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配偶者がカルトに入ったらどうしますか
1
:
管理者
:2002/06/29(土) 12:05
妻顕さんより、スレッドテーマのご提案がありましたので、スレッドを立ち上げます。皆様の活発な議論を期待いたします。なお、提案趣旨は以下の通りです。
わたしはHNそのままの境遇に居ります。自分の配偶者がカルトまたはカルトといわれる宗教団体に入ってしまったとき、あなたならどうしますか?どういう行動を起こしますか?と言うようなテーマでスレッドを立ち上げていただけませんでしょうか。できれば特定の団体の誹謗中傷にならない形で、ぜひ、お願いいたします。
207
:
いちりん
:2002/08/29(木) 12:56
アネモネさん
>「おかげさんで、つつがなく」よくそう言ってます。
「なむあみだぶつ」の心も、いいなぁって思います。そのまま心やさしい響きがありますね。
「なむあみだぶつ」と発音すると思うと、なんか唱えにくいとおもいますが、浄土宗あたりでは、
なあーーーーむ ぁぁああああーーみ だぁああっぶぅぅうーーー という感じですね。
「あーーーーーーー」と「うーーー」が、ポイントでしてね。なんかこう、「おまかせっ」という波動になりやすいです。
南無妙法蓮華経のばあいには、「おーーー」と「ん」が基調ですね。これは、「よしいくぞぉっ」という波動に成りやすいでしょうね。
まあ、天台の行法で「朝題目、夕念仏」といわれますが、お題目は朝日のエネルギー、念仏は夕陽ですね。どちらが、正しいとかいう世界ではなくて、それぞれにいいわけです。
心が落ち着いて、おだやかになって、おまかせ的な生き方には、念仏かなあ。
元気でやるぞ、しっかり達成するぞという生き方には、唱題かなあ。
しかし、阿弥陀というのは、なかなかいいことばです。
原語では「アミターユス」「アミターヴァ」。アミタ(量ることのできない)アーユス(いのち)。
無限なる光、無限なるいのち、という意味合いですよね。
わたし自身は、いろんな真言とかお題目とか、まあいろいろと音の響きを味わいながら、それに太鼓のリズムをつけたり、インドの弦楽器でメロディーをつけてみたり、太陽に向かって発声してみたり、あるいは森の中で樹木に響かせながらやってみたり。いろいろと探求しています。
音の響き、とくに母音の響きですね。それと、身体との共振というところを、探求しています。
>確かに呼吸を大事にした「行」のようですね。
読ませて頂いて、私も体験してみたくなりました。
音の響きとともに、呼吸が大きなポイントですね。
208
:
いちりん
:2002/08/29(木) 13:00
独歩さん
>いちりんさんの記述を読んでいますと、自分が臆病になっていた変成意識の問題を、もう一度、真面目に考えてみたい、そんな気持ちになってきます。
こんどのミニオフのときに、もし和室などが借りられれば、そこでいろいろデモンストレーションしてみましょうかね (笑
インドの太鼓とか、弦楽器を持っていきますので、その響きに合わせて、お経とか真言とかを唱えたら、どんな感じになるか、とか。
レストランで、そんなことすると、アブないと思われて追い出されてしまいますが。
209
:
アネモネ
:2002/08/31(土) 20:18
いちりんさん
>しかし、阿弥陀というのは、なかなかいいことばです。原語では「アミターユス」「アミターヴァ」。アミタ(量ることのできない)アーユス(いのち)。無限なる光、無限なるいのち、という意味合いですよね。
そんな意味があったのですか。知らないということは‥、というか食わず嫌いとでもいえばいいでしようか、思い込みとって損だなぁって思いました。
深く知らないところでの私の印象ですが、念仏の感じってキリスト教に近いなとも思います。日蓮正宗に入ることでキリスト教への否定を心掛けてきたのですが、今はそんな全面否定をやめてみると、同じように阿弥陀仏の存在もまた違ったものに捉えられてきますね。
自分の人生の流れに身を任せ、全てを受け入れていく、そんな感じを受けます。
>わたし自身は、いろんな真言とかお題目とか、まあいろいろと音の響きを味わいながら、それに太鼓のリズムをつけたり、インドの弦楽器でメロディーをつけてみたり、太陽に向かって発声してみたり、あるいは森の中で樹木に響かせながらやってみたり。いろいろと探求しています。
