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( ゚д゚ )絵描きとヴィオラのようですミセ*゚ー゚)リ

1 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:23:38 ID:fCDwqofo0

オレンジデー祭参加作品です。

2 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:25:14 ID:fCDwqofo0


人生に名前をつけるとしても、”希望”って言葉は違うと思う。


この世に生を受けて早二十年と少し。
主観的に見れば十二分に長いと思えるその時間の殆どを、僕は”妥協”という非常に響きの悪い言葉で満たしてしまった。

進んだ学校。選んだ進路。日々消費する言葉。毎日歩く道。決めた未来。いつも使う筆とキャンバス。
仕方なく選んだものたちで、今の僕は出来ている。

どれもこれも、昔の自分が思い描いていた理想にはまるで届かないほどに遠い。
かと言って、全てに絶望するには、理想という名の太陽の暖かさが感じられるくらいには近い。
そんな中途半端な位置で、足掻くこともせずただ呆と立っているだけの人生だった。

このひどく情けない生き方はきっとこれからも変わらない。
今日も、明日も、人生最後の日の僕も、ずっとこの形容し難い燻りを抱えながら、全てに納得している振りをして息をするのだろう。
いつの間にか、言い訳と諦めばかりが上手くなってしまった。
とてもじゃないが、こんな人生を称するのに”希望”だなんて綺麗な言葉は選べない。

3 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:26:11 ID:fCDwqofo0

……それでも。

それでも、もし、そんな人生でも何か一つ、こんな僕にも一つ、誇れるものがあるとするのなら。
僕らの人生に名前を、タイトルをつけなきゃいけないとするのなら。

僕らの人生が、一つの絵だとするのなら。
一つの音楽だとするのなら。
一つの物語だとするのなら。


そのタイトルは、そう、きっと―――。

4 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:26:49 ID:fCDwqofo0



( ゚д゚ )絵描きとヴィオラのようですミセ*゚ー゚)リ

5 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:30:05 ID:fCDwqofo0

*

窓から射し込んでくる春の日差しが、トレイの上に置かれたままのスプーンに反射した。
眩しさを感じて動かした視線の先には、「早く食べろ」と催促しているかのように未だ手つかずの日替わり定食が置かれている。
ワンプレートに置かれた唐揚げは、湯気こそ立っていないがその光沢は失われていない。注文して席に座ったのは確か数十分前だと思うのだが、春の陽気というのはどうやら食品にもその活気を分け与えるらしい。

( -д- ;)「………はぁ」

だが、そんな誘惑がなされたところで一向に僕の食指は動かなかった。
再び視線を手元のスマホに移し、液晶画面に表示されている数字を見る。
“65400円”。僕が今持っている総資産である。

来週払わなくてはいけない家賃が5万円。そこから光熱費や水道代、スマホ代などの雑費を引けばギリギリ1万円残るか残らないか。
そこから食費などを捻り出さないといけないのである。なるほど、中々にムリゲーだ。

ふと自分が子供の頃、一ヶ月を1万円でやり過ごすテレビ番組があったなと思いだす。
だがあれはテレビタレントのれっきとした仕事で、何も彼らは好き好んでそんな苦難を受諾していた訳ではない。というかあの番組は確か、1万円を超えたとしても終わるのはあくまで企画だけで、出演者の人生まで終わるなんてことはなかった。

生憎、僕の人生はテレビ番組ではない。僕が1万円で過ごすことに金を払ってくれるスポンサーはいないし、失敗しても笑ってくれる観客や視聴者も存在しない。
頼んだ食事に手もつけないまま、じっとスマホを睨んで溜息をつき、お世辞にも優秀とは言えない脳を回して、また溜息をつく。
いくら息を吐いたところで、表示されている数字は1円たりとも増えてはくれそうになかった。

6 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:31:40 ID:fCDwqofo0

从 ゚∀从「よっ!前、失礼するぜ!」

(`・ω・´)「どうしたミルナ、飯、食べないのか?」

( ゚д゚ )「ん…?」

聞き慣れた声に顔を上げる。
眼前には、食事が乗ったトレーを持って目の前に座る二人の友人の姿があった。

最初に声を掛けてきた赤毛の少女がハイン、心配そうにこちらを見ている青年がシャキン。
同じ美大に通う、クラスメイトの中でも特に親しい二人である。

从 ゚∀从「食堂でそんなしけたツラすんなよ。食わねぇなら貰うぞー?」

( ゚д゚;)「た、食べる食べる!取るなよ!」

ひょいと搔っ攫われそうになった唐揚げを何とか死守し、慌てて口の中に放り込む。
冷めてしまった皮を噛むと、その中からは未だ暖かい肉汁がふわりと広がった。

7 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:32:20 ID:fCDwqofo0

从 ゚∀从「チッ、なんだよ。食うならさっさと食えってのー」

( ゚д゚ )「僕が食べ物を粗末にする訳ないだろ。貴重な栄養源なんだから」

从 ^∀从「まーた出た!どんだけ金欠なんだよお前!」

紅い髪を揺らしながらケラケラと笑うハインを尻目に、さっきまでずっと放置していたサラダを口に運んでいく。
特製のドレッシングが、瑞々しい水分を含んだ野菜によく絡む。大き目にカットされたトマトや刻まれた紫キャベツなども相まって彩りも良い。
これに大きな唐揚げとスープ、ドリンク、そして大盛りの米まで付いて500円というのだから驚きを隠せない。
自分のような貧乏学生にとって、大学食堂というのは実の親よりもありがたい存在なのだ。

(`・ω・´)「…それでミルナ、さっきからずっと何を見てたんだ?俺たちが並んでる時からずっと、スマホと睨めっこしてたが」

ゆっくりとスープを嚥下し終わったシャキンからの質問に咀嚼する口が止まる。
説明するよりも見せた方が早いなと思った僕は、テーブルに伏せていたスマホの画面を二人に見せた。

