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避難用作品投下スレ3

1管理人★:2007/10/27(土) 02:43:37 ID:???0
葉鍵ロワイアル3の作品投下スレッドです。

54心に翼がある、飛べるわけじゃないけど:2007/11/23(金) 15:33:02 ID:H68NN9n.0

【時間:2日目午前11時すぎ】
【場所:静止軌道上、高度36000km】

アヴ・ウルトリィ=ミスズ
【状態:満身創痍】
神尾観鈴
【状態:異常なし】
神尾晴子
【状態:軽傷】

アヴ・カミュ=カンナ
【状態:カミュ回復】
神奈
【状態:アヴ・カミュと契約】
柚原春夏
【状態:意識不明】
ムツミ
【状態:遮断】

→913 ルートD-5

55蜜に誘われる蜂たち:2007/12/03(月) 20:34:08 ID:GuzJDSOE0
「――さて、一応これで準備は完了だな」
 ぱたぱたと手についた埃を払いつつ、坂上智代は満足げに罠が張り巡らされた鎌石村役場2階の風景を見ながら笑った。

 朝早くから設置に取り組んだお陰で仕掛けた罠の数は10個を下らない。
 つっかえ棒を外すとロッカーが倒れる、床の紐に引っかかると紙の束が大量に落下してくる、紐を切ると画鋲が雨あられと飛ぶ……等々単純だがそれなりに効果のありそうなものばかりだ。
 これも発案者の里村茜のアイデア様々であるのだが……その種類の豊富さからどんな日常を過ごしてきたのだろう、とも思わずにもいられなかった。

「お疲れ様です」
 そんなことを考えていると、当の本人である茜が机の下からのそのそと這い出てくる。埃っぽい所を移動してきたためか同性の智代でさえ認めるくらいの可愛らしい顔は少々汚れているようだった。

「そっちも終わったか?」
「ええ。それにしても随分時間がかかってしまいました」

 作業着についた埃を同じく払いつつ室内の隅に申し訳程度に置かれている、いかにも安っぽい時計を見ながらため息をつく。既に時刻は一時を回っていた。あるいはこの時計自身がどこかずれていて、ひょっとしたらそれ以上の時間が経っているかもしれない。
「そう言うな。それだけの備えはしたんだ……というか、もうそろそろ指定された時間じゃないのか?」
 あのパソコンの『岡崎朋也』曰く14時が集合時間だ。もうそろそろ誰かしらが来ていてもおかしくはない。

「ですね。休憩がてら見に行きましょうか。喉も渇きましたし」
 言われてみれば確かに智代も喉は渇いている。それだけ作業に没頭していたということでもあるのだが。
「そうだな。ひょっとしたらお茶っ葉の一つや二つあるかもしれない」
「智代は日本茶派ですか」
「いや、別に紅茶も好きだが……味気のない水よりはそっちの方がいいと思っただけだ」
「そうですか……私はどちらかと言えば紅茶の方が好きです。どうも、あの渋みは」
「ああ、その気持ちは分からなくもない――」

 軽く雑談をしながら扉を開け、階段を下って行こうとしたとき、智代の鼻が以前とは違うものを察知した。
 ぴたりと歩みを止めた智代に茜が不思議そうな表情をする。

56蜜に誘われる蜂たち:2007/12/03(月) 20:34:37 ID:GuzJDSOE0
「どうしました?」
「なんか……甘い匂いがしないか」
 言われた茜がくんくんと匂いを嗅いでみる。確かに、食欲をそそるような香ばしい匂いが鼻腔を刺激する。
「言われてみれば……」
 しかもこれは、紛うことなき紅茶(噂をすればなんとやらですね)の匂いだ。よくもまあ察知できたものだ、と茜は感心する。
 ほぼ間違いなく自分たち以外の人間がここに来ている。ここに全自動紅茶製造機でもあれば話は別になるが……そんなものを見た覚えもない。

「……さて、どうする?」
 出てきた扉に背をもたれさせながら智代がこのまま下りていくかどうか逡巡する。
「こんなところで紅茶を淹れているような人間なら、どんな人柄か容易に想像は出来るんじゃないですか」
 茜が下りていくように提案するが、「そうは言うがな」と智代は反論する。
「私達同様の罠かもしれないぞ。匂いでおびき寄せて後は一網打尽……というわけだ」
 まさか。動物か何かじゃあるまいし……と言いかけて、今まさに自分たちが飲み物を求めていることを思い出した茜はそう言い出せなかった。

「ではどうするのですか」
「まあ妥当なところで警戒しながら紅茶を淹れている部屋まで向かう、でいいんじゃないか。特に、物陰に警戒しながらな」
 茜は頷く。ここが室内である以上死角からの襲撃があってもなんらおかしくは無い。乗っている人間にとっては指定された時間などどうでもいいのだから。
「万が一襲われたらすぐに2階に撤退、おびき寄せる……それでいいな?」
「ええ。でなければ時間をかけて設置した意味がないですから」
「……よし、私が先頭になろう。行くぞ」

 投擲用のペンチを握り締めて智代が階段への一歩目を踏み出す。どのくらい昔に建てられたものだろうか、年月が経って古くなったリノリウムの床が50キロにも満たない彼女らの体重に対しても悲鳴を上げる。その僅かな音でさえ、敵に気取られてしまうんじゃないだろうかと彼女らに危惧させるのには十分であった。
 普段なら数秒ほどで下りきってしまう階段を、たっぷりと時間をかけて1階に下り立つ。紅茶の匂いは、ますますその香りを強めていた。そんな癒しの匂いにさえ、二人の頬が緩むことはない。
 薄暗い物陰に最大限の気を配りながら一歩、また一歩と匂いの発信源へと近づいていく。その度に心臓の鼓動が少しずつ早くなっていくのが分かり、まるで発信機だ、と先を進む智代は思った。

57蜜に誘われる蜂たち:2007/12/03(月) 20:35:06 ID:GuzJDSOE0
 階段から応接間へと続く狭い廊下を抜け切った先に、客人用と思われる革製のソファに二人ほどの人が腰掛けているのを遠目ながら智代は発見した。
 間髪いれず、智代は身を縮めるように茜に指示する。
「二人ほど人影を確認した。誰かは分からないが……」
「私にも見えました。銃らしきものもあります」
 智代も頷く。しかも長さから判断するにアサルトライフルの類なのではないだろうか。詳しいことは知らないが、それが拳銃などより余程威力があり、より殺人に適しているということを知ってはいる。迂闊に近づくのは危険だった。

「さて、どう出ます?」
「どうにもこうにも……話し合いができればいいんだが……誰かが分からないことには」
 その一方で、もしゲームに『乗った』人物ならば銃を構えることも獲物を探すこともなくああして座っているのはいささかおかしい、とも考えていた。
 もう少し周囲に気を配ってもいいものだと思うが。
「まだ距離はあります。危険は承知ですが声をかけてみましょうか」

 相手からもこちらの様子はそうそう窺えそうにありませんし、と付け加えて茜は言った。少し逡巡する智代だったが、いつまでも隠れているわけにもいかない。
 分かった、と返事をして智代は大きく深呼吸をした。
「そこに腰掛けている二人! ちょっといいか!?」

     *     *     *

 自分たちの背後からかけられた大声に、相楽美佐枝は驚愕し、また同時に「しまった」と思わずにはいられなかった。
 いつの間にか背後を取られていた。
 それは文字通り敵に隙だらけの背中を見せることであり、殺してくださいと言っているようなものだったからだ。

「誰っ!?」
 素早く立ち上がり、肩にかけていた89式小銃を声のした方角へと向ける。しかし声だけでは正確に相手の位置を押さえることができない。銃口は、大きく左右にブレていた。
「愛佳ちゃん! 後ろに!」
「え、あ、ははは、はひっ!」
 美佐枝同様予想もしていなかった方向から声をかけられ混乱していた小牧愛佳だったがわたわたとしながらも後ろへ、相手との距離を取るように下がる。

58蜜に誘われる蜂たち:2007/12/03(月) 20:35:30 ID:GuzJDSOE0
「待て! まずは私達の話を聞いて欲しい!」
 一瞬、どこかで聞いたような声だ、と美佐枝は思ったがすぐに今の状況が油断するべきものではないと思い直し威圧するかのような声で返答する。

「その前に姿を見せてもらうわよ。こっちも正体不明の相手と会話できるほど余裕はないからね」
「ならそちらも銃を下ろす……とまではいかなくても上に向けて欲しい。銃を向けられたまま話し合いはできない」
 言われた美佐枝は確かにそうだ、とは思ったが完全に信用するわけにもいかない。迷った挙句自分が妥協できる範囲まで、銃を上方に向けた。
 ちらりと愛佳の方を向くと、彼女はどうしたらいいのか、と美佐枝の指示を仰ぐように目を泳がせている。
「……とりあえず、上に向けて。けどすぐに向けられるようにしておいて」
「は、はい」
 恐る恐る、という調子でドラグノフを上方に向ける。それを確認してから「今度はそちらの番よ」と声をかけた。こちらと違って相手は自分たちの位置を把握していたのか声をかけるとすぐに立ち上がってこちらに歩いてきた。……が、相手方のその珍妙な格好に、美佐枝も愛佳も目を疑った。

「なんだ、聞いたことのある声だと思ったら美佐枝さんだったのか。良かった、こんなところで会えると」
「「……ぷっ」」

 いや、笑いを堪え切れなかった。歩いてきたのは作業着にヘルメットをかぶり、ペンチを持った坂上智代(色々相談を持ちかけられていた)と、もう一方は知らないが同じく作業着にヘルメット、そして釘打ち機を持った少女。
 どう見ても作業員のオッサンです、本当にありがとうございました。

「あははははっ! あなた、坂上さん!? どーしたのその格好、あっははは!」
 あまりにも場違い、というか普段とギャップのありすぎる格好に美佐枝は吹き出さずにはいられなかった。元が中々可愛いだけにその威力は大きい。
 美佐枝の背後では、同じく愛佳が隠れるようにしながらもくすくす笑っている。そんな美佐枝と愛佳を見た二人は。
「「帰る」」
 すたすたと廊下の奥へと歩いていこうとする二人を、未だ笑いながらも美佐枝が引き止める。
「ああごめんごめん。悪かったからいじけないでって。話があるんでしょ?」
 全然悪びれてない声だったがこんなことをしていても仕方ないと思ったのか、渋々という調子で二人が引き返してきた。その表情が複雑なのは気のせいではないだろう。

「なんか、もう……色々な意味で不貞寝したい気分だが……まずはお互い無事で良かった」
「……そうね。無事で良かった」
 知り合いがどういう形であれ無事なのを見ると心の底からホッとする。それは美佐枝の本心である。

59蜜に誘われる蜂たち:2007/12/03(月) 20:36:00 ID:GuzJDSOE0
「私達は知り合いだけど……互いの連れは紹介する必要があるわね。私は相楽美佐枝。坂上さんの通ってる学校の寮……っても男子寮だけどね。の寮母さんやってるの。よろしく」
 美佐枝が先陣を切るのに合わせて愛佳が出てきてぺこりと頭を下げる。
「小牧愛佳です。学校では委員長……じゃなくて副委員長をしてます。美佐枝さんには……色々と助けてもらってます」

「次は私だな。坂上智代だ。今はこんな格好をしているが学校ではごく普通の女の子で生徒会長だ。よろしくな」
 ごく普通の女の子、というところを大きく強調していたような気がしたが美佐枝も愛佳も何も言うことはなかった。流石にもう空気の読めないことはできないのであった。
「里村茜です。智代と同じく今はこんな格好ですが学校ではごく大人しい女の子です」
 二人とも今の格好は本意ではないのだろう。まあその辺の事情は問わないほうがいいのかも、と美佐枝は思うのであった。

「で、だ。本題に移りたいんだが……二人はあの書き込みを見てここまで来たのか」
 ええ、と美佐枝は頷く。とりあえずは岡崎のバカを叱ってやらねばならない。この話を知っているということは智代たちもあの書き込みをみたということだろう。
「相楽さんから見て、あれはどう思いましたか。あと、できれば愛佳も意見を聞かせて欲しいところです」
 茜の質問にそうね、と顎を持ち上げるようにしながら美佐枝は答える。

「アホ、としか言いようがないわね」
「あたしは、そこまでは思いませんでしたけど……あれじゃ、何を考えてるか分かんないような人まで呼んでしまうんじゃないかなあ、とは」
「ほぼ意見は同じか……」
 向こう側も同じような結論を出していたらしい。
「けど、岡崎ってあんな言葉遣いをするような人間じゃないんだけどね。使うにしてもあそこまで丁寧じゃなかった」
「美佐枝さんもそう思うか? 私もおかしいとは思っているんだが……本人でない確証が取れない以上、絶対嘘とも言い切れない。だから来てみたんだが」
「その岡崎朋也が、まだ来ていませんね」

60蜜に誘われる蜂たち:2007/12/03(月) 20:36:25 ID:GuzJDSOE0
 茜は視線を外の方に向ける。現在時刻からして発案者はもうそろそろ来てもいい時間のはずなのだが……一向に岡崎朋也らしい人物は姿を見せない。
「トラブってるか、あるいは……」
「あたしたちをおびき寄せるための……嘘、でしょうか」
 その可能性が、現状では一番高い。知り合いをおびき寄せて罠に嵌めるというのはあってもおかしくない。
「だから私達はそこを考えて乗った奴らが来てもいいように備えをしておいた。アイデアを出したのは茜だけどな」
「備え?」
 美佐枝が首をかしげる。1階はくまなく回ってみたがそんなものは見当たらなかった。
「2階に罠を仕掛けてあります。いざとなったらそっちに逃げて罠に引っ掛けます」
「いつの間に、そんなことを……?」
「まあ、朝の8時くらいからやってたからな。気付かなかったか? いや、気付いてたらこっち側に来てたか」
 そう言えば、2階に通じる階段があったような気がする。歩いているときに少し物音が聞こえてきたような気はしていたが……
「よくやるわねぇ……」
「備えあれば憂いなし、です」

 無表情のまま胸を張る茜に美佐枝は苦笑する。しかしこの島においてはそれくらい慎重であったほうがいいのかもしれない。まだ自分は認識が甘いのだろうか、と美佐枝は思わずにはいられない。なんだかんだいって本格的な銃撃戦を経験したわけじゃない。命のやりとりをしたわけじゃないのだ。
 以前もそうだった。気の緩みを来栖川芹香に窘められたし、柏木千鶴に何もする間もなく気絶させられた。
 自分よりも年下が頑張っているのに、しっかりしなきゃいけない、と美佐枝は思い直す。

 そうよ、あたしが責任を持って愛佳ちゃんを――

 美佐枝が心中で決意を新たにしようとした時、視界の隅、透明なガラスの向こうに何やら黒い塊を持った人間が立っていた。
 遠めなのでその表情までは分からないが、細身であるにも関わらずその人物には素人ですら理解できるほどの禍々しいモノを放っている。
 黒い塊が何であるかという結論を出す前に、美佐枝は「伏せて!」と叫んでいた。
 ぱらららら、という古いタイプライターを素早く叩くような音がガラスを破砕すると共に響いた。

     *     *     *

 十波由真と伊吹風子に止めを刺し損ねた七瀬彰は、二人に止めを刺すべく後を追ってもはやそれが建物として用を為していない、ホテル跡に足を踏み入れていた。
「これは……広いな」
 概観からある程度想像はしていたがいざ中に入ると相当な広さを持っていることが分かる。
 加えて、幾重にもフロアは存在する。隠れる場所など星の数ほどあるだろう。

61蜜に誘われる蜂たち:2007/12/03(月) 20:36:53 ID:GuzJDSOE0
 うんざりとしたように肩を竦めながら、彰はイングラムのマガジンを取り出し、新たに弾薬をセットする。
 だが悪いことばかりではなかった。先に殺害した岡崎朋也とみちるの所持品はかなり使えるもので、クラッカーはこけおどしや注意を引くために使えるし、そしてもう一方の戦利品である、M79グレネードランチャーは途轍もない『当たり』だ。
 どうやらデイパックの中身は一回も使用されていなかったらしく新品同様のM79の入ったケースが出てきた時には流石に目を疑った。イングラムの持ち主といい、どうして強力な武装を使おうとしないのだろうか、と彰は怒りを通り越して呆れるような気分にさえなったが、持ち主があの子供(みちる)だったのだとしたら使い方が分からなかった、あるいはそれが何かすら分からなかったのだとしたら一応納得はいく。

 とにかく、続けてこんな武装を手に入れられたのはかなりの幸運だ。M79は女子供にも扱えるように、という全く不必要な親切設計で、射程がやや短く、弾薬の威力も低く抑えてあるというカスタマイズが施されてはいたが、それでもそこらの銃よりは余程強力に違いなかった。
 弾薬は二種類あり爆発と共に破片を撒き散らす炸裂弾、そして爆発した周囲を燃やし尽くす火炎弾が用意されている。
 問題はそれぞれの弾数が10発ずつしかないことでありしかもM79は単発であることから連射が利かない。状況的に一対一でしか使えないだろう。せめて共同戦線をとってくれる人間がいればまだそれは改善できるのだが。
「仲間か……冬弥でもいればね」

 彰の親友。少々鈍感ではあるが頼りに出来る人間。今、彼はどうしているのだろう。
 既に恋人である森川由綺や友人である河島はるかを殺されている。自分と同じく復讐に、あるいは優勝目指して誰かを殺しまわっているかもしれない。ならば共に戦うことだって不可能ではないはずなのだが……会えないことには机上の理論でしかない。
 しばらくは、一人でやり続けるしかないだろう。

 視線を上へと戻し、彰は今倒すべき人間の姿を探し求めて歩く。薄暗く森の中に位置している故か殆ど日光の差していないホテルの中にはある種の不気味さが漂っており森から流れ込んでくる湿った空気が自然と彰の肌を震えさせる。
 幽霊でも出てくるんじゃないだろうか、と彰は自分が思ってもない事を考えているのに気付いて苦笑する。
「……ん」
 ふとロビーの奥、受付のさらに向こうに無数のパソコンが鎮座しているのが彰の目に留まる。
 恐らく以前、まだこのホテルが機能していたときに客室の管理に使っていたものだろう。朽ちてしまった今となっては使えるかどうか怪しいものだが……ダメ元でいじってみることにした。幸いにして、文学少年の彰にもそれの使い方くらいは分かる。

62蜜に誘われる蜂たち:2007/12/03(月) 20:37:23 ID:GuzJDSOE0
 受付を乗り越えてパソコンが設置されている部屋へと侵入し、早速手近にあったパソコンの一台にある電源へと手を伸ばす。
 カチッ、という音と共にパソコンの筐体が低く唸りを上げ始めた。
「驚いたな、まさか本当に使えるなんて」
 半ば期待していなかっただけにこれは嬉しい。電気はどこから供給されているのだろうという疑問も浮かばないではなかったが使えるならば最大限に利用する。どのサバイバル小説でも当たり前のことだ。
 OSが立ち上がると、すぐさま彰はこのホテルを管理するために使うデータの閲覧を始める。ひょっとすると殺し損ねた二人のいる部屋が分かるかもしれない、と思ったからだ。
 しかしそうそう都合よくはいかないのが現実というもので、データの中身は空……つまり、真っ白に消去されていた。というより、電源が入っていなかったのだからそんなことが出来るわけがなかったのである。

 これ以上は探っても無駄だと結論付けた彰は、他に有用なデータはないかとハードディスクの中身を漁り始める。すると、『アプリケーション』と銘打たれたフォルダの一角に何やら怪しい実行ファイルがあった。度々テレビなどで話題になる、あの巨大掲示板にそっくりなアイコンだった。
 実行してみるべきか? と一瞬迷ったがこのパソコンは自分のものではないし、壊れようがウィルスに感染しようが知ったこっちゃない。
 ダブルクリックしてアプリケーションを実行。するとやはり、あの巨大掲示板を模したものと思われるスレッド集が出てくる。
 とりあえず先に読み進めていくと、このアプリケーションは主催者が用意したということがまず始めに分かった。曰く、情報交換やらに利用してくれとの有難いお言葉だったが彰からすれば腹立たしい以外の何者でもない。澤倉美咲を奪った憎むべきゲームの開催者からの施しなど――

「……落ち着け七瀬彰。使えるものは最大限に利用するんだ。そうさ、美咲さんを取り戻すためなんだ、感情に流されるな」

 身体の底から込み上げてくるドス黒い感情を何とか押し留めるようにして彰は続きを読み進めていく。そしてスレッドの一角に、気になる情報を見つけた。
 何でも脱出のために皆で集まろうという趣旨の書き込みだった。
「馬鹿なのか、この人は……?」
 言っていることはもっともらしいがわざわざ場所を示したのではもしこの書き込みを悪意ある(そう、まさに自分のような)者が見たらどう思うだろうか?
 答えは決まっている。集まった人間を皆殺しにしてやろうという考えだ。ゲームに乗った人間からすれば敵が集団になるのは好ましい事態ではない。

 彰は腕組みをして考える。
 ただの馬鹿なのか、馬鹿を装い逆手に取った罠のどちらなのかを。

 当然、この書き込みを見て死体に群がるハイエナのように集まったところを襲ってやろうという人間はいるはず。しかしそれを計算して書き込んだのだとすれば逆に罠を張り巡らせて集まってきた人間全員を殺すことを計画しているかもしれない。そうならば火中の栗を拾うようなものだ。
 だが皆殺しを企んでいるのだとすれば同じくゲームに乗った人間を殺害するのはあまり意味が無い。ペースが鈍くなるばかりか下手を打てばゲームに乗ったもの同士で食い合うことになりかねない。頭のいい人間ならそれくらいすぐに思いつくはずだ。だとすると……

63蜜に誘われる蜂たち:2007/12/03(月) 20:38:08 ID:GuzJDSOE0
 彰は、パソコンの電源を切ってデイパックを抱え直し、指定された役場へと向かうことにした。
 あの二人のことは捨て置いてもいい。反撃もできなったのなら脅威にもなるまい、と結論付けたからだ。
「いいさ、書き込んだ奴の術中に嵌ってやるよ。小細工を仕組むなら……蹴散らすまでさ」
 今の彰にはイングラムとM79がある。この装備なら誰にだって負ける気はしない。人数を減らすことが重要だ。

     *     *     *

 それから山を下り、地図を見ながら辿り着いた役場、その中には既に四人の女が誰かを待っているようだった。
 書き込んだ奴の友人か、ただのお人好しか、それとも――
 いや、と彰は頭を振り思考を打ち消す。考えてもしょうがない。それよりも重要なのは……発見した。だから、
「殺す」
 彰がイングラムを構えたのと同時に、女の一人がこちらに気付く。気付かれたか、とは思ったが構うことはない。皆殺しだ。

 ぱらららら、という聞き慣れた音が響き渡ったのと女達が一斉に床に伏せたのはほぼ同時だった。
「ち……!」
 ガラスが派手に壊れ役場の壁に銃弾の傷を付けただけで、イングラムは一回たりとも命中していないようだった。舌打ちをしながら、彰はイングラムを構えたまま走り出す。こちらから宣戦布告したのだ、このまま逃がすわけにはいかない。

 ガラスの破片を踏み潰す音が、第二ラウンドの開始を告げていた。

     *     *     *

「……今の音は」
 藤井冬弥を殺されて以後、精神の全てを憎悪で塗り替えた七瀬留美は標的、篠塚弥生を探していつの間にか元いた鎌石村まで舞い戻ってきていた。
 その道中で耳にした、ぱらららら、というタイプライターを素早く叩くような音。種類は違えど、それは間違いなく冬弥の命を奪ったマシンガンの類であった。
「また、殺し合いが起こってるの?」
 冬弥の命を奪った殺し合い。冬弥の命を奪ったマシンガン。
「あんな連中が……あんな連中がいるから、藤井さんは……!」
 七瀬が弥生を殺すときに浮かべたのと同じ、悪鬼のように形相を変えて、七瀬はさらに進路を変えて銃声のした方向――即ち鎌石村役場――へと自転車を漕ぎ出した。
 目的はただ一つ。藤井冬弥を殺した『殺し合い』に乗った連中全員の、抹殺である。

