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「三位一体」の本質

1自称へっぽこハリスティアニン:2004/02/25(水) 00:19
「自称へっぽこクリスチャン」改め「自称へっぽこハリスティアニン」
です。(帰正式前だからまだ名乗るのは早いか?)
「へっぽこ」ゆえに、「三位一体」を含む
「ニケア・コンスタンチノポリス信経」の認識が甘く、醜態をば
さらしてしまいました。「異端」よりも「カルト」が問題が大きい。

しかし、「異端」...特に「三位一体」を否定する「異端」
「正統」「異端」というのも相対的なものであるという見方も
できますが、「ひつじ」の本文にもあるように、キリスト教
としての最低ドグマを押さえておきたいと思います。

というのは、正教会で神父さまに、腰を据えて習い始めたから
であります...

94パンプキン:2004/03/13(土) 03:06
>chiaraさま

説明ありがとうございました。
うーん、「神的三一性」と「三位一体」の違いは「三人格」(三神論)と「一人格」(一神論)
の違いだとこれまで単純に理解していたのですが(そういう説明文もあるし)、「人格」の定義
がミソのようですね。

ネットで見た説明では
http://monsite.ifrance.com/EPIPHANIA/Cours/Cours26.htm

>サベリウスSabellius派…(中略)「一体」すなわち、唯一の神を強調する余り、父と子と
>聖霊は神さまの三つの姿にずぎないとする。同一の人格が、父でもあり、子でもあり、聖
>霊でもある。神は世と教会の中において、様々な関係の中でご自身を顕現されるが、父、
>子、御霊とは、そのような様々な関係を表現しているのである

と書かれた後で
>これは、けっして三位一体論ではありません。三位一体論とは、「父、子、聖霊は、それ
>ぞれ別の人格であり、互いに会話し、働きかけあうことができる」とするものです。

と解説がしてあります。
そこで三位一体を表現する方法が過去にさまざまに試みられたとして、

>三人の人物像…父と子と聖霊をそれぞれ独立したペルソナとして表現している図像で、イコンにも見られる。
>10世紀以降、聖霊を人物で表現することは禁じられたため、ハトの姿で表されることが多い。

というのも実際にあったようです。これが私が教えられた三位一体の漫画チックなバージョンですね。

これは、chiaraさまの理解とは、異なっているでしょうか?

過去に、クリスチャンの友達と話をしていて、「三位一体のことを知りたいなら、うちの牧師さんに
聞けば。」と紹介してもらって質問に行ったとき、その牧師さんは、「人格はひとつだと個人的には
思っています」と答えられて、「あ、この牧師さんは神的三一性なんだ」と思ったものです。
でも、厳密な「人格」の定義がなされていないと、もしかして私の誤解だったかもしれませんね。

どうも、はっきりした違いがよくわからないのですが、
私の持論としては、「三位一体は、キリスト教の最低ドグマではない」というものがあります。
「キリスト教かそうでないかを分けるものは、三位一体ではない」という意味合いで。
まあ、そうじゃないと自分の信仰はキリスト教ではないことになっちゃうこともありますが(笑)
あの世の問題と同じく、死んでみればわかることで、祈りに応答して感じられる神さまの姿を大事に
していけばいいのじゃないかと。
神秘を言語化する努力というものはもちろん否定しないのですが、それを分裂の基準(へっぽこ
さまのおっしゃる「リトマス紙」)にしちゃうことには、どうも不満・・・なのですよね。(笑)

95chiara:2004/03/13(土) 11:28
パンプキン様
例えばユニテリアンなども三一論は持たなかったと記憶します。
彼等はキリストの神性を否定しています。
では彼等がキリスト教徒ではないと言うかというと「そうではない」と私は思います。
かなりリベラルなクリスチャンでしょう。歴史的にみれば、メルヴィル、ホーソンなどが
この教派ですが、彼等がキリスト教的視点を持っていないなどと評価する人はいないでしょうね。
予定説を採択せず、万民救済説を採る為に、長老改革派からの転向者が多い。
非常にリベラル且つグローヴルな思考で、教派に固執しないという姿勢があり
宗教右派的原理主義とは対極にあるのですが、こういうのもアメリカ独自の風土が産んだのかもしれません。

96タチバナ@灰羽連盟:2004/03/13(土) 13:09
三位一体のたとえとしては古くは、アウグスティヌスが「愛するもの」「愛されるもの」「愛そのもの」という例を出してます。「三位一体論」だったと思うが、10年くらい前に読んだのでよく覚えてない。

