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つぶやきすれっど2

1管理者:2002/12/15(日) 15:25

つぶやきすれっどが、1000レスを越えて、使えなくなりましたので、新たに、つぶやきすれっど2を立ち上げました。よろしくお願いいたします。

何となく、普段からフツフツと感じている事を、ここに書き込んでみて下さい。
このスレッドは、独り言、ボヤキですから、会話、議論の応酬は避けましょう!
本音、弱根を、思う存分サラしてみましょう!

2588hage:2009/02/06(金) 16:27:14
たけぞうさん、こんにちは。

八品派は、室町時代の日隆聖人の流れを汲んでいる宗派で隆門ともいうそうです。
過去には富士派と壇林(僧侶の学問所)を共にしたり、交流はあったそうです。
冨士教学研究会−投稿論文集−の中の記事にも「富士門と隆門との接触が盛んであった」とあります。
http://xbbs.knacks.biz/dangisyo
「日蓮本仏論」は日隆聖人の「法華天台両宗勝劣抄」(四帖抄)が元になっているという話も聞きます。
(八品派では日蓮本佛諭は否定していますが)
私は違うのですが、本門佛立宗はご存知ないでしょうか?

2589犀角独歩:2009/02/06(金) 16:32:30

たけぞうさん

本日まで、管理者さんから依頼されて、代理管理を行っている犀角独歩です。

こちらのスレッドは冒頭にありますとおり、

「普段からフツフツと感じている事を、ここに書き込んでみて下さい。
このスレッドは、独り言、ボヤキですから、会話、議論の応酬は避けましょう!」

という趣旨で立っています。

2582以降の書き込みは、その趣旨に反している判断できます。
つきましては、こちらでの議論は、ご遠慮ください。

なお、投稿内容につき、偶ロム偶ログさんがご指摘なさったような不適切と思える箇所もありますが、この点は、明日以降、管理人さんがご判断なさることと存じます。

以上、注意を申し上げ、警告とさせていただきます。

引き続きこのスレッドの趣旨に反した投稿をなさった場合は、遺憾ながら、削除させていただきます。ただし、削除投稿は保存し、明日以降の管理にさんのご判断に委ねることといたします。

2590犀角独歩:2009/02/06(金) 16:42:06

hageさん

投稿が前後しましたが、2589に記した趣旨の遵守をお願いいたします。

2591hage:2009/02/06(金) 16:50:47
犀角独歩さん

趣旨に反した書き込み、申し訳ありません。
問題がありましたら、削除していただければ幸いです。

2592たけぞう:2009/02/06(金) 16:58:16
偶ロム偶ログ さんへ

>質問1.あなたが「魑魅魍魎」とおっしゃる根拠を明示していただけませんか。
現役の学会人が堂々と、学会批判を出来る掲示板はありません。
本音で喋れる掲示板ですので、それが言論の自由があるというタテマエで無いという学会の組織からみると、魑魅魍魎。

 376 名前:たけぞう 投稿日: 2009/01/21(水) 21:06:38
   >hageさん
   >ここは富士門流になっていますが、
   最初は富士門流のプライドで入りますが、パンドラの蓋を開けて魑魅魍魎。
   迷って迷って、最後には富士門流でなくなったりして。
   私、戸籍上は創価学会かろうじて守ってます。
 377 名前:管理者 投稿日: 2009/01/21(水) 21:23:04
   たけぞうさん
   >魑魅魍魎
   どこかの会の会長さんが、当掲示板にご参加の方を名指しでそう批判したそうですね。
   彼らから見れば、ここは魑魅魍魎の巣窟かな(笑)。
   掲示板管理者は、さしづめ、巣窟の仕掛け人かな(笑)。
魑魅魍魎は、ただのご愛敬です。

>質問2.あなたはすべてのオフ会に参加されましたか。
最近なので参加してません。

>質問3.オフ会が学会批判だという根拠を明示して下さい。
「今回は、創価学会・顕正会・日蓮正宗について考えます。(もちろん「批判的に」です)」
この文章を読んで判断しました。

>質問4.上記2584の書き込みは、これまでこちらに書き込まれた方たちへの誹謗中傷になると思われませんか。
思いません。
日蓮非本仏論を堂々と論議出来るようになったのもこの掲示板のお陰です。
それは、何度も書いております。
また、学会内部でいう御本尊と曼荼羅の違いを教えてくれたのも掲示板のお陰です。
このことは、昨年12月31日犀角独歩さんへ感謝の文をのせてありますのでご覧ください。
ただ、そこまではいいのですが、日蓮非本仏論となると、種脱相対はどうなるのか、教観相対はどうなるのかという疑問が生じてきます。
それを現在思索中です。そして自分の信仰とどうつなげていくのかが検討内容です。
今まで、閲覧してきましたが、信仰態度や折伏業の悩みについては討論されておりません。
批判した先に自分たちの信仰の在り方、折伏の在り方そんなものを考えてみたいのです。
創価学会批判よりは、私にとって創価か学会の活性化の方が問題です。
現状は、婦人部だけで成り立っている創価学会、このままでいいのか。
慈悲の仏法を信じているのに、何ら社会的活動をしていない創価学会。
池田氏の一言でなんでも決まっていく創価学会、せめて人事は選挙制度導入して民主化できないものだろうか。
等々、考えますが、現実は池田氏生存中は無理なようなので、ポスト池田に期待してます。

2593たけぞう:2009/02/06(金) 17:02:45
犀角独歩さんへ

スレッドの意味をよく理解せず文章をだらだらと書いたことお詫びします。

2594犀角独歩:2009/02/06(金) 17:14:13

たけぞうさん
偶ロム偶ログさん

本来であれば、すでに2589で注意をいたしておりますので、2592のご投稿は控えていただくことが筋であったろうと思えます。
しかし、それ以前の、偶ロム偶ログさんの2586のご質問にお応えになった形ですので酌量の余地はあろうかと存じます。

ある面、偶ロム偶ログさんのご質問も当スレッドには反しますが、それは、それ以前のたけぞうさんの投稿に難じる性質上、いたしかたのない側面を有していました。

本来であれば、両投稿を削除すべきところですが、あくまで、代理管理という立場ですので、このままとします。

しかし、先に申し上げましたとおり、こちらは「つぶやき」スレッドですので、いったん、この議論は打ち切っていただくようお願い申し上げます。

2595宮本:2009/02/06(金) 17:18:35
たけぞうさんへ
>こんな魑魅魍魎な掲示板に参加しているのですか
ここは、魑魅魍魎では、おそらくないと思います。
 一例ですが、たしか「河辺メモ」の内容ですが、
(所謂、大御本尊が偽作では、ないかといゆ意見は)犀角独歩さんの
方が早く言っておられたと記憶しています。
(記憶違いでしたらごめんなさい)
ですから、「河辺メモ」の件は、早くから知っていました。
とらえかたが、学会の公式見解とは、違いますが。
 また、学会の知識だけだと、教学力等が、向上しないと思います。
と言ゆうより、それ以前の問題がある場合があるような気がします。
(四箇格言、五重相対論も、現代の現実とマッチしていません)
内部の者同士の教学では、解からないと思います。
>オフ会は創価学会批判
これは、当たり前のことかと思います。
批判される部分があるのだと思います。
(完全、完璧、100%良い宗教組織
があるのかもいれませんが)
で、民主主義ですからね。

2596犀角独歩:2009/02/06(金) 17:21:12

宮本さん

2589にたけぞうさんに申し上げたとおりです。
こちらで議論を継続することはおやめくだささい。
注意いたし警告といたします。

2597宮本:2009/02/06(金) 17:43:28
犀角独歩さんへ
 了解しました。すみません。送信した時、犀角独歩さんの書き込み
 前から、書いていたもので、前後してしまいました。

2598マターリ:2009/02/07(土) 11:21:56
素朴な疑問スレッド3721で、法難で亡くなった弟子に関する御書が、極め
て少ない件について質問させていただきました。しかし、答をいただけず
残念でした。

日蓮は厳しい反面、とても優しい面があると聞いていました。その優しい
面を、ずっと探していましたが、私は御書から感ずることができませんで
した。

本当に優しいのなら、法難で亡くなった弟子に対して、書いた文字のうえに
涙が落ちるような、心優しい文が多くあるのではないかと思っていました。

2599大縫 薫:2009/02/16(月) 11:53:09
 扶桑根源代流沙門の某師は當家沙門訓戒に
「布施なき経は讀むべからず 布施なき法は説くべからず 
 財施應分の法施無きは罪業無限累積と知るべし」という口伝が門下に残って
 いるそうですが、経典か遺文にも同様の事が示されているのでしょうか?
 お分かりの方がいましたらご教示願います。

2600顕正居士:2009/02/17(火) 15:58:06
松本師のことですか。誰が言いはじめたことかわかりませんが、宗派問わずそういうことを
言う坊さんはいるようです。読経がサービス業の一種になれば、価格破壊を避けるために
そういう考え方も出るのでしょう。
仏典の布施という言葉には儀礼の執行に対して坊さんに支払う対価の意味はありません
から、経典にも遺文にも根拠はあり得ないです。