 坂上智代。里村茜。相楽美佐枝。小牧愛佳。七瀬彰。七瀬留美。そして現在役場に向かっているイレギュラー、岸田洋一。
 宮沢有紀寧の放った悪意ある書き込みが、一人、また一人と、参加者達をアリジゴクのように巻き込んでゆく――

64蜜に誘われる蜂たち:2007/12/03(月) 20:39:32 ID:GuzJDSOE0
【時間:2日目13:50】
【場所:C-03 鎌石村役場】
相楽美佐枝
【持ち物1:包丁、食料いくつか、他支給品一式】
【所持品2:89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、他支給品一式(2人分)】
【状態:朋也を引き止める。千鶴が説得に応じなかった場合、殺害する。冬弥と出会えたら伝言を伝える。彰と交戦状態に】

小牧愛佳
【持ち物:ドラグノフ(7/10)、火炎放射器、缶詰数種類、他支給品一式】
【状態:朋也を引き止める。千鶴と出会えたら説得する。冬弥と出会えたら伝言を伝える。彰と交戦状態に】

坂上智代
【持ち物:手斧、ペンチ数本、ヘルメット、湯たんぽ、支給品一式】
【状態:作業着姿。罠の設置完了。彰と交戦状態に】

里村茜
【持ち物:フォーク、電動釘打ち機(15/15)、釘の予備(50本)、ヘルメット、湯たんぽ、支給品一式】
【状態:作業着姿。罠の設置完了。彰と交戦状態に】

七瀬留美
【所持品1:折りたたみ式自転車、デザートイーグル(.44マグナム版・残弾6/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1、H&K SMGⅡ(6/30)、予備マガジン(30発入り)×4、スタングレネード×1、何かの充電機、ノートパソコン】
【所持品2:支給品一式(3人分)】
【状態:弥生の殺害を狙う、邪魔する者も排除、激しい憎悪。役場で戦っている人間全員を抹殺】

七瀬彰
【所持品:イングラムM10(22/30)、イングラムの予備マガジン×7、M79グレネードランチャー、炸裂弾×10、火炎弾×10、クラッカー複数】
【状態:右腕負傷(かなり回復。痛みはほぼ無し)。マーダー。智代たちと交戦状態】

【その他:M79の射程は最大40メートル程。役場の2階には複数罠が仕掛けてあります。岸田洋一が現在役場に接近中(D-5のあたり)。】
→B-10

65見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を:2007/12/05(水) 04:20:39 ID:y9FfNGyY0

 ―――東京某所


光量を抑えられた広いフロアの中を、幾人かの男たちが忙しげに歩き回っている。
ある者は白衣を、またある者は仕立ての背広を纏い、そのいずれもが己が理知の徒であることを誇るように
眼差しも鋭く何事かを話し合い、また別れ、自らの席について用意された端末を操作していた。
そんな様子を、一段高いところに据えられた椅子から満足げに眺める男がいた。
男の名を、犬飼俊伐という。
内閣総理大臣―――即ち、国家の実権を統帥する男である。

傍らに影のように少年を侍らせながら、犬飼は目を細める。
すべては順調に推移していた。
プログラムは表向きの理由、固有種の殲滅に向けて動き、その概ねを討ち果たしていた。
報告によれば残りは六、七人といったところだったが、それも時間の問題だという。
これが遂げられれば、しばらくは面倒な左の連中の頭を抑えることができる。
与党は安泰、戦争は継続され、財界のお歴々は潤う。
政治的な面では満点といっていい経過だった。

そしてまた、と傍らの少年の気配を感じながら、犬飼は思う。
このプログラムの真の目的に向けても、事態は着々と進行していた。
歴史の救済―――破滅の輪廻から、世界を救う。
誰かに聞かれれば精神の平衡を疑われても不思議はないようなことを、犬飼は本気で考えている。
本気で考えざるを得ない理由が、犬飼にはあった。
傍らの少年にちらりと視線を走らせる。
表情はいつも通りの微笑。しかしそこから人間らしい感情を読み取ることはできない。
精巧に作られた仮面のような表情には犬飼の知る限りいくつかのバリエーションがあったが、
そのどれもが少年の本当の感情に根差したものではないと、犬飼は見ていた。
そもそも、名も知らぬこの少年が人に類する感情を持ち合わせているかどうかも定かではない。
少年と呼び習わしてはいるが、彼は見た目通りの年齢ではなかった。
もう何十年も昔、犬飼の前に初めて姿を現したときから変わらぬ容姿をしている。
固有種か、あるいはそうとすら呼べぬ何か。
少年とはそういう存在であった。

だが犬飼にとって、少年の存在は絶対である。
今の犬飼を作り上げたのは、何の誇張もなく少年の力に他ならなかった。
軍の技術科学研究所に勤める一介の科学者に過ぎなかった犬飼の前に現れた少年は、
ただ一言、告げたものである。

 ―――世界を、救ってみないかい?

66見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を:2007/12/05(水) 04:21:36 ID:y9FfNGyY0
この世界は、破滅に向かっている。
何度も滅び、その度にやり直し、そしてまた同じ過ちを繰り返している。
それは歪んだ歴史が越えられない、絶対の壁。
だから、世界を救える人間を探しているのだという。

子供の戯言と一笑に付した犬飼がその認識を改めるまでに、そう時間はかからなかった。
少年の口から発せられるすべての言葉は、時を置かず予言となり、的中していった。
政治、経済から地震や天候まで、人の知るべくもない事象の尽くを言い当ててみせられれば、信じざるを得なかった。
その少年が、自分に世界を救えと、その力があるという。
犬飼はその言葉に畏れを抱き、しかし同時に抗い難い魅力を感じていた。
歴史の救済者となる。
子供の時分に読んだ冒険小説の筋立てが、目の前にあった。
それが男子の本懐だと囁く声と、途方もない夢物語だと呟く声が、犬飼の内に鬩ぎあっていた。
犬飼が決心したのは、それから数年の後。
覆製身研究に目処が立ってからのことである。

それからの時間は、瞬く間に過ぎていった。
政治の世界に身を投じた犬飼が成り上がるのは容易かった。
犬飼の傍らには、すべてを見通す少年がいたのである。
急騰する株、失脚する政治家、将来に権力を伸ばす者……それらを事前に知っていれば、あとは
舗装された道を歩くようなものだった。
強固な人脈と豊富な資金が、犬飼の手元に積み上がっていった。
それから数十年。犬飼は今や、国家の頂点にまで上り詰めていた。

歴史は救われる、と犬飼は思う。
少年の目は確かだった。
世界が超えられぬ破滅―――『約束の日』と少年が呼ぶ、その壁の向こうへと世界を導く力が自分にはある。
この力と、少年の言葉。
世界を救うには、それだけがあれば充分だと思えた。
満足げに犬飼が頷いた、そのとき。

突然の足音が、フロアに響いていた。
乱暴に踏み鳴らされる複数の足音は、軍靴のものだった。

67見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を:2007/12/05(水) 04:22:09 ID:y9FfNGyY0
「……何事かね」

夢想を打ち破られた犬飼が、内心の不機嫌さを隠さずに問う。
返答はない。
皆、ただ無言で歩み寄ってくる。無礼に眉を顰める犬飼。
騒然となるフロアの面々を押しのけるようにして、軍靴の足音を響かせる男たちが犬飼の前に立つ。
闖入者たちは軍服と階級章からすると陸軍将校であるようだったが、その顔に見覚えはなかった。

「何事かと聞いている」

やはり返答はない。
犬飼の座る椅子を取り囲むように立った男たちは、無言のまま犬飼を見下ろしている。
ついに怒声を張り上げようとした犬飼を制したのは、正面に立つ将校の眼光と、冷厳な一言であった。

「奸賊、犬飼俊伐―――貴様に天誅を下す」

驚くよりも早く、周囲の軍人たちが拳銃を構えていた。
銃口が、寸分の揺らぎもなく犬飼を狙っていた。
ひ、と悲鳴じみた声がフロアから上がる。
幾つかの銃口はそちらにも向いているようだった。
状況の推移に目を白黒させる犬飼の間近で、混乱する場に拍車をかけるように、高い音が鳴り響いた。
一瞬遅れて、電話が鳴っているのだと気づく。
視線をやっても、電話番をするはずの係官はいない。
銃口に追いやられ、他の人間と共にフロアの中央に集められていた。
正面に立つ将校が、取れ、と顎で指し示した。
その倣岸な態度に渋面を作りながら、犬飼が受話器に手を伸ばす。
耳に当てた。

『―――ご健勝をお慶び申し上げます、閣下』

聞こえてきた男の声に、犬飼は思わず声を失っていた。
それは、この状況下で聞くはずのない声。犬飼が最も信頼する男の声だった。
ようやくにして、その名を搾り出す。

「く……、九品仏……」

声の主を、九品仏大志といった。


***

68見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を:2007/12/05(水) 04:22:46 ID:y9FfNGyY0

何故だ、と問うのに返ってきたのは、奇妙に静かな声だった。
常に不遜にして陽気な九品仏大志をしか知らぬ犬飼の、聞いたことのない声。

『我輩が、士官学校の扉を叩いたきっかけを覚えているかね』

がり、と電話口の向こうで奇妙な音がした。
無線に乗る雑音のように、思った。

『そうだ、プログラムだよ、閣下』

がり。
爪を立てて机を引っかくような、奇妙な音。

『我輩は仲間と共に優勝したのだ、かつて』

がり。
子供が蝋石で道に絵を描くような音。

『ああ、仲間と共に。……たった一人を除いた、仲間と共にだ』

がり。
潮風に耐えかねて赤錆が剥がれ落ちるような。

『……千堂和樹。その名……覚えてなど、おるまいな』

がり。
弓の弦が千切れて飛ぶような。

『あの地獄を生き抜いた誰もが、怠惰と遊興の果てに砂糖漬けの豚と成り果てたとしても、我輩だけは忘れん。
 忘れたりなど、するものか』

がり。
砂利を踏みしめながら歩くような。

『同志和樹の死……。我輩がそれを肯じると、本気で思っていたのかね。
 一日たりとも、思い出さぬ日はなかったよ』

がり。
燃え尽きた炭が崩れるような。

『……ああ、この音が、気になるかね』

がり。
硬い何かを、割り砕くような。

『これが何だか、貴様にはわかるまい』

がり。
硬い、何かを、噛み砕くような。

『骨だ。同志和樹の遺骨だよ、犬飼』

がり、と。
噛み砕く、それは音だった。

『この恨みを』

がり。
噛み砕く。

『この怒りを』

がり。
噛み砕く。

『この憎悪を絶やさぬために、我輩は毎夜、同志和樹の骨を齧り、復讐を胸に刻んだ』

がり。
噛み砕く。

『そうしてこれが、最後の一欠片だ、犬飼』

がり。
噛み砕く。

『この日、この時をどれほど待ち望んだか』

濡れた音がした。
何かを嚥下するような、音。

『我が友の仇―――今こそ討たせてもらう』

そうして。
もはや、音はない。


***

69見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を:2007/12/05(水) 04:23:18 ID:y9FfNGyY0

受話器が、床に落ちた。

喉がひりついていた。
唾を飲み込もうとして、渇いた口の中には唾液の一滴すら存在せず、冷たい銃口から目を逸らそうとして、
到底できるはずもなく、最後に犬飼が辿り着いたのは、結局のところ少年の存在だった。

そうだ、と犬飼は思う。
これまでも、危機はあった。
政界でのし上がるのに、敵の一人も存在しないということはあり得なかった。
目の前に銃を突きつけられる体験はなかったが、そうなる可能性は幾度も乗り越えてきた。
すべては少年の導きだった。
これまでずっとそうしてきたように、今度もまた少年は自分を窮地から救うだろう。
世界を破滅から救うその日のために、犬飼俊伐の健在を約束してくれるだろう。
そら、何をしている。
目の前の銃は今にも引き金が引かれそうじゃないか。
焦らすのはもう充分だ。冒険活劇の演出にしては度が過ぎている。
早くしないと、ほら、本当に、

す、と。
少年が動く気配がした。
小さな身体が、犬飼を庇うように前に出る。
犬飼を取り囲む軍人たちは、不思議なことに少年の存在そのものに気がついていないようだった。
目の前に立ちはだかった少年に視線の一つも動かすことなく、じっと拳銃を構えたままでいる。

そうだ。
それでいい。
そうしてそのまま、悪漢どもを蹴散らしてしまえ。
内閣総理大臣たる犬飼俊伐には無敵の刀があることを世に知らしめろ。
戦争を勝利にいざない、約束の日を越えて世界を正しい姿へと導く男の名を、

70見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を:2007/12/05(水) 04:23:54 ID:y9FfNGyY0
犬飼の妄想じみた思考が、停止した。
少年は、犬飼に銃を突きつけている軍人たちには目もくれず、傍らにある机の前に屈み込んでいた。
暗い銃口が再び犬飼の視界に入る。

(……な、何をしている……!?)

思わず立ち上がって叫ぼうとした。そうして、気づく。
声が出せない。それどころか手も足も、指の一本に至るまでが、自由にならない。

「困ったもんだ、本当に困ったもんだ」

呟くような声がした。
何十年も、すぐ近くで聞いていた声。
少年の声だった。

「誰も彼もが好き勝手なことをする。誰も周りを見ちゃいない。誰も辺りを気にしちゃいない。
 最期に初めて気づくんだ。滅びて初めて悔やむんだ。本当に、本当に、救えない」

澱み、腐り果てた沼から泡が浮かび弾けるように。
少年が、溜息をついた。
諦念と呼ぶにはあまりに深く、憎悪と呼ぶにはあまりに冷たい、それは虚だった。
聞く者の耳朶にまとわりついてやがては脳髄を侵す蟲のようなおぞましさ。
総毛立つ犬飼には目もくれず、少年の指はコンソールへと走っていた。

『指紋認証……完了。
 声紋認証……完了。
 網膜認証……完了』

机に埋め込まれた平面モニタに浮かぶ文字列は簡素で、だがそれ故に犬飼は戦慄する。
馬鹿な、と叫びたかった。
三重の生体認証は他でもない、犬飼だけに反応するように設定されていたはずだった。
内閣総理大臣のみが操作できる、特殊端末。
それがいとも容易く他者の手によって起動しようとしていた。
音もなく、無数の文字列が流れていく。

71見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を:2007/12/05(水) 04:24:23 ID:y9FfNGyY0
「……神奈がいなくなっては、これ以上の呪は集まらないからね。
 まあ、これだけの『可能性』が潰えれば充分だろう」

気がつけば、少年が顔を上げていた。
犬飼と視線を合わせたその表情はいつもと変わらぬ微笑。
だが今、犬飼は底知れぬ恐怖と不安を覚えていた。
目の前にいるのは、人ではない。
人ならざる、名状しがたい、何か。
その力によってありとあらゆる困難を打ち破り、地位と名誉、富と名声を与えたもの。
それが今この瞬間、こんなにも恐ろしい。
犬飼は直感していた。
この場で最も危険なのは、今まさに自分を撃ち抜こうとしている拳銃などではない。
そんなものは、目の前で微笑を浮かべている少年に比べれば、塵芥に等しい。

「もう終わらせよう、この世界」

だから少年は、こんなにも簡単に、世界の破滅を口にする。

「緊急危機管理マニュアル第六十三号。
 国家緊急事態宣言が発令されたときにのみ承認される、破滅のシグナル。
 たとえば、国会議事堂の占拠。たとえば、首都機能の崩壊。たとえば、軍部の蜂起」

歌うように、滅びを弄ぶ。

「敗北を是とせず、さりとて勝利すべくを失った一国の長の、最後の一矢―――。
 攻撃衛星・天照の強制起動システム」

踊るように、その指が崩壊を誘う。

「照準は……そうだな、せっかくだから今、世界で一番発展している都市にしようか。
 素敵な報復の連鎖が起きるだろうね。これまでもそうだった。
 時にはミサイル。時には一発の銃弾。
 世界を終わらせるきっかけは、ほんの些細な悪意だった」

朗々と謳い上げる、その声が止まった。
少年の微笑が、犬飼の方を向いていた。

72見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を:2007/12/05(水) 04:24:54 ID:y9FfNGyY0
「勘違いしないでほしいんだけど」

その声音にどこか感傷じみた色が含まれているように思えたのは、錯覚であったか。
瞳の奥に揺らがぬ光をたたえたまま、少年が言葉を継ぐ。

「僕は別に世界を滅ぼすために君を利用したわけじゃない。それは信じてほしいな。
 ……僕たちは本当に、約束の日を越えようとしているんだよ」

訥々と告げるその言葉は、少年らしからぬ真摯な響きに満ちていた。
遥か遠い何かを夢想するような瞳に、犬飼が声にならぬ声を上げようとした瞬間、少年が表情を変える。
人を煙に巻くような、掴みどころのない微笑。
そこにいたのは、既にいつもの少年であった。

「ただ、一つだけ言い忘れてたことがあってね」

言う声もまた、どこか軽い調子を含んだものに戻っていた。
その声音と表情に犬飼が見て取ったのは、とてもシンプルな、断絶であった。
一瞬だけ垣間見えた率直な響きこそが、少年と呼ばれるものの真実だったのだろう。
それは今や遠く霞み、失われようとしている。
死にゆく愛玩動物に手向けられる感傷の時間は、既に終わったのだ。
それは少年が犬飼を見切ったという、明確な証左だった。
救世の英雄。その幻想が崩れていく。

「このプログラムは、約束の日を越えるためのものじゃない……逆なんだ。
 もう今回は、その日を越えられないとわかったから。
 だからこの戦いが必要になった。それだけのことさ」

少年の言葉が空虚に響く。
それは何か、ひどく重大な示唆を含んだ言葉のようでもあったが、犬飼にとっては
既に無意味な単語の羅列に過ぎなかった。
己の仕組んだ地獄絵図が、歪んだ歴史を正すためでなく、それを終わらせるためのものだと、
それだけを理解した。それで充分だった。
そこに悪意はなく、おそらくは邪気もなく、ただ純粋の意志をもって、世界は破滅に導かれる。
この破滅に至る、人類の積み上げてきた歴史は、ただ繰り返される過ちの一つに過ぎない。
子供が積み木を崩すように。
ただ完成に至らぬと、それだけを理由に、世界は終わる。

73見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を:2007/12/05(水) 04:25:12 ID:y9FfNGyY0
ああ、と犬飼は己の身勝手を笑う。
歪むから、世界は終わる。
ならば歪みを矯正し啓蒙し、終わらぬ世界を作ろう。
そんな考えが、どれほど傲慢であったか。
歪む世界は滅びて当然と、神ならぬ身の誰が断じられるものか。
そんなことを、歪み、滅ぼされる側に立って、初めて思うのだ。
身勝手以外の、何者でもなかった。

道化の英雄は、ここで死ぬ。
世界の導き手がそう決めたのだ。
栄光に続くはずの道は、閉ざされた。
次の世界では、次の道化が踊るのだろう。
いつか来る、綻びのない世界のために。
無数の道化が、屍の山を築くのだろう。

せめて今は、やがてこの星に生きるすべての命の上に訪れるであろう破滅が、
幾許かの慈悲をもって与えられんことを祈ろうと、思った。

「無駄だよ」

それをすら見越したように、少年が笑う。
少年の指が、キーの上で止まっていた。

「世界は苦悶の果て、原初に戻る」

それが破滅の引き金であることを、犬飼だけが知っていた。
審判の槌は、世界の誰にも知られぬまま、振り下ろされようとしていた。
目の前の景色が、歪んでいく。

「さよなら、犬飼」

別れの言葉と共に。
細い指が、キーを叩いた。


***

74見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を:2007/12/05(水) 04:25:58 ID:y9FfNGyY0

『玉體を補佐し奉る立場に在りながら……』

床に落ちた受話器から、ぼそぼそと声が響いていた。
正面に立つ将校がそれを拾い上げて耳に当てるのを、犬飼は既に見ていなかった。
九品仏大志の声が、自らを冥府へと送る念仏のように聞こえていた。
もはや帰れぬ家を、瞼の裏に映した。
夕餉の支度をする、小さな背中が見えた。
自らの半生を賭した、それは研究の成果だった。

『三軍の統帥を慾にし、徒に國を乱した罪、赦し難し』

撃鉄が上がり、

『―――さらばだ、犬飼』

銃声が、轟いた。


***

75見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を:2007/12/05(水) 04:26:39 ID:y9FfNGyY0

その光量を抑えられた広いフロアの中では、幾つかの屍と、それを作り出した者たちが
互いに無言のまま、己の為すべきことを為していた。
即ち、死者はただ黙して横たわり、将校たちは粛々と任務を遂行していた。
小さなコンソールに流れる文字列と、それを覗き込む影には、誰も気付かない。


『・警告
 主砲の出力が規定値に達していません。
 キャンセルするか、現在の出力で射出する場合は15秒以内に所定のコマンドを入力してください。

 …

 システムは自動的に出力調整を開始します』


『・警告
 索敵範囲内に識別信号の確認できない質量が存在します。
 シークエンスをキャンセルするか、手動で対象を指定する場合は15秒以内に所定のコマンドを入力してください。

 …

 システムは自動的に排除シークエンスを開始します』


『・注意
 以下のデバイスが応答していません。
 :外部大容量電源ユニット
 
 デバイスの構成を最適化し、信号を再検索しますか?
 キャンセルするか、直接パスを入力する場合は15秒以内に所定のコマンドを入力してください。

 …

 システムは自動的にデバイスの構成を最適化します』




「……よくわからないな」

影が肩をすくめ、小さく呟いた。

「前まではこれで良かったはずなんだけど……まあでも、時間の問題か」

言って、周りを見渡す。
先ほどまでいた将校たちの姿はもう見えない。
代わりにフロアを歩き回っていたのは、転がった遺体を運び出し、飛び散った血糊を拭き取る兵士らしき男たちと、
嫌悪感も露わにそれを避けながら端末の前で作業を始める男たち。
ある者は各所と連絡を取り始め、またある者は端末から情報を引き出し、整理しようとしていた。
幾つもの声が飛び交い、一気に騒然とし始めたフロアの中で、影は誰にも気付かれないまま、ひとり立ち尽くしている。
忙しげに周囲を歩き回る人間たちを見るその表情には、何の感情も浮かんではいなかった。

ひとつ溜息をついて、天井を見上げる。
高い天井には、埋め込み式の明かりの他には何もない。
足元を見下ろす。
今はもう主のいない椅子が落とす暗い影の他には、何もありはしなかった。
影が使うには少し大きすぎるその椅子に、腰を下ろす。
小さな血痕のついた背もたれに身体を預けた。

「あとはただ、見届けよう―――」

疲れきったようなその声はもう、世界の誰にも、届くことはなかった。

76見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を:2007/12/05(水) 04:27:10 ID:y9FfNGyY0


【時間:二日目午前11時すぎ】
【場所:東京某所】

主催者・犬飼俊伐
 【状態:死亡】

少年?
 【状態:不明】

九品仏大志
 【状態:異常なし】

→694 913 916 ルートD-5

77夢では……ないのね……:2007/12/09(日) 21:18:03 ID:5jqXyo6E0
「少しはマシになったみたいね……」
 すぅすぅと静かな寝息を立てて眠っている美坂栞の顔を眺めながら、リサ=ヴィクセンはホッと胸を撫で下ろしていた。

 あの放送以後更に容態が悪化した栞を見て、このままでは最悪の事態になるかもしれないと考えたリサは急遽ルートを変えて琴ヶ崎灯台へと向かった。自分の勘と知識に従ってのことだ。

 果たして自分の思惑通り、灯台の一階には医務室があり、ある程度の解熱剤と鎮静剤などが用意されていた。本当にごく僅かしかなく、薬も市販のものだったから気休め程度にしかならないだろうが、それでもないよりはマシだろう。
 ひと段落付けたら、再び予備の薬を求めて診療所まで向かわないといけないだろうとリサは考えていた。

「……さて」
 この近辺を捜索するべきかどうか、少し思案する。こんな辺鄙な場所でもこの島の構造に関するヒントが得られるかもしれないからだ。あるいは何か、武器のようなものだってあるかもしれない。

