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素朴な疑問
3626
:
マターリ
:2008/03/08(土) 09:31:40
>顕正居士さん、詳しく教えていただきまして、ありがとうございます。
身分には、学生・堂衆・堂僧があり、日蓮は、その中間的な身分だった
んですね。
学生は、相当な身分の方ということですので、日蓮は該当しないようで
す。
3627
:
顕正居士
:2008/03/08(土) 12:51:59
なお年分度者というのは律令時代に行なわれていた制度で定員は年に10名で
国家試験に合格した者です。官僧といい官費が支給される役人です。これ以外
はすべて私度僧です。天台宗は年2名(顕・密各専攻)の枠が与えられました。
3628
:
犀角独歩
:2008/03/09(日) 07:31:34
外出しており、やや、間を置いたレス失礼いたします。
また、顕正居士さんのいつもながら秀逸なご教示、横から拝読し勉強になりました。御礼申し上げます。
> 比叡山・延暦寺からみた、日蓮聖人に対する評価
これは時代によって、ずいぶんと変化があるのだろう思えます。
わたしが資料を渉猟してうなったのは『破日蓮義』でした。これは、中世の日蓮党に関する延暦寺の考えを示す一つの資料といえるのではないでしょうか。また、ここでは日蓮側はまったく敗退しています。一部ですが、わたしのHPにアップしています。
『破日蓮義』
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/hanitirengi.html
しかし、近代の天台宗と日蓮宗は、こうした対決的な歪みはなく強調しあっているように見えます。その好例が清澄寺の、天台宗から日蓮宗へ寄贈であったり、また、先に出版された『始唱黎明』(横川定光院護持顕正会)といった写真集をみても、その友好ぶりは観察できます。
3629
:
独学徒
:2008/03/09(日) 10:48:35
犀角独歩さん、天台宗側の日蓮評価ですが、昨年の1月に富士教学研究会のブログで紹介しました、『心慶筆「宗要集雑帖私見聞」』も祖滅後そう下らない時代(1317年)の天台宗側の日蓮評価を垣間見ることが出来ると思います。
http://fujikyougaku.blog22.fc2.com/blog-entry-38.html
また『破日蓮義』に対する日蓮宗側の反論は、日蓮聖人註画讃で有名な円明院日澄の『日出台隠記』の一部が、法妙教会のHPにアップされています。
http://www.homyou.hello-work.jp/siryou1.html
しかし「横川定光院護持顕正会」とは、どこぞの団体のせいで、最後の三文字が妙に気になりますね。
3630
:
犀角独歩
:2008/03/09(日) 11:33:18
独学徒さん
有り難うございます。
まず、訂正。「定光院護持顕正会」は「定光院護持顕彰会」の間違いでした。わたしらしいミスでした(笑)
『破日蓮義』の全文をもっていたのですが、いまそれが見当たりません。
ご紹介のページや、わたしの抜き書きは、問答中、安楽行品に係るところとなっていますが、圓信の突っ込みは、冒頭から強烈であったと記憶しています。
うる覚えですが…、要は日蓮党が「法華宗」と名乗るとは何事か。
法華宗とは伝教大師が、大陸で灌頂を受け、授かってきたからこそ、名乗れることである。また、日蓮党が引用する法華六大部ことごとく、法華宗(天台宗)が中国法華宗から授かってきたものだ。その相伝者でもない日蓮党が、何をもってこれを引用し、文章とすることができるのか、といった調子です。この点は摂折論においても同様で、これは天台義であって、その正統な継承でもない日蓮党などお呼びでないといった論調です。
原文がいま手許にないので、圓信は「相承」としたか「相伝」としたか確認できませんが、ともかく、「経巻相承批判」といったところです。法華宗でもないものが、勝手に法華宗の名と、章釈を使うなということです。…これは手厳しいところです。また、至極ごもっともなご意見と、わたしは受け取りました。
石山も、経巻相承批判を口にしますが、天台宗からすれば、天に唾する類ということになるのでしょうね。
3631
:
犀角独歩
:2008/03/09(日) 11:36:30
【3630の訂正】
誤)文章とすることができるのか
正)文証とすることができるのか
3632
:
独学徒
:2008/03/09(日) 20:44:19
犀角独歩さん、
>「定光院護持顕正会」は「定光院護持顕彰会」の間違い・・・
なぜかホッとしました。(笑)
>圓信は「相承」としたか「相伝」
原文は相承となっています。
『破日蓮義』、『日出台隠記』ともに長編なので、全文アップは確かに労作業ですね。
談義所2の方に、少しずつでも、両著をアップしたいと思うのですが、ハードディスクもかなりきつくなってきまして、そろそろパソコン内も整理しなければと思っています。
私は、かなり以前に、大日本仏教全書に掲載の両著をコピーしたのですが、今となっては、何巻に出ていたか思い出せません。
3633
:
犀角独歩
:2008/03/09(日) 21:50:59
独学徒さん、有り難うございます。
そうでしたか。「相承」でしたか。わたしは、圓信、けっこう好きです。
もちろん、祖師日蓮も好きですが、そのあとの日蓮党へのつっこみ、なかなかのものですよね(笑)
ぜひともアップしてください。『破日蓮義』は簡単な漢文ですから、原文のままでいいと思いますよ。
3634
:
天蓋真鏡
:2008/03/11(火) 18:37:26
私は私達は日本人は 空海と台密の相違 日蓮と日蓮宗の相違 三国四師の相違 を見極めずに 21世紀まで来てしまったのですね
3635
:
マターリ
:2008/03/15(土) 18:34:58
>犀角独歩さん、独学徒さん、いろいろ教えていただき、ありがとうござ
います。遅レスで申し訳ありません。『破日蓮義』を拝読しました。
日蓮党は、天台大師の摩訶止観を中心に反論しているようですが、やや
説得力に欠けているように思います。
日蓮が原始仏教や小乗経に巡り会ってさえいたら、と、ため息が出ます。
『心慶筆「宗要集雑帖私見聞」』を拝見しましたが、日蓮も言葉につまっ
たとのことで、とてもリアリティーがありました。
『日出台隠記』での円明日澄上人からの反論も、天台大師の摩訶止観が中
心のようで、あまり心に響きませんでした。
日蓮が、四安楽行を無視または軽視したのは、天台大師の影響と思います
が、これを重視さえしていれば、その後700年間における無数の殉難者を
出さずにすむことができたのではないでしょうか?
西暦1世紀に法華経を執筆したのは、インド・ガンダーラ地方の僧か在家
だと聞いています。彼らの心情を察するに、とにかく苦労して書いた法華
経を未来に残して欲しいと思ったでしょう。そのためには、法華経教団が
難に会って壊滅したのでは、元も子もありません。
法華経の経典だけ残っても、伝える人がいなくなっては何にもなりません。
必死の思いで、安楽行品を書いたものと思っています。
3636
:
顕正居士
:2008/03/16(日) 05:00:34
智邈も湛然も安楽行品を末法の方軌としています(中国の末法は日本より500年早い)。
これは法華経の結構上からそうでしかあり得ないですし。不軽品は特異な物語ですが
これも精神的に四安楽行に包括されると解釈しています。この板でも論じられました。
一切経金口の建前から涅槃経の聖戦思想(武力折伏)も認めていますが、安楽行と
異なる方軌があってそれが折伏だとかいうのではない。智邈は経説を最終的には自己
の一念の現象に帰着させますから、涅槃経の折伏を自心の有への執着を打破する喩え
とし法華経の非暴力思想と矛盾しないように解釈したようであります。
3637
:
顕正居士
:2008/03/16(日) 05:19:04
今日でも日本仏教諸宗派とチベット仏教ニンマ派以外は具足戒を堅持しています。
だから中国で聖戦思想が肯定されることはあり得ない。対して日本仏教では最澄
が具足戒を放棄しすぐに比叡山は殺人まで肯定する無戒状態になった。その現状
を追認するために末法灯明記が制作され智邈や湛然の断片を文脈を無視して引用
するようにもなった。その現状追認の伝統に日蓮は染まっており、宗教戦争を排除
しようとした鎌倉政権と衝突することになった。三大秘法の一である戒壇に何らの
詳説を残せなかった理由です(三秘抄は比叡山からの独立問題が起こってからの
制作と想定)。
3638
:
犀角独歩
:2008/03/16(日) 08:39:21
マターリさん
顕正居士さんの含蓄に富むご投稿がありましたので、わたしが記すことはないのですが、お声掛けをいただいたので、少しだけ。
『法華経』を創作した人々は、わたしは在家で菩薩を志向した人々であったと思います。また僧侶が住まう僧院のような基地に依らない人々ではなかったかと考えています。
顕正居士さんが仰るとおり、法華六大部を通読する限り、智邈は自分の生きている時代を末法であると認識し、僧侶の立場から、安楽行・不軽行を摂受として、我が身に宛てていました。涅槃を綜合し、為政者が法華涅槃を法制として、一闡提の武力統制=涅槃/折伏=法華を肯定した二極論もあります。やや、この点で付言すれば、智邈の思惟では、一経は、摂折両論を具すというコンセプトを有しています。
顕正居士さんのお言葉を借用すればこの「聖戦」思想は、しかし、最澄の具足戒放棄は、ひいては殺人思想の肯定の現場となり、武装が当然のこととなってしまった。
日蓮は聖戦肯定の立場でしたが、王と僧の役割の相違を『本尊抄』に「当知此四菩薩現折伏時成賢王誡責愚王 行摂受時成僧弘持正法」と述べたのでしょう。ところが日蓮以後の日蓮党は、軈て不軽・折伏論をいった後代解釈が僧侶の聖戦思想を鼓舞するようになった。こうした経緯を受けて、法華宗(天台宗)からの警鐘が『破日蓮義』のような形で為されていったのではないでしょうか。この時代の日蓮党は既に不軽・安楽・摂受といった本来の教学を読み違えていた人々であり、その系譜は本日に至るまで、日蓮党に胚胎し続け、いずこの時代も、信・不信の二極論から後者を攻撃することを正義であるといった倒錯が繰り返されています。愚かなことです。
3639
:
顕正居士
:2008/03/16(日) 20:55:28
戒律を戒と律に分ければ戒は道徳、律は法律です。具足戒を放棄するということは
菩薩戒という道徳はあるがサンガの法律はないということです。在家信者ならば
世俗の法律があります。僧院には及びませんから、こちらは何事も武闘で決着する。
要するに暴力団と同じ世界ですね。鎌倉政権は関東の寺院には武装を禁止していた。
日蓮は武闘当たり前の関西の常識を持ち込んだ。また北条政権は信仰自由の方向
に社会を進歩させようとした。日蓮は比叡山などの神聖権力は新興の称名念仏、
