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お気に入りのローマ皇帝

1カイザー:2002/06/13(木) 23:16
人気投票にも、『ごく稀に』参加して頂いてる方もいらっしゃるようで
すので、ここでもカキコしてくれたら嬉しいです。

好き嫌いはともかく、オクタヴィアヌスはやっぱり偉大です。
アントニウスじゃ、どう考えてもライバルとしては役不足。いっそのこ
と、カエサルが暗殺されずに2人が天下を巡って争うという歴史IFの
方が面白そうです。

540マッティアス:2003/04/20(日) 23:38
何だかんだ言って、ギボンも書いてる人物への好き嫌いがはっきり出る著作家ですよね。
基本的に、皇帝に対して辛口ですが、たまにこの人お気に?と思うのが出てきて面白い。
アウレリアヌスとゼノビアはお気に入りっぽいですよね。
コンスタンティウス2世ほかコンスタンティヌスの息子達にはチョ〜辛口(笑)。

>末期西帝国
国力が衰退したから、蛮族に対抗できなくなってきてるのかなあ、とか。
もうボロボロですね。蛮族に屈して皇帝を選出なんてするくらいまでなっちゃったんだ。
東はでも、そういえばあんまり蛮族に苦しむってイメージないなあ。どっちかと言うと、
ペルシアだったりムスリムだったり、ある程度文化レベルの高い国家とぶつかってるイ
メージですね。

541カイザー:2003/04/21(月) 22:57
東ローマでもフン帝国崩壊後は、ゲルマン人(東ゴート族)が結構好き勝手してる
んですよ。

ゼノン時代にはテオドリック・ストラボとテオドリック1世がゴート族の主導権を
巡って内戦を繰り広げ、弟バシリスクスの擁立に失敗したレオ1世の皇后ウェリナ
やバシリスクスに荷担したイサウリア人の部将達が皇帝に推す僭帝マルキアヌスを
巻き込んでゼノン帝の地位を脅かしていました。

結局、テオドリック・ストラボが病死して、新天地を求めるテオドリック1世をイ
タリアに厄介払い出来たので、最終的にはゼノンは帝国の安定を保つことが出来た
のは、マッティアスさんもご存じの通りです。

アルカディウスやテオドシウス2世時代にも、フン族が東ローマの領内に侵入して
略奪とかしてますし、西方と違って東ローマでは、軍事力(とそれを支える経済力)
がそれなりにあったことが、最終的に蛮族の定住を許さなかった原因なのでしょう。

542マッティアス:2003/04/22(火) 12:45
侵入と略奪なら、まあ一過性ですからねえ。定住させてしまうのとだいぶ事情は異なって
きますよね。やっぱり軍事力と経済力は必要アイテム(←ゲームかよ!)ですよね。

そういえば、塩野さんのシリーズって西の滅亡までが範疇でしたっけ?いつもローマ帝国
がいかに長く存続できたかという話をするとき、完全に東の事は度外視しているのが気に
なってるんですが。先年の長きにわたって、って東も入れたら二千年を超すのよ〜、とい
つも思うのですが。ビザンティンだって正式名称としてはローマ帝国なわけで、その辺は
彼女的にどう考えてるのかなあ、なんて思ったりして。

543カイザー:2003/04/22(火) 20:48
そういえば、テオドシウス1世が同盟部族条約を結んで西ゴート族を定住させたの
はトラキア地方でしたね。これもアルカディウス時代にイタリアへ厄介払いされて
います。歴史は繰り返されるということか。

東ローマ帝国は明らかに統一時代からの連続性を持つ政権ですよね。
ビザンツという名前がついてたりして、あたかも別個の存在かのような印象を持つ
かもしれませんが、少なくとも第4回十字軍までは統一時代からのな『変化』はあ
っても『断絶』はないですよね。

気付いておられるかもしれませんが、掲示板とかでは拘ってませんが、私はコンテ
ンツの年表とかではビザンツ(ビザンティン)という名前は絶対に使用せず、全て
ローマとしか表現しない、というどうでもいいポリシーを持っていたりします。

544マッティアス:2003/04/22(火) 23:16
いや、重要なこだわりでしょう。>ビザンティンなどではなく「ローマ帝国」と表現。
私はついつい便宜的にビザンツとかコンスタンティノープルとか言ってしまいますが。
愛が足りないのかな(笑)。

東ローマはオスマン軍による首都陥落と滅亡を除けば、いちばんの脅威は野蛮なフラ
ンク(十字軍)だったのではないかと思ったりします。まあ、やつらもぶっちゃけ、ゲ
ルマン系だけれども(一部はガリアだったりラテンだったりもするけれど)。

東はローマですが、神聖はローマだと認めませんよ。当たり前っちゃ当たり前ですが。

545カイザー:2003/04/24(木) 21:24
私はカール大帝のカロリング帝国はローマと呼んでもいいかなと思ってたりします。
まあ、これといった根拠はないんですけどね。

コムネノス朝以降のローマのガンは実は塩野先生お気に入りのヴェネチアですよね。
「コンスタンティノープルの陥落」の中では、ヴェネチアはローマを守る側として
描かれてましたが、第4回十字軍とラテン帝国が典型的ですが、基本的にヴェネチ
アはローマに依存して東方との中継貿易の利益を吸い上げるという構造を持った寄
生虫政権でしたからね。

この辺に触れるのが嫌だから、塩野先生は東ローマ史は無視してるという可能性、
あるかもしれませんね(笑)。

546マッティアス:2003/04/24(木) 23:46
そうなのかなあ、単にカトリックはOKだけど基本的に東方教会のキリスト教に興味
ないだけかも〜、とか。ていうか、彼女、ラテン系は好きだけどスラブ系は嫌いみた
いだし。民族的な問題(好き嫌い)もあって東には手をつけないだけでは?>塩野さん

ヴェネツィアとかジェノヴァとか、イタリア諸都市ってコンスタンティノープルには
当然のように交易拠点持ってますよね。でも、アイユーブ朝やマムルーク朝のエジプ
トにだって拠点を置いてもうけまくってたわけでしょう?
なんか、ヴェネツィアがオスマン軍からローマを守ってたっていっても、胡散臭い。
商人に偏見持ってるわけではないですが。守ったのはローマじゃなくて貿易拠点?と
か、ついついひどいこと考えてしまいます。

547カイザー:2003/04/28(月) 06:48
コンスタンティノポリス陥落の時には、ジェノヴァは中立を表明してオスマン朝支配
下においても、居留区を維持しようとしてみたいですが、すぐに追放されちゃってま
したね。
「海の都の物語」では、塩野先生はカトリックの影響下にある筈のヴェネチアが、キ
リスト教の価値観にとらわれていなかったことを魅力的に記述していました。

ビザンツ時代にはギリシア商人というのはいなかったんでしょうか?ローマでもキリ
スト教の価値観に汚染されてしまって、交易でボロ儲けしようという発想はなかった
のでしょうか?

548マッティアス:2003/04/28(月) 12:15
どうなんでしょうね。ギリシア商人もいなければおかしいとは思うのですが。ぼろ儲け
には到らなかったのか、西欧との取引はでも、領内にイタリア諸都市の商人がいたら、
彼らが引き受けるだろうしで、ほんとに中継のみとか?そういえば、中世に関しては、
商人についての本ってほとんどイタリア商人かムスリム、ユダヤの商人についてのもの
ばかりですよね。気のせいでしょうか?

カトリックの影響下にあってもキリスト教の価値観に拘束されないのは、何もヴェネツ
ィアだけではないような気もするのですが。違うのかなあ。
そういう本もちゃんと読んでおけばよかったです。学生時代。

549カイザー:2003/04/30(水) 20:08
「海の都の物語」はイタリア史の関心のなかった私でも、ヴェネチアに憧れさせる力
がありましたよ。でも、もう一度読み直したら、色々とツッコミ入れたくなると思い
ますが(笑)。

ポーランドなんかは、キリスト教国でありながら異教国リトアニアと連合国家を形成
してドイツ騎士団と戦ってましたもんね。コンスタンツ公会議でドイツ騎士団の横暴
を訴えたりしたけど、相手にされない程度ですんでます。
こういう宗教的リベラルの影響下で、第2次大戦直前にはユダヤ人が大量にポーラン
ドに住んでいたそうです。

イギリスなんかもカトリックを無視して国教会を形成したりしてるし、カトリックの
宗教的支配はかなり限定的なものなのかもしれませんね。

ドイツやイタリアの皇帝党と教皇党の対立なんてのは、カトリック内部の主導権争い
と考えるべきなんでしょうか?西欧史は概略ぐらいしか分からないです・・・。

550マッティアス:2003/05/01(木) 00:46
アングリカン・チャーチの教義とかって、どの程度までカトリックから離れていたのか、
まったくわからないのですが。英国国教会系大学出身のくせに(爆)。
西洋史に限らず、概略とかヘタするとそれすらもわかってない私(死)。本当に史学科出身
なのだろうか。
何となく、ゲルフとギベリン闘争は宗教的というよりは政治的な闘争というイメージです。

久し振りにギボンを取り出し3巻の続きを読みながら、コンスタンティウスのカトリック
迫害記事をようやく目にして一安心です。(←何でやねん!)
この巻読んでいると、「背教者ユリアヌス」を手元に置いておきたい衝動に駆られますね。
ガルス副帝とユリアヌスの性格の違いをティトゥスとドミティアヌスに喩えたのはギボン
の創作なのかエウセビアさまが言った事なのか気になってなりません。

551カイザー:2003/05/05(月) 22:20
「背教者ユリアヌス」また読むの中断しちゃってます。ユリアヌス陛下のモテ男ぶり
に嫉妬してるからか、続きを読む気力が沸いてきません(笑)。
小説の中でもガルスくんの末路は哀れでしたねえ。

