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「三位一体」の本質

1自称へっぽこハリスティアニン:2004/02/25(水) 00:19
「自称へっぽこクリスチャン」改め「自称へっぽこハリスティアニン」
です。(帰正式前だからまだ名乗るのは早いか?)
「へっぽこ」ゆえに、「三位一体」を含む
「ニケア・コンスタンチノポリス信経」の認識が甘く、醜態をば
さらしてしまいました。「異端」よりも「カルト」が問題が大きい。

しかし、「異端」...特に「三位一体」を否定する「異端」
「正統」「異端」というのも相対的なものであるという見方も
できますが、「ひつじ」の本文にもあるように、キリスト教
としての最低ドグマを押さえておきたいと思います。

というのは、正教会で神父さまに、腰を据えて習い始めたから
であります...

2へっぽこ@続きです:2004/02/25(水) 00:43
フランシス・ヒデさま直伝の、「論理・理性のロゴス」と「神秘のロゴス」
タチバナ師匠はノンクリにも係わらず、「三位一体が組みあがっていく過程が
美しい」と表現されました。

神学論争はディベートの如く、「論理力=Logic」がモノを言う部分も
あるでしょうが、最後は「神秘」。

M神父さまは、教条主義的でない解かりやすい教え方をして下さいます。
「真理」は必ずしも論理的なものでなく、弟子たちの神秘体験がもとに
なっているので、論争になると、ともするとより「論理的」な
アリウスや単性論に「負けそう」になる。最後は「神秘体験」を主張
するしかなくなってくる、というものです。「実際にキリストを”神”として、
かつ”人”として体験した弟子たちによる伝承・聖伝」が基本。

ですから、アタナシウスとアリウスの論争はディベートのようなものでは
なく、実体験した者としていない者の論争なので、「視座のずれた話し合い」
だったのでしょうか?

何に例えると判りやすい?
ウィスキーのアイレイモルトを実際に味わった人と、味わっていない人が、
「アイレイモルトと国産ウィスキーとどちらがウマいか?」を論争するような
ものでしょうか?知識として、「アイレイモルトがウマい」と認識することも
できますが、やはり味わってみなければ本当の飲み手とは言えない。

フランシスさま
稚拙な譬えで恐縮ですが、「神秘のロゴス」味わうに当たっての心構え?
(なんて言えばいいか)ご教示いただけますでしょうか?

3フランシス・ヒデ:2004/02/25(水) 01:06
「へっぽこ」さま、

いえ、別に「心構え」といったタイソーなものはないと思いますよ。そんな
オーそれたモンが必要なら、私など永遠に体験できますまい! (^O^)
我々がなにか条件を満たしているからロゴスを体験できるのでなく、ロゴス
自らが恩寵として我らの身体に息吹を与えてくださるのです。
それに、「へっぽこ」さまのように実直・真面目(過ぎる面もある)方の
場合、これ以上何を要求できましょう!??

4へっぽこ@ありがとうございます:2004/02/25(水) 01:38
神父さまの奥様には、「気楽に遊びに来なさい。」と言って頂いて
居ります。

5へっぽこ@ありがとうございます:2004/02/25(水) 01:39
「真理」は必ずしも論理的なものでなく、弟子たちの神秘体験がもとに
なっているので、論争になると、ともするとより「論理的」な
アリウスや単性論に「負けそう」になる。

6へっぽこ:2004/02/25(水) 01:44
↑神父さまのお話で、ここのところが面白いと思ったのですけれど...

小室直樹(宗教原論)で、「アリウス派の論拠もアタナシウス派に比べて
見劣りする者ではなかった。」つまり、「論理・理性」では遜色ないけれども
「神秘」が判っていないのが「異端」?

必ずしも「論理的」でない「神秘」「真理」を抱えている分だけ「正統」が
「論理」に徹しきれず、論争でマケソウになるとしたら....
やはり「異端憎し」になるのかな?と思いました。

7火の洗礼を祈る小羊:2004/02/25(水) 06:21
へっぽこさんに平和。こちらスレがスレ主なので、こちらにレスいたします。
正教の教会が10分の距離にあるとは、恵まれていらっしゃいますね。
私が、正教がいいな、と思ったのは、両形色での聖体機密を行うことやカトリックとは別の使徒伝承教会であること、などなどなんですが、
面白いのは、2ちゃんですね。カトスレはかなり荒れ、また、聖書ではない様々の公文書の解釈などなど、どうみても本筋ではないだろう、という分野に非常に詳しい方がいて、その知識の量を顕示するようなところがあります。正教の人のスレは下げ進行で、ゆったりと進みます。
私は、正教の礼拝は出たことがないので、はっきりとはその理由はわからないのですが、なにか気づかれましたらお教えください。また、正教については、一瞬ですが、マイナー?な東方教会(ネストリウス派東方典礼カトリック教会系とか)の司祭になっても面白いな、と考えたことがあります。

聖書のとおり聖体拝領したい→近所にない→自分でやるしかない ということで始まった自宅聖餐式がそれなりに、形になってきたので、次はやはり中身の問題、祈りなのかな、などと思っています。
特に、私が水の洗礼が受けられないなら、火の洗礼を、ということでつけたHNの意味、聖霊降臨とか、火の舌とか、本当に来るのか、とか疑っているような状況なので、まずはそのあたりからかな、と思っています。
そろそろ、朝の礼拝の時間です。それでは。

8パンプキン:2004/02/25(水) 07:21
三位一体については、子羊さまと私は異端的な考えなわけですが、本スレは
へっぽこさまが正統的な三位一体をきちんと理解しようということで立てら
れたスレと理解していますので、私も正統的な三位一体をきちんと理解すべ
く、耳を傾けたいと思います。

過去に「ワンネス」(サベリウス主義というのか)を密かに告白された正統派
牧師さんもいらっしゃいましたし、イエス・キリストにむかって祈ることを
禁じ、「イエス・キリストは神じゃない。人間だ!」とのたまった正統派
牧師さんもいらっしゃいました。根本教義とされているのに、正統派の中
でもきちんと理解がゆきとどいていないのはもしかして困ったことかもで
すよね。

ちなみに「三位一体」の教会では、本当にイエス・キリストに向って
祈ることは禁じられているのですか?「父なる神よ」と祈らなければ
間違いであるというのは、本当でしょうか。ご存知の方教えてください。

