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化学物質過敏症についての掲示板
1
:
NATROM
:2008/09/09(火) 19:26:54 ID:l07eR0mg
化学物質過敏症に関する覚え書き
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/CS.html
化学物質過敏症についての掲示板(URL:ttp://tcup7009.at.infoseek.co.jp/natrom/bbs)が2008年9月いっぱいで使用できなくなります。新しく別の掲示板を借りるほどアクティブではないので、進化論と創造論の掲示板3の一スレッドとして再開します。
(多種類)化学物質過敏症や臨床環境医学について科学的、懐疑的な観点から議論する掲示板です。化学物質過敏症に限らず、天然物/人工物のリスクの過小/過大評価についてもご意見をおよせください。
211
:
mortan
:2013/05/18(土) 06:11:09 ID:lHNktzQ.
>>202
>>それは、患者である私にもわかりませんが、おそらく、反応が限られていること、また、東京にいる時と、新潟にいる時では、はたから見ていて、明らかに違う反応(症状)を示していることを、追跡調査的に感じられたからではないでしょうか?
>パニック障害を除外する根拠にはなりません。
なるほど。それは理解しました
ただ、記述できるとすれば、「その友人が、様子の一部始終を見ていて、精神科への受診ではなく、北里研究所病院への受診を勧めた」という事実があった、というだけです
212
:
mortan
:2013/05/18(土) 06:26:14 ID:lHNktzQ.
>>202
>>>(「どこにでも散布できるよう許可されているような薬剤ではない」と言いつつ「ホームセンターの園芸用品やペット用カーペットにも使われる」ものであったりとか)。
>>再度、そこを蒸し返してまでの応戦ですか。苦しいですね。
>>この問題は、すでに解決しています。
>mortanさんにとっては解決しているのかもしれませんが、私にとっては、そして普通に日本語を解する読者(意味不明な長文を辛抱強く読んでくれる読者が存在したとして)そうではありません。
それでは再々度になりますが、書きます
私は、どの地域にどの種類の農薬を散布するようにと農水省あるいは全農が指定するはずだと推測して
「(ネオニコチノイド農薬は)どこにでも散布できるよう許可されているような薬剤ではない」と書いた
ただ、それは私が専門外だったからだけの間違いで、もしかして、「特定の害虫を駆除するために、そこまで高価な薬剤を使っても、利益が出せる品種の作物の地域、というだけだったのかもしれない」と言い換えてもかまいません。
真実は、農水省や全農の担当官に確認すれば済むことですから、こだわりは特にありません。
その上で、
「ホームセンターの園芸用品やペット用カーペットにも使われる」
というのも事実です。
ただ、ネオニコチノイド殺虫剤にも、製品がいろいろあって、その中で、おそらく農水省かどこかの監督官庁が許可された品目・製品についてのみ販売されている、ということなのでしょう。
これも門外漢なので、別にこだわりはありません。
ただ、監督官庁に確認すればいいことだけですので。
ということで、「農耕地に使用される、特殊なネオニコチノイド農薬の地域は制限されている」という事実と、「ホームセンターの園芸用品やペット用カーペットにも使われるように製品化されたネオニコチノイド系殺虫剤の商品はある」という事実は、論理矛盾もなく、また、現実社会において矛盾なく共在している実際の出来事です。
私は、ネオニコチノイド農薬の製品の使用制限について、それほどの関心はありませんので、もし確認されたいなら、農水省や全農に確認されてはいかがでしょうか?
213
:
mortan
:2013/05/18(土) 06:31:51 ID:lHNktzQ.
>>203
>>NATROM氏は、なぜ、一臨床医師としてではなく、
>>病理学的立場から、疾病概念の否定にこだわっておられるのでしょうか?
>「病理学的立場から、疾病概念の否定にこだわっている」とのが誤認です。病理の話なんてほとんどしていません。一貫して疫学的な話をしています。
なるほど。理解しました
>>NATROM氏の立場は、「化学物質過敏症・全否定」説ではなく、「化学物質過敏症・部分否定」説ということでしょうか?
>>つまり、「化学物質過敏症は稀には存在し得る」という立場でしょうか?
>「化学物質過敏症は稀であっても存在しない」という主張を証明することは悪魔の証明であり不可能です。証明できないことを主張しないという至極論理的な態度を取っているだけです。
なるほど。理解しました
>仮に「化学物質過敏症は稀には存在し得る」のだとしても、私の一連の主張の価値は下がりません。
了解です。それで、私の言葉不足で上記の論理積の話題にまで話がずれてしまった、条件付きの主張が出てきたわけですね
納得しました
>>「化学物質過敏症」の解明の国際的な緊急性に応じて
>>海外あるいは国内の研究機関で、その発症機序などが解明され
>>日本の医学会で疾病概念として受け入れられた場合
>>NATROM氏は、どういう立場を取られますか?
>「発症機序などが解明され」たとする論文を読んで自分で考えます。論拠のあやふやな論文しかないのに国際的な医学界で疾患概念が受け入れられるなんてことはほとんどありそうにないので、医学界で疾患概念が受け入れられた場合は、おそらく、私は医学界と同様の立場をとることになるであろうと予想します。
なるほど、至極ごもっともです、理解しました
214
:
mortan
:2013/05/18(土) 06:52:51 ID:lHNktzQ.
>>204
>>天文学的な確率で、まさか今日の今、お返事があるとは思っていませんでしたので
>いったいなぜmortanさんが「化学物質」と「症状」の関連性を過度に読みとってしまったのか、明確にわかる発言ですね。
そうですか?
この発言と「原因探索」との間に、因果関係はないと思いますが
>mortanさん以外の人には普通に偶然で説明しうる事象について、「天文学的な確率」でしか起こらないと誤認したのでしょう。
「天文学的な確率」と、私が書いたのは、ほかの掲示板で、私が、このまま返事をされないままだと、私の書き込みが最後に残ってしまって、あたかもNATROM氏が反論できないかのように見えてしまうのでは、と書き込んだ直後だったものですから
そういう意味では「確証バイアス」が働いたんでしょうね
あまりのタイミングの良さに驚いたものですから
>もしかしたら症状の一つかもしれません。
そうですか。それは診断ですか? 観測意見ですか?
そう言われるのでしたら、そちらからは、そう見えるのでしょうね
ただ、その際、観測者の「確証バイアス」が働いていないとは証明できませんよね?
あなたが私に問われているのは、それと同じ問いです
>>「化学物質過敏症に関する覚え書き」を見た限り、「化学物質過敏症」自体を「否定する」記述は確認できず、彼の主張は否定論ではなく懐疑論に見えた。
>>という趣旨の書き込みがありましたが、これについて、どう思われますか?
>別に普通にありうる書き込みでしょう。
それは、NATROM氏は化学物質過敏症について、以下のどの立場だということでしょうか?
1)その書き込み通り、懐疑論であり、否定論ではない
2)懐疑論に見えるのは誤認であり、あくまで否定論である
または
3)それは普通の書き込みだが、(より深い意味で)懐疑論でも否定論でもない
4)それは普通の書き込みだが、(より深い意味で)懐疑論でもあり、否定論でもある
215
:
mortan
:2013/05/18(土) 07:04:09 ID:lHNktzQ.
>>205
>
>>201
>予想通りというか、予想以上にmortanさんにはお話しが通じません。
>それはNATROM氏に先入見、臆見があるからです
そう書きましたが、まさにその通りなのですが
その前提の事態に触れていませんでした
「話が通じない」ように見える、いつまでも平行線をたどって一つの結論に達しない、そして、議論に勝つためには往々にして、相手の発言の揚げ足まで取りたくなる、とまでいかなくても、重箱の隅を突つく所から議論の戦線を拡大する、ということは、議論ではよく生じることです
ご存じとのことですが
それもあって、NATROM氏は議論や対論をされたことがあるかと最初に伺ったのは、そういう事に慣れている方かどうか確認したいという意図もありました
216
:
mortan
:2013/05/18(土) 07:19:01 ID:lHNktzQ.
>>208
>ちなみに、PAMが発現する「得意的効果」を記述していただけますか?
ここはいうまでもなく「特異的効果」の誤変換です
217
:
mortan
:2013/05/18(土) 08:42:26 ID:lHNktzQ.
>>208
>なるほど「主客二元論」から未だ脱却し得ていない自然科学の「客観性」を担保しようとすれば、つまり、ここで言われている「客観的には」という第三者=観測者の立場に立ってみれば、NATROM氏の主張されることは、確かに否定できませんね。だからこそ、<現象学的記述>をもって、この論駁を始めたのですが、ここで外部注入的に「自然科学的客観性」を持ち出されては、こちらの<記述>は頓挫せざるを得ません。方法論自体、というか、出発点自体が異なるのですから。
なお、ここでも補足が必要かもしれません
びっくりするような観点で反論できたと思われても困惑しますので
「こちらの<記述>は頓挫せざるを得ません」と言ったのは、いうまでもなく、こちらの<現象学的論駁>の「敗北宣言」などではまったくなく
この時点で平然と『客観的には』というジャーゴン(一般用語としてではなく、学的専門用語として、という意味です)を無批判的に言い出せるということは、
「ああ、この人は『客観性とは何か』『客観的とは何か』を問うたこともなく、『主観=観測者と、客体=対象』の素朴な関係について、ついぞ遡行的に疑う知的エピステーメーに立ったこともない人なんだな」と知覚した、ということです
従って、自然科学の自明の前提である「主客二元論」について疑ってみたこともない人にとっては、せっかくの緻密・厳格な<現象学的記述>も、無為なものになってしまうな、と、ただ「ため息をついた」だけなのです
日常的に無批判的に(無意識に)使われている言葉という「記号」や「概念」を、
<ノエシス/ノエマ>として<異化>しつつ<記述>することによって、
「本質そのもの」を浮かび上がらせようとする、哲学的ディスクール、または、現象学的文体にあまり慣れておられないようなので
ひとこと補足しておきます
218
:
mortan
:2013/05/18(土) 08:52:17 ID:lHNktzQ.
>>217
>ついぞ遡行的に疑う知的エピステーメーに立ったこともない人
つまり、
現に今、自分自身が世界内に置かれているところの「日常意識」をいったん「括弧に入れて」、
それを支え、包含する「メタレベル」の意識へと方法論的に遡りつつ、
<世界内存在>として、記述し、問い直し、捉え直すことができる批判的・理性的態度、
とでも言い換えられる、普通に使われる哲学ジャーゴンです
一応、説明しておきます
219
:
mortan
:2013/05/18(土) 20:20:03 ID:/OIETyhs
また、思ってもみないような錯覚が起きたりしないように
追加補足して、釘をさしておきます
以下の引用箇所で、========= でくくった部分が追加補足です。
>>207
>ただ、あえて、こちらの説明不足だった上記の基礎的な説明について補足するなら、
--------------------------------
>>「AもしくはBである」というこちらの主張を、「Bである」という結論だと判断したのですね。
>>いいえ。
>>「AまたはBである」という文章は、記号論理学的には、
>>「Aである」と同時に「Bである」ということです。
--------------------------------
>これは、以下のように説明した方が正確かつ理解されやすかったでしょうね。
--------------------------------
>「Aが真である、もしくは、Bが真である」というこちらの主張について、「Bが真である」という結論だけが「真である」と判断したのですね。
>いいえ。
>「Aが真である、もしくは、Bが真である」という文章は、記号論理学的には、「Aが真である」と同時に「Bが真である」ということを主張しているのですから、
====================
★ここの「同時に」という言葉は、論理学でいう「かつ」の意味ではなく(日常会話ではよくそう使いますが)、ここでは「または」の意味で使っています。
つまり、Aも真であり、同時に、Bも真であると主張した、ということです。
「AとBを同時に満たす集合」という集合概念と混乱しやすいところだと思いますので、これをもって、私がよもや「Aと同時にBが真である集合について」語っているなどと、論理を勝手にすり替えたりしないように。
====================
>NATROM氏が「Bが真である」と主張したことに変わりありません。(「Aが真である」と主張したこととはかかわりなく)
--------------------------------
ということです。
220
:
mortan
:2013/05/19(日) 04:19:38 ID:4/5VzGQ6
>>204
>>天文学的な確率で、まさか今日の今、お返事があるとは思っていませんでしたので
>いったいなぜmortanさんが「化学物質」と「症状」の関連性を過度に読みとってしまったのか、明確にわかる発言ですね。mortanさん以外の人には普通に偶然で説明しうる事象について、「天文学的な確率」でしか起こらないと誤認したのでしょう。もしかしたら症状の一つかもしれません。
あれ? これ、よく考えたら、おかしくないですか?
ここの部分は、実は、直感的に、文体が不自然に屈折しているため、何か違和感がある、と感じていた文章なのですが、今、ようやく気が付きました。
「天文学的な確率で」というのは、まさに「よくもまあこんな偶然が、あたかも必然であるかのように重なったものだ」という場合に使う表現ですよね?
例えば、私は、ソバアレルギーで、皮下注射テストでソバがアレルゲンであることが確認されていますが、皮下テストを行う前から当然、そばを食べると100パーセント、気道狭窄とぜい鳴、すなわち、ぜんそくの発作が起きます。
それを表現する際に、ソバと私のぜんそくは「天文学的確率で起こる」などとはいいません。 なぜなら「偶然」ではなく「因果関係」のある「『客観的な』必然」ですから。
また、「自分が反応する農薬や抗菌剤などの化学物質」と「症状」について、私は身体内体験の実感としては「まず、ただ苦しい状態を体験」します。
NATROM氏が想像しているように、何かの物質を「認識」してそれが「『客観的』には天文学的確率でしかない偶然の一致」なのに、「確証バイアス」によって「必然」だと思い込んでしまって、それで苦しむ、という架空の苦痛ではありません。
ある種の「知覚過敏」モデルの症例の一種という仮説も成り立つかもしれませんが、それも患者本人には原因まではわかりません。
後付けで自分でこれが原因だったのかもと思ったり、人からこれが原因じゃないのと言われてそう思うこともあるかもしれませんが、それは第一義的な発症機序ではないと体感しています。
ただ、そこから、原因回避のための「原因探索」の模索が始まります。
この「原因探索」に対して、NATROM氏は「確証バイアス」という術語を「原因探しバイアス」という定義不明な造語に置き換えて否定しようとしています。「確証バイアス」のままだと、自分自身が症状を推測したり否定したりする行為自体の確実性にも論議が及んでしまうので、絶妙な言い換えというべきでしょう。
NATROM氏は、これさえも「パニック障がい」である疑いを拭えないと言うでしょうね。
なぜなら、「『客観的』には天文学的確率でしかない偶然の一致」を「必然」だと思い込むことは「おかしい」「通常ではない」ことなのですから。
=続く=
221
:
mortan
:2013/05/19(日) 04:20:31 ID:4/5VzGQ6
=続き=
>>204
ところが、NATROM氏は、何をどう勘違いされたのか、興味深い用例で、この表現を、ご自分の書き込みについて、使われました。
NATROM氏は、「mortanさん以外の人には普通に偶然で説明しうる事象について、『天文学的な確率』でしか起こらないと『誤認』した」と書きました。
しかし、これ、普通のことではないですか? 「まさに偶然のように見える」ことを「天文学的確率で起こった」と言うのですよね? 違いますか? そのほかの用例で使われる人はいますか? 「私の『誤認』」というのは何の誤認でしょう?
私は、ただ「天文学的な確率(のような偶然)で、まさか今日の今、お返事があるとは思っていませんでした」と書いただけです。
なのに、なぜ、それほど過剰に反応する必要があるのか理解できませんが、この「偶然」に驚く私の普通の感性(コモンセンス)について、NATROM氏は、わざわざ「いったいなぜmortanさんが「化学物質」と「症状」の関連性を過度に読みとってしまったのか、明確にわかる発言ですね」と書いてしまいました。
なぜなのでしょう? 皆さんはこの混乱した「偶然」と「必然」の用法を理解できますか?
そして、「普通に偶然で説明しうる事象」について、「天文学的な確率でしか起こらない」と感じるのは「誤認」とは言わず、「偶然に直面して驚く普通の人の感性」だと思いますが、
これをもって、NATROM氏は、「もしかしたら症状の一つかもしれません」とまで結論付けてしまっています。
ただ、百歩譲って、NATROM氏の言うように、「本来なら天文学的確率」でしかない「偶然の一致」を「必然」だと思い込む「確証バイアス」があるために、化学物質過敏症が生じるのだとしたら、むしろ、逆に、ここでのNATROM氏の「偶然」と「必然」の使い方には、主客の不整合があります。
NATROM氏の書き込みのタイミングは、NATROM氏にとっては「偶然」、私にとっても「偶然」、これが普通ですが、
しかし、NATROM氏は、あたかも私がそのタイミングが「必然」であることを知って(?)いるかのように、「本人しか知り得ない感想」を述べています。
NATROM氏は、私があたかも「必然」であるかのように『誤認』していると明言しているからです。
だからこそ、それが化学物質過敏症の症状を表している、とまで言い切れるわけでしょう?
