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死刑制度についてひと言お願いします

1boro:2003/03/16(日) 14:16
死刑制度については他のサイトとかで
さんざんやってきたテーマだと思いますが
そのときの犯罪事情によっても意見が
違ってくると思います。そういう意味で
いま現在、どのように思っているかを
簡単でかまわないので意見をきかせてください。
場合によってはテキストを書く上で参考にさせて
いただくかもしれません。よろしくお願いします。

402白たん:2003/12/08(月) 22:06
人権を持ち出して死刑反対を唱えるひとも少なくないですが、泣いて馬謖
を斬る です。世の中の統制を考えると、やはり死刑は必要だと思います。

403人権:2003/12/09(火) 14:43
日立市の放火殺人事件の控訴審判決(一審の死刑から無期に減刑)が
出ましたが、遺族の「遺品はすべて燃え、葬儀で着せる服も残らなかった
のに、被告は法廷でバカなことを何度でも言える。同じ命なのに重さが
違うのか」との言葉を<感情論>だと批判することはできないと思います。

人権はもちろん大切なものですが(死刑囚にもあるでしょう)、それを奪った方
にも奪われた方と同等に保証されるとすれば些か不公正ではないでしょうか。

404路傍:2003/12/09(火) 23:31
久々に書き込みさせていただきます。
>僕は死刑の本質は「復讐」、つまりこんな極悪人は
許し難いという、ごく自然な人間感情に基づく物であると考えます。

死刑の本質から考えようとするのはいいことだと思います。
しかし、死刑の本質を「復讐」ととらえるのはどうでしょうか。
「復讐」や「あだ討ち」といったことをみとめないのが法治国家の前提です。
国家が代わりに加害者を捕らえ、処罰してくれることを考えると、国家
が「復讐」役をになってくれるようにも聞こえますが、国家がしているのは
復讐ではなく、社会秩序維持です。刑事法はそのために存在しています。
そして死刑はそのための道具です。
したがって死刑の本質を「復讐」と考えるのは、間違っていると思います。
国民(国会)が法を作り、司法がその法を解釈して、適用する。根底にあるのは
社会通念であり、社会(裁判所)が罪人に下す刑という行為に「復讐」という言葉は
なじまないでしょう。
刑事法は個人に制裁を加えるというよりも社会秩序維持のために存在しているので
すから。

>死刑存続派の、司法の
 下す死刑判決は正しいと言うその傲りが怖いのです。

私は死刑存続派ですが、司法の下す判断は常に正しいとは思いません。
おっしゃりたいことは「人間の判断には間違いがある。そしてそれが
罪のない人を死刑にしてしまうかもしれない。だから死刑反対」という
こと、つまり冤罪の危険性を恐れておられるのだと理解しています。
しかし、現在の日本の司法制度は過去の経験から、冤罪にならないように
非常に緻密に設計されているといえます。冤罪につながる可能性はほとんど
ないといえます。その傾向は昨今の人権意識の高まり、マスメディアの発達
などでますます強まっています。
したがって冤罪を理由とする死刑廃止論はあまり説得力がありません。
テレビ・映画の見すぎといわれるのがオチです。

つぎに司法判断は「正しい」と言う点ですが、なにをもって正しいというので
しょう。数学の世界ではないので司法判断に100%はありません。
証拠、供述等で「疑いを挟む余地がない」程度に犯人と断定されればいいのです。
それは裁判官の確信によります。そしてその判断に行くまでには証拠の証拠能力
など、一つ一つ調べられます。
裁判官が法を解釈適用した結果、死刑が相当となったとしても、それは国民が
つくった法の理念に照らした結果で、誰の独断でもありません。
正しさとは社会通念の下した判断でもあるのです。
これを「傲り」いうのは間違いです。

社会通念を形成する人々がさまざまいて、死刑が刑罰として残っているのは
存続すべしという社会通念が出来上がっているためです。

おっしゃるようにいずれにしても議論が必要なテーマですが、廃止論として
冤罪を理由とするのは弱いし、司法判断は正しいということを前提に存続を
唱えるひともほとんどいないと思われます。

405さぶ:2003/12/10(水) 22:24
>404
いえ、死刑は復讐権の代行だと私は思います。復讐という響きがえげつないとお思いの方多いようですが、
死刑は「えげつない、あって然るべきもの」だと思います。そこを認めない事が、
このスレッドが400を超えるのに、同じようなやり取りの繰り返しに終止してる原因だと思います。

406仙道:2003/12/11(木) 01:29
考えたり思ったりするのは個人の勝手。

407白たん:2003/12/11(木) 15:32
統計によっても日本人の大部分が死刑制度に賛成ということですから、
現状でいいのではないのでしょうか????

408黒たん:2003/12/11(木) 20:09
死刑制度の是非以上に感じる事。
犯した罪に見合った刑罰が、審判が下されているのだろうかと思う事がしばし
ばあります。
「あれだけの酷い事をしていてこんな(軽い刑)なの?」
って思う事が・・。
死刑制度どうこう以上に、むしろこちらの方が・・って気がします。
なんか、こんな風に書く事自体がこのスレッドに見合ってませんかしら、スミ
マセン。でも、そう思うんですよね・・。いかがでしょうか?

409猫に小判鮫:2003/12/11(木) 21:52
>「あれだけの酷い事をしていてこんな(軽い刑)なの?」

たとえばどんな事件が当てはまりますか? 分かりやすい例をあげてみてください。

410変態弁護士:2003/12/11(木) 23:13
新潟女性監禁事件 懲役14年
飲酒トラック高速道路追突事故 懲役4年7ヶ月 (業務上過失致死は5年以下
の罪)
サカキバラ事件他少年犯罪全般。

411おはようチワワ:2003/12/11(木) 23:19
動物虐待に対する罪が軽すぎ。

412黒たん:2003/12/12(金) 07:38
>>410の変態弁護士さんのご意見と重なりますがS63〜H元年にかけてありまし
た、女子高生コンクリ詰め殺人が顕著な例だと思います。因みに
主犯A:懲役20年
B:懲役5〜10年
  C:懲役5〜9年
  D:懲役5〜7年
  E,F,G:少年院送致
でしたが・・この事件のスレッドでも最近出てきた話ですが、主犯Aが近々出所
らしいです。

413変態弁護士:2003/12/12(金) 12:39
山口の母子殺人は無期懲役。これは納得いかん。

414のる:2003/12/12(金) 15:56
堺市通り魔事件
一審懲役18年。
しかも心神喪失を理由に無罪を主張。控訴。
覚せい剤やシンナーやアルコールによる心神耗弱・心神喪失は、はっきり言って納得できん。
自分の意志で使用したんやん。

415ssts:2003/12/16(火) 12:43
僕は死刑制度に大賛成です。理由は見せしめ的効果と、もう一つが
大事なのですが、彼ら犯罪者に私の払った税金を使われるのが腹立たしい
からです。一ヶ月じゃ早すぎると仰る方もいらっしゃいましたが、
裁判中の勾留期間を含め、相当の「無駄銭」を使ってるのです。
量刑にも納得いかないが、犯罪者の待遇にも納得いかないですね。

416とと:2003/12/16(火) 14:06
昨今の刑務所の収容率は100%を超えたとかという話も聞きます。また、刑務所内では
最低でも衣食住は保障されることから、刑務所に入るためにほどほどのレベルの犯罪を
犯す人もいるとか…。確かにもう少し刑というか待遇を下げてもいいんじゃないのかと
は思いますが。まぁ、人権問題もある以上、一定の質以上に待遇を下げるのは無理なの
でしょうね。

417人権:2003/12/16(火) 14:38
先般「行刑改革会議」の提言要旨が報道されていました。それによると
<8時間の刑務作業の短縮・外部との電話許可・服役態度によっては
外出・外泊も可・医療水準の引き上げ等>が盛り込まれているようです。

某委員などは<健康保険の適用>を求めています。
確かにあらゆる人間に人権はあるでしょうから、刑務所だからといって
余りにも非人道的な扱い方は問題でしょうが、相変わらず犯罪被害者の
権利は後回しにされている感はぬぐえませんね。

418府中ホテル:2003/12/16(火) 14:49
務所は運動はするし、三食食えるし、薬はやらない。健康になりまっせ!

