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「α」についてはここで語ってください

1法の受験人:2003/05/21(水) 00:37
ぼーんさんが述べられてる「α」なる理論。
これに対しては批判も多いので、
こちらでまとめて話しませんか?

388イカフライ:2004/08/16(月) 17:14
 α。
 他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値をおき、自分の宗教を修正する。

 では、α教徒はこんな時どうするべきか?
 スーダンで内戦が起きた。沢山のの難民が発生し、その多くは女性と子供。彼らは枯れ枝を集めたほったて小屋に寝起きし,食べる物も着るものも無い。医薬品も医師もいなく,病になればただ死んでいくしかない。
(しかも、長期の栄養失調と逃亡生活で、肉体が衰弱しきっている)
 一方で衣食住が満たされた一人の日本の子供がいる。その子供が両親に、自分は夏休み,どこにも連れていってもらえない。友達はみんな生みやディズニーランドに行った。自分も何処かに連れていって欲しいと親に頼む。
 その両親は、父が中小企業勤め,この夏はボーナスも殆ど出なかった。母親はパート、余裕は無い。とはいえ,やりくりすれば1泊旅行くらいはなんとかできそうだ。
けれど、家族のレジャー費用を使ってしまったら,寄付するお金は残らない。

 こんな時,どうするか?
 
 αでいくならば、今死に瀕しているスーダンの人々の命と,衣食住が満たされた日本の一家の楽しみの為のお金,前者を優先させるのが正しい解釈なのだろう。

 けれど、もし、自分が親だったら,子供のディズニーランドを優先させてしまうだろう。

 「世界では小学校にすら通えない、それどころが家も食べ物もない子供が沢山いる,だからお前は恵まれているんだよ」
 と、ゲームも与えず,ディズニーランドにも連れていかず、塾や習い事もさせないで、そのお金を難民に寄付することが、果たして正ししいのかどうか,私には解らない。

 司祭はなんて答えてくれるのだろうか?

389スライムベス:2004/08/19(木) 03:30
>>387

>それは、
>・正義のためなら圧力を掛けることは許される
>ということかな?

場合によるだろうね。

>目的のためなら手段は選ばない、ということ?

もちろんそんな事は無い。

>で、「人種差別制度は悪」という価値観について、俺個人は「機会の均等を奪う制度はイクナイ(・A・)!!」
>と思うが、絶対悪だとは思ってない人に、それを植え付けるための手段としての「圧力」は正義の圧力
>だから許されるってことかな?

まあそういうことになるかなー。
逆に聞くけど、貴方は「許されない」という考えなのかな?
たとえば南アのアパルトヘイトをやめさせるために
国際社会が行ったような制裁措置は一切するべきでなかった、
と考えている?

>欧米の差別、差別の強行と維持(欧米型の、植民地に教育を施さず搾取の対象に限定するというやり方
>は差別でしかないのはわかるね?)をひっくり返すための圧力手段としての大東亜戦争は、今の>>386
>の主張で言うと充分に支持されて然るべきなわけだが。

まず私は太平洋戦争をそのように考えていないし、
仮にそうであったとしても>>386からそのような結論は導き出せない。

390うろちい:2004/08/19(木) 09:32
>>338
僕はいつもそういう問題で股割け状態です。
で、いくらかはαに矛盾せずに済む行動をとれるけど、まだまだαに背いている部分も多い。
我が家ではいろんな救済用の年間予算をとりあえず決めて自分たちの覚悟の大きさに応じてその枠を広げるようにしました。
そうすることによって自分たちがどのくらいαに沿っているか反しているか金額ベースで自覚することができると思いましたので。

α教徒でなければそういう問題は問題にすらなりません。

α教徒は一家の旅行よりスーダンへの救助を優先すべきだと思います(だから自分ちだけ旅行に行けない状態はおかしいんですけど)。
一家が旅行へ行った方がスーダンへの援助がかえって増えるという条件でなければですけど。
で、イカさんはときどき「一家が旅行へ行った方がスーダンへの援助がかえって増える」みたいな願望を覗かせますが、そういう都合の良いことが起こることもたまには期待できるかもしれません。
食べることで痩せるダイエット法と同じくらいに期待できます。

僕も5回のうち4回くらいは子どもとのディズニーランドを優先させてしまうかもしれない。
でもそれは「自分が持っているはずのαに反している」と自覚しています。
自覚するからこそ4回が3回になる可能性があります。
もちろんαを捨てる選択もありますけど。

しかし日本の貧乏人のささやかな楽しみを削る前にもう少し削った方がいいものがあるような気がしますけどね。
その辺のαへの整合性も考えるべきだと思います。

391ヤッス:2004/08/19(木) 09:56
>>390
その考え方っていうのは、どうしても「競争の結果勝ち得た正当な報酬を、競争に勝てなかった者のために諦めろ」
ちう強制を正当化してるみたいで受け入れがたいんだよなあ。
楽して儲けた金だったら人に恵むなり振る舞うなりする(ゆとりの余剰を喜捨)のはかまわんと思うけど、
ディズニーランドに行く金、行くための時間っていうのは、結局自分の労働の成果として手に入れた報酬なわけじゃん。
それを、なぜ、労働の成果に寄与しないスーダンの人に下賜しなければならんのだろう。
何の罪があるんだろう。

働いても働いてもそれに対する報酬について、関わりのない誰かに喜捨しなければならない義務を課される
みたいな考えっていうのは、生活アップアップの人間から言わせて貰えば、金持ちの道楽でしかないと思う。
金持ちが余り銭を貧乏人に投げるのは勝手だし、好きにすればいいし、それで来世が約束されるなり天国の門の
優先権が手に入るなりするならどんどんやればいいと思う(宗教ってそうだよね)。
でも、それって「そうでないものにまで強制・義務化し、そうしないことが悪であるかのように喧伝してまで広める」
ものなのか?と言う疑問は捨てきれない。

好きにやればいい。が、俺は知らんな。という人間を、好きにやる人間が非難や批判していいことなんかなあ。

392ヤッス:2004/08/19(木) 10:14
>>389
目的のために手段は選ばない【ということではない】、ということでOKだ。

んじゃ、質問に答えてみよう。
南アについては、一般的には「白人(オランダ人)の権益を守るために、黒人(現地人)を抑圧し機会を奪う」
という認識でええのかな?
ホントに個人的な話をするならば、その権利の回復のための努力は、国際社会の圧力によってではなく、
マンデラ氏他の現地の黒人自身の努力で勝ち取られるべきだろうと思うし、そのことについて国際社会が
手や口を出すのは、それが善意によるものであっても【内政干渉】を正当化しているという自覚は持つべき
だと思っとるよ。
これは、その他のどんな制裁処置についても言えることだけどね。
現在の国際社会では、国内の政策については基本的に国境を越えたら干渉できない、内政不干渉を原則
としてるはず。だから、失政や悪政でその地域内の国民ががばがば死んでも、そこに明確な統治者が
いる限りは、他国は干渉できない。これはまあ建前論なんだろうけど。
そうすると、南アがアパルトヘイト政策を南ア以外の国にも輸出しようとしたならともかく、南ア国内の政策
として行っていたとするなら、果たして国際社会が内政干渉/制裁処置を取ったのは本当に許されたのかな?
と疑問に思うことはかなりある。

まあ、実際には干渉したし制裁したわけで、南アの野党勢力による政権奪取に、外国が手を貸した結果、
政権が替わった南アが自ら国策を変えた、という名目になってるんだろうけどさ。

・内政干渉は絶対に許されない →これを第一義に尊重するなら「許されない」
・自分が内政干渉を受けることを甘受する →それでもいいっていうなら「許される」

俺は「国民主権」「主権域内(国境の内側)に対する内政不干渉」は絶対だと思ってるので、
それを優先すると「例え善意の所行であっても、国際社会の制裁は許されなかった」という結論になるね。

しかし、内政干渉の受け入れって無制限にしていいもんなのかな。
また、受け入れの基準ってなんだろう。そういう話を棚上げにして「特例を許す」って言っちゃっていいのかな、という疑問はある。
この場合、「内政(アパルトヘイト政策)より、国際社会の合意のほうが上位」っていう考えが正当化されてるから、制裁は正義
ってことになってるわけだよな。
「人種差別は悪=α」なわけか。でも、そうすると、南アは「人種差別は悪ではない」と考えていたわけで、
南ア政府はαに反しているか、αを準拠していなかった。
その相手に対して、「圧力をかけてαを守らせた」という強制行為をしたわけだな。
南アが自浄的そうしたならともかく、「外からそうさせた」ってのは本当に正しかったのかなあ。

393ヤッス:2004/08/19(木) 10:22
国際的差別問題というとだいたい南アのアパルトヘイトが引き合いに出されるんだけどさ、インド国内の
カースト制的差別についてはどう考える?