コンスタンティウス2世なんかはアリウス派の皇帝ですからね。というか、テオドシ
ウス1世とヴァレンティニアヌス2世以前の皇帝は全員アリウス派なんですけどね。
この両帝に影響力を行使して正統派をローマのメインロードに導いたアンブロシウス
の業績は、歴代皇帝のそれに匹敵するんでしょうね。もうちょっと、スポットが当て
られてもいい人物かもしれません。

552マッティアス:2003/05/05(月) 22:48
ちょっとわかります(笑)。ユリアヌス、モテすぎですよね。女性にも部下とか哲学仲間にも。
ガルスは途中まで、ユリアヌス目線で「兄上v」とか思っていたのですが、コンスタンティア
と結婚させられたあたりから、同情のあまり見捨てられないキャラクターになりました。
アンブロシウス@小説は胡散臭くて情熱的で、絶対お近づきになりたくないカンジですね。

キリスト教(特にカトリック)に関して、ギボンって現代から見れば保守的でまともな解説して
いるんですが、これじゃあ当時としては物議をかもすかもなあ、と3巻を読みながら再び思い
ました。コンスタンティヌスの信仰問題とか、当時一般的にはどう考えられていたのかわから
ないですけど、ヨセフス(・フラウィウス)のキリスト証言の信憑性が疑われていなかった時代
ですからねえ。

553カイザー:2003/05/06(火) 23:16
まだ私の読んでいる範囲では聖アンブロシウスは未登場です。小説をたった3冊読む
だけなのに、かれこれ半年以上費やしています。
考えたらアンブロシウスって何げに重要人物です。弟子にヒエロニムスやアウグステ
ィヌスがいるのもポイント高そうです。神学的に彼らがどういう立場にあるのかとか
は、さっぱり分からないですけど(笑)。

この辺の聖職者やコンスタンティヌス1世の信仰心なんかに素朴なツッコミをいれる
だけのリベラルな空気って当時はまだなかったでしょうね。アメリカ独立戦争なんか
は終わってたでしょうから、そろそろ西洋にも異教異端への寛容の精神が芽生えつつ
はあったのかなと思っています。

554マッティアス:2003/05/06(火) 23:39
ギボンはなにげにモーツァルトが渡英したころ生きていましたよね。異教異端への寛容
やらオリエンタリスム、古典古代もののオペラ、演劇など、それなりにリベラルな時代
とはいえ、やっぱりまだ幾分保守的なんですね。ニュートンとかも破門されたはずだし。

ヒエロニムスやアウグスティヌスはアンブロシウスの弟子だったのですか〜。初耳(爆)。
ほんとになにげに重要人物ですね。ヨウィア(ヨウィアヌス)なんかよりも重要じゃん!
小説3冊というと、気分が乗ってると3〜4日で読めるけれども、乗らないと1冊読むの
に2〜3ヵ月費やしてしまう分量ですね。前に読んだの忘れそう。他人事じゃないですけ
れども。

555カイザー:2003/05/07(水) 23:41
何か勘違いしてました。ヒエロニムスはアンブロシウスと師弟関係はなかったみたい
です(汗)。キリスト教系の学校に通うとこういう聖職者の言行録なんかを読んだり
するもんなんでしょうか?

とりあえず、アンブロシウスとヨヴィアヌス帝と比べるのはどうかと(笑)。
小説はまだそこまで読んでないので分かりませんが、ヨヴィアヌスは歴史的にはどう
見てもザコキャラでしょう。(←おいおい)

556マッティアス:2003/05/08(木) 00:15
わかりません。中高がキリスト教系ならともかく、大学からだと専攻によってはまったく
キリスト教の教えに触れずに終わります。東洋史なんて教授に寺の住職とかいたし。
しかし、バイト先や大学で知り合ったキリスト教系高校出身者は、無意味にティベリウス
の名前を知っていたりしました。宗教の時間とかあったみたいですよ。

ヨウィアはやはり雑魚ですか。ローマに帰りつく前に死んでるし(笑)。私の中では(爆)
勝手にユリアヌス親衛隊(イタイ意味で)なイメージです。辻さんしか読んでないから仕方
ないですね☆(←阿鼻叫喚の階段決定)

557カイザー:2003/05/11(日) 13:05
ティベリウスは確かに普通は知らない名前かもしれませんね。キリスト刑死時の皇帝
だから、ミッション系の学校だと教えて貰うんでしょうね。マリみての世界を見てる
とカトリックに憧れてしまう今日この頃です(笑)。

ヨヴィアヌスもちゃんと帰国出来てれば、色々と評価のしようもあるんでしょうが、
したことと言えばシャープール2世と敗戦の和睦を結んだけですからね。それでも
ユリアヌス→ヴァレンティニアヌス1世の継承を潤滑に行えたのは、ペルシア遠征軍
を無事に帰還させることが出来たからだから、何だかんだ言っても全くのザコでもな
いかな?
もし、遠征軍がペルシアで全滅してたら、皇帝とその後継者不在の状況で再び軍人皇
帝時代が始まってたかもしれませんね。

558マッティアス:2003/05/11(日) 14:42
ヨウィアもとりあえずは武将としてはそれなりだった、ということですね。
確かにユリアヌスが遠征先で死んでしまった後、もしロクな司令官がいなかったり、仮にでも
皇帝がいなかったら、またしても帝位をめぐる戦乱とか、遠征軍の離脱ないし帝都軍との衝突
とかいう難局を迎えていたかもしれません。

そういえば、先日図書館でロシアの作家メレシコーフスキーの「背教者ユリアヌス 神々の死」
という小説を借りてきました。同時並行でカミュの戯曲「カリギュラ」を読んでいることもあ
り、ほとんど進んでいないのですが、辻氏の作品とは相当趣を異にしています。
ユリアヌスが微妙にピュアじゃないし、ガルスがバカすぎる(笑)。あんな兄上いらない。
「カリギュラ」のほうは意外と理知的で哲学的なガリギュラと、夫への愛ゆえに冷酷な女を
演じるセゾニア(カエソニア)が良いカンジです。

559カイザー:2003/05/12(月) 22:30
ロシア人のユリアヌス小説なんてあるんですね。もしかしてソ連時代の作品なんです
か?読んでみたい〜。
社会主義の視点から見た『背教者』ってどういう評価なんだろう。結局は多神教の崇
拝者だから、ダメなものはダメなんでしょうか。とりあえず、ガルスの描写は歴史に
忠実そうですね(笑)。

戯曲は読んでも私には受け付けない様な気がします。結構、史実は脚色されちゃって
るんでしょうね。カリグラのキチガイは、哲学関係ないと思います、はい。

560マッティアス:2003/05/12(月) 22:40
ロシア人と言ってもフランスに亡命した人だし、確か書かれたのは革命前だったはず。
ガルスは美少年(ややぽっちゃり)で妻がいないと何にも判断できないおバカさんです。
ある意味、とっても史実に忠実すぎて涙が止まりません(苦笑)。ユリアヌスは目は綺麗
だけど不細工です(涙)。やや二重人格だし。

戯曲は初演がフランスを代表する美形俳優だったと書いてあり、それはちょっと見てみ
たいなあ、と思いました。カミュの戯曲で一番当たった作品らしいですよ。
「今日から飢饉だ。わかったか財務長官?」とか「今日からペストだ。オレがペストの
代わりになってやる」は、結構気に入りました。カッコイイ(爆)。

そうしてまた「ユリアヌス」やギボンから逃避して、プルタルコスのガルバとオトだけ
読んでみたりしてます。スポルスって…なにげにモテモテ?と目眩が。

561カイザー:2003/05/13(火) 23:53
ユリアヌスのロシア小説、革命前なんて言ったらもう完全に古典ですね。作者は思想
的には共産主義とは関係ない人なんですか?キリスト教と多神教の戦いを無神論者で
ある共産主義者の視点からだと、どう見えるのかというのは少し興味があるところで
す。

スポルス別に全然羨ましくないんですけど(笑)。本人が幸せなら・・ということも
なさそうだし。
セスタスでは、スポルスは未登場ですね。そのうち出番あるんでしょうか?

562マッティアス:2003/05/14(水) 00:16
岩波のプルタルコスの注が本当ならば、スポルスは58年からネロに仕えているそうなので、
あと3年くらいすれば出てくるんじゃないですか?(←遠いよ)>「セスタス」
スポルスのモテモテぶりは羨ましいというより悲惨ですね。ネロの遺骸を燃やす傍らで、
護衛隊長ニュンフィディウスに手篭めにされ、その後(ガルバ経由?)オトの愛人やって、
最終的にはウィテリウスの嫉妬混じり(?!)の辱めを受け自害、でしょう?ひいぃ〜。
ていうかスポルスっていくつなんだろう。68年にはもしかして(稚児としては)かなり
いい年?

例のネルウァの洋書、ようやく70頁ほど読み終わったんですけど、実はドミティアヌス
ってば、なにげに宦官を使っていたらしいと知ってショック。去勢禁止令はどうなった?

563カイザー:2003/05/14(水) 21:41
ドミティアヌスに限らず自分だけは特別扱いというのは、専制君主の基本ですね。ア
ウグストゥスも、相当いい性格してますし。
宦官を性欲の対象として使用するというのは、ローマ独特の習慣なんでしょうか?中
国とかだとあまり見かけない(と思う)風習ですが、ペルシアやエジプトなんかじゃ
普通なんですかね?