文体が不自然に屈折しているのは、ここです。
誰(主観)にとって「天文学的確率の偶然」なのか「必然」なのか、公正公平な観測者(自然科学でいう『客観』)にとって、それは「天文学的確率の偶然」なのか「必然」なのか、メタレベルに遡行して全体像を俯瞰してみると、何が起こっているのかよく見えるのではないでしょうか?
ちょっと複雑な謎かけに見えますか?
謎はここにあります。
「こんな偶然が必然かのように重なった」という「天文学的な確率で」という表現を、実は、NATROM氏は、人が掲示板に書き込むのは「必然」なのに、私、mortanが「天文学的な確率の偶然の一致」だと「誤認」している、と「主客逆転して」書いてしまっているからなのです。
222
:
谷庵
:2013/05/19(日) 08:34:03 ID:???
「今日のお昼はラーメンかカレーにしよう」と言えば、NATROM氏なら、ラーメンかカレーのどちらか一方を食べるのだろう。
でも、mortan氏ならどうするのだろう。ラーメンとカレーの両方を食べるのだろうか。
それとも、ラーメンを食べるかどうかにかかわらず、カレーだけは食べるのだろうか。
ラーメンとカレーだけならよいが、スパゲッティーもいいし、カツ丼も捨てがたい、オムライスも良いし回転寿司という手もある。
こんな風になったら、全部食べるのは大変だ。
「または」と「かつ」が区別できないと、命がけだな。
223
:
mortan
:2013/05/19(日) 10:25:52 ID:epg2kfEM
>>222
>「今日のお昼はラーメンかカレーにしよう」と言えば、NATROM氏なら、ラーメンかカレーのどちらか一方を食べるのだろう。でも、mortan氏ならどうするのだろう。
非常に興味深い例示ですね。
これを論理学的に整理し、主語(主体)をNATROM氏とし、
さらに「真である(1であるでもいいです)」という結果をわかりやすくプログラミングらしく表示するため、「真の場合、谷庵さんが白旗を上げる」とします。
「偽の場合は白旗を下げたままにします(0であるでもいいです)」
=続く=
224
:
mortan
:2013/05/19(日) 10:27:07 ID:epg2kfEM
=続き=
>>222
まず、<または>で結ばれた論理和の場合を考えて見ましょう。
--------------------------------
第三者である「谷庵さん」に対して、
「NATROM氏が、今日の昼、ラーメンを食べたなら『真です(1です)』と言いました。」
<または>
「NATROM氏が、今日の昼、カレーを食べたなら『真です(1です)』と言いました。
という二つの命題(プログラミングの命令)が与えられたとします。
なぜ、両方「真(1)である」かというと、そうNATROM氏が公言したからです。そこが「出発点」(初期値)です。
ただし、NATROM氏は二つの命題を、明言的に<または>(論理和)で結びましたので、そこに、ご注意ください。
すると、NATROM氏が、実際には、ラーメンを食べてきたよと言ったら、谷庵さんはどうしなければなりませんか?
当然、ラーメンを食べた時も「真(1)です」から、谷庵さんは
「白旗を上げ」なければなりません。
また、NATROM氏が、実際には、カレーを食べてきたよと言ったら、谷庵さんはどうしなければなりませんか?
当然、カレーを食べた時も「真(1)です」から、谷庵さんは
「白旗を上げ」なければなりません。
さらに、NATROM氏が、今日はカレーとラーメンの両方を食べてきたよと言ったら、谷庵さんはどうしなければなりませんか?
論理和で「または」で結ばれていますから、それは「真(1)です」から、谷庵さんは
「白旗を上げ」なければなりません。
--------------------------------
=続く=
225
:
mortan
:2013/05/19(日) 10:28:18 ID:epg2kfEM
=続き=
>>222
一方、今度は「かつ」で結んでみましょう。論理積の場合です。
--------------------------------
第三者である「谷庵さん」に対して、
「NATROM氏が、今日の昼、ラーメンを食べたなら『真です(1です)』と言いました。」
<かつ>
「NATROM氏が、今日の昼、カレーを食べたなら『真です(1です)』と言いました。
という二つの命題(プログラミングの命令)が与えられたとします。
なぜ、両方「真(1)である」かというと、そうNATROM氏が公言したからです。そこが「出発点」(初期値)です。
ただし、ここでは、NATROM氏がこの二つの命題を、実際には明言していない<かつ>(論理積)で結びました。
二つの命題とも、NATROM氏の発言ですから、矛盾はないと考えます。つまり、NATROM氏が、<かつ>と言ったら、二つの命題を同時に満たしていなければ「真(1)である」とはなりません。
なぜなら、もし同時に満たしていなければ、それはNATROM氏の発言に反する(矛盾する)ことになるからです。
すると、NATROM氏が、実際には、ラーメンを食べてきたよと言ったら、谷庵さんはどうしなければなりませんか?
確かに、ラーメンを食べたこと自体は「真(1)です」が、谷庵さんは、もう一つの命題、NATROM氏がカレーを同時に食べたかどうかを確認しなければなりません。なぜなら、矛盾が生じるかどうかを確認する必要があるからです。
それで、谷庵さんは、NATROM氏に聞きます。
その時、NATROM氏が、カレーも一緒に食べてきたよと言ったら、谷庵さんはどうしなければなりませんか?
二つの真なる命題が、矛盾なく成立したのですから、それは真ですから、「白旗を上げ」なければなりません。
では、NATROM氏が、カレーは食べてこなかったよと言った場合は、谷庵さんはどうしなければなりませんか?
二つの真なる命題が、矛盾しており、同時に成立していませから、それは真(1)ではありませんから、「白旗を下げたまま」にしなければなりません。
また、NATROM氏が、今日はカレーも、ラーメンも、どちらも食べてもこなかったよ、カツ丼を食べたよ、と言ったら、谷庵さんはどうしなければなりませんか?
論理和「かつ」で結ばれているものの否定ですので、それは「偽(0)です」から、谷庵さんは「白旗を下げたまま」にしなければなりません。
--------------------------------
>全部食べるのは大変だ。「または」と「かつ」が区別できないと、命がけだな。
今、問われているのが、単純な「または(論理和)」と「かつ(論理積)」の区別の問題だけでない、ということに気付かれましたか?
つまり、その二つの命題自体が真であるのか(NATROM氏によって明言されたものなのか)、偽であるのか(そうでないのか)が、初期値として関わっているという、少し複雑な問題になっています。
「命懸け」とは思いませんが、もし電気椅子に電流が通るか通らないかという仕掛けにしたなら、命懸けにはなるでしょうね。
226
:
mortan
:2013/05/19(日) 10:36:59 ID:epg2kfEM
>>222
>「今日のお昼はラーメンかカレーにしよう」と言えば、NATROM氏なら、ラーメンかカレーのどちらか一方を食べるのだろう。
>「または」と「かつ」が区別できないと、命がけだな。
でも安心してください。
NATROM氏は、実際には<かつ>とは言われませんでした。
<または>と言われたのです。
ですから、谷庵さんは、NATROM氏がラーメンを食べてきても、カレーを食べてきても、その両方を一緒に食べてきても、無事、「白旗を上げる」ことができます。
命びろいしましたね。
で、最初の話に戻すと理解できますか?
=続く=
227
:
mortan
:2013/05/19(日) 10:41:48 ID:epg2kfEM
=続き=
>>222
>>209
で書いた通り、
事実は、
--------------------------------
A) 「NATROM氏は「現時点では、化学物質過敏症は存在しない、ということは真である」と主張している」
<または>
B) NATROM氏は「現時点では、存在したとしてもきわめて稀であると言える、といことは真である」と主張している
--------------------------------
と言われたのです。
ですから、谷庵さんも、私、mortanも、NATROM氏がラーメンじゃなく「化学物質過敏症は存在しない」と再度発言しても、安心して「白旗を上げる」ことができます。真(1)だからです。
そして、事実、<または>とNATROM氏は言われたのですから、NATROM氏がカレーをもとい、「化学物質過敏症は、現時点では、存在したとしてもきわめて稀であると言える」と発言されたとしても、問題なく無事、「白旗を上げる」ことができます。
その命題がが、偽(0)ではなく、真(1)だからです。
228
:
t
:2013/05/19(日) 12:59:46 ID:JpffVOHU
NATROMさんのいっていることをまたはを使わずに書くと
「現時点では、化学物質過敏症の患者は累計で10人以下(数字は適当)である。」
のように書き表せます。
だから、別に存在する=「1人以上」でも存在しない=「0人」でも矛盾しない。
229
:
AH1
:2013/05/19(日) 13:15:44 ID:S/yYTMOY
「化学物質過敏症とよばれるものがあり、中には実際に化学物質が原因であるものもあるかもしれないが、他の理由も考えられる」
これだけの話だと理解していますが、一体なにがこんなに紛糾するんでしょうね??
230
:
mortan
:2013/05/19(日) 14:04:41 ID:epg2kfEM
>>228
>NATROMさんのいっていることをまたはを使わずに書くと「現時点では、化学物質過敏症の患者は累計で10人以下(数字は適当)である。」のように書き表せます。だから、別に存在する=「1人以上」でも存在しない=「0人」でも矛盾しない。
なるほど、そういうことならば、「論理的には」ひとまず納得できはできます
しかし、本当にNATROM氏はそう言われているでしょうか?
つまり、まとめると、
「真の化学物質過敏症と診断できる患者は極めて少数で、それ以外は確証バイアスによって他の疾病の症状を『化学物質過敏症』と誤認しているだけである」
という主張ということになりますが、逆に、強調点を変えて、言い換えると、
「真の化学物質過敏症と診断される患者は極めて少数だが存在する。従って、化学物質過敏症という疾病概念自体は存在する。ただし、確証バイアスによって他の疾病の症状を『化学物質過敏症』と誤認している場合が多い」
ということになりますよ?
もしNATROM氏が事実、そう言われているなら、それに対する私の立場を表明すれば、
1)「化学物質過敏症という疾病概念自体は存在する」には『賛成』します
なぜなら、私自身が、身体内体験として、現象学的還元の手法をもってさまざまなプラシーボ効果などの誤認を排除した上でなお、特定多種の化学物質に対して反応し、苦痛を経験しているからです。
2)「真の化学物質過敏症と診断できる患者は極めて少数」には『反対』します。
なぜなら、受診していない、他の疾病と誤認している潜在患者数はさらに多くなると思いますが、今、発表されている患者数は妥当だと思うからです。
3)「多くの場合は確証バイアスによって他の疾病の症状を『化学物質過敏症』と誤認しているだけである」には『反対』します。
そういう方も確かにある程度はいるだろうことは否定できないと思います。ただ、それは逆に少数か、あるいは、他の疾病を併発していて原因を特定できていないだけという場合が多いと思うからです。
ということになりますが、NATROM氏、いかがですか?
231
:
mortan
:2013/05/19(日) 14:11:07 ID:epg2kfEM
>>229
>「化学物質過敏症とよばれるものがあり、中には実際に化学物質が原因であるものもあるかもしれないが、他の理由も考えられる」これだけの話だと理解していますが、
私としては、NATROM氏の主張はそうではないように読めますが、
ご本人はいかがでしょうか?
>一体なにがこんなに紛糾するんでしょうね??
さあ? なぜでしょうね。
私は哲学、特に、現象学や記号論などが専門のため、確かに論理学は特に教える立場ではないとはいえ、
論理学自体、広い意味では哲学のカテゴリーの方法論ですので、思索慣れはしています。
その私にたぶん弱みと見える表現があったため、これなら勝てそうと思われたら人がいたからではないでしょうか?
232
:
mortan
:2013/05/19(日) 16:01:59 ID:epg2kfEM
>>231
>
>>229
>>「化学物質過敏症とよばれるものがあり、中には実際に化学物質が原因であるものもあるかもしれないが、他の理由も考えられる」これだけの話だと理解していますが、
>私としては、NATROM氏の主張はそうではないように読めますが、
これだけだと丸投げで不親切なので、時間が取れましたので、
こちらでの理解を書きますと、
--------------------------------
NATROM氏の見解(mortanから見たまとめ)
--------------------------------
1、化学物質過敏症という疾病概念は確立していない
2、とはいえ「何であれある疾病概念が存在しない」という証明はできない(悪魔の証明になるから)
3、むしろ、その実証責任は、提唱者側にある
4、化学物質過敏症は、医学会の主流で認められていない
5、まれに化学物質過敏症の患者も存在する(例の「または」論議で確認したNATROM氏の新しい主張です)
6、ただ、患者の多くの場合は、確証バイアスによって、関係ない化学物質を原因だと誤認して発症している
7、発症機序としては、パニック障がいに似ている
--------------------------------
ということではと思っています。
ホームページを読む限り、その根底に流れている「隠された」思潮としては、
「臨床環境医学」という新しい診療科の存在、または、提唱者、継承者らへの不信感、その方法論、診断方法への不信感と、
それに伴う、査読付き論文がまだなく、それを実証するポジティブな結果を示す実験データが出揃っていない、という「足元すくい」的な『抗議』『不服』のようにしか感じられませんでした。
なお、いうまでもなく、私は上記の全てに『反対』『不同意』の立場です
233
:
mortan
:2013/05/19(日) 17:41:49 ID:epg2kfEM
>>232
>7、発症機序としては、パニック障がいに似ている
特に、なぜこういう「診断的な判断」が可能なのかが、不可思議でなりません
守秘義務が当然おありでしょうが、実際に、化学物質過敏症を自称する患者さんが来院されたということでしょうか?
そして、その一例(または数例)だけを見て、患者群全体を怪しいと疑っている、という「心情的な」流れでしょうか?
でなければ、疫学的、病理学的には、つまり、科学的知的・理性的には、
現時点で、発症機序も、認知神経系との関係も、シナプス伝達物質およびその受容体構造との関係も解明されてもいないのに、
「化学物質過敏症患者は、確証バイアスによって、自分の症状を、外界のモノによる干渉であると訴えるものだ」とそこまで具体的に言い切れるのは、何か具体的なイメージの診察対象、観察対象があった、ということでしょうか?
ちなみに、私の身体感覚では、それとはまったく違う実際の苦痛の現実体験として<本質直感>される内容ですが。
もしかして、その患者さんが、電波とか、盗聴されているとか、幻覚・幻聴などのように非在の物質を訴える場合が多いケースで、その中で、たまたま化学物質も原因に挙げたので、疑いを抱いていた、ということでしょうか?
でしたら、その方は、もしかしたら、化学物質過敏症自体ではない方なだけかもしれませんし(つまり、その事例をもって、化学物質過敏症自体を否定することはできない)
その方が、確かに化学物質過敏症であっても、その症状が重積し迷妄が続き精神疾患を併発してしまった、というケースかもしれません。
いずれにしても、動物実験も、個体検査も、集合体の社会実験の実施もこれからの分野だというのに
(というのは、地球上で製造され、人体に影響を及ぼし始めて、無視できないPPM、PPB、PPTで拡散し、まだ50年間しかたっていない、これまで存在しなかった化学物質が、人類にとってはまさに未知な物質であって、
この疾病との戦い、解明には、提唱者の着眼点の洞察力もさることながら、
それを引き継ぐ医学界全体の、まさにこれからの解明努力目標ではないでしょうか。
それを、なぜ、NATROM氏は、いとも簡単に、「化学物質過敏症は存在しない、存在したとしてもまれでしかない」という『結論』を導くことが「できた」のでしょうか?
234
:
GB
:2013/05/19(日) 18:31:30 ID:q4/LF7wg
まず最初に聞きたいことは、そもそも、NATROMさんが言っているのは、
【1】「思い出しバイアス」「原因探しバイアス」があるがゆえに、患者さん自身の体験談は、それだけでは化学物質過敏症の存在を証明することにはならない。
【2】客観的に化学物質過敏症の存在を証明するには、二重盲検法による負荷試験を行うしかない。
【3】これまで複数行われてきた負荷試験はいずれもネガティブな結果であった。
【4】よって、現時点では、化学物質過敏症は存在しないか、存在したとしてもきわめて稀であると言える。
【1】〜【3】できちんと根拠を示した上で、
「現時点では、化学物質過敏症は存在しないか、存在したとしてもきわめて稀であると言える」としているわけですが、
この文の中に、「きわめて稀ではあるが化学物質過敏症は存在する」という内容が含まれていますか?
たとえば「現時点での予測では、明日は雨が降らないか、降ったとしてもごくわずかである」という文から、後半を切り離して、「明日はごくわずかではあるが雨が降る」と言い換えるのは正しいですか?