2601犀角独歩:2009/02/17(火) 16:01:44

布施とは、菩薩が積んだ功累ねた徳を衆生に布き施すことでしょう。
菩薩戒を持す側が強要するようになっては、もはや終わりですね。

2603大縫 薫:2009/02/17(火) 20:36:02
顕正居士さん
そうです、松本先生です。
やはりその様な根拠は無いですか・・・

独歩さんが言われるとおりだと自分も思います。
尚當家沙門訓戒は活字化されています。

2604大縫 薫:2009/02/18(水) 14:24:32
法華宗本門流の寺院で冥加料を明示したHPを見つけました。
布施については、寺の雑務、草むしり等をもって身の供養で布施に代えさせて
もらうことも出来るそうです。

妙信寺公式HP
http://www.myoushinji.com/info/info.htm

2605hage:2009/02/18(水) 21:36:50
七布施を検索すると

眼施・・・たたかい目差しを布施する事
和顔悦色施・・・和らいだ顔、喜びの顔色の布施
名言辞施・・・言葉による布施、穏やかな話し方の布施
身施・・・身体に寄る布施、つまり労働奉仕
心施・・・思いやりのこころを布施する事
床座施・・・満員電車などで座席を譲る事
房舎施・・・人を気持ちよく宿泊させてあげること

以上の七つの「施」をもって、無財の七布施と言う。

とあります。

お坊さんが、御法門を信者さんに対して説かれるのを法施とも言いますよね。

2606犀角独歩:2009/07/26(日) 14:03:58

問答さん

告知力のある貴掲示板の場を貸してください。

すでにblog、GREE、mixiでは告知しましたが、あろうことか、わたしが盗用をしたというデマが流されているのです。

まったく冗談じゃない。名誉毀損も甚だしい。浅井さんの「魑魅魍魎」「創価学会崩れ」「大謗法者」という悪口雑言よりたちが悪い話です。
以下、上述へのわたしの抗議を添付させていただきます。

***

あきれ果てた言いがかり、わたしが盗用?

まったく驚くこととはあるもので、金原明彦さんの周辺では、わたしが盗用したのだと言いふらしているのだという。

なにを言っているのやら。
わたしが、大石寺の所謂「本門戒壇の大御本尊」が弘安3年5月8日の日禅授与本尊を原本として臨模作為された作品であるとは、2005年9月9日の段階からインターネットで発表したとおりである。こうした下らない言いがかりをつけられないために発表した当初からカウンターをつけておいた。金原さんの出版は2007年8月20日である。

何故わたしは、所謂「本門戒壇の大御本尊」の真偽を論じるのか
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/doki.html"

『現代宗教研究』第39号所載
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/pdf/syoho39.pdf

大石寺から離脱して、創価学会から給料をもらっている佐藤伴道さんという還俗者や、西山茂さんあたりが、それに乗っかっていると言うが、本当であろうか。本化ネット、福神でもそんなことをいっているのか? もし、そうであれば、こうした人びとの良識も含めて抗議したい。

わたしが、こうした結論に達していく経緯は、富士門流掲示板における管理人・問答迷人さんをはじめ多くの方々との公開議論に基づいている。同掲示板を時系列で閲覧してもらえばすぐにわかることである。

だいたい、金原明彦さんなどや、その周辺の人びとは、今に至るまで、誰一人会ったこともない。聞くところに拠ると、わたしがネットに書き出す以前に創価学会本部に金原さんが、こうした文書を出し、その文書をわたしが盗用したなどと言う。

だいたい、わたしは創価学会を脱会しているのであって、今に至るまで創価学会とのパイプなど存在しない。創価学会本部に出した文書など、どうやって、わたしが手にできるというのか。それよりも、ネットで公開したものものや、先行出版物を、そのまま採用することのほうがはるかに簡単ではないか。

わたしが出した書籍の目次立て、説明順序とまったく同様の内容で書かれた本が、拙書のあとに出たとしたら、盗用はどちらかは自明だろう。創価学会のやり方は、どうしていつもこうして卑劣なのだろう。それに乗っかる人びとも、人びとである。

2607管理者:2009/07/26(日) 14:45:31

犀角独歩さん

吃驚しました。有り得ない事です。

>富士門流信徒の掲示板を時系列で閲覧してもらえばすぐにわかることである。

その通りですね。この掲示板の日付は改竄は不可能ですね。今もこの掲示板は活きている訳ですから。

富士門流信徒の掲示板の管理者として、以下の通り、犀角独歩さんの論考が成立してアップされたのが2005年9月9日であることを証言しておきます。

当、富士門流信徒の掲示板の2005年9月9日の犀角独歩さんの書き込みです。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015557630/1333

2608空即是進化:2009/09/10(木) 22:28:53
 富士門流としては、ほぼ話題も出尽くした状況でしょうか。
 真理は“無我・無常”ということを、かの池田先生もかなり早い時期に気づいていた
のではないでしょうか。ホントの信者ならああいう行動はとれなかったと思う。
 御本尊が張りぼてのおもちゃに等しいと知ってしまったら、知的満足感は得られても
何にもうれしくない。
 信じて希望を持った人々に真実を話しても、だれも喜ばない。後は今ある組織を活用
し、行けるトコまで行ってみよう。それが自分の使命だ。なんてね。

 創価学会の存在意義は、現代社会の中でトータルはプラスだとあらためて思います。
それがすべて幻想だとしても。

2609hage:2009/09/11(金) 07:36:53
本当の御本尊は、心の中に写った「南無妙法蓮華経」ではないのでしょうか?

同じ物を見ても、人によって見えかたは違ってしまいますし、
人間の目で見た世界が本当なのか、幻なのか誰にも解らないんでしょうね。
人間は意識の中でしかこの世界を知ることができないですからね。

2610hage:2009/09/11(金) 07:37:01
本当の御本尊は、心の中に写った「南無妙法蓮華経」ではないのでしょうか?

同じ物を見ても、人によって見えかたは違ってしまいますし、
人間の目で見た世界が本当なのか、幻なのか誰にも解らないんでしょうね。
人間は意識の中でしかこの世界を知ることができないですからね。

2611れん:2009/09/16(水) 21:11:03
確かに、富士門流の話題は、出尽くした感がありますね。

門派教学抜きで法華経の成立史なんかやるのも面白ろそうですね。

今、福神研究所の公開講座で、松山俊太郎先生の法華経講義が行われていますが、何れ本に纏められるものと思いますので、出版されたら、それを叩き台として、議論しても良さそうに思います。

2612天蓋真鏡:2009/10/29(木) 11:37:59
過去時代・釈尊本六・日蓮大聖人牧口常三郎日興日寛戸田城聖池田大作、未来時代・釈尊新六・完全自由正義追求原因論結果論平和友愛

2613天蓋真鏡:2009/10/29(木) 11:50:08
ポスト池田 「名誉会長と言う席次は無い」 公明党解散・老若男女を問わない福祉政策プランを世に問う、 コミュニティーを育てる創価大学中心・思想哲学主義主張を学問する

2614北斗★彡:2009/10/30(金) 09:55:48
皆様こんにちは(^-^*)/

質問スレではないのですが、一つ、この言い分を破折して頂ける方いませんか?

「題目は仏説」

あるコミュにて、質問者が「日蓮のお題目云々」と言っていたところ、日蓮信者らしき方が「題目は仏説」と主張していたので、「違うのでは?」と言ったところ最終的に私は「親鸞会員のコミュ荒らし」に認定されました(笑)もちろん、そういった事実はありません。まぁ、阿弥陀如来像は好きですけど(笑)

因みに、仏教辞典で「題目」調べました。

「法華経の表題である妙法蓮華経ないしそれに帰依する意の南無妙法蓮華経のこと」

とあります。

まぁ、信者得意の拡大解釈すれば「仏説」になるのでしょうが、それを法華経に興味を持ち出した方に説明するのは、問題があると感じた次第です。

で、ある研究者さんの見解をレスしたら見事スルーで、最終的に私は「親鸞会員のコミュ荒らし」に認定された訳です(笑)

ま、日蓮門下の信者はどれも「同じ」なのかな〜。

そうであって欲しくないけど、石山系以外のこういった信者を見るのは2人目です。

2616問答迷人:2009/10/31(土) 21:36:22

北斗さん こんにちは

ご無沙汰しております。

「題目は仏説」ですか。日蓮聖人は勿論、法華経の文文句句は悉く仏の説かれたものであると説かれていますから、日蓮聖人は題目を仏説とされています。

但し、仏教の経典は仏様の説法を有りの儘に記録したものとは言えませんね。なぜなら、お経が文字経典として記録されたのは、ずっと後世のことですから。

そうした経過を含めて、仏の説法を記録したものとされている経典を「仏説」と呼ぶのなら、「題目は仏説」という議論は成り立ちますね。

しかし、経典が仏の説法をそのまま記録したものではない、という観点に立てば、経典は仏説とはいえない、という事になると思います。

日蓮聖人の場合は、真跡遺文が残っていますから、遺文の真偽判定が決定的な意味を持ちますが、経典については、真跡が全く存在しないのですから、真偽判定自体が決定的な意味をなさないと考えています。

2617阿佛棒:2009/11/01(日) 17:37:26
何が悩みかといえば文字化けにつきますよ、どうして化けるんだろうw
末法だからに違いないっ!

