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【議論】武士道

1naribanana:2002/08/26(月) 11:22
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
          (山本常朝『葉隠』より)

49理想と現実:2002/10/24(木) 02:39
しかし、キリスト教徒が、根拠のない要求ではないにしても、逆説的なイエス
の「山上の垂訓」の従って生活するよりも、サムライが武士道の規範を実践
する方がはるかに容易である。ものごとに寛容で本分をまもり、なにごとに
も慎重で、父祖や権威に服従し、質素、謹直、勤勉で、死や悲運に沈着で
あることは、すべて、だれにでもできることではないかもしれない。けれども、
敵を愛し、左の頬を打たれたなら、右の頬をさしださなければならないキリ
スト教道徳に比べれば、ふつうのひとにとっての心理的負担ははるかに少
ない。

日本社会のなかで、サムライ精神の浸透する範囲をたえず広げるのが、
徳川時代の歴史的使命だった。そのことによって、サムライ精神は多少
活力と正確さを弱めはしたが、必ずしも品位は低下しなかった。この運動
は、本来は貴族用に作られた理想が完全に一般化された、歴史上数少な
い例のひとつである。主婦、学生、店員、高級売春婦でさえ、程度の差は
あっても、封建家臣の主君にたいする態度を手本にするようになった。

「四十七人の浪人」の英雄的な仇討ちが、都市の一般庶民に熱狂的な
感動をよび起こしたことは、十八世紀初期にはサムライ精神がすでに階
級道徳でなくなったことを物語る。町の商人や職人たちは、サムライが
国民道徳の中心的な存在として生きたり、死んでいくことの価値を承認し
た。こうした庶民の間のサムライ精神にたいする共感は、五世代後にす
べての階級を最終的にひとつの近代的国民にまとめるにあったって、
「古学」や原始「神道」の復興にけっして負けない効果を発揮したにちがい
ない。

西洋では、シェークスピアの史劇やセルバンテスの『ドン・キホーテ』で、
封建時代の精神に別れをつげたが、日本では、逆に、封建時代の精神
が、適当にうすめられながら、当時の大都市江戸、のちの東京の米商
人や運送業者の心のなかに広がっていた。街路や商店にたむろする
流儀で、人生をおくることに誇りにした。

50理想と現実:2002/10/24(木) 02:39
しかし、極度の緊張を必要とする道徳観念のこうした全面的俗化は、
危険がともなうのをどうしようもない。大都会の市民やその妻妾が武士
道に惹きつけられたのは、主として感傷のせいだったり、しばしば珍し
く、はなやかで、好奇心をそそるものをもとめたからであった。こうした
要求に答えてつくられたもののひとつが、徳川時代のドラマ「歌舞伎」
である。歌舞伎の舞台では、溢れるような感動、度肝を抜く所作、強烈
な色彩、ほとんどグロテスクに近いせりふが展開される。これらはすべ
て本当のサムライ精神には異質な存在である。サムライの規範に合致
するのは、厳しく、穏やかで、感情をおさえた、簡素な「能」の表現だけ
であった。ところが、今や、サムライの生活が、一般庶民のまえに極端
な形で提示されることになった。扱われるテーマは、犯罪と狂気の一歩
手前で、芝居好きな人びとの感受性と人間性を緊張させた。平土間の
観客はしばしば涙を流し、天井桟敷は興奮して、喝采の金切り声を夢
中であげる始末だった。

さまざな理由から能を鑑賞できない外国人は、「歌舞伎」やかつて西洋
人向きに書かれた、読みやすく粗雑な挿絵入りの物語に夢中になりが
ちであった。そのうえ大衆芸術家たる浮世絵師の木版画である超現実
的な役者絵により、かれらの感動はさらにましたであろう。こうした外国
人はこれらの変形されたサムライ物語を武士道の本質と見誤った。サ
ムライというものは、グロテスクな行動をする半野蛮人で、いつでも「主
君」のためにわが子を殺し、駿馬を買うために妻を女郎屋に売りとばし、
わざわざ死の苦痛を長びかせる方法で自殺すると考える、ヨーロッパ
人の根強い観念は、あきらかにここからくる。