235
:
GB
:2013/05/19(日) 18:34:10 ID:q4/LF7wg
次に、現象学の専門家ということなのでお聞きするのですが、
「私の身体=内=体験として、<本質直感>として、自分は「化学物質過敏症」だと<志向的に意識>している」というのがわかりません。
そもそも哲学的思索の方法論である現象学を、科学的活動に応用するというのは聞いたことがありますが、その場合、出来合の概念を括弧に入れたデータの記述ということに限られるのではないですか?
医学の分野であれば、化学物質過敏症に限らず、上記の「記述」をもとに、他の多くのデータとつきあわせてどのような病気であるかを探索するという作業が不可欠になりませんか?
そういう「客観的な」作業なしに、なぜご自分の病気を特定することができるんですか?
236
:
mortan
:2013/05/19(日) 19:11:12 ID:epg2kfEM
>>234
>【1】〜【3】できちんと根拠を示した上で、「現時点では、化学物質過敏症は存在しないか、存在したとしてもきわめて稀であると言える」としているわけですが、
>の文の中に、「きわめて稀ではあるが化学物質過敏症は存在する」という内容が含まれていますか?
それは、NATROM氏本人に聞かれるのがいいと思います。
そう主張されている方ですので。
論理展開については、すでに書いてきた通りです。
確かに。日常感覚の自然言語で「え。これが真(ON)?」と感じるようなことも、「または(or)」でつないで、二つの命題の真について推論演算させるよう命じた以上、
プログラミング論理言語では「真である」として「ONもしなければならないことは往々にあることです。
237
:
mortan
:2013/05/19(日) 19:33:02 ID:epg2kfEM
>>235
>次に、現象学の専門家ということなのでお聞きするのですが、「私の身体=内=体験として、<本質直感>として、自分は「化学物質過敏症」だと<志向的に意識>している」というのがわかりません。
症状を自己内に明晰に知覚している患者として、その意識の側から、その症状を世界内存在として、さまざまな日常意識やプラシーボ効果などの臆見や先入見を排して、実存的に記述できるかどうか、やってみようとしている、というところです。
早い話が、自分で、実感しているが、それは、ほかの疾病の症状とは明らかに異なるため、「化学物質過敏症」という言語によって、構造的に区別された症状を、自分自身で、実験したり、体験したりしているところです。
ちなみに、苦痛が半端ではないので、食べ物には気をつけているのですが、
今、ある物を食べて、農薬を吸引した時の数倍の苦痛と、ミスタイプの症状が出ています。
>もそも哲学的思索の方法論である現象学を、科学的活動に応用するというのは聞いたことがありますが、その場合、出来合の概念を括弧に入れたデータの記述ということに限られるのではないですか?
それは一般論というか、理論としてのチャレンジですね。
私は、偶然にも患者当人になることができましとで、自分自身の意識の内側から、
事態を「観察」している、というより、「志向的に意識」するようにしている、
ということです。
>学の分野であれば、化学物質過敏症に限らず、上記の「記述」をもとに、他の多くのデータとつきあわせてどのような病気であるかを探索するという作業が不可欠になりませんか?そういう「客観的な」作業なしに、なぜご自分の病気を特定することができるんですか?
データが出ると分かりやすいですよね。それこそ「客観的」には。
ただ、今、しようとしているのは、ほかならぬ自分という存在が、
まぎれもなく実体験しているこの苦痛という<事象>を、
注意深く、ほかの疾病の症状と振り分けつつあるところです。
再現性のある日常生活の只中で。
ですから、自分で病気を「医学」のように、特定できるとは思っていません。
ただ、苦痛は<いま・ここに>に、世界内存在しています。
それを記述することで、ほかの疾病の症状とは考えにくい、という
患者の「主訴」の部分を、「主客二元論」を超えた、苦痛を医師に伝える
ほかの患者にも応用できる方法論を構築できるかもしれないと
考えているところです
私にとって、苦痛の症状は事実であり、しかも、一時的であり、
NATROM氏は「パニック障がい」の可能性も十分疑えると言うと思いますが、
私も、パニック障がいの方のカウンセリングをしていますが、
どうも、反応のタイミング、時間、質、量が、暴露した物質と
どうも相関関係、因果関係にありそうだと推定しています
これは、もはや理論ではなくて、苦痛からの回避の止むに止まれぬ必要性からです
そして、再現性をもって、それはある程度成功し、失敗を通して、次のチャレンジに向かっているところです
238
:
mortan
:2013/05/19(日) 19:51:34 ID:epg2kfEM
>>237
>ただ、苦痛は<いま・ここに>に、世界内存在しています。それを記述することで、ほかの疾病の症状とは考えにくい、という患者の「主訴」の部分を、「主客二元論」を超えた、苦痛を医師に伝えるほかの患者にも応用できる方法論を構築できるかもしれないと考えているところです
ですから、テーマとしては、
× 患者の「主観的な」主訴を医師はいかに「客観的に」聞き判定し得るか
という従前の方法論の延長や補完ではなく、
○ 患者は主訴をいかにして<明澄な意識>をもって<現象学的還元><本質直感>を活用しながら排他的な<事象そのもの>として<記述>し得るか
という問いをただ純粋に問うているというところです
239
:
GB
:2013/05/19(日) 21:19:45 ID:4gGWytOw
>>236
「きわめて稀ではあるが化学物質過敏症は存在する」と、「内容を変えずに言い換えた」のはあなたなので、あなたに聞いています。
プログラミング論理言語はともあれ、この言い換えは誤りである、ということでよろしいですか?
>>238
「主客二元論」というのは、主観と客観を対置する近代哲学の前提のことで、人の認識の構造に関する話ですね。
医者と病気、医者と患者の関係を考えるときに「主客二元論」とは呼びませんので、誤解を与える表現は控えたほうがよろしいのでは?
それに、「患者は主訴をいかにして<明澄な意識>をもって<現象学的還元><本質直感>を活用しながら排他的な<事象そのもの>として<記述>し得るか」
とはいっても、それをもとに病気であるかどうか、どんな病気かを判断するのは医者であることをお忘れなきよう。
240
:
mortan
:2013/05/19(日) 22:03:25 ID:epg2kfEM
>>239
>
>>236
「きわめて稀ではあるが化学物質過敏症は存在する」と、「内容を変えずに言い換えた」のはあなたなので、あなたに聞いています。プログラミング論理言語はともあれ、この言い換えは誤りである、ということでよろしいですか?
「現時点では、化学物質過敏症は存在しないか、存在したとしてもきわめて稀であると言える」の後半部分を言い換えないで、主語を補うと、
「化学物質過敏症は、存在したとしてもきわめて稀である言える。」ですね?
ところが、「化学物質過敏症が存在しない(場合)」という命題は前半ですでに十全に語られていますので、再掲する必要はありません。(むしろ、重複すると、命令が単一に分割できなくなります)
ですので、後半から、前半ですでに語られている重複部分を除くと、
「化学物質過敏症は、存在した場合、きわめて稀である、言える。」
となります。これを整理すると、
「化学物質過敏症は存在する場合がある。その場合は、きわめて稀である」
です。これを、自然言語、つまり、私たちの日本語の普通の書き言葉の語順に整理すると、
「きわめて稀ではあるが、化学物質過敏症は存在する場合がある」
です。ですので、前半と後半の二つの重複しない命題にするためには、こうなります。これは、
「きわめて稀ではあるが、化学物質過敏症は存在する」
と明言していることと同義です。ですので、言い換えてはいません。
命題として、整理しただけです。
241
:
GB
:2013/05/19(日) 22:18:20 ID:4gGWytOw
>「きわめて稀ではあるが、化学物質過敏症は存在する場合がある」
その可能性については、もともと誰も否定していませんから。
科学の手順に従って考えた場合、もしあっても希だろうと考えるのが妥当ということなので。
同じことを言い換えると、
科学の手順に従って考えた場合、
>きわめて稀ではあるが、化学物質過敏症は存在する
とは言えない、ということです。
242
:
mortan
:2013/05/19(日) 22:35:19 ID:epg2kfEM
>>239
>
>>238
>「主客二元論」というのは、主観と客観を対置する近代哲学の前提のことで、人の認識の構造に関する話ですね。
いいえ。それはあくまで「認識論」側の問題ですね。
認識の構造をいくら調べても、カントがいう「ものそのもの」、フッサールがいう「事象それ自体>は浮かび上がってこないように見えるからこそ、多くの哲学者が頭を悩ませてきたわけです。
存在の問題は、もっぱら、古来より「存在論」(形而上学)の扱う課題でした。
ですので、時に応じて、主体と客体、認識と存在、認識論と存在論と、話題を加えてきました。
主体と客体、見る側と見られるモノ、という構造は、そもそも、一つの理論にまとめることができないのだ、という理論一般を「主客二元論」と呼びます。
243
:
mortan
:2013/05/19(日) 22:47:57 ID:epg2kfEM
>>239
>医者と病気、医者と患者の関係を考えるときに「主客二元論」とは呼びませんので、誤解を与える表現は控えたほうがよろしいのでは?
それは「誤解」というより、ただの<異化作用>です。
医師と疾病、医師と患者について、どうしても、
「診る側と診られ名付けられる病態」「診る側と診られる患者」の関係の中には、古来から続く、ヒエラルキーが確かに存在します。
そのことに気づくこと自体は、決して悪いことではありません。
さらに、よりよい未来の医療へと展開していける萌芽は、その、今の出発点しかないのですから。
ただ、私はそれ自体を否定してはいません。
イリイチのいうような『脱病院化社会』のようなオルタナティブな、理想的な関係が構築された社会が訪れない以上、今の医療行為を無視することは意味がないと思っています。
244
:
mortan
:2013/05/19(日) 22:50:20 ID:epg2kfEM
=続き=
>>239
>ただ、その関係の只中に、主体―客体、という関係の壁があることは、良かれ(患者が医師に信頼するという)あしかれ(患者が自分の健康を自己管理できないという)事実です。
(途中で途切れたまま投稿してしまいました)
245
:
GB
:2013/05/19(日) 22:56:08 ID:4gGWytOw
そうですね、まさに認識論という哲学の問題ですね。
その範囲では、考え方はいろいろありますし、一部循環していますね。
たとえば現象学の洗礼を受けた後のドゥルーズが、人は自然の生成そのものは捉えることができず、人の認識の秩序に合わせて切り取っている、と言っていますが、
これってカントの「物自体」は認識不能で、人はその認識装置に合わせてだけ自然を切り取るという考えと、同じですよね。
それはともあれ、こういった認識論の伝統的な議論が、どこでどう、「あなたの病気に対する個人的な解釈」につながるのかが、もっとも不明なところなんです。
> 医師と疾病、医師と患者について、どうしても、「診る側と診られ名付けられる病態」「診る側と診られる患者」の関係の中には、古来から続く、ヒエラルキーが確かに存在します。
あなたの関心はここにあって、現象学なんて飾りでしかないんじゃないですか?
246
:
mortan
:2013/05/19(日) 23:09:50 ID:epg2kfEM
>>239
>それに、「患者は主訴をいかにして<明澄な意識>をもって<現象学的還元><本質直感>を活用しながら排他的な<事象そのもの>として<記述>し得るか」とはいっても、
全ての患者が、十分教育され。訓練を受けた現象学者と同じように、自分の症状について、冷徹冷厳に<記述>できるとは思っていません。
今、考えているのは、問診票への、現象学的還元の手法の導入です。
今の問診票は、まさに「客観的なデータを、診る=知る側の医師にとって必要となる形で聞き、それに患者が答える」というものです。
もちろん、それも今のカルテ管理に十分役立っているでしょう。
心理テストや、統計調査の技法で、人が無意識に自分をよく見せたいという答えをしがちである、という傾向に着目して、複数の重複した、角度を変えた質問で、その誤差を無くす努力をしていますね。
それと同じように、問診票に答えるだけで、患者が、自然に、自分の症状に向き合い、記述し、本質直感の手助けができないだろうかとばくぜんと考えています。
もし実現するとしても、次の次の世代かもしれませんが。
ただ、それ自体も、北里研究所病院で受診した時の数十ページ(?)と感じましたが、膨大な質問項目からなる問診票からヒントを得ただけです。
そこでもすでに誤差を小さくする努力はされているようでした。
>それをもとに病気であるかどうか、どんな病気かを判断するのは医者であることをお忘れなきよう。
当然だと思います。
診断をするのは、教育を受け、訓練を受けた医師が当たるべきだと思います。
先ほどの問診票が、その新しい関係の医師―患者との関係の中で、診断にも、信頼醸成にも役立つものとなればと思います。
ただ、膨大な問診票は、やはり、患者にとっては負担ですから、それをうまく引き出すカウンセリングなどの技術がうまく取り入れられ、
その情報を医師が使えるようになれば、理想的ではあるなと思います。
少なくとも、患者自身が自分は化学物質過敏症だと日々の生活の再現性の中で直感しているのに、
そういう疾病概念は認められないという理由だけで、患者にもある良識(コモンセンス)が無視され、
それこそ「客観的に」化学物質過敏症であったにもかかわらず、ほかの精神疾患にさせられた、という誤診は減るものと思います。
247
:
mortan
:2013/05/19(日) 23:18:27 ID:epg2kfEM
>>245
> 医師と疾病、医師と患者について、どうしても、「診る側と診られ名付けられる病態」「診る側と診られる患者」の関係の中には、古来から続く、ヒエラルキーが確かに存在します。あなたの関心はここにあって、現象学なんて飾りでしかないじゃないですか?
確かに、現象学は方法論でしかありません。しかし、問題が自分の内側にある
という特殊な条件において、きわめて有効な方法論になり得るのではと感じています。
医師と患者の関係も主客の関係で自ずと出てきただけで、
私の、一番の関心は、自分の苦痛を伴う、反応物質に対する症状です。
この実体験を、自分の意識でどう捉えられるか、というところに関心があります。
というのは、今のところ、つまり、薬効のある薬が開発されていない以上、
原因探索、原因回避の積み重ね、そして、間違っていたら、
さらに真犯人の原因を探し当て、それから回避し、苦痛の症状を軽減させることに
いちばんの関心があります。
これは、全ての化学物質過敏症患者にとって、共通した気持ちではないかと思います。
248
:
t
:2013/05/19(日) 23:29:32 ID:JpffVOHU
>>230
順番を入れ替えますが、
>2)「真の化学物質過敏症と診断できる患者は極めて少数」には『反対』します。
いままでの信頼のおける医学的研究の結果では真の化学物質過敏症と診断された患者はいません。
>1)「化学物質過敏症という疾病概念自体は存在する」には『賛成』します
まったく患者がいないものなので存在がそもそも疑わしい。
>なぜなら、受診していない、他の疾病と誤認している潜在患者数はさらに多くなると思いますが、今、発表されている患者数は妥当だと思うからです。
これがあるから限りなく可能性が低いけどあるかもしれない程度。
>3)「多くの場合は確証バイアスによって他の疾病の症状を『化学物質過敏症』と誤認しているだけである」には『反対』します。
いままでの研究結果を見る限りはそうでない患者は見つかってない。
249
:
mortan
:2013/05/19(日) 23:29:39 ID:epg2kfEM
>>241
>「きわめて稀ではあるが、化学物質過敏症は存在する場合がある」その可能性については、もともと誰も否定していませんから。
それはその通りです。
何であれ、誰にも、将来の発見を否定することはできない、という意味で
言われているわけですよね。
>科学の手順に従って考えた場合、もしあっても希だろうと考えるのが妥当ということなので。
すみません。そこの跳躍の意味が理解できません。
>同じことを言い換えると、科学の手順に従って考えた場合、
>きわめて稀ではあるが、化学物質過敏症は存在するとは言えない、ということです。
言われたい意味は分からなくはないですが、
論理学上では、一つの命題にすることすらできなくなります。
それ以前に、どちらでも言い得るなら、何も言っていないに等しいことになります。
私たちは、自然言語を使った日常会話でさえ、そのような無意味な会話は
成り立たないのではないでしょうか?
そこは、じっくり考えてみてください。
私は、言うべきことはすでに語ってきましたので。
250
:
mortan
:2013/05/19(日) 23:32:24 ID:epg2kfEM
>>248
互いの見解が違っているということは理解しました。
議論できるとしたら、議論はその見解の壁の向こう側にあるのです。
251
:
mortan
:2013/05/19(日) 23:50:06 ID:epg2kfEM
ちなみに、個人的感想ですが、
自らよって立つ地平の「盤石性」と、
自然科学によって現時点で結論づけられてしまっている事象について
遡行的に、また、対自的に、一切、疑念を持たず、
純粋に自然科学の側に立てる現象学徒をはじめて見ました
自然科学系の学生さんで、教養科目で哲学概論を学んだスタンスの方ですか?
