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悟りに至った方たちとの対話

1 ラピ。 :2013/08/14(水) 12:56:14
悟りに至った方を募集します。

スピ系で悟ったという方。
それ以外で悟ったという方。

どうぞ書き込みください。

ぜひ、本物の対話をしましょう!
(*・ω・*)ポッ

536 ラピ。 :2014/06/29(日) 22:47:46 ID:6TgHb27.0
>>534 じゃあさん

どうもありがとございます。

>至った直後からまったく内観をしなくなってしまいました。
>上でラピ。たちさんが仰っているように、できなくなったということもできます。

「しなくなった」と「できなくなった」では意味がまったく違いますが
本当のところはいかがでしょうか?

537 釈 無限 :2014/06/29(日) 22:49:54 ID:TGZTIih60
>>525
>そんなにロムしてる人がいるんですか。
>知りませんでしたが、知らなかったのは私だけでしたか。

そうでしたか?
私は解りませんので、大指導霊様からお伺いして、概略の総数を教えて戴きました。

>しかし、悟った人ならそんなの関係ないですよ。

そうかも知れませんね。

538 ラピ。 :2014/06/29(日) 22:54:16 ID:6TgHb27.0
>>537 釈 無限さん

>大指導霊様からお伺いして、概略の総数を教えて戴きました。

あらら、その状況では悟ったとは言えないですね。

539 じゃあ :2014/06/29(日) 22:54:39 ID:eSQWzCKc0
>>534
正確には、「できなくなった」というようり「やれるはずがない」という感じです。
意識を向ける対象が無くなってますので。

540 釈 無限 :2014/06/29(日) 22:56:24 ID:TGZTIih60
>>528
>釈 無限さん
>お知らせ、ありがとございます。
>2万8千人!私も知りませんでした、、、、。

どういたしまして。

>へぇえええ!@(*・ω・*)ポッ

驚きましたね。

541 釈 無限 :2014/06/29(日) 23:06:35 ID:TGZTIih60
>>533
>自称、ですね?(笑)

そうですね。

>ちなみに私は宗教用語をほとんど知らないので
>参加できない対話もあるかもしれませんがよろしくお願いします。

昔からの宗教用語は玉石混交ですので、知らなくて良いと思います。

私もついていけない対話には参加できませんので、それは、お互い様
ですので、こちらこそよろしくお願いします。

542 ラピ。 :2014/06/29(日) 23:09:41 ID:6TgHb27.0
>>539 じゃあさん

「やれるはずがない」というのはじゃあさんの判断ですか?
「対象がなくなったから、やれるはずがない」と?

意識を向ける対象がないということは
「意識」はあるということでしょうか?

質問ばかりになってしまいましたが
わからないので教えてください。

543 ラピ。 :2014/06/29(日) 23:10:55 ID:6TgHb27.0
>>540

>>へぇえええ!@(*・ω・*)ポッ

>驚きましたね。


へぇえええ!@(*・ω・*)ポッ
とは書きましたが
驚いてはいませんよ。

544 ラピ。 :2014/06/29(日) 23:14:25 ID:6TgHb27.0
>>541

>昔からの宗教用語は玉石混交ですので、知らなくて良いと思います。

ありがとございます。

はい、知らなくても至れました。
たぶん、私は知らないのがよかったのだと思います。

545 じゃあ :2014/06/29(日) 23:18:32 ID:eSQWzCKc0
>>542
いえいえ、大丈夫ですよ。
気になられるのです(笑)

>「やれるはずがない」というのはじゃあさんの判断ですか?
いいえ、判断の余地はありません。
不可能ですから^^

>意識を向ける対象がないということは
>「意識」はあるということでしょうか?
意識とは自我の意識のことでしょうか?
はい、意識はありますよ。
また喜怒哀楽の感情もありますし(だいぶ薄くなってますが)。
こうしてまだ存在しておりますので^^
それはラピ。さんもそうでしょ?^^
ただ意識を特定の何かに集中するということはできなくなっています。
私はまだ、自分に起きた変化についてよく分かっていません。

546 じゃあ :2014/06/29(日) 23:19:34 ID:eSQWzCKc0
気になられるのです(笑)

上記を訂正です。気になられるのですね(笑)

547 じゃあ :2014/06/29(日) 23:24:57 ID:2tiIVgck0
こんばんはこれにて失礼します。
また明日伺います。

548 ラピ。 :2014/06/29(日) 23:32:33 ID:6TgHb27.0
>>545 じゃあさん

>意識とは自我の意識のことでしょうか?

「意識を向ける対象」、の「意識」は
「意志」とも表現できると思います。

>ただ意識を特定の何かに集中するということはできなくなっています。

う〜ん、私はそういう表現はしないですね。

じゃあさんの至ったときはどんな感じだったか教えていただけますか。

私の場合、至ったからできなくなったのではなく
できなくなったから至ったとわかったのです。


じゃあさん、対話をどうもありがとう。

おやすみなさい!

549 Y :2014/06/29(日) 23:36:30 ID:kBC6GKGU0
>>531 ラピ。さん
>そうですか。
>この表現からはまだのようです。

ラピ。さんには「まだ」悟ってない人が居るんですか?
それでは差異があるままでしょう?

>なぜだかわかりますか?
ラピ。さんに、私と違える余地があるからだと思います。

私は「自称」ではないので、お二人に私の悟りを認定して貰らう必要はありません。
お二人が師弟として他の人からの認定が要らないのと同じように です。
ですから「違い」を語るのが対話なら私は対話も必要としません。
違う余地が無いのが「不二」だからです。

550 TK :2014/06/29(日) 23:38:58 ID:3PmYJ52c0
Yさん

>>527

>この「私の終わり」と「私の始まり」を知る事が出来て
>私の不安は解決しました。

この部分、良質の良い経験が出来たことは確かだと思います。

しかし、この経験だけではまだ至った事にはなりません。

あなたの経験は釈迦の教えでいう所の「心解脱」系の経験に近いものかもしれませんが、
「一時的な心解脱」と「不動の心解脱」の2種類があり、
あなたの経験は一時的なものに分類されるものです。