祖師禅の禁止などを朝廷や幕府に強要できる権利があると考えていた。
だがやがて幕府は崩壊し関東も関西同様に戦国の世に移行します。比叡山、興福寺
雑賀寺、本願寺などは有力戦国大名並の武力を備えるに至った。日蓮宗は諸派に
分かれていたために信者は多かったが武力が分散しており法華の乱では比叡山兵
に完全に打倒された。この永遠の宗教戦争の世界は最後で最大の合戦、信長対顕如
10年戦争の後、宗教権力が遂に世俗権力に降伏し、日本では欧州より早く信仰自由の
社会が実現しました。
3640
:
マターリ
:2008/03/16(日) 21:11:26
>顕正居士さん、犀角独歩さん、教えていただき、ありがとうございます。
智邈が、法華経の四安楽行・非暴力思想を重視していたのに、最澄の影響
で、比叡山が無戒の山となり、それに影響された日蓮が「聖戦」を肯定す
る思想になってしまったのですね。
また、日蓮は、王と僧の役割を立て分けていたのに、弟子たちが僧の「聖
戦」を主張するようになったのですね。
時代を経ると、思想が正しく伝わらなくなってしまうようです。
法華経の特質を調べたことがあります。排他主義・使徒的仲間意識・殉教
主義・自らを褒め称える、等と批判的な事が書いてありました。
しかし、四安楽行・非暴力思想など、とても優れた記述があると思いまし
た。法華経をじっくり読んでみたいと思います。
3641
:
犀角独歩
:2008/03/16(日) 22:13:02
> 宗教権力が遂に世俗権力に降伏し、日本では欧州より早く信仰自由の社会が実現
このご賢察は素晴らしいですね。
ところで、いまの時代でも僧侶のほうが在家よりも優れているなどと考えている数百年単位の時代錯誤者が横行しています。日蓮党は、天文法難、信長の比叡山焼き討ちまで時間を巻き戻し、さらに明治以降の太政官布も思い起こし、在家と同等の立場しか与えられていないことを再確認する必要がありますね。
もっとも顕正会、創価学会といった在家主導の新たな特権階級は、所詮、僧侶に取って代わる特権階級以外の何ものでもない、一般民衆にはお呼びでない存在であることもついでに確認しておきましょうか。
出家にあれ、在家にてもあれ、それら特権階級から離れ、法華経を紡い在家集団の思いに戻り、法華経を読むのが、マターリさん、よいかもしれませんね。
3642
:
天蓋真鏡
:2008/03/25(火) 17:06:35
犀角独歩さん、関係者各位様、 聖戦を肯定する思想と断じるのは後の歴史の流れからでしょうか? 撰時抄の御書遺文や 大白牛車で押しかけてでもと言うのは大袈裟に書いて善行善徳を促していると私は考えます。 つまり、言葉文章で表してもすぐさま戦乱の結果に持っては行かないと考え合わせてあるのではと断じます。絶対ではありません。 東条某だとかのお陰云々書いた文章もあったと思います。 私の鎌倉時代の僧・日蓮の印象は貴族主義と個人主義の中間の思想を行じたフリーターです。社会の繁栄も大事だけど個人の幸福も大事みたいな。
3643
:
犀角独歩
:2008/03/27(木) 02:24:28
日蓮の聖戦を肯定するとする理由は、まずは天台義における折伏の肯定が挙げられるでしょう。『開目抄』等の如しです。
日蓮自身の考えとしては、たとえば、以下のような真蹟を挙げることが出来ます。
「日本一州上下万人一人もなく謗法なれば、大梵天王・帝桓並天照大神等隣国の聖人に仰つけられて謗法をためさんとせらるゝか。」(『法門可被申様之事』)
「聖人の出るしるしには、一閻浮提第一の合戦をこるべしと説れて候に、すでに合戦も起て候に、すでに聖人や一閻浮提の内に出させ給て候らん。」(『四條金吾殿御返事』)
その他、念仏者刎頭といったことを口にしているわけですから、とても非暴力主義者とは言えないでしょう。
3644
:
天蓋真鏡
:2008/03/27(木) 15:25:31
ガンジー?等の非暴力主義者とは言えなくても 聖戦だけ?を肯定する戦争主義者と言うわけでも無いと考えます。其れなら、聖戦肯定主義者は日蓮だけでは無いのでは無いでしょうか。
3645
:
犀角独歩
:2008/03/27(木) 15:29:51
日蓮についての質問ですから日蓮について答えたまでです。
聖戦の肯定は、もちろん、日蓮に限らず、『涅槃経』を肯定する宗派に共通するでしょう。もっといえば、大乗教と自称する多くの教えは大なり小なり、そうした特質を有します。その脈絡がオウム真理教のポアともつながっているのでしょう。
なお、わたしは日蓮を戦争主義者とは記していません。
3646
:
天蓋真鏡
:2008/03/27(木) 17:25:52
聖戦(云々の)主義者では無いと言う事でしょうか。文章と特定の語句を繋げて書くと、行き過ぎた印象を与えると感じます。
3647
:
犀角独歩
:2008/03/27(木) 17:37:38
当掲示板は挙証をもって論じる義務を有します。
故に、わたしは3643に、日蓮の武力による護法の肯定した文証を挙げました。行き過ぎた印象もなにも、武力行使も、法華異教者の死刑も肯定したのが、日蓮という人であったわけです。違うというのであれば、それを証する文を挙げればよいだけのことです。
自分のなかでイメージされた日蓮の押しつけや、挙証に対して、挙証で応ぜず、同じことを繰り返すことは、投稿規約に違反する点、注意を促しておきます。
3648
:
天蓋真鏡
:2008/03/28(金) 16:19:21
確かに挙証には挙証でしか異論反論できないかもしれません。 ですが、日蓮の手紙一つも漏れず残っている訳では無いので挙証主義には限界があると考えます。日蓮の実像を見るには 人間の感情変化と変化した理由も加味して考え合わせないと作りかけの彫刻になってしまうのではないかなと感じます。
3649
:
犀角独歩
:2008/03/29(土) 08:03:16
> 日蓮の実像を見るには 人間の感情変化と変化した理由も加味して考え合わせないと作りかけの彫刻になってしまうのではないかなと感じます。
この部分は、何を言っているのかよくわかりません。
たとえば、ミロのビーナスについて語る時、その顔や胴体、足については、語ることができます。では、失われたとされる腕について、どうなっていたかは、語ることができません。現存していないからです。もちろん、想像で語ることができますが、それは他の部分を事実として語れるのに対して、殊腕に関しては事実としては語れません。語れるとすれば、腕はないということだけでしょう。
日蓮を語る上において、失われてしまったものについて、想像で語ることができても、それが事実であるとは言えません。ですから、語るとすれば、まず確実な資料から考え合わせて語らなければ実像から離れることになります。
合戦の翼賛、刎頭を肯定した文章が残っているのに、日蓮を平和主義者のように語ることは、残っている資料として一致しません。では、なぜ一致しないことが語られるのかという説明をなく、それを繰り返すような、投稿は、こちらの規約に違反しているということです。
ここは挙証をもって論ずる場ですから、説明や、証拠も挙げられない個人の思惑を、しつこく繰り返し書きたいのであれば、自分でサイトでも解説して、そちらでやればよろしいことになります。
個人の思いで勝手に作られた日蓮の彫刻など、こちらでは不用であるということです。
3650
:
天蓋真鏡
:2008/03/29(土) 20:08:01
犀角独歩さんの書き込みは一々最もですが、切った刀で自分も切られかねない物言いでしょう。 自分は日蓮を平和主義者とは言ってません。真筆かどうか調べてませんが、文字言葉は心を尽くさないと言う御書遺文もありました。
3651
:
犀角独歩
:2008/03/30(日) 10:55:13
天蓋真鏡さん
名を挙げて問いかけられたので、応じたわけですが、わたしは、あなたがなす不毛な言いがかりに時間に付き合うことを無駄と感じます。
> 切った刀で自分も切られかねない物言いでしょう。自分は日蓮を平和主義者とは言ってません。
わたしが先に記した「平和主義」とは、別段、あなたが言ったことを指したものではありません。
記したとおり、「合戦の翼賛、刎頭を肯定した文章が残っている」から、経和主義とは言えない記したのです。よって、あなたの言いがかりはまた外れです。
> 文字言葉は心を尽くさないと言う御書遺文
どの文を指すのか判然としませんが、仮にそうであっても、その文字に尽くせない日蓮の思いは、あなたが想像することと同一である可能性は少ないでしょう。何故ならば、あなたは確実に残る日蓮の文字情報を否定したところから、想像しているからです。事実とは、事実の積み重ねの上にあります。日蓮の言葉に尽くせない思いは、真蹟遺文と一致しないという仮説が、既にすべての自分が恣に想像する日蓮像の囚われる原因となっているでしょう。
繰り返しますが、ここは挙証をもって議論する場です。挙証に基づかないあなたの想像、そして、わたしへの言いがかりに付き合う気はありません。挙証なく、自己主張を繰り返すあなたの投稿には今後、応じません。それでも、まだわたしの投稿に難癖をつけるようであれば、投稿規約に基づき、管理人さんに削除依頼をすることを辞さない所存です。以上です。
3652
:
犀角独歩
:2008/03/30(日) 10:58:43
【3651の訂正】
誤)経和主義
正)平和主義
3653
:
パンナコッタ
:2008/03/30(日) 14:42:30
横レス、失礼します。
> 文字言葉は心を尽くさないと言う御書遺文 は、おそらく十一通の
与建長寺道隆書
"只経論の文に之れを任す処なり。具には紙面に載せ難し。併しながら対決の時を期す。
書は言を尽くさず。言は心を尽くさず"
与多宝寺書
"敢へて日蓮が私曲に非ず。委しく御報に預かるべく候。
言は心を尽くさず、書は言を尽くさず。併しながら省略せしめ候"
あたりでしょうか。
であるならば、真贋以前に文意を良く読みとってカキコされる方がよろしいでしょう。
この佐渡前の蓮祖は、
『仏法を学ぶの法は身命を捨て国恩を報ぜんが為なり。全く自身の為に非ず』
(宿屋入道再御状・本國寺蔵) と、個人の幸福なぞ歯牙にもかけない心意気だったのが
事実でありましょう。現世利益を云々する後世の教団の教えとは、一線を画します。
3654
:
天蓋真鏡
:2008/03/30(日) 18:07:04
犀角独歩さん、パンナコッタさん、 他の文章を持って来たからと言って此れまでの書いてある内容を全否定したとまとめるのは挙げ足取りな解釈では無いですか? 日蓮は色々な職業みたいな事を遣っていて何者か解らないと書いていた頃とは偉い違いです。 御書遺文の文章の後先を考えるのは当然ですが 色々な語句言葉知識情報を考え合わせないと事実とはズレた虚像を造ってしまうかもしれません。其れて゛良いのでしょうか
3655
:
管理者
:2008/03/30(日) 18:48:25
