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つぶやきすれっど2

1管理者:2002/12/15(日) 15:25

つぶやきすれっどが、1000レスを越えて、使えなくなりましたので、新たに、つぶやきすれっど2を立ち上げました。よろしくお願いいたします。

何となく、普段からフツフツと感じている事を、ここに書き込んでみて下さい。
このスレッドは、独り言、ボヤキですから、会話、議論の応酬は避けましょう!
本音、弱根を、思う存分サラしてみましょう!

1609犀角独歩:2005/05/26(木) 01:38:18

ひたちさん、ここは、つぶやきですから、別段、反論しようという意図はありません。

まあ、つぶやきのようにわたしも書きましょう。小樽の事件、言論出版妨害事件、その他、世間一般に望まれない学会関連の事例を追って、つくづく感じることは、学会員以外は創価学会の永続など、少しも望んでいないと言うことです。また、興味もないでしょう。

池田さんが死んで、カネさんが預かり、やがて息子が世襲する。「ほら、見たことか。池田は、かつて、世襲制は邪宗教の証拠と言ったけど、自分で言ったとおり、邪宗教であることを自分の妻子が証明したよ」
そう言えるタイミングをぞくぞくしながら、待っている人々がいるわけです。

立正佼成会を見てもそうですが、次代の学会がどうなったところで、世間一般には、迷惑を掛けられないのであればどうでもいいことです。それが現実であるという認識がまず必要です。

しかし、創価学会はなくならないでしょう。それは創価学会で満足をしている人たち、生き甲斐を得た人たちがいるという証拠でしょう。しかし、それと同じように、○○先生、○○会で生き甲斐を得た人たちはたくさんいます。しかし、どれもこれも、指導者・組織に追従しない自立した精神を持った人間にとっては鬱陶しい前近代的な存在であるということです。そんなものに認めてもらおうと思うとは死んでも考えません。

社会の一員、国から認められた宗教法人、社会の片隅を借りて生計を成り立たせる以上は、全体の共和を考えてもらいたい、あんたたちだけの日本じゃないよという思いがあるわけです。

> 「盲従することは師弟ではなく主従である」

まず、第一に、少し人権感覚のある人であれば「盲」をネガティブに扱う成句を避けるのは一つの社会ルールのうちでしょう。この点でまず失格です。第二に「師弟でなく主従」と言いながら、池田さんが実質オーナーの創価学会には、その創価学会で飯を食っている人間がたくさんいるわけでしょう。これを人は主従と見ます。また、論点を換えれば、この創価新報の一節が指導者絶対を否定するものであれば、、では、なにがどのように絶対でないのか、換言すれば不足しているのか、不満足なのか、足りないのか、もっと言葉を換えれば、池田さんの不完全さは何なのかという問いかけは、ここに成立するわけです。それを一所懸命に組織人が考えるのはけっこうなことです。ですから、少なくとも、外部の池田さんとは何の主従関係にもない、師弟関係のないマジョリティ、社会一般に少数閉鎖集団死か通用しない価値観を押し付けないで欲しい、鬱陶しい、もっと言えば、不快だ、気味が悪いという大多数の気持ちをもっと斟酌し、それに基づいた行動言動をして欲しいと言うことです。

ただし、日蓮を敬愛し、尊敬する人たちにとって、創価学会が言うような日蓮が一般化するのは冗談じゃないという思いがあります。何故ならば、事実とかけ離れているからです。それを一々に論拠を挙げながら、真剣に語り合っているところに、何の証拠を挙げるわけでもなく、創価学会ではこう言っているなどと書き込まれても、そんなのはとるに足らない雑音としか聞こえないという現実を、もっとしっかりと認識してもらいたいと言うことです。

日蓮研究はようやくと緒に着きました。
しかし、少なくとも創価学会は、その真摯な流れとは、今のところ、まったく逆行している現実をしっかりと認識されるべきであるとわたしは思います。

1610小心者:2005/05/26(木) 20:41:11
、、ゴメン下さいませ、、。  一応おしらせしたく存じます、、。
 「書簡からみた日蓮」、(NHK;;こころを読む、ラディオ第二放送、、日曜日 、13:20〜14:00
再放送23:15〜23:55、、)、(監修、北川 前肇、立正大仏教学部教授、)の番組はお薦めかと、存じます、、。

1611パンナコッタ:2005/05/26(木) 22:41:10
20日の参院予算委員会で公明党の福本潤一氏が靖国神社参拝を「ヒトラーの墓参りと同じ」と発言、
冬柴幹事長は26日の党代議士会で、福本氏に対して「発言は不適切」と注意したとの事。

この福本議員は平成十一年十二月の村山訪朝団の一員として北朝鮮に行き帰国後、
「事実、私は日本で生活している以上に答礼宴を含めてたくさんおいしいものを食べ、太って帰ってきた」
                   (平成十一年十二月十一日付産経新聞)より

まあ、靖国に対する賛否はありますが、これは酷い発言でしょう。現実にヒトラーの墓はありませんし。
国民が多数餓死している北朝鮮で、たらふく食べて太ってくるという発言も、神経がどうかしているのではないか
と思います。
この様な人物に議員バッチをプレゼントする事が仏道修行なんですかね?

1612犀角独歩:2005/05/27(金) 01:21:22

パンナコッタさん、ご紹介有難うございます。
この「福本」なる人物、たしかに異常であると思います。

また、議員バッジを創価学会が公明党議員に「プレゼント」したという認識があるとすれば、これは完全な政教一体ということでしょうか。

1613犀角独歩:2005/05/27(金) 01:31:22

れんさん、
彰往考来さん

本日、興風談所・山上耕道師にお会いしました。
率直に、わたしの考えを伝えました。
師曰く「所謂、戒壇の本尊は物体ではない。本尊というのは物体を指すものではない。自分は本尊を信仰している」という、雑駁に記せば、以上のような見解でした。

信仰の仁である師と、そうではないわたしとは、そこに大きな隔たりはありました。しかし、淡々と語ってくださった師に、わたしは誠実さと、襟度を感じました。穏やかな表情をされた方でした。
師に対する考えを改めたいと思います。

いちおう、ご報告申し上げておきます。

1614ひたち:2005/05/27(金) 07:25:57
>「所謂、戒壇の本尊は物体ではない。本尊というのは物体を指すものではない。自分は本尊を信仰している」

戒壇の本尊が水火盗難なので消失した時のための写しが、法道院など石山諸寺にはあると聞いたことがあります。それは相貌のコピーではなく座配を記したものらしいですね。石山では緊急時の復元にあたって相貌(蓮師の筆法など)をまねることは重視されていないともとれます。裏が取れる話ではないので、なんともいえないのですが、上記の「本尊というのは物体を指すものではない」という文から思い出しました。ふたたび、では本尊とは?と問わなければならないような気がいたします。

1615犀角独歩:2005/05/27(金) 07:58:29

ひたちさんが、仰っているのは「正模写」のことでしょうか。
胤師に係るものであれば、少なくとも2カ所でその存在を文献的に確認しています。
石山提出資料(宝蔵帳)ですから、確実な資料といえようかと思います。
ただし、この用途は、仰るような内容とはなっていませんでした。

> では本尊とは?と問わなければならない

ええ、そういうことです。
過日の当方主催の講演で伊藤立教師も、ほぼ同様の見解を示されていました。
結局のところ、本尊とは観心本尊ということに戻っていくのでしょうね。

「言語道断心行処滅」は不動の釈ですから、それを文字で表したり、絵で描いたり、彫刻しても、結局、その形貌を通じて、信者が己心の中で観るところが本尊であるということになのでしょう。
この点は、さらに議論が望まれます。

1616藤川一郎:2005/05/27(金) 09:12:00
> 20日の参院予算委員会で公明党の福本潤一氏が靖国神社参拝を「ヒトラーの墓参りと同じ」と発言、

ヒトラーはホロコーストをしたが、日本軍はしていない。
そもそも戦犯にA級もB級も特級も無い。戦時国際法上に触れる行いをすれば、勝者も敗者も戦犯である。
田中角栄氏曰く「題目を唱えるヒトラー」の弟子は何を考えこのような発言をしたのでしょうか(じゃんじゃん・笑)?