かつて、私が人生で一番落ち込んだある日のNHKの深夜放送で、「聞こえない音」というのをやっていまして、眠れない夜に、見入ってしまったんですね。その音の学術的名称を思い出せないのですが、人間の耳には聞こえない音の領域というのがあるそうです。ところがこの音は、聞こえないようだけれども確かに感じ取っている音で、しかも、実は非常に人間の精神にとって癒しの効果があるとか。心を鎮める音らしいんですね。
その番組では、「聞こえない音」がどこに多くあるのかを探し求めていくのですが、なんと、音楽の分野でいえば、西洋音楽よりも東洋音楽に多くあり。日本の雅楽にも聞こえない音がふんだんにあるらしいです。楽器でいえば、最も顕著なのが太鼓だそうです。
また、もっと驚きなのはその音が自然界にもたくさんあって、どこに多くあるかというと、実は森林の中だということでした。
私はその落ち込んでいたちきに観たその番組にも驚き今も忘れてないのですが、いちりんさんは、そうしたことをご自分の感覚でみつけてしまわれている。もっとすごいことです。
ちなみに、聞こえない音はデジタルのCDよりもアナログのレコードのほうが記録できるそうですね。
>音の響き、とくに母音の響きですね。それと、身体との共振というところを、探求しています。
母音の響きって確かに大きいですね。音楽の歌詞によって感じがガラリと違うことからもわかります。私は、「ア」の音が響く歌に共鳴することが多いなって感じます。深層心理としてはもしかすると、「なむあみだぶつ」かもしれませんね。
いちりんさが仰っているように、両方大事なんだと思います。ポジティブな題目と、癒しの念仏。人間には、両方必要ですね。
いちりんさんの「行」の体験、いつ読んでも本当に面白いです。頭で考えずに、体で体感し、心に響かせるっていう感じ、いいなぁって思います。
210
:
犀角独歩
:2002/09/01(日) 11:08
いちりんさん:
3日ばかり、家を空けておりました。
返信が遅れて申し訳ありません。
> こんどのミニオフのときに、もし和室などが借りられれば、そこでいろいろデモンストレーションしてみましょうかね
休み明けである明日、池上会館のほうで部屋を調べ、予約してきますね。
ぜひ、お願いします。楽しみが増えました。
この三日間のうちで、早朝は時間が空いていたので、日蓮宗の大きな寺院の朝勤に参列してみました。
梵鐘を合図に朝の5時半から始まる儀式はなかなか荘厳でした。このお寺では1週間で28品全部を読誦するということでした。その日は神力品でした。道場、勧請、開教と順々に進められ、火打ち石で浄めたあと、ゆっくりと御簾が上がられると御影像がようやくと見えます。やや下を向いたような彫像は堂内を静かに見据えているような面持ちでした。石山などで知っている日蓮の顔とは違っており、聖人という気はしませんでしたが、しかしなかなか雰囲気がありました。その後ろは一塔二尊で、火災であとから補完された部分もあるとのことでしたが、元来、奈良時代の彫刻を使ったものであるというのです。終了後、近くで見せていただきましたが、なかなか秀逸なものでした。
石山の朝勤とは違い、天拝はなく方便品も読まれませんでした。寿量品、自我偈は三度繰り返されて読まれるのですが、この時、信者さんがそれぞれ持参してきた太鼓を叩き、代表の信者さんなのでしょうか、四つの大太鼓に合わせて堂中、太鼓の音が響き渡ります。これがなかなかよかったですね。
神力品も信者さんはすらすら読んでいました。要するに二十八品全部、すらすら読むのでしょう。すごいなと。
キリスト教の牧師さんも何人か一緒に参列していたんですが、終わったあとに、「音楽的だ」と感想を漏らしていました。ですから、「太鼓が、ですか」と訊いたら、「いや、お経も、題目も全部、そう感じました」と言っていましたね。
でも続けて「でもお経って、何を言っているのかわからないですよ。教会の説教と違いますね」というわけです。ですから、「教会は説教の前に賛美歌を歌うでしょう。それから説教ですね。読経・唱題を、その賛美歌の歌のポジションに充ててイメージしてみてください。お経のあとにここでも説教があったでしょう」と言ったら「あ!」とポンと手を打っていました(笑)
読経の音韻は日本ではすっかり失われてしまっていますが、インドではずっと音楽的ですね。こんなイメージを、この前、ちょっと口ずさんでいただいたいちりんさんの読経から、私はイメージできたのです。
まるで逆の視点ですが、この間、ちょっと、大きなコンサートに行ったのです。
あの演出って、現代の宗教だと直感的に感じましたね。光と音の壮大な演出のなかで人々が熱狂し、全員が立ち上がって忘我の熱狂、その中心でスポットライトを浴びて歌い続けるシンガーは、さながら現代の学神に見えたのです。