>私もそうです。不安が確信、確定になっただけでした。

だから、例えば私やラピさんからは出てくるはずの無いこのような表現があなたから出てくるわけです。

良い経験が出来ているのですから、それを足掛かりにさらに努力精進して下さい。

551 じゃあ :2014/06/29(日) 23:48:13 ID:eSQWzCKc0
>>548
気になったのでまた来ました^^

>じゃあさんの至ったときはどんな感じだったか教えていただけますか。

私の場合は、朝起きたら、心(内観の対象である内面と言ってもいいです)が消えていたのです。
そして、意識を向ける対象と自分とが一体化していたのです。
それでこれはどういうことかとネットを調べ、それが自我の消滅なんだということが分かりました。
その後、自分に意思が無くなっていることも気がつきました。
それ以来、普通の意味での「努力」とか「がんばる」ということは一切できなくなっています。
そんな感じです^^
今晩はもう寝ます。
おやすみなさい^^

552 TK :2014/06/29(日) 23:56:06 ID:3PmYJ52c0
>>549

>私は「自称」ではないので、お二人に私の悟りを認定して貰らう必要はありません。
>お二人が師弟として他の人からの認定が要らないのと同じように です。

成就認定を大安売りのように出しまくっていた、
自称覚者は世の中に沢山いましたから、あまり惑わされない事です。

ラピ。さんの場合は私が成就認定するよりも前に、ラピ。さんが自分で知見したのです。

そういうものですから。

もちろん信じるも信じないもあなたの勝手です、しかし、
ラピ。さんのケースでもわかる通りで、
実際にそのレベルまで上がっている者を手掛かりにする以外に他に方法はありません。

至った者の獲得している、千手千眼とも言えるその眼が必要なんですね。

釈迦のような天才的な人ですら二人も師を変えた事を考えれば、どういう事もありなんです。

553 ラピ。 :2014/06/29(日) 23:58:52 ID:6TgHb27.0
>>549 Yさん

>ラピ。さんには「まだ」悟ってない人が居るんですか?

悟っている人も悟っていない人もいません。

>>なぜだかわかりますか?
>ラピ。さんに、私と違える余地があるからだと思います。

お答え、ありがとうございます。
でもそうではありません。

Yさんの表現には私たちにはないものがまだあるんです。
だからです。

>違う余地が無いのが「不二」だからです。

私は「不二」という言葉を知りませんがそういう意味なんですか。


ここでの対話は
まだ、更なる先があるのに
そこで終わっていると思われている方がいたら
更なる先があることをお伝えするためにしているのもあります。

かつての私がそうでした。

一生懸命がんばって、もう十分がんばったと思っていた私に
まだ先がありました。

それを知らずにいましたが
そうであることがわかり
原点に戻って精進することができました。

そしておかげさまで至ることができたのです。

554 釈 無限 :2014/06/30(月) 00:00:48 ID:TGZTIih60
>>544
>はい、知らなくても至れました。
>たぶん、私は知らないのがよかったのだと思います。

昔の宗教用語は知らなくてよかったですね。

昔の玉石混交の宗教用語にとらわれていると悟り障壁の殻に翻弄され
るかも知れません。

知らなくても至れるということは、すごいことですね。

ラピ。さんは、どのような悟りの修行をして悟りに至り、悟とられた過程を
開陳いただければ幸いです。

555 ラピ。 :2014/06/30(月) 00:05:51 ID:6TgHb27.0
>>549

>お二人が師弟として他の人からの認定が要らないのと同じように です。

はい、私はTK師から認定されたのではありません。

至ったことは
認定されたから至った とわかるものではないはずです。

556 ラピ。 :2014/06/30(月) 00:23:18 ID:6TgHb27.0
>>551 じゃあさん

お答えありがとです。

>私の場合は、朝起きたら、心(内観の対象である内面と言ってもいいです)が消えていたのです。
>そして、意識を向ける対象と自分とが一体化していたのです。

じゃあさんがそのように表現できるのなら
まだ至っていないと思いますよ。

>その後、自分に意思が無くなっていることも気がつきました。

そうなんですね。
気づいたのは誰でしょう?

>それ以来、普通の意味での「努力」とか「がんばる」ということは一切できなくなっています。

では普通の意味ではない「努力」とか「がんばる」ことは
できるということかな?

557 ラピ。 :2014/06/30(月) 00:31:21 ID:6TgHb27.0
>>554 釈 無限さん

>ラピ。さんは、どのような悟りの修行をして悟りに至り、悟とられた過程を
>開陳いただければ幸いです。

それについてはこの掲示板で何度もいろんなところに書いています。
(別のスレッドにも書いてあります)

お時間があったら読んでみてください。

ちなみに私の修行は
山にこもってするものではなく、
日常そのものを修行としていました。

558 TK :2014/06/30(月) 04:18:06 ID:3PmYJ52c0
じゃあさん

>>526

>私も到達したものです。
>語り合いたいと思う事柄がなにもないので、読むだけにしてたのですが、
>一言書いてみました。

釈迦は至るための実践を、彼岸に渡る激流であると表現しています。

EO氏と言う私が覚者とする方も、その道を「地獄」「変容か死か、死か狂気か」と表現していたと思います。

間違っても怠けものの悟り方などないと言ってたかと思います。

ラマナ・マハルシは次の通りです。

ラマナ・マハルシ - Wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%82%B7

>マハルシは、真我を悟るために、
>大部分の人は継続的に努力して修練する必要があると説いている。
>マハルシのように今世で修練なくして悟る魂は稀で、
>今世で悟ったものは肉体を去るまではプララーブダからくる、
>残りのヴァーサナが除去されない限りは完全にならないといわれている。


私も釈迦がなぜそれを「緩流」と表現しなかったかよく分かっていますが、
あなたにとって、この辺はどのようでしたか。

多くの者が悟れない理由と誤認の者が多数いる理由がここにあると思っていますが如何ですか?

559 ローマ法王 :2014/06/30(月) 05:38:48 ID:jjs6.PJs0
悪魔との対話良い感じですね

560 ローマ法王 :2014/06/30(月) 07:15:03 ID:jjs6.PJs0
>多くの者が悟れない理由と誤認の者が多数いる理由がここにあると思っていますが如何ですか?

