 立ちさわぐらん」
徐に話し始めた所長の口から出てきたのは一遍の歌だった。
「これは、「のと」世界の私が、英米開戦に至る御前会議にて、詠んだ明治帝の歌です。この中にはご存知の人もいるでしょう。」
全員がその歌を知っていた。
八木や高柳ら調査班のメンバーにしても、英米開戦に至る経緯は確認せざるを得ない事項だった。
それ故、御前会議の内容に関しては、ほおっておいても、行き当たる。
「あちらの世界では、これをして、私が非戦主義者だったと言う理由にしております。
しかし、今の私はそうは思っておりません。
「のと」世界の私は余程悔しかったのでしょう。
何も戦争を望んでいたとは思いませんが、明らかに私自身の政策の失敗を理解していたと思います。
自らは、平和を望んだ筈です。
そして、その為に、果敢にも中華出兵を早期に片付けようと、展開兵力の増強も行ったのでしょう。
しかし、上手くいかなかった。
中華問題を片付けられるように、東条ら陸軍の首脳陣を政権につけさえしています。
「のと」資料を読むと、あたかも私は関与していないように書かれていますが、この私がそんないい加減な君主ではないと言うのは一番良く判っています。」

195shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/13(土) 17:25:46
そう言って、所長は全員の顔を一人一人眺めて行く。
完全に硬直したような表情を崩さない梅津。
少し斜めに構えたポーズを崩さないが、それでも真摯に話を聞いている井上。
本人はそれを隠そうとしているが、これから何を言うのか、興味を隠し切れない高畑。
研究者故か、冷静そうな表情だが、感銘を受けたような八木。
驚きを隠しきれず、視線を辺りにさ迷わせている高柳。
真っ直ぐに、こちらを見つめ、次の言葉を待っている、剛直そうな濱口。
「のと」資料が無ければ、これ程のメンバーを集められたのか、それとも、資料があったからこれほどのメンバーに化けたのかは判らないが、全員が本当に頑張ってくれている。
「諸君らの協力で、ここまで何とか私の希望するような世界を目指してこれました。
本当にこれには感謝しています。」
そう言って所長が頭を下げると、流石に全員が困りこんでしまう。
いくら、所長と言う立場に慣れているとは言え、やはり相手は主上である。
「諸君には、これからも頑張って頂かないといけないのですが、今後を考えた場合、一つ問題があります。」
「1945年・・・ですか?」
高畑が、驚いたように、声を発する。
成程と頷く、井上や濱口首相であったが、他のメンバーは訳の判らない顔である。
「総研は、1945年8月15日に解散するんだよ。」
井上が、所長が微かに頷くのを見届け、そう言った。
「戦後を考えなければいけません。」
所長の言葉に、全員が頷く。
「私自身、立憲君主制をどうこう言う訳ではありませんが、制度としてみた場合、何時までもこの体制で良いとは思ってはいません。
責任の所在が非常に曖昧になる現行の制度では、やはり安定に欠けています。」
立憲君主制の元では、政府首脳や軍の行為の最終責任は、君主にある。
しかしながら、君主に責任を取らせる訳にはいかないため、自ら、責任の所在を曖昧にしてしまいがちだった。
「勿論、くにぬし(国主)として、祭ごとを行うのは室の勤めであり、それは今後も続けていかねば行けないと考えていますが、終戦後は政治からは身を引くべきと考えています。」
「しかしながら、所長がそのように決断されても、おいそれと、体制の構築は出来かねます。」
梅津が悲鳴に近い言葉を発する。
「そう、ですから、外圧が必要となるのです。」
部屋の中に、うめき声とも何とも言えない声が響く。
為政者が、その責任を国民に対して全うする上で、民主主義と言うのは、最良とは言えないかもしれないが、決して悪い方法ではない。
しかしながら、日本では明治以降立憲君主制を取ってきた為、責任の所在を曖昧にすると言う手法が確立されてしまっている。
その為、例え「のと」世界のように、純然たる民主国家に変貌したとしても、慣用として、責任不在の政治手法が生き残ってしまう。
これを防ぐのには、外圧、即ち、英国との連邦政府の可能性と言うのは、非常に有益であろうと言うのが、所長の言いたい点だった。
今はまだ、その可能性まで気がついている人間は少ないであろう。
しかしながら、この先八年近くの期間を統合軍として戦い抜いて行けば否応でもその可能性に気がつく人間は増えて行く。
何時になるかはまるで判らないが、少なくとも政治を行う人間が、それを意識して政権を維持する限り、曖昧な責任所在は取れるものではない。
そんな事をすれば、統合政府どころか、逆に英国に飲み込まれてしまう可能性すら出てくるのである。
「判りました。陛下がそこまでお考えならば、不肖濱口、命に代えても英国との統合軍の設立を承認させます。」
最早老齢にさしかかっている濱口首相が立ち上がり、それだけ言うと、頭を深々と下げる。
激情家の濱口、その二つの眼からは、止め処も無く涙が溢れていた。

196shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:13:34
「英日統合軍欧州派遣司令官のカニンガムです。それではこれまでの状況を山口の方から説明致します。」
「日英統合軍欧州派遣艦隊運営司令山口です。統合軍欧州派遣部隊、以降は統合軍と略させて頂きます、の現状を説明させて頂きます。」
Chif-Commander of Allied Force of Great Briten and Japan for Europa とカニンガムが言ったのに対して、山口は、わざわざChif-Commander of Control for Navy Division of Allied Force of Japan and Great Briten for Europaと言いなおしている所に、お互いの意識の違いが見える。
これにはカニンガムも苦笑を浮かべて座り込むしかなかった。
現実には、文章では日本語、英語の両方が作られるため、英語表記ではカニンガムが言ったように、英国が先に来て、日本語では日本が先に来ている。
まあだれも、正式名称を口にすることもなく、最終的には書類上からも統合軍と言う部分しか残らなくなるのだが、まだ出来たばかりではこれも仕方なかった。

「統合軍は、6個兵団、兵力18万、後方支援7万人、総員数25万人からなる軍組織です。」
部屋の明かりが消され、大型のプロジェクターを使い、組織図が示される。
「それぞれの兵団は、三個旅団及び工兵、輸送のそれぞれの大隊からなる総勢2万8千人の部隊です。
兵員、物資、燃料輸送用の車輌は、約5600台、戦車などの戦闘車両は約500台を擁する機動兵団となります。
更に、計画では兵団には、指揮艦として巡洋艦1、防空用の空母2、船団護衛の為の駆逐艦8、上陸支援用の強襲艦12、輸送船24隻、油槽船3隻が所属する事となっております。
現在、この兵団の編成を急ピッチで進めておりますが、完全充足に達しているのは、ここディエゴガルシアに滞在している、第一及び第二兵団までです。
第三、第四兵団に関しては、既に兵員は充足されオーストラリアにて練成中です。
第五、第六兵団については、現在、オーストラリアに向けて集結中です。」
スライドが変わり、オーストラリアに向けて航行中の船舶が指し示される。
航路は、インド、満州地区、そして日本からオーストラリアに向けて伸びていた。
「また、第三兵団以降に関しては、強襲艦、指定エリアに海岸から展開するために、特に作られた専用の艦艇ですが、そのものの絶対数が不足しており、配備は見送られる予定です。」
山口は、一旦話を止め、会議室を見渡した。
「ここで、問題となっているのが、残りの四個兵団、現在オーストラリアにて練成中の、第四以降の輸送船の割り当てです。
現在、輸送に割り当てる事が出来る輸送船は、ここディエゴガルシアにて出動待機中のものを除き、60隻程度であり、これは四個兵団を完全充足状態で輸送するのに必要とされる船舶の半分でしかありません。」

197shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:14:30
統合軍の編成にて、一番の問題は船の手配だった。
六個兵団を完全充足する場合、巡洋艦6隻、駆逐艦48隻は目処が立っていたが、その他の艦艇は厳しい限りだった。
空母12隻は、正規空母ではなく、当初よりそのために建造されていた自動車輸送船の改装による、所謂護衛空母が当てられる予定だが、現在稼動しているのは8隻にしか過ぎない。
残りの4隻については、既に2隻が習熟訓練中であるが、残りはこれから習熟訓練が開始されるありさまだった。
問題は輸送船である。
既に徴用された輸送船の数は、108隻に達しているが、これでも4個兵団を輸送するに足るだけであり、更に60隻が必要とされている。
船そのものは、日英の商船隊からの徴用で不可能な数ではない。
帝国は、当初から護衛空母や輸送船の拡充に力を入れており、既に30年代初頭より商船の大増産を開始していた。
全国の造船所に対する技術指導と、政府系の超優遇融資の提供により、5万トン以上のドックが20箇所以上で建造され、当初は1万5千トン、32年からは「のと」とほぼ同じクラスの輸送船が大量に増産されていた。
同一船型の艦船の大量生産であり、竣工に要する期間は、年々短くなり、今では一隻辺り、1年程度となっていた。
最も、これは戦車等の製造と同様に、量産体制が確立されているせいである。
船体等の鋼板は、予め製鉄所の側に作られた工場で大量に量産されており、ドックでは、運びこまれたこれらの鋼板を組み立てる作業が中心となっているせいだった。
電気溶接等の技術開発や、ディーゼルエンジンの耐久性や生産性もかなりのレベルまで達している。
造船所そのものも、政府推奨以外でも大型ドックを備える所も増えていた。
長崎造船所などは、1号から7号までのドック全てが、5万トン以上に拡大され、しかもそれらが全て稼動していると言う近年まれに見る活況を示している。
結果、2万トンクラスの輸送船船そのものは38年の時点で、300隻近くまで膨れ上がっていた。
そして、現在ではこれらの造船所では高畑が欧州から乗ってきた新田丸ような、2万5千トンクラスに拡大された輸送船の生産が開始されている。
当初計画では、2万トンクラスの輸送船が、戦時体制下徴用される事を見越して、より大型の艦船に置き換える事で対応して行く予定だったのである。
全て、当初計画を上回る規模で拡大しており、英国における生産も加味すれば、必要船舶は余裕でクリアできる筈だった。
しかしながら、これらの2万トンクラスの大型輸送船は、現実には世界中の主要航路で活動中の船だった。
そして、帝国の予想を遥かに上回る好景気が、徴用を困難なものにしてしまっていたのである。
高畑らが画策したのは、輸送船の大型化による、輸送費の大幅なコストダウンであり、これは見事に成功した。
特に、戦車と同様に、同一艦形の大量生産と言う発想は、これまでに無く、生産コストの面でも他国を圧倒した。
米国や欧州各国の不況が逆に幸いし、欧米の輸送会社は軒並みその規模を縮小するなか、帝国系の日本郵船等の運送会社はそのシェアを伸ばし続けた。
そして、35年前後から、米国を除く他の列強が、景気回復局面に入りだすと、需要は一気に膨らみ、帝国系の運送会社の船舶需要はうなぎ上りに増加している。
現在統合軍に組み込まれている、108隻の輸送船にしても、その六割が、元々日英の軍用の輸送船として押さえられていた船舶であり、新たに徴用出来たのは、50隻にも満たない数でしかなかった。

198shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:15:39
「平時においては、強制的な船舶の徴用は、防諜上の理由からもなるべく避けたいと考えております。
この結果、作戦案に一部修正を加え、これに対応する事となります。」
スライドが入れ替わり、アフリカが大写しになる。
「当初計画では、南アフリカのケープタウンが最終待機場所の予定でしたが、現在ここシエラレオネ、フリータウン近郊に、新たな集結拠点を建築中です。」

今回の対独戦の開始にあたっては、「のと」資料の分析から得られた二つのコンセプトが作戦計画に組み込まれていた。
一つは欧州において、独逸が対仏戦にて展開した、電撃戦の考え方。
そして、もう一つが、米国海兵隊と言うコンセプトである。
電撃戦に対しては、様々な資料があり、それらを分析した結果、独逸軍の機動化は不十分であるとの結論に達していた。
即ち、正面装備である戦車の充実には力が注がれているが、それらに付随する歩兵の機動化、更には段列、所謂補給部隊に対しては、資源の配分の問題があるにせよ、殆どなされていない。
結果が、対仏戦におけるダンケルクの撤退戦を引き起こし、更には対ソ戦での敗北に繋がったとの分析だった。
ダンケルクにおいて、あれだけ狭い地域に英仏の軍を追い込んでおきながら、最後は取り逃がしている。
対ソ戦においては、確かにソ連側の戦車が優秀ではあったが、全体の兵力の展開、作戦指導、その他総合力では独逸が遥かに勝っており、それぞれの局面では見事勝利を修めている。
しかしながら、補給が不十分なため、個々の勝利を継続する事が出来ず、ソ連側に退却戦を実施する時間的な余裕を与えてしまった点が対ソ戦開戦の一年目の状況であろう。
少なくとも、ソ連の戦争指導の稚拙さを考慮するならば、「のと」世界のヒトラーは、機甲師団の増設よりも、補給部隊の機械化を重視した方が、初年度での勝利の可能性は高かったと分析されている。
要は、短期での制圧を目指すには、独逸の機動力が不十分であったとの結論である。
その為、統合軍では、部隊全体の継戦力も含めた機動化を目指し、正面戦闘に従事する、戦車部隊、歩兵部隊のみならず、砲兵、工兵、燃料弾薬、燃料の輸送に至るまでの機動力の充実に力が注がれている。
 そして、この機動部隊に更に米国の海兵隊を参考に、航空戦力、海上輸送戦力を組み込み、一つの兵団として編成が行われていた。

199shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:16:27
もっとも、短期間での機動兵力を海に面してさえいれば、任意の地点に展開出来る部隊として編成された訳であるが、問題が無いわけでは無い。
長期的な船舶輸送では、兵員の質の低下、即ち、船酔いが大きくクローズアップされたのである。
何しろ、大洋を越えての部隊の展開であるから、輸送される期間はどうしても、長くなる。
一ヶ月以上に渡って、船に乗せられた兵員が、海岸から陸に上がって、直ぐに戦えと言っても、流石に無理がある。
想定では、2割が戦闘正面に展開出来ず、4割が展開できても、殆ど戦力とならず、実質的に4割程度の正面戦力まで減衰してしまう。
最も、「のと」資料によれば、陸軍は、太平洋戦争の緒戦において、東南アジア方面の展開において、実際にこれを成し遂げている。
日本から一ヶ月以上掛けて、アジア各地域に兵員を輸送し、見事緒戦の勝利を得たわけであるから、どれ程日本軍が精強であったのか、あるいは敵が弱かったのか判ろうと言うものである。
そして、困ったことに、統合軍は日英共同であり、今回の敵は精強なる独逸軍である。
いくら帝国軍が精強と言っても、統合軍として戦う以上、それを考慮する必要は十分すぎる程理由があった。
結果、出された結論が、船舶による輸送は、二週間、船の居住環境を改善したとしても、20日間以内の展開が望まれる事となった。
ちなみに、当初の帝国軍の見積もりでは、30日であったが、流石にこれは、英国側将校から却下されている。
最終的に、ディエゴガルシアで1次集結を行った部隊は、南アフリカに設けられた、集結地点で、十分な休息を取り、開戦三週間前に、現地から出動する。
一旦兵団は、スコットランド北方の秘匿湾まで一気に前進し、その場で待機、そして欧州上陸を目指すと言う作戦に決定されていた。

200shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:18:04
しかしながら、ここに来て船舶の不足が明らかになった。
その為、限りある輸送船の使いまわしを考える必要が出てきたのである。
その場合、南アフリカでは、中継拠点として余りにも遠く、更に欧州に近いデポの選定が必要となったのである。
結果、中部アフリカ西海岸にある、シエラレオネのフリータウンがその地として選ばれた訳である。

「フリータウンは、勿論英国の植民地ですが、欧州に近い分、防諜上のリスクは大きくなります。」
山口は続けた。
「また、気候的にも熱帯地域に属し、兵の疲労も南アフリカより大きいかと考えますが、統合軍としては、許容範囲と考えています。
何よりも、戦闘正面に、十分な兵力が展開出来ないよりは、良いとの結論に達しました。」
ここまで話すと、山口は席に戻る。
部屋の明かりが戻ると、再びカニンガムが口を開いた。
「以上が、統合軍の状況です。何か質問は?」
「色々あるぞ、まずは、勝てるのか?」
吉田茂駐英全権大使が、単刀直入に質問し、全員があっけに取られる。
「いや、勝つための算段を行っている積りなのですが。」
カニンガム中将は、微苦笑を浮かべながら答える。
この帝国次期首相は、一体全体、何を言い始めるのだ。
「ああ、それは判っている。諸君らがその為に努力しているのも承知している。
しかしだ!対独戦の勝利条件は非常に厳しいぞ。
個々の戦闘では、負ける事はまずないと言うのは、良く判っているが、本当にベルリンまで辿り着けるのかね?」
全員が改めて、納得した表情を浮かべる。
カニンガムは、さりげなくマッキンレーに顔を向ける。
英国情報部部長は、帝国側のパートナーである堀部長と視線を交わす。
「それに関しては、情報部からお話しするのが適切でしょう。英国情報部のマッキンレーです。」
軽く頭を下げ、マッキンレーが話し始めた。
「本作戦の最重要点は、ナチス独逸にどこまで気付かれずに、部隊展開が出来るかに掛かっております。
現在の所、独逸側が我々の動きに気付いていると言う兆候は全くありません。」
マッキンレーはそれだけ告げると、黙り込んでしまう。
会議室に困惑が広がる。
「マック、それじゃ皆さんが納得しない。もう少し詳しく説明してくれないか。」
流石に、困った様子でイーデンが口を添えた。
「本作戦の最重要課題は、どれだけ早くベルリンまで辿り着けるかにあります。」
マッキンレーは仕方なさそうに、話し始める。
「軍事作戦そのものは、統合軍の皆さんの方が、詳しいでしょうから、それは省きますが、要は、上陸予定地点から、ベルリンまでの間で、どれだけ独逸軍の戦線が構築されるかに掛かっていると認識しています。」
あってますか、と言う風にマッキンレーはカニンガムに目線を向けた。
カニンガムが頷くのを確認し、更に言葉を続ける。
「現在の独逸軍で、我が方の統合軍に対抗できる可能性のあるのは、現在練成中の独逸陸軍機甲師団ですが、これはグーデリアン少将の下、二個師団が編成中であり、場所は東独逸である事は確認済みです。」
「それ以外の部隊で、即応可能なものは、今の所見受けられません。」
どうだ、十分説明したぞと言う顔で、マッキンレーが再び黙り込む。

201shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:18:42
仕方なさそうに、溜め息を付きながら、カニンガムが口を開いた。
「まあ、吉田大使が危惧されるような、ベルリンをいち早く制圧すると言う勝利条件を阻害する可能性のある部隊で、即応可能なものは、今の独逸には無いと言う事が判っております。
また、それ以外の地域拠点の部隊は、我々が的確に判断さえすれば、対処可能であろうと考えております。
そして、何よりも、現在独逸国内には、英国情報部を初め、帝国統合本部情報部、そして総研情報分析班も含め、日英の情報収集の専門家が張り付いており、これから半年間、独逸側での通常と違う活動が行われれば、いち早く情報が伝わる体制を構築しており、不足の自体に備えております。」
一気に、まくし立て、カニンガムは吉田大使の顔を見る。
全く、どうして司令官の私が説明しなきゃ行けないのかと思うが、この会議のメンバーでは他に方法は無かった。
「うむ、良く判った。可能な限りの対応は取られていると考えるべきだな。それでは、次に懸案だった補給はどうなっている?」
吉田大使は、休む間もなく、突っ込んでくる。
実は、日本を立つ前に、総研で梅津から散々レクチャーされているのだが、全員の意識合わせは必要不可欠だった。
「はい、確かに。作戦そのものは、短期決戦を想定していますが、それでも最悪の場合も考慮し、潤沢な補給が絶対必要であるのは言うまでもありません。
従いまして、陸戦部隊は、エルベ川沿いに、ベルリンを目指します。」
今度は山口が答える。
流石に、カニンガムばかりに答えさせては申し訳無いと思ったのであろう。
「幸いなことに、ドイツ国内では河川輸送路が発達しており、エルベ川はチェコスロバキアが、航行権を有しております。
予め、数隻の油槽船が、チェコを目指して南下する予定ですし、開戦後は、航空支援も行えます。
また、河川砲艦も手配しておりますので、補給路の確保は出来るものと考えております。」
「そうか、では米国、ソ連の動きはどうなんだ?」
これは情報部マターである。
全員が、マッキンレーを見るが、彼はイヤイヤと手を振り、堀を指差す。
「統合本部情報部堀です。それについては、小職から答えます。」
少しげんなりしながらも、堀が話し始める。
「ソ連については、昨年のカンチャース、満州の北部を流れる国境ですが、での全面敗北を受け、アジア方面での策動は、暫く延期される模様です。
しかしながら、欧州方面での活動がその分活発化しており、「のと」資料の対フィンランド戦が早まる可能性があります。」

202shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:19:12
昨年のカンチャースでの国境紛争は、ソ連側が予期したよりも、中華北辺軍及び、帝国主体の停戦監視団の展開が速く、紛争に関与したシベリア方面軍は、少ない部隊ではあるが、徹底的に敗北している。
この結果、アジア方面への進出は、ある程度大規模な攻勢以外は無理であるとの結論が出されたようで、シベリア方面軍の活動は、減少している。
これに対して、欧州方面、ポーランドからチェコスロバキア、ルーマニアに対する部隊の強化、及びフィンランド方面での部隊の増大が伝えられている。
帝国政府は、密かにトルコ政府、フィンランド政府と交渉を持ち、対ソ監視網を構築していた。
帝国が偵察用の機体を提供し、トルコ、フィンランドが滑走路と補給・整備施設を提供するとの条件で、二個偵察小隊が、それぞれ一個ずつ、トルコとフィンランドに展開している。
トルコを飛び立った真っ黒に塗られ、国籍マークも消した双発の偵察機が、ソ連領内を縦断する形で、フィンランドまで、そして、フィンランドからは逆方向に飛んでいる。
まだ配備の少ない機上電探を搭載し、いざとなれば、大概の戦闘機を振り切れる性能を持つ、最新鋭の機体により、ソ連軍の活動は克明に写真に納められているのだった。
ちなみに、撮影された写真は、情報部の分析も添えて、同じものが両国政府に渡されており、対ソ連に関してだけで言えば、両国とも帝国の同盟国と言って良かった。
ただ、帝国の最新鋭の偵察機に関しては、両国とも興味津々のようで、着陸するたびに、見慣れない軍人の質問責めにあうのは困りものだった。
とにかく、「のと」世界では、張鼓峯、ノモンハンと言う一連のアジア方面の国境紛争の後、ソ連は独逸のポーランド侵攻に合わせる形で、ポーランド、そして英仏と独逸が睨み合っている隙をつくようにフィンランドへの侵攻を行っている。
現実には、アジア方面での策動は早々と見切りをつけたようで、フィンランド国境付近への部隊の集積が既に開始されていた。
どうやら、スターリンは、本年度中にもフィンランドとの「冬戦争」を開始する積りのようだった。

203shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:19:44
「それは、承知している。と言う事は、特に大きな変化はないと言って良いのだな。」
わざと、むっとした顔を浮かべ、吉田大使は答える。
この辺りの分析結果は、当然両国政府首脳にも伝わっており、今更言われるまでも無い内容である。
現実に、帝国から様々な情報を提供されているフィンランドからは、支援要請が寄せられており、日英両国は、密かに支援策を打ち出している。
戦闘車輌80両と、航空機120機が10月までに、第一陣としてフィンランドに売却される事となっていた。
ただ、今の時点で対独戦用の、97式中戦車や、疾風を売却する訳には行かないので、提供されるのは、97式の車体を利用して作られている、突撃砲と、帝国側で増加試作された、疾風のプロトタイプであった。
日英共に、米国との戦争は出来れば避けたいと考えているが、ソ連とは戦わざるを得ないと考えていた。
米国は、何と言っても大洋が国家そのものを隔てている。
あちからユーラシア大陸に関与してこない限り、大きな問題にはならない。
それに対して、ソ連は違う。
思想そのものが違う上に、陸続きで侵攻出来る所に、両国の権益が山ほどある。
それ故、衝突は避けて通れないものと考えられていた。
また、「のと」資料からも、超大国が二つもあると言う情況は非常に好ましくない。
何せ、その二つの超大国の間に挟まれているのが、日英そのものである以上、少なくとも片方は無くなって貰いたいものである。
「のと」世界では、英国がフィンランドを援助しようにも、対独戦の戦争準備の為、十分な装備が割けなかったようだが、現実には日英の同盟により、ある程度までは可能となっている。
ただ、やはり対独戦の開始に向けての準備が急がれている現状では、それにも限りがあるのは仕方が無かった。

204shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:20:24
「それで、米国の方はどうなんだね。」
吉田大使に代わって、イーデン外相が先を促すように、声を掛けた。
「はい、米国は何か感ずいているようです。オーストラリアに向かう船団から米国の駆逐艦との遭遇情報が増えております。
また、大西洋での米国海軍の活動も以前より活発化しております。」
「うーむ、何時までも隠しおおせるものでもないか。」
堀の答えに、イーデン外相が呻く。
「まあ、仕方ないですな。チャーチル卿にもうひと働きしてもらうしか無いでしょう。」
吉田大使が、嬉しそうに言うので、イーデン外相の顔が少し強張る。
「のと」情報が、帝国から王室を通じて英国政府に伝えられた時、チェンバレン首相はその情報をチャーチルから隠したのだった。
井上達からの働きかけもあったが、現実問題として、「のと」世界では次の首相となるチャーチルは米国とのつながりが大きすぎた。
その結果、少なくとも開戦までの一年間は、「のと」情報の開示者のリストからは除外されていた。
最も、チェンバレンのチャーチルに対する評価は高くなく、彼自身もその結論に異論はなかった。
その結果、昨年の統合軍設立の話では、一時はチャーチルが海軍卿を辞任するかと言う騒ぎまで行った経緯すらある。
今では、チェンバレンとチャーチルの仲は険悪と言っても良く、その影響を受ける形で、イーデンの地位が上昇しているとも言えた。
これまで、チャーチルの下で働いてきたイーデンの立場は、同等、いや、ロスチャイルド家の支持が明確になった今では、チャーチルよりも上位に来ている。
実際、イーデンが、昨年来「のと」情報の閲覧が許されているのを見ても、王室がどちらを支持しているのかは明確であった。

205shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:21:05
イーデンにしてみれば、非常にやりにくい事おびただしかった。
チャーチル自身も、自分に隠れて関係者が何か画策している事は気付いており、色々探りを入れているが、結果ははかばかしくない。
逆に、それが更にチャーチルの立場を悪くしているのが判るイーデンには何ともやり切れないと言うのが正直な感想だった。
「で、米国はどの程度気付いていると、情報部のお歴々は、考えているのかな。浅学の私どもに、説明してもらえるかな。」
これさえなければ、吉田も悪い人間ではないのだか。
堀は溜め息を殺し、無表情で離し続ける。
「はあ、日英で対独戦を始めようとしてるのには、明らかに気がついております。
米国海軍艦艇の整備状況、備品の購入情況等から、戦時体制への準備に入ったものと推測されます。」
「問題は、どちらに付くか?だな・・・」
イーデンが気を取り直して呟く。
「ハイ、ルーズベルトが大統領ならば、独逸を叩くと言うので間違いは無いのですが、ランドン大統領の場合、選択肢が十分にあります。」
米国内の、独逸支援勢力は、意外と多い。
勿論、ナチス独逸自身が、そのプロパガンダの為に、かなりの資金を投入していると言うのもあるが、何を言っても、白人系の移民の三分の一近くが、独逸系なのである。
最も、彼らの場合は、好意的中立が精々で、自分達から積極的に欧州での戦争に加わろうと言う意識は無かったが。
「どちらかと言えば、独逸側での参戦を狙っているものと思われます。」
始めて、井上が口を挟む。
流石に、総研の主要メンバーである彼の言葉に、全員がその先を待ち受ける。
「政策的には、民主党よりの共和党の大統領ですが、ルーズベルトと大きく違う点は、ソビエト政府の影響が少ない事です。
特に、労働問題でルーズベルトを破って大統領になっただけに、その方面のスタッフは排除されており、代わりに米国の大手資本家の息のかかった連中が入っております。」
「そして、彼らは独逸に大きく投資している、そう言う事か。」
井上の言葉を吉田が引き取る。
「更に、「のと」世界では、ルーズベルト大統領の下、独逸に対する重金属の禁輸措置、中立法の改正等で、独逸に対する締め付けを行ってたようですが、ランドン大統領はこれらの措置を一切実施しておりません。」
「むしろ、対独貿易は徐々にですが、拡大傾向にあります。」

206shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:21:44
「それで、総研はどう考えているのかな。対米戦の可能性はあるのかね。」
「まあ、当面は大丈夫かと。米国の戦争準備は全く整っておりません。」
井上が、まさかと言う顔で答える。
「ただ、明らかに独逸側に立った動きをしてくるものと考えられます。」
「具体的には?」
「まずは、情報の提供からでしょうね。独逸に対して、日英の艦隊がどこにいるかの情報を伝える。
さりげなく、独逸の輸送船の航路上に駆逐艦が展開し、偶然にも出くわした国籍不明の潜水艦を追い払う位はやるでしょうね。」
「統合軍の対応は?」
「大西洋を北上する時点で、米国に察知される可能性はゼロではありません。」
今度は山口が答えた。
「しかし、艦隊には電探も搭載していますし、航空機の護衛もついております。
そうやすやすと、米軍の艦艇を近づける事はないと考えております。」
「ふむ、そうか、少なくとも最低限必要な期間の秘匿は可能か。」
「ええ、まあ、それでも気がつくものがいないとは限りませんが、それだけでは判断材料としては不十分かと。」
「よし、判った。ここまでの準備は概ね順調である訳だな。イーデン外相、何か他に質問はありますかな。」
イーデンも首を横にふり、特に何も無いことを示す。
「それでは、作戦は、予定通り進めると言う方針で宜しいですかな。
で、開戦時期は?」
吉田はイーデンに話を振る。
「九月末から10月初頭、ナチス独逸のチェコスロバキア侵攻の時点となる。
後四ヶ月を切った訳だ。最早、我々は引き返す事は出来ない。」
「また、引き返す積りもないですな。」
吉田が口を挟む。
「ええ、ナチス独逸は何としても、叩き潰す必要があります。」
「しかし、独逸を叩き潰す必要は無い。」
今度は井上が、ぼそりと呟く。
「そう、その通りです。」
イーデンは、口を挟む連中に戸惑いながらも、気を取り直して話し続ける。
「諸君らも、今更ではあるが、この点を留意して作戦指導を心がけてくれたまえ。」
統合軍の首脳陣を一人ひとり見つめながら、イーデンは、言葉を選ぶ。
「本年10月までに、日英統合軍は、独逸に戦闘を挑む。しかしながら、これは戦争ではない。
いや、我々はこれを国家間の戦闘とは位置づけていない。
我々は、あくまでも独逸帝国におけるナチス政権の打倒を目指し、独逸に侵攻するのである。
結果、単なる軍事行動よりも更に困難な役割を諸君らに要求することとなる。
この先、侵攻までの作業は大変なものであろうが、それは序章にしか過ぎない。
統合軍の役割は非常に重大である。
今後の日英の行方が君達の行動に掛かっていると言っても言い過ぎではないだろう。
月並みな言葉しか浮かばないが、本当に、宜しくお願いする。」
イーデンは深々と頭を下げ、話を締めくくった。
カニンガム司令官を筆頭に、山口、サマービルら統合軍首脳は一斉に立ち上がり、見事な敬礼を返すのだった。

207shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:22:47
会議が終り、高畑がイーデン外相と話していると、井上が呼びかける。
「それじゃ、また。」
挨拶もそこそこ、井上の後をついて廊下を歩いて行く。
「何ですか?」
「うん、情報分析班の班長が来てるんで、挨拶にな。」
高畑が回れ右して立ち去ろうとするが、井上にがっしりと腕を掴まれ、離さない。
「離して下さい、あの人と関わると、ろくなこと無いんですから。」
「まあ、そう言うな。我々で選んだ人物なんだから。」
井上がニヤニヤ笑っているだけに、余計に癪に障る。
「そうは、言いますがね、お蔭でオーストラリアまで行かされ、挙句にはゲシュタポに追いかけられたの私なんですからね。」
「ああ、聞いてる。お手柄だったじゃないか。」
ずるずると引きずられるようになりながらも、高畑は辛うじて抗議を続ける。
「私はね、軍人じゃないんですよ、これでも立派な実業家なんです。どうして、あんな目に会わなきゃ行けないんですか。それもこれも全部あの人のせいでしょうが。」
「いや、軍人でもあんな危険な事は、普通やらんぞ。」
「なーにが、ちょっとオーストラリアまで頼まれて欲しいですか。護衛は堀に頼んで、優秀なものを付けるですか。ほんとに・・・」
まだ、ぶつぶつ言っているが、高畑も観念したらしく、自分で並んで歩き始める。
「まあ、そう言う不満は、本人に言うんだな。お蔭で、欧州の大富豪をこちらに引き寄せる事できたんだし。良かったじゃないか。」
「あのね、言えると思います?井上さんだって苦手じゃないですか。」
「そりゃ、仕方ない。何せ階級はあちらが上だからな。軍隊は階級が全てさ。」
絶対そんな事、井上が思ってる訳無い。
高畑は、確信を込めて言えるが、皮肉そうに笑っている井上の顔を見ると、もう何も言う気にならなかった。

208shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:26:14
「入ります。」
ディエゴガルシアに建てられた、統合軍司令部とでも称すべき建物の中には、日英のそれぞれの部局の支部が設けられている。
二人が入ったのは、帝国統合本部の情報部の部屋だった。
既に何度も来ているのか、井上は幾つかの机の間を通り抜け、奥の応接室の中に入る。
正面に、堀部長が腰を下ろし、向かい合う形で、問題の人物が座っていた。

「おう、今噂してた所だ、良く無事還ってこれたな。」
男が頭だけ、回して高畑に言った。
「あのねえ、山本さん、他に言う事あるんじゃないんですか。本当に・・・」
「おお、すまん、すまん、頑張って貰って、本当に悪かった。」
高畑が、文句を最後まで言わない内に、山本が真剣に謝って来た。
そう下手に出られると、それ以上文句も言えない。
矢張り、この人は苦手である。
申し訳なさそうな顔に、嘘は無い。
心のそこから悪かったと思っているのは間違いない。
本当に部下思いのいい人なのだが、仕事に関しては、冷酷になれる人でもあるんだよなあ。
そう思いながら、高畑は横のソファに腰を下ろした。
「おお、井上君、久しぶり、元気にしてたかね。」
黙って反対側に腰を下ろす井上に、今度は元気そうに声を掛ける。
「はい、おかげさまで、何とか元気にやっております。」
「そうか、うん、それは良かった。」
山本は一人で納得し、ウンウン頷いている。
「おい、イソ、何が良かったんだよ。単なる社交辞令じゃないか。」
堀が呆れたように山本に声を掛ける。
「いや、何を言う。帝国の明日を担う井上君が、元気なんだぞ、こんなめでたい事ないじゃないか。」
「あー、判った、判った、そう言う事で良いよ。」
「いや、堀、お主は判ってない、」
「ハイハイ、判った判った。」
堀は、適当に相槌を打って、話を打ち切ろうとする。
今や帝国の防諜を代表する二つの組織、統合本部情報部と、総研情報分析班の二つの長が、こんなに中が良くて、良いのかと高畑は思ってしまう。
「あっ、そうだ、堀さん、山本さん、現場での軋轢は、何とかして下さいよ。」
二人とも、話を止め、うん、何かと言う顔で高畑を見つめる。
「今回、山本さんの依頼で、オーストラリアまで行きましたが、護衛に付けてもらった情報部の方、佐藤さん達ですよ。」
「うん、佐藤からは無事任務を勤め上げたと報告はここで貰っているが、あいつらが何かしたのか?」
堀の表情が一気に真剣になる。
流石に長年、情報部の長を務めているだけはあり、その顔には凄みさえ滲み出ていた。
「いや、そうじゃないです。佐藤さんたちは良くやってくれました。」
高畑は慌てて、堀の心配を打ち消す。
「ただ、今回は長期間に渡って、護衛をして貰ったんですが、その間何かと、情報班について、探りを入れてこられるのに、閉口したんですよ。」
「なんだ、あまりびっくりさせんでくれ。これでも気は小さいんだから。」
どこをどう見たら、気の小さい人に見えるんだと、言いたくなる。
「いや、とにかく、情報部と総研情報分析班同士の現場での確執は何とかならないですか。」
「そりゃ、無理だろう。そう言うもんだから。」
山本が仕方ないよなと言う顔を堀に向けると、彼も頷いている。
元々、軍が主導する情報部や、公式情報中心の外務省に対して、全く独自のルートでの情報入手、分析の為に設立された総研情報分析班である。
現場での仲が良い訳なかった。
「ですが、情報分析班の班員の多くが、わが社の社員であり、殆ど素人ですよ。情報部のように荒事に対処できる連中なんていないでしょう。」
「そこで、情報部に目の敵にされたら、いざと言う時に、助けて貰えない事もあり得るでしょう。」
「いや、それは無い。と言うかね、そんな事、私が許さない。」
堀にそこまで断言されると、それ以上高畑にも言えない。

209shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:28:55
「しかし、現実問題として、堀さんが許さんと言っても、徹底できるもんでもないでしょう。」
その代わり、井上が切り込んできた。
「元々、情報分析班の存在そのものを秘匿してきた事が全ての原因です。何らかの方策を考えるべきでしょう。」

総研の情報分析班は、情報の重要性を痛いほど痛感している井上ら総研メンバーが独自に作り上げた情報収集組織である。
別に、非合法のスパイもどきを大量に抱え込んでいる訳では無く、組織と言ってもやっている事は、非常に地道な情報収集・分析作業を行うだけである。
ただ、高畑が絡んでいるだけあり、そこには大量の資金が投入されていた。
主要国それぞれに、情報分析センターが設けられ、そこにはその国で可能な限り手に入る全ての情報が集められる。
雑誌や新聞はもとより、市井の酒場等で聞きかじったゴシップさえも、情報として処理されるのである。
それぞれの情報分析センターは、日商系と判らないように、現地で別法人を立てられ、それが各国の同様のセンターと提携している形態が取られている。
元々、合法的な情報と、市井のゴシップ程度を集めているだけであるから、各国の首脳陣もそれ程注意を払わない。
しかしながら、ここに、「のと」情報で得られた、各種統計手法等の分析手法が用いられている為、驚くべき精度の情報が集まるのである。
単なる既存の情報ソースから、軍の動向まで判ると言われれば、普通は笑い飛ばす。
実際、「のと」世界でも、米国株式市場の薬品会社の株価の動向から、米国が南に向かうのか、北に向かうのか分析した者もいたのである。

このことが、統合軍情報部との軋轢の元となっていた。
要は、同じような情報が政府に届けられても、総研情報班の方が、精度が高いのである。
勿論、堀以下情報部の首脳陣でも、「のと」情報にある程度閲覧許可を得たものは、その理由が判っている以上、気にはしない。
しかし、現場は違う。
また、判っていながらも、堀達は、それを組織の発奮材料に使うのは仕方の無い事だった。
結果、情報部の現場にすれば、情報班には何か特別な情報入手ルートがあるのではないかと、要らない軋轢が生じているのである。

210shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:31:31
「しかしなあ、井上、そうは言っても、納得させる方法なんか無いぞ。」
どうやって情報を入手しているかを明かせば、どこからそれが他国に漏れるか判らない。
現在は、警戒されていない為に、ある程度自由に情報が収集出来る訳であるから、これは死活問題にも繋がりかねない。
山本は、それを指摘したのだった。
「その為の、山本閣下じゃないですか。」
井上が、掛かったと言わんばかりに、山本に詰め寄る。
ありゃ、またこの人、ろくでも無いアイデア思いついたに違いない。
高畑は、井上のこの表情を見るたびに、対象にされた人が可愛そうになるのだった。
「おい、また禄でもない事考えてるんだな。否だぞ、俺はやらんぞ。」
山本がそっぽを向いても、当事者でない、堀は気楽なものである。
「うん、井上君、何か良い方法があるようだな。」
この二人が揃うと、碌な事ない。
高畑は、悪友が頭を抱えているのを嬉しそうに見つめている堀と井上の顔を交互に見つめ、新たに確信するのだった。

山本五十六、「のと」世界では、開戦時の連合艦隊司令長官を務めた人物である。
帝国内では、交通事故で死亡したと思われているが、実際には総研情報分析班の班長として、主に欧州方面で、活動を続けていた。
「のと」情報によって、山本が開戦時の連合艦隊司令長官と知らされ、一番驚いたのは、誰を隠そう、堀部長その人だった。
確かに、若い頃には日露戦争にも従事し、実戦経験もあるが、指揮官として見た場合、アイツ程信用できない男はいない。
それが、堀の印象だった。
とにかく、賭け事が大好きで、人当たりも良い。
部下の面倒見も良く、人には好かれるが、悪友として言わしてもらえば、余りにも危ないのである。
乾坤一擲の大勝負が大好きなばくち打ちで、人情に熱いあまり、人事に感情を挟みかねない。
非常に徹するべき司令官が、それでは堪ったものではない。
「のと」資料を調べても、対米戦初頭の真珠湾攻撃等は、いかにも彼がやりそうな作戦だった。
しかも、彼はあちらの世界では、戦争半ばで戦死している。
堀は頭を抱えたくなった。
友人だけに、堀は彼の人となりを良く知っている。
そのまま、当時の海軍大臣辺りを勤めていれば、優秀な行政官を勤め上げるであろうが、艦隊司令官には向いていない。
だが、そう考えているのは、堀一人であり、「のと」資料を見ただけでは、そこまで判る筈も無い。
案の定、評価は二分したが、山本は統合軍と国防省の中で、頭角を現してきた。
そして1934年4月の人事で、彼に統合作戦本部作戦本部長の話が出たのである。
昭和維新からこの方、人事に先例なしとは言われているが、現実に前任者の永田本部長は、国防省長官に内定している。
確かに、そのまま四年間無事勤め上げれば、山本が国防省長官になると言うなら、問題は無かろう。
少なくとも、実戦司令官に就く事は無い。
しかしながら、4年後の38年は、大戦の一年前である。
当時は、本当に4年で人事異動が行われるのか疑わしい限りだった。
場合によっては、そのままの布陣で戦争突入とも考えられる。
現実に、本年の人事では、濱口首相の退陣が予定されているため、現在も大きな変動は行われていない。
後継と目されている、吉田大使が新たな構想で人事を検討出来るようにと言う配慮であった。

211shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:35:43
とにかく、34年の時点では、彼が作戦本部長に就任するならば、最悪第2次世界大戦での作戦指導は、山本が行うこととなる。
悩んだ末、堀は結局、自分の思いを山本に打ち明けたのである。

堀が滔々と自分の危惧を打ち明けるのを、山本は幾分気分を害したような顔をしたが、それでも言いたい事は理解してくれた。
そして、困ったことに山本自身、その危惧を納得してしまうのだった。
確かに、山本自身も「のと」資料に対するアクセス権は高い。
基本的に、「のと」世界で戦死している人物に対しては、完全秘匿か、高い権限を付与し、自分のやるべき事を考えさせる方策が採用されていた。
元海軍では、南雲、山口等が高い権限を与えられ、かなり自由に「のと」資料の閲覧が許可されていた。
山本もこの一人である。
そして、山本自身、考えれば考えるほど、自分が連合艦隊司令長官と言うのが上手く当て嵌まらないと感じていたのだった。
勿論、山本本人は、そのギャップを埋めるべく努力はしてきた積りだが、改めて堀に指摘されると、さも有りなんと思ってしまうのだった。
とは言え、今回の人事で、統合作戦本部、作戦本部長になれるのではないかと期待していたのは嘘ではない。
上手く行けば、四年後には国防総省長官であるから、その席は魅力だった。
しかし、堀に指摘されように、人事異動が行われないで戦争に突入した場合、どうなるのかと考えると、正直気が重い。

今更内定が出てしまったら、辞退するのは難しい。
いくらなんでも、山本自身、そこでキャリアを止めてしまう気も無いし、下手に動けないのも事実だった。
結局、二人は悩んだ末、井上を呼んだのだった。

「丁度よかった。山本さん、良い役職があります。」
簡単な説明だけで、井上が喜んで提示したのは、総研情報分析班の班長だったのである。
総研分析班は、一応梅津、井上、高畑らで可能な限り、運営していたが、流石に4年も経つと、全員が片手まで出来るレベルを超えていた。
彼らも適任者を捜していたのである。
班長である以上、政府首脳にも対等に口が聞けて、ある程度押しの強い人物。
かと言って、謀略を得意とする堀のような人物では、危なっかしくて任せられない。
ある程度語学の才能も必要であり、井上自身山本少将が適任だと思っていたとの事だった。
「それに、戦争指導に関しては、私も貴方を信用していないですから、ここで、こちらに移って頂くと、非常に助かります。」
あからさまに言われ、山本は気分を害するが、井上は頓着しない。
「それに、もう一つ、陛下の信任厚い総研のしかも班長にしか出来ない任務がございます。」
井上が、そのあらましを語ると、最初は渋っていた山本も、情報分析班班長就任を内諾する。
まあ、井上にすれば、山本が就任をごねたなら、所長にお出まし願うだけであるから、何とかなるとは思っていたが。

「しかし、それにしても、本当に作戦本部長に内定しているならば、それを蹴って総研に入るとなると、色々差し障りは無いのか?」
堀が、心配そうに聞く。
いくら、山本では心もとないとは言え、彼の経歴に傷が付くのは、悪友とは言え申し訳ない。
「なあに、俺の評判が落ちる位、どうでも良いよ。」
山本は、そう言うが、ある程度強がりであるのは堀だからこそ判る。
「いい方法が御座います。」
井上が嬉しそうに言い、情報部の堀は恐ろしいと言う評価が当分確立することとなったのである。

212shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:41:10
暫くして、連合艦隊の解散の話が、統合本部内に広まり、これに対して国防本部の山本航空担当部長が、異議を唱えているとの噂が一挙に広まる。
そして山本が、国防総省加藤長官や、統合本部作戦本部長永田部長にねじ込んだと言う事が広まり、軍部内は騒然となった。
1934年3月末、山本が交通事故に合い、亡くなったとの話が広まる。
しかも、その時、情報部の堀部長は、「そうか」と一言言って黙ってしまった。
総研の井上は、事故にあったと聞いただけで、「最近車が増えたからなあ。」と平然と答えた。
等の噂が広まる。
誰も事実を確認できないまま、四月の人事異動が発令され、統合本部作戦本部長には、豊田副武が抜粋される。
首脳陣は、一切山本には触れない。
それどころか、部下には声を潜めて、
「その話をするな。私は「情報部」に睨まれたくない。」
と言う始末だった。

ここに、目出度く山本は、総研情報分析班班長として、新たに本部の置かれたスイスに赴任したのであった。
それから四年、山本は主に欧州で情報班の組織化と、様々なコネクションを作るのに精を出してきた。
表向きは、総力研究所、欧州所長と言う肩書きで、欧州の様々な人物に会う。
総研の費用で一流の身なりを整え、様々な社交場に出入りしては、顔を売って行った。
ちなみに、大好きなギャンブルも、仕事の一環として顔を出せるので、こんなに嬉しい事は無かった。
お蔭で、出入り禁止の店が更に増え、Yamamoto Fifty Sixと言えば、一流のギャンブラーとしてその筋では結構有名になっていた。
勿論、自分を知っている日本人に会えば、
「お上のお仕事だから、内緒だよ。」
と口を塞ぐのも忘れない。
まあ、髪も伸ばし、英国セビルロー仕立てのオーダーメイドのスーツに身を包んだ山本を見て、本人だと直ぐに気が付く日本人はめったにいなかったが。

213shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:44:00
「で、井上、今度は俺に何をさせたいんだ。」
山本が諦めたように、井上の顔を見る。
「十分欧州でのコネクションも御作りになられたようですから、そろそろ本業の方の準備に掛かるべきかと。」
「うん?アラン・ダレスなら既に面識を持ったぞ。今度はスイスに赴任すると言ってたぞ。」
そう、総研所長から山本に託された重要な役割は、いざと言う時の米国政府を含む列強各国との非公式な交渉ルートの確立だった。
総研の存在は、既に各国も掴んでいた。
その欧州所長と言う肩書きから、列強も非公式な帝国の窓口である事は、察しが付く。
しかも、本人が様々な会合に顔を出していれば、なお更である。

「いや山本さん、確かに、表上の肩書きは皆さんご存知でしょうが、統本情報部もその情報ルートに興味を示している以上、列強各国もその情報入手方法に興味を持っているものと思われます。」
「そりゃ、そうだろうな。しかし、それがこの山本と繋がるのか?」
総研情報分析班、班長と言う立場と、欧州所長では明らかに役割が違う。
「ですから、それを繋げるのです。いや、繋げて下さい。」
「ふむ、表は総研欧州所長、しかしてその実態は欧州列強間を暗躍し、密かな秘密を奪い去る、総研情報班、班長。おいおい、何だが活劇に出来そうだぞ。」
堀が、どうやら井上が考えている事を察したように、楽しそうにコメントを加える。
「馬鹿言え、おれは活劇はやらんぞ。ふうむ、言いたい事は判った。単なる所長と言う立場だけじゃなく、欧州方面での情報入手の総元締めと言う立場だと示す事で、更に相手の気を引こうと言うのか。しかし、それが、情報部との軋轢とどう繋がるのだ。」
「情報分析班、班長として、新たに組織を作ってください。いや、表上の第二の情報部として、周りに判るように、情報収集組織を作るのです。」
「なんだって、おいおい、井上、お主、組織を作るとなると大変だぞ。」
「いや、本当に情報部を立ち上げる訳ではありません。あくまでもそれらしく見えれは宜しいのです。列強各国からすれば、丸判り、いや少しは隠蔽が必要でしょうが、ばれても良い組織です。」
「ふむ、戦争が始まれば、真っ先に潰されるか、逆情報を流す為に使われるようなものか。逆に、それらしいものがあれば、各国とも信用するな。そして本来の情報分析班を隠してしまうのか。案外いけるかもしれんな。」
堀が納得したように、解説を加える。
「しかし、それらしい組織と言っても、作るとなると事だぞ。金も必要だ。」
「組織そのものは、これまでの総研情報班の中から、幾つかの情報源となっている地元の顔役等を丸抱えにしてはどうでしょう。現地組織のリーダーとしてそのまま採用してしまうのです。資金の方は・・・」
あっ、何か前にもあったような・・・
高畑は、井上がこちらを向いたので、少し後擦りさる。
「そうか、高畑君が協力してくれれば、問題は無いな。」
山本が納得したように、頷く。
頼むからそこで納得しないでくれ。
高畑の心の叫びは誰にも聞こえずに、欧州での新たな組織作りが行われる事となった。
それは、欧州での開戦まで、あと四ヶ月を切った時点だった。

214shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:47:39
「で、井上、お前がわざわざこんな所まで出向いてくる以上、何か理由があるのだろう。」
「ええ、やはり独逸の動向が気になります。今の所は、チェンバレン首相が率先して、戦争回避の為に、走り回っていますが、独逸がそれをどこまで信用しているのか。
それと、独逸の国内情況は、どの程度まとまっているのかと。」
書面による情報は、国内にいても一応は届いていた。
しかしながら、細かいニュアンスとでも言うべき内容は、実際に現場にいる人間に聞くのが一番である。
今回、日英の所謂統合軍戦略会議に、井上も同行した一番の理由が、これだった。
「信用はしてないな。だけど、利用しているよ、ヒトラーは、」
山本が端的に答える。
「国内情勢は、ヒトラーのいない所では、批判も出る。だが、彼の前に出て批判する勢力は無い。
ありゃ、一種の神がかりだな。俺も一度パーティーに出たが、確かに人を引き付ける力はあるぞ。」
波に乗っていると言うのであろうか、今のヒトラーは本当に圧倒的な存在感で、場を支配していると言っても良かった。
山本自身、レセプションで端のほうで見ていただけだが、身体が震えるようにすら思えた。
独逸語があまり得意でなく、「のと」情報を知っているだけに、構えられたと言う点も大きい。
忙しいヒトラーが、会場にいたのは、ほんの短い間だったが、その場にいた全員が、彼の一挙一動を見つめていたと言っても良かった。
「それだけに、今の独逸で彼に逆らうのは大変だぞ。「のと」情報のように、戦争で負けが込んでくればまた話は違うだろうが、今の所そんな事も無いしな。」
「そうですか、やはり難しいですか。」
井上が残念そうに言う。
彼が、情報分析班に分析を依頼していたのは、独逸での反ナチス勢力の組成の可能性だった。
開戦ともなれば、早期に独逸軍を撃破すべく、作戦は検討されているが、その後の展開も重要だった。
単に、勝てば良いと言うのでは、「のと」世界の帝国と同じである。
最も、あちらの帝国は勝つことすら出来なかった訳であるが。
「で、ヒトラーは英国の宥和政策を利用していると言うスタンスは、「のと」世界と変わらないのですね。我々の対伊太利亜政策の変更や、米国の動向等の影響はそれ程見られないと言う事で、宜しいのですか。」
「うむ、分析班では予測とあまり大きな違いは出てない。動員は続けられているが、その動きに大きな変化は無い。少なくとも彼らが当面戦争にはならないと考えているのは、違いは無い。」
「堀さんの方で何か付け足す事はありますか?」
黙って聞いていた堀に、井上が話を振るが、彼は首を横に振るだけだった。
「それでは、この先は、英国の連中も呼びましょう。」
井上は、部屋の隅にある電話に向かう。

215shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:53:30
暫くして、部屋に三人の英国人が入ってくる。
井上たちは、会話を英語に切り替え、検討内容を告げる。
「海軍のレーダー提督、先ごろ首になった、フリッチェ上級大将、この二名を押さえられるかです。」
最初に口を開いたのは、マッキンレーだった。
そして、それだけ言うと、もう十分とばかり黙り込んでしまう。
「もう少し、説明しろよ。だいたい君は、言葉が少なすぎる。さっきの会議でもあの態度はまるで子供じゃないか。」
ケインズが真剣に怒っているのを、若いクラークは我関せずと何か一心に考えている。
「ケインズさん、貴方の意見は?」
井上が話題を変えるように、ケインズに振った。
英国側の三人は、昨年から「のと」資料の閲覧を許されている者達である。
ケインズとクラークは、総研側から指名した人物であるが、マッキンレーは違う。
ケインズとクラークの報告を元に、英国側が新たに送り込んで来た人物だった。
最初は、「のと」資料にも名前が上がっておらず、総研側もかなり警戒したが、どうやら、王室関係者らしい。
偽名の可能性もあるが、とにかく「のと」資料室に入ると、日本語の資料にも関わらず、彼は殆どその部屋に篭もりっきりで、目を通していた。
そして、二ヶ月間資料を調べると、その足で急ぎ帰国していったのだった。
それから再び、帝国の要人の前に現れた時には、今度は英国情報部と言う新設の組織の長としてだった。
正確には英国王室情報部であり、位置づけは総研と同じである。
即ち、英国王室の私的機関であり、政府に対しては建策機能を持っている。
どうやら、マッキンレーはかなり有能な人物であるようで、帝国にいる間に、「のと」資料だけではなく、総研の仕組みも理解して帰ったようであった。
あれだけ口数が少なくて、どうやって英国首脳陣を納得させたのか、不思議に思えるが、とにかくそこまでやり遂げる才能は持っている。
それだけに、独逸の戦後を考えた場合、押さえるべき人物に対する見解は適切だった。
レーター提督が、ヒトラーを含めたナチス幹部と中が良いわけでないのは、「のと」資料でも記載されている。
フリッチェ上級大将は、スキャンダルをでっち上げられ、先ごろ罷免された国防軍№.2の陸軍総司令官である。
両人とも軍内での人望は高く、それ故フリッチェ上級大将は首になっている。レーダーが生き残っているのは、海軍の勢力が弱小であり、また海軍内を見た場合、他の首脳陣も似たようなレベルでナチスを嫌っていたからである。

216shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:57:05
「うむ、独逸の戦後を見越した場合だが。」
ケインズが、マッキンレーを睨みつけながら話し始めた。
「人に関しては、マッキンレーの言うとおりだろう。私はそれよりも、戦後の復興策を上手くやる必要を訴えたい。」
流石に経済の専門家だけはある言い方だった。
まあ、逆に言えば、やはりそこかと言う気もしないでもない。
「少なくとも、ナチの政権下よりも悪化させては見も蓋も無い。直ぐに第二、第三のヒトラーが現れるぞ。まあ、今度はわが国の政府も賠償金をどうこうなどという馬鹿なことはするまいが。」
「しかし、英国もそうですが、わが国も戦闘となれば、それ相応の出費が必要となります。勿論、計画では短期決戦にて費用を最低限に抑えようとはしていますが、現実にはどう転ぶか判りません。」
「最悪の場合も考える必要は、あるな。」
堀がそう答えると、山本が付け加える。
本当に、この二人はピッタリと息があっていた。

「そりゃ、判る。戦費の回収は政権にとっての死活問題であるからな。まあ、それも両国政府には暫く我慢してもらって、回収は五年後位からとして予算を組んで貰うしかないだろう。」
ケインズが楽観的に言い放つ。
そうは言っても、国家予算を食いつぶす戦費であるだけに、誰も軽くは扱えず、沈黙が広がる。
「何、そんなに悲観する事はないだろう。上手く投資を行えば英独日の経済圏での経済成長は加速するぞ。そうすれば、負債なんて何とでもなる。
クラーク君、彼らにアレを見せてやれ。」
「ハア、」
どこかに意識が飛んでいるのか、クラークは生返事で、ポケットから紙を取り出す。
「ええっと、合成ゴム、冷鋼圧延処理、赤外線、光学ガラス、電子顕微鏡、電気回路遮断器、極性を持ったリレー、風洞、アセチレンガス、エックス線管、セラミック、染料、テープレコーダー、ディーゼル・エンジン、殺虫剤、カラーフィルム加工、バター製造機、まだありますが、続けますか。」
もう良いとケインズが首を振る。
「少なくとも、独逸では、これらの新規技術が開発中だ。これらに適切な投資と技術援助を行う事で、莫大な富を生み出す。それさえ間違えなければ、負債の回収なんか、簡単なものだろう。」
「のと」資料では、戦後、米国はペーパークリップ作戦と銘打って、これらの技術を殆ど強奪して行く。
この結果、あちらの世界では米国の戦後の繁栄が始まると言っても良かった。
それを、独逸の技術と認めて、日英が支援すれば、新たな経済拡大が待ち受けている筈である。
しかも、こちらには「のと」資料まであり、彼らに適切な助言を行う方策はどのようにでも取れる。
また、同時に共同特許と言う形も形成出来る。

217shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:59:59
「はあ、それはおっしゃる通りだと思いますが、その場合の問題は、どこがそれをするかなんですよね。」
高畑が口を挟んだ。
「うん、そりゃ、君とこだろう。日商の看板は伊達ではあるまい。世界に冠たる総合商社なんだから、それ位当然だろ。」
ケインズが不思議そうな顔で高畑を見つめる。
「のと」資料の使い方から、実際の技術指導、共同会社の設立まで、帝国内で散々行ってきた日商ならば、ノウハウも蓄積されており、そんなに難しい事では無い筈だった。
「いや、確かに、私の会社ならば、やれと言われれば幾らでも出来ます。しかし、一応、私企業ですよ。英国側はそれで良いんですか?」
高畑が慌てて反論する。
「今更、何を言っているんだね君は。ロスチャイルド家のネイサンが二ヶ月もスイスで君を拘束した理由もわかっとらんのか。」
ケインズが呆れたように、高畑の顔を見つめる。
「えっ、いや、そ、それは・・・」
一体、どこからそんな情報が漏れたのかと高畑は蒼くなる。
ちらっとマッキンレーを見ると、普段から無表情の顔であるが、確かに目が笑っていた。

「何かあったのか?」
井上が怪訝そうに、高畑を問いただす。
「いや、まあ、帰ったら相談しようと思ってたんですが。ロスチャイルド家からは、日商に対する資本参加の申し込みがありました。」
「どの程度?」
「全株式の30%です・・・」
ヒュウッと、山本が口を窄める。
それはそうである。
日商は、現在世界最大の総合商社である。
その実態は、非常に上手く隠されているから、殆どの者には判らないが、総資産は天文学的な数字となっていた。
関連会社は数知れず、ブリテッシュオイルカンパニー、ロールスロイス、ロイズ保険会社等の英国系大企業との合弁会社等も多数立ち上げており、その影響力は米国国内にも及んでいる。
高畑に言わせれば、「のと」情報等と言う卑怯なものを使う以上、これ位は誰でも出来ると言う事になるが、やはり彼の手腕が無ければここまでには至らないであろう。
毎年二回、高畑から、日商の経営報告的なものが、総研内部で行われるが、その度に、メンバー全員が唖然とせざる得ない世界が広がっていた。

218shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 14:02:36
「井上・・・、金があるって、素晴らしいな・・・」
実際、梅津が漏らしたこの言葉が的確に、全員の意識を示していた。
とにかく、日商が運営している現金類だけで、帝国の拡大し続けている国家予算を上回っているのである。
梅津らにすれば、それだけでも十分過ぎる程だった。
巧妙に分散され、隠されている各地の資源地帯の土地所有権等の資産を含めると、その金額は最早理解できるものではない。

そして、日商の恐ろしいのは、その株主だった。
資本金100万円にて立ち上げられた日商だが、1929年に総研経由の出資で、資本金は500万円に引き上げられていた。
そして、新たな株式が発行され、全発行済み株式の8割が、総研所有とされた。
言わば、日商は総研の経済上の看板なのである。
しかも、それの意味する所は、皇室所有の総合商社と言う前代未聞の会社だった。
昨年、「のと」情報が英国側に開示された時点で、総研所有の株式の25%、発行済み株式の2割に当たる株式が、英国王室に譲渡されている。
勿論、代価は払ってもらっているが、それは破格ともいえる格安のものだった。
お蔭で、現在の日商の株主は、皇室6割、英国王室3割、民間1割と言う構成になっている。
ちなみに、英国王室の残り一割は、高畑ら民間から別途買い上げている。

そして、この日商に対して、ロスチャイルド家が、資本参加を申し込んできた訳であるから、高畑も即答できるものではなく、帰国して相談する積りでいた訳である。

219shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 14:05:00
「ロスチャイルド家は、欧州大富豪、言わば欧州経済界の代表としてそれを申し入れているんだ。
それ位、高畑君も理解していよう。」
ケインズが続ける。
「ええっ、それは理解していましたが、しかし良いんですか、日商で。」
高畑にすれば、英国王室の資本参加はあっても、日商は帝国の企業だと言う意識はある。
最も、現在の社員は日本人でない者の方が遥かに多い、多国籍企業となってはいるが。
しかも、欧州と言う先進国家群が、帝国と言う後発国家から派生した企業を、その代表と認めるなんてありえる話とは思えないのだった。

「いまさら、日商のまねをしても始まらん。それに、間に合うものでもない。」
ケインズがにがにがしく言う。
「私個人としては、得体のしれんアジア人の作った会社なんてと言う意識に同調したいのが本音だが、君達がやってきた、十年のアドバンテージをひっくり返そうとするならば、
中に入って、内側から食い破るしかないだろうな。」
「はあ、そう言うもんですか。」
そこまで、あからさまに言われると、逆にいやみに聞こえないから不思議である。
油断すれば、何時でも取って代わってやると正面から言われるている訳であるから、腹も立たない。
少なくとも、外から訳の判らない謀略や暴力的な手段で対応されるよりは遥かにましだろう。
「とにかく、ここ五年間近く、戦争準備と言う形で、独逸経済はかさ上げされている。確かに、戦争でもしない事には、この景気は崩壊し、独逸は再び長い不況に陥るのは目に見えている。」
ケインズが、如何にも経済学者らしく話を続ける。
「それを、素早く侵攻し、更に経済を発展させる事により、我々の側に立たさなければならない訳だ。」
「追加投資と、新たな戦争目的の提示ですね。」
井上の口から漏れた言葉に、皆が驚く。
「新たな戦争目的と言うのは良く判るが、井上の口から追加投資と言う言葉が出てくるとは。
時代が変わったな。」
山本が呆れた顔で、言った。
「そう言う山本さんも、その言葉の意味が判っているじゃないですか。我々は最早軍人ではないんですよ。」

220shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 14:07:33
「そこ!ごちゃごちゃ言っとらんで、人の話をちゃんと聞きたまえ。これだから、軍人は始末に終えん!」
ケインズが釘を刺して、話を続ける。
「今回の独逸侵攻は、君達軍人には単なる軍事行動にしか過ぎんと思っているだろうが、実際はその後の我々経済人の活動が重要なんだよ。」
更に、嫌味を言うのを忘れないのが、如何にも英国人だった。
「侵攻直前までに、英国に、帝国の生産管理の専門家も含めた技術者集団、ナチス独逸の迫害から逃れてきた科学者を中心とする研究者集団を待機させる。」
「戦闘終了と共に、彼らは予め決められた拠点に駆けつけ、工場ならば、新たな生産計画の立ち上げ、研究施設ならば、研究の現状の確認と、新たな方向性の提示を行う。
特に、兵器生産に関しては、現状の独逸兵器の生産の継続と、新しい設計に基づいた生産、また生産施設の改装も行わなければいけない以上、大変なものとなる。」
「日商は、平行してシーメンズ、マン、クルップ社等の独逸企業に対する新たな融資、資本参加等の交渉を行う。この辺りは、ロスチャイルド家とも話を通してあるので、交渉がまとまる事を前提に、現場を先行させねばなるまい。」
「サイズの問題もあるぞ、インチ・ヤードではなく、メートルなんだからな。その辺りも上手くやらないと、偉い事となる。」
ここで、ふとケインズは話を止めた。
「そう言えば、八木とも話したのだが、高畑君が行った、亡命科学者達の確保は見事だな。あれにはほとほと感心させられたよ。」
「はあ、ありがとうございます。」
ケインズの話し方が教授の講義に近いせいだが、何だか、本当に学生の頃に戻ったような気がする。

221shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 14:09:56
核兵器の開発に関して、「のと」資料を分析していて気がつくのは、その科学者達の出身地である。
純粋に米国生まれの学者もいない訳ではないが、アインシュタインを初め、多くの学者は欧州から渡ってきているのである。
それも、30年代に入ってきてから顕著となっている。
勿論、帝国も国家として情報部を通じて、これらの学者に接触を図り、可能ならば帝国に来て貰う為、色々努力もし、成果も上がっていた。
しかし、彼らからすれば、辺境のアジアに移動するのは躊躇いが大きい。
この事に、早期から気が付いていた八木は高畑に相談を持ちかけ、総研として他の対策を講じたのである。
31年に、英国王室に話を通し、新たに皇室から信託財産が英国王室に預けられた。
エジンバラ郊外にある王室領の一部が敷地として用意され、そこに王室理化学研究所が設立されている。
一応、英国王室が、亡命科学者達に、生活と研究の場を提供すると言う建前で、多くの科学者達がそこに留まっているのである。
ケインズ自身も王室理化学研究所の設立は知っていたが、それが高畑らの画策である事は全く気が付いていなかったのだった。

222shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 14:12:11
「とにかく、もう、余り時間が無い。そちらの帝国側の準備は、日本にいる間に、八木君達と詰めて来たので、後は英国側での準備だ。まあある程度は、話は通してあるので、間に合うとは思うが、総研や日商には更に働いて貰わなければいけない。」
講義終了、と言う形で、ケインズは一気に話を締めくくる。
全員が少しあっけに取られ、暫く沈黙が広がった。
「他に、何かあるかな?」
違う意味で毒気が抜かれたように、井上が全員に聞いた。
「クラーク君は、何かあるのかな。」
堀は、先ほどから話を聞きながらも、全員の様子を注意深く観察していた。
全員が、ケインズの独断場にあっけに取られている中で、一人クラークだけが、何か他の事を考えているのが判っていた。
彼は、この中でも飛び抜けて若い。
まだ二十歳そこそこなのだから、他に心配事でもあっても不思議はない。
それでも、一応気になり、彼に話を向けてみたのだった。
「あっ、いや、べ、別に・・・」
「うん、クラーク、何か忘れてたかな?」
ケインズも少しは、気になるのか、クラークを促す。
「はあ、実は、一つ・・・」
彼は、また、口ごもる。
「クラーク、君はまだ若いから、このような場では、躊躇いが出るのも仕方ない。しかしだな、少なくとも我々のメンバーに入っている以上は、疑問があるならば、はっきりと言う必要があるぞ。」
ケインズに怒られ、クラークは覚悟を決めたようだった。
「実は、独逸とソ連の関係なのです。
「のと」資料でも、確かに三年後、1941年には独ソ戦が開始されています。
このことから、我々は独逸とソ連が決して心から信用していない、いや、言い方が悪いかな。
中が悪いと考えすぎてないかと言う事なのです。」
「うん、少し意味が判らないが、独逸とソ連が、中が良いと何か問題があるのかな。」
山本が、話しあぐねているクラークに声を掛ける。
「す、済みません。上手く説明できないのですが、独逸に開戦した場合、ソ連がどう動くのかが気になって・・・
何か、良く判らないんですが、自分でも見落としているような感じがするんです。」
そこまで話してクラークは黙り込んでしまう。
彼自身、何か判らない、予感のようなもので、もやもやしているだけなのか、本当に困ってしまっている。

223shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 14:14:38
「うーむ、確かにソ連は、フィンランド侵攻の為に部隊を集結している最中だな。」
山本が堀に確認するように、話を向ける。
「先ほどの会議で話したように、今のソ連は完全に、北欧を向いている。フィンランドからバルト三国へとその食指を伸ばしている所だ。」
堀は、クラークの疑念に否定的だった。
「ソ連が、我々の動きを察知して、同時に独逸に対する侵攻を行う可能性?
無理だな、間にポーランドが挟まれている。」
「あっ、でも、もしナチス独逸が、ソ連に対して救援を求めたりしたら・・・」
「いや、それは無いだろう。幾らなんでもそこまではできんだろう。」
山本が否定する。
「しかし、その可能性はあるかもしれませんね。」
井上がここで始めてクラークの危惧を肯定するように答える。
「独逸とソ連が、仲が悪いと考えているのは、我々の常識です。
しかしながら、今の時点で、果たしてスターリンとヒトラーの仲は険悪なのでしょうか。
確かに、スペインでは敵同士として戦っていますが、あれはあくまでも内戦ですから。」
「ふむ、実際の所は判らんな。
でも確かに、ソ連と独逸の仲が険悪になるのは、もう少し後だな。」
「ええ、今の所、資源の輸出はしていますし、石油も融通していますよ。」
「そうか、独ソ戦に関する詳細を「のと」資料で見てしまっている以上、我々にも先入観があると言う事だな。
クラーク君、良いところに気がついた。この先は、情報部で検討して貰えば良い。」
ケインズは、やはり先生であった。
年の離れたクラークをまるで生徒を見るように扱っている。
「はあ、ありがとうございます・・・」
「うん、まだ何かあるのかね?」
「えっ、そうじゃないですが、まだ何だか納得出来なくて・・・」
「そうか、それは良い事じゃないか。納得するまで悩みなさい。」
うんうんと一人頷いているケインズに、周りがしらけてしまう。

「まあ、とにかく、あと四ヶ月で全てが始まる。
私も、スイスに戻ったら、クラーク君が気にしている内容について、もう少し調べてみよう。」
山本がそう言うと、クラークは嬉しそうに頭を下げる。

「それでは、一応方針の確認も出来ましたし、以上ですかな。」
全員が頷くのを井上が確認する。
「では、皆さん、これからも頑張ってください。」
閉会の挨拶ぽいものを井上が発し、全員が堀の部屋から出ようとする。
「あっ、高畑!お前、逃げるな!」
一緒にこっそりと高畑が出てゆこうとするのを、井上は目ざとく見つける。
「お前なあ、ロスチャイルドの事、どうしてさっさと言わないんだ!」
「えっ、いや、事が事だから・・・」
閉まった扉の向こうで、二人が言い争う声だけが、かすかにこぼれていた。

224shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 10:07:25
 1938年9月12日、ヒトラーがナチス党大会でチェコ領ズデーテン地方合併要求を高らかに宣言した。
4月にズデーデン・独逸党が、ズデーデン地方のチェコからの分離と独立を叫んで以来、それはほぼ勝利宣言に近い内容だった。
「始まったか。」
「ああ、これでヒトラーも今更撤回する訳にも行かない。」
梅津の質問に、手渡された電信記録を見ながら井上が答える。
「大英帝国の方は?」
「予定通りらしい。チェンバレン首相も待ち望んでいたとの連絡が高畑から入っている。直ぐにベルヒテスガーデンに向かうだろう。」
「いよいよ始まるのか。」
「ああ、戦争だ。」
暫く二人は何も言わない。
「上手く・・・行くかな・・・」
梅津がポツリと呟いた。
二人とも、いや総研に関わる全ての人々がこの先に待ち受けている、第2次世界大戦での滅亡を避ける為に努力してきた。
国力を増大させ、力を蓄えてきた。
「満を持して打って出る」
それならば、どれ程楽だろう。
「乾坤一擲の大勝負」
それならば、どれ程気分が高揚するだろう。
二人は目の前にある独逸との戦いを見ているのではなかった。
独逸の先にある、ソ連、そしてその先に待ち受けているかもしれない、米国を見ているのだった。