他で法華経のことをいちりんさんが書かれていますが、あの荒唐無稽の物語。でも文字だけだと音が伝わらないのですが、そこに無数の人々のに読経と大合唱ち、ありとあらゆる楽器の演奏、光の演出が加わっていかないと、その荒唐無稽さというか、迫力は百分の一も理解されないのだろうなと。
いちりんさんもご存じの静岡のあの方と話していたら、日蓮の漫荼羅のアイデアの基になった法華経の記述は、空中に浮く地球大の宝塔に二仏が座り、その周囲を諸尊達、そして無数の菩薩達が右回りに巡り続けている立体的な表現ではないのかとこう仰っていた。そこで奏でられる楽器、日月星辰、自然界の壮大な景色を光の演出のなかで、無数の人々が歌のように合掌する読経の一大ドラマで法華経を見直すと、なかなかどうして、すごい芸術性があると思えたのです。
イメージが貧困だと、やはり、雰囲気は伝わりませんよね。
仏教における音楽がどんなものであるのか、いちりんさんの演奏と歌声(読経・唱題・念仏と言ったほうがよいのでしょうか?)を楽しみにしています。
211
:
アネモネ
:2002/09/01(日) 12:20
横レス失礼します。
犀角独歩さん
>「教会は説教の前に賛美歌を歌うでしょう。それから説教ですね。読経・唱題を、その賛美歌の歌のポジションに充ててイメージしてみてください。お経のあとにここでも説教があったでしょう」と言ったら「あ!」とポンと手を打っていました(笑)
それ、私もピッタリイメージします。勤行で読むだけしかわかってませんが、法華経って特に自我偈は、仏様を讃える讃美歌、まさに「ハレルヤ」だなぁって感じました。
それを全身で表現すれば、とっても音楽的になりますね。
神仏を讃える魂の叫びで、ゴスペルやソウルミュージックにも通じるものだろうと思います。本当に音楽って宗教的だなぁと思います。
音楽と宗教に関して、面白いのをみつけました。
http://www.kumagaya.or.jp/~yoko_c/link_6/p3.html
http://www.kumagaya.or.jp/~yoko_c/link_5/r8.html
http://www.kumagaya.or.jp/~yoko_c/link_5/r7.html
>光と音の壮大な演出のなかで人々が熱狂し、全員が立ち上がって忘我の熱狂、‥
独歩さんがそんなコンサートに行かれるとは、これこそ大変な驚きです。
>日蓮の漫荼羅のアイデアの基になった法華経の記述は、空中に浮く地球大の宝塔に二仏が座り、‥
確か、真言密教の胎蔵界両曼荼羅も顕している世界は、球体だということを聞いたことがあります。
以前、真筆なのかどうかはわかりませんが、まるで日の丸のように円形に認められた御本尊を本で見たことがあります。蒙古襲来のために旗に認められたものでした。その旗がそのまま写真で紹介されており、私はてっきり日の丸を曼荼羅で描いたのだと思ってしまいました。日の丸なら、日輪ですからまさに球体ですが‥。日の丸ではないにしても、顕された世界は球体なんですね。
212
:
犀角独歩
:2002/09/01(日) 18:06
アネモネさん:
> 音楽と宗教に関して、面白いのをみつけました
ここで書かれてあることはそれなりに面白いのですが、このサイトって?
> 真筆なのかどうかはわかりませんが、まるで日の丸のように円形に認められた御本尊を本で見たことがあります。蒙古襲来のために旗に認められたものでした。
なかなかお詳しいですね。以下の漫荼羅ですか?
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/moukotaiji_mandara.jpg
真筆…、じゃないように見えます。
これは球体と見るのは新鮮ですね。
>> 光と音の壮大な演出…
> そんなコンサートに行かれるとは、これこそ大変な驚き
私は一緒に総立ちになって歌を歌ったりしませんよ(笑)
人が熱中しているとどんどん冷静になる習慣が身に付いていますから、そんな群集心理を観察しているだけなんですが。ひょんなことから行くことになりました(笑)
213
:
アネモネ
:2002/09/01(日) 21:51
犀角独歩さん
>ここで書かれてあることはそれなりに面白いのですが、このサイトって?
大変失礼しました。私もよくわかってません。よくよく見てみると、なんかアブナイ感じもするサイトですね。
ただ音楽療法っていうのは、いろんな意味で、精神面でも身体面でも、いいだろうなぁと関心を持っています。その始まりは、もしかして実は宗教にあったりするのかなぁと‥思ったりもします。
>なかなかお詳しいですね。以下の漫荼羅ですか?