そのとおりですね
焼き尽くし切っているかどうかですね

561 ローマ法王 :2014/06/30(月) 07:23:07 ID:jjs6.PJs0
表現できないのに表現して、皆自滅
良い感じですね

562 Y :2014/06/30(月) 08:34:09 ID:kBC6GKGU0
ラピ。さん、TKさん おはようございます。
「まだ先があるんですよ」というのは
「まだ先がある」という余地があっての事です。
不二という境地には 私の選択する余地、先に進む余地がありませんでした。
過去形にするのは 私がそこから戻る余地も無いままに戻ったからです。

私も「師から認定された」んじゃないですよ?
>ラピ。さんの場合は私が成就認定するよりも前に、ラピ。さんが自分で知見したのです。
私もそうです。その知見が師と同じであるという事です。
ですから「誰からかの大安売りの認定」をいただいた訳ではありません。
お二人も他者から認定は要らないでしょ?という事を書きたかっただけです。

お二人の悟り具合は 悟りたい人に使えば良くて、私には関係がありません。
「まだ」悟ってないという未来ある方たちにお使い下さい。
私は「悟りの形」というかたにはまるつもりは無いんです。
私は その悟りの型を木端微塵にやっと出来たのですから。
私の状態を自我とでも魔境とでも悟ってないとでも至ってないとでも
なんと呼んで貰っても私は困りません。
どうあれ、差異があるって何?とは思いますけど。

私がお二人に興味ある所もあります。
前にHさんの掲示板で強制削除されてましたよね?
お二人のどんな応酬が消されたのか?は 読みたかった所でした。

563 ローマ法王 :2014/06/30(月) 09:32:03 ID:jjs6.PJs0
>Hさんの掲示板

わざわざ書き込みですか
よっぽど酷い所なんですね
その掲示板どこですか?

564 釈 無限 :2014/06/30(月) 11:22:10 ID:TGZTIih60
>>560
>焼き尽くし切っているかどうかですね 。

煩悩を譬えとして、雑草を使いますが、雑草を焼き尽くし切るという
ことではなく、焼き尽くし切っているかどうかは、煩悩から出た不純物
や毒素を焼き尽くし切っているという解釈でよいでしょうか?

565 ローマ法王 :2014/06/30(月) 15:58:10 ID:jjs6.PJs0
564
この例の場合、煩悩からではなく、煩悩ごとです
あくまでの表現の一つですが、脳みそと身体丸ごとぶっ飛んじゃってるって事です。

566 ラピ。 :2014/06/30(月) 17:35:23 ID:TYoEs5Ls0
>>562 Yさん

こんにちは!書き込みありがとございます。

>差異があるって何?とは思いますけど。

あの、私は一度も差異があるなんて言っていませんが。
その言葉はYさんの言葉ですよ。
差異がある、ってそもそもどういう意味で言われているのですか?

>>527
>戻ってきた私はまず光を感じ、そして海と空が始まりました。

ここなんですが対象がその時完全に消滅したのなら
「光」を感じることはないと思います。

私も光を感じる経験はしたことがありますが
私にとってそれは単なる神秘経験という位置づけです。

その経験は究極ではありません。
至った時に光など経験するはずがないです。

光の認識とか、光を感じるとか
そういう表現からもYさんの状態が見えます。


>>549

>ラピ。さんには「まだ」悟ってない人が居るんですか?

どうしてそういう表現になるのか、わからないのですが
私は違います。
ではYさんはどうなんですか?
教えてください。

>それでは差異があるままでしょう?

この意味が分からないので教えてください。
ちなみに私は「「まだ」悟ってない人が居ません」ので
差異はない、と言える、ということでいいのですよね?

567 あやふや :2014/06/30(月) 18:14:30 ID:ZDoFNhv60
ここを読んでいくうちに
距離を感じつまらなさを感じる

そこから

明確な目的を持ってない私にとっては
より強く自分に感じられる具体的な事柄を
身近なところから見つけたくなった

繰り返すやり方によって
とても楽に物事に対処していた
繰り返すやりかたをすることで
新しいことはなくなった

病気になりさらに繰り返す方法を大掛かりにした

最近ようやく体調が落ち着いてきて
新しい日がこないことを愚痴りだした
全く正反対な性質を持った親しい友達に気付かされた

未だに友がいることがとても嬉しい

568 TK :2014/06/30(月) 18:32:53 ID:zfWImUnI0
>>562

>私がお二人に興味ある所もあります。

私は少なくともあなたには興味がありません。

>前にHさんの掲示板で強制削除されてましたよね?

あの酔っ払いの方ですね、あの掲示板の管理者の酔いかげんは気持ちが悪いです。

あなたには彼が賢者に見えているのかもしれませんが、
損をしたのは我々の方ではありません。

569 TK :2014/06/30(月) 18:48:15 ID:6aNg/kOk0
>>567

>ここを読んでいくうちに
>距離を感じつまらなさを感じる

まともな感覚だと思います。

次第に読まなくなれば、さらに良い。

>明確な目的を持ってない私にとっては
>より強く自分に感じられる具体的な事柄を
>身近なところから見つけたくなった

いい感じですね。

>最近ようやく体調が落ち着いてきて
>新しい日がこないことを愚痴りだした
>全く正反対な性質を持った親しい友達に気付かされた
>
>未だに友がいることがとても嬉しい

友情を大切にして下さい。

570 TK :2014/06/30(月) 19:20:40 ID:zfWImUnI0
以前この掲示板に私がとても興味を引いた方がいられました。

参考までに、紹介だけさせていただきます。

TK師との会話 - 悟りや幸せへの道
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12104/1373075256/71

私の今の所に至るまでに経験してきた事に全て照らすことが出来る経験内容ですので、
とても水準の高い経験だと思いました。

571 釈 無限 :2014/06/30(月) 21:39:00 ID:TGZTIih60
>>565
>この例の場合、煩悩からではなく、煩悩ごとです
>あくまでの表現の一つですが、脳みそと身体丸ごとぶっ飛んじゃってるって事です。

なんか、ポア思想が臭ってきます。

反省して、ポア思想の洗脳を解いてくださいね。

煩悩ごと焼き尽くすのは、肉体人間を焼き尽くす煩悩が消えるという
考え方の例であっては問題があります。

572 TK :2014/06/30(月) 22:22:44 ID:zfWImUnI0
ラピ。さん。

>>566

>ラピ。さんには「まだ」悟ってない人が居るんですか?