2618北斗:2009/11/13(金) 16:14:32
問答迷人さん

お久しぶりです(^-^*)/

お元気なんでしょうか?

最近、お見かけしないので心配しておりました。

さて

>「題目は仏説」ですか。日蓮聖人は勿論、法華経の文文句句は悉く仏の説かれたものであると説かれていますから、日蓮聖人は題目を仏説とされています。
但し、仏教の経典は仏様の説法を有りの儘に記録したものとは言えませんね。なぜなら、お経が文字経典として記録されたのは、ずっと後世のことですから。
そうした経過を含めて、仏の説法を記録したものとされている経典を「仏説」と呼ぶのなら、「題目は仏説」という議論は成り立ちますね。


確かにそうですね。



>しかし、経典が仏の説法をそのまま記録したものではない、という観点に立てば、経典は仏説とはいえない、という事になると思います。
日蓮聖人の場合は、真跡遺文が残っていますから、遺文の真偽判定が決定的な意味を持ちますが、経典については、真跡が全く存在しないのですから、真偽判定自体が決定的な意味をなさないと考えています。


実は、私はこちらの方の立場から「題目は仏説」論に反論したのですが、日蓮宗の盲信者には通用せず、更に「FB〇」さんから頂いたご意見にも噛み付く始末でした。
早坂鳳城さんの論文も提示したのですが、ダメでした(笑)


日蓮教学ってのは、盲信者増やしやすいんでしょうかね〜?

念仏も似たようなもんかも知れませんが(笑)

2619問答迷人:2009/11/13(金) 21:57:28

北斗さん

>私はこちらの方の立場から「題目は仏説」論に反論したのですが、日蓮宗の盲信者には通用せず、

日蓮聖人自身が、「妙法蓮華経の五字」が、法華経の神力品に於いて久遠の釈尊から上行等の地湧の菩薩に付属された正体であると述べられていますので、日蓮信徒は、日蓮聖人の教えられた通りに信じるのが当然といえば当然であろうかと思います。日蓮の研究者なら、又違うんでしょうがね。

まぁ、『現代仏教学的には「題目は仏説」と言うのは乱暴だ』と指摘されれば、良かったのかも知れませんね。


>最近、お見かけしないので心配しておりました。

ご心配をお掛けして申し訳有りません。しばらくグリー、ミクシィ休んでおります。ご容赦下さい。

2620北斗:2009/11/14(土) 01:46:22
問答迷人さん


>日蓮聖人自身が、「妙法蓮華経の五字」が、法華経の神力品に於いて久遠の釈尊から上行等の地湧の菩薩に付属された正体であると述べられていますので、日蓮信徒は、日蓮聖人の教えられた通りに信じるのが当然といえば当然であろうかと思います。


>まぁ、『現代仏教学的には「題目は仏説」と言うのは乱暴だ』と指摘されれば、良かったのかも知れませんね。


まさに、ご指摘の通りなんですが相手の盲信ぶりに「カチーン」ときたものでちょっと冷静に反論できなかった部分もありました(笑)


やはり、独歩さんの仰せの通り「問答名人」さんですね。

流石ですm(_ _)m


>GREEやmixiはお休み…


いやぁ、お元気なら全然いいんです。
病気で長期入院とかしてるのでは?
と、心配だったんですよ。


また、こちらにちょくちょく来て「超初心者質問」すると思いますが、よろしくお願いしますm(_ _)m

2621北斗:2009/11/23(月) 06:16:22
一つ、つぶやきを…

石山一派だけでなく、一部日蓮宗信者でもそうなのですが、他宗の人に「文証だ」と説明する上で何故「真偽未決」御書を平気で使うのでしょうね。

そして、それを指摘すると「日蓮聖人の考えを狭くする」だの「他宗信者には、この程度の御書で十分」とか言う人までいます。

相手に、失礼と言うか「真偽未決」じゃあ「文証」(本来の使い方ではないけど)にならないのではないでしょうか?

まぁ、一言「真筆ではないですが」とか「真筆が残っていないけど〇〇の写本があります」とか言うならまだしも…。


そういった方々を傍から見ると「日蓮門下は、上から目線だね」とか「法華経が1番との教えだから、そうなんだ」と映るんですよね。「法華経行者だから偉い」みたいな態度がミエミエって言うか。


なんなんでしょうね。

2622れん:2009/11/23(月) 11:42:58
北斗さん

上から目線というのは、ある意味致命的ですね。

蓮祖ご自身は、自らを「名字の凡夫」(顕仏未来記・真蹟身延曾存)と定位し、最晩年には「一切衆生の同一苦は悉く是れ日蓮一人の苦と申すべし」と宣言され「末法には…不軽菩薩の利益此れなり、各々我が弟子等はげませ給へ」(諫暁八幡抄・真蹟大石寺蔵)と門家に遺言されました。

北斗さんに相対した方々の様に、他者に対し、上から目線で接する輩は、蓮祖を讃すると雖も、還て蓮祖の心を死す人々と言えるでしょうね。

2623北斗:2009/11/23(月) 21:58:04
れんさん


>他者に対し、上から目線で接する輩は、蓮祖を讃すると雖も、還て蓮祖の心を死す人々と言えるでしょうね。


信者でない私ですら、そう思うのに、日蓮門下が「上から目線」してたんじゃあハッキリ言えば「日蓮門下終了」と言いたくなりますよ。


驕りが凄いあるんでしょう。「仏教最高の経典を信じ、理解している」というのが日蓮門下には。

私のように「学者目線」で尚且つ「信者ではない」人間が、各教団の法華経解釈に質問やら批判するのが気に入らないんでしょうね。きっと。

2624れん:2009/11/24(火) 01:22:28
北斗さん

北斗さんが接した大石寺の信者や日蓮宗の信者では、さぞかし北斗さんからのご質問は荷が重いものだったと思います。

現代仏教学の上からの最新の法華経の研究としては、インド学者・幻想文学研究家の松山俊太郎氏が、福神研究所の公開講座で「法華経講義」を現在されております。氏は純粋な文学者・インド学者であり、北斗さんと同じく全くの非信仰者の立場の方ですが、だからこそ、松山氏の、インド学・文学研究の上からの鋭くかつ忌憚の無い法華経の研究・講義は“目から鱗”です。 

何れ、松山俊太郎氏の法華経講義は、著作として纏められる予定とのことですので、刊行されましたら、是非、購読をお薦め致します。

2625北斗:2009/11/24(火) 02:35:41
れんさん


>松山俊太郎氏が、福神研究所の公開講座で「法華経講義」を現在されております。


そのようですね。私は、犀角独歩さんのホームページ「犀の角のように独り歩め」で独歩さんの解説見てました。

出来る事なら、是非参加してみたいです。


>何れ、松山俊太郎氏の法華経講義は、著作として纏められる予定とのことですので、刊行されましたら、是非、購読をお薦め致します。



是非、購読したいです。

ちなみに「蓮と法華経――その精神と形成史を語る」が欲しくて探しているのですが、私の住む地方最大の書店でもないんですよ(泣)

まぁ、古い本ですからないのは仕方ないんですが…。

2626幻明影偲:2009/11/25(水) 00:11:35
近頃思う所があるのですが、本尊と曼陀羅について愚考致しておりますが私は今の所曼陀羅を外して仏壇の中に祖父の遺骨と写真を入れ、題目を唱えています。本来、曼陀羅でなければいけないなどとは空海ですら言ってなかったと思いますが、御覧の皆様方の御意見賜れれば幸いと存じます。

2627問答迷人:2009/11/25(水) 07:03:18

幻明影偲さん こんにちは

>曼陀羅でなければいけないなどとは空海ですら言ってなかった

日蓮聖人は皆様が良くご存知の通り、観心本尊抄において、次のようにお示しです。

「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう。}

「今、末法の初め、小を以て大を打ち、権を以て実を破し、東西共に之を失し、天地顛倒せり。迹化の四依は隠れて現前せず。諸天、其の国を棄て之を守護せず。此の時、地涌の菩薩、始めて世に出現し、但、妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ」

「天晴れぬれば地明らかなり。法華を識る者は世法を得べきか。一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたもう。四大菩薩の此の人を守護したまはんこと大公・周公の成王を摂扶し四皓が恵帝に侍奉せしに異ならざる者也」