確かにこんな感じのものなのですが、私が見たのは、本当の旗(カラー写真のもの)だったんですね。戦のときに立てる幟のようなものだったんです。かなり痛んだ感じでしたが、曼荼羅の図はしっかり残ってました。
>私は一緒に総立ちになって歌を歌ったりしませんよ(笑)
もう少しで、独歩さんのこれまでのイメージを変えねば‥と思ってしまうところでした。(笑)
214
:
犀角独歩
:2002/09/01(日) 22:09
213 アネモネさん:
固定観念をどんどん、刷新していくことは私は大賛成なのですが、こんなことで、変えられてしまっては…、と思いました(笑)
215
:
犀角独歩
:2002/09/02(月) 07:50
やや間が空いていますが訂正です。
【210の訂正】
誤)歌い続けるシンガーは、さながら現代の学神に見えた
正)歌い続けるシンガーは、さながら現代の楽神に見えた
“楽神”=音楽の神様の意味で使いました
216
:
つまけん
:2002/12/20(金) 16:34
みなさん、おひさしぶりです。その節はお世話になりました。
>>110
犀角独歩さん
>個人的なことでいいですから、どんどん、ここで書いたほうがいいですよ。
ありがとうございました。では、図々しくも近況など。。
妻の同意を得て、顕正会に退会届を二人分郵送いたしました。
その前に、顕正新聞は家に届かないよう手を打ちました。退会届は、出しても
会員名簿から削除されない。のは、もちろんわかっているのですが、そのことは
戸籍を汚してしまったようでご先祖様に申し訳ない気持ちです。古い言葉ですが(笑
なお、会及び上長からは何のリアクションも無く拍子抜けしている状態です。
いま、妻はある障害者団体(小規模ボランティア集団)の役員として忙しい毎日を
送っています。
重度の知的障害を持つ我が子ですが、幸い、丈夫な体と周りの先生方にも恵まれ
言葉は出ませんが、毎日うれしそうに学校に通っています。
勇気を出してこちらにカキコして本当に良かったと思っております。
ありがとうございました。
217
:
犀角独歩
:2002/12/20(金) 18:01
つまけんさん:
なんだか、お久しぶりですね。
皆さん、元気そうで、何よりです。
偶然というのも変ですが、私も本日、午前中から重度心身障害児施設のクリスマスパーティーに呼ばれて参加してきました。先ほども、そのことをある方にメールで記したのですが「どうして、あの子たちはあんなに汚れない心を持っているのでしょうね。そして、あの笑顔、思わず、手を合わせたくなります」と改めて思いました。
つまけんさんのお子さんの笑顔と元気が見えるようだと思いながら、うれしく思い、まずはレスさせていただきました。ご近況を読ませていただき、心が暖まりました。
218
:
五月雨
:2002/12/21(土) 12:03
つまけんさん
お久し振りです、この度は良いご報告を読ませて頂きました。
奥様とお二人で退会届を郵送されて、本当に良かったですね。
>なお、会及び上長からは何のリアクションも無く拍子抜けしている状態です。
カルトのひとつの特徴の中に組織を出て行った人間には「無関心」というのがあると何かで読んだ記憶があります。私も学会、法華講の組織を出た時に経験がありますので、きっとカルトの特徴が出ているのでしょう。万一彼らが何らかのアプローチをしてきても、無視すればいいと思います。
>重度の知的障害を持つ我が子ですが、幸い、丈夫な体と周りの先生方にも恵まれ言葉は出ませんが、毎日うれしそうに学校に通っています。
お子さんも楽しく学校に通われているようで、何よりです。
お父様とお母様の愛情に包まれるお子さんの幸せそうなお姿が目に浮かびます。
私も障害者として生まれてきて一番感じるのは、親の愛情です。昔のことですから家に障害者がいるのは負い目のある時代でした。それは親の苛立ちをよんだのでしょう、私はいつも思っていました。「身体は不自由でも、愛のある温かい家庭があれば私は救われるのに」と。
つまけんさんのお家には溢れんばかりの愛情があるとお見受け致します。それだけで充分ですね。
宗教は頼るものではないし、ましてや奇跡などある筈もないことを奥様もお分かりになったと思います。何でもやってみなければ分りませんから、今回のことはいいお勉強になったのではないでしょうか。
これからも奥様と二人三脚で頑張って下さい。
219
:
トゴシ
:2002/12/22(日) 22:19
やめたつまけんさんは、まともに見える、これ、普通の感覚。うん。
ヨカッタね。
やめるやめないは個人の自由。けど、やめた人、ほめるとまた、なんだかんだとまた騒ぎになんのかな。
やっている人間のほうが偉くて、正しいんだていう考えがまかり通るのおっかないね。
220
:
菊水護国
:2002/12/23(月) 12:13
つまけんさん
脱会届について
