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【議論】武士道

50理想と現実:2002/10/24(木) 02:39
しかし、極度の緊張を必要とする道徳観念のこうした全面的俗化は、
危険がともなうのをどうしようもない。大都会の市民やその妻妾が武士
道に惹きつけられたのは、主として感傷のせいだったり、しばしば珍し
く、はなやかで、好奇心をそそるものをもとめたからであった。こうした
要求に答えてつくられたもののひとつが、徳川時代のドラマ「歌舞伎」
である。歌舞伎の舞台では、溢れるような感動、度肝を抜く所作、強烈
な色彩、ほとんどグロテスクに近いせりふが展開される。これらはすべ
て本当のサムライ精神には異質な存在である。サムライの規範に合致
するのは、厳しく、穏やかで、感情をおさえた、簡素な「能」の表現だけ
であった。ところが、今や、サムライの生活が、一般庶民のまえに極端
な形で提示されることになった。扱われるテーマは、犯罪と狂気の一歩
手前で、芝居好きな人びとの感受性と人間性を緊張させた。平土間の
観客はしばしば涙を流し、天井桟敷は興奮して、喝采の金切り声を夢
中であげる始末だった。

さまざな理由から能を鑑賞できない外国人は、「歌舞伎」やかつて西洋
人向きに書かれた、読みやすく粗雑な挿絵入りの物語に夢中になりが
ちであった。そのうえ大衆芸術家たる浮世絵師の木版画である超現実
的な役者絵により、かれらの感動はさらにましたであろう。こうした外国
人はこれらの変形されたサムライ物語を武士道の本質と見誤った。サ
ムライというものは、グロテスクな行動をする半野蛮人で、いつでも「主
君」のためにわが子を殺し、駿馬を買うために妻を女郎屋に売りとばし、
わざわざ死の苦痛を長びかせる方法で自殺すると考える、ヨーロッパ
人の根強い観念は、あきらかにここからくる。

これらは、日本文学のすばらしいテーマではあるが、「武士道」の典型と
みなしてはならない。ちょうど癩病患者の皿でものを食べたり、柱のてっ
ぺんで幾日もすごすのは、一部の修道士のことで、ふつうのキリスト教
徒の生活でないのと同じである。これらはすべて「言語道断な例」で、う
まく説明がつかない、限界状況に属する事柄とみるほかはない。


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