[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
素朴な疑問
3717
:
問答迷人
:2009/01/13(火) 17:19:14
もう少し補足しますと、日興上人の弟子分帳は、富士宗学要集では在家弟子分の記載は省略されていますので、神四郎等の三人の箇所は載せられていませんが、独歩さんが仰るように、第九巻の資料類聚の257ページ、熱原法難の箇所に記載されています。これが、3715レスでご紹介した箇所です。
又、この件は、両山問答で北山から指摘されて、大石寺は詰まってしまいました。
「明治十一年十二月 権少教正玉野日志
御直筆に云く、一富士下方熱原郷の住人神四郎(兄富)士下方同郷の住人弥五郎(弟富)士下方熱原郷の住人弥次郎此の三人は越後房下野房の弟子廿人の内なり、弘安元年挙信し始むる処舎兄弥藤次入道の訴に依り鎌倉へ召し上げられ終に頚を切られ畢ぬ平左衛門入道の沙汰なり、子息飯沼判官ひきめを以って散々に射て念仏を申すべきの旨再三之を責むと●も廿人更に以て申さざるの間張本三人を召し禁めて断罪せしむる所なり、枝葉十七人は禁獄せしむと●も終に放ち畢んぬと、又弘安二年十月十二日賜はる御抄を開山直写の本に云く、大進房弥藤次等の狼藉に至っては本源行智の勧に依て殺害刃傷する所なりと、知るべし事実人名人数並に皆御直筆に違す所伝何等を以て証とするや、請ふ明示せよ。」
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板