>この意味が分からないので教えてください。
>ちなみに私は「「まだ」悟ってない人が居ません」ので
>差異はない、と言える、ということでいいのですよね?

私はこの類の典型的な酔っ払い特有の屁理屈は嫌いなんですね、
まるでかの掲示板の酔っ払いの自称の人のようですが、
まともな受け答えする事はお勧めはしませんが、しかし、
以前のラピ。さんのようでほっておけ無いのかもしれませんね。

ちなみに、あの酔っ払いの人からは我々はなんだかんだ言われましたが、
本物扱いされて他所でやっていただきたいとのお願いでしたから。

考えてみたら、ラピ。さんもよく私の話を聞くまでになったものです。

ラピ。さんはもう少しでチャンスを逃すスレスレでしたしたね。

恐らくこの場合は一生に1度くらいのチャンスだったと思います。

573 ラピ。 :2014/06/30(月) 23:24:59 ID:PqiZdnGY0
>>527

TK師

>私はこの類の典型的な酔っ払い特有の屁理屈は嫌いなんですね、

どこか(宗教書とか、スピ系の本とか)で拾ってきた言葉を
そうではないのに使うので
表現すればするほどおかしなことになってしまいます。

それらの言葉は本物であれば
使いまわすことができますが
そうでない方は単なる想像=妄想になってしまいます。

そうでないからです。


>以前のラピ。さんのようでほっておけ無いのかもしれませんね。

はい、かつての自分に重なりますね。

だからこそ、伝えているのですが、、、、。

あの掲示板では私は あいさつ&自己紹介と
私に向けて書き込んでくださった方々へのお返事のみの書き込み
2つのみでしたが
それをあっというまに削除されてしまいました。

はぁ?でしたね。


>考えてみたら、ラピ。さんもよく私の話を聞くまでになったものです。

そうですね。
はじめはTK師に対して「何言ってんの?」と
相当に反発していましたから。

なぜ、話を聞けるようになったか。

TK師と対話し続けたからかもしれません。

私は反発しながらもTK師の言っていることに筋が通っている気がして
私の知らない、何かがあるのではないかと
ふと思ったことがきっかけでした。

574 TK :2014/07/01(火) 07:23:57 ID:zfWImUnI0
屁理屈の言い合いで悟りは得られない。

しかし世の中、悟りとは「理屈」を身につける事だと勘違いしている者がいる。

だから、基本的に私は屁理屈を説く者を相手にしない。

頭の中でこね回す屁理屈と言うのは対話していてすぐにわかる。

疑問と屁理屈は当然違うが、疑問を発して屁理屈で回答されたら、
その者は屁理屈を身につける事で結果を得たと勘違いする。

これが、スピ系、
精神世界がらみの誤認の者との典型的なやり取りに伴う汚染の伝染というものであるので気を付けなければならない。

屁理屈で悟りは得られないが私はこの者たちを酔っ払いと呼んでいた。

それは悟りでは無くて屁理屈なので、
当然私がここで説いている悟りにより実用的な現実生活での作業能力そのものがアップすると言うのとは全く別物ですが、
それは悟りでは無くて単なる屁理屈だからなのです。

私はここでは、主に悟りそのものより、本物の悟りは能力のアップする事を説いています。

それは、これら酔っ払いと一緒にされたくないからでもあります。

悟りのメンタルで作業能力そのものがアップすれば、
当然世の中うまく渡れて苦悩は減ると私は説いています。

575 ラピ。 :2014/07/01(火) 07:56:16 ID:F9j7E9Wc0
みなさま、おはよございます!


じゃあさん

>>556

>じゃあさんがそのように表現できるのなら
>まだ至っていないと思いますよ。

この私の書き込みですが早とちりだったかもしれません。

ごめんなさい。

576 Y :2014/07/01(火) 08:52:24 ID:i85ZqXHI0
>>566 ラピ。さん

不二について書きながら返信します。
不二とはふたつないという意味で、境地の状態を表す表現で使われています。
私の境地とは「不二になった」事ですが、不二はふたつないという特徴から
その状態を認識するものがありません。
例えてみると「無限だけがたった一つある」ようなものです。
この無限という状態を、認識する為のモノがある場所が無い(余地が無い)訳です。
これを「大いなる一つ」とか「サムシンググレート」とか「根源」とか「真我」などと
私達は表記している様に思っています。
どう呼ばれているにせよ特徴は「不二(二つない)」ですからその特徴を書きました。
私はこの不二という特徴を境地としてとらえてて、この境地を除いてラピ。さんと「一致」はありません。
ラピ。さんが私に「まだ」というのは もしかするとこの境地にとどまっていないという話をされているではなかろうか?
と思いますけれど、この境地にとどまるという事は「悟りに至ったという認識をしていない」という事です。
「不二」という特徴はその境地において境地を認識出来ないという特徴であるからです。
私が境地そのものに成っている時、私は自身を認識できませんので「そこから戻ってくる事」でしか
「悟りに至った事を知るすべが無かった」という事です。
ですから 私は「一致から再び分離に戻る事」で「境地に至った事を認識した」んです。
「光」の表記に関してですが、光は「戻った後」の話ですから、この世(分離している状態)の事です。
ですから光と書きましたが太陽の日差しの事で、ファンタジックなモノを書いた訳ではありませんし、
境地の話でもありません。境地の話は「終わり」から「戻った」の間にある空白です。

「差異」という私の表現についてですが、不二という特徴の境地には「違いがありようがありません」
無限だけが一つあるだけなので「全ては一つ」という言葉の様なモノです。
この完全一致という状態を事実と知った後には「違う様に見えるものは全て幻想だ」という理解がつくので、
「差異が見える」という事は夢のお話、という事と私は結論しているという話です。
私は「不二という特徴をもった、一つの同じもの」になったという境地の体験ですから、
境地から語るとすれば「私が悟っている以上、すべては悟っている」訳です。
「私と違うものが存在出来ない事情により、「まだ悟ってない人」は存在できないという事です。
ですから私の言う「差異の無さ」は私が悟りに至ったという立場においては「悟っているものしか居ない」
という状況でしかありません。
ラピ。さんの「「まだ」悟ってない人が居ません」という表現が
「自分(ラピ。さん)と同じ悟っているものしか存在はありえない」という意味ならば、
私達に差異は無く、これは確かに「不二」という境地です。
TK氏は屁理屈という言い方をしますが「余地が無い」という事は屁理屈では無いんです。
ラピ。さんは「悟っているものも悟っていないものもありません」と表現されていた訳ですが、
これは「無いを認識している」様に思えるのですね。
「ない」と断言するには「無い」「無ささ」を認識する必要があると思うんです。
不二には一切認識の余地がないので ここを「あるともないともいえる」と表記する賢者が居て、
こういう言い方はまるで曖昧の様になっちゃうんですが、そうとしか言いようがないと 私も今の所思ってます。
不二には「断定の出来ないという特徴もある」という事です。
ですからラピ。さんの「ありません」という断定の認識は「分離なく出来るものではないだろう」と思うんですね。