1617れん:2005/05/27(金) 12:26:01
犀角独歩さん。
興風談所の山上弘道師にお会いになられたとのこと。ご報告有難うございました。
山上師曰く「所謂戒壇本尊は物体ではない。本尊というのは物体を指すものではない、自分は本尊を信仰している」
興風紀要第三巻には、大黒師が‘戒壇本尊’について久遠名字妙法・事の一念三千→内証本尊(本因)、板曼陀羅(本果)と論じていますが、山上師が仰ったのは上記の立て分けからいえば‘内証本尊’のことを言っているように思えますね。興風談所の発刊書を見るかぎり、興風談所では初期のころから既に物体である彫刻本尊よりもこの‘内証本尊’に比重がおかれていますね。
以前どなたか紹介なさっていましたが、大黒師は2000年刊行の日興門流上代事典に石山彫刻本尊について『大石寺所蔵の宗祖本尊の中では、元は東京・法道院所蔵にて昭和四五年に大石寺に奉納された弘安三年五月九日書顕の宗祖本尊(脇書「比丘日禅授与之/[日興上人加筆]少輔公日禅者日興第一弟子也にんべん+乃所申与如件。奉懸本門寺可為万年重宝者也」興全一四一)がその相貌と言い大きさと言い当本尊と酷似しており、注意される』と注意を促してますし、さらに昨年、独歩さんが重須蔵本との対比により現在の石山彫刻本尊の原本が禅師授与曼陀羅であることを証明されてますから、山上師も彫刻本尊についてはもはや戒壇本尊として認めてないのかも知れませんね。独歩さんの記された山上師の発言からそう感じました。

1618犀角独歩:2005/05/27(金) 12:55:49

れんさん、有難うございます。

> ‘戒壇本尊’…内証本尊(本因)、板曼陀羅(本果)

このような解釈を設けませんと、整合性は採れませんでしょうね。

しかし、そもそも本尊は仏であるわけですから、本因に配当できませんでしょうね。本因は菩薩であるわけです。まさか、こんな初歩的なことを知らないわけはありませんから、苦しい言い訳といったところでしょうか。

まあ、石山で出家した坊さん方も“騙されたクチ”ですから、同情するところはあります。しかし、こんな理屈付けは、どうもわたしは承服しかねます。もっともわたしなら、三妙合論を意識して、戒壇(本国土)とやりたくなりますが(笑)

つまり、これでは三妙合論になっていません。
また、内証に対語は、外用ですから、その対置として、論じなければ、ただ、言葉遊びと思えるのです。

そんなことより、祖師の言をそのまま用い、観心本尊としたほうがすっきりします。では、そこで観る本尊が釈尊か、日蓮か、はたまた自受用かと、確実な資料を持って論及することが望まれます。日蓮本仏への拘りが、上述のような解釈となるほか無いということなのでしょうか。

余計なことを記しました。レス、感謝申し上げます。

1619パンナコッタ:2005/05/27(金) 13:05:18
つぶやきなので受け答えは避けた方がいいのですが、この様に明らかに議員としての適正に問題が
ある人物を組織の決定という事で公認させて、組織力で当選させる(この人は比例当選)ことを
プレゼントと表現してもおかしくはないと思いますし、一般会員は政教一致という概念すら無い
と思います。学会と公明党は別組織、程度の認識がほとんどで当選すれば先生に報告に行くのが
当たりまえと思いこんでいる人がほとんどです。
東京大学農学部卒業で東京大学大学院博士課程単位修得の農学博士だそうですが基礎的な歴史認識と
議員としての自覚、認識が欠如した人物であることは言うまでもないでしょう。

1620パンナコッタ:2005/05/27(金) 13:05:50
ABC級戦犯の概念はドイツのニュールンベルグ国際軍事裁判で戦争犯罪を、
 A・平和に対する罪 B・通常の戦争犯罪 C・人道に対する罪 と分けたものであり
Aは従来、国家の行為を個人には当てはめませんでしたが戦争開始を決定した人物、共同謀議に
参加した人物を追求させる方針となり、日本に対しては戦争指導者=政治家・軍首脳とされました。
Bは命令者に対してであり、日本に対しては指揮官や士官が対象になりました。
Cはホロコーストに対するの責任を裁くための物であり、計画を実行した者や加担した者に対して
人道の名の下に裁く物であったのに対し、日本では一般兵卒、民間人が対象となりました。
ドイツと同様にファシズム国家として裁かれてしまった日本ですが、意味合いは全然違ってきますし
一体何を考えてこの様な発言をしたんでしょうかねぇ?

1621パンナコッタ:2005/05/27(金) 15:34:51
創価学会施設の架空建設話を巡る融資詐欺事件で、27日再逮捕された人の中には中小企業向けローン詐欺グループの
「偽造役」もいて、背後に偽造組織のネットワークがある可能性もあるとみて捜査が続けられるとの事。

札幌の正宗寺院に2ヶ月間で1123回の嫌がらせ電話をかけた人物が創価学会の地区部長であったとの事。

内部的には「大悪起これば大膳来る」とか「魔の所為」などと言って責任を転嫁させ会員を引き締めますが、
全部学会の身からで錆、己が鏡に映った姿である事をいい加減自覚して反省していただきたいですね。
今まで反省や自責の念などと言った物は見受けられないので、その都度尻尾切り的対応しかしないでしょうし
これからもこうした事件は起き続けるでしょう。 それは真面目に事実を認識しない・出来ない・させない
といった学会員の罪でしょうね。ですから一般社会との距離・軋轢は消えることはないのでしょう。

1622犀角独歩:2005/05/27(金) 19:34:15

パンナコッタさんがご紹介くださったような事件を、個人が行った場合、創価学会という団体の責任とはいえないという理屈は成り立つでしょうね。

ただし、では、その学会員がどうして、石山末寺院、または僧侶にそこまで執拗な嫌がらせをするようになったのか、創価学会では一切、そのような憎悪をあおるようなことはやっていなかったのか、また、そのような事件が起きないような努力をしてきたのか、起きた場合、どのような事後処理をしたのか…、ということで、創価学会の資質が問われることになるでしょうね。

しかし、こういう事件や、宣伝投稿などを見るにつけ、煽動、操作といった破壊的カルト・マインド・コントロール理論が当て嵌まると批判されることが、後を絶ちませんね。

当人たちは、創価学会のためのつもりなんでしょうが、間違いなく、創価学会への評価を下げています。しかも、そのように会員が動く原因は、聖教新聞、創価新報などを見る限り、会そのものに、煽動操作の責任があるように窺えるという前提が、パンナコッタさんの、ご投稿の基にあるのだと観察します。

1623ラキ:2005/05/27(金) 22:29:49
学会に限らず、石山系教団に一致してるのは、自教団の機関紙が書いてる事が
正しい!間違いが無いとの盲目です。
上人。先生。会長などの言葉(指導)が絶対だ。真実だ。
そのため、逸脱した行為に走る信徒も中にはいます。
そのような信徒を出ないように、指導するのがまずは大切だと思いますが、
機関紙自体で煽ってるのは、否定できません。
世間の法を犯す過ちをしたら、機関紙でもちゃんとした謝罪など載せる当たり前の行為が出来ていないと
思います。
過ちを過ちと認めて謝罪をしないのは、自己教団の信用や蓮師仏法の名を下げる行為だと私は思っております。
内紛の罵りあいは、みっともないと、他の宗教をしてる方からは、見られると思っていないのかと思わないのが不思議です。

1624藤川一郎:2005/05/28(土) 12:26:40
私が笑ってしまったのは、聖教新聞の紙上座談会にて、かの架空請求事件の犯人を「法華講から移ってきた学会員」としていた事です。
曰く「法華講から来たやつにろくな奴はいない」等です。
しかしながら、彼が昔からの筋金入りの学会員であることは有名であり、いくらそれを覆い隠したいからと言って、無惨な事実隠蔽に見えました。