8 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:33:06 ID:fCDwqofo0

(`・ω・´)「……なんだこれ、小遣いか?」

( -д- )「いや、全財産」

从; ゚∀从「……………ハァ!?」

ハインの甲高い驚嘆の声が食堂中に木霊した。

从; ゚∀从「えっ、全財産って…お前、え!?学費とか、大丈夫なのかよ!?」

さっきに比べればボリュームを落として話す彼女に、僕は力なく首を横に振る。
今は大学二年の三月。来月には晴れてこの大学の三年生になる。
だが、進級というのは何も無条件で出来るものじゃない。単位や成績など、必要な条件は多岐に渡る。
そして僕にとって何より肝要なのは、学費の支払いだった。

美大というのはとにかく金がかかる環境だ。
医学部並みとは言わないが高い学費に、絵を描くのに必要な画材などにかかる費用も馬鹿にならない。かと言ってそこで出費をケチれば満足のいく作品は描けず、結果として困るのは自分だ。
留年などしてしまえばそれこそ目も当てられない。かと言って、学費を払う用の奨学金専用口座には、1円たりとも手を付ける訳にはいかない。

要するに、色々と崖っぷちなのであった。

9 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:34:33 ID:fCDwqofo0

(;`・ω・´)「お前、何に金使ったんだ?というか、普段からあんだけバイトしてんのに何でそこまで…」

( -д-; )「……バ先、なくなってた」

从; ゚∀从
       「「………はぁ?」」
(;`・ω・´)

心地いい高音と低音が全くの同音を同時に奏でた。

( -д- )「…ずっと働いてた個人経営の飲食店、先週出勤したら潰れててさ」

( -д- )「先月と今月の給料、支払われてないんだよね。一応連絡したけど、店長からも全く返事ないし」

淡々と事実を羅列しているだけなのだが、眼前の友人二人はまるで狐につままれた顔をしていた。

10 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:35:53 ID:fCDwqofo0

当然だ。自分も口にしていて出来の悪い法螺話にしか思えない。
しかし、歴とした事実なのである。あれだけ馬車馬のように働かされ、挙句には給料未払いのまま飛ばれる間抜けな大学生などこのご時世に中々見られるものじゃない。

一応、大学の相談センターにも問い合わせたが、そこで聞かれたのは”学費の工面は大丈夫なのか”という一点のみ。
奨学金があるので学費自体は払えると説明するとすぐに興味をなくしたのか、事務員は途端に話を聞いてくれなくなった。
これはこれで別の法律問題に当たるのではないかとも思ったが、もはや怒る気力も食い下がる気もなくし、こうしてスマホと睨めっこをしていたという訳である。

从; ゚∀从「ほ、他のバイトは?お前、色々やってたよな?」

( -д- ;)「単発のやつばっかな。それも、春休みは何処も人気過ぎていきなり入るのは無理でさ」

(;`・ω・´)「……少しくらいなら、貸そうか?」

从; ゚∀从「そ、そうだぜ!ちょっとぐらいなら…お前には借りもあるし!」

( -д゚ )「いや、いいよ。マジでいい。気持ちだけ貰っとく」

友人たちからのありがたい申出に手を上げて断る。
金銭というのは、自分が意識している以上に大事なものだ。
十年来の絆がただ昔の偉い人が印刷されている紙切れ如きで崩壊するなど、別に珍しい話ではない。
それに、気の置けない友人たちに迷惑はかけられない。
そもそもとして、危機管理がなっていなかった自分の過失が原因なのだ。こうして愚痴を聞いてもらえるだけで、自分にとってはありがたい。

11 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:36:50 ID:fCDwqofo0

从; ゚∀从「で、でもよ…実際どうすんだよ」

( -д゚ )「ん……まぁ、すぐに別のバイト探すよ」

(;`・ω・´)「そんな余裕あるのか?3年からはカリキュラムも増えるらしいぞ」

从; ゚∀从「そ、そうだよ。給料だってそんなすぐポンと支払われる訳じゃないだろうし…」

友人からの忠告に漫然と動かしていた食事の手が止まる。
世間的な美大生のイメージというのは知らないが、少なくともうちの学生は結構忙しい。
3年からは実技の授業も増える上に、コンペ用の作品造りにかける時間も必要となる。
何より、就職活動に向けてのポートフォリオは絶対に手を抜けない。ここを失敗すれば就活がより本格的になる4年で挽回するのはかなり難しいと先輩から何度も聞かされていた。

12 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:38:24 ID:fCDwqofo0

( -д- )「…大丈夫だよ。今までだって何だかんだ何とかなってきたし」

すっかり空になった皿の前で手を合わせる。
自分なんかが就活などに気を遣う必要が本当にあるのかと問われれば確かに疑問だが、出来るだけ周りと同じように、普通の学生のように生きようと決めたのも自分だ。
慣れた手付きで鞄から薬を取り出し、残しておいた水と共に流し込む。
いつの間にか、この一連の動作にも随分と手慣れたものだ。

(`・ω・´)「お、花粉症の薬か。大変だよな、特にこの時期は」

シャキンがやや大げさに頷く。そういえば、前にそんな説明をしていたんだった。

从 ゚∀从「あれ、お前ら二人ともだっけ?可哀そうになー」

(`・ω・´)「上から目線やめろ。全く、この学校に文句を言うとしたら緑が多すぎることだな。花粉症には辛すぎる」

( ゚д゚ )「山の上だから仕方ないけどな」

( ´W`)「同感だね。あとはバスの本数も増やしてくれるとありがたい」

从 ゚∀从「あーそれは分かるっすねー」

(`・ω・´)「………うん?」

何か強烈な違和感を覚えてさっと左を見る。
確かにさっきまで空席だった筈の隣には、いつの間にか、自分たちの恩師である”シラヒーゲ教授”が優雅にコーヒーを飲んで座っていた。

13 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:39:03 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ ;)「せ、先生!?いつから!?」