私は不二という境地以外に私達に共通するものなど有り得ないので、私達は「互いの違い」を話す理由なんてないと
思うんですよ。
例えばラピ。さんと私がどこかで会えば、私達は一秒もかからずに「自分とは違う」と認識するんです。
ですからわざわざラピ。さんが「私とあなたは違います」という話をするというのは時間の無駄であると思うんですね。
私達は「違うという誤認」としているんですから「私とあなたの違わなさ」が悟りの会話だと思うんですね。
そして私とあなたの共通する同じさは「不二という境地にしかない」のですからそれ以外の話で「違いを語る事」に
私はどうも意味がわかりません。

長く書いたので読みにくい所があったら ごめんなさい。

577 Y :2014/07/01(火) 09:06:23 ID:kBC6GKGU0
TKさん>

私はHさんの掲示板を読んだと記しただけで、あそこの一員ではありませんし、勿論Hさんを賢者と思ってもいません。
友人と「キモイ」と言い合ってます。
この様に洗脳は起きるのか?とかカルトってこうやって始まるのか?とか
そういう興味で時々読みます。
私という人物を千里眼するのは構いませんけど「賢者と思っているのだろうが」
はTKさんの「思い込み」で「妄想」で「想像」に過ぎません。

>>私がお二人に興味ある所もあります。
>私は少なくともあなたには興味がありません。

私は「興味がある所がある」と書いたのであって
どんな書き込みが削除されたかという「所」にだけ興味があります
と書いたつもりでした。
私がTKさんに興味があると思い違いをされたのであれば、申し訳ありませんでした。

578 Y :2014/07/01(火) 09:42:16 ID:kBC6GKGU0
もう一つだけ私が何故自分の体験を至ったとするのか?
解決とは何であったかについて補足として書いておきます。
「終わり」は人生で言う所の「死」であり、始まりは人生で言う所の「生誕」です。
私の体験においてこの「終わり」には私の選択の余地がありませんでした。
思考を失うと私達にはまったく次の一手が思いつかないからです。
また「はじまり」にも私の選択はありませんでした。
「もう一度生まれよう」とも「この境地を認識しよう」とも「思う余地」が境地において無かった
にも関わらず、私は「再び戻った(幻想の分離が起きた)」んです。
この「終わりから始まりに至るまで 私には選択の余地が無かった」事実から、
私はその「始まりから終わりという人生の中において」選択の余地のなさを痛感したのです。
余地があるとは もう思えないという事です。
選択の余地が残っているならば 私は お二人の言う様に「もっと精進すれば何々」という事もあり
「自分の努力の余地」があるのですが、私には この余地が無いんです。
私は幻想の世界の住人ですけれど、不二という余地のなさの真実を忘れる事ができません。
どういう景色が見えようとも どうしようもなく 生きていく訳です。
この どうしようもない世界で 自分が思考しているつもりで 自分が選択をしているつもりで 生きているのがYです。
ですから「まだ先がある」という事に私の選択しているつもりの自由において乗っかったとしても
「つもりである」事がわかりきっているので さすがに楽しめないんです。
2+2の答えが4であるとわかっていながら「6かも知れない8かも知れない」と仮説することは楽しくないという事です。
私はこの「どうしようもないという事実」の体験において 思い知らされたので もう至ってしまったんです。
私には「もはや問いの余地がなく、考察の余地がなく、結論の余地がない」ので探求は終わったんです。
これを私は「至った」と呼んでいます。
お二人の悟りと、私の悟りが違うとか同じであるとかに私の結論が無いのです。

579 ローマ法王 :2014/07/01(火) 09:45:43 ID:h8tbrXaM0
>私は「一致から再び分離に戻る事」

ここは違和感ですね

>残りのヴァーサナが除去されない限りは完全にならないといわれている。

Tkさんも言われていますが、
実践できますね

580 Y :2014/07/01(火) 11:06:40 ID:kBC6GKGU0
>>579 ローマ法王さん
再び戻るのは「完全の後」の事です。
「完全にならない」という状況は「完全になる前」にある状況なんです。
ですから当然「完全になる前に残りのヴァーサナが除去された」んです。
立ち位置の誤解釈です。
ローマ法王さんが「完全になった」ら確実にその完全を認識する為に「戻る」んです。
この「戻る」に「戻らない余地」が無いんです。
これはどうしようもなくローマ法王さんが成らない限り理解は不可能です。
なのであなたの仮説で私の事実を変える事はありません。

581 ローマ法王 :2014/07/01(火) 12:59:00 ID:h8tbrXaM0
>「つもりである」事がわかりきっている

随分と自我が強い感じですね

>不二という余地のなさの真実を忘れる事ができません。

普通忘れますし、それは幻想ですよ

582 ラピ。 :2014/07/01(火) 17:33:05 ID:TYoEs5Ls0
>>576 Yさん

Yさん、なるほど。
書き込みどうもありがとう、うれしいです。

Yさんはかつての実践第2の終了時と同じ状態かもしれません。

私も彼岸(Yさんの言う不二というやつですかね)に足を突っ込んで帰ってきました。
そして一部が消滅したまましばらく過ごしました。

この状態でTK師に出会いました。

>ラピ。さんが私に「まだ」というのは もしかするとこの境地にとどまっていないという話をされているではなかろうか?
と思いますけれど、

はい。その境地に私たちはいます。


>この境地にとどまるという事は「悟りに至ったという認識をしていない」という事です。

はい、悟りに至ったという認識をしていません。

ただしく言えば「認識をする私がいない」ということです。
認識しておりません。認識しようがありません。

Yさんには認識している私がいることは明らかですね。

Yさんには私の状態がどういうことか想像できないでしょう。

なぜならYさんも経験した通り、
言葉に表すことができない
想像以上の境地だからです。


Yさん、私は第2の実践で一部が消滅していたので
最後、TK師のおかげで起こった激流を
1日で渡り終えました。(第4の実践)

