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配偶者がカルトに入ったらどうしますか
210
:
犀角独歩
:2002/09/01(日) 11:08
いちりんさん:
3日ばかり、家を空けておりました。
返信が遅れて申し訳ありません。
> こんどのミニオフのときに、もし和室などが借りられれば、そこでいろいろデモンストレーションしてみましょうかね
休み明けである明日、池上会館のほうで部屋を調べ、予約してきますね。
ぜひ、お願いします。楽しみが増えました。
この三日間のうちで、早朝は時間が空いていたので、日蓮宗の大きな寺院の朝勤に参列してみました。
梵鐘を合図に朝の5時半から始まる儀式はなかなか荘厳でした。このお寺では1週間で28品全部を読誦するということでした。その日は神力品でした。道場、勧請、開教と順々に進められ、火打ち石で浄めたあと、ゆっくりと御簾が上がられると御影像がようやくと見えます。やや下を向いたような彫像は堂内を静かに見据えているような面持ちでした。石山などで知っている日蓮の顔とは違っており、聖人という気はしませんでしたが、しかしなかなか雰囲気がありました。その後ろは一塔二尊で、火災であとから補完された部分もあるとのことでしたが、元来、奈良時代の彫刻を使ったものであるというのです。終了後、近くで見せていただきましたが、なかなか秀逸なものでした。
石山の朝勤とは違い、天拝はなく方便品も読まれませんでした。寿量品、自我偈は三度繰り返されて読まれるのですが、この時、信者さんがそれぞれ持参してきた太鼓を叩き、代表の信者さんなのでしょうか、四つの大太鼓に合わせて堂中、太鼓の音が響き渡ります。これがなかなかよかったですね。
神力品も信者さんはすらすら読んでいました。要するに二十八品全部、すらすら読むのでしょう。すごいなと。
キリスト教の牧師さんも何人か一緒に参列していたんですが、終わったあとに、「音楽的だ」と感想を漏らしていました。ですから、「太鼓が、ですか」と訊いたら、「いや、お経も、題目も全部、そう感じました」と言っていましたね。
でも続けて「でもお経って、何を言っているのかわからないですよ。教会の説教と違いますね」というわけです。ですから、「教会は説教の前に賛美歌を歌うでしょう。それから説教ですね。読経・唱題を、その賛美歌の歌のポジションに充ててイメージしてみてください。お経のあとにここでも説教があったでしょう」と言ったら「あ!」とポンと手を打っていました(笑)
読経の音韻は日本ではすっかり失われてしまっていますが、インドではずっと音楽的ですね。こんなイメージを、この前、ちょっと口ずさんでいただいたいちりんさんの読経から、私はイメージできたのです。
まるで逆の視点ですが、この間、ちょっと、大きなコンサートに行ったのです。
あの演出って、現代の宗教だと直感的に感じましたね。光と音の壮大な演出のなかで人々が熱狂し、全員が立ち上がって忘我の熱狂、その中心でスポットライトを浴びて歌い続けるシンガーは、さながら現代の学神に見えたのです。
他で法華経のことをいちりんさんが書かれていますが、あの荒唐無稽の物語。でも文字だけだと音が伝わらないのですが、そこに無数の人々のに読経と大合唱ち、ありとあらゆる楽器の演奏、光の演出が加わっていかないと、その荒唐無稽さというか、迫力は百分の一も理解されないのだろうなと。
いちりんさんもご存じの静岡のあの方と話していたら、日蓮の漫荼羅のアイデアの基になった法華経の記述は、空中に浮く地球大の宝塔に二仏が座り、その周囲を諸尊達、そして無数の菩薩達が右回りに巡り続けている立体的な表現ではないのかとこう仰っていた。そこで奏でられる楽器、日月星辰、自然界の壮大な景色を光の演出のなかで、無数の人々が歌のように合掌する読経の一大ドラマで法華経を見直すと、なかなかどうして、すごい芸術性があると思えたのです。
イメージが貧困だと、やはり、雰囲気は伝わりませんよね。
仏教における音楽がどんなものであるのか、いちりんさんの演奏と歌声(読経・唱題・念仏と言ったほうがよいのでしょうか?)を楽しみにしています。
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