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おしゃべりルーム
ヴィルパン
フランス語のコーナーみたいになりますが、フランスの呼称って、住んでいたらもちろん分かってきますが、アングロサクソンとは全然違います。イギリスの映画とか観てたら、学校で生徒を姓で呼んでるみたいですが、フランスではほぼ名のほうです。スターはアメリカでは名で呼ぶことが多いようですが、こちらでは少しでも公共の人はドヌーヴとかドロンとか姓で呼ぶことが多いです。だからこそ今のアイドルは、アメリカ風にファーストネームを呼ぶ傾向があります。後、インタヴューなどで、姓名をフルネームで呼べば、ムッシューという敬称は必要ないのです。たとえば、「メルシー、ドミニック・ド・ヴィルパン」と言えます。「ムッシュー・ル・プルミエ・ミニストル」とも言います。雑誌や新聞では敬称抜きのヴィルパンあるいはフル・ネームです。一番多いのは「ヴィルパン」だけ。ドはつけても間違いじゃないですが、有名になればなるほど消えます。ヴィルパンも外務大臣の頃はド・ヴィルパンと書かれていたことがありました。ムッシューの後ではどちらかと言えばド・ヴィルパンかな。ではどうしてド・ゴールはド・ゴールかといいますと、ドがなくなるには、1「有名」、2「ドに続く名がある程度長い」、3「ドに続く名が知られた地名でないか地名以外のルーツを持つ」の条件があり、ド・ゴールは1しか満たしていないからです。日本でも、たとえばシモーヌ・ド・ボーヴォワールとか有名でしたが、ド・ボーヴォワールと呼ばれずに、フランス風にボーヴォワールでしたね。でもフルネームならドが復活します。画家のアンリ・ド・ツールーズ=ロートレックとなると、ツールーズは有名な土地ですが、フルネームでないと誰もド・ツールーズ=ロートレックと言ってくれません。日本同様、ロートレックで通用します。ただし、彼は厳密に言うと、ツールーズ伯爵家とロートレック伯爵家の姻戚で生れた分家で彼の代で途絶えました。本家筋のロートレック伯爵家はまだ存在しますが、姓からドをとっちゃってます。ええと、上に挙げた条件というのは、私の見た経験則であり、別にどこかで成文化されてるわけではないです。おもしろいですね。
共同体の話ですが、たとえばどこかの優勢な共同体に属しているから安泰というわけでなく、その中で老いたり病んだり落ちこぼれたりしたときに誰が救ってくれるかと言うことですね。アリストテレスは「愛があれば正義はもう必要ない」なんて言っていました。確かに、みなが自然に弱い人をかばってくれるなら、主義も法律もいらないかもしれません。今のユニヴァーサリズムは、起源的にはユマニスムということです。こういうと必ず、「西洋の人間中心主義が地球の環境を壊したから八百万神の多神教の方が地球に優しくベターだ」とか言う人が出てくるんですが、よく見てください。ユニヴァーサーリズムのヒューマニズムの名において、国籍や文化がどうこうを超えて、何の関係もないのに、ソマリアに水を運ぶ人とか、ルワンダに援助に行く人とか世界中の天災現場に駆けつけるグループが存在し、キューバの捕虜収容所で虐待されている人が世界に向けて連帯を求めたりしているんですよ。ユニヴァーサリズムが西洋キリスト教起源であろうとなかろうと、全体主義の国に生れたり貧困国に生れたりするのは、偶然の采配に過ぎず、失業、事故、老いや死など、誰にとっても明日はわが身、強い時に弱い者を思いやり、弱くなったら共同体の枠を超えて助けてもらえるという理想はすごく大事にしたいと私は思います。愛があればすべて解決するかもしれませんが、愛することはアリストテレスの時代からいかにも難しく、永遠の挑戦なのですよね。それと、人間の置かれる状況は一筋縄でいかず、正義のために愛を犠牲にしたり、愛のために正義を犠牲にしたりという局面を繰り返して、相対主義のニヒリズムや絶対主義の誘惑と戦いながら少しずつ連帯していくという希望を捨てたくないです。
マリウポリ
sekko様、
何度も試みたのですが、新しいサイトにはアクセスできませんでした。
ところで、ウクライナ大統領を国会に招いて演説させ、議員たちにスタンディングオベーションをさせ、防衛装備品を与えたことなどについて、ロシア(と中国)の敵として自ら名乗りをあげて危険を招き寄せたと、鮫島タイムス・鮫島浩氏が27日の動画であらためて指摘しました。