これらは、日本文学のすばらしいテーマではあるが、「武士道」の典型と
みなしてはならない。ちょうど癩病患者の皿でものを食べたり、柱のてっ
ぺんで幾日もすごすのは、一部の修道士のことで、ふつうのキリスト教
徒の生活でないのと同じである。これらはすべて「言語道断な例」で、う
まく説明がつかない、限界状況に属する事柄とみるほかはない。

51理想と現実:2002/10/24(木) 02:39
山鹿素行や大道寺友山による徳川時代の優れた武士道は、もちろんこ
うした極端な例を扱ってない。かれらの論旨は穏健で、教えには分別が
ある。かれらはただひとつの美徳だけを誇張しないし、かれらの価値の
尺度には、自己賛美に専念する武士を評価する痕跡すら存在しない。
かれらの教えは、おおむね地味で、かたよらず、宋の朱子学(禅僧によっ
て日本に紹介され、のち徳川幕府の官学として採用された)に影響され
たり、逆に、独裁政治に都合のよい、朱子学派の静的で型にはまった倫
理を熱心に克服しようとする、勇敢な思想家の感化をもうけた。後者のひ
とたちは、大胆にも初期儒学のまじりけのない源泉に立ち返ろうとした。
まえの時代の禅宗武士に比較すると、たしかに精神的緊張には欠ける
が、最後まで精神的自由の達成が徳の中心であった。

近代日本人の行動がどの程度まで武士道の教訓に基づくかを見極める
のは、キリスト教の倫理が、どこまで今日のヨーロッパ人の態度や行動
を規制するか、を評価するのと同じくらい困難である。明治維新は、強い
経済的不満と熱烈な愛国心をもつ、主として下級のサムライの仕事だっ
た。ところが、最後にはサムライ階級が廃止され、新しい「国家」が誕生
した。サムライとしての大きな特権を失い、経済的窮乏あい変わらずか、
しばしば悪化した。とりわけ新しい社会組織のなかで、将校、役人、事業
家、警察官や農民のような自己に適した地位につけなかったサムライは、
はなはだしい苦境におちいった。慎重な明治天皇と首席顧問は、達成の
見こみのない、はなはだしい軍事的冒険のことは考えもしなかった。これ
らのすべてが元サムライの間に不満をかきたて、かれらは、反乱、たえ間
ない騒動、ときおりの暗殺によって憂さばらしをはかった。これらの有名な
事件をよく知れば、当時の政府当局者が武士道 ―― 国内でもっとも手に
負えない階級の指導原理 ―― を新しい国家倫理の基礎にすえる計画は、
とうていありえないのがわかるにちがいない。

52理想と現実:2002/10/24(木) 02:39
こうして明治時代には武士道は国内倫理の基礎とはならずに、忠誠の観
念はあらためて定義しなおされ、新しい内容と方向づけがあたえられた。
少なくともそれまでの五百年間は、実際の政治のうえで、武士道は、皇室
にたいする奉仕とは関係がなかった。サムライの忠誠は主として封建主
君たる大名にむけられ、サムライが大名をまもるために、最後まで官軍
に抵抗して戦った偉業がいくらも存在する。しかし、戊申の役の上野の戦
いや会津若松で死んだ「忠臣」は、天皇からすれば、天皇親政に反抗した
謀反人だった。真の忠誠は天皇にたいするものだけだったとの公式の政
治上の指導原理となったのは、明治時代を通じてだった。武士道神話は
つくらはしなかったが、過去七〇〇年の武家政治によっておおい隠され
ていた、神話的伝統に基づく感情と姿勢が、封建時代の努力と忠誠の
混乱を否定するために再建された。この事実は、ローマ帝国初代のアウ
グストゥスが、共和政よりもまだ古いローマの神話と信仰を復活させた
ときのことを想起させる。

日本の過去の状態と将来の可能性を正確に見定めるようにもっとも重要
なのは、以上のような経過と、二十世紀初期に行われた政治的・宣伝的
虚構を区別することである。天皇の神話とサムライの伝統の存在はどち
らも正しい。しかし、過去数十年間、これらは国粋主義者や帝国主義者
の宣伝の道具として利用され、信用を失墜した。とはいえ、この天皇神
話とサムライの伝統が、ナチスの意図的な紙上神話たる「白人の負担に
おいてのみ文明は進歩する」、「ゼネストの伝統による政治闘争」、「北方
民族は最優秀」との主張と同じく根拠薄弱な現象と考えるならば、歴史
事実に反するだけでなく、正しい政治的判断を誤るであろう。