もっとも「法華講から来た奴にろくな奴がいない」が本音なら、最初から「脱講運動」なんてやめたらどうかね。

1625愚鈍凡夫:2005/05/28(土) 19:13:30

梅雨入り前というのに、連日暑いですね。 ε-(´o`;A アチィ
柄にもなく最近はロム専をやっておりますが、新しい方々も増えて活気づいていますね。小生がいないと、なんて格調が高いんでしょう。 σ(^◇^;)
これも、犀角独歩さん、問答迷人さんを始めとする心優しい碩学の方々の御仁徳の賜物と拝察しております。 m(_ _)m
時間的余裕が出来たら、また小生も参加させて下さい。 ぴぃす((^へ^)v

物・物・物・・・( ̄。 ̄;)ブツブツブツ

1626問答迷人:2005/05/28(土) 19:29:36

ここは議論禁止のスレッドですので、独り言を呟いてみます。

問答迷人のことを、碩学の方々と一緒にしては、金石を混同だと思います。さぞや、碩学の方々が迷惑されるというもの。

僕なんぞは、仏教の勉強をきちんとしてないことをハンドルネームで初めから言い訳してる訳です。まぁ、懲りない性格だけを頼りに、何とか、碩学の方々の論議にしがみついて来た、と言ったところです。

勿論、勉強してないことを売りにするつもりは全然無いんですよ。何とか、付いてゆこうとして、少しは頑張ってみるんですが、何しろ、基礎を知らないから、ナカナカ付いてゆけない。

ブツブツブツ・・・

1627一字三礼:2005/05/28(土) 21:07:26

つぶやきです。

仏教学を学ぶには、最初に「倶舎論」から入るなどといいますが。
「唯識三年倶舎八年」をなどと言われるように、その内容は煩雑で、唯識系の論書は特に難解です。

かく言う私もこれらの論書をしっかり学んだわけではありません。読んでる途中で目と脳がストライキを起こしました。

しかし、私の極めて浅い認識で考えたのは、これら「唯識」と「倶舎」を基礎知識とはしてはいけないのではないか、という事でした。

アビダルマの成立自体は、根本仏典に散文的に説かれた釈尊の教説を、何とか体系的な学問にしようと試みた初期僧団の努力の結果でありましょう。
ところがその内容は俗信的であり、ドグマチックであり、あまりに細かくカテゴライズされている為に理解が困難というよりは、面倒くさいものでした。

これをベースとして他の論書や大乗仏典を学ぶとかなり歪んだ知識が形成されるのではないか、と思います。

そこで私が思うには、まず根本仏典。次に「中論」を読んでそれから他を学ぶ方が理解しやすいかと考えます。

1628三学無縁:2005/05/28(土) 23:59:56
今月はまだ8冊しか本を読めていない。
1月20冊、2月13冊、3月18冊、4月11冊。
今年は今日までで70冊、ということになる。
昨年は、
1月16冊、2月21冊、3月16冊、4月44冊、5月12冊。年間で196冊読めたけれど……。
ちなみに雑誌や研究誌などは計算に入れていない。
歳をとると、なかなか本が読めなくなってしまうと実感します。
専門書や研究書は月3冊か4冊が限度、あとは小説やエッセイ、雑書。
そのくせ、コミックは読み返しを含めて月40冊以上も……。
コミックを読むひまがあるなら、読みたい本、読まなければ鳴らない本を読めばいいのに、とほほ。

1629吉祥仙人:2005/05/29(日) 02:51:50
 つぶやきです

 改めて「最新の100」を読ませていただきました。

 自分が創価学会員であることが、幸せなのか不幸なのか考える今日のごろです。

1631つぶやきですよ〜〜:2005/05/29(日) 17:31:56
「何をばかげたことを言っているのだろう。
 結局は自分の考えたとおりにいかないと気に入らないだけであろう。」(ある板より)
真面目なのは分かるのですが、、、、言葉がありません。頑張って下さい。(笑)

1633吉祥仙人:2005/05/30(月) 01:54:59
 秘技 つぶやき返し

 >頑張って下さい。(笑)

 冷笑主義とはこのことか

1634吉祥仙人:2005/05/30(月) 02:02:50
 つぶやきですので、ここだけの話ですが。

 「摂受と折伏」をロムさせていただいて

 ひたちさんは「教授」もしくは「師範」クラスの方とお見受けいたしました。

1635つぶやきですよ〜〜:2005/05/30(月) 06:31:06
>1631
削除された1630の投稿者は完全に誤解しているね。1631のレスは某掲示板の人じゃないよ。
完全に決め付けて熱くなっているようだけど、謝ったほうがいいよ。

1636吉祥仙人:2005/05/30(月) 08:33:29
 後の祭りのつぶやき

 私が見たときには削除されていました。
 1629についての1631と思ってしまいました。
 穴があったら入りたい。ゴメンナサイ。

 1630・1632ってどんな書き込みだったのかな〜
 管理者さんは何も書いてないシー。つぶやきさんも教えてくれないシー

1637ラキ:2005/05/30(月) 10:29:57
1630、1632は私が書きました。
1631のような書き込みがあり、こちらの掲示板に迷惑になると思い、削除依頼を頼みました。
「富士大石寺へ帰ろう」の掲示板からの転用ですね。
他の掲示板には行っておりませんので「富士大石寺へ帰ろう」の人しかいないと思います。
ここの掲示板の方は、マナーが宜しいので、某掲示板見たく、ネチケットもわきまえないような人達とは違うと思っております。
ここのリンクから顕正会関係で閲覧できます。


追伸。
吉祥仙人さんには、大変ご迷惑をおかけしました。
削除依頼した後、書き込みをしてれば、ご迷惑をおかけしかなったと、
反省しております。
吉祥仙人さんに不愉快な思いをさせてしまい、申しわけございませんでした。

1638小心者:2005/05/30(月) 21:09:39
、、ゴメン下さい、、。
日刊のゲンダイ版の毎月曜日の、矢野、、元委員長のコラムはナカナカの重い響きが御座いました、、。
 それが、先般から削除のようです、、。 ??かが存在、、??、、でしょうか、、??

1639ラキ:2005/05/31(火) 12:23:33
蓮師辻説法のついて。
正宗石山に電話にて問い合わせしたら「辻説法は、文献的証拠。御書にも明確に書かれてないので、
辻説法をしたと、断言は出来ないが、辻説法はされていた可能性が強い」との回答を頂きました。
文献的証拠が無く、伝承が残っているので、「確実にした。」ではなく「したであろう」との気持ちの良い明確な回答を頂きました。

この書き込みをしてる最中に、身元確認の間違い電話をしてくるのは、少しいただけないですが。(-ェ-o)ボソ

1640小心者:2005/05/31(火) 22:06:50
、ゴメン下さい、、。  昨今は、、某SSS会の、、息のかかった方方が、、続続と、、??、、御登場のようです、、??
 まーー、、お手並みを、、ご拝見、、??、、したいものです、、!!、、??

1641大勇者:2005/05/31(火) 23:03:11
>1636 ラキさん
石山が辻説法を「したであろう」との回答には驚きました。
日蓮正宗創価学会の時代から、学会は一貫して辻説法は信じるに値しないとの見解と思っていましたので。

辻説法は御書にないだけではなく、化導記、註画讃、別頭統記にも出てこない事を挙げ、
小川泰堂氏の日蓮大士真実伝のころからいわれるようになった架空の説としていましたので、
大石寺も同じ見解と思っていましたよ。

1642ラキ:2005/05/31(火) 23:35:20
石山の発刊「日蓮大聖人正伝」に辻説法と言う題名の項目があり、下記HPで辻説法の話をしていたら、
辻説法はあったと妙観講の方は断言して述べられていました。
法華講の方に「日蓮大聖人正伝」を持ってる方がいたので、拝見させていただきましたが、明確にはあったとの記載も無く、
法華講の方も「あったとはかかれてません」と意見を頂、あった、無かったの審議は謎のまま。
ただ、伝説であっただけという事でしかないと確信しました。