( ´W`)「君が食堂に似つかわしくない顔をしながら唐揚げを頬張っていた時からだね」

( ´W`)「ミルナ君、ああいう顔をしながら食事をするものじゃない。いくら春休み中で周りに人が少ないといってもね」

( ゚д゚ ;)「は、はい……以後気を付けます…」

形だけの返事でもとりあえず納得はしてくれたのか、「よろしい」とだけ言って再びコーヒーを口にする先生。
御年60を超えるとは思えないほどに真直ぐな背筋と、皺一つない上品なグレーのスーツを纏ったその姿はとてもじゃないが美大の教授とは思えない。
こう見えて芸術の界隈では非常に名の知れた方ではあるらしいのだが、威圧感があるのかないのか、フレンドリーなのかそうでないのか、イマイチ掴み所がない人だ。

14 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:39:52 ID:fCDwqofo0

( ´W`)「…それでミルナ君。バイトを探しているんだっけ」

( ゚д゚ ;)「え?は、はい…本当にずっと話聞いてたんですね…」

( ´W`)「君、コミュニケーションには自信がある方かね?」

( ゚д゚ ;)「へ?」

いまいち意図が読めない質問に間抜けな返答が飛び出る。
どちらかと言えば、人との交流には自信がない方だ。

昔から、他人によく避けられる方の人間だった。
無駄に高くなった身長に、威圧感があるらしい二つの瞳。
少なくとも初対面で良い反応を貰えたことは一度もない。進学と共に京都に引っ越してきたばかりの頃は、関西の血気盛んな若者たちに「睨みつけられた」と身に覚えのない突っかかりをよく受けたものだ。
一人称を”僕”にしたり、少しでも穏やかな言葉を選んで話したりと自分なりに工夫はしているが、効果があった試しは今までの人生であまりない。

( ゚д゚ ;)「……ま、まぁ、苦手ではない、ですかね」

だが、ここで馬鹿正直に「苦手だ」と言うのは憚れた。
バイトを探すと言っても、働いてすぐに給料がもらえる訳ではない。少なくとも来月の家賃の引き落とし日までにはそれなりの金が必要なのだ。
教授からの紹介となれば何か問題があってもすぐ大学側に相談できるし、なにより金銭に困っている自分に紹介してくれるのであれば賃金も相当なものだろう。
困窮で頭の回転が早まったのか、瞬時にそこまで考えた僕は気が引けるものの、ギリギリ虚偽にはならない遠回しな発言をした。

15 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:41:14 ID:fCDwqofo0

( ´W`)「今、時間はあるかね?」

( ゚д゚ )「え?は、はい」

( ´W`)「なら今から行こう」

( ゚д゚ ;)「…へ?」

疑問符が口から出るより先に、いつの間にか僕は立ち上がらされていた。

( ´W`)「時は金なりというだろう。ほら、歩いた歩いた」

( ゚д゚ ;)「えっちょ、いやあのいきなり過ぎませんか…!?」

助けを求めようと、友人二人に慌てて目配せをする。
だが、縋った先の二人はひらひらと呑気にこちらに手を振ってニヤついているばかりであった。

从 ゚∀从「良かったな〜バイト見つかりそうで!頑張ってこいよ!」

(`・ω・´)「トレイは返しておいてやるからな」

( ゚д゚ ;)「いや巻き込まれたくないだけだろ!」

悲痛な叫び声を出したとて、人が少ない春休みの食堂で助けてくれる人は誰もいない。
教授に引っ張られながら、1年の頃に受けたクロッキーの授業を思い出す。
シラヒーゲ教授が受け持った僕らのクラスだけ、何故か他よりも異常に面倒な課題内容だった。
そんな人が紹介する仕事が面倒でない訳がない。だが、もう後悔しても遅かった。

16 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:41:47 ID:fCDwqofo0

棟を移り、促されるまま塗料で汚れた廊下を歩く。
7号館。僕が所属している洋画専攻の学生がよく使う棟だ。うちの大学は学部の棟ごとにお洒落な名前がついているのだが、何故かうちの学部の棟は何の面白みもない数字が付けられているのみ。個人的にはどうでもいいが、少し蟠りを抱いている生徒も多いとのことらしい。

春休みということもあって、普段は騒がしい廊下はいやに静かだった。
つくりかけの版画や整理中の机、使い終わった画材などが無造作に隅においやられている。他の大学はどうだか知らないが、少なくともうちでは見慣れた風景だ。

( ´W`)「入りたまえ」

『洋画専攻実習室』と書かれた扉で立ち止まり、教授は慣れた手付きで部屋の中へと入っていった。
いつもは僕らが実習で使う部屋。春休みの今は、休暇中でも作品を作りたい学生向けに貸し出しがなされている筈なのに何故教授がここを使えるのか。
その疑問は、扉の横に貼ってあった施設利用願を見て一瞬で溶解した。申請者の欄には『白髭シラヒーゲ』とある。これでは大学も生徒も文句を言えまい。

( ゚д゚ ;)「し、失礼します……」

許可は貰っているのだが何もせず入るのは気が引けた。
律儀に3回ノックをし、ドアノブに手をかけて扉を開ける。
すると、中にいたのは教授だけではなかった。

17 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:42:56 ID:fCDwqofo0

ハハ ロ -ロ)ハ「ア、来た!この子デス?センセイ」

( ´W`)「そう。さっき釣れたばかりなんだ。活きの良い子だよ」

教授の他にもう一人。金色の髪を短くそろえた女性が椅子に座っていた。
眼鏡の奥に見える瞳は、髪と同様に金の色を携えている。間違いなく、純粋な日本の人じゃない。

ハハ ロ -ロ)ハ「いらっしゃい!私、ハローと申します!」

( ゚д゚ ;)「こ、河内ミルナです……」

ハハ ロ -ロ)ハ「ミルナ!よろしくね〜!」

ハイテンションな彼女の勢いに飲まれかけつつ、教授たちに促されて空いている椅子に座る。
方やニコニコとしながら、もう片方は静かだが真直ぐにこちらを見つめている。
どう考えたって「やっぱりやめます」と言い出せるような雰囲気ではない。