誠に不思議な事ですが、全て「五字」と説かれ、紙に書かれた文字としての「妙法蓮華経の五字」を「受持する・服す・懸ける」事を説かれています。

「妙法蓮華経の五字」が書かれている曼陀羅こそ、まさに観心本尊抄の論旨の通りの物であり、本尊として仏壇に懸け信仰すべきものであると僕は考えています。

2628幻明影偲:2009/11/25(水) 11:27:11
問答迷人 さん 御無沙汰しております。

先頃、こちらのサイトhttp://homepage2.nifty.com/thinking-way-8W1H/mmdl/6.4kukai.htm
◇空海は日本に居たころ「虚空蔵求聞持法(こくぞうぐもんじほう)」により、今でいう右大脳半球の脳力開発を行っていたのです。ですから超人的な集中力でもって難解なサンスクリット語やパーリ語をマスターし、身につけた速読法で大量の経典類も短期間に読破できたのでしょう。
とあり、
◇空海が遣唐使船で中国に渡り、短期間に密教の極意を修得して日本に持ち帰ったものは、大量の仏教典・仏具それに曼荼羅です。今でも京都東寺に伝わる胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅の両部曼荼羅は目に見える情報として、私達に大きなヒントを与えてくれます。
とあります。
ですので所詮曼荼羅は物体、物質でありながらも題目そのものに何か人間そのものを変える不思議な力があるのではないかという
観点で見ています。
ですので、私見、個人的展開になりますが実践的な科学的な要素がもっと世に
現れてきてもいい時代なのかと愚考致すところでございます。

2629問答迷人:2009/11/25(水) 12:56:55

幻明影偲さん

>題目そのものに何か人間そのものを変える不思議な力があるのではないか

日蓮聖人は極めつけの現実主義者だと僕は考えています。神秘的なものを、神秘的なままで終わらせずに、必ず具体化しなくては気がすまない、そんな方だと考えています。

その意味で、「題目」「唱題」に籠められた神秘的な中身が有るとしても、それは全て具体化されている、と考えています。つまりは「文字曼陀羅」です。

当初はお題目を唱えるだけであったものが、佐渡以降は曼陀羅を掛けて拝し、曼陀羅を信じてお題目を唱える、という形に変化しました。つまりは、お題目を唱えるという中身が曼陀羅として具体化されたのだと僕は考えています。

2630幻明影偲:2009/11/25(水) 14:43:42
問答迷人さん

仰る通りと思います。
某方の話を以前お聴きした時の事ですが聖人は曼陀羅や釈迦仏像にも題目を唱えていなかったという話が私の耳奥に残っており未だ捨て切れずに居る次第です。某方の話ですと、曼陀羅は法華宗の証明でしか過ぎず、説法する際に曼陀羅を広げ説法をされたと拝聴した事を記憶しております。
ですので、我が家には現在曼陀羅本尊はございませんが祖父の写真に向かい題目を唱え、勤行(五座、三座)を致しております。
しかし不思議に心は晴れやかになるものです。
但し、文字曼陀羅を限定と致しますと現行では別体三宝式(御影像)もどうかと思う所もございますし、また妙蓮寺にあった別体三宝式(絵の掛け軸)もどうかと愚考致す所存です。
真蹟か不明ですが、[題目を以て本尊とすべし]最近ここに尽きるのかと未熟者ながら感ずる所でこざいます。

2631阿佛棒:2009/11/28(土) 10:25:20
法華曼荼羅というものは法華経における虚空会を文字によって図示したもので
これは当然掛けて拝むものだと思いますよ。
日蓮以前にも法華絵曼荼羅というものもありこれも拝む対象として描かれたようですし
本尊うんぬんより仏具として必須アイテムと申せましょう。

真言において各種祈願時に両界曼荼羅を掛けるに同じ

心に曼荼羅を描くほどイメージが出来ているなら要らないかと思いますが、雰囲気的には必要じゃあないでしょうか。

2632犀角独歩:2009/11/28(土) 10:59:24
以下、つぶやき。

漫荼羅が虚空会を表したというのは、日蓮宗や、創価学会の教学であって、日興門家では、違いますね。

『本尊三度相伝』に「今此の本尊大漫荼羅とは霊山一会の儀式を書き顕はす処なり」とあるからです。

また、現存する漫荼羅で折り痕が残っているものがあり、これは、つまり折り畳んで、保存されていたことを意味するというのが中尾堯先生のお話です。いまのお守りのように折り畳んで袋に入れて、懐中していたとのことです。

また、裏に木目の跡が残るものがあり、これらは板に貼られていたためであろうとのことでした。板に貼っていたのか、あるいは、板壁に貼っていたのか、その点はわかりませんが、いまのように厨子や、仏壇に納めるようになるのは、後代のことでしょう。
日蓮にその起源を見ることはできないでしょうね。

2633れん:2009/11/28(土) 17:59:30
昨日、神奈川県立歴史博物館の日蓮聖人展に行って参りまして、大幅のものから一紙の小幅の御真蹟の大漫荼羅御本尊を、間近に拝して参りました。

何時の頃から、大漫荼羅御本尊が現在の様に表装される様になったのか、まだまだ専門の研究者による検討が必要であるとは存じます。日興門流系の史料で言えば興師が聖人御真蹟漫荼羅御本尊の内、数幅に「懸本門寺…」と添書されており、この「懸」が、現在の様に表装して「懸」けるのか、中尾氏が明らかにしたように、表装して懸るのとは別の形で「懸」けるのか、新しく検討してみますと、興師当時の有様すら、実はよく分かんなくなっていますね。

日蓮聖人御自身の“御本尊”につきましては、この界隈に限らず、様々な議論・見解が角逐しておりますが、日蓮聖人晩年の本尊問答抄(真蹟は不現存ながら、筆者不明ながら興師の“弘安五年 月 日”の加筆を有する富久成寺蔵の写本・富士岩本実相寺蔵の正応の日源師写本・年記不明の北山本門寺蔵の興師の写本が現存、富木常忍氏=日常師の本尊聖教目録にも本尊問答抄が見えるので、写本遺文の中では日蓮聖人真撰として信頼出来ると言えると思われる)の意からは、少なくとも、“末代悪世の凡夫”は“法華経の題目を以テ本尊とすへし”というのが日蓮聖人の意図ではないかと愚考しております。

2634犀角独歩:2009/11/28(土) 18:05:46

れんさん

わたしも昨日、櫻川さんのおかげで行ってまいりました。お会いできず、残念でした。
その帰りに、ちょうど、ご呈示の点も雑談をしたのですが、この本尊という言葉について、日蓮は、単独に「本尊」というもあり、「本門本尊」というもありながら、「教相本尊」は、出てまいりませんね。
『本尊抄』で言われる本尊は「本門本尊」に違いありませんが、では、題目本尊は、教相・観心、さて、いずれとお考えですか。

2635犀角独歩:2009/11/28(土) 18:54:38

◎三つの法門

┌本門本尊
├戒壇
└題目五字

もし本尊=題目ならば、以上の三分類は破棄されることになりますね。

┌本門本尊=題目五字
└戒壇

つまり、三大秘法ということと題目本尊の併立は、片方の教義を潰えることになるとわたしは考えます。

この点について、せいぜい反論として帰ってきたのは、

本門本尊=題目五字=戒壇

です。ならば、なおさらのこと、三大秘法は成り立ちません。

なお、題目=本尊で、かつ四大天王が書かれているから戒壇の意義も有すのが漫荼羅本尊であるというのであれば、少なくとも、こうした包摂を意図する日蓮の真蹟遺文を挙げる必要があるとわたしは考えます。

2636犀角独歩:2009/11/28(土) 19:01:30

さらに追記。コマの無駄遣い恐縮です。

また、もし 本門本尊=題目五字=戒壇 で漫荼羅に戒壇を意義を有するというのであれば、なにも日蓮の弟子たちは戒壇建立に普請する必要などなかったことにならないかというのが、わたしの疑問です。

となれば、そこで成り立つ式は

┌本門本尊=題目五字
└戒壇

で、これを三つの法門(三大秘法)とは言うことはできないことになります。

なお、事理戒壇、事義戒壇は、後世の解釈であり、日蓮のあずかり知らないことなので、日蓮の素意を考えるうえでは、対象になりません。

2637れん:2009/11/28(土) 19:04:07
犀角独歩さん


素人の私にとっては、とっても難しい御質問です(泣)

私は難しいことは解りませんが、初期日興門流の宗義書を検するに、“日尊上人仰云”には日代師の義として「題目ハ心法妙ノ直体也」とあり、“日大直兼問答”には日尊師の義として「題目ノ五字ハ観心ノ心法妙ノ直體也」とあり、薩摩阿闍梨日睿師の“類集記”にも「心法妙ヲ受持スル時、仏法妙衆生妙自然ニ具足ス」とも、「末法今ノ時者心仏衆生三合シテ九法妙ナル妙法蓮華経ト名此五字ヲヤスヤスト可唱時節也」ともありますから、此れ等、初期日興門流の伝承から類推しますと、“題目本尊”は教相・観心のいずれかと質問されますと“観心”のかたであるのではないかと類推申し上げる次第です。

2638犀角独歩:2009/11/28(土) 19:20:36

れんさん

早々のご返信ありがとうございます。
「素人」など、とんでもない。

こちらのスレはつぶやきで、議論禁止ですが、少しだけ。

観心とは、心を観るということですね。
しかし、「末代の衆生」はしかし、こうした観念観法に堪えない。よって、題目の受持というのが至極ではないですか。

『観心本尊抄』に「我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏也」というのであって、観心本尊とは「釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏」にほかなりません。