確かに、名簿からは抜かれませんが、既に顕正会の入会と脱会のいい加減さは、文科省でも認識してますから、御心配なく。
多分、顕正会が問題を起こしても、名簿上の会員に何かが起こることは法的にも実質的にもありません。
しかし、脱会届の写しは取っておいたほうが良いですよ。
223
:
落ちこぼれ次郎
:2003/03/28(金) 20:45
カルトと不明のまま、加入するのが一般的かと、、? フランスでは「明確に”SGI”はカルト」と断定されておるようです、、。
ガンコなフランスですが「マスコミの主張」もなかなか「ど根性」があるようです、、。
ソデの下の「ワイロ」で屈しない「鍛え上げた民主主義」の素養のたまものでしょうか、、。
224
:
落ちこぼれ虎次郎
:2003/03/28(金) 22:05
現今は、鎌倉時代の非民主時代ではない、、。 いくらでも、努力すれば「自分の求める情報」は取得可能、、。
しかるに「他人まかせの”無責任”の引きずり」とも言える「ダマサレ」は「自業自得」と断是ざるを得ない、。
225
:
その辺の寅五郎
:2003/03/31(月) 23:26
自業自得とはキツイお言葉、、、。 人は皆「それなりに生きざるを得ません」。
人後を「是」とせざるをえない「落ちこぼれの自分」は「テメーの責任でなった自得」と断言されますと、、情けない「心」だけがのこります、、。
世の中は、なかなか賢い方もいるようです。 やはり「他人をダマス方」が責任が重いかと、、?? ただ、何回も拝む対象の「本尊」を変化・変遷されても「?ともおもわず、疑問も発せず」という「消極的な態度」には??でしょう、、。 各人の「成仏」の可否が左右され得ない現実を「重視」されてしかるべきでしょうか、、。
226
:
五月雨
:2003/03/31(月) 23:40
仲村英彰さん、落ちこぼれ虎次郎さん、その辺の寅五郎さん、はじめまして。
明日の晩のハンドルネームが楽しみです(^^)
ところで、
>各人の「成仏」の可否が左右され得ない現実を「重視」されてしかるべきでしょうか、、。
「成仏」の可否の成仏とはどんな状態を意味しているのですか。私は今日一日即身成仏について考えていたのですが、まだ答えが見付かっていません。
その辺の寅五郎さんがここに書かれた成仏はどんな意味合いがあるのでしょうか。
227
:
その辺の寅五郎
:2003/04/01(火) 00:28
キツイ、レスポンスどうも、、。 正信会当時「成仏出来るのは、ワガ方だけ、、」と洗脳された後遺症でしょうか、、。 その逆の「正法をけなすのは堕地獄の因」だと「洗脳」もされたものです。 何が「正法」で「何が謀法」かは各派でも「見解の相違」があるようです、。 しかしながら「宗教の存在の意義??」とは=「個人が金を払っても”その教団にスガル”のは一体全体??なぜ??」でしょうか?? 醜い汚い人間界でも、修行次第でとうたつ可能と言われる「最高・最大の”仏”の境涯なるものを体感」したいと感ずるのも自然でしょうか、。
その「成仏」とは一体いかなる「どういう心理状態??」かについては、日蓮サンの行動から学ぶ「必要」はありましょうか、、?? ワシも「成仏」とは???です、、。
228
:
五月雨
:2003/04/01(火) 23:41
きついレスでしたか、ごめんなさい。
関西人なものですから、ちょっといちびってしまいました(^^;
頂いたご返事は、とても示唆に富んでいますね。
落ちこぼれ次郎さんは、今は信心に疑問を持たれていて、何が真理なのかを探しておられる最中でしょうか。もしそうであれば私も同様です。でも簡単には見付かりそうにはありませんね。
229
:
地獄しか知らぬ者
:2003/04/02(水) 23:17
初めまして、とてもご参考になります、、。 「最高の”仏”の心境を体得して、外に向けての”体現”を実践」している方々には、是非お会いしたいものです、。 「仏」の境涯とはなんと、麗しいお言葉でしょうか、、。 私には「3億円のジャンボ宝クジ」のようにおもえます、、。 「仏を成就」するというお話の、ズーット以前から「人生の塗炭の苦悩の”最悪の地獄の苦悩”だけは」体感を余儀なく続けています。 教えて欲しいのは「本当の”地獄からの脱出方”のみ」でございます、。 これへのカギとは?? その可能性大なる「久遠の本門の教主”釈尊”様の流れを継続する”本門・本因妙の南無妙法蓮華経”を、日蓮が第一に発見」しましたようです、、。 したらば「その後の我らは”どの本尊に対して、どのように振る舞えば”成就仏身」ができるのでしょうか、?? どなたか御教授の程を何とぞ宜しく、、。
230
:
アンタッチャブル
:2003/04/08(火) 21:03
ここが、よろしおま。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/