どうでもいいが三位一体論の文脈でpersonaを「人格」と訳すのは誤訳だと思うが。かといって「位格」じゃなんのことかわからんけど。まあ、定訳なので。

97タチバナ@灰羽連盟:2004/03/13(土) 13:35
>>94
>私の持論としては、「三位一体は、キリスト教の最低ドグマではない」というものがあります。
>「キリスト教かそうでないかを分けるものは、三位一体ではない」という意味合いで。

私は三位一体はキリスト教の最低ドグマ(←どういう意味だ?)だと思いますよ。
ユニテリアンは理神論から生じたはずですが、この勢力がキリスト教の列に加えられた経緯には歴史的あるいは政治的なものがからむのでしょうが私にはよくわかりません。
しかし、圧倒的に少数派であり、主流派が三位一体を堅持している以上、やはり、「三位一体」はキリスト教と非キリスト教を分けるメルクマールでしょう。
だいたい三位一体がそうでないなら、どこで分けるのでしょう? 三位一体とりわけイエスの神性の肯定は、他のセム一神教(ユダヤ教とイスラム教)とキリスト教を分かつ重大な特徴だと思いますが。

98chiara:2004/03/13(土) 14:04
タチバナ様
確かに教義を論理的に突き詰めればそのような線引きが有効でしょう。
しかし、前提が違うとその線引きも変容します。
例えば「なにから源泉を得ているのか」という流れからするならば
私自身は古代の「異端」から、現代の「異端」と呼ばれるものまで包括し得ると考えています。
暴力的にいえば、「ユダヤ教から派生した宗教であり、イエス・キリストを通じて思考する
宗教である」とかね。そういう定義だと、もうかなり幅が広くなり、
多くのクリスチャンが認めない、エホバの証人だってその範疇にはいることになります。
ここの線引きがまことに感情によって為されている光景の方が変だなぁと思いますね。
ユニテリアンはオッケーでエホバは駄目とか。

つまり線引きをどこに据えるかのか?で、キリスト教のどこにもっとも魅かれたのか
という自分自身の価値すら浮き彫りになるかも。

99パンプキン:2004/03/15(月) 08:47
>タチバナさま、chiaraさま

>三位一体とりわけイエスの神性の肯定は、他のセム一神教(ユダヤ教とイスラム教)と
キリスト教を分かつ重大な特徴だと思いますが。

そこなんですよね。アラーを礼拝していればイスラム教、とか普通は考えるのに、キリスト
を神として礼拝していながらキリスト教ではない、というのはどうも変だなという思いが
あるんですよね。異教なら異教でいいんですけど、キリスト教ってイエスさまを神様と
している宗教じゃないんかい?とか、普通思いますでしょ。なんで線引きが「三位一体」
なのかと。

私の理解では、「三位一体」はアリウス派などが出てくる中で、いかに「キリストの神性」
と「唯一神」の神学を両立させるか。そういうことで定義されてきた神学だと思っている
のですが、その両立のさせ方は一通りではないわけです。
「三位一体」はその両立のさせ方の、ある一例に過ぎず、それ自体に固有の(特殊な)
概念を含んでいます。
なので、それ自体を「キリスト教であるかないか」の線引きの基準としてしまうことで、
イエスさまを神様と礼拝しているのに、また神は唯一であるとしているのにもかかわらず、
「キリスト教でない」とされるものも、出てくるのです。
「三位一体の否定」はイコールイエスの神性の否定ではなく、三位一体という固有の
解釈に対する否定に過ぎない場合もあるのですし。

>暴力的にいえば、「ユダヤ教から派生した宗教であり、イエス・キリストを通じて
>思考する宗教である」とかね。

これ、面白いですね(笑)私はこれでもいいような気もしますが。
というか、その団体が「キリスト教」を自認したいならば、別に邪魔することはない
だろうと。
なぜキリスト教とそうでないものの線引きというものに、学者がこだわるかと言うな
らば、おそらくはこれから入信する人が「どれに入ったら安全か」(どこならちゃん
と救われるか?)というようなことからではないかと、想像するのですが、それなら
それで、正統派でもカルトがあることですし、そういうことを心配する学者さんたちは
がんばって各宗派の教義(主張)の比較リストのようなものを作って出版してくれれ
ばいいのではないかと思うのですね。
もっとも、どこの立場にも与しない公平な資料を作るのは至難の業でしょうけどね。
そういう意味で、フランシスさまのような立場の方は、貴重ですが。