天蓋真鏡さん
>御書遺文の文章の後先を考えるのは当然ですが 色々な語句言葉知識情報を考え合わせないと事実とはズレた虚像を造ってしまうかもしれません。
先日来の、天蓋真鏡さんの書込みを拝見していて、何を仰りたいのか、判然としません。もう少しはっきりとお話になられたほうが良いと思います。
具体的に申し上げれば、
一、御書遺文の文章の後先を考えるのは当然
これは、富士門圏においては、当然とはされていません。殊に大石寺教学では、相伝書重視が甚だしく、御書を相伝書から見て、読み替えて解釈するのが通例です。ところが、この大石寺が使う相伝書たるや、明らかに後世の記述であったり、他門の相伝書を我田引水したりで、蓮祖の実像から離れる事が甚だしいので、当掲示板では、ひとまずは、真跡遺文に限定して蓮祖の実像に迫ろうとしてきた経緯があります。
二、色々な語句言葉知識情報を考え合わせないと
これは具体的には、どんな内容をお考えでしょうか。管理者は、これだけでは、余りに抽象的過ぎて、意味が取れませんが・・・。御教示お願いいたします。
3656
:
パンナコッタ
:2008/03/30(日) 22:56:53
何を反論されているのか、さっぱりと解りませんが??? >3653で記した事は、
> 文字言葉は心を尽くさないと言う御書遺文 ⇒ 十一通からの引用で在れば、
意味が違うでしょう という事。違う遺文なのであれば、初めから提示すればよいだけの話。
再御状の引用は、>3642の >社会の繁栄も大事だけど個人の幸福も大事みたいな という事に対し、
それを否定する文永五年九月の日蓮の真蹟があると、提示しただけ。
3657
:
顕正居士
:2008/04/02(水) 18:24:59
日蓮は鎌倉新仏教の祖師というよりは「興福寺奏状」を製作し専修念仏弾圧のはじめを作った
貞慶などと同じく鎌倉旧仏教の側の論客というべきでしょう。彼の理想は王仏一致の古代国家
の再興であり、彼の政治思想はいわば「王権仏授説」というべきものでした。仏教信仰が個人
の内面へと向かうのが新仏教の傾向とすればそのアンチテーゼであり、欧州の「反宗教改革」
に比べられるでしょう。したがって「政教分離」とおよびいわば「覇権天授説」に立つ武家の
政権とは相性が悪く原理派は不受不施宗として常に地下に存在し続け、第二王政復古(維新)
の後に国柱会などの王仏一致思想として蘇り、終戦後さらに創価学会として大衆化したのだと
いえるでしょう。
鎌倉旧仏教
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/1/0090630.html
解脱房貞慶
http://www-h.yamagata-u.ac.jp/~kmatsuo/joukei.html
3658
:
天蓋真鏡
:2008/04/03(木) 04:45:13
順番前後します。 顕正居士さん、皆成仏道やら成仏得道やらは言葉尻だけ出て来るので認められないと言う事ですか?国王と聖人と戒壇(堂)が鎌倉時代の僧・日蓮の主旨でしょうか。
3659
:
天蓋真鏡
:2008/04/03(木) 05:20:08
犀角独歩さん、パンナコッタさん、管理者さん、関係者各位の皆さん。自分は真筆真蹟を把握してないので書き込みで此れだから是うとは断言できません。議論として残せない成立しないなら削除してもらって良いです。先ほど来の聖戦を肯定する者かしない者かを判断するには実際に会って話さないと解らないと言う事が自分の意見です。 自分は鎌倉時代の僧・日蓮は仇なす敵でも無闇に奪う主義者では無いと思います。犀角独歩さん、日蓮も殺されかかり弟子は命を落としました。其の時代は武士の時代は自分の宗派の為に相手の命を奪う事は肯定されていたのではと感じます。権力者依りで政治的手続きがあるならまっさらな仏教徒ですか?
3661
:
はなざわ
:2008/04/07(月) 10:47:11
はじめて書き込みさせていただきます。
学会に在籍しています2世です。この頃回りの会員さんを見てて??でした。
というのは、元気がない(婦人部はのぞいてですが)、自分の課題も打ち破れない
し、でサイトめぐりをはじめました。はじめは、石田氏の一念三千でした。教学力
ないので、ちんぷんかんぷんです。ただ勤行時の姿勢について、オオッッでした。
私はこんな事考えたことなかったと思いました。次日寛上人本尊コピーと手を入れて
いること、これはここの書き込みすべてではありませんが、拝見して、べつに関係
ないと感じました。それよりも、大聖人の御書に真蹟と偽書がある、学会で習っている
教学と、大聖人の教えは違うようだ、例えば、仏法は勝負とは、ずっと勝ち負けの
ことと思っていました。石田氏の文で、善悪のことと知りました。しかしこれさえも
真実か自分でわかりません。王法は賞罰なら、善悪考えるのが、妥当かな?ぐらいの
判断しかありません。学会は自分で考えなくても、指導の通りにやればと言っています
が、大聖人は、私達に何を言いたかったのか、自分で勉強したいと思っています。
学会版御書の最初から、読みはじめて、いま立正安国論です。よく中味がわからないし
、このやり方でいいのか、悩んでいます。よろしければ、皆様に学習の仕方ご教授いた
だけないでしょうか。独歩さんをはじめとした皆様のレベルの高さに本当に驚いています
。日連本仏論も違うなんて、頭こんがらがってきました。私の母も、戒壇のご本尊様は、
日興上人が、身延から、かついできたのと言います。皆なんでも、いはれるとおり
信じているようです。私自身は、偽でも本物でも、どっちでも、大聖人の教えが違って
くるわけでなし、どっちでもいいが、偽を本物と言っちゃいかんでしょう程度の、考え
しか浮かんできません。とりとめもない話で相すみません。
3662
:
天蓋真鏡
:2008/04/07(月) 17:41:12
はなざわさん、はじめまして。自分は創価学会の幽霊会員です。学会員もいろいろな方々がいます。名誉会長が亡くなった後、日本の創価学会はどの様な事になってしまうのかと心配しています。 自分が思うに漫荼羅は本仏釈尊の内証「南無妙法蓮華経」を掲げて自分も其の様に清廉潔白に生きたいと精神統一する唱題をあげる為の道具では無いでしょうか。 本仏釈尊&法華経行者日蓮を先師先達として、法と言えば一念三千の妙・華と言えば因果倶時の蓮を思想、江戸時代の僧日寛の描いた教学&牧口常三郎先生の学問を主義に創価学会インターナショナルとして一本化しないと21世紀以後を走れないのでは無いかと考えます。
3663
:
犀角独歩
:2008/04/07(月) 21:31:24
はなざわさん
お声掛けをいただきましたから、お応えしますが、仰るような「関係ない」は、創価学会そのものの声でしょうね。要は、自分にとって、それが正しいと‘思えれば’よく、それによって、組織も自分も、安心できればよい。そして、会員は何だかよいことがあったような気がし、組織は、安泰でそこで働く人々の生活が守られればよい。ストレートに言えば、創価学会と、その会員は、その程度のものだということなのでしょう。
わたしが、あきれかえって見切りをつけたのは、こんなバカバカしいことに付き合っている気が失せたからです。
難しいと思われるのであれば、簡単なことで満足できるのか、しかし、一度開けたパンドラの筺のフタは決して閉じません。
さて、はなざわさんは、それを閉じられるかどうか、ということです。
現代の科学水準は、『法華経』は後世の創作、妙法蓮華経は羅什の勝手な意訳、天台学は漢訳仏典で基づいた思いつき、日蓮はそれに基づいてさらに想像を逞しくしただけ、創価学会はもちろん、大石寺が本物であるという戒壇本尊は、後世の偽造品、日蓮本仏なんか、日蓮も、日興も言っていません。本人達が聞いたら吃驚するでしょう。
「でも、わたし達は正しいんです」なんて、恥ずかしくて言えるかどうか、それが常識と言うことです。
あなたならば、どうしますか。
3664
:
はなざわ
:2008/04/07(月) 23:37:11
天蓋真鏡さん
レス有難うございます。学会は規模縮小で、生き延びていくんではないでしょうか
?日寛教学も否定される方もございますし、何が正しいのか、今の私にはわかりません
。宗教団体というより、コミュニテイーとして生きていくんでしょうかね。
何かついていけないもの感じますが、さりとて退会するわけでなし、独歩さん
御指摘の『その程度』なんだと思います。第一次宗門問題から経験した身としては
何があっても驚きません。自分のスタンスはまさに御指摘の通りと思います。
第一次のとき、学会間違っていると思っても退会しませんでしたし、さりとて
師匠が地獄にいくら、自分もというような、池田先生崇拝者でもありません。
宗門を、口をきはめて罵るようなところは、嫌悪感さえ覚えます。
3665
:
はなざわ
:2008/04/07(月) 23:59:16
犀角独歩さんへ
お声かけていただき、有難うございます。過去ログのなかで、石田氏の論について
お書きになっているのを拝見して以来、読ませていただいております。私難しい
こと分かりませんが、母上についてお書きになっていたのに、心うたれました。
学会の日寛上人本尊コピーも、宅は日達上人で関係ないとずっと思っていました。
コピーというのも、手がいっているのも、最近しりました。あきれたと思いましたが
学会は会則改正で、自由に決めるとしていること、学会も折伏する上で本尊が必要
ですし、悩んでここのサイトを見て回るうちに、こだわる必要なしと感じました。
理論的根拠があるわけではありません、そのように私が感じたまでのことです。
気持ちは随分楽になりました。学会的考え方かどうかはわかりません。熱心な会員
ではありませんが、永年在籍していますので、知らず知らず学会そのものになっている
のかもしれません。
蓋をあけてしまつたですか、うーんまた閉じて、知らん振りもいいかも知れませんね。
何か大変そうですもん。けれど、日蓮大聖人が、何を悟り何を思い、後世の私達に
何を残したのか、その教えの一端でも垣間見れたらと思うとわくわくします。
今日は本当に有難うございました。
『命限りあり、終に願うべきは仏国土なり』私が、中学の時、亡き父に、究極の目的は
これかと聞いた時、父はそうだと言いました。これを書いていて、ふと思い出しました。
3666
:
犀角独歩
:2008/04/08(火) 23:08:50
はなざわさん、既に遣り取りは終わりということでしょうが、御尊父が引用した御書の意に、あなたのような考えで至れるとは、わたしは到底思えません。あなたより、むしろ、わたしのほうが、あなたの御尊父の精神の正統な後継者かも知れませんね。