419名無し:2003/12/18(木) 00:03
法律とは、平和を願う人が平和に暮らせる為に存在していて欲しいですね。
平和な日常を本当に保証してくれるのであれば、
別に税金を使ったってかまわない。

420人権:2003/12/18(木) 15:25
報道によれば、今般刑法に関して明治以来の大幅な見直し作業が
検討されるそうです。

例えば、強姦罪の刑期引き上げ等が考えられているようです。
私も基本的には賛成です。我が国には死刑制度があるため、
何となく刑が重いような感覚がありますが、実際には必ずしも
そうではない。特に生命を奪うような凶悪犯罪に対する刑が軽すぎ
ます。殺人事件でも刑期が一桁というケースも稀ではない。
交通事犯も軽いですね(もちろんただ重くすればいいというもの
でもありませんが)。

そもそも「人生50年」と言われた時代と「人生80年」に近づいて
いる今とでは、時効の問題一つとってみても再検討する必要があるの
ではないでしょうか。

死刑の存廃問題が検討されるかどうかわかりませんが、犯罪行為に
相応しい償いとしての刑罰を考慮してもらいたいですね。
あと、言うまでもないことですが、犯罪被害者の人権にも配慮した
法体系を確立すべきだと思います。

421償い:2003/12/19(金) 16:17
実名を公表したほうがいいと気持ちの中では思ってしまうのですが…。
本当に加害者の方たちは悔い改めているのかと思ってしまいます。

422それでも:2003/12/19(金) 16:34
凶悪な犯罪者は死刑にするのではなく、残りの人生で自分の犯してきた過ちを反省させる。
これって死ぬことよりいちばん苦痛だと思います。

423草田男:2003/12/19(金) 18:09
先日放火事件で4人が死亡するという事件が起こりましたが、殺人では起訴されないような
雰囲気。
放火罪で死刑は今までにありますか?

424草田男:2004/01/15(木) 14:07
http://share.dip.jp/soba/soba0303.html
これを読んでいると上田大の強盗殺人をしかたのないことと捉えているように
思える。

425むむ・・・:2004/01/15(木) 14:36
痴漢・婦女暴行・強姦等女性に対する罪の引き上げが時々話題になりますが、この手の犯罪は証拠がなくても女性の虚言だけで有罪になることも多々あるようです。
米国ではDNA鑑定を導入した結果、百名単位の男性の無実が後から証明され、晴れて刑務所から出獄したそうですが、日本ではこういう改善すらまず無理でしょう。
冤罪救済についてほとんど取り上げられないのは、やはり日本人が理屈に弱く、雰囲気に流されやすい民族であることがかなり影響していると思います。
外交交渉でも日本はとても弱い。知人の外国人は、日本政府は「外交が弱い」のではなく「外交がない」と言っていますが、私も反論材料がありません。

426人権:2004/01/15(木) 15:27
316の方が触れておられた三島女子学生焼殺事件の一審判決が
出ましたね。死刑の求刑に対して判決は無期。理由は(新聞報道によれば)

(1)殺人など人を傷つける前科がない
(2)周到な計画に基づく犯行でない
(3)幼少期の劣悪な生活環境は量刑上考慮されるべきだ

とのこと。(1)は平たく言えば「殺したのが1人であれば死刑には
ならない」ということでしょう。「幼少期の劣悪な生活環境」の
形成に仮に被害者が深く与っている様な場合であれば、(3)の如き理屈も
成り立つかもしれませんが、今回の被害者とは何の関係もないことです。

いつも思うことですが、「反省・謝罪している」か否か果たして確実に判断
することが可能なのでしょうか。人の心の中など他人には窺い知れない
部分があり、職業裁判官といえども見誤る場合がないとは言えないのでは
ないでしょうか。


−とし「死刑をもって処断することは、
ちゅうちょせざるを得ない」と結論づけた。

427人権:2004/01/15(木) 15:32
すみません!上の書き込みの最後の

とし「死刑をもって処断することは、
ちゅうちょせざるを得ない」と結論づけた

は余計なので無視して下さい。

428ガイブレイブ:2004/01/16(金) 19:22
>423さん
現住建造物等放火の罪は、死刑又は無期懲役若しくは5年以上の懲役。
殺人の罪は、死刑又は無期懲役若しくは3年以上の懲役。
放火の方が少し刑が重いようになっていますね。
刑法ができた明治41年頃は、家と家との間が狭く、燃えにくい素材を使っている
わけでもなかったので、一軒に火がつくと何軒も被害に遭うために放火の方を重く
したと思われます。
現在は、当時と状況がかなり変わっていますので、刑法改正ということが出てきて
いるのでしょう。

429loveless:2004/01/21(水) 01:28
>>426 人権さん
最近、このような「残虐極まりないが、被害者が一人なので、求刑死刑
判決無期懲役」というケースにだんだん驚かなくなりました。
(やはり数年前に、検察が、被害者一人という理由で無期はおかしいと
上告した件が却下されたのが大きいと思います。このとき却下した
最高裁の判事は誰だったか。。。)

それにしても、(3)のような理由で死刑回避の理由を説明する判事
がほかにもいたような気がしたのですが、これって世間一般的に
容認されている理由なんでしょうか?
私は、人権さんと同じように「へぇ、だから?」くらいにしか
思いません。

また、ひょっとして、今が、人権さんが420で触れられているように
刑法の抜本的見直しで、死刑廃止を盛り込むための準備段階
なのでしょうか?
(微妙な時期には死刑判決は出さない。。。オウム除く)

430松葉屋:2004/01/21(水) 22:01
死刑の執行をためらう法務大臣を国民の側から法的に制裁を加えることは
できないのでしょうか。

431黒たん:2004/01/23(金) 06:29
>>429
 (3)のような理由で死刑回避の理由を説明する判事がほかにもいたような気が
 したのですが、これって世間一般的に容認されている理由なんでしょうか?
 私は、人権さんと同じように「へぇ、だから?」くらいにしか思いません。

同感です。おかしな言い方かも知れませんが、どうしてこれだけの酷い事して
いてこんな軽い刑...といいますか、納得いかないところがありますよね。傍で
見聞きしている我々でさえそう思いますもん、当事者(原告側、被害者)はもっ
ともっとそう思うのではなかろうかと。

確かにどれだけ酷い事をしでかしたとしても、逆に幼少期の劣悪な家庭環境下
で犠牲になっていた。そういう意味で言えば「被害者」であるのかも知れない。
だけどそんな中でも真面目に一生懸命やっている人だっていくらでもいると思
うし、劣悪な環境だったから(罪を犯すのは)至仕方ないというのは理由になら
ない、言い訳だとさえ思います。何をしてもいいのかよ...って。

>>426
 「反省・謝罪しているか」否か果たして確実に判断することが可能なのでしょ
 うか。人の心の中など他人には窺い知れない部分があり、結局裁判官といえ
 ども見誤る場合がないとは言えないのではないでしょうか。

人の心ほど難しい部分ってないと思うから、そういう事もおのずと出てきます
よね。又人間だから間違いはある、裁判官だって人間だから...でも極端な話、
人の命だって係わってくるワケじゃないですか。「見極め違い」が生じてしまっ
たが為に、新たな犯罪・被害者・死者が出る場合だってあるのだから、そうい
う意味において人命が係わって...とも、なりますよね?
そういった事等を、考慮しているのだろうかという気がします。