侵攻の当初から、孫崎享氏や東郷和彦元欧亜局長などロシアに詳しい外務省OBが米国とNATOの対応について厳しい指摘をしていました。しかし、れいわ新選組以外のすべての政党が、護憲政党である日本共産党までが、ロシア非難決議に賛成したそうで、国会が全体主義的な様相になってきたことに衝撃を受けます。
知合いにも、ゼレンスキーは立派だ、がんばれ、みたいな反応を返さないとおもしろくない人はいます。
オリバー・ストーン「ウクライナ オン ファイア」の日本語字幕付き動画は、消されてはアップされるのを繰り返すイタチごっこになっているようです。この映画は必見だと思いますが、オリバー・ストーンがプーチンに利用されている感じは明らかに伝わってきます。
一方、れいわ以外の国会議員やメディアはウクライナを代理とする勢力によって、無意識に利用されていると思われます。
マスメディアは言うまでもありません。
孫崎氏らは「プーチンはゼレンスキーを全く信用していないので、停戦交渉を実のあるものにするには、プーとゼレ双方から信頼され評価されるだけの知性人格手腕を備えた者が代理になるか、間に入るかでないと停戦を成立させるのは難しい」と言っていました。
かろうじてSNSには「プーチンは悪魔、ゼレンスキーは正義」という見方と、それに賛同しないと黙殺される風潮への疑問がみられます。
その中に「2014年のユーロマイダン革命後に、おそらく武器製造企業に近い勢力によって養われる暴力的な極右勢力がウクライナで台頭した状況については、EU諸国の首脳らも、『とんでもないものが出現してしまった』と受けとめて危惧していた」と、ウクライナに住んだこともあるというロシア通の人が書いているのをみつけました。
sekkoさまは、フランスなどの首脳たちがユーロマイダン革命のもたらしたものについて危惧したと思われますか?
こちらでは、ある司祭が、ファティマの予言がロシアの回心のための祈りを求める聖母マリアのお告げであったという説教をしました。プーチンがキリスト教徒で共産党員じゃないことは知らないのかもしれません。
また、バイデンはカトリック教徒だから善人だろうと無意識に考える「偏見」も見え隠れします。
難民が発生しているウクライナ西部はカトリックが多く、東部はオーソドックスが多いことで、偏見に磨きがかかってしまうのかもしれません。
その点、マイケル・ムーアは流石ですね。
民主党支持者だそうですが、トランプよりバイデンがましだ、オバマは素晴らしい、などの幻想を人々が捨てる先鞭をつけてくれるといいのですが。
日本では26日午前1時、ローマでは25日夕刻に行われた教皇フランシスコの祈りは、さすがに「ロシアよ、回心せよ」といった文言がなくてよかったです。
この祈りは聖母マリアに向けた祈りでした。マリウポリはマリアの街という意味だそうですが、シンボルからなんらかの効果が生まれるのか、興味しんしんです。
もう一つ、ご存じだったら教えていただけますか。
キツィン(キジン)に出現した聖母マリアがロシアのウクライナ侵攻に関する預言をしたという情報が送られて来たのですが、キツィンの聖母出現について耳にしたことはおありですか?
愚者さま
>>>何度も試みたのですが、新しいサイトにはアクセスできませんでした。<<
おかしいですね。ブログもサイトもアドレスは変わっていません。
http://www.setukotakeshita.com/
https://spinou.exblog.jp/
>>ところで、ウクライナ大統領を国会に招いて演説させ、議員たちにスタンディングオベーションをさせ、防衛装備品を与えたことなどについて、ロシア(と中国)の敵として自ら名乗りをあげて危険を招き寄せた<<<
これは私もそう思います。
幕末に欧米帝国主義者から受けた脅威を前に、日本は「富国強兵」「和魂洋才」路線をとり、自ら「大陸」へ進出(侵攻)していったわけですが、あの時に他の生存戦略があったのかどうか、私には分かりません。
でも第二次世界大戦での「無条件降伏」の後は、「富国・洋才」路線となり、早い話が「名誉白人」路線に切り替わりました。「名誉アングロサクソン」と言ってもいいかもしれません。G7の一員としてそのアイデンティティを自己賦与したように思います。
今回のウクライナ戦に関しても、何の迷いもなくNATOと同調したわけで、「名誉白人」路線としては当然の選択だったのでしょう。でも、21世紀、グローバリゼーションも進み地政学も大きく変わったのですから、今回の場面で「名誉白人」路線を可視化する必要はなかったと思います。逆に、「欧米が諸悪の根源」のような民族主義を刺激することにもなるのではと懸念しました。