100パンプキン:2004/03/15(月) 08:47
>つまり線引きをどこに据えるかのか?で、キリスト教のどこにもっとも魅かれたのか
>という自分自身の価値すら浮き彫りになるかも。

chiaraさまの書かれたこのことはとっても大事なことだと思えます。
ひどく感傷的な話で恐縮ですが、先日NHKで「ジャンヌ・ダルク」のドラマをやってました。
当時の異端審問の司祭たちは、字の読めないジャンヌに二重証文をつきつけて署名させたり、
男装をしないと誓わせながら、夜な夜なジャンヌを陵辱させるためにイギリス兵を送り込んで、
身を守るために再び女装したころあいをみはからって(それが策略だったらしい)、証文に
違反したとして火刑に処したというのをやってました。
その司祭たちが三位一体を信じているからというだけで「真に」キリスト教徒であるという
なら、キリスト教にカテゴライズされることに何の意味があるかと思うと、何の意味もない
なあとは思うのですが(笑)、やっぱり「線引き」以前に、ホンモノの宗教であるかどうか
の基準は自分的には「律法(誠実と正義と憐れみ)」と「神への信仰」かなあというものが
あります。エホバの証人の人たちがそれを満たしているなら、キリスト教とカテゴライズさ
れても、(カルトの問題を別にすれば)別にいいんじゃないかと私は思ったりしています。

まあ、chiaraさまとのやりとりで、三位一体とは神的三一性の立場から見るほど、そう
単純なものではなく(過去に実際3人の神を想像していた人がいたとしても)、もっと
神秘的な奥義なんだろうなということは文面から伝わってまいりました。もしかして、
個人レベルでは、根っこの部分でそう違わないのかもです。

「人格」の概念ですが、ギリシャ哲学的な頭脳がいるとのことでしたが、
誰を読めばいいとか、そういうのはありますでしょうか?
個人的に追求していきたい問題ですので、もしわかりましたら。

101タチバナ@灰羽連盟:2004/03/15(月) 09:31
>>99
>なぜキリスト教とそうでないものの線引きというものに、学者がこだわるかと言うな
らば、おそらくはこれから入信する人が「どれに入ったら安全か」(どこならちゃん
と救われるか?)というようなことからではないかと、想像するのですが、それなら
それで、正統派でもカルトがあることですし、そういうことを心配する学者さんたちは
がんばって各宗派の教義(主張)の比較リストのようなものを作って出版してくれれ
ばいいのではないかと思うのですね。

いや、だからそこが違うんだな。
学者が「キリスト教」の定義を明確にするのは、そうしなければ概念が曖昧漠然となって役に立たないからです。そこには別に道徳的価値判断は含まれていない。
それゆえ、教義上完全に「キリスト教」であってもカルト的な教会は存在しえるんです。
つまり、論理的・言語的レベルと道徳的・政治的レベルは区別すべきなのですが、議論の際によくこれが混同されているわけ。
すでに昔の「異端」の話でも私はそこんとこをくどくど説明したわけなんですが・・

102chiara:2004/03/15(月) 17:02
パンプキン様
タチバナさんも指摘していますが、正統派などと自称したり、或いは老舗でも、トンでもない
人々がいるのは確かですが、学術的な線引きはそういうモラルではないもので別れます。
「カルト」という線引きでは、三位一体論の採択の是非などなんの意味も持ちません。
「キリスト教」という定義の話ですから、「カルト」の定義ではないのですね。
むしろ、このサイトの意図は三一論&キリストの神格=人格を採択しながら、
「カルト」である教会への批判でしょう。

ところで話が脱線しますが、映画のジャンヌ・ダルクの異端審問はかなり脚色が為されている
でしょうが、イギリスとフランスの政治的駆け引きの中で起きた出来事です。戦争責任を彼女に
かぶせる為に政治家の思惑が働いたわけです。手先となった聖職者はギョーカイ用語の「大罪」
を犯したわけでございますね。教会が国家権力とともにある、もしくはその下にあるというのは、
まこと宜しくない。
彼女をしたっていた貴族に、青髯ジル・ド・レエがいたというのもすごいなぁ。
彼女の処刑にショックを受けておかしくなったとしか思えない。

103chiara:2004/03/15(月) 17:10
>「人格」の概念ですが、ギリシャ哲学的な頭脳がいるとのことでしたが、
誰を読めばいいとか、そういうのはありますでしょうか?
個人的に追求していきたい問題ですので、もしわかりましたら。