252
:
mortan
:2013/05/19(日) 23:52:21 ID:epg2kfEM
>>251
なぜなら、現時点で獲得されているエピステーメーをまず疑うことから
哲学も、特に、現象学も始まったはずのものですから
253
:
GB
:2013/05/19(日) 23:57:15 ID:4gGWytOw
一口で言えば、人の認識にかかわる哲学的な議論をすべてを疑うというところから
出発した方法論を擁護する立場です。
要するに、科学の方法論ですね。
254
:
mortan
:2013/05/20(月) 00:16:43 ID:epg2kfEM
>>253
>一口で言えば、人の認識にかかわる哲学的な議論をすべてを疑うというところから出発した方法論を擁護する立場です。
ちなみにそんな行為に対して、「疑う」という高次の知的行為の名で
呼ばれたことは歴史上ないと思いますので、大変興味深いです。
要するに、ただの「擁護のための擁護」「擁護のための議論の中断」ということですね。
そこまでして、NATROM氏を擁護する意味は何ですか?
文体構造、議論の展開の導入の仕方などがNATROM氏に酷似している
ことを最初から直感していましたが、もしかして、ご本人ですか?
あるいは(何のためかわかりませんが)熱心な信奉者ですか?
>要するに、科学の方法論ですね。
「科学の方法論」?
自然科学の方法論は、その都度その都度、打ち破られる過程の中で
生み出されたものですから、
科学全般の、全歴史にわたる一般法則としての「方法論」があるなどとは
はじめて聞きました。
実証主義とか、そういう、プリミティブなことですか?
ただ、そうすると、理論物理学などが包含されませんね。
255
:
GB
:2013/05/20(月) 00:28:00 ID:4gGWytOw
人の認識能力を徹底的に疑い、人にとって「確か」だと言うためにはどうしたらいいのか、
そこを練り上げて仮説演繹法を中心に科学の方法論が確立されてます。
歴史的には、ベーコンからヒュームにつながる徹底的な懐疑論がベースなんですが、
ご存じありませんでした?
256
:
mortan
:2013/05/20(月) 00:56:42 ID:epg2kfEM
>>255
>そこを練り上げて仮説演繹法を中心に科学の方法論が確立されてます。
なるほど。
自然科学の諸学の歴史全体を包含する「一元的」な「方法論」が近年、
新たに提案されたのかと驚いただけです。
>人の認識能力を徹底的に疑い、人にとって「確か」だと言うためにはどうしたらいいのか、
ただ、この説明は、恣意的なように感じました。
257
:
GB
:2013/05/20(月) 01:07:38 ID:4gGWytOw
>なるほど。
って、ちゃんと勉強してくださいな、現象学の専門家さん。
ます「ヒュームの懐疑」を調べてみるとか、それからまたお話をしましょう。
258
:
mortan
:2013/05/20(月) 01:28:44 ID:epg2kfEM
>>257
>>なるほど。って、
それでは正直に言うと、「なるほど、そんな事で、大仰に『科学の方法論』
だと言っているのですか」と全文言ってしまうと、失礼だから、
途中でやめてあげたのに、そんないやらしい読み方をしているとは
ものすごい「人格者」ですね、やはり、議論に慣れていない人のようですね
それとも、まさか、「なるほど。ご説、ごもっとも。そうなんですか。始めて知りました。勉強になりました」の略だと、得意な「恣意的な」解釈をされましたか?
「確証バイアス」を「原因探しバイアス」と自説に都合よく変更したように
哲学の「疑う」姿勢に対抗するために、なぜかヒュームを恣意的に持ち出すとは
というか、近代自然科学なら、まずデカルトからでしょう
259
:
mortan
:2013/05/20(月) 01:33:42 ID:epg2kfEM
>>253
>一口で言えば、人の認識にかかわる哲学的な議論をすべてを疑うというところから出発した方法論を擁護する立場です。要するに、科学の方法論ですね。
しかし、そう言われてみて、あらためて読み返すと、
最初感じたこの文章の「恣意性」は、見事に驚くほどです
結論ありきでの話では議論は成立しませんよ、NATROMさん
260
:
GB
:2013/05/20(月) 01:40:10 ID:4gGWytOw
>>258
デカルトからで、かまいませんよ。
できればあなたの化学物質過敏症と関連づけて説明してほしいですね。
>>259
?
GB
>>253
は、NATROMさんではないんですが。
261
:
mortan
:2013/05/20(月) 01:41:48 ID:epg2kfEM
学生さんは、中心的な議論に負けそうになると、
こういう周辺部分から「ところで」と「そもそも」論をなぜか持ち出してくる種類の人がいて、
議論を核心に移す時間に限りが生じて、展開に困ることがなくはありません
262
:
GB
:2013/05/20(月) 01:46:28 ID:4gGWytOw
議論の核心というのは、「私は科学物質過敏症であるのは確実で、それに疑問を抱く人間はすべて否定する」
というものですか?
263
:
mortan
:2013/05/20(月) 01:56:06 ID:epg2kfEM
>>260
>
>>258
>デカルトからで、かまいませんよ。
>できればあなたの化学物質過敏症と関連づけて説明してほしいですね。
デカルトをなぜ今、私が説明しなければならないのか?
しかも、化学物質過敏症と関連づけて、とは、まったく理解の域を超えている
だいたい、私は、デカルトの方法論で、化学物質過敏症に肉迫できるとは
考えてもいないし、そのような発言もしてきていない
ちなみに、デカルトについては、ここでの議論の中で時に応じて触れてきている
やはり、議論の運び方にきわめて特徴的な文体構造が隠されている
キーワードは「恣意的」ということだ
目的は、議論の話題の拡散・撹乱による、NATROM氏の例の「言い間違い発言」を
レスの重畳によって「隠す」という趣旨が、その恣意的意図に隠れた「本質」だ
264
:
mortan
:2013/05/20(月) 02:07:16 ID:epg2kfEM
>>262
>議論の核心というのは、「私は科学物質過敏症であるのは確実で、それに疑問を抱く人間はすべて否定する」というものですか?
こういう話の持ち出し方が、恣意的な議論拡散の典型だ
そこに、意識されないままの即時的な<実践的惰性体>と化している
その「悪意」あるいは「悪意」を擁護するという夾雑物を、
自己の意識の中に混入させることで、意識の明澄さを失うことについて
恥ずかしさという感覚(コモンセンス)はまったく生じないのか?
議論の核心は、
私は、自分の身体性のただなかに「化学物質過敏症」という言語体系・概念体系で区別されている一連の症例に該当する症状と類似した体感覚を、実際に、排他的なものとして、経験している。
それが、世界内存在としての確からしさを伴う事象、現象である以上、
それを否定する見解については、疑いの目を向けざるを得ない。
ということだが、
その流れの中で、議論の核心は、NATROM氏が言い違えたのか
本音が出てしまったのか、化学物質過敏症についての実在について触れたこと
に、議論の中心は移ってきた、というのが実情だろう
265
:
mortan
:2013/05/20(月) 02:12:20 ID:epg2kfEM
>>264
>
>>262
>こういう話の持ち出し方が、恣意的な議論拡散の典型だ
>そこに、意識されないままの即時的な<実践的惰性体>と化している
>その「悪意」あるいは「悪意」を擁護するという夾雑物を、自己の意識の中に混入させることで、意識の明澄さを失うことについて恥ずかしさという感覚(コモンセンス)はまったく生じないのか?
誤変換があった
→そこに、意識されないままの【即自的】<実践的惰性態>と化している
266
:
NATROM
:2013/05/20(月) 13:57:30 ID:???
>私は「NATROM氏と論理和(or)と論理積(and)」の話をした覚えはありません
というmortanさんの認識が誤認です。よって
>>205
〜
>>207
のmortanさんの主張には意味がありません。ついでに言うなら私は「化学物質過敏症は存在しない」と主張したことはありません。「化学物質過敏症の疾患概念には私は懐疑的である」とか「証拠がない」とか「化学物質過敏症は存在しない、もしくは、化学物質過敏症は存在したとしてもきわめて稀である」とか主張はしました。なぜこのような表現をしているのか、mortanさん以外の読者のみなさんにはご理解いただけたと思います。
>ということで、「農耕地に使用される、特殊なネオニコチノイド農薬の地域は制限されている」という事実と、「ホームセンターの園芸用品やペット用カーペットにも使われるように製品化されたネオニコチノイド系殺虫剤の商品はある」という事実は、論理矛盾もなく、また、現実社会において矛盾なく共在している実際の出来事です。
mortanさん以外の読者のみなさんは理解していると思いますが、念のためにもう一度言います。特殊なネオニコチノイド農薬と製品化されたネオニコチノイド系殺虫剤の違いの話をしているのではありません。mortanさんが何に反応するかという話をしています。
「どこにでも散布できるよう許可されているような薬剤ではない」ゆえに「私自身の反応によって、極めて正確な範囲を絞ることができる」とmortanさんは主張していました。しかしながら、「製品化されたネオニコチノイド系殺虫剤の商品」にもmortanさんが反応するのであれば、「私自身の反応によって、極めて正確な範囲を絞ることができる」という主張は否定されます。
mortanさんが反応し、後にその場所が「特殊なネオニコチノイド農薬の地域」であれば「私自身の反応によって、極めて正確な範囲を絞ることができる」という根拠が強化され、その場所が「特殊なネオニコチノイド農薬の地域」でなければ、「製品化されたネオニコチノイド系殺虫剤の商品」やその他排気ガスやタバコやボールペンなどに反応したとして説明されるでしょう。
ホメオパスがけっして「ホメオパシーが効かなかった」と認めないように、地震雲の研究者がけっして「地震雲を観察しても地震が起きなかった」と認めないように、mortanさんはけっして「反応が起きたが化学物質の曝露は無かった」と認めないでしょう。ホメオパスや地震雲の研究者やmortanさんの誤認は、確証バイアスで説明可能です。確証バイアスをできるだけ取り除いた検証方法(化学物質過敏症の場合は盲検下負荷試験)が必要ですが、強く確信している人にはそのような説明は通じません。
267
:
NATROM
:2013/05/20(月) 13:57:50 ID:???
>それは、NATROM氏は化学物質過敏症について、以下のどの立場だということでしょうか?
>1)その書き込み通り、懐疑論であり、否定論ではない
否定論が「化学物質過敏症は存在しない」という強い主張のことを指すのであれば、私の立場は否定論ではありません。
>>「化学物質過敏症とよばれるものがあり、中には実際に化学物質が原因であるものもあるかもしれないが、他の理由も考えられる」これだけの話だと理解していますが、
>私としては、NATROM氏の主張はそうではないように読めますが、
>ご本人はいかがでしょうか?
AH1さんの理解で正しいです。
>5、まれに化学物質過敏症の患者も存在する(例の「または」論議で確認したNATROM氏の新しい主張です)
間違いです。より正確には「5、まれに化学物質過敏症の患者も存在するかもしれない」とか「5、まれに化学物質過敏症の患者も存在する可能性は否定できない」とかと表現すべきです。
>6、ただ、患者の多くの場合は、確証バイアスによって、関係ない化学物質を原因だと誤認して発症している
正確ではありません。「確証バイアスによって、関係ない化学物質を原因だと誤認してしる患者もいる」のほうが正確です。
>7、発症機序としては、パニック障がいに似ている
正確ではありません。「パニック障害として説明可能な化学物質過敏症症例もある」のほうが正確です。なお、パニック障害と化学物質過敏症に共通点があるという見解は別に私のオリジナルではありません。というか、一般的な臨床医であれば誰でも思いつくようなものです。
>それを、なぜ、NATROM氏は、いとも簡単に、「化学物質過敏症は存在しない、存在したとしてもまれでしかない」という『結論』を導くことが「できた」のでしょうか?
盲検下負荷試験がネガティブな結果だからです。化学物質過敏症が存在し稀ではなかったとしたら、盲検下負荷試験でポジティブな結果がでるはずです。
>>【1】〜【3】できちんと根拠を示した上で、「現時点では、化学物質過敏症は存在しないか、存在したとしてもきわめて稀であると言える」としているわけですが、
>>の文の中に、「きわめて稀ではあるが化学物質過敏症は存在する」という内容が含まれていますか?
>それは、NATROM氏本人に聞かれるのがいいと思います。
>そう主張されている方ですので。
GBさんの解釈が正しいです。「きわめて稀ではあるが化学物質過敏症は存在する」とは私は主張していません。
268
:
mortan
:2013/05/20(月) 15:08:39 ID:e7MRQzJU
>>266
>>私は「NATROM氏と論理和(or)と論理積(and)」の話をした覚えはありません
>というmortanさんの認識が誤認です。
>よって
>>205
〜
>>207
のmortanさんの主張には意味がありません。
最初、もしかして議論することに慣れておられないのかな、つまり、議論して、自分の理論を修正すべき指摘があった場合、それを受け入れることができない思考の持ち主かなと、少し感じましたが、
今回の一連のやりとりについて、結局、NATROM氏が、そういう発言でしか議論に着地点を見出すことでしか事態を収拾できない、ということは非常によくわかりました。
ただ、NATROM氏独特の人の発言の揚げ足取りを、NATROM氏の発言の中から、琴線に触れる部分で、こちらも似たようなことをしたかたちになってしまったわけですから、感情的になられるのも致し方ないと見ました。
あとは、掲示板に残った議論のやりとりを見て、訪問者・読者の方が公平公正に冷静に判断していただければ、それでよいことと思います。
>ついでに言うなら私は「化学物質過敏症は存在しない」と主張したことはありません。
そうですか。
私の体験上、化学物質過敏症という言語体系に対応する症状群は、必ず存在する、と身をもって実感していますので、
日本の医学界および厚労省が、正式・公式に「化学物質過敏症」を認める、その対策に乗り出した時に、そういう言い方だと、確かに「逃げ道」が確保できていいのではと思います。(これは一般論の私の個人的な見解です。NATROM氏がそういう意図で言っているのではないことは理解しています。科学的には、そうとしか言い得ない、ということですね?)
>「化学物質過敏症の疾患概念には私は懐疑的である」とか「証拠がない」とか(主張はしました。)
それは、わかりました。
ただ、
>「化学物質過敏症は存在しない、もしくは、化学物質過敏症は存在したとしてもきわめて稀である」とか主張はしました。
やはり、この書き方では、どうしても、
1)化学物質過敏症は存在しない
or
2)化学物質過敏症は存在したとしてもきわめて稀である
の論議に再度、入りたくなります。
ところが、NATROM氏は、どうしても、
「化学物質過敏症は存在したとしてもきわめて稀である」という発言について、
なぜか、「化学物質過敏症はきわめて稀だが存在し得る」という、普通の自然言語に語順を並べ替えてもらっては困る、ということなんですよね?
さらに、論理式で扱えるように、
「化学物質過敏症はきわめて稀だが存在することは真である」という命題に、言い換えてはならないと強く考えているということですよね?
まったく意味も理屈もよくわかりませんが、NATROM氏がそう言い張られる以上、もう、これは、そういうことでいいです。
こちらが敗北宣言をしたのではありません。
議論にならない、というより、議論の前提の確認もできない状態いである、ということを確認しただけです。
=続く=
269
:
mortan
:2013/05/20(月) 15:52:52 ID:e7MRQzJU
=続き=
>>266
>>ということで、「農耕地に使用される、特殊なネオニコチノイド農薬の地域は制限されている」という事実と、「ホームセンターの園芸用品やペット用カーペットにも使われるように製品化されたネオニコチノイド系殺虫剤の商品はある」という事実は、論理矛盾もなく、また、現実社会において矛盾なく共在している実際の出来事です。
>mortanさん以外の読者のみなさんは理解していると思いますが、念のためにもう一度言います。特殊なネオニコチノイド農薬と製品化されたネオニコチノイド系殺虫剤の違いの話をしているのではありません。mortanさんが何に反応するかという話をしています。
そんなことは当たり前です。
私は、「製品名」を見ていちいち反応しているのではなく、
ネオニコチノイド系といわれる、おそらく、その科学構造に反応しているのですから。
コシヒカリの農薬と、ペットのダニ用殺虫剤と、喫煙者の呼気に含まれるニコチンに反応した際の、症状がまったく同じだからです。
この、私の身体内部で起きている真実を、丁寧に現象学的に説明しようとしていましたが、それでも無駄なようなので、今、感じたままを言っておきます。
後になって、この化学式に反応し、症状を起こす機序は必ず解明されるはずですので。
というのは、私の身体内の苦痛は、錯覚や思い込みではなく、事実ですから。
ただ、それこそ「客観」という壁がありますね。
「自己の苦痛」がいかに「他者」に伝えることができるか、が、今回の現象学的アプローチの課題でしたが、それは、もうここでは展開しません。理解されていないようですので。
ということで、あなたは、ただ、化学物質過敏症の発症機序の「客観的、科学的な」解明、ニコチン系化学式の物質とヒトの神経系との反応の関係の「客観的、科学的な」解明をただ待っていればいい。
ただ、この掲示板の私の文章は、私の著作物ですので、絶対に消さないで、ログででも残しておいてください。
もう、それでいいです。
>「どこにでも散布できるよう許可されているような薬剤ではない」ゆえに「私自身の反応によって、極めて正確な範囲を絞ることができる」とmortanさんは主張していました。
はい。その通りです。
>しかしながら、「製品化されたネオニコチノイド系殺虫剤の商品」にもmortanさんが反応するのであれば、「私自身の反応によって、極めて正確な範囲を絞ることができる」という主張は否定されます。
本当に、何言ってるんですか、あなたは。
私は、地域名に反応しているわけでも、製品名に反応しているわけでもない。
製品名が違い、成分配分量が違っても、ネオニコチノイドがある場所は、目をつぶっていても、わかる、と言っているのです。
だから、最初のころに言ったと思いますが、ホルムアルデヒドではなく(私は、それに反応しているのかどうかは、自覚していません。つまり、症状と原因との間の関係の確認が取れていません)ではなく、ニコチン系物質で、二重盲検法テストをしていただければ、陽性の結果になる、と言っているのです。
しかし、<「私自身の反応によって、極めて正確な範囲を絞ることができる」という主張は否定されます>という表現は、本当に笑わせてくれます。
「農薬が使われている地域・範囲」と「ネオニコチノイド系殺虫剤」という文章の違いで、主張することができるとでも?