第二次世界大戦の終わりには、ヨーロッパも日本も荒廃状態(フランスの爆撃被害はほとんど米軍によるものでしたが)で、アメリカの資金や軍備に頼って急速な経済復興を優先したのは生存戦略として有効なものだったとは理解できます。そのことと「冷戦」構造とがパラレルに起こって、欧米、日米の軍事一体化が既成のものとなったわけです。
冷戦終結後、ロシアのようなハイブリッドな国を、ヨーロッパが受け入れてくれていれば、日本にとっても悪くないもっとバランスの取れたグローバリゼーションに向かったのではないかと思いますが、軍事産業の利権に支えられたアメリカの善悪二元論的な冷戦マインドでは無理だったのでしょう。
>>>「2014年のユーロマイダン革命後に、おそらく武器製造企業に近い勢力によって養われる暴力的な極右勢力がウクライナで台頭した状況については、EU諸国の首脳らも、『とんでもないものが出現してしまった』と受けとめて危惧していた」<<
ネオナチなどの極右勢力については、思うところはいろいろありますがここでは書きません。
ウクライナの複雑な歴史から見て当然のカオスが内在していて、それを「金」や「利権」に利用するグローバルな勢力が当然のように侵襲していました。
私のブログhttps://spinou.exblog.jp/31724654/ で少し書いています。
>>ある司祭が、ファティマの予言がロシアの回心のための祈りを求める聖母マリアのお告げであったという説教をしました。プーチンがキリスト教徒で共産党員じゃないことは知らないのかもしれません。
また、バイデンはカトリック教徒だから善人だろうと無意識に考える「偏見」も見え隠れします。
難民が発生しているウクライナ西部はカトリックが多く、東部はオーソドックスが多いことで、偏見に磨きがかかってしまうのかもしれません。<<
プーチンがロシア正教に熱心に「帰依」しつつ政治のツールとして利用していることはよく知られていると思います。私も何度かブログに書いています。プーチンはファティマのこともよく知っています。
キリル大主教はプーチンから完全に洗脳されるような人ではなく、エキュメニカルなカトリックとのパイプを持ち続けていると思われます。バイデンのカトリックは出自のアイデンティティを共有するロビーと結びついているのでしょうが、だから「善人」だなどとはカトリックの人も無意識でも思っていないでしょう。
>>その点、マイケル・ムーアは流石ですね。
民主党支持者だそうですが、トランプよりバイデンがましだ、オバマは素晴らしい、などの幻想を人々が捨てる先鞭をつけてくれるといいのですが。<<
銃社会反対やキューバへの視線、イラク侵攻反対など、ムーアの立場に賛同します。根強い「オバマ崇敬」を崩すのはなかなか難しいですね。いろいろなオーラをまとって現れた人ですから。Change Yes We Can! ってよく言ったよなあ、と思います。
>>日本では26日午前1時、ローマでは25日夕刻に行われた教皇フランシスコの祈りは、さすがに「ロシアよ、回心せよ」といった文言がなくてよかったです。
この祈りは聖母マリアに向けた祈りでした。マリウポリはマリアの街という意味だそうですが、シンボルからなんらかの効果が生まれるのか、興味しんしんです。<<
プロテスタントと違って、ローマ・カトリックは「聖母崇敬」を通して正教と歩み寄れますからそれを最大限に生かしてほしいですね。教皇は分かり過ぎるほど分かっていると思います。(ヨハネ=パウロ二世と違って個人的には聖ヨセフ恃みのようですけど。)
>>>キツィン(キジン)に出現した聖母マリアがロシアのウクライナ侵攻に関する預言をしたという情報が送られて来たのですが、キツィンの聖母出現について耳にしたことはおありですか?<<
クルシフの聖母御出現はもう17世紀のことでその後「奇跡の泉」が湧き出て19 世紀にはウクライナのルルドとして巡礼地になっていました。
その後ソ連邦下でカトリックは正教の監督下に置かれ、チャペルも閉鎖されていたのが、1987/4/26に、11歳のマリア・キツィンがチャペルの上方に輝く女性のシルエットを見て、その後も村人たちも目撃しました。
定期的に定時に現れました。
最初の御出現はチェルノブイリ事故のちょうど1年後です。
もともとグレコ・カトリックの地方ですし、ペレストロイカが始っていましたし、ロシア革命100周年の年でもあり、いろいろな要素がこの御出現に意味を持たせたわけです。(すでにこの地には危機の度に何度も御出現やお告げがありました。電磁エネルギー?が強い場所に人々のサイコ・エネルギーが加わって何らかの心理的な現象が起こる?)