18 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:44:04 ID:fCDwqofo0

ハハ ロ -ロ)ハ「こんなに早く良い子が見つかるなんて!さっすがセンセイ!」

( ゚д゚ ;)「い、いや…まだやるとは一言も」

ハハ ロ -ロ)ハ「も〜チョー助かります!このままじゃ私クビが回らなくなるトコでした!命の恩人!」

( ´W`)「いやぁ、私も助かったよ。お陰で大事な友人を一人失わずにすんだ」

妙に手慣れた口上でさっと外堀を埋められる。

( ゚д゚ ;)「いや、だから、あの……」

( ´W`)「あ、そうだ。給料はこのくらい出してくれるらしい」

なんとか言い訳をしようとした僕の前に、一枚の紙が現れる。
額面を見る。その瞬間、今の今まで胸中を渦巻いていた不安はものの見事に消し飛んだ。

( ゚д゚ ;)「……え!?な、なんですかこの額…!?」

自分が一番重要視する給料の額が、予想の3倍以上であったのだ。
しかも、支給日もかなり早い。これなら、4月を迎えるまでもなく目下の問題が解決する。
いや、もし長期で続けられるとしたら、大学を卒業するまでの不安すら一気に消え去るほどだ。

19 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:44:42 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ ;)「……!ち、ちなみに、どのくらいの期間で…」

ハハ ロ -ロ)ハ「ウーン、君次第だけど…できれば、半年は保ってくれると嬉しいカナ?」

半年、半年。瞬時に月給に6をかけて計算する。
本当にそれだけ稼げるのならば、寧ろ多少のリスクがあっても断る理由などない。
今までやっていたバイトがバカらしく思えるほどに、その金額と期間は魅力的であった。

いや、少し待て。
逸る鼓動を抑えつけ、ゆっくりと深呼吸をする。
金額につられて痛い目を見たから、今こういう状況に陥っているのではないのか。
まずはしっかり勤務形態や雇用条件、雇用主、保険、給与の支払い元、そういう細かいことを聞いてからだ。

( ゚д゚ ;)「………どういう、仕事なんでしょうか」

いくら落ち着いたように見せても、やはり気持ちが漏れ出ていたのだろう。
眼前のハローさんはニコリと笑って、別の紙を出してくる。

説明を受け、それに対して質問をし、更にまた説明を受けて、また質問をする。
雇用契約書を見つつ、少しでも疑問に思ったことは潰していく。
そうこうしているうちに、いつの間にか1時間以上もの時が経過していた。

20 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:47:08 ID:fCDwqofo0

ハハ ロ -ロ)ハ「――って感じカナ。どう?」

( ゚д゚ )「……………」

説明を聞き終わり、疑問点も粗方潰した。
話を聞き終えたばかりの率直な感想としては、「受けたい」という四文字であった。

正直、仕事内容は気が引けるものだった。
物凄く厳密に言えば、法に触れるかも分からない。
だが、特段人を傷つけるようなものではないように思えるし、何より、報酬と勤務内容を比較すればどう解釈しても前者に天秤が傾く。

勤務先のアクセス、拘束時間。どれも大して問題はない。
それに、何か問題があっていいように雇用契約書の控えどころか、スマホで撮影させてもらえるほどの優遇ぶりだ。何なら、こちらのスマホを用いた録音まで許可された。

正直、ここまで上手い話があるのかと怖くなる。
だが、自分の頭では抜け道など検討もつかない。なにより、この話を断ればいよいよ生活が成り立たない。

ゆっくりと頭を垂れ、受ける意思を表明する。
ハローさんが今日会った中で一番の笑顔を見せた。

21 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:48:06 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ )(……まぁ、何かあっても、別にいいか)

( -д- )(どうせ、結末は変わらないのだし)

自暴自棄のような考えのまま、ハローさんからの話に許諾の意を表明する。
つい一時間前まで僕を悩まさせていたモヤモヤが、少しはマシになったような気がした。

22 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:49:37 ID:fCDwqofo0

*

( ゚д゚ ;)「………ミスった」

“何かあっても別にいい”。
確かにそう考えていた。この話を受けた三日前までは。

途方に暮れて空を見る。
すっかり太陽は姿を隠し、都会の喧騒から逃れた星がちらほらと輝いているのが見て取れる。
時刻は既に19時。勤務先に伺うと約束した時刻は18時。

言い訳もできないほどに、立派な”遅刻”であった。

23 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:50:44 ID:fCDwqofo0

( -д- ;)「やっぱりバス使うべきだった……」

ハローさんから聞いた勤務先は、大学からは離れた場所にあった。
僕が通学に使う電車の路線とはまた別の路線の駅。
そこから出ているバスに乗って数十分揺られ、更にそこからまた数十分歩いた先にあるのだと。

だが、再三言っているように今の僕は金欠だ。先日出した履歴書の送料ですら惜しんだほどに。
京都の電車やバスにかかる運賃は決して安くない。特に、この路線は猶更だ。
どこも無人駅なのだからもう少し安くはならないのかと愚痴を零すも、普段は使わない僕が声を上げたところで詮無きことだろう。
慣れない無人駅で降り、目的地をスマホのGPSで調べた時、ふと思い立ってしまったのだ。
「これなら歩いても大丈夫だろう、バス代が節約できる」と。

だが、その結果がこのザマである。
あぜ道に迷い、日は暮れ、挙句にはスマホの充電も切れてしまった。
数十分前に先方に遅刻の連絡を入れられたのが不幸中の幸いか。

( ゚д゚ ;)「でも、方向はこっちで合ってる筈なんだよな……」

充電が切れるギリギリでスマホが示してくれた方向は、何度アプリを再起動しても同じ方向を指していた。
つまり、今僕が歩いている方角に目的地がある筈なのである。
もはや道と呼べるのか分からない道を歩く。
京都という土地は、京都駅周辺や有名な観光地を除けばどこもかしこも自然だらけの田舎だ。
今僕が歩いている道に至ってはもはや街灯の一つすらない。おまけに、まだ3月だというのにどこか蒸し暑く感じる。