432人権:2004/01/29(木) 15:20
沼津ストーカー殺人事件で、又「求刑:死刑→判決:無期」という判断
が出ましたね。しかも三島事件の時と同じ裁判長(高橋祥子)。
マスコミ報道によれば、

「残虐かつ凄惨(せいさん)な犯行だが、計画性はなく、
 被告に矯正の余地は残されている」
「被告は犯行当時、境界性人格障害で、家庭や学校など成育環境の影響を
 否定できず、量刑上考慮せざるを得ない」
「人格障害や犯罪傾向の改善は困難だが、矯正、治療の余地は残されている」

とのことですが、「計画性」があろうがなかろうが、被害者にとっては
関係ないでしょう。
「人格障害や犯罪傾向の改善は困難」とまで言っておきながら、
「矯正、治療の余地は残されている」と判断する根拠はどのあたりに
あるのか、直接聞いてみたい気がします(無理でしょうけど)。

この男は以前にも同様のメッタ刺し事件を起こしているそうです。
将来出所したのちに再び犯行に及ぶ「余地も残されている」
のではないでしょうか(もちろん控訴されて異なった判断が
示される可能性はありますが)。

どうも裁判官自身なるべく死刑判決を回避したいという姿勢が
伺えるように思います。それが確固とした廃止論に基づくもの
なのか、単なる事なかれ主義の様なものなのかはよく分かりませんが。

433人権:2004/01/30(金) 01:19
続けて失礼します。先の沼津の事件の判決を受けての御遺族のコメント
が新聞に掲載されていました。

「極刑以外は全く考えていなかった。娘の人権はどこへ行ってしまったのか」

<死者には人権を想定することはできない>という考え方もあるよう
ですが、何か釈然としない思いが残ります・・・

そもそも登校時に待ち伏せているのですから、「計画的でない」とは
言えないのではないでしょうか。

434:2004/01/30(金) 05:51
まったく、法律って弱者の味方ではないのですね、
被害者の過去も未来も全て奪い、残された遺族を絶望においやり、あげく
計画性が無かったとか、反省しているとかで15年や20年の懲役ですから、
人生今時80才位までは生きる訳で、償いにしては短すぎますよね

435黒たん:2004/01/30(金) 06:17
>>432 
 どうも裁判官自身なるべく死刑判決を回避したいという姿勢が
 伺えるように思います。それが確固とした廃止論に基づくもの
 なのか、単なる事なかれ主義の様なものなのかはよく分かりませんが。

という人権さんのお言葉に同感です。又、人権さんがおっしゃっていたストー
カー殺人の一審判決の事が取り上げられてなおの事…。
どれだけ被害者が肉体的&精神的苦痛を大いに味わわされて→最終的に殺され
ても、そこに至るまでの経過等は一切関係ないのか…それこそ、言葉は悪いで
すが
「人一人殺しただけでは死刑にならないのか」
とか、「無期懲役」というのが便宜的に使われているのかとさえ思えてしまうと
ころがあります。最近とみにそう感じますね…。

ただホントのホントによく見極めた上でというならまだしも、もし「便宜的」に
なんていったらたまったもんじゃない。「ふざけるな!!」でしかないよねって思
います。傍で見聞きしている側でさえそう思いますもん、被害者(遺族)サイド
の方々はもっともっとだろうなと。

なんかスゴク穿った見方なようで申し訳ない&言い訳めいてるかも知れませんが、
が、でもそう思わせるようなところが感じられるなと。そういう見方をなくさせ
る様な、でもそれより何より中立かつ公正に見極めるのが裁判官の仕事であり立
場なのだから…。

436元愛媛県民:2004/01/30(金) 15:30
犯罪はもっと客観的に見るべきなのではないでしょうか。
犯人がどんな境遇で育ったのか、あるいは裁判で反省の態度を見せているかどうかなどは
犯罪行為とはまったく関係はありません。
法律学者は「因果関係」というものをあれだけ厳密に問うのに、犯人に対して「責任論」という場面になると、
犯罪者救済のためにそれを使っているとしか思えません。
「家庭環境が貧しいから犯罪をおかした」「犯行を心から反省している」
こんなことを大新聞が書くのはやめてほしいと思います。
そういったことが容易に「自分が犯罪者になったのは家庭環境のせいだ」
「反省しているのだから死刑にはならない」ととんでもない発想につながっていくのだと思います。

438bibo:2004/01/30(金) 22:14
あなたは、目前の罪を悔い改めた死刑囚の首を自分の手で
刎ねることができますか?

440miyuki:2004/01/31(土) 13:26
>>438
では、悔い改めているという判断はどういった所で出来るのでしょうか?

441loveless:2004/01/31(土) 22:56
>>432
その一方で、オウム真理教の土谷被告の判決が死刑となり、
これで教団関係者の死刑判決は11人となりました。

国家に対する挑戦には、やはり厳しい。。。

442loveless:2004/02/14(土) 18:17
中国で覚せい剤を密輸しようとした日本人が死刑判決(執行猶予なし)
を受けました。
日本に比べてあまりに厳しい。。。(で、こんな法律の中でも
めげずに犯罪を続けているような輩が日本へ出稼ぎに来たりする)

隣の国がこのような厳しい刑罰を科している状態で、仮に日本だけで死刑を
廃止しても、地域のバランスが崩れそうで、(廃止は)改めて時期尚早では
ないかと思いました(犯罪者を大量輸入しそう。。。)


ちなみに新聞によると、このように中国からの覚せい剤持ち出しで逮捕された
人の多くが、ホームレス等の普段あまり犯罪に関わらない人達で、見知らぬ人
から数十万程度の報酬で中国行きを頼まれるとの事。
法律を知らないと損しますね。。。

443ほげ:2004/02/21(土) 00:10
ワタシは死刑廃止論者ですが、
現時点では大勢の意見に従わざるをえないと考えています。

その個人的な死刑廃止論の根拠ですが、
まずしばしば語られる2点の問題点、
1.刑務官/裁判官の人権問題
2.冤罪の可能性 があると思います。
やはり合法的な殺人というものに
人間は手を染めるべきではないでしょう。

そしてもう1点、実は上の2点より重視しているのですが、
たとえば殺人という大罪に対して、死刑がその応報になっているか、
という点について強い疑問を感じています。
これは個々の生死観宗教観に依存する問題になってきますが、
死イコール絶対的な無だとはとても思えないのです。
(死後の世界についてオカルト的な与太話を信じているわけではありません)
生前に犯した大罪に対する応報は生前に与えられるべき。
死刑はその大前提を壊してしまうものであると考えています。
(そこで死刑廃止時は刑期の長期化や懲役の厳格化も必要でしょう)
もっとも、現在の多くの日本人はワタシとは違う生死観を持っているようであり、
現行の死刑制度をしぶしぶ認めているといったところです。

444むむ・・・:2004/02/21(土) 00:59
>>443
おっしゃる通り、死刑の賛否については個々人の思考に前提条件があり、議論して終息するものではないと思います。
私は死刑賛成派です。根拠は、「人を殺した者は死刑」という単純明快な発想で十分だと思っています。
情状酌量はそのあとの話です。