帝国内には、10年前には考えられなかったような一大重工業施設が広がり、経済は毎年20%以上の伸び率で伸張している。
二年後には、東京で、オリンピックと万国博覧会が同時に開かれる。
人々は、今からそれを期待し、東京のホテルに予約が入る位である。
中島製作所が、満を辞して発売した、普通乗用車「昴」は、飛ぶように売れている。
トラックを専門に作っていた、豊田自動車の発売した高級車、「クラウン」ですら、その売り上げは確実に増加している。
国民は、希望に満ちており、今日より明るい明日を目指して、明るい未来を夢見れる社会が広がっているのだった。
日商は世界最大の総合商社であり、系列企業は軒並み成長を続けている。
帝人が発売した、化学繊維、所謂ナイロンは、爆発的な売れ行きを示しており、世界市場を席巻している。
日輪ゴムは、帝人と共同で始めた合成ゴムの開発を皮切りに、今や合成樹脂メーカーに生まれ変わろうとしていた。
丸善石油部は、丸善石油と社名を変更し、大慶油田の開発だけではなく、中東でも石油資源の開発を行い、石油メジャーの一角に食い込もうとしている。
播磨造船所は、東洋一の造船施設と言う看板を、三菱重工長崎造船所と争っている。
しかも、両造船所そのものが、年々規模を拡大しながらである。
日商系列以外の企業も、年々その規模を拡大していた。
乗用車生産に乗り出した中島製作所や豊田自動車等の製造業から、所謂チキンラーメンとして、今やアジア中に名前が知られ始めている日新食品、東洋製麺等の食料品加工業、世界中に航路を維持している日本郵船、コンテナ輸送と言う画期的な方策を採用し、シェアを伸ばし始めた帝国輸送等の輸送業に至るまで、成長企業は数え切れない程である。
「のと」情報と言う起爆剤と、英明な君主、稀代の名宰相と呼ばれるに値する首相による組み合わせが、未曾有の繁栄を帝国に齎していた。

225shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 10:10:08
米国との戦争は、これら全てを無に帰す可能性を秘めていた。
勿論、戦争を回避するため、帝国を崩壊させないための努力の成果として現在の帝国の繁栄があるのだが、それでも十分ではなかった。
それ程米国は巨大な国家である。
帝国内での自動車生産が、年間50万台を越えている今ですら、米国では350万台近い自動車を生産している。
米国が最早慢性的と言ってよい長期不況から抜け出せない状態ですら、こうである。
帝国が、10年掛けて国力を増大させたと言っても、米国に比べればまだまだ小さいと言うしかなかった。

彼らなりに考えているシナリオはある。
それが上手く行けば、米国との対決は回避できる筈だった。
そして、そのシナリオの第一段階とも言えるのが、今回の対独戦なのである。

「上手く・・・行かすさ・・・」
長い沈黙の後、初めて井上が口を開く。
「なあに、少なくとも英国を巻き込んでしまっている以上、「のと」世界のようにはならん。
否、それだけは絶対させん!」
梅津は井上の熱い口調に、唖然とする。
「あ、ああ、そ、そうだな。」
今まで、皮肉屋、毒舌屋と言うのは、いやと言う程見ているが、このような井上は初めてだった。
「とにかく、対独戦だ。」
柄にも無い姿を見せた井上だが、少し照れるのか、慌てて話題を反らす。
「ヒトラーもここに来て中止は出来まい。こちらも準備は整っている。後ば計画を実行に移すだけだ。梅津、頼むぞ!」
「了解した。では、行って来る。」
梅津は、今の統合軍の挨拶ではなく、旧陸軍式の敬礼を返す。
それに対して、井上も旧海軍式の敬礼で答礼した。
暫く、黙ってお互いを見つめていた二人だが、梅津はそのまま踵を返すと、部屋を出て行く。
これから、所長に会い、その足で厚木から、待機している航空機を乗り継いで、欧州に向かうのである。
それは、欧州参戦、それが本格的に始動した、最初の日のアジアの辺境での小さな出来事にしか過ぎない。
しかし、二人とも十分過ぎる程理解していた。
昭和4年8月9日、長崎 野母岬沖に、「のと」が出現してから今日までの、長い準備期間がついに終わりを告げた事を。
これから、本格的な戦いが始まる事を。

ただ二人が、気がついていない、些細な偶然もそこにはある。
それは、9年前の今日、初めて二人は陛下の前で合間見えたのだった。

226shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 10:13:42
ベルヒテスガーデン近郊の駅に、英国の政府専用列車が着陸し、見守る儀仗兵に挨拶をしながら、一人の男が降りてきた。
ネビル・チェンバレン英国首相である。
車に乗り込む前、彼は一呼吸置くように、辺りを見回す。
独逸国防軍のダークグリーンの制服を纏った、兵士達の前で、更に誇らしげに直立不動の姿勢で彼を見守る黒い制服の列。
やっと、こいつらから解放されるのか。
チェンバレンは、この黒い服が大嫌いだった。
そして、彼はこの黒い服を着た連中を指揮している眼鏡を掛けた小男が更に嫌いだった。
世間でどう思われているかは知らないが、彼自身ヒトラーは悪い男だとは思っていない。
そして、それは「のと」資料の抜粋に目を通しても変わらなかった。
可愛そうに。
それが、ヒトラーに対する彼の本心だった。
あまりにも、ヒトラーはスタッフに恵まれていない。
弱小政党から、ここまでナチスを大きくした手腕は大したものだと思うし、実際に会って話している限り、非常に理性的な男だと評価できる。
政治家としてみた場合、多分一流の部類に入るであろう。
ただ、本当にスタッフに恵まれていない。
「のと」資料を見ていて気がつくのは、彼に渡る情報が歪曲されているのではないかと言う疑いだった。
勿論、政治家である以上、嘘もつくし、はったりも使う。
だが、本質的な所では、信用できると言うのが、チェンバレンの印象だった。
それ故、彼は独逸との交渉を続けたのだし、宥和政策を続けて来た訳である。
最も、英国の戦備が整っていないと言う方が、大きな理由ではあったが、少なくとも相手がヒトラーである限り、戦争は回避出来るのではないかと言う思いはあった。
それ故、大日本帝国と組む事で、戦争準備が38年中に完成すると判っても、彼は宥和政策を捨てようとはしなかった。
しかしながら、「のと」資料がその前提を大きく崩してしまった。
このまま推移すれば、来年ナチス独逸はポーランドに侵攻する。
そうなれば、宥和政策は崩壊せざるを得ない。
自分は騙されていたのか。
ちょび髭の男は自分よりももっと腹黒い男だったのか。
そう考えてみても、どうしてもヒトラーの印象と一致せず、結局辿り着いたのが、彼のスタッフだった。
情報が操作されている。
ヒトラー本人は、まだ気がついていないようだが、彼に渡る情報は、その前にヒムラー、ゲッペルス、ボルマンらによって、微妙にニュアンスの変更が加えられていると言う疑いだった。
勿論、彼ら自身別にあからさまにヒトラーを操ろうとしている訳では無いだろう。
ただ、自分達に都合の悪い情報は隠し、良い情報は強調する程度であろうが、それでもバイアスが掛かった状態では、ヒトラー本人の政治的判断も変わろうと言うものだった。
その可能性に気がつくと、過去のヒトラーの行動に腑に落ちる点が多々出てくる。
最近の一連の国防軍の罷免にしても、彼には正確な情報が渡っていない為に、起こった事が丸判りである。
まあ、仕方あるまい。
ベルヒテスガーデンに向かう車の中で、チェンバレンは自分に言い聞かせる。
自分は、大英帝国の首相であり、ヒトラーは大ドイツ帝国の総統でしか過ぎない。
これから、あの黒い服の連中に、そのつけを払わせる事になるのだから、ちょび髭の叔父さんには可愛そうだが、お互い国を背負っている以上、覚悟はしているだろう。

227shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 10:28:02
ベルヒテスガーデンでの両国首脳会談は、短時間で終了した。
チェンバレンは、挨拶もそこそこ、短く告げただけだった。
「英国政府及びその同盟諸国は、独逸のズデーデン地方の併合は、認めない」と。
そして、
「独逸がズデーデン地方に侵攻した場合、独逸と、英国及びその同盟諸国との関係に、重大な結果を招くであろう。」と。
それだけ告げると、チェンバレンは、簡単に会議の終了を告げ、部屋を出て行ってしまう。

会議室に残された、ヒトラーは、茫然自失の状態で立ちすくむのだった。

「総統・・・」
シーンと物音一つしない会議室で、恐る恐るヒトラーに声を掛けたのは、副総統のルドルフ・ヘスだった。
「彼は、何を言ったのだ。」
「えっ・・・」
「彼が、何を言ったか聞いておるのだ!ボルマン!」
「ハイ。」
側に黙って控えていたボルマンが素早く返事をする。
「彼は、ズデーデン地方の割譲を拒絶したのだな。間違いないな。」
「ハイ、私にもそう聞こえました、総統。」
「調べろ!」
「ハイ?」
ボルマンも、ヒトラーが何を調べろと言っているのは理解していたが、決して自分からそれは言わない。
「すぐさま、どうして英国があのように、強気に出るようになったのか?
たった一月で、何が変わったのだ?
イギリスの特命大使と、アメリカ大使がチェコに入り、ズデーデン割譲の交渉を持ったのは、先月だぞ!」
悲鳴に近い、ヒトラーの叫びで、独逸第三帝国首脳陣は、ある種のパニックに襲われることとなった。

228shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 11:07:10
どうして、英国が突然掌を返したのか。
そうするだけの理由が何処にあるのか。
情報部が資料を洗いざらい分析し直し、新たな防諜部隊が英国に送られる。
しかしながら、捗々しい結果は出てこなかった。
いや、誰もそれに目をつけようとしなかったと言う方が正しい。
情報の中には、大西洋での英国海軍の活動が活発になっているとの報告もあった。
英国本土、特にスコットランド北部での警察活動が以前よりも厳重になっているとの報告も上がっている。
米国からは、インド洋、大西洋において、英国海軍の防諜体制が遥かに強化されているとの報告すら伝わって来ていた。
しかしながら、それらの情報が、国防軍情報部や、親衛隊情報部を通じて、総統官邸に上げられても、首脳陣は誰もそれをヒトラーに告げようとはしなかった。
ナチスの首脳陣の誰もが、猫の首に鈴を付ける気にはならなかったのである。
「英国が活動を強化するのは当然の事で、総統に報告するまでも無い。」
このような形で、ヒトラーが、英国の本心に気が付く機会は流れ去っていった。

これまでの大英帝国の融和政策によって、強気一辺倒で政策を実行してきた独逸首脳陣、特にヒトラーに取り、この態度がはったりなのかどうかが問題だった。
しかしながら、総統秘書のボルマン、親衛隊長官のヒムラーらは、ここでナチスが国民に対して、弱気な態度は取れないと言う事を一番気にしていた。
また、国防軍最高司令部総長のカイテルに、意見を言う度胸は無かった。
そして、彼らが待ち望んでいた、いや見たかった報告がもたらされる。
大英帝国の本国にある4個機械化師団の内、二つは既にフランスに派遣されおり、残りの二つは現在中東からオーストラリア方面に展開中であり、本国にいない事が確認されたのである。

「それでは、やはりチェンバレンの態度ははったりと見て良いのだな。」
「ハッ、総統閣下、間違いございません。彼らが動かせる軍隊は、本土近辺にはいません。」
流石にヒトラーは、そのような言葉を信じる程、お人よしではなかった。
「間違い無いのか?」
「ハイ、ウェールズにある兵営、現在オーストラリアに展開中の部隊の本拠地ですが、ここには現在留守番部隊しかいないとの報告です。」
「しかし、本当にオーストラリアに彼らはいるのか?」
「ハイ、オーストラリアからの報告では、英国部隊が、現在も現地で訓練しているとの事です。」
「判った。それでは、英国の態度をブラフと見て、我々は更に態度で占めそう。」
「カイテル!」
「ハイ、総統!」
「国防軍に、作戦開始を命ぜよ。わが国はズデーテン地方を編入する。作戦開始は、一週間後、10月7日とする。」
「ハイル・ヒトラー」
ヒトラーは知らなかった。オーストラリアからの報告が一ヶ月以上も前のものであることを。
 そして、「のと」資料から遅れる事一週間、10月7日早朝、独逸はズデーテン地方へ侵攻を開始した。

229shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 11:10:47
大英帝国の対応は素早かった。
午前中に、欧州各国のラジオ局が、独逸のズデーテン進駐のニュースを伝えるのとほぼ同時に、今晩7時に、チェンバレン首相が、英国国営ラジオ放送を通じて、特別放送を行うとの報道を一斉に行ったのだった。
 勿論、独逸国内ではそのような報道はされなかったが、フランスやオランダを初め、デンマーク、ベルギー、ポーランド、チェコスロバキア、スイス等のラジオ局から流される放送は止めようもない。
 チェコスロバキアに至っては、通常よりも出力の高い電波で放送が行われていた。
 ヒトラーを含む独逸首脳は、戸惑いを隠せなかった。
ズデーテン地方に侵攻した独逸国防軍は、抵抗らしい抵抗に会わないまま、前進していた。
それどころか、侵攻したどの地域でも、独逸系住民が、歓呼の声で出迎えてくれる。
しかしながら、奇妙な事に、軍関係は言うに及ばず、チェコ政府関係者が一人もいないと言う情況が広がっていたのである。
そこに来て、欧州の独逸以外の国の一般放送が同じ内容のニュースを話している。
何か、とてつもない事が起きようとしている。
それが、どう言う事かは、残念ながら判らないが、少なくとも独逸に利するとは思えない。
ヒトラーが側近に当り散らす中、直ちに近隣国家のラジオ局に対して調査が行われる。
隣国の中で、辛うじてチェンバレンの演説開始までに情報が上がって来た内容は、どこも同じだった。
朝一番に、ラジオ局の出資企業や個人から直接ニュースソースを渡されたとの事だった。
そして、二つのラジオ局から手に入れたその文面の複製は、全く同じ文面だったのである。
「直ちに、フランス、ポーランド国境に軍を送れ!」
流石に、ヒトラーもここまで来れば、英国が、何事が企んでいた事は容易に察しが付く。
それが、戦争と言う可能性は、ヒトラー自身、一番避けたいケースであるが、どう考えても、それ以外に考えられない。
間に合うのか。いや、戦いとなったら、叶うのか。
ヒトラーの頭の中に、最悪の予想が次々と浮かんでくる。
しかしながら、同時に、「どうやって」、そして「何処から来るのだ」と言う答えられない問いが浮かび上がってくる。

230shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 11:14:34
「失礼します。」
ヒトラーが落ちつかなげに歩き回る、広い執務室の扉が開き、国防軍の連絡将校が入ってくる。
「陸軍参謀本部からの連絡です。」
ヒトラーは、なるべく落ち着いている振りをするが、それでも慌てているのは隠せない。
普段なら、ホフマンか、秘書の誰かが受け取り、ヒトラーに手渡すのだが、今はつかつかと歩み寄り、自分で受け取る。
食い入るように、文面に目を通すと、側に控えていたヘスに渡す。
「フランス国境は、特に変わった動きは見られない。
ポーランド軍にも大きな動きは無い。
ベルギー、デンマークでは軍の動きすら見られない。
プリマスやホーツマスの英国海軍に普段と違う動きは見受けられない。
ドーバー海峡を渡る英国軍の動きは無い。
どこだ、どこにいるのだ!
何があるのだ!」
しかしヒトラーの問いに答えられるものは誰もいなかった。
ヒトラーは知らなかった。
英国軍の二個機械化師団が半年前から行方が知れない事など。
インド・オーストラリア・カナダからそれぞれ一個連隊以上が消えている事を。
そして、プリマスの英国海軍泊地には、半年程前から、常に戦艦部隊の1/3以下しか停船していない事を。
更に言えば、今までアイルランド北部や、ウェールズ西部に位置していた多数の航空隊が、この瞬間にも、エジンバラ、ドーバー等の比較的独逸に近い海岸沿いの臨時飛行場に着陸している事や、スコットランド北部、バイナキールと言う誰も聞いた事のない湾から、大量の艦船が出撃して行った事を。

231shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 17:59:24
その頃、デンマークにある日系企業の所有地に、何台かのトラックが到着していた。
トラックから多数の民間人が降りてくる。
いや、身なりは何処にでもいる民間人そのものだが、動きは統制の取れた兵隊そのものだった。
彼らは、その非常に統制の取れた動きで、瞬く間に、トラックに詰まれた箱を下ろし、手早く広げ、組み立て始める。
雷除けと言う名目で建物から少し離れた所に建てられた、高い鉄塔、やけに土台や骨組みが丈夫そうな鉄塔に群がると、素早く部品を取り付けてゆく。
周りを取り囲むように、荷物を積んできたトラックが並べられ、何人かの兵士はそこからケーブルを繋いで行く。
一時間程度の工作で、全ての準備が整ったのか、トラックは一斉にエンジンを吹かしぎみに、アイドリングを始める。
「準備出来ました。」
「ご苦労、間に合ったな。良し、エンジンを止めろ。」
再び静寂が辺りを包む。
「開始まで、20分か、ギリギリだったな。」
「ああ、今度はもう少し、早くできるように努力しよう。」
将校らしい、二人はそのまま、頷きあう。
「武器を受け取り、配置に付くか。少なくとも8時間は守らなければいけないのだからな。」
手早く、屋敷から大量の武器弾薬が運び出され、彼らは武装して行く。
また、別の荷物が開けられると、更に服装も着替えて行く。
武器を手に、配置に付く彼らの姿は、何処から見ても、独逸親衛隊そのものだった。

7時になり、英国の短波放送が、総統執務室に流される。
英国国家が鳴り響き、アナウンサーが首相の特別放送を継げた。
通訳が待機し、ヒトラー含め、ナチス高官が待ち受ける中、チェンバレンの肉声がラジオから聞こえ出した。
「世界中の平和を愛する市民諸君、大英帝国首相チェンバレンです。」
「通常より、出力が上がっています。」
ヒムラーがヒトラーに告げる。
「今宵は、皆さんの貴重な時間をこの放送に割いて頂き、本当に感謝します。多分、この放送は、世界中、そう、独逸の国民の皆さんも聞いているでしょう。そう、私達英国国民と同様に、平和を愛する人々です。我々、平和を愛する国民は・・・」