>石山が辻説法を「したであろう」との回答には驚きました。
日蓮正宗創価学会の時代から、学会は一貫して辻説法は信じるに値しないとの見解と思っていましたので。

破門前の学会に属していましたが、辻説法の話は聞いた事もなく、気にもしていなかったので、
学会では否定してる意見だとはじめて知りました。

「富士石山寺へ帰ろう」BBS
http://hpcgi1.nifty.com/imei/raib.cgi?md=nv

1643パンナコッタ:2005/06/03(金) 13:05:22
あらためて摂受と折伏のスレをROMしてみて、いかに自分の思想が蓮祖とかけ離れたものに左右されていたかが、
ひしひしと感じられました。偽書や真偽未決文、後世の手引き書(富士系の寛師分段など)が、
いかに元の物をねじ曲げて思想を汚染させるかをきっちり認識、区別していかなければなりませんね。

1644ラキ:2005/06/03(金) 19:23:49
私も、摂受と折伏のスレをROMしていて、改めて石山系思想に浸かり過ぎていると感じました。
偽書とわかってる物をいまだに使用してる、閉鎖的な思想。
営利団体だから仕方がないとは言えないと感じます。
石山系内乱で、機関紙等の品のない掲載。
かりにも、信仰者としての品位も問われると思います。
(池田さんを呪う題目をあげてるご婦人がいましたが、祈祷してるような感じで、怖いと感じてしまいました。
信仰者としての悪い見本を拝見して、私自身はあのようにはなりたくはないと、心に思いました。)

1645吉祥仙人:2005/06/04(土) 08:39:39
 独り言で私事を

 来週より20年ぶりに再び学校に通うこととなりました。
 (学生部に戻るわけではありませんが)

 昼間は(もしかしたら夜も)勉強しなければなりませんので、ロムも充分に
出来ないかもしれません。
 ひとまず、お別れの挨拶を と思いましたが
 またすぐ戻ってくるかもしれません。

 わけのわからんツブヤキデシタ。

1646問答迷人:2005/06/04(土) 09:24:45

吉祥仙人さん

>来週より20年ぶりに再び学校に通う

羨ましいです。僕なんか、日夜仕事に追われてしまっています。夜学なんでしょうか、健康に留意されて、又、時々は書き込んでください。

1647小心者:2005/06/04(土) 21:31:32
1645 様 
 
勉強と言う、、隠れ蓑では、、??
 エエカゲンなボケ、、??、、は、、容赦はしませんゾ、、!!!!

1648ひたち:2005/06/04(土) 23:54:54
吉祥仙人さん

20年ぶりということは、私と同じくらいの御歳ですね。
私も20年前は学生部で活動しておりました。まとまって学ぶ機会があるというのは、すばらしいことです。ありきたりですが、この歳になると、つくづく学生時代にもっと勉強しておけばよかったと思うことしきりです。

1649藤川一郎:2005/06/08(水) 15:19:22
別スレで浅草寺について書きましたが、今年も8月27日に「浅草サンバカーニバル」が行われます。
なかなかセクシーなダンサーが踊りまくります。良かったらご覧下さい。

1650ラキ:2005/06/08(水) 19:39:07
神保町に蓮師関係の本を探しに行ったら、面白い物がたくさん見つかりました。
値段が高い・・・
内部資料の値段がないのも、数千円単位で売られているのは驚きでした。
戸田さんのレコード全集が24万て凄い〜と思いつつ、単品でも1万円もして。

1651藤川一郎:2005/06/09(木) 11:58:50
ここまで行ったら、最高ですね(爆)
「かわいいぬいぐるみが、あなたの大切な御守御本尊様をやさしく抱きかかえてくれます。
御守御本尊様での新入会の方にぴったり、ご入信の御祝にもどうぞ。」
「ぬいぐるみ付き学会版御守御本尊ケース」です。
http://www.sokei-net.com/bennri.htm

1652犀角独歩:2005/06/09(木) 13:11:33

藤川さん、このサイト、本気なんでしょうか。
学会から文句が来ない?というより、三色その他、商標使用料を支払・受取の関係が成り立っていると言うことですか。それとも学会の直営ですか。
これはひどい。

1653パンナコッタ:2005/06/09(木) 14:17:46
マスコットホルダーは当然女の子向けでしょうけど、もはや完全に蓮祖とは関係ないものですね。
携帯本尊をバックのアクセサリーにするとは、よく考えますねこんな事。
まあ、お値段が手頃なのは”中日友好”の賜なのでしょうけど。

1654ラキ:2005/06/09(木) 14:37:47
前から知っておりました。
仏壇の近代化?お洒落な仏壇はあきれましたがw
仏教とは言えない仏壇だと思ってしまいます。
近代化は良いとしても、伝統も重んじる事も必要ではと問いたいですね。
古風=古臭い
古風=伝統文化
文化をと言ってるわりには、伝統文化を破壊してる矛盾さ。
宗教法人ではなく、文化財団とかならいいのですが。

独歩さん。
学会公認のはずです。
現役学会員曰く「おしゃれでいいじゃん」とのコメント。
マスコットホルダーは、パンナコッタさんの指摘のように、女性受けしやすい、戦略です。
女性会員は「かわいくていい」このような感覚です。
違和感を唱える会員もいますが。

1655ラキ:2005/06/09(木) 14:58:28
学会御用立つ仏壇の一部です。
二番目のオリジナルは・・・

http://www.sokei-net.com/index.htm

http://www.cypress.ne.jp/hozumi/

http://www.taisyodo.com/taisyodo77.htm
女性向けグッツ(^^;
http://www.akazawachoyo.co.jp/index2.html

1656愚鈍凡夫:2005/06/09(木) 15:06:06

御守り本尊用キーホルダーに池田さんのフィギアを付けて売るって言うのはどうでしょうか。でも、少しキモイかも・・・・・。 (;゚゚)ウッ!

ひょっとしたら、創価学会員も買わないかも・・・・・ 。。。o(゚^ ゚)ウーン

1657犀角独歩:2005/06/09(木) 15:15:16

ラキさん、どうも。

現代的、おしゃれ、かわいいがいいんだったら、いっそのこと、漫荼羅も現代的におしゃれに可愛く作り直したらどうでしょうかね。ついでに題目も読経も古くさいからやめて、「宇宙生命に帰依します」とかいうのは朝晩唱えるなんてどうでしょうか。Hoto King Classicなんて、そんなのにピッタリですね。蓋を開けると七色のレーザービームが光ってろうそくの新型、煙幕が出てお線香の新型、ついでに円盤が飛び出るなんて心憎い仕掛けはないんでしょうか(大笑)

どんなにいじったって、中に入れる漫荼羅は、が現代的でもなく、おしゃれでもなく、かわいくもないんですから、ただ不釣り合いなだけ。笑いのタネを提供してくれているようなものですね。案外、悪趣味なんですね、創価学会は(笑)

1658犀角独歩:2005/06/09(木) 15:17:22

おや、愚鈍凡夫さん、お久しぶりです。

1659ラキ:2005/06/09(木) 18:37:38
愚鈍凡夫さん。
>御守り本尊用キーホルダーに池田さんのフィギアを付けて売るって言うのはどうでしょうか。

確実な情報ではないのですが、蓋の部分に写真を貼ってる方がいるらしいです。(池田さんの)

破門前の学会員の家で、日顕さんの写真や池田さんの写真を大切に飾ってる家とかありました。

独歩さん。
宗教と言うより、若い世代はサークル活動みたいな感覚ではないかと感じます。
文化を大切にすると言っておいて、伝統文化を自ら破壊する行為をしてるのですから。
数珠のカラフルなことにはもう、キリスト教のロザリオを思い浮かべてしまうのは私だけかなとも感じます。
曼荼羅の表装は確かブルーだった記憶があります。
曼荼羅本体をさすがにいじるのは、会員の疑問を生じさせかねないから、やりたくても出来ないのが実情ではと私は考えております。
最終的には「一念信解」見たいですが、ことばは、ご本尊の力(功徳)を信じてるから、
仏壇(入れ物)がどんなに変っても、お洒落。カッコイイ。男女で表現は違いますが、
それ以上話す気もなくなった事があります。
灯明の代わりにミラーボールとか付けそうで怖いですがw

1660犀角独歩:2005/06/09(木) 18:46:28

なんだかラキさんのお話を聞いていると、創価学会はLGATみたいになってきたような気がしますね。

1661ラキ:2005/06/09(木) 19:22:04
念のために申し上げます。
学会全部の意見ではなくて、身近な人の一部意見なので。
壮年。婦人には話を聞いた事がないですが、
男子部。女子部の役職持ちか支部幹部以上の方の意見です。