「いまだ日蓮が本意の法門を習はせ給はざるにこそ。以の外の僻見也。私ならざる法門を僻案せん人は、偏に天魔波旬の其身に入替て、人をして自身ともに無間大城に墜べきにて候つたなしつたなし。此法門は年来貴辺に申含たる様に人々にも披露あるべき者也。総じて日蓮が弟子と云て法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ。さだにも候はば、釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守候べし。其さへ尚人々の御心中は量りがたし」
もっとも、この文の真蹟は伝わりませんが。
わたしが、法華講時代に声聞幹部から聞いた迷言。
「私は何もわかりませんが、この仏法が正しいことだけはわかる」
わたしは断じて言います。「わかるはずはない」
ただ、あなたは、宗教とか、真実とか、日蓮の素意とか、そんなことより、選び取ったものが一つあるのでしょう。それは「居場所」です。そのぬくぬくとして、少しは居づらかったり、違和感もありながら、自分が居続けられる「ゆりかご」の外に、あなたは出ることに臆病なのでしょう。
まあ、無理に、はい出すことは進めませんが、外には広漠たる光景があることだけは記しておくことにします。
わたしは、歯に衣を着せるのは嫌いですから、ストレートに記しますが、惰眠には、軈て目覚めがあるということです。
なお、石田さんは、実にささやかな、入口で考えることをやめてしまった。彼の思惟は実に狭隘なものでした。もっとも、こちらは、挙証をもって、語る、掲示板です。この一事は、つぶやきとして判読いただければと存じます。
3667
:
はなざわ
:2008/04/10(木) 11:12:57
犀角独歩さん
私は、2世で、他の2世の方達と同じく、両親は毎日活動でした。とりわけ父は熱心
でした。病気で入院する前に「財産は残せないけどご本尊を残す」といはれました。
第一次宗門問題で、怒りくるわれる貌下のお姿は、私に衝撃でした。草創期を走って
きた父の為にだと思いますが、脱会をくい止めるため、幹部の訪問を再三に受け、
話し合いをしました。その時思ったことは、この人たちは、自分たちで何一つかえる
つもりはないと言うことでした。言っても時間の無駄労力の無駄と感じました。
それでも学会に残りました。脱会しようかどうかの瀬戸際で、私達家族が思いとどま
ったの、私がその時父の夢をみたからです。死んだ人は話さないとかも聞きますが
その時、この騒動を話しました。そして、私達家族は脱会しないことを決めました。
ただし、べつに父は学会が正しいと言ったわけではありません。
私は学会の真実が知りたいわけではありません。日蓮大聖人が何を考え何を悟り、
後世の我々に何を託したかを知りたいんです。学会は、池田先生の話中心で、大聖人
の話はあまり出てきません。只今未活への道進行中です。独歩さんは、命がけで学会
活動したって書かれてあったのを見たことがありますが、だからこそ間違ってるのが
わかってて、なぜやってるんだとおもはれるんではないでしょうか?私命がけの活動やったこと
ありません。私が、学会でのいこごちは良くも悪くもありませんよ。ただ私には、皆さん
何もいはれません。宗門問題でいいたいこと言った事、座談会での日寛本尊コピーや
公明批判したせいなのか、皆さんから一歩ひかれている気がします。
大聖人にお世話になったと思います。色々なこと題目でクリアできたと思います。
現世利益信仰ではないとも見ましたが・・ 先日母にわからないわからない、どうすれば
いいかわからないと申しましたら、わからなくなったら自分が経験してつかんだものが、
一番といっておりました。私が、自分で掴んだものなら、題目で、課題をクリアして
きたことです。ここのサイトも端よってしか見ていませんので、これから色々拝見したい
と思います。整合性がとれていない、ご本人にも考えにブレや迷いもありそうな、
突っ込みどころ満載の大聖人のようですが、それでもいいです。題目で幾多の課題を
乗り越えてきた経験をもとに、大聖人の考え、私に託したことを勉強していきます。
やがて学会にくるXデー、噴出すスキャンダル、会員にも戸惑い悩み苦しむ方々が、でて
くると思います。せめて自分のまわりの方々には、大聖人のお心お伝えできればと
思います。それには、自分が理解しておかねばと考えています。学会に残っているからと
言って安閑としているわけではありません。
3668
:
天蓋真鏡
:2008/04/22(火) 14:50:53
はなざわさん、返事して頂いてありがとうございます。名誉会長依存等は池田大作氏が亡くなってからでしょうか。 遺文御書か゛一枚残らずある訳では無いので何ですが、三国四師の4人の思想の変遷を見てみないと学問として成り立たないかもしれません。
3669
:
マターリ
:2008/04/22(火) 21:36:27
>はなざわさん、天蓋真鏡さんへ。
いちおう学会員である私が、言うべき言葉でもないのですが、・・・。
学会員は、からまる糸のように、マインドコントロールを受け続けている
と思います。法華経・羅什・天台・日蓮大聖人、牧口氏・戸田氏・池田氏
と、時代を隔てた大勢の人物と経典から、強い心理的影響を受けています。
非常に複雑で、強力かつ高度なマインドコントロールだと思います。
池田氏は講演などで、人間らしい事、ふざけた事を言っていますので、
人物を見抜きやすいと思います。しかし日蓮大聖人は、源義経と同じ時代に
生きた歴史上の人物です。大昔の人は伝説となり、つい神格化したり、また
仏と見てしまいがちです。人は亡くなってから、神になったり仏になったり
するのでしょう。
平成20年の現在、この日本に住む人の中で、仏と呼ぶことのできる人がいる
でしょうか?・・そんな人はいません。・・そういうことだと思います。
犀角独歩さんの3663のご発言↓は、現代仏教学に基づいた深い意味がありま
す。これを理解できるよう、少しづつ勉強しましょう。
>現代の科学水準は、『法華経』は後世の創作、妙法蓮華経は羅什の勝手な
意訳、天台学は漢訳仏典で基づいた思いつき、日蓮はそれに基づいてさらに
想像を逞しくしただけ、創価学会はもちろん、大石寺が本物であるという戒
壇本尊は、後世の偽造品、日蓮本仏なんか、日蓮も、日興も言っていません
。本人達が聞いたら吃驚するでしょう。
3670
:
パンナコッタ
:2008/04/22(火) 23:24:48
横レス、失礼します。
マターリさんの、>非常に複雑で、強力かつ高度なマインドコントロール との
指摘の一端として。
別スレで顕正居士さんが常楽我浄御書を引用されていましたが、この"常楽我浄"という言葉
通常は四顕波羅蜜の意で使われ「常楽我浄 一家和楽の信心」等とスローガン化されています。
しかしながら蓮祖真筆中では、ほとんどが邪師・外道の甘言とした四悪趣の意で使われています。
(唯一、断簡の常楽我浄御書は、前後文の肯否定の意が十全には読みとれず)
少なくとも日蓮門下を名乗るのなら、あまり肯定的には使用すべきでない語彙でしょうね。
もっとも、ある意味、教団の指導そのものは邪師・外道の甘言の類になっているようですけど。
3671
:
顕正居士
:2008/04/23(水) 08:29:53
涅槃四徳を否定的に使用した箇所は真蹟遺文にありませんよ。写本遺文ににもないと
おもいますが。断簡 三〇〇はその後に他と同様の文意があったはずです。
前後をちゃんと読まないと間違うかも知れない箇所が幾つかありますが。たとえば。
「今馬鳴・龍樹等はかしこしといふとも迦葉・阿難等にはすぐべからず是一。迦葉は仏に
あひ(値)まいらせて解をえたる人なり。此人々は仏にあひたてまつらず是二。外道は
常楽我浄と立てしを、仏世に出させ給ひて苦・空・無常・無我と説かせ給ひき。此もの
どもは常楽我浄といへり是三」
「今馬鳴・龍樹〜」から読んでいけば小乗の人たちが三か条の誹謗をしたとわかります。
常楽我浄御書の文の主語はむろん下にある馬鳴です。「(馬鳴菩薩)出でさせ給ひて」。
真蹟遺文
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/goibun/shinseki.htm
3672
:
顕正居士
:2008/04/23(水) 08:49:11
涅槃四徳についてわかりやすい説明があったので参考に。
無我
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%88%91
「したがって大乗仏教では、釈尊は成道してまず世間の邪見である「我」を否定し「無我」を
説いて、それが理解されるようになると段階的に説法し「如来我」を説いたと位置付けている。
これを「常楽我浄」(涅槃の四徳・四波羅密)というようになった(なお、これらのことから
仏教は「否定の否定」の教えであるともいわれる)」
この説明のように遺文の数箇所は「否定の否定」をしています。大乗仏教のモットオは
苦空無常無我ではなく常楽我浄なのです。
「世間にまた常楽我浄あり。出世にまた常楽我浄あり。世間の法には字ありて義なし。
出世間には字あり義あり」(涅槃経)
3673
:
パンナコッタ
:2008/04/23(水) 13:54:38
顕正居士さん、ご指摘ありがとうございます。
>3670の文書は、自分で読み返してもちょっと変ですね。これは大変失礼しました。
四顕波羅蜜→四徳波羅蜜 四悪趣→四顛倒 ですね。
また、四徳の否定の意ではなく四顛倒の意味合いで使用されているという事で
法門可や十章抄での引用の事です。
常楽我浄御書の十全の意は全文がない以上、果たしてこの後どんな文書展開があったのかが
解らず、肯否定的な意味合いの用い方としては保留しておくといった意です。馬鳴の指摘については、ありがとうございます。
報恩抄の該当部分は、現存していない部分なので未考慮です。
3674
:
天蓋真鏡
:2008/04/23(水) 17:41:40
マターリさん、お言葉ですが「敵」を異常に拡大解釈するのは如何なものでしょう。 21世紀にもなって催眠術でもそうなのですが、罠に掛かり易い所と掛かり辛い所とあるのでは無いのでしょうか。 「マインドコントロール」が貴方が言われているぐらい行われているとは考えません。 聖教新聞の「池田先生崇拝」と学会の「押し蔵饅頭的統治」が所々暴走して「支配統治の理想」が崩れてきたのでは無いかなと自分は思います。 教学の事は「発想の転換」で時代ごとの解釈がどの様に成り立つのか分析理解できないと説得力が違うでしょう。
3675
:
ろばくん
:2008/04/27(日) 18:32:42
またまた、単純な質問ですみません。ここでよいかもわかりません。ジョージ左京さんという方はどのような方だったのでしょうか。また、私事ですが、確か日蓮上人のどの文だったか、「あつわらの愚痴のものども…」という文を目にしたとき、私は日蓮上人はあつわらの人々をそのように考えていたのかなと思い、そのころから少しずつ距離を置くようになりました。愚痴の者とは、あまり良い意味ではないと思うのです。
3676
:
偶ロム偶ログ
:2008/04/29(火) 02:10:00