「キリスト教東方の神秘思想」ロースキィ 勁草書房
「個の誕生」坂口ふみ 岩波書店

わたくしは中世哲学の教授から、上記二つを勧められました。
前者ロースキィはこのスレでも度々触れられています。
後者坂口ふみの著作は「ヒュッポスタシスとペルソナ」という位格を巡る問題について
かなりの頁を割いて論考しています。
東方と西方の違いなどが浮き彫りになるかも知れません。お勧めです。

104パンプキン:2004/03/16(火) 17:47
>学者が「キリスト教」の定義を明確にするのは、そうしなければ概念が曖昧漠然と
>なって役に立たないからです。

そういえば、異端のスレッドありましたね。以前熟読しましたよ。
おっしゃることはわかるつもりですが・・・まあ、タチバナさまが神学者なら、
純粋に、そうでしょうね。
実際神学者たちが、キリスト教の定義をする際「他の人が惑わされないため」
という神学上の正しさを意識しなかったといえば、それには懐疑的ですが(^^;

ともかく、三位一体は細かい教義だけに、それを外れる教義が「異端」である
ことには納得できても、「異教」にはどーも納得できないものがある、と
いうことですね。
異端は単に、正統派教義を部分否定しているということですが、異教には、
イエス・キリストに対する信仰を否定しているというイメージがあり。

まあ、その線引きで私自身どう変わるということは全くないので、どうでもいい
といえばどうでもいいのですけど、やっぱり初めてキリスト教を学びたいと思う
人にとっては、はじめから勉強の対象外になるだろうしなあ・・・。

>chiaraさま

NHKで紹介されていたジャンヌ・ダルク(映画からの抜粋と、解説)によると、
異端審問から火刑に至る経緯は当時の証言の資料に基づいているそうですよ。
ジャンヌの死後25年してから集められた証言を基にもう一度裁判が開かれ、
教会は当時の宗教裁判の誤りを認めたそうです。
まあ、もちろん、当時の特殊な状況下での、聖職者の堕落とも結びついた、
不幸な出来事だったわけで、そんなことを引き合いに出したものだから、
言いたかったことが却ってピンぼけになってしまいました。

えっ青髯って・・・そうだったのですか。
びっくり。

本の紹介ありがとうございます。
ロースキィはもうじき読めるはず。
個の誕生は、探してみますね。

105名無しの神学さん:2004/03/26(金) 09:28
>>102
> 彼女をしたっていた貴族に、青髯ジル・ド・レエがいたというのもすごいなぁ。
> 彼女の処刑にショックを受けておかしくなったとしか思えない。
ド・レは、指揮官としては有能だったという説と無能な権威主義者だったという説
がありますね。いずれの立場からしても認められているのは、戦場では勇猛に戦っ
たという点。だとすると、彼は、サディスティックな欲望を、戦場での殺戮によっ
って解消できなくなったから、子どもの虐殺に走ったのではないでしょうか。ある
いは、ジャンヌをしたったのも、その頃英仏間の戦闘は非常に沈滞しており、そこ
に無茶な戦闘の機会を彼女があたえてくれたからなのかもと思いました。

106chiara:2004/03/26(金) 10:33
>>105
ド・レエは当時よくあるいわゆる軍人で、戦争に生きるしかない職務の人だったことは確かですね。
サディズムを戦争によって満たしていたのは彼だけではなかったのでしょうが・・・
例えば、十字軍やレコンキスタ運動の一つの目的に傭兵達のエネルギーのはけ口を用意
しなければならなかったという側面もあったらしい。今からは考えられない発想だが、平和時と
なるとそういう傭兵が強盗化して深刻だったとかあったらしいですね。
おっしゃられる通り、レエの場合、それが領地内に向かったということかもですね。
かなりの名門貴族であり、英仏戦争で活躍したはずでありながら、内に篭ってしまったその心理
は不可思議です。

107名無しの神学さん:2004/04/05(月) 11:24
>>50
> フィリオークエ は,ニカイアコンスタンティポリス信条が定式化されたあと,
> ローマカトリックが,勝手に挿入したというのが通説です(AD600年ころらしい)。
> これは,「アディアフォラ」では済まされない問題であるとは思います。
西方では教皇の教導権を根拠に挿入を正当化し、東方は第二コンスタンティノープ
ル公会議だかでの「既に論ぜられし議定に改変を加うるべからず」との条項を元に
批判するのですが、困ったことには東西教会共通で使用しているカルケドンのどこ
かの文言が改定されているらしいのです。なので、一概になにが改変にあたるのか
定まらないので、かならずしもローマ教会が誤謬とはいえないようです。