 現在の所、手持ちのM4には弾薬がフルロードされている。しかし敵と出会うたびに使っていたのではいざというときにその速射性が頼りになるM4はあっという間に弾切れを起こしてしまうだろう。トンファーは弾数制限がないものの威力という意味では明らかに見劣りする。それに……
「……いや、ダメね、そんなの」
 自分の内に生じた考えを首を振って取り消す。あろうことか自分が栞に戦わせる算段をつけていたことに、嫌悪感を覚える。

 この娘は発砲経験も何もない、ただの(加えて、病弱な)女の子なのだ。今までの数限りない任務でパートナーとどうやって連携していくか、と常に考える癖があったのは認めるが……明らかに、何か自分は焦りを感じ始めていた。
 それもそうだ。プロの軍人でさえこの状況に混乱しないはずがないだろう。早々に醍醐が退場し、なおかつあの篁総帥まで死亡の放送がなされ、そして今度は前回よりも遥かに多い27人が死亡している。しかもその中にはあのエディまでもが含まれていたのだ。

 那須宗一の相方であり、兄貴分でもあり、そして後方支援、情報処理のエキスパート。その能力の高さは折紙つきのはずだった。
 それが、こんなところで。
 自分が落胆している以上に宗一は愕然としているはずだ。そして今は自分と同じ事を考えているに違いない。
 首輪を、どうやって解除すればいいのかと。

 それだけじゃない。敵方の本拠地の調査、バックアップなどエディにはやって貰いたいことが山ほどあった。いかに自分が軍人として優れていようとも、それはあくまでも戦闘に限った話。多少電子戦について心得はあるがエディのそれには遠く及ばない。この代役を務められる者があろうはずが――ない。
「いけない、また考えが横に逸れちゃってる……」
 近辺を探索するかどうか考えていたはずなのに……大局的な思考は大事だがそればかりに囚われていると先が見えなくなる。そうだ、まずは本当にどうしようもないのか自分の目で確かめる必要がある。悩むのは……それからだ。

78夢では……ないのね……:2007/12/09(日) 21:18:36 ID:5jqXyo6E0
 弱気の虫を強引に追い払い、探索への一歩を踏み出そうと医務室の扉に手をかけたとき、背後の方でかすかにうめき声が聞こえた。
「リ……リサ、さん……?」
「栞? 起きたの?」

 すぐに身を翻して栞の元へと駆け寄る。白いベッドの上では目を半開きにした栞がけんもほろろという調子で視線を泳がせている。先ほどタオルでふき取ったはずの汗が、また額から出ていることにリサは気付きすぐに拭ってやる。
 ん、とさらに目を細めながら栞が尋ねた。
「ここは……診療所なんですか?」

 言葉はしっかりしているから、後遺症のようなものはなさそうだった。多少、疲れのようなものが見えるから何か暖かい食べ物でも用意してやれればいいのだが……そう考えながら、リサは静かに微笑んで答える。
「ちょっと違うわね。こっちの方が近かったから、灯台に来たの」
「灯台……」
「上手い具合に医務室があってね。解熱剤があって助かったわ」
「……」

 栞は薬の効き目を確認するかのように手のひらを額に当て、熱の度合いを確かめているようだった。
「確かに、大分楽になってるみたいです……ですけど」
 声のトーンを落とす栞に、リサが言い知れぬ不安を感じながらも「けど?」と続きを促す。

「夢では……なかったんですね」

「……」
 視線を下のほうへ向ける栞を、リサもまた直視できずに中空へ視線を逸らす。栞にとっては、これが夢であって欲しいとどんなに願っていたことだろうか。姉の――死が。
 親しいひとの……特に家族の死が、どんな苦痛よりも辛いものであるということはリサ自身が一番良く理解していた。ましてやそれが、こんな腐り果てた遊戯の代償なのだとしたら怒りや憎しみはどれほどだろうか。

79夢では……ないのね……:2007/12/09(日) 21:19:00 ID:5jqXyo6E0
 本来ならここで何か慰めの言葉をかけてやるべきだった。しかしその言葉が、空っぽで中身のない表面のものだということを、リサは知っている。何故なら……自分がそうだったから。
 一方の栞も何も言おうとはしない。精神的にも疲れ果てているのかもしれなかった。あるいは……今生きているのが辛い、苦しいのかもしれない。
「……まだ、身体が良くなったわけじゃないわ。もう少し寝ていたほうがいいと思うわよ」
 だからそこに触れることはせず、出来る範囲での気遣いをしておくことにした。また、そうすることしか出来ない自分が腹立たしい、とも思っていた。

 リサはそのまま背を向けて、医務室の外へ出て行こうとする。所詮自分は他人だった。心の穴を埋めてあげられるほど器は大きくない。一人にしておいたほうが、かえって傷つかずに済むかもしれない……そう結論付けた結果だった。

「リサさん……?」
 声をかけてくる栞に、なるべく柔らかな声で応対する。
「外に出てくるわ。ここ近辺の探索はまだしてないから。けどすぐに戻ってくるわ、安心して」
「あ……そうだったんですか、済みません」
「どうしたの? 何か、お願い事でもあった?」

 リサが振り返り、栞にその声と同じくらいの柔和な表情を浮かべる。遠慮させないような、暖かな雰囲気で。
「えっと……我がまま、なんですけど聞くだけ聞いてもらえませんか」
 静かに頷く。聞くだけと言わず出来ることなら何でもリサはするつもりだった。それで、少しでも助けになれば。
「側に、居て欲しくて……一人だと、なんだか嫌なことまで考えてしまいそうで」
「ふぅん……それでいいの?」
「え? でもまだこの近くを調べて……わっ!?」
 栞が言い終わるのを待たずに、リサが栞のベッドの中に潜り込み有無を言わさず抱きかかえる。

「え、え?」
「暖かいわね、栞は……」
 幼子をあやす様に頭をゆっくりと撫でてやる。何度も何度も――慈しむように。
 最初のうちはそれに戸惑っていた栞だったが、すぐにリラックスして力を抜きそのまま流れに身を任せていた。
 時折、短い嗚咽を漏らしながら。

80夢では……ないのね……:2007/12/09(日) 21:19:24 ID:5jqXyo6E0
 リサは願う。
 誰でもいい、栞の悲しみをこの涙と共に洗い流してやって欲しい。
 私の存在はちっぽけで、温もりを与えてやることくらいしかできないから……と。

     *     *     *

「……リサさん、一つお願いがあります」
 しばらくの間リサの身体に顔をうずめていた栞が、ゆっくりと口を開く。
 その口調は……今までとは違う、何かをかなぐり捨てたようなものになっていた。それにどことない不安を感じながらも「なに?」と話を聞く。

「拳銃の撃ち方を……教えてくれませんか」
「ダメよ」

 理由を問うこともせず真っ向から否定する。
「そんなこと言う人、嫌いです」
「素人がホイホイ撃てるものじゃないの。増してや、貴方は体力的にも……」
 本当は違う。栞に、戦わせたくなかった。人殺しをさせたくなかった。憎しみに囚われて欲しくなかった。この子には、私と同じ道を辿って欲しくない――そう、強く願っていたからだった。

「お願いします、教えてください」
「ダメと言っているでしょう」
「お願いします!」
 先程よりも強い、今までであれば絶対聞けなかった程の語気。だがそれくらいで屈するわけにはいかない。
「いい加減にしなさい。私でも怒るわよ」
「……怒られても諦めません」
「顔を張るわよ」
「張られても諦めません、絶対に」
 至近距離からリサの顔を見据える栞の瞳。どこまでも純粋で、真っ直ぐな――直視、出来ないくらいに。

81夢では……ないのね……:2007/12/09(日) 21:19:49 ID:5jqXyo6E0
「……理由、聞かせてもらいましょうか」
 訊かないはずだったのに……半分折れかけていることに気付きながらもリサはそう言った。しかし、それが憎しみに根差しているものだとしたら……こちらも絶対に止める。嫌われてもいい。たとえ復讐を果たしたところでその先に残るのは虚無感だけなのだから。

「私……強くなりたいんです」
「それだけの理由で?」
「もし、私にリサさんくらいの力があれば……いえ勇気の一つでもあればお姉ちゃんを探しに行けたはずなんです。なのに私はリサさんに会うまで怯えてばかりで、会ってからもずっとリサさんの後ろに隠れていて……柳川さんが戦っていたときも何も出来なかった。それだけじゃない、今もこうして熱を出して……リサさんの行動を遅らせている。足枷にしかなってないんです」
「それは……」

 違う、と言いたかった。栞はリサの心の支えになっていた。かつてあった良心の欠片が、屈託のない笑顔が彼女にはあった。それを見ているだけで、リサの心は落ち着く。しかし……確かに、栞の言っていることもまた、事実だった。

「足手まといにだけはなりたくないんです。役立たずな私が……甘えているだけの私が……今はすごく嫌いです。殺してしまいたくなるくらいに」
 自分の心臓を握りつぶすように、栞は自らの胸を掴む。そこでリサは気付く。
 憎んでいるのは姉を殺した誰かじゃない、何も出来なかった無力な栞自身だということに。

(……まるで、昔の、私)
 いや違う、それは今も変わっていない。無力さに苛立つのは相変わらずだ。戦う以外能のない自分に。

「私一人で何もかもやりたいなんて身勝手なことは言いません、せめてリサさんの背中を守るくらいの……いや自分で自分を守れるくらいの……力が、欲しいんです」
 栞はそこで一呼吸置くと、改めて心を見据えるような真っ直ぐな眼差しでリサを見る。
「お願いします、銃の撃ち方……教えてください」

 負けた、とリサは思った。
「All right……教えるわよ、銃の撃ち方、って言っても拳銃がないからそこのM4になるけど」
 すると栞はホッとしたような、少しだけ嬉しそうな表情になって「ありがとうございますっ!」とリサに抱きついた。
「本当……仕方のない子ね」
 栞にではなく、自分に対してのようにリサは苦笑した。

82夢では……ないのね……:2007/12/09(日) 21:20:16 ID:5jqXyo6E0
「でもこれだけは覚えておいて。私が教えるのは人の殺し方……命を奪う、人間として最低、いや最悪の行為を教えるんだってことを、ね」
「……分かってます」
 僅かながらの逡巡があったのが分かったが、リサは何も言う事はなかった。思いとどまるならそちらの方がいいし、リサもそう思っている。

「でも、何か出来るのに見殺しにしたり、現実逃避するよりは余程マシです。私は……そう思います」
 だが、やはり考えは変わらないようだった。しかし栞自身が自分の意思で決めたことだ。覚悟を曲がりなりにでも決めたのなら、後はするべきことをするだけだ。

「OK。なら、まずは構え方からよ。持ってみて」
 デイパックからM4を取り出し弾倉を抜いてから栞に渡す。可能なら実弾を発砲させたいがそこまで弾薬に余裕があるわけではない。誤射されても困るからだ。戦場においての一番の失態は仲間を撃ってしまうこと。戦力的にだけでなく撃った側の精神的ダメージも大きいからだ。

 何事もまずは形から。ゆっくりと、栞の両腕にM4を乗せる。
「普通ならこれを一日中、いや一週間だって持ち続けられることが兵士の条件なんだけど……栞は兵士じゃない。戦闘中……そうね、一時間持ち続けられるだけの体力があればいいんだけど……自信ある?」
「体調さえ万全なら、何とか……ずっと寝たきり、ってわけでもなかったですし」
「なら信じるけど。いい? 自己管理や判断も重要なのよ。自分の体調や判断一つで仲間が死んだり、最悪全滅することだってある。自分を客観的に見つめなさい。肉体を根性論や精神論で考えちゃ駄目。もう一度訊くわ。自信、ある?」
「……あります!」
 厳しさを見せ始めたリサの態度に少し戸惑っている様子だったが、今度は力強く頷いた。素直な栞のことだ、なら間違いはないはずだった。「いい返事ね」と頭を撫でてから続きに入る。

「銃を構えるときに重要なのはとにかく銃身がブレないように固定すること。発砲のときの反動も計算にいれて、それこそ梃子でも動かないくらいにガチガチに固める。ああでも力みすぎても駄目だけどね」
 リサは栞を抱え込むように後ろに回ると、M4のグリップとハンドガードを手に持たせる。

83夢では……ないのね……:2007/12/09(日) 21:20:48 ID:5jqXyo6E0
「手は、ここ。でも手だけで固定するんじゃない、頬と右肘でストック(銃床)を固定する」
 ストック部分をきっちりと固定させ、バット(床尾)を右肩のくぼみに定着させる。
「ちょっときついです」
「まあ窮屈なのは仕方ないわね。でもこれをしっかり維持できるようになれば後は発砲に移るだけ。さ、後は自分で持ってみて」
 栞から離れて様子を見てみる。まだ慣れていない栞は窮屈そうにすり足で動いたり回ったりしている。傍から見てると滑稽極まりないが、そんなものだろう。

「うぅ、筋肉がちょっと引き攣ってきました……」
「一分も経ってないんだけど。でもそんなものよね……男ならともかく、女の子なんだし」
「すいません……でもリサさんだって女性なのに……」
 情けない声を上げつつ、限界にきたのか頬と肘からストックを離し持っているだけの状態に戻る。
「私は特別な訓練を受けてきたからね。体力が違うのよ。ふむ……これだと……うん、教えるのはアレでいいか」

 リサは一人納得すると栞からM4を取る。
「栞には膝撃ちを教えるわ。撃ち方は色々あるんだけど……これは汎用性もあるから。よく見ていて」
 リサがそう言いながら射撃体勢に移る。

「右膝をついて、左足のつま先は目標に向ける。ライフルは右膝に対し約80〜90度開き、左肘は左膝の前方に出す。そして腿と左足のふくらはぎは出来るだけ密着させる事。体重は出来るだけ左足に多く掛け、左足は地面に平らにおき、前方から見て垂直になるようにする」
「え、えっと……?」
 早口でまくし立てたためか情報を整理しきれていないらしい栞が困ったような笑みを浮かべる。
「……まあ、真似事が出来ればいいか。とにかくライフルから受ける反動を受け止められるようにするの。バランスを崩さないようにね。次は栞の番よ。見よう見まねでいいからやってみて」
「は、はい」
 自信なさそうな返事だったが、それでもやる気はあるようなので教えていけばいずれは真似事くらいはできるだろう。

(宗一……どう思うかしらね、今の私を見たら)
 何をやっているんだと怒るか、先生と生徒と見るか、あるいは姉妹か。
 いずれにしてもいい感情は持たれるまい。だがそれでも――栞が望むなら。

 リサ=ヴィクセンがその胸の内に秘めている感情が家族に向けるものだということに本人はまだ気付かないまま、教練は続く。
 果たしてそれがどこに繋がるのか、分からぬままに。

84夢では……ないのね……:2007/12/09(日) 21:21:18 ID:5jqXyo6E0
【時間:2日目午前10時30分頃】
【場所:I-10 琴ヶ崎灯台内部】
リサ=ヴィクセン
【所持品:鉄芯入りウッドトンファー、支給品一式×2、M4カービン(残弾30、予備マガジン×4)】
【状態:焦り、栞に射撃の方法を教えている】
美坂栞
【所持品:無し】
【状態:小康状態。リサから射撃を教わっている(まだ素人同然)】

【その他:訓練を一通り終えたらまた診療所へ向かう予定】

→B-10

85青い宝石3:2007/12/11(火) 01:47:34 ID:te0M13b60
『こんにちは』

それが誰の言葉か、柚原このみにはすぐの理解ができなかった。
ぼやける意識の中、存在する記憶に一致する声というものを探すこと自体が億劫でこのみは静かに瞳を閉じようとする。

『こんにちは』

しかし少女の声をしたものは、そんなこのみを逃がさないようにと追跡してきた。
このままそれを無視することも、勿論このみにはできただろう。
つらい現実、見たくもない光景から一時的にでも逃げられるチャンスというのは早々にない。
目が覚めたらまた嫌なことがたくさんあるかもしれない、疲弊したこのみの心はそれら全てから目を背けようとしていた。
だが同時に臆病なこのみの心は、この声を無視したことにより降りかかるかもしれない厄災に対し過敏な反応を見せる。
気がついたら自然と開かれていたこのみの瞳、ここで眠りに落ちることで二度と目を開けられないかもしれないという可能性が彼女の意識を覚醒させた。

「……誰なの?」

地面に伏せたまま、このみが問う。

「このみに、何か用なの?」

震えるそれ。
気だるさの残る体をゆっくりと起こし、このみは視線を周囲に張らした。

『お姉さんに聞きたいことがあるの』
「このみに?」

声の出所を、このみはまだ見極めきれていない。
姿を見せない声の主に対し、このみの中で警戒心が膨らんでいく。
しかしそれを声の主に対し問う勇気が、このみにはなかった。
いつどこから襲ってくるかもしれない相手に対し、立ち上がることはできたもののこのみは震える膝を押さえることができないでいた。

86青い宝石3:2007/12/11(火) 01:48:06 ID:te0M13b60
『お姉さんは、大事な人のためなら人を殺すことが出来る?』

え、と小さく掠れたものが、このみの喉から絞られる。
唐突な問い。このみは声の主が何を持ってそれを口にしたか、予測を立てることが全く出来なかった。

『答えて。お姉さんは、大事な人のためなら人を殺すことが出来る?』

このみは何も言うことができなかった。
ただ、ぽかーんと。大きな瞳をまん丸に見開きながら、同じように口も開け呆けるしかなかった。

『……お姉さん?』

問いの内容を理解できるまで、このみの体内時計はストップしていたと言えよう。
しかしそれを噛み砕くことで浸透された言葉の意味は、このみを激しい苦しみに陥らせる。
人を傷つけてはいけない。人を、殺してはいけない。
それは、このみの生きる世界では当然のことである。
常識である。誰かが傷ついたら寂しい、悲しい。このみだって、そう思う。
だからこのみは口にした。
その、当たり前のことを。このみも同意するに値する、それを。

「……ダメ、だよ」
『?』
「誰かが傷ついたら、悲しいよ。このみも悲しいし、その人もつらい。それで、その人の友達だって、きっと悲しむ。
 みんな嫌な気持ちになるの分かってるのに、そんなこと。できないよ」

心からの言葉だった。このみにとっても、勿論。
しかし、どこかそれは空虚だった。このみも理解していた。
理解していたからこそ言葉を口にし終えた時、このみは頬に一粒の雫を垂らしたことでその気まずさを表した。
それは、このみなりの即席に誂えた壁だったのかもしれない。

87青い宝石3:2007/12/11(火) 01:48:38 ID:te0M13b60
『矛盾してる』

だがそれに対するものは、容赦がない返しとしか言えなかった。
声の主がは易々と、張られたこのみの防御壁を大破させる。
このみは答えなかった。
壁の意味を、声の主も分かっていたからかもしれない。
このみはそれを恥じた。それは、隠していた悪事がばれてしまった子供のような気分と呼べばいいのか。

『なら、何でお姉さんはそんな格好をしているの?』

このみよりもさらに幼い声が、このみに向かって詰問してくる。
このみは答えなかった、否。
答えられなかった。

『矛盾してる』

はあ、と一つ大きな溜息をつき、このみは小さな頭を俯かせる。
言い訳は、できなかった。
視線を下げたことにより、このみの視界には自身の姿がくっきりと入ることになる。
ホテルのエントランスは暗い、しかし差し込む月の光がこのみに現実を突きつけた。
ピンクと赤を基調としたセーラー服は、ずっとこのみも憧れていたこの春入学した学校のものだ。
まだ買ったばかりだった。大きな汚れや染みもない、綺麗なままのはずだった。
しかし土や埃の類に塗れたそれに、新品だった頃の面影はない。
何よりピンクと赤が基調となっているはずのセーラー服は、今やピンク地がほとんど見えず真っ赤に染め上げられていた。
その原因を、このみ自身忘れたわけではない。

『矛盾してる』

88青い宝石3:2007/12/11(火) 01:49:14 ID:te0M13b60
三度、念押しのように声の主が言い放つ。
そこに嫌悪感が含まれているように思え、大きく泣き喚きたくなる衝動をこのみは必死に抑えていた。
このみにだって色々あった。
こうしなければ彼女を救えなかったから。
だから、このみには躊躇も何もなかった。
思い立ったらすぐに行動に出ていた。
そして、無事彼女を救うことができた。できたから。

このみはここにくるまで自身の行った人を手にかけるという行為に対し、懺悔する気持ちなど一切持っていなかった。
今もそれは変わらない。

「……分かんないよ」

ぽそっと呟かれたそれは、誰に対したものなのか。
このみは顔を伏せたまま口を開き、ぽつぽつと言葉を口にする。

「分かんないよ、このみだって誰も傷つけたくない。そんなの嫌だよ。
 自分がされて嫌なことは他の人にもしちゃ駄目って、当たり前のことだよ」
『じゃあお姉さんは、誰も殺してないの?』
「……あなたは、どこまで知ってるの?」
『何も知らないよ。ただ、お姉さんの格好が怪しかったから。聞いてみたの』

このみはそれで、少女の声色を持った人物がこのみ自身を責めるような意図で発言をしていた訳ではないということに、やっと気づいた。
疑心の含まれたこのみの問いに返ってきたものが物語っている。
幼いそれは、ただ「矛盾している」と見えるものに対し純粋に疑問をぶつけているだけだった。
姿が見えないという依然とした問題はあるが、このみの中で鳴らされていた警報音が微々たるものになっていく。
そして今度は恐怖心よりも少女の声を持つそれに対する好奇心の方が、このみの中で上回った。

「……ねえ、どこにいるの? ちゃんと向き合ってお話しようよ」

89青い宝石3:2007/12/11(火) 01:49:59 ID:te0M13b60
気づいたら止まっていた膝の震え、このみはキョロキョロと辺りを見渡し声の出所を探そうとする。
どんなに視線を泳がせたとしてもエントランスの中では人影を見つけることは出来ない、このみが途方に暮れかけ時である。

「……ねえ! このみの声、聞こえてるのかな」
『聞こえてる。お姉さんの後ろに、あたしはいるよ』

我慢が出来ず大きな声を上げたこのみのそれに、解答はすぐに与えられた。
え、とこのみが振り向いた瞬間、月明かりしか存在していなかったエントランスに青白い光が立ち込める。
このみも即座にがっちりと目を瞑ったが、突然の可視光線が彼女の視力を奪うのは容易いことだった。
軽い痛みさえも覚え、このみはそれを遮るよう両手を前に突き出し静止する。
訳が分からず戸惑うこのみを他所に、声は直接彼女の脳に叩きつけるかのように、しかし変わらぬ純真さで言葉を紡いだ。

――分からないなら、分かるようになればいいと思う。
少女が語るそれは確かにこのみに向けられたものであろうが、それはただの独り言とも取れるような口調だった。

――人殺しは嫌い。でも、可能性を消すのも、嫌い。
それをこのみに判断する間は、与えられない。

――待つよ。答えを見つけて、お姉さん。
そして途端感じた猛烈な痛みに、このみは声にならない悲鳴を上げた。



          ※          ※          ※



次にこのみが気がついたのは、硬いエントランスの床に横になったことにより体がが冷え切ってしまったという事実を、彼女自身が理解した時だった。
いつ意識を失ったのかこのみの記憶には存在ない、ただ最後に感じた痛みだけが彼女にリアルを突きつける。

90青い宝石3:2007/12/11(火) 01:51:22 ID:te0M13b60
「……あ」

焼けるような熱は、このみの左手から発せられていた。
薄く目を開け確認するこのみの瞳に、月の光に反射した青い宝石がキラリと光る。
どのような原理かは、このみも分からなかっただろう。
しかし、それは確かに。
このみの手の甲に、埋め込まれていた。




柚原このみ
【時間:2日目午前3時30分】
【場所:E−04・ホテル跡】
【所持品:38口径ダブルアクション式拳銃 残弾数(6/10)、ワルサー(P5)装弾数(4/8)予備弾薬80発・金属製ヌンチャク・支給品一式】
【状態:貴明達を探すのが目的】
【備考:制服に返り血を浴びている、ソックスにも血がついている】
【備考2:左手の甲に青い宝石が埋め込まれている(少女の声の主はこのみが人を殺していることを知らない)】

(関連・922)(B−4ルート)

91幸いを信じ少年は荒野を目指す:2007/12/11(火) 04:36:36 ID:VG.lI4Z60

藤田浩之は走っていた。
長いあぜ道を、水の枯れた田んぼを横切って、広い平屋の角を曲がって、
視界の開けた長閑な景色の中に目指す背中は見えなくて、それで足が止まった。