とうとう歩き疲れた僕は、近くにあった大きな石に座りこんだ。
こんなに歩いたのは一体いつぶりだろう。そうだ、正月を少し過ぎた頃、暇つぶしに三条の河原町に出向いた以来だろうか。
あれは確かにきつかった。京都に移り住んで二年以上経とうとしているのだから、もう少し京都を知った方がいいだろうと思った自分を何度も呪った。人の濁流に押しつぶされ、何度も迷子になった。そもそも休日に出向いたのがよくなかったのかもしれない。

24 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:51:26 ID:fCDwqofo0

過去を想起しながらぼんやりと空を見上げる。
上空にはまるで、絵本に出てくるような満月が煌々と光っているのが見えた。
そうか、街灯がないのにここまで歩けたのは、あの月明かりのお陰か。

心の中で感謝しながら、ここで立ち止まっていても仕方がないと立ち上がる。
ある程度の疲れは取れた。それに、ここまで結構歩いた。目的地はそう遠くはないだろう。
そう思って再び一歩を踏み出そうとする。その瞬間だった。

( ゚д゚ ;)「………ん?」

何か、綺麗な音が聞こえた。

春の夜風に乗って、ふわりとした低音が微かだが鼓膜を揺らす。
決して派手ではない。太陽のような光はない。
けれど、そう、ちょうど今夜の満月のような、確かな輝きを持った音だ。

気が付けば、僕は早足で歩きだしていた。
夜の街灯に誘われる羽虫のように、花の蜜に誘われる蝶のように、ふらふらと歩を進めていく。

こんなことをしている場合なのか。行くべき場所があるんじゃなかったのか。
冷静に己を客観視している自分が、音を聞くにつれ薄れていく。
さっきまで自分の足を動かしていた理由がすっかりすげ変わる。
道を歩く。草木を押しのける。ただ只管、遮二無二、音が鳴る方へ。音色が聞こえる方へ。

25 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:52:00 ID:fCDwqofo0

いつの間にか、広い草原に出ていた。
さっきまで大量にあった木や、足元のアスファルトはなくなっていた。
視線の先、草原のずっと奥に、大きな影と小さな影が一つずつ見えた。

大木だ。それも、相当に大きな。
その下に、ひどく朧気ではあるが人影があった。
雲一つない上空に輝く満月が、その存在を辛うじて証明している。

あれだ。あそこが、あの人が音の発生源だ。
迷うことなく、僕は人影に向かって歩き出していた。

距離が近くなるにつれ、耳に届く音はより鮮明に、より大きくなっていく。
たまにテレビから流れてくるような、今までの人生で積極的に聞いたことのないようなクラシック音楽。
だが、それは僕が「クラシック」と言われて想像するような音とは少し違っていた。

音色からして、間違いなく弦楽器だ。音楽に疎い自分でもそれくらいは分かる。
だが、今聞こえる音色のそれは、僕が弦楽器と聞いて思う高い音程ではなかった。
この星さえ包み込んでくれるような柔らかい音、どんな焦燥も戦争も忽ち止みそうな落ち着いた音。
僕の二十年ぽっちの人生では、一度も聞いたことのない、美しい音だった。

26 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:52:39 ID:fCDwqofo0

音の邪魔をしないよう、出来るだけゆっくりと歩く。
気が付けば、少し声を張れば会話が出来そうなほどの距離。
そこまで近づいてようやく僕は気が付いた。
大木だと思っていた木は、桜であった。

緑のカーペットの上には、装飾と見紛うほどに綺麗な桃色の花弁が幾重にも散っていた。
その一枚一枚が上空の月光を反射し、天然のイルミネーションのようにも見える。
その大本となる桜の木の下に、人がいた。

ミセ* ー )リ

首を隠すほどに伸びた、綺麗な緑の髪が風に揺られて凪いでいる。
ちょうどこちらに背を向けた形で、僕からはその顔は見えない。
けれど、その背格好から辛うじて女性であることは見て取れた。

ふと、曲が終わった。
深みのある茶色の光沢がゆっくりと下げられ、先ほどまでゆったりと動いていた彼女の腕が落ちる。
その手には、神器のような上品さを纏う弦が握られていた。

27 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:54:02 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ ;)「………あの!」

草原に声が響く。
先ほどまで流れていた音と比べれば、まるで聞くに堪えないような雑音。
自分の喉に残る感覚で分かる。今のは、僕の声だ。

ミセ*゚ー゚)リ「………?」

目の前の女性が、ゆっくりとこちらに振り向いた。

春のような人だと思った。
夜中でも分かるほどに白い肌と、きゅるりとした丸い瞳。
桜の花弁がひらひらと落ちるその下、月光に照らされて露になった彼女の容貌は、思わず息を呑むほどに美しいものだった。
だが、それではない。確かに彼女自身も綺麗だが、感動したのはそれじゃない。
僕が心を奪われるほどに美しいと感じたのが、視覚に訴えるものではなかった。

28 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:55:51 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ ;)「……き、」

( ゚д゚ ;)「綺麗、でした!あの、今の、曲」

ミセ*゚ー゚)リ「……」

何か言わなければ。言葉にしなければ。
この耳に、心に残った感動を、どうにかして伝えなければ。
そう思って必死に口を動かしたものの、紡がれた言葉はひどく幼稚なものだった。

( ゚д゚ ;)「あ、え、えっと、アレ、ですよね」

( ゚д゚ ;)「ヴィオラ、ですよね!その楽器…!」

なんともいたたまれない気持ちになって、視線を彼女が持つ楽器へと移す。
ヴァイオリン、ではない。同じ弦楽器だし見た目も酷似しているが、そうじゃない。
彼女が持っているのは、先ほどまで引いていたあの楽器はおそらく”ヴィオラ”と呼ばれる代物だ。

( ゚д゚ ;)「す、すいません。いきなり話しかけて、こんな…」

( ゚д゚ ;)「でも、あの、本当に綺麗で!その、凄く感動したというか、もう一回聞きたいというか」

( ゚д゚ ;)「その、なんというか、向日葵みたいな暖かさがあるというか、それでいて、その、花のビオラみたいな可憐さもあって…でも、ダリアみたいに華やかで、決して地味じゃなくて、それこそ、桜みたいに煌びやかで……」

