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つぶやきすれっど2

1管理者:2002/12/15(日) 15:25

つぶやきすれっどが、1000レスを越えて、使えなくなりましたので、新たに、つぶやきすれっど2を立ち上げました。よろしくお願いいたします。

何となく、普段からフツフツと感じている事を、ここに書き込んでみて下さい。
このスレッドは、独り言、ボヤキですから、会話、議論の応酬は避けましょう!
本音、弱根を、思う存分サラしてみましょう!

871MILD SEVEN:2004/05/02(日) 08:49

忌まわしいものだ。偽善の創価学会・公明党。
あなたがたは、人々から天の御国をさえぎっているのです。自分も入らず、入ろうとしている人々をも入らせないのです。
私は、あなたがたに話す事がまだ沢山ありますが、あなたがたには、それに耐える力がありません。
実に、天に入るのにも力がいるのです。
魔界の力は、我ら証し人には通用しません。
我らは、聖徒を守ります。
仕事ですから。
http://www3.ezbbs.net/15/momo7/

872サムエル:2004/05/02(日) 14:32
ほう。私が創価公明とどこに根拠が?そう言うお前が批判を創価に転換し創価に捕われて偽称被害に遇われている査証であろう。よく回りの議論を考慮し板を選び書き込め。再度申す。くだらん書き込みをやめろ。

873MILD SEVEN:2004/05/03(月) 00:39
下らぬ傲慢な者は救われてない。
人に教える資格・資質は無い。

874犀角独歩:2004/05/04(火) 15:03

昨日、三学無縁さんとゆっくりと懇談。
資料文献の扱いについて、やや言及。
学会を含む大石寺圏が正本というところ、正信会が正本というところ、日蓮門下一般が正本というところ、仏教学会が正本というところ…。さて、どの点のものであれば叙用に耐えるか、やや話し合いました。

三学無縁さんと、正本を発表しておらず、また非売本でしか文を公表しないもの、写しを載せないもの、その学的研究がなされていないものを正本と扱わないことでほぼ意見が一致しました。

この判断では、実際は正本でありながら、研究がされていないために除外することになる危険性を背負うことになります。しかし、正本であるという手前味噌の虚偽を払拭するリスクとどちらが確実かとすれば、やはり、後者でしょう。
もちろん、正本として叙用するのに十分に確証があれば、この限りではありません。

以上の点、皆さんのご意見をお聞かせいただければ幸甚です。

875れん:2004/05/04(火) 19:29
犀角独歩さん、正本未発表…非売本でしか文を公表しないのもの…写しを載せないもの…その学的研究がなされていないものについては正本として扱わない…。真実を学的に探求し明らかにする手段としてしごく当然ですね。まぁそうなると石山系文献は殆ど使えなくなりますね(笑)。もっとも石山系の教学が学的批判に耐え得ないいい加減な文献に基づいて構築されている以上仕方ありませんが。私は、犀角独歩さん・三学無縁さん御両人が懇談の結果・一致した上記のご意見に深く賛同いたします。

876無徳:2004/05/04(火) 21:42
れんさん今晩は:

>まぁそうなると石山系文献は殆ど使えなくなりますね(笑)。もっとも石山
>系の教学が学的批判に耐え得ないいい加減な文献に基づいて構築されている
>以上仕方ありませんが。

石山系の教学がいい加減な文献に基づいて構築されているとするなら、日蓮宗
系は確かな文献に基づいた立派な教学となりますのでしょうか?

れんさんは日蓮宗系教学をどのように評価なさいますでしょうか?
更にれんさん自身は日蓮宗を信仰を対象と出来得ますでしょうか?

れんさんは創価学会を脱会なされるとのことですが、日蓮仏法(御本尊)に
対する信仰そのものはいかがなさるのでしょか?

ぶしつけな質問ばかりで失礼ですがお答え願えれば幸いです。

877無徳:2004/05/04(火) 21:46
訂正 (誤)日蓮宗を信仰を対象
   (正)日蓮宗を信仰の対象

878れん:2004/05/04(火) 22:26
無徳さん、今晩は。ご質問の件。私の日蓮宗系教学の評価は、大崎学報等を見る限り旧態依然とした石山系教学よりは学的批判に耐え得るものと思います。日蓮宗を信仰の対象と出来るかについては、蓮師についてはどんなヒトだったのか興味がありますが、教団を信仰する気はありません。もっとも私の場合、日蓮仏法・宗教・信仰から足を洗うことになるでしょう。しかしながら廿年も石山教学を信仰してきたのですから、一朝一夕で脱洗脳できる訳でもない。ですから今は碩学の皆さんとの議論を通じて真実を認識し、少しずつ勉強させて戴いている訳です。

879無徳:2004/05/04(火) 22:34
れんさん早速のご返事ありがとうございました。

>もっとも私の場合、日蓮仏法・宗教・信仰から足を洗うことになるでしょう。

との事でしたら私からは何も申し上げることはありません。

880犀角独歩:2004/05/05(水) 11:33

875 れんさん:

ご賛同、有り難うございます。
常識からいえば、まず参考にする資料の証憑性を学的・科学的見地から徹底的に検証し、信頼性が確立した点で使用する。一般の学問ではそのような次第ですから、富士門の資料もかくあるべきものと勝手に思い込んだ結果、とんでもない嘘を信じる羽目になってきた自分史があります。興門下の各資料と言わず、蓮門全般もまだまだ、この基礎研究にお座なりにし過ぎていますね。

そんなかで興風壇所など一部僧侶は頑張っているとは思うわけです。でもまだまだ御教性完全払拭ができていない。なにより弥四郎漫荼羅に関する言及になると途端に腰が引けてしまう。石山に復帰しようとするケチな根性が残っているのか?とがっかりさせられるわけです。
「どこで手を抜くか」で自分の信仰を護るという情けない姿勢が罷り通るのが富士門、そして、石山・学会・顕正会、蓮門全般のみならず、日本仏教界ということになりましょうか。

学的・科学的検証に耐えないことを信じるのが信仰であるというのであれば、まあ言葉は悪いですが「鰯の頭を信じる」のと何も変わらないわけですよね。その意味も踏まえて、878に披露されたお考えに改めて敬意を表するものです。

881無徳:2004/05/05(水) 15:28
独歩さん今日は:

学的・科学的検証に耐え得る信仰とは如何なものを指すのでありましょうか?

882犀角独歩:2004/05/05(水) 16:08

881 無徳さん:

ここはつぶやきすれっどです。1に
「独り言、ボヤキですから、会話、議論の応酬は避けましょう!
 本音、弱根を、思う存分サラしてみましょう」
とありますので、殊更、議論をいたす場所ではないのでその範囲で応じます。

ご質問については、現在進行形でわたしも考えているところですが、少なくとも嘘や、確証もないことを信じるような信仰ではないとお答えするに留めることにします。

しかし、一ついえることはあります。学術研究の成果、科学的検証の結果を証憑することは、それ自体が成果検証結果を信じ仰ぐことであるということです。

883無徳:2004/05/05(水) 16:36
独歩さん882は了解しました。

それでは管理人さんへのお願いですが、「科学と宗教」と言ったテーマでの
スレッドはありましたでしょうか?

もし有りませんでしたら、それらしきテーマのスレッドを立ち上げていただき
たいと存じますが、よろしくお願い致します。

884MILD SEVEN:2004/05/07(金) 00:59

私の職場は極端にモラルが低く、犯罪の域に達している。
私は、耐えがたきを耐えている。
池田教学が産み出したマムシの子らに、日本を管理する能力は無い。
改善派は何をしている!?

http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

http://hidebbs.net/bbs/momo7?sw=7&m=10

885MILD SEVEN:2004/05/07(金) 11:09

悪の道に引き込もうとする狂学は、まさしくカルト教学。

しかし、私には聖書があります。

<ヤコブの手紙1章14〜16>

人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。

886空き缶:2004/05/08(土) 23:10

 今某掲示板にて、創価学会員と思われる方2名とカキコのやり取りをしていますが、本当に疲れてきます。

 れんさんのような方はきっと珍しいのでしょう。

 とにかく創価学会系の出版物以外は目にもせず、その一方的な情報で判断と批判を展開します。

 そして意見の合わないものの発言には否定あるのみで、言葉に詰まると「現証が・・・」「ここまで広まったのは学会だけ」とすりかえる。
 しまいには、より理論的な意見を「頭でっかち」などと批判するありさまです。

 これでは思わず独り言もいいたくなってしまいますね。

887風来坊:2004/05/09(日) 19:01
独歩様、問答名人様
お久しぶりです、というよりも、もう覚えていらっしゃらないかと思いますが、
その昔(日誠)という名前で参加をさせて頂いておりましたものです。