共産党ロシアが侵攻を失って、聖母崇敬を守るウクライナを攻撃するというような「お告げ」はソ連時代にすでにいろいろな形ですでにありました。「無神論」対「西側カトリック」との戦いです。
1987 年の御出現が共有された後でも「声を聴いた」という人は出てきましたが、別に今回のロシアの侵攻を予言したというものではありません。
でも、今ならそんな解釈もされそうですね。
昨今の危機的状況には、あの「ノストラダムス」だってまた何か言わせられているかも。
何かが起こる度に、「実はそれは昔から警告されていた」、ということで納得できる人がいるのでしょうか。その「納得」を利用できる人やグループがいるのでしょうか。
幸い直接の攻撃を受けていない立場にある人は冷静になって、平和への道筋を考える人の声に耳を傾けたいものです。
Sekkoさま
まず、アドレスが変わってアクセスできないと書いたのは私の間違いだったようです。
申し訳ありません。
質問に中身の濃い解説を示してくださりまことにありがとうございます。
特に、リンクされた絶望と希望についての2回にわたる記事を読んで、2014年のマイダン革命が抵抗から民族主義的な運動に変質した原因が少し理解できたような気がします。そうした潮流に国や地域を超えて共通性があることもわかりました。
>>冷戦終結後、ロシアのようなハイブリッドな国を、ヨーロッパが受け入れてくれていれば、日本にとっても悪くないもっとバランスの取れたグローバリゼーションに向かったのではないかと思いますが、軍事産業の利権に支えられたアメリカの善悪二元論的な冷戦マインドでは無理だったのでしょう。
ご指摘の善悪二元論は「アメリカの権力者にとって都合のよいものが善、都合の悪い実のが悪」とチョムスキーが言ってます。
昔、日本人が何度目かのノーベル物理学賞を受賞したときに新聞で読んだ奇妙な記事が忘れられません。「日本は人文社会科学分野においては全くみるべきものを生んでいないが、科学や技術の分野では優れた才能を持つ者がいる。」という、たしか米国の知識人の評だったと記憶しています。
しかし、歴史や思想哲学の分野で西田哲学など優れた業績はあります。Sekkoさまのように、俯瞰的に複雑な現代史を解き明かす歴史家もおられます。
要するに、歴史や政治や外交などに首を突っ込むな、ということだったのかもしれません。
日本の政治学者らは国際政治を考えるにあたっては、各国の、特に大国の権力者と国民を同一視してはいけない、とあたりまえのことを指摘しています。この視点は忘れられがちですが、理性的な態度ではないでしょうか。
ロシア人アーティストをキャンセルしたり、ロシア語の看板を隠したり。それがウクライナ人の助けになると思っているのでしょうか。
今の日本のマスメディアや言論空間では「悪いのは攻撃をしたロシアです。ところで、」と導入してからマイダン革命の影響を述べたり、オリバー・ストーンの映画を参考にすることを提案したりするだけで叩かれます。
論者の意図は戦争の再発を防ぐため背景・経緯を考察することなのですが、ちょっとでもウクライナにケチをつけるのはロシアの味方だ、戦争を推進する者だ、と判定されます。
ゼレンスキーはすばらしい大統領だ、残忍な人殺しの嘘つきプーチンに負けるな、の大合唱。
民間人の虐殺も、恐怖のロシア軍の戦争犯罪だ、絶対ゆるしてはいけない、の一色です。
停戦や戦後の国際関係でロシアの立場を決定的に悪くする非戦闘員に対する大規模な残虐行為を、ロシア軍の統率者や上官らが許すのだろうか?という疑問を感じます。残虐行為はあったと思いますが、言われるような規模の蛮行を現代の軍事大国の軍隊が行えるものでしょうか?