「た、大変です!」
執務室の扉が突然開かれ、親衛隊の将校が飛び込んで来た。
「何事だ!」
ボルマンがヒトラー総統の機嫌を損ねるのを慮るように、すぐさま声を張り上げる。
「国内の、ら、ラジオ局が襲撃されています。」
「なに!」
「なんだと!」
一斉に執務室内が騒然となった。
全国の主要なラジオ局が、ほぼ一斉に電波を発信出来なくなっていた。
突然のぼや騒ぎで、職員が建物から避難したようなケースから、送電が止まってしまったケース、放送機器が突然動かなくなったケース等、止まり方は様々だが、少なくとも独逸東部では殆どのラジオ局が、西部地域でも主要なラジオ局は一斉に放送が停止していた。

232shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 18:01:42
そして、そのタイミングを見計らったように、主要な周波数では、臨時放送が始まっていた。
「番組の途中ですが、ここで、英国チェンバレン首相の特別放送をお伝え致します。」
図ったようなメッセージが伝えられ、ワンフレーズだけ、チェンバレン首相の肉声が英語で流れた。
そして、その声がやや小さくなり、それに被さるように独逸語に翻訳されたアナウンサーの声が流れ出したのだった。

チェンバレンのメッセージは明確だった。

「第一次世界大戦と言う前時代的な君主による紛争の結果、独逸国民は塗炭の苦しみを味わう羽目に陥たった。
莫大な賠償金が課せられる事となり、独逸国民の皆さんは、それを懸命に支払おうと努力された。
それは、我々他国の国民が見ても、非常に立派な行動でした。
しかし、それにも限度があった。
世界的な不況に巻き込まれ、独逸では急激なインフレが発生し、国民の皆さんは、明日の生活の保障すら持てない、辛い苦しい時代に直面したのです。
このような非常に厳しい状況に追い込まれたとき、誰が目の前にあるものに縋ろうとするのを止めることが出来るだろうか。
例えそれが、皆さんのような理性的な独逸国民であっても、止むを得ないとしか言えないであろう。
そして、独逸国民、皆さんの前に差し出されたのは、国家社会主義ドイツ労働者党だった。
確かに、ヒトラー総統は、優秀な政治家であろう。
独逸にとって、「今何をすべきか」を決断出来る政治家。
国家にとって信義とでも言えるお互い同士の約束事を破り捨て、自分は正しいと言える政治家はそういる者ではありません。
結果、独逸は優秀な国民の手で、驚異的な回復を見せます。
元々皆さん、独逸国民は優秀な人々なのです。
それが、不当、そう、何時の時代でも、借金は「借りた方にとっては」不当としかいい様がないでしょう。
そう、その借金を棚上げにすれば、優秀な独逸国民が貧困に喘ぎ続ける訳は無いのです。
それに着目し、国家再建を成し遂げた、ヒトラー総統は、優秀な政治家でしょう。
しかしながら、私は国家社会主義ドイツ労働者党に関しては、このような評価すら与えられません。

ワイマール条約と言う停戦条約によって、独逸は領土を割譲させられました。
これは、当時の独逸政府が敗戦を認め、その賠償として土地の提供を要求され、それに対する対価として割譲されたものです。
そして、そうである以上、国家としての独逸が異議を申し立てる事は「フェア」ではない。
しなしながら、そこに住む住民が、独逸への帰属を要求すなら、例え国家であれ、それに逆らう事は出来ません。
オーストリアに対しても同様でしょう。
国民が「フェア」な情況で、統合を望むならば、ヒトラー総統の出身地でもあるオーストリアが、
独逸と統合するのも他の国家が異議を挟む筋合いは無い。
しかしながら、チェコスロバキアに属するズデーデン地方はどうでしょうか。
確かに、独逸への帰属を望む人々もいよう。
だが、反面、新たな国家への帰属を望む人々もおり、今の国家社会主義ドイツ労働者党のやり方は「フェア」と言えるでしょうか?
徒に、独逸系の住民を煽りたて、ズデーデン地方に国家社会主義ドイツ労働者党の党員が送り込まれています。

233shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 18:03:52
独逸の国民よ、良く考えて頂きたい。
あなた方は、優秀な政治家としてのヒトラー総統を得た代わりに、何を得たのかと。
本当に、国家社会主義ドイツ労働者党は、あなた方の最良の選択なのかと。
少なくとも、我々、英国を含む幾つかの国家はそうは考えていません。
そして、独逸周辺国にとって、国家社会主義ドイツ労働者党は、害悪でしかない。
ここに至り、我々は一つの決断を迫られました。
そう、本日ただ今を持って、我々、英国を含む諸国家の連合勢力は、国家社会主義ドイツ労働者党を独逸国から排除するための軍事行動を発動します。

これは、国家間の戦争とは我々は考えていません。
我々の目標は、あくまでも国家社会主義ドイツ労働者党と言う政党であり、決して独逸国家ではないのです。

独逸の誇りとも言うべき国防軍の諸君、あなた方は国防軍最高司令官であるヒトラー総統の命令に逆らう事は軍人として出来ないのは我々も承知しています。
それが、例え敬愛する将軍が国家社会主義ドイツ労働者党により、相次いで失脚し、国防省が何故か廃止されたとしても、最高司令官に就いた人物は、立派な人物である事は、我々も承知しています。
我々が派遣するのは軍隊であり、諸君らも軍人である事は言うまでも無い。
そして、我々は、これから貴国に侵攻する訳であり、諸君らはなんと言おうが、それを排除する義務がある。
戦おう!
我々は全力を尽くして、国家社会主義労働者党を貴国から排除する為に、戦う。
そして、諸君ら国防軍は、独逸国を守る為に、戦わねばならない。
ただ、ただ、一つお願いしたい。
この戦いで、我々が国家社会主義ドイツ労働者党を排除した暁には、諸君らは速やかに、独逸国を守るために、立ち上がって頂きたい。
外敵の侵入を防ぐ為だけに、国防軍がある訳ではないのです。
国家の維持、治安の維持も国防軍の重要な任務である。
それを忘れないで頂きたい。

独逸国民の皆さん、ご清聴感謝します。
1938年10月7日、大英帝国首相、アーサー・ネヴィル・チェンバレン
アウフヴィーダーゼン」

234shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 18:06:11
放送が終り、ラジオは何も言わなくなる。
そして、雑音だけが激しくなり、慌てて秘書が駆け寄り、摘みを回すが、何処を選んでも、雑音しか聞こえてこない。
「消せ!」
総統執務室に、ヒトラーの鋭い声が響く。
ヒトラーは、そのまま部屋にいるナチス高官を眺め渡す。
「どう言う事だ?」
誰も何も答えない。
「誰も何も言えないのか?」
ヒトラーが尚も問い質す。
「残念ながら、見事な謀略放送です。」
ゲッペルス宣伝相が、辛うじて答えた。
額には汗か浮かんでいる。
「直ちに、逆宣伝の放送準備を。」
ゲッペルスはそのまま部屋を飛び出そうとする。
「まて!多分無駄だろう。」
ヒトラーは冷静に告げ、ゲッペルスを押し止める。
「諸君らも聞いたであろう。あのラジオの雑音を。英国は何らかの方法で放送を妨害する手段を開発したようだ。
多分・・・
ラジオ局が放送再開可能になっても、電波は届かないだろう。」
その時、ヒトラーの予言を証明するように、扉がノックされる。
「入れ。」
総統官邸に詰める、国防軍の連絡将校が、感情の無い顔で部屋に入ってくる。
「国防軍最高司令部より、連絡です。
現在、広範囲に渡り、電波が妨害されており、ラジオ放送、通常の無線共に一切不通との事です。」
連絡将校は、国防軍式の敬礼をすると、秘書官に書類を渡し、部屋を出て行った。

「見たか、彼の態度を。」
ヒトラーがポツリと言い、全員が怪訝そうな顔を浮かべる。
「彼は、我々NASDAP式の敬礼ではなく、陸軍式の敬礼をしたんだぞ。
君達はそれすら気が付かないのか!」
かん高いヒトラーの声が執務室の天井に響き渡る。
勿論、ナチス党員であれば、「ハイル・ヒトラー」と言う形式の右手を高く挙げる敬礼が当然のものとなっており、総統官邸では、多くの国防軍将校もこれに倣っている。
しかしながら、全員が全員とも、それを行う訳では無いが、今のヒトラーには、彼がわざとそうしなかったとしか思えなかった。
総統執務室には重い沈黙が垂れ込め、暫くは誰も何も言えなかった。

235shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/03(土) 11:56:32
 スコットランド北部、バイナキール、大ブリテン島のほぼ北の果て、住民も近所のダーネス辺りに少しだけしかいない、本当の僻地である。
しかしながら、この静かな小さな湾が騒がしくなったのは、半年程前からだった。
三隻程のやけに平たい貨物船が湾に入ってくると、その内の一隻の艦尾から、大発、帝国の上陸用舟艇、と思しき艦艇が次々に現れる。
それらの小型舟艇が、海岸に乗り上げると、平たい艦首がそのまま手前に開き、キャタピラの騒音を撒き散らしながら、ブルドーザーが出てくる。
海岸で待ち受けていた、数名の兵士が誘導するまま、ブルドーザーは通路を広げて行く。
別の大発からは、大きなローラーが付いた重機や、シャベルカーのようなものも現われ、たちまちの内に、海岸から内陸部の小高い丘陵地帯に向かって、簡易道路を建設し始める。
道が通じると、更に輸送船から、多くの重機が現われ、丘陵地帯を平坦な土地に変えてゆく。
砂利を満載したトラックまで登場し、平坦となった土地に、均一に砂利を敷き詰め、ローラーが踏み固めてゆく。
そしてその上に、細かい砂が敷かれ、最後には、コンクリートミキサーまで登場し、そこにコンクリートが敷き詰められて行く。
ここまで来ると、今度は長方形の大きな箱が船から陸揚げされ、待機していたそれ専用のトラックに載せられると、次々と敷き詰められたコンクリートを避けながら、その箱を丘陵地帯まで運び上げて行く。
既に、土台らしいものが用意されており、順番にクレーン車がその箱をその台の上に並べて行く。
素早く、箱に何人もの兵士が駆け寄り、土台と接合させる作業に取り掛かるもの。
箱そのものが分解され、台座だけ残し、他へ運ばれるもの、様々な作業が効率よく実施されて行く。
 一月後には、バイナキールに緊急着陸用の滑走路と簡易宿舎が完成していたのである。
その後更に工事は続けられ、今では浮き桟橋から、補給用のパイプラインが伸び、主滑走路と横風用の滑走路まである立派な航空基地が展開していた。

チェンバレン首相のラジオを通した演説が行われる三時間前、新たなバイナキール航空基地の首滑走路の片隅に、彼らは待機していた。
既に、作戦に関する打ち合わせも済み、これから各機に向かう所だった。
「いいかぁ、お前ら、気合を入れて行けよ!」
「おおっ!」
四十人程の搭乗員達が一斉に大声で返事をする。
その様子を遠巻きに、英国人搭乗員達が面白そうに見ているので、総勢は100人程度であろう。
「これらか、独逸帝国へ出入りだからなあ!抜かるんじゃ無いぞ!」
「おおっ!」
全員が、右手を大きく上に伸ばし、大声で返事をする。
「それじゃ、いくぞ、いいかぁ!」
「はいっっ!」
「帝国総軍はァ!」
「帝国総軍わアッ!」
全員が一斉に大声で唱和する。
「誰にも、負けない!」
「誰にも、負けなぁい!」
流石に、うるさいのか、苦笑いを浮かべながら、英国搭乗員がおどけて耳を塞ぐ。
「我々わあ!強い!」
「我々わあ!強い!」
「必ず、敵を倒してぇ!」
「敵を倒して!」
「帰ってくるぞぉ!」
「帰ってくる!」
「よおーし、行くぞぉ!」
おおっと言うどよめきと同時に、全員が思いっきり右手のこぶしを空に突き上げる。
そして、そのまま待機しているジープに向かって走り出していた。

236shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/03(土) 12:13:08
「メジャー、ノナカ!」
全員の先陣に立ち、搭乗員を鼓舞していた将校も、愛機に向かおうとした時、後ろから声が掛かる。
振り返った野中五郎少佐は、素早く敬礼した。
統合軍バイナキール臨時駐屯地司令官、フィリップ・ヒックス大佐だった。
「今のは、やはり、ヤマトダマシイと何か関係があるのかね?」
そう聞かれ、野中も言葉に詰まる。
「いやっ、直接的には、違うと考えます。どちらかと言えば、シキコウヨウ、ええっと、何と言えば良いのか、全員の意識を高める為に行っている行動です。」
将校たるもの英語が話せないでは話にならない。
そのために、野中も結構勉強したが、やはり難しい単語は直ぐには出てこない。
「ふむ、スピリチュアルイマジネーションかな?
やはり、あれか?
オリエンタル・ゼン・ムーブメントの一環か?」
ヒックス大佐に、誰が余計な事を吹き込んだんだ、一体。
野中自身も聞いた事無い単語が出てくる。
しかも、ヒックス大佐はそれが日本語の言葉の英訳だと思っているらしい。
「はあ、ゼンの思想にシンクロさせて、精神の緊張を高める、日本古来の詠唱法の一つです。
我々は、これで全員の士気を高めております。
大佐、申し訳ございませんが、出撃ですので。」
「おお、そうだな、また帰ってきたら、詳しく教えてくれ。
Good luck!」
そう言って、敬礼して、見送る。
野中は慌てて、自分の愛機の乗員が待ち受けているジープに走りよる。
後部座席に飛び乗り、手で指図すると、すぐさま車は走り出す。
振り返りながら、敬礼をまじわし、やっと溜め息を吐き出した。

「少佐、司令官と何かあったんすか?」
「いいや、何も無いよ。どこかの馬鹿がいい加減な武士道を大佐に教えたようだ。」
「あっ、それ唐沢大尉ですよ。ほらここの建設を指揮した。」
「うーん、あいつか。帰ったらとっちめてやる。」
「大尉、もうそこですよ。」
野中は、慌てて走るジープの後部座席に立ち上がる。左手一本で身体を支えながらも、ビシッと敬礼する。
目の前に、四発のエンジンで大型のプロペラを回し始めている97式重爆撃機が並んでいた。
滑走路に面して、両サイドに10機ずつ並んでいる間を、野中を載せたジープが走り抜ける。
彼に近い方に並んでいるのか、帝国側、向こう側は英国側の搭乗員が乗り込んでいる。

237shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/03(土) 12:19:15
97式重爆、満州ボーイング社が生産している95式輸送機、通称ボーイング輸送機と言われる大型輸送機をベースに、帝国航空廠で改造を加えられ、重爆撃機にされた機体だと言われている。
しかし、野中は知っていた。
これが、米国ではB17と言われている機体とほぼ同じものである事を。
しかも、どちらかと言えば、同じB17でも、「のと」資料にあった、後期のB17以降に近い機体である。
1931年に、米国でボーイング社が設立された時、その出資者にロイズ保険会社の系列会社が入っていた事は、殆ど知られていない。
ましてや、その会社が日商のダミーだとは、絶対に知られてはいけない事実だった。
全体の出資額の1/3近くを出資したロイズ社は、役員を送り込み、ボーイング社の開発計画を、最初は日商に、そして今では英国にも提供している。
そして、33年ごろから、将来の満州地域での航空機輸送の増大が見込めるとの報告を受けた、ボーイング社は、丁度開発を開始していた、米国軍向けの四発爆撃機の派生型としての輸送機の設計を開始した。
図面が出来上がり、試験機が出来上がる頃には、満州航空機株式会社がその機体に非常に興味を示し、輸送機としての受注は確実に見込めそうな勢いであった。
しかしながら、価格面での交渉が進捗せず、このままでは契約には至らないと言う情況に、陥り、役員達は、頭を抱える。
そんな時に、ロイズ社から派遣されている役員が、現地生産での対応を言い出したのである。
他の役員達にも異議は無かった。
大幅なコストダウンが見込め、満州航空機は、その値段ならば、更に発注台数も増えると通達してきたのである。
しかも、満州航空機から話が伝わったのであろう。
日本帝国の統合軍が、適切な輸送機を探しており、ボーイング社の機体に興味まで示しているとの情報も伝わって来る。
早速政府に対して、現地生産での工場の立ち上げを申請するが、今度は米国政府が難色を示しだした。
余りにも、新型爆撃機との共用部分が多いのである。
その為、そのまま満州で生産された場合、容易に日本に、爆撃機として利用されかねないと言う理由だった。
頭を抱えたのは、ボーイング社だった。
大量発注が手に入るかどうかの瀬戸際の時に、そんなありえそうも無い理由で輸出を禁止されては堪らない。
必死に政府と掛け合うが、埒が明かず、役員達は再び頭を抱える。
最終的に、ボーイング社は、同じ部品を使いながらも、全く形状の違う輸送機を何とか作り上げた。
輸送機は、荷物の積み下ろしが楽なように、翼を機体上部に持ち上げ、胴体も一回り大きくなっている。
確かに、搭載量はB17より飛躍的に増加したが、速度、航続距離等は大幅に後退している。
胴体後部は、後ろに大きく開き、積み下ろしも楽であり、輸送機としては申し分ないものが出来上がったのである。
これには、米国政府もしぶしぶ納得を示し、無事満州における航空機生産工場の設立が認められた。

238shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/03(土) 12:22:43
満州航空機からの受注も得られ、生産工場も、満州航空機と合弁での立ち上げも決まり、役員全員がホッとした時に、更に難問が持ち上がったのだった。
今度は日本帝国だった。
折角現地での生産が決まった輸送機だが、これでは発注できないとの事だった。
彼らが求めたのは、B17そのものであり、その航続距離と速度に魅力を感じたのであり、搭載量が増えても、これでは採用できないとの通達だった。
最早、役員達は、精も根も尽き果てたように黙り込む。
帝国政府からの内諾時の発注台数は、初ロット100機であった。
満州ボーイング社での生産施設は、これを見越して投資している。
ここに来て、帝国からの受注がキャンセルされると、ボーイング社は潰れかねない。
この危機に、悪魔の囁きを呟いたのは、ロイズ社から派遣されている役員だった。
造ってしまおう。
ロイズ社としても、ボーイング社が潰れるのは困る。
こうなれば、部品を送り、現地で組み立ててしまおうと。
政府にばれた場合は、日本政府と交渉し、あくまでもボーイング社が提供した輸送機を改造したと言って貰えば良い。
それに、いざとなれば、他の役員が知らない所で、英国出身の役員がやった事にすれば良いと。
全員が、何も言えず、その役員の顔を見つめるだけだった。
役員会議の決は採られず、会議はそれでお開きとなる。
そして、ボーイング社は、帝国政府から新型輸送機100機の受注を無事得る事が出来たのだった。
36年から機体の引渡しが開始され、当初の100機は37年中に完成し、ボーイング社は高配当を株主にもたらした。
そして、嬉しい事に、帝国政府からは、エンジン強化型の本当の輸送機タイプの発注があり、密かに心を悩ましていた問題も目出度く解決でき、ボーイング社は全米でもトップクラスの航空機生産会社にのし上がってゆくのだった。

239shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/03(土) 12:28:04
そして、帝国は手に入れた輸送機(B17型)に、自動機銃の搭載、新型照準器、尾翼強度の強化を施し、新たな重爆撃機を必要台数確保する事に成功していた。
80機が爆撃機仕様であり、残り20機は、電子偵察・司令機に改造されている。
今回の統合軍には、その内、爆撃機60機、電子偵察・司令機20機が提供されていた。

今、野中の目の前に展開しているのは、その内の爆撃機20機である。
既に、電子偵察・司令機はその半分が飛び立っている。
機内に、電子専用の専用発電機を持ち、対地、対空レーダーから、強力な無線傍受、電波妨害機能も持つ、爆撃機4台分の金が掛けられていると言われている電子偵察・司令機は、この97式重爆撃機改良型と、「のと」世界では一式大艇と呼ばれていた97式飛行艇の二つのバージョンが作られていた。
高高度、高速偵察が本領の97式爆撃機改と、長距離、長時間隠密行動が旨の97式飛行艇の二つの機体で、欧州戦での目となり、耳となる飛行機群であった。

野中は待機していた愛機に走り寄り、機体に乗り込む。
通路を通り、操縦席後方に置かれた、航法員席に腰を下ろすと、素早く出撃指令書を確認して行く。
片道三時間、現地行動時間を含めると、トータル七時間近い飛行である。
天候は晴れ。
これは、幸いな事に、目的地付近も同様との気象報告が上がってきている。
今回の出撃は、無事帰還してから、再度簡易整備後の飛行が予定されている。
最初の攻撃は、夜間爆撃であり、少なくとも敵の迎撃がある訳ではないのが、助かる。
まあ、その代わり、爆撃精度は落ちるから、良し悪しであるが、少なくもと二度目の出撃は、明日の真っ昼間である。
どちらかと言えば、二度目の出撃の方が危険性は高い。
前方展開している支援空母、護衛空母からの援護がある事となっているが、微妙なタイミングの問題も発生するかもしれない。
そして、何よりも簡易整備での二度目の飛行を行う以上、全ての機体が十全の状態で飛べる訳ではない。
不良が発生して、万一墜落と言う事となれば、下は敵地である。
野中は頭を振って、どんどん膨らむ妄想を消し去ろうとする。

「機長、準備完了です。」
「良し、それじゃ、野中隊、行くぞ!」
野中の掛け声に合わせるように、機体のエンジンのうなり声が更に多きくなり、大型獣爆撃機はゆっくりと動き始める。
主滑走路に出ると、一台ずつ、一列に並び、発進の順番を待っている。
「バイナキール、バイナキール、ディスイズノナカ、レディトゥフライ!」
管制塔と連絡を取る副操縦士の声が漏れ聞こえてくる。
と言っても、機内はエンジンとフロペラの騒音で、音が聞こえるレベルではなく、耳につけたヘッドフォンからではあるが。
やがて、副操縦士が、指を上に立てると、機体はガクンと前のめりになりながら、猛然と加速して行く。
夕闇が迫り来る、スコットランド北方の海が目の前に広がる中、野中少佐率いる、統合軍戦略爆撃部隊、20機は夜の闇に消えて行った。

240shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/03(土) 12:35:12
「ここらでいいのかなあ。」
「良いんじゃないですか、そこにありますよ。」
「おおっ、あった、あった。それじゃ、仲村君、頼むね。」
「ハイハイ。」
溜め息を付きながら、仲村少佐は、リュックの中から珪酸粘土とニトログリセリンの混合物を取り出す。
手早く、柱の根本に、それを据え付け、信管をセットし、時計を合わす。
手配が整うと、その上から、手早く辺りの雑草をそれらしく配置し、立ち上がった。
「ハイ、出来ました。次行きましょうか。」
「おう、流石、仲村君は早いなあ!」
「何馬鹿なこと言ってんですか、後三箇所に設置するんですからね、急ぎましょう。」
二人は、来た道を引き返し、車道に出る。
如何にも怪しげな中国人二人組みだが、二人は車道の端に止まっている、最近発売されたばかりの独逸の国民車に近寄る。
「良し、次行くぞ、次。坂口、飛ばせ!」
「大佐、無茶言わないで下さい。下手に見つかったらどうすんですか。」
「大丈夫、私は中華民国政府派遣の梁大佐だ!
盟邦独逸帝国のお忍び視察だから、良いんだ!」
「へいへい。」
フォルクスワーゲンは、猛烈な加速で、アウトバーンを走り去って行った。


 独逸帝国は直ちに、全土に対して国家緊急令を発し、国土防衛の体制を整えようとした。
しかしその発令が末端に到達するよりも早く、ラジオ放送から30分後には、ハノーバー地方の有線通信までが不通になり始めた。
ベルリン郊外から、キール、ハンブルグ、ブレーメン一帯での通信が、十分に行えなくなってきているのだった。
勿論、全部が全部では無いのだが、明らかに使える回線が急激に減少している。
無線は、ラジオ放送以降、殆ど使えない。
強力な妨害電波が国境の向こう側から発せられているのは判るが、それ以外にも、どうやら高高度を航空機が飛んでおり、そこからも妨害電波が発せられているようだった。
電波探知器等で、発信源を探る試みは、確かに何かを捕まえたりするのだが、目標が複数個あり、しかも、それらが、巧妙にシンクロされているため、特定が中々出来ない。
辛うじて、連絡のついた航空基地から、夜間に関わらず、戦闘機が発進するが、補足出来ずに、引き返すしか無かった。

241shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/03(土) 12:39:15
 ヴィルヘルムハーベン、キールに次ぐ新生独逸海軍の第二の軍港である。
夜にも関わらず、軍港内には多くの兵士が走り回っていた。
チェンバレンのラジオ放送の直ぐ後に、キールの総司令部から、警戒警報が発令されたのが無事届いた事が大きいが、非番のものも、放送を聞いて駆けつけていた。
「戦争が始まる。」
ラジオ放送を聴いた、兵士達の不安を表せば、その一言に尽きた。
放送終了後、どこの放送局も何も言わない。
電話のある所に言ってみれば、長だの列が連なっており、様子を聞くと、中々繋がらないとの事である。
フランス軍が国境を越えたらしい、英国海軍が、ダンチッヒに上陸した、いや、キールが砲撃されたらしい・・・
デマがどんどん大きくなり、いてもたってもいられないまま、多くの将兵が軍港に集まってきていた。
「一体、どうなっているのだ!」
偶々、ティルピッツの建造情況の視察に来ていた、リッチェンス少将は、集まっていた将校に、当り散らす。
「今の所、具体的な報告は入っておりません。ただ、兵士の間でデマが飛び交っており、通信状態が最悪の為、確認できない事が、更に不安を拡大しています。」
「ええい、その位、判っておる!レーダー大将からの指示は無いのか。」
余りにも情報が不足しており、リッチェンスも具体的な方策が立てられない。
「とにかく、集まっている兵士達は、防衛体制の構築に当たらせろ。する事が無ければ、土嚢でも積ませておけ!それと、稼動出来る艦艇は全て緊急出航準備を急がせろ。」
殆ど同様の情況が、キールでも起こっている事をリッチェンスは知らない。
国防軍に至っては、それぞれの駐屯地から動けず、ただ基地の守りを固めるだけだった。
参謀本部そのものが、混乱の中にあった。
チェコに侵攻した二個師団を引き返さすべきなのか、それともチェコから攻撃が開始されるのか今の時点では判断出来ない。
フランスやポーランド国境周辺の情況も正確には伝わってこないだけに、国内の師団の移動先が決められないのである。

リッチェンスの執務室から急遽伝令となった仕官が走り出ようとした時、辺り一帯に警報が鳴り響いた。
「なんだ!」
「空襲警報です!」
「バカヤロウ!それ位判るわ!」
「あっ、いや、済まん。悪かった。司令部に行って、何か詳細が判るか調べてきてくれ。」
思わず怒鳴りつけてしまい、恥ずかしくなる。
そうだ、空襲だ!
リッチェンスは慌てて建物から走り出る。
急いで退避壕を探すが、まだそんなものは、ここには無い。
結局、他の将兵と同じように、ドッグの基盤近くのコンクリート壁面の隅に固まるしかなかった。
港の方からは、空に向かって探照灯が伸びている。
確かあそこには、グナイゼナウが停泊していた筈だ。
直ぐにでも動き出せるように、朝から機関は暖めていた筈だった。
しかし、それでも出港命令が出されていなかった為、動き出したのは多分ほんの少し前だろう。
くそっ、こんな所でグリーネマリーネの船がやられて堪るか。
ふと、辺りが静まり返り、その中で微かな爆音が聞こえてくる。
「来た!」
誰かが叫ぶ。
探照灯の光が機影を追い求めるように、音源の方向に動いて行く。
しかしながら、何も見えない。
いた!
思ったより小さい。
かなり高度は採っているようである。
それでも真っ直ぐ港に向かって飛んできている。
探照灯の明かりで一瞬だけ浮かび上がったが、総数は三機程度しか見えなかった。
ヒューンと言う金切り音が響き、その小さく見える航空機から何かが落下し始めた。

242shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/03(土) 12:44:55
「よーし、どんぴしゃ、流石だな。」
真っ暗闇の中で、司令機に言われるまま搭載してきた小型爆弾を落とし始めると、その内の幾つかが、爆発し、地上の様子が一瞬明らかになった。
見事、港湾らしい地点に爆弾は落ちている。
「何とまあ、良く場所を特定出来るもんだ。」
野中は感嘆したように、つぶやく。
海を越えている間は、方向と高度、そして速度に対する大まかな指示だけだったのが、目的地に近づくと、細かい修正がイヤフォンから流れて来る。
それに併せて操縦士は微妙に舵を切り、そして言われたタイミングで投弾手はレバーを引く。
信じがたいが、しっかりとそれは目標上空だった。
地上局数箇所からの誘導波、それを三機の電子偵察・司令機が、野中の機の位置と併せながら、
目標の緯度・軽度に乗せて行くのだ。
精密な誘導が、夜間での精密爆撃を可能にしていると理屈では判っても、実際にやるとなると、いつも感嘆してしまうのは仕方ない。
「投下終了!」
「よし、野郎伴、引き上げだ!」
北方から進入した野中達が乗る97式重爆は、ゆっくりと反転し、海の方へと返して行く。
明日は、本番か。
夜間爆撃は、案の定迎撃機も出て来なかった。
これから基地まで戻り、二時間後に再出撃、その時は敵も出てくるだろう。

243shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/03(土) 12:48:13
「なんだあ!」
落ちてきたのは、大型爆弾ではなかった。
野球ボール程の小さな爆弾が、大量にばら撒かれている。
しかも、幾つかは爆発しているような音がするのだが、全部ではなさそうだった。
あれでは、艦は沈まん。
どうやら、航空機はあの三機だけだったようで、後続はなさそうだった。
怪訝そうな顔をしながら、リッチェンスは建物に戻ろうと歩き出す。
「うわっ!」
突然横の方から爆風を受け、地面に叩きつけられた。
一瞬めまいを覚え、左肩から腰に痛みがあるが、何とか立ち上がれる。
全身を触ってみるが、特に外傷もなさそうだった。
「どう言う事だ?」
慌てて、爆風のした方を見ると、何名かが立ち上がれずに呻いていた。
「衛生兵はいるか!」
大声で叫びながら、リッチェンスも他の者と同じように、倒れている将兵に駆け寄る。
「何だと、おい、落ちている爆弾に近づくな!時限爆弾だ!」
あいつら、何て事を。
ヴィルヘルムスハーフェンの港一帯に、いくつばら撒かれたのかは判らないが、千や二千で利くかどうか。
とにかく、見えるだけでも数個の爆弾が転がっている。
ドーンとどこかでくぐもった音が響く。
あれでは、船は破壊できない。
しかしながら、柔な物はそれだけでも十分破壊されて行く。
そして、港で一番柔なのは、辺りを歩いている人間だった。
少なくとも、これで数時間は確実に出港出来る船はいない。
そして、これらの爆弾を処理しても、また夜になって次の攻撃が行われたら。
間違いなく、ヴィルヘルムスハーベンは軍港としての機能を失う。
リッチェンスは呆然と立ちすくむのだった。

同時刻、ヴィルヘルムスハーベン沖合いで、一隻の飛行機が海上を走っていた。
「よし、許可が出た。突っ込むぞ。」
沖合いを走る飛行機、そんな事が出来るのは飛行艇だけである、が速度を上げて海岸を目指す。
予定の地点に着いたのか、飛行艇の後部のドアが開き、両手で抱えられそうな、丸い固まりが海に落ちて行く。
「おーし、三往復したな。まだあるか?」
「終了でーす。」
後部から返事が返って来る。
「そんじゃ、とっとと逃げましょうかねっと。」
飛行艇は沖合いに向かって、速度を上げると、海面すれすれの高さを維持しながら、
瞬く間に飛び去っていった。
独逸海軍が機雷の存在に気が付くのは、翌朝、魚雷艇が触雷した時だった。

その夜、日英統合軍は、英国軍の助けも借りて、40機の重爆撃機と、10機の司令偵察機、そして4機の97式飛行艇で、少なくとも三箇所の港湾、五箇所の飛行場、8箇所の国防軍駐屯地を機能不全に陥れたのだった。
そして、独逸国防軍は一睡も出来ないまま夜明けを迎える。
あいも変わらず、無線は通じないまま、伝令が直接行き来すると言う状況の中で、黎明と伴に、独逸将兵が、そして多くの独逸国民が目にしたのは、独逸国内に向かって侵入してくる多数の航空機だった。

244shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/10(土) 09:44:23
「フロムイーグルリーダー トウ チヤールズ ツウ、フロムイーグル・・・」
「This is Charles two, to Eagle leader, no enemy appeared yet, all directions are cleared, forward on your destination, over」
「へいへい、オール ディレクション アー クリアードってね。」
まだ、敵は現れないようだった。
後方の空母を経由して一時間、既に独逸領内は直ぐそこである。
攻撃第一波に属する彼らは、鷹部隊、コールネームはイーグルと名づけられた大隊だった。
四機で一小隊を形成し、それが三編隊で中隊、中隊三つで大隊と言う名称は中々慣れない。
それでも、通信を全て英語でこなさねばならない事よりはまだましだった。

イーグルリーダーは、無線機のボタンを押して、会話を編隊内に切り替える。
「全機、独逸領内に入るぞ、敵に備えろ。」
「鷹一、了解」、「イーグルに、らじゃ」、「鷹さん、ラジャ」、「了解、鷹四」
それぞれの中隊長から連絡が帰ってくる。
彼が指示するのは、中隊長までであり、そこから先は、中隊長の役目であり、彼はそれぞれの小隊の動きは追ってない。
双方向の無線機が出来てからは、便利は便利なのだが、全体指揮が非常に難しいものになったのも現実だった。
まあ、信頼するしかないんだがな。
編隊48機全てが無事ついてきている事を祈りながら、彼は前方に注意を集中する。
「イーグルリーダー、こちらチャールズ2、敵機だ、12、3000、11、80、10分」
「ラジャ、イーグルリーダー、オーバー」
数字の羅列を頭の中で素早く勘案する。
12機の敵機が、高度3000フィートで、11時の方向から接近中、距離は80キロ、会敵まで10分との情報である。
「二番、三番、上昇、4000、四番、下降2500、1時」
彼の後方にいた機が、あっという間に前に出る。
そのまま、二番、三番隊計24機が上昇して行く。
一番隊は、そのまま前に出て直進、そして四番隊は、微妙に進路を変えて横に展開しながら下降して行く。
「リーダー、変わらず、五分」
「タリホー、2、3」
二番隊三番機が視認したようだ。
「リーダー、グッドラック」
視認情報が入った以上、司令機の役割は終了である。
後は、現場の仕事になる。
キラッと光ったと思うと、上空11時方向から、敵機が逆落としを掛けてくる。
こちらが、進路を変えないので、ほくそ笑んでいるだろう。
機数はこちらが倍だと見えているだろうから、先に一番隊を狙い、そのまま二番に向かうのが常套手段である。
しかし、ダメだよ。
半分も進まない内に、更に上空から、二番隊が逆落としを掛けた。
敵機の半数が一撃で火を噴いた。
中には当たり所が悪いのだろう、爆発する機体まである。
散会しようと広がった残りの敵機に、三番隊が突入する。
戦闘はそれで終わりだった。
旋風は格闘性能も素晴らしいのだが、それを披露する暇も無い。
「イーグルリーダー、チャールズ2だ、おめでとう。多分君達が最初の撃墜記録となる。」
「ありがとう、チャールズ2、しかし、イーグル隊だけじゃない。イーグルとチャールズ2が最初の撃墜記録だ。帰ったら祝杯を挙げに来てくれ。」
暫く通信が途絶える。
「ありがとう。伺わせて貰う。リチャード少尉です、宜しく」
「ああ、待っている。飯田大尉だ、宜しく」
「オールクリア、グッドラック、大尉、オーバー」
チャールズ2の管制域に入ってから始めて、飯田は相手の名前を知ったのだった。

ふと、無線機のランプが光っている。
誰かが編隊内通信を入れたがっているのだ。
「何だ?」
「大尉、おごりですか?」
「当たり前だろ、英国さんも来るんだからな。」
一斉に歓声が上がるのを、飯田は聞いたような気がした。

245shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/10(土) 09:47:38
海軍には様々なポストがあるが、一番気分の良いのは、戦艦、それも艦長職だろうなあ。
大英帝国本国艦隊、司令長官フォーブス大将は、改めてそう思うのだった。
今のようにCommanding Information Centerに詰めていると、特にそう思ってしまう。
まあこれが好きなやつもいるだろうが、やはり艦橋で全体を眺めながら、艦の指揮を取る方が遥かに楽しそうだった。
正面に大きなアクリル板が立てられ、そこには様々な数字や、艦の形をした樹脂製のボード等が張られている。
確かに、艦隊全体の動きは、明瞭に理解出来る。
中央左にあるのが、本艦、大英帝国本国艦隊旗艦ネルソン。
その上下に少し遅れて進んでいるのが、リヴェンジとラミリーズ。
左手、後方に位置するのが、ヴァリアント。
巡洋戦艦のレナウンとレパルスは、その快速を行かす為、右手前方に展開している。
それよりも遥か前方、上下に大きく離れた所に位置するのは、Imperial Japan Army の二隻の統制戦艦金剛と比叡である。
その周りに二隻の巡洋艦と8隻の駆逐艦が、対潜警戒も兼ねて展開している。
スカパ・フローを出航した時は、二列戦隊だったが、ここに来て艦隊は展開を始めている。
確かに、プロットボード、いわゆる戦況表示板で艦の位置、距離関係を正確につかめるのはありがたいが、やはり面白みに掛けると言うのが、フォーブスの正直な感想だった。
これでは、まるでシミュレーションと変わらないではないか。
司令長官である以上、艦橋に位置取り、硝煙の匂いを嗅ぎながら、戦いたいものだ。
まあ、そう思う以上、自分も古い海軍に属しているのかも知れない。
「失礼します。1艦、網の外にこぼれたようです。」
そんな事を夢想していると、情報将校が、小走りに走りより、紙を渡す。
紙を見るよりも早く、プロットボードの前に広がる北海からバルト海までの海図が広げられた大きなテーブルに目をやると、赤い艦形の模型が、デンマーク海峡を抜けた辺りに置かれている。
赤は、敵艦、この場合は独逸艦である。
艦形は戦艦であるが、色がややピンクであり、それが俗に言う独逸のポケット戦艦である事が判る。
最も、独逸には第一次大戦前の練習艦ぐらいしか戦艦は無いが。
味方の艦隊も地図上に置かれているので、大体の方位、距離は一瞥で把握出来た。
まあ、確かに便利ではある。
「金剛、レナウン左舷より回りこめ、レパルスと比叡が反対側だ。包囲するぞ。」
相手が電探を持っているか、どうかが気になる。
気付かれて、逃走されては厄介だった。
「報告します。独逸のポケット戦艦は、キールにドイッチェランド、ヴィルヘルムスハーベンに、アドミラル・シューア、アドミラル・グラフ・シュペーが待機していたと思われます。」
情報将校がまとめた紙を見ながら、報告する。
「昨晩の封鎖以前に港外に出た可能性は三者ともありますが、コースを見る限り、キールのドイッチェランドと思われます。」
「恐らく、ヴィルヘルムスハーベンの2隻と合流する予定でしょう。」
ドイッチェランドか、独逸には悪いが、新式の射撃管制システムの実験台にさせて貰おう。
「敵は電探を用いているのか?」
「まだ、電波は出しておりません。」
ふむ、レーダーはまだ装備していないのかな。
「念のため、各艦に連絡、電波を捉えたら速やかに、妨害電波、ああ、単一波長で良い、の発信をする事。会敵予想時刻は?」
「先行している巡戦隊が、およそ2時間半、我々本隊が3時間となっております。」
「ふむ・・・、本隊は増速、巡戦隊は減速し、タイミングを合わせろ。会敵予定時間は・・・」
うん、丁度良い、上手く行けば、上陸開始時間と重なる。
「07:00」

246shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/10(土) 09:50:56
一体誰が、こんなややこしい所を上陸地点に定めたのだ。
スミスは、強襲上陸艦シマネマルの作戦艦橋で地図を眺めながら、悪態をつきたくなる。
独逸侵攻作戦「ストライクイーグル」、その中でも初日の敵前上陸の為に、用意されたのは新たに形成された英日統合軍、欧州派遣部隊、第一及び第二兵団だった。
その中でも第一波の強襲上陸部隊は、英国及び大日本帝国拠出部隊の中でも精鋭を集めた、第一兵団であり、イクウェル・スミス少将率いる部隊もその中に含まれている。
但し、スミスが率いる第一兵団、第三旅団は主正面のブルンシュグッテル(Brunsguttel)周辺ではなく、側面であるノルドホルツ(Nordholz)への上陸部隊だった。

作戦は、前夜の主要拠点に対する爆撃、独逸の二大軍港であるキールとヴィルヘルムスハーベンの機雷封鎖。
作戦当日、午前六時より、黎明の中で航空攻撃が開始される。
第一波の航空攻撃は、主に地上部隊の移動を拘束する事が主任務だが、一部スミスの部隊に関連する攻撃隊もある。
そして、六時半にズデーテン地方に侵入した独逸軍に対して、チェコ領内で待機していた機動部隊が攻撃を開始し、地上戦が開始される。
同時に、仏蘭西マジノ戦線から砲撃が開始され、それは一時間続けられる事となっていた。
ポーランドからの攻撃は特にないが、少なくとも独逸国防軍参謀本部は、疑心暗鬼に陥るであろう。
東のポーランド国境付近以外では、その手法は違えども、三方向からの同時攻撃である。
どの方面が主攻なのか、少なくとも一日は混乱して貰えば良い訳である。
現実には、チェコスロバキアからの攻撃で主攻を勤めるのは、戦車大隊一個、97式中戦車36台にしかすぎず、これは陽動である。
仏蘭西は、砲撃だけで、実際の侵攻は行わない、と言うか出来るだけの戦力は無い。
そう、主攻は、スミスらの統合軍欧州派遣部隊、第一兵団の仕事だった。

七時を期して、統合軍はハンブルグ目指して上陸を開始する。
主上陸地点は、キール運河の北海側の出口、ブルンシュグッテル周辺。
当初は、海軍の本国艦隊に出っ張って貰い、戦艦による砲撃で、独逸軍の拠点を叩き潰し、強襲上陸と言う案が有力であった。
しかしながら、この海域は遠浅で、戦艦が行動出来るエリアが限定されており、英国海軍から難色が示された。
航空攻撃を主体にするべきか、いや、戦艦の1隻や2隻ぐらい座礁しても、と議論は割れたが、この地方の偵察が進むにつれ、大規模砲撃案は、却下された。
要は独逸軍がいないのである。
第一次大戦時からのものが中心であるが、幾つかのトーチカが設けられているが、そこに満足な兵士は配置されていない事が明らかになった。
元々、上陸作戦に適しているとは決して言い難い地域である。
現在、編成途中である独逸国防軍にとって、この地方からの攻撃が当面予想されていない以上、そこに多数の兵士を配置する余裕は無かった。

247shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/10(土) 09:54:17
そうと判れば、徒に被害の大きい敵前強襲上陸の必要性も無く、統合軍は作戦を見直し、強襲上陸ではなく、浸透上陸へとその戦法を切り替えていた。
方針が浸透上陸と決められてからは、英国側の独断場だった。
彼らは、使える兵器、人員を見定めるや、帝国側将校達が思いも着かない作戦案を立案して行く。
特に、所謂第五列を大規模に投入する後方攪乱、通信遮断や欺瞞情報の配布等の作戦は、帝国側に、英国を敵に回したくは無いと思わせるほどのものだった。

その結果、スミス少将率いる第三旅団は、ノルドホルツ沖合いの海域で、頭を抱える羽目に陥っていた。
エルベ川河口から北海までの海域に関しては、海底の情況も含めて詳細な海図が用意されていた。
これは過去三年間に渡って、日本郵船等の日英海運会社の船舶で、ハンブルグや、更にエルベ川を遡ってチェコスロバキアまで行く船の多くには密かな改装が行われていたせいである。
最新鋭の音波探知機を艦低に取り付ける改装を実施し、通過したエリアの海底の地形を記録して行く。
中には、わざと通過可能な水域を外れる船まで用意し、海域の調査を行ったのである。
結果、第三旅団を乗せた上陸船団は、本隊から離れ、別の進路から侵入しているのであるが、その侵入路が複雑だった。
十隻以上の大型船が、辺りに散らばっているとしか言いようの無い情況が、スミス少将の乗船する旗艦の後ろに広がっている。
それも、座礁を避けるため、速度は極端に落ちいているから、操船の事がまるで判らないスミス少将がイライラするのも仕方なかった。
こんな所で攻撃を受けたらと思うと、スミスならずとも、暗澹たる予感に苛まれるのは致し方無い。
辺りがまだ暗い為、陸上からはレーダーでも使わない限り視認される危険性は無いと自分に言い聞かせながら、スミス少将は何度も時計を見てしまう。
下手に操船している艦隊運営の連中に声を掛けるのも憚れる。
第一、彼らは彼らなりに必死に仕事をこなしている。
それに、シマネマルと言う名前でも判るが、強襲上陸艦は、帝国側しか用意出来てなく、その運営に関わっているものの多くが日本人だった。
スミス少将には彼らを馬鹿にする気は無い。
あまり高等なジョークが通用しないのは玉に瑕だが、少なくとも彼らは真面目に自分の仕事をこなそうと言う連中である。
傍から見れば、丸分かりであるが、それでもスミス少将は、苛立ちを必死に押し隠し、自分の出番を待つだけの分別はあった。
「予定海域に到達致しました。」
流石に、安堵の色が隠せないのか、報告する艦長の声は弾んでいた。
「ご苦労、直ちに各艦にて上陸準備。予定時刻まで余り余裕が無いが、慌てずに展開を図れ。」
時計をちらりと見ると、まだ5時10分である。
彼らは十分に仕事を成し遂げた。
ここから自分の出番だった。

248shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/10(土) 09:57:54
各艦での動きが慌しくなる。
兵員が疲れてしまわないように、搭載艇への乗船はギリギリまで控えていた分、用意された時間内に、乗り移るのは容易ではない。
それでも、待つ事一時間弱、予定通り殆どの船から多数の大発が、発進準備を整え終える。
「よし、全部隊に通達、6:00を持って、予定通り突入せよ。」
微かに足元から振動が伝わって来る。
シマネマルも機関の回転音が高まる。
他の輸送艦から飛び出した多数の大発も、一斉に前進を開始した。
その中にあっては、シマネマルの大きさのみがやけに強調されてしまう。
強襲上陸艦シマネマル、基準排水量15600トンのこの船は、他の輸送艦と並ぶと幾分小さめで目立たない。
しかしながら、周りが大発ばかりでは、流石に良く目立つ。
平型甲板を有し、偵察機程度ならば離発着が可能なこの船は、敵前上陸も視野に入れて作られた新たな艦種である。
モデルシップのシンシュウマルは、まだ輸送船然とした艦橋を持っていたが、二番艦以降は、シマネマルのように平甲板に改められ、汎用性を拡大している。
精々、六ノット程度までしか出ない大発と違い、シマネマルは徐々にその速度を上げ、大発を引き離して行く。
時計を見ると、もう直ぐ攻撃開始時間である。
「接岸しまーす。」
「後進全速!」
突然、船はスピードを落とし、海岸が迫って来る。
ガクンと言う衝撃が伝わり、全員が何かに捕まりその衝撃に耐えた。
「よーし、機関反転、全速!」
再び、前に進もうとするが、明らかに、艦主は海岸に接地している。
それでも、機関全速は伊達ではない。
ゆっくりと、艦は抵抗を排除するように、前進する。
やがて、その動きも止まり、機関室から、警告の連絡が入った。
「機関停止、バラスト注入。トリムを併せろ。」
複雑な操作が続いているが、スミス少将は、そんな事には構わず、双眼鏡を構え、艦橋から必死に周りを眺めていた。
周辺警戒の兵員は配置してあるが、やはり気になるのは仕方ない。
前方に、延々と連なる堤防が見えているが、その向こう側での動きは見られない。
「どうやら、本当に独逸軍はいないようですね。」
作戦将校として付けられた、ロバーツ大佐が、安堵したように呟く。
「心配しなくても、我々が上陸すれば、いやでも集まってくるよ。」
スミス少将は、自分も安堵しているのを知られないように、顔を双眼鏡に充てたまま、返事をしていた。

249shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/10(土) 10:00:38
「よーし、艦長、準備は整ったようだな。」
「ハイ、直ちに、前部上陸用扉を開きます。」
そう、シマネマルは、平底の船で、そのまま海岸に上陸出来るように、艦首に扉までついているのだった。
陸側から見れば、巨大な船の艦首部分が前方へと倒れて行くのが見えるだろう。
その中から、エンジン音を響かせ、車輌が飛び出してくる。
最初に現れたのは、97式重突撃砲だった。
97式中戦車の車体を流用し、旧海軍の40口径8サンチ砲を搭載した、化け物である。
口径76.2ミリの主砲は、陸上兵器ならば打ち抜けないものが無いと言われている。
エンジン音を高らかに、響かせ、あたりを睥睨するように、と行けば聞こえが良いのだが、実際は、非常にゆっくりと前方に倒れた艦首部分を確かめるような動きだった。
何せ、重突撃砲はひたすら重い。
97式の足回りを強化し、エンジンをチューンアップして、辛うじて走れると言うとんでもない代物である。
重さも、40トン近くに達するため、大発に載らない事は無いが、運用上の制限がかなりある使いづらい代物だった。
数名の整備員達が、艦首の周りを気にするように、足回りを覗き込んでいる。
敵がいないと判った以上、慌てて艦を傷つけても仕方ない。
勿論、その横をかいくぐる様に、何名もの兵士が、飛び出して行き、前方の堤防へと海岸を駆け抜けて行った。

250shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/10(土) 10:03:56
艦橋に、安堵の空気が流れている間も、偵察に飛び出した兵士達は、必死の形相で、海岸線を駆け抜けて行く。
目指すは、前方にある堤防である。
いくら、敵がいないらしいと判っていても、全くいないかどうかは判らない。
そして、一発の銃弾でも、当たればその効果は一緒である。
先頭を駆け抜けるロビンソン軍曹に負けずと、他の数名も必死に堤防まで辿り着く。
上陸時と言うか、軍隊である以上、戦闘用に携帯する武器弾薬類は、10キロ近くはある。
それを抱えたままの全力疾走なので、堤防に辿り着いた時点で、全員が呼吸を整える。
「よし、だれか手を貸せ。」
軍曹が命令すると、たちまち足場が組まれていく。
部下達を踏み台にして、軍曹は二メートル程の堤防の上にそっと顔を出す。
幸い、待ち伏せも無く、堤防の内側はかなり低くなっており、そこを道路が走っている。
その向こうは草地が広がり、その先は小麦畑が広がるのどかな田園風景が連なっているだけだった。
軍曹は、道路の右手100メートルの程の所に車が止まっているのに気がつき、警戒を強める。
直ぐに、車から人が降りてきて、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
手にした自動小銃を向けながら、軍曹は後方に合図を送る。
他の兵士達も堤防をよじ登り始める。
小銃を向けられても、その男性の歩みは止まらない。
それどころか、両手を大きく広げ、害意が無い事を示しながら更に近づいてくる。
どうやら、東洋人らしい。
「ストップ!」
声が届く範囲まで近づいて来た男を停止させる。
背広姿の民間人のようにも見えるが、如何にも怪しげである。
男はニコニコしながら、話しかけてきた。

「グッドモーニング、ジェントルメン。第三旅団だな。」
「ハイ、そうであります。そちらは?」
彼も伊達に軍曹になった訳ではない。
このような状況で、そのような質問をして来る以上、友軍、それも諜報関係の連中である事はまず間違いない。
東洋系なので、日本人かもしれないが、黄色人種の区別はつかない。
それでも、階級はきっと自分より上であろう事は、想像がつく。
まあ、階級が下でも、丁寧に接しても損は無い。
「帝国総軍、佐藤大佐です。現在、5キロ四方には独逸軍はいません。哨戒は、あー、片付けたので、最低2時間は、安全です。司令部へお伝え下さい。」
佐藤も丁寧に答える。
何せ相手が銃を構えて、上陸作戦の真っ最中である以上、下手な刺激はろくな事にはならない。
「ハイ、了解しました。第三旅団、ピーター・ロビンソン軍曹です。暫くお待ち下さい。」
軽く略礼を交わし、ロビンソンは後ろを振り返る。
「通信士!」
堤防の下から返事が聞こえる。
「本部へ連絡。5キロ四方に敵軍はいない。2時間後に敵の哨戒部隊が接近する模様。先行偵察のJapan Imperial Army Captain Sato より通報あり。」
返答を待つ間に、佐藤大佐が、車を手招きする。
部下達が、思わず小銃を向けようとするのを、ロビンソンは、手で制した。
「本部より連絡、了解した。直ちに佐藤大佐には本部までお越し頂きたいとの事です。」
通信士の声が、堤防の下から聞こえてくる。
「宜しいですか。」
「ハイ、了解しました。」
既に、車から二人の東洋人が降りてきて、何やら後部座席から取り出し始めている。
なんとまあ、あんなものどうやって積んだんだ。
手回しの良い事に、折りたたみ式のはしごが後部座席から出てきたのだった。
二人が、はしごを立てかけ、佐藤大佐が当然のように、それを登って堤防に上がってくる。
「では、参りましょうか。」
「ハイ、そこ、ヘイズ、本部まで案内しろ。」
「イエッサー」
ふと、爆音が響き、全員が一斉にそちらを見た。
少なくともそれは海の方から聞こえてきた以上、敵の可能性は少ない。
それでも、全員が直ぐに飛び降りれるように、身構える中、流麗なフォルムの戦闘機が数十機、上空を駆けて行った。

251shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/10(土) 10:07:11
「よーし、目的地だ、一番全機、四番第一、第二、きっちり決めて来い。」
眼下には、滑走路が広がっている。
どうやら、迎撃に上がれたのはあれだけだったようで、無事目的地、ノルドホルツ(Nordholz)の独逸空軍航空基地まで辿り着けた。
遅まきながら、対空砲火が上がってくるが、弾幕は薄い。
早速に、一番隊が上空より打ち上げてくる対空砲火に向かって突っ込んでゆく。
どう見ても、こちらの速度を読み間違えているので、一発も当たらない。
たちまち、銃座が潰され、対空砲火は下火になる。
それを確認したように、四番隊が今度は滑走路横の建物目指して突っ込んでゆく。
狙うのは、格納庫である。
それらしい建物が次々と爆発して行く。
「一番、四番第一、第二、そのまま帰還せよ。二番は上空警戒、三番は下だ。」
一番隊、四番隊の半数が翼を揺らし、次々に離れてゆく。
部隊は半分強に減ってしまったが、敵機が現れるようなら、司令機から連絡が入るから何とかなるだろう。
「そろそろかな?」
笹井は時計を見る。
あれから二十分、基地内で、動くものがあれば、三番隊のどれかの機がそれに向かって、短く機銃照射を掛けるので、今は、下は静かなものだった。
大きな動きがあれば、四番隊の残りの二小隊が爆撃する手はずだが、どうやらそれも無駄になりそうだった。
下の独逸軍も、冷や冷やもんだろうな。
どうして戦闘機が去らないのか、不思議に思っているだろう。


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