階級ごとに厳格な「差別」があり、特定の階級、地域出身者は、特定の仕事にしか就けない。職業選択の
自由がない。一生選択と売春だけで生活することしかできない階層もあるそうな。
そういう階級差別というものが、厳然として存在するインドに対して、国際社会は制裁措置を取って差別
から解放させるべきかな?

でも、それをやると、インドの10億以上の過剰な人口は大混乱に陥る。
職分をカーストで仕分けすることで、特定の業種が足りなくなったり剰ったりしないように調整されてるわけ
だから。それはまあ、ある種の「蓄積によって得た大量人口が棲み分けしていくための知恵」なんだろうけど
そういうものも「階級差別」というデメリットよりメリットが上回るものとして未だ破棄されてないわけだ。
(実質問題として)

国際社会は制裁措置をすべきかな?
俺はすべきじゃないと思ってるけど。

これっていうのは、「域内の統治(内政)に対する責任を、誰がどこまで負うべきなのか」って話を
絡んでくるんじゃないのかな、と。
例えばの話よ。インドで階級差別と就業の自由を、名目でなく実質的に解放させたとする。
それによって医者が増えすぎ弁護士が増えすぎ、一方で洗濯屋が激減、医者と弁護士は増えても
仕事が足りないから、その仕事では全然食えない。ああ、これなら与えられた職分の範囲内で
やってればよかったよ……てなそういう混乱が起きてきたとする。
まあ、差別開放政策が「失政だった」という結果になったら、という喩え話だな。
この場合に、差別開放政策を「取らせた」のが国外からの制裁圧力によるものだったとする。
国外からの制裁圧力=国際正義に乗っ取ったものの、人口比や就業者事情のまったく違う
先進国の事情や正義を制裁を持って押し付けられたインドの社会が大いに混乱した場合、
インド国民はその失政をツケを誰に文句を言えばいい?

本来、インド政府が自発的にそうした(外国の制裁と無関係に)なら、インド政府が責任を
取るべき問題だけど、制裁によってそうせざるを得ない、という強制を受けた結果、
強制した諸外国が自国で成功したのとは違う失敗にインドが見舞われた場合は?

こういうことが起こりうるからこそ、「自国の主権が及ばない外国の、域内自治については、
他国が内政干渉をすべきではない」という鉄則が生まれたんだろう。
インドの失政について責任を持つ上位の「政府」ができないうちにやっていいことじゃない
と思うんだよなあ。

この「内政干渉」に関する唯一の例外は、「その国の政策が、隣国または第三国に対して
直接の脅威になる場合」「安全保障を脅かす場合」だけだろ。
域外に影響を与えることになるわけだから。

だから北朝鮮の「拉致・核問題」は俎上に載るし、他国が干渉もするけれども、
金正日が取っている圧政については他国は問題にしない。
そゆことでないのかい。

394イカフライ:2004/08/19(木) 17:10
>>390

そうしますと、全ての人々がα教徒になったら,どうなるのでしょうか?

>一家が旅行へ行った方がスーダンへの援助がかえって増えるという条件でなければですけど。
で、イカさんはときどき「一家が旅行へ行った方がスーダンへの援助がかえって増える」みたいな願望を覗かせますが、そういう都合の良いことが起こることもたまには期待できるかもしれません。

 これは願望ではなくて、よく解らないのです。
 私は自慢ではなく言うのですが,あまり贅沢はしない人間だと思います。
 この年齢になって宝石もブランド品もひとつも持っていないし,まあ金が無いというのは一番の理由ですが,そもそもあまりそういったものには興味が無いし。
 東京住まいということもあって、車も免許もありません。
 趣味も読書と山歩きと編物というなかなかにイタく地味なモンですし,(最近ネットというもんが加わりましたがこれも地味って言えば地味(^^ゞ)根がヒッキー体質なもんですから、若い時にも六本木に入り浸る事も無かったし,スキーもテニスもしません。
 まあ、つまらない人だと思います。
 でね、質素に暮らして贅沢をせず恵まれない人達の為にそうして節約したお金を寄付する。
 そうなったらどうなんでしょうか?
 これへ福祉スレでもバイクの例で書きましたが。
 レジャーや服飾品、車やバイクといったいわば贅沢品(と一階に言ってしまうと,生活環境などによって差はありますが)を一切買わないで,それを福祉に寄付をする。
 そうなると、却って介在は衰退するのではないんですか?
 実際現在(といっても回復しつつあるとは言いますが)の不況も個人消費の落ちこみが原因だったし。

 >しかし日本の貧乏人のささやかな楽しみを削る前にもう少し削った方がいいものがあるような気がしますけどね。
 
 これは、熊しか通らない道路のような無駄な公共事業やお役人の天下りのようなことでしょうか?
 それとももっとほかの事?

395イカフライ:2004/08/19(木) 17:37
 あと、思う事。

 つつましやかな日本の貧乏人も、国によっては王侯貴族です。
 日本で餓死者がでたらニュースになります。けれど、日常的に国民が餓死する国なんて北朝鮮だけじゃなくいくらでもあります。
 蛇口をひねればキレイで安全な水が出る。スイッチを押せば電気が点く。こんな生活を当たり前だと思っていますが,それは世界じゃ少数です。

 けれど、じゃあ、日本人は贅沢だからよぶんな金はアフリカに回せ。
 それも違うんですよね。

 無駄とか贅沢というと、同じレベルではないという意見も特に教育関係者から出ると思いますが。
 例えば世界には小学校も通えない子供が沢山いる。じゃあ、自分の子供は義務教育だけで就職させて、高校や大学にかかる費用を寄付する。
 中卒で働いている子供の給料からも寄付させる。
 原理主義のα信者はそうなりませんかね?

 個人的にはね,こんな高い進学率は無意味だと思います。
 高等教育はもっと少数精鋭にしてレベルを上げたほうが良い。
 一入も行燈も読めない大卒(しかも文系)の卒業校が私学でもトップレベルってのはなんじゃらほい、と思います。

 けれどね、今,とりたててエリート教育をしようと思う親じゃなくても,いやむしろウチの子は取り立てて才能も無いし,平凡で良い,と思う親こそ,我が子を大学にまで進めたがるんじゃないでしょうか?

396ヤッス:2004/08/20(金) 00:46
日本国内では「借家住まいで収入は月手取り18万」って言ったら、どちらかといえば貧民に入るよな。
そんなに貧しくても、ラーメンの値段が貧民割引になるわけじゃないし、ガソリン代だって同じだけかかる。
でも、月手取り18万(約1600ドルくらい?)もあったら、途上国じゃ王侯貴族の生活ができるかもしれない。
でも、日本国内で暮らそうと思ったら底辺に近い生活にしかならない。
でも、日本で稼いで途上国で暮らし、剰ったゼニを途上国に貢ぐ……なんてことは、物価の高い日本で
仕事して暮らしてる限りはできない。

それもこれもだな……

「生活水準及び生活コスト」というのは、国境の境目で変わるものだし、「最低水準」なんていう価値観だって
国境で切り替わるものなんだよ。
それが「国ごとに独立し、主権を保ち、また政府が保護の対象とする」ということでもあり。

域外の住民について義務を要求せずに権利だけ保障してやろうというのは、間違ってないかい。
大きなお世話じゃないのかい。
権利を保障してやるなら、義務を負わせるべきじゃないかい。
スーダンの子供に援助するとき、何か義務を負わせているのかい。

日本の主権が日本の国土の外に及ばないのが当たり前であるように、日本政府や日本で暮らす個人が
責任や援助を「共同体」として行えるのは、日本という「同じ程度の生活コストがかかり、同じ法律に保護され、
同じ権利と同じ義務が課されている範囲内」に限られるべきなんでないかい。
権利の話は出てくるが、義務の話が一切出てこない、「域外」への援助は、政治的介入/内政干渉と同程度に、
傲慢なもんじゃないかと思うんだがなあ。

「月に2000円も稼ぐ」スーダンの人と、「月に18万しか稼げない」日本人とでは、どっちのほうがいい暮らしを
してると思ってんだ(w

397ヤッス:2004/08/20(金) 00:49
そゆことを考えると、だな。

「思惑も絡む政府援助(ODAとか)」みたいなもんはともかくとして、「日常の生活であっぷあっぷの日本人」
には、ホントに余剰なんかあんのか? というようにも思うなあ。

よく「田舎に道路作るのは無駄!」という意見が出るんだけど、道路のない田舎は不便なんだよな。
田舎は不便でいろ、ってことなのかなあ。
それってのは、都会人の傲慢てことにならんかい?