しかし、題目については、「召地涌千界大菩薩寿量品肝心以妙法蓮華経五字令授与閻浮衆生也」「此時地涌菩薩始出現世但以妙法蓮華経五字令服幼稚」というわけですから、題目において、観心する要素はないと考えますが、この点は、如何ですか。

また、本門本尊の本門とは迹門本尊を簡ぶ対句ですね。
迹門本尊とは方便品諸法実相百界千如に限って説いている釈尊ではないですか。
となれば、本門本尊とは久遠開顕し一念三千を説き尽くす寿量品の仏となりませんか。どうして、それがいきなり題目の五字と言うことになってしまうのか、これでは、本門と本尊をことわる理由が見当たりません。第一、迹門といえ、妙法蓮華経であることに異なりはないからです。

こうして考えるとき題目本尊とは、本門本尊ということはできないのではないかというのが、わたしの疑問です。

となれば、残るところは教相本尊かはたまた何かというのが、先に申し上げた疑問点です。

ここは議論の場ではないので、ここまでといたします。
けれど、ご賢察があれば、是非とも拝聴いたしたくお願い申し上げます。

2639れん:2009/11/28(土) 19:39:17
犀角独歩さん

残念ですが、在家かつ素人の私には、今回の犀角独歩さんのご質問に答えられる程の知識も技量もないので、残念乍らご希望に沿うことは出来ませんが、私も、分からないなりに、犀角独歩さんの疑問とされる点につきまして、折に触れて考えてまいる所存です。

2640顕正居士:2009/11/28(土) 21:36:36
発迹顕本とは?(玄義卷七)

今日發迹顯本。亦指最初爲本。未來發迹本顯迹。亦指最初爲本。
三世乃殊。毘慮遮那一本不異。如百千枝葉同趣一根。
(今日の發迹顯本も亦最初を指して本と爲す、未來の發迹顯本も亦最初を指して本と爲す。
三世乃ち殊なれども毘慮遮那一本異ならず、百千枝葉同じく一根に趣くが如し)
……
問三世諸佛皆顯本者。最初實成若爲顯本。答不必皆顯本。今作有義者。
最初妙覺指初住爲本。若初住被加作妙覺。亦指初住爲本。初住之前。
豎無所指横有體用。即指體豈非本耶。
(問ふ、三世諸佛に皆顯本あらば、最初實成も若しは顯本すと爲んや。
答ふ、必ずしも皆顯本せず、今有る義を作さば、最初妙覺は初住を指して本と爲す、
若し初住に被加し妙覺を作すは、亦初住を指して本と爲す、初住の前は、豎に指す所無けれども
横に體用有り、即ち體を指す、豈に本に非ず耶)

三世諸仏は必ず法華経を説いて本を顕す。すなわち本とは毘慮遮那の一仏のことである。
しからば最初実成の際にも顕本するのか?同じではない、最初実成の場合は初住を本と指す、
初住の前は体を本と指すのであると。つまり発迹顕本の本とは衆生本具の本覚のことである。
したがって本門には教相というものはない、第三教相はそのまま観心であるといえます。

2641犀角独歩:2009/11/28(土) 21:56:18

れんさん

こういってはなんですが、れんさんほどの方に「在家かつ素人」であり、語る資格なしなどといわせる宗派があれば、わたしはそんな寺と坊さんは論外だと思いますね。

戦前から、本尊集にせよ、遺文集にせよ、人力をしてきたのは在家なのであって、坊さんが一体何をしたというのかという思いがあります。

信者を卑屈するようにしか見えない宗派は、もはや滅びればよいと思います。

もっとも、それがれんさんの謙虚な姿勢であれば、その限りではありませんが、しかし、在家と素人が語ることができないのであれば、当の「出家」がここに出てきて、よろしく教導するようにすることが肝心ではないでしょうか。

まあ、布施と恭敬もないところに出てきて、堂々と論陣を張る日蓮のような僧侶は、現代にいるわけはないとは思いますが。

2642犀角独歩:2009/11/28(土) 21:58:10
顕正居士さん

ありがとうございます。

「衆生本具の本覚」を示す、具体的な釈文とはなんでしょうか。
ご教示いただければ有り難く存じます。

2643れん:2009/11/28(土) 22:40:33
一応、横レスにて失礼します。

犀角独歩さん

過分な評価を賜り、恐縮致します。

しかしながら、謙遜ではなく、卑下でもなく私は人間と致しましても、まだまだ門前の小人です。

過分なお言葉を賜り恐縮申し上げるばかりですが、こちらの方々を見渡しましても、犀角独歩さんをはじめ皆さんが、それぞれ積み重ねて来られた人生・ご経験・御学問には、まだまだ全然遠く及びませんし、皆さんのお姿を拝しても、私はまだまだ半人前足らずで、これから残りの人生をかけて、人として命ある限り全てにおいて学び続けて行かなければならないと決意を新たにしているところです。

これは、謙遜とか、自分を卑下するとかというレベルのことでは決してなく、自戒を込めての私自身の人生に対する“姿勢”ですから、この点、ご理解賜れれば幸甚です。

2644顕正居士:2009/11/28(土) 23:28:32
>>2642 この文です。本因初住の文底に久遠名字の妙法を秘沈するという教義の源です。

『初住之前。豎無所指横有體用。即指體豈非本耶』-玄義
(初住の前は、豎に指す所無けれども横に體用有り、即ち體を指す、豈に本に非ず耶)

若云初住之前豎無所指。以體爲本以用爲迹。此本迹倶下句也。若準此意。一切諸佛皆悉顯本。
(若し初住の前は豎に指す所無しと云ふは、體を以て本と爲し、用を以て迹と爲す。
此れ本迹倶に下しの句也。若し此意に準ぜば、一切諸佛皆悉く顯本す)-釈籤

天台智邈は最初実成に顕本有りや否やの問いに、必ずしも皆顕本しないという説もあるが、
今一意を示すに、最初実成の際は初住を本と顕す、初住の前は時間的に指す本はないが、
体を本と指すのであると。荊渓湛然はゆえに一切諸仏皆悉く顯本すと注します。
なぜならば「如三世諸仏 説法之儀式 我今亦如是 説無分別法」(方便品)と三世諸仏同道、
最初実成の際にも権実の法を説いたはずだから、顕本はあらねばならないからです。

したがって 衆生本有の理を指して一仏乗と説きたまふ-釈本覚讃

されば釈迦多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ-諸法実相抄
(書誌的に日蓮の真書ではない可能性があるが、思想内容は後代を待たない)

と衆生の体としての法身(本覚)、具体的には十界皆成を顕すのが発迹顕本であるから、
「不空三蔵の法華儀軌は宝塔品の文によれり、此れは法華経の教主を本尊とす、法華経の
正意にはあらず」(本尊問答抄)と晩年に日蓮はいわゆる仏本尊を否定したと考えられます。

2645犀角独歩:2009/11/28(土) 23:54:42

顕正居士さん

ありがとうございます。

「衆生本具の本覚」は衆生(生)に関して、わたしは本有・本覚を示す釈文を問いました。しかしながら、引用は「一切諸佛皆悉顯本」と仏に関する引用となっておりますね。

『釈本覚讃』を初期天台の釈文とすることができるのでしょうか。また、『諸法実相鈔』を手放しに日蓮遺文とする根拠が希薄であると思えます。

よって、「衆生の体としての法身(本覚)」と所断することを日蓮の教説の確たるご説明になっているように思えないのです。

さらに日蓮が晩年、仏像本尊を否定したのならば、何故、持仏を安置し続けたのか、また、弘安2年『日眼女釈迦仏供養事』に「三界主教主釈尊一体三寸木像造立檀那日眼女」と愛でているわけですから、とても、晩年、日蓮が仏本尊を否定していたとは思えません。

また、仮に、仏本尊否定をし、かつ御説のように迹門本尊・教相本尊が、釈から成り立たないと言うことに従えば、日蓮は釈迦仏像を棄てたということになり、ならば、三つの法門(三大秘法)という教義も棄て、本門本尊=釈迦仏も棄てたということになりますが、そのような意味でしょうか。

となれば、その後、弟子分は、何故、戒壇建立に腐心し続けたのでしょうか。

2646顕正居士:2009/11/29(日) 00:56:00
本尊問答抄の仏(人)本尊否定は古来、難問になっています。
これは一つに「本尊」語を広狭に使用するためと考えます。
大日経の「本尊者、梵音娑也地提嚩多、若但云提嚩多、直所尊之義也」が本尊の定義とされます。
satyadevatāとはtrue deityで修行者にとってのまことの神、まことの偶像という意味です。

開目抄に「一切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂主、師、親これなり」とあるのを「根本尊敬」、
略して「本尊」とするのは同語意義であるというべきで、本尊問答抄では密教由来の狭義に使用
されていると考えます。釈迦仏に対するならやはり南無釈迦牟尼仏でなければ変であり、
南無妙法蓮華経と唱える以上、対象は何か妙法蓮華経でなければなりません。
仏本尊を教相の本尊、曼荼羅を観心の本尊と呼ぶ人、あるいはそれを反対に呼ぶ人がおられますが、
これは本門に教相と観心ありとし、混乱を招きます。宗教に教主があるのは当然であって、
浄土では教主は釈迦仏、救主は阿弥陀仏です。教主は狭義の本尊ではないと考えればよいのです。