9タチバナ@灰羽連盟:2004/02/25(水) 10:10
私の感覚からすると「三位一体」の教義は非常に論理的です。で、論理的であるからといって神秘的でないことにはならない。「三位一体」とは、神秘的であるものを論理的に表現したものだと解釈してます。
アリウス論争などの初期教義史の歴史は決して「論理」対「神秘」の対決なのではなく、あくまで「論理」対「論理」の対決です。だから、双方信仰の核心においては間違いだとは思わなかった。
「三位一体」という言葉が指し示す神そのものと、「三位一体」という表現とはさしあたっては別のものであり、区別されるべきです。あたりまえと思えるこの区別を忘れると不毛な論争になるのです。
「三位一体」がイメージできない、だからそれは真理ではない、あるいは理解を超えており論理にはあてはまらない、という方がいます。しかし、たとえば数学などで多次元の図形などが出てきますが、それは人間にはイメージ不能ですが、厳密に論理的です。イメージできないから即「非論理的」ということにはなりません。

10chiara:2004/02/25(水) 13:35
タチバナ師匠に声かけられて、舞い戻って参りました。
「子羊さんが来てるからおいでよ〜」と報告を受けたので。久しぶりで嬉しいです。
お元気ですか?わたくしもここはしばらく来てなかったので、神学の部屋が出来ているとは
知りませんでした。皆さまいらしていて、懐かしいですね。
小羊様>
まぁ2chのカトスレに集っているのはかなり特殊な方が多いようで、カトリックでも
あんな人たちはあまり見ないです。あのイメージだけで印象もたれたらやだなぁ。
タチバナ様>
三位一体は美しいです。美は普遍であり神秘であるです。
あの議論の経緯を知れば知るほど、その構築された論理推移が神秘へと辿る道行きに
繋がると感じました。正直、難しいけどそれが故に神秘かもとも思うんですね。
判らないから認めないというのは、傲慢とも言える。という事象がこの世には存在すると
思いますね。

11heppoko:2004/02/25(水) 15:26
>>三位一体は美しいです。美は普遍であり神秘であるです。
>>あの議論の経緯を知れば知るほど、その構築された論理推移が神秘へと辿る道行きに
>>繋がると感じました。正直、難しいけどそれが故に神秘かもとも思うんですね。

12へっぽこ@慌ててしまった!:2004/02/25(水) 15:43
↑chiaraさまも
逢いたかったよー!!!
久しぶりにchiaraさまに逢えたので、慌ててしまった...
そう、「三位一体」は「美しい」のですよね。
そして「論理的」であり、「神秘」とも矛盾するものではない...

正教会では、「他教派」をはっきり「異端」と表現しますが、
これはタチバナ師匠から教えていただいた本来の「異端」の意味ですね。
師匠のおかげで、「異端帰正式をします。」と言われても、
臆病なへっぽこが、ぜーんぜん傷つきませんでした。師匠に感謝...
(別スレと重複ご容赦ください)

正教会の神父さんとの学び会は、過去に経験したどの教会よりも、
「論理的」でかつ「神秘」を感じさせてくださいます。

教条主義的な押し付けは一切無く、とんでもないたとえ話も使用。
例:フーテンの寅さんが「俺がイモ食っておめえのケツから屁が出るか?」
でも正教会信徒は「出る!」と言い切るんですよ、とか...
人間は全て、罪も痛みも喜びもつながっている...ということのための例示
です。(正教会で”寅さん”は、想像できなかった...)

だから神父さまとお会いするのが、楽しみでしょーがないのです。
こういう神父さまならば、「三位一体」の学びも”喜び”になります。

「論理」も「神秘」もどちらも大切にしておられます。
フランシスさまが、「ロゴス賛歌」で、へっぽこを正教会に送り出して
下さったような気がします。

13へっぽこ@イコンのある部屋:2004/02/25(水) 16:02
火の洗礼を祈る小羊さま
旧友に会えてウレシイー!
「聖書の呼ぶ声」に続いて、正教会のサイト「イコンのある部屋」
「ひつじ」との相互リンクにへっぽこが用いられてしまいました。
主に感謝!!!
子羊さんにもご参考になることが多いと思います。
リンク集覗いてみてくださいな。
運営者のCyrilさまも、フランシスさまのようなステキな方ですよ。
子羊さんと交流できたら、へっぽこも喜びです。

14へっぽこ:2004/02/25(水) 16:15
「イコンのある部屋」→「イコンのある世界」でした。
失礼!

「聖書どおりの受聖餐」=子羊さんのこだわり
ぜひともこの機会を役立ててください。

15火の洗礼を祈る小羊:2004/02/25(水) 20:12
chiaraさんに平和。いやあ、お久しぶりです。私もいらっしゃらないので、少し寂しい感じでした。また、ご指導などよろしくお願いします。
聖餐式のほうも少しモデルチェンジする予定で、HPなど変えましたらお教えいたします。

カトリックについては、少し悪く書きすぎましたね。実際は好きなんですよ。権威主義的な方を除いてなんですが。遠藤周作の沈黙とか、正月に読んで、長崎のクリスチャンにかなり興味があります。
ただ、そうした何派がどうとかいうことは、この頃ますますど〜でもよくなってきました。あくまでも個人の問題、当たり前なんでしょうけど。

三位一体についていうと、それもこの頃は、私的には、結論が出ています。アンドリューマーレーも内なるキリスト=聖霊、我々は聖霊の宮、と言っていますが、まったく同感です。
我々全てに、内なるキリストがおられ、当然、天にもおられ、キリストが降臨されている間は、天に父がおられる。すべて自明のこと、当たり前のこと、と思います。

ですので、そういった論争は、主の意図されているところではなく、また誰が異端で、誰が正当派であっても、主にあってはまったく関係のないこと、全ての人は、神の子であり、キリストの宮であると思います。

というように、論争してしまう、懲りない私でした。

へっぽこさんに平和。イコンのある世界と相互リンクさせてしまうとは、流石ですね。私も正教探索していた頃、何回か訪問させていただきました。

16へっぽこ@さすが!:2004/02/25(水) 20:28
火の洗礼を祈る小羊 さん
さすが!失礼しました。もう既に訪問されていたのですね。
へっぽこは小羊さんの掲示板にもおじゃましました。
「ひつじ」のメインスレが荒れていますので、
またちょくちょく小羊さんのスレにお邪魔したいと思います
のでよろしくお願いします。

...やっぱり小羊さんと話すと癒されるわ...