その当時は生意気にも独歩様と話をさせて頂いていて、今一週間以上かけて
過去ログを拝しておりまして、自分の未熟さと増上慢ぶりを反省しているところでございます。
過去の私の忌まわしい書き込みを謝罪します。

自己紹介スレッドにもレスしましたが、また一から学び始めたいと、ここに参加させて
頂ければ存じております。

転勤先では、出会った女性が真如苑の会員だったり、帰ってきてみたら
中学生だった甥っ子がどこかのカルト教団に入信してしまったようで、
姉に「助けて」と泣かれたりと、自分は宗教に縁が深いのかなあと感じて
いるところであります。

今後、時間がありましたら、昔の反省を思い参加させていただきたく思っておりまので
何卒ご教示の程、よろしくお願い致します。

888問答迷人:2004/05/09(日) 20:02

風来坊さん

今後ともよろしくお願いいたします。又、有意義な議論が出来ますれば、幸いに存じます。

889犀角独歩:2004/05/09(日) 21:24

風来坊さん:

お久しぶりです。よくお戻りになりました。
何一つ、お詫びいただくことなどございません。
有意義な時間を過ごさせていただいたと思っているばかりです。
また、議論いただけることを楽しみにしております。

よろしくお願い申し上げます。

890エージェント:2004/05/12(水) 02:26

創価の女はキモイ。

891犀角独歩:2004/05/13(木) 11:18

管理人さん:

昨晩、三学無縁さんとも話したのですが、『本門戒壇の大御本尊様の偽作説について』において、名無し@ピンキーさん、Happy Birthday!!さん、また、空き缶さんが興味を示されてお出でであった山中師『御本尊集目録』未載でありながら、御筆漫荼羅(真筆)と伝えられる漫荼羅は興味深いものがあります。また併せて、真偽未決御書、また、各文献の著者の実否などを議論するスレッドがあればよいと考えます。

以上、三学無縁さんと連名で提案させていただくものです。

892三学無縁:2004/05/14(金) 13:27
テストです。

893犀角独歩:2004/05/31(月) 15:58

「何を今さら」と嗤われる方もおいでかもしれません。
・熊田葦城は元新聞社社員で、明治28年には『報知新聞』編集長だったのですね。
その著『日蓮上人』が報知社から出版されたのは、そんな事情があってのことだったわけです。

最近、こちらの常連さんがお使いになる国立国会図書館・近代デジタルライブラリー『明治畸人伝』で見出したことでした。

http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40016673&VOL_NUM=00000&KOMA=74&ITYPE=0

894通りすがり:2004/06/01(火) 01:43
某所で日蓮正宗についてこう書き散らしたが、
間違ってないんだろうか?

近年は法主への個人崇拝、日本の仏教、キリスト教等の伝統宗教や、
(複数の団体)等の新宗教で信者や団体指導者が大人しい宗教団体を邪教と称し、
自己中心的な批判攻撃の対象にするが、
武力闘争(要約:中東の人は怖い)や法廷闘争(要約:キリスト教異端もやる事がえげつない)を厭わない宗教団体にたいしては、
信者の脱会工作や名指し批判を殆ど行なわない、
他の宗教を信じると仏罰あたるや本門戒壇の大御本尊を見なければ成佛できないと言った勧誘、
現地政府が法律で極端な(教義の曲解や個人への誹謗中傷等の)破折誹謗が禁止されている場合はそれを守るが、
法律で禁止規定が無い行為は何をやっても良いとする指導する等、
カルト宗教化が進んでいる。

895顕正居士:2004/06/02(水) 09:01
ウィキぺディアの日蓮正宗の項目の今の記事は内容がまだ不正確で不十分です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/��ヨ�勖③絎�
この項目を新たに編集される場合、次の不正確な記事は修正するべきでしょう。

1 「法主への個人崇拝」 阿部日顕師個人への崇拝が進んでいるようには見えません。
今、大石寺で行われているのは管長地位の権威と権限の強化であるようみえます。
2 「黒住教、金光教、天理教等の〜」
日蓮正宗は自教団以外の一切の宗教、宗派、教団を邪宗、謗法と称しており、近年にはじまった
ことではありません。本門宗を脱退し単立し、宗旨と教団が重なってしまった時点(1900年)に
までは少なくともさかのぼる傾向でしょう。しかし現実には他の宗教、宗派、教団に関心はなく
他宗に「法論」をしかけたり、一般人に「勧誘」をすることは普通はありません。「黒住教、
金光教、天理教等の〜」は昔の創価学会が行った「折伏大行進」ですし、「本門戒壇の大御本尊
を見なければ成佛できないと言った勧誘」は「日蓮大聖人を信じないと国が滅ぶという勧誘」の
顕正会でしょう。ただし今の信者の大多数は元創価学会員であり、みかけは創価学会の地域活動
に類似し、それら「法華講」(寺院単位の組織である)の中には顕正会と一般の方々には区別が
つかないだろうのもあって勢力を有しています。しかし日蓮正宗においても代々の檀徒は日本の
仏教の他宗、他派の檀徒と生活上、信仰上のありかたに大差はありません。
3 「カルト宗教化が進んでいる」 はあたっていますが、「法華講」は寺院単位の組織ですから、
おしなべてカルト化の傾向に進んでいるかいちがいにはいえません。宗旨と教団が重なることを
「カルト化」というなら、これは「カルト」の第一の特色で、今にはじまったことでありません。
現実に重なっていても宗旨と教団の区別がされていればカルトとはいいません(「時宗」など)。
4 「現地政府が法律で極端な〜」はどういう事件をさすのかがわかりません。具体性をまったく
欠く表現は記事の全体への信憑性を低下させます。
5 「開創当初より「日蓮宗」を名乗る」 これは新説ですから、根拠を示すか削除するべきです。

896雖念:2004/06/30(水) 06:51
(つぶやきです)
 多肢選択問題によく、(a) どれも正しい とか、 (e) どれも誤っている
とか、あります。自分自身の過去の選択について、後々反省すると(e) どれも誤っている だったことが多いのですが、選択や決断に関しては個人の(日常生活の)レベルでは情報不足だったり、選択肢がすくなかったりで
理想的な選択ができない場合がよくありますね。
 わたしも、当掲示板に参加したころは、いずれが正しいのか? の正答を強迫的に求めるような姿勢がありましたが、(e) どれも誤っている の可能性を教えていただいて、目からうろこが落ちる思いがしました。

897犀角独歩:2004/07/07(水) 00:01

当板に書き込みをするのでであれば、過去ログを充分に読み込んだのちに、真摯な投稿をしていただきたいものです。
石山やら、末寺やら、はたまた在家集団から刷り込まれた稚拙なおままごと屁理屈を真実だと頭から信じ込んだ上で、人法一箇だ、日蓮本仏だ、戒壇本尊は真筆だ、はたまた歯肉は生きているだというおまじないを真顔で書き込まれては笑うに笑えません。
ともかく、「過去ログをよく読んでください」と言うしかありません。

898愚鈍凡夫:2004/07/08(木) 19:34

梅雨明けはまだなのに、今日も真夏の日差しが厳しかったですね。

このサイト、例の「社長会メモ」を見たことがない人、必見です。 (^_^)v

池田大作氏のホンネ
http://gappo.cool.ne.jp/shinjithu-2/syatyoukai/44nen/44-moku.htm

このサイト、何処まで真剣なのか分かりませんが、結構笑えます。 (^O^)
暇つぶしにどうぞ。

仙薬データベースTOP ◆八千草堂の鹿角霊芝◆
http://www-ku.magma.ne.jp/~ark/yachigusado/senyakudata/index.htm

899愚鈍凡夫:2004/07/08(木) 19:37

すみません。ここから入ってください。 m(_ _)m

池田大作氏のホンネ
http://gappo.cool.ne.jp/shinjithu-2/syatyoukai/nendo.htm

900テスト:2004/07/11(日) 23:44
テスト

901ワラシナ:2004/07/19(月) 11:40
曽我さん一家が昨晩(h16/7/18)入ったという「都内の病院」とやらの前で野次馬してきた。

0、昨日の昼のワイドショーでは、羽田到着後の曽我さん一家が直ちに向かった、という病院がどこかは、最後まで明かされなかった。だから追跡ルート放映にのめり込んでいた4チャンと8チャンを見ているほか手がかりはつかめそうもなかった。そして6pm近くになってその病院前の光景とその所在区がでたのだが、到着した病院玄関前の光景を画面で見ながらも、どの病院だったのか迄特定できなかった事が私には大変悔しかった。

1、そして、今日の(h16/7/19)朝刊記事でやっと特定できそうになった。「都営住宅前の大病院」という条件から言えば、候補は三つほど有ったが、その他の条件を加味すれば一つに絞られた為行ってみたところ正解だった。昨日一瞬見たテレビ放映の画像そっくりだった。一瞬見ただけではわからなかったのは、その病棟そのものが最近新築された建物だったからで、普段散歩でもしていなければその変化には気づく筈もなかった。