231
:
伊野 健太
:2004/10/22(金) 14:15
久しぶりに、講頭さんと会い夕食をした後に、健康食品を相手に勧めると
ポイントが自分に入り、それでビジネスも出来るという六本木にある泉ガー
デンタワー35Fのナチュラ○ープラ○というネットワークビジネスをしてい
る本社に行きました。妻も一緒にいましたので興味もありつつ、その場で契
約してましたが、講中の大半の方が契約していると聞かされ、お付き合いの
為だと妻は言っていました。以前私も、アムウェーイを友人に勧められまし
たが、ねずみ講みたいなやり口が気に入らず契約はしませんでした。
組織を利用したトラブルは、やはり問題かなと思いつつ・・・
232
:
古山 学
:2004/10/26(火) 21:38
初めまして、 さて本題に帰って見ますと、知人、友人、肉親方が某カルトに御執心のかかわりの在る方々は意外と多いようです、。 「信教の自由」という大儀からは当然ですか。 しかし「自由」には義務履行と結果責任が存在するようです。 特に「結果責任」はイコール「自己責任」に通じるようです。 たとえば、国策で宣揚された「満州義勇軍と満蒙開拓団」の足取りをジックリと考察すると、原因から〜〜結果までの様子がハッキリ致しますか、と存じます。 某S会の行く末も「模擬的」に推察が出来るようです。御免ください。
233
:
仲西 牡丹江
:2004/10/28(木) 21:30
、、、ごもっともです、。 今、、「、赤い月、」(中西 礼著)を思い出しました、。 誤った国策を「判断不可」の庶民の限界点を感じる次第、。
いつもいつも「犠牲」になるのは、、、貧乏民の我々のようですネ、、。 御免下さい、。 早々。
234
:
悲嘆 感得者
:2004/12/09(木) 19:11
ドーモです。 「赤い月」(なかにし 礼著 新潮文庫)(下)の360ページに命カラガラ生き延びて帰還船にヤットコサ乗船して、出帆寸前の吐露===「、、満州のバカヤローーーーー!!!!!!!、、、」という、お言葉、、、、には、万感のだまされたという、とても悔しい心情が999%ほど含蓄されていますようです。 今後、、 「S会こそ命」と信じて数十年も励んできた方々が、近い将来に「、、S会のバカヤローーーー、〇〇のバカヤロー、、」という再現到来に関しましては、???でしょうか、、???
235
:
仲西 牡丹江
:2004/12/28(火) 10:16
失礼しました。 真実を覆い隠しウソと謀略の犠牲になるのは「貧富は問わ無い」のが正解のようです。本当の姿を隠すダマシこそ最大の「悪」かと思います。
236
:
有坂
:2006/03/21(火) 22:33:37
私の妻が今年の1月ころ顕正?にハマリ 2月半ば頃から、別居しています。
宗教について私なりに調べましたが、マインド・コントロールにかかり、会話になりません
妻は妊娠6ヶ月歳は33歳です。
今は末法について話ています。「釈迦の入滅後2000年後が末法でその時代に、杖で叩かれ
刀で切られ、島送りになり、いきているのは日蓮上人ただ一人、この人が、釈迦の教えを正しく
広める」と言うので
私は、「釈迦の入滅後2000年後が末法なのに日蓮上人は末法の時代に生まれていないよ?」
と言って、脱会させたいのですが
なにか良い手立てがあれば、教えてください。
237
:
顕正居士
:2006/03/23(木) 03:08:13
顕正会については次のサイトをとりあえず推薦します。
「宗教法人顕正会」の宗教被害を考える
http://saiou-horse.hp.infoseek.co.jp/
対立する宗教団体によるものではない希少なサイトです。
世間でカルトと称される宗教団体の信者に教義論争を挑んで脱会させることは、教義に通暁した
人であっても無理です。ましてにわか勉強ではぜんぜん無理でしょう。キリスト教系カルトでは
「デ・プログラミング」という手法があり、それなりに効果を挙げていますが、それは対象者の自由
を一定期間拘束し、当該カルト教団の教義に通暁した専門の神学者がおこなうものです。
そしてその神学者は当該カルト教団の教義に比較的類似した準カルト教団の人であることが多い。
日蓮正宗系カルトの場合にはキリスト教系カルトと異なり、時間をかけて納得させ、そして入信
させるのではありません。まず入信させ、その後にさまざまな活動に誘引します。顕正会の場合、
10人に9人は数か月か1年の間に自然脱会するものと想像されます。
生半可な教義論争はかえって信念を強固にする可能性が高いので、とりあえず控えたほうがよい
でしょう。
238
:
再挑戦者
:2006/12/15(金) 20:32:17
失礼します。 カルト、、は洗脳、と言う側面的精神後遺症、、のようでしょうか、?
今、社会では再発防止にたいして有効な対策がなされていましょうか、?