17chiara:2004/02/25(水) 22:04
へっぽこ様、小羊様、
嬉しいです。わたくしもついこないだまで、ネットすらつなげない状態でした。
繋いで、メインを見たらくらくらしてしまって、以来、来るのをやめてしまいましたが、
タチバナ師匠が誘ってくれたので、神学スレだけチェックすることにしました。
へっぽこ様
正教会に通っていらっしゃるんですね。いいですよね〜〜〜。典礼がいい!
祈れる。難しいことをいわない。最近、細かいことにこだわるのが嫌になったので、
ああいう祈れる典礼はほんとにいいです。
小羊様>
カトリックでも教条主義な理屈っぽい人は敬遠されるので、掲示板で息抜きをしてるのかもですね。
そういう方もそうでない方も色々いるのがカトリックなので(^^;;;
実は宗教改革まではマジにすごくいいかげんだったんですよね。いい意味でも悪い意味でも。
悪い方向では果てしなく悪かったので宗教改革も必要だったとは思いますが、
いい意味でのおおらかさを失ったのは残念かも。今は取り戻しの時期ですね。
まぁ、わたくしも細かいことはどーでもよくなったので、のんびりです。

18chiara:2004/02/25(水) 22:28
へっぽこ様>
うちの教会では「四旬節」に入りました。イエス様の復活までを黙想するにはいい時期です。
三位一体を探求することはイエスの神秘を辿ることになりますよね。
ロースキィという学者の書いた「キリスト教東方の神秘思想」という著作がお勧めです。
それからアンドレイ・ルブリョフの三位一体のイコンについての解説なども読むとよいかも知れません。

最近は祈ることを大切に感じています。
神学も勿論大切ですが、今は言葉でない「祈り」を優先したいので、
神学議論とかは、なるべくお休み中。

19へっぽこ@chiara さまありがとうございます:2004/02/26(木) 00:40
chiaraさま
>>正教会に通っていらっしゃるんですね。いいですよね〜〜〜。典礼がいい!
こう言って頂けると心強いです。M神父さまも、今までお会いしたキリスト者
のなかで一番こなれた方のように思えます。

名古屋ハリストス正教会は、へっぽこの家から歩いて10分のところにあり、
「灯台もと暗し」でした。しかも、りんごさま(名古屋弁の)のいとこさんが
おられるとの事!なんという偶然(導き?)でしょうか?

ロシア人信徒の友人もできました。
「スパシーヴァ(ありがとう)」と「ダスビダーニャ(さようなら)」だけ
ロシア語知ってます。

大斎の礼拝に出席しています。
「主憐れめよ...主賜えよ...アミン」少しずつ板についてきました。

「神秘のロゴス」の本家本元ですね。
母教会の牧師さんは、「ロゴス=言葉」と単純に認識してますね。
この牧師さんから、脱退と受洗証明を取りつけて、神父さんに
預けました。

「異端帰正式」ということになります。
タチバナ師匠とchiaraさまのおかげで、「異端」の本来の意味が
判っているので、ショックをうけませんでした。感謝です。

「自称へっぽこクリスチャン」改め「自称へっぽこハリスティアニン」...

20パンプキン:2004/02/26(木) 09:27
わ、chiaraさまだ!お久しぶりです(*^^*)(*^^*)
いろいろとお忙しいのだろうとは思っていましたが、
お元気そうでなによりです。

>あの議論の経緯を知れば知るほど、その構築された論理推移が神秘
へと辿る道行きに繋がると感じました。

いい機会なのでこのあたりのところや、三位一体の美しさについて
chiaraさまに言語化できるものならしていただければ、とも思った
のですが、今は神学論議よりも祈りに向いたいということで、了解
しました。(気が向かれれば、いつでも・・・)

神学というものは、みなたまたま自分が所属した教派から知識を
得て、それが正しいと思うため、神学が知識(受け売り)でしか
ない段階では自分にも不安があるし細かい違いが気になってしまう
ものですが、その神学が祈りによって霊的なものになってくると、
細かい違いはどーでもよくなってくるのかもですね。

私も、子羊さんともどもネット集会の方がんばっていきたいです。(^^)

イエスさまに向って祈ることの是非のことは、みなさんご存知ないみ
たいですね。たまたま特殊な考えの人だっただけなのか・・・。

21chiara:2004/02/26(木) 12:13
へっぽこ様>
名古屋のハリストスの神父さまには直接はお会いしたことはないですが、もしや寝ぼけ顔の・・・・
とてもいい方だそうです(友人談)

「異端帰正」というのは自分がどこを中心に据えて神を認識するかの自己表明のようなもの
だと思いますから、自分が中心とするものから少々ずれちゃう考え方は「異端」つまり
はじっこになるのは当然なのです。自分からの距離の問題に過ぎず、世界の範疇には入るという
ことになると思います。ゼロ・イチ(存在肯定、存在否定)で測るものではないですよね。

22chiara:2004/02/26(木) 12:26
パンプキン様>
久しぶりです。
三位一体は簡単に言葉に出来るモノでなく、だからこそ神秘だとは思います。
初期教父達が、またその後の神学者達が三位一体を証しする為に書きつづってきたその
姿も含め、どれが正しいとかどれが間違ってるとかそういうものを超えた、そのそれぞれの
真摯な探求の姿と証された結果の存在が美しいとも思うのです。
その推移に関しては、前に挙げたロースキィの書がお勧めです。

>神学というものは、みなたまたま自分が所属した教派から知識を
得て、それが正しいと思うため

そうですねぇ。私は疑り深い性格なので、まず疑ってかかります。
だから、否定と肯定の狭間を行ったり来たりしますが、
で、それでも否定出来ない何事かがあるというので、今の教派に落ち着いたわけですが、
それは「正しい」と完全には思っていない姿勢に納得したからなんですね。
カトリックの場合、教会は完成途上にあると認識している(常にミサで神に
「愛の完成に導いてください」と祈る)ので。
だから突っ込みどころ満載なわけですが、内部でそれぞれ色んな立場の人がいて、
組んず解れつやってる光景が面白いと思います。
みな、神にちかずこうと祈り続ける姿に、つまり「正しい」とは完全に言い切らない姿に
実は一番大切なものがあるんだと思うのです。
だから、逆に神学命題を護教的にしなきゃならないような論争は
もうどーでもいいやという気分です。

23へっぽこ@癒し:2004/02/26(木) 22:33
>>神学命題を護教的にしなきゃならないような論争は
>>もうどーでもいいやという気分です。
chiaraさま
そーなんです。名古屋ハリストスでも、これをしないので癒されるのであります。

火曜日の”学び会”は出席者が他にいないので、神父さまとマンツーマンの
贅沢な学びになっています。何よりも心強いのが、敬愛するフランシスさま
が、正教会の良き理解者であること、M神父さまから学ぶ内容がかなり
フランシスさまとオーバーラップする事であります。