53理想と現実:2002/10/24(木) 02:39
サムライの伝統の存続は、文筆のうえでの現象をはるかにこえたことで
ある。サムライ階級が廃止されても、サムライの理想は力強く疑われる
ことはなく生きつづけた。今日ですら、日本人の態度と行動から、しばしば
サムライの家系の出身者と平民を見分けることができる。日本の戸籍簿
から士族と平民の区別が消えたのは、日中事変が始まってからである。

戦前の公立学校の教科課程は、少なくとも第二次世界大戦のすこしまえ
までは、意図的に軍事にたいする関心を刺激もしなかったし、大学学部
の軍事教練も義務化されていなかった。明治時代の学校制度は自由な
視野をもち、倫理教育の題材もさまざまな分野から広く採用されたので、
サムライの伝統の入る余地はあまりなかった。近代の日本人がすすん
で生命を投げ出し、耐えがたい苦痛をも我慢したのは、政府の宣伝のせ
いだとするのは重大な誤りだろう。

国家全体の利益のために個人の生活と幸福とを顧みず、自己を犠牲に
しようとする熱狂のすべてが、サムライの伝統によるもではない。日本人
の心の両極には、個人よりも人間巣箱の欲求を優先させる部族精神と、
自己放棄のなかに「宇宙の魂」あるいは「仏陀」との一体感にひたる最高
法悦をみる、神秘的な魂とのふたつが存在する。人間道徳の限界の間で、
騎士道倫理に類する「サムライの道」が中心的な地位を占め、両極から
推進力を吸収する。

54理想と現実:2002/10/24(木) 02:40
日本人はサムライの真価を桜花にたとえる。朝日をうけて突然に開花し、
春風にゆすられて不意に散っていく。第二次大戦中の日本軍人の頑固
な鈍感さや、とめどもない暴行を見たり読んだりした外国人のなかには、
日本人と桜花の映像を結びつけるのに困難を感じるひともあろう。それら
のひとに、歴史をさかのぼって平敦盛の故事を引用し、このたとえが、昔、
何を意味し、どうして伝統的な観念になったかを説明したい。平氏が一ノ
谷で頼朝の軍勢に大敗し、本土から海上に逃げ出したとき、清盛公の甥
はしんがりをつとめて最後に岸辺をはなれようとしていた。そのとき、敵軍
中もっとも豪勇なひとりの武将から、敵にうしろをみせて逃げるのかとの
挑戦をうけ、敦盛は勝つみこみのないのに、馬をひき返して結局討死した。
敵将が相手がだれかたしかめようと兜を取りのぞくと、現れたのは十五歳
の少年の微笑をうかべた死顔だった。そして、鎧のひだには、高価そうな
錦織りの袋がくくりつけられており、あけてみると中国産の竹でつくられた
有名な横笛がでてきた。一ノ谷の戦いの前夜、平家の一族郎党は、せま
りくる災厄をまえに饗宴を催し、敗北と死がかれらに襲いかかるまえに、
最後のひとときを楽を奏でてすごした。敦盛も積極的な参加者のひとりだっ
た。

55理想と現実:2002/10/24(木) 02:40
世にいうものは、このような英雄的な沈着と洗練された情熱、雄々しい
剛勇と超越の持ち主を軽視できるほど、夢のように美しい騎士道精神に
恵まれていない。日本民族の闘争本能と美的感覚は、インドの神秘思
想と中国の宇宙を象る礼式によって調節されてきた。わたくしたちが日本
人の心の規範と考えることのできるものは、戦争と平和にかかわりなく、
生活のすみづみ、詩歌と弓術、行事と余暇をつらぬく以上のような精神
のなかに存在する。抽象的観念、制度、芸術作品、慣例などはもとむべ
きもない。日本人の映像と精神は「ギリシャ神話」の美しさにも、「キリスト
教徒の受難」にくだされる超越的な神の恩寵にもおよばない。しかし、日
本人は、優雅ととけあった勇気、陽気さと結びついた頑固不動、風流と
一緒となった無我の境地の実例を供給してきた。この見事な偉業の記
憶は、全面的に無秩序で混乱の増大する時代によって汚されてはなら
ない。