Yさんも、今彼岸の手前で
彼岸にとても近いのだけど(経験していますから)
今のその思考をしている限りは限りなく遠く、
永遠にそのままとなるでしょう。
(でもYさんはそれでいいみたいですね。)

一部の消滅は
ある程度の「楽」は達成しているとおもうので
なかなか苦は発生しないかもしれません。

だから、彼岸から近いけど遠いのです、今のままでは。


>ですから私の言う「差異の無さ」は私が悟りに至ったという立場においては
>「悟っているものしか居ない」という状況でしかありません。

そもそもYさんの答えと私の答え、違うんです。
私は「悟っているものしか居ない」なんて言えません。

悟っているものだけがいる、ということですよね?それほんと?
悟っている人しかいないの?ほんとですか?それってどんな状況。

悟っている、と言った瞬間、悟ってない人も同時に存在するんですよ。
悟っている、悟っていない、とは相対的な言葉で
片方のみでは存在できません。
両方あるからわかるんですよね。
悟ってない人がいるからこそ、悟っていることがわかる。

それがわかる=認識する、ということです。

Yさんは悟りに少し足を踏み込んだことがある、
とは言えると思いますが、まだ至ってはいません。


続きます。

583 ラピ。 :2014/07/01(火) 17:44:19 ID:TYoEs5Ls0
>>577

>私という人物を千里眼するのは構いませんけど「賢者と思っているのだろうが」
>はTKさんの「思い込み」で「妄想」で「想像」に過ぎません。

根拠があります。
Yさんの書いていること、Hさんの書いていることと変わらないんです。
仲間かと思いましたよ。

お二人、同じようなことを言っているんですよ。
私たちからしたら、同じ次元です。


ちなみに私も第2の実践で闇を経験したあと、
もう一度「人」を味わってみたいと思い、
ぼろぼろになりながら帰ってきました。

この時のことを
一度死んで同じ記憶を持ったまま生まれた、
と確か表現したことがあります。

そして新しく生まれてスピ系の実践を始めました。
(第3の実践と呼んでいます)

私は小さいころから実践ばかりだったから
最後、人間としての幸せを味わいたいと思いました。
(それが最後だと、決めていました)

スピ系は私にとってある意味
「無理やり願望を持つ実践」でした。

愛とかお金とか名声とか、
そういう願望をもってそれを叶えよう!とかやっていますよね。
願望を持たなければ叶わない、とか。

私は元々はそんなに願望なかったけど
「そういうことがきっと普通の人としての幸せなんだな」
って無理やり願望をもってやってました。

でもこの頃が一番、私は人間らしかったかも。(笑)

そしてそれでもう十分、幸せだと思っていました。
人間万歳!

ところがTK師と出会い、一喝されました。

私はその時そのままで進まない、という選択もあったかもしれません。

でも、でも、私の知らないTK師の境地があるのなら
そこに行ってみたい、と思いました。

そしてTK師とのやり取りの中で激流が起こり
その時思い出しました。

この激流の状況は第2の実践の時と同じ状況だと。

そこで原点に戻り、第2の実践を行いました。
(厳密には同じではありませんが その時の経験をいかしました)

第2の時はほんと、死にもの狂いでしたが
第4は第2の実践の経験のおかげであっという間でした。

ただし、第4の実践も「死ぬまでやめない」との強い決心でした。

実践をしてもどこにも私が至れる保証はなかった。

たまたま運が良かっただけかもしれません。

そして無事、卒業できました。


>「もう一度生まれよう」とも「この境地を認識しよう」とも「思う余地」が境地において無かった
>にも関わらず、私は「再び戻った(幻想の分離が起きた)」んです。

その再び戻ったことをTK師から
「退転した」とずっと言われていました。



Yさん、この話をどう取ろうと自由ですが
まだ先はある、ということです。

私は今その境地にくつろいでおります。

あきらめないでよかったです。

584 ラピ。 :2014/07/01(火) 17:45:08 ID:TYoEs5Ls0
>>580

Yさん、ちなみに「完全」を認識する必要がありますか?

完全そのものなら認識する必要はないでしょう。

例えば幸せについても、幸せを認識する存在ではなく
幸せそのものになりたくはありませんか?

私はそれがよかったし、おかげさまでそうなりました。

完全を認識する存在で満足しているなら
そのままでいいのでしょうね、Yさん。

ちなみに完全も
認識した時点で完全ではありません。

悟りを認識することなく
それそのもになったのが私たちです。

認識で満足しているのならそれもありですかね?

ただし、その認識したものは想像上のもの、
それそのものではありません。

585 TK :2014/07/01(火) 19:15:47 ID:H9KwW0OM0
>>562
>私もそうです。その知見が師と同じであるという事です。

弟子を見れば師が分かります。

ちなみにラピ。さんは、本人だけでなく私が成就している旨で承認しています。

ラピ。さんはこの方とは比べ物にならない所の本物の悟りを成就した人ですから、
私としても恥ずかしくありません。

>お二人の悟り具合は 悟りたい人に使えば良くて、私には関係がありません。
>「まだ」悟ってないという未来ある方たちにお使い下さい。

どうぞご勝手に、しかし、真実チャンスを逃したのはこの方のですが、
そのこと自体が我々にとって損も得もありませんからこの方に信じてもらう必要は全くありません。

>>550
>私もそうです。不安が確信、確定になっただけでした。

これでは、普通のエゴ次元の人の答えのままです。

悟っている人は間違ってもこのような答えはしませんが、この方の師、
この方を見ていればよく分かります、例のサイトの酔っ払いの自称賢者(もちろん誤認によるエセです)
の方の傾向にかなり近似しています。

本当の悟りは意識変容(次元上昇)が伴いますからこのような答えはありません。

私は本物の悟りの側面である、ゾーンによる実用レベルでの能力上昇を説く者ですから、
屁理屈で酔っているエセではそもそも役にたちませんから、
当たり前ですが本物でなければ駄目なのです。