タチバナ師匠からは、「渋い選択ですな」と言って頂きました。
そしてchiaraさまからも祝福して頂いて、感謝です。

24パンプキン:2004/02/27(金) 10:28
chiaraさま

レスありがとうございます。
>どれが正しいとかどれが間違ってるとかそういうものを超えた、そのそれぞれの
真摯な探求の姿と証された結果の存在が美しいとも思うのです。

chiaraさまのおっしゃる「三位一体の美しさ」というのはそのあたりにあったの
ですね。「もしかしたら、父が子を愛し、子が父を愛するという、そして自らを
犠牲にするよりも、我が子を犠牲にすることの方がはるかに犠牲が大きい」と
いうような、相互関係性に現れる愛の美しさ」なのかな、とか勝手に想像してい
ました。

chiaraさまは以前三位一体に「クレド」と言うのにかなり時間がかかったと
おっしゃっていたので、鵜呑みにされたわけではないとは思っていました。
そのあたりの経緯を知りたいと思ったわけなのです。
私も神学命題の護教的な論争とかはしたくないです。
ただ、いろんな立場の人がわいわい語り、その過程の中で語られる個々人の
そこまでの道のりとか垣間見られる人生観とか、そういうのが面白いな〜
(面白いというのは不謹慎か。有意義だな〜とか)と思うのですね。
だから私も「読む人が判断するために目にする資料は、多いほど、多様な
ほどいい」というようなスタンスでいろいろ書いたりしてます。
決してスウェーデンボルグの護教ではなく。

>それは「正しい」と完全には思っていない姿勢に納得したからなんですね。
>カトリックの場合、教会は完成途上にあると認識している(常にミサで神に
「愛の完成に導いてください」と祈る)ので。

私がカトリックが好きなのは、そういうところなんですよね。
懐が深いというか。そしてカトリックには「聖化」の道もありますしね。
長崎の永井博士の本とかけっこう読みましたが(彼もカトリックですが)
読んでいてそれこそ普遍的なものがあり、教派とかは全然感じないです。

私も近所にカトリックとか正教とかあったら子供を通わせるのにな〜とか
思ったりもします(へっぽこさん、合う教会が見つかってよかったですね!)。

25へっぽこ@癒し:2004/02/27(金) 14:01
>>(へっぽこさん、合う教会が見つかってよかったですね!)。
パンプキンさま
ありがとうございます。
パンプキンさまの”愛”で癒して頂いています。
へっぽこも理屈っぽいとこがあるので、「形式論理」の迷路に迷い込む
危険がいつもあります。処女懐胎も復活も三位一体も”愛”無くして
学ぶ事は危険であります。

「愛のない神学は凶器」
「愛がなければやかましいどらやうるさいシンバル」

みことばが凶器になることもあります。
その”凶器”によって自分も傷つきたくないし、人も傷付けたくない
へっぽこです。

正教会の神父さまも、
「”正論”を人に言う時は本当に気を付けなければならないなあ。」
とおっしゃっていました。

26へっぽこ@実践論理:2004/02/27(金) 14:51
>>へっぽこも理屈っぽいとこがあるので、「形式論理」の迷路に迷い込む
>>危険がいつもあります。処女懐胎も復活も三位一体も”愛”無くして
>>学ぶ事は危険であります。
それとも、タチバナ師匠やサエキ兄弟子のような「実践論理」が身につけば、
「形式論理」に陥る危険もなくなると思うのですが...
へっぽこは中途半端だなあ...

27火の洗礼を祈る小羊:2004/02/28(土) 16:45
>>17
chiaraさんに平和。

>カトリックでも教条主義な理屈っぽい人は敬遠されるので、掲示板で息抜きをしてるのかもですね

なるほど、息抜きされていたわけですね。そう考えるとなんか「かわいい」ですね。
聖書の登場人物で気になる存在として、ヨハネ福音書で、安息日に体を十字架の上に残しておかないでくれ、と願い出たユダヤ人とか思い出しました。
私もそうなのですが、人は本質的なことから回避し、律法的、仔細なことに熱中してしまう、という悪癖がありますよね。

パンプキンさんに平和。祈り会、新メンバー加わったようですし、パンプキンさんがせっかく継続してくださっていたので、私も月曜から、少し気合の入れなおし、再スタートです。

28パンプキン:2004/02/29(日) 17:13
>子羊さま

最近ダンナが仕事で12時前後の帰宅なのでなかなか5時に起きれない日があります(^^;
月曜だけはちゃんと起きますが、ともかく、私も気合入れなおさないとね。
新メンバーの人が来られて嬉しいですね。

>chiaraさま
アマゾンで検索してみたのですが、ロースキィの「キリスト教東方の
神秘思想」というのは宮本 久雄という人の翻訳でいいのでしょうか?
原作者の名前がないんですよね(^^;

>へっぽこさま

私は愛の足りない人間なのですが、「大事なのは愛だ」と母教会で叩き込まれ
てきたゆえ(笑)理屈ではわかっているのです。道を誤らないためにも、
大事なことですよね。
ともかく、カトリックじゃないですが「愛の完成に導いてください」と日々
祈っていきたいですね。

29フランシス・ヒデ:2004/02/29(日) 19:45
パンプキンさま、

横槍、御赦しを!
おそらく、Vladimir Losskyの話ですね?原著はEssai sur la Theologie
Mystique de l'Eglise d'Orient (1944)ですね?
英語翻訳はThe Mystical Theology of the Eastern Churchで、
St. Vladimir's Seminary Pressから出ています。
フランス語がよければ、原典をお読みになるのが良いでしょうし。
日本語翻訳は、おっしゃるとおり宮本さんの翻訳だったと思います。この
修道司祭さまは、日本での教父・東方神学研究の第一人者です。

30タチバナ@灰羽連盟:2004/03/01(月) 08:56
ヒデさま、横槍といわず、たまに書き込まれるとみんななごむと思いますよ・・と神の声のごときに横レス。
なにしろ、あっちがああですから(笑

31パンプキン:2004/03/01(月) 18:09
>フランシス・ヒデさま

書籍情報ありがとうございました!
タイトルで検索したところ、ロースキィの名がなかったので、「これでいい
のかな?」と思って質問させていただいた次第です。
今は洋書を読む頭の体力がないので洋書は考えていなかったのですが、
調べてみると英語翻訳の方は1487円、和訳が3200円ですね。
むむむ・・・迷いますね(^_^;

フランス語はアンドゥートローしか知らないので、問題外ですが。(笑)

32フランシス・ヒデ:2004/03/02(火) 02:18
タチバナさま、
ほんとにもう、メインが荒れまくっていて、皆様にも申し訳ないです。
「東大阪」さんと対策を話し合いたいのですが、彼が仕事のため自由が利かない
現状でして、対応が遅れております。

パンプキンさま、
私もフランス語は、しょっちゅう辞書を引かないと読めないので、英語翻訳を
読みました。250ページ程度で、時間のある時なら2日ほどで読める本です
よ。

33火の洗礼を祈る小羊:2004/03/02(火) 21:27
フランシスさんに平和。

メイン荒れていても、いいと思いますよ。特定の教会関係で荒れているようですが、よく読んでいないのでわかりませんが、そこの方たちにしてみれば、死活問題です。
やはり、荒れるだけ荒れる、というのが本当の姿かと思います。ですので、こうした避難ページもあることですし、私は静観するのがいいかと思います。
少し、見てみたら、船長さんとか、へっぽこさんが書き込んでいますね。タフですね。感心しました。無関心な私より、愛があるということ、なんでしょうね。

34へっぽこ:2004/03/02(火) 23:09
火の洗礼を祈る小羊 さま
へっぽこもいーかげん疲れました...
小羊さんの掲示板の方が、やはりいやされますね...

