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【議論】武士道

54理想と現実:2002/10/24(木) 02:40
日本人はサムライの真価を桜花にたとえる。朝日をうけて突然に開花し、
春風にゆすられて不意に散っていく。第二次大戦中の日本軍人の頑固
な鈍感さや、とめどもない暴行を見たり読んだりした外国人のなかには、
日本人と桜花の映像を結びつけるのに困難を感じるひともあろう。それら
のひとに、歴史をさかのぼって平敦盛の故事を引用し、このたとえが、昔、
何を意味し、どうして伝統的な観念になったかを説明したい。平氏が一ノ
谷で頼朝の軍勢に大敗し、本土から海上に逃げ出したとき、清盛公の甥
はしんがりをつとめて最後に岸辺をはなれようとしていた。そのとき、敵軍
中もっとも豪勇なひとりの武将から、敵にうしろをみせて逃げるのかとの
挑戦をうけ、敦盛は勝つみこみのないのに、馬をひき返して結局討死した。
敵将が相手がだれかたしかめようと兜を取りのぞくと、現れたのは十五歳
の少年の微笑をうかべた死顔だった。そして、鎧のひだには、高価そうな
錦織りの袋がくくりつけられており、あけてみると中国産の竹でつくられた
有名な横笛がでてきた。一ノ谷の戦いの前夜、平家の一族郎党は、せま
りくる災厄をまえに饗宴を催し、敗北と死がかれらに襲いかかるまえに、
最後のひとときを楽を奏でてすごした。敦盛も積極的な参加者のひとりだっ
た。


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