445Katsu:2004/02/21(土) 02:18
>>443

>生前に犯した大罪に対する応報は生前に与えられるべき。
>死刑はその大前提を壊してしまうものであると考えています。

この点については、ちょっと疑問があります。
死刑は生きているものに行う極刑です。
死んだものに対して死刑はありません。

446元愛媛県民:2004/02/21(土) 09:43
 これは個人的な意見ですが、いままでマスコミ、政治家の発言、行動をみていると、
死刑廃止派の人たちの多くは親中国、親北朝鮮の発言をしているのが非常に気になっています。
意見は人それぞれ自由ですが、死刑に反対ならば中国や北朝鮮のように人権が無視され、軽々しく死刑が
おこなわれている国に、なぜ批判的な発言をしないのか・・・・。
私は死刑賛成派ですが、中国の死刑はあまりにも軽微な犯罪に対しておこなわれすぎていると思っています。
死刑廃止派の人たちは、「日本でおこなわれる死刑」に反対ではなく「人間に対しておこなわれる死刑」に
反対しているのだと思うので、中国政府に対しても抗議すべきではないでしょうか。

447ikkuynn:2004/02/21(土) 12:25
 今回の中国の覚醒剤密輸(疑惑)事件、判決を受けた日本人は、死刑が確定した
のでしょうか?「判決を不服として控訴した」といった話を聞かないので…。それ
とも、もともと中国では三審制が採られていないのでしょうか?ややスレ違いかも
知れませんが、死刑判決に不服さえ述べられないとすれば、問題だと思うので…。

448草田男:2004/02/21(土) 14:23
中国は二審制です

449かわち:2004/02/21(土) 14:44
草田男さんのおっしゃるとおり、中国は二審制ですが、
ほとんど上訴して、覆ることはないようです。
また死刑判決の場合、嘆願で「執行猶予付き死刑」に
減刑されることもありますが、これは執行猶予期間に
重大な事件を起こさず、捜査に協力すれば(これは明記されてませんが)
最短懲役15年まで減刑されるという制度です。

いくら経済面で民主化が進んで来ても
人権・言論の点でまだまだ中国は民主化されて
いないようですね。こういった刑事罰の不均衡が
中国人犯罪者の日本流入を加速させている側面は
否定できないと思います。

450元愛媛県民:2004/02/21(土) 16:17
たしか、殺鼠剤を食べ物に混入し数十人を殺した犯人は、控訴しその日のうちに、棄却されて
死刑になったのではなかったでしょうか。

451ikkunn:2004/03/02(火) 03:29
 死刑制度の犯罪抑止力について、一言。
 マスコミが大々的にとりあげているせいなのかも知れませんが、最近、死刑判決
を覚悟の上で犯罪に及んだ、と思われる凶悪犯罪が発生しているので、気になって
書き込みさせていただきました。
 例の池田小の児童殺傷事件、及び神奈川西部の連続通り魔事件の(元?)被告人
らは、いずれも自ら死刑を望んでいるとの旨の意思を、公開の法廷の場で表明しま
した。
 仮に彼らが本心から死刑判決を受ける事を望んでおり、それを恐れないとするの
ならば、果たしてこれらの犯罪を国家権力によって抑止する術はあるのでしょうか?
 死刑に犯罪抑止力がある事は、疑い無い事実だと思います。大多数の人間は、い
かなる方法であれ、国家権力によって自らの生命を絶たれる事など望みはしないで
しょう。しかし「死刑になっても構わない」と考えて凶悪犯罪に及ぶ者がいるとす
れば、これらの者に対する「現行の」死刑制度の犯罪抑止効果(一般予防機能)に
疑問を感じざるを得ません。また実際にその者が死刑に処せられても、被害者の遺
族(等)の感情は、少しも癒される事はないでしょう。従って、その「報復機能」
をも果たせないと思います。
 死刑を恐れない(と表明する)犯罪者に、中世のような残虐な刑罰を望む訳では
ありません。また、本心から「絞首刑」を恐れないと思う犯罪者はごく稀だと思い
ます。しかし「死刑にしてくれ」と自ら表明する犯罪者には憤りを感じます。死ね
ば済むとでも思っているのでしょうか?
 私は、基本的には死刑制度の存続には賛成です。ただ、わが国の現行の死刑制度
が「極刑(=最も重い刑)」であるとは思いません。これに代わる極刑の創設を望
みます。憲法36条の範囲内で考えれば、それは絞首刑よりも、むしろ終身刑であ
ると私は思います。

452白たん:2004/03/02(火) 15:22
死刑判決を望むような生物的な危険分子は死刑によってその子孫を根絶しなくては
いけません。それが本人の望むことかは問題ではありません。

453ゼロ:2004/03/03(水) 01:56
>死刑に犯罪抑止力がある事は、疑い無い事実だと思います。
死刑が犯罪の抑止力になっている、というデータは実はないようです。
むしろ、逆に死刑を廃止したあとに犯罪が減ったというデータはあるようですが
犯罪が減ったという事実と死刑廃止との因果関係ははっきりしていないらしいです。
また、だからといって死刑を廃止しても犯罪は増えない、とは言い切れず
これだけは実際に廃止にしてみないと分からないことです。
法務省ははっきりと死刑には犯罪抑止力があると主張していますが
その根拠となるデータは見たことがないです。

死刑判決を覚悟で犯罪を犯すというのは年に1度あるかないかだと思います。
全体の1%くらいかもしれません。だからといって無視していいものでもないです。
人によっては死刑よりも終身刑のほうがツライと思う者もいるとは思いますが
やはり死刑の方がイヤだと思う者が圧倒的に多いと思います。死刑判決が出ると
いうことは「更生の余地なし」というほかに、生かておいておけないという
国側の判断であり、そうなること自体、精神的にショックではないかと思います。
日曜を除いた?毎日の朝、もしかしたら今日あるかもしれないと思いながら
過ごさなければならない恐怖を味わうだけでもツライですね。その点から言えば
終身刑は刑務所から出られないもののずっと生きていられるわけですから・・・。
誰も人殺しになるために生まれたわけでも、人に殺されるために生まれてきた
わけでもないのに、こうなってしまうことは悲しいことです。
エラソーなこと言ってすみません・・・。

454えふ:2004/03/06(土) 18:09
そういえばこの前の麻原こと松本智津夫裁判で、坂本弁護士の同僚の方が
「当たり前ですが死刑では1度しか死にませんから・・」
とおっしゃっていたのが印象深かったです。
もしも何度も死んだりできるものであれば、量刑への論争ももう少し簡潔に
なるのかも知れませんが・・・(不可能ですね)
私個人は死刑への賛否を云々できる明確な意見がないのですが、どんな量刑を
導入してもきっとどこからか異論は出てくるのだろうと思います。
終身刑が導入されて、その生活費(??)もその受刑者自身の年金などが充てられる
などすれば多少はマシなのかも知れませんが・・・。

455みふ:2004/03/13(土) 20:19
何人殺しても、死刑は1度ですんじゃいますから、もっと重い刑があればいいと私は思います。死刑については「賛成派」です。人権とかなんとかすべて無視してよいなら、「目には目を、歯には歯を」がいいと考えます。例えば、山口県光市の母子殺人事件の犯人は、1度釈放され、普通の生活をし、愛する人と家庭を持ち、子供の寝顔を見るにつけ「ああ、幸せだな」と思うころ、妻と子供を国が」殺せばいいんです。被害者と同じ事されないとわからないと思うんです。どれだけの重罪を自分が犯したのか。そうもいかないんでしょうけど。憤りを感じるたびに思います。同じ事してやらなきゃわからん!と。前述、えふさんのカキコにもありますが、受刑者の生活は我々の税金でまかなわれているのですから、いたずらにだらだらと生かしとくことは無いと思います」。冤罪は別ですが。

456:2004/03/15(月) 10:48
>455
気持ちはわかるんですが、『妻と子供を国が」殺せばいいんです。』はキツイ。(笑)

457kei:2004/03/16(火) 16:03
そうそう、鯊さん、気持ちはわかるんですよね(笑)。
手段はともかく、罪の重さをわからせる・・ということには賛成。

458人権:2004/03/31(水) 16:22
『現代思想』(青土社)の3月号に「死刑を考える」という特集が
組まれています。「考える」となっていますが、実際には廃止論の
特集で存置派からの発言はないようです。

それにしてもN氏のように存置派からの疑問・問いかけをただ
「ためにする言いがかり・あら探し」としか捉えようとしない姿勢
には疑問を覚えます(もちろん中には言いがかりもあるでしょうが)。

459M_I:2004/04/07(水) 14:55
>妻と子供を国が殺せばいいんです
僕もこのようなワダカマリ(?)に対し極端な事を考えてしまいますが、
加害者の親が加害者を責任を持って始末して欲しいと思いますね。
出所が制御できず野に放たれたソレが何の関係もない他者に対し危害を加える。
というのは迷惑極まりないでしょう。一方でどういう訳か親御さんの意図しないところで
環境か運の悪さか知りませんがソレらが親の知らぬところで悪くなるのも事実のようでして、
そんなソレにどう対処してよいか分からない彼らも不憫でもあるのですが。
しかし、やはり考えもなしにポンポン産みよる人も多いのでは?