398うろちい:2004/08/20(金) 09:20
>>394 イカフライさん
>>396 ヤッスさん

今まできちんと書いてなかったかもしれませんが、自分が相手の立場でも同じ答えを導くならそれはαに反しないんですよ。
α自体が要求するものはそんなに窮屈なものではないです。
そしてα教徒は殆どの人を含むでしょう。
自分がスーダンで不遇な目に遭っていたとして、そのとき日本にどのくらいの援助を要求するのか。
それが日本人である自分が援助すべきだと考える質量と等しければαには反さないわけです。
(客観的な立場から言って)どのくらい援助すべきなのかはαとは別の問題としてあるんですよ。
僕は自明のこととして「先進国の貢献の仕方はまだまだ」と考えているのでそれとαとを掛け合わせれば、結果股割きになるんです。
例えばですが・・
「自分が日本でささやかな贅沢を満喫できれば代わりにスーダン人がのたれ死んでもかまわない」と考えているのに自分がスーダン人としてのたれ死ぬときには「贅沢をしながら自分を見捨てた日本人」を少しでも恨むのであればαに反します。
「自分が日本でささやかな贅沢を満喫できれば代わりにスーダン人がのたれ死んでもかまわない」と考えていても自分がスーダン人の立場で「日本人のささやかな贅沢のためならのたれ死んでもかまわない」と考えるならαに反しません。
イカさんの基準もヤッスさんの基準も自分がスーダン人であっても日本人に文句がなければαはクリアしています。
「ある基準を自分にも他者にも同じく適用する」というのがαであって「ある基準」が何が適当なのかはもう一つ別の論点です。
「基準は何が適切か」でなかなかコンセンサスに至らないことが多いですが、αが無ければそもそも「ある基準」すら必要ないわけです。
αを拒絶すると言うことは規範を他者と共有することを放棄すると言うことです。

399ヤッス:2004/08/20(金) 11:51
>>398
「スーダンに暮らす自分が、自分がスーダンで生き残るために、自分を援助する日本人が財産を放棄して
その結果死んでしまっても、スーダンで生き残るためならかまわない」
という場合はどうなんだろね。

もっと言えば、スーダンの人が日本についての知識を全く持っていなかったら、「贅沢なあいつらと、みじめな自分」
なんて概念を持たないで済んだのではないかね?
せいぜいが、「同じスーダン人なのに、大統領はいい暮らしをしてやがる」という程度で。
「自国の大統領よりも、日本の貧民のほうがいい暮らしをしてるらしいぜ!」という認識を持ってしまうからこそ、
「贅沢な日本人は、みじめなスーダン人にもっとものをよこせよ。不公平だよ、おまえら」という認識が生まれてしまうのでわ?

どっちにせよ、「国境を越えた完全な平等」は物理的に不可能。
完全な平等ではないにせよ、それを平等に少しでも近づけよう、という【善意】は理解できないでもないが、
それはそれぞれの「区切られた域内」での競争や努力の成果として勝ち取るものであるべきで、
「隣の芝生が青いから、ひっぺがしてウチの庭に貼り付けなきゃ不公平だ」
っていうのは、一生懸命芝生の手入れをして青い芝生を手に入れた隣人が、努力の足りない隣人に手を貸さないことを
妬むのと似たようなものというか……

日本人が腐敗できる程度に、または適度なポカをやらかしても国が転覆しない程度に豊かなのは、
それもやっぱり日本人自身の努力の成果だろう。そうやって築かれた土壌を継承して、今の日本があるわけだし。
だが、それを羨むだけの、自助自治努力が足らずに目的を果たせない人々に、「結果の平等」だけを与えるのが
正しいとは、全然思えないんだよなあ。

自分がスーダン人だったら。
日本人がスーダン人よりいい暮らしをしている、という事実を知る機会が、まずほとんどないだろうな。現実問題として。
あったとして、「いい暮らしをしている」という結果だけを知ったら「あいつらが羨ましい」って思うかもしれん。
そのあと「ライスボール1個が1ドルもする。ブレッドひとかたまりで1.5ドルもする。Sushiを二カンで3ドルだと」と知ったら、
なんて高い食い物を食ってるんだ、と思うかもしれん。それを贅沢と思うか、物価が高すぎると思うかはわからんが。
まあ、それを得るのに、一日に12時間以上働くのが普通だと言われたら、驚いて逃げるがな(w

そういう「羨ましい」という気持ちは、「結果(=得た報酬と物価)」の部分だけを見ればそう思うだろうけど、
「義務と努力(=労働時間と内容)」を知ったら羨ましいとは思わないと思うなあ。
その意味で、「結果の平等」だけを叫んで例に挙げるのは、どーもしっくりこない。

スーダン人でもアフガン人でも東ティモールでもいいんだけどさ、自衛隊の国連監視とか、NGOの現地活動とかで
日本人に対する評価のいちばん大きいのが、「日本人が先頭に立って働く。奴らは働き過ぎ」なんだとさ。
(先日のNHKドキュメントでもやっとったよ)そこで、「外国人の日本人が働いているのだから、我々も頑張らなければ」
という精神面での支援になってる部分が大きいとかなんとかそういう評価もあれば、「あれだけ働いていれば、
日本が繁栄するのも当然だ」という感想の人もいれば、「彼らが働きすぎるので怠けられない」という人もいる、とかなんとか。
まあ、ともかく。

結果の平等を与える与えない、という話は、そんなわけで「努力の平等」を無視する部分が大きくなるので、
αの喩え話にはあわねえつか、信者が不利になるんじゃないのかい?
と、心配してみた。

400ヤッス:2004/08/20(金) 11:56
脱線してすまんね。
自分がスーダン人だったら、「金も飯もいらねえから仕事くれ」と、まずスーダン人に言うだろうな。
仕事っていうのが、一過性の、スポンサーが去ったらなくなるようなもんじゃダメなわけで。
農業国として「自分たちが喰っていける」というのを目的に働くなら、輸出や輸入は考えないで
いいわけだから、外国のことなんかどうだっていい。

工業国として「外国にもの売って暮らす」なら、「作ったんだから買え!」じゃなくて「買ってもらえるものを作る」
方向にシフトしないとだめだし、そのためには外国のことも考えないとならない。
そのときに、「あいつらは他の国のものは買うのに、おれんところのものは買わないのは不公平だ!」
という意見も出てくるかもしれない。品質と値段が同じならもっともな話だが、品質や値段がその差を
作っているなら、値引きするなり品質を上げるなりの努力しなければとも思うかもしれん。

まあ、それは日本人の発想だと言われたらそれまでなんだがな。

ただ、そういう努力をすればモノは売れるし外貨は稼げるし、いい暮らしもできるだろう。
そういう努力をしないで、いい暮らしをしようっていうのは間違いだと思うんだがなあ。

どうしても「努力をしない奴を、努力をした奴が救わなければイケナイ。それが正義だ」という前提に
立ちすぎてるのが鼻につくんだよ。

401イカフライ:2004/08/20(金) 12:19
 少しいいかな?

 ヤッスさんはそういうつもりで言っているわけではないと言うことは解るんだけれど,スーダンの例で言えば。
 別にスーダンの難民キャンプの人々は怠けていたわけではなくて,アラブ系民兵組織が民族浄化とやらを言い出して黒人を虐殺し始めて,スーダン政府がそれを黙認(つーか、事実上応援?)していたから、命を守る為に国も村も捨てて、つまりは自分の生活基盤を置いて、命からがら国境沿いに逃げてきたんだよね。

 世界で難民と呼ばれる人々が発生する時には、こういう理由が多い。
 日本の敗戦の時の引き上げにしてもそうだよね。大陸で築いた財産、全部置いて命からがら逃げ出してきた、なんて話は昔,年寄りから聞いた。

 で、スーダンの例で言えば,国がこんな状態になったのは「スーダン政府」の責任である、
 しかしスーダン、に限らずアフリカの問題は植民地時代、白人が勝手にひいた国境線にある。
 となれば、いけないのは、フランスやイギリス,その他植民地政策を行った旧宗主国であり、また、独立後も争いばかりして,まともに国を築けなかった現地の民にある。
 それは、そうだと思うんだよ。

 たださ、いわゆる底辺、というのかな、パンピーの視点で言うとね,スーダンに生まれるも日本に生まれるも「たまたま」だからさ。
 
 >「金も飯もいらねえから仕事くれ」
 と言えるのはだから、仕事が出来る環境,仕事をすればそれに応じた報酬が入ってくる環境,その報酬によってモノが買えるだけの環境,があってはじめてなんだよね。

402うろちい:2004/08/20(金) 13:05
大丈夫?ヤッスさん?
「自分が相手の立場でも同じ答えを導くならそれはαに反しない(>>398)」
という肝心なところ理解してくれた?