>「衆生本具の本覚」は〜
最初実成は妙覚を迹とし、初住を本とする、すなわち迹高本下であるということです。更に初住以前の
顕本を述べますから、結局、本とは理即仏の意味になるわけです。六即の教義は当然、そうでないと
成り立ちません。
>『諸法実相鈔』
書誌的に問題があるが、思想内容は原始天台からも直ちに出ることで、鎌倉期成立でも疑問なしと
いうことです。注(×釈)本覚讃はおそらく日蓮と同時代かやや後です(日蓮の本覚讃引用が定着した
ものと少し異なる)。

2647犀角独歩:2009/11/29(日) 03:20:30

顕正居士さん

重ねてありがとうございます。

「初住之前。豎無所指横有體用。即指體豈非本耶」-玄義
「若云初住之前豎無所指。以體爲本以用爲迹。此本迹倶下句也。若準此意。一切諸佛皆悉顯本。」釈籤

「この文が本因初住の文底に久遠名字の妙法を秘沈」ということですが、日寛がこの文を採っていうところを仰っているのでしょうか。この点が合点がいきません。

先の玄義の文は「問三世諸佛皆顯本者。最初實成若爲顯本。」の答えの部分ですね。すなわち「答不必皆顯本。今作有義者。最初妙覺指初住爲本。若初住被加作妙覺。亦指初住爲本。初住之前。竪無所指横有體用。即指體豈非本耶。…」

手許に訓読がないので、間違っていたらご指摘いただきたいのですが、この問答は、以下の如くです。

問:三世の諸仏が皆顕本するのに、最初実に成仏を顕本とするのか。
答:みな、必ずしも顕本としない。…最初の妙覚は初住をさして本とする。もし、初住に妙覚をなすを加えられれば、また、初住を指して本となす。初住の前、タテに指すところがなければ、横に体と用がある。すなわち、体をさす、本ではないか。

ここに、本因、文底、秘沈の語彙は、そうした論の展開にもなっていません。

また、引用の釈籤の前文は「若初住位被加作妙覺佛。亦指初住以爲實本。準淨名疏應作四句。謂本下迹高。本迹倶下。初住唯得此之兩句。夫論迹者約有本説。本爲法身迹爲八相。初住之前無法身本。」

初住位に妙覚仏となるを加えれば、初住をさして、実本となす。淨名疏に準じまさに四句となす。いわく、本は下(ひく)く、迹は高い。初住はただこの両句を得る。それ、迹を論じるとは約あり、本を説く。本を法身となし、迹を八相となす。初住の前は法身本はない。

どうして、この解釈が、「本因初住の文底に久遠名字の妙法を秘沈」したことになるのでしょうか。
天台妙楽共に初住を論じても、本因を語らず、そもそも初住は位であり、そこの文の底はなく、久遠名字は釈尊の因行の位でしょうから、妙法ではなく、秘し沈めるものもなく、そのようなことは論じていないと読めます。

また、「本覚」語の使用は、日蓮真蹟では『八宗違目』に「本覚心」という用法で一カ所のみ。当然の事ながら、天台・妙楽、法華六大部にこの使用はありません。ならば、この釈文をもって「本覚」の根拠とする謂われはないのではないでしょうか。つまり、本迹・体用を論じるばかりとあろうかと存じます。

こうした点から考えるとき『諸法実相鈔』の記述は大いに怪しむべきものであると考えられます。

次の2646は「切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂主、師、親これなり」という文を挙げられ、「南無」妙法蓮華経であるから、題目五字が本尊であるという論の運びであろうかと存じます。

しかし、日蓮は「釈迦仏は我等が為には主也・師也・親也」(主師親御書:真蹟なし)というのであって、この三徳を有するのは釈迦仏であるといいます。となれば、先の『開目抄』の冒頭を挙げて、題目五字本尊の根拠とするよりは、釈迦仏本尊とするほうが至当ではないでしょうか。

2648顕正居士:2009/11/29(日) 04:50:41
訓は>>2640に示しました。
「答不必皆顯本。今作有義者」は「答ふ、必ずしも皆顯本せず(との説あり、然れども)、今有る義を作さば」の意。
「被加」とは加上する意味なので、初住より八相成道することを指していると思われます。

「本覚」は華厳系の用語なので中国天台では用いられません。密教と合伝した日本天台で主要な術語になります。
中国天台での同義の語はいろいろあり得ますが、「理即仏」はその一つです。
日本天台は理即成仏を基本としますが、一般に実相からいい、対して第三教相から本覚をいうのが日蓮宗です。
ただしこれも後代に日本天台で出た思想がもとにあって、日蓮宗に輸入されたのだろうと考えます。

玄義七では三世諸仏に皆分身があるのかという議論がされています。答えはありですが、これはつまりどの仏の
側からも他仏が分身になる意味と考えられます(一つそこまで徹底してはいないのですが)。だから初住に達した
時、毘慮遮那法身に契合し「我成仏已来 甚大久遠」の自覚が生じる、つまり「長寿は只是れ証体の用」です。
これを第三教相から最初実成→初住→入住以前→久遠初発心と本へ遡るのが日寛宗学の特色で、玄義の議論
を発展させたものといえます。「法身、五道に流転するを衆生と名づく」(不増不減経)、毘慮遮那法身とは衆生の
ことになります。

2649犀角独歩:2009/11/29(日) 09:38:36

顕正居士さん

愚昧なわたしに台学のご講義を下さり、まことにありがとうございます。

ここ「つぶやき」すれは議論禁止なのですが、いきおい、れんさんから、顕正居士さんとやややり取りとなっています。

やや整理いたしますと、2633でれんさんが「末代悪世の凡夫”は“法華経の題目を以テ本尊とすへし”」と日蓮は後期、題目本尊となった点を挙げられました。
同様に2644で、顕正居士さんは「晩年に日蓮はいわゆる仏本尊を否定した」と見解を示されました。

ここに日蓮の本覚観の話が入りました。この点は、また、少しご質問させいていただきたい点はありますが、そもそも、2633以降の流れで、わたしが記してきたのは、2635のとおりで、もし題目本尊とするのであれば、所謂三つの法門(三大秘法)は成り立たなくなる、よって、日蓮は三つの法門を棄て、題目本尊へと傾斜したのか。となれば、なぜ、弟子達は、それでも戒壇建立に腐心したのだろうか、戒壇に拘ったという史実からすれば、日蓮は終生、三つの法門を棄ていなかったのではないか。となれば、釈迦仏本尊を棄ててはいなかったのではないかということです。

また、日道の時代頃から、漫荼羅正意論が喧しくなった(執行「教学史」)というのは、他の五老門家との対立を意味することで、つまり、釈迦仏本尊が生きていたからにほかなりません。

そうした点から考えて、日蓮の生前に既に釈迦仏本尊から漫荼羅本尊に移行していたとは考えづらいのではないかという問題提議です。

そもそも、釈迦仏像か・漫荼羅かという二者択一が見え隠れしますが、併用という選択しもあるのであって、それを単に題目=漫荼羅本尊になっていたとする根拠は、はなはだ希薄であるというのが、わたしの考えです。

2650犀角独歩:2009/11/29(日) 13:46:13

つぶやきです。

学会の籠絡作戦の派遣部隊。
まずは、会員、次に学術筋に関わる会員、続いて、学会僧や、創価大の学者。
虫払といった古文書、漫荼羅、重宝類が展示される法要に傍らで参加。
大石寺と、他日興門下寺院僧の同座。さらに学会員、学会僧、創価大の学者が同座。

わたしのように、そんな法要に参加しない人間からすれば、機会極まりない光景ですが、法要に参列し慣れると、いつしか鈍感になっていきます。

学会の出入りするところに謀略があり、金が動く。金が動けば、籠絡される。

そんなことは、興門寺院で、幾度と無く繰り返され、かつての統合があり、それが反古になって、また…。歴史は繰り返されるということでしょう。

2651幻明影偲:2009/11/29(日) 20:56:27
つぶやき。

昨日、某方へ富士宗学要集10巻を誕生日プレゼントとしてお贈りさせて戴いた。あまりこのような事を聞くのは忍びなかったが、(ウイルスはありませんでしたか)と聞いてみた。
そしたら、(ありません)との答えだった。

一先ず悪意のない事なので、安心して眠れようです。

2652幻明影偲:2009/11/30(月) 06:02:51
おはようございます。

何故、保田妙本寺に学会僧が来たり、または懦山寺に研究者或いは学会関連の部類が執着するのかはわかりませんが、一勉強する側にとっては関係のない、また行く必要がない、という方々が居られるのでしたら正に失言ではないでしょうか。
真面目に研究に取り組まれる方々も大勢いらっしゃいますし、ここでは保田妙本寺の話になっていますが、私は個人的に納得が行きませんので独自に調査をし、資料関連も保田へ届ける事とします。

2653阿佛棒:2009/12/02(水) 18:29:25
どうして日蓮は絵曼荼羅にせず文字曼荼羅にしたのだろうか?絵が下手だったからではないか。
もし日蓮が今曼荼羅を描いたら外国の神様入れるだろうか、八分衆は削られてしまうのではないか
仕分け反対

PC画面に曼荼羅を写せば仏壇いらないじゃん!巨大プロジェクタで大曼荼羅拝みたいです
あ、そうだ、携帯に御本尊画像入れておけばお守り本尊ももってかなくていいや!
大体無くすと困るし。しかしモニタにはエロ画像も映るまさに一念三千

などと暴言妄言を吐いてみました

2654再挑戦者:2009/12/02(水) 22:24:32
  
 2653様  ナカナカ、、面白い 御提言 でしょうか、?