>>3675
>ろばくんさん
ジョージ左京氏は戦後の創価学会草創期、中野支部で数多くの人たちを折伏しました。
第1次宗創問題のときに学会を離れて檀徒会に移り、国会請願にも名を連ねました。
その後、檀徒会=正信会の実状について諫言するも受け入れられず、檀徒会からも離れました。
檀徒会から離れてから、宗門史や宗門の教学について研究・批判を行ない、数百ページに及ぶ手書きの原稿を書かれたのです。
氏はその原稿をコピーしていろいろな人に配布しましたが、最初にそれを援用したのが玉井礼一郎氏でした。
次にその原稿の内容をほぼ全面的に利用したのが美濃周人氏です。
私などはほとんど盗作か剽窃ではないかと思ってしまいます。
ジョージ左京氏は、その後、日蓮批判、仏教批判へと進んでいくことになりました。
残念ですが、氏は十数年ほど前にお亡くなりになっています。
3677
:
偶ロム偶ログ
:2008/04/29(火) 03:46:56
参考までに、ジョージ左京氏の著作は以下のとおりです。
本名でのもの
[以下、手=手書きコピー、朱=直筆朱入、@=年月日不詳、頁表記は原本による]
*『御本尊集目録に関する研究(手)』(昭56・7・27)全20頁
*『大石寺 日道上人について(手)』(昭57・11・1)全72頁
*『二箇相承について(手)』(昭58・3・11)全64頁
*『日興跡条々事について(手)』(昭58・5・10)全68頁
「日蓮の病気」について(手・朱・@)47〜50頁
「身延から池上へ」について(手・朱・@)51〜52頁
「波木井殿御報(池上到着御報)」について(手・朱・@)53〜55頁
「六老撰定」について(手・朱・@)56〜57頁
「日蓮の入滅および葬儀」について(手・朱・@)58〜64頁
「日蓮の危篤と臨終」について(手・朱・@)65〜66頁
「池上相承書の怪」について(手・朱・@)67〜68頁
「墓所輪番制度」について(手・朱・@)69〜71頁
「五老僧の身延離山」について(手・朱・@)72〜78頁
「五老僧の身延離山の文証」について(手・朱・@)79〜83頁
「日蓮の一周忌の大法要」について(手・朱・@)84〜85頁
「日興の久遠寺別当就任」について(手・朱・@)86〜96頁
「六老撰定の文証群」について(手・朱・@)97〜 102頁
「日蓮の隨身仏(立像仏)」について(手・朱・@) 103〜 105頁
「日蓮の隨身仏と注法華経」について(手・朱・@) 106〜 110頁
「日興の身延離山」について その一(手・朱・@) 111〜 114頁
「日興の身延離山」について その二(手・朱・@) 115〜 119頁
「日円から日興への絶縁状」について(手・朱・@) 120〜 124頁
「原殿書(原殿御返事)は偽書である」について(手・朱・@) 125〜 139頁
「六老僧のスポンサー」について(手・朱・@) 140〜 146頁
「日興の身延離山」について その三(手・朱・@) 147〜 151頁
「日蓮の御影像」について(手・朱・@) 178〜 185頁
「大石寺の御影(正御影)」について(手・朱・@) 186〜 193頁
「重須の寺の『御影堂』」について(手・朱・@) 194〜 197頁
「本六」について(手・朱・@) 198〜 200頁
「本六、新六」について(手・朱・@) 201〜 205頁
「大石の寺」について(手・朱・@) 206〜 212頁
「日興没後の新六」について(手・朱・@) 213〜 215頁
「道郷問題(蓮蔵坊争奪戦)」について(手・朱・@) 216〜 224頁
「日興跡条々の事」について その一(手・朱・@) 273〜 281頁
「日興跡条々の事」について その二(手・朱・@) 282〜 294頁
「日興跡条々の事」について その三(手・朱・@) 294〜 313頁
「日興跡条々の事」に関するE.T.C. その一(手・朱・@) 314〜 318頁
「日目の天奏」について その一(手・朱・@) 319〜 325頁
「日目の天奏」について その二(手・朱・@) 326〜 343頁
「日目の天奏」について その三(手・朱・@) 341〜 347頁
「日目の天奏」について その四(手・朱・@) 348〜 351頁
「日目の天奏」について その五(手・朱・@) 352〜 356頁
「日目の天奏」について その六(手・朱・@) 357〜 363頁
「御座替御本尊」について その一(手・朱・@) 365〜 370頁
「御座替御本尊」について その二(手・朱・@) 371〜 378頁
「御座替御本尊」について その三(手・朱・@) 379〜 394頁
「紫宸殿本尊」について その一(手・朱・@) 395〜 402頁
「紫宸殿本尊」について その二(手・朱・@) 403〜 405頁
「紫宸殿本尊」について その三(手・朱・@) 406〜 421頁
「大石寺十七代の日精」について その一(手・朱・@) 422〜 435頁
「大石寺十七代の日精」について その二(手・朱・@) 436〜 442頁
「二箇相承」について その一(手・朱・@) 443〜 457頁
「二箇相承」について その二(手・朱・@) 458〜 470頁
3678
:
偶ロム偶ログ
:2008/04/29(火) 03:47:42
つづきです。
ジョージ・左京名義のもの
*『富士 大石寺の正体(ワープロ版)』(昭 ・ ・ )全 118頁
蓮蔵坊争奪戦 まえがき ───────────────── 1頁
日目と日郷 ─────────────────────── 5頁
蓮蔵坊争奪戦 その一 日郷と日道の争い ───────── 10頁
蓮蔵坊争奪戦 その二 日郷と日行の争い ───────── 24頁
蓮蔵坊争奪戦 その三 日伝と日行の争い ───────── 29頁
蓮蔵坊争奪戦 その四 日伝と日時の争い ───────── 35頁
記 その一 ─────────────────────── 41頁
記 その二 ─────────────────────── 45頁
あとがき ──────────────────────── 47頁
日蓮正宗大石寺の重宝は、すべて贋物である ──────── 49頁
「富士年表」の怪 ──────────────────── 53頁
大石寺の「板本尊」は贋物である ───────────── 57頁
大石寺の「最初仏」は贋物である ───────────── 78頁
大石寺の「日蓮の御肉牙」は贋物である ────────── 92頁
大石寺の「日蓮の遺骨」は贋物である ─────────── 105頁
「日蓮の遺骨」に関する大石寺の作文集 ────────── 115頁
素記生名義のもの
*『ダイジェスト 日蓮 PARTⅠ(ワープロ版)』小桜塾(昭61・1・15)全66頁
*『ダイジェスト 日蓮(手書きコピー版)』素記生(昭61・2・ )全 102頁
3679
:
スッタニパータ
:2008/04/29(火) 11:24:15
また出したようですね。
http://www.amazon.co.jp/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E6%97%A5%E8%93%AE-%E6%9D%BE%E5%B2%A1-%E5%B9%B9%E5%A4%AB/dp/4860952510/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1209435648&sr=1-2
3680
:
ろばくん
:2008/04/29(火) 18:23:58
偶ロム偶ログ様、本当にありがとうございました。美濃さん、玉井さん、そのままの文ではないかと私も思います。
3681
:
彰往考来
:2008/05/04(日) 12:07:45
ろばくんさん
>3675 あつわらの愚癡の者ども
「聖人御難事」(真蹟:中山法華経寺蔵)にあります。御書での箇所は、堀日亨編『日蓮大聖人御書全集』(昭和46年67刷(初版:昭和27年)、創価学会:以下「御書全集」と略します)では1190頁、立正大學日蓮教學研究所編『昭和定本 日蓮聖人遺文 第二巻』(昭和63年改訂増補版(初版:昭和28年)、總本山身延久遠寺:以下「定本遺文」と略します)では1674頁です。
以下はあくまで私個人の見解です。色々ご意見がおありと思いますがそれはそれとして、ひとつの考え方として読んでください。
まず御書では「愚癡」とあり「愚痴」ではありませんが、これは同じ意味のようです。一般的に「愚痴」とは、『広辞苑(第5版)』にあるように、「言っても仕方のないことを言って嘆くこと。また、その言葉」という意味で、「くどくどと愚痴を言う」とか「愚痴を言ってもはじまらない」といった用途に使われ、あまりよい使い方はしません。そのため「愚癡の者ども」とあると威圧的に感じ、何を偉そうに!というのが表面的な解釈でしょう。
しかしながら本来「愚痴・愚癡」は仏教語なのです。石田瑞麿著『仏教語大事典』(1997年、小学館、217頁)には、「【愚痴・愚癡】《梵mohaまたはmudhaの訳。痴とも訳する》愚かで思い悩み、ものの理非のわからないこと。また、そのさま。三毒煩悩のひとつ。 (以下略)」とあります。つまり「愚痴・愚癡」とは思い悩んだ状態を指すことが解かります。よって「愚癡の者ども」とは、信仰歴が浅く思い悩んだ人たちというような意味と解釈されます。熱原法難の際に、信仰歴の浅い農民信徒から日蓮聖人の説く内容に疑問の声があったろうことは容易に想像できます。したがって、「聖人御難事」では、「彼のあつわら(熱原)の愚癡の者ども・いゐはげまして・をどす事なかれ」(「御書全集」1190頁、「定本遺文」1674頁)とあって、励ましてあげなさい、決して脅かしてはなりませんと指導のポイントを書かれているわけです。続けて、「よからんは不思議、わるからんは一定とをもへ」など非常に厳しい内容が続きます。この「聖人御難事」は農民信徒を指導する立場の弟子、つまり日興師や日辨師、に対して与えられた御書と判断できますから、直接農民信徒に対して与えられた御書ではないという点も考慮する必要があります。
「聖人御難事」に「あつわらの愚癡の者ども」とあるのは、「開目抄」(「御書全集」234頁、「定本遺文」604頁:真蹟身延曽存)に「我弟子ニ朝夕教ヘしかども疑ヒををこして皆捨てけん」とあるように日蓮聖人としては常日頃から説いてきたのに何故解からないのかというご心境だったかもしれません。日蓮聖人は非常に厳しい人であったろうと考えられます。真蹟のない録内御書ですが「佐渡御書」(「御書全集」961頁、「定本遺文」618頁:録内御書)に、「日蓮御房は師匠にてはおはせども余にこは(剛)し」とあるのが参考となるでしょう。ろばくんさんが剛(こわ)い日蓮御房と距離を置かれるのは貴方自身のご判断で他人がとやかく言うことではありませんが、もし解釈が違うなら再考されてはいかがでしょうか?