108名無しの神学さん:2004/04/05(月) 11:33
>>97
> 私は三位一体はキリスト教の最低ドグマ(←どういう意味だ?)だと思いますよ。
> ユニテリアンは理神論から生じたはずですが、この勢力がキリスト教の列に加えられた経緯には歴史的あるいは政治的なものがからむのでしょうが私にはよくわかりません。
> しかし、圧倒的に少数派であり、主流派が三位一体を堅持している以上、やはり、「三位一体」はキリスト教と非キリスト教を分けるメルクマールでしょう。
> だいたい三位一体がそうでないなら、どこで分けるのでしょう? 三位一体とりわけイエスの神性の肯定は、他のセム一神教(ユダヤ教とイスラム教)とキリスト教を分かつ重大な特徴だと思いますが。
>>98
> 例えば「なにから源泉を得ているのか」という流れからするならば
> 私自身は古代の「異端」から、現代の「異端」と呼ばれるものまで包括し得ると考えています。
> 暴力的にいえば、「ユダヤ教から派生した宗教であり、イエス・キリストを通じて思考する
> 宗教である」とかね。そういう定義だと、もうかなり幅が広くなり、
> 多くのクリスチャンが認めない、エホバの証人だってその範疇にはいることになります。
わたしは、Chiara氏にほぼさんせいです。 三位一体論を基準にしてしまったら,エホバや
ユニテリアンどころか、仮現論もアリウス主義も聖霊非神性説派も異教ということになり
異端でなくなってしまうじゃないですか。
それどころか、新約記者のほとんどはキリスト教徒ではないということになってしまう。こ
れではあまりに、キリスト教からこぼれるものが多すぎると思います。

109:2004/04/19(月) 01:46
何か、ほとんど終了しているスレに書き込むのも気がひけるのですが、
あえて書き込みましょう。

私は、三位一体論は正統か異端を分ける基準というより、信仰の豊かさだと
思います。

三位一体論は難しい、そんなこと知らなくてもOKだし、あとの神学者が訳
の分からん用語で神学理論を作り上げたという俗説もあるのですが、

私は、ヨハネの福音書は明らかに三位一体の神との交わりということを前提
にして読まなければ分からないし、ヨハネの福音書にも三位一体の神は明白
すぎるぐらい明白に表されていると思います。

フィリオクエについて言えば、
その不幸な歴史的経緯は別として、西方的三位一体論(父と子およびそれを
結ぶ愛の帯としての聖霊)と東方的三位一体論(父から子が生まれ、父から
聖霊が発出する)というのは、両方とも聖書に含まれていると思っています。

110へっぽこピーメン:2004/04/19(月) 21:24
>>109 【雲さん、へっぽこもフィリオクエ教わってきました。】
敬愛するM神父から、フィリオクエ、教わってきました。
「聖霊が父と子から出で...」と言うのは、子(イエス)を被造物
としてしまうアリウス異端対策、という側面もあった...

そして、ローマ・カトリックでは「子からも聖霊が出でた」ことから、
教皇が子イエスの代理人、よって教皇を通じてのみ聖霊が配られる
ことになってしまって、カトリックの教皇を頂点とするピラミッド型
組織が出来上がってしまった。一方正教会は、各教会が独立しながら
ゆるやかな連帯。すべての教会を束ねるのはハリストス(キリスト)のみ。

...どちらが良い・悪いと言うことよりも、「フィリオクエ」の
有無によって、組織のあり方に違いが現れている...という風に
へっぽこは理解したのですけれども...

111名無しの神学さん:2004/04/19(月) 23:02
しかしだな、雲だ、へっぽこだは、リアルでちゃんと教会生活しているのか?
というより、できているのか?
それが心配だ。

112へっぽこピーメン:2004/04/19(月) 23:23
>>111ご心配頂きましてありがとうございます...
しかしご心配には及びません。
正教会の神父ともしっかり繋がっていますから...

113へっぽこピーメン:2004/04/19(月) 23:25
>>111さんも遠慮しないで神学談義に参加して下さいな。
それとも「肛門」の話の方がお得意ですかな?