素朴な疑問で御書のタイトルがと述べていましたが、過去スレッドがないか見ていて、
法華経のスレッドを拝見しましたが、私も「日蓮大聖人の仏法!南無妙法蓮華教が正しい」と言っていた時期があり
今考えると、本当に恥ずかしい思いです。(^^;

1662パンナコッタ:2005/06/09(木) 19:24:30
御存知かと思うのですが、学会の配布する通常タイプの寛師曼陀羅は緑色系で表装されておりません。
特別御形木は黄金色系で表装されています。
また、「下野国小薬邑 〜 日澄授与之」の添書が削損されています。

まあ、商売ですから意表をつく新製品は出し続けないとの考えがあるのは当然だと思いますが、
あきれて物を言う事が出来ない人のか多いでしょうね。

1663犀角独歩:2005/06/09(木) 20:03:58

パンナコッタさん

「表装」というか、1枚の紙に表装模様の印刷でしょう(笑)
あの軸心て何でできているんですか。プラスチックですか。
相変わらず、ラミネートしてあるんでしょうか。
すごい発想だと思いますね。

オウム真理教の上九一色村サティアンにあったシバ神の巨像が発泡スチロール製で、周囲を呆れさせたものでしたが、石油系、プラスチック系の加工は「御本尊」の素材として最低の粗悪品だと思いますが、それでも本部から頒布されるものだと、会員は満足できるものなんでしょうか。

漆器に見えたお椀がプラスチックでがっかりした経験がありますが、当初からラミネートされた本尊を有難がる神経というのは、わたしにはどうも頷けません。

石山本尊はあれでも、それなりに作ってありましたからね。
原価からすれば、10分の1以下、いやそれ以下でしょうね。
それをまたプラスチックモデルみたいな仏壇仏具で囲うわけですか。

理解できない不思議な感覚です。

1664パンナコッタ:2005/06/09(木) 20:19:30
軸棒は樹脂系だと思うのですがどうかな。
携帯本尊は、安い麻雀牌みたいなものですし、授与は代理人でOKという有難味が
ちっとも無いものですからマスコットやアクセサリーなどの考えが出てくるのでしょう。

1665ラキ:2005/06/09(木) 21:29:27
一番考えられるのは、板彫刻本尊ではないでしょうか?
(本体ブラスチックなら怖いですけど・汗)
法華講の方の板本尊を見て、学会版の出したら欲しがる方はいそうかなって?

>特別御形木は黄金色系で表装されています。
知り合いに確認したら、見た事はないそうです。
(半分寝てるからかもしれませんが?)

1666パンナコッタ:2005/06/09(木) 23:36:11
>黄金色系。すみません、ベージュ系というか、うすい緑がかった薄茶系みたいな感じです。

今日は放送大学のラジオで、木村清孝教授の「仏教の思想」なんてやっていましたので聞いてみました。
中国の新仏教の解説で、天台・法華、華厳、浄土、禅の説明でしたが、それぞれ中国に元からあった思想との
融合・摺り合わせがあってこその発展であるとのことでした。
やはり中国仏教の流れからの思想と漢訳教典の取り扱いについては、それなりの理解が必要なんだなと思いました。

1667通りすがり:2005/06/10(金) 00:12:35
>>1652
訪問販売法の表示がない時点で、いかがわしいと判断するのが賢明では
ないでしょうか。

1668愚鈍凡夫:2005/06/11(土) 09:25:48

いよいよ梅雨到来ですね。ジメジメカビカビの季節がやってまいりました。

>>1658:
犀角独歩さん、ご無沙汰しております。 <(_ _)>
創価漫荼羅もそのうちに、バーチャルリアリティってな感じで、3D映像が浮き出る「板漫荼羅もどき」なんて具合になると笑えるでしょうね。 (^▽^;)

1669犀角独歩:2005/06/11(土) 09:48:06

愚鈍凡夫さん、どうも。

以前、ある坊さんと話していたら、明治時代は寺院で「幻灯機」をかけて、大いに人が集まったなんて話をしていました。創価学会は当初はレコードで、次にシナノ企画の8ミリ映画、衛星放送。。顕正会もテープにビデオでDVD。こういったメディア戦略で成功したところが布教に成功してきたということでしょうか。

まあ、そうなると、次世代の目玉は、やはり三次元映像(3D)でしょうね。
さて、どんな感じになるでしょうか。
関係あるような無いような東京ではバーチャルリアリティ展が開催されます、産業用ですが(笑)
http://www.ivr.jp/

1671犀角独歩:2005/06/11(土) 23:39:36

わたしの摂折論観に異義を唱える方はいらっしゃらないのでしょうか。

1672大勇者:2005/06/12(日) 00:44:15
>>1650 ラキさん

神保町のお店の場所などをもう少し教えて頂けないでしょうか?
御願いします。

1673吉祥仙人:2005/06/12(日) 05:48:13
 拝見してますよ。と言うツブヤキ

 なかなか書き込むタイミングというのが、難しいですね。

1674ラキ:2005/06/12(日) 13:43:04
大勇者さん。
蓮師関係では「東陽堂書店」仏教関係では有名なお店です。
1650の学会系は「東陽堂書店」の右横のお店です。
店名は「玉英堂書店」だったと思いますが、袋に店名が入ってないので、
違っていたら、申しわけございません。
東陽堂の並びのお店は間違いないです。

神田古書店街HPからのMAPです。
http://www.book-kanda.or.jp/town/map/f3.htm
古書検索とかも出来て、便利です。

1675吉祥仙人:2005/06/13(月) 04:45:22
 「摂受と折伏について」を拝見いたしました。

 私なんぞが今まで書き込んだことを恥じ入る次第です。

1676ラキ:2005/06/13(月) 13:10:35
>執行海秀師の論文その他、わたしのHPを工事し、再アップしました。
ご参考に供してください。

独歩さん。ありがとうございます。
参考になりました。。。。と言うより、とても勉強になりました。
私の最近の疑問が、石山系教学の疑問にぶつかり、そのための参考にワザワザ
再UPしてくれたのだと、勝手に思い込んでいます。^^

1677犀角独歩:2005/06/13(月) 20:54:33

ラキ、ご高覧いただけたとのこと、作業した甲斐がありました。
該当の文書は、復刻の話があり、やや躊躇していたのですが、やはり、アップしておかない話が面倒なので、アップした次第です。
それにしても、執行師は、今から半世紀も前に斯様な論攷されていた。それを知らず、創価学会から、石山を経たわたしはまったく以て時間を無駄にした思いがあります。
そのようなことが繰り返されないよう、骨を折ったデータ化を敢えてアップした次第です。

1678ラキ:2005/06/13(月) 21:43:08
独歩さんの学会から石山の時間は無駄にはなってないと思います。
独歩さん自身には、貴重な時間の無駄だったかもしれませんが、
今現在の私や現役の方の参考になりますし、それを考えますと、
私が独歩さんの同じ道を歩み、時間の無駄をするのを早く気が付き、
私にとっては、時間の節約。そして、事実を知りたい気持ちがあるので、
そのための貴重な時間を頂けたと感謝しております。

私信の追伸。
前にお勧めくださった書籍、本日購入できました。^^
また、素朴な疑問が湯源するかも知れませんが、その時は、ご教授のほどよろしくお願い致します。

1679大勇者:2005/06/14(火) 08:31:55
>1674
ラキさん。 ありがとうございます。
参考なりました。

1680犀角独歩:2005/06/14(火) 11:55:24

ラキさん:

> 時間の節約

そうそう、それがわたしがもくろむ最大の理由です。わたしがした無駄、もっと言えば、日蓮門下全般がした時間と労力の無駄という被害が繰り返されないための捨て石となることが半世紀近く日蓮本仏・戒壇本尊絶対を語ってしまった自己責任の果たし方であると思い、日夜精進している次第です。