スポルスの遍歴凄すぎます!!
そこらの美女なんかより、ずっとモテまくりですね。彼(彼女?)を主人公にした小
説とかあったら面白いかも。私は読みませんが(笑)。

564マッティアス:2003/05/14(水) 23:05
宦官はインドでは女性名詞(代名詞は“彼女”)で呼ばれますからね。「カーマスートラ」
を読むと、宦官は今でいえばヘルスのようなこと(マッサージと性的サービス)もさせられ
ていたようです。
中国でも少なくとも唐時代あたりでは、男色が大流行し、どこかの省の出身者はそういう
素敵な所作をできたので、貴族や皇族に好んで宦官として用いられたとか言いますしね。
ヒシカ(文字忘れた)なる宦官で稚児が、侯を裏切り専制の限りを尽くしたとかそういう話
もあったので、ローマだけが、ってことはないと思います。
ペルシアとエジプトの宦官については、まったく知識がないのでコメントできませんが。

スポルスはポッパエアとそっくりだったというから、かなり美形でしょう?モテますよ。
ウィテリウスの辱めは、他とは違って競技場でさらし者にしようとした、というものです
けれども。(性転換手術の真偽を見世物にしようとしたんですって)
ドミティアヌスが宦官を使用していたというのは、新たに買ったのではなく、元からいた
人、という可能性もあるんですけどね。

565カイザー:2003/05/16(金) 23:26
インドの宦官が女性形で表現されるのは、そういう理由なんですね。また一つ勉強に
なりました。絶対に教科書には載らないでしょうが(笑)。

ドミティアヌスが宦官を『使った』というのは、想像通りの意味で宜しいのでしょう
か?(笑)
去勢禁止をしても国外(パルティアとか)からの輸入は可能かもしれませんね。
それに遠征で捕まえたトラキアとかブリタニアでの捕虜なんかを去勢したりとかはあ
るかも。ローマでは戦争捕虜を宦官にする習慣はないのかな?

566マッティアス:2003/05/17(土) 00:43
ドミティアヌスの宦官使用法について、一体どんな想像をされたのでしょうか(怯)?
細かい事は書いてないのですが、彼の宮廷に依然として宦官が使用されていたので、
どう考えても徹底されていない、という文脈でした。だからネルウァが去勢禁止令を
再び出すハメになったという。トラヤヌス時代には消えたようですけれども(爆)。

ローマで戦争捕虜を去勢する風習があったとは聞いたことがないですね。エジプトな
んかは、実に乱暴な施術だったために、死亡率80%という恐ろしい話を読みました。
でも、“そういう”使用法ならば、綺麗な金髪のガリア人、ゲルマン人の少年を去勢
して売れば、高く売れたのではないですか?そんなことしたら、ますます反ローマ感
情を強めるのでやらない気がしますけれども。

567カイザー:2003/05/18(日) 10:49
すいません宦官とドミティアヌスについてヤバヤバな想像してました(汗)。
いやあ、ドミティアヌス陛下は真人間なんですね。安心しました。

ネルヴァも去勢禁止令なんて出してるんですね。五賢帝時代より前に宦官は宮廷に進
出していたんですね。
当時の宦官の出身地なんて、マッティアスさんのお持ちの本には載ってますか?中国
みたいに人間以下の存在だったのか、ローマ市民とは言わないまでも自由民程度の権
利を持った存在なんでしょうか?

エジプトに限らず紀元前には麻酔なんてなかったのでは?司馬遷なんかの頃も、死亡
率は高かったと聞いたことあります。

568マッティアス:2003/05/18(日) 11:51
エジプトのはそういうレベルじゃないんですって!ざっくり切って砂に埋めるんですよ?
(と書いてあった気がします。)インドはかなりレベルの高い方法だったようで、衛生面に
も配慮がなされていたようです。この「衛生面」が重要で、大抵は術後に感染症にかかっ
たり、失血死とかそういうとんでもない理由で死んでしまうわけですよね。
にしても、ローマの宦官(去勢者)について専門的に分析されている本って、見たことない
ですよね。研究論文とかないのかな?

フラウィウス時代の宦官はでも、「ベッドを守る者」=eunuchとしての存在ではないよう
ですね。そういう風に使われだしたのはセウェルス朝時代かららしいです。数もそんなに
いなかったみたいで、希少価値として高価だったんでしょう。
皇帝一族に限らず、金持ちの家や娼館にも置かれていた、というのがなかなか衝撃ですね。

ドミティは真人間ですよ。女に関しても、ロリより年増だし(笑)。人妻専門ですから。

569カイザー:2003/05/20(火) 00:15
エジプトの医療技術というのはそんなに適当なんですか?古代世界の中では最も高度
な部類に属するものだと思っていたもので。それとも宦官製造工程だけが、際だって
ぞんざいだったんでしょうか?

娼館に宦官がいてるというのはある意味当然ですね。女性に手出しされると不味いけ
ど、男手は必要という意味では宮廷と同じですね。
ということは、今でも風俗業界だと宦官の需要があかもしれませんね。・・・あんま
り想像したくないや。

ドミティアヌス陛下真人間ですよね。おかん萌えのネロ陛下程度には。
・・・怒っちゃダメですよ(笑)。

570マッティアス:2003/05/20(火) 00:58
いやあの、娼館にいる宦官はそういう役目ではなく、あくまで接客業というかぶっちゃけ
男娼です(汗)。ティトゥス兄様が一緒に遊んだのもこういう人々で…(爆)。

エジプトもプトレマイオス王朝とか、「ベッドを守る者」としてきちんと使用されるよう
になってからは、もしかしたら、ちゃんとした手術を受けたのかもしれません。
先に挙げたのはあくまで、敵を去勢した場合のやり方ですから。どっちにしろ怖いッス。

ドミティも早いうちにお母様を亡くしているし、お姉さまも早いうちに(ウェス帝即位前に)
亡くされているので、母親のような存在としての年上の女性に幻想があったのかもしれま
せんね。そのわりにカエニス(おとんの愛人で小アントニアの解放奴隷)には「お前なんか
本当の母上じゃない!」って態度を激しく取っていますけど。

571カイザー:2003/05/21(水) 22:39
ローマの宦官って今のニューハーフのご先祖様なんですね。もしかして、当時の宦官
は奴隷の延長みたいな存在じゃなくて、ローマ市民が自発的に取っちゃってたのかも
しれないですね。

戦争捕虜を供給源とする場合の宦官製造は、失敗しても構わない(というかむしろ望
ましい)でしょうから、乱暴な方法でもOKなんでしょうね。
中国なんかだと漢代に司馬遷が宮刑になってるのが超有名ですけど、三国志だと宮刑
なんて話は出てこないですよね。その頃には宦官=罪人or戦勝捕虜という図式は消
滅してたんでしょうか?

572マッティアス:2003/05/21(水) 23:43
>中国の宦官
どうなんでしょうね?名家の人間にとっては、というか儒教圏では家の存続が重視され
ましたから、宮刑はある種の極刑でしたけど。人口が増えすぎてくると、貧困家庭では
3男4男なんかは口減らしで宦官にしてしまったり、とかいうケースもありますよね。
人によっては後継ぎ作ってから、家族を食わすために自宮する方もいたそうですが。
口減らし、とはいえはっきり殺すわけではないので、心もさほど痛まない(言い訳がで
きる)方法としての息子の去勢というのは、17〜19世紀前半のイタリアの去勢歌手にも
通じるものがありますが。

ローマの宦官は多分、100%自由身分でないと思いますよ。貧困家庭の嬰児遺棄と同レ
ベルでならばあったのかも知れませんが。そうして、人権がどの程度保証されていたの
かも問題になってきますね。むつかしいところです。

中国に話を戻しますと、色目人とか蛮族出身の宦官というのはいつの時代にも結構出て
きますので、戦争捕虜という方式は消えていないはずです。おまけに、需要が高かった
為に、インドやイスラム教圏などから輸入していたという話もあります。
イスラム世界でも宦官というのは、奴隷の中でも高額で取引されていた商品であるよう
です。(手術に危険が伴うから)

573カイザー:2003/05/25(日) 22:38
宦官で明の南海遠征司令官の鄭和なんかもイスラム教徒だから、色目人かもしれませ
んね。鄭家は代々明の家臣だったみたいだから、戦争捕虜でも輸入品でもないでしょ
うが。

それにしても、どの地域でも僅かな期間にしろ、何らかの形で宦官を導入しているの
に、日本では全く宦官がいなかったのは不思議ですねえ。そういう動きがあっても、
『穢れた存在』であるとして即却下されてそうですけど。

574マッティアス:2003/05/25(日) 23:09
鄭和は色目人ですよ。昔買ったきりになってる鄭和の伝記にそう書いてありました。
日本で宦官が導入されなかった理由は、あれこれ類推されてますよね。異民族との戦い
というのが、島国のためにほとんど無かったから、とか後宮がさほど大規模にならず、
女官で事足りていたから、とか。おかげで、馬や家畜の去勢も知らず、大政奉還後に、
外征した折、馬に盛りがついてしまって難儀したとかいう話を聞いた事があります。

話をローマに戻して、ふと気になったのが、ユリアヌス陛下って宮廷にいた宦官をどう
したんでしょうね?何となく、古代ギリシアと宦官がイメージ的に結びつかず、また、
宮廷で悪影響を振るいまくっていた彼らを放置してるというのも、彼らしくないような
気がします。かといって、大量リストラなんてデンジャラスなことをできたのか否か、
も問題ですよね。

575カイザー:2003/05/26(月) 22:47
ユリアヌスなら宦官を皆殺しなんてしてないでしょうから、結局ほったらかしだった
んじゃないでしょうか。せいぜい宦官を要職から外したぐらいで、別に免職にもして
ないような気がします。