114名無しの神学さん:2004/04/19(月) 23:46
本スレで、他人のHN呼び捨てにする人が初めて出たね..
この人は、教会生活どころか社会生活の常識があるのか
そちらの方が心配だ...ちゃんとご挨拶できてるのかなあ?
ルーテル(教会じゃなくって幼稚園)でもう一度勉強した
方がいいんじゃないかな?せんせいさよーなら!イエスさまさよーなら!

115名無しの神学さん:2004/04/20(火) 00:16
やはり「神学」スレではこういう傍若無人なカキコは目立つなあ...

116名無しの神学さん:2004/04/20(火) 00:47
へっぽこさん(これでいいかい、114。しかし、お前の文章は、挑発されてそのまま書き込んだ様子がありあり、といった感だな)に誘われて、この板に来たが。
これが、君の言う、「まともな文章」なのか。
なるほどね。
ま、知識の披露、なれ合いごっこを、大いに楽しんでください、としか言えないね。

117名無しの神学さん:2004/04/20(火) 01:22
↑上の文章、心理学者と精神科医に鑑定してもらおう...

118名無しの神学さん:2004/04/20(火) 01:25
>>へっぽこさん(これでいいかい、114。しかし、お前の文章は、挑発されてそのまま書き込んだ様子がありあり、といった感だな)に誘われて、この板に来たが。
>>これが、君の言う、「まともな文章」なのか。
>>なるほどね。
>>ま、知識の披露、なれ合いごっこを、大いに楽しんでください、としか言えないね。
...「まともな文章」なんて書いた事のない御仁だな..

119名無しの神学さん:2004/04/20(火) 01:34
まともな文章よりも、ちゃんとご挨拶できるように
なってから来ましょうね。

120名無しの神学さん:2004/04/20(火) 01:35
>>118
高校生ぐらいかな?

121名無しの神学さん:2004/04/20(火) 01:36
いや、中学生だろ?

122名無しの神学さん:2004/04/20(火) 01:37
いずれにしてもルーテル幼稚園で
ご挨拶から習ったほyが良いと思う...

123名無しの神学さん:2004/04/20(火) 01:39
>>118
可哀相に...この常識じゃ社会生活送れないわ...

124名無しの神学さん:2004/04/20(火) 01:40
>>118
一種の言語障害なんだろうか?可哀相に...

125名無しの神学さん:2004/04/20(火) 04:14
>>118
オフ会には絶対顔を出せない人だね。可哀相に...

126名無しの神学さん:2004/04/20(火) 04:43
http://www3.kcn.ne.jp/~jarry/
↑けいごのつかいかたがわからなくてこまっているおともだちは
ここでおべんきょうしましょうね...

127名無しの神学さん:2004/04/20(火) 04:46
>>へっぽこさん(これでいいかい、114。しかし、お前の文章は、挑発されてそのまま書き込んだ様子がありあり、といった感だな)に誘われて、この板に来たが。
>>これが、君の言う、「まともな文章」なのか。
>>なるほどね。
>>ま、知識の披露、なれ合いごっこを、大いに楽しんでください、としか言えないね。
...可哀相に、敬語の使い方も習う機会がなかったのね...

128:2004/04/20(火) 07:20
へっぽこさん、フィリオクエについてですが、
そういう考え方は初めて知りました。

私は、西方教会が、「父から」という表現を「父と子から」という表現に書き直したのは、
その背後に西方教会の三位一体論があると思います。

つまり、前も書きましたが、父と子が、愛の帯である聖霊によって、絶えざる交わりをして
いるというアウグスティヌス的三位一体論ですね。

それに立って見る時に、「父から」という表現を、「父と子から」という表現に書き直す気持ち
がわかるわけです。

そして、この三位一体論は、子が神であることを強調し、聖霊を愛として、父と子の間の愛とし
て捉えようという長所があります。

そして、「子が父の元から遣わす助け主」とか「私たちの心に、聖霊によって神の
愛が注がれている」という表現があるように、聖書的にも根拠があります。

しかし、問題点が二つあるのです。

ひとつは、だからと言って、これを「父と子から」という表現で表すのは適正であ
るかどうかということです。

そして、結論から言えば、

私は、イヴ・コンガールという神学者が「われ聖霊を信ず」という書物の中で言っ
ている、「『父から子を通して聖霊が与えられる』と言うのが東西分裂前の共通認
識であった」というのが正しいと思っています。