フランス文学者の堀茂樹慶大名誉教授は英仏語のメディアを読み漁っているそうで、民間人虐殺現場の国連による調査のロシアからの要求に対してイギリスが拒否した、という記事を読んだと言っています。この記事も真偽は不明。
さらに、ロシアが原発を攻撃した、という報道もありました。いくらロシア軍が蒙昧野蛮だとしても、原発を攻撃すれば自らが被曝死を免れないことくらい知ってるでしょう。なにがなんでもロシアを得体のしれない恐怖の存在にしたい意図があるように感じます。
ゼレンスキー大統領のパトロンがいかがわしい人物であるとか、バイデン父子がエネルギー利権でウクライナを食い物にしている、など不都合な情報はマスメディアには皆無です。
だからといって、ロシアが戦争を仕掛けるのは仕方がない、とはだれも思っていないのですが、「虐げられた100%正しいウクライナ対100%悪のプーチンのロシア」という水戸黄門ドラマになっています。
ウクライナ在住でゼレンスキー大統領を批判していたゴンザロ・リラというチリ人のジャーナリストが数日前から行方不明で、どうやらウクライナ軍側のなにものかによって殺害されたという情報が飛び交っています。真偽はわかりませんが。
「ドンバス2016」を制作しYoutube に公開したフランスのAnne-Laure Bonnel記者も20日以来沈黙しているのが気になります。
EU議会のClare Daly議員の火のような演説は正論。
ScottRitterのSNSは停止。
でも日本のマスメディアは黙殺。
結局、日本は宗主国の二元論文化に忠実に、宗主国の敵か味方かという基準だけで外交をする国になりつつあるようです。
ウクライナの聖母に関する後半はまだちゃんと消化しておりませんが、知らなかったことを教えていただけたのでSekkoさまに質問したのは正解でした。感謝しております。
24日が正教会の復活祭なので、少なくとも停戦の合意に向かう動きがあることを願って祈ります。
正教会の上層部は、これは聖戦だ、と公言しているそうですね。
もっとも、ロシア側もNATO側も、広告代理店による情報戦に力を入れているそうなのでどちら側の言い分も嘘だらけなのでしょう。
山本太郎や鮫島記者が指摘するように、プーチン、ゼレンスキー、そのトリマキは戦場に行かないし制裁を受けtおても自分は困らないが、ウクライナの人々の命の危険と恐怖は言うまでもなく、ロシアの兵士だけではなく庶民も制裁によって被害を被っているというのは事実だと思います。
これほどまでに「悪党」に憎しみをぶつけ、その滅亡を願う空気の盛り上がりを鑑みるに、私たち日本人は、どんな攻撃してもゆるされる敵を必要としているのかもしれません。理由はわかりませんが。
もしかしたら、そう誘導されているのかもしれない、と今思いついてぞっとしました。
Sekko様
>>クルシフの聖母御出現はもう17世紀のことでその後「奇跡の泉」が湧き出て19 世紀にはウクライナのルルドとして巡礼地になっていました。
その後ソ連邦下でカトリックは正教の監督下に置かれ、チャペルも閉鎖されていたのが、1987/4/26に、11歳のマリア・キツィンがチャペルの上方に輝く女性のシルエットを見て、その後も村人たちも目撃しました。
定期的に定時に現れました。
>>最初の御出現はチェルノブイリ事故のちょうど1年後です。
もともとグレコ・カトリックの地方ですし、ペレストロイカが始っていましたし、ロシア革命100周年の年でもあり、いろいろな要素がこの御出現に意味を持たせたわけです。(すでにこの地には危機の度に何度も御出現やお告げがありました。電磁エネルギー?が強い場所に人々のサイコ・エネルギーが加わって何らかの心理的な現象が起こる?)
ルルドとファティマしか知りませんでしたが、本家だと思っていた1853年のルルドよりも前にクルシフの御出現があったのですね。
チェルノブイリ事故の一年後にマリア・キツィンに現れたクルシフの聖母は日本語のウイキペディアには見出しもないので、お告げの内容もわかりませんでした。
L’art de croire は、国際関係論、世界史、聖書学、宗教史、文明論などの講義を受けているような感じの記事が豊富で、いまさらながら勉強になります。
Sekkoさまがクルシフの聖母をテーマにウクライナ、ロシア、ポーランドの近現代史について新書を書いて下されば、ぜひ読みたいと思います。
そして今回、このブログに出会えて幸運だったことにようやく気付きました。多くの知識人やジャーナリストがブログを書いていますが、質問したり感想を書いたりするには、ログインしてパスワードを決める、といった手続きが必要なものが少なくないと思います。
この、パスワードを決めるというのが私は苦手なので、またパスワードが必要な理由もよくわからないので、そういう手続きなしで質問することが出来て、コメントをいただけるのは珍しく開かれた寛大な空間?だと思います。
なにより、俗っぽい質問や低レベルのコメントにもクールに答えてくださることに感謝しています。
グテーレス国連事務総長のミッションが成功することを願って祈りを続けます。