2、既に病院前バス通りから、警察官が広場に立っていたから、ここだろう、と思っていたがあたっていた。表通りから左へ曲がって下っていったのも、テレビ放映で、曽我さんを乗せたバスが右折して下っていったのを見ていたからだった。

3、玄関前には既に29人の報道陣が玄関正面での新光景キャッチを待ち受けていた。ワイドショーでおなじみのキャスターが喋っていた。(録画かリハーサル?)休館日なので病院側からの目立った動きはなかった。

4、「やはりここの病院だったのか、、、」という目的の場所にたどり着けた充実感に私は浸っていたところ、後ろの方で御近所らしき人の興味深い話が聞こえてきた。私同様、曽我さんジェンキンスさんを乗せたバスがどの病院へ向かっていたのか知りたがっていた人が沢山いたようで、その中にはこの病院と近所に有るもう一つの候補地病院間をピストン往復して、一体どっちの病院に着くのか、必死だった人が居たとか。そして目の前の都営住宅の住人の方は夕刻のテレビ放映で自分の団地が映っていたのをみて、この病院に来るんだ!と思ったのだそうである。

5、いずれにしてもジェンキンスさんの体調回復まで、ここしばらくは曽我さんジェンキンスさん御一家報道の中心がジャカルタからこの「都内の病院」とやらに移った事は確かなようである。

902愚鈍凡夫:2004/07/19(月) 13:05

これからマスコミ主導の「大きなお世話隊」が、あの家族の鼻先を傍若無人に飛び回るんでしょうね。
それがもとで拉致被害者全体の早期帰国が実現すれば良いのですが、曽我さん一家にだけスポットが当たって、他の深刻な問題がうやむやにならないかと危惧するものです。
政府は何故、北朝鮮の国家的犯罪をもっと糾弾しないのでしょうか。小泉さんは、日朝国交回復を成し遂げた首相として、歴史に名を残そうと思っているんでしょうかね(まるで田中角栄の二番煎じですね)。ひょっとして、ノーベル平和賞狙いがホンネだったりして(何処かにも似たような人がいたなぁ・・・・・)。
食糧と金を貢いで、結局、いいように振り回されるだけのような気がしますが・・・・・。

903犀角独歩:2004/07/19(月) 13:23

> 902

こんな愚鈍凡夫さんの視点にわたしも同意します。
しばらく前のことですが小泉さんがハンセン病患者訴訟の取り下げが大々的に報道されたことがありました。あのとき、お株はぐんと上がったわけで、わたし自身、「いいことするなぁ」とテレビを観ていました。
そんな話を尊敬する社会活動家の一人に話すと「わたしはまだ水俣病裁判ののうはさっぱりです」と、浮かない顔をされました。

特別扱いされる拉致被害者には何の咎もありませんが、優遇される人をよそに奈辺で取り上げられることもなく、苦しむ無数の人々がいることをわすれられません。表や、人気、勲章、名誉につながることにだけ熱心なパフォーマンスは、わたしも頷けません。

904愚鈍凡夫:2004/07/19(月) 15:03

>>903:
犀角独歩さん、ご賛同いただき有り難うございます。

池田さんと小泉さんは「何ゆうてんのか分からん者同士」で、話し合うと以外に気が合うのかもしれませんね。でも、パフォーマンス合戦なら池田さんの方が一枚も二枚も上だったりして。

905ワラシナ:2004/07/21(水) 22:28
「都内の病院」前より 水曜日の朝、午前8時 

0、報道陣は9人、カメラも地面に置いたままだった。昨日の暑さからか、オレンジ色のビーチパラソルがセットしてあった。

1、18(日)夕刻車椅子のジェンキンスさんが中に入って行った時の映像は、隣の公園にセットしたカメラから撮られたもののようだった。

906藤川一郎 </b><font color=#FF0000>(/RnWNeIY)</font><b>:2004/07/24(土) 00:36
病院と言えば、某講中のビデオに「後生の大事」というものがあった。
この中で成仏の相と称し、幹部のお母さんの亡くなった姿を写してあった。
ここまでは、多少疑問はあるが良しとしよう。

しかしながら、どこかの病院の死体安置所を盗撮し、邪宗の者の死体の相と称し写してあったのには驚愕した。
ありゃ、非道かった。

907犀角独歩:2004/07/24(土) 23:13

本夕、蓮師が最期、池上を訪れる際に通り、足を洗ったという洗足池を散歩しました。
蝉の幼虫が何匹も地面から這い出して歩いていました。あるものは、既に樹皮に爪を掛けていました。どれほどの時間、眺めていたか。羽化し、透き通るような真っ白な体が徐々に茶色くなっていきました。真っ白な体に真っ黒なつぶらな蝉の瞳を時の過ぎるのを忘れて見入っていました。

明日は請いを応じて、長岡に行きます。一泊して、明後日の午前中は時間が自由です。
お会いできる方があれば、ご一報ください。明朝までにメールをいただければ、お会いしたいと思います。一期一会、羽化した蝉の目を見つめて想起する言葉ではないのかも知れませんが、底知れず、感動した夜でした。

908ワラシナ:2004/07/24(土) 23:13
「曽我さんあやかり心理」

0、ジャカルタ空港での家族との再開(7/9)の光景は、曽我さんが妻として母としての「愛の蓄電池」だったことを教えてくれた。 二年近くに及んだ家族との別離の間に曽我さんが味わった苦悩の一端は、自分が急に居なくなってしまったことで、夫や娘達が味ったつらさと同じものだったのだろう。

夫へは唇を通して、娘達には抱擁を通して注入された愛情は電流のように相手を浸した。抜け殻のようになっていた夫と娘達はそれで蘇った。

1、7/9ジャカルタ空港での再会の光景で忘れられないのは、数段タラップを降りかけた時早くも階下の母を目敏く見つけた美加さんが泣き出した瞬間だった。「泣き虫美加さん」通りハンカチを目に当てて。
 母不在の二年間がどれほど心細く寂しかったか偲ばれた。

2、各人各人それぞれが数奇な人生だが、曽我さん御一家が特に「典型的」なそれだけに望みが叶えられた事が大きな激励になっている、と思う。ここに一般大衆の中にもこの件にあやからずにはおれない心情というものが働いたと思う。

3、 だが、一般大衆は勝手だ。今までは「かわいそ、曽我さん、かわいそ」だったが、「幸せゲットゲットハッピー曽我さん」に変わった様にみなして嫉妬しだす人もいるからである。

909 通りすがり:2004/07/31(土) 17:27
wikiの[[日蓮正宗]]は書き散らした事の証拠つけた後、
法華講員が不足分を足していったが、
親鸞会は、親鸞会は……もうシラン会って言いたい。(露骨なマッチポンプなので)

910愚鈍凡夫:2004/08/02(月) 21:55

あっ、誰もいない。静やな〜っ。この隙に、

オチャドーゾ(*'-')_旦〜・・・ヾ( ̄ー ̄*)おおきに、おおきに

「オイオイ、またこのネタか」(by 管理人)

911三学無縁:2004/08/05(木) 21:39
犀角独歩さんの本、PC不調のために遅れているようですが、たのしみです。
石山版のデイ・アフター・トゥモローです。
尚、ネット上にパクリ屋さんがいるようなので、目次などの公開は控えたほうがいいのでは、と考えます。
しかし、たんなるあら捜しではなく、信仰四十数年の重みは、パクレるわけはありません。
おそらく、今後の「板本尊」論議は、独歩さんの著著が基準となるでしょう。
もちろん、独歩さんの著作はオリジナルですが、その機縁となったのは富士門掲示板での多くのひとたちとの論議があったなればこそですね。
つまり、当富士門掲示板こそが、これからの石山論議の基準であり、当掲示板を無視して、論議を進めることはできないでしょう。
また、パクリ屋さんが当掲示板の内容を剽窃して著書をものしたとしても、それは恥をさらすだけですね。

これからも参加されている皆さんにいろいろと教えていただきたいと思います。

912犀角独歩:2004/08/06(金) 08:49

三学無縁さん:

お陰様をもちまして、一切の準備は完了しています。「PCの」というより、某寺と出版社の問題を残すだけとなりました。三学無縁さんを筆頭に、こちらで共に議論をしてくださった皆さんのおかげです。

さすがに目次立てはネットでは発表しません、図版を含めて、掲載用全資料まで網羅していますから。
当初、図版のみで「図解必携」とやろうと思ったのですが、結果的に文献資料もおさらいをすることになりました。しかし、批判書と言うより、資料集という体裁です。判断はどうぞ、読者がという運びです。