自分が理性と教養を持っているから相手にもそれを期待するのが、ユリアヌスにしろ
トラヤヌスにしろ、異教時代の皇帝たちの美徳であり欠点でもあると思います。ネロ
とかドミティアヌスなんかにも当てはまりそうですね。
セプティミウス・セヴェルスなんかがユリアヌスの立場だったら、宦官皆殺しとかし
てる可能性はありますね。カラカラとかでも。

576マッティアス:2003/05/26(月) 23:16
セウェルスは、その後、謙譲を装った元老院への恐喝まがいな演説でもかましてくれそう。
ドミティアヌスは、そこまで優しいかは疑問です。そうでなければ解放奴隷の大量リストラ
とかしようとして、(エパフロディトゥスなんて処刑されちゃったし)パルテニウスに背かれ
たりはしないでしょう。
ユリアヌスについて考え込んでしまったのは、ふと映画「ラストエンペラー」での宦官が
紫禁城から追い出されるシーンを思い出したからなんですが。要職から外すのはもちろん、
うっかり宮廷から追放しかねないなあ、と。キリスト教徒と一緒に。
>自分が理性と教養を持っているから相手にもそれを期待する
ほんとに、ユリアヌスはそういうカンジですよね。特に辻さんの小説なんかそんなカンジ。

メレシコーフスキイのほうは、ようやく終盤に入ってペルシア遠征に出かけたのですが、
辻さんの小説で築き上げられていたユリアヌス陛下のイメージが、ガラガラと(汗)。
キリスト教徒のすべての異端を許し、追放から呼び戻して、彼らが争うのを見て意地悪く
笑っていたり、なかなか鬼畜です。ちょっと怖いです。

577カイザー:2003/05/27(火) 22:29
そういうのが西洋人のユリアヌス像で、ギボンみたいなのは邪道なんでしょうか?
理由もなくコンスタンティウス2世に反乱したり、偶然とは思えないタイミングでコ
ンスタンティウスが死んだりしてる(暗殺?)のを拡大解釈したら、ある意味リアリ
ティがあるユリアヌス評価なのかもしれません。
ちょっと、我々はギボン(とその影響下にある考え)を盲信しすぎてるのかな?
でも、そんなユリアヌスはイヤすぎですね。

でも、やはりユリアヌスの寛容の精神をそこまであくどく評価するというのは、偏っ
た思想を感じますね。異教時代の良くいえば寛容な、ぶっちゃけていえば中途半端な
宗教政策への回帰と見るのが普通でしょうね。

578マッティアス:2003/05/27(火) 23:52
異教というか、反キリストの寛容性、古き良きギリシアの自由、という理想を追い求め
ながらも、彼の求める真・善・美はもはやキリスト教の桎梏から抜け出せていない、と
いうジレンマが描かれているのですが。キリスト教徒も異教徒も、人間自体に絶望した
くなるような、いやな世界が展開しています。 >メレシコーフスキイ

辻さんのは完全にギボン的ですよね。登場人物たちの性格付けとか。そうして、わりと
理想主義的で美しいカンジ。メレシコーフスキイは本人も宗教とか唯美主義とかに走っ
てしまった人なので、妙に暗くて後ろ向き、そして理屈っぽいです。
日本人の好みからいえば、圧倒的に辻さんのほうが受けるでしょうが。

まあ、彼の宗教政策から言えば、当然といえば当然なんですが、ユダヤ教に保護を与え
て、ソロモン神殿の再建を計画していた、というのはわりと注目に値するかと。

579カイザー:2003/06/01(日) 00:00
ユリアヌスがもうちょっと長生きしてたら、エルサレムがユダヤ教の根拠地に再起し
たかもしれませんね。すぐテオドシウス1世とか聖ヒエロニムス辺りに、アリウス派
と一緒に追放されちゃうでしょうけど。

それともハドリアヌス帝の時と同様に、異教徒の手によるユダヤ教の介入に激怒した
ユダヤ人が前後を省みず反乱を起こして、良かれと思ってしたことで逆ギレされるか
が理解できないユリアヌス陛下がクヨクヨ悩んでしまうというシナリオに行くのでし
ょうか?

580マッティアス:2003/06/01(日) 10:51
当時のユダヤ人には感謝されていたようですけど。カエサルに次ぐ、恩人的皇帝と見なされ
たのではないでしょうか?
ユダヤ人ってわりと、自分達の戒律を重んじて、生活習慣を保護してくれる人にはさほど、
おかしな行動取りませんよ。のちにはムスリムともうまくやったし。
ただ、ソロモン神殿の工事中、偶然の事故によってヘコんだユダヤ人たちと、「やっぱり神
罰だぜ」って喜ぶキリスト教徒にうんざりしたようですね。
ユリアヌス陛下はくよくよ悩むタチなのか、我慢の限界にくると暴虐に走る、ティベリウス
やドミティアヌスのようなタイプなのか、ちょっとドキドキです。

581カイザー:2003/06/01(日) 11:48
いつ見てもウジウジしてそうなネロとかティベリウスも、いざとなったら元気いっぱ
いに暴走しちゃうから、ユリアヌスもそうかもしれませんね。ブチ切れた理想主義者
は、ヤバイかもしれません(笑)。

ユスティニアヌス1世とかヘラクレイオス1世のユダヤ人政策なんてのはどうなんでし
ょうね。シリアを巡ってペルシアと断続的に戦争してた訳だから、何らかの政治姿勢
があったのかな?キリスト教の異端と一緒に冷遇してたんでしょうか?
近頃、全然ギボンを調べ直したりしてないです。「背教者ユリアヌス」も放置中だし。

582マッティアス:2003/06/01(日) 12:57
『ユリアヌス』放置プレイですか。私は久しぶりにギボンを取り出したところ
だったりします。いつまで3巻読んでるんだというカンジですが。

〉元気に暴走
この表現、気に入りました。ホントそんなイメージですが、ティベリウスは
それでもやはり、暗く寡黙に精力的なんでしょうね。

ユスティニアヌスやヘラクレイオスですか、そういえばどうしたんだろう。
きちんと処理しておかないと、トラヤヌスみたいに、遠征中に背後をつかれそう
ですからね。

583カイザー:2003/06/02(月) 23:04
カリグラとかカラカラだと常にスイッチは入りっぱなしなイメージですね。カラカラ
はそれなりに普通っぽい所もあった筈なんですが、イメージがヤバイ方向に固定され
てしまってます。
ゲタってそういえばどんな人物なんだろう。エピソードが全然ない。ユリア・ドムナ
との食事中に毒を盛られたというイベントしか頭に浮かんできません。勝ち残っただ
けあってお兄ちゃんの方がパワフルなんですかねえ。

584マッティアス:2003/06/02(月) 23:14
ゲタですか。1歳違いの弟クンねえ。お父さんはお兄ちゃんだけを後継ぎにするつもり
だったのに、お母さんが両方平等に扱ってください、と懇願したのがすべての元凶だと
思うのですが。年も近いし、同じくらい力はありそうなんですが。
お兄ちゃんのほうが、運が良かったのと、軍隊に人気があったのが勝因では?

カラカラは、無能なドミティアヌスというくらいの人物?いや、臆病さというか神経質
さという面でですよ、あくまで。ドミティアヌスはわりに普通の人ですから。
キレやすい今時の若者で、坊ちゃん育ちでやや自意識過剰気味で、被害妄想の強い人物
という、きわめてアバウトな認識をしています。臆病なコほど、キレると滅茶苦茶やり
ますからねえ。身を守る為に。

カリグラは…怖いよう。ついていけません。本気でキてます。

585カイザー:2003/06/06(金) 00:07
ウェスパシアヌスはちゃんとついて行ったんですよね?
アウグストゥスの曾孫であり、かつ人気者ゲルマニクスの息子という血縁の盾があっ
たカリグラより、胡散臭いアントニヌス家の血縁を主張するだけのセヴェルスの子供
に過ぎないカラカラの方が僅かだけとはいえ在位期間が長いというのは、カラカラの
方が少しは有能だったからなのかもしれません。
カリグラと比べて有能がどうとかもない気もしますが(笑)。戦争指揮官としての才
覚はあったと思うんですけどね。暗殺されなかったら、パルティア遠征は結構いい線
いったのでは、というのは希望的観測かな?

586マッティアス:2003/06/06(金) 01:22
う〜ん…。うまくいったとして、トラヤヌスみたいに途中で背後にトラブル起きそうですね。
パルティアも大国だけあって、そうとう曲者ですし。ユリアヌスも失敗したわけで。
でも、ちゃんと軍隊に人気あったというのは評価したいですね。カリグラの場合、最後まで
忠実だったのって、ゲルマニア人の近衛隊士くらいなのでしょう?

ウェスパシアヌスは結構、根性ありますよね。カリグラに追従してみたり、ナルキッススの
クリエンテスになってみたり。ネロともそこそこうまくやっていたし。
どっちかというと、軍人系で属州勤務が多かったところと、門地が低かった為に、名門の人
よりも多少恥知らずなことをやったり言ったりしても許容されたのは大きいかと。
所詮はホモ・ノヴスですから。よっぽどアクドイことをやるか容姿が抜きん出ているとかで
無い限り、多少は電波皇帝とも距離があったでしょうし。

587カイザー:2003/06/07(土) 02:25
遠くから見てれば電波な人もOKかもしれませんね。ネロ帝も間近で見てた元老院の
議員さんはたまったもんじゃなかったようですが、民衆からは人気を集めてましたも
んね。

そういやウェスパシアヌスはネロの素人芸を見てるときに居眠りしてたんですよね。
アホというか、図太いというか。これでウェスパシアヌスが本当に失脚してたら、誰
が64年の混乱を収拾したんでしょうね。ムキアヌスかな?