ですから、ラキさんのような存在こそ、わたしのしてきたことが報われる思いがする存在であるということです。

1681ラキ:2005/06/14(火) 20:32:35
図書館に織田仏教辞典(お陀仏・笑)を見に行ったら、難しい・・・(^^;
帰り道、古書店に寄ったらなんと!「図録 日蓮聖人の世界」が置いてあって、
購入しました。(●⌒∇⌒●)
パンフレット。入場割引券。チラシまで挟まっていて、得した気分です。
ただ、しおりも付いていたのですが、日本キリスト教会のしおりてのが、複雑な気分w

1682犀角独歩:2005/06/14(火) 21:03:21

> 日本キリスト教会のしおり

これ、けっこう、笑えました。

1683ラキ:2005/06/18(土) 00:06:37
法華経入門(岩波新書)を読んで。
とても読みやすく、判りやすい書籍で、感動してしまいました。^^
ふと、学会在籍当時の事が思い出されます。
法華経の本を買って、読んだけど判らない(^^;
地区リーダーが「俺も持ってないし凄い本買ったね」の言葉が思い出されました。
一番の驚きは、作者が創価大学の教授が何よりの驚きでした。(-ェ-o)ボソ

1684ラキ:2005/06/18(土) 03:08:07
日本の古書店
全国の加盟店の古書が検索できます。
「日蓮」で検索すると・・・3時間眺めていました。(^^;

http://www.kosho.or.jp/index.html

1685犀角独歩:2005/06/18(土) 08:44:09

> 1683

らきさん、それをいうなら岩本裕師が中公新書で『佛教入門』を書いた当時、創価大学名誉教授でしたよ。

わたしは創価大学に本格的、かつ国際的な仏教学部を創設すべきだと思っています。そして、有り余る学会マネーを大いに投資して、他の仏教系大学では到底できない資金を援助し、学者に研究させてほしいと念願しています。そうすれば、SGIだ、勲章だというより、人類知的財産と遺産に貢献することとなりますね。また、その研究が進めば、いま言っているような石山の残滓を引きずる教学からも、本尊からも、脱却していけるのではないでしょうか。もっとも、世俗化がさらに進み、プラスチックのおもちゃみたいな漫荼羅やらファンシーグッズみたいなケースもやめなければ、哄笑・嘲笑はやまないでしょうが。

1686犀角独歩:2005/06/18(土) 08:45:41

【1685の訂正】

誤)もっとも、世俗化がさらに進み、プラスチックのおもちゃみたいな漫荼羅やらファンシーグッズみたいなケースもやめなければ、哄笑・嘲笑はやまないでしょうが。
正)もっとも、世俗化がさらに進んではしようがないですね。プラスチックのおもちゃみたいな漫荼羅やらファンシーグッズみたいなケースもやめなければ、哄笑・嘲笑はやまないでしょうが。

1687ラキ:2005/06/20(月) 22:14:57
>1685
研究費用を出して「人類知的財産と遺産に貢献する」
切に願う気持ちです。

研究成果の発表も、学会系出版社で販売すれば、低価格でよい物が手に入る、こんな素晴らしい人類貢献はないかと感じます。

>岩本裕師が中公新書で『佛教入門』を書いた当時、創価大学名誉教授でしたよ。
興味深く拝読したいです。

1688乾闥婆:2005/06/23(木) 16:51:26
川蝉さんのお名前を見かけ、Niftyの仏教思想フォーラムのころのことを思い出しました。ハンドルネームを度忘れしてしまいましたが、当時シスオペをされていた方が辞められ、その後を受けたのが川蝉さんであったような気がします。もし私の勘違いであれば申し訳ございません。

創価学会の家庭に生まれ、そのことで悩み苦しんでいたころ、自身のそのような出自の根源である部分を相対化してゆく作業は、あのフォーラムに出入りしていたころから始まったのだな、と振り返り、懐かしさで、つぶやいてみました。

蓮祖のことを、信仰の要として固めてゆくのか、むしろその呪縛から逃れるために相対化してゆくのか、そういった姿勢の違いは、議論の進め方の違いや、解釈の違いを生んでいくように思います。この掲示板は後者の傾向にあるのだと思いますし、私もそのような傾向を求めているので、ここを訪れるのでしょう。正直、折伏という名の下に行われてきたことを現場に見てきて、その語の使用を擁護する気にはあまりなれません。だからといって恣意的に読み替えようというつもりも、もちろんございませんが。よい議論がなされるといい、とつぶやくばかりです。

1689れん:2005/06/26(日) 18:23:56
とりあえず、つぶやきです。
日蓮本宗本山京都要法寺には日蓮師の弟子日興師による「観心本尊抄」写本が現存するそうです。「日興上人全集」によると、書写奥書には「弘安四年太歳辛巳三月五日申時拝書写了 南無妙法蓮華経」とあるとのことです。この写本については要法寺僧侶富谷日震師が大崎学報二十八号に「本尊抄興本対照記」という論文を発表されているのですが、残念ながらまだ管見に入っておりません。しかし、ある記述によりますと興師写本「本尊抄」には「此時地涌千界出現本門釈尊為脇士」の「為」の字の左方に「ナリテ」とルビがふられているそうです。昭和新定には「本門ノ釈尊ヲ脇士ト為ス」と読みますが、興師本によれば昭和定本の如く「本門ノ釈尊ノ脇士ト為(ナ)リテ」と読むのが正しいもののようです。この興師本は堀日亨師の著述によれば石山に伝承したのを要山に与えたとしています。ということは、興師本による限り、一尊四士の造立義が蓮師・興師にあったというのが、事実であったということになると思います。「日尊上人仰云」には「日興上人仰云、末法ハ濁乱也、三類強敵有之、爾者木像等ノ色相荘厳ノ仏ハ崇敬有憚、香華燈明ノ供養モ不可叶、広宣流布ノ時分マデ大曼陀羅ヲ可奉安置云々」とありますから、具体的には一尊四士の造立は本門寺(戒壇)において…というのが興師の義であり、上代の石山義でもあったと愚考します。しかし、有師以降日蓮本尊義が主流となり、不造像不読誦・曼陀羅本尊正意論が石山に定着した結果、彫刻本尊の造立がおこなわれ、また、興師本「本尊抄」が要山に行ったことによって、興師本「為脇士」のナリテの読みが忘れられ、日蓮本尊論から日蓮本仏論に進んだ結果、現在の昭和新定の読みが石山義として定着したものと考えます。以上ながながと失礼しました。

1690犀角独歩:2005/06/26(日) 18:51:29

れんさん、いつもながら、重要なご教示、有り難く拝読しました。

1691パンナコッタ:2005/06/28(火) 11:18:59

土日に此処では珍しく、大荒れになってしまいましたね。
正直常連さんも、ROM専の方々もみんな引いてしまっていますよ。
此処の掲示板はあくまでも富士系の思考性に疑問があり、それに対して冷静な対応・資料の提示
・論理的な思考が”味”で、それを良とするみなさんがカキコしているわけですから信仰体系を
持った方々とは論議が平行線になるのは仕方がないのでしょうけど、『前提にそれがある』ことを
踏まえての対応をお願いしたいものです。

1692川蝉:2005/06/29(水) 11:06:52

1688 番・乾闥婆 さんへ。
今日は。
今朝まで乾闥婆 さんの1688 番の投稿見過ごしておりました。
Niftyの仏教思想フォーラムに投稿していた川蝉です。
ブロバイダーを変えたので仏教思想フォーラムの閲覧投稿は中止しました。シスオペをしたことはありません。仏教思想フォーラムに参加されておられた乾闥婆 さんもでしたか。その後も熱心に求道のこと尊いことと思います。

>正直、折伏という名の下に行われてきたことを現場に見てきて、
>その語の使用を擁護する気にはあまりなれません。

昭和三十七五年ごろの創価学会の折伏を直接見聞していますので、皆様以上に、創価学会がやってきた折伏に対する嫌悪感は強いと思います。折伏と云うと直ぐに創価学会の折伏が重なって見えるし一般の人も創価学会の折伏と同一の事と誤解を受ける傾向が強いので、実の処は折伏と云う言葉の使用は控えています。
ただし私の理解では、日蓮聖人はご自分の強い諸宗批判は折伏の範疇に入る弘通方法せあると考えられていたことは確かと理解しているのです。
しつこくなるので冨士門流信徒掲示板での議論は止めておきますね。