従って、「父と子から」というのは、余りいい表現ではないということになるわけ

ふたつめは、この西方の三位一体論は、これだけでは不十分と言うことです。

どういうことかと言うと、父と子を結ぶ愛の紐帯としての「聖霊」という捉え方は
、聖霊を従属的に捉えることになり、また聖霊の創造的な働きを矮小化することに
なるということです。

この反動が、聖霊運動と言うことになります。

つまり、聖霊運動は、この三位一体の捉え方を修正するものとして出てきたわけです。

そして、synergyさんに聞いたと思うのですが、興味深いことに、カリスマ・聖霊派の
人に、「父から」と「父と子から」のどちらが正しいと思うかと尋ねると、圧倒的に
「父から」と答えるそうです。

逆に、東方では、聖霊及びその働きが軽視されることはなかったのです。

このように考えると、東方の三位一体論、つまり「父から子が産まれ、父から聖霊が
発出するという考え方は非常に重要になってきます。

129へっぽこピーメン:2004/04/20(火) 13:45
雲さんありがとうございます。
へっぽこは、神学については、幼稚園入園前程度なので、
神学幼稚園入園のつもりで、学ぼうと思っています。

>>どういうことかと言うと、父と子を結ぶ愛の紐帯としての「聖霊」という捉え方は
>>、聖霊を従属的に捉えることになり、また聖霊の創造的な働きを矮小化することに
>>なるということです。
この部分、M神父の教示と全く一緒です。
各教派がそれぞれ真剣に神学を論争し、最終的に東方教会の世界に
収束してくるならば、「美しい形」ですね。
フィリオクエも聖霊運動も、全て無駄にせず、主がすべてを益として
下さると良いですね。

...本日教会で、お通夜があります。敬虔なきもちでバニヒダの
祈りに参加してこようと思います。

130へっぽこピーメン:2004/04/20(火) 20:59
本日、「パニヒダの祈り」参加してきました。
お葬式です。自分が最後に変える場所を確認して来ました。
お通夜とは言っても、復活週なので、復活の聖歌が多く歌われました。

131:2004/04/20(火) 22:59
>>129,130
へっぽこさん、今晩は。

>>フィリオクエも聖霊運動も、全て無駄にせず、主がすべてを益として
下さると良いですね。
私は、すべての教派に、神が独自の賜物を与えておられると思っています。
それはそれぞれ、違う形、色合いで、神の栄光を輝かせるものです。
現代という時代で、神学が意味を持つとすれば、こういう人間の隔ての壁
、しかし神には存在しない壁を乗り越えて、すべてを神に帰するということ
ではないでしょうか?

132へっぽこピーメン:2004/04/21(水) 21:38
雲さん
へっぽこの「祈りの課題」に応えて下さってありがとうございました。
闘病中の「彼」からメールをもらいました。メールが打てるまでに
回復しました。祈ってくれた方々の事を知らせておきましたので、
特に雲さんとお会いできる日を楽しみにする事がさらに「力」に
なると思います。ありがとうございました。

133名無しの神学さん:2004/08/05(木) 09:00
唯一の神はヤハウェ神だけです。

134名無しの神学さん:2004/08/10(火) 09:46
>>133  エホ証か?
     ワタシは三位一体(父、子、聖霊)の神を信じてまつ!

135名無しの神学さん:2004/11/27(土) 20:13
ご存じの事と思いますが御参考に

ニカイア・コンスタンティノポリス信条
Credo in unum Deum, Patrem omnipotentem, factorem caeli et terrae, visibilium omnium et invisibilium.
Et in unum Dominum Iesum Christum, Filium Dei unigenitum, et ex Patre natum ante omnia saecula. Deum de Deo, Lumen de Lumine, Deum verum de Deo vero, genitum non factum, consubstantialem Patri; per quem omnia facta sunt. Qui propter nos homines et propter nostram salutem descendit de caelis. Et incarnatus est de Spiritu Sancto ex Maria Virgine, et homo factus est. Crucifixus etiam pro nobis sub Pontio Pilato, passus et sepultus est, et resurrexit tertia die, secundum Scripturas, et ascendit in caelum, sedet ad dexteram Patris. Et iterum venturus est cum gloria, iudicare vivos et mortuos, cuius regni non erit finis.
Et in Spiritum Sanctum, Dominum et vivificantem, qui ex Patre (Filioque) procedit. Qui cum Patre et Filio simul adoratur et conglorificatur: qui locutus est per prophetas. Et unam, sanctam, catholicam et apostolicam Ecclesiam. Confiteor unum baptisma in remissionem peccatorum. Et expecto resurrectionem mortuorum, et vitam venturi saeculi. Amen.