ヤッスさんは「「ある基準を自分にも他者にも同じく適用する」というのがαであって「ある基準」が何が適当なのかはもう一つ別の論点です。(>>398)」
の「ある基準」についてばかり気をとられてるけどさ。

403ヤッス:2004/08/20(金) 15:12
>>402
その、「大丈夫?」とかいう言い方やめてくれねえか。

なんか、医者から気違い扱いされてるみたいで腹が立つ。
もしくは、健常者から障害者扱いされてるみたいで腹が立つ。

作戦か?

404ヤッス:2004/08/20(金) 15:13
自分は正しく、自分は理解をしていて、相手は正しくなく、相手は理解が足りない。
そういう前提に立つから、そういう偉そうな言い方が「自分にとって当然で、相手はそう言われても当然」
という鼻につく態度を生むのか?

405ヤッス:2004/08/20(金) 15:16
α云々がいつも空転したり、空論に終わるのは、その代入すべき部分を棚上げにすることなんだよ。
だから白紙委任状って言われんだと思うんだが。

「契約を履行するという白紙委任状に判を押しなさい。契約内容は別の論点であり、判を押した後に個別に考えます」

そう言われて白紙委任状の正しさを訴えられても、全然同意できない。
結局は「代入される契約内容は、ケースによって違う」んだったら、白紙委任状なんか無意味。

406ヤッス:2004/08/20(金) 15:25
>>401

原因に責任を求め続けるなら、

・スーダンの貧困は、「アラブの正義」によって起きた。だからアラブが悪い。
・だが、そうした民族・部族的モザイクは旧主国の線引きのせいだ。だから旧主国が悪い。
・旧主国が原因を解決すべきだが、当時の当事者はすべて死んでいる。だから、旧主国の現政権が対応すべきだ。
・しかし、現在のスーダンは独立国なのだから、旧主国の仲裁を受け入れるとスーダンは独立国とは言えない。
 だから自力解決ができないスーダン現政府が悪い。

てな風に、どこまでも責任追及はしていけるだろう。
政府を回しているのは「頂点」で、それ以外の人間が「底辺」なんだとしたら、底辺の不幸ってのはどこにあるか。
教育が不十分だから「底辺」が底辺から抜け出せないのか。目の前のことで精一杯で、戦略眼が育たないのか。
が、教育ってのは国のグランドデザインができ、「国」という意識が育たないと、施すこともできない。
外国人に貰った教育ってのは、結局与えた国にとって都合がいいだけだからな。

責任を追及して尻を拭ってくれる相手を探し続けようっていうのは、復興してからすべきことだと思うがなあ。
たまたま日本に生まれたが、俺は日本になんて生まれたくなかった、どこか別の星の別の時代の宇宙人になりたかった。
と言ってみてもしょうがねえわけで、「今いる、今ある場所で、今できることをするしかしょうがあんめえ」とも思う。
今ある、今いる場所でどうにもならないから、「誰かなんかくれ」というのも、ひとつの方法なんだろうけど、
「悪いけど、だったら死ね」と積極的に言うことも、「悪いね。ごめんね」で消極的に(死ね)ということも、
「これで今日だけ生き延びろ」と小銭を握らせることも、得られる結果に大差はなくて、与える側が悔いる量が
増減するだけだと思うんだがなあ。

イカフライには悪いと思うんだが、どうしてもこの問題に限っては、「援助をしたいならすればいい。しかし、
それは金持ちが道楽でやれ。貧乏人にまで同じ行為を要求すんな。金持ちの行為=援助に対して、
第三者に評価を求めんな。正当化すんな」と言いたい気持ちが強くてなあ。

αスレからは脱線で悪いけどな。

407ヤッス:2004/08/20(金) 15:28
「ある基準を自分にも他人にも等しく適用する」っていうのは簡単だけど、実際にはできねーんだよな。

相撲取りが一日に食べる量と、癌患者が一日に食べられる量。
どちらも違う。相手には互いに適用できない。

ここで、どちらにも適用できるものが、等しく同じであるためには、結局「ある基準」が何か?を明確に
できなければ比較なんてできない。

それこそ、「等しく適用できる場合もあるし、そうでない場合もある」としか言えない。
「等しく適用できる場合」が何かという具体的な話が進むなら、この話は意義がある。
具体的な話が出た試しがない(というより、具体的な話は例外で逃げられるものばかり)から、
胡散臭く感じるんだが。

408うろちい:2004/08/20(金) 16:28
ヤッスさん、何を言っているんですか?
ある基準の具体例ならヤッスさん自身が言っているのではないのですか。
ヤッスさんの方式に従って日本がスーダンへの援助をしたりしなかったりを決めるのならば
ヤッスさんはたとえ自分がスーダンで不遇に遭っている人だとしても日本人には文句を言わないのでしょう?
それともダブスタですか?
ダブスタではないのならヤッスさん自身がαを承認したうえでそう言っているのですよ。
「きな臭い」なんて人ごとみたいに言っているけど。
ついでに言えば

>そういう偉そうな言い方が「自分にとって当然で、相手はそう言われても当然」という鼻につく態度を生むのか?

というのも「そういう鼻につく言い方は俺もしないしお前もしてはいけない」と、暗黙にαに立脚しているではないですか。
それとも「俺はするがお前はするな」ですか?

「具体的なある基準」なんていくらでもあるわけです。
その内容はαとは関係のない因果で決まります。
ですからある基準の内容がヤッスさんのお気に召さない(お気に召す)場合があっても、それはαを拒絶する(承認する)理由にはなりません。

>結局「ある基準」が何か?を明確にできなければ比較なんてできない。

α自体を評価するための比較はαが無い場合とある場合とでするしかありません。
共有すべきものとして基準がある場合は常にαに立脚しています。
ある基準を具体化して、いったい何が比較できて何を評価したいのか不明です。

それでも敢えておつき合いして
>相撲取りが一日に食べる量と、癌患者が一日に食べられる量。
に関して「ある基準」を具体化してみましょう。
正確に言えば万人が食べるべき量に関しての規範です。
全ての人は・・・
「食べてはいけない」
「死なない最小限度しか食べてはいけない」
「体重に比例したカロリーを一定の栄養バランスで取る」
「健康を壊さない範囲で自由」
「好きなだけ食べて良い」
どれもαに立脚しています。

「俺は俺であるがため好きに食べるが、お前は俺ではないがために死なない程度にしか食べてはいけない」
これはαに立脚してません。

「自分だから」「他人だから」で差を付けるのは非α。
それ以外の(客観的な)理由で食べて良い量が違うのならαに矛盾しません。
同じ量を食べることをαは求めません(拒絶もしませんけど)。

409ヤッス:2004/08/20(金) 17:19
話が散逸していてわかりにくいんで、自分の言葉で言ってイイか?

・α=ダブスタ禁止?

それなら理解できるけど。

・自分の行動を束縛されないために他人の行動を束縛しない。

これもわかるけど。
で、

・自分の行動を束縛されないためには、自分の行動を束縛しようとする相手の行動を束縛しなければならない。

こういう場合はαではどうなんの?

410ヤッス:2004/08/20(金) 17:24
たぶん、

・自分の行動を束縛されないためには、自分の行動を束縛しようとする相手の行動を束縛しなければならない。

これについては、
「自分の行動を束縛しようとしている時点で、相手がαを守っていないのだから、同じ視点に立つには自分が相手を束縛してもいい」
になんの?