本当に心配でございます、。 (「イケダ先生の世界」B・フルホード、宝島社、「さようなら、サイレント・ネイビー」伊東 乾、集英社)より。
239
:
犀角独歩
:2006/12/16(土) 08:24:13
再挑戦者さん
アンテナが高いですね、開高健賞をとった伊東師を早々に上げるとは。
この方には、先日、お会いしました。
これからの日本の宗教を根本から覆す人物であると思いました。
わたしは35年に亘る「日蓮正宗創価学会」という自分史を、彫刻本尊の鑑別をもって50年を節目に偽と決し、さらに破壊的カルト・マインド・コントロール、スピリチュアル・アビューズといった側面から分析を通じて、実践の場でやってきたことから、自分の宗教問題の整理は畢えたと思っていました。しかし、伊東師の話を聞き、もう既に新しい宗教の動向 … いまだ言語化に戸惑っていますが …が始まっていることを実感し、正直、鳥肌が立つ思いがしました。21世紀の中盤から22世紀に向けて、また、考え出さなければいけないと溜息をつきました。
240
:
再挑戦者
:2006/12/17(日) 18:50:00
失礼します、、。 独歩さまからの御提言には、、正直、仰天です、。
伊東 氏がドンナ野望を抱いているのかは、小生には不明でした、。 只、、「、、2.26事件以降の、、動向に関しての分析には、それなりに説得力を感じましたしだいです、、。
世間での「きれいに責任を取る、、!!とは一見、美しい」ようだが、それ以降の再発防止には”屁のツッパリにもならない”、、という点には共感いたしましたが、、。 それ以上の何かの含みは、直接の接見可能な方方のご判断をご参考にせざるを得ません、、。 有難うございました、、。
241
:
犀角独歩
:2006/12/17(日) 23:30:51
再挑戦者さん
いやいや、伊東先生が「野望」を懐いているといっては失礼に当たります。
ただ、あの方は、今後の宗教を変えるに足りる力を持っているとは思います。
静岡県立大学でJSCPRの公開シンポジウムがあったのですが、ここで恐怖感が、前頭葉の血流を不足させることを科学的に証明していました。
一方、瞑想などの神経集中は、その反対の効果もあることも証していました。
その上で、師が提言したのは「気づき」ということでした。
師の名誉のために以上、申し上げておきます。
242
:
再挑戦者
:2006/12/21(木) 22:07:03
早速の言、、御心労、、など、、ドーモ、、です、、。
さすが、核心を、、有難う御座います、、。
確かに、「、、心地良い、流れには前頭葉の血流も増大しましょう、、、」、その一点の的を狙えば「、、早いものが、、勝つ、、」、、が成立でしょうか、、。 問題は、、「、、既に、洗脳されてしまった後に、、ドウヤッテ、、自己の自覚を回復・維持を、、保ち続ける、、??」、、じゃ、、のようでしょうか、。
人は、一見、強い、?、ようでも、意外にも簡単に、死んでしまいますようです、?
このような吹けば飛ぶような、、弱い、?、、人、我ら、が、、いかにすれば、??、「、ホトケ、仏、、?、、」、と言う、の最大・心境、、?、、に達する道は、、?? はたして、、??? 期待は致しまするが、、?? 愚問でした、、。
243
:
ひきこもり
:2006/12/23(土) 22:13:21
私も「再挑戦者」と同じですが、創価はカルトですか?w
244
:
ひきこもり
:2006/12/23(土) 22:20:55
創価の実体はカルトではないでしょう。
過去の信心を徹底しないと動物に生まれ変わるとか。そう言うことは言わないでしょう。
245
:
犀角独歩
:2006/12/23(土) 23:37:25
ひここもりさん、あなたは、図書館に行って、創価学会発行のできるだけ、古い版の『折伏教典』に何が書かれていたか、しっかりと確認されたほうがよいでしょう。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1025319918/62
246
:
犀角独歩
:2006/12/24(日) 11:40:38
おっと、お名前を間違えました。
ひきこもりさん、失礼しました。
247
:
再挑戦者
:2007/01/22(月) 19:01:51
カルト とは ? でしょうか ?
あのオーム教の教祖が地面から浮遊した宣伝は 、? サスガでした、。
現実には有り得ない 事を、 我が方 の 信仰 では 可能 、?? だと、言う ごまかし と トリック がスンナリと通る世界かと、存知 まするが、、。
人は、 何回でも ダマサレ、、、何回も、、屈辱を、、 味わう ようでしょうか 、、。 トホホ、、!!!! ク、、ッソーーー !!! メチャ、、腹
が立つ
バイ !!!
248
:
東条英機
:2007/04/09(月) 14:14:28
おもしろいサイトなのでレスします!
宗教自体すべてカルトです。歴史が証明しています、特に念仏、法華はカルトとして日本の
歴史に燦然と輝いていますね。宗教で政治経済、外交、他の諸問題は解決しません
どころかますます問題をめちゃめちゃにしちゃいます。
249
:
富士川一郎
:2007/04/11(水) 17:53:58
突然ですが
東条英機さん、一国の罪業を背負って、亡くなった方の名前をHNとするのは、死者を冒涜(茶化す)するような行為ですので、おやめになった方が宜しいと思います。
さて本題ですが、カルトの定義自体が定まっていないので、宗教=カルトとするのは不正確ですね。
カルトはラテン語の「colere」から派生した言葉で、「宗教色の強い文化活動を意味する言葉」でありますが、儀式や崇拝を意味したり、破壊的カルトと混同したり色々です。
そもそもカルトという言葉自体が比較的に新しい用語ですから、これを全てに当てはめるのは良くありませんね。
世間では「これは○○である」と決めつけることを「レッテルを貼る」「ラベリングする」と申しまして、極めて悪質な行為であります。
もう少し、考察して投稿なさっては如何でしょうか?