チョムスキーのインタビュー日本語字幕付きが公開されたので聴きました。チョムスキーの発言はだれもが納得できるものだったと思いますが、世界で起きているたくさんの紛争や様々な出来事について知らないことはあまりなくて、それらの意味もわかっていて、次にどうなるか知っているかのような魔法使いチョムスキーに匹敵する知識人は今の日本にはやっぱりいないのでしょうね。
冗長なおしゃべりを読んでくださりありがとうございました。
愚者さま
励みになるお言葉をありがとうございます。
私のブログはまず自分のための覚え書きなので読者にとってやさしい解説などないので申し訳ありません。でも関心のツボにはまっている記事を見つけた方にはお役に立てるかと思います。
ひと昔前までは、もう死語かもしれませんが、資料になる記事などを「スクラップ」してとっておいたのですが、それが厖大になり、今となっては何がどこにあるのかも分からなくなっています。ブログに書いておくと自分で検索できるので助かります。同時に、一度ブログに書きとめておくと安心して内容を忘れてしまい、後になって、よく分からない言葉をネットで検索したら自分のブログ記事が出てくるということもあります。本当の up to date って難しいですね。
月イチ更新の健康ブログの方も、今回引っ越しを余儀なくされたのですが、やはり記録を残したくて引っ越しを完了しました。
目立たないことを基本にしているので他のSNSは使いませんし、ブログのコメント欄も閉鎖していますが、17年前に読者の方に作っていただいたこの掲示板のおかげで皆さんとつながることができて感謝です。
少し先ですが、6/10発売の『カトリック生活』7月号でキリスト教文化圏であるロシアとウクライナについて少し触れています。それも含めて、「戦争と聖母マリア」戦争が起こるたびに「御出現」する聖母やその「お告げ」の意味、それをめぐる政治的、霊的、宗派的、民間信仰的な分析を二度の大戦と冷戦終了後の21世紀における「テロとの戦争」「コロナとの戦争」「米中露の覇権戦争」を通して解析する本を今執筆中です。
みなさまのご質問や雑談も含めてインスパイアいただいているので、引き続きよろしくお願いします。
Sekkoさま
応答ありがとうございます。
ブログにそんな使い方があったのですね。
電子機器は使いこなせれば便利ですね。
『カトリック生活』7月号の記事楽しみにしております。
執筆中のご本も期待しております。
『キリスト教はコロナといかに対峙したか?』をすでに出版されていたことにいましがた気づきました。
2020年のはじめに日本で最初の感染者が確認された頃、感染症患者の守護聖人とされる聖コロナのなまえが取り沙汰されました。
実在しなかったかもしれない伝説上の聖人だそうですが、世界各地で山火事や海面の上昇や大洪水の被害が頻発するさなか、さすがにこれ以上の自然破壊環境破壊は致命的だろうという予感を裏付けるような符牒でした。
『ラウダート・シ』日本語訳の出版から5年後だったと思います。
ブログを読んで消化できないのはもったいないのですが、目をショボショボさせて読むのが辛い私たちIT弱者というか普通の人には出版してくださるのがありがたいことです。
6月にこちらの掲示板で出版情報を確認させていただきます。
固有名詞
いつもブログ記事楽しみに読ませていただいています。
その中で一つお願いがあります。
地名や建造物などの名前をカタカナだけでなく原語でも載せていただけると嬉しいのですが。
よろしくお願いします。
Tomotanさま
ブログのご愛読ありがとうございます。
フランスに足場があるのでフランス語系の固有名詞がたくさん出てきますが、フランス語は発音の仕組みが日本の方にはなじみのないものが多いので基本カタカナにしています。
日本語で検索して日本語で定着しているようなものはそれに従っています。ですからカタカナで検索してくださっても、出てくると思いますし、原語も見つかると思います。
また、固有名詞でフランス語でさえ発音が一定していないものもあるのでその場合はアルファベット表記にだけしています。
日本語で一般読者に向けて本を出版する時はカタカナがデフォルトなのでその習慣です。でも原語で書いておかないと私自身後でスペルが分からなくなるようなものは原語か併記にしています。
そんなわけで、原語対応はテクニカルには楽ですが時間的に無理な状態です。ご理解ください。
逆に、日本語に訳する暇がない記事やビデオなどをそのまま貼っていることがありますが、それはフランス語OKの人だけを想定しています。
でも、特に言語表記を知りたいという言葉があればもちろんすぐにお知らせしますので気軽にこの掲示板にお書きください。私としても、このブログに記録したことを参考にしてくださってさらに情報を集めてくださる方がいらしてくださると嬉しいです。
今のナントやレンヌの次の紀行文はモントリオール、ケベック、オタワなどになりますが、これも日本のガイドなどでは英語読みが多く、私はフランス語圏でのカトリック史を調べに行くので、カタカナ表記をどうしようかと思っています。
ご要望にそえなくてごめんなさい。
固有名詞
早速ご丁寧なお返事ありがとうございました。
固有名詞の表記方法にご苦心されていらっしゃるご事情、理解いたしました。
今後どうしてもフランス語表記が分からない場合はお言葉に甘えてこの掲示板で質問させていただきます。
よろしくお願いします。