再度、言います。
私が言っているのは、「範囲名」「地域名」「製品名」に反応して、わざわざ苦しんでいるのではない。
そこが、どの範囲に散布されていようと、その地域で使用されていようと、どの製品に使用されていようと、そこにネオニコチノイド系殺虫剤があれば、なぜかわかりませんが、つまり、その発症機序が私に解明できる術はありませんが、「わかる」といっているのです。
=続く=
270
:
mortan
:2013/05/20(月) 15:53:38 ID:e7MRQzJU
=続き=
>>266
「ああ、わかっちゃう人ね」という事ですませられる話ではないんです。
事実、ネオニコチノイド系殺虫剤やたばこ(共通する限り、おそらく、ニコチンの化学式)に反応して、意識喪失したり、悶え苦しんだりしているわけですから。
これは、しかし、どう強調しても、真実だと主張しても、
NATROM氏は、「パニック障がい」に似ている、と言われるのでしょうね。
それでは、もう構いません。
化学物質過敏症の発症機序が解明され、ニコチンの化学式のヒトの神経系への影響の機序が解明された際は、
おとなしく、科学者として、恥じてください。
>mortanさんが反応し、後にその場所が「特殊なネオニコチノイド農薬の地域」であれば「私自身の反応によって、極めて正確な範囲を絞ることができる」という根拠が強化され、その場所が「特殊なネオニコチノイド農薬の地域」でなければ、「製品化されたネオニコチノイド系殺虫剤の商品」やその他排気ガスやタバコやボールペンなどに反応したとして説明されるでしょう。
何を言おうとしているのか、まったく意味がわかりません。
私は、ただ、自分が実際に反応している身体内の事実を告げているだけです。
そして、それが「事実」である以上、NATROM氏の予想しているようなことは絶対に起こり得ません。
なぜなら、ただ、事実は作られるのではなく、解明されるのですから。
自分の反応の原因物質の想定が違ったら、私が、それでは、それは違いました、実は、こっちに反応していたのです、ということが言いたいのですか。
それは、まったくあり得ません。
なぜなら、私の反応は、ニコチン(ネオニコチノイドとたばこ)の場合、ディーゼル排気ガスの場合、LPG排気ガスの場合、
ボールペンなどのVOC(揮発性有機物)の場合、抗菌剤の場合、
次亜塩素酸系殺菌剤の場合、柔軟剤の場合、直鎖アルキルベンゼンスルホン酸ナトリウムの場合
(この、私は聞き慣れなかった界面活性剤はアリエールやトップなどに含まれていますが、ほかの石けんや洗剤などを相当数使い比べて苦しくないものを選び、その結果、消去法で、原因はこの物質以外ではないはず、というところまで原因探索した結果です)
それぞれに、まさに、一体一対応して、正確な再現性をもって、反応の症状が違いますので、もしかしたら、多くの別のものが混ざっていたら、原因が何かについて混乱するかもしれませんが、2つ、もしくは3つくらいなら、二重盲検法で陽性になる「自信」はあります。
こちらは、理屈ではなく、自分の苦痛を軽減するために、数年間、何度も商品を買っては捨てて、試してきたのですから。
=続く=
271
:
mortan
:2013/05/20(月) 16:06:30 ID:e7MRQzJU
=続き=
>>266
>ホメオパスがけっして「ホメオパシーが効かなかった」と認めないように、地震雲の研究者がけっして「地震雲を観察しても地震が起きなかった」と認めないように、
それらの事はまったく知りませんし、関心がなく、否定も肯定もしようがありませんが、
次の例示だということは理解しています。
>mortanさんはけっして「反応が起きたが化学物質の曝露は無かった」と認めないでしょう。
いいえ。二重盲検法テストで、もし陰性だったら、NATROM氏の言われるように「パニック障がい」の可能性があるかもしれませんので、精神科医に受診します。
とにかく、どっちでもいいので、私は、自分の苦痛を無くしたいだけです。
そして、今、その症状の描写に、いちばん近いと感じているのが「化学物質過敏症」ということです。
私は、別に、NATROM氏の主張を否定したいわけでも、「化学物質過敏症」を立証したいわけでもありません。
その苦痛からただ逃れたいだけです。
その原因がわかるならと、日夜、さまざまな原因探索をしては、失敗、しては失敗、でももしかしてこれか?、ということを数年間、繰り返してきた、というだけです。
>ホメオパスや地震雲の研究者やmortanさんの誤認は、確証バイアスで説明可能です。
なるほど「原因探しバイアス」という定義不明な勝手にねつ造された造語なら理解不能ですが、「確証バイアス」なら、確かに、「説明は可能」でしょうね。
>確証バイアスをできるだけ取り除いた検証方法(化学物質過敏症の場合は盲検下負荷試験)が必要ですが、強く確信している人にはそのような説明は通じません。
最初に宣言したように、私はおそらく「真性の化学物質過敏症らしいから、二重盲検法試験の実験を一緒にしませんかと持ちかけたくらいですから(というのは、大学病院など、試験器具の準備、および、実験結果を発表する環境にある可能性もあると思ったので)、私も、そこは、NATROM氏とまったく同感で、
「確証バイアスをできるだけ取り除いた検証方法(化学物質過敏症の場合は盲検下負荷試験)が必要」であると確信しています。
>強く確信している人にはそのような説明は通じません。
そういう人も中にはおられるのかもしれませんが、そうかもしれないと思われる人と、私は会ったこともないし、ネットでやりとりしたこともないので、そういう人がどういう挙動をされるかわかりませんが、
説明が通じないほど、何かを強く思い込んでいる状態の人もいる、という意味合いは理解しました。
272
:
mortan
:2013/05/20(月) 16:37:18 ID:e7MRQzJU
>>267
>>それは、NATROM氏は化学物質過敏症について、以下のどの立場だということでしょうか?
>1)その書き込み通り、懐疑論であり、否定論ではない否定論が「化学物質過敏症は存在しない」という強い主張のことを指すのであれば、私の立場は否定論ではありません。
そうなんですか。
ホームページ「化学物質過敏症に関する覚え書き」の、
「臨床環境医の言う「(多種類)化学物質過敏症」は科学的に十分な根拠のあるとは言えない概念だと考えています。」
という発言から、暗に否定的な立場と考えていましたが、
「否定論」ではなく、「懐疑論」である、と言われることは理解しました。
>>>「化学物質過敏症とよばれるものがあり、中には実際に化学物質が原因であるものもあるかもしれないが、他の理由も考えられる」これだけの話だと理解していますが、
>>私としては、NATROM氏の主張はそうではないように読めますが、
>>ご本人はいかがでしょうか?
>AH1さんの理解で正しいです。
そうなんですか。
質問の文体構造が何かできすぎた(つまり不自然な)正解を誘導するための質問のような疑惑というか、「国会の質疑応答・想定問答集」のような感触は受けますが、
NATROM氏の見解は理解しました。
>>5
、まれに化学物質過敏症の患者も存在する(例の「または」論議で確認したNATROM氏の新しい主張です)
>間違いです。より正確には「5、まれに化学物質過敏症の患者も存在するかもしれない」とか「5、まれに化学物質過敏症の患者も存在する可能性は否定できない」とかと表現すべきです。
その見解は、理解しました。
>>6
、ただ、患者の多くの場合は、確証バイアスによって、関係ない化学物質を原因だと誤認して発症している
>正確ではありません。「確証バイアスによって、関係ない化学物質を原因だと誤認してしる患者もいる」のほうが正確です。
なるほど、化学物質過敏症の患者の多くが誤認による発症であると、疾病自体の発症機序の可能性を今、否定してしまっては危険性が高いから、
まったく別のものが原因かもしれないし、そのほかの化学物質が原因かもしれない、という余地を残す、ということですね。
そう言われるなら、そうなのでしょう。
その立場は理解しました。
=続く=
273
:
mortan
:2013/05/20(月) 16:39:07 ID:e7MRQzJU
=続き=
>>267
>>7
、発症機序としては、パニック障がいに似ている
>正確ではありません。「パニック障害として説明可能な化学物質過敏症症例もある」のほうが正確です。
なるほど、これも、化学物質過敏症の発症機序自体が本当に解明された時の余地を残したいという文体ですね。
その立場は理解できます。
また、化学物質過敏症と自称というか思い込んでいて、実は、診断したら、パニック障がいやほかの精神疾患であった、ということは、想像はできます。
その実例を、見たことも、会ったことも、聞いたこともありませんが。(当然、個人情報ですから、そんなデリケートな情報を、いち個人の私が知り得ようもありませんが)
>なお、パニック障害と化学物質過敏症に共通点があるという見解は別に私のオリジナルではありません。というか、一般的な臨床医であれば誰でも思いつくようなものです。
それはそうでしょう。
>>それを、なぜ、NATROM氏は、いとも簡単に、「化学物質過敏症は存在しない、存在したとしてもまれでしかない」という『結論』を導くことが「できた」のでしょうか?
>盲検下負荷試験がネガティブな結果だからです。化学物質過敏症が存在し稀ではなかったとしたら、盲検下負荷試験でポジティブな結果がでるはずです。
見解は理解しました。
いずれ、海外でも日本でもどちらでも、信頼できる公的機関によって、正確な患者人選と公平性のある疑義の出ないテストがなされ、自分自身の体感覚からとっては当然の結果であるはずの、陽性の結果が出ることに期待します。
>>>【1】〜【3】できちんと根拠を示した上で、「現時点では、化学物質過敏症は存在しないか、存在したとしてもきわめて稀であると言える」としているわけですが、
>>>の文の中に、「きわめて稀ではあるが化学物質過敏症は存在する」という内容が含まれていますか?
>>それは、NATROM氏本人に聞かれるのがいいと思います。
>>そう主張されている方ですので。GBさんの解釈が正しいです。
>「きわめて稀ではあるが化学物質過敏症は存在する」とは私は主張していません。
それはもういいです。
「もういい」という理由は、すでに明言した通り、敗北宣言でも議論集結でもなく、ただ、議論の前提となる重要な要件を満たした論争相手ではなかった、というだけのことです。
274
:
mortan
:2013/05/20(月) 17:32:33 ID:e7MRQzJU
なお、NATROM氏が、意図的か否か、
あるいは答えられなかったのかはわかりませんが
こちらからの質問に答えなかった事項について
こちらは忘れているわけではありません
ご回答をお待ちしています
275
:
mortan
:2013/05/20(月) 23:58:09 ID:e7MRQzJU
答えていただいていない、まず一つは次の質問についてです。
--------------------------------
>>208
>>PAMの場合は、そのようなことを考える前に、身体内で、パチンと効果があった、という実感がありました。
>まさしくそのような実感はプラセボ効果であったことを強く示唆します。PAMの特異的効果はもっとゆるやかに効果を発揮します。
そうでしょうか。「特異的効果」が発現することと、身体感覚がどう感じるかは、別の問題です。
ちなみに、PAMが発現する「特異的効果」を記述していただけますか?
--------------------------------
これについてお答えがありません。
PAM(プラリドキシムヨウ化メチル)は、救急性・緊急性が高いと思われる、有機リン毒物の解毒のために投与される中和剤ですが、その「特異的効果はもっとゆるやかに効果を発揮」する、というなら、それは、本当に解毒剤として有効と言えるのでしょうか?(もちろん、今は、さらに有効な解毒剤が開発されているとは思いますが)
体感的にも上記の通りでしたが、理論的・常識的に考えても、解毒剤の効果の発現がゆるやかだとは、にわかには信じ難いことです。
ということで、NATROM氏が言われる「(意外に早く効いたという私の)実感はプラセボ効果であったことを強く示唆します。」とまで断言された根拠とされた、「PAMの特異的効果はもっとゆるやかに効果を発揮します。」ということについて、薬効データなどを含めて、説明を求めます。
コリンエステラーゼ (ChE) の酵素活性中心に結合することで、神経伝達物質アセチルコリンの分解作用を失活させ、中毒症状を起こさせる有機リン剤に対して、ChEの活性を回復させて解毒させるという機序だと思いますが、
PAMによるChEの活性回復が、NATROM氏によると、「ゆるやかに効果を発揮する」ということでしょうか?
276
:
NATROM
:2013/05/21(火) 09:33:33 ID:???
>今回の一連のやりとりについて、結局、NATROM氏が、そういう発言でしか議論に着地点を見出すことでしか事態を収拾できない、ということは非常によくわかりました。
途中から私は議論はしておりません。途中から議論はあきらめています。
>私の体験上、化学物質過敏症という言語体系に対応する症状群は、必ず存在する、と身をもって実感していますので、
「狐憑きは必ず存在する」と身をもって実感していた人もいたでしょうね。
>議論にならない、というより、議論の前提の確認もできない状態いである、ということを確認しただけです。
その通りです。その責任はmortanさん側にあると私は考えており、読者にもそのことが明確にわかるようにしております。
>ネオニコチノイド系といわれる、おそらく、その科学構造に反応しているのですから。
だとしたら、「どこにでも散布できるよう許可されているような薬剤ではない」という主張の意味がなくなります。
>というのは、私の身体内の苦痛は、錯覚や思い込みではなく、事実ですから。
苦痛は錯覚や思い込みではなく事実でしょう。しかし、その苦痛が化学物質由来であるというのは、思い込みかもしれません。これまでの盲検下負荷試験の結果を考慮するに、mortanさんの苦痛が化学物質由来であるというのは、思い込み「かもしれない」というだけではなく、思い込みである「可能性がきわめて高い」と考えられます。
>そこが、どの範囲に散布されていようと、その地域で使用されていようと、どの製品に使用されていようと、そこにネオニコチノイド系殺虫剤があれば、なぜかわかりませんが、つまり、その発症機序が私に解明できる術はありませんが、「わかる」といっているのです。
盲検下負荷試験がなされていない限り、その「わかる」という自己申告は思い込みである「可能性がきわめて高い」と私は考えます。少なくとも、「農耕地に使用される、特殊なネオニコチノイド農薬の地域は制限されている」という事実からは「わかる」という主観は正当化されません。なぜなら、「特殊なネオニコチノイド農薬の地域」は制限されているかもしれませんが、「製品化されたネオニコチノイド系殺虫剤の商品」は制限されていないからです。
277
:
NATROM
:2013/05/21(火) 09:36:11 ID:???
>それぞれに、まさに、一体一対応して、正確な再現性をもって、反応の症状が違いますので、もしかしたら、多くの別のものが混ざっていたら、原因が何かについて混乱するかもしれませんが、2つ、もしくは3つくらいなら、二重盲検法で陽性になる「自信」はあります。
可能性としては、mortanさんが「ごく稀には存在する真の化学物質過敏症患者」ということもありえるでしょう。しかしながら、盲検下負荷試験の被験者となった患者たちの多くも、おそらくは『二重盲検法で陽性になる「自信」』はあったでしょうね。結果はネガティブだったのですが。「身をもって実感」とか「二重盲検法で陽性になる自信がある」とか、そういう主観は証拠にならないのです。長々とそういう主観をお書きになる必要はありません。
>その苦痛からただ逃れたいだけです。
>その原因がわかるならと、日夜、さまざまな原因探索をしては、失敗、しては失敗、でももしかしてこれか?、ということを数年間、繰り返してきた、というだけです。
それならばここで長文を書くのではなく、しかるべき医療機関に受診するのをお勧めします。mortanさんが真の化学物質過敏症患者であると思っていらっしゃるのなら、文句を言う相手は私ではなく、臨床環境医です。「臨床環境医たちがデタラメな基準で化学物質過敏症の診断を乱発したせいで、私のような真の化学物質過敏症患者までニセモノ扱いされる」と。私の批判対象は患者さんではなくインチキ医学者です。化学物質過敏症の少なくとも一部は、臨床環境医によって作られた医原病だと私はみなしています。mortanさんの苦痛は、「その症状は化学物質のせいである」という誤った認識を植えつけられたせいかもしれませんよ。
>ちなみに、PAMが発現する「特異的効果」を記述していただけますか?