250
:
東条英機
:2007/04/13(金) 21:56:50
富士川一郎さん
はじめまして、一国の罪業とは何ですか?
ちなみに業とは訓読みはごう、音読みはぎょうですね、意味はつくるですね、確認しますね!
1925年選挙法改正により25歳以上の全男子に選挙権が与えられました、
ここから侵略戦争の準備がはじまりました、東条英機も侵略戦争の準備をつくってきた一人です!
背負ってはいません、
背負うとつくってきたは違いますね!
見解の相違なのでしょうか、それとも日本の高校、大学は出身学校で教える事が違うのでしょうか?
251
:
しゅんかん
:2007/04/14(土) 23:00:56
横レス、失礼致します。
東条英機さん
はじめまして、しゅんかんと申します。
東条英機をHNで使用される意を少しでも記して戴けると誤解が解けるかもしれませんよ。
私が理解しました富士川一郎さんの意は。
世の中には歴史上の東條英機氏(第40代内閣総理大臣)を否定する方もおられれば、
肯定する方もおられます。この両者の方々はそれ相応の東條英機観をお持ちと思われます、
彼らの意を踏まえて東条英機とHNに使用するのはおやめになられては?とおっしゃられたのだと思いますよ。
貴方は富士川一郎さんへ、「はじめまして」と記されておられますね、お互いに相手の事を余り理解されておられない
事が読み取れます。
そこで
>それとも日本の高校、大学は出身学校で教える事が違うのでしょうか?
〇これは、算術ではないのですから教師の裁量でありえると思いますが。
(左系)(右系)教師によって歴史認識の差が在りますからね。
ですが、先にも記しました様にお互いを余り存じ上げておられない理由ですから、この文を
富士川一郎さんに充てるのは失礼ではないでしょうか。
富士川一郎さん
はじめまして、しゅんかんと申します。
でしゃばってすいませんでした。
252
:
東条英機
:2007/04/18(水) 17:06:06
しゅんかんさん
はじめまして
『〇これは、算術ではないのですから教師の裁量でありえると思いますが。
(左系)(右系)教師によって歴史認識の差が在りますからね。
ですが、先にも記しました様にお互いを余り存じ上げておられない理由ですから、この文を
富士川一郎さんに充てるのは失礼ではないでしょうか。』
とても公平かつ中立な立場からの
『富士川一郎さん
はじめまして、しゅんかんと申します。
でしゃばってすいませんでした。』
ではありませんね!?
253
:
しゅんかん
:2007/04/18(水) 22:10:37
東条英機さん
お返事有難うございます。
私は常々、文字のみに依るので(文字に抑揚は無いので)他者を傷つけまいかと注意を払って
記させて頂いているつもりです。
ですが、議論をして下さっているお方に、誤解を抱かせる様な文を記す事も多々在る事は
認識しており反省する事常でございますm(._.)m(物書きのお方は本当にえらいな〜)
>とても公平かつ中立な立場からの
『富士川一郎さん
はじめまして、しゅんかんと申します。
でしゃばってすいませんでした。』
ではありませんね!?
〇私は浅学です。記されている文の意を読み取る事は出来ません、文の奥などなおさらです。
上記の意は私には理解しかねるのですが、私なりに了解した意を記させて頂きます。
富士川一郎さん(胸中)[しゅんかんの思考]
「しゅんかんとやらは何を頓珍漢な事を云っているのか、私の意を得ておらぬ(怒)」
と、云う事を懸念しての「でしゃばってすいませんでした」だったのですが。
東条英機さん、富士川一郎さん、誠に申し訳ございませんでした。
こちらの板は(配偶者がカルトに入ったらどうしますか)
ですから、他のお方のご迷惑に成りますので、
東条英機さんのHN使用及び、東條英機(第40代内閣総理大臣)論に関しての、
私の投稿はこれにて控えさせて戴きます。
東条英機さんのHNで使用される意、知りたいな〜。
254
:
つまけん
:2007/12/04(火) 23:18:50
5年ぶりになりますか?
皆様お久しぶりです。その節は大変お世話になりました。
さて・・・なにか近況でも良いことを書こうと思ってましたが特にありません。
普通に幸せってとこですかね?あの時のあれはなんだったんだろう。って感じ
です、もうあれには関わりたくはないですが懐かしい。
そんなわけで本当にありがとうございました。独歩さん、また来ます。
255
:
犀角独歩
:2007/12/05(水) 04:22:28
つまけんさん
お久しぶりですね。もう5年にもなりますか。
お幸せそうで何よりです。
256
:
新
:2007/12/07(金) 21:11:54
いじめ撃退法
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