カトリック生活7月号楽しみにしています。
Sekkoさまへ
とても親切なるご助言をいただき、心から感謝しています。
いつもこの掲示板を利用させていただいており、こちらにお礼のコメントを残します。
なお、拙ブログの「ブリコラージュ」に関するフランス語の情報は、普遍的なものであり、追加情報としてブログに反映させてください。
「フランス在住云十年の方」からの情報として紹介するつもりですが、もし差しさわりがありましたら、ご指示のとおりにいたします。
長期にわたるケベック州の記事は、写真の豊富さでいろいろ想像力をかき立てられます。
もちろん、フランスとの比較もありますが、アメリカとカナダのキリスト教受容の差異なども考えさせられます。
もちろん、Sekkoさまご自身の仕事に反映されるかと期待しております。
『疫病の精神史』は中断したままです。
必ず読んで自分なりの感想をブログに書きたいのですが、コロナ禍がこの日本では宙ぶらりんのままで、医学的な成果、決着はない。
また知識人による見るべき思想的な成果もありませんね(私が知らないだけでしょうか?)。
まあ、メディアのせいとはいいませんが、こうした問題の向きあい方がどうも場当たり的であり、西欧のような「精神史」が欠如している、ここに帰結しますかね。
どうも、思いつくままに乱文になってしまい。失礼いたしました。
今回の件では、とても感謝しております。ありがとうございました。
小寄道さま
生徒の発表会と自分のコンサートを控えてばたばたしていましてお返事遅れました。
ブリコラージュのこと、もちろん引用なさって結構です。
日常会話では、これってブリコラージュだよね、というのは「素人仕事」だという揶揄の意味もあります。
その意味では、レヴィ・ストロースの使い方も今の時代では上から目線を感じさせるかもしれません。肯定的な文脈では、今風になら「レジリエンス」っぽいかなあ、という感じです。
(この掲示板のサービスがもうすぐ終了するそうで、その後どうしたらいいかまだ決めていません。今までのやり取りを保存できるのかどうかもよく分かりません。このサーバーのブログの引っ越し先というのは分かるのですが、掲示板の引っ越しや転送が可能なのかよく分からないのです。できなくなったらブログでお知らせして、別の方法を考えます。)
ピアノ発表会
「発表会」の記事を読んで、私も大変「幸せな気持ち」になりました。
そして、思わず「お疲れさまでした」とお伝えしたくなり、
コメントしております。
フランスの子ども達は、どんな曲を発表会で弾くのでしょうか?
また、ピアノを習得する過程で、どんな曲を弾くのでしょうか?
日本の子ども達が必ず出会うような、「ブルグミューラー」「バーナム」や、チェルニーの練習曲もやるのでしょうか?
日本なら「音楽の友社」などから出ている「ソナチネアルバム」とかも使用するのでしょうか?
質問ばかりで、申し訳ありません。
子ども達の楽しそうな光景が、伝わってきて、
私も、子ども達の演奏を聞きたいぐらいでした。
テレサさま
ありがとうございます。
終わった後で、トリオの仲間が生徒全員のmusicalitéが素晴らしかったと言われたのが最高の賛辞でした。
私の使っているのはこちらのコンセルヴァトワールに準じたもので、子供は
Méthode de piano pour débutants de Charles Hervé et Jacqueline Pouillard
とそのサブ曲集。このPouillardさんは直接知っていて、できる子だけとる最低の先生だと思いましたが、このメソードはよくできています。
少し大きい子や集中力のある子や大人の初心者には
Méthode de Piano ? Partition aux édition Henry Lemoine Robert-Charles Martin
Méthode de Piano Opus 80
で、これは優れものです。最初からピアノの真ん中のドレミを使わないので右手と左手がバランスよく使えます。最初から左手はヘ音記号で楽です。
ツェルニーのop599などはバランスが悪いので今は使いません。
ツェルニーで使っているのはop821でこちらでは『les heures du matin』( ed. M combre)です。テクニックに特化ですが、曲としてもよくできています。私も使います。
ソナチネなどに当たるのは「Le Piano classique」1〜4です。
子供用の「Mon premier Mozart」(Ed.Henry Lemoine)なども使います。
曲集として大人にも人気なのは
Denes Agay の『The Joy of Piano』『The joy of Recital Time』の2冊です。
もちろん、バッハの平均律とかインベンションも使います。
私は日本で自分が使ってきた全音ピアノピースだとか、ベートーベンやショパンのソナタやワルツ集、声楽の本などもすべてこちらに持ってきています。
こちらで教えるようになってから日本で買ったのは最近のたくさんのシニア向けメソード、「楽しいピアノ曲集世界の名曲1〜6」(音友)、「譜めくりの要らないやさしいピアノ連弾」(ヤマハ)のシリーズ、などです。(子供の連弾曲集は日本のものが優れているので他にいろいろ使っています)