今、うろちいその他との間で共通しているものがあるとしたら、

「PCかそれに類する機器を使っている」と、
「日本語かそれに近似の言語を使っている」に基づいて
「【投稿はできるけど自発的に投稿結果を削除できない掲示板】を利用している」
「(強制されない)自発的な意志で【掲示板】に投稿している」
「(強制されない)自発的な意見だけを投稿している」

こんくらいじゃないかと思うわけだが、その場合はそれらはαになるわけ?
ダブスタでなく、しかも自発意志でそれをすることを選び、さらには相手の行動を妨げず、
自分の行動も「妨げる意志があっても実際には止められない」ことが保証されているって
意味で。管理人が削除権使ったら別だけど。

411ヤッス:2004/08/20(金) 17:27
>>410
・自分の行動を束縛されないためには、自分の行動を束縛しようとする相手の行動を束縛しなければならない。

これなんだけど、
自分Aの行動を束縛しようとする相手Bの主張が、自分Aの行動が相手Bの行動を束縛し、脅かすものだから、
という主張だった場合、αを共有してるとしたら自分Aの行動を自発的に戒めるのがαに反しない行動って
ことになんの?











ところで、すげー根本的な問題なんだけど、αを守る(=ダブルスタンダード禁止)っていうのは、本当に
相手と自分を平等に活かすことになんの?
なんか、それが証明されないうちにαを守ることが最上って話になってるっぽいんだけど。

412イカフライ:2004/08/20(金) 18:18
>>408

つまり……
「障害者は街に出たら邪魔だから一生施設で隔離しろ。ホームレスは社会の落ちこぼれだから勝手に餓死でも凍死でもしろ。イタクやスーダンなんてよその国の人間がどうなろうが知ったことじゃない」
といっている人間が、
「自分が障害者になったら一生施設から出られなくても良い,なんらかの事情でホームレスになったら行政や民間の一切の支援を受けずに野垂れ死んで良い,もし日本に戦争や内戦が起きて自分が難民になっても豊かで平和な先進国がなんらアクションを起こさぬままにゲリラに惨殺されても良い」
と同時に言うのなら,これはαに違反しないわけだ。
 で、まあだいたいの人間は自分がそうなった時,助けてくれ-、って思うんだよな。

 だが、この平和な日本でそうそう戦争や、ましてやアフリカ諸国のような内戦は起きる可能性は極めて低い。
 言うだけなら簡単だ。

 また人間っていうのは、自分に繊細,他人に無神経なもんでもある、多かれ少なかれ。

 だからこそ、多くのα違反が起こるのだろうが,そのα違反をどうするのだ、ってことがあるよね。

>>411
>αを守る(=ダブルスタンダード禁止)っていうのは、本当に
相手と自分を平等に活かすことになんの?

基本的にはなると思うよ。
 「俺は浮気してもいいけど、お前はするな」とか
 「私はブランド品や化粧品にいくらお金かけてもいいけれど,あなたは月1万円のお小遣いで我慢しなさい」
 なんていう夫婦は、結婚生活崩壊しそうだね。

 ただ、これにも例外があって、実際,亭主の浮気は「男の甲斐性」だからと黙認し,妻は家を守る義務があるから浮気なんてとんでもないという奥は存在する。
 ていうと、男の天国,とか思うかもしれないけれど、そういう家庭って言うのは金持ちに多いらしい。
 愛人2号や3号が子供出来ても認知して充分養育費を払って、それで奥は「名家の奥様」というステータスと贅沢な暮らしを手に入れる。
 もしかしたら、愛人に子供作る事も「血筋を残す」ってことで家を守る、奥が浮気男の子供でも妊娠したら他の血が入る→家が守れない、って利害の一致なのかもしれん。
 後者で言えば,妻が美しい事がなによりの喜び,という夫っているし、確かに。
 そういう亭主は、妻の美容代がなにより最優先なわけだから。

 まあ、夫婦とかの小さくて個人的な単位はそれですむし、どっちもα違反ではないわな。

 それが、相手が不特定多数になった場合,どうよ?ってことだよね、多分,言いたいのは?
(違ってたらゴメン)

413うろちい:2004/08/20(金) 18:27
>・自分の行動を束縛されないためには、自分の行動を束縛しようとする相手の行動を束縛しなければならない。
>こういう場合はαではどうなんの?

「相手を束縛して良い」も「いけない」もαに矛盾しません。
繰り返しますがαを守ることと行動の基準の内容とは独立です。
「自分が束縛されないために相手を束縛して良いが(束縛してはいけない)が、逆の立場なら答えが逆」
ならαに矛盾します。
繰り返しますが「αに反する」とは「自分だから」「他人だから」という理由で基準・・というか規範ですか・・が異なることを言います。

αを守ることが自他を平等に活かすことになるか?という問いですが、α自体が「自他平等」の定義みたいなものですからねえ。
証明と言われても正直言って困ります。
αに反した平等ってどんなもんです?

414うろちい:2004/08/20(金) 18:38
あ、そうそう。
>>410
へのレスも一応しておきますと、
「ダブスタじゃない」という条件だけでαに沿っています。
他の条件はαとは関係ありません。

自分が掲示板のオーナーの時は「俺は自由に投稿するが、他は俺の検閲を受けなくてはならない」と言いながら
まったく同じ条件の別の掲示板で自分がゲストの時には「オーナーは検閲をするな」と言ったらαに反します。

415スライムベス:2004/08/21(土) 14:29
>>392
>俺は「国民主権」「主権域内(国境の内側)に対する内政不干渉」は絶対だと思ってるので、
>それを優先すると「例え善意の所行であっても、国際社会の制裁は許されなかった」という結論になるね。

ここが一番考え方の違うところだね。
私は国家主権を絶対視すべきでないと思っている。

民族自決とか内政不干渉とかの原則は
帝国主義時代の植民地支配に対する反省から来ているというのが
最大の理由だろうと思うんだけど、
ところがその肝腎の国家が国民を抑圧しているとしたら
そのような原則を守る意味が無いんじゃないかな。
国家としての存在理由すら問われるだろう。

中国のように長い間外国からの搾取や抑圧に苦しんできた国は
どうしても内政干渉に過敏になる傾向があるけど、
ある国が人権上問題があるんじゃないかかというような政策を取っている場合には
国際社会はどんどん注文をつけるべきだ。
またこれからの国際社会は
だんだんそういう傾向になっていくと思うよ。

416スライムベス:2004/08/21(土) 14:30
>>393

カースト制度については

http://www.blhrri.org/kokusai/un/un_0020.htm

ここの解説が判りやすそうだ。

かつての南アフリカのように政府自身が
人種差別制度を維持しようと目論んでいるような場合は
国際社会がアメとムチを使ってその政策を変えるように
努力すべきだと思うんだけど、
インドの場合はそういうケースに当てはまらないね。
インド政府自体は無くそうという努力はしているようだ。
(日本の部落問題に近いのかな?)
ならば国際社会はそのようなインド政府の取り組みを
支援していくべきだろうね。

417うろちい:2004/08/23(月) 16:28
>>392
理論的には人種差別自体がαに反するわけではありませんよ。
人種差別がαに反するのは、差別側が自分への差別は許容しないからです。

418ヤッス:2004/08/25(水) 00:28
ついでだからこっちにも少し書いておこう。

αを巡る話。

「お前は俺の奴隷になれ。しかし俺はお前の奴隷にはならん」
(お前の奴隷になりたくない。それを達成するにはお前を俺の奴隷にするしかない)

という場合。
うろちいは、これの逆の状態を、「自分が奴隷にされる側だったら、奴隷にされることを受け入れなければαに反する」
とゆーわけだが、それってまったく違うんじゃねーかなと思う。

逆の立場だった場合に、
「何を言う。お前こそ俺の奴隷になれ。しかも俺はお前の奴隷もならん」
と、逆の立場でも同じように言い返すことができるのが、「αに対して誰もが同じ態度を採りうる」ということだろ?