横腹が痛い。
酸素を取り込もうとして、餌を欲しがる金魚のように口を開く。
深く息を吸った途端、背中に激痛が走っていた。
立っていられずに膝を落とす。
舗装もされていない砂利道。
小石が尻や足に食い込む刺激が、少しだけ痛みをやわらげてくれた。
そのまま倒れこむ。
燦々と照る太陽に温められた、乾いた砂埃を吸い込んで、咽た。
空咳が収まると、そのままごろりと背を丸めて横たわった。
本当は大の字に寝転びたかった。
背中の傷が痛いのと、照りつける日差しが眩しくて、海老のように体を丸める。
ごつごつとした鎧が体の下敷きになって、不快だった。
それでも、そのまま動かずにいた。

 ―――かったりぃ……。

息が収まるまで、こうしていようと思った。
荒かった呼吸は、とうに元通りだった。
動悸が治まるまで、こうしていようと思った。
脈拍は既に平静を取り戻していた。
胸のざわめきが収まるまで、こうしていようと思った。
叫びたくなるような衝動は、いつまでも収まりそうになかった。

目を閉じれば、走り去っていく黒い背中が瞼の奥に浮かんできそうで。
手を伸ばせば、追い縋っても振り返りさえしなかったその背中を、思い出してしまいそうで。
だからどうすることもできず、ただ爆発しそうな衝動だけを抱えたまま、寝転がっていた。

横倒しになった世界。
閑静な農村。どこまでも広がる青い空。
うららかな日差しの下、動くものとてない景色。
まるで世界に自分ひとりだけが取り残されたような、音のない情景。
だというのに。

「―――立ち止まってしまうの?」

その声は、すぐ背後から聞こえてきた。
心臓が縮み上がるような感覚。
文字通り飛び起きようとして、背中の痛みに身を捩る。
気がつけば立て膝のまま、間近で声の主を見上げていた。
目に映ったのは、青という色。
そこにあったのは、光だった。

92幸いを信じ少年は荒野を目指す:2007/12/11(火) 04:37:09 ID:VG.lI4Z60
……違う。
揺らめく炎のような青い光の中、人影が立っている。
目を凝らせば、それは一人の少女のようだった。
青白い光を纏った、少女。
鄙びた農村を背景にしたその姿は、有り体に言って異様で、わかり易く言えば得体が知れず、
それでも浩之の目に映る少女はひどく厳かで―――神々しかった。

「立ち止まってしまうの?」

言葉が繰り返される。
少女はしかし、それきりを口にして沈黙し、静寂が訪れた。
短く区切られたその要領を得ない問いかけに悪意は感じられず、だからといって善意もなく、
そこにはただ、純粋な疑問だけがあるように感じられた。
大勢の人間が死に、無数の怪奇が横行し、既に現実と幻想の境界すら定かでなくなったように思えるこの島で発せられる、
たったひとつの混じりけのない問い。
虫たちが息を潜め、風すらもがやみ、木々のざわめきも収まった。
浩之を取り巻くすべての世界が、固唾を呑んでその答えを待ち構えている。
そんな風に感じられた。

「……わかんねえ」

気がつけば、心の中にある迷いを、素直に口にしていた。
少女の問いは要領を得ない。
立ち止まるとは、走るのをやめることか。
追いかけるのを、やめることか。
それとも……考えるのを、やめることか。

飛躍していく思考に、浩之は内心で苦笑する。
少女はそんな哲学的なことを聞いているのではないだろう。
走っていた男が突然倒れこんで起き上がらずにいる、それを不思議がっているのだろう。
だから、答えは単純だ。
自分は現に立ち止まっている。
こうして、走ることを放棄している。
ならば、

「俺……どうして、あの人を追いかけてんだろうな」

口から出たのは、思考とはかけ離れた、自問だった。
心のどこかで呆れ果てたように首を振る自分がいるのを感じる。
自分を知らず、柳川を知らず、二人を知らない目の前の少女にとって、何の意味もない言葉。
そもそも問いかけの答えになっていない。
それでも、言葉は止まらなかった。

93幸いを信じ少年は荒野を目指す:2007/12/11(火) 04:37:43 ID:VG.lI4Z60
「わけわかんねえ。追いかける義理、ねえし。あの人が、ついてきてたんだし。
 離れてくなら、それでいいんじゃねえかって、思うし。けど……けど、さ」

夜の森で見た瞳の色が蘇る。
月明かりすらない暗闇の中、深い、深い真紅の瞳は、確かに自分を映していた。
心臓に爪を突き立てて滲んだ血の色のような目に涙を浮かべて、漆黒の鬼は自分を見ていた。
その瞳の色が、忘れられない。

共に過ごしたのは、僅かな時間のはずだった。
それでも、二人で駆け抜けた山道の、夜明けの冷たさが忘れられない。
肩を並べて戦い、ついに包囲を切り抜けた瞬間の高揚を忘れられない。
焼け爛れた傷口から流れる膿の色が忘れられない。
何度言い直させても片言でタカユキと呼ぶ、たどたどしい声が忘れられない。
照れ隠しにしてみせる、インテリぶった口調が忘れられない。
鬼になる前に眼鏡を投げてよこす、格好つけた仕草が忘れられない。
ほんの先刻、かき抱いた体の重さを、忘れられない。

「俺、あの人のこと何も知らねえんだよ。名前はわかる、柳川祐也。
 刑事をやってた。鬼になる。けど……それだけだ。
 あとはわかんねえ。何で俺のことタカユキって呼ぶのか、タカユキって誰なのか、
 そいつがあの人の何なのか、……俺があの人の何なのか。
 何も……何も知らねえんだよ。けど、だから、わかんねえ」

知らないから、追いかけるのか。
知りたいから、追いかけるのか。
だが、知ってどうなる。
知らないのに、追いかけるのか。
知らないのに、追いかけるのが、許されるのか。

その資格があるのか。
それだけの何かが自分の中にあるのか。
或いは、それだけの何かが、柳川祐也の中に、あるのか。
それが、わからなかった。

怖かった。
柳川は、去っていったのだ。
七瀬彰を庇って、自分を振り払って、走り去っていった。
追いかけて、追いついて、その後どうすればいいのか、わからなかった。
確かめるのが、怖かった。
柳川祐也の中にあるタカユキという言葉の意味、七瀬彰の存在、そして何より―――藤田浩之の価値を。

94幸いを信じ少年は荒野を目指す:2007/12/11(火) 04:38:11 ID:VG.lI4Z60
「何だろうな。俺、何やってんだろうな。どうしたいかもわかんねえのに。
 ……どうなってほしいかも、わかんねえのに」

たとえば、柳川がその言葉で真実を語ったとして。
たとえば、柳川が七瀬彰を選んだのだとしたら。
たとえば、柳川に伸ばした手を邪険に振り払われたら。
たとえば、柳川の瞳に映る自分がひどく惨めたらしかったら。
たとえば、柳川に抱かれた七瀬彰の目が勝ち誇ったように輝いていたら。
たとえば、柳川を追うこの行為が、この上なく滑稽だとしたら。
たとえば、たとえば、たとえば―――。

「あなたの中の青は、もう走り出そうとしている」

言葉が、すべてを断ち切っていた。
静かに、しかし重々しく紡がれたそれは、結局のところ、少女にとって意味などなかったのかもしれない。
だが波打ち、荒れ狂う浩之の心中に降り注いだそれは、正しく託宣だった。
それは分厚い雲間から射す、ひどくか細い光に過ぎなかった。
しかしそれは同時に、暗い海原に示された、唯一の光明だった。
その指し示す先にこそ何かがあると、再び舵を取り、帆を上げ、櫂を漕ぐ力を与える、そんな光だった。

顔を上げたその向こうで、少女が音もなく片手を上げた。
青白い炎の宿る指が、遠い道の先へと掲げられていた。
浩之の、走ろうとしていた方角だった。
思わず振り向いて目を凝らしたその先に、小さな明かりが灯っていた。

「……!?」

おかしい、と思う。
快晴の日中、遠景に明かりの見える道理がなかった。
しかし、それでもその青い光は、確かに遥か視界の先に立ち昇っていた。
青い、光。

95幸いを信じ少年は荒野を目指す:2007/12/11(火) 04:38:33 ID:VG.lI4Z60
「……おい、あんた……!」

振り返る。
そこには。

「―――」

誰も、いなかった。
慌てて辺りを見回す。
気配はどこにもなかった。
まるで、少女自身が青白い炎に変わって消えたように。

「……」

しばらく、呆然と立ち尽くしていた。
風が吹き抜けて乾いた砂埃が舞い上がり、目を瞬かせる。
我に返って、首を打ち振るう。
長閑な寒村の風景だけが、浩之を取り囲んでいた。
再び振り返って、今はもう存在していたことすら定かではない少女の指差していた方を見る。
立ち昇っていたはずの青い光は、やはり見えなかった。
しかし、

 ―――行くか。

浩之は大きく息を吸い込むと、その方角へと一歩を踏み出す。
その足取りに迷いはなかった。
追い求める背中は目指す先にあると信じる、それは歩みだった。

96幸いを信じ少年は荒野を目指す:2007/12/11(火) 04:40:14 ID:VG.lI4Z60



【時間:2日目午前11時すぎ】
【場所:C−3 鎌石村】

藤田浩之
 【所持品:鳳凰星座の聖衣】
 【状態:鳳凰星座の青銅聖闘士・重傷(治癒中)】

観月マナ
 【所持品:BL図鑑・ワルサーP38】
 【状態:BLの使徒Lv4(A×1、B×4)、BL力暴走中?】

→920 921 ルートD-5

97素敵な間違い:2007/12/18(火) 21:59:11 ID:Uwgruf260
「遅いね、祐介お兄ちゃん……」
 家屋に備え付けられた時計の針が動いていくのを見ながら柏木初音が不安そうに言った。

 出て行ってから既に2時間。放送で友人か何かの名前を呼ばれてショックを受けているのは分かるが確かに遅すぎる、と宮沢有紀寧も思っていた。
 恐らく、いやほぼ間違いなく何らかの争いに巻き込まれたかそれに準ずる状況に陥ったのは明白だった。
 有紀寧にしてみればさほど利用価値もない祐介が死んだところで別にどうでもいいのだが、まだ自分が『善人』である以上何らかのアクションは起こさねばならないだろう、とは思っていた。

(それに……)
 確かに祐介はどうしようもないお人よしだったが盾としての利用価値くらいはあった。それが今、いなくなったということは有紀寧にとっても防壁がなくなりつつある、ということである。一応祐介の荷物から武器一式は抜き取っておいたが(もちろん柏木さんには話してないですよ? 必要もありませんし)いざという時に盾がいないのでは話にならない。別の隠れ蓑を求めて行動する必要もあった。

「探しに……行きましょうか」

 だから有紀寧はそう提案した。ある程度の危険は伴うが現状では心許ない部分もある。それに初音にも自分が『善人』であることを分からせてやらねばならない。今はまだ『味方』を作っておくべきだった。
「えっ、でも……」
 祐介と初音はそこそこ深い仲だったが有紀寧はそうでもない。だから迷惑になるとでも思ったのだろう、遠慮するような表情を見せたが有紀寧はいつものように笑みを浮かべて諭す。

「遠慮なさらないで下さい。わたし達は……仲間なんですから」

 こういう時に使う仲間という言葉の効果が絶大だということを、有紀寧は知っていた。伊達に資料室で日々を過ごしてきていない。やはりそれが功を奏したのか、初音はまだ戸惑いながらも「じゃあ……一緒に探してくれる? 祐介お兄ちゃんを」と言った。笑いながら、有紀寧は当然のように頷いた。

     *     *     *

 有紀寧たちが今いる場所が島の最南端に位置するところなので、まずは北上していくことに決めた。まあ多分祐介は生きていないだろうがそれを口に出すわけにもいかないので生きているならどこに向かっているのか、という話し合いをした結果比較的近くの源五郎池にいるのではないか、という意見を有紀寧が出した。

98素敵な間違い:2007/12/18(火) 21:59:44 ID:Uwgruf260
「どうしてそんなところに居ると思うの?」
「長瀬さん、かなりショックを受けていたようですし……水辺なら心を落ち着かせるには最適なのでは、と思いまして」
 そう言うと初音は納得した様子で「確かに祐介お兄ちゃん、暗い顔だったもんね……」と複雑そうに頷いていた。初音自身も同様の経験があるので気持ちが分かるのだろう。

 実際は新たな盾を見つけるまではどうしても戦闘に巻き込まれたくなかったので人気のない場所へ行きたかったというのが本音だったが。理想としては残る柏木の人間に合流してしばらく隠れ蓑にする、もしくは単独で行動している祐介のような人物を見つけ上手く口説いて引き入れる、どちらかになればいいのだがそう都合よくはいかないだろうと有紀寧は思っていた。
 まずは祐介の死体を見つけるか初音が諦めるかのどちらかになるまで隠密に行動だ。それが最善ではないが安全策ではある。
 無理をする必要はない。生き残れさえすればそれで万々歳なのだから。

「それにしても、森の中を歩くって意外ときついですね」
 森にさしかかり足場の悪い箇所が延々と続くようになってきた。気をとられると滑りそうになったりつまづいてしまいそうになる。
「そうなの? 私はそうでもないけど……」
 そう話す初音の表情はいつもと変わりなく悠々と歩いている。ひょっとすると見かけ以上に体力があるのかもしれない、と有紀寧は思った。
 それとも自分が現代っ子だからだろうか、などとも考えた。
 いけませんねぇ今の子供は。学力低下だけでなく体力も低下して……これだから肥満体系の子供が増えてるんですよー。
 そんな風にワイドショーで偉そうに喋ってるコメンテーターの声が聞こえてきそうだった。

「そう言えば有紀寧お姉ちゃんは探してる人とかいないの?」
 器用に小石の上に乗ってバランスを取りながら初音が話題を変える。有紀寧にとっては優勝することが目的なので別に探し出す必要もないのだが……しかし知り合いがいないと言い切ってしまうともしも岡崎朋也や春原陽平に出会ったときに言い訳ができない。些細なことでも不信感を抱かせてはならないのだ。

「そうですね……お知り合いの方を、二人ほど」
「どんな人?」
「面白い方たちですよ。漫才が立って歩いているような人たちです」

 言いながら、有紀寧はまだ在りし日常の欠片を思い出していた。資料室でコーヒーを振舞って、彼らがくだらない事に興じるのを傍で見て……楽しかった。それは偽りのない事実である。だがそれ以上に……自分を待っていてくれる、慕ってくれる人たちのために、兄のために……絶対に死ぬわけにはいかなかった。
「へぇー……私も会ってみたいなぁ」
 そう言う初音だが会えたら会えたで有紀寧も困る。流石に知り合いにまでリモコンを使ったり嵌めたりするのは忍びない。だから会うこともなくどこかで死んでいってくれるのがベストなのだけれども。

99素敵な間違い:2007/12/18(火) 22:00:11 ID:Uwgruf260
 だから「会えば分かりますよ」とお茶を濁すように言ってその話を打ち切り、現在地についての話に戻すことにした。
「そう言えば川が見えてきましたね。多分目的地も近いと思います」
 視界の隅にはちょろちょろと静かなせせらぎを湛えている小川があった。恐らく源五郎池から続いているものなのだろう。これを辿っていけば自ずと目的地に着けるはずだった。

「ホントだ。綺麗な川だね……飲めるかなぁ?」
「生で飲むのはどうかと……」
 初音と共に見下ろした小川は綺麗過ぎるほどに澄んでいた。それこそ、水道からひねり出した水のように。それだけじゃない、普通ならなんとなく感じられるはずの自然の水の匂いが……その川にはなかった。なぜだろうと有紀寧は思ったがそんな感覚的なものを気にしたところでどうなるものでもないし、役に立つわけでもない。あまり深く考えずに先に進むべきだった。
「それよりも早く行きましょう。祐介さんを探すのが先です」

 そうだね、と返事した初音がそれでも川を見下ろしながら有紀寧の後ろについて歩く。自分と同様の疑問でも持っているのだろうかと有紀寧は思ったがこれも考えないようにした。
 それにしても同じ風景が延々と続いていて、まるで同じ場所をぐるぐる回っているみたいだ、と有紀寧は思った。目印になる川があるからいいもののそれがなければ迷ってしまいそうになるほどの。
 またそのせいではないだろうが普段歩いているときよりも余計に疲れる気がする。どこかで聞いたことがあるが、アマゾンなどのジャングルを川沿いに下っていても同じ風景が延々と続くせいで精神が狂ってしまいそうな感覚に陥る、という話だ。
 なるほど確かにこれでは参ってしまうのも無理はないだろう。

 ふぅ、とため息をつきながら有紀寧は、これ以降は無闇に森の中を歩くのはやめておいた方が良さそうだという考えに至ったところで川べりに何かが転がっているのに気付いた。
「あれは……」
「どうしたの、有紀寧お姉ちゃん」

 何かがあることを指で指し示すと、初音がそれを見つめる。初音はしばらくそれを見ていたかと思うとやがて目を見開き、息を呑んだ様子になっていた。
「柏木さん……?」
 不審に思った有紀寧が声をかけた瞬間、初音が叫びながら駆け出した。

100素敵な間違い:2007/12/18(火) 22:00:38 ID:Uwgruf260
「お兄ちゃん……祐介お兄ちゃんっ!」
「ちょ、ちょっと……」
 一人で先行しては危険だと有紀寧が止めようとするも捕まえることが出来ず狂乱したようにその『何か』に走っていく初音。
「祐介お兄ちゃんっ、祐介お兄ちゃんっ、祐介お兄ちゃんっ!」

(長瀬さん……?)
 あんな遠目でよく分かったものだと感心するがそれよりもやはり、あの様子では祐介は殺されてしまっているだろう。予想通りと言えば予想通りだが……
 先に駆け出した初音に有紀寧が追いついたときには、物言わぬ骸となっている長瀬祐介の遺体に初音が縋るようにして揺さぶっているところだった。
「祐介お兄ちゃん、返事してよ……祐介お兄ちゃぁん……」
 痛々しい程の涙声で祐介の名を呼びかける初音。有紀寧はそれを黙って見つめていた。

 もちろんかける言葉がなかったからではない。祐介が死んだのが確定した以上行動の決定権は間違いなく自分にある。とは言っても柏木の人間を探すことにはなるだろうが、重要なのはそのルートだ。探していると思わせつつ自分にとって安全な道を確保しなければならない。
 激しい戦闘の起こっている場所にわざわざ足を運ぶ必要はないのだ。それに……そろそろどちらが上なのかをはっきりとさせておかねばならなかった。
 頃合いを見計らうようにして、有紀寧は優しく初音の肩を抱く。

「柏木さん……そんなに悲しまないで下さい」
「でもっ……でも……」
「今は思い切り泣いてもいいと思います……ですけどそのままじゃ柏木さんのことを想っていた長瀬さんもまた、悲しみます。生きなきゃならないんです。長瀬さんが生きていたことを、そこにいたことを証明するためにも」

 それはかつて兄が亡くなったときに有紀寧が自分自身にかけていた言葉だった。まあ一部誇張しているような部分もあるが概ね違ってはいない。
 そう――守らなければならないものがある。兄の残したもの全てを守っていく義務が、自分にはある。それが兄を理解しようとしなかったかつてへの自分の、贖罪なのだから。だから……死ねない。
「ですけど……今は、わたしの胸で」
 後ろから覆うように抱擁する。初音はしばらく震えていたが、やがて声を押し殺すような嗚咽を上げ始めた。身体を、全て有紀寧に預けるようにして。

101素敵な間違い:2007/12/18(火) 22:01:08 ID:Uwgruf260
 これでいい……計画通りだ。
 完全に初音が信頼を預けるのを、有紀寧は邪な笑みで迎え入れていた。

     *     *     *

「もう大丈夫なんですか?」
「うん、もう平気だよ」
 そうは言いながらもぐすぐすと鼻を鳴らす初音だったが、一度感情を吐き出したせいか行動する分には支障ないように思える。
「そんなことより早くお姉ちゃんたちを探しに行こっ。まだ私には待っててくれるひとがいるんだもんね」

 ええ、まったくその通りですと有紀寧は頷く。早いところ彼らには出会わなければならない。
 家族ぐるみで巻き込まれているならこのゲームに乗っている可能性は低いだろうし、たとえ乗っていたとしてもここまで信頼関係を築き上げた自分に対して攻撃してくることはないはずだ。なぜならそれは初音への裏切りにも等しい行為だからだ。もっともその時はこちらにも考えがあるが――
「それじゃあ手をつないで行きましょう。わたしたちは何があっても一緒です」
 用済みになるまでですがね、と心の中で付け足して有紀寧が初音の手を取る。手を握ると、初音もしっかりと握り返してきた。

 精々、今は仲良しごっこに興じるとしよう。自分は高みから殺し合いを眺めていればいい。

「ああ、でもその前に……長瀬さんの遺品、持って行きましょうか。いい気はしないですが……」
「あ、うん、そうだね……」
 一旦手を離して近辺に散らばっていた支給品などを回収していく。どうやら使えそうなものだけ持っていかれたらしく武器の類は全くいい物がなかった。だが一方で襲っていった人間が捨てたと思われるノートパソコンは有紀寧にとって貴重な代物だった。

 これで先程書き込みをした『ロワちゃんねる』が使えるなら色々と裏側から掻き回してやるのも容易い。なおかつ生き残りの把握が出来るのも好都合だ。
(長瀬さん……最後には役に立ってくれましたね)
 ほんの少しだけ感謝の意を向けながら有紀寧はノートパソコンを自分のデイパックに仕舞った。
 結局、殆ど武器の無かった初音にフライパン他道具一式、ノートパソコンを有紀寧が持つという形で道具の整理は終わった。

「それじゃあ、改めて出発としましょうか」
「うん、頑張ろうね」
 もう一度手をつないだ二人は、まだ朝露の残る森の中をゆっくりと歩み始めた。

     *     *     *

「……さて、どこから奴を探すか」
 復讐の怒りに燃え、鬼の意思が宿る瞳を深紅に湛えた柳川裕也は神社から東西へと続く道への分岐点でどちらへ行くかと迷っていた。
 ここで一度間違えば相当な距離をおかれてしまう。勘に任せて進むのもいいが、無駄に時間を取りたくない。

102素敵な間違い:2007/12/18(火) 22:01:49 ID:Uwgruf260
 あの女……藤林椋のとった行動からすると善人を装って紛れ込み、隙を突いて内部から殺していく戦法をとっているようだからまずはどこかの集団に入っていこうとするだろう。そして、そういう人間を探すにはうってつけの場所がある。
 平瀬村。もしくは南にある氷川村。仲間を探そうとここに集う人間は多いはずだ。現に――少し前までの柳川がそうだったからである。

「氷川村か……」

 確かここには診療所を目指していたリサ=ヴィクセンと美坂栞もいるはずだ。時間からするともう離れているかもしれないが……まだ栞の調子が悪くここに留まっている可能性はある。
 本来合流は夜の十時になる予定だったが、藤林椋という厄介な存在が現れた以上この情報を知らせておいても悪くはない。

「……よし」
 まずは氷川村へ向かうことにしよう。だが少しでも到着時間を縮めるためにわざわざ迂回していきたくはない。
 柳川は源五郎池を目標に、ここを真っ直ぐ突っ切っていくルートをとることに決めた。少々厳しい道のりではあるが鬼の血を宿す柳川にとっては造作もないことだ。
 コルト・ディテクティブスペシャルをベルトの間に挟みこみ、柳川が移動を開始しようとした、その時だった。

「……誰だ」
 前方から微妙に感じる、人の……いや、同族の気配。この匂いを、柳川は知っている。柏木梓と同じ、その匂いだ。
 それはまったくの勘でしかなかったが、確信的なものを抱いていた。まるで見透かしているように、柳川は前方の茂みに呼びかける。
「隠れても無駄だ。敵意がないのなら出て来い。そうしないなら……殺す」
 ざわっ……と空気が震えるのが分かった。柳川のかけた言葉自体は藤林椋にかけたものと同じだったが、向けるものが劇的に違う。たとえ柏木の一族であっても敵対するなら殺す心積もりでいた。