588マッティアス:2003/06/07(土) 18:04
無理やり担ぎ出されるウェルギニウス・ルフスでしょうか?かの内乱中だけでも2度、
軍隊の申し出を断ってるんですよね。すご〜い。
ていうか、ウェスパシアヌス、居眠りどころか、劇場抜け出して酒飲んでたりもしたの
ではなかったでしたっけ?図太いっていうか、自殺行為ですよね〜。
ウェスパシアヌスは一時失脚というか、蟄居させられてますけど、処刑されてなくて
良かったですね。66年にはコルブロも自害を命ぜられているから、ユダヤ戦争の処理
も困っちゃう。やっぱりムキアヌスですか?実は男色家の(←関係ないよ)。

589カイザー:2003/06/09(月) 23:24
ルフスって、ローマ史に関心ない人は絶対知らない名前でしょうけど、やたらと重要
な人物ですね。みんなノーマークでしょうから、キチって調べたらちょっと面白いか
も。

ウェスパシアヌスのように皇帝となるには、上司の顔色を伺いつつも手を抜くときは
とことん抜く、という柔軟さが必要なんですね。
それにしてもウェスパシアヌスって仕事サボるのも命懸けですね。スターリンが上司
だったら、一発でシベリア送りですね。そういえば、スターリンの演説中にくしゃみ
だかあくびだかした共産党の高官が、そのままシベリア送りにされたとかいう笑い話
を実話だと私は信じてるのですが、ネロなんかは何だかんだ言ってまだ話の出来る主
君ですよね。
コンスタンティヌス1世とかはスターリン系かな?

590マッティアス:2003/06/09(月) 23:58
>ネロは話ができるヤツ
そうですね。カリグラだったら、殺されるか、寝ている間にオークションで高値をつけた
ことにされてしまいます。ウェスパシアヌスのような貧乏人は一発でアウトです。

アホ上司に合わせて遊びまくり、という点ではウィテリウスもなかなかなのですが、彼の
場合はほんとにそういうの好きそうですからね。戦車競技で足が不自由になってみたり。
ネロの唄に心酔してみたり(←これ、かなり怖いよう)。

コンスタンティヌス1世はスターリン系なんだか、毛沢東系なんだか微妙。

591カイザー:2003/06/11(水) 21:37
ネロも人に見せびらかそうというぐらいだから、それなりには芸術関係の嗜みはあっ
たんじゃないですか?プロ顔負けとかではないでしょうが。
でも、子供の頃のネロだとアグリッピナが怖くておべんちゃらしか言わない連中に囲
まれてて、正常な判断が出来なかったという可能性もあるかもしれませんね。セネカ
とかブルス、それにアグリッピナ、オクタヴィアといったネロの身近な人間がどう考
えてたのか、そしてネロにどんな感想を漏らしていたのかちょっと気になる所です。

オクタヴィアが「あんた、バカ」とか言ってしまったのが、悲劇的な彼女の最期の理
由という新説はどうでしょうか?(笑)

592マッティアス:2003/06/11(水) 22:53
オクタウィアがそんなに強かったら、意外と夫婦うまく行ったのではないでしょうか?
ネロはちょっとMっ気ある気がしますよ。年上の性格キツイお姉さまに、いじめられる
方が好きそうなので。オクタウィアはむしろ引きつった笑顔で「まあ素敵な詩ですこと」
とか言っていたようなイメージが。
ていうか、声量が無かっただけで、そこそこうまかったとか、詩は悪くなかったとか、
スエトニウスも言ってますよ。だから、私的な宴会とかで歌われる分には、イイカンジ
だったんではないですか?で、周りの(酔いも手伝った)過剰な喝采に味をしめちゃった
のではないかと。  ←ていうか、過剰なのは私の弁明だよ。

593カイザー:2003/06/11(水) 23:25
セスタスのオクタヴィア様の方が史実なんでしょうね。
ネロの好みって、全然共感出来ません。どう考えてもオクタヴィア選ぶでしょう・
・・ってのは、私の偏った好みですか?(笑)

ネロって普通にしてれば、ちゃんと天寿を全うしてオクタヴィア(それ以外でも)
の子供にでも帝位を継承させることが出来たと思うんですけどねえ。
疑心安疑にならず、ウェスパシアヌスとは言わないまでもホノリウスの様に図太く
生きていくというのは、そんなに高いハードルなんでしょうか?
本来、人間の心というのは弱いんでしょうね。

594マッティアス:2003/06/11(水) 23:43
オクタウィアが病死とか自然死でもしない限り、ネロが他の女性と再婚するのは、
というかオクタウィアと離婚するのは、彼の正統性を大きく損ねますよね。
なので、頑張って義務を果たさない限り、(つまりオクタウィアと子供を作らない限り)
子供に帝位を継がせることはできなかったでしょうね。
あとはまあ、強烈すぎる母上との葛藤があるから、難しかったですよ、彼は。

ネロがオクタウィアでは駄目なのは、彼女にクラウディウスの影があるからなのか、
彼が精神的に母親離れできなかったことが原因なのか(後者でしょうが)、もはや本人
ならではわからない理由があるのですよ。基本的に弱いから、強い個性に流されたい
人なんだと思います。そういうタイプは、貞淑で従順な女じゃ駄目なんです。きっと。

595カイザー:2003/06/12(木) 23:21
ネロは緊張感を与えてくれるお姉さんがタイプなんですよね。オクタヴィアの方が
10才ぐらい年上で、アグリッパと死別した頃のユリアみたいな感じだったら、ネ
ロは幸せな人生だったかもしれませんね。浮気されまくって、やっぱり破滅ロード
へネコまっしぐらな気もしますが(笑)。

ところで、明日でこのスレッドを私が作成してから満1年なんですよね。
気付いておられました?

596マッティアス:2003/06/12(木) 23:46
あ!本当だ!!そうかもう1年になるんですね。そういえば、W杯の頃でしたものね。
カイザーさんと出会って、ローマについてほぼ毎日即興でコメントするようになった
ものです。ありがとうございます。ていうか、ホントに他の参加者がないまま、ここ
まで来てしまいましたね(笑)。

そういえば、ユリウス・クラウディウス朝で出てくるオクタウィアは、どちらも夫に
恵まれないですよね。まあ、オクタウィアヌスの姉オクタウィアはもしかしたら最初
の夫とはうまく行っていたのかも知れませんけれども、死別しちゃったし。
ネロっちは、一時期は年増とはいえ心根優しいアクテみたいのと熱愛していたのです
よね。彼女がギリシア人というのが萌えポインツだったのかも知れませんけれども。

597カイザー:2003/06/13(金) 22:27
アントニウスは、奥さんを殺したりしなかったんで、そんなに酷いこともないですよ
ね。・・・無理矢理離縁されるだけでも、十分酷い気もしますが(笑)。
ユリウス朝の主要な女性で、ちゃんと寿命を全うしたのって、このアントニウスの妻
のオクタヴィアとティベリウスの孟母リヴィアぐらいなんじゃ。

ユリア、大アグリッピナ、小アグリッピナ、ウィブサニア、オクタヴィアと、一様に
死に様は悲惨ですよね。それ以外じゃ、カリグラとラブラブのドルシラが若死にとは
いえ普通に病死したというところでしょうか。

598マッティアス:2003/06/13(金) 23:50
祝!1周年\(^-^)/!!

>ユリ・クラ朝の女性達
主筋を外れると、意外に安泰だったり自然死できたりするんですよね。アウグストゥスの
姪たちは(長生きしてしまったためにカリグラに殺された小アントニア以外)多分、自然死。
権力の中枢に近ければ近いほど、危険はいっぱいなんですね。
ところで、死に様が悲惨扱いのウィプサニアって、どのウィプサニアですか?
実はよく把握してません。アグリッパの娘達。大マルケラとの娘のその後とか。

599カイザー:2003/06/17(火) 21:49
次は今年中に1000レス達成が目標ですね♪

ウィブサニアはティベリウスの元カノのつもりでした。確か結構若死にだったと記
憶してたのですが、手元の本を調べなおしても彼女の死因が良く分からない。どう
も勘違いみたいですね。そもそも、ユリウス家の人間とは違いますしね。

最近ローマのコンテンツ更新の為に、ヘラクレイオス朝の勉強中です。
ヘラクレイオス1世にイジメ殺された暴君フォカスは、残酷な弱虫くんで先帝マウ
リキウスとその血縁者を殺しまくった困ったちゃんなんですが、時のローマ教皇グ
レゴリウス1世は教義問題で味方になったフォカスを誉め殺しにしたという何だか
な〜なエピソードが印象的でした。

600マッティアス:2003/06/17(火) 23:09
だから宗教者って信じられないですよね(苦笑)。コンスタンティヌスを無理やり聖人君子に
祭り上げてみたりとか。政治がどうこうよりも、自分達の教会のことしか興味ないんですよ!