パクリ屋さんの話が出ていますが、この動きは確かにすさまじいものがありますね。でも、パクって本を出すのであれば、まずわたしが何を書くかを見てからにしなければ恥をかくのは本人でしょう。ボジョレヌーボじゃあるまいし「誰がいちばん最初か」と功を焦れば、まずい味わいで物笑いになるのは当人でしょうからね。

公開で書き残してきたことには日付が刻印されています。もし、パクり本が出れば、その一々の手口を微に入り細に入り分析して種明かしをしてみせるのみです。

いずれにしても、本は書き手の魂がいのちです。盗用、出し抜き等という小賢しい性根で書かれたものは真実を暴く正義を帯びることはできません。その意味でわたしは悠々と構えています。

913ワラシナ:2004/08/17(火) 21:03
参ったね日曜日になにを見てからほとんど安眠できない、気になって寝られないのだ。

914犀角独歩:2004/08/18(水) 01:57

僭越ながら、今回のわたしの出版をもちまして、所謂「本門戒壇之大御本尊」真偽問題は、ここに終息すると自負しております。

915愚鈍凡夫:2004/08/18(水) 22:28

小生も五色の知恵の輪みたいな旗の基に行われる運動会を見始めてから、毎夜眠れません。
結果は、新聞やテレビの再放送でも分かるんですが、「やっぱり感動はライヴやでぇ!!」なんて、おっさんらしくない台詞を吐きながら、睡魔と闘っています。
ネ、ネムイ... (*¨)(*・・)(*..)o(*__)o。。oO

916愚鈍凡夫:2004/09/01(水) 20:43

あまり関係ないかも知れませんが、

「Windows XP Service Pack 2の日本語版が今夜0時にいよいよ登場」ということらしいです。

Windows XP Service Pack 2の日本語版が今夜0時にいよいよ登場
http://www.forest.impress.co.jp/article/2004/09/01/winxpsp2.html

917菱村正敏:2004/09/02(木) 06:32
 最近は、自分の特技を活かして自閉症やヒキコモリそれに統合失調症の
方々と遊んで生活の糧を得ています。かれらのマイナスイオンは強烈で
はじめのころは数時間遊ぶと2日間くらい疲れてしまい寝込むようなあり
様でした。

 成人しているヒキコモリの方が、自分のバイブル・経典のようにしている
本(自分を探すアリス)。下記から引っ張り出してきたようです。
http://members.jcom.home.ne.jp/dawn-watcher/subindex.html
精神世界やらチャネリングやら瞑想やら波動やらと、頭が痛くなる
内容でした。かれはこの作者が主張する永遠の魂・永遠の存在を信じて
います。そのかれに「働くことがイヤな人のための本」新潮文庫を
読ませてみようかと思い、かれと読み合わせをしました。ところが、
最初からつまずいてしまいました。よく読むとこの本は人生はいちど
きり、あなたもいちどきりなんてことが前提で論を進めています。
ここで、かれは読めなくなりました。永遠を信じる者には永遠を
信じない者の論は頭に入らないようです。

918平和創価:2004/09/02(木) 20:45
高野悦子さんの『二十歳の原点序章』と『二十歳の原点』新潮文庫 を読みました。
彼女は1949年1月2日生まれ。1969年6月24日未明、鉄道自殺。享年20歳
とのことでした。今生きていれば55歳ですね。
彼女は可愛い女優にもなれる顔立ちでした。2冊の本の巻頭にある写真を見まして、私
が私よりずっとずっと年上の女性を可愛いと思う気持ちと、何故に鉄道自殺したのか、
不可解な気持ちになりました。京都の立命館大学の学生で、学生紛争の最中に自殺したの
でした。彼女は死の直前、かなり睡眠薬と酒を服用していたことが日記から分かりました。
実を言うと私の大学生の時の友達の女子大生と彼女がよく似ているのですよ。私の友達は
あたら20代で血液のガンで死亡しました。でも高野悦子さんは何故死に急いだのか?彼女
はサルトルの実存主義死生観の犠牲者ではないかとも思います。もし彼女が仏法を知ってい
たら鉄道自殺などしなかったと思います。
今私は生命論の証明をなんとかして実現しなくてはと思っています。
高野悦子さんはもし現代の20歳の学生だったならば、心理治療で自殺などしなかったので
はないかと思われて残念です。

919平和創価:2004/09/02(木) 21:17
犀角独歩さん、愚鈍凡夫さん、ワラシナさんお久しぶりです。今私は菱村正敏さんの
カキコを見て私が先日感じたことをカキコしました。シェスタさんも科学的な分野で
頑張っているようですね。

生はこの一回で終わりであるなら、いっそ生まれてこなかった方がいいではないか。
死ぬことは無に帰ることだからいっそのこと死んでしまおう。

この考えは大変危険だと思います。私は自殺した生徒2名と教師1名を知っています。
生命論は論議ではなく科学で解明しなくてはならないと私は考えています。愚鈍凡夫
さんから紹介されたカレントメイトやシェスタさんから紹介されたソフトを今も愛用
しています。私は私の受験勉強があるので富士門流だけの勉強はできません。日本史
の中の専門分野としての研究にはなりますね。

みなさんのご研究の前進と富士門流その他の人たちを含む人々の、和合とを求めて止
みません。

920雖念:2004/09/02(木) 21:34
「二十歳の原点」は、当時確かに目を通したはずなのに、内容がほとんどよみがえってきません。しかし、同じころベストセラーになっていた?「青春の墓標(奥浩平著)」は、なぜか何度も読み返した記憶があります。
友人が「誤爆」(注1)されたり、知人が中核に「殲滅」(注2)されたり、奥に感情移入しやすかったためかもしれません。
やはり同じころ「邪宗門」(高橋和巳著)を読んで、宗教者の政治、労働運動へのかかわりという点に関して、自分たち(創価学会学生部)のやっていることには、かなり深刻なずれがあるのでは? と、感じていました。

注1: 過激派同士のゲバルトで、間違った相手を攻撃すること
注2: 対立するセクトの構成員を殺害すること

921平和創価:2004/09/02(木) 22:05
ああ雖念さん、お久しぶりです。雖念さんの名前を落としましてすみません。
あの本はまだあると思います。2冊ですね。序章と本章ですか。

高野悦子さんの文章に生命の連続性とか西欧キリスト教死生観に対する疑念が
見られないのは残念だと思います。

「死」と「生」に関して雖念さんはどうお思いですか。時間があれば犀角独歩
さんや、愚鈍凡夫さんのご意見も伺いたいと思っています。このことは必ず私
達が直面する重大な課題だと思います。

922雖念:2004/09/02(木) 23:09
平和創価さん:
生命の連続性について、池田さんは当時「仏法と科学」のなかで、「エネルギーの場」のようなことを書いていたような気がします。ちょうど、そのころ熱力学の勉強をしていたので、わかったような、わからないような、なんとなくあいまいに納得していました。
この掲示板に参加してから、多くの碩学知識の方々から「仏教固有の思想」、「石山の考え」、「創価学会の独創」がそれぞれに違うことを教えていただき、「永遠の生命」なる考えが、「大正生命主義思想」の影響を強く受けていたことなどを学びました。「生命主義、生命論について 」http://jbbs.livedoor.com/bbs/read.cgi/study/364/1067405428/l100
のスレッドをご参照ください。

さて、私は現在では、生と死については、こんな風に考えています。
まずもって、弥勒仏が出現するといわれている、56億7千万年後には、太陽は赤色巨星となって地球が飲み込まれているとのことです。 人類どころか、地球がなくなってしまうというのに、あまり永遠の生命にこだわるのもどうかと思います。
それと、死に先立つ苦痛に対する恐怖は予測できますが、死そのものに対する恐れは、ふしぎなほどありません。

さて、生命の未来に関して、科学関係の掲示板に「ハンザキさん」というかたが、含蓄にとんだ発言をなさっています。おもしろいので、前後も含めて少しお読みください。

**************************  引用開始   ********************
現在の太陽系は過去、今の太陽系からほど近い場所にあった巨大な恒星が
寿命を終えたことに端を発し、現在に至るのですが、
その「太陽の母」の寿命がつきたのが50〜60億年前だそうです。

これを「仏の入滅」と考え、そこから太陽系の誕生、地球の誕生、
生命の誕生までを正法の時代、
生命誕生から知性(人類)の誕生までを像法の時代、
人類史の全てを末法の時代と見立てると、だいたい現代が56億7千万年
ほどとなり、人類史の終演を持って弥勒の登場とする、というような
見方もできます。

この見方だとかの頭足類猿人などは救済後の豊かな時代に生きているとも
考えられますね。
http://sf.dot.thebbs.jp/1074012035.html
*******************************  引用終了 ********************