しどろもどろにも程がある感想が、まるで体をなさずに漏れていく。
今、僕は何を言っているのか自分でも全く判然としない。
とにかくこの想いを、感動を伝えたい。あわよくば、もう一度、今度はもっと近くで聞いてみたい。
その一心のまま僕は間髪入れずに話を続ける。
すると、ヴィオラの少女はこちらに向けてゆっくりと一歩を踏み出した。

29 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:56:42 ID:fCDwqofo0

ミセ*゚ー゚)リ「………」

彼女がこちらに歩を進めるにつれ、よりその容貌が鮮明になっていく。
手を伸ばせば、その綺麗な髪と頬に触れられそうなまでの距離。
さっきまでは分からなかったが、こうして見ると、自分と然程年も違わないくらいだろうか。
緊張で口が止まり、少女からの視線に耐えながら息を呑む。

何を言われるのか。どんな声なのだろうか。
あれほどまでに美しい音色を奏でていたこの人は、どんな綺麗な言葉を紡ぐのだろう。
弦を持った彼女の腕が上がる。真珠のように白く眩い肌が月明かりで輝く。

( ゚д゚ *)「あ、あの――!」

「感動した」と言おうとしたその矢先。
瞬きほどの一瞬、先に彼女が口を開いた。

30 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:57:35 ID:fCDwqofo0



ミセ#゚Д゚)リつー「――こんの、コソ泥があぁぁああああ!!!!!!」


つー( ゚д゚ ill)サッ「うぇえええええええええ!?!?」



凄まじい速度で突きだされた弦を間一髪のところで避けた。
その拍子に、ぐらりと視界が揺れる。

やばい、足を踏み外した。
慌てて身を持ち直そうとするも、続けて間髪入れず腹に拳が入れられる。
突然の暴力と怒号に、僕は成す術もないまま情けなく草原に転がった。

31 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:00:30 ID:fCDwqofo0

( -д゚ ;)「痛った……!?えっちょ、い、いきなり何を…!?」

ミセ#゚―゚)リ「何もへったくれもあるかぁ!!人ん家の敷地内にずかずかと入ってきた上に訳分からないこと抜かしてんじゃないわよ泥棒!!」

( ゚д゚ ;)「ど、泥棒!?」

ミセ#゚―゚)リ「裏から庭に入ってくるなんて余程の間抜けか泥棒のどっちかでしょうが!!無事に帰れると思わないことね…ギッタギタにしてやるわこの犯罪者!!」

( ゚д゚ ;)「ち、違います違います!!あ、あの、本当に迷って…!!」

ミセ#゚Д゚)リ「やかましいんじゃオラッ!!おべんちゃら使えば逃げられる思ったんか!?たこ焼きみたいに顔面腫れさせたろかぁボケコラァ!?」

馬乗りになった彼女は一切の容赦を見せることなく執拗にこちらの顔面目掛けて拳を振り下ろし続ける。
こちらの言い訳など本当に全く聞こえていないのだろう。いくらこちらが降参の意を告げても、彼女から繰り出される暴力はまるで衰える気配がない。

ミセ#゚Д゚)リ「オラ!!オラ!!生まれたこと自体後悔させたるからなアホ犯罪者がぁ!!」

( ゚д゚ ;)「ちょ、あの違うんです!痛い痛い本当に痛い!!誰か!!誰かーーー!!!」

懸命に大声を張り上げながら少女からの暴力を両手で耐える。
本当にさっきまでの少女と同一人物なのだろうか。
あの美しい音色を奏でていたその手が、今では恐怖の対象でしかない。
時折弦を使ってこちらの眼球を狙っているように思えるのは気のせいだろうか。それはマジで洒落になっていないのではないだろうか。

32 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:02:37 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ ;)「誰か!!誰かいませんか!?死ぬ!!もう今日で死んでしまう!!誰かぁ!!」

ミセ#゚Д゚)リ「泥棒助ける人間がおる訳ないやろ!!観念しぃやこんのコソ泥が――!!」

(;  ∋ )「――なんだ!?どうしたんだ!?」

*(;‘‘)*「お待ちください旦那様…って、お嬢様!?何を!?」

甲高い声と情けない悲鳴に、また別の人たちの声が混じる。
必死に助けを求めて視線だけを動かすと、そこにはとても恰幅の良い男性と、瀟洒な洋服に身を包んだ女性がこちらに駆けよってくるのが見えた。

(; ゚∋゚)「ミセリ…!?お前、一体何をして――!?」

ミセ#゚―゚)リ「お父様!!泥棒よ泥棒!!こいつ、庭から入りこんできたのよ!!」

*(#;‘‘)*「ど、泥棒ですって!?お嬢様、すぐに離れて下さい!!消さなきゃ!!」

( ゚д゚ ;)「けけけ、消す!?嘘でしょ!?ち、違います違います!!あ、あの、僕は――」

ミセ#゚Д゚)リ「ホンマにやかましいやっちゃな!!お父様、すぐに警察を――!!」

(; ゚∋゚)「ん……?いや、ちょっと待て」

男性の方がゆっくりとこちらに近付く。
“ミセリ”と呼ばれた少女の暴行が止まり、品定めするかのようにじっと顔を見下ろされる。
なんだろう。まさか、本当に警察を呼ばれるのだろうか。
それは困る。もうめちゃくちゃに困る。
まだバイト先が潰れたくらいならギリギリ笑い話にも出来ようが、大学三年生を目前にして誤解で前科がつくなど流石に笑えない。

33 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:03:47 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ ;)「あの、あの、僕、本当に――!」