35火の洗礼を祈る小羊:2004/03/03(水) 00:26
へっぽこさんに平和。

そうですか、やはり疲れますか。波間に浮かぶ丸太船を見たようで、すごいなあと思いました。ネットでも周りの人間関係でも、そうだと思うのですが、ついつい他人に何か言いたくなりますよね。ついさっきもICFで言ってきたばかりですが、
私の場合、見込みがありそうだとか、好みでレスしたりすることが多いのですが、その人たち全てに、主は最善の方策をとっておられるとすると、私などがど〜のこ〜の言うべきなのではないかもしれないのですが、それでも私もICFやこちらでたくさんの方に教えられてきました。
それが、愛なのか自己満足なのか闘争心なのか、自分を律することが大事なのかな、などと考えています。

36名無しのひつじさん:2004/03/03(水) 00:43
ロスキーとでてくるとそろそろフィリオクエ問題で正教会の人たちが、ほえ始める予感が。

37フランシス・ヒデ:2004/03/03(水) 05:27
みなさま、

確かに、36様もご指摘のとおり、フィリオーケ問題は未解決のままではあり
ます。しかし。すでにヨーロッパの中世のころ、東方教会ではフィリオーケを
必ずしも「分裂の決定用件」とは見なさず、「ラテン教会の特殊な解釈」と
理解していた人たちもいたと、東方神学研究者の論文で読んだことがあります。
その意味で、「ひつじ」においては話し合うべき問題はいくらでも話し合って
いただきながら、フィリオーケで「分裂」するのでなく、東西がお互いの違いを
認め合った上で話し合えればと願っております。
この問題については、新世社の雑誌「エイコーン」の第4号(1990年夏)と
第5号(91年春)にある、H.J.マルクス教授の「聖霊の発出」という論文を
お奨めいたします。東京なら、四谷のサンパウロ書店などにバックナンバーが
あるかもしれません。もしなければ、新世社 052-971-3556にお問い合わせ
ください。名古屋市中区丸の内3―6―43みこころセンターにあるそうです。

「へっぽこ」さま、
実際、正教会の現場では、この「フィリオーケ問題」について現在もうるさいの
でしょうか?

38名無しのひつじさん:2004/03/03(水) 09:36
ハンス ユルゲン マルクス 中世に於ける東西両教会間の核心問題(上) 南山神学 第2号(1979年 9月) 中世に於ける東西両教会間の核心問題(下) 南山神学 第3号(1980年 9月)
聖体と聖霊 東方典礼におけるエピクレーシスの教理的背景 南山神学 第10号(1987年 2月)というのもありまつよ。

39chiara:2004/03/03(水) 21:45
フィリオクェの問題とともに聖変化、>>38さんの指摘するエピクレーシスの問題もあるでしょうが、
すでにルネッサンス期に東西の歩み寄りの試みは為されていたわけですが、コンスタンチノープルの
陥落の為に現代まで保留要項となってしまいましたね。
現在、ローマにいる司祭の話では、東方教会とローマとは積極的な交流へと向かっているそうです。
寧ろローマではエキュメニズムの筆頭対象は正教会であり、司祭によっては「ローマは地方教会」
という言い方をする人もいますし、互いの尊重への方向は模索されている様子ではあるようですが、
同時に、ロシアでのカトリックの宣教への制限、相互倍餐の不可状態(カトリック信者は正教会
では聖体はうけられない)などの現実はありますが、しかしそれも理由あってのことで理解出来ます。
(前者はローマ地方の教会が他の縄張りに出張ること自体、変といえば変。後者は神学的理由だし)
まぁ、あと何十年かかろうと何百年も保留になっていた事柄が今話し合いの端緒についたということで、
焦らずとも孫子の代には垣根も無くなることを祈りたいかなと思いますね。
それは正教に限らず、多くの教派においていわんやです。個性を大切にしながら互いを尊重出来る
時代が来ることを祈ります。

40へっぽこ@不勉強で申し訳ありません:2004/03/03(水) 22:57
フランシスさま >>36さま
へっぽこハリスティアニン心得、こと私はまだ「フィリオーケ問題」
なるものを神父さまから教わっておりません。
神父さまに機会を見て伺ってみたいと思います。

41へっぽこ@米国では...:2004/03/03(水) 23:16
http://www.st-andrew-tokyo.org/shuuhou/memo21210.html

そういえば、以前聖公会の礼拝に出席したとき、米国では聖公会とルーテル
が、フルコミュニオンとして相互陪餐が当たり前になっているという話を
聴きました。これは、相互陪餐に止まらず、相互の聖職制度を認めるか
ということに絡んで来るのでしょうか?そうなると難しい問題になりますね。

42ostia:2004/03/04(木) 00:12
 フィリオークエ は,ニカイアコンスタンティポリス信条が定式化されたあと,ローマカトリックが,勝手に挿入したというのが通説です(AD600年ころらしい)。
 これは,「アディアフォラ」では済まされない問題であるとは思います。

>>41 ヘッポコさんへ。

 アメリカ合衆国における「ルーテル派」の分派は非常に複雑でして,LCMS(ミズーリシノッド)は相互陪産は「トンでもない」ことになっています。
 ルーテル派分派内の「相互陪酸さえ」ダメのようです。
 日本のミズーリシノッド(ルーテル教団)は「わが教団は,ルーテル派パリサイ主義である」と自重しています。
 で,「福音ルーテル教会」と「日本ルーテル教団」は三鷹の杜で共同で大学(旧名称日本ルーテル神学大学)を経営しております。そこのチャプレンは,「女性」でありまして「ミズーリシノッド」は「女性牧師禁止条項」があります。
 まったくワケワカメの状態です。

 で私は,牧師や役員に「アメリカのミズーリシノッドとは,絶縁しろ」と主張しているのですが,「援助金」の問題がありまして,腐れ縁は切れないようであります。頭痛いね。


43字句訂正 オスチア:2004/03/04(木) 00:19
「わが教団は,ルーテル派パリサイ主義である」と自重しています。



「わが教団は,ルーテル派パリサイ主義である」と「自嘲」しています。

に訂正しています。

 年に1回「聖会」みたいな者があるのですが,飲酒した牧師が上半身裸になって,賛美歌を歌いまくります。バッハの「血潮滴る」は「剽窃だ」と放言した牧師がいたのでぶん殴ってやりましたです。