460いやあ通りがかりです。:2004/04/11(日) 18:25
私は死刑制度の意義について、やや懐疑的ですが。
死刑制度に問題があるとすれば、「復讐権」という
ものを国家・政府が独占して、勝手に代行している
ところに問題があると思います。

国家がわざわざ、もう死んでしまった被害者のために、
犯行後何年もたってから、加害者を殺しても意味が
ないですよねえ。

抑止力云々については、すぐ上で書かれている通り、
あまり期待できないどころか、かえって犯行が
エスカレート(顔を見られたら即殺す)となりかねない
ような気もします。

461ほのか:2004/05/10(月) 03:03
>「復讐権」というものを国家・政府が独占して、勝手に代行している
ところに問題があると思います。

「復讐」を被害者の遺族によって行なうという死刑制度もどうかなと思います。
「復讐」とはいえ、「殺人者」になってしまうわけですから。
アメリカのように注射による死刑を行い、それを被害者の遺族がその執行場面を
見ることができるということにするのもいい案だと思います。注射ではなく
点滴でもいいと思います。

462loveless:2004/05/11(火) 01:59
>>460
復讐に関しては、死刑に限った話ではないと思います。
たとえば、娘をレイプされた父親がその加害者に対して
復讐のため暴行を加えても父親は罪になります。

これは復讐の復讐などのように負の連鎖を阻止して
社会を安定させるために必要なことと思います。
そういう意味では、復讐権を個人から取り上げて
国家が代行するというのは、刑法の基本的な
考え方の一つのような気がします。

463:2004/05/12(水) 07:58
死刑を廃止し、刑罰を廃止し、「復讐」という観念のない社会をつくれば
凶悪犯罪自体が減少するので安上がりです。

犯罪としての殺人の動機は復讐です。それが主観や妄想であれ。
これは、相手が見知らぬ不特定である、通り魔だってそう。
社会への復讐、女性への復讐(性犯罪)。
復讐の国家殺人(死刑)・リンチ(刑罰)が公にある限り、
殺人や凶悪犯はなくなりません。
子は親の背中を見て育ち、人間はその社会を見て育つ。

それに、いま犯罪者は刑務所における虐待と出所後の差別で、再犯者へと
むりやり作られています。そこでは教育・矯正など行われていません。

刑務所は廃止。教育には、ただの学校と寮で十分。

464Low:2004/05/12(水) 23:04
刑罰のあり方については、社会秩序の維持、被害者感情の満足、犯罪者の更正といった
様々な目的が絡み合っているだけに正直どうあるべきかとは言えません。
ただ、死刑廃止論には反対です。
極刑といわれるものが、どう考えても改善不能な人間を社会から永久に隔絶することを目的にしたものと考えた時、
死刑以外の手段で、わざわざ血税を使って生かしておく意味があるのか、という単純な理由です。
さすがに、誤審の可能性は憂慮しますが…。
人道的観点から死刑を廃止する国は多いですが、その前に軍隊を無くせないのかとよほど思います。
どうも進歩的な発想は、その足元が怪しい気がします。

465ゼロ:2004/05/13(木) 01:18
死刑制度について考えるとき、いつも永山則夫のことを思い浮かべます。
確かに永山は自分とは無関係な人を4人射殺しました。うち2人は強盗目的での
殺人で、充分死刑に価する犯罪を犯しました。一度は無期懲役判決になったものの
差戻し審で死刑になり確定し、酒鬼薔薇事件のあった1997年の8月に処刑
されました。永山よりも死刑が先に確定した死刑囚が多くいたのもかかわらず
永山が犯行時19歳だったということで法務省が少年犯罪を意識したことで
先に処刑されたのだと思います。永山の小説は「無知の涙」をはじめとして
多くの刊行物を次々と出版しました。中には犯罪に関する書物もあり
書籍では売れたほうだと思います。そして本を売って得た印税は被害者の遺族へ
償いという形で支援者の手を借りて手渡しています。ヘンな言い方ですが
小説家としても犯罪者としても貴重な人を失ったように思います。

466無邪気:2004/05/24(月) 23:30
死刑反対派の皆さんに伺いたい 難しい理論や哲学は私には理解できないが
もしも あなた方の家族.知人が意味も無く殺されたら・・(特に強姦.放火.
営利誘拐等)そして 数年経って(精神病.薬物なら数年でしょう)
罪を償ったとして貴方の近所で幸せな生活を始めたら・・・
そして 同じ犯罪をいつ起こすかわからない・・・

  アナタガタハ ソレデモ シケイニ ハンタイ デスカ???

467死刑廃止に反対:2004/06/17(木) 20:05
免罪符が交付されたとき、かえって犯罪が増加したので抑止力として
存続させるべきです。

468草田男:2004/06/29(火) 18:38
国会閉会から死刑執行はあったのだろうか、

469墨子:2004/07/02(金) 20:34
私は死刑賛成でなおかつ公開処刑の復活が望ましいと考えています。公開処刑のような
視覚的トラウマを周囲に与える手段があることで犯罪を犯したくないと言う精神構造
をつくることが可能になると思います。現在、いわゆる残虐刑が次々に廃止されてますが
その結果として頭としては刑罰があることがわかっていても体の方が短絡的な犯罪
をおこすようになっていっていると思います。つまり、単に厳罰化というだけでなく
周囲により多くのトラウマを与えることが寛容と思います。死刑制度自体については
冤罪の問題が唯一の争点だとおもっています。人を「死刑」にした人間を「死刑」に
できないのは如何なものかと思いますので。

470ayane:2004/07/03(土) 11:38
初めて書き込みさせていただきます。
死刑については、刑罰としての存続を希望しています。

日々を精一杯生きている市民が犯罪に巻き込まれ、被害者となった時、
唯一の拠り所とできるはずの法律が、加害者の権利ばかりを声高に叫ぶのは、
間違っていると思います。
犯罪抑止力としての観点からも、簡単に廃止はできないのでは。

471ろった:2004/07/03(土) 22:14
死刑に賛成の部分は被害者家族の意識しかない。
その被害者家族の気持ちは復讐なのだろうか?
もし、それが復讐的な心理を根拠に死刑にしているのならば
反対だなぁ。人間が人間を合法的(現在合法なのだから)に
死刑にするとしても、合法じゃなければ人を殺すことになる。
この先、死刑廃止になったら過去の合法死刑が間違っていた
(その言い方は極端だが)ということにならないだろうか。
それに統計が本当ならば死刑制度での犯罪抑止力がないから
意味がないんじゃないだろうか?
死刑をなくして終身刑をとりいれてはどうだろうと思う。