アグリッパと大マルケラの娘ウィプサニアって、いつ誰と結婚したんだろう。そもそも、い
つ生まれたのかもよくわかりません。とりあえず、アグリッパと大マルケラが前28年に結婚
して、アグリッパが前23年だかそこらにレスボス島(爆笑)に引きこもって、22年にユリアと
再婚でしょう?…とか一生懸命考えてみつつ、ホントにこの娘はユリ・クラ直系の歴史と関
わってこないんだなあ、としみじみ思いました。

ティベリウスの元カノのウィプサニアの年齢も、岩波文庫の系図はあからさまに間違ってい
るので、よくわからないのですが。再婚相手は毒舌政治家アシニウス・ガルスかぁ、とか。
ガルスはその後、大アグリッピナが再婚したがった相手だったり、ヘタなユリ・クラ家の人
よりもメジャーです。

601カイザー:2003/06/17(火) 23:44
ユリウス朝の細かい人物は私はさっぱり分からないですね。
その辺はもうマッティアスさんにお任せですね。

グレゴリウス1世の場合は、前の皇帝マウリキウスとの相性が悪かったというのも
あるようです。
マウリキウスは自主独立の動きを見せ始めたカトリック教会を警戒していて、ラン
ゴバルド族の侵略に直接抗議したグレゴリウスに越権行為であると圧力をかけてい
ます。
グレゴリウス1世からすれば、フォカスは理解ある皇帝なんですよね。東方で皇族
が大量に殺されても問題なし。むしろ、マウリキウスの血縁者なんてどんどん積極
的に殺してOKという立場なんでしょう。
グレゴリウス1世は歴代教皇の多くがそうであったように宗教者であると同時に、
政治家でもあるということですね。

602マッティアス:2003/06/18(水) 14:51
教会関係者も、政治力がないと生き抜けないんでしょうね。拡大すればするほど、組織
内部でもいろいろ調整能力やら何やら必要になってくるし、国家内で重要な位置を占め
るようになれば、王だったり皇帝だったり、世俗の支配層との競合も出てくるしで。
教えを誠実に守る、善い信仰者だというだけでは、教皇は務まらないのでしょう。

宗教を熱心に信じるほど、狂信的・偏狭的になりやすいですね。そうして、宗教的観点
から自分の正義を信じるほど、敵対者(不信心者)が酷い目に遭おうと、神罰扱い。
マウリキウスもキリスト教徒なはずですが、カトリックではなくやはり正教派だったの
でしょうか?ビザンツ皇帝だから。
まあ、世俗権と宗教的権威は、わりと不倶戴天なイメージありますけどね。

603カイザー:2003/06/18(水) 21:45
マウリキウスは正統派の皇帝ですね。
というか、ローマ皇帝はアリウス派だろうと単性論者だろうと、自分自身が正統派
の信仰を保持してるつもりなんですけどね。異端の神学者や司教なんかも同様です
が。

マウリキウスの感覚ではローマ教会はローマ皇帝の傘下の宗教組織であって、独立
的な権限を認めようとは考えていなかったようです。まだ、西方教会と東方教会が
分離もしていないですし、ローマ教皇は名目だけでなく実質的にもローマ皇帝の臣
下といえると思います。東ゴート時代には、東ゴート王の臣下みたいな状態でした
が。

カトリックと正教会の分離のきっかけの一つに、ヘラクレイオス1世の単性論融和
政策があるようです。断続的に離反の動きを示す東方属州の支配を固めるための政
策だったのですが、イスラム教徒にそれらの地域はあっさり奪われ、ローマカトリ
ック教会からは反発されるだけという、踏んだり蹴ったりの結末でした。

604マッティアス:2003/06/18(水) 23:50
教皇って、いつからそんなに偉くなったんですかね、そういえば。コンスタンティヌスや
その後しばらくは、一応皇帝の傘下というか、まあそういうカンジだったと思うんですけど。
とりあえず、帝国が強大なうちは、皇帝が選んだものこそが正統と解釈しておけば良いの
ですね?
再発掘する羽目になったギボンの3巻ですが、ユリアヌスが正帝になってからは、断然、
読みやすいですね。その直前の長〜い、コンスタンティヌス朝のキリスト教政策に就いての
章でかなりヘタれて投げっぱなしになっていたのですが。
ギボンのユリアヌス・シンパぶりが発揮されていて、ものすごく面白いんですけど。

605カイザー:2003/06/19(木) 19:12
ローマ教皇が独立的な立場にたったきっかけは、ランゴバルド王アイストゥルフのイ
タリア中北部征服ですね。これによって、751年ラヴェンナ総督府はローマ帝国の
手から失われ、ローマ市も蛮族の勢力圏の小島となってしまいます。
で、この状況の打破の為に、当時の教皇ステファヌスがフランク王ピピン3世に支援
を求めて、ランゴバルド族からラヴェンナを含む領土を奪回したのが、いわゆるロー
マ教皇領です。とは言ってもこの段階では、あくまでローマ帝国の一部としての教皇
領に過ぎないのですが。

完全にローマ教皇領の独立が果たされるのは、カール1世のローマ皇帝即位になるで
しょうね。もっとも、この時でもローマ教皇領はカロリング帝国の一部として見とく
べきでしょうが。

606マッティアス:2003/06/19(木) 23:07
そうなると、やはり第二帝国(という言い方はあまりしないのかな?)の成立過程に、その
萌芽があったというカンジですかね。王(皇帝)が教皇によって正統性を認知されるという
形式から、世俗権への教皇権の優位が確立されていったみたいな。カロリング帝国の一部、
とはいっても、その辺の力関係とってもビミョ〜。
ついでに思ったんですけど教皇が独立し、世俗権に迎合する必要が少なくとも表向きには
なくなったのは、ローマ帝国ではなく、言い方は悪いですが蛮族の王達が西欧世界の覇者
になってからなんですね。そう思うと、正統なローマ帝国であるコンスタンティノープル
政権が、他のキリスト教国のように教皇に従属しないのが、理解しやすいような。

607カイザー:2003/06/20(金) 00:00
カール大帝の頃だとローマ教皇は絶対的存在ではないんですよね。次代のルイ1世は
教皇によってではなく、父帝のカール1世によって帝冠を授けられたそうです。
ところが、ロタール1世以降のカロリング家の皇帝達は、ヴェルダン条約やメルセン
条約によって限定的な領土しか保持していなかったからか、自身への権威づけのため
か、ローマ教皇によって帝冠を受けることを選択するんですよね。

この辺の事情から叙任権闘争とか皇帝党と教皇党の政争なんかが、中世まで延々と続
くことになります。カール5世なんかも、ローマ教皇領は自身の勢力圏内の一部とい
う認識だったかもしれませんね。

608マッティアス:2003/06/20(金) 16:37
西洋中世史は十字軍がらみでしか本を読まなかったので、本当はとっても暗いのがバレ
バレですね、私。
権威付けのために何かを利用すると、結構足元すくわれますよね。ムスリムには教皇に
類似した存在がなく、特定の聖職者が存在しないため、こういう争いはあまりないです。
それが良いのか悪いのかは判断に困りますが。

聖職叙任権闘争って、宗教が政治に影響力を発揮するから起こってくるわけですよね。
政教分離がなしとげられていれば、教会内のヒエラルキーがどうだろうと君主が口出し
する必要はないわけだし。もしくは、いっそ宗教的権威と政治的権力者が一致していれ
ば、あんまり問題は起きてこないのではないかなあ、とか。とりとめもなく考えてしま
います。

609カイザー:2003/06/21(土) 13:31
イスラム教でいえば、教皇と似た様な存在になるのはカリフなんじゃないんですか?
初期の祭政一致の頃からして、前線指揮官や総督とカリフの関係は教皇と蛮族の皇帝
や王と類似するようなものを感じます。もちろん、根本は全然違うとは思いますが。

ついつい世界史で習った中世以降の自立した強大な権威を持っているイメージを想像
してしまいますが、ローマの影響下にある頃の教皇というのも本当はかなり微妙なポ
ジションなんですよね。おいそれとコンスタンティノポリスの意向を無視なんて出来
ないですし、そもそも教皇自身が皇帝の息がかかった東方出身者だったりします。

イスラムの征服が進んだことにより、失われた東方属州を諦められないローマ側が異
端への融和政策を打ち出したり、イコン破戒運動といった、ローマ教会の意向と相反
する姿勢を打ち出し続けたことが、本来は皇帝派の筈の歴代教皇にローマ帝国ではな
く蛮族のフランク人の庇護下に入ることを選択させたようです。

610マッティアス:2003/06/21(土) 14:21
カリフは、微妙。ムハンマドの後の4人はともかく、ファーティマ朝とかシーア系のカリフ
以外は、あんまり宗教的な面がないような。最も、フェトヴァ(祈祷)のときに名前を告げら
れるのは、カリフだけだから、宗教的催行権威と言えないこともないけれども。

アタナシウスへの迫害のときの、他の司教、教皇達の弱腰の事例をギボンで読んで、少なか
らずショックでしたね。カトリックの地位=ローマ教皇って、そんなに確立していたわけで
はないんだ〜、と。
ローマ側の宗教的な諸政策、異端への宥和策とか聖像破壊は、あからさまにイスラムの影響
ですね。いろんな意味で対抗しなければならない必死さが伝わってきます。

611カイザー:2003/06/21(土) 16:21
アタナシウスが生きてる頃のローマ教会は、コンスタンティノポリス、アレクサンド
リア、アンティオキア、エルサレムの5大司教座の一つに過ぎないですもんね。
コンスタンティヌス1世とリキニウスの主催したニケーア公会議には、当時のローマ
教皇シルウェステル1世は出席してなかったそうですね。(そもそも呼ばれてなかっ
た?)