 柳川がコルト・ディテクティブスペシャルに手をかけようとした時、二人の女性がお互いを庇いあうようにして出てきた。
 一人はまだ幼さが残る、推定中学生くらいの女(柏木初音)。そしてもう一人は……あの藤林椋と同じ制服の女(宮沢有紀寧)だった。
 怒気がこみ上げてこようとするのを押さえつつ、柳川は威圧的に、ドスの利いた声で質問……いや、尋問した。
「正直に答えろ。でなければ撃つ」
 躊躇なくディテクティブスペシャルを抜いて構える。ごくり、と息を呑む音が聞こえてきそうなくらい二人はガチガチになっていた。

「まず一つ目だ。特にそこの制服の貴様に聞きたいんだが……藤林椋という女を見なかったか? ボブカットで、見た目は大人しそうな奴だ」
 ディテクティブスペシャルの銃口を向ける。有紀寧は一瞬考えるような表情をしたが、「……知りません」と返してきた。
「本当だろうな」

103素敵な間違い:2007/12/18(火) 22:02:18 ID:Uwgruf260
 こめかみに標準を合わせるが、有紀寧は本当に怯えた様子で「ほ、本当です! 信じてください!」と涙声で訴えた。だがそれは以前椋の嘘を経験した柳川にとっては信じがたいものだった。撃鉄を上げてさらに脅そうとしたところ、横から初音が庇うように覆いかぶさり、「やめて! 有紀寧お姉ちゃんは嘘なんてつかないよっ!」と叫んだ。しかし柳川はなお冷徹な表情で、
「俺はそうやって以前も騙された。もう騙されるわけにはいかない。邪魔をするな」
「ダメっ! 撃つなら……私から先に撃って!」
「い、いけません柏木さん! 柏木さんには何も罪はありません! 殺すならわたしから先に……」
 ……追及しようとしたのだが、二人が代わる代わる互いを庇おうとしていることと、『柏木』という言葉から急激に疑念が薄れていった。

 あきれ果てた様子で柳川は一旦銃口を下ろした。
「もういい。その女に関しては信じる。それよりお前の方だ。柏木……とか呼ばれてたな」
「そう……だよ?」
「名前を教えろ。確かめたい事がある」
 初音はしばらく柳川と有紀寧の両方を見ていたが、有紀寧が「わたしは大丈夫ですから」と言うとこくっと頷いて、「初音……柏木初音」と答えた。

 やはりな、と柳川は思った。あの鬼の気配と柏木姓……それにその名前。柳川はディテクティブスペシャルを仕舞うと僅かに警戒を解いて言った。
「お前の姉が探していたぞ。柏木梓がな」
「梓お姉ちゃんを知ってるのっ!?」
 初音が驚いた様子で訊く。知ってるも何も柳川は彼らの叔父に当たるのだが……面識のない初音は知らなくても仕方のない事だった。
「実際に会った。まあそれだけじゃないんだがな……俺は、お前の叔父だ。柏木初音」
「叔父……さん?」

 今度は初音が信じられないというような様子で柳川を凝視する。まあ当然だろう。見ず知らずの男が叔父と名乗るのだから。
「別に今信じなくてもいい。だが柏木梓と会ったのは本当だ。もっとも半日以上前の事だが」
「そうなんだ……」
 散々疑っていた柳川と違い、あっさりと信じてしまった初音に柳川は苦笑する。叔父ということに関してはまだ半信半疑のようだったが。
「ともかく藤林椋のことを知らないならいい。邪魔したな」
 一通りの情報を得た柳川が去っていこうとすると、不意に後ろから声がかかった。

「待って、おじさんっ!」
「おじ……」
 普段なら待たないはずであろう柳川だったが流石にこの年でおじさん扱いされるのは気に食わなかった。努めて冷静に、柳川は初音の元まで戻る。
「あのな、俺は……」
「おじさん、私の親戚なんだよね? だったら一緒に行こうよ」
「は? 何を……いやそうじゃなくてだな」
 何故銃口を向けた人間に対して一緒に行こうなどと言えるのか。そして俺はおじさんじゃないと言おうとするが、初音は気にした様子もなく柳川の手を取る。華奢で、温かかった。

104素敵な間違い:2007/12/18(火) 22:02:39 ID:Uwgruf260
「どうして? イヤなの?」
「別にそういうわけじゃないが……」
 なんとも言えない表情で辺りを窺うと、初音から一歩引いた位置に有紀寧が立っていた。
「そうだ、お前。お前はいいのか、自分に銃口を向けた相手と行動して」
 一般論を求めようとするが、有紀寧もまたきょとんとした様子で、
「柏木さんのご親族ならきっと大丈夫だと思いますけど……何か問題でもあるんですか? それに、わたしたち二人じゃ何かと心細いですし」
「ほら、有紀寧お姉ちゃんもそう言ってるよ?」
「……」

 柳川は頭を抱える。どうして自分にはこうも両極端な人間しか寄ってこないのか。あれだけ疑っていた自分がバカらしく思えてくる。
「……柳川だ。俺の名前は柳川裕也。今度からはそう呼べ」
「そっか、柳川おじさんだね。ごめんね、今まで名前が分からなかったから」
「いやだから問題はそこじゃ――もういい! 先に行くぞ」
「あ、待ってよ柳川おじさん!」
 おじさんと初音が呼ぶたびに若干の精神的ダメージを受けながら、柳川は立ち止まらなければ良かった、と後悔し始めていた。

 そのせいだろうか、柳川は気付くことはなかった。
 柳川の後ろを歩く、柏木初音の後ろで妖しげな笑みを浮かべている宮沢有紀寧の姿に――

105素敵な間違い:2007/12/18(火) 22:03:06 ID:Uwgruf260
【時間:2日目午後12時00分頃】
【場所:G−5、道の分岐点】

宮沢有紀寧
【所持品:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×19、包帯、消毒液、スイッチ(5/6)、ゴルフクラブ、ノートパソコン、支給品一式】
【状態:前腕軽傷(完治)、強い駒を隷属させる(基本的に終盤になるまでは善人を装う)、柳川を『盾』と見なす】

柏木初音
【所持品:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:柳川おじさんに少しなついた。目標は姉、耕一を探すこと】

柳川祐也
【所持品①:出刃包丁(少し傷んでいる)】
【所持品②、コルト・ディテクティブスペシャル(5/6)、支給品一式×2】
【状態:左肩と脇腹の治療は完了、ほぼ回復。椋を見つけ出して殺害する。その次に主催の打倒。……俺はおじさんじゃない!】

【その他:有紀寧のコルトパイソンは二人には存在を知らせてない。スイッチも同様】
→B-10

106第二回定時放送(B−4):2007/12/20(木) 02:30:15 ID:SebB/CEY0
時刻は午前5時50分……

久瀬は数々の惨状を見せられ、疲弊しきっていた。
多すぎた。あまりにも死人が多すぎた。
実の所彼は少し期待していた。
時間が経てば混乱していた者も落ち着いて、殺し合いが収まってくれるのではないかと。
だが実際には、殺し合いはますます激しさを増していくばかりだった。

ある者は一方的に殺され、またある者は裏切られて殺された。
特に酷かったのは、指を1本1本切り落とされて惨殺された女性だった。
その女性は最期の瞬間まで想像を絶する悲鳴を上げ続け、返り血に塗れた加害者の女性は笑いながら包丁を振るい続けた。
その一部始終を見ていた久瀬はとうとう嘔吐感を堪えきれなくなり、腹の中の物を全て吐き出していた。

自分が確認出来ただけでも10名以上の人間が命を落としていた。
恐らく―――その倍以上の数の人間が、既に物言わぬ躯と化しているのではないか。


そして第2回放送の時がきた。

画面が真っ黒に染まり、ゆっくりと赤く浮かび上がる番号、そして名前。
「そ、そんな……こんなに大勢の人が……」
予想以上の死者の数に震えが止まらない。いや、しかしこの震えの原因はそれだけではないだろう。
『倉田佐祐理』。彼女の名前だけ、一際強い存在感を放つように思えるのは気のせいだろうか。
・・・・・・呼吸が、乱れる。知らずうちに漏れた涙が表す感情の揺れに、久瀬自身どうしていいか分からなかった。


『それじゃ久瀬君、今回もよろしく頼むよ』
一回目の放送の時と同じくウサギが一瞬画面に現れ、その一言だけを告げまた消える。
久瀬は今にも倒れこみそうなくらい疲弊していたが、それでも彼に選択肢は一つしか用意されいない。

107第二回定時放送(B−4):2007/12/20(木) 02:30:45 ID:SebB/CEY0
「――みなさん……聞こえているでしょうか。
これから第2回放送を始めます。辛いでしょうがどうか落ち着いてよく聞いてください。
それでは、今までに死んだ人の名前を発表…します」


画面に目を戻す。これだけの人数の人間が死んだのだ。
きっとここに名前が載っている者の友人や家族も沢山いるだろう。
彼らの気持ちを考えると、やりきれないものがあった。
だがここで自分が抗っても死体が一つ増えるだけだ。
意を決して何とか言葉を捻り出す。

「――それでは発表します。

108第二回定時放送(B−4):2007/12/20(木) 02:31:16 ID:SebB/CEY0
003 朝霧麻亜子
009 イルファ
017 柏木梓
020 柏木千鶴
022 梶原夕菜
023 鹿沼葉子
025 神尾観鈴
029 川名みさき
036 倉田佐祐理
042 河野貴明
044 小牧郁乃
050 里村茜
051 澤倉美咲
054 篠塚弥生
056 新城沙織
059 住井護
060 セリオ
067 月島瑠璃子
071 長岡志保
072 長瀬源蔵
074 長森瑞佳
076 名倉友里
080 仁科りえ
084 姫川琴音
085 姫百合珊瑚
086 姫百合瑠璃
089 藤田浩之
090 藤林杏
093 古河秋生
094 古河早苗
099 美坂香里
105 巳間晴香
109 深山雪見
111 柳川祐也
112 山田ミチル
113 湯浅皐月
117 吉岡チエ
119 リサ=ヴィクセン

109第二回定時放送(B−4):2007/12/20(木) 02:31:35 ID:SebB/CEY0
 ――以上…です……」

自分の役目を終えた久瀬はがっくりと項垂れた。
強制されているとは言え、島にいる者達に悲しみを、絶望を、自分の手で与えてしまったのだ。
佐祐理の件でも充分消耗してしまったのもあり、体力だけでなく精神的にももう限界が近かった。

そこで突然画面が切り替わりウサギが画面に現れた。
『さて、ここで僕から一つ発表がある。なーに、心配はご無用さ。これは君らにとって朗報といえる事だからね』

話ぶりからしてウサギは放送を通じて島全体に対して話しかけているようだった。
久瀬は他の参加者達と同様、ただ黙って話に聞き入る事しか出来ない。

『発表とは他でもない、ゲームの優勝者へのご褒美の事さ。相応の報酬が無いと君達もやる気が上がらないだろうからね。
見事優勝した暁には好きな願いを一つ、例えどんな願いであろうと叶えてあげよう』
(―――何!?)
信じ難い発言に、久瀬の目が見開かれる。
戸惑う久瀬に構う事なく、ウサギの話は淡々と続けられていく。

『だから心配せず、ゲームに励んでくれ。君らの大事な人が死んだって優勝して生き返らせればいいだけだからね』

話を聞き終えた久瀬は蒼白になっていた。
常識的に考えればどんな願いでも叶えるという事など出来る訳が無い。
優勝者の願いを叶えるよりも、裏切って殺す方が圧倒的に手軽である。そして主催者達は間違いなくそうするだろう。
だがゲームの極限状態の中で、放送による悲しみの中で、どれだけの人間が冷静に判断を下せるというのだろうか。
一体何人の参加者があの話を鵜呑みにしてゲームに乗ってしまうのだろうか。

―――信じるんじゃない、これは罠だ!餌をぶらさげて殺し合いを加速させるための罠だ!!

そう参加者達に伝えたかった。だが今の彼にはそれが許されていない。
久瀬は自分の無力を呪い床を力の限り殴り続けた。
程なくして彼は力尽き、意識を失った。

110第二回定時放送(B−4):2007/12/20(木) 02:33:04 ID:SebB/CEY0
久瀬
 【時間:2日目06:00】
 【場所:不明】
 【状態:極度の疲労による気絶】

【状態:正規参加者66人+非正規参加者6人】
【備考:首輪が外れた参加者は、例外なく放送にて名前を呼ばれる】

当時改変使用の許可をいただいていましたので、他ルート第二回放送を使いまわさせていただきました。

まとめサイト様へ
お手数ですが、B-4に「505話・正義にも悪にも凡人にもなれる男」を入れていただければと思います。
よろしくお願いします。



あと個人で描いていたハカロワ3の落書きがかなり溜まっていたので、いくつか上げてみました。
パスは「hakarowa3」です。
ttp://www.uploda.org/uporg1163006.zip.html
あくまで自分のポテンシャルを上げるための物だったので非常に汚いのですが、
よろしければどうぞ。

111学校探検隊/いま、助けを呼びます:2007/12/22(土) 21:06:39 ID:bJ92dPqU0
「ところで、ことみ君」
 視聴覚室での会議を終えた霧島聖と一ノ瀬ことみは爆弾の材料を探すためにまずはこの校内から調べていくことにした。その視聴覚室を出てすぐの階段で、聖がことみに質問する。
「一階の職員室だが……どうする? 一応調べておくか?」

 聖達が学校に来た時点では職員室にも明かりがついており、即ち何者かが侵入していたという証拠である。有益なものが残っているとは思えないし、立ち寄る必要も無いが……一応訊いておくことにした。
 ことみはしばらくうーん、とメトロノームのように首を振った後、「行こう」と言った。
「職員室でも何か有用なものはあるかもしれないの。それに、職員室のパソコンにだったら首輪の情報があるかもしれないし」
「なるほどな」

 『解除』する気はさらさらないくせに、と聖は心中で笑う。そういえば学生の頃の職員室は、机の中に生徒からの没収品やら先生の私物やらでいっぱいだったな、などと思い出す。ひょっとしたらその中にまともなものがあるかもしれない。行く価値はありそうだ。
「ではまず職員室に向かおう。アレはその後だな?」
 アレ、とはもちろん硝酸アンモニウムのことだ。理科室は学校を見て回るうちに二階にあると分かっていたので、聖とことみはそのまま階段を下りて職員室まで向かった。

     *     *     *

「これは……ひどいな」
 職員室へ向かった聖とことみが目にしたのは、凄惨な殺戮の残り香だった。
 室内は滅茶苦茶に荒らされており、激しい戦闘があったことが窺える。プリントが散乱し、花瓶が割れ、机に激しい傷がつき――学級崩壊ならぬ、職員室崩壊と言えるような様相であった。

 それ以上に酷いのは部屋の中にあった二つの死体だ。
 一人は首を鋭利な刃物で掻き切られ、目は驚愕に見開かれている。自身の死を理解できないまま倒れてしまったのだろうが、今も呼吸を求めているかのように開かれた口が、ただただ痛ましい。
 もう一人のほうは胸部に釘のようなものを打ち込まれ、それが死因となって倒れたようだった。先程の少女と違い、心臓に直接釘が打ち込まれていることで即死になり、苦しまずに死ねたのはせめてもの救いかもしれないが……何も、こんな年端のいかない子供を殺すこともないだろうに、と聖は怒りを感じていた。

112学校探検隊/いま、助けを呼びます:2007/12/22(土) 21:07:02 ID:bJ92dPqU0
「先生……」
 ことみのほうを見ると、彼女は今にも吐き出しそうに口元を押さえ時々おえっ、と呻いていた。聖は学生の頃に研修で死体の解剖を行ったことがあるからある程度の耐性はあったが、当然普通の女の子であることみにそんなものがあるわけがない。聖は職員室の隅にあった毛布を持ってきて、二人を優しく包み込むように被せた。
「済まんな、生憎墓を掘ってやれるだけの力がない。これで勘弁してくれ」
 聖が毛布の前で手を合わせるとことみも相変わらず涙目で気分の悪そうなまま一緒に手を合わせた。後で保健室に寄るべきだな、と聖は思った。

 一通り供養を済ませて後、職員室を探すかどうかことみに尋ねるが、相変わらず彼女は気分が悪そうなままで「これだけめちゃくちゃだとどうしよーもありまへん、さっさといきまひょ」と何がなにやらの口調で探索は諦めるように言ってきた。
「そうだな、その方がいい……ん?」
 物陰にあって分かり辛かったのだが、何か携帯電話のようなものが落ちているのに聖は気付いた。
「これは……」
 拾い上げてパチンと開いてみる。なんということはない、普通の携帯電話だ。機能を確認する限り通話も可能なようだが……
「……ふむ」

 試しに、自宅である霧島診療所に電話をしてみる。しかしプルルルル、という音すらすることなく無音が残るだけだった。
 続いて110番、119番、果ては177番まで試してみたが、全て結果は同じ。使えるのだか使えないのだか分かりゃしない。
「全部ダメだった?」
 聖は黙って頷いた後「どう思う?」と尋ねる。ことみはまだ気分の悪そうな顔のまま、視線を上に向けて何か考えるような表情をしたあと、「今から言う電話番号を押してみて」と言った。
 何か分かったのだろうかと思いながらも言われた通りに、ことみの言った電話番号を押してみる。すると――

『ピリリリリッ!!!』

「何だっ!?」
 いきなり職員室に鳴り響く警告音のようなもの。何かまずいことでもしてしまったのだろうかと狼狽する聖を尻目に、ことみがつかつかと歩いていき、警告音を発していたものを取る。
「『もーしもーしかめよーかめさんよー』」
「……」
 耳元から聞こえてくる能天気な声。もちろんことみが瞬間移動してきたとか、そんなわけはない。そう、この声は携帯電話から聞こえてきていた。

113学校探検隊/いま、助けを呼びます:2007/12/22(土) 21:07:24 ID:bJ92dPqU0
「『思った通りなの、おーばー』」
「『どういう事だ、オーバー』」
「『さっき言った番号はこの電話に書かれてあった学校の電話番号。おーばー』」
「『……つまり、この携帯は島の中の施設にある電話にしか通じない、という事か? オーバー』」
「『Exactly(そうでございます)。先生、インターネットには繋げる? おーばー』」
「『一応な。ということは、これも……オーバー』」
「『ローカルなネットワークにしか繋げない。例えば、この学校のホームページとか。おーばー』」
「『……電話専用、と考えた方がいいな。オーバー』」
「『でも、連絡をとるだけならかなり使えそうなの。おーばー』」

 そろそろ飽きてきた聖が携帯の通話ボタンを切ってポケットに仕舞う。ことみは少々残念そうな顔をしたがすぐに受話器を置いて聖の元へ戻ってきた。
「だとすると、分かれて探索していてもある程度連絡は出来るな。ある意味では収穫だ」
「電話がある施設にいることが重要だけど。それに……」
 ことみが首輪をとんとん、と叩く。なるほど、盗聴も考えられるか。一旦分解して中身を調べられればいいんだが、と聖は考えるが生憎聖は医者、ことみがいくら頭がいいとは言えそこまでの知識があるとは思えない。結局TPOをわきまえて使わないとダメらしい。

 霧島聖様、今月の通話料ですが10万6500円となっておりまして……いやはや。

「さて、次はアレだが……ことみ君、気分は大丈夫か?」
「……ぼちぼちですわ」
 言われた途端、ぶり返してきたのか電話では饒舌だったことみが再び顔色を悪くしていく。やれやれ、保健室に直行だな。
「無理はするな。保健室に向かうぞ」
 あいあいさー、と力なく敬礼をすることみを連れて、聖は保健室へ向かうことになった。

     *     *     *

 火事場の馬鹿力、とはこの事を言うのだろうかと折原浩平は思った。
 身体がやけに軽く、足はまるでずっと回り続ける風車のように動き続けている。
 痛いはずなのに。息はもうとっくに切れているはずなのに。
 実際、もう脳だけは疲れただのもう限界だの情けないシグナルを出していた。それに走っていると言っても人から見ればフラフラのヨレヨレのまったく格好悪い姿なのだろう。そんな自分を想像してか、浩平はへへへ、と笑った。

114学校探検隊/いま、助けを呼びます:2007/12/22(土) 21:07:48 ID:bJ92dPqU0
「おい藤林、まだ起きてるか!」
 さっきから黙っているばかりでぐったりとしている、背中の藤林杏へと向けて声をかける。
 しかし返事らしい返事はなく時折苦しそうに呻く声が聞こえてくるだけだった。意識があるのかどうかすら怪しいと言わざるを得ない。
「くそっ、参ったな……うおっ!?」

 余所見していた罰でも当たったのだろうか、前に出した右足が地面を捉える感触がなくなったかと思ったときには、浩平は急な傾斜を転がり落ちていた。
 ガツンガツンと小石らしきものが体中にぶつかり、塵や泥が服を汚す。だが男の意地か反射的にとった行動かは分からないが、しっかりと杏の身体を守るように抱きかかえていたお陰で杏自身に新しい怪我などはないようだった。
 ようやく石がぶつかる感触がなくなり、転がっていた身体の動きが止まる。そのまま浩平は夢の中のお花畑に直行して酒盛りしたい気分に駆られたが、そうしたら杏が本当のお花畑に連れて行かれてしまう。迫り来る死神から王女様を救い出せるのは、浩平しかいないのだ。
 とんでもないじゃじゃ馬だけどな、と心の中で言って浩平はまた立ち上がり杏を背負い直す。まだ地球の引力には負けないくらいの体力は残っていたらしい。
 加えて坂を転がったことが結果的に近道になったらしく、すぐ目の前には鎌石村小中学校の威圧的な校舎が構えていた。

 へへへ、とまた浩平は笑った。
 面白くなってきやがった。
 忘れずにデイパックも持ってからまた走り出す。
 こんな切羽詰った状況にも関わらず、浩平はいつも住井と悪だくみをしている時のような爽快感を得ていた。
 普段ものぐさ太郎で本気で運動することもなかった自分が、今こんなにも一生懸命に走っている。そうだ、小学校初めての運動会、その徒競走に参加するピカピカの一年生のように。

「絶対に死なせやしないからなっ、覚悟しとけよ杏さんよ!」
 校舎に入っていく寸前、ずり落ちそうになった杏を抱え直しながら、浩平は大きな声で言った。

「……さて」
 宣言してしまった以上絶対に保健室まで連れて行かねばならない義務を抱えてしまったわけだが。
「右か左か」
 昇降口を抜けたすぐ後には、左右へと長く広がる廊下が続いていた。昼間だというのになお薄暗く、木製の床とコンクリートの壁、そして傷のついたガラス窓はその不気味さを際立たせている。だが今はそんなものに怖気づいている暇はない。
「せっかくだから、オレはこの左の道を選ぶぜ」

115学校探検隊/いま、助けを呼びます:2007/12/22(土) 21:08:10 ID:bJ92dPqU0
 特に理由もなく勘に任せて、浩平は無遠慮に校舎に土をばら撒きながら走る。プレートに注意しながら。『保健室』の文字を見逃さぬように。
 50%の宝くじ。果たして当たるかどうか……
 つつっ、と浩平の頬に何か生暖かいものが流れ落ちる。何かと思ったが、血だった。どうやら転げまわった際どこか怪我してしまったらしい。
 意識を逸らしかけたところでそうしてる場合じゃないことに気付き上を見上げたとき、『保健室』の文字が目に飛び込んできた。
「あったっ!」
 すぐさま扉に張り付き思い切りドアを開け放とうとして――先にドアが開いた。目の前に立っていたのは……
「なっ」

 何やら爪のようなものを手にはめた白衣の女性だった。
 先客――!? それも、ゲームに『乗っている』!?
 浩平が慌てて飛び退こうとしたとき、浩平の惨状を見た女性――霧島聖はすぐに爪を外して浩平へと寄ってきた。
「酷い怪我だな……どうした、治療でもお望みか」

 聖の言葉に少し戸惑った浩平ではあったが、躊躇している暇などないことは分かっていたのですぐに返事する。
「あ、ああ! すごい怪我人がいるんだ! 頼む、治療させてくれっ!」
「なるほど、そうか。少年は運が良かったな」
 聖はそう言うと背中にいた杏をひょいとお姫様抱っこの要領で拾い上げると、ニヤリと笑って言った。
「私は、医者だ。それもとびっきりのな」