フロー (心理学) - Wikipediaより
>2500年以上前、仏教や道教といった東洋の精神的な伝統の実践者は、
>この訓練を彼らの精神開発の非常に中心的な部分として磨いた。日本の実践者は、
>そのような禅の技術を、彼らの選んだ、剣道から生け花までを含む、
>芸術の形式(芸道など)を習得するために学んだ。
>
>あまりに使われすぎた慣用句「ビーイング・アット・ワン・ウィズ・シングス」(物と一体化する)も、
>この概念を説明するのに使われる。

不動智神妙録 - Wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8B%95%E6%99%BA%E7%A5%9E%E5%A6%99%E9%8C%B2

>心が物事に捉われていなければ、素早く動けるが、素早いことが重要なのではないと説く。
>素早く動かなければ、という思いも、また心が捉われている証しであり、
>心が止まっている状態であるとする。

聞く耳は無いかもしれせんが、
釈迦ほどの天才が一たび師と仰いだ人を二人も見限っているのですから、
釈迦と比べたら凡人である我々が師を間違ってしまう事は決して恥ずかしい事ではありませんから、
賢明な判断をされた方がよろしいと思います。

586 :2014/07/01(火) 22:06:33 ID:2OB2rbPY0
tkさんは、神を信じますか?

588 TK :2014/07/01(火) 22:47:47 ID:H9KwW0OM0
>>586
>tkさんは、神を信じますか?

信じたくても「信じる」行為が逆立ちしてもできません。

あなた方と私やラピ。さんは既に構造が異なります。

589 TK :2014/07/01(火) 22:54:58 ID:H9KwW0OM0
>>578

>もう一つだけ私が何故自分の体験を至ったとするのか?

なるほど、あなたは確かに優れた体験をしていると思いますが、
私は自らでそれも知っています。

あなたがまだ知らなくて、我々が知っているもの、
それが「常住(唯作心(kiriya¯citta))」です。

あなたは「戻った」「分かった」これだけですね。

釈迦の分類では、この「常住(唯作心)」の境地を慧解脱、
ここで初めて阿羅漢という事です。

あなたは一時的な心解脱に近いものしかしらない。

だからこそ、
そこに至っているようで酔っ払い的な中身が共存して出てくるおかしな状態です。

確かに、「分かった」、それだけでは一時的の部類なのです。

つまり「常住の境地」にいないと言う意味です。

常住の境地に至ると「分からない」が標準になります。

この「分からない」というのも我々の次元に来ないと、
一般的とされている「分からない」とは全くの違うものなので話しませんが、
屁理屈問答はしたくありませんから「常住(唯作心)」の特徴の一つです。

「常住(唯作心)」にいる者は、話をすれば分かります、しかし、
あなたはそこにいない事が我々いる者としては手に取るように明らかな事実ですが、
あなたの方からは我々は分かるはずがありません。


>どういう景色が見えようとも どうしようもなく 生きていく訳です。
>この どうしようもない世界で 自分が思考しているつもりで 自分が選択をしているつもりで 生きているのがYです。


情けないですね、「常住(唯作心)」の境地の位置づけは私の次の書き込みで若干触れていますが、
お好きなように。

ラピ。さんがあなたに向けて、口酸っぱく叫んでいますが、
もう一度、正しい師を利用しながら、
あなたは焼き直さなければそこへは至れ無いのが事実でした、残念でしたね。

「常時に」どういう景色も見えないし、生きている実感もないし、世界もないし、
自分もないし、選択もないのが慧解脱すなわち「常住(唯作心)」阿羅漢とされているところのものですが、
この言葉からは至ってない人は妄想しか産む事はありません、つまり、至らない限り推測不能と言う意味です。

TK師との会話 - 悟りや幸せへの道
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12104/1373075256/342

TK師との会話 - 悟りや幸せへの道
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12104/1373075256/343

590 Y :2014/07/01(火) 22:56:38 ID:kBC6GKGU0
>>582 ラピ。さん

>そもそもYさんの答えと私の答え、違うんです。

はい。それは最初の返信からわかってます。
そして 私の話している「不二」は「違いようが無い」という話をしています。

>私は「悟っているものしか居ない」なんて言えません。

境地では言えないという話なら そもそもここの会話が成り立たないですよね?

>悟っているものだけがいる、ということですよね?それほんと?
>悟っている人しかいないの?ほんとですか?それってどんな状況。

人だけではなく「森羅万象全て 悟っている」という事です。
状況は今朝書いた通り「ふたつない」という境地において「違う事が有り得ない」です。
「ふたつ」は無いんですが「ある」という状態です。
相対でしか有り得ないと、私達は相対しか知らないから必ず「対」を考えるのですが、
この「不二」という状態においては「対の片っぽが無い」んです。
対の片方が無いという状態は私達が絶対に考え付かないからこその「境地」です。
その「不二」という境地において何が起きるのか?という事を今朝のコメントでは書いたつもりです。

>悟っている、と言った瞬間、悟ってない人も同時に存在するんですよ。
>悟っている、悟っていない、とは相対的な言葉で片方のみでは存在できません。
>両方あるからわかるんですよね。
>悟ってない人がいるからこそ、悟っていることがわかる。

ラピ。さんが書いた↑は この世の常識ですよね?
私達は「相対しか知らない」から、対が必ず存在してしまう。
この「不二」という境地において「だけ」例外がある。
この例外が「全てが一つである」証なんです。
ですから この境地の中では勿論「そのもの以外が無い」ので
悟りだろうと私だろうとありとあらゆる「それ以外」はありません。
「それとそれじゃないものがある」という相対ではない境地があり
それを知らない限りは「悟ったものしか居ない」という言い方は出来ないんです。
ですから ラピ。さんは それを言えないんです。
「片方のみでは存在できない」というのがこの世の常識で日常ですよね?
むしろ、それを知らない人は居ないでしょ?
その常識を打ち破る事実が「不二」です。
もし この私の体験をラピ。さんが第二段階という所で体験しているのでしたら
相対しかないのだという話をする筈が無いんです。