ある国民が固有の偉大さの中心から逸脱したとき、重要なのは過去を
忘れさせることではなく、過去におけるもっとも深い霊感と最高の夢の
真意を思い出させることである。こうして、広汎で全面的な罪ほろぼしが
すめば、荒廃した土地は新しい出発への準備をすすめることができる。
アジアの一角の国民は、老子が語る「道」への回帰とみなされるものに
とりかかれよう。
 
 この道においてするどさは打ちくだかれ、
 縺(もつ)れた状態はときほぐされ、
 きらびやかな光はぼかされ 
 塵ともとけ合っていくだろう。

56名無しさんは権之助坂がお好き:2002/10/24(木) 03:06
>>37-55
以上がジンカーの『三種の神器』の中にある
第九章「サムライ ―― 伝説と現実」の全文です。

筆者はユダヤ系ドイツ人で経済学者でした。
昭和6(1931)年から昭和14(1939)年まで
日本で教鞭をとっていました。
この本は終戦直後のシドニーで書き上げた物です。

今日から見ると明らかな間違い、
疑わしい点、また古くなってしまった点が
ないわけではありません。

しかし主題に影響がない範囲ですし、
何より観察眼が非常に鋭いと思ったので紹介しました。

57名無しさんは権之助坂がお好き:2002/11/05(火) 10:31
何か武道をはじめて
心と身を鍛えようかなと
近頃考えてます

58naribanana:2002/11/23(土) 18:48
うちの道場くれば?

59メモ:2006/04/16(日) 18:45:29
開講年度 2006年度
科目名 日本近世思想概論

学期曜日時限 後期 01:金6時限
担当教員 矢崎 浩之
開講箇所 第二文学部 配当年次 1年以上
科目区分 広域科目I 単位数 2
使用教室 01:32−324 キャンパス 戸山
備考 オープン科目
科目キー 1400005117

シラバス情報
最終更新日時:2006/03/10 23:54
副題 武士道の思想
講義概要  武士道の思想
 武士道という言葉を最初に用いたのは、江戸初期に編まれた『甲陽軍鑑』だといわれています。武士道とは、当初「もののふの道」とか、「武者のならひ」などと言われ、主従間の武勇や忠義などの規範のようなものを漠然と指していましたが、徳川の平和が訪れると、この言葉は、二つの内容をもつようになっていきました。ひとつは、社会の指導者として不可欠な武士の精神や教養という面、もう一つは、戦国武士の気風を失わないための武勇や死生観を説く教えという面です。前者は主に儒者たち、後者は現実の武士たちが、担い手となりました。吉良邸討ち入りで有名な赤穂浪士たちが、身につけていたのは江戸前期の儒者山鹿素行に始まる山鹿流兵法ですが、彼の説いた武士道は前者の代表と言えます。一方「武士道と云は死ぬ事と見付たり」というフレーズで有名な『葉隠』は、後者の代表になります。これら以外にも、実にさまざまな武士道関連の作品が、江戸時代、さらには明治期にかけて書かれています。この授業では、これら武士道作品の、主なものを紹介しながら、武士たちの思想的営みの一端をみていきたいと思います。
シラバス  具体的に取り上げる武士道作品としては、以下のようなものを予定しています。
 武士道の二つの流れでいえば、儒者的立場からのものとしては、山鹿素行の「士道篇」「上談篇」『山鹿語類』(巻21-31から数編)、大道寺友山『武道初心集』、斎藤拙堂『士道要論』などです。そして武士側のものとしては、大久保忠教『三河物語』、山本常朝口述『葉隠』などです。講義の切り口としては、作者像や成立の背景、さらにその所説といった、基本的な事柄はもちろんですが、たとえば、個と集団、文治と武断、日本的儒学との思想的な関係などといった、より一般化された視点からも、武士道の言説を捉えてみたいと思います。但し毎回の講義では、代表的な人物とその作品、しかもその要点だけを一、二取り上げるだけになると思いますので、講義全体の流れとしては、かなり歩幅の広い点描という体にならざるを得ません。そこで、なるべく参考文献を提示して、その欠を補いたいと考えています。
教科書  プリントを教室で配布。
参考文献  第一回目の講義に、全般に関する参考文献一覧を配布します。毎回参考文献を多めに提示したいと思います。
評価方法  レポート 特に出席を重視
備考  当初は、なかなか聞き慣れない固有名詞等が出て来ますので、講義の内容も理解しずらいと思いますが、なるべく一回の講義では、思い切って焦点を絞って解説していくつもりです。またどうしても講義の性格上、食い足りないところもありますので、ぜひ各自参考書で補ってください。