「身体内で、パチンと効果があった」というような速やかな効果はありません。作用機序からいっても実地臨床からいってもそうです。有機リンの毒性はアセチルコリンエステラーゼ阻害です。アセチルコリンエステラーゼが阻害されるとアセチルコリンが分解されずアセチルコリン過剰となり、これが諸症状を引き起こします。PAMは有機リンとアセチルコリンエステラーゼの結合を切断することで作用を発揮します。PAMは経静脈投与ですが、それでもアセチルコリンエステラーゼと結合した有機リン全体にPAMが行き渡るにはタイムラグがあります。よしんば速やかに行きわたったとして、アセチルコリンエステラーゼが活性を取り戻しても過剰なアセチルコリンはそのままです。過剰なアセチルコリンが徐々に分解されることで徐々に症状が改善していきます。
ついでながら、PAMの特異的効果によって症状が改善したのであれば、その症状は「化学物質過敏症」ではなく「有機リン中毒」によるものです。化学物質過敏症と中毒は異なります。そもそも、「嘔吐や激しい頭痛、錯乱、全身痛」というのは有機リン中毒の特徴的な症状ではありません。
278
:
mortan
:2013/05/21(火) 10:06:21 ID:e7MRQzJU
>>276
>>今回の一連のやりとりについて、結局、NATROM氏が、そういう発言でしか議論に着地点を見出すことでしか事態を収拾できない、ということは非常によくわかりました
>途中から私は議論はしておりません。途中から議論はあきらめています。
残念ですが、また、あなたにとって不本意のように聞こえてしまうのかもしれませんが、
議論はまだ始まってすらいません。
ですから「議論ができる前提要件の欠如があることに気付いた」という趣旨の感想を述べたのです。
始まってもいない議論を途中から「あきらめた」と感じることができた、ということは、
おそらく「確証バイアス」によって、自分があたかも、一端の「科学者」ででもあるかのように、
まだ、未解明である疾病「化学物質過敏症」という大テーマについて、自分では「議論」できていたつもりでいた、ということなんですね。
極めて興味深い文体変節です。
>>私の体験上、化学物質過敏症という言語体系に対応する症状群は、必ず存在する、と身をもって実感していますので、
>「狐憑きは必ず存在する」と身をもって実感していた人もいたでしょうね。
そういう人もいるのでしょうね。私にはわかりません。
ただ、私の、身体内には、紛れもない事実、しかも、現象学的還元を通して、さまざまな夾雑物をそぎ落とした、純粋な<本質直感>においても把持されるところの<痛み>や<苦しみ>という現実を体験していますので、
私は、その<現実体験>と、「化学物質過敏症という言語体系によって、諸症状の中から、<構造主義的>に<分節化>されている一連の「症状群」に<照応>し、対応している、と言っているのです。
>>議論にならない、というより、議論の前提の確認もできない状態いである、ということを確認しただけです。
>その通りです。その責任はmortanさん側にあると私は考えており、読者にもそのことが明確にわかるようにしております。
それはあなたの思索の中だけの「確証バイアス」による確信でしかないと思います。
議論を進めようとして論議を展開してきたのは私であって、あなたは常に逃げきただけです。
つまり、あなたは意図的に議題をそらし、結局、議論は「すれ違ってきた」だけです。
もちろん、簡単な質問に対する回答はありました。
しかし、そんな内容のやりとりをもって「議論がなされた」と呼ぶ人は、哲学界にも、そしておそらく科学界にもいません。
医学界にはおられるのですか? 「質疑応答」とはいうかもしれませんが。
=続く=
279
:
mortan
:2013/05/21(火) 10:41:06 ID:e7MRQzJU
=続き=
>>276
>>ネオニコチノイド系といわれる、おそらく、その科学構造に反応しているのですから。
>だとしたら、「どこにでも散布できるよう許可されているような薬剤ではない」という主張の意味がなくなります。
まだ、すでに確言したその部分の理解ができないのですか?
大丈夫ですか?
1)「どこにでも散布できるよう許可されているような薬剤ではない」と言ったのは、あまりに使用されている地域が限定されているため、私が、おそらく農水省などの監督官庁や、全農などによって、地域が指定されている、と考えているいたからだと、すでに述べました。
2)なお、その限定をどこが決定し、指導しているか、という農薬の使用責任の管理組織問題については関心がないと述べました。関心があるなら、聞けばわかることだと。
3)そして、問題は「地域名」や「範囲名」や「製品名」ではないと述べました。
4)その上で、ホームセンターで販売されている製品の中にも、ネオニコチノイド成分を配分して、販売している殺虫剤などがあると述べました。
5)ですから、私としては、間違っていたのかもしれないし、事実正しいことなのかもしれませんが(答えは農水省の担当部署にあると思いますが)、
私の、「『どこにでも散布できるよう許可されているような薬剤ではない』という主張」が意味がなくなったところで、何の問題もありません。そこにはこだわっていません。
6)問題は、それをどこで販売しているか、どこで散布しているか(範囲や地域や作物銘柄)にはまったく関係がないことだ、ということはわかりますか?
それは、ただの、薬剤販売管理の問題でしかありません。
そして、「言葉上矛盾があるかどうか」などということは、実際に監督官庁に確認すればいいことであって、そんなことは私には関心がありません。
7)つまり、結論は、「ネオニコチノイド系といわれる、おそらく、その科学構造に反応しているのですから。」ということです。
というか、私の文章が、監督官庁に確認するまでの間、「矛盾していそうにみえる」ことが、そんなに気になりますか?
しかし、私が実際に調べて、どこの官庁が、ネオニコチノイドの中のどの薬剤について、どの範囲で散布することを決定しているかいないか、使用範囲を定めているかいないか、どの成分量含有範囲なら販売してよいと許可しているか、ということを逐一、提示しないと、文体上の矛盾としてしか事の<本質>が捉えられずに、納得できないのですか?
いいかげん「客観的に」みても、あなた、おかしい人に見えますよ。
再度、言います。
私は、原因探索の結果、「ネオニコチノイド系といわれる、おそらく、その科学構造、または、科学式に反応しているらしいと思われる」ということです。
これを否定するのに、これ以上、
a)「ネオニコチノイド系農薬=殺虫剤の『事業用』使用の場合に使用が監督制限されている可能性がある範囲に、私が反応している」と言ったことと、
b)「ネオニコチノイド系農薬=殺虫剤の『販売用』使用の場合のネオニコチノイド成分量配分の監督指導と販売流通許可のもと、販売用されている薬剤にも同様に反応する」と語ったことが、
本心から「矛盾している」と思われているのでしたら、本当に、ホームページなどでホームページなどで調べたり、監督官庁に問い合わせたりしてみましょうか?
そうすると、結論は、「あなたにでも」はっきりわかるようになると思います。その代わり、あなたの逃げ道はどこにもなくなりますが、いいですか?
ちなみに、上記の a)とb)のようような命題は、論理的にも、また、文体的にも、学的には、『矛盾』と呼ばれるものではなく、
ただの、「一つの化学物質を含有する製品を製造する際に、『事業用』としては、どのような指針で製造され、販売許可され、使用がされているか(その際に、使用地域に許可された範囲などがあるか)ということ」と、
「同じ化学物質を含有する製品を製造する際に、『家庭使用を前提とした販売用』としては、どのような指針で製造され、販売許可されているかということ」という、
『事業用』か『販売用』かの、使用・販売形態の違いの述べた、二つの文章にしか、私には見えませんが。
=続く=
280
:
mortan
:2013/05/21(火) 11:07:11 ID:e7MRQzJU
=続き=
>>276
>>というのは、私の身体内の苦痛は、錯覚や思い込みではなく、事実ですから。
>苦痛は錯覚や思い込みではなく事実でしょう。しかし、その苦痛が化学物質由来であるというのは、思い込みかもしれません。これまでの盲検下負荷試験の結果を考慮するに、mortanさんの苦痛が化学物質由来であるというのは、思い込み「かもしれない」というだけではなく、思い込みである「可能性がきわめて高い」と考えられます。
あなたの「確証バイアス」で「思い込み「かもしれない」というだけではなく、思い込みである「可能性がきわめて高い」と考えられます。」と言われているるわけですね。
ですから、そういうことが起きないよう、私は、被験者になっても構いませんので、二重盲検法テストをしてみましょう、と提案したのです。
それについては、試験ができる環境に所属していない臨床医である(研究医ではなく)という回答が返ってきました。
そして、実証責任を負うのは、主唱者側であると言われました。
そういわれるなら(つまりそちらにその規模の実験環境や論文発表の環境がないなら)そうかもしれません。
ただ、私は、必ずしも主唱者側の責任だけではなく、もはや、国際的な、また、国家的な問題として、政府機関や、国立大学の組織などで、マウス実験などを含めて(すでに進めているところはあるのかもしれませんが)、まず医学的にこの実証実験をし、社会的に責任をもって進めて行くべき段階に来ていると感じています。
>>そこが、どの範囲に散布されていようと、その地域で使用されていようと、どの製品に使用されていようと、そこにネオニコチノイド系殺虫剤があれば、なぜかわかりませんが、つまり、その発症機序が私に解明できる術はありませんが、「わかる」といっているのです。
>盲検下負荷試験がなされていない限り、その「わかる」という自己申告は思い込みである「可能性がきわめて高い」と私は考えます。
その立場は理解しました。
そう言われるなら、その可能性もあるでしょうね。
ただ、私は、近い将来い、海外か国内かわかりませんが、
研究機関による、化学物質過敏症の発症機序を解明・実証した論文が発表されることと思っています。
>少なくとも、「農耕地に使用される、特殊なネオニコチノイド農薬の地域は制限されている」という事実からは「わかる」という主観は正当化されません。なぜなら、「特殊なネオニコチノイド農薬の地域」は制限されているかもしれませんが、
ああ、そこまでは認識を進めて、認めることが、ようやくできたんですね。
>「製品化されたネオニコチノイド系殺虫剤の商品」は制限されていないからです。
ところが、この文章の意味、すなわち、何を言おうとしている趣旨の発言なのか、まったくわかりません。
まず、「販売は制限されていない」ということと、
「その製品を購入した人がどこの家庭に持ち帰って、その庭木の害虫駆除に使うかわからない」という現実について、
もしかしたら、机上では、理解できませんか?
そして、私が、ネオニコチノイド農薬を使用している農耕地帯以外で、同じ苦痛を体感するのは、
1)喫煙者の呼気に含まれているニコチン成分、とともに、
(原因探索の結果、なぜ、そう原因特定しているかというと、吸殻に特有のいがらっぽい匂いのタールには反応しないからです。もちろん、ほかの化学物質の可能性もあるでしょうが、ネオニコチノイド農薬とまったく同じ症状が出ることから、おそらく、ニコチンの化学式、科学構造が鍵である可能性が高いと考えています。ただし、発症原因によるのか、反応物質には個人差があり、たばこに反応しない患者もいるようです)
2)ホームセンターの園芸用品売り場、および、
3)その殺虫剤を噴霧したと思われる、一部の立派な家庭の庭木のある塀のそばに駐車した時、です。
281
:
mortan
:2013/05/21(火) 11:57:53 ID:e7MRQzJU
>>277
>>それぞれに、まさに、一体一対応して、正確な再現性をもって、反応の症状が違いますので、もしかしたら、多くの別のものが混ざっていたら、原因が何かについて混乱するかもしれませんが、2つ、もしくは3つくらいなら、二重盲検法で陽性になる「自信」はあります。
>可能性としては、mortanさんが「ごく稀には存在する真の化学物質過敏症患者」ということもありえるでしょう。
そうかもしれませんね。
>しかしながら、盲検下負荷試験の被験者となった患者たちの多くも、おそらくは『二重盲検法で陽性になる「自信」』はあったでしょうね。
同じく、そうだったんでしょうね。
>結果はネガティブだったのですが。
理解しています。
>「身をもって実感」とか「二重盲検法で陽性になる自信がある」とか、そういう主観は証拠にならないのです。長々とそういう主観をお書きになる必要はありません。
ここで恥ずかしげもなく「主観」と来ましたか。
あそこまで、延々と「議論」というか私の発言の中で<記述>してきたのに。
この「主観」なる、素朴な「主客二元論」の世界観に基づく、「客観性が担保されていない」という、無批判的な一言で、
化学物質過敏症の「内実」を、内側の<意識>から<記述>するという現象学的試みを、簡単に排除してほしくないために、
「認識論」と「存在論」、「認識」と「存在」、「主観=主体」と「客観=客体」との乖離の実情について、注意深く、記述してきたにもかかわらず。
>>その苦痛からただ逃れたいだけです。
>>その原因がわかるならと、日夜、さまざまな原因探索をしては、失敗、しては失敗、でももしかしてこれか?、ということを数年間、繰り返してきた、というだけです。
>それならばここで長文を書くのではなく、しかるべき医療機関に受診するのをお勧めします。mortanさんが真の化学物質過敏症患者であると思っていらっしゃるのなら、文句を言う相手は私ではなく、臨床環境医です。「臨床環境医たちがデタラメな基準で化学物質過敏症の診断を乱発したせいで、私のような真の化学物質過敏症患者までニセモノ扱いされる」と。私の批判対象は患者さんではなくインチキ医学者です。化学物質過敏症の少なくとも一部は、臨床環境医によって作られた医原病だと私はみなしています。mortanさんの苦痛は、「その症状は化学物質のせいである」という誤った認識を植えつけられたせいかもしれませんよ。
あなたの「確証バイアス」がかかった疑似科学的な、机上の理屈・空想ではそうなのでしょうね。
私は、まったくそう考えていませんし、先に述べた通り、いずれ、正確な実験データと、発症機序の解明、疾病概念の確立がなされることに期待しています。
=続く=
282
:
mortan
:2013/05/21(火) 12:03:14 ID:e7MRQzJU
=続き=
>>277
>>ちなみに、PAMが発現する「特異的効果」を記述していただけますか?