472Low:2004/07/04(日) 04:30
私は拷問や残虐刑の禁止までは賛成ですが、あくまで死刑廃止には反対です。
その理念は素晴らしいと思いますが、誰もがその理念に共鳴できるわけではないからです。
本来自然界には生死に正邪の概念は無く、人間社会もその延長上にあるに過ぎないのだから、死刑というものは単なる社会のルール上のペナルティです。
その社会の中に、あらゆる殺人を容認しない理想を持った人がいる事は喜ばしいですが、現実に殺人を何とも思わない人がいる以上、対抗力としてのペナルティを無くす必要性は感じられないですし、そのペナルティの存在が「悪いものだ」という認識は、そういう価値観を持った人以外には無い(多少はあるかもしれないけど)ものです。
そういう意味では、その理念なり理想なりが社会の中で体勢を占めるようになれば、嫌でも死刑は消えて無くなることでしょう。

ところで死刑反対派の方達は、理想論以外ではどんな理由で日本における「よほどの極悪犯罪を犯し確実な証拠でもなければでなければ、今や下されなくなった死刑(ゆえに誤審はゼロに等しいとして)」が駄目なのでしょう?
残虐刑の類には反対ですが(場合によっては、終身刑は現行死刑より残虐かもしれません。)、速やかに命を断ちさえすれば、コスト的な問題だけでも死刑のメリットはあると思いますが。

473pikaru:2004/07/04(日) 07:56
足跡ついでに意見をカキコします。
私の意見としては死刑に対しては反対です。なんでかというと人が
人を殺すことを容認してほしくないからです。犯罪者を死刑にする
のは、法律をもとに殺すことだと思います。被害者が加害者を殺し
たいと思い、死刑にしたら加害者と同じように殺人を犯したことに
なるんじゃ。
自分が被害者になっても、この意見をいえるとは思えませんが、理
想論として私の意見はこんなとこです。

474ろった:2004/07/04(日) 09:55
私は死刑(人の命が関わる問題)を
コストで考えることはできない。
現実に金がかかるのであるが、
現実にそういうコスト面で考えられない
私もいる。

475V3:2004/07/04(日) 20:22
「被害者感情」や「復讐権」だけでは、今後予想される国際NGOや外国政府
からの批判に対して説得力の面で弱いように愚考します。もちろん、これらに
対し「内政干渉」と反論しても、あまり効果がありません。

今後も日本が制度として死刑を続けていくにあたっては、国はどういうときに
人命を奪うことも辞さないのか という原則をしっかり打ち立て、理論武装
をしておく必要性があるように思いました。

476ダランボール:2004/07/06(火) 07:09
死刑の存廃は、いまという時代を生きている人が、その是非を論じるだけでなく、
法制史の観点から、歴史になにかをすこし付け加えるつもりで論じる必要があるのでは
と考えています。国家制度とか、そういうレベルの問題で済むものでもない。
そもそも、「生きるにあたいしない人間」というのは、近代の法的価値観
からは存在しない(わたしは死刑廃止派では全然ありませんが)。わるいことを
したとしても、誰でも生きる価値はある(人権)。
日本でも類似の事例はありますが、中世のヨーロッパならば、人間が生きている
生活圏の外部に、犯罪者を追放する領域があって、ひどいことをしたら、「社会」から
離縁させられて「森をさまよう人」となり、誰になにされても殺されても何もいえない
(非)存在へと犯罪者は形態を変えることができた。
 現代の「社会」にそのような外部は存在していませんから、社会でな
にもかもひきとらなければいけない。これは確かに理不尽です。
近代という時代(18,19世紀)は、将来的に犯罪も殺人も発生しなくなる、という完成
された(理想的)な社会の状態から逆算して、とりあえず、人間の価値、生きる価値
を理念でもって実体化して、それが今に至っています。
二つの大戦を経て、そのような楽天的な人間観ではやっていけないということは
判明しました。しかし、私たち(人類一般)は、すでに近代の権利や価値を大量に
継承してしまっているので、「自分」という存在が、生きる価値を剥奪されてしまう
ということは想像すらできないのです。その点では、犯罪者もそうでない人も同様
です。 完成された社会をつくりだす近代の思想計画は、挫折したのです。
ただ、ここで法制度の古い層である復讐などを持ち出す感情的な議論をしていては
先につながっていかないと思います。必要なのは、うわっつらだけの批判でない近代
批判であり、人間の「生きる価値」あるいは快適に生きる価値そのものをいったん批
判することではないでしょうか。

477V3:2004/07/06(火) 07:48
法制度の古い層である復讐などを持ち出す感情的な議論を批判し、いわゆる
「刑は犯罪への応報である」という考え方を否定しながら、その一方で
「快適に生きる価値」を否定し、「(世が世なら社会的に追放されるべき
人には )快適に生きる権利を批判すべき」と 結果的には前段で否定した
結論を積極的に主張することになる部分が、私には理解しにくいです。

478ダランボール:2004/07/06(火) 08:30
「快適に生きる価値」を否定 するものではないです。批判すべきではないだろうか
ということです。人間が人間に対する自己批判として。犯罪者の快適に生きる権利
だけを批判せよと言っているのではないです。「論理」的にそれほど難しいことで
はないと思います。
わたしが主張したいのは、犯罪のない社会−人間性の価値を楽天的に肯定した
平和な社会−をきずけるという近代固有の認識を批判し、必要な場合は根本から
それを改めて、広く共有できるあたらしい認識へとつなげていく必要があるの
ではないか、ということです。誰かが個々の事件について、死刑だ!と声を上げ
るだけで済む時代では、もうないでしょうということです。 死刑を論ずるなら、
今的なトピックにのっとって、法や制度の改正を論じることも必要だと思いますが、
法制史や哲学の議論も必要ではないか、ということです。

479V3:2004/07/06(火) 10:03
「人は犯罪を犯さない自由な意思がある」という「近代思想計画」的な考え方
が余りにも楽天的過ぎるというのは、そうだろうと思います。そういう自由意思
を集めたからといって、確かに犯罪なき「平和な社会」ができるとは限りません。
ただそのことと「一旦快適に生きる価値そのものを批判する必要性がある」こと
とのつながりが分かりにくいです。

480ダランボール:2004/07/06(火) 10:40
おっしゃる通りです。ただ、人間(個)−社会という近代モデルは、
そもそも楽天的な人間観、自由観にもとづいたものであるからこそ、
そのような人間観を継承した現在、死刑というところに象徴的に問題
が発生する状況になっていると考えられます。平和な社会が達成でき
なければ、近代モデルそのものを疑い、さらに、近代の人間の価値
生き方をいったん留保する(批判はそこからはじまります)ところ
から考える、ということが重要ではないかと思います。憲法を見ても
「人間は快楽をもとめる」などとはけっして書いていませんが、根本
にあるのは、人間=快を求める存在という思想です。しかも、各々が
自分の快を追求してよろしい、という思想です。 このような目に見えない
思想がいまも当然あります。ヒトは空気みたいにこの人間観を吸収して、その
ような考え方をしています。これでは、解釈によっては殺人も是になってしま
います。それが問題なのです。憲法を具体的にどうせよ、というとまた面倒な
話になるのでしませんが、ある意味で「人間は罪を犯す可能性を持っている」
「人間が自由を享受し物質的に豊かになることは、精神的な成熟とは無関係で
ある」ということを、共通の認識として持っていることが必要ではないでしょうか。
宗教家ならば「人間は罪深い存在である」という一文を憲法に入れろ、という
かもしれません。でも、それに近いことをやったところで何もよくならなかったのです。だか
ら、近代の思想家はいったん人間をニュートラルな自由な存在、それだけで価値の
ある存在として規定した。ただ、それも、限界に来ているとわたしは考えています。
他にも形は多少ちがっても、同様な考えの人はいるのではと思っています。