ひと言でいうなら「愚癡」とは「疑い」であるという解釈も成り立ちそうです。なるほど、「癡」は「疒だれ」に「疑」とあります。「疑いを起こす病気」なのです。
最後に、管見に入った限り御書では「愚癡の者」という表現は「聖人御難事」以外では「撰時抄」にあります。また御書ではありませんが「富士一跡門徒存知事」にもあります。これらの箇所の前後を読む限り「ものの理非のわからない人たち」の意味で使用されていると考えます。「愚癡の者」という表現のある箇所は以下のとおりです。
「撰時抄」(「御書全集」265頁、「定本遺文」1018頁:真蹟玉沢妙法華寺他4箇所蔵)
「富士一跡門徒存知事」(「御書全集」1604頁)
By 彰往考来
3682
:
豆腐
:2008/05/04(日) 18:39:37
こんにちは、分からないことがあるので教えて下さい。
一谷入道御書に、
「日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持たざらん者をば御用いあるべからず」とあります。
これはどういう意味なのでしょうか。
ここでいう判とは印章ではなく花押のことだというのは分かるのですが、弟子が大聖人の花押を持つとはどういう意味なのでしょうか。
つまり、お手紙を弟子が持参しても、それに花押が認められてなかったら、それは私の書いたものではないので用いてはいけない。
という意味なのでしょうか?それとも弟子が大聖人の代わりにサインしていたという事?
よく分かりません。よろしくお願いします。
3683
:
ろばくん
:2008/05/04(日) 20:39:07
彰往考来さん、いろいろと詳しく教えていただき、ありがとうございました。
3684
:
犀角独歩
:2008/05/04(日) 22:14:11
豆腐さん、はじめまして。いちおう、当掲示板で過去に論じられたテーマで、その発言者であるので、記させていただきます。
> 日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持ざらん者をば御用あるべからず
正統な日蓮の継承者であれば、この意味を正しく解説できるでしょうね。
聞いて応えられない人を師匠と仰がなければよいことになります。
たしか、れんさんとの議論であったと思いますが、わたしはこの該当文は、漫荼羅に授与者を定めて認める「花押」であるという管見を示しました。漫荼羅は弟子である允可であり、そのために判を認めてあるということです。しかし、こう言ってしまうと、ほとんどお坊さんが、該当しなくなりますから、また、わたしは恨みを買うことになりましょうか(笑)
ちょっと、脱線させていただきます。わたしが記した彫刻本尊批判は日蓮門下を一生体と考えたとき、そのなかで、増殖し続ける癌細胞のような彫刻本尊信仰には有効な抗癌剤となります。しかし、この濫用は、日蓮宗本体を壊滅させる毒を孕んでいます。そんな意味で、わたしは日蓮宗に受け入れられることはないと自己分析しています。しかし、それでも事実究明の手綱を緩めるつもりはありません。
3685
:
犀角独歩
:2008/05/06(火) 20:52:50
3684への自己レス
抗癌剤は、しかし、正確に使用すれば、的確に効果を上げ、癌に働きます。そして、生体を助けます。
その意味で、この使用をためらうことに、わたしは不思議を感じます。
それは、むしろ、「日蓮宗が」というより、興風談所、とりわけ、山上さんに申し上げたいことです。
3686
:
豆腐
:2008/05/07(水) 10:19:31
犀角独歩さん こんにちは
ググッてみたのですが、この御金言に関しては解説がどこもバラバラで統一されてないんですよね。
私の頭が悪いせいか、どれも禅問答のような答えでよく分かりません。苦笑
ストレートに、大聖人の花押や在御判という文字が入ってない御本尊を持っている僧侶は
ニセものだから近づいてはいけないということでしょうか?
3687
:
犀角独歩
:2008/05/07(水) 21:32:13
豆腐さん
もし、相伝、相承というものが現にあり、かつ、いまに継続しているのであれば、この日蓮弟子を決定する決め事を記した文章を、その相続者は説明できるだろうというのが、先にわたしが書いたことです。
引用された遺文と、その該当とは、日蓮の時代の話でしょう。
「在御判」というのは、これは書写のお定まりですから、これは問題外でしょう。
日蓮が一谷入道に、こう書き送らなければならなかった背景を考えれば、既に、この時代に、自分は日蓮の弟子と自称する者がいたということでしょう。
本物の僧、偽物の僧というのは、なにを基準にするのかということで、ずいぶんと変わるでしょうね。しかし、本物の僧であると、では、どうなんだという問題も次にはあるでしょうね。
3688
:
天蓋真鏡
:2008/05/08(木) 01:40:56
法華経は諸経の王と言うよりは寄せ集めの軍隊でしょうか
3689
:
マターリ
:2008/06/28(土) 09:18:18
図書館で、日蓮に関する本を読んでいたら、「日蓮は、革命的な宗教家
だったが、呪詛をした点が惜しまれる。」と書いてある本がありました。
御書を見たところ、呪詛にあたる文が見つからなかったのですが、実際
は、どうだったのでしょうか?
ご教示のほど、お願い致します。
3690
:
顕正居士
:2008/06/28(土) 13:46:02
日蓮誹謗書として有名な『日蓮深密伝』の「祈祷奥義章」に祈祷によって起こした病は
祈祷者によってしか治せない。これぞ布教の奥義という話があります。
そんなところから出たのではないでしょうか。
『日蓮深密伝』は近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/
にあります。
事実無根の誹謗書ですが荒唐無稽で面白い本ではあります。
3691
:
パンナコッタ
:2008/06/28(土) 14:09:11
マターリさん、
本の内容が解らないないので適切ではないかもしれませんが、
「阿弥陀仏をば或は火に入れ、或は河にながす。夜もひる(昼)も高き山に登りて、
日月に向かひて大音声を放ちて上を呪咀し奉る。其の音声一国に聞こふと申す」
という種種御振舞(曾存・真偽論アリ)のイメージから来ている物ではないでしょうか。
また、蓮祖自身も、
『仏の御使ひとして南無妙法蓮華経を流布せんとするを、或は罵詈し、或は悪口し、或は流罪し、或は打擲し、
弟子眷属等を種々の難にあわする人々、いかでか安穏にては候べき。これをば愚痴の者は呪咀すとをもいぬべし』
【撰時抄・真筆現存】と、皮肉めいた(屈折した?)自己認識をしていたのかもしれませんね。
(呪詛→呪咀)は以前、彰往考来さんがご指摘なさっていたのでそちらを参照してください。
ちなみに最近までやっていた学会の打ち出し
"6.15ストップ・ザ・アリーナ" なんかは現代の呪咀その物でしょうね。
3692
:
マターリ
:2008/06/28(土) 16:11:56
>顕正居士さん、パンナコッタさん、ご教示いただき、ありがとうござ
います。
>顕正居士さん、『日蓮深密伝』は明治時代の作なんですね。クリック
してみましたが、私のPCのOSが古いためか、表示できませんでした。
>パンナコッタさん、やはり、蓮祖は呪詛をしていたようですね。私が
読んだ本の題名は忘れましたが、蓮祖の一生についての解説本でした。
最後に3人ほどの解説者が短い感想文を書いているのですが、そのうちの
一人が、呪詛について書いていました。もう5年ほど前に読んだのですが、
その事が、頭の隅にこびりついていました。
ご指摘の "6.15ストップ・ザ・アリーナ" についてです。学会系の掲
示板に、それについて、法華講の人のカキコがあり、驚きました。埼玉で、
学会が「日蓮正宗の会合が失敗に終わるように」と唱題会を行っているが、
人の失敗を祈るのは、宗教とは言えないのではないか、というカキコで
した。
私は、埼玉から遠く離れているので、事情がよくつかめません。しかし、
宗教は、自分や人の幸せを祈るものであり、失敗を祈るのは、おかしいと
思っています。
その事に関して、他にも色んな掲示板をのぞいてみましたが、バリ学会員
が確信をもって、そうした唱題会を肯定しているのに、強い違和感を感じ
ました。相手が邪教なら、呪詛をするのは良いことだ、という考えのよう
です。
前に読んだ本と考え合わせ、蓮祖が呪詛をし、また、呪詛を肯定している
という証拠を、学会がつかんでいるのでは、と想像しました。
パンナコッタさんのお話を伺い、蓮祖は呪詛をしたようですが、現代は、
いまわしい呪術の時代ではないので、呪詛をすっぱり捨て去るべきだと思
っています。
3693
:
パンナコッタ
:2008/06/28(土) 22:07:48
マターリさん、どうも。
蓮祖が呪咀をしていたと云うより、
"日蓮の言説・行動が呪咀をしているように周りから見られていた。
蓮祖自身も、その様に周りから見られている自覚があった"
というニュアンスの方が、良いかと思います。
(第三者的には、他宗批判その物が呪咀そのものに映ったかもしれません)
学会の呪咀に関しては昭和三十二年十一月の質問会の席で、戸田さんがきっぱりと
「呪詛、相手を呪うような祈り、これは絶対にやってはイカン!!」と
断言していました。
時代が違う、等と屁理屈を述べて学会員は正当化しようとするでしょうが、
師匠の師匠が禁止した事項を、組織の活動として打ち出す行為には、
会員に名目を与え邁進させる事のみを重視する、今の教団の体質なんでしょう。
更にバリの末端会員は疑わずにこれを遂行するため、知らずに歪んだ人格をも
形成されてしまうという、悪しき典型例のように思えますね。
正宗を擁護する気はむろん一切ありませんけど、この先学会は呪った分だけ
還著於本人に、なるでしょうね。
3694
:
マターリ
:2008/06/29(日) 07:52:22
>パンナコッタさん、早とちりをしてしまい、すみません。
日蓮が、あまりにも過激だったため、周りからは呪詛しているように
見られ、本人にも、そう見られている自覚があった、ということですね。
結論として、日蓮は、呪詛はしていなかった、とわかりました。
日蓮正宗は、法華講の人のカキコを見る限り、呪詛をしていないよう
です。しかし、その点で、創価学会の方が負けていると思います。