>「身体内で、パチンと効果があった」というような速やかな効果はありません。
そうですか。
ただ、体感があったことは事実ですので、それでは、その「体感覚」は、脳内に直接作用し得るブドウ糖液か何かが認知神経系の何かに何らかの作用をした結果に過ぎなかった、ということなのかもしれません。
それでは、「身体内で、パチンと効果があった」という私の感覚は、「PAM特有のものと錯覚した」ということについては、いったんは認めましょう。
あえて「いったんは」と書いたのは、後述の仮説の通りです。
実際は、ぐったりしていて、その際は、ほとんど意識がなかったので、これで治るならという、まさに典型的な(メタファーで使われる多くの場合ではなく)「プラシーボ効果」だったかもしれません。
ただ、PAMが原因だったかどうかは別として、意識は輸液が終わり、しばらく処置台で眠って目覚めた際、また、帰りもよたよたはしていましたが、輸液前とはまったく違いました。
>作用機序からいっても実地臨床からいってもそうです。有機リンの毒性はアセチルコリンエステラーゼ阻害です。アセチルコリンエステラーゼが阻害されるとアセチルコリンが分解されずアセチルコリン過剰となり、これが諸症状を引き起こします。PAMは有機リンとアセチルコリンエステラーゼの結合を切断することで作用を発揮します。PAMは経静脈投与ですが、それでもアセチルコリンエステラーゼと結合した有機リン全体にPAMが行き渡るにはタイムラグがあります。よしんば速やかに行きわたったとして、アセチルコリンエステラーゼが活性を取り戻しても過剰なアセチルコリンはそのままです。過剰なアセチルコリンが徐々に分解されることで徐々に症状が改善していきます。
あなたが言おうとしている意味は全て理解しました。
発売元が発表しているデータで確認していました。
その上で、確かに、私は、北里研究所病院で、化学物質過敏症と農薬中毒と診断されましたので、
今回のPAM点滴は確かに急性有機リン中毒として処置してもらったわけですが、
発症機序さえわかっていない「化学物質過敏症」が、本来中毒を、普通の人なら起こすはずがない微粒子に反応して症状を引き起こしているのだとすれば、
その中和剤であるPAMのが、まだ解明されていない機序で作用した、という可能性は排除できませんね。
>ついでながら、PAMの特異的効果によって症状が改善したのであれば、その症状は「化学物質過敏症」ではなく「有機リン中毒」によるものです。化学物質過敏症と中毒は異なります。
そこが今後の「鍵」となってくるものと思われます。
懐疑論のあなたにとってではありません。あなたには関係がないことです。関心がないことでしょうから。
なぜ、一部の人が、きわめて微量の化学物質に毒性の反応を起こし、また、その他の症状も併発させ、
そして、なぜ、PAMが、いまだ解明されていない機序で作用し、
症状を軽減することになったのか。
その際に媒介する体内物質は何なのか。
アレルギー症状で、ようやく数十年前、血中のIgE(免疫グロブリンE)の挙動との関わりが発見され、近年になって、ようやく、さまざまなブロック製薬が開発されているように、
化学物質過敏症についても、そのように、未解明な領域に「鍵」が隠されているのかもしれません。
もちろん、仮説です。
>そもそも、「嘔吐や激しい頭痛、錯乱、全身痛」というのは有機リン中毒の特徴的な症状ではありません。
これについては、上記で述べた通り。
あえて、再度まとめると、PAMは確かに有機リン中毒の解毒剤として静注されたが、
通常の機序通り、有機リン中毒症状を軽減させたとともに、
どういうメカニズムかはまだ未解明だが、併発するそれらの「嘔吐や激しい頭痛、錯乱、全身痛」の軽減にも寄与した、ということに、結果としてなったのかもしれません。
もちろん、仮説です。
ちなみに、有機リン農薬を含む雑草を野焼きしている地域を通ると、これらの症状、とくに腰が曲がるくらいの全身痛、は再現性をもって、毎週毎週、2年間、起きている時も眠っていた時も、
同様の症状発現を、体験し続けましたので、
あなたに今、机上で、つまり、受診も検査もしていないのに、そう言われても、それらの全てことごとくが、プラシーボ効果であったとは、なかなか確率的には考えにくいことではありますが、
私の体の中での体感覚は<現象学的な本質直感>では明らかに違いますが、
NATROM氏がそう言うのでしたら、そうなんでしょう。「確証バイアス」がかかったNATROM氏の「客観的」な頭の中では。
283
:
GB
:2013/05/21(火) 23:10:34 ID:4gGWytOw
>>278
>私の、身体内には、紛れもない事実、しかも、現象学的還元を通して、さまざまな夾雑物をそぎ落とした、純粋な<本質直感>においても把持されるところの<痛み>や<苦しみ>という現実を体験していますので、
私は、その<現実体験>と、「化学物質過敏症という言語体系によって、諸症状の中から、<構造主義的>に<分節化>されている一連の「症状群」に<照応>し、対応している、と言っているのです。
あなたの痛みや苦しみは伝わりますが、そこに現象学的還元なり「化学物質過敏症という言語体系」なんて、へんてこりんな言葉を挟み込んで飾るのはやめましょう。
現象学の上っつらを撫でて「世界はまずは自分の意識でしかない」、独我論だろ、それでOKてな誤解をするアホウもいるそうですが、そもそもフッサールの「厳密な学」は、たとえば人が、目の前のバナナをバナナだと意識するときの五感を介した推論は、厳密にバナナという客観的実在とは結びつかないってな次元での話ですから。
理念的な事柄の場合、現象を形而上学的な理念や既存の概念で無理に説明しようとすることを避けるという意味では、エポケーはもちろん有効ですが、
化学物質過敏症という、客観的に定義し確かめるべきものを、自分の体験(それは確かにあると思いますよ)だけで、つまり患者自身の判断だけでどうなるものでもないでしょう。
専門医に訴え、納得いくまで頑張ってみてください。
284
:
mortan
:2013/05/22(水) 01:07:08 ID:e7MRQzJU
>>283
>
>>278
>>私の、身体内には、紛れもない事実、しかも、現象学的還元を通して、さまざまな夾雑物をそぎ落とした、純粋な<本質直感>においても把持されるところの<痛み>や<苦しみ>という現実を体験していますので、私は、その<現実体験>と、「化学物質過敏症という言語体系によって、諸症状の中から、<構造主義的>に<分節化>されている一連の「症状群」に<照応>し、対応している、と言っているのです。
>あなたの痛みや苦しみは伝わりますが、
不思議ですが、なぜ「伝わる」と「主観」されたのですか?
NATROM氏の「主客二元論」によって「他者」をどう「理解(認識)」し、「他者」の痛みをどれほどまで「理解」し得るのかに、とても興味があります。
というのは、「他者」の痛み、例えば、主訴について、「客観的」という視点で「理解」する、ということなんですね?
つまり、その「他者」である「患者」は、「これこれ・こういうふうに話している」と「客観的」に「認識」、「分析」の「客体」として、「診断」の要件として、「理解」しているだけである、という意味ですね?
>そこに現象学的還元なり「化学物質過敏症という言語体系」なんて、へんてこりんな言葉を挟み込んで飾るのはやめましょう。
「飾る」という意味(定義)がわかりません。
それはNATROM氏が、私が何を言っているか、理解し得ていないということでしょうか?
「『化学物質過敏症』という言語体系」と言ったのは、<現象学的>というより、ここでは、<構造主義的>な意味合いで言っています。
「化学物質過敏症」という「言語」を使う場合、意味のない発音としてではなく、
疾病概念全体の構造の中で、ほかの疾病ではない、まさに「化学物質過敏症」としか言い得ないという、排他的な言説に対応した<症状>として、
私の身体内で起きている<現象そのもの>のことを指して言っているのですが、理解し得ないですか?
また、<現象学的還元>というのは、何度も言っているように、さまざまな常識などのイドラのような夾雑物からいったん、身体内の痛み自体から、<対自意識>として離れて、それを冷静に<記述>しようとしている事態を述べているのですが、理解しし得ないですか?
>現象学の上っつらを撫でて「世界はまずは自分の意識でしかない」、独我論だろ、それでOKてな誤解をするアホウもいるそうですが、
そんな人は、一時期の「ポストモダニズム」の流行に乗ったバブル前の人はいるかもしれませんが、
現象学を、ただの、「独我論」や東洋哲学の「唯識論」、さらには、ただの「認識論」だとすら勘違いする人間は、たぶん学部生でもいないと思います。
>そもそもフッサールの「厳密な学」は、たとえば人が、目の前のバナナをバナナだと意識するときの五感を介した推論は、厳密にバナナという客観的実在とは結びつかないってな次元での話ですから。
それはまったく違います。逆です。
「五感を介した推論は、厳密にバナナという客観的実在とは結びつかないってな次元での話」という臆見こそ、「主客二元論」の典型的な見方でしかありません。
我々が、通常、日常意識の中で「バナナ」だと「認識」している仕方は、実は、
「主観」の向こう側に独立したかたちで「バナナ」なるものが「ア・プリオリ(先験的)」に「存在」しているのであり、我々は「客観的に」それを「観察」「認識」すればいいのだ、とする「自然科学」の素朴な「主客二元論」を基礎にした見方を、
無意識のうちに反映してしまっているのです。
=続く=
285
:
mortan
:2013/05/22(水) 01:07:48 ID:e7MRQzJU
=続き=
>>283
「バナナ」という「存在」が「ア・プリオリ」に「存在している」と感じている「日常意識」や、
「自然科学」的な「客観的」な知見による「バナナ」とはこういうものだという無批判的な意識などをを、
いったん<エポケー>(=思考停止によって、かっこに入れ、保留する)した上で、
<事象そのものへ>向かう<志向的な意識>によって、その<現象そのもの>がどのように立ち上ってくるのか、現れてくるのかを、厳格に<記述>しようとする態度のことを<現象学的還元>といいます。
その<現象学的還元>という作業のただなかで立ち現れてくるものこそ、
「これはバナナなんだ」とすでに「客観的」に「認識」した「対象=客体」ではなく、
また、日常意識で「これはバナナでしょう。間違いなく」と無意識のうちに受け取ってしまっている「常識」というイドラでもなく、
<本質直感>によって捉えらようとしている、<バナナ>という<事象>の<本質>なのです。
なお、(バナナ)という言語によって、他のものとは差別化された形で一つの言語体系の中で意味づけられているその(バナナ)なるものとして捉える、というのがソシュール言語学から始まり、レビ=ストロースが文化人類学の方法論として確立した「構造主義」です。
以上は、意識の志向すべき対象が、意識の外にある場合について述べましたが(その「もの自体」をア・プリオリに「存在」するものとして純朴に信じる思考法が、近代自然科学の根底をなす「主客二元論」です)、
これを、自分自身の内にある<意識>に適用すれば、<対自意識>の対象として、<世界内存在>(ハイデガー)また、<対自存在>(サルトル)として、<記述>することが可能です。
さらに、今、私が試みようとしてるのは、自己自身、世界地平(メルロ・ポンティ)のただなかで、まぎれもなく身体内で感じ、体験しているところの痛みを、<対自意識>によって、注意深く<現象学的還元>を経ながら、<記述>しようすることによって、
先に書いたように、今後の医療システムにおける「問診(票)」の形に幾らかでも寄与できにかと考えて始めた試みでした。
>理念的な事柄の場合、現象を形而上学的な理念や既存の概念で無理に説明しようとすることを避けるという意味では、エポケーはもちろん有効ですが、
それはそうなのですが、ところで、あなたの、今回の記述の仕方、論理の進め方、および文体は、どこかで見たことような印象を感じますが、何かの入門書ですか?
>化学物質過敏症という、客観的に定義し確かめるべきものを、
自分の体験(それは確かにあると思いますよ)だけで、つまり患者自身の判断だけでどうなるものでもないでしょう。
そんな事は、読み返していただければわかりますが、一度も発言がしてもいませんが、本当に理解し得ないのですね?
>専門医に訴え、納得いくまで頑張ってみてください。
専門医には当然ながら相談しつつ、
それとともに、私自身は、より大きな国際機関または国内機関、あるいは大学研究組織による、より基礎的な研究が進められ、
発症機序を含めた疾病概念についての成果が発表されることに期待しています。
私が試みているのは、自分自身の「苦痛」から逃れるために、患者自身としてどのように、それこそ「確証バイアス」を排除し、<現象学的還元>の手法を援用しながら、
自分自身の身体内体験の<記述>をしようとしてきたことは、理解し得なかったのですか?
医師が「客観的に」「他者」の症状を診るかのように、また、自分が医師にでもなったかのように「客観的に」自分自身の病理学的症状を「診断」できるなどとは、一度も思ったことはありませんし、発言もしていません。
286
:
GB
:2013/05/22(水) 01:15:12 ID:4gGWytOw
はい、あなたの言っていることのすべてを、理解し得ないですね。
287
:
GB
:2013/05/22(水) 01:19:25 ID:4gGWytOw
>専門医には当然ながら相談しつつ、
それとともに、私自身は、より大きな国際機関または国内機関、あるいは大学研究組織による、より基礎的な研究が進められ、
発症機序を含めた疾病概念についての成果が発表されることに期待しています。
もっと複数の医師に相談した方がいいとも思いますがね、老婆心ながら。
288
:
mortan
:2013/05/22(水) 01:20:09 ID:e7MRQzJU
>>286
>はい、あなたの言っていることのすべてを、理解し得ないですね。
もうし、そうなら、現象学を、いちから、つまり、大学1年生の基礎から、学び直す必要があります
ただ、その必要はありません
「あなたが、私の発言を、すべて理解できなかった」という告白を聞いて、納得しました
やはり、議論の前提要件を満たしていないという直感は間違っていなかったようですね
289
:
mortan
:2013/05/22(水) 01:21:27 ID:e7MRQzJU
>>287
>もっと複数の医師に相談した方がいいとも思いますがね、老婆心ながら。
当然ですが、それは行っています
290
:
mortan
:2013/05/22(水) 01:25:11 ID:e7MRQzJU
>>285
>>理念的な事柄の場合、現象を形而上学的な理念や既存の概念で無理に説明しようとすることを避けるという意味では、エポケーはもちろん有効ですが、
>それはそうなのですが、ところで、あなたの、今回の記述の仕方、論理の進め方、および文体は、どこかで見たことような印象を感じますが、何かの入門書ですか?
それと、フッサールの志向対象としてよく挙げられる例示は「リンゴ」ですが、
それがなぜか「バナナ」に変換されていて、微妙に「なぜ?」という違和感を感じました
291
:
GB
:2013/05/22(水) 01:27:03 ID:4gGWytOw
>>288
あなたの「議論の前提要件」というのは、「自分の意見を理解している」ということなのですね。
292
:
GB
:2013/05/22(水) 01:28:32 ID:4gGWytOw
>>290
リンゴよりバナナの方が好きだからです(笑
293
:
GB
:2013/05/22(水) 01:39:49 ID:4gGWytOw
ここでのポイントは、あなたが自分が化学物質過敏症であると、現象学的還元により
確信しているというのは、暴言ないしは妄言である、ということです。
わかります?
294
:
mortan
:2013/05/22(水) 01:42:40 ID:e7MRQzJU
>>289
>
>>287
>>もっと複数の医師に相談した方がいいとも思いますがね、老婆心ながら。
>当然ですが、それは行っています
ちなみに、NATROM氏が「原因探しバイアス」という未定義の造語を
わざわざねつ造してまで、化学物質過敏症患者自身の「原因探索」に対抗し、
「原因回避」行為に疑義を呈す手法として有効であろうと勘違いされた、
最初の契機となったらしい、「確証バイアス」という社会心理学の立派な
術語が効果的に指摘している事態を、クリアしておく必要もありますので、
知人を介して、精神科医とじっくり話してみてもいいかなと思っています。
それで、もし、今の化学物質過敏症への反応がなくなって、
苦痛が無くなれば、それならそれで、いいわけですから。
ということは、まず、NATROM氏が指摘していた「パニック障がい」
なのかどうかを、最初に診てもらう必要がありそうですね。
295
:
mortan
:2013/05/22(水) 01:44:21 ID:e7MRQzJU
>>291
>
>>288
あなたの「議論の前提要件」というのは、「自分の意見を理解している」ということなのですね。
違います。通常の意味でです。
296
:
mortan
:2013/05/22(水) 01:45:04 ID:e7MRQzJU
>>293
>>ここでのポイントは、あなたが自分が化学物質過敏症であると、現象学的還元により確信しているというのは、暴言ないしは妄言である、ということです。
>わかります?
根拠が示されなければ、判断のしようがありません。
297
:
GB
:2013/05/22(水) 01:50:11 ID:4gGWytOw
自分自身の思索をどれほど思いめぐらせて深めようと、自分がどんな病気にかかっているかは
わからない、と思いません?
298
:
mortan
:2013/05/22(水) 02:03:45 ID:e7MRQzJU
>>297
>自分自身の思索をどれほど思いめぐらせて深めようと、自分がどんな病気にかかっているかはわからない、と思いません?
それは当然では?