923愚鈍凡夫:2004/09/03(金) 00:32

平和創価さん、今晩は。
高野悦子さんの「二十歳の原点」、十代の頃に読んだような覚えがあります。
確か、黒いカバーで、表紙に一輪の赤いバラの絵が描かれていたのではなかったでしょうか(記憶違いだったらごめんなさい)。内容については、ほとんど覚えていませんが・・・・。 (;^_^A アセアセ…

これは個人的な意見ですが、人は「生きる権利」と同時に「死ぬ権利」を併せ持っていると思います。
今年、母の死と向かい合うこになったのですが、母は、日に日に衰弱していく中で、主治医に医療機器によって生かされるのは耐えられないので止めてほしいと言っていたそうです。母の、この医療機器に囲まれて生きるのならば、人間らしい尊厳死を選びたいという願望が理解できます。小生も同じ立場になったとき、同じことを願うでしょう。

人生は長さではなく、何を成したかが重要なのだと思います。そして、自分の命をどう使ったのかが充実した人生であったかどうかの分かれ道になるのではないでしょうか。
勿論、死に急ぐことはありません。生きなければ何も成し得ないし、まだまだやり残したことがあるのに、未練を引きずりながら死ぬのはあまりにも無念です。

重い鬱病や、PTSDに苦しむ人たちを知っています。
同苦とはいきませんが、生きていく糧を見つける手伝いをしたりしています。自分に自信を持ってほしい。自分の力を信じてほしい。そう願って接しています。それは、揺るぎない自信を持ちえたとき、人は心の底から穏やかになれるのだと思うからです。

月並みですが、小生としては、これで自分の役目も終わった。そう思えるような人生の終焉を迎えたいと思っています。

924菱村正敏:2004/09/03(金) 03:56
 わたしは、永遠のものはいっさい信じておりませんので・・・。
この世は一回こっきりだと堅く信じております。だからこそ
ありがたいし、他のかたとの出会いも月並みですが一期一会で
大切な一瞬であります。それがたった数分・数十分でもです。

 最近は、歯医者に通うために強い頓服薬を出してもらいました。
歯医者に行く30分まえに服用します。効き目はフラフラになり
ながら歯医者にたどり着くほどの作用をもたらす薬です。脱力感
疲労感で、その日は自転車で移動する気持ちになれませんね。

 精神的な疾患をもっている人。いっけん体力ない人もいますが、
ひょっとしたら、そういうかれは薬の影響からきていることもある
のかもしれません。自分が強いのを処方されて、その辺の目が
少し開きました。

 ちと、つぶやきモードですので、読み流してほしいのですが、
精神病の人に自信をもってほしいと願うのは、日蓮にセックスを
してほしいと願うような無理難題です。健常な人は、見てたら
良いのです。わたしはあなたの味方であり保護者でありという
態度で接してください。けっしてかれらのパンドラの箱を開け
てはいけないと思います。

 わたしは、同病の人間をサポートするのだから、健常者が
サポートするより「より良いのではないか?」と通院している
医者に同意を求めましたが、「そういう考えは不純」と一蹴され
てしまいました。どういう意味だかは未だに分かっていませんが、
慢心することなく、出過ぎず、一歩ひいたかたちでサポートして
おります。

925平和そうか:2004/09/03(金) 19:08
菱村正敏さんの生命観は、一回性死生観ですか。私は違います。「人は死んだらどうなるんだ」
という他のサイトの質問がありましたので、私なりの回答をしておきました。ここです。この中の
206が私の答えです。参考にしていただければ思います。
            ↓
http://science3.2ch.net/test/read.cgi/rikei/1088439040/l50

926雖念:2004/09/03(金) 19:43
>平和創価さん:

まず、平和創価さんがと死の問題を自分の言葉できちんと考えられたことに、敬意を表します。われわれは、(当然私自身も)つい、その辺に書いてある答えを探し出して安心してしまいがちですから。私自身、30年ほど前に「人間革命」やら「仏法と科学」やら聖教新聞の科学欄に書いてあったような生死感から一向に進歩してないような気がします。
つまり、無機物がエネルギーの場に触発されて、アミノ酸となるという話です。「空」の概念で生命の発生を説明していたので理解しやすく、いかにも仏教的であると感心しました。
ところで、平和創価さんの表現には少し厳密さを欠いているところがあると思います。

> 精子と卵子の結合前には無だったあなたは、胎児の神経節ができる頃に有となったのだ。

精子と卵子の結合前には、「精子と卵子だったあなたは」、受精により「胚」になったのだ。
と、しないと誤解を生じる恐れがあります。

話は変わりますが、たとえば顕正会には機関紙で語られるような、こうした公式の「生死感」のようなものはあるのでしょうか?
ご存知のかたは教えてください。 
 具体的な課題や、目の前の矛盾に関して教義を展開することが重要だと思います。

927平和そうか:2004/09/03(金) 19:54
愚鈍凡夫さん。今カキコした文章が変換ミスで全部消えてしまいました。

却って良かったと思います。

犀角独歩さんの優しさと、愚鈍凡夫さんの優しさを詳しく書いたのですが、全部
飛んでしまいました。

928平和そうか:2004/09/03(金) 20:06
雖念さん
私はまだ理学部を受験する前ですので、厳密には言えませんでした。すみません。
顕正会に対しては私は無関係です。雖念さんは私と同じように創価学会学生部員
だったそうですので、お話は真剣に進められると思います。

今私は「平和創価」を「平和そうか」としましたが創価学会員であることには変わ
りありません。信仰未熟なためひらがなにしました次第です。

929雖念:2004/09/04(土) 10:13
平和そうかさん:

大学受験がんばってくださいね。
合格されるように心から祈っています。

930卞氏:2004/09/04(土) 11:02
下記のような書き込みがあったようだが、追い出されたので返答は控える。
あくまでも、つぶやき。

>あなたこそ、この文面をよく読んで下さい。
>「もちろん日蓮正宗の寺院は、御授戒、葬儀、法事という重要な儀式を中心とした場であり」
>と、池田さんは言っています。
>ならば、「追善法要」は日蓮正宗の寺院に任せたらよいのですよ。「重要な儀式」を自前でやることはありません。自前でやることは、「第9回教学部大会」で池田さんが言っていることと明らかに矛盾します。

学会員がお寺ではやりたくないと言ったら、学会でやってあげるしかないではないか。それをやるなというのは無慈悲というものだ。
いまは法華構でさえ、その儀式のための供養をせびる坊主を嫌い、脱構している人が居る。
会員も、構員も、そういうのがイヤなのだ。

>見方を変えれば、宗門を資金難に追い込んで、創価学会の支配下に置こうとしていた目論見が見えてきますが・・・・・。

学会は宗門に寺まで寄進している。正本堂建立の供養も多額にわたる。
その学会に、儀式まで自分達で囲いこんで収入まで求めようとしていたというのか?
その儀式程度の収入がなくなったぐらいで、資金源が枯渇すると思っているのほうもおかしい。
学会を破門したから収入が無くなったんだ。坊主が嫌われているから、人が減るのだ。
その法主の愚かさに気づくべきだ。

むしろ、一般家庭における儀式による高額な支出は、構員、会員の経済状況を逼迫させることになってしまう。
そこのところをよく考えてみよ。無用な儀式、無用な戒名、無用な塔婆。それが時代の流れだ。

>一般に、ある特定宗教の信徒団体は、その宗教の信徒の集まりです。
>創価学会が日蓮正宗の信徒団体であるということは、
>日蓮正宗の信徒の集まりなのですから、
>日蓮正宗の教義に従うのは当然のことです。
元々別法人として登録している。そのことに宗門は異論は無かったはずだ。
一宗派の教義に全て従うことに、当然視するほうがおかしい。
学界が宗門を尊重していたのは外護の精神があるからだ。
それが理解できなければ当時の学会の発言の真意は到底理解できない。

>卞氏さんの主張に従えば、学会は宗門と違う教義を信奉していた訳で、
>それは二枚舌であり、本来、日蓮正宗の信徒団体なんかではなく、
>便宜上、日蓮正宗の本尊、教義を借りていただけで、
>本当は、独自教義を持つた宗教団体だつた、という事ですね。

ご本尊は日蓮正宗の独占物などではない。
ご本尊は日蓮大聖人が全ての人に与えられたものだ。
大聖人の仏法。日興上人への系譜。
そして日寛上人の顕すところの教義において、教義において全く宗門と一致していたではないか。
学会はそれをいまでも捨てたわけではない。
邪義を排し、不要な化義は使わなくなっただけだ。
当時の外護の精神において、宗門の化義を尊重するとまで言っているのだ。

我々が信じ奉っているのは、化義ではない。唯一ご本尊のみである。受持即戒である。
教義を比較したいのならば、そこを先ず理解しなければ、ほんとうのことは何にも分からない。意味もない。