481Low:2004/07/07(水) 05:59
そもそも生きるに値しない人間というものはいない、というのは確かです。
価値観はその時々の状況によって違うわけですから、戦場の勇者も単なる殺人者もやっている事は同じでも、時の社会がそれをどう捉えるかによって180度異なる取り扱いを受けるわけです。

しかし、人権によって誰でも生きる価値があるとされた事には大きな疑問を感じます。
人権とは本来自由権であって、権力からの自由を確保する為の権利です。
自由権の淵源は自然権の思想、即ち人は誰でも生まれながらにして、自由に生きる権利を持っており、それは人である限り当然に有するものという発想です。
そもそも自然としての人間には「生きる価値」や「善悪」を考える必要は無いのです。
生まれてきた以上、好きにすればいいということです。
人権の中心規定たる憲法13条に幸福追求権というものがありますが、これこそが「人間は快楽を求める」ということを認め奨励した条文に他なりません。
しかし、「公共の福祉に反しない限り」という条件付きです。
権利には当然に内在的制約(他者加害の原理)があるので、他人に迷惑になるような幸福追求はそもそも認められていないということです。
憲法は個人の生まれながらの自由を標榜しつつも、権利の限界も認めたということです。

権利の制約手段の一つとして、権力による殺人を容認する事については大賛成というわけではありません。
しかし、対立する権利の矛盾・衝突は、あくまで客観的合理的な権利・利益の比較衡量によってバランスを考えてなされるべきだと思います。
今は一人を殺しても、まず死刑にはなりません。加害者の人権に天秤が傾いている時代です。
アメリカの一部の州のように、死刑を無くして懲役150年とか量を重くすればいいという問題ではないと思います(そもそも「人道的観点」から死刑を廃止している国々の土壌はキリスト教の思想です。死刑の廃止が先進的な発想かどうかは、かなり怪しい気がします。)。

482V3:2004/07/07(水) 12:53
人格の一回性・再生不能性を考えるとき、それの持つ人権を他の権利・利益と
比較衡量するとか、比較した結果に基づいて制限されるべきという考え方は、
すでに死刑廃止派から批判されたところであります。

483V3:2004/07/07(水) 13:09
ところで、死刑廃止派はよく「統計的に見て死刑制度に(凶悪犯罪の)抑止
効果が見られない」と主張します。
例えば、国際テロリストが(憲法で)死刑の廃止されたドイツで犯罪の準備を
行い、死刑制度のあるアメリカで犯行を行い逮捕され、アメリカで死刑を宣告
されたとします。この場合、結果から見れば「アメリカは死刑制度があるのに
凶悪犯罪を防げなかった」という結論は、まあ言えるでしょう。ただ、
「ドイツは死刑制度がなくても凶悪犯罪を(ドイツで起こっていないから)
防げた」という結論は 妥当なものでしょうか。よく分かりません。
なので、こういうことを統計的に主張することは、あまり信用していないのです。

484Low:2004/07/07(水) 19:21
>すでに死刑廃止派から批判されたところであります。
どのような批判だったのでしょう?
いつ頃のレスか分からないので、それだけで終わられてもすっきりしません。

死刑の威嚇力については、合理的利益衡量ができる人にしかききめが無いと思われます。テロリストのような確信犯や、突発的・衝動的・短絡的な犯行には効果は薄いでしょう。
組織的・計画的な犯行の類には、重い刑の方が抑制効果を発揮しやすいといっていいと思います。
例えば、国内の外国人犯罪の増加も他国と比較して軽い量刑が誘因となっている事等が挙げられます。
統計の結果は、国情の違いをどこまでカバーしきれているか疑問なのでアテにしていません。

485V3:2004/07/07(水) 20:11
批判の内容については、死刑廃止論のサイトをいくつか見れば載っています。。
それによれば、刑の軽重だけからみれば、別に死刑で(刑を重くする必要が)ある
必要はないとされます。
また「威嚇力」についても、多分「ある」「ない」の水掛け論に終始するのがオチ
だと思います。

これまでの死刑存置論は、個別の事件の判決では社会通念や市民感情に支えられても、
「国が人命を奪うこともいとわないのは、どのような論理によって正当化されうるのか」
という部分が十分に議論されてきたのか、疑問です。このため、例えば
・犯罪抑止力がないのではないか
・死刑と無期懲役(終身刑といってもいい)との峻別は人間の英知では不可能
・犯罪被害者の救済と刑とは別問題
等の主張に対して、どうしても説得力の面で弱い。仮に「誤審」の問題を措くとしても。
「応報」や「威嚇力」などの、既に死刑廃止論者に乗り越えられてしまっている
ものとは何か違った理由付けが、何かないものかと愚考しています。

486Low:2004/07/07(水) 21:47
仮に死刑廃止論に完全に「乗り越えられた」のであれば、理屈では死刑の存在理由は無いということになるでしょう。
でも現実にはなくなりそうにない、なぜか?
憲法9条においては理想的な法を頂きながら、現実とのギャップゆえに改憲・軍隊を保有する必要にせまられるのと同様、機が熟していないということです。
死刑があることがよいことだから賛成しているのではなく、死刑廃止の土壌となるべき治安も価値観も満たされていない現状では、到底世論が納得するはずも無いのです。
死刑がなくてもよいと思える時期が来れば、死刑は無くてもよいと思います。しかし、現実にそんな時期が来るとは思えませんが。
死刑に関する従来の理由付けを完全に論破できているというなら、あえて死刑を残す為に新たに説得材料を探す意味等はありません。戦争批判を論破できないのと同様、そもそも理想論には勝てないものです。
結局死刑とは理屈で存在しているわけでは無いと思います。それは人が犯罪を犯す根源的な欲求と近い領域の問題です。
人間社会のほとんどの場面で理想では生きていけないから、現実的な対応がなされている。
死刑もその一つとしてあり続けるだけであり、別にそれでもいいのではないかと思います。
長文連続カキコが多くなりすみません。そろそろ消えます。

487V3:2004/07/07(水) 22:19
少年法の問題もそうですが、死刑存置賛成を主張するには、まず死刑廃止論が
どういう根拠でなりたっているか、死刑存置論の何をどういう理由で批判して
いるのか、それを十分に踏まえる必要があると思っています。廃止論はいまや
世界の潮流であり、その前には「日本の国情」とか「理想論」「現実策」
「時期尚早」だけでは、個別の裁判に対してはともかく、通用しません。

488GORIE:2004/07/14(水) 09:29
「死刑」に値する罪。
被害者遺族は、加害者が死刑になれば気が済むのではなく、「仕方ないから死刑で
あきらめる」のだと思います。
死刑になったところで、殺されてしまった人は生き返らず、2度と元通りの生活はできない。
本当なら自分で手を下したいでしょう。
死刑判決を受けた人で、心から悔い改める人ってどれくらいいるのかな??
「女子高生コンクリ」事件の犯人の再犯で、ふと考えてしまった。
今回の被害者に対して、あの事件をハクのように言ってたらしい。
刑に服した期間は無駄だった、と思わざるを得ない・・・・・。
現実問題、税金で沢山の凶悪犯罪者を生涯養うのも大変なこと。

489wel:2004/07/14(水) 19:31
はじめまして、welといいます。
このスレッドを全て読んではいないんですが、個人的な意見を。

基本的に死刑には賛成なんですが、これを執行する人が苦しんでいる、
というのを本で読んだことがあるんです。
だから、なるべくならこういった人を出さないような制度というか、
システムといったものを考えて実施するならいいな、と思います。
要するに、あまり無関係の人を巻き込まないようにといった感じで。

何気に>>2さんの緑化ネタは懐かしい上に、できたとしたら本当にいい案だと思います。
まあ、非人道的だと叩かれるのがオチなんでしょうけど・・・
実際にそういう風に容赦無く人が裁かれる世の中だったら、
今より世の中は確実に良くなっているのかもしれませんね・・・