そして、逆の立場でも正位置でも、相手がそのように思うこと、そのように言うことを妨げない(言うのはタダ)のが、
お互いに保証されたことなわけで。
ただし、宣言したことを実現できるかどうかは、それぞれの「能力、財力、その他の総合力+運」の差で決まる。

オリンピックは誰でも金メダルを欲しいと思う。
母国では、母国のマスコミに向かって「金メダルを取るのは俺だ」と宣言するだろう。
日本代表がそう宣言してる同じ頃に、中国やイラクの代表だって同じように言ってるだろう。
立場が変わっても、それを宣言することは自由だ。
問題は、実際に金メダルを取れるのは1競技、1種目で一人だけってこと。
そうすると、宣言する自由は誰にでも平等に、そして立場が変わっても【同じように言うことができる】が、
実際に金を取れるのは、能力と総合力と運(財力はこの際おいとこう(笑))があるものだけ、ってことになる。

というわけで、「逆の立場」というのは、「上と下」という逆じゃなくて、「互いに相手に命令し合っている段階」での逆
つーことでわ?
その後に起こる、「金メダルを取れなかった」「相手を奴隷にできなかった」なんて運命は誰だって受け入れたくない。
それを防止するには、相手に金を諦めてもらう、相手に自分を奴隷にすることを諦めてもらうんじゃなくて、
自分の実力で相手の希望を阻止するしかないわけなんだな。

逆の立場に置かれたときに、しおらしく言いなりにならなければダブスタだ、なんてのは、
敗北主義者の遠吠えにしか聞こえんよ。

419うろちい:2004/08/27(金) 00:32
>「自分が奴隷にされる側だったら、奴隷にされることを受け入れなければαに反する」

そうです。

>「何を言う。お前こそ俺の奴隷になれ。しかも俺はお前の奴隷もならん」

それを言ったら僕が定義するαには通常反します。
が、そういうルール(勝った方が奴隷になる)の勝負事をどちらも共有している条件下ではαに矛盾しません。
なぜなら勝負を受けた時点で奴隷になるかもしれないことを承認しているから。

>「αに対して誰もが同じ態度を採りうる」

こういうαの使い方はありません(そういやヤスツさんも「代入」とか変なことを言っていましたね)。
近い言い方をするならば「共通の規範に対して「誰もが同じ態度を取るべきだ」と考える」のがαです。
規範自体はαではありません。

420ヤッス:2004/08/27(金) 03:01
>>419
で、聞きたいんだけどさ。

相手がαに従うと言いながら、従わなかった場合は?
相手に罰を下すの?
制裁をするの?
で、自分が相手より強いか、相手より強力な同盟の側にいる場合は、αに反した相手に対して制裁もできるわな。
でも、相手の方が自分より強大だった場合に、どうやって制裁するの?
それとも相手の方が強大だったら制裁はしないの? αに反した相手は結局放置? 口だけ?

結局の処、αがどうのこうのっていうのは、「自分を律するための考え方」であって、
相手を律する考え方じゃないんだよなあ。

なんつーか、交渉事をスポーツか何かと勘違いしてないか。
スポーツの場合、ヒット打って3塁に走ったらアウトだし、土俵から落ちたら負けだっていう共通のルールがあらあな。
双方、そのルールに「服従」し、そのルールに照らし合わせた是非勝敗を決定する審判に、(通常は)服従もするわな。
要するに、α云々っていうのは、国同士の交渉事をスポーツのように「ルールで縛りたい」ってことなんだよな。
自分がアウトになる行為を相手がしたら、相手もアウトにならなければならない、みたいな。

でもその考え方って、相当甘くないか?
確かに、「核兵器イクナイ(・A・)!!」とか、「BC兵器イクナイ(・A・)!!」っていう約束事はある。
でも、こっそり作ることは可能だ。
こっそり作ってることを指摘したアメリカが、それを排除しようとしたら少数の同盟国以外から叩かれた。
こりゃまたますます、こっそり作りやすくなる(w

取り決めたルールに、相手が確実に従う保証がどこにもないのに、自分を律する厳格なルールを、
相手も同じように守る、と考えるのは、ヒジョーにお人好しに見えるんだが。

相手を確実に信頼でき、相手が確実に自分と同じくらいストイックであるという確証を、どうやって得ようつーのかな?
α信者は。

421ヤッス:2004/08/27(金) 03:08
「誰もが同じ態度を採るべきだ」
というのは、理想であり、希望なんだよな。

同じ態度を採らない相手に対して、「同じ態度を採るべきだ」と言うのは簡単だ。
鼻で笑われたら終わりだ。

鼻で笑う相手に自分と同じ態度を採らせるにはどうすべき?
「同じ態度を採るべきだ」と、口で言うだけじゃ通用せんわな。

確か、預言者ぼーんはこう言ってたな。
「まず、白紙委任状に判を押すように口説け。
仲間を口説いて増やして言って、反対者は後回し。
最終的には反対者が少数になるから、多数意見として押し切れ」
ま、意訳ってことで(w

で、実際に「誰もが同じ態度を採るべきだ=α(最初からそう言えよ)」が論じられはじめて
もう1年以上経つけど、結局のところ未だにαの信徒が増えてないのはなぜかな?
説得者/賛同者が怠慢だったから? 「誰もが同じ態度を採るべきだ」というのを、わざわざ
「α」だの「規範」だの「ダブスタ禁止」だの、ヘンな言い回しでわかりにくく説いた結果、
新しいシンパは全然獲得できなかったってこと?

いつになったらα信徒が多数派になるのかな?(w

また、「納得しない少数派が多数派の軍門に下る」っていうのも、少数派が「武力蜂起」や「テロなどの暴発」
をしないことが前提になってんだよな(w 自分が抑圧しようとする相手を、盲信しすぎてませんかい?
抑圧された少数者が、暴発した場合、どうやって「自分と同じ態度を採れ」っていってなだめんのかな?
それができるんだったら、呼びかけだけでテロリストを沈静化できるんだがなあ(w

422ヤッス:2004/08/27(金) 03:25
α=「誰もが同じ態度をとるべきだ」 っていうのは、これはより多くの人間が共有し、共感し、採択
されなければ、成立しない。自分だけ守っても相手が守らなかったら自分はやられ損ってことだな。
そのときはたぶん、「自分は守った。相手が守らなかった。だから相手に非がある。故に、自分が
相手を罰することは当然の権利である」っていう論法になるんじゃないのかい?(w

で、そういう意味でも、「誰もが同じ態度をとるべきだ」という考えは、できるだけ多くのシンパを
獲得しなければならない考え方である、のだろう。
でも、そういうシンパの獲得ができてないよね。現実問題として。
1年以上に渡って疑問を呈し続けてる人間も多くいるし、飽きちゃったのもいるだろう。
飽きた=納得した、じゃないぞ。呆れられた、が正しい(w

じゃあ、「誰もが同じ態度をとるべきだ」を多数意見にするにはどーしたらいい?

1)その場にいる人間を口説いて、自陣営に引き込む
2)その場にいない人間を口説いて自陣営に引き込み、この場に連れてきて多数派工作

でも、実際にはそのどちらもやってないよな。

3)その場にいない人間は誰でも理解できるはずだから、必要なとき以外は改めて説く必要はない。
 潜在的な支持者が多数派なのは間違いなく(脳内)、自説は世界のスタンダードであるのは疑いない(脳内)

と、たぶんこんなところ。
「きっとそうに違いないが、確かめてはいない。確かめるその瞬間までは、きっとそうに違いなく、確かめる
方法がないので確かめないが、そうであることは疑いない」
これは、一般的には「妄想」と言われるのだが……。

まあ、実証してもらわんことには。
談話室の中に世界の縮図があるとはいわんけど、談話室の中ですらも賛同を得られない意見が、
潜在的に支持されうるとはとても思えない。

支持されなくても「かくあるべき」という理想論、もしくは「宗教的教義」として持ってる分には勝手にしてくれ、で済むが。
他人の宗教の教典に書かれていることを、その宗教を信奉していない人間にまで適用しようというのは、
どー考えても「越権」だし、宗教戦争の火種にしかならん。

で、「誰もが同じ態度を採るべきだ」という意見を、それぞれが持っている宗教(または信仰)を覆した上位に置け、
と【強制】されたら、それを果たしてどれほどの人間が受け入れることができるかな?
実際のとこ、うろちいは自分の身の回りの人間に、どれほどそれを説いて回って、どの程度の同意を得たんだ?
数字を聞いても詮無いことなんだろうけど、脳内で「かくあるべき」と考えてるだけっていうんなら、「お大事に」
としか言えないんだが……説いて回って同意を得たんなら、そういう話をした人は、なぜここに来ないんだろう?
人には言えない活動なのかい?(w αの布教って。

423うろちい:2004/08/27(金) 11:54
αとは自分と他者がある規範を共有する上で最低限必要な要件でしかありません(十分条件じゃないよ)。
他者と互いに抑圧することなく共存するつもりなら最低限αは必要である。
するつもりが無いならαもいらない。

αを選択するかどうかは共存の意思を示すかどうかということです。
この意思表示は内心に対して偽りでも構いません。
言葉に責任さえ持てば良い。
これを表明しない輩は単に「危ない奴」でしかないんですけど。
αの行き渡った世界でこっそりαに矛盾した行動をとることによって利益を得ようとする(所謂ただ乗り)輩でさえ、表明だけはせざるを得ません(表明したら言葉に責任を追及されますよ、もちろん)。

さて、αですが、これは最強の者でかつ他者を抑圧してまでも自己の利益を増大させようとするものにとって、全く邪魔なものです。
拒絶するでしょう。
そういう人に鼻で笑われても僕らはどうすることもできません。
一方、弱者の集団こそが最強のものである条件の場合、αを拒絶して利益を得る人はいません。
従って、αを鼻で笑う者は、最強の自覚があるか、拒絶することで損害を被る理屈が解らない人か、利益を拒絶する倒錯した人か、どれかです。
どれほどの人がαを拒絶するんでしょうね。
ぼーんさんは楽観している。
僕は理屈の解らない人が無視できないほどいるのではとぼーんさにょりは悲観的。
ヤッスさんは談話室のサンプルに重きを置いてかかなり悲観的。

「最強」か「頭が悪い」か。
αを拒絶する理由って僕が挙げた以外にあります?