931卞氏:2004/09/04(土) 12:27
教義比較のところでも参考になるものがあったが、追い出されたからなぁ。理解できるかどうかも不安だ。
こんなものはいくらでもあるが、タイムリーなのでコピペで引用させていただく。

 ***
 
日達上人の説法「学会の教学に学べ」

【ここにまた学会においては沢山、書きもの、書物が出ています。我々は御書を中心とし、御書を心肝に染めていくということは、僧侶として当然です。しかし我々の御書講義は、先師の講義をいでないのであり、逸脱するということはよくないのである。ある程度進歩的になってもいいけれども、進歩して説明していかなければいけないけれども、それ以上に逸脱するということは、いつか宗祖の教えを間違ってしまう根本になるのであります。】

と、逸脱の危険性を踏まえた上で、続く。

【この点は学会においては御書は十分に、世間的にこれを咀嚼(そしゃく)し、解釈し、自由自在に解釈しております。まことにその点は立派だと思います。どうしても、我々の御書研鑽はどちらかというと訓詁の学、訓詁の学ということは昔、批難されておりますが、訓詁の学になりやすい。ところが学会の人は新しい知識で、世間の新しい考えを持って御書を縦横に解釈しております。大いに学ぶべきであり、学会の本をどんどん読んでいいのである。それは読むなというと、ますます我々が、僧侶がクルミのごとく固く小さくなってしまうにすぎない。大いに学会の本は広布のために出したものであるから、参考にすることができましょう。そして、大聖人の教えを咀嚼(そしゃく)していくということがもっとも大事であると私は常にそう思っておるのです。だから学会の本は大いに読みなさい。】

(「蓮華」48年9月号)・(昭和48年8月30日・第22回教師講習会開講式・総本山・大講堂)

いかに前師が学会を大切にされていたか、窺えるところだ。

教義が違うのではなくて、それぞれ組織としての文化が違うんだ。

932:2004/09/04(土) 12:31
卞氏さんへ(はじめまして)  こちらの皆様が散々語り尽くされていることですが、現役学会員の方がおいでですので質問させて頂きます。
>我々が信じ奉っているのは、化義ではない。唯一ご本尊のみである。
その信じ奉っている本尊とは、どの本尊のことですか?寛師の八界具足曼荼羅ではないですよね?

933鎌龍:2004/09/04(土) 12:40
ちなみに、私は昨日学会の方と話す機会がありましたが、その方は、家にある寛師のマンダラを、蓮師の書かれたものだと思ってました。もっと言うと、弘安二年カイダン板本尊だと思っていました。落ち込んでしまって目もあてられない状態になってしまいました。私も、まだこんな方がいるのだなあと驚きました。

934愚鈍凡夫:2004/09/04(土) 13:33

下氏さん、誰もあなたを追い出したりしていませんよ。
犀角独歩さんは、言い尽くされた事を蒸し返すのが嫌なだけです。創価学会員とは過去ログで散々やり合ってますからね。それに管理人さんは、あなたのレスに不適当な表現があったから削除しただけでしょう。

> いまは法華構でさえ、その儀式のための供養をせびる坊主を嫌い、脱構している人が居る。
> 会員も、構員も、そういうのがイヤなのだ。

逆もまた真なりで、創価学会から法華講に移っていく信者も少なくないと聞きますが。それと、日蓮正宗に僧籍のない坊さんが創価学会の葬式で導師をしている事実がありますが。

> 学会は宗門に寺まで寄進している。正本堂建立の供養も多額にわたる。

創価学会が宗門に寄進した寺は、土地付き3億というのが相場ではなかったですか。しかも、最初から設計図が何通りかできていて、そこから選ばせたのではなかったですか。
だから、創価学会が寄進した寺は、交通の不便な場所にわざと建てられていると聞きますが。それに比べて創価学会の会館は、地方の会館でも3億以上の金を掛けているように見えますけどね。
まあっ、寺院寄進は、創価学会員から金を集める謳い文句としてはうまいやり方ですね。
正本堂だって目録をもらっただけで、実際は現物支給でしょう。多額の金は創価学会に入って、そこから支払ったんじゃなかったですか。


> その儀式程度の収入がなくなったぐらいで、資金源が枯渇すると思っているのほうもおかしい。
> 学会を破門したから収入が無くなったんだ。坊主が嫌われているから、人が減るのだ。
> その法主の愚かさに気づくべきだ。

創価学会が宗門を金銭面で支配しようとしていたのは事実ではないですか?

> むしろ、一般家庭における儀式による高額な支出は、構員、会員の経済状況を逼迫させることになってしまう。

それは同感ですね。今ではさすがになくなったようですが、生活保護家庭からも広布基金と称する財務(寄付金?)を搾り取っていた創価学会ですからね。
小生の地元でも、組織内の世間体と見栄だけで財務をしている会員が大勢いますよ。何十年経っても生活水準は変わらないのに、功徳だ功徳だと大騒ぎしていますけどね。

> 無用な儀式、無用な戒名、無用な塔婆。それが時代の流れだ。

それで、創価学会では有用な友人葬、追善法要を執り行っているというわけですか。言い訳にもなっていないと思いますが。

935愚鈍凡夫:2004/09/04(土) 14:11

本来のつぶやきスレッドとは関係ない議論が進んでますが・・・・・。 (-"-;A ...アセアセ
平和そうかさん、こんなソフト見つけましたよ。

古天文ソフト
http://www2c.biglobe.ne.jp/~takesako/cal/soft.htm

研鑽の補助資料になるかと思います。

936平和そうか </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/09/04(土) 15:41
>>935
愚鈍凡夫さん、ご親切に有難うございます。

ちなみに931さんは「卞氏」(べんし)さんと読みます。「卞」は「へん、ベン」
と読み、意味は騒がしい、いらだたしい、せっかち、短気です。「せっかちな人」と
いう意味のハンドル名でしょう。

卞氏さんとは「創価仏法研鑽板」でお会いしたことがありますが、今は私は管理人さん
からアクセス禁止を受けてカキコできなくなっています。私は向こうを追放されたわけ
です。卞氏さんと逆ですね。感情に走った論争にならないようにしましょう。端から見
ていると喧嘩が始まりそうに見えますから。(;´Д`)コワイ!

それでは私は数学や理科の勉強がありますので今日はここで失礼します。

937愚鈍凡夫:2004/09/04(土) 16:21

あっ、
平和そうかさん、有り難うございます(気づきませんでした)。
卞氏さん、HNを間違えてしまいました。済みません。 m(_ _;)m ゴメン!!

938管理者:2004/09/04(土) 17:50

卞氏さん

>追い出されたからなぁ。

当掲示板は、卞氏さんを追い出してはいません。誤解の無いように申し上げておきます。


ご参加の皆様へ

つぶやきスレッドは議論禁止のスレッドです。議論は、内容にふさわしいスレッドを選んで書き込んで頂けると幸いです。

939菱村正敏:2004/09/04(土) 22:20
 わたしは、一回ですね。と言うより、形而上のことでお遊戯する
能力もありません。永遠に存在したいと願うことやそれを説く宗教を
批判するつもりはありません。それはそれで「イワシの頭も信心から」
ということで結構だなと思うだけです。

 ただ、知的障害の方でも、生命や存在について固執して習う方が
いましたので、単に医療関係者や学校教師や介護職員いがいでも
宗教者の側面からの意見やアプローチも必要なばあいがあるのでは
などと思っています。

940大宮:2004/09/05(日) 00:03
なんで去った奴が書いてんだ(呟)

941平和そうか:2004/09/05(日) 17:21
>>935
愚鈍凡夫さん。「古天文ソフト」の紹介本当に有難う御座いました。今日私は628年
から20世紀に渡る近畿から関東の過去の日食の記録と対比してみました。今まで日食
の日時や現象を再現するソフトはあったのですが、その日食現象の開始場所を終了場所、
及びその日食現象が起きる場所を示す帯が出るソフトが無くて困っていたのです。4日
に紹介して頂いたソフトはそれが出るものでした。しかし残念ながら飛び飛びにその現
象を示す段階に留まっている状態でした。例えば628年4月10日の日食は表示され
ますが、637年4月1日の日食は表示されませんでした。重大な問題たる1252年
3月12日、建長4年2月1日の日食のラインと帯は表示されず、日時を指定するとい
きなり1401年3月15日の日食に飛んでしまいます。また近代の日食のラインや帯
も出ないことがあり、例えば1918年6月9日の日食のラインも帯も出ませんでした。
まあこれはまだソフト開発がまだ発展途上であることを意味するものと思います。でも
愚鈍凡夫さんからは貴重な資料をたくさん紹介されて大変感謝しております。