60メモ:2006/04/16(日) 18:50:21
開講年度 2006年度
科目名 武道文化論

学期曜日時限
担当教員 志々田 文明
開講箇所 人間科学部 配当年次 1年以上
科目区分 T-VIII 文化と歴史 単位数 2
使用教室 01:100−111 キャンパス 所沢
備考
科目キー 1900004880

シラバス情報
最終更新日時:2006/03/09 20:06
講義概要  明治維新から現代まで130余年が経過し、日本社会はすっかり近代化=西欧化しました。しかし、維新に先立つ約700年は武家政権の時期であり、その間に形成された武士をめぐるさまざまな思想は、武道論あるいは武士道論として、今日なお日本人の生き方や考え方に影響を残しています。この講義では、武道をめぐる思想について、次の課題を学習します。  まず、現代教育の立場から見た日本武道の独自性について考察します。その上で、柔道、剣道、弓道、合気道などの代表的な武道についてその概要を学びます。  次に、現代の武道に残存する伝統的な要素として、流派性、家元制、宗教的思想性などについて学びます。  第三は、競技スポーツと異なる武道の稽古法である形(かた)について、形(かた)と競技をめぐる論争を題材に学びます。  最後は、社会の国際化にともなう武道の文化変容の問題を考えます。その一端として、武士道の美点とその問題点を見て、これからの現代武道の在り方などについても考えていきます。

シラバス  以下の内容を順不同で扱う予定です。 ・武道の字義、名辞・武道について ・現代教育の立場から見た日本武道の独自性 ・各種武道(剣道・柔道・弓道・合気道・空手)の概要 ・流派性・家元制・秘密主義 ・宗教性:禅(不動智神妙録)、老荘思想、密教) ・形(かた)と競技:近世と現代の事例を中心に ・武士道の倫理と現代 ・国際化と武道の変容

教科書  特になし
参考文献  富木謙治著『武道論』(大修館書店)
評価方法  試験、リポート、授業への取り組み態度により総合的に評価します。
備考  志々田研究室ホームページ:http://www.f.waseda.jp/shishida/index.html

61メモ:2006/04/16(日) 18:52:18
授業情報
開講年度 2006年度
科目名 武道論

学期曜日時限
担当教員 志々田 文明
開講箇所 人間科学部 配当年次 1年以上
科目区分 T-IX 身体と表現 単位数 2
使用教室 01:100−S101 キャンパス 所沢
備考
科目キー 1900004945

シラバス情報
最終更新日時:2006/03/09 20:06

講義概要  武道はスポーツとどこがどのように異なるのか。日本文化としての武道とは何か。異文化の人々と接する機会が日常化した今日、こうした問題の理解が基礎的教養として求められています。この授業では、武士が台頭し鎌倉幕府を創立する頃の武士の行動様式を規制する気質(エートス)について学習します。次に、今日の武道教育(剣道、柔道、弓道、合気道など)の中心を貫く二つの精神性?芸道的精神性と武士道的精神性?を思想史的に考えます。芸道的精神性については、宮本武蔵の『五輪書』の技法論・心法論、人生論などを題材に考え、武士道的精神性については、葉隠的武士道論と儒教的士道論の系譜を概観します。最後に福沢諭吉の武士論と強い主体形成の問題、日本人として強くなるとはどういうことなのか、という問題を考えます。

シラバス  以下の内容を順不同で講義します。 ・日本文化としての武道とは何か:武道とスポーツの異同 ・武士のエートス ・武道における二つの精神性 ・芸道的精神性 ・武士道論 ・士道論 ・福沢諭吉の武士論 ・近代の武道論:嘉納治五郎と柔道論 ・山岡鉄舟と剣道論 ・弓道論:阿波研造と稲垣源四郎 ・富木謙治の武道論 ・国際化と武道の変容

教科書  特になし
参考文献  富木謙治『武道論』、相良亮『武士の思想』、福沢諭吉『文明論之概略』、オイゲン・ヘリゲル『日本の弓術』。
評価方法  試験、リポート、授業への取り組み態度により総合的に評価します。
備考  志々田研究室ホームページ:http://www.f.waseda.jp/shishida/index.html