     *     *     *

「あちこちに銃創を負ったまま森の中を走ってきた? まったく、感染症になっても知らんぞ」
 血だらけになった杏の顔を拭いながら、聖は呆れたような声を上げた。浩平もまた自分で汚れた部分を拭いながら聖に反論する。
「そうは言いますけどね。凶悪殺人犯から逃げるためには仕方なかったんだ」
「その、凶悪殺人犯と言うのは?」
「名前は分からない。丁度聖さんのような長髪の黒髪で、変な生き物に乗って刀とマシンガンを振り回してました」
「ふむ、心当たりはない、が……」

116学校探検隊/いま、助けを呼びます:2007/12/22(土) 21:08:34 ID:bJ92dPqU0
 聖はそう言いながら包帯と鋏、消毒液を浩平に投げて寄越す。
「治療は自分でしろ。私はこっちの方を手当てしなければならないのでな。ああ、ついでに外でやってくれ」
 器用に空中で受け取りながら、浩平は疑問を口にする。
「一緒にいてちゃいけませんか?」
 しかし聖はゆっくりと首を横に振った上で窘めるように笑いながら言った。
「君はそんなにこの子の裸を見たいのか?」
 しばらくその言葉の意味が理解できなかった浩平だが、やがてその意味に気付くと「す、すいません」と慌てるようにして席を立った。

 浩平が出て行く直前、聖が言葉をかける。
「もう少ししたら私の連れが帰ってくるから説明を頼むぞ。それと……治療は長丁場になる」
 ドキリとしたように身を震わせた浩平だが、「……杏を頼みます」と一言残して保健室の外へと出て行った。

 扉を閉めた後、浩平は近くの壁に背を預けるように座り込んだ後、治療を開始する。割とこういうことに関しては慣れていたため比較的早めに終わった。
「やれやれ、今まで以上に包帯だらけだな」
 ほぼ全身にわたって巻かれている包帯を見ながら浩平は苦笑する。苦笑した途端、今まで感じなかった痛みがぶり返してきた。切り裂かれたような、鈍器で殴られたような、引き攣るような、沁みるような……痛みの種類が一緒くたになって押し寄せてきたような感じだ。

 もう動きたくない、と思いながら、浩平はそう言えば杏のことを名前で呼んでいたな、ということをふと思い出した。
「まっ、いいか」
 それよりも今は横になりたい。埃だらけであまり衛生環境上よろしくない床に寝転がりながら目を閉じようとしたとき、廊下の向こうから二本の肌色の電柱がやってくるのに気付いた。

「うおっ、妖怪肌電柱かっ!」
 妖怪ミイラ男が声を上げて飛び起きたところ、果たしてそれは妖怪ではなかった。
 霧島聖の連れであり日々絶望的につまらない駄洒落を開発することに暇が無い天才少女、一ノ瀬ことみが、なんか用かい? とでも言うように首を傾けたあと、「でんちゅう?」と言った。
「あ、いや、それは……」
 うーん、とことみは何か考えるような仕草をすると、急に思い出したようにぽんと手を打った。

117学校探検隊/いま、助けを呼びます:2007/12/22(土) 21:08:56 ID:bJ92dPqU0
「殿ー殿ー! 殿中でござる、殿中でござるー」
「惜しいけど違う」
「新種のポケモン?」
「それはデンリュウ」
「……いじめっ子?」
「いやいやいや、その結論はおかしい」
「ところで、誰?」

 びっ、と寝たままの浩平を指差して本来一番最初に尋ねるべきことをようやく訊いてきた。浩平は寝転がったまま、答える。
「新種のポケモン」
「そうなんだ……はじめまして。私は一ノ瀬ことみです。趣味は読書です。もし良かったらお友達になってくれると嬉しいです」
「いやいや、そこは納得するなよ……」
 見事にボケをスルーされた件について若干の哀愁を覚えながらも浩平は身を起こし、頭を下げて自己紹介する。
「折原浩平です。趣味は乙女志望の女の子に悪戯することです。よろしく」
 手を差し出す浩平だが、ことみは困ったような表情になって、言った。

「ロリコン?」
「なんでそうなるんだっ!」
 嘗ての高槻と同じ扱いをされたことに怒りを露にしながら詰め寄った。ことみは半べそになりながら答える。
「えぇ、だって女の子に悪戯って……」
 それはエロゲのやりすぎですぜお嬢さん、と言いたくなるのを堪え、努めて冷静にことみの肩を持つ。
「悪戯と言ってもだな、枝毛を引っこ抜いてやったり寝ている間に額に『肉』と書いてやったりとかそういう類の悪戯だよ。お分かり? オレは紳士的な悪戯師なんだ」
 ことみはまたしばらく困ったような表情になって、言った。

「変態という名の紳士?」
 殴ってもいいですか師匠。
 ユーモア精神をクソほども理解できてない目の前の一ノ瀬さんちのことみちゃんを矯正してやろうかと思ったが、また全身が痛み始めてきたので、やめた。
「すいませんでした。オレは至って普通の男子高校生です」
「そうなんだ……」
 素直に納得してくれた。よかった、変態やロリコンにならずに済んだ、と何故か浩平は安堵していた。

118学校探検隊/いま、助けを呼びます:2007/12/22(土) 21:09:17 ID:bJ92dPqU0
「こんなところで何してるの?」
 長い長い自己紹介が終わり、次にことみが話題にしたのは保健室という休憩所があるにも関わらず座り込んでいる浩平についてだった。
「……ちょっと、仲間を治療しててもらっててな。あんた、聖さんの連れだろ?」
「先生とお友達?」
 まあそんなところだ、と浩平は答え心配そうに保健室の中を見た。

「今は集中治療中でな。一般の方は入場禁止だそうだ」
「そんなに酷いの?」
「ああ、何しろ全身に銃弾を喰らったからな……そういや、あんた杏と同じ服だな。ひょっとして同じ学校か?」
 浩平が杏の名前を口に出した瞬間、ことみが驚愕したように目を見開く。
「杏……ちゃん?」
「ん? 知り合いだったのか……って、おいことみ!?」

 保健室の扉を開けようとすることみを、痛む体で必死に抑える浩平。
「話聞いてなかったのかよっ、入室禁止だって言ったはずだぞ!」
「だって、杏ちゃんが、杏ちゃんがっ!」
 狂乱した表情のことみに浩平は驚きながらも、懸命に力を振り絞って扉から引き剥がす。
「オレだってついててやりたいのは山々なんだよっ! でも聖さんの邪魔になっちまうかもしれないだろ!」

 引き剥がされたことみが、今度は浩平に向かってキッとした表情を向ける。先程のボケ倒しからは想像もできないような険しい表情だった。
「誰……? 杏ちゃんをこんなにしたのは……どんなわるもの!?」
 違う。それは既に『憎悪』に塗り変わっていた。それほどまでに大切な友達だったのだろうかと浩平は考えるが、まずはことみを落ち着かせるべきだった。
「落ち着けっ、まだ杏は死んだわけじゃない。聖さんが治療を終えるまで待てよ! お前も聖さんの連れなら分かるだろ、あの人が腕のいい医者だ、って」
「先生……」
「そうだ、説明なら後でゆっくりしてやる。だから今はそんなピリピリすんなよ……杏の無事を祈ろうぜ」
「……うん、分かったの。……ごめんなさい」

 浩平の説得を受けたことみが、ゆっくりと息を吐き出して徐々に元の雰囲気を取り戻していく。まるで子供みたいな感情の変化だった。
(わるもの、なんて言ってるあたり、あながち間違いじゃないのかもしれないな……骨が折れそうだ)
 文字通りの体の軋みを未だに感じながら、浩平は扉の横で座り込んでいたことみの横に座る。何とも言えない徒労感が、そこにあった。
 ほぅ、と一つため息をついて浩平は顔を俯けていることみに話しかけてみる。

119学校探検隊/いま、助けを呼びます:2007/12/22(土) 21:09:43 ID:bJ92dPqU0
「杏とは、仲が良かったのか?」
「うん。大切な……とってもとっても大切な、お友達。渚ちゃんも、椋ちゃんも、朋也くんも」
 残りの三人の名前は浩平は知らなかったが、恐らく杏と同様の友人だろう。友人と言えば瑞佳や七瀬は無事なんだろうか、とも思ったが今は取り合えずその思いを打ち消して話を続ける。

「そうか……聖さんによれば長丁場、らしいけどさ、きっと大丈夫だって。それにあいつ、熊でも倒せそうなくらいファイティングスピリッツに溢れてるしな」
 浩平が辞書投げのモノマネをすると、ことみも少しだけ笑った。
「うん、杏ちゃんならきっと世界の頂点も狙えそうなの。ツッコミも上手だし。私はまだまだ修行中なの」
 なんでやねん、とツッコミの真似事をすることみ。修行してもことみはいつまで経ってもボケの王者じゃないのか、と浩平は思ったがそれには言及しないことにした。涙ぐましい努力は続けてこそである。
 ならばオレがツッコミの奥義を教えてやろう、と言おうとしたとき、ガラガラという音と共に満足そうな表情の聖が顔を出した。

「先生!」「聖さん!」
 即座に詰め寄ってくる二人を「はいはい落ち着きたまえ」と軽くあしらった後、聖は保健室の中を見せる。そこには苦しげな表情で眠っている杏の姿があった。
「見ての通り、取り合えず命は無事だ。ただもう少ししないと目を覚まさないだろうがな。それと……うなされてもいるが。今は君達が近くに居てやったほうがいいだろう。がその前に、折原君の話を聞かせてもらうぞ。拒否はしないだろうな」
 どこからか取り出したメスの刃がギラリと光るのを見て「滅相もない」とカクカク頷く浩平に「ならよし」と保健室に入っていく聖とそれに続くことみ。
 まあ何はともあれ、まずは杏の命が無事で良かった、と思う浩平であった。

「……待てよ?」
 何かを忘れているような気がする。何か一つ、足りないような気が……
 浩平はデイパックの中を漁ってみる。それでようやく、彼は重大な事実に気付いた。
「あーーーーーーーーーーーーっ!」

120学校探検隊/いま、助けを呼びます:2007/12/22(土) 21:09:59 ID:bJ92dPqU0
     *     *     *

「ぷひ……」
 てこてこと所在なさげに動き回っているのはご存知杏のペットでありポテトのライバルであるボタン。悲しいことに、彼(?)は浩平が斜面を滑り落ちた際、誤ってデイパックからおむすびころりんのように出てきてしまい、見事にご主人たちと離れ離れになってしまったのである。
「ぷひ〜」
 しばらくは悲しげな表情をしていたボタンであるが、やがて何かを決意したような表情になるとててて、とどこかへと駆け出していった。
 目的はただ一つ。愛するご主人様を草の根分けてでも探し出すことである。

 ここに大長編スペクタクル連ドラ、『杏を訪ねて三千里』が誕生することになろうとは、一体誰が予想できたであろうか?


 続く!

121学校探検隊/いま、助けを呼びます:2007/12/22(土) 21:10:24 ID:bJ92dPqU0
【時間:二日目午後13:00】
【場所:D-6】

霧島聖
【持ち物:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)】
【状態:爆弾の材料を探す。まずは学校で硝酸アンモニウムを見つける】
一ノ瀬ことみ
【持ち物:暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯】
【状態:爆弾の材料を探す。杏ちゃんが心配。まずは学校で硝酸アンモニウムを見つける】
折原浩平
【所持品:包丁、フラッシュメモリ、七海の支給品一式】
【状態:打ち身、切り傷など多数(また悪化。ズキズキ痛む)。両手に怪我(治療済み)。杏の様子を見てから行動を決める。しまった!ボタンをわすれた!】

藤林杏
【所持品1:携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、ほか支給品一式】
【所持品2:スコップ、救急箱、食料など家から持ってきたさまざまな品々】
【状態:重傷(処置は完了。回復までにはかなり時間がかかる)。うなされながら睡眠中】


【時間:二日目午前12:00】
【場所:C-6】

ボタン
【状態:杏を探して旅に出た】

【その他:ことみの気分の悪さは浩平が学校にたどり着いたときには解消されてます】
→B-10

122sing a song,my precious:2007/12/24(月) 21:52:21 ID:mGsbodYA0


「……っ、ぁ……」

狭い民家の一室に、熱っぽい吐息が響いた。
そこに混じる嬌声を、どこか他人の声のように七瀬彰は感じていた。
薄く白い胸を、蛇を思わせる爬虫類じみた舌が執拗に嬲っていく。
浮き出た肋骨と肋骨の間に滲む汗を舐め取って、舌の持ち主が顔を上げた。
眼鏡の奥の隻眼が、彰のそれを捉えて細められる。
柳川祐也だった。
片方の目を覆うように走った傷痕は醜く爛れ、端正な顔立ちを損ねている。
沸き起こる嫌悪感を抑えながら、彰がそっと微笑み返す。
幼子を安心させる慈母のような、それは優しげな笑みだった。

「……柳川さんの、好きなようにしていいから」

胸元の顔を抱きしめるようにして、そっと囁くように、彰が言う。
安堵するように頷く柳川の指が、一糸まとわぬ彰の背を這うようにまさぐる。
愛撫とも呼べぬその仕草を、彰は黙って受けていた。
もとより性体験など無いに等しい彰のことである。
本や映像による知識はあっても、何が愛撫で何がそうでないのか、区別がつかなかった。
柳川のするに任せ、静かにその舌と指による刺激を受け止めていた。
幸い保健室で襲ってきた男とは違い、柳川の愛撫は緩やかで、熱による吐息の中に
時折小さな声を混ぜるのにも、演技をする必要はなかった。

「……ん……っ」

柳川の舌が、彰の顎の下を舐める。
同時にその指が背筋を辿り、尻の少し上、背骨の下の窪んだ部分を捏ね回すようにして蠢いていた。
知らず、彰が小さく腰を浮かす。反射的に菊座が締まるような感覚。

「貴之……」
「柳川……さん……」

熱に浮かされたような柳川の囁きに、彰が応えを返す。
もう幾度となく繰り返された呼びかけ。
柳川が、この貴之と呼ばれる誰かの影に自分を重ねていることは、彰にも分かっていた。
それが柳川のみる夢の形なのだろうと、彰は思う。
それならそれでも、構わなかった。
愛がほしいのではない。ただ、夢を売る代価をさえ支払ってもらえれば、鬼の力が自分を護ってくれさえすれば、
それでよかった。だから、こうして抱かれている。

123sing a song,my precious:2007/12/24(月) 21:52:50 ID:mGsbodYA0
「……ふ……ぁ」

冷たい眼鏡のフレームが、彰の頬を撫でる。
首筋から上ってきた柳川の舌が、耳の裏を責めていた。
不快感と顔が熱くなる感覚とをない交ぜにしたような不思議な感触が、強引に引きずり出される。
思わずシーツを握りしめたその指が、柳川のそれに捉えられていた。
指と指が絡み合う。
彰の湿った掌を、柳川が親指の腹で撫で回す。
くすぐったさに身を捩る彰を離すまいと、空いた方の手で彰の腰をしっかりと抱く柳川。
汗にごわついた髪が耳の中を小さく擦る感触に眉を寄せながら、彰は全身に柳川の温もりを感じていた。
絡めた手を、柔らかく握られる。
少しだけ離れた柳川の顔が、再び近づいてくる。
目を細めて、彰は静かに口づけを受け入れていた。
ついばむように彰の唇をかすめる柳川のそれが、静かに開く。
生温かい吐息と、一瞬遅れてのばされた舌が、彰の口腔を侵していた。
彰もまたそっと舌を出して、柳川の粘膜を迎える。
濡れた感触が、彰の舌を捏ね回す。

「ん……ふ……」

本に書いてあったことなんて全部嘘だ、と彰は思う。
気持ち悪い、とだけ感じた。
ねちゃねちゃという音も、舌先でそっとつつくようにこちらの舌の表面が刺激される感触も、
導かれるように吸われ、甘噛みされる瞬間の微かな快感も、鼻を撫でる熱っぽい吐息も、
何もかもがただ、ひどく気持ちが悪かった。
キスをしたことすら、彰にはなかった。
保健室で乱暴な軍服の男に奪われたそれが、物心ついて以来初めての、経験だった。
それが今、こうして見知らぬ男に唇を嬲られながら、平気な顔でそのたくましい首筋に手を回している。
生きるためだ、と自分に言い聞かせながら。
こんなものが生ならばドブにでも棄ててしまえと憤る自分を抑えながら。

「はぁ……っ」

舌が、解放される。
少しだけ離れた柳川の顔が、間近にあった。
潰れていない方の瞳、霞がかかったようなその瞳の中に、彰自身が映っていた。
娼婦のように澱んだ、陰間のように淫らな、醜い顔だった。
それでいいと、思った。
正しく、生きるために己にできることのすべてをしている人間の、顔だと思った。

124sing a song,my precious:2007/12/24(月) 21:53:19 ID:mGsbodYA0
「柳川、さん……」

だから今度は、自分から柳川にキスをした。
拙く短い、静かな口づけ。
そっと、重ねた唇を離す。

「ね……」

そっと、手を伸ばした。
柳川の身体が、びくりと震える。
その臍の下、反り返る欲望の中心に、彰の細い指が添えられていた。

「貴、之……」

戸惑ったように擦れた声を漏らす柳川の口を三度、彰の唇が塞いだ。
同時、白魚のような指を柳川のそそり立つ肉棒に絡め、そっと握る。
びくり、と震えるその滾りを抑えるように、彰は掌全体を使って肉棒をゆっくりと撫でていく。

「ふ……はぁ……」

淫蕩な彰の笑みにあてられたように半開きにされた柳川の口から、堪えきれない声が
熱い吐息に混ざって聞こえてくる。
その間の抜けた顔に思わず浮かべた嫌悪の表情を見られないよう、彰は柳川の首筋から鎖骨へと唇を走らせる。
次第に荒く上下しだした逞しい胸板には、桃色の薄皮が張っている。
そっと乳首を甘噛みしてから、彰はその薄皮を舌先で刺激する。
触れるか触れないかの焦らすような愛撫でも、敏感な薄皮には充分なようだった。
掌の中で震える肉棒の、亀頭から尿道にかけてを掌を窪ませるようにして包み、撫でるように捏ね回す。
裏筋を這い下りた指はそのまま剛毛に包まれた玉袋を爪の先で掻くように刺激していた。
空いた手が蟻の門渡り―――玉袋の裏から肛門にかけての皮膚―――をゆっくりと摩る。
鍛えられた尻の肉が快感に締まろうとするのを割り裂くように、彰の指はその奥へと伸ばされる。
さほどの抵抗もなく、菊座へと到達する彰の指。

「く……っ、」

頭上で柳川が声を漏らすのを感じながら、彰は胸から腹へと肉厚の舌を下ろしていく。
割れた腹筋にも張る桃色の皮膚を刺激しすぎないように気をつけながら、臍の中を舐め上げる。
小さな窪みの中を綺麗に掃除するように丁寧に舌を這わせると、薄い塩味がした。
嫌悪感を堪えたつもりが、思わず両手に力を込めてしまう。

125sing a song,my precious:2007/12/24(月) 21:53:48 ID:mGsbodYA0
「うぁ……っ」

その刺激が、よかったらしい。
柳川の漏らした声には、明らかな性感の色があった。
菊座に指の腹を押しつけるような動きと、親指で雁首から亀頭にかけてを擦り上げるような刺激の連携。
肉棒の先端から透明な先走り汁が溢れてくるのを、彰は亀頭の全体に伸ばすようになすりつける。

「わかって、る……女の子の身体と、違うから……ちゃんと、しておかないと、ね……」

言った、その紅を差したような唇が、肉棒にそっと添えられる。
裏筋に口づけをするような仕草から、おずおずと伸ばされた舌先が、柳川の肉棒をちろちろと舐めた。
尻に伸ばされていた指は玉袋を覆うように揉みほぐし、もう一方の手は陰茎を支えるように添えられている。
芳野祐介のそれよりも全体に一回り大きいが、雁首から先の亀頭部分は槍の穂先のように細まっており、
バランスとしては雄々しさよりも奇妙にコミカルな印象を与える逸物。
そのどこか鋭角な亀頭を、彰の唇が含んだ。
舐めるというよりも、しゃぶる動き。
軽く歯を立てることもせず、舌先で強い刺激を与えることもなく、唇で丁寧に唾液をまぶしていく。
先走り汁の生臭い塩味を唾液に溶かすようにしながら、彰は亀頭から肉棒の全体へとその侵食範囲を広げていった。
猛烈な生産態勢に入っているように動く玉袋を優しく撫でさすりながら、空いた手で唾液が冷えないように
陰茎をしごき上げる彰の仕草に、柳川が大きく身震いする。

「まだ……出したら、だめだよ……」

肉棒から唇を離し、とろんとした笑みを浮かべて彰が言う。
口を半開きにしたまま頷く柳川。
その肉棒はいまや彰の唾液を余すところなくまぶされ、てらてらと濡れ光っていた。

「準備……できた、から……」

柳川を抱きしめるようにして、耳元で囁く。
ああ、と返事をする柳川の瞳はやはり、霞がかかったように曇っていた。
そっと、柳川の手が彰を抱き上げ、うつ伏せにするようにして下ろす。
抗うことなく膝を立て、腰を突き上げるようにして待つ彰。
伏せられたその口元は、苦痛に備えてきつく枕を噛み締めていた。

126sing a song,my precious:2007/12/24(月) 21:54:17 ID:mGsbodYA0
「……っ……!」

冷たく濡れた感触が、尻の割れ目をなぞるように、ゆっくりと押し当てられる。
喉はからからに渇いているのに何故だか次々と分泌される唾液が、噛んだ枕に染みていく。
焦らすように、躊躇うように、柳川の肉棒は彰の尻を撫で、摩りながら往復する。
腰を掴む柳川の手がじっとりと湿っているのが感じられる。
すぐに訪れるであろう激痛と汚辱の恐怖、焦燥と荒い呼吸、湿った感触と背筋を逆さまに流れ落ちる汗。
苛立たしさと、恐慌と、ほんの微かな、期待の色。
ぐるぐると渦巻いたそれらが溢れ出しそうで、彰が声を上げようとした、その瞬間。

「……っん、んんん―――っ……!」

一気に、貫かれていた。
声にならなかった。
くぐもった叫びだけが枕に押し付けた喉から零れていた。
脳裏が、白く染まっていた。
押し出すための蠕動器官を、逆向きに撫でられる圧倒的な不快感。
些細な痛覚を、発熱による倦怠を、すべて上塗りするだけのボリュームで発生した、大音響のノイズ。
無理矢理に押し広げられた直腸が短冊のように裂けるかのようなイメージ。
腹筋がその力のすべてを動員して捩じくれ、異物を押し出そうと緊張を開始する。
急に長距離を走ったように、横腹が引き攣れる。
息が、できない。
短く断続的に吐き出される吐息が、酸素を体外に放出する。
放出するが、吸えない。
しゃくりあげるような奇妙な音を立てて、喉が呼吸を拒んでいた。
枕に押し付けた真っ暗な視界が、瞬く間に白く染め直されていく。
全身のあらゆる器官が酸素を要求し、同時に好き勝手な不協和音を発生させていた。
死ぬ、と意識する間もなく、彰の意識が刈り取られようとしていた。
刹那。

「―――ぁ……っ、っ……」

腹の中の異物が、爆ぜた。
そのように、彰には感じられていた。
衝撃に気を失うことができたのは、ほんの一瞬だった。
体内でびくびくと震える肉棒の感触に、強引に意識を引き戻される。
胃の中のものをすべて戻したくなるような、堪えようのない汚濁感。
柳川の精が、彰の中に吐き出されていた。
枕に額を押し付け、皮膚が擦り切れんばかりに首を振る。
両手に握ったシーツが裂ける嫌な音が、彰の耳朶に忍び入ってくる。
酸素を求めてだらしなく伸ばされた舌が、べしゃりと濡れた枕を舐めた。
ぼろぼろと零れてくる涙が、止まらなかった。