先程「創価学会の教義は日蓮正宗と何処がどう違うか (Res:230)」の犀角独歩さんと卞氏
さんの議論を読ませて頂きました。愚鈍凡夫さんの御意見も拝見しました。犀角独歩さんは
純粋な研究者としての立場、卞氏さんは純粋な創価学会員としての立場から発言していたと
思います。愚鈍凡夫さんは冷静でご自分の意見を述べられていました。

卞氏さんは自分が追放されたものと考えて怒ったのでしょう。独歩さんは卞氏さんの発言が
非礼、無礼に当たると考えて200の削除を管理者に申請したのでしょう。でもあれははっ
きり言ってもう喧嘩ですよ。恐らく卞氏さんはもうここには来ないでしょう。卞氏さんは温
厚な方の人だと思っていましたが、信仰の問題となると違うんですね。

あのスレに私も入ろうとしましたけれども、私は塔婆や戒名など何も知らない者なので入ら
ないことにしました。私は純粋に人文科学自然科学とも科学的な考察によって宗教を考えて
いこうと思っています。ですからここの掲示板が好きなのです。

なお犀角独歩さんが書かれた本が出版されたら直ぐにでも読もうと思っています。

942愚鈍凡夫:2004/09/05(日) 18:09

平和そうかさん、レス有り難うございます。
EMAPの件ですが、日蝕データをデフォルト提供されているデータ(フォルダ内のデータ)を、HPで提供されている日蝕データに書き換えてみて下さい。帯が出ると思います。
小生は、このソフトを使ってみて、「むむっ、お主できるな」というのが正直な感想でした。

943仙台坂:2004/09/05(日) 18:47
平和そうかさん、けんかじゃないでしょ。あんなの当たり前ですよ。証拠の提示を求めたのに対して、無礼な言葉で返したんだから、その段階で議論は成り立たないじゃないですか。
下らない言い合いになるのを未然に防いだわけでしょう。議論をする相手を選ぶ権利はあります。

944仙台坂:2004/09/05(日) 18:57
そうか、ここはつぶやきなんだ。じゃあつぶやこう。自分で去ると言って、じゃあ去れと言われて、追放されたと怒るの変だよ。
止めてもらいたかったわけ。キモいな。自分の言葉には責任もたなきゃネ。

945卞氏:2004/09/06(月) 10:15
怒ってないですよ。この掲示板から追い出されたつもりもない。

彼の受け止め方を知るために、私との対話を拒むつもりならそのスレッドを去ると明言しておいた。
イヤなんだろうな。自分の過去と違う過去を持っている人と話しをするのが。気持ちはわかるけどね。
彼は、「戒名が不可欠」だと教わっていた。私の場合はそうではなかった。それだけの違いが分かれば、十分ですよ。

私が、あそこに何かを書き込めば、混乱するだろう事が予想される。
なぜなら、レスの削除を「管理人による不適当書き込みとの判断」ではなく「管理人からの処罰」であるかのように、受け止めていなかったからだ。
そして、相手に反省を求める姿勢がみられた。謝罪の言葉も無視されたようであった。
私はそういった所に、彼の他人や組織に対する「もたれかかり」を感じた。本人もその自覚のもと、あのようなハンドルをつけていらっしゃるのでしょう。
そして、学会のとある幹部が「戒名は成仏に不可欠」と言ったことを、それが元々本来の冨士派における化義であるかと決まっていたかのような発言も見られた。
そこに疑問の方向が向かないのか、不思議でならない。

そして、彼も対話を拒んだ。
だからあれ以上の書き込みは無理だとおもってやめた。
有る程度で尽くしたことであるなら、なおのこと。事実認識の再構築には時間と本人の「発見」が無ければならないからだ。
それだけのことです。

 ***

あ、そうそう、学会は葬儀をしても、びた一文受け取りません。
宗門の資金枯渇ねらいなどという、せせこましい考えは微塵もありません。
坊主にとってはそれが辛いことなのかもしれませんが、いわゆる葬式仏教は大聖人の本義にあらず。
そのことを忘れての議論に意義は見出せません。

946愚鈍凡夫:2004/09/06(月) 13:56

あっ、ここはつぶやきスレッドだった。(物・物・物・・・・・) ( ̄。 ̄;)ブツブツ

こんなのはどうですか。(独り言です・・・・・。耄碌したかな・・・・・?)

日蓮正宗と創価学会対立の真相 力ずくで宗門抑圧にかかった学会
http://the49.hp.infoseek.co.jp/emyo_t/em1403a2.htm

947卞氏:2004/09/06(月) 16:44
さんくす。
所感を述べる。

謗法の坊主への糾弾による事件をとりあげて、
学会が宗門軽視の姿勢だということに直接結びつけ、批判するのもどうかと思うけどね。所詮批判目的の記事だ。

謗法厳戒のはずだろ?冨士門流は。
謗法まみれの坊主が法主になるとどうなるか。
まさに今、宗門はそのことを思い知らされているのではないかな。

949菱村正敏:2004/09/06(月) 17:34
947

 謗法まみれの坊主が法主になった。ところで、その事実を
創価学会幹部、池田大作たちが知ったのはいつだったと思います?

950空き缶:2004/09/06(月) 17:42

横レスです。

この掲示板は「創価学会の正義を証明」する場では無いと思いますよ。

たとえ葬儀の際に供養を取らなくても、そろそろ「広布部員会」がはじまって、財務を沢山やると功徳が出る話しが巷ではにぎわうのでは?

所詮、一銭もとらないでは発展は無いでしょう。方法は違えどもお金を取ることに変わりはありません。とられる人が一番納得のいく徴収方法であれば、たとえ葬儀の場であろうと塔婆であろうとかまいませんよね。

ここでは聖教新聞や創価新報での情報は殆ど役に立たないでしょう。

951平和そうか </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/09/06(月) 17:48
卞氏さん。ちょっと暫くでしたね。「創価仏法研鑽板」で一度お話ししましたよね。
でも私はあの後管理人からアク禁にされてしまいました。もうあそこには行けなくな
ってしまいました。小野さんは「俺は君よりも150回以上幹部から怒鳴りつけられ
ている。甘やかす幹部は君の成長を阻む敵と思え。厳しく叱ってくれる幹部は君を成
長させてくれる味方だと思え」とか先日カキコしていました。それは勿論ですよ。池
田先生の信条ですし私も同じ信条を持っています。でも時と場合に依っては大変なこ
とになってしまうこともあるのですよ。学生部の会合で部長が言ったちょっとした言
葉が1人の部員を激怒させ、退転寸前にまでさせてしまったことがありました。部長
は創価1世で部員は創価2世だったと思います。

でもあの掲示板は研鑽の場にはなってはいないと思います。内容から見ればこの掲示板
の方がずっと濃いし、深く広いと思います。私は創価学会ってこんなに狭隘で排他的な
団体だったのかと思い、深く悩みました。小野不一さんは私に何にも教えてくれません
でした。でも犀角独歩さんや愚鈍凡夫さんはいろいろなことを私に教えてくれました。

卞氏さん。あの犀角独歩さんと論争した掲示板で愚鈍凡夫さんと議論してくれませんか。
ここは「つぶやきスレッド」なので。待ってます!愚鈍凡夫さんは私に理科学に関する
貴重な資料を教えてくれましたし、犀角独歩さんは日蓮正宗の歴史に関する資料を教えて
くれました。でも小野不一さんは何の資料も教えてくれず、ちょっとカキコしただけでア
ク禁とは酷いじゃないですか?

管理人さん。947の削除をお願いします。トリップを入れる時に手が滑って二重投稿に
なりましたので。

952愚鈍凡夫:2004/09/06(月) 17:51

ああ〜っ、今日も暑かった。冷蔵庫に恋をしてしまいそう。

謗法まみれの守銭奴が指導者になるとどうなるか、これが創価学会の姿ってところですかね。
金と数にモノを言わせて、強引に押し切る体質は今も昔も変わらないと言うことでしょうか。

それにしても最近、独り言が多くなったな・・・・・。気を付けよう。

953平和そうか </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/09/06(月) 17:54
管理人さん。失礼。948の削除でした。

>>949
菱村正敏さん。
私は全然知りません。いつですか?