 ただ、、人は 感じやすいし、、すぐ感応しやすい、のも現実でしょう、、。
 だからコソ、、 対 「ニセ本尊? 」への 害毒をも 考慮 すべきでしょう、か、?
 当然、、ニセ者らが、、ワンサカ、?、押し寄せるでしょう、、が、、?
 その、、真偽の 見極め、、こそ、、が、、?? でしょうか、、??

 その ポイントは、、???でしょうか、、??

2655天蓋真鏡:2009/12/04(金) 11:29:05
絵とか彫像は千差万別 文字なら手間暇かけ過ぎ無く描けますし学問出来ます

2656天蓋真鏡:2009/12/04(金) 11:58:57
本仏(釈尊)-三大秘法(本尊=戒壇=題目)-戒壇堂宇

2657阿佛棒:2009/12/04(金) 17:26:13
ホーボーとか邪宗の害毒とか佛罰とか
そんなものは無いと思います

日蓮は怒るかも知れないけど、そんなことで人を恐がらせたりするのは
もう止めるべきだと思う。法華経のそういうとこは良くないと思う。

善を勧め悪を止めるためには違うやり方があるんじゃないだろうか。

2658再挑戦者:2009/12/06(日) 19:07:25
 2657様
  
  何を、、?トボケタ、、ことを、、申すのでしょう、? もう、すでに実行された歴史上の事実に対して
  「、、タラ、、レバ、、」を、、申していますのが、、? でしょうか、、?

 (「G2」、「有害カルト情報」、『宗教被害者情報」、「FORUM 21]、「脱会委員会」、「国民新聞」、「政治人気ブログ」、、)

2659阿佛棒:2009/12/10(木) 17:43:30
スターリン毛沢東ポルポトなど大虐殺者が天寿を全うして
ブッシュ親子に佛罰無し

悪行に悪の報いありというがコレは一体どういうことでしょう

思えば世界で富を収奪し悪行の限りを尽くした欧米は未だに栄華を誇ります
そもそも悪行悪果、善行善果というのは本当なのか

末法だからというのではなっとくいかないきょうこのごろ

2660再挑戦者:2009/12/11(金) 19:32:22
、、、。
 長い目で  見ましょう、、。   悪因は、 悪果、、善因は、、??

 今、、これが、、問題、、でしょうか、、?

2661天蓋真鏡:2009/12/12(土) 03:51:13
長い永い前世のルーツ?

2662再挑戦者:2009/12/12(土) 18:41:34
2652様

 本当でしょうか、、?  もし事実ならば、、??
  S会の やからは、石山を 見限り、、!! 次の ターゲットは I先生の支持の元
、ヨリマシナ、、団体としての 探りあい でしょうか、、??
 保田がS会になびけば???

 当然ながら、、日代が 受継ぐべきの曼陀羅を ナゼ、、安房が強奪、出来たのかが、、? 、日郷ユカリの安房へ ? ? かが 、本格的に ネット上
で闘争が開始 されましょう、ゾ、、!!!
 (「G2」、「FORUM 21」、『有害カルト情報」、「宗教被害者情報」、「国民新聞」、、)。

2663阿佛棒:2009/12/12(土) 19:09:22
聖☆おにいさんを読んでるとあーこれ日本の教祖でやったらどうなんだろうとか思う

日蓮と法然とか同居できないだろうなあ

ちくしょう今日も駅前で念仏ディスりやがってー
そうです念仏者は地獄におつるべき

どうしたってケンカになりそうだ

2664幻明影偲:2009/12/13(日) 01:13:03
つぶやきです。

某方の発言に納得が行かずにおりますので、私は私の証拠こ提示してその詳細を資料として「提出]するのみですよ。
ですので、個人的見解、個人的主張など既に無論でしょう。
保田には今まで跳んでもない輩が出現しております。
今現在も(笑)
その近状報告をするまでですよ。
真面目に信仰している方々もおりますし、保田の主張や信者さんの主張などもあるでしょうから
私は純粋に、信仰を真剣に捉えている方々を擁護したいと考えています。
謀略、侵略とかは関係ないと私自身思っています。
因みに創価学会は私の敵ですから、そういう輩がいれば攻撃対象ですよ。
ここでは研究されている方々の集まりの掲示板ですからこれ以上も、これ以下もありません。
ただ、私は保田を守りたい、それだけです。

2665天蓋真鏡:2009/12/13(日) 14:45:14
三大秘法と書くのは 基本中の基本で護持する事が難儀だからの表記で紛らわしくて済みません

2666幻明影偲:2009/12/13(日) 15:32:01
管理人様

【書き込みの基本原則】

1.意見交換、相互理解の場との主旨から、話合いを重んじてください。  
 ①差し支えない限り、自己紹介スレッドで自己紹介をしてください。また、相手に対する敬称は『〇〇さん』で統一して戴きたいと存じます。
 ②感情的表現を避け、できるだけ冷静に話し合ってください。 
 ③掲示板参加者に対する、一方的な個人攻撃は慎んでください。

2.富士門流の発展に寄与する論議をお願いいたします。
 ①富士門教義についての矛盾点の追求を、ダブー視しないでください。
 ②各々の所属組織のあり方についての議論をお互いに避けないでください。
 ③但し、特定の組織をターゲットにした、しかも、一方的な攻撃宣伝は慎んでください。

※ここに該当する書き込みが最近、目立つような気がしてなりませんので御裁定の程、宜しく御願い致します。

2667管理者:2009/12/13(日) 15:57:19

幻明影偲さん

>ここに該当する書き込みが最近、目立つ

なるべくなら管理者が介入しなくて済むなら介入しない、という方向で、禁止事項以外は出来るだけ管理を柔軟に、との方針でおります。これは介入すべきではないか、という書込みに気づかれましたら、管理者までメールを頂戴致したく存じます。伏して宜しくお願い申し上げます。

fujimonkeijibankanrisha@yahoo.co.jp

2668幻明影偲:2009/12/13(日) 17:19:15
管理者様

早速のご回答有難うございます。
当方で誤解されてしまう表現での投稿をしてしまいましたのでここに訂正とお詫び申し上げます。

>②感情的表現を避け、できるだけ冷静に話し合ってください。

上記点につきましての事でございます。
再三にわたり、誤解を招く表現を謹んでお詫び申し上げます。

幻明影偲 拝

2669管理者:2009/12/13(日) 18:33:22

幻明影偲さん

>②感情的表現を避け、できるだけ冷静に話し合ってください。

了解いたしました。その都度、出来るだけリアルタイムでメールして頂ければ、検討させていただきます。宜しくお願い致します。

2670再挑戦者:2009/12/13(日) 18:50:27
2664 幻明 さん、、。
  保田を守りたい、、?・
 これは、、 貴方らのトップらが 決めるのです ネ、?
  所有権、、が日代に 存在する、、文献は 多数 存在します、、。!!
 是を、覆すならば、、説明責任が 存在、、です、、。 マー、、真筆の本尊の 管理に? 無頓着、?なる 日興さんも
いったい、何を? 管理を、? でしょう、?
 ここに曼陀羅を 軽視する、、源流が、?  全く、、?! トホホ、、デス、バイ、、。(「宗教被害者情報」、「G2]、
「FORUM 21]、「国民新聞」、「有害カルト情報」、「脱会委員会」、「政治人気ブログ」、、)

2671幻明影偲:2009/12/13(日) 19:28:13
再挑戦者さん

再挑戦者さんが私に対してトップだとか、何だとか意味がわかりません。
私は、手前で挙げた通り保田を守りたいと申し上げたまでです。

何か差し障りましたら、お詫び申し上げますが少なからず、再挑戦者さんに対する語ではありませんよ。
ここで質問です。
再挑戦者さんが挙げているトップとは誰を指しているのでしょうか。
私の認識では保田には一名しかおりませんが、他にもトップと称する方が居られるのでしたら、畏まらずに仰って戴けましたら幸甚です。

2672資料販売所:2009/12/15(火) 23:44:45
あるものでしたら、50万円から販売しますよ。

2673れん:2009/12/16(水) 11:55:20
横レス失礼します。

再挑戦者さん

日代師に所有権がある云々は全くの誤りですね。

根拠とされる八通遺状は石山の条条事と同列の偽書、代門は、日代師以降、日尊門流出身の日眼師が西山に入山して勝劣義に改める以前は一致派であったことは越後本成寺の日陣門流の記録に残っています。現在の西山は漫荼羅正意ですが、門祖日代師は広布時造像論者です。ですから現在の西山の漫荼羅正意の相伝は、直接的には、室町期の京都住本寺からの輸入と安房妙本寺教義からの摂取ですね。