490とおりすがり:2004/07/15(木) 12:49
死刑の是非は、ともかく、個人的に思うのは、
刑罰は、その犯罪に対して課せられるもので、抑止効果などは、そもそも2次的
なものなのでは?と思います。
基本的には、最低でも、奪ったものと同等のもので償わせるのがスジかと。
命を奪ったのであれば、命で償うのは必定。
勿論、そうしたところで、元には戻りませんし、被害者がそれを望んでいるかはわかりません。
ですが、それを聞く事が出来ない以上、死刑にすべきではないでしょうか。
つまり、今よりもっと厳しくあるべきと思います。
あらゆるケースにそれのみで対応できるとは思いませんが、
人を殺しても、10年もすれば出てこれるのでは、誰でも不公平だと感じるのでは
ないでしょうか?
少なくとも、一人(以上)の人権(命)を奪った以上、その人間の人権は、
考慮するべきではないと思います。
他者の人権を一方的に奪った人間の人権を考えている時点で、すでに不公平ですから。

491人権:2004/07/15(木) 13:59
先日、知人の女性を殺害・放火したとして強盗殺人等の罪に問われて
いる被告に対する控訴審で一審の無期懲役が支持されましたが、やはり
殺されたのが一人であるという点が量刑に大きく関わっているようですね。

「殺害されたのが一人の場合は死刑を回避する」という判断がほぼ定着
しつつある感じがします。見方によれば(少なくとも部分的には)死刑
が事実上廃止されたと言えなくもない。

問題は生命を保証された(まだ確定していませんが)被告が刑に服す
過程において真に罪を償うことができるか、被害者(遺族)から見て
「改悛の情著しく死刑が回避されたことが正しい選択であった」と
確信できる境地にまで達することができるか否か、だと思います。

ただ、一人では死刑にならないということは被害者の命と加害者の命
とは等価ではないということにもなるわけで(加害者の生存権は保証
される)、殺害人数を過大に考慮しているようにも思います。

いずれにせよ「無期懲役に処せられ仮出獄ののち再び殺人を犯す」という
最悪の事態だけは避けてほしいですね。

492特命希望:2004/07/15(木) 15:32
まったく同感です。

493特命希望:2004/07/15(木) 15:34
すみません、書き込み失敗しました。

>490
とおりすがりさんのご意見にまったく同感です。

494GORIE:2004/07/16(金) 10:35
刑務所で、真人間になれるのかな?
何年いても中身が変わらない人も沢山いるし。
だいたい10年以上も刑務所にいたら、シャバに出たとき浦島太郎だ。
環境などの同情の余地が無い殺人の場合、凶暴なDNAがあるんじゃないか!?
と私は思う。
少年犯罪でも同じ。
少年なら更正可能っていうのは、もはや捨てなきゃいけない考えでは?
これからもっと増えると思う。 少年犯罪。
少年のほうが残酷だし、好奇心も旺盛だし、歯止めが利かない。
「コンクリ」殺人みたいにあまりに残酷な事件の場合は、死刑もありなんじゃないかと思う。
まして再犯だなんて、少年時代の前科も考慮したら死刑にしてって署名したいくらい。

495loveless:2004/07/18(日) 23:43
>>491
「死刑は例外的な措置である」「被害者が一人では無期懲役が妥当」と、
従来よりも突っ込んだ(先走った?)判断が述べられていますね。

あと、現在最高裁で審理中のものとして、「逆恨み殺人」の持田被告の
事件があります。もし、これが無期になったら、初犯だけでなく
再犯でも「被害者が一人では無期懲役が妥当」が定着しそうです。

496人権:2004/07/21(水) 16:10
確かにlovelessさんの御指摘のようにより廃止論に近いような判断ですね。
でも、「人の命は地球より重い」はずなのに殺害された人数に余りに
こだわるのもどうかなとは思いますが。

仮に持田被告が無期懲役になるようなことがあれば、逆恨みを恐れて
被害者が萎縮するような事態も考えられます(特に強姦のような
親告罪の場合)。

497qwerty:2004/08/06(金) 16:09
一人でも殺せば死刑ということになると
「一人殺すも二人殺すも同じ。どうせ死刑になるのだから・・・」
という事態が発生してしまう恐れがあります。
死刑より重い刑がない以上、連続殺人や大量殺人のことを考えれば
ある程度やむを得ないかと思います。

498えふ:2004/08/06(金) 19:08
多少論点がずれるかも知れませんが、外国のように
死刑ではないにしろ、仮釈放なしの量刑があれば多少違うのかもと思ったりします。

もっとも、事件報道を見た時には「死刑でも足りないでしょー」と
思うのも本音なんですが。

499toko:2004/08/11(水) 00:00
スレッドを読んでいるだけでもいろいろ考えさせられることがあり、とても短文には
まとめきれませんが…
“どちらかと言えば”死刑廃止論者、かな。やっぱり。

無惨な犯罪の犠牲になった人や、その遺族などのことを思えば、それはもちろん厳罰
が与えられることを望みます。
ただ、これはもう生理的な問題ですが、「大義名分のある殺人」というものに、どう
しても抵抗と胡散臭さを感じてしまうのです。
それが戦争であろうが、死刑であろうが。

また、一部に見受けられる「犯罪者に人権はない」という主張にも、やはり胡散臭さ
を覚えます。
心情としてはとてもよくわかりますけれど、何というか、それは一種のすり替えでは
ないのかな、と。
どなたかが引用されていましたが、人権というのは「生来」持っているものなので、
その人の言動によって与えられたり奪われたりする性質のものではないんじゃないか
と、基本的な疑問を抱いているわけです。

じゃあ、凶悪な犯罪者から人権(≒命)以外に何を奪うんだと言われれば、今のとこ
「…自由、かな? あと財産とか、社会的地位とか…」程度しか思いつかないですが。
とりあえず終身刑制度は、まじめに検討する価値があると思っています。

500えふ:2004/08/11(水) 01:35
>じゃあ、凶悪な犯罪者から人権(≒命)以外に何を奪うんだと言われれば、今のとこ
>「…自由、かな? あと財産とか、社会的地位とか…」程度しか思いつかないですが。
>とりあえず終身刑制度は、まじめに検討する価値があると思っています。

そうですね。世間一般の反応でもやはり無期懲役(という名の実質有期刑)と
死刑の間に開きがありすぎるというところだと思います。
終身刑や、海外のような社会奉仕活動(監視付き)などは導入されてもいいように
私個人は思います。
あとは以前からさんざん半分冗談半分本気で言ってきた「地雷撤去」ですかね。
ここの掲示板を法務省関係者が読んでくれれば話が早いんでしょうけど。

501とおりすがり:2004/08/11(水) 01:51
一人でも殺せば死刑ということになると
「一人殺すも二人殺すも同じ。どうせ死刑になるのだから・・・」
という事態が発生してしまう恐れがあります。

それを言い出すと、2人殺すも3人殺すも、それ以上も同じ。となるのでは?
また、逆の発想で、一人殺しても死刑にはならないから大丈夫。とはならないのでしょうか?
しかし、一人殺したら、死刑になるからと言って、思いとどまる人が何人いるでしょうか?
それもはなはだ疑問です。

そもそも、自分のした事には、きちんと責任を持つのが社会の一員として当然
なのですから、まだ生きていたいと思う人の権利を一方的に侵害し、
その人の人生を無慈悲に奪い去った責任は、死以外にはありえないと思います。
命の重さが、万人で同じなら、命の代償は命ではないでしょうか?
1人殺して、13年やそこらで出てくる事が、平等とはとても思えません。

※一方的に虐殺した殺人に対しての意見です。すべて杓子定規で
 裁けるとは思っていません。


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