1693パンナコッタ:2005/06/29(水) 22:16:28
摂受と折伏のスレで独歩さんと同一人物にされてしまいました。(^o^)
自分は摂受と折伏の議論はしたくない(ナンセンスだと思っている)ので、あそこのスレからは
身を引いたと書きましたが掲示板から居なくなるとは書いてませんよ。
疑心暗鬼になっている方も居られるようですが(土日荒れた事で)独歩さんと自分は別人ですよ。
むしろ自分の悪文投稿を独歩さんと同一視しているようでは、的はずれも良い所ですね。
クインや横溝正史の推理小説を読むことをおすすめします。

1694パンナコッタ:2005/06/30(木) 12:40:04
>567 に投稿した文中で、篠沢教授の名前が間違っておりました。
正しくは、篠沢秀夫教授 です。大変失礼しました。

実際に学習院で講義を受けたわけではないのでミスしてしまいましたが、
考えてみれば仏文学の大家なんですよね篠沢教授は。

1695乾闥婆:2005/06/30(木) 15:42:12
>>1692
川蝉さん。

>今朝まで乾闥婆 さんの1688 番の投稿見過ごしておりました。

ここは、つぶやきスレッドですから(笑)

>シスオペをしたことはありません。

それは申し訳ありませんでした。シスオペが辞められてからすぐに閉鎖されたように記憶しております。後半はごたごたしていて管理し切れていないような印象でした。あとを継いだのは青頸さんだったかもしれません。

>実の処は折伏と云う言葉の使用は控えています。

そうですね。言葉というものは力を持ちます。創価学会がいくら「仏法対話」と言ったところで、折伏という語の使用をやめなければ「折伏精神」とやらは継続して各会員の中に息づき、折に触れて激しい言動となって現われ出ます。折り伏す行為は、正確に創価学会員の継承するところなのかもしれません。そうであるので、折伏という語を蓮祖という根源において批判し正しく読みなおそうという姿勢は大事なのだと思います。

>ただし私の理解では、日蓮聖人はご自分の強い諸宗批判は折伏の範疇に入る弘通方法せあると考えられていたことは確かと理解しているのです。

ここで行われていることは非常に重要な一種の思考実験であるのだと思っています。犀角独歩さんや顕正居士さんの提示される事実を完全に否定することができないのであれば、それはひとつの読み方として認めうるということです。その読み方が伝統的な蓮祖理解と違ったとしても、そのような読み方のありうることは受け入れなければなりません。伝統的な宗学という範疇における蓮祖受容はひとつの価値判断であると思っています。それを全否定する必要はないでしょう。しかし事実判断の中にその価値判断を持ち込むことは不可であると考えます。それはそれ、これはこれ、です。

さらに遡れば、そもそもゴータマ・ブッダは法華経を説かなかったのですし、日本の仏教は仏教であるのか、とさえ言えるのでしょう。蓮祖、その人、に遡り、その一点において事実を見極めようとする思考形態は、その後の蓮祖受容を相対化することでしょう。ゴータマ・ブッタ自体に遡ってしまえば、大きな意味での「仏教」が相対化されるように。伝統を全否定する必要はなくとも、そのような視点はつねに意識しておかなければいけないと考えています。Niftyでの仏教思想フォーラムで、現代思想フォーラムから来ていた人たちとの間で行われていたことは、そのような立場の相違が底辺にあったと思っています。

1696慎之輔:2005/07/01(金) 09:34:11
乾闥婆さん
たいへん参考になるご意見ありがとうございました。m(__)m

1697一寸法師:2005/07/04(月) 02:53:06
つまり、久遠本仏という哲学的理解が出来ないから、ゴータマ・ブッダは法華経を説いていないと言うことに引っ掛かるの訳でしょ。法華経がブッダ入滅後、500年を経て成立していることぐらい誰でも知っているのに、そんなこといつまでの言っているのは、やっぱり仏教界では哲学的素養のある方の人材不足なのかなあ。

1698犀角独歩:2005/07/04(月) 08:03:27

>1697

こんなことは、100年前から言われているのであって、一神教化は原理主義と暴力に走るからやめようというのが、戦後の議論の訳です。

1699小心者:2005/07/06(水) 21:04:52
、、つぶやきです、、。
 この各スレッドでは、確かに御参考には、、相成りますです、、。 ただ一点は、、???、、 日蓮さまも、申していた、、、「、即成仏身、、!!」への???、などは、、???、、でしょうか、、?? 
今は、、何を、、拝し、、??、、何を、、行じれば、==成仏への一本道でしょうか、、?? イワユル能書きが多すぎまして、??、根本が不明、??、、のようですが、、??

1700れん:2005/07/08(金) 20:14:25
つぶやきです。
摂折議論において、他の蓮師門下の方のご意見を拝見して思うことは、摂折議論に限らずであるけれども、蓮師を神聖視し絶対視するあまり、蓮師の古代中世的思想をストレートに現代に持ち込んでしまっているということですね。平雅行氏は「日本中世の社会と仏教」において「生産活動は自然に対する人間の働きかけであるが、働きかけるべき自然は古代や中世にあっては単なる即物的自然ではない。古代中世社会の生産力水準にあっては自然への従属度がきわめて高く、生産活動は自然の変動に左右されやすい脆弱性を帯びていた。そのため人間の生産活動は自然に対する働きかけであると同時に自然の威力を体現する神仏への働きかけでもある、という二重性を孕まざるを得ない。つまり神仏への祈りは生産活動の不可欠な一環をなしていたのである(中略)換言すれば古代中世にあっては生産活動と宗教が未分離であり、経済と宗教が未分離であったのである。そして経済と宗教の未分離は、政治・芸能・文学をはじめとする様々な領域と宗教との未分離をもたらす(中略)このように古代中世の宗教はそれ自体として全体性を有していたが、近世・近代社会における技術の自立化は人間の生産活動を自然への従属から一定度解き放ち、経済と宗教の分離が果たされてゆく。このことは政治・法・芸能をはじめとする諸領域と宗教との分離をもたらし、信教の自由が付与されてゆくことになる。こうして宗教が政治・経済をはじめとする諸領域から分離・排除された結果、近代宗教は宗教一般がかつて有していたような全体性を喪失し、内面的実存的な領域に極限されていったのである」と述べておられます。これが現実の歴史的流れでもありますが、近代文明の発達にともない宗教が全体性を喪失した現代において、前近代・古代中世思想に属する蓮師の思想を安易に現代に持ち込んで正義だと主張することは時代錯誤にはなりはしないかと危惧してしまいます。21世紀に生きる我々は、蓮師から何を学ぶべきか、それを問うためにまず、真蹟現存遺文から、蓮師の思想を素描する作業をし、その上で、蓮師の思想の中で学ぶべきは学び、捨てるべきものは捨てるという勇気が必要だと思う。その点、「21世紀の日蓮」を考察されている犀角独歩さんのさらなるご活躍を期待するものです。以上長々なつぶやきで失礼しました。m(__)m

1701犀角独歩:2005/07/10(日) 00:17:33

れんさん、非常に興味深い論攷のご紹介有り難うございます。
また、エール、深く感謝申し上げます。

1702一寸法師:2005/07/11(月) 01:32:16
> 蓮師を神聖視し絶対視するあまり、蓮師の古代中世的思想をストレートに現代に持ち込んでしまっている
> 前近代・古代中世思想に属する蓮師の思想を安易に現代に持ち込んで正義だと主張することは時代錯誤にはなりはしないかと危惧してしまいます

とは、具体的にはどうような内容でしょうか。創価学会や富士系のような折伏は、日蓮聖人の思想には本来ありませんし、他宗からは非難されているようですが・・・。つぶやき

1703犀角独歩:2005/07/11(月) 08:20:54

戦前の日蓮門下について、わたしはもっと反省されて然るべきであろうと思います。

世界最終戦争、天皇本尊論に基づく、アジア侵略で日蓮折伏が果たしてしまった悪をもっと反省されなければならないと考えます。

戦後、創価学会の折伏大行進、また現在の顕正会の折伏は、中世以降醸造された折伏の意味を変えたものであったのであれば、その点は闡明にされるべきでしょう。しかし、学会も顕正会も侵略戦争に荷担したわけではありません。大木師は日蓮正宗の戦争責任を書きました。では、日蓮門下全般に戦争責任はなかったのかという問いは可能でしょう。わたしは大いにありと考えます。そのような責任を負うものが、その反省もなく、単に学会、顕正会を批判することは、まったくの無反省であると批判されて然るべきです。人のことより、まず、自分の反省が先決です。