安房妙本寺開山日郷師は御生前に文永十一年の大本尊の御図顕讃文を書写され、それを御弟子の日睿師に授与されていることから、同大本尊は日郷師が御所持されていたことは明らかですが、同時代の日代師は重須の御影像と重須坊職は我に有りと申し状で主張しておりますが、日代師が日郷師に対して、大本尊の所有権を主張した史実はありません。よって、文永十一年の大本尊は日郷師が正当な所有者であったことは、同時代の南北朝時代には異論はなく、後の時代の西山の勝手な主張を真に受けるのはどうかと思いますね。

2674れん:2009/12/16(水) 18:51:48
一応、典拠を記し置きます。
日代師・葦名阿闍梨御房御返事「仏像造立の事は本門寺建立の時なり、未だ勅裁無し、国主御帰依の時三ケ大事一度に成就せしめ給ふべきの由御本意なり、御本尊図は其がためなり」(正本・西山本門寺蔵)
越後本成寺日現師・五人所破抄斥
「彼の日代は初めは興師の付弟たりと雖も本迹一致の法義を信ぜらる」(日宗全七巻)
越後本成寺門流智門日求師・心鏡浮義
「日代は重須本門寺を追い出され、西山の草庵に竄居せしむ。西山本門寺を名乗り近代まで一致の立義なり。大法律師改めて勝劣に帰し、造仏読誦を為さず」(法華宗全書・教義篇・六巻)参考、石山日有・下野阿闍梨聞書「仰せに云く、西山方の僧大宝律師来つて云く、日尊門徒なり…」
西山門流文献の諸門徒規定並法門立派記「法華本門弘通得意・大法律師日眼之談」 


日郷師書写・万年救護大本尊讃文「康永三年太才甲申卯月十六日、之を模す」(正本宮崎定善寺蔵)

2675犀角独歩:2009/12/17(木) 01:15:22

れんさん

たいへんに参考になりました。

偶然ですが、本日の、わたしのブログ「日蓮墨筆を読む」は不動愛染感見記の巡りです。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51667304.html

この図について記す上古の文献は、どのようなものがございますか。

ご教示いただければ、有り難く存じます。

2676れん:2009/12/17(木) 07:28:56
犀角独歩さん

不動愛染感見記ですが、継承する安房妙本寺においては「日月之御形像」と伝称されてきております。

日月之御形像について触れた文献については、私の記憶では、京都要法寺日辰師の祖師伝の釈日目伝に、日月之御形像を挙げたあと、「右一紙日興、日目に付属し玉ふ、今房州妙本寺に在り」というのが、初見だと思います。これについては江戸時代中期以降の一致派系の文献以前には、異説はないので、日辰師以前の上古の文献にはない様ですが、日月之御形像は問題なく蓮興目郷…と安房妙本寺において継承されてきたものであると思います。

安房妙本寺第十五世日侃師が記録された御相伝の目録(千葉県の歴史資料編中世3 277ページ)には、当時、妙本寺に継承していた宗祖御筆御本尊七鋪(大石寺日精の書状には「八幅」とあるが、この残りの一鋪は、南条時光授与の御本尊と考えられる。日濃事件でこれらの宗祖御筆御本尊が流出し、文永十一年の通称・万年救護大本尊と控字之御本尊〈この控字之御本尊の一幅は、現代の鑑定により御真筆ではなく写本であることがわかっております〉の以外は妙本寺に御帰りになれなかった)の次に日月之御形像が挙げられており、安房妙本寺においては、日月之御形像は御本尊に次ぐ重宝として継承して来ております。




以上、悪文ながら、ご参考になれば幸甚です。

2677犀角独歩:2009/12/17(木) 08:19:44

れんさん

早々のご教示、深く御礼申し上げます。

こうした一連の文献考証の結果を見聞すると郷師正統継承といった思いが彷彿といたしますね。

たいへんに参考なりました。有り難うございます。

2678偶ロム偶ログ:2009/12/18(金) 03:03:47
つぶやきです。

どうも多重ハンドルのヒトが煩わしいですねぇ。

2679阿佛棒:2009/12/25(金) 11:32:11
メリークリスマスw

初期キリスト教と仏教の関係と
大乗仏教とキリスト教の影響についてどこかで読んだけど忘れたw

2680再挑戦者:2009/12/25(金) 20:54:29
2673、、れんさん

 八通遺状が マサカの、、偽書  ??  

 日興の一番の弟子 日代が、、曼陀羅を軽視する、? 造像論者、、??

 小生には、、疑義、、疑問、、が  倍増、、中、、 です バイ、、!

 難儀で ゴワス、、ナー、、。 いったい、、何を、、拝めば、、良いのでしょう、、??
 日蓮さんは、「、、末代の幼稚の者ドモ のために、 本門の文底に秘かに
沈められたる、、ところの、、本門の題目を体言!==成仏!、、可能なるは、??」

 この一点、、?? は、、!!   「、、スバラシイ、、成仏、、??」、、!!

2681れん:2010/01/09(土) 11:43:39
再挑戦者さん

日興師の直筆史料としては日目師を「一中一弟子也」と示されておりますので、確実な史料から見える日興師の一番弟子は、やはり日目師であろうと考えます。何を拝めば云々と仰いますが、日興師は「この法門は師弟子をただして仏になり候、師弟子だにも違い候へば同じ法華をたもち候へども無間地獄におち候なり」と示されており、宗祖以来の法燈を御相続されている御僧侶との師弟相対の信心により成仏が叶うというのが、本旨であると仰せです。少なくとも、興門においては、一人よがりの信心ではなく、宗祖以来の法燈を相続をされている御僧侶との師弟相対の信心がなければ、如何に同じように“法華”を持つとも成仏は叶わないのでありますから、創価や顕正などは勿論のこと論外の存在でありますね。

よくよく思慮されて御帰依する御僧侶をえらまれることをお薦めいたします。

2682再挑戦者:2010/01/17(日) 20:43:03

 、、、どーも、、です、、。
  常在しての 御給仕、、が売り の 日興サン にしても、、この体たらく、?

 、、日蓮が 心血を そそいで 現した、、曼陀羅 様を 側近の 日興サン が ナゼ、、
 何故に、、一信者への 領収書的 ? なる 低度の 誤認識 ?? しか ないようでしょうか、、?

 さて、、 周りの 僧侶方 らに 御解答は、、可能でしょうか ?
 信者らを メシ、、のタネ、、にしてきた、?? 方には、 無理 でしょうか、、??

2683再挑戦者:2010/01/29(金) 20:38:09
、、、れんさん。
  
 ワシの 実感、、だが、、 日蓮が 生死の ドマンナカの 生きるか死ぬか、、 
 ママ成らぬ 難儀なる時で 御座った、佐渡の、 記録には、、?
 
 日興が 佐渡に 同行していたならば、、「観心本尊抄」が 佐渡にて 富木殿に 当てられた ことを
 目撃して いたでしょうか、?
 当時は 日蓮 、、本人は 余命は、? 覚悟の ? 遺言 ?
? で、、したか、??
 そこに 居なかった 、、から こそ、、 「曼陀羅への正意、?、」、
などが 軽視〜誤認識、、へと 流れた ようでしょうか、、??
  もっとも  それが、、 かえって  奏功した一面も ありましょう、?

  もし、、日蓮が 「、、コレゾ、、わが、、イノチの 本尊 で御座るぜ、、」、、
 と 公言 したならば、、??  

 つぶす ターゲットが 定まれば 、、外敵らは ?
 そうです、、  一気に 総攻撃に 走ったでしょう、、? つぶされて ? いたでしょうか、?

  その 恐れを 極力 避けて  後世に 、、曼陀羅様 の 真髄を 伝えたい、、??

 という 「一念、、、」が 、「、、、墨に流して、、、信じ させ給え、、」、、

 考えれば、、クビの 皮の 一枚、、差 で、、?  伝承 されたのか、も、?

 全く、、シンドイ、、です、、ナ、、。

2684阿佛棒:2010/02/01(月) 05:34:52
なんでもすぐ地獄に落ちるっていうのは富士門の悪い癖だから直したほうがいいと思ったw

もちろんミーツゥね私も気を付けよう

>創価顕正などは勿論のこと論外
創価顕正にも師はあり弟子もある

妻帯する僧侶など僧といえるものか

2685再挑戦者:2010/04/30(金) 00:44:07
 阿仏棒 君

 僧侶が(聖職者、、?) 何ゆえに 妻帯 厳禁を強調しますか、、? 
 代、代にて 思想・真髄を伝えるのは、わがの子供が、もっとも 信用可能、と、思索するのは当然なり。
 マシテヤ キリステ御免、、の物騒なる時代だった、。 一概に、軽軽には即断は ?!でしょうか、?


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