ユスティニアヌス1世のイタリア再征服から、250年に渡るローマ帝国のローマ市
支配(不自然な書き方ですが)は西洋史を理解する上でメチャクチャ重要なことなの
に、世界史の授業ではスルーされまくってますよね。
西ローマ帝国の滅亡による、ローマ史とビザンツ史の断絶という歴史観はそろそろ修
正されてしかるべきかもしれません。

612マッティアス:2003/06/21(土) 17:10
ビザンツの事って本当に、日本の教科書では西欧とかイスラムとの関連でちょこっと出てくる
だけですしね。そもそも、当の西洋でさえ、ビザンツをローマ史の一貫として扱った著作は、
非常に少ないような気がします。
ユスティニアヌスの件で言えば、年表に旧帝国の領土を回復、と書いてあるだけで、ローマや
イタリアの領土との関連はどうなんだかさっぱりわからない。せいぜい、アヤソフィア聖堂を
作ったとか、そんな事ばっかり取り上げてますよね。日本の教科書の場合は。

おかげで、東帝国が1000年の永きにわたって存在したこととか、その存在意義みたいな事って、
ほとんど意識されていないカンジです。私もローマに興味を持つまで、メフメト2世に滅ぼさ
れたこととか、十字軍のきっかけになったわりに、十字軍とはうまくいってなかった事くらい
しか知らずにいました。

613カイザー:2003/06/21(土) 22:38
ローマの影響って中世西欧の成立過程では無視できない筈なのに、わざわざ無視しま
くってるから、特に関心のない人は曖昧にしか認識出来なくなっちゃうんですよね。
私自身も中高生の頃はマッティアスさんのように、教科書の通り一遍の知識しかなか
ったです。今でも分からないことの方が多いぐらいですし。

世界史の授業で当時から疑問だったのが、フランス革命をやたらと細かく習うという
ことですね。重要じゃないとまでいいませんが、半分以下にしても全然OKだと思う
んですけどね。

そういえば、本棚の中に「十字軍」(ルネ・グッセ)という本が放置状態なんですが
、読まれたことあります?

614マッティアス:2003/06/22(日) 01:15
グルッセは卒論の参考文献の一つです。でも高校生の時に何故か鎌倉で買って、その後
2年くらい放置プレイでした。旧字体が多くて挫けたんです(爆)。でも、よい本だった
と思いますよ。
ロベール・ド・クラリの『コンスタンティノープル遠征記』とかも、第4回十字軍参加
者が書いた記録で、わりに読みやすい訳だったと思います。仏王フィリップ2世に妹が
いた上に、ビザンツに嫁いでいたと知って、えらく驚いたものです。

中世西欧の成立とローマの関係で思い出したんですけど、ローマの文学では、教科書で
取り上げられるのって、ウェルギリウス、オウィディウスのほかは、「ガリア戦記」と
「ゲルマニア」くらいではないですか?しかも後ろ2つは、フランク族がどうだこうだ
という件で言及されるカンジで。

615カイザー:2003/06/22(日) 02:04
名前だけならホラティウスなんかも授業で聞きましたね。詩人系に拘らなかったら、
マルクス帝とかセネカとかの哲学者なんかも文学者になるのかな?
アウグスティヌスの「神の国」なんかは、文学的価値とかよりも宗教的な影響力なん
かを評価してるんでしょうか。単語しか覚えてないから、私も良く分かっていません。

ローマも周辺民族と積極的に縁組みしてますよね。カロリング帝国とか神聖ローマ
帝国なんかも、当時のイサウリア朝とかマケドニア朝と縁組みしてた筈ですよ。
100%作り話だと思いますが、カール大帝と女帝イレーネとの縁談もあった(け
ど途中でイレーネが失脚した)とかいう話もあったりします。

616マッティアス:2003/06/22(日) 10:46
王家の人間同士の縁組はよくあることのはずなんですが、何故かビザンツって文化圏が
違うというか、やけに遠いイメージがあって、西欧カトリック国家の諸侯との縁組とい
うのがいまひとつピンと来ないんですよね。
きっとそれくらい、ビザンツの事って授業で取り上げられなかったのでしょうね。
おまけに大シスマ、とかローマ教皇とビザンツ皇帝の対立、とかばかり強調されるもの
ですから、カール大帝もてっきり、ビザンツよりはハールーン・アッラシードとの方が
仲良かったのかなあ、などと誤解していましたもの。

617カイザー:2003/06/22(日) 18:41
周辺異民族と初めて縁組みした皇帝って誰なんでしょうね。復位したユスティニアヌ
ス2世が亡命中にハザル王の娘(テオドラ)と結婚したのが思いつく限りでは一番古
そうです。
皇后時代イレーネの夫レオ4世なんかは、母親がハザル人だったみたいです。

スティリコとかリキメールなんかが、ホノリウスやアンテミウスと縁組みしたりして
ますが、こっちはもうローマ内部の話になってしまいますもんね。

618マッティアス:2003/06/22(日) 21:01
異民族出身でも、ローマ市民権を持っていたら話は別ですものね。う〜ん…。
セウェルスとかは?ユリア・ドムナはシリアの祭司の家柄でしょう?彼女の父親は市民権
持っていたのでしょうかね?

それにしても、ハザルとはまたマニアックな。ユダヤ教に改宗したアジア系遊牧民族の
王国ですものね。ゼミ友が卒論を書こうとしたら、資料が全然無くて、半分文学のような
謎の本を読むしかなかったという、ハザル王国!
意外とビザンツ帝国とは深く関わっているんですね。結婚すると同時にキリスト教に改宗
させられるのでしょうか?気になる。

619カイザー:2003/06/23(月) 00:10
すいません、テオドラはハザル王の娘ではなく妹でした。直系相続してればどっち
にしても、王の娘なんですが。ギボンによれば、ユスティニアヌス2世の皇后テオ
ドラは洗礼を受けて改宗したそうですよ。

レオンティウスから帝位を簒奪したティベリウス3世は、ヘラクレイオス朝の正当な
血筋の元皇帝ユスティニアヌスを亡き者にする為、ハザル・ハン(名前分かんない)
に暗殺を要請するのですが、テオドラがこれに気付いてユスティニアヌスと共にブル
ガリアへ逃亡。
その後ブルガリアのテルヴェル・ハンの軍勢を率いてコンスタンティノポリスに進軍
し、帝位を奪回することになります。

620マッティアス:2003/06/23(月) 10:39
テオドラもやりますね。兄よりも夫を取りましたか。まあ、キリスト教的倫理観からは
ものすごく正しい選択です。
ユダヤ教側(というかハザル側)からみたら、テオドラって棄教者扱いになったりしない
のですか?そこまで排他的な国ではなかったのかな?

ブルガリアも結構、重要な位置にいるわりには、あんまりそこをピックアップした本て
ないんですね。しかし、ハザルのみならずブルガリアも“ハン”称号を使っていると
いうことは、なにげにアジア系(ていうかトルコあるいはモンゴル系)なんですか?

621カイザー:2003/06/24(火) 01:08
ハザルは良く分からないですが、かつてのブルガリアはトルコ系ですね。現在は圧
倒的多数のスラブ人に飲み込まれてしまったので、スラブ語族になっちゃうのです
が。

今考えると、ロシアとブルガリアが結びついてトルコから東欧を奪い取ろうとした
り、ブルガリアがバルカン戦争や第1次大戦でバルカン半島支配を目論だりという
のは、かつてのボリスやシメオンという栄光の時代があってこそなんでしょうね。
シメオンなんて皇帝の称号まで許されてますし。

622マッティアス:2003/06/24(火) 23:07
かつての民族の栄光、というのは覇権を目指す人物の目標にされやすいですからね。
アタテュルクが大トルコ主義(トルコ系民族すべてを統一した国家)を唱えたのと、同じ
ようなカンジですね。イスラエルとか。
ブルガリアはトルコ系でしたか。まあ、民族移動が起こると先住民との混血も進みます
からね。顔立ちから言語から、先住民に近い系統になるのは仕方ないですか。

623カイザー:2003/06/25(水) 23:43
フン族とかアヴァール族なんてのは、歴史から消滅しちゃいましたもんね。おそらく
は、政治組織の解体後はゲルマン人やスラブ人なんかに同化しちゃったんでしょうが。
今となっては、謎が多いですよね。ハザル族にしてもそうですし。

ギリシアなんかも、小アジアのエーゲ海沿岸とかキプロスとかマケドニアとかは、民
族固有の領土なのに他国の支配下にある理不尽な状況であると認識している筈です。

ユスティニアヌス1世やマヌエル1世なんかが、かつての西ローマの旧領を執拗に狙
い続けた頃と、根本は一緒なんでしょうね。さすがにローマ人を自称していた電波な
ギリシア人も、現在はイタリア半島とかエジプトまでギリシア人のものだなんて思っ
てないと信じたい所です。

624マッティアス:2003/06/26(木) 23:53
現在のギリシア人がそんなこといったら、リビアの人も黙っていないよ!フェニキア人を
なめたらあかんぜよ!つうか、モンゴルとかね、もうどうなのよ?ってカンジですね。
でもまあ、そういう祖先の栄光を復興させたい願望は、権力者には古今東西あるものでは
ないのかな、と思います。クレオパトラ7世の野望も、このラインですよね。
で、こういうのをもうちょっと庶民的に、覇権を握ろうとかあがこうとかではなく回顧
するのが「プロジェクトX」なんですよ(笑)。

先住民族との混血とか風土とかって、大きいですよね。ひとくちにインド・アーリア系
っていっても、ドイツ人とインド人、ペルシア人じゃ、えらい違いますものね。
ていうか、私、脱線しすぎですか?すぐに皇帝話でなくなってしまうんですけど。

625カイザー:2003/06/27(金) 21:19
そういえば、モンゴル人の定義って何なんでしょうね。現在のモンゴルは、ロシアの
社会主義革命のどさくさにまぎれて建設された国家ですもんね。
他にもチンギス・ハンの後裔を自称する遊牧民なんて、くさる程いてそうです。元は
ティムール朝の血筋とはいえ、インドのムガル帝国=モンゴル(自称)だったわけで
すから。

さすがに今となってはローマ皇帝を自称するような政治家っていないですね。ロシア
のロマノフ朝が最期なんでしょうか。
ヒトラーなんかが、第三帝国と主張したのは、ローマ帝国というより神聖ローマ帝国
、ドイツ帝国につぐというだけの意図なんでしょうね。

626マッティアス:2003/06/27(金) 22:04
そうですね。ナチスは全然知識がないので、まともなコメントはできませんが、そうだと
思います。高校時代の世界史の先生によると、ドイツ帝国は入らないようですけど。
第一=ローマ、第二=神聖ローマ、第三=ナチスドイツ、らしいです。

モンゴル人とトルコ人というのが、実は分けるべきか否か、ものすごく微妙な気がします。
どちらもウラル・アルタイ語族で、中央アジア起源の遊牧民族なわけでしょう。文化とか
王制(?)も似ているし、用語とかも多少かぶりますよね。

627カイザー:2003/06/28(土) 00:08
トルコ人も日本人も蒙古斑ありますもんね。モンゴル系の諸民族とご先祖様は一緒
なんでしょうね。

今のトルコ人の起源は
 柔然 → 突蕨 → セルジュク朝 → オスマン朝
という感じになるんでしょうか?