424ヤッス:2004/08/27(金) 14:49
>>423
提案なんだけどさー。
α=「誰もが同じ態度を採るべきだ」なら、 α なんて、いくらでも他の意味に解釈できそうな、もしくは
いろいろ代入して自分に都合良くできるような一文字に置き換えるのは、やめね?

・他者と互いに抑圧せずに共存する
 >本人にその意志があっても、実際に他者を抑圧しなければ存在できないケースはどうする?
 その時点で、意志の有無に関わらず「

425ヤッス:2004/08/27(金) 15:00
すまん、途中で送っちゃった(´・ω・`)

>>423

提案なんだけどさー。
α=「誰もが同じ態度を採るべきだ」なら、 α なんて、いくらでも他の意味に解釈できそうな、もしくは
いろいろ代入して自分に都合良くできるような一文字に置き換えるのは、やめね?
「あるふぁ」って打ったら「誰もが同じ態度を採るべきだ」に変換されるように単語登録したほうがマシ(w

・他者と互いに抑圧せずに共存する
 >本人にその意志があっても、実際に他者を抑圧しなければ存在できないケースはどうする?
 その時点で、意志の有無に関わらず「誰もが同じ態度を採るべきだ」は守れてないんじゃないの?

・αを選択するかどうかは共存の意思を示すかどうかということです。この意思表示は内心に対して偽りでも構いません。
 >本音と建て前が違っても、嘘を吐くな。建前を本音より優先させろ。でOK?
 でもさあ。建前論を完全に守れる人間っているのかね? 建前で本音を封印しろっていうのに本心から同意しない
 んだったら、内心に対して偽りがある同意なんか無意味では?

・「誰もが同じ態度を採るべきだ」を拒絶して利益を得る人間はいない
 「誰もが同じ態度を採るべきだ」っていうのを合意した場合は、弱い者ほど不利になるんじゃないのかい。
 同じ態度を採っても、同じ結果を得られるとは限らないからな。「俺はお前をヌッコロス!」と宣言して、断固とした態度
 を取ることは、誰にだってできるよ。でも、断固とした結果を得ることは、誰にでもできるわけじゃない。
 その場合、弱者ほど「理想は実現できない」。
 だから、「誰もが同じ態度を採るべきだ」を取れば取るほど弱者が困るんじゃないのかい?(w
 αが、「誰もが同じ態度を採るべきだ」じゃなくて、「誰もが同じ結果を得るべきだ」なら意味は違ってくるけど、
 そうだとするならαってのはずいぶん多彩な意味があるんだな(w 共産主義とどう違うんだ、それわ(w

・そういう人に鼻で笑われても僕らはどうすることもできません。
 現実には鼻で笑われているからどうすることもできていないわけだな。それはOK。

・どれほどの人がαを拒絶するか
 何度も言ってるけど、一年近くやってて未だにα教徒が増えないのはなぜだ? 一度も答えてないなあ。
 理解できなくて嫌気がさした人間はかなりいたけど、そうやって「わからない奴は頭が悪いんだヽ(`Д´)ノ」と
 選民主義を振りかざしていると、多数派になれないぞ(w
 なぜなら、世の中というのは頭の悪い奴の方が圧倒的に多く、目の前の利や自分の利に左右されるものが多く、
 弱者の多くは強者に阿る(おもねる)ことで、自分の僅かな利を確保しようとするものだからだ。

 弱者が正論を言うのは自由だ。
 だが、正論に基づいた結果を得ることは、弱くてはできない。
 歴史では「正義が勝つ」んじゃなくて「勝ったから正義」というのが当然のように繰り返されてきているわけだが、
 歴史の教科書はどこの会社のを使ってきたんだね?

426ヤッス:2004/08/27(金) 15:13
>>423
それと、「誰もが同じ態度を採るべきだ」を拒絶するというよりも、「誰もが同じ態度を採るべきだ」は実現できない
というのが俺の意見なんだよなー。わかってくれよー、ほんとに。

・「誰もが同じ態度を採るべきだ」を宣言することは可能であり、強者も弱者も同じ態度を採る自由はある。
・しかし、同じ態度を採ったとしても、同じ結果が得られるとは限らない。強者には可能でも、弱者は自己実現できないからである。
・「誰もが同じ態度を採るべきだ(理想)」であっても、同じ結果が得られない(現実)なら、「誰もが同じ態度を採るべきだ」には意味がない。
・「誰もが同じ結果を得るべきだ(理想)」とするのは共産主義である。
・理想の実現には、「強制力」が必要であるが、強制力の支えるのは何かが不明瞭である。

さて、ここで強制力について考えてみよう。
民主主義で成人が財産の有無に関わらず公民権を持つ社会では、強者でも弱者でも一票は一票だ。
ということは、当選するにはできるだけ多くの支持を集める必要があるから、弱者の一票を獲得するために
福祉政策が「選挙戦略」として重要視されてくる。「困っている人を助けましょう」というのは反対しにくいスローガンだからな(w
福祉政策によって弱者の得票が多く得られるようになってくると、弱者が多ければ多いほど「数の上での強者」「弱者という名の圧力団体」
になりうる。
これは内政だけでなく、外交の場でも同様で「困っている国への援助」は、国連という場での一票を獲得するための工作なわけだな。
そうすると、だ。
強制力を支えるのは、「多数の弱者の一票」に見えるが、実は「多数の弱者の一票を、金で買える強者の意志」なんだよなー。
民主主義は弱者に平等な一票を約束するが、強者が弱者に「生殺与奪の機会」をタテに強制している、というカラクリ(w

結局は、カネよ、カネ。強いもんの。

というわけで話は戻って。
「誰もが同じ態度を採るべきだ」は別にかまわんけど、どうせ実現されないから無意味。
「誰もが同じ結果を得るべきだ」は弱者が圧倒的に多いうちは支持されるけど、状況が改善されて弱者が少数派になった社会
では既得権益を持つ人間が増えるほど支持は減る。というより、「テーマそのものが関心を持たれなくなる」ので、結局は
弱者の救済はできない。

あー、なんか話がクロスファイアしていかんねー。
「誰もが同じ態度を採るべきだ」=αであるなら、「宣言(理想)を言うだけで効果がないのが容易に予想できる」から拒絶。
それに、理由はいくつもいらないんだよ。数があれば正しいってわけじゃないんだから。
「お前は強がりだ」「お前は頭が悪い」っていうその論法を聞いていたら、うろちいが「裸の王様の仕立屋」に見えてきたぞ(w

427うろちい:2004/08/28(土) 21:23
ちょっと時間がキツイのでレスに手が回りませんが
ちょっとこれだけ。
「誰もが同じ態度を採るべきだ」というのはいつかのヤッスさんの言い方に合わせて言ってみただけでので、
元通り「自と他の間にダブルスタンダードを置かない」ということで定義をお願いします。
それと代入されるのはαじゃなくてスタンダードの方ね。

428ヤッス:2004/08/28(土) 22:10
>>427
「誰もが同じ態度を採るべきだ」と「自と他の間にダブルスタンダードを置かない」は、同一なんだろ?
だったらどっちで言っても問題なかろう。

言い方変えると通じなくなるのは、普遍性があるとは言えんしなあ。

どっちが理解しやすいかと言えば、前者「誰もが同じ態度を採るべきだ」だったでな。

429うろちい:2004/08/29(日) 08:37
ごめん。
あれはあなたに合わせて強いて書いたもので正確じゃありません。
しかも「共通の規範に対して「誰もが同じ態度を取るべきだ」と考える」 >>419
から部品が外れてるし。
理解しやすかったかもしれないけど、僕の意図で理解できているかちょっと心配。
まあ、しかし、「自と他の間にダブルスタンダードを置かない」と矛盾無く理解してるならとりあえずいいです。
矛盾を感じるならまずはそっちをスッキリさせましょう。

