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【議論】武士道

49理想と現実:2002/10/24(木) 02:39
しかし、キリスト教徒が、根拠のない要求ではないにしても、逆説的なイエス
の「山上の垂訓」の従って生活するよりも、サムライが武士道の規範を実践
する方がはるかに容易である。ものごとに寛容で本分をまもり、なにごとに
も慎重で、父祖や権威に服従し、質素、謹直、勤勉で、死や悲運に沈着で
あることは、すべて、だれにでもできることではないかもしれない。けれども、
敵を愛し、左の頬を打たれたなら、右の頬をさしださなければならないキリ
スト教道徳に比べれば、ふつうのひとにとっての心理的負担ははるかに少
ない。

日本社会のなかで、サムライ精神の浸透する範囲をたえず広げるのが、
徳川時代の歴史的使命だった。そのことによって、サムライ精神は多少
活力と正確さを弱めはしたが、必ずしも品位は低下しなかった。この運動
は、本来は貴族用に作られた理想が完全に一般化された、歴史上数少な
い例のひとつである。主婦、学生、店員、高級売春婦でさえ、程度の差は
あっても、封建家臣の主君にたいする態度を手本にするようになった。

「四十七人の浪人」の英雄的な仇討ちが、都市の一般庶民に熱狂的な
感動をよび起こしたことは、十八世紀初期にはサムライ精神がすでに階
級道徳でなくなったことを物語る。町の商人や職人たちは、サムライが
国民道徳の中心的な存在として生きたり、死んでいくことの価値を承認し
た。こうした庶民の間のサムライ精神にたいする共感は、五世代後にす
べての階級を最終的にひとつの近代的国民にまとめるにあったって、
「古学」や原始「神道」の復興にけっして負けない効果を発揮したにちがい
ない。

西洋では、シェークスピアの史劇やセルバンテスの『ドン・キホーテ』で、
封建時代の精神に別れをつげたが、日本では、逆に、封建時代の精神
が、適当にうすめられながら、当時の大都市江戸、のちの東京の米商
人や運送業者の心のなかに広がっていた。街路や商店にたむろする
流儀で、人生をおくることに誇りにした。


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