自分の意識によって立ち現れてくるのは<事象そのもの>でしかありません。
ここでは、志向対象の<苦痛という症状>でしかありません。
それについての疾病概念は、いうまでもなく、疾病概念の提唱と実験とによって確立されるものと思っています。
ただ、現場では、厚労省がどんなに請求レセプト名に「化学物質過敏症」を加えていても、それを理解している医師、理解しようとしている医師は、非常に少ないですね。
ちなみに、歯科医師のジャーナルに載ったからか、歯科医は、病名だけは知っているという医師が内科よりは多いように感じています。
口腔内に、恒常的に詰め物を入れたり、神経をころす薬剤を使ったりするわけですので、アレルギーの観点も含めて、注意はされているようです。
299
:
GB
:2013/05/22(水) 02:13:10 ID:4gGWytOw
病名はともあれ、あなたが苦痛から解放されることが第一義でしょうから、
あなた自身が苦心して、場合によって余計な迷いに苦しむより、
なにより専門医にゆだねることを、重ねておすすめしますが。
300
:
mortan
:2013/05/22(水) 02:22:53 ID:e7MRQzJU
>>299
>病名はともあれ、あなたが苦痛から解放されることが第一義でしょうから、あなた自身が苦心して、場合によって余計な迷いに苦しむより、なにより専門医にゆだねることを、重ねておすすめしますが。
それは理解しています。
ただ、苦痛の只中にあると、興味深いことに、普段から慣れ親しんでいること、
古くからなじんできた思索をするのが、私の場合には、一番楽に感じるようです。「楽」といってももちろん「気晴らし」ということですが。
大脳前頭前野か、海馬か、あるいは、シナプス間物質の何かの具合が活性化するのか、
苦痛自体はなくならないにしても、気を紛らせることはできています。
ですので「余計な迷いに苦しむ」ということはまったくありません。
実は、先週からある反応の症状があって、気晴らしにテレビでも見る、ということさえできない体調なのですが。
301
:
GB
:2013/05/22(水) 02:27:07 ID:4gGWytOw
それならばなおのこと、あまりつきつめて物事を考えることは避け、
ゆったりと時を過ごすことが大切だと思います。ご自愛ください。
302
:
mortan
:2013/05/22(水) 02:30:31 ID:e7MRQzJU
>>301
>それならばなおのこと、あまりつきつめて物事を考えることは避け、ゆったりと時を過ごすことが大切だと思います。ご自愛ください。
大丈夫です。ゆったりと<エポケー>の時を重ねながら、ただ<本質直感>に迫ろうとしているだけですので、
いわゆる「理詰めで物事を突き詰めて考える」という古典的な思考パターンからは、離れていますので。
303
:
mortan
:2013/05/22(水) 18:46:38 ID:e7MRQzJU
>>294
>「確証バイアス」という社会心理学の立派な術語が効果的に指摘している事態を、クリアしておく必要もありますので、知人を介して、精神科医とじっくり話してみてもいいかなと思っています。
>それで、もし、今の化学物質過敏症への反応がなくなって、苦痛が無くなれば、それならそれで、いいわけですから。
念のための補足ですが、もちろん、その精神科医というのは「化学物質過敏症・懐疑派」がいちように固持しているような
「先入見」の「確証バイアス」下にある人ではありません。
普通の議論ができる要件を満たした、未知の疾病概念に対しても、考察でき、
対応できる柔軟で、創造的な、想像力をもった学者、ということです。
そして、その医師と話すというのは、いうまでもなく、「私は(あなたは)『化学物質過敏症』である」とか「私は(あなたは)『化学物質過敏症』ではない」とかいう『確証バイアス』を離れての、
プレーンな意味での相談ということです。
ポイントは、毎日、反応物質との「正確な」一対一の反応症状が、寝ている間にも(つまり無意識下においても)起きている時にも、
果たして「これほどの頻繁な確率」で再現性をもって発現するものなのか、というところになるでしょう。
というのは、そこで議論したところで、化学物質過敏症の発症機序が解明できるわけではないわけですから。
ただ、未知の、しかし現に存在する症状群に対して、どう対処するか、ということが鍵となると思います。
>ということは、まず、NATROM氏が指摘していた「パニック障がい」なのかどうかを、最初に診てもらう必要がありそうですね。
読む人に誤解を与えてはいけないと思い、補足します。
これは、もちろん、「確証バイアス」的に「私が『パニック障がい』である」であるということが前提の話ではありません。
事実、私としては「パニック障がい」に該当する自覚症状(予期不安やこれといったストレスを感じたこと)が出たことが一度もありませんので。
あくまで、上記の相談の中での、消去疾病項目として、話し合う、ということになると思います。
304
:
mortan
:2013/05/22(水) 19:09:32 ID:e7MRQzJU
>>303
>読む人に誤解を与えてはいけないと思い、補足します。これは、もちろん、「確証バイアス」的に「私が『パニック障がい』である」であるということが前提の話ではありません。事実、私としては「パニック障がい」に該当する自覚症状(予期不安やこれといったストレスを感じたこと)が出たことが一度もありませんので。
つまり、反応する物質は、室外では、ある所にはありますが、
ない所もありますので、うまく回避したりする必要があります。
問題は、室内ですが、引っ越して、一度、プレーンな(壁紙も古いまま)
つまり当初は苦しくない状態になったところからスタートして、
何を室内に入れたら反応が出るのか、何を室内に入れても大丈夫なのかを
一つ一つ吟味・確認して、対応しています。
何が苦しいか苦しくないかは、それが何であるかにかかわらず
反応する物は反応し、反応しない物には反応しません。
それを、そのプレーンな部屋で実際に体感するしかない、という状態です。
そのようにして、体系的に、何に反応して、何に反応しないか、については
日々、再現性をもったテストを繰り返していますので、
あとは、その揮発性の物質、新素材の樹脂や木材の防腐剤、漂白された安価な木綿などの物質と、
反応機序との相関関係の研究、ということになると考えています。
ただ、世界の片隅で、私などがすでに考え始めていることなのですから、
世界のどこかで、化学物質過敏症の発症機序の医学的な解明の研究は、
日夜、進んでいるものと思います。
305
:
NATROM
:2013/05/23(木) 13:01:35 ID:???
>>「狐憑きは必ず存在する」と身をもって実感していた人もいたでしょうね。
>そういう人もいるのでしょうね。私にはわかりません。
>ただ、私の、身体内には、紛れもない事実、しかも、現象学的還元を通して、さまざまな夾雑物をそぎ落とした、純粋な<本質直感>においても把持されるところの<痛み>や<苦しみ>という現実を体験していますので、
>私は、その<現実体験>と、「化学物質過敏症という言語体系によって、諸症状の中から、<構造主義的>に<分節化>されている一連の「症状群」に<照応>し、対応している、と言っているのです。
「狐憑きは必ず存在する」と身をもって実感していた人も、<本質直感>やら<痛み>や<苦しみ>という現実やらを体験していたと主張できるでしょう。
>しかし、そんな内容のやりとりをもって「議論がなされた」と呼ぶ人は、哲学界にも、そしておそらく科学界にもいません。
>医学界にはおられるのですか? 「質疑応答」とはいうかもしれませんが。
医学界はともかくとして、mortanさんのような「議論のできない」人はこの掲示板にはよく登場します。
>というか、私の文章が、監督官庁に確認するまでの間、「矛盾していそうにみえる」ことが、そんなに気になりますか?
監督官庁に確認するとかいう話ではありません。監督官庁に確認しなくてもmortanさんの主張は矛盾していることはわかるのです。mortanさん以外の人にはご理解いただけていると思います。
>いいかげん「客観的に」みても、あなた、おかしい人に見えますよ。
mortanさん以外の人でそうお考えの人がいたら、ご質問でもご指摘でもしていただければ対応します。ほとんどの人は
>>201
を読めば、客観的にみておかしな人がどちらであるのかご理解できるでしょう。できれば、mortanさんにはここではなく、どこか別の場所で「NATROMはおかしい人だ」などと言っていてもらいたいんですが。「匿名性(の自由)を確保しておきたい」という理由で「ホームページもブログもTwitterもFacebookもしません」と仰っておられましたが、まったく理由になっていません。Facebookは別として、ホームページもブログもTwitterも匿名性(の自由)を確保しつつできますよ。はっきり言いますと、mortanさんの意味不明の長文に付き合うのにも飽き飽きしてきたのですよ。
306
:
NATROM
:2013/05/23(木) 13:02:36 ID:???
>あなたの「確証バイアス」で「思い込み「かもしれない」というだけではなく、思い込みである「可能性がきわめて高い」と考えられます。」と言われているるわけですね。
いいえ。「確証バイアス」ではなく、実際に行われた複数のネガティブな盲検下試験の結果が根拠です。
>ただ、私は、必ずしも主唱者側の責任だけではなく、もはや、国際的な、また、国家的な問題として、政府機関や、国立大学の組織などで、マウス実験などを含めて(すでに進めているところはあるのかもしれませんが)、まず医学的にこの実証実験をし、社会的に責任をもって進めて行くべき段階に来ていると感じています。
mortanさんが勝手にお感じになるのは自由ですが、現実的にはいまさら二重盲検法テストを行う意義には乏しいです。それとも「私は純粋な<本質直感>によってわかる」と主張する人が登場するたびにいちいちコストをかけてテストを行うのですか?今回、二重盲検法テストを行ってネガティブな結果に終わったとしましょう。次の年に別の人が、「俺はこれまで連中とは違う。<現象学的な本質直感>では明らかだあ」とかいう人が現れたら、またテストするんですか?いつまでやれば満足するんですか?永遠にテストし続ける必要がありますね。実に無駄だと思います。
>ただ、私は、近い将来い、海外か国内かわかりませんが、
>研究機関による、化学物質過敏症の発症機序を解明・実証した論文が発表されることと思っています。
そういや10年ぐらい前にも似たようなことを主張していた人がいましたねえ。たぶん、10年後にも似たようなことを主張する人はいるだろうと思います。
>なぜ、一部の人が、きわめて微量の化学物質に毒性の反応を起こし、また、その他の症状も併発させ、
「きわめて微量の化学物質に毒性の反応を起こし」という部分は確定した事実ではありません。「きわめて微量の化学物質に毒性の反応を起こした」と主観的に考えている人と、患者がそのように考えるよう誘導したインチキ医学者がいるだけです。
>あなたに今、机上で、つまり、受診も検査もしていないのに、そう言われても、それらの全てことごとくが、プラシーボ効果であったとは、なかなか確率的には考えにくいことではありますが、
普通の医学的知識のある人なら私の見立てに概ね同意するでしょう。それより患者さんの主観で「私の場合は、心因性、プラシーボ効果などはゼロパーセント」などと断言できるので?
307
:
mortan
:2013/05/23(木) 19:11:06 ID:epg2kfEM
>>305
>>>「狐憑きは必ず存在する」と身をもって実感していた人もいたでしょうね。
> >「狐憑きは必ず存在する」と身をもって実感していた人も、<本質直感>やら<痛み>や<苦しみ>という現実やらを体験していたと主張できるでしょう。
その話題は、
>>143
、
>>144
、
>>145
で、すでに明確に説明していて論議を閉じていますが、
それはまったく無かったかのような(あったらNATROM氏が困るからですか?)
不思議な引用の仕方をされるんですね?
自然科学の論文に親しまれている人の引用とは思えません。
ちなみに、上記について、再度、結論をまとめて言うと、
「狐憑き」の方がもし<現象学的還元>を通した<本質直感>によって捉えられるのは、彼自身の身体内に確かに体験せられている「痛みや苦しみ」といった<現象そのもの>であり、本当に「狐憑き」かどうか、という、自分の体験の「原因」や「意味」ではありません。
それと同じ理由で、化学物質過敏症の患者がもし<現象学的還元>を通した<本質直感>によって捉えられるのは、彼自身の身体内に確かに体験せられている「痛みや苦しみ」といった<現象そのもの>であり、「化学物質過敏症」という病名ではありません。
以上が、すでに語ったことの、再度のまとめです。
しかし、NATROM氏は、以下にも、私、mortanが、一般の人の日常意識からみると「この人は、わけのわからない事を述べて、言いがかりを付けている変人」だと、読むものに思わせられるだろうと推量して引用されるのが得意ですね。
というのは、ここでは、現象学的アプローチの一端だけが中途半端に引用されていますので、上記のように、
>>143-144
-145、の全体を通してでないと、うまく伝わらず、わかりにくくて当然だと思います。
さすが、立派にすでに確率している社会心理学の述語である「確証バイアス」という述語を、未定義で対象領域も不分明な「原因探しバイアス」という「造語」を、化学物質過敏症の患者の「原因探索」を無意識に無為なものであると印象付けるために、勝手にねつ造できることはありますね。
=続く=
308
:
mortan
:2013/05/23(木) 19:40:41 ID:epg2kfEM
=続き=
>>305
>>しかし、そんな内容のやりとりをもって「議論がなされた」と呼ぶ人は、哲学界にも、そしておそらく科学界にもいません。
>>医学界にはおられるのですか? 「質疑応答」とはいうかもしれませんが。
>医学界はともかくとして、
そうでしょうねえ。医学界も同じでしょうね。
>>mortanさんのような「議論のできない」人はこの掲示板にはよく登場します。
ああ。そうですか。よく登場、ということは、頻繁に、ということですか?
ということは、NATROM氏自身が、議論の前提要件である、同じ土俵に立とうとしていないのかもしれないという疑義は、否定し得ませんね?
>>というか、私の文章が、監督官庁に確認するまでの間、「矛盾していそうにみえる」ことが、そんなに気になりますか?
>監督官庁に確認するとかいう話ではありません。監督官庁に確認しなくてもmortanさんの主張は矛盾していることはわかるのです。mortanさん以外の人にはご理解いただけていると思います。
それは、すでに私が、
>>279
で、きちんと「業務用」と「家庭向け販売用」に区分けして、丁寧に説明済みです。
ですから、
>>279
を読んでいただければ、どなたでも理解していただけると思います。
しかし、NATROM氏の純朴な「全近代的」な「主客二元論」を基盤とした「客観」「客観的」という言葉をよく使われると思ったら、NATROM氏にとっての「客観」というのは、「mortanさん以外の人にはご理解いただけていると思います」という「第三者」「他者」からの公平な視点、という意味合いでしたか。
とても興味深い観点ですが、これ以上、これを現象学的に突っ込むと、それこそ「オンティッシュ(存在的)」と「オントローギッシュ(存在論的)」の議論を含めた「認識論」と「存在論」の話になってしまいますので、それこそ長文になるので控えます。
>>いいかげん「客観的に」みても、あなた、おかしい人に見えますよ。
>mortanさん以外の人でそうお考えの人がいたら、ご質問でもご指摘でもしていただければ対応します。ほとんどの人は
>>201
を読めば、客観的にみておかしな人がどちらであるのかご理解できるでしょう。
その問題でしたら、
>>223
、
>>224
、
>>225
、
>>226
、
>>227
で解決させています。どなたでも読めばわかりやすいようにまとめてますので、ご覧ください。
で、やっぱり、NATROM氏は、前後関係がわからないと、あたかもおかしな発言であるかのように見える可能性がないともいえない
>>201
を引用元として選択されるんですね。
そういうのは、NATROM氏の癖ですか?
学術論文だとあり得ない、ポイントをずらした引用に見えますが?
=続く=
309
:
mortan
:2013/05/23(木) 19:49:44 ID:epg2kfEM
=続き=
>>305
>できれば、mortanさんにはここではなく、どこか別の場所で「NATROMはおかしい人だ」などと言っていてもらいたいんですが。
意向は理解できなくはないですが。
自分のホームページの掲示板で、化学物質過敏症についてのやりとりで「負ける」わけにはいかないですからね。
私はもとより「勝ち負け」などは考えていませんが。
>「匿名性(の自由)を確保しておきたい」という理由で「ホームページもブログもTwitterもFacebookもしません」と仰っておられましたが、まったく理由になっていません。Facebookは別として、ホームページもブログもTwitterも匿名性(の自由)を確保しつつできますよ。
それは、わかっています。
ただ、少し仕事に関わる義務というか、事情があるので、それは考えないという方針に変わりはありません。
>>はっきり言いますと、mortanさんの意味不明の長文に付き合うのにも飽き飽きしてきたのですよ。
私自身も、NATROM氏との、あまりの議論のかみ合わなさに驚く限りですが、化学物質過敏症という疾病概念でくくられている一連の症状群が現実にある以上、
さらにには、私自身の身体内体験として実際にその苦痛を伴う症状を経験している以上、
国際的機関などによって、マウス実験などからはじまって、免疫学や、神経内分泌学、アレルギー学などの治験、知見が総動員されて、慢性疲労症候群との関係などの研究も進められ、
「化学物質過敏症」という疾病の発症機序が解明され、効果的な治療法が確立されるまで、発言をやめることはできないかもしれません。
それこそが真摯な「学的態度」だと思われますが、やはり自分の掲示板で「負け」あるいは「負け越し」に見えてしまうのを避けたいという方が、優先課題になるのですか? それが臨床医の皆さんの通常のスタンスでしょうか?
310
:
mortan
:2013/05/23(木) 20:32:00 ID:epg2kfEM
>>306
>>あなたの「確証バイアス」で「思い込み「かもしれない」というだけではなく、思い込みである「可能性がきわめて高い」と考えられます。」と言われているるわけですね。
>いいえ。「確証バイアス」ではなく、実際に行われた複数のネガティブな盲検下試験の結果が根拠です。
またまた、興味深い中途半端な独特の「引用」をさえるのですね。
そこ箇所の前後関係を明確にした全文は、以下の通りです。
皆さんに、公平に見ていただくためです。
--------------------------------
>>280
>>>というのは、私の身体内の苦痛は、錯覚や思い込みではなく、事実ですから。
>>苦痛は錯覚や思い込みではなく事実でしょう。しかし、その苦痛が化学物質由来であるというのは、思い込みかもしれません。これまでの盲検下負荷試験の結果を考慮するに、mortanさんの苦痛が化学物質由来であるというのは、思い込み「かもしれない」というだけではなく、思い込みである「可能性がきわめて高い」と考えられます。
>あなたの「確証バイアス」で「思い込み「かもしれない」というだけではなく、思い込みである「可能性がきわめて高い」と考えられます。」と言われているるわけですね。ですから、そういうことが起きないよう、私は、被験者になっても構いませんので、二重盲検法テストをしてみましょう、と提案したのです。それについては、試験ができる環境に所属していない臨床医である(研究医ではなく)という回答が返ってきました。
--------------------------------
話が、論理的にも、実際的にも逆になっていますね。
NATROM氏の論理は次のようになっています。
1)化学物質過敏症患者を対象に「複数のネガティブな盲検下試験の結果」がある。
2)mortanも化学物質過敏症の患者だと言っている。
ゆえに
3)mortan「も」思い込みである「可能性がきわめて高い」と考えられる。」
これは単純な三段論法ですから、3)の結果を出すには、こ根拠が薄いということは、わかりますよね?
ですから、私は、あなたが引用しなかった部分で、わざわざ、「ですから、そういうことが起きないよう、私は、被験者になっても構いませんので、二重盲検法テストをしてみましょう、と提案したのです。」と続けたのです。
ということで、整理しましたので、もう一度、聞きます。
「実際に行われた複数のネガティブな盲検下試験の結果」が「mortanもおそらくネガティブな結果に終わるだろう」
ということの「根拠」ですか?
=続く=
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