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化学物質過敏症についての掲示板

285mortan:2013/05/22(水) 01:07:48 ID:e7MRQzJU
=続き=

>>283

「バナナ」という「存在」が「ア・プリオリ」に「存在している」と感じている「日常意識」や、
「自然科学」的な「客観的」な知見による「バナナ」とはこういうものだという無批判的な意識などをを、
いったん<エポケー>(=思考停止によって、かっこに入れ、保留する)した上で、
<事象そのものへ>向かう<志向的な意識>によって、その<現象そのもの>がどのように立ち上ってくるのか、現れてくるのかを、厳格に<記述>しようとする態度のことを<現象学的還元>といいます。

その<現象学的還元>という作業のただなかで立ち現れてくるものこそ、
「これはバナナなんだ」とすでに「客観的」に「認識」した「対象=客体」ではなく、
また、日常意識で「これはバナナでしょう。間違いなく」と無意識のうちに受け取ってしまっている「常識」というイドラでもなく、
<本質直感>によって捉えらようとしている、<バナナ>という<事象>の<本質>なのです。

なお、(バナナ)という言語によって、他のものとは差別化された形で一つの言語体系の中で意味づけられているその(バナナ)なるものとして捉える、というのがソシュール言語学から始まり、レビ=ストロースが文化人類学の方法論として確立した「構造主義」です。

以上は、意識の志向すべき対象が、意識の外にある場合について述べましたが(その「もの自体」をア・プリオリに「存在」するものとして純朴に信じる思考法が、近代自然科学の根底をなす「主客二元論」です)、
これを、自分自身の内にある<意識>に適用すれば、<対自意識>の対象として、<世界内存在>(ハイデガー)また、<対自存在>(サルトル)として、<記述>することが可能です。

さらに、今、私が試みようとしてるのは、自己自身、世界地平(メルロ・ポンティ)のただなかで、まぎれもなく身体内で感じ、体験しているところの痛みを、<対自意識>によって、注意深く<現象学的還元>を経ながら、<記述>しようすることによって、
先に書いたように、今後の医療システムにおける「問診(票)」の形に幾らかでも寄与できにかと考えて始めた試みでした。

>理念的な事柄の場合、現象を形而上学的な理念や既存の概念で無理に説明しようとすることを避けるという意味では、エポケーはもちろん有効ですが、

それはそうなのですが、ところで、あなたの、今回の記述の仕方、論理の進め方、および文体は、どこかで見たことような印象を感じますが、何かの入門書ですか?

>化学物質過敏症という、客観的に定義し確かめるべきものを、
自分の体験(それは確かにあると思いますよ)だけで、つまり患者自身の判断だけでどうなるものでもないでしょう。

そんな事は、読み返していただければわかりますが、一度も発言がしてもいませんが、本当に理解し得ないのですね?

>専門医に訴え、納得いくまで頑張ってみてください。

専門医には当然ながら相談しつつ、
それとともに、私自身は、より大きな国際機関または国内機関、あるいは大学研究組織による、より基礎的な研究が進められ、
発症機序を含めた疾病概念についての成果が発表されることに期待しています。

私が試みているのは、自分自身の「苦痛」から逃れるために、患者自身としてどのように、それこそ「確証バイアス」を排除し、<現象学的還元>の手法を援用しながら、
自分自身の身体内体験の<記述>をしようとしてきたことは、理解し得なかったのですか?

医師が「客観的に」「他者」の症状を診るかのように、また、自分が医師にでもなったかのように「客観的に」自分自身の病理学的症状を「診断」できるなどとは、一度も思ったことはありませんし、発言もしていません。


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