わたしは信じます 唯一の神 全能の父 天と地 見えるもの 見えないもの すべてのものの造り主を
わたしは信じます 唯一の主イエス・キリストを
主は神のひとり子 すべてに先立って父より生まれ 神よりの神 光よりの光 まことの神よりのまことの神 造られることなく生まれ 父と一体
すべては主によって造られました
主は、わたしたち人類のため わたしたちの救いのために天からくだり 聖霊によって おとめマリアよりからだを受け 人となられました
ポンティオ・ピラトのもとで わたしたちのために十字架につけられ 苦しみを受け 葬られ 聖書にあるとおり三日目に復活し 天に昇り 父の右の座に着いておられます
主は生者と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます
その国は終わることがありません
わたしは信じます 主であり いのちの与え主である聖霊を
聖霊は 父と子から出て 父と子とともに礼拝され 栄光を受け また預言者をとおして語られました
わたしは 聖なる普遍の使徒的唯一の教会を信じます
罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め 死者の復活と 来世のいのちを待ち望みます
アーメン

136名無しの神学さん:2005/05/05(木) 20:18:52
>ニカイア・コンスタンティノポリス信条
改竄版じゃないの 大体議定されたギリシァ語版じゃないし

それでもラテン語版は問題の箇所を括弧にいれているのに
qui ex Patre (Filioque) procedit.
翻訳はどうどうと改竄してるw
聖霊は 父と子から出て

137名無しの神学さん:2005/05/05(木) 20:20:52
>133
>唯一の神はヤハウェ神だけです。
>134
>エホ証か?
>ワタシは三位一体(父、子、聖霊)の神を信じてまつ!

ャハゥエ・エロヒームが,三位一体にして唯一の神というのが,正統な教理・教義
じゃない

138名無しの神学さん:2005/05/05(木) 20:26:40
>>どういうことかと言うと、父と子を結ぶ愛の紐帯としての「聖霊」という捉え方は
>>、聖霊を従属的に捉えることになり、また聖霊の創造的な働きを矮小化することに
>>なるということです。

紐帯として聖霊を捉えれば聖霊が従属的になる,というのはしばしば言われることだ
しその可能性は大きい( あとは逆に父と子とが聖霊に従属的になるという論法もあ
りえる )けど,オリゲネス主義だって(いやその後の正統教理だって実質的には)
穏やかな御子従属説なんだから,聖霊従属説があったからといって別にそれ自体を批
判することもないような・・・

まったく従属的でも独裁的でも三面的でもない三一論っていまだかつて定式化された
事が無いのではないかと思う。 

ただ,(西方の聖伝承を無視して)聖書だけからいうなら、聖霊が父と子との紐帯と
いうよりは、父から発出する他の神的存在という感じはうけるけどね。
あ、聖書を典拠にしてたらそもそも子自体がマルコでもパウロでも養子説的にならざ
るをえないから、聖書は封印か・・・

139133:2005/08/03(水) 15:23:04
ヤハウェ神だけが唯一神です。
正確に言えば
キリストは神と言うより神の子と言うほうが
より正確です。又
神と人の仲介者でもあり
キリストは主でもあります。
聖霊は神でなく神の霊です。
聖書では聖霊は神の働きとして
描写されています。
ヤハウエ神は本体です。

140名無しの神学さん:2005/08/10(水) 00:19:30
133さんはアリウスさんでつか?

141133:2005/08/15(月) 14:42:41
>>140 違います。

142140:2005/08/21(日) 07:12:26
でも>>139はアリウスの教義でつよ。。。
三位一体でない不思議なキリスト教。。。不思議の国のアリウス

143名無しの神学さん:2018/02/24(土) 15:04:15
作詞:聖イエス会教祖様

時の流れははやく 終末は迫り
しののめが近いと みな告げしめす
神の期待に われらは こたえん。

メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。


十字架の旗のもと 決意も新たに
いのちにはいのちを 愛には愛を
心燃えたち われらは こたえん。

メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。


新しいエルサレム ゴールをめざして
ハシッドの召命 神化の道を
ただひとすじに われらは こたえん。

メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。


神のビジョンを見つめ 聖霊に燃えて
新しい歴史と 輝く未来
メシヤの世紀 われらは 開かん。

メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。


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