62兵法の教え:2006/04/19(水) 04:16:13
◇兵法書の成立

「武士道」という言葉は、江戸時代になってできたものですが、
武士に特有な生活樣式や倫理は、古くからありました。

それは、武士が発生した平安時代から武士の政権が出来た鎌倉時代に
至る過程で、「弓矢取る身の習い」や「兵(つはもの)の道」などという
言葉で表現されました。

江戸時代に入ると、そのような武士特有の倫理が、「武士道」という言葉で
表されるようになります。しかし、「武士道」という言葉がそれほど
一般的でなかったことは、第一章で述べた通りです。

江戸時代の初期、武士が身につけるべき技能を解説した書物として、
兵法書(ひょうほうしょ)が現れます。
「兵法(ひょうほう)」とは、現在で言えば劍を中心とした
武術のことです。

二代将軍秀忠、三代将軍家光の兵法指南となった柳生宗矩は、
『兵法家伝書』という書物を著します。完成したのは寛永九年(1632)
9月、宗矩62歳のことでした。


欄外

兵法 柳生宗矩の兵法家伝書には、「弓矢、太刀、長刀、是を兵とふ」
と書かれている。兵法とは、このような武器の使い方という意味。

63兵法の教え:2006/04/19(水) 04:34:21
この『兵法家伝書』は、「進履橋(しんりきょう)」
「殺人刀(せつにんとう)」「活人剣(かつにんけん)」の三部から
なります。

「進履橋」は、上泉伊勢守信綱が宗矩の父、宗厳に直伝した
新陰流の極意を書いたものです。この中で最も印象に残る言葉は、

 太刀さきの勝負は心にあり。心から手足をもはらかしたる物也。

です。つまり、太刀というものの本当の勝負は、技術よりも心に
あるというのです。心が手足を動かしているのであり、ひいては
兵法の勝敗を決めるのも心にあるというのです。

そして、序、破、急のそれぞれについて九通り、合計二十七通りの
斬り合いがあるます。
ただしそれは、師弟が立ち會って身につけるものだとして、
詳しくは解説されていません。



『兵法家伝書』の構成

進履橋  兵法家伝書の入門編
     張良は石公に履を拾って履かせたことが契機となって
     漢の高祖を助け、天下を平定した。その故事にちなんで
     名づけた。この卷を橋として兵法の道を渡るという意味。

殺人刀  兵法家伝書の上卷
     「気」と「志」、「表裏(はかりごと)」、打たれまいとせず、
     「打たれて打つ」技法など、剣術の様々な心構えを解説する。

活人剣   兵法家伝書の下卷
      相手に斬られない場所に身を置くという「水月」の技法、
      相手の刀を取る「無刀」の技法などを解説する。

64兵法の教え:2006/04/19(水) 04:54:45
「殺人剣」の理念

宗矩は、弓矢・太刀・長刀などの「兵(ひょう)」を良くないもの
と捉えています。天道は万物を生かすものであるのに、
「兵」は人を殺すものだからです。しかし、やむを得ず「兵」を
用いることはあります。一人を殺して万人を生かすためです。

悪を殺そうとするとき、兵法を知らなければ、かえって殺されてし
まいます。だから、兵法が必要なのです。

「殺人刀」そいいう前提で、刀の使い方や軍勢の動かし方の
心構えを述べています。

将軍家の兵法指南だけあって、一対一の對決は、勝つのも
負けるのも一人ずつなので、「いとちひさき(大変小さい)兵法」
といい、一人が勝って、天下を取り、負けて天下を失うような
戦いを「大なる兵法」としています。

しかし、宗矩の考え方ではどちらの兵法にしても、心構えが最も
重視されています。

これは、将軍家光に教えるものだったからでしょう。
家光のような立場の人には、あまり技術的なことを教えて剣の道
に入りこむよりも、剣の道を通して政治の心構えを身につけるのが
必要だと考えたからです。

だから宗矩は、次ぎのようにもいいます。

 治まれる時、乱を忘れざる、是兵法也。

宗矩にとって、諸国が治まっているときにも乱を忘れないという
政治の心構えは、「兵法」なのでした。従って、どこの國にどの
大名を置くかといったことも、領主や代官の不正を糺すことも、
すべて「ひょうほう」の中に含まれます。