127sing a song,my precious:2007/12/24(月) 21:54:42 ID:mGsbodYA0
「貴、之……」
「大丈夫、だから」

細かく震える彰の背に何を思ったか、そっと柳川の手が伸ばされようとするのを、
くぐもった声が押しとどめていた。

「大丈夫、だから……っ! 僕で、気持ちよく、なっていいから……! だから、続けて……!」

気を張ったつもりだった。
口から出たのは、世にも無様な、涙声だった。
振り返ることはできなかった。
いま顔を上げれば、もうこの男を受け入れることなどできないだろうと思った。
だから顔を伏せたまま、彰は苦痛に新たな涙が浮かぶのを拭うこともなく、括約筋に力を込めた。
瞬間、彰の中に挿入されたままの肉棒が、その容積を増した。
ず、と動く。

「ひ……く、ぁ……ぁぁ……!」

狭い秘道を割り裂きながら進む肉棒は、しかしそれでも先程よりスムーズにその侵略を進めていた。
粘膜と粘膜の間にぶち撒けられた精液が潤滑剤の役割を果たしているようだった。
柳川の肉棒が押し進められるほど、彰の眦からは涙が溢れてくる。
まるで身体のどこかにある綺麗な泉から押し出されてくるようだ、と彰はぼんやりとそんなことを思う。
苦痛は薄らいでいた。
正確を期すならば、苦痛を苦痛として処理する精神が薄れて消えていくように、彰には感じられていた。
心に空いた虚ろな穴が、肉体の感じる痛みや苦しみを飲み込んでいく。
枕に押し付けて堅く閉じた視界には何も見えず、ただ暗い中に羽虫の飛ぶような無数の光だけを感じながら、
彰は犯されていた。

「ふ、ぁ、……は……はぁっ……!」

吐息だけが、荒く、彰の耳朶を打っていた。
それが己のものなのか、それとも背後で腰を動かす男のものなのか、彰は判らなかった。
しばらくして気がつくと、柳川の動きが止まっていた。
尻に温もりを感じる。柳川の体温だった。
どうやら、その欲望の根元までを彰の中に埋めたようだった。
奇妙に静かな一瞬の後、温もりが離れていく。
同時に、脳の表面で炭酸が泡立つような衝撃が走る。
柳川の肉棒が引き抜かれていく感覚だった。
それを快感と呼ぶ可能性を、彰は全身で否定する。
否定しながら、喉の奥から叫びが漏れた。

128sing a song,my precious:2007/12/24(月) 21:55:13 ID:mGsbodYA0
「あ……あっ……ひぁ……っ!」

違う、と絶叫したかった。
これは違う、これは自分の声じゃない、これは悦楽の声じゃない。
猫が背伸びをするように背筋を反らし、腕を一杯に伸ばしてシーツを握り締めていても、
足の指が堅く握り締められるようになっていても。
感じてなんか、いない。
もう決して声を漏らさぬよう、奥歯で枕を噛む。
肉棒が引き抜かれていくのに合わせてぽろぽろと零れる涙は苦痛のせいだと、信じたかった。

「……んっ……!」

引いていた波が、また押し寄せてくる。
ゆっくりとしたピストン運動。
柳川の肉棒が突き立てられるたび、明らかな痛覚が強まっていくのを、彰はどこか安堵と共に迎えていた。
粘り気のある音が、荒い吐息に溶けるように時折響く。
血か、精液か、直腸の表面粘膜か、それらが入り混じったものかが彰の尻から漏れ出して、
前後運動に合わせて音を立てているのだった。

「は、ぁぁ……っ、んんっ……!」

聞こえない。
吐息に混じる淫声など、決して聞こえない。
早く、早く終わって。
暗闇の中、彰はそれだけを祈るように、ただその身を蹂躙されていた。

「貴之……、俺……俺、また……」

上擦ったような柳川の声。
腹の中の肉棒もびくり、びくりと不気味に震えている。
射精が近いのだと、直感した。

「ひ……ぁ、ぁ……っ! い、いい、よ……いいよ、きて……!」

それだけをようやく、口にする。
と、途端に柳川の腰使いが加速した。

「ふぁあっ……! や、ぁ……くぁ……!」

高い声が響く。
もはや彰も声を抑えてはいられなかった。
短く区切られた二つの荒い吐息と、濡れた音。
暗く、白い、視界。
全身を染め上げていく熱。
それだけが、彰を支配する感覚のすべてだった。
自らの怒張もまた膨れ上がっているのを、彰は感じていた。
体中を駆け巡る熱が、一点に集まっていく。
白く、速く、熱く、滾る。

「く、あぁ……たか、ゆき……ぃ……っ!」
「やなが、わ、さ、……やながわさん、やながわさん……っ!」

その瞬間。
彰が感じていたのは、自らの中に再び吐き出される、熱い欲望の波。
そして、背に垂れ落ちる、生温かい雫だった。

129sing a song,my precious:2007/12/24(月) 21:55:33 ID:mGsbodYA0
 ―――え?

ぽたり、と。
上気した顔のまま肩越しに振り向いた彰の背に、またもや雫が垂れた。
最初は、汗かと思った。
それが鮮血だと理解したのは、柳川の逞しい体がゆっくりと傾いで、ベッドから転げ落ち、
桃色に染まった肉棒がずるりと彰の中から抜けた、その後のことだった。

「や……柳川さ、」
「よぅ……、楽しそうじゃねえか」

呆然と呟く彰の声を遮ったのは、野太い声。
野卑な顔立ちに無精ひげ、鍛え上げられた肉体には何一つとして身に着けることなく、
隆々と反り返る逸物と盛り上がる傷痕だらけの筋肉を誇示するように立っている。

「―――俺も、一丁混ぜてくれや」

男の名を、御堂という。
彰の押し殺したような悲鳴が、狭い部屋の中に響いた。


***

130sing a song,my precious:2007/12/24(月) 21:56:05 ID:mGsbodYA0

男、御堂がにぃ、と笑う。
肉食獣が牙を剥くような、獰猛な笑み。

「会いたかったぜぇ……なぁ、おい」

舌なめずりをすらしそうな満面の笑みを浮かべながら、御堂が一歩を踏み出す。
そのたわめられた背の向こうから、光が射している。陽光だった。
民家の壁を突き破ってにじり寄るその姿は、正しく数刻前の再現だった。
表情を恐怖の一色に染めた彰が、ベッドの上で後ずさりしようとするが、それすらもできない。
腰が抜けていた。
全身から嫌な汗が噴き出してくるのを感じる。
喉も裂けよと絶叫したかった。舌も、声帯も、貼りついたように動かない。
ただ潰れた蛙のような、奇妙に擦れた声だけが漏れた。
御堂が、更に一歩を踏み出す。

「死んじまったなぁ……お前を護ってた連中は、みぃんな死んじまった」

ケケ、としゃくり上げるような笑い声。
御堂の足元で、踏み躙られた家財の欠片がじゃり、と音を立てた。

「言ったろ……? いつでもお前の傍にいる、ってよ……、ずぅっと、見てたんだぜえ……?」

視界が歪む。
彰の目に湧き出した涙が、ぽろぽろと零れる。

「待ってたんだ、この時を……。長かったぜえ……南方の塹壕の中だって、こんなに長く感じたこたぁねえって程によ……」

胃が、ぎりぎりと捻じられているかのように痛む。
汗が冷たい。冷たさが胃を刺激し、刺激されてまた汗が噴き出す。

「もう、邪魔は入らねえ……存分に、楽しもうじゃねえか……なぁ?」

倒れ伏している柳川の体は、ベッドの陰に隠れて見えない。
寒さと恐怖で、全身が震えている。
怖い、寒い、熱い、痛い。
そんな感覚だけが、彰の全身を駆け巡っていた。

131sing a song,my precious:2007/12/24(月) 21:56:26 ID:mGsbodYA0
「や……、や……め、て」

御堂が次の一歩を踏み出そうとするのと、ほぼ同時。
歯の根の合わぬまま、彰が声を絞り出していた。
力のこもらない言葉。
ただ目の前の現実を否定するためだけに発せられた、無為な逃避の発露。
彰を襲おうとしている悲惨な未来を押しとどめることなど、できるはずもない言葉だった。
しかし、

「え……?」

御堂の足は、ぴたりと止まっていた。
獰猛な笑みを浮かべていたその顔には、代わりに困ったような表情が貼りついていた。
ベッドまで、ほんの数歩の距離。
裸身の御堂が、戸惑ったような顔のまま、ゆっくりと手を伸ばす。

「こ、こないで……!」

手が、止まった。
ここに至って、彰の脳裏に一つの可能性が浮上していた。
即ち、

(―――この男も、僕の『力』の虜、なのか……?)

ならば。
彰の震えが、治まっていく。
胃の痛みが雲散霧消していく。
発熱の倦怠感と疲労を打ち消すような、高揚感が彰を包み込んでいく。
状況は一変していた。
この男が、自分の虜でしかないのなら。
そこに恐怖は、なかった。
すべきことは先程までと何一つ変わらない。
柳川が斃れたとして、代わりの拠り代が現れただけの話。
より強い剣、より堅固な盾となる者がいるのなら、それは彰にとって、歓迎すべき事態ですらあった。
ならば自分は、対価を払おう。
この身体、この笑み、この指先を、与えよう。
そこまでを考えて、彰がその白いかんばせに淫らな微笑を浮かべようとした、その刹那だった。

132sing a song,my precious:2007/12/24(月) 21:56:56 ID:mGsbodYA0
「……ああ、畜生」

御堂が、大きな溜息をついていた。
きっかけを外された彰が怪訝な表情を浮かべるその眼前で、御堂はぴしゃりと額を打って、盛大に首を振る。

「いけねぇなあ、畜生。お前の願い、お前の望み、お前の言葉……聞いてやりてぇ、叶えてやりてぇ。
 けど、けどよ……俺はお前を犯してえ。犯してえんだ、ただ乱暴に、滅茶苦茶によ」

予期しない言葉に、彰の表情が凍りつく。
それが視界に入ったかどうか、御堂は足を止めたまま独白を続ける。

「滅茶苦茶にしてやったら、お前は泣くだろうなぁ……いい顔で、泣き喚くんだろうなぁ……。
 ケケ……たまんねえ、たまんねぇな……その尻、今すぐ割ってやりたいぜぇ……。
 ……けど、な?」

一旦言葉を切った御堂が、天を仰いで嘆息する。

「お前はやめろと言う。止まれという。来るなと命じる。
 叶えてやりてえ。言うとおりにしてやりてえ。……ゲェーック、俺はどうしたらいいんだろうな?」

何かに取り憑かれたように喋り続ける御堂の様子に、彰は再び恐怖を覚える。
理解できない言葉。共有できない感情。
眼前の男の様子には、どこか既視感があった。

「ゲェェーック、身を引き裂かれるようだぜえ……!
 お前を犯してえ、お前の願いを聞いてやりてえ……!」

高槻。
その名が、彰の脳裏に浮かぶ。
洞窟の中、か細い光を背に独り言じみた言葉を吐いて死んでいった、男。
どこか違う。根源の何かが違う。それでも今、目の前にたつ男と高槻の姿は、重なって見えた。

「本当に、この身が引き裂かれるようだぜえ……ゲエェェェーック!
 だから、だからなぁ、俺は……俺は、ゲェェェーック! ゲェェェーック!!」

独白は今や絶叫へと変わっていた。
その狂気じみた様子もまた、高槻の最期を連想させる。
降り注ぐ血の雨が、眼前に見えた気がした。
錯覚だった。
しかし、と彰は思う。
この先に待つ結末はきっと、

「ゲェェェェェェエーック!」

一際大きな絶叫が響き、それきり、音がやんだ。
見上げる彰の視線の先。
血の雨は、降らなかった。

133sing a song,my precious:2007/12/24(月) 21:57:16 ID:mGsbodYA0
「―――だぁ、らぁ……」

もごもごと篭った人の声のような、あるいは獣の唸りのような、奇妙な音が、静寂を破る。
ベッドが、ぎしりと音を立てた。
彰が、仰向けに寝転ぶようにその身を預けた音だった。
その小動物を思わせるような瞳が、一杯に見開かれている。
それはまるで、目の前に立つ何かから、少しでも遠くへ逃げようとでもいうように。
それでも視線を離すことができず、ただ脱力にその身を支えることができなくなったとでもいうように。
ふるふると、彰が首を振る。
眼前のあり得べからざる何かを、必死に否定するかのように。

「―――だぁ、らぁ……、ぉえぇ、わぁぁ……」

再び、獣の唸り声のような音が、響いた。
それが獣の咆哮ではないと、彰には分かっていた。
だがそれが人の声であるなどと、決して認めるわけにはいかなかった。
何故なら。

「……ぃぃき、さぁ……れ、やぁっら……れぇ」

ああ、と彰の心の中にいる、彰自身の体験を映画として鑑賞しているような、冷静な彰が首肯する。
成る程、目の前のこれは、こう言っているのか。

 ―――だから俺は、引き裂いてやったぜえ。

成る程、成る程。
確かに、真っ二つに裂けている。
牙の如き乱杭歯の並ぶ口腔に手を差し入れて、力任せに左右に引いた、その行為の結果だ。
頭頂から臍の辺りまで、ぱっくりと巨大な第二の口が開いたように、割り裂けている。
だがこれは、どうしたことだろう。
人は自らを引き裂けるようにはできていない。
まして、裂けた身体の断面から覗くのは血管や神経や筋肉や骨といったおぞましい断面のはずであって、
みっしりと詰まった桃色の肉塊などでは、ないはずだった。
腹から零れるのは、生々しくも温かい五臓六腑のはずであって、ぬらぬらと粘液に照り輝く触手などでは、あり得ない。
どうやら、と冷静な彰は頷く。
事ここに至っては、僕の常識など何の役にも立たないらしい。
知識は常識に立脚し、冷静とは知識を下敷きにして成立する感情だ。
ならば常識の失われた今、僕の役目は終わった。
さあ店仕舞いだ。
皆様これまでのご愛顧ありがとうございました。
後は存分に、人生の残り時間を堪能してくださいませ。
さようなら、さようなら。

がらり、とシャッターが降りる。
彰の精神を照らしていた理性の光が、消えた。
後に残されたのは恐慌という名の暗闇、ただそれだけだった。


***

134sing a song,my precious:2007/12/24(月) 21:57:49 ID:mGsbodYA0

「あ……ぁ、ぅわ……うわぁぁぁぁぁっぁぁぁっっ!?」

ようやくのこと、彰の口から絶叫が迸っていた。
同時、弾かれたように飛び起きようとして、腰が抜けていて叶わず、それでもなお逃走という行為を完遂すべく、
うつ伏せになってもがく。
全身でシーツの波をかき分けようと足掻くその様は、まるで必死に這いずり回る地虫の如く。
そんなことに気を回す余裕とてあるはずもなく、彰はただ手足をばたつかせて、ひっしにベッドの上を逃げる。
シーツが手足に絡まるのを、涙目になって解こうとする。
哀れで、無様で、滑稽な姿。
それは生に対する執着ではなく、死への忌避ですらなく、ただ純粋な恐怖からの逃走だった。
ほんの数十センチの逃避行は、足首に絡みつく一本の触手によって、終焉を告げた。

「ひ、やぁ、やぁぁぁぁぁぁ!?」

悲鳴を楽しむように、御堂の割り裂けた体内から伸びる触手が、彰の足首を舐り回す。
新たに伸びた触手が足の裏を這う感触に、彰は総毛立つ。
滅茶苦茶に振り回した手が、何かに捉えられる。
それが視界に入る前に、硬く目を閉じた。
見ることは、認めてしまうことだった。
見えない世界の中、腕が、足が、何かに絡みつかれ、強い力で伸ばされていく。
大の字に引き伸ばされた己の裸身を想像して、彰の混乱に羞恥心という火種が加わる。

「あ……や、らぁ……やめ、てぇ……」

だらしなく半開きにされた口から震える舌を伸ばしながら、彰が息も絶え絶えに呟く。
その舌に、何かが触れた。

「んんっ!? ……ん、んぁぁぁぁ……っ!」

ねとりとした冷たい感触に、反射的に口を閉じようとするが、それも許されない。
舌先を絡め取った細い触手が、彰の口腔一杯に侵入を開始していた。
垂れ落ちる唾液と共に、舌が強引に引きずり出される。
首を振って振りほどこうとするが、次の瞬間には新たな触手が彰の頭部に巻きつき、
その動きを封じてしまう。
触手に瞼の上まで巻きつかれ、舌を舐られながら喘ぐ彰の身体が、唐突に支えを失った。

135sing a song,my precious:2007/12/24(月) 21:58:02 ID:mGsbodYA0
「……ん、ぐぅ……っ!?」

手足を絡め取った触手が、彰の身体を宙吊りにしていた。
うつ伏せのまま、手足を吊られる姿勢。
その不安定さと非現実的な状況に混乱が加速していこうとした刹那、更なる衝撃が彰を襲っていた。

「ぐむぅっ……んんっ、ぷはぁっ……ぃや、ら……らめ……やめ、てぇ……っ!」

ぺちゃり、と。
それは小さな刺激だった。
やわやわとした、ほんの微かな感触。
だが、それは彰にとって、あらゆる苦痛にも勝る恐怖を与える刺激となっていた。
その触手は、宙吊りにされた彰の臍の下。
力なく垂れ下がった、その逸物に絡み付いていた。

「やぁぁぁっ……!」

か細い悲鳴にも、触手の蠢きは止まらない。
被っていた包皮が、そっと剥かれる。
露わになった亀頭を幾重にも取り巻くように絡みつく触手。
その触手が、一斉に震えだした。

「ん……んぁぁぁ……っ!」

ほんの僅かな刺激。
だがその刺激を受けた陰茎は、無様に膨れ上がっていく。
海綿体に血液が集中していくのを、彰は涙を流しながら否定する。

「や……やだ、ぁ……! ちが、ちがう……! こんな……のぉ……ちがぅ……っ!」

だがその股間は既に隆々とした姿を中空に晒していた。
白く儚げな容姿に似合わぬ、見事な大きさを持った肉の棒。
立派にエラを張った雁首が、そっと撫でられる。

「ひぁぁぁ!?」

信じられないような、感覚だった。
それが紛れもない快感であると、彰は途切れぬ悲鳴の中、認める。
自慰行為に弄り回すその感覚を何倍にも増幅したような、頭が白く染まるような快楽。
それだけで達してしまいそうになる。

136sing a song,my precious:2007/12/24(月) 21:58:36 ID:mGsbodYA0
「う……、やぁ……」

彰の巨根を奪い合うように、何本もの触手が群がってくる。
裏筋を突付くものがいた。
陰茎全体をしごき上げるものがいた。
睾丸をほんの僅かな力で揺らすものがいた。
亀頭を引っ掻くものがいた。
尿道口を割り広げるものがいた。
彰の肉棒のありとあらゆる部位が、ねとねとと粘液を分泌させる触手に群がられていた。
それはまるで、大樹から漏れ出す蜜にびっしりとついた蟲のようにも、あるいは彰自身のペニスが
不気味な肉塊に変じてしまったようにも見えた。

「あ……は、はぁっ……や、らぁ……」

快楽がすべてを覆い尽くしていく。
恐慌も、畏怖も、あらゆる苦痛も、ただ性の悦楽という混沌に落ち、飲み込まれていく。
手足を吊られ、股間を弄られながら、彰は次第に高みへと上り詰めていく。

「や……く、んっ……はぁ……っ、んっ……!」

与えられる刺激が、強まっていく。
ぎゅうぎゅうと陰茎を絞り上げるようなもの、亀頭全体をざらついた表面で擦るもの、
揉みあげるように雁首を往復するもの―――。

「ん……あ、ぅぁ……、あ、あ、あああっ……!」

限界、という言葉が、彰の脳裏を掠めた。
触手に覆われた視界の中。
白い光が、弾けた。

「あああああああああっっ!!」

びゅく、びゅく、と。
彰の白濁した子種が、撒き散らされていく。
最後の一滴まで搾り出すように、鼓動と同調するように、肉棒が蠢き、精を散らす。
宙吊りにされた彰から放出された幾つもの滴が、ベッドを、フローリングを、汚していく。

「うぁ……あ、あぁ……」

やがて、射精が治まる。
力を失って萎む陰茎を、それでも更にしごくような触手に、尿道から白濁液の滴が搾り出された。
それを舐め取るような触手たちの動きを、彰は快楽の余韻にぼんやりとした頭の片隅で捉えていた。
壮絶な脱力感と、無気力感。
射精直後独特の感覚が、彰を包み込んでいた。

137sing a song,my precious:2007/12/24(月) 21:58:55 ID:mGsbodYA0
「ぁ……、はぁ……っ」

重たく、濡れたような息をつく彰の身体が、小さく揺れた。
視界も思考も、桃色の霞がかかったようにはっきりしない。
それでも、宙吊りにされていた体が移動させられていることくらいはわかった。
どこへ、とは考えなかった。
考える気力が、起こらなかった。
薄暗い部屋の中、何本もの触手が、両足に絡み付いてくるのを感じていた。
もはや恐怖はなかった。
ただ、与えられた快楽への期待のようなものだけが、彰の中にあった。
ぐちゅり、と粘度の高い音がして、己の両足が御堂の裂けた腹の中、みっしりと詰まった桃色の肉塊に
呑み込まれても、彰はぼんやりと悦楽の余韻に浸っていた。
膝が呑まれ、腿が埋まり、腰までが生温かい御堂の肉に包まれるに至って、彰はようやく声を上げた。
悲鳴では、なかった。

「あ……ふ、ぁぁ……」

それは疑いようのない、淫声だった。
腰までをも呑み込んだ肉塊が不気味に蠢くその度に、彰の口からは悦楽の声が漏れ出していた。
内部で何が行われているのか、知る由もない。
だが彰の眼は紛れもない快楽だけを映し、蕩けるような笑みを浮かべたその表情は
更なる淫悦を乞うように、だらしなく緩んでいた。
滑らかな肌を晒す腹が沈み、薄く骨の浮いた胸までもが没しようとした、そのとき。
彰の喘ぎが、止まった。

「……?」

曇りきった瞳が、何かを見る。
己の細腕を掴む、黒く太い何か。
逞しくもおぞましい、皹の入った漆黒の皮膚。

「タカ……ユキ……」

それは、鬼の手だった。
ごぼごぼと口元から血の泡を噴きながら、鬼と化した柳川が、彰の腕を掴んでいた。
真紅の瞳が、彰だけを映していた。

のろのろと、彰が首を傾げる。
痴呆の末、恍惚に至った老人のように、柔らかい表情を唾液で汚しながら、彰が静かに笑んだ。
小さく、口を開く。

「……邪魔、しないでよぉ……」

それは、混じりけのない、拒絶だった。


***

138sing a song,my precious:2007/12/24(月) 21:59:27 ID:mGsbodYA0

喉元までせり上がってきた血を、げぶ、と吐き出す。
それを拭おうともせず、漆黒の怪物はただその魁偉な手に掴んだ少年の白い腕を引いた。
少しでも力を込めれば折れ砕けてしまいそうな細いその腕を目にして、鬼は確信する。

 ―――昔、これと同じ光景を見た。

それが一体いつのことなのか、鬼には思い出せない。
だがそれが確かにあったことだけは間違いないと、鬼の心は告げていた。
タカユキが眼前で失われようとする、そんな悲しい光景。

ぐらりと、頭が揺れる。
まただ、と思う。
タカユキのことを思い出そうとすると、決まって靄がかかったようになる。
そこにはきっと何かの思い出があるはずで、しかし記憶の糸を手繰って出てくるのは
まるで曇硝子を通して見る景色のような、ぼんやりとした薄暗い何かだった。
もどかしさに、吼える。
咆哮がびりびりと狭い部屋を揺らした。

猛る鬼の中には、一つの迷いがあった。
タカユキ、と呼ばれるものに関する、根源的な問い。
即ち、

 ―――タカユキとは何だ。

自らの中に当然あるはずの明快な答えが、鬼には見えなかった。
目の前にいる少年がタカユキだと、迷うことなど何もないと告げる声が、鬼の中にある。
だが同時に、それは違うと、タカユキのことを忘れてしまったのかと、弱々しく呟く声が、あった。
目の前のいとしいものがタカユキだ。
それでいい、とも思う。思うのに、迷いが消えない。
自分がタカユキと呼びかけるそれが、本当にタカユキなのか、鬼にはそれが分からない。
欠落した何かが、とても大事な何かが、鬼に忍び寄り、囁くのだった。
鬼はだからずっと、自らがタカユキと呼ぶ少年を抱きながらですら、迷っていた。