悟りというのは涅槃とか彼岸とか呼び名は知りませんけど「とどまるものだ」
と思われています。
教義、教本の類には境地にたどり着くまでのメソッドしか書かれていないからです。
その先が書かれない理由は境地の一歩手前からは「全く自力が働かない」からです。
ですから本に書く必要はありません。
又それ以上の事を書き記せば それを読んで知識として「悟った」ものも出てきます。
私が知識から想像していた悟りと「悟り」は全く違うものでした。
けれど ほとんどの人が「悟りはとどまるものだ」と思っています。
何故 そこだけは みんなが思っていた通りの事だと思いますか?
犯人しか知り得ない事実は 公表されません。
公表されれば 模倣があるからです。
悟りも同じです。
悟りの型にはめられると とどまるしか無いんです。
それが悟りの型だからです。
「悟りの型」それは 自由ではないんです。

色々書きましたが 私はお二人と「違う話」をこれ以上続けるつもりはありません。
私は「私達がどれ程同じなのか?」という話をしていますし、これから伝えたい事もそれです。
同じは「不二」にしかありませんが 違いを語るなら一秒たりとも要らないからです。

591 ラピ。 :2014/07/01(火) 23:17:22 ID:jOhAFE8.0
>>590

>「それとそれじゃないものがある」という相対ではない境地があり
>それを知らない限りは「悟ったものしか居ない」という言い方は出来ないんです。
>ですから ラピ。さんは それを言えないんです。

大勘違いです。

私の答えは
「悟ったものも、悟ってないものもいない」ですよ。
そう書き込んだと思いますが。

「いる」と言えないでしょう。
何もありませんから。

「不二」になにかありましたか?
私はありましたか?
あなたもありましたか?
「全てが一つである」という世界があったんですか??
なにもないはずです。

なのに悟った人だけがいるのですか???


>もし この私の体験をラピ。さんが第二段階という所で体験しているのでしたら
>相対しかないのだという話をする筈が無いんです。

そもそも相対世界にいる方には
相対世界の言葉で伝えるでしょう?

臨機応変です。

ちなみに「相対しかない」なんてどこに書きましたか?
勝手に思い込まないように。

私は相対世界を超えています。

だからこそ、相対的な言葉も使えます。

まぁ、Yさんが幻想の住民で満足しているんならそれでいいんじゃないですか?
かつての思い出を大事にする幻想の住民ですね。

私はそんなのいやですけど。

私は幻想を打ち砕きました。幻想なんていらない。

592 Y :2014/07/02(水) 00:03:08 ID:kBC6GKGU0
>>591 ラピ。さん
>私の答えは「悟ったものも、悟ってないものもいない」ですよ。
>そう書き込んだと思いますが。
>「いる」と言えないでしょう。
>何もありませんから。

この「何もありません」というのが「無がある」という事なんです。
「いると言えないと同時に いないと言えない」のに
「無いから居ない」では「無い」なんです。
「無」がある時には「無を認識する私」と「無」という相対関係が続いているんです。
これは座禅見性の「くう」と呼ばれるモノですが、ここは「不二」ではありません。

>「不二」になにかありましたか?
>私はありましたか?
「ある」が一つだけありましたよ。
それを「私」と呼ぶためには「戻り」が必要でしたけど。

>あなたもありましたか?
「私」と呼ぼうが「あなた」と呼ぼうが同じですよ。
「ある」が一つだけですから それを名付けるのは 常に「この世」です。

>「全てが一つである」という世界があったんですか??
>なにもないはずです。

何もない を認識するなら もうひとつがあるんです。
「ふたつない」が「全てが一つである」事ですから。
「無」と「無の認識」で二つになっちゃうでしょう?

>なのに悟った人だけがいるのですか???

私が悟ったなら悟ったものしかいません。
私が悟ってないなら悟ってないものしかいません。
私が男なら 男しか居ないし、私が女なら女しかいない。
それが全てが完全に一致している「不二」の概念です。
悟ってる人と悟ってない人が居る事が 相対というこの世の当たり前です。
だから、ブッダという悟った人という大前提があって、私達は悟ってないと言うのです。
相対の無い世界がある事がわかるまでは このブッダの形にとらわれた悟りを私達は探します。
私が悟れないと思った理由は「ブッダという模範になれない事」でした。
なれる訳なかったんです。それは私の努力が足りないのではなく、
私の想像していたブッダが幻想だったからです。
不二という境地においては「ふたつない」のですから
私とブッダに違いがないという事です。
私とブッダは「違えなかった」という事です。
だから「みんな悟ってる」と私は言います。
Yと同じと言ってもわからないでしょうけど ブッダと同じ(違えない)と言えばわかりますか?
ラピ。さんの師匠はラマナの話を張ったりしますから ラマナは悟っていると認識されているのでしょう?
「不二」では、その「ラマナ」と「違えない」んです。
ラマナと違うから悟ってないのであり、ラマナと違えなければ悟ってると表現してもいいんじゃないですか?

>私は幻想を打ち砕きました。幻想なんていらない。
「私が」「幻想なんて要らない」と思って打ち砕いたんですか?
ラピ。さんは 呼吸をしなくても苦しくない?
呼吸をしないと死んじゃうのも 幻想の特徴ですから。
打ち砕いちゃって戻ってないというなら そんな事になっちゃうんだけど。

593 TK :2014/07/02(水) 00:21:51 ID:H9KwW0OM0
ラピ。さん、頑張りますね。

完璧に屁理屈の言い合いになってますから、
この人は酔っ払いですからお付き合いして同じレベルの屁理屈の言い合いしていても意味ありませんよ。

我々が損するわけではありません。

この人のように私が評価する良い体験が出来ても、酔っ払いになったら、
以前のラピ。さんと同じですね。

私はもう、ラピ。さんの時みたいにあそこまでやるのは御免です。

594 Y :2014/07/02(水) 00:28:37 ID:kBC6GKGU0
ここを読んでいる方に聞きたいのは
どうして「違うと言う話」をしてるのか?って事です。
私達は明らかに「違う」という「他人同士」として生きているんですから、
「あなたと私が違う」という話に疑問も不思議さも無いと思うんですよね?
私が不思議でわからなかったのは「同じである事」でした。
どう考えたって「他人と私が同じ訳がない」のに「同じである」という事が
知りたくなる所、興味でありました。