宗矩によれば、「兵法」は人を斬るものと思うのは間違いで、
人を斬るのではなく、悪を殺して万人を生かすものなのです。

「兵法」の心構えの中心は、次のようなものです。

 打にうたれよ。うたれて勝つ心持ちの事。

人を斬るのは簡単ですが、人に斬られないことは難しいことです。

相手は、こちらを斬ろうと思ってかかってきます。そのとき、
間合いを測っていれば、相手の刀は当たりません。

当たらない太刀は「死に太刀」となります。そして、相手の刀が
「死に太刀」となったときに、ことらから越して打って勝てという
ものです。

そして、自分が打ってからは相手の反撃を許さず、二重にも3重にも
なお、四重にも五重にも打てといいます。そこで躊躇すると、
二の太刀で相手に斬られるからです。

これば宗矩の極意でした。

65兵法の教え:2006/04/19(水) 05:08:12
「活人剣」の理念

「活人剣」にも「殺人刀」に続けて兵法の極意を伝えています。
重視するのは、「水月」です。これは立会いの場における座取り、
即ち身を置く位置のことです。

「水月」とは、水に映った月の影のことです。それに斬りかかっても
決して月は斬れません。そのような場に身を置くことを「水月」
というのです。

また、「是極(ぜこごく)一刀」を重視します。

「是極」というのは究極というような意味で、究極の一刀というのは
刀を振るうことではなく、相手の動きを見極めることだというのです。

敵の機を見るのが第一刀と心得、その機を見て打ちかける太刀を
第二刀と心がけるようにせよ、と述べています。

66兵法の教え:2006/04/19(水) 05:15:28
そして、そのような極意を述べた後に、「無刀の巻」で、
自分が刀を持たないときでも相手に勝つ方法を述べています。

相手の刀を奪って打ちこむのは、宗矩の父宗厳の師である
上泉伊勢守が得意としたものです。「無刀」は、人の刀を取ること
が目的ではありません。

もし敵が刀を取られまいとするときには、敵はそれで頭が一杯に
なりますから、こちらに斬りかかることはできません。その場合は
こちらの勝ちです。

敵がこちらを何とか斬ろうとしたとき、無刀の極意が必要となります。

67兵法の教え:2006/04/19(水) 05:20:26
間合いがあれば敵の刀は当たりませんから斬られる心配はありま
せんが、相手の刀は取れません。相手の刀を恐れず、相手の刀が
自分に当たる位置で取らなければなりません。

すなわち、「斬られて取る」心構えが必要なのです。

無刀は、新陰流の極意でした。したがって、身構えや場の位、
敵との遠近、身のこなしなど、学ぶことはたくさんあります。

これらは「無刀の巻」で解説さてますが、その実際の技法は、
やはり、師弟の立会いの中で学ばれることになります。

68兵法の教え:2006/04/19(水) 05:28:49
◇柳生新陰流の影響

宗矩は、大坂夏の陣で木村重成の兵に襲われたとき、殺人刀を
振るって敵七人を斬り、武名を高めます。それにより諸大名や
その子弟、家臣など、宗矩に入門する者は次第に増えていきました。

そのような中で、宗矩は父宗厳や父の師上泉伊勢守の伝えた技法を
体系化します。

しかし、そのような技法が『兵法家伝書』になっていく過程で、
能の伝書や禅の思想などが加味されます。

宗矩は、家光が帰依した沢庵和尚とも親交を持っています。
また、能は江戸時代初期の大名、旗本の教養として必須のもので、
多くの大名はその所作を学びました。

69兵法の教え:2006/04/19(水) 05:34:55
こうして『兵法家伝書』は、單なる剣術の技術書ではなく、
深い教養に裏付けられた思索の書となったのです。

宗矩は将軍家兵法指南であり、自身も大名に取り立てられ
大目付も務めますから、諸大名に大きな影響力を持っていました。

『兵法家伝書』は、佐賀藩の支藩である小城藩主鍋島元茂や
熊本藩主細川忠利にも与えられました。これらの大名は、
宗矩と親交を結び、また剣術を好んだ大名ですので、彼らや
その家臣にも影響があったとみていいでしょう。