日本で私の子供の頃に発表会でよく弾かれた「乙女の祈り」「銀波」「花の歌」などはフランスでは全く知られていないので、バカロレアでピアノのオプションを選ぶ生徒に弾かせています。審査員も知らない曲なので。逆にこちらのスタンダードの「Le lac de Côme」などは日本で知られていないような。エリック・サティもよく弾かれます。
後は、映画やアニメの曲で生徒のリクエストが多いものはレベルに合わせて編曲したりしながら弾かせています。近頃はゲーム音楽とかのリクエストもあり、私はまったく知らないのでネットで検索して編曲したり。思えばもう30年も教えてきて、感無量です。
(無題)
早速のご返信、ありがとうございます。
「Le lac de Côme」をネットで検索して聴きましたが、
やはり聴いたことがない、知らない曲でした。
ゆったりとした綺麗な曲ですね。
エリック・サティは、
アラ還の私の中で、最近、全音のピースや楽譜が出たという感じです。
やっぱり「バッハの平均律」とか「インベンション」は、
フランスの子ども達もやるんですね〜。
そして、チェルニーも・・・
今年の3/14のブログに、
“「美」の追求には忍耐と厳しさが要求され、それは「真実」の究明にもつながる。
歴史には戦争や災害や疫病が詰まっているけれど、いろいろな楽譜が残り、歌や楽器演奏が伝承され継承され続けたことの奇跡を思う。私も、私の生徒たちも、モーツァルトやショパンやベートーベンやバッハを聴いたり弾いたりできるし、先行する無数の音楽にインスパイアされた新しい音楽が次々と生まれる。”
このように書かれていて、大変感動しました。
幼稚園の孫娘の「ピアノ発表会」に行った時、
様々な年齢の子ども達が、
ショパンやベートーヴェンの曲を弾いているのを聴いていると、
自分がこの世からいなくなった後も、
それらの曲は、こうやって伝承されていくんだな〜と、
先生の文章とリンクして、感動しました。
「発表会の目的はただ一つ、聴いている人たちを幸せにすること」
???
先生のこの言葉を、発表会が近くなったら、
そのまま孫娘に伝えます。
「人前での演奏は最初と最後が大事。途中の失敗は誰も覚えていない。最後のフレーズと、最後の音のおさめ方(音符をもとの世界にそっと戻してやること)が一番大切。」
???
そして、この言葉は、
私も、ずっとピアノを続けているので、
自分自身に、言い聞かせます。
ピアノのお稽古は、子どもにとっては、
つらいこともあったりしますが、
先生の生徒さんたちが、ピアノに触れることで、
素晴らしい人生が、待っている事を確信し、
心より応援を送ります!
貴重な情報をありがとうございました。
宗教二世について
ご連絡ありがとうございます。
『「神様」のいる家で育ちました〜宗教2世な私たち〜』の連載打ち切りの件は、コロナやウクライナのなかでも、なんとなく記憶に残っていました。
日本のタブーである、天皇制の裏、新興宗教、部落問題、人種差別などいろいろあります。
とはいえ、マイナーなメディアでは、気骨ある編集者なり出版社が、その表現力を維持したきたわけです。
この「宗教二世」の漫画は、大手の集英社ではありますがいわゆるウェブマガジンであり、まあメジャーとはいえない。よく言えばマイジャーですかね(笑)。
作品自体にも該当する団体名を明示しなかったらしいですし、5話まで継続していたという。全話削除されていて、今まったく読めませんが、幸福の本体から抗議がきたら、即連載休止だったという。
私は常々、昨今のメディアのていたらく、腰抜けぶりに激しく怒りを覚えていますが、そこまでの忖度ぶり、世間体への配慮は、なにか世代的な共通認識じゃないかと思っています。
宗教二世という存在がまさにそれで、作者も含めて、親や権威、上位権力者への気づかいが半端ない気がします。
日本人特有なんでしょうか、周囲の視線を過剰に気にして、自分の意見、感じ方さえも封印している。
その意味でいえば、作者の「きくちまりこ」さんは女性ですし、それを自分の作品として昇華させたのですから、とても立派な方だと思います。
どうなんでしょうか、先の狙撃犯山岸某もそうですが宗教二世の世代をひっくるめてなんか共通の傾向があるような気がします。
早計かもしれませんが、なにかへの依存体質が感じられてしょうがない。
自分を守ることの本質を教えられていない、そんな気がしてしょうがないのです。
取り急ぎ、ご報告いたします。また、「宗教二世問題」は自分のブログで展開したいテーマでもありましたので、ここでの文面を使います、たぶん。
乱筆、乱文、失礼しました。
小寄道さま
宗教二世の問題、あるいは子供がカルトやテロリズムにはまってしまった親の問題、あらためて「カルトか宗教か」を読んでほしい人はたくさんいます。
80年代後半からこの問題について中沢新一くんといろいろ話し合ってきました。それでもいろいろ食い違ったこともあり、難しい問題です。私はフランスから見ているので距離を置ける分、役に立つかもしれません。(彼にもまた相談するつもりです。)
この掲示板も閉鎖のようですので、新しい掲示板ができたらまたご連絡します。
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