954平和そうか </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/09/06(月) 18:17
>>952
愚鈍凡夫さん。今晩は。いろいろ資料を教えて頂いて有難う御座います。
あの「古天文ソフト」は機種に依って難しい問題がまだあるそうです。でも
あれを開発した人、2名は相当な努力家ですね。
私はまだ1951年以前の日食現象資料を入れることができないんですよ。
あの1252年に蓮祖が御覧になったかも知れない日食のラインと帯を早く
再現したいですね。あのカレントメイトでも私は悪戦苦闘していましたからね。
パソコンの勉強と受験勉強は並行は無理ですね。(;´Д`)ムネン

ああそうだ。愚鈍凡夫さん。犀角独歩さんとバトンタッチして、卞氏さんとあの
板で議論して頂けますか。

955愚鈍凡夫:2004/09/06(月) 18:58

平和そうかさん、レス有り難うございます。
つぶやきスレッドでレスを返すと管理人さんに叱られそうですが・・・・・・。
EMAPの能力を引き出せるようになるといいですね(ソフトが古い分、OSによっては相性が悪い場合もあるかも知れません。解凍して、データを上書きすればOKのはずですよ)。

尚、卞氏さんとの件は、卞氏さん次第です。

956平和そうか </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/09/06(月) 22:55
愚鈍凡夫さん。今晩は。本当にお世話になっています。なお卞氏さんはここにいます。
私も先日までここにいましたが、追放されてしまいました。他宗の人も入室可とのこと
ですので、一度管理人の小野不一さんと議論されてはどうかと思います。小野さんは4
1歳と言っていました。卞氏さんもここにいます。
             ↓
http://jbbs.livedoor.com/study/3764/

959愚鈍凡夫:2004/09/06(月) 23:37

平和そうかさん、ひょっとして何か企んでますか。 ( ̄〜 ̄;) ウーン
ご紹介の掲示板は、以前鬱病で悩む人がレスしていたので二度ほどレスした記憶があります。
それ以来、興味がないので覗いていませんが。
あまり評判は良くないようですね。IPを無断で流しているとか、カキコするとスパイウェアを送られるとか、余所の掲示板にレスがあったと思います(真偽のほどは分かりませんが)。

960犀角独歩:2004/09/07(火) 02:59

誤解があるようなので、記しておきます。
わたしは戒名の必要を論じたことなど、ただの一度もありません。「戒名が不可欠」であると石山にいた時代に習ったのは事実であるが、いまはそれを肯定する立場にありません。
中世、禅宗の影響によって成立し、日本仏教全般に使われるようになったものだという認識です。

そもそも、わたしはここで投稿することを富士の、なかんずく石山化儀と異轍があると批判されるのであって、わたしはそれをを肯定していません。人の過去のログも読まず、決めつけて見当はずれの論評することは非礼を恥じない以上に無礼千万です。

わたしが言っていることはそんなことではなく、化儀改変をした創価学会の現在の戒名不用論・僧侶導師廃止は普遍性がなく、不誠実であると言ったまでです。
それに対して、戸田さんは昔から戒名不用を言っていたと。ならば、その証拠を挙げろと言うにつけ、それに挙証もせず、哀れ・信心が浅いなどという暴言を吐くに至ったので、このような礼節を弁えず、証拠も挙げない人間とは語る無駄な時間を労さない、自らの言葉に随って、この場を去るべしと促したわけです。それにも拘わらず、自己の前言を翻し、相も変わらず、投稿をしているのには呆れるばかりです。

だいたい、2004/09/04(土) 12:27に「追い出されたからなぁ」(931)と記しておきながら、それからわずか2日後、2004/09/06(月) 10:15に「追い出されたつもりもない」と、これまた言葉を翻しています。このような一貫性のなさでは、およそ議論など不可能です。

「二言無し」と潔くあられたい。945の如く、わたしをサカナに的はずれのご託を記すことはやめていただきたい。ここに忠告しておきます。まるで見当はずれの憶測で実際と異なる悪宣伝は人権侵害です。度重なれば、わたしはまた投稿削除を求めます。

961愚鈍凡夫:2004/09/07(火) 09:22

今日も朝から地震。明日は台風がきそうだし、
「どないなっとんじゃ〜ッ」とつぶやいてみる。
「オイオイ、つぶやきかい」(by 外野席) (▼▼メ)

962卞氏:2004/09/07(火) 09:26
平和そうかさん宛のメッセージゆえ、反論を禁ず。

>あの犀角独歩さんと論争した掲示板で愚鈍凡夫さんと議論してくれませんか。
私は論争も議論も望んでません。
ただ、自分が受けた不誠実を学会がそうであったかのように言っていたので、話をして確認をしたかっただけです。
その方が話をしたくないと言ったのですから、こちらとしては追い出されたようなものですよ。

>ここは「つぶやきスレッド」なので。待ってます!愚鈍凡夫さんは私に理科学に関する
貴重な資料を教えてくれましたし、犀角独歩さんは日蓮正宗の歴史に関する資料を教えて
くれました。
そうですか。別にココじゃなくても、資料は得られますよ。

>でも小野不一さんは何の資料も教えてくれず、ちょっとカキコしただけでア
ク禁とは酷いじゃないですか?
あそこは、オフライン重視型の板ですからねー。純粋な討論の場というわけじゃないので、場違いだったということじゃないですかね。

963卞氏:2004/09/07(火) 09:49
彼には謝罪したが、謝罪の言葉は聞き入れられなかったようだ。
戸田先生が戒名不要と言っていたことについても、知っているのか知らないのかというレベルにおいて、
資料を求めるくらいなのだから、よほどの議論好きなのだろう。

 ***

師弟がない。分からない人が多い。
師弟関係になにか奇異に感じている人が多いのが実情だ。
昔からの文化にしろ、なんにしろ伝統というものは、この師弟という関係によってのみ受け継がれている。

 ***

ココは創価の正義をなんたらって、コメントがあったな。
何の話だろう?

964卞氏:2004/09/07(火) 09:55
>>934について
管理人様。
冒頭はともかく、
以後の内容は、スレとして不適当とおもうのですが。如何ですか。
このスレの趣旨を再確認しとうございます。

965空き缶:2004/09/07(火) 10:20
広布部員会の件は、よほどきいたみたいですね。

966愚鈍凡夫:2004/09/07(火) 11:02

戸田さんのジョークを真に受ける分にはかわいげがありますね。
でも、戸田さんも立派な戒名を貰ってますから、ご家族はさぞお喜びだと思います。
内容のないカキコの羅列だから、つぶやきでいいんじゃないですか。

967管理者:2004/09/07(火) 11:27



卞氏さん

>930 下記のような書き込みがあったようだが、追い出されたので返答は控える。
あくまでも、つぶやき。

として、つぶやきの形で所感を述べられたことに対して、934レスもやはりつぶやきとして掛かれたものであると解釈して、いずれも管理者は黙認し、そのかわり、

938に、管理者として、

「参加の皆様へ つぶやきスレッドは議論禁止のスレッドです。議論は、内容にふさわしいスレッドを選んで書き込んで頂けると幸いです。」

と、ご注意とお願いを申し上げました。

出来れば、元々のスレッドにて議論していただきたいと言うのが管理者の意向です。ただ、流れもありますので、ある程度のことは黙認するしかないかな、と思っています。

968管理者:2004/09/07(火) 11:29

訂正です。

× つぶやきとして掛かれた
○ つぶやきとして書かれた

970犀角独歩:2004/09/08(水) 10:31

ほかに投稿をしては脈絡が解らなくなるので、致し方なく、こちらで呟く形を採ります。

誤解があるようなので、記しておきます。
わたしは戒名の必要を論じたことなど、ただの一度もありません。「戒名が不可欠」であると石山にいた時代に習ったのは事実であるが、いまはそれを肯定する立場にありません。
中世、禅宗の影響によって成立し、日本仏教全般に使われるようになったものだという認識です。

そもそも、わたしはここで投稿することを富士の、なかんずく石山化儀と異轍があると批判されるのであって、わたしはそれをを肯定していません。人の過去のログも読まず、決めつけて見当はずれの論評することは非礼を恥じない以上に無礼千万です。

わたしが言っていることはそんなことではなく、化儀改変をした創価学会の現在の戒名不用論・僧侶導師廃止は普遍性がなく、不誠実であると言ったまでです。
それに対して、戸田さんは昔から戒名不用を言っていたと。ならば、その証拠を挙げろと言うにつけ、それに挙証もせず、哀れ・信心が浅いなどという暴言を吐くに至ったので、このような礼節を弁えず、証拠も挙げない人間とは語る無駄な時間を労さない、自らの言葉に随って、この場を去るべしと促したわけです。それにも拘わらず、自己の前言を翻し、相も変わらず、投稿をしているのには呆れるばかりです。

だいたい、2004/09/04(土) 12:27に「追い出されたからなぁ」(931)と記しておきながら、それからわずか2日後、2004/09/06(月) 10:15に「追い出されたつもりもない」と、これまた言葉を翻しています。このような一貫性のなさでは、およそ議論など不可能です。

「二言無し」と潔くあられたい。945の如く、わたしをサカナに的はずれのご託を記すことはやめていただきたい。ここに忠告しておきます。まるで見当はずれの憶測で実際と異なる悪宣伝は人権侵害です。度重なれば、わたしはまた投稿削除を求めます。


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