430イカフライ:2004/09/10(金) 18:16
>「共通の規範に対して「誰もが同じ態度を取るべきだ」と考える」
>「自と他の間にダブルスタンダードを置かない」

 まだまだはっきりと解ったようなわからないようなαですが。
 
 さんざ言われていることですが、共通の規範っていうのを作らない限り、αっていうのは、いつまでも曖昧模糊としてものになってしまうと思うだよね。

 「この道路では制限速度は40km」
 の道で,時速50出して車を走らせたときに、それが(実際の現実ではどうあれ)総理大臣や皇族であっても、フリ−タ−や風俗嬢や専業主婦であったも、
「スピ−ド違反」としてキッフ切られる。
 これってαだな、と思う。(よね、多分,違うのかな?)
 そこには「交通法規」という共通の規範があって、その規範が社会に許容されている、というよりは、その規範によって社会が構成されている、ていうのかな?
 法治国家って言うんだよね、これ。

 で、ここでぼ-んさんの唱えたのは、もっと違った,違うって言うとなんだけれど、もっと倫理的っていうか道義的っていうか、そういうものなんだよね。

 それは,心の問題,っていうことに、嫌がおうにも関ってこないのかな。

 これは誹謗中傷スレに書いた事だけれど,「心」って一人一人違うんだ。
 なんの変哲も無い平凡な,と表現される大多数の人々、似たような環境で育ち同じような生活を送っている人々であっても、その心基準って実が一人一人違うものなんではないだろうか?

 そこに、どうやって基準を設ければよいのだろうか?

431イカフライ:2004/09/10(金) 19:13
>423

>αを選択するかどうかは共存の意思を示すかどうかということです。
>この意思表示は内心に対して偽りでも構いません。
>言葉に責任さえ持てば良い。
>これを表明しない輩は単に「危ない奴」でしかないんですけど。
>αの行き渡った世界でこっそりαに矛盾した行動をとることによって利益を得ようとする(所謂ただ乗り)輩でさえ、表明だけはせざるを得ません(表明したら言葉に責任を追及されますよ、もちろん)。

議論が同じ所をル-プし続けているようで悪いが。
 前のほうのレスで,私がαは建前だ、と言ったよね。建前であっても良い,まずその建前を共有するところから始めよう、といわれたのは吉岡さんだっけ?

 で、423でうろちいさんが言っていることは、建前,というより,私が嫌いな欺瞞のように思える。

 内心では偽りであっても共存の意志を言葉でだけ示して,裏でこっそり違反する。
これって、世の中によくある汚い大人の裏表の典型ではないの?

 いや、子供の世界でもあるけれどさ,クラスでいじめってあるじゃない、多かれ少なかれ。
 で学級会でいじめのついて話し合ったら,大半の生徒は「いじめはいけない」って答えるだろうね。
 とろこがさ、実際いじめの現場を目撃しても,その殆どの子は、黙ってるんだよね。
 それが「自分の弱さ」なら、まあ、わからないでもない。
 でもさ、一番イヤったらしいのはな、そういうなにもしないで傍観している連中が、いじめっ子の番長がいない時を選んでイジメラレッコに同情的なそぶりを見せておきながら,いざいじめの現場になった時には、見ないフリしてトンズラすることね。
 私はそういうのが昔から嫌いで,まあこういういいかたもなんだが,いじめっ子番長のほうが、まだなんぼかすっきりする。
 その傍観者の手合いに限って、それを非難すると,
「でも、いじめられるほうにもなんらかの原因があるから」って言うんだよな。
 「アタシは番長が悪い、と批判することによって自分がいじめられるのがイヤ」
っていうヤツ,いないんだよ。
 でさ、これはさあ、>αの行き渡った世界でこっそりαに矛盾した行動をとることによって利益を得ようとする>いやらしさ、じゃないのかな?

 αがまだよく解ってない現時点でこういうことを言うのもなんだけれど,言葉で表明だけの建前なら、なんの意味の無いと思う。

432うろちい:2004/09/26(日) 18:45
>>430 イカフライさん
>さんざ言われていることですが、共通の規範っていうのを作らない限り、αっていうのは、
>いつまでも曖昧模糊としてものになってしまうと思うだよね。

具体的な規範というのは既に世の中にいくらでもありますね。
それらの多くはαが前提でできています。
一方で、中にはジャイアンの法律もあるでしょう。

>「この道路では制限速度は40km」
>の道で,時速50出して車を走らせたときに、それが(実際の現実ではどうあれ)総理大臣や
>皇族であっても、フリ−タ−や風俗嬢や専業主婦であったも、
>「スピ−ド違反」としてキッフ切られる。
> これってαだな、と思う。(よね、多分,違うのかな?)

そうですね。その件でいえば総理大臣や風俗嬢が相互に自分と同じことを他人に要求している
ということがαを引き受けているということになります。

>で、ここでぼ-んさんの唱えたのは、もっと違った,違うって言うとなんだけれど、
>もっと倫理的っていうか道義的っていうか、そういうものなんだよね。

少なくともぼーんさんが「正義」を言う場合には内心との剥離は問題では無かったように記憶しています。
しかしぼーんさんが「正義」と書いたのを他の人が読めば、内心と矛盾しない規範のことと捉えることもあ
るでしょうね。
しかしぼーんさんの言うαは、それを宣言することによってαに矛盾しない行動をとることがαを共有する自
他から要求されるのであって、内心がそれに反するかどうかは問題では無かったと思います。

また、僕が理解している「αを持つ」はその意味に限ります。

433うろちい:2004/09/27(月) 12:02
>>431 イカフライさん
>私はそういうのが昔から嫌いで,まあこういういいかたもなんだが,いじめっ子番長のほうが、まだなんぼかすっきりする。

死ぬほど同意します!!

>でさ、これはさあ、>αの行き渡った世界でこっそりαに矛盾した行動をとることによって利益を得ようとする>いやらしさ、じゃないのかな?
>αがまだよく解ってない現時点でこういうことを言うのもなんだけれど,言葉で表明だけの建前なら、なんの意味の無いと思う。

言葉の表明だけではいけませんよ。
内心とは裏腹であっても、自ら課した義務には従ってもらわねば。
つまり、「内心」のうちの「意思」とは矛盾があってはいけないということです。
僕の言いたいのは
「いじめはいけないことだ」
とは思っていなくても
「いじめない(「いじめはいけないことだ」という表明と行動とが矛盾しない)」
という意思を持たなくてはならない、までが「αを持つ」と言う意味だ、ということです。

心の底から他人と自分とを同じ価値だと本気で感じなくても(感じていても良いですが)、そのように行動する意思があることを「αを持つ」と言います。
ぼーんさんの言う「αに従う」とはそういうことです。

「心の底から他人と自分とを全く同じ価値だと本気で感じる」べきかどうか、それは別儀ですが、実際問題として不可能ではないですか。
しかし、おそらく、この様に人は利己的であってもそれ故、結局自分の利己と同じ程度には利他的にならざるを得ないというのが面白いと思います。
これ、壱学生さんの好きな(?)ゲームの理論の話なんですけど。

ついでですが、
「ある規範の行き渡った世界でこっそりその規範に矛盾した行動をとることによって利益を得ようとする」
の明快な例を1つ思いついたので書いておきます。
それはドーピング違反です(さっきニュースでオリンピックハンマー投げのことが出ていたので)。
彼(ドーピング違反者)がドーピング違反で利益を得るためには「ドーピングはいけない」が行き渡っていないといけません。
それがいきわたっていなければ、彼は目指す利益に与れないばかりか、他者とのドーピング競争で不利益を被ります。
しかも、他の選手もドーピング競争という足の引っ張り合いで彼と同じ不利益を被ります。

434三毛猫 </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/09/27(月) 21:15
『規範が行き渡る』=『規範の共有』ではなくて
『規範が行き渡る』=『規範的予期の一般化』です。

規範的予期とは、予期が外れても抗事実的に予期が
貫徹されることです。
うろちい氏のドーピングの件で言えば選手の間で『
ドーピングはいけない』とする規範が共有されてい
るわけではなく『ドーピングはいけないだろう』と
いう予期が働いているだけであり、予期外れの場合
には抗事実的に予期が貫徹ーメダル剥奪等のペナル
ティが課せられるーされるのです。

アルファもこれと同様に規範として共有されなくて
も規範的予期が『いつどこでだれにでも適用される
』ことが一般化されれば社会秩序は維持されるので
す(これは、法システムの話です)

以前にも申し上げましたが『規範の共有』と『社会
秩序の維持』は別物であるのです。


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