だが、と。
もう一度吼えながら、鬼は思う。
それでも、と鬼はこれだけは絶対の確信を持って思う。

 ―――タカユキとは、たいせつなものだ。なくしてはいけないものだ。

薄ぼんやりとした記憶の中でその想いだけが、鬼の心の奥深く、確かに刻まれていた。
それだけは、その想いだけは過たぬと、鬼は吼える。
だから鬼は、考えることをやめた。
いつか見たはずの、思い出せぬ悲しい光景。
繰り返してはならない、過ち。
それが今、眼前にあった。
ならば迷う暇など存在するはずもなかった。
目の前にあるタカユキを取り戻す、それだけがたいせつなことなのだと、迷いを握り潰した。

想いを胸に、鬼はその丸太のような腕にほんの僅か、力を込める。
タカユキを壊さぬように、タカユキを奪われぬように、細心の注意を払った力加減で、その白く細い手を引く。
貫かれた腹に空いた穴から、生臭い息を吐く口元からだらだらと赤黒い血を流しながら、ただタカユキだけを見て、
そのかんばせを、その柳腰を、もう一度この胸の中にに取り戻すために。
だと、いうのに。

139sing a song,my precious:2007/12/24(月) 21:59:40 ID:mGsbodYA0
 ―――邪魔、しないで。

言葉が、鬼を縛った。
思わず手を離し、再び掴もうとして躊躇い―――そしてまた、手が中空をさまよう。
取り戻したいと思う。取り戻して抱き締めたいと、心から思う。
タカユキは、それを拒む。拒んで、去っていこうとする。
わからない。どうすればいいのか。
わからない。何をすればいいのか。
わからない。何がタカユキの幸福か。
わからない。何が自分のしあわせか。
わからない。わからない。わからない。

迷いが渦を巻き、もどかしさが糸を引き、鬱屈した感情が雁字搦めに鬼を絡め取っていた。
凝縮したそれらに火がつくまでに、時間は要らなかった。
やり場のない感情は瞬く間に暴力への衝動へと変じていた。
引いた拳を握り締め、思う様、床に叩き付けた。轟音が響く。
木製の床が中から爆発したように抉れ、破片を辺りにまき散らした。
返す刀で目の前に立つものを薙ぎ払おうとして、それがタカユキを呑み込もうとしている男であることに気付き、
寸前で拳を止める。
代わりに、足を踏み鳴らした。地震のような衝撃が、狭い部屋を揺らす。
洋棚に置かれていた小物が、ガラガラと音を立てて床に落ちた。
その音がひどく癇に障って、鬼は乱暴にそれらを手で払う。
払った拍子に鬼の黒く分厚い掌の当たった壁が、あっさりと突き破られた。
射し込んだ陽光に苛立ちが増す。
空いた穴に手を突っ込んで、障子紙を破るように壁を引き裂いた。
民家の壁、その一面が、朦々と埃を立てながら崩れ落ちた。
舞い上がる埃が疎ましく、散らばった小物や木々の破片が鬱陶しく、射す陽光が腹立たしく、
澄んだ青い空が厭わしく、思うに任せぬ事どもが煩わしく、鬼は吼えた。

吼えて、吼えて、吼え猛り、気がつけば民家は跡形もなく崩れ去っていた。


***

140sing a song,my precious:2007/12/24(月) 22:00:06 ID:mGsbodYA0

原形を留めぬ瓦礫の山と、柱だったものの名残と、硝子と鉄と木材とその他諸々。
その中に、漆黒の怪物と奇怪なオブジェの如き肉塊と化した男と少年だけが、変わらず立ち尽くしていた。
白く照りつける陽光の下、鬼の瞳が少年を映す。

少年は、嗤っていた。
哀れむように、嘲るように、佳人が物乞いを見るように。
鬼の咆哮が、今や遮るものとてない寒村の空に響き渡った。
それは悲嘆と哀切に満ちた号泣であり、憤怒と憎悪に彩られた怒号でもあった。

次の瞬間、漆黒の巨躯が足元の瓦礫を掴むと、天高く掲げていた。
人ひとりが両手を広げても抱えきれぬ巨大な石塊と、何本も突き出した鉄骨。
民家の土台に使われていた礎石のようだった。

鬼は、泣いていた。
真紅の瞳から零れる、同じ色の涙。
血の色の涙を流しながら、鬼が吼えた。
足を、踏み出す。
眼前に立つ紅顔の少年とそれを呑んだ肉塊へと、疾走を開始した。

一歩ごとに大地が震えた。
一歩ごとに血飛沫が飛び散った。
一歩ごとに咆哮が揺れた。

迫る死の具現に、少年は表情を変えなかった。
ただ淫蕩な笑みをその顔に貼り付けたまま、何事かを呟き続けていた。
その瞳に、光はなかった。

141sing a song,my precious:2007/12/24(月) 22:00:22 ID:mGsbodYA0
漆黒の鬼が、少年の言葉と己が衝動の間にどのような答えを見出したのか、それは知れぬ。
石塊が叩き潰し柘榴のように変じた少年の顔に鬼が泣くのか、呵うのか、それは知れぬ。
その答えは永久に失われ、杳として知れぬ。

遥か空の彼方より矢の如く飛来した一羽の鳥が、その答えを焼き尽くしていた。
夕焼けを閉じ込めたような色彩の鳥。
それが、火の粉を撒き散らしながら羽ばたくその身を鬼の掲げた石塊に叩きつけるや、
巨石が瞬く間に炎上したのである。
燃えるはずもない石が、赤熱するでもなく、融解するでもなく、燃え上がっていた。
石塊が鬼の手から落ち、轟音と共に地面を揺らした。
割れ砕けた石塊から無数の火の粉が舞い散り、世界を一瞬だけ朱く染め上げ、消えた。

あり得べからざる光景を現出させた、炎の鳥。
それが飛び来た彼方から、一つの声が響いていた。

「それが歌か」

呟くようなその声は、しかし確かな明瞭さをもって、鬼の耳に届いていた。
鬼の瞳が日輪と、その下に立つ影を映す。

「違うだろう、柳川さん。
 もう一度、聞かせてくれよ。―――あんたの歌を」

白銀に煌く鎧を身に纏った少年が、そこに立っていた。

142sing a song,my precious:2007/12/24(月) 22:00:38 ID:mGsbodYA0


【時間:2日目午前11時すぎ】
【場所:C−3 鎌石村】

七瀬彰
 【状態:御堂と融合】

御堂
 【状態:彰と融合】

柳川祐也
 【所持品:なし】
 【状態:鬼・タカユキの騎士・重傷】

藤田浩之
 【所持品:鳳凰星座の聖衣】
 【状態:鳳凰星座の青銅聖闘士・重傷(治癒中)】

→763 920 929 ルートD-5

143メイドロボとして2:2007/12/28(金) 00:07:00 ID:uX/Jp7D20
(ど?! どうしましょう、どうしましょうっ?!!)

声を出すわけにはいきません、慌てて口を塞ぎ一歩後ろに退行します。
今、私の目の前には貴明さんと別れた後にいきなり襲ってきたあの男の人がいるのです。
危険です。
あの時私達は、寸での所でこの方を巻くことが出来ました。
本当に、危ない状態だったんです。
この方がどういう考えで、命を狙うという行為を仕掛けてきたのかは分かりません。
分かりません、ですが。
相容れぬ、対称的な理念であることは確かだと思います。

(どうしましょう……)

この場から逃げることは、簡単でした。
現に傷口をさらけ出した今も、この方が目覚める気配はありません。
相変わらず、熟睡されています。
ですが、さすがにむき出しにしてしまった傷口を放っておくわけにもいきません……。
と、とりあえず何か考えるのは後にして、私は黙ってこの方の手当てを行いました。





第二回目の放送が行われたのは、手当ての方がちょうど終わった時でした。
まず、淡々と呼ばれるお名前のその量、亡くなられた方の多さに驚きました。
驚きました。そこには妹であるセリオさんやイルファさんを筆頭に、知ってる方の名前が幾人も入っていました。
昼間にお友達を探しにと私達と別れることになりました、貴明さんのお名前も。入っていました。

144メイドロボとして2:2007/12/28(金) 00:09:12 ID:uX/Jp7D20
(貴明さん……)

凄く悲しかったです。
あんなにいい人が、何故命を奪われなければいけないのでしょう。
いえ、それを言ったら貴明さん以外にも、そのような方はたくさんいらっしゃるはずです。
ロボットである私の回路に、憤りとも呼べる感情の高ぶりが走っていきます。
とても悲しかったです。悔しいです。
でも瑠璃子さんと雄二さんの件を思い出すだけで、私の弱い心はすぐに竦み上がります。
……悔しいです。
この悔しさを何と表せばいいのか、私が自身の唇を噛み締めていた時でした。

―― 藤田浩之。

聞き間違いなんて、ある訳ありません。
確かに浩之さんのお名前は、今、名前も存じませんこの男性によって読み上げられました。
この方が読み上げているのは、亡くなられた方のリストです。
つまり。
浩之さんは、亡くなられたんです。

浩之さんはとても優しくて頼りになる、私にとっては期待の象徴とも呼べる方でした。
浩之さんに会うことができれば、きっと何か事態も好転すると思っていました。
浩之さんさえいれば、私も何か役に立つことができると思っていました。

そして私は、聞いて欲しかったんです。
私の犯した罪を。他でもない、浩之さんに。
瑠璃子さんを助けられなかった罪を。
雄二さんを置き去りにしてしまった罪を。

145メイドロボとして2:2007/12/28(金) 00:09:32 ID:uX/Jp7D20
許して欲しかったなんて、そんなおこがましいことは言いません。
相手は浩之さんですから、勿論期待をしてしまうという面もあります。
期待はしてしまいます、ですが、とにかく打ち明けたかったというのが一番なんです。浩之さんに。
そして、私の進む道を照らして欲しかったんです。浩之さんに。

浩之さん、浩之さん。
浩之さんがいらっしゃれば、何か変わると思っていました。
ですが、浩之さんはもうここにはいらっしゃらないんですよね。
亡くなられました。浩之さんは、どこにもいらっしゃらないんです。
どんなに探しても、もう二度と浩之さんに会うことは叶わないんですよね。

……何故、浩之さんが亡くならなければいけないのでしょう。
それは浩之さんの命を狙うという行為を仕掛けてきた方が、この島に存在するからです。
ひどいです。愚かです。悲しいです。
ふと視線を上げますと、そこにはそれと同種と呼べる方が、今、私の目の前にいらっしゃいました。

……このような方がいらっしゃるから、あんなにも多くの犠牲者が出てしまうのです。
ひどいです。
許せません。
許せません?
……確かに、許せないことではあります。ですが。
ですが、それは私のようなロボットが、持つことのできる立場にある感情なんでしょうか。

雄二さんの言葉が甦ります。
……雄二さんの言葉を思い出すだけで、私の回路はフリーズしてしまいそうになります。
助けて欲しいです。
言葉が欲しいです、雄二さんのあの声を打ち消す言葉が。
助けてください。

146メイドロボとして2:2007/12/28(金) 00:10:08 ID:uX/Jp7D20
「浩之、さん……っ!」
「生憎、俺の名前は浩之じゃない」

思ってもみなかった返答に、いつの間にか伏せてしまっていた目線を再び急いで上げました。
お声の出所はすぐ傍です。ここには私のその方しかいらっしゃらないんですから、当然です。
怪我をされていた男の方は、私の気づかぬうちに目を覚まされていたようです。

「これは、お前がしたのか」

驚きが覚めぬ状態の私を無視し、男の方は問いかけてきます。
私は言葉を出すことができず、ただひたすら頷きました。

「……」

そんな私をちらっと見られた後、男の方は黙って視線を患部である右足に落とされました。
そのままじっと見つめてらっしゃいます。
……まだ見つめていらっしゃいます。長いです。

「あ、あの……安心してください、私はメイドロボです。
 もとは介護ロボットを想定されていましたので、ある程度の医療の知識も身に着けています……」

何やら不信に思われているようなので、恐る恐る言ってみました。
確かに間違った手当てはしていないつもりで……はわわ?!
よ、よく見るとしっかり結んだつもりの包帯が、既に緩んでます!

「す、すみません! すぐに直しま」
「触るな」

147メイドロボとして2:2007/12/28(金) 00:10:32 ID:uX/Jp7D20
伸ばした私の手は、ぱしんと小気味良い音を立て跳ね除けられました。
予想外の拒絶に固まる私をじろっと睨みつけた後、男の方は黙ってご自分でそれに手を伸ばされました。
……気まずいです。

「何故手当てなんかした」

包帯を結びながらの問いかけ、下げられた視線により男の方の表情は窺えません。
……私は、思ったままのことを口にしました。

「そ、それは怪我をされた方を放っておくことなんて、できないからです」
「俺は、お前を殺そうとした奴だぞ」
「……はえ? わ、私のことを覚えていらっしゃったんですか?!」
「その耳飾、一度見れば忘れられないからな」

包帯の緩みが直ったのか再び目線を上げた男の方が、冷たい眼差しを私の元へと送ってきます。

「馬鹿が。お前もお人よしの類か」

そこに含まれた軽蔑が、悲しかったです。
私は答えることが出来ず、ただしゅんと項垂れることしかできませんでした……。

「さっさとどこかに行け、でなければ殺す」

男の方は、容赦がなかったです。
……何故この方は、こんなにも簡単に他者の命を奪おうとするのでしょう。
疑問です。
とにかく、放って置く訳にはいけません。
それこそこの方を放って置いてしまって、新たな犠牲者が生まれてしまったら大変です。
ですが。
それで、私は何をすればいいのでしょうか。

148メイドロボとして2:2007/12/28(金) 00:11:17 ID:uX/Jp7D20


私には、何ができるのでしょうか。

『ロボットの癖に癪に障る仕草すんなよ! 人間様が怒ったらそう反応するようになってんだろ? ただの奴隷じゃねえかよ!!』

私には、何かをする権利はあるのでしょうか。

『お前は壊れてんだよ! ロボット三原則もクソもないんだよ!今更守るべきルールも倫理も道徳もお前如きスクラップに適用されるわけないだろうがっ。』

ああ。フリーズしそうです。
助けてください。言葉が欲しいんです。
雄二さんの声を打ち消す言葉が欲しいんです。
助けてください。

―― でも、浩之さんはもういらっしゃらないんです。

グルグルとループする思考は、さながら螺旋廻廊のようでした。
答えを見つけるために、ひたすら私は階段を上り続けていきます。
その先に何があるか、何もないはずはないと信じて歩き続けるんです。
……そうです。何もないはず、ないんです。
現に目の前にいらっしゃるじゃないですか。
人が。
ロボットである私を、導いてくださる、「人」が。

「……私の話を、聞いて貰えませんか?」

自然と漏れた私のそれ。
男の方の眉間に、皺が寄ります。

149メイドロボとして2:2007/12/28(金) 00:14:11 ID:uX/Jp7D20
「私の話を、聞いて貰えませんか。お願いです、あなただけが頼りなんです」

これから先、他の「人」に出会う機会も確かにあるかもしれません。
ですが、それまで待てないんです。
今私の目の前には、「人」がいます。
断定するのはおこがましいですけれど、決して良い方だとは思えません。
それでも。

―― それでも、どんなに悪い方であっても。この方は、「人」なんです。

私と、違って。
気づいたら、私の回路は自分のエゴを最優先とした結論を出していました。
浩之さん、すみません。
浩之さんの代わりなんて、いらっしゃるはずないのに。
それなのに、浩之さんの代わりを求めてしまってすみません。

すみません。



マルチ
【時間:2日目午前6時過ぎ】
【場所:I−7・民家】
【所持品:救急箱・死神のノート・支給品一式】
【状態:巳間と対峙】

巳間良祐
【時間:2日目午前6時過ぎ】
【場所:I−7・民家】
【所持品1:89式小銃 弾数数(22/22)と予備弾(30×2)・予備弾(30×2)・支給品一式x3(自身・草壁優季・ユンナ)】
【所持品2:スタングレネード(1/3)ベネリM3 残弾数(1/7)】
【状態:マルチと対峙・右足負傷(治療済み)】

(関連:679)(B−4ルート)

落書きまた上げました、取り損ねた方はどうぞ。
ttp://www.uploda.org/uporg1176045.zip.html
パスは前回と同じ「hakarowa3」です。中身も前回のと全く同じです。
また再うpとかも、ハカロワ3の掲示板でのやり取りなら自由にやってもらって構わないです。
こちらからのアクションが遅くなりすみませんでした。

150忘れられた女! 逆襲の美汐!:2007/12/30(日) 22:15:43 ID:41dTiUJk0
向坂雄二は憤慨していた。

「あのコンポツが、だから嫌なんだゴミ屑が、人間様を何だと思ってるんだっ!」

目が覚めたら、横にいたはずのマルチがいなかったということ。
また、雄二自身に支給されたボロボロのノートの入ったデイバッグが見当たらなかったということ。
イコールとして出てくる解答は一つだけだ。

「あいつ、どこまでも人間様を舐め腐りやがって…っ!!」

許さなねぇ、と付け加えるように呟き雄二は強く唇を噛み締めた。
怒りに染まった人相に、普段の彼の軽やかな明るさの面影はない。
月島瑠璃子の遺体のある民家を飛び出した雄二は、そのままマルチを求め氷川村の中を全力疾走していた。
目的は勿論、裏切ったマルチに制裁を加えることである。

「スプラッタにしてやる、本当の意味でのゴミにしてやる許せねぇゆるして溜まるかたまらねぇよ」

自身の息が上がっているという事実にも気づかず、興奮に身を任せ雄二は手ぶらの状態でひたすら足を動かしていた。
走り続けている雄二の体力は既に悲鳴を上げているが、当の本人がそれに気づく様子は無い。
縺れた足が疲労の具合を表し、痛みと共に彼の身を地面へと叩きつけるまで雄二は走るのを止めなかった。
ぜい、ぜいという呼吸に地面の埃が混ざり合う。
顔からダイブしたことで、頬を砂が擦り雄二の肌を傷つけた。

憎い、憎い、憎い。
それら全てが怒りに直結する。
何に対する怒りか。その解答も、直結している。

「屑がぁ、あの野郎…っ」

151忘れられた女! 逆襲の美汐!:2007/12/30(日) 22:15:53 ID:41dTiUJk0
向坂雄二は憤慨していた。

「あのコンポツが、だから嫌なんだゴミ屑が、人間様を何だと思ってるんだっ!」

目が覚めたら、横にいたはずのマルチがいなかったということ。
また、雄二自身に支給されたボロボロのノートの入ったデイバッグが見当たらなかったということ。
イコールとして出てくる解答は一つだけだ。

「あいつ、どこまでも人間様を舐め腐りやがって…っ!!」

許さなねぇ、と付け加えるように呟き雄二は強く唇を噛み締めた。
怒りに染まった人相に、普段の彼の軽やかな明るさの面影はない。
月島瑠璃子の遺体のある民家を飛び出した雄二は、そのままマルチを求め氷川村の中を全力疾走していた。
目的は勿論、裏切ったマルチに制裁を加えることである。

「スプラッタにしてやる、本当の意味でのゴミにしてやる許せねぇゆるして溜まるかたまらねぇよ」

自身の息が上がっているという事実にも気づかず、興奮に身を任せ雄二は手ぶらの状態でひたすら足を動かしていた。
走り続けている雄二の体力は既に悲鳴を上げているが、当の本人がそれに気づく様子は無い。
縺れた足が疲労の具合を表し、痛みと共に彼の身を地面へと叩きつけるまで雄二は走るのを止めなかった。
ぜい、ぜいという呼吸に地面の埃が混ざり合う。
顔からダイブしたことで、頬を砂が擦り雄二の肌を傷つけた。

憎い、憎い、憎い。
それら全てが怒りに直結する。
何に対する怒りか。その解答も、直結している。

「屑がぁ、あの野郎…っ」

152忘れられた女! 逆襲の美汐!:2007/12/30(日) 22:16:27 ID:41dTiUJk0
全部あいつのせいだ。
全部あいつが悪い。
俺の邪魔ばかりするあいつが悪い。
血走った目で、体を起こす前に大きく拳で地面を殴る。
走る痛みが更なる興奮を産み、雄二は何度も何度も地面に拳を叩きつけた。

速度が上がっていた呼吸が落ち着くまで、ひたすら雄二はその動作を繰り返した。
何とか再び走れるくらいに回復した所で今度は周辺の民家を片っ端から調べることにしたらしい、雄二は大声を上げながらドアを乱暴に開け放っていった。
中には鍵がかけられている家屋もあったが、関係ない。
周辺に落ちていた石を窓に投げ込み、そこから雄二は怒声を浴びせた。
傍から見ると、気がふれてしまっているようにしか感じられないだろう。
正気を無くした雄二は、マルチのことに気を取られすぎて多くの他の参加者がこの島に存在していることを失念しているようだった。

そんな時である。
とある一軒の民家、ドアには施錠がしてあったので雄二は他と同じように石を投げ入れ雑言を放った。
相変わらず中からの反応はない、雄二もすぐ次の民家に移ろうとした。
しかし何故かここを逃してはいけないと、雄二の脳内神が叫ぶのだ。
差し詰め、男の直感と呼んでもいいかもしれない。
雄二は自身が傷つかないようにと慎重に、割った窓から内部へと進入を図った。
……特別、何の変哲もない家だった。
きょろきょろを中を見回しながら雄二は奥へと進んでいく。
しばらくすると居間に辿り着き、雄二はそこで誰かが食事を摂った後である証拠を発見した。
ロボットは食事を摂らない。ならば、これは人が摂ったものだ。
では、それは誰なのか。

ぞくっと、瞬間雄二の背中を震えが走る。
思えばマルチのことに固執し過ぎ、雄二は自分の身の回りのことに全く比重を置いていなかった。
その事実にやっと気づく。今、雄二は丸腰だった。
もしこの民家にいる人物が何か武器を所持していた場合、雄二の勝ち目はないに等しい。
ならば何をうるのが最善か、雄二は入ってきた窓の方へと戻るべく進行方向の逆を向く。

153忘れられた女! 逆襲の美汐!:2007/12/30(日) 22:16:46 ID:41dTiUJk0
「これは戦略的撤退だ。俺の行動に間違いはない」
「待ってください、折角人が出迎えに来たのにそれはないですよね?」

民家を去ろうとした雄二の独り言、それに答えるものがあった。
予想だにできなかった返答に、雄二の体が一瞬強張る。
いつの間に声の主は現れたのか、雄二は把握していない。
足音は聞き取れたか? 答えはノーだ、雄二の聴覚はそれを拾えなかった。
しかし振り向く雄二の視界に入ったのは、彼にとって思いもよらない人物であった。

「……天野?」

昨晩出会った少女、天野美汐。
美汐はアルカイックスマイルを浮かべながら、親しそうに雄二に話しかける。

「おはようございます」

害のないそれ、一応見知った相手だということもあり雄二の心に余裕が生まれる。
相手は小さな少女である、命の心配というのもないだろうと雄二は鼻で括った。
そうなると、今度は邪念が雄二の思考回路を支配する。
美汐の体は、よく見ると線は細いものの年頃のふくよかさが感じられる程度の肉付きがあった。
短いスカートから覗く太ももに対し、雄二の息子は知らず内にエレクトする。

これは運命なのかもしれない、雄二は思う。
確かに自身は手ぶらであるが、見た所彼女もそれは同じなのではないかと雄二は判断した。
敵意のない眼差しで手を後ろで組む少女、小さな背が見上げるように雄二の姿を捉えている。
愛らしい、人形のような少女。
これは運命なのかもしれない。この家屋を発見した際に感じた男の直感の先にあるのがこれではないかと、雄二は考えた。
雄二の脳内神もそう言っている。男には、やらなければいけない時があるのだ。

「違う。男なら、ヤれるチャンスがあったら逃しちゃいけねーんだ!」


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