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「三位一体」の本質

2へっぽこ@続きです:2004/02/25(水) 00:43
フランシス・ヒデさま直伝の、「論理・理性のロゴス」と「神秘のロゴス」
タチバナ師匠はノンクリにも係わらず、「三位一体が組みあがっていく過程が
美しい」と表現されました。

神学論争はディベートの如く、「論理力=Logic」がモノを言う部分も
あるでしょうが、最後は「神秘」。

M神父さまは、教条主義的でない解かりやすい教え方をして下さいます。
「真理」は必ずしも論理的なものでなく、弟子たちの神秘体験がもとに
なっているので、論争になると、ともするとより「論理的」な
アリウスや単性論に「負けそう」になる。最後は「神秘体験」を主張
するしかなくなってくる、というものです。「実際にキリストを”神”として、
かつ”人”として体験した弟子たちによる伝承・聖伝」が基本。

ですから、アタナシウスとアリウスの論争はディベートのようなものでは
なく、実体験した者としていない者の論争なので、「視座のずれた話し合い」
だったのでしょうか?

何に例えると判りやすい?
ウィスキーのアイレイモルトを実際に味わった人と、味わっていない人が、
「アイレイモルトと国産ウィスキーとどちらがウマいか?」を論争するような
ものでしょうか?知識として、「アイレイモルトがウマい」と認識することも
できますが、やはり味わってみなければ本当の飲み手とは言えない。

フランシスさま
稚拙な譬えで恐縮ですが、「神秘のロゴス」味わうに当たっての心構え?
(なんて言えばいいか)ご教示いただけますでしょうか?


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