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【議論】武士道

51理想と現実:2002/10/24(木) 02:39
山鹿素行や大道寺友山による徳川時代の優れた武士道は、もちろんこ
うした極端な例を扱ってない。かれらの論旨は穏健で、教えには分別が
ある。かれらはただひとつの美徳だけを誇張しないし、かれらの価値の
尺度には、自己賛美に専念する武士を評価する痕跡すら存在しない。
かれらの教えは、おおむね地味で、かたよらず、宋の朱子学(禅僧によっ
て日本に紹介され、のち徳川幕府の官学として採用された)に影響され
たり、逆に、独裁政治に都合のよい、朱子学派の静的で型にはまった倫
理を熱心に克服しようとする、勇敢な思想家の感化をもうけた。後者のひ
とたちは、大胆にも初期儒学のまじりけのない源泉に立ち返ろうとした。
まえの時代の禅宗武士に比較すると、たしかに精神的緊張には欠ける
が、最後まで精神的自由の達成が徳の中心であった。

近代日本人の行動がどの程度まで武士道の教訓に基づくかを見極める
のは、キリスト教の倫理が、どこまで今日のヨーロッパ人の態度や行動
を規制するか、を評価するのと同じくらい困難である。明治維新は、強い
経済的不満と熱烈な愛国心をもつ、主として下級のサムライの仕事だっ
た。ところが、最後にはサムライ階級が廃止され、新しい「国家」が誕生
した。サムライとしての大きな特権を失い、経済的窮乏あい変わらずか、
しばしば悪化した。とりわけ新しい社会組織のなかで、将校、役人、事業
家、警察官や農民のような自己に適した地位につけなかったサムライは、
はなはだしい苦境におちいった。慎重な明治天皇と首席顧問は、達成の
見こみのない、はなはだしい軍事的冒険のことは考えもしなかった。これ
らのすべてが元サムライの間に不満をかきたて、かれらは、反乱、たえ間
ない騒動、ときおりの暗殺によって憂さばらしをはかった。これらの有名な
事件をよく知れば、当時の政府当局者が武士道 ―― 国内でもっとも手に
負えない階級の指導原理 ―― を新しい国家倫理の基礎にすえる計画は、
とうていありえないのがわかるにちがいない。


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