アヴァールとかブルガールなんてのは、エフタルとか突蕨が滅亡して枝分かれした
ような存在になるんでしょうかね?よく、分からないです。

628マッティアス:2003/06/28(土) 09:34
私もわからないです。ただ、突厥はチュルクを漢字表記したものですよね。
それから、ケマル・アタテュルクのあだ名「灰色の狼」は、チンギス・ハンの「蒼き狼」
とほぼ同じですね。どちらも青味がかったグレーの毛並みらしいですから。
ローマ帝国がビザンツ単独になってからは結構、アジア系民族とのいろんなイミでの交流
が増えたカンジですね。戦い含めて。中近東のセム語族をアジア系とカウントするのか
否かはよくわからないですが。

629カイザー:2003/06/28(土) 18:40
蒼き狼というのは草原の遊牧民の共通概念みたいな単語なのかもしれませんね。語族
的にもモンゴル系とトルコ系は近いとすれば、分かるような気がします。
この辺の民族って、どこも民族独自の文献がないのが、イタイですよね。ローマとか
ペルシアとか中国といった定住農耕文明圏の記述を見るしかないですもんね。

そういえば、ローマって直接モンゴル(イル・ハン国かキプチャク・ハン国かな?)
と接触してないのでしょうか?
小アジアのローマ領とモンゴル帝国の間には、ちょうどセルジュク系の生き残りと
初期オスマン朝がいた頃ですよね。

630マッティアス:2003/06/30(月) 22:07
モンゴルとローマは、ないかも知れません。
イル・ハン(と書くとサッカー選手のようだ)はムスリム諸国とは結構衝突して、大ダメージ
を与えたので、むしろ西欧諸国はキリストの助けだと思ったようですし。
キプチャク・ハン(バトゥの勢力)はビザンツを通らずにドイツの方まで攻め入ったはずです
から(1241年リーグニッツの戦い)。

のちのオスマン帝国がまだ部族集団に毛が生えた程度で、ルーム・セルジュク朝が完全に衰
退に向かっていたのが大まかな13世紀の小アジア情勢ですね。白羊朝とか黒羊朝とか、
小国が分立していて、微妙に権力の空白地帯になっていたから、ニケーアにローマの亡命
政権が何十年も入り込めていたんじゃないかなあ、とか。この辺も本当は面白い時代ですね。

631カイザー:2003/06/30(月) 22:42
アインジャールートの戦いでは、フラグの遠征軍にはアルメニア教会とかネストリウ
ス派が協力して、マムルーク朝には残り少ない残存十字軍国家なんかが協力してたみ
たいですよ。
・・・でも肝心のラテン帝国とかニケーア帝国の立場はさっぱり分からない(笑)。

その一年後にミカエル8世が、コンスタンティノポリスを奪回して、ローマ帝国を再
興するのですが。

632マッティアス:2003/07/01(火) 23:34
この辺押さえるには、かなりいろいろな国の歴史を扱った本を渉猟する必要がありそう
ですね。「アラブが見た十字軍」はアイユーブ朝滅亡後の内容を殆ど憶えていないので
すが。アルメニア教会とか東方系は意外とムスリムともうまくやっていたので、てっき
りマムルーク朝側かと思っていました。
十字軍国家はまあ、東方生まれの人間も増えて、なにげに欧州からきた同胞からはいい
加減だったり、裏切り者と言われかねない行動様式になりがちですからね。でも、むし
ろモンゴル側かと思ってました。全然ダメじゃん、私(爆)。

とりあえず、ニケーア政権がどうしたかはわかりませんが、おそらくは積極的に関わら
ないことで勢力を温存して、周りが戦乱で疲弊した隙を狙っていたのではないかなあ、
などと想像してしまいます。ラテン帝国のほうは多少、自壊作用が働いていたかもしれ
ないし。

633カイザー:2003/07/02(水) 23:21
末期の十字軍国家は、イスラム勢力と妥協的で聖地エルサレムの奪回にはさほど拘っ
てなかったそうですね。むしろ、教皇と結託したルイ9世の十字軍がアイユーブ朝や
マムルーク朝とどんぱちやってるのは、いい迷惑だったかもしれませんね。

東方系のキリスト教宗派がフラグに協力的だったのは、フラグの奥さんの影響のよう
です。フラグの奥さんはネストリウス派の信者で、フラグのモンゴル軍が占領した都
市を屠城する時も、奥さんの願いが通じてキリスト教徒の財産には手をつけなかった
そうです。

634マッティアス:2003/07/02(水) 23:43
知らなかった。イル・ハン朝はのちにイスラム化したし、どっちかというとそういう
イメージだったのですが、よく考えたら、モンゴルの宗教自体、マニ教の影響が強くて
東方系キリスト教とは近い関係なんですよね。そういえば。
「東方見聞録」の抄訳を読んだのですが、この頃になるとキリスト教徒も偶像崇拝に
対して、西ローマも健在、あるいは統一帝国だった時代のようには敵愾心を燃やして
いない気がします。ムスリムというわかりやすい敵ができたからでしょうか。

635カイザー:2003/07/03(木) 22:36
フラグはバグダッドを占領して、カリフを殺したという経歴の持ち主ですからね。
初期のイル・ハン国は、間違いなくイスラム教を抑圧する側でした。イスラム教は
寛容だったとか言っても、結局の所はイスラム教とネストリウス派などのキリスト
教とは潜在的な対立構造を内包してたんでしょうね。それが、モンゴルの侵攻で顕
在化したと。

イコン破壊運動は、
第1次 レオ3世が発布   726
    イレーネが解除   787

第2次 レオ5世が発布   815
    ミカエル3世が解除 843

というのが、死ぬほどおおざっぱな流れです。その後も散発的には、イコン破壊運動
の動きはあったようですが、ローマの国策になることはなかったようです。
イスラム教の統治下にあった東方の異端なんかは、これ以降もイコン破壊運動を繰り
返してたのかどうかは、私もさすがに知らないのですが。

636マッティアス:2003/07/03(木) 23:16
う〜ん…。ムスリムの庇護下に入った地域は、少なくともイスラム草創期においては、
東方系教会が自ら手を下すまでも無く、イコンが破壊されていそうな気がしますけど。
イスラムってそこまではやらないのか?いや、やったよなあ、初期は。
ネストリウス派とかはともかく、マロン派とかコプト教会とかは、結構ムスリム政権
ともうまくやっていた印象があったんですが、そうでもなかったのかあ。同じ宗教だっ
たり宗派だったりしてるわけではないですもんね。

637カイザー:2003/07/05(土) 00:05
そういえばコプト派がどうしてたのかとかは、よく分からないですね。フラグに協力
してエジプト内部でゲリラ戦とかはしてそうにないですよね。少数すぎて政治力が弱
かったのでしょうか?

アインジャールートの戦い以降はイル・ハン国、十字軍国家、セルジュク系諸王朝、
ビザンツ帝国とキプチャク・ハン国、マムルーク朝というのが基本的な対立軸だった
みたいです。

実際には、さらにシチリア王国のシャルル・ダンジューがビザンツを滅ぼしてラテン
帝国再興を目指してたりとか、フラグの後を継いだアバカがローマ教皇にマムルーク
朝に対する十字軍を要請したりとか、キプチャク・ハン国のベルケがコンスタンティ
ノポリスに圧力を加えてミカエル8世をマムルーク朝との同盟に引き込んだりとか、
箇条書きにしてるだけでも混乱してきそうです。

638マッティアス:2003/07/05(土) 00:52
その辺りの歴史をわかりやすくまとめた本が欲しいですね。売れなそうだけれども。
十字軍もいわゆる狭義の十字軍(7ないし8回)とその時代くらいしか扱われていないし、
マムルーク朝ってヘタするとザンギー朝以上に日本じゃ知られていないかも。なにげに
結構長い時代存続したし、モンゴルの足をとめた数少ない勢力なんですけど。
イル・ハン国のみならず、キプチャクも対エジプト(マムルーク朝)で暗躍していたの
ですね。ゼンッゼン知りませんでした。

コプト派がどうしていたのかもわかりませんが、ムスリム王朝ってそういえば、ユダヤ
教徒はそれなりに出世したりしていたけれども、キリスト教徒があんまり権力の中枢に
登りつめた話って聞きませんよね。

639カイザー:2003/07/05(土) 11:09
フラグやアバカの時代だと、基本的にはイル・ハン国をキプチャク・ハン国とマムル
ーク朝が南北から牽制しあうという構図ですよね。ローマもそうですが、他の国々は
完全に弱小勢力ですからね〜。

ローマを中心に見れば、シャルル・ダンジューvsミカエル8世ですが、それにフラ
ンスとラテン帝国のプロデューサーヴェネチアがシャルルを支援し、シチリアに野心
を持つアラゴンとヴェネチアのライバルジェノヴァがミカエルと手を組んでいるとい
う感じです。
さらに両陣営のローマ教皇を巡っての駆け引きとかもあって、シチリアの晩鐘に至る
までの経緯をキッチシ押さえるのは頭がパンクしちゃいそうです。




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