( ゚∋゚)「……河内ミルナ君、か?」

「え」と涙交じりの情けない嗚咽が漏れる。
自分の本名を呼ばれたことに数泊遅れて理解した僕は、慌てて首をぶんぶんと縦に振った。

( ゚∋゚)「なるほど、そうか…いやぁ、事前に履歴書を送ってもらっていて良かった。ミセリ、退いてあげてくれ」

ミセ#゚―゚)リ「は、はぁ!?どうしてですお父様、こいつは…!」

( ゚∋゚)「大丈夫だ…あまり興奮するな、体に障ったらどうするんだ」

ミセ#゚―゚)リ「……っ!!」

「履歴書の写真の同じ顔だ」と落ち着いた声が雨みたいにしっとりと響く。
彼の言葉に納得してくれたのか、少女は渋々ながらも自分の上から退いてくれた。

( ゚∋゚)「いやぁ、うちの娘がすまなかったな…ところで、どうして庭にいるんだ?正門からでも入れるようにしていた筈なんだが」

( ゚д゚ ;)「あ、あの…迷ってしまって、それで」

( ゚∋゚)「なるほど、確かに駅からは遠いしな…迎えを寄越すべきだった。重ねて申し訳ない」

( ゚д゚ ;)「い、いやいや!こちらこそ、遅刻した上に、その、本当にすいませんでした…!」

頭を下げる男性に、寧ろこちらが申し訳なくなりながら必死に弁明をする。
少額のバス代をけちり、挙句の果てには故意ではないながらも不法侵入までしてしまったのだ。
こちらが謝る理由はあれど、頭を下げられる謂れはない。

34 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:04:53 ID:fCDwqofo0

( ゚∋゚)「…しかし、いくら何でも品がないぞミセリ。いきなり大声で『泥棒がー!』などと」

ミセ;゚―゚)リ「……言ってません。空耳では?」

( ゚д゚ )「え、いや、思いっきり怒鳴ってましたけど」

ミセ#゚皿゚)リ「あぁ?」

( ゚д゚ ;)「ごめんなさい何でもないです……」

暗闇でも分かる眼光に慌てて顔ごと逸らす。
お金持ちの屋敷とは聞いていたが、もしかしたら真っ当な所ではないのだろうか。
完全にヤのつきそうな所のお嬢に見えるのだが、僕の気のせいなのだろうか。

35 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:06:11 ID:fCDwqofo0

( -д- ;)「そ、その…本当に申し訳ありませんでした」

( ゚д゚ ;)「面接は、その、後日また出直して…あぁいや、というか、もうダメですよね…」

( ゚∋゚)「ん?あぁいや、君さえよければ、今からでもしようと思っていたんだが」

全く予想していなかった返答に「へ?」と間抜けな声が漏れた。
使用人らしき女性は「嘘でしょ」みたいな顔をしているし、さっきまで僕をタコ殴りにしていた少女に至っては未だ般若のような顔をして僕を睨みつけている。
どうやらまだ全然警戒されているらしい。

( ゚д゚ ;)「そ、それは…いや、自分としてはありがたいのですが…」

( ゚∋゚)「そうか、それは良かった。じゃあ来てくれ、屋敷に案内しよう」

男性に促され、困惑しながらも彼の大きな背中についていく。
…これは、要するに助かったということでいいのだろうか。
慌てて男性と共に来たお手伝いさんらしき女性も、自分と同じように何も言わず男性の少し後ろを歩いている。

36 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:06:49 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ )(…あれ、そういえば、さっきの女の子はどこに……)

ミセ* ー )リ「おい」

( ゚д゚ ;)「ひっ…!?」

ヴィオラを弾いていた子は何処にいったのか。
なんてことを考えているうちに、背中に何か鋭いものが突き立てられたかのような冷たい感触が走った。

( ゚д゚ ;)「あ、あの……?」

ミセ* ー )リ「…ちょっとでも変な動きしたら、刺すからね」

鋭く冷たい殺気がひしひしと背中から脊髄を伝って全身に流れる。
まだ暦は四月にもなっていないというのに、滝のような汗がぶわっと全身を伝う。

さっきまで僕が見ていたあの可憐な少女は、桜が見せた幻だったのだろうか。
ここに導いてくれたかのようなあの美しいヴィオラは、果たして本当にあったのだろうか。
案内に従ってゆっくりと歩を進めながら、地面に落ちている花弁を見てそんなことを思う。

37 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:07:37 ID:fCDwqofo0

ミセ# ー )リ「ちゃきちゃき歩けやボケが…」

( ゚д゚ ;)「はいっ!!」

どこぞの任侠を思わせるほどに低い声と弦にせっつかれて、呑気な考えをすぐさま捨てて前を歩く。
どうやら、僕が思っていたよりもずっと、いや、もしかしたら、今までの人生で経験したことがないくらいには。


僕が就こうとしているこのバイトは、相当に大変なものであるようだった。

38 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:08:59 ID:fCDwqofo0

*

( ゚д゚ )「〜〜♪」

鼻歌交じりの掃き掃除をしながら、窓の外の景色をちらと見る。
ここに来た頃に咲いていた薄桃色の花弁はすっかり若々しい緑へと変わり、ほのかな安らぎを感じさせてくれた春風は暖かさをより増して、爽やかなものへと変貌していた。

このバイトを始めて早三か月が経過し、旧暦で言えば文を踏んだ頃。
この街に来て、三度目の夏だ。時の流れとは真に早いものである。

39 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:10:07 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ )(しかし…屋敷の広さにはちょっとまだ慣れないな)

箒から掃除機へと装備をチェンジし、丹念に床の埃を吸っていく。
仕事内容や気を付けるべきことなどはもう頭に入っているが、如何せんこの屋敷は広い。
正直、人手はいくらあっても足りない。あの日、とんでもないファーストインプレッションをかましてしまった筈の自分があっさり採用された理由も今なら分かるというものだ。

初めてこの屋敷に来た日は散々であった。
ほんの数百円のバス代をケチったせいで、お嬢様には泥棒扱いされた挙句にボコボコにされた始末。
もしあの時すぐに旦那様たちが来てくれてなければ、今頃どうなっていたのかは想像もしたくない。

あの後、旦那様による一対一の面接は恐ろしい程にアッサリと終わった。
「何曜日、何時から何時まで働けるのか」「力仕事は出来るか」「ハローさんの依頼内容と、こちらが頼む仕事が両立できるか」。
想定していた質問に淡々と答えていたら、「じゃあ採用で」と軽い口調で言われたのだ。こちらは大遅刻の上、不法侵入までかましたというのに。