(日蓮正宗を擁護するわけではありませんが・・・。)
3695
:
天蓋真鏡
:2008/07/06(日) 17:55:52
一子相伝で無いなら、 学業の核心は漫荼羅内証若しくは唱題なのか
3696
:
マターリ
:2008/08/23(土) 20:49:53
ご教示のほど、宜しくお願いします。
御書の八幡宮造営事(弘安4年5月)に、日本の人口は、四十五億八万九千
六百五十九人と書いてあります。この事が3ページほどの短い御書に4回も
出てきます。
現在の人口の45倍という、とてつもない人口数です。人口調査などなかっ
た時代ですので、間違えるのも無理はありません。しかし、2倍とか1/2
までなら誤差として仕方ないですが、45倍というのは多すぎます。
59人と、1桁まで書いてあるということは、何らかの文献を参考にしたよ
うな気もします。
どうして、このような数字の間違いをしてしまったのか、文献を参考にし
たとしたら何なのか、ご教示いただければと思います。
3697
:
問答迷人
:2008/08/23(土) 21:08:50
マターリさん
当時、使われた「億」の単位は、現代に使われている「十千万」の意味と違って「十万」の事だ、と記憶しています。出典は不明ですが・・・・
3698
:
問答迷人
:2008/08/23(土) 21:13:35
大辞泉によれば
おく【億】1 数の単位。1万の1万倍。10の8乗。古くは万の10倍とも。
と書いてありました。この「古くは万の10倍」と言う事だと思います。
3699
:
マターリ
:2008/08/23(土) 21:57:40
>問答迷人さん、ご教示いただき、ありがとうございます。
鎌倉時代は、そもそも数字の単位が違っていたのですね。億が10万とす
ると、御書の四十五億八万九千六百五十九人は、約450万人ということ
のようです。
↓の資料によると、鎌倉時代の人口は約700〜800万人ということですの
で、誤差の範囲に入るとわかりました。
鎌倉時代からの日本の人口の推移↓
http://www.fujisue.net/archives/2005/06/post_603.html
3700
:
犀角独歩
:2008/08/24(日) 12:07:57
マターリさんと問答名人さんのやりとりを興味深く拝読しました。
少し気付いたことがあり、画像で説明したかったので、拙ブログに投稿しました。
ご批正いただければ有り難く存じます。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51397116.html
3703
:
犀角独歩
:2008/09/14(日) 10:35:09
彰往考来さん
れんさん
独学徒さんのHPの、彰往考来さんの『北山本門寺蔵「生御影」について』を拝読させていただきました。
http://xbbs.knacks.biz/dangisyo
いくつか疑問があるのですが、独学徒さんのHPではいずこにそれを載せてよいかわからなかったので、兄弟掲示板ともいえるこちらに投稿させていただきました。
彰往考来さんの結論は、いまの北山日蓮像は文政火災のあとの再造であるということでよろしいのでしょうか。
わたしは、彰往考来さんの結論とは別に、この日蓮像は、そもそも以下の記述で、再造品であると考えてきました。
正中二年十一月十二日の夜日蓮聖人御影堂に於て日興に給はる所の
御筆本尊以下廿鋪、御影像一鋪、併に日興影像一鋪聖人御遷化記録
以下重宝二箱盗み取られ畢ぬ、日興帰寂の後も若し弟子分中に相続
人と号して出さしむるの輩は門徒の怨敵大謗法不孝の者為るべき者
なり、謗法罪に於ては釈迦多宝十方三世の諸仏日蓮聖人の御罸を蒙
るべし、盗人の科に於ては御沙汰と為て上裁を仰ぐべし、若し出で
来らん時は日代阿闍梨之れを相続して本門寺の重宝為るべし仍て門
徒存知の為に置き状件の如し。
正中二年十一月十三日 日興御判。
しかし、たしか、れんさんが、この盗難事件はなかったとこちらに投稿をされた記憶があるのですが、この点は、如何なのでしょうか。
仮に、この盗難がなかったとした場合、日蓮御筆大漫荼羅にも躊躇なく書き込みをする日興のこと、もし、その生前にこの像があったのであれば、必ずや、日興の書き付けがあってしかるべきであると思えます。
いまのところ、そうした話は聞いたことがありません。よって、この像の真偽は押して図るべきであると思います。
無信仰なわたしからすれば、この日蓮像を裸に剥いて、書き付けを探すか、腹籠は何が入っているのかを、調査するのが、まず第一にするべきで、そこで、日興生前にあった像であると確定したのち、文献考証をしたほうが無駄がないと考えます。
彰往考来さんがお読みなったら、正中盗難事件に触れなかった理由を、れんさんがお読みになったら、盗難事件の実否につき、それぞれご教示をいただければ、有り難く存じます。
3704
:
れん
:2008/09/14(日) 19:28:53
犀角独歩さん
重須の日興在世の本尊盗難事件については、三位日順の“日順阿闍梨血脈”に記述があるので、‘あった’と考えますが、独歩さんの挙げられた置状を含めた日代宛て八通遺状は、石山の条々事と五十歩百歩の価値と思われますので、盗難に遭ったものが、この状の記述通りと断定出来ないかとは思います。
ただし、御影が日興在世の盗難で紛失したとすれば、仰るように日目・日仙・日善三師連名の日興上人御遺跡事に見える「日蓮聖人御影」(が木像ならば)は既にして再造されたものの可能性がありますね。
3705
:
犀角独歩
:2008/09/14(日) 19:38:10
れんさん
いつもながらご教示有り難うございます。
もう一点だけお願いできますでしょうか。
> 「日蓮聖人御影」(が木像ならば)
「木像ならば」という点ですが、先に挙げた文献では「御影像一鋪」となっています。この点は既に、どなたかがご指摘くださっていますが、“鋪”は「助数詞。地図など、畳みものの本を数えるのに用いる。」ということですから、絵像ということになります。となると、絵像は盗られたが、木造は残った、それとも、木造と思われていたものは実は絵像だった、どちらとお考えですか。
3706
:
れん
:2008/09/14(日) 20:08:19
犀角独歩さん
ご指摘の様に、置状の“鋪”は他の門下文献でも曼荼羅や絵像の数の勘定に使用されているので、置状の日蓮聖人御影一鋪の記述は木像ではなく絵像であったと愚考します。
御遺跡事に見える御影が木像か絵像かは分かりませんが、木像と仮定しますと、日興在世の盗難で、木像も盗難にあったならば、御遺跡事に見える御影は、日興在世の再造でしょうし、絵像のみの盗難ならば、木像は盗難されておらず、したがって御遺跡事に見える御影は、日興が願主として造立した初代御影木像の可能性があると思います。
3707
:
犀角独歩
:2008/09/14(日) 21:51:19
れんさん
重ねて有り難うございます。
> 御遺跡事に見える御影は、日興が願主として造立した初代御影木像の可能性がある
つまり、彰往考来さんの記述と併せると『御遺跡事』記述の段階では、日興願主のものであったが、その後、火事で燃え、再造されたのがいまのものであるという類推が成り立つわけですね。
いずれにしても、造立由緒が、像に書かれていないはずはなく、赤外線でも何でも駆使し、書き込みを精査し、腹籠の遺物を調べればわかることのよう思えます。また、そんなことがいままで唯の一度も行われなかったとは考えがたく、そうなると、この像は、やはり、日興から時を隔てた後世の作と結論せざるを得ませんね。
これが日興在世の作であるという証拠を北山は示す義務を負っていると考えます。
3708
:
彰往考来
:2008/09/15(月) 12:58:43
>3703-3707
すでにれんさんが詳細にわたってご説明されていますので重複しますが、
>彰往考来さんの結論は、いまの北山日蓮像は文政火災のあとの再造であるということでよろしいのでしょうか
そうです。そのとおりです。但し、初代生御影が日興師在世のものであるかどうかは不明です。私は初代も後世のものである可能性が高いと考えますが確証がありません。
>正中盗難事件に触れなかった理由
私は日代宛て八通遺状は偽文書と考えますので、その内容については懐疑的です。そうである以上は正中盗難事件を前提としたロジックは組み立てません。
なお、すでにご指摘のとおり、「御影像一鋪」とありますので絵像と判断され、木像ではありませんから、今回の議論と直接は関係ないと考えます。
なお、この「北山本門寺蔵「生御影」について」は別件で忙しく筆が止まっているのですが連載中です。
ご意見等は
富士教学研究会:談議所の「北山本門寺蔵「生御影」について」
http://ip1.imgbbs.jp/read3/fujikyougaku/4/44/
に投稿ください。
彰往考来
3709
:
犀角独歩
:2008/09/15(月) 13:51:10
彰往考来さん
> 私は初代も後世のものである可能性が高い…正中盗難事件に触れなかった理由…日代宛て八通遺状は偽文書と考えます…懐疑的…正中盗難事件を前提としたロジックは組み立てません。
盗難事件を扱わない理由が偽文書であるというのはわかりますが、そうなると、後世のもの=偽物である可能性がある木像を確証もなく、検証する理由は何でしょうか。論理として一貫性を感じませんが、如何でしょうか。
3710
:
彰往考来
:2008/09/16(火) 07:41:28
犀角独歩さん
>盗難事件を扱わない理由
ご質問の意味がいまいちよくわかりません。
盗難事件を扱わない限り北山の生御影を議論する資格はないというご主張でしょうか?
今、現前と木像が存在する。そしてそれは、鎌倉時代のものと称している。でもみる限り江戸期のものである。では検証してみようというロジックであり、盗難事件は関係ないと思います。
>後世のもの=偽物である可能性がある木像を確証もなく
これについて「北山本門寺蔵「生御影」について」の後半で、北山の生御影が江戸期のものである検証を予定していますので、現時点で論評は差し控えます。いつになるやら分かりませんが、引き続きご愛読願います。
彰往考来
3711
:
犀角独歩
:2008/09/18(木) 02:58:07
彰往考来さん
> 盗難事件を扱わない限り北山の生御影を議論する資格はないというご主張でしょうか?