44オスチア:2004/03/04(木) 00:34
 人間は神の似姿です。したがって,人間存在も「三位一体」の似姿が残っていると私は思います。
 そういう仮設の元で考えましたところ

 父なる神=意識
 子なる髪=自己意識
 聖霊=父なる神(意識)と子なる神(自己意識)を相互交流させる意識作用

 と考えたことがあるのですが,なんか,いんちきヘーゲリアンみたいな考えなので,ちょっと迷っています。

45chiara:2004/03/04(木) 00:43
オスチア様>
ローマが「勝手に」という言い方は、当時の非ローマ的の立場の表現ですね。
ローマとしては、ローマ教会ではそう考えるというだけのことです。
勝手にという恣意的な修辞語は、オスチアさんの立場の表現でしょう。
(・・・・つっても、当時としては非常に保守的ともいえる、王道のカトリックであったルーテル
自身はどっちの立場だったんでしょうか)

まぁ、神秘に関わることを明文化していくと、原理化していくという光景は、
「論理」の世界では当然の現象とはいえ、
わたくしは、正直そういうことにはもううんざりしていて、
神学的に厳密なことはもう考えたくないとは思ってはいるんですけどね。

46chiara:2004/03/04(木) 00:56
>>24 パンプキン様
>chiaraさまは以前三位一体に「クレド」と言うのにかなり時間がかかったと
おっしゃっていたので、鵜呑みにされたわけではないとは思っていました。
そのあたりの経緯を知りたいと思ったわけなのです。

返事が遅くなってごめんなさい。
そうですね。やはりキリストの人性と神性という問題が大きく横たわりましたから。
色々な本を読みました。プロテスタントの自由主義神学的な立場のものから、
ギリシャ教父達が構築していった経緯まで。
色々な導き手に出会った中で、学ばせてもらいました。それはルーテル教団の牧師先生や、
大学の哲学科の教授といった方たちで、そういう方に色々な本を紹介してもらったわけです。
しまいには、三位一体について膨大な論考があるという事実に、こりゃ〜生涯にかけて考え続けるに足る、
永遠の課題かも。と、思ったのです。簡単に解答が出せるわけでない。と。

実際、人格神を持つとはどういうことか。特にイエスという人としてこられた神がいる。
というキリストの特性は、非常に身体的であると同時に、哲学的でもあるわけで、
その形而下と形而上との間をいったり来たりすることで単なる空論ではない、神秘のリアルさを
感じ取れるといったことはあると思います。

三位一体は奥義であり、だからこそ永遠の美として彼方にあると、そのあり方が
美しいと思ってしまうんですね。

47名無しのひつじさん:2004/03/04(木) 01:01
>>42
そういうルーテルのワケワカメな常態を嫌ってか、1996年には、教会史及びルター研究の権威であるイェール大学のヤラスノフ ペリカン教授は、ルーテル派から正教に改宗しました。「LCMSが、”バプチスト”になった時、福音ルーテルが、”メソジスト”になった時、自分は、正教になった。」と言ったと伝えられています。

http://www.stlukeorthodox.com/html/innews/easternrite.cfm

48名無しのひつじさん:2004/03/04(木) 01:31
↑ホントにワケワカメだね。

49フランシス・ヒデ:2004/03/04(木) 04:16
chiaraさま、

横槍、御赦しを。。
久しぶりにchiaraさまの霊性をご投稿から感じ取れて、私もうれしいです。
メインの掲示板が荒れまくっていて、申し訳ございません。

「神秘に関わることを明文化していくと、原理化していくという光景は、
「論理」の世界では当然の現象とはいえ、わたくしは、正直そういうことには
もううんざりしていて・・・」
とおっしゃるのは、実は私も以前から同感です。「神秘に対して我々がなしえる
最大の冒涜は、神秘を説明し尽くしてしまおうとすること」だろうと、私は
10代の頃から考えておりますので。

「キリストの特性は、非常に身体的であると同時に、哲学的でもあるわけで、
その形而下と形而上との間をいったり来たりすることで単なる空論ではない、
神秘のリアルさを・・・」
とおっしゃるのも、私としては10代の頃からアーメンです。永遠のロゴスなる
正しく形而上の何ものかを、血肉なる我々がリアルに感じ取れることがあるとす
れば、そのロゴスご自身の身体化(受肉)こそそれにふさわしいですね。

ときに、以前chiaraさまはどこかにお引越しなさるとおっしゃってましたが、
お引越しは無事に終わったのですか?
私のほうもこの3月末に引越しすることになりそうですが、私は直線距離で
1.5kmほどのところに移動するだけです。相変わらず、高円寺系です。
ビーズのアクセサリーなど、高円寺のお店で売っています。
ご存知のとおり、英語ではsay one's beadsというと「お祈りする」といった
意味ですね。ロザリオなど使い慣れた方々には、すぐに分かる表現ですよね。
ビーズにはこうした「祈りとの親近性」があるので、買ってくださる方に
主の祝福があるよう祈りながら、アクセサリーを作っております!

50タチバナ@灰羽連盟:2004/03/04(木) 09:38
>フィリオークエ は,ニカイアコンスタンティポリス信条が定式化されたあと,ローマカトリックが,勝手に挿入したというのが通説です(AD600年ころらしい)。
>これは,「アディアフォラ」では済まされない問題であるとは思います。

「ローマが勝手に挿入したのが通説」と言い切るのならきちんとした文献資料を挙げ、引用すべきでしょう。
「フィリオクエ」がのちに挿入されたことはたしかでも、それを「勝手に」とするのは解釈の問題で、どちらかを一方的に正しいとする根拠はなんなのでしょう?

51タチバナ@灰羽連盟:2004/03/04(木) 10:33
しかしchiaraさまはさすがおとなですね。
私がカトリッカーなら、ぶち切れて、72時間ほど問い詰めたくなる(笑

こころ騒ぐので阿弥陀経でもとなえます。なむなむ・・

52名無しのひつじさん:2004/03/04(木) 12:21
>>49
「神秘に対して我々がなしえる最大の冒涜は、神秘を説明し尽くしてしまおうとすること」
これは、西方キリスト教の特徴として、よく正教の人が、ロスキーを引き合いに批判するポイントですが、より視野を広げるとユダヤ教、キリスト教、イスラム教という1神教の中でも特異なプロテスタント的現象です。つまりプロテスタント以外のすべての一神教の中で神は、本質は、うかがい知れないが、そのエネルゲイアは、知られるとする否定神学の伝統が、保持され続けているのに対し、改革派以降のプロテスタントでは、その根本的な神秘に対する感覚を失ってしまった。
これが、アメリカ産のバイブルカルトにおいては、もうマンガチックといっていいような字義的なの聖書解釈で神を世界を歴史をそしてすべてを説明できるという壮大な勘違いに陥っているということだと思います。こうした西方キリスト教の逸脱の根本的原因をロスキーらは、フィリオクエによる3位一体理解の合理化とギリシャ哲学に無知だった西方のキリスト教が、スコラ神学に幻惑されて信仰を合理化してしまった結果だとして批判するわけですね。