戸惑いながら「他に必要なことは」と聞けば、少し考えた素振りを見せた旦那様は

( ゚∋゚)『…できれば、二ヶ月くらいは頑張ってくれ』

と、やたら感情が籠った声で呟くのみであった。

40 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:11:17 ID:fCDwqofo0

当初はその呟きの意味が全く分からなかったが、今では十分に理解している。
というか、この仕事を紹介してくれたハローさんも「できれば長期で頑張って欲しい」と言っていた。

これは先日、同じお手伝いのヘリカルさんに聞いた話なのだが、どうやら過去に何人も先任がいたらしい。
旦那様から任せられる仕事内容は自分と同じ。
”屋敷の掃除や庭の整備などの雑務”。また、給金や福利厚生も同じだったとのこと。
それなのに、その全員が一ヶ月と保たずに辞めていった。給料をいくら増やしても、皆がすぐに辞めていく。

最初はその現象に首を傾げていたが、二ヶ月も働いた今なら分かる。
その理由…というか、元凶は――。



ミセ#゚―゚)リ「――ちょっと!!さっきから五月蠅いんだけど!?」

一々言及するまでもないが、一応ここで触れておく。
元凶とは他でもない。
旦那様である”堂島クックル”の娘であり、堂島家の令嬢、”堂島ミセリ”。
この屋敷に住んでいる、正真正銘の”お嬢様”だ。

41 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:12:50 ID:fCDwqofo0

( -д- ;)「も、申し訳ありませんお嬢様、もう少しで終わりますので…」

ミセ#゚―゚)リ「掃除くらいさっさと終わらせなさいよ愚図!いつまで時間かけてんの!?」

掃除機のスイッチを止め、ペコペコと頭を下げる。
彼女に逆らったところで良いことなど本当に何一つないのである。
僕がこの二ヶ月で学んだ最も重要なことは、高そうな壺を割らないことでも、部屋の隅に埃を残さないことでもない。
ミセリお嬢様の激昂に、”謝る”以外の選択肢を採らないことだ。

ミセ#゚―゚)リ「あと5分で全部終わらせなさいよ!あと庭の掃除も!」

( ゚д゚ ;)「は、はい!すぐに!」

完全に姿が見えなくなるまで頭を下げ続け、足音が聞こえなくなった辺りで慎重に元の姿勢に戻る。
今日は随分と叱咤される時間が短かった、かなりラッキーな方だな。
そんなことを考えながら再び掃除機のスイッチを入れ、懸命に腕を動かした。

42 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:13:39 ID:fCDwqofo0

噂に聞くところによると、自分のような使用人を新たに雇い始めたのは、二ヶ月ほど前のことらしい。
そして、自分が採用されるまでの間、プロのハウスキーパーからフリーターまで色んな人材を雇ったが、その誰もが一ヶ月と待たず辞めていったとのこと。
この前、ただ勤務開始から二ヶ月が経ったという理由だけで旦那様から歓喜に溢れた謝辞を貰った。
自分の場合、他の人よりも辞められない理由が強いというだけなのだが。

( ゚д゚ )(……庭に逃げるか)

別に、いくらお嬢様に癇癪をぶつけられようとも辞める気はない。
かといって、僕は特に理由もない怒りや暴力を受けて喜びを感じるような異常性癖を持ち合わせている訳でもない。
お嬢様とはある程度仲良くならなければならないのだ。ここでまたすぐ屋敷内でお嬢様に怒られ、続けざまに彼女の心象を下げるのは自分のメンタル的にも良くないだろう。

床の掃除を手早く終わらせ、靴を履き替えようと使用人入り口へと歩く。
この前手入れできなかった部分に手が出せると思うと、不思議と心が軽くなったような気がした。

43 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:14:18 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ )「…この時期は伸びるのが早いな……」

外に出て、ささやかだが立派に咲いたエリンジウムを愛でる。
庭に咲く花の管理も、自分に割り振られた仕事だ。

元々は予定されていなかった業務だが、旦那様に「自分の実家は花屋だった」ということを世間話の時にさらりと告げると、その流れで一度、庭の草木や花を整えてはくれないかと頼まれたのが始まりだった。
堂島家の庭もまた、屋敷のそれと同程度に広い。
初めて大学のキャンバスに足を踏み入れた時も思ったが、京都というのは中心部を離れると緑豊かな広い土地が沢山ある。
都会よりも自然が好きな自分としては、非常に好ましい景観だ。

( ゚д゚ )(次はそうだな…これだけ広いんだし、あえて野道っぽく、菖蒲とかどうだろう)

いつの間にか、勝手に次に育てない花を考えている自分がいる。
昔から緑に触れるのは嫌いではなかったし、給料が増えるのは個人的にはありがたかった。
何より、創作意欲が湧きやすい。僕は昔から絵を描くことに行き詰まると、花や風景などの自然に触れるのがルーティンだった。

44 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:15:00 ID:fCDwqofo0

そういえば、今までの勤務でお嬢様に一番怒られたのはどういう理由だっただろうか。海馬に力を入れ、この三か月のことを想起する。
面接を受けた日の帰り、自己紹介をしたら「さっさと帰れ犯罪者予備軍」と呼ばれ中指を立てられたこと。
桜が散り始めた頃、「ミセリ様」と名前で呼んだら恐ろしい形相で大量の本を投げられたこと。
サンダーソニアの水を替えていた時、「お嬢様はどんな花が好きですか」と聞いたら無言で鼻を殴られたこと。

多分、一番怒られたのはヴィオラの演奏を褒めた時だ。
彼女の部屋の窓が開いていた時、感想を言いたくて部屋を訪れたことがある。
その時の怒りようは最早言葉では言い表せない。後日、音楽関係のことでお嬢様に関わるのは絶対のタブーだということを教えてくれたのは、先輩のヘリカルさんだった。

色々と挙げていけばキリがない。ひどいときにはただ挨拶をしただけで30分以上も説教をされたことだってある。
まぁ最近はそこまで酷いことはなくなってきたし、少しは使用人として認められてきたのだと思いたいのだが。


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