資格? いえ、ぜんぜん違いますが。3703に記したとおり、日興門下の文書の中に正中盗難の件がありますので、こうした文書の証憑性は如何なものかと問うたのが始まりです。
まあ、今回は、質問をすると必ず飛んでくる悪口雑言がなかっただけ、安堵しています。落ち着いて、質問はできたものの、しかしながら、「意味がわからず」、また「差し控える」と仰る以上、質疑応答にはなりませんので、切り上げることといたします。
3712
:
彰往考来
:2008/09/18(木) 07:46:56
犀角独歩さん
>3711
当方もこれにて今回の質疑は終了します。
彰往考来
3713
:
犀角独歩
:2008/09/27(土) 19:32:42
ちょっと、読み直して、変だと思うので書きます。
質疑とは「疑い質す」ということで、わたしがしたこと。
それに対して「応答」がなかったので、やめたということですから、「今回の応答は終了」というのが、正しい日本語でしょうね。
まあ、どうでもいいですが。
3714
:
犀角独歩
:2009/01/13(火) 06:39:40
問答名人さんほか諸賢
◇熱原三烈士について
日宗全興門集を覧ていたのですが、『白蓮弟子分與申御筆御本尊目録事』には、以下のようにあります。
富士下方熱原郷住人神四郎兄
富士下方同郷ノ住人弥五郎弟
富士下方(郷住人)弥次郎
ところが、いま、熱原三烈士というのは、神四郎、弥五郎、弥六郎ですね。3人目の名前が違うわけです。富要で覧みると、この3人の名で書かれているのは日亨氏の『富士史料類聚』のみのようです。これは日亨氏の誤記がそのまま、用いられた可能性はないのでしょうか。
あと、昨日、mixi で、ちょっと書いて、こちらの参加の皆さんからもレスを頂戴したのですが、石山の熱原三烈士墓碑にやや疑問を持っています。
当スレ3173にきゃからばあさんがご投稿くださっていることですが、この墓碑に刻まれている名前は
中央 熱原住人 神四郎
右側 田中住人 四郎
左側 広野住人 弥太郎
とのことでした。ここでいう田中、広野というのは、地名ですね。熱原とは違います。名前も四郎、弥太郎ですから、違います。すると、この中で熱原法難に関連するのは、「熱原住人 神四郎」ということになります。
この墓碑の建立は弘化3年(1846)ということでした。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/3173
『富士年表』で覧ると、この年、猫沢(富士郡芝川町だと思います)で法難が起こったと記されています。
地名の 田中 広野 猫沢
名前の 四郎 弥太郎
この墓碑が熱原三烈士以外の可能性はないのでしょうか。
墓碑の後ろにある日柱の碑文は、もとより、熱原三烈士以外を記したものを取り違えたのではないかという疑問です。
もちろん、断定ではなく、あくまで可能性として考えてみたいと言うことです。
皆さんのご賢察並びに、ご意見をお聞かせ願えれば有り難く存じます。
3715
:
問答迷人
:2009/01/13(火) 16:32:55
犀角独歩さん
この件、ずっと昔にも、当掲示板で考えた事がありました。
http://fujimonshinto.hp.infoseek.co.jp/keijiban/boukoku.htm
この時の一応の結論は、大石寺は、三烈士の名前を知らず、日精の家中抄の記述に基づいて、誤って、碑を建てたのではないか、という事で終わっています。
根拠は、日興上人の弟子分帳に「在家人弟子分。富士下方熱原郷の住人神四郎、兄。富士下方同郷の住人弥五郎、弟。富士下方熱原郷の住人弥六郎。」とあるというのが、その時の議論でした。
家中抄の該当箇所を引用してみます。
『亦大聖人よりは籠舎の人々に御書を下さる聖人御難抄と号するなり今重須に在り、其使も日興なり、籠舎の人々は熱原の郷の住人神四郎、田中の四郎、広野の弥太郎なり、残りは所を追ひ払ひ或は所帯を没収し財宝を奪ひ取り給ふ、同三年に法華宗の檀那三人をば頚を切つてぞ捨たりける、されば彼の三人の追善に大曼荼羅を書写し給ふ』(富士宗学要集第五巻152頁)
3716
:
問答迷人
:2009/01/13(火) 16:36:04
御免なさい、レス数を書くのを忘れました。
http://fujimonshinto.hp.infoseek.co.jp/keijiban/boukoku.htm
192〜201レス付近です。
3717
:
問答迷人
:2009/01/13(火) 17:19:14
もう少し補足しますと、日興上人の弟子分帳は、富士宗学要集では在家弟子分の記載は省略されていますので、神四郎等の三人の箇所は載せられていませんが、独歩さんが仰るように、第九巻の資料類聚の257ページ、熱原法難の箇所に記載されています。これが、3715レスでご紹介した箇所です。
又、この件は、両山問答で北山から指摘されて、大石寺は詰まってしまいました。
「明治十一年十二月 権少教正玉野日志
御直筆に云く、一富士下方熱原郷の住人神四郎(兄富)士下方同郷の住人弥五郎(弟富)士下方熱原郷の住人弥次郎此の三人は越後房下野房の弟子廿人の内なり、弘安元年挙信し始むる処舎兄弥藤次入道の訴に依り鎌倉へ召し上げられ終に頚を切られ畢ぬ平左衛門入道の沙汰なり、子息飯沼判官ひきめを以って散々に射て念仏を申すべきの旨再三之を責むと●も廿人更に以て申さざるの間張本三人を召し禁めて断罪せしむる所なり、枝葉十七人は禁獄せしむと●も終に放ち畢んぬと、又弘安二年十月十二日賜はる御抄を開山直写の本に云く、大進房弥藤次等の狼藉に至っては本源行智の勧に依て殺害刃傷する所なりと、知るべし事実人名人数並に皆御直筆に違す所伝何等を以て証とするや、請ふ明示せよ。」
3719
:
問答迷人
:2009/01/13(火) 17:47:42
もう一つ追加です。第九巻の資料類聚の257ページでは、三人目は「弥六郎」となっていますが、玉野日志は、弥次郎と書いています。日宗全興門集も、玉野日志も弥次郎なら、日亨氏の誤記の可能性が高いですね。まぁ、弟子分帳に直接当らないと判らない事でしょうが。
3720
:
犀角独歩
:2009/01/13(火) 21:25:12
問答名人さん
明晰なご教示、有り難うございました。
既に議論があったことでしたか。わたしはまるで記憶しておりませんでした。また、何故過去の議論に加わってもいなかったのですね。
三学無縁さんにお借りした日宗全興門集は手許にありますが、日志の書く如く「彌次郎」となっています。実際の正筆はどうなのでしょうか。
深く御礼申し上げます。
3721
:
マターリ
:2009/01/13(火) 21:49:31
法難について、日蓮聖人がどのような感慨をもっておられたか、調べて
いたことがあります。弟子の死というものを、どのように捉えていたか
を調べることで、建て前ではない、聖人の本音に迫りたかったからです。
日蓮聖人は、とても弁が立つ方ですが、御書を読んでも弟子の死につい
て、不思議なことに、あまり語っていないと思います。
小松原の法難では、鏡忍坊と工藤吉隆が戦死しました。熱原法難では、
三烈士が斬首されています。しかし、彼等について、日蓮聖人の言葉は
わずかだと思います。
悲しいときは、大地に身を投げ出して哭泣する聖人が、大切な弟子の死
に際して何故、言葉が少ないか、お教えください。
3722
:
犀角独歩
:2009/01/14(水) 00:22:00
マターリさん
3721 の視点、面白いですね。興味深く拝読しました。
3723
:
問答迷人
:2009/01/14(水) 08:46:59
犀角独歩さん
>三学無縁さんにお借りした日宗全興門集は手許にありますが、日志の書く如く「彌次郎」となっています。実際の正筆はどうなのでしょうか。
れんさんがこの件について、当スレッドの3172レスで、次のように述べられていますので、ご承知の事でしょうが、ご参加の皆様にご覧戴きたく、以下に転機させていただきます。
3172 名前:れん 投稿日: 2007/02/02(金) 15:41:41
犀角独歩さん
熱原の信徒三人の処刑日は、今となっては特定できないと思います。堀日亨師は神四郎追善の日興書写曼荼羅の書写年月日により、四月八日に比定してますが、四月八日に関しては、日興は仏生日に漫荼羅を書写する例が蓮師命日に続いて多いことを考えると、必ずしも、神四郎追善の漫荼羅書写日のみをもって、三人の処刑日と断定するには根拠が薄く感じます。日興写本の現存する弘安三年四五月頃の日蓮遺文に(いま、出先なので原文に当たれませんが)「先もそらごとなり…」云々と、熱原についてのべた下りがあり、おそらく、本消息の書かれた弘安三年春には熱原法難は終息していたと思われますから、三人が処刑されたのは、法難が勃発した弘安二年九月から日蓮遺文から法難の終息がうかがわれる翌年春の間と、大雑把ですが推定するしかないと愚考します。
さて熱原信徒の張本三人が特に斬首という厳しい処断を受けた理由は、日蓮の宗教活動は、幕府から見れば、元冠にて非常事態体制下にあった幕府の挙国一致の宗教政策に従わずに反対・反抗する“悪党”勢力であり、特に駿河は得宗領でしたから、厳しい姿勢と処断をもって、得宗権力が反幕府の“悪党”としての日蓮門下信徒の弾圧を行ったというのが実際ではないでしょうか。幕府(内実は得宗権力)は熱原の農民信徒に対する厳しい処罰を通じて、日蓮やその門下僧俗等の反得宗権力・反幕府的な宗教活動を牽制しようとしたというのが、当たらずとも遠からずの“理由”でありましょう。
熱原の三人の中の弥六郎と弥次郎の表記の相違は、現存する日興正本「本尊分与帳」は痛みが激しく判読不可ですが、江戸期の北山歴代である日優の写本では、「弥六郎」ではなく「弥次郎」となっており、かつての日興正本では「弥次郎」であった可能性があり、弥六郎は石山の所伝で次を六と誤読した結果の誤伝の可能性の方が高いと思います。
正本には当れないとすると、北山の写本に拠るしかないのでしょうね。
3724
:
犀角独歩
:2009/01/14(水) 17:54:07
問答名人さん
重ねてご教示有り難うございます。
また、れんさんには、先にご教示を頂いておりながら、失念をするというご無礼、平にご容赦ください。お詫び申し上げます。
ともかくも今回の疑問は、既に議論済みとのこと、落着した気分となれました。
御礼申し上げます。
3725
:
彰往考来
:2009/01/14(水) 20:42:02
横レス失礼。
過去の議論を蒸し返すようですが、
>おそらく、本消息の書かれた弘安三年春には熱原法難は終息していたと思われます
というのは違うでしょうね。
彰往考来
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