70nanashibanana:2007/09/01(土) 10:09:58
日本近世思想概論
江戸思想入門―儒教と国学を中心に―
矢崎 浩之

 この授業では、江戸時代の儒教と国学の展開を、
代表的な人物数人を取り上げて考えていきたいと思います。
江戸時代は非常に豊かな思想分化を育んだ時代で、
なかでも長きにわたり、さまざまな分野にまたがって影響を残したのが、
儒教と国学でした。中国の哲学と日本の古典研究、
外見的には対照的な相いれないものと見做されがちですが。
この二つの学問は非常に近しい関係でもありました。
 江戸の思想をどのように論ずるにせよ、
この二つの学問は決して避けてとおることはできません。
よって、本講義では、この二つの学問の展開のなかで、
見過ごすことのできない人物を中心に解説していくことで、
儒教と国学の基礎的な知識を獲得していきたいと思います。
扱う人物については、儒教では林羅山、山崎闇斎、中江藤樹、
熊沢蕃山、伊藤仁斎、荻生徂徠らを、
国学では、本居宣長と平田篤胤らを予定しています。
 時間的な制約もあり、なかなか江戸時代全体にわたって
詳細に語ることはできませんので、
どうしてもかなり取り上げる人数を絞り、
しかもその特徴的な思想だけを天描していく形にならざるをえません。
そこで毎回の講義では、参考文献を多めにあげて、
点と点の間を埋められるように工夫していきたいと思います。

71AKBメンバーの丸刈り謝罪は「武士道」の精神?:2013/02/12(火) 00:26:58
2013.02.05 Tue posted at 16:00 JST

(CNN) アイドルグループ「AKB48」のメンバー、峯岸みなみさん(20)が男性との交際を報道され、丸刈りになって涙ながらに謝罪する姿は、体面を失って名誉を回復しようとする武士のようにも見えた。その理由は、AKB48の軍隊のような組織にあるのかもしれない。

AKB48はチームA、K、B、研究生の主要4チームから構成され、いくつもの姉妹グループも持ち、厳格な秩序と行動規範が定められている。海外進出の意欲も旺盛で、シンガポールに拠点を設けるほか、インドネシアと台湾、中国に姉妹グループが存在する。

峯岸さんは1日、「恋愛禁止」のご法度を破ったことを涙ながらに告白した。これは組織の体面が傷ついたことを意味する。

頭を丸刈りにする行為は、日本では悔い改めの儀式とみなされる。峯岸さんは動画投稿サイト「ユーチューブ」に投稿した映像で「とても軽率で、自覚のない行動」だったと振り返り、この動画は300万回以上も再生された。きっかけは、峯岸さんがダンス・ボーカルユニットの男性メンバー宅に泊まったと週刊文春に報じられたことだった。

AKB48のブログによると、峯岸さんは「研究生」に降格された。日本の芸能メディアはスキャンダル報道でもちきりになった。ある業界関係者は「完璧な話題だ。紙面を埋めるためのネタを尽きることなく提供してくれる」と解説する。

72AKBメンバーの丸刈り謝罪は「武士道」の精神?:2013/02/12(火) 00:27:39
AKB48は10代の若者を対象にしていると思われがちだが、観客はサラリーマンで構成されることも多い。総合プロデューサーの秋元康さんには、若い女性の性を売り物にしているとの批判もある。ビデオクリップなどの映像ではメンバーたちが露出度の高いミニスカート姿で登場し、食べ物を口移ししたり、一緒に入浴する場面もある。

秋元さんはCNNの取材に対し、これは芸術かわいせつかの問題と同じであり、どう見るかは個人の判断に委ねるべきだと語った。

AKBの曲『制服が邪魔をする』で秋元さんが作詞した「制服を脱ぎ捨てて もっと 不埒(ふらち)な遊びをしたいの 何をされてもいいわ 大人の愉(たの)しみ  知りたい」という一節に対しては批判もある。秋元さんは、メンバーは自分の体験を語っているのではなく「演じているのだ」と語る。

『軽蔑していた愛情』という曲では、中学生がなぜ自殺をするのか取り上げたと語る秋元さん。作詞家として少女たちが直面している問題を取り上げなければ、そうした問題への対応もできないと反論する。

制服を脱いで悪いことをしたいと思っている子どもたちは存在しており、自分が描写しているのはそうした現実だと秋元さんは言う。「想像したり、新聞記事やテレビのニュースなどを見て、いじめや自殺など、この世代が抱える問題に目を向けている」と語った。


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