53へっぽこ@神秘:2004/03/04(木) 13:21
>>「神秘に関わることを明文化していくと、原理化していくという光景は、
「論理」の世界では当然の現象とはいえ、わたくしは、正直そういうことには
もううんざりしていて・・・」
とおっしゃるのは、実は私も以前から同感です。「神秘に対して我々がなしえる
最大の冒涜は、神秘を説明し尽くしてしまおうとすること」だろうと、私は
10代の頃から考えておりますので。

*********
フランシスさま、>>52さま
へっぽこの突飛な思い付きですが、創世記第3章の、アダムとエヴァが犯した
”原罪”もこれに関連があるのかも?と感じました。
神は「知恵の木」からだけはとって食べてはいけない」と言われた。
これは、「神の領域に属する事を人間の知性で踏み込もうとした」
ことになるのではないでしょうか?
「バベルの塔」もまたしかり。

...難しいですねえ。神は人間の「知性」を否定する訳ではなく、
「何が正しいかをなぜ自分で考えようとしないか?」ルカ12:57
人間の知性を「完全なもの」と錯覚する事をたしなめているのでは?

逆に「理屈を言うな。ただ信じろ。」の思考停止教会も困ったもの
ですもんね...

54パンプキン:2004/03/05(金) 02:46
>chiaraさま

語りにくいことをお願いしてしまいまして、レスありがとうございました。
奥義だからこその永遠の美、そのあり方の美しさということなのですね。

ところで、一信徒として単純に疑問に思うことがあるのですが、

>しまいには、三位一体について膨大な論考があるという事実に、
>こりゃ〜生涯にかけて考え続けるに足る、永遠の課題かも。と、
>思ったのです。簡単に解答が出せるわけでない。と。

三位一体は簡単に解答が出せるわけではない、という間にも、chiaraさまは
実際に信仰をなされ、神に祈られているわけですが、祈っている間の、
その、なんといいますか、神様のイメージというものは、どうなって
いるのでしょう?
(これは、突込みではなく、単純な疑問と受け止めてくだされば、幸いです)

私自身は、「イエス=父なる神」の教会で生まれ育ったため、祈るときは
そういうイメージで、創造主なるイエスさまに向って祈るわけですが、
(つまり、私たちの理解を超えた神さまが受肉された形のイエスさま)
三位一体の場合は、またイメージが違うと思います。
慣れ親しんでいる神様のイメージが違うとなったら、それはけっこう
祈る上での問題となると思うのですが、chiaraさまもまた、神にちかず
こうとする探求の途上にあられ、祈り続けておられるということなので
しょうか。

あっこういうことに関して今は語りたくないようでしたらレスはパスして
くださってもOKですよ。
紹介いただいた本、洋書で(^^;チャレンジしてみます。

55パンプキン:2004/03/05(金) 02:46
>フランシス・ヒデさま、へっぽこさま

>「神秘に対して我々がなしえる最大の冒涜は、神秘を説明し尽く
>してしまおうとすること」

神秘に対しては、幼子のように素直にということですね。
ただ、幼子というのは騙されやすいもので(^^;いろいろな理論に
翻弄されて何がなんだかわからなくなってしまうということも
あるわけで、そういったとき、ひとり主の前に立って個人的な
啓示を受けられればよいのですけど、そこまでいかない人のため
に、神秘を説明してくれる人がいるとありがたいと思うことは
個人的にありますね。

私も、へっぽこさまと同様、「知恵の木から食べる」というのは
そのようにとらえています。
幼子のような(鳩のような)素直な信仰と、蛇のような聡さの
両立。難しいですね。

でも、少なくとも、最終的には、迷いに迷ったら自分の知恵に頼
らず、(教会にも頼らず)、(誰かの著作にも頼らず)、祈りの
中で主にのみ聞くという道が残されていますものね。
これは一般信徒にはなかなか難しいことですけど、いろいろな
考えに出会い、迷う中で、最終的にそこに導かれるのかもしれな
いですね。それだけが、「うのみ」でもなければ「自分の知恵」
にも頼り過ぎない、唯一の内的確信でしょうからね。

サンダー・シングのように「キリストの足下で祈りをささげる、
これこそ世界一偉大な神学校であります」と言い切れるように
なりたいものであります。

56パンプキン:2004/03/05(金) 02:47
ところで、ヒデさまはビーズアクセサリーを作られるのですか・・・
うらやましい!!ホントに多才な方なんですね。
うちは3歳の娘がいまして、カラスのように光りものが好きなので、
手芸店でビーズの本を見つけては「お母さん、こういうの作って!」と
せがまれてほとほと困っております(^_^;ご教授願いたいくらいです。
「祈りとの親近性」とは程遠い、俗な話ですんませんが。

57フランシス・ヒデ:2004/03/05(金) 07:37
パンプキンさま、

「神秘へのθεωρια」と「人間の理性の活用」とは、実は必ずしも矛盾する
ものではないと私は考えています。つまり、我々が我々自身の理性の限界を
見極め、「ヒトのロゴス」は何ができ、何ができないのかといった「理性自体」
への反省を絶えずともなうのが、本当の「理性」でありましょう。すると
ほぼ自動的に、「理性を超える何ものか」をも認めることになりましょう。

ははは、私もビーズはまだ日が浅く、あまり高度なものは造り方を知りません。
私が現在店に置いているのは、ネックレスやラリエット、チョーカーと
いった単純なものと、ビーズを編んで作るブレスレットやリング、造形性の
あるペンダント・トップなどです。たとえば、ブレスレットに立体的な「ビーズ
のお花」を組み合わせるくらいのことはできます。
ビーズつくりは掲示板で説明するのが困難なので、トップページ下のEメールで
そのお嬢様の求めておられるアクセサリーを具体的にお知らせくだされば、
それを私が作って送ることはできるかもしれません。(色、長さ、形状など
を簡単な図でお知らせくだされば)
あるいは、ご自分で基本的な造り方をお学びになりたければ、例の446様も
ビーズつくりがお好きなので、3人の主催によりでどこかで「ビーズつくりの
会」でもやればよいと思いますよ。お嬢様ももしご希望なら、ご参加いただいて
一緒に作るとか。(小さい子供は集中できる時間が限られていますので、飽きた
ときの他の遊びも用意しておく必要がありますが)
他にも希望者の方がいらっしゃれば、参加いただいてよいわけですし。
↑にも言及しましたが、beadsは祈りと親近性があります。そもそもアクセサリー
や衣服を人間が身につけるようになったこと自体が、「邪から見を守る」という
護符的な意味があるようですし。(私が研究したわけではありませんが、学者達
がよくそう言っています。)アクセサリーのモチーフにクロスやハートといった
ものが多いのも、どこかそれに関係するのか?とにかくキリスト教でも、
クロスだけでなくハートもよく使われる図像でして、たとえばアンティオキアの
聖イグナティウスのシンボルはハートとクロスが重なったものだったように
覚えております。
現代ではとかく「信仰」というと言葉だけの議論になってしまいやすいのです
が、そうした時代の中で信仰と「手作業」が結びつくことは有意義だとも
思えますね。

58へっぽこ@神秘:2004/03/05(金) 20:37
フランシスさま、chiaraさま、パンプキンさま
へっぽこは今日、世界祈祷日の合同礼拝に出席した後、
はり治療院(マイケル・ビターさまとご同業ですね)
に言って来ました。一回の治療でかなり楽になりました。
何と言うか、”神秘”を感じた思いがします。

西洋の合理主義...数字や理論で説明しやすい世界。
正教会の神父さまも、「西方の神学は論理的に判りやすいので、
東方は論争で負けやすい。”解かりやすい”の罠がある。」と
おっしゃってました。

医学の世界もまた然り。東洋医学は、経験の積み重ねによるものが多い
と思うので、学術的な説明が及ばない世界もあるのではないか?
先生は、Oリングテストで(これが不思議なんですよね)へっぽこの
体の弱いところを発見し、治療してくれました。精神的にも、
「鬱になりやすい人は、几帳面すぎることが多いので、几帳面の許容範囲を
広げるような治療をしましょう。」と言ってくれました。

不思議なことに、正教会=東方教会にお誘いした人(オペラ歌手の団体の方)
から東洋医療のクリニックを紹介して頂きました。東洋的な”神秘”の世界に
癒されるかも知れないと思っています。

...東方教会の”神秘”は、いわゆるカリスマ・ペンテコステ派の
いわゆる”神秘主義”とはまた違うものだと感じますが、いかがなものでしょう?

59名無しのひつじさん:2004/03/05(金) 22:18
>>東方教会の”神秘”は、いわゆるカリスマ・ペンテコステ派の
>>いわゆる”神秘主義”とはまた違うものだと感じますが、いかがなものでしょう?
  52だけど、カリスマ・ペンテコステ派の神秘は、プロの世界で信仰の合理化されすぎて、神秘が、なくなってしまったところに、神秘が、復活してきたということです。東方教会では、神秘が、歴史的に否定されたことは、一度もなかった。東方教会にとって、カリスマ・ペンテコステ運動の霊性は、非常に幼稚に見えるのではないかな。なにしろ、実質、死んでいたと思っていた神が、いやしなどの奇跡の経験を通じて実は、生きているということに気がついて、すごく興奮しているが、気がつくまでは、あなたたちは、一体何だったのという感じではないかな。修道者の教科書であるヨハネクリマコスの梯子でいえば、まだホント、スタート時点にもたってないんじゃないかな。
そんなわけで東方教会は、一般にカリスマ運動に懐疑的で悪い場合は、セラフィムローズのように悪霊のだまされているという見解です。禅でいうところの野弧禅という表現が近いかもしれません。正教会は、よくプロテスタントは、実質、受肉のドグマが、わかってない仮現論というに陥っているとはっきりいってますから、この見解も驚きあたいしないでしょう。ただ日本では、西洋程、意識の世俗化は、進行していないので、こうした議論にどれ程、意味があるかどうかは、わかりません。

60パンプキン:2004/03/05(金) 22:26
ぬおおお、「ビーズ作りオフ」!!
本気にしてしまいますよ(^o^)

詳しくレスする時間はありませんが、つい興奮してこれだけ書き込み
してしまいました。具体化することを願っております(^_^;

61へっぽこ@なるほど..:2004/03/06(土) 00:30
>>ただ日本では、西洋程、意識の世俗化は、進行していないので
なるほど...それで「日本人には東方教会の方が合っているんじゃないか?」
という考えも出てくるのですね...

62名無しのひつじさん:2004/03/06(土) 01:04
>>61
東方教会では、日本のプロの人が、なやんでいるような問題がみんな解決済みだよね。パニヒダの祈りで、死者のために、カト以上にしっかり祈っているし、神化の教説で、神にはなれるし、一度も終油の秘跡に退化しなかったいやしの機密もあるし、国のためには、聖体礼儀の中でとりなして祈っているし、自殺した人とか洗礼をうけない赤ちゃんは、地獄にいくとか離婚は、絶対ダメとか今も昔も断言しないし、原罪の理解では、人間に神の像は、瀕死の重傷だとしてもちゃんと残っていると楽観的で、マリアの無原罪とか煉獄とかカトのようにむつかしいこといわないしね。受難より変容に力点があって、聖人様が、血を流すよりも腐らないというのもいいよね。あんまり、勤労のエトスがないのと、無自覚のが、たまにきずだね。正教のよさをいうのは、たいていは、改宗者と他教派の人たちです。

63火の洗礼を祈る小羊:2004/03/06(土) 09:38
>>62
名無しさんに平和。なかなかお詳しいですね。正教は、近所にあれば行きたかったところなのですが、

1 終油の秘跡に退化しなかったいやしの機密 は効くんでしょうか
2 人間に神の像は、瀕死の重傷だとしてもちゃんと残っていると楽観的、これは神道でも、私もそう考えているのですが、キリスト教にそんな派があり、それが正教であったとは驚きでした、何か惹かれる理由もわかりました。

こうした知識は、早々得られないのでしょうが、お勧めの本などあれば、お教えください。

64名無しのひつじさん:2004/03/06(土) 10:58
>>63
1.いやしの機密で、実際の肉体的疾患が治ることも、期待されてはいるが、いやし自身が、しばしばカリスマ派にあるように目的とされていません。
2.この態度は、正教では、より明確ですが、カトでもそうですよ。逆に人間が、完全にダメになっちゃったのは、改革派以降のプロだけですが、日本では、キリスト教は、そう思われてますね。
この正教の人間論は、基本的事柄ですから、入門書には、必ず書いてあります。
世界的には、
Timothy Ware Orthodox Chruch  Penguin Books
John Menendorff Byzantine Theology Fordham University Press
Jarasnov Pelikan Christian Tradition Vol.2 The Spirit of Eastern Christiandom University of Chicago Press
が、最もよく読まれてますが、邦訳は、出ていません。
日本語では、
オリビエ クレマン 東方正教会 文庫クセジュ
高橋保行 ギリシャ正教 講談社
といったところです。

65名無しのひつじさん:2004/03/06(土) 11:45
>>64
Jarasnov Pelikan は、Jaroslav Pelikanが正しいスペルで訂正。


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