1704犀角独歩:2005/07/11(月) 09:45:48

わたしは、勝った・負けたなど、まるで興味がありません。
事実は何か、興味はそれだけです。
事実と違うことを自分が信じていたことに気付けば、訂正して、また、前に進むだけです。ただ、そのときに自分が事実にあらざることを人に語ったことがあれば、その点は率直に反省もし、謝罪もします。潔くありたいと思っています。

人権侵害には断固甘んじません。
その権利を侵すものとは徹底的に戦います。
自分の人権は自分で守ります。いささかの妥協もしません。

善侶は尊敬します。しかし、悪侶・虚偽伝導の組織と指導者(僧俗を問わず)は糾弾します。妥協しません。そのような者の前では、一歩も引きません。

1705犀角独歩:2005/07/13(水) 09:00:17

○かつて、わたしが信じていたこと、わたしがいう「21世紀の日蓮」とは

01.「池田先生」は、世界最高の指導者である。
02.「南無妙法蓮華經」とは生命を表し、宇宙の透徹した真理である
03.「御法主上人猊下」は「唯授一人血脈相承」を継承している
04.日蓮「大聖人」は「久遠元初自受用報身如来」であり、「御本仏」である
05.「本門戒壇の大御本尊」は日蓮「大聖人」の「出世の本懐」である
06.「本門戒壇の大御本尊」は「人(日蓮大聖人)即法(本門戒壇の大御本尊)」である
07.大石寺は蓮興目道…と「唯授一人相伝」の唯一正統な寺院である
08.大石寺「御法主上人猊下」の弟子である僧侶のみが正統な僧侶である
09.「御本尊様」は大石寺「御法主上人猊下」のみが書写の権能を有する
10.大石寺授与の「本門戒壇の大御本尊」を書写した「御本尊」以外に功徳がない
11.「日蓮大聖人御書全集」に掲載される「御書」はすべて日蓮「大聖人」の真筆である
12.天台「大師」、妙楽「大師」、伝教「大師」は最高の法華経解釈者である
13.羅什三蔵は最高の漢訳者である
14.法華経は釈迦「牟尼仏」の究極の教えである
15.一切の仏典は釈迦「牟尼仏」の教えを文字にしたものである

ざっと挙げれば、こんなところでしょうか。「」で括った用語は、いわゆる専門用語で一般社会では通用しない言葉です。敢えて括ってみましたが、日蓮門下の信仰がこのような特殊用語にどのように反応するかという条件反射によって訓練された思念によって決定付けられていることがわかります。

01は創価学会のみで通用するところ。
02は石山僧俗でも信じている人はあること。
03〜10までは石山僧俗のみで信じられていること。
11は最近まで日蓮門下大半で信じられていたこと。
12〜14は法華宗(天台法華宗、日蓮法華宗)で信じられていること。
15は仏教徒の間でつい最近まで信じられていたこと。

世界の総人口は60億人。残念ながら、池田さんはわずか数百万人(1000万人としても1.6%が指示する指導者で世界最高とは言い難い。60億人のほとんどの人は池田さんの名前すら知らない)、石山住職は問題外。

南無妙法蓮華經が生命などという教えは日蓮の教えにはない。
大石寺が言う唯授一人血脈相承を証明できる証拠はない。
日蓮本仏論は、恵心流口伝法門「止観勝法華劣」「天台勝釈迦劣」を「御書勝止観法華劣」「日蓮勝釈迦劣」と焼き直した中世の捏造であることは、ほぼはっきりした。

1706犀角独歩:2005/07/13(水) 09:00:49

―1705からつづく―

いまの彫刻本尊は禅師授与漫荼羅を臨模・作為した模造品であることは明確になった。よって、それが人即法の訳もなく、彫刻を宗祖を見なす器物崇拝は高橋紳吾師の言を借りれば「象徴(シンボル)の病」に過ぎない。そのようなものを祀る寺院が正統なわけはない。また、そのような事実を隠匿して、信者を騙し、隷属搾取する形ばかりの僧が正統であるわけもない。

「御本尊様」といわれる漫荼羅書写が大石寺住職限定権限の証拠は何もなく、元より模造品である彫刻本尊を、名ばかりの書写(書かれている内容が彫刻と石山住職が書いたものでは違っている)したものに功徳があるとの思いは個人的リアリティを超えない。功徳は、宗教の数だけあり、罰も宗教の数だけある。つまり、その功罪は、実は各人の潜在能力にあり、特定宗教・指導者・教えにあるわけではなかった。

「御書」は、その大半が真偽未決であり、疑偽濃厚であり、それを直ちに日蓮の教えとするのは誠実な姿勢とは言えない。

では、真跡である日蓮の教えに間違いがないのかということが問題になる。日蓮の教えを支えるのは天台六大部その他の釈で、その釈は仏典という釈尊が説いた‘される’文書が真実であり、漢訳されたものが正確無比であるという前提によって成り立っている。

では、この前提が事実かと問われたとき、残念ながら、それを証明できるものはなく、むしろ、後世の創作であることは明らか。また、羅什の漢訳は奔放で作為的であることは近代の梵本研究で明らかになってきた。

このような釈尊が説いたわけでもない経典を釈尊が説いたものとし、さらに意訳を含む漢訳を元に釈されたものは正確であるとは言い難い。法華経に至っては西暦前100年から西暦後300年頃までに段階的な創作されたものであり、これが釈尊究極の教えであるなどということはもはや虚偽の範疇を出ない。

以上、自分が信じてきたところを総括した結果です。

さて、ここでどうするか。特定信念体系下でいまも言われ、教えられていることに疑いを懐くのは謗法であり、悪である。故にそのような自分の惰弱な信仰に鞭打ち、組織・指導者によって教えられるところを無疑曰信、以信得入の教えに従って自他共に折伏すればよいのか。こんなことを惰弱な信仰しかない自分は獅子身中の虫であるから、もっと信行学に励み、組織・指導者の言うとおり進めばよいのか。そう考えた時期はもちろんありました。

しかし、そんな選択は、事実の前には、ただ虚しいだけです。それまで、永年に亘り、人生の大半を賭けてきたことを否定する真実。その事実を受け入れることは、たしかに苦痛が伴いました。

上記挙げた15の事実に有らざるところを、では、受け入れて、それで何が残るのか、残るものが有るか無いか。有るとすれば、それは何か。また、それしか、事実で動く実社会では説得力を持ち得ないと言う事実もまた受け入れ、何があるのか、それを考えてみようと言うのがわたしがいう「21世紀の日蓮」ということです。

…長くなりましたが、つぶやきです。

1707犀角独歩:2005/07/13(水) 11:06:07

【1705の訂正】

誤)世界の人口60億人…学会員数(1000万人として)1.6%
正)世界の人口63億9003万人(国連人口部)…学会員数(1000万人として)0.156%

1708藤川一郎:2005/07/13(水) 11:33:19
>>1703
>>世界最終戦争、天皇本尊論に基づく、アジア侵略で日蓮折伏が果たしてしまった悪をもっと反省されなければならないと考えます。

「アジア侵略で日蓮折伏が果たしてしまった悪」と言うのは大東亜戦争侵略戦争論が前提になっていませんでしょうか?
(もちろん天皇本尊論、国旗本尊同格論等はもちろん無理な論理ですが。)
しかしながら、私のような「大東亜戦争正義論」の立場から言えば、アジアでの戦争が「アジア各国の植民地解放→独立」につながったと言う功績が強くもあります。
日蓮主義の是非はともかく、その面から言えば、功績がありますよね。

ちなみにもし大石寺が戦争に協力したというのなら、日本皇民として当然のことであり、マルクス史観(自虐史観)が崩れた現在、もっと誇っても良いと考えております(やばい、攻撃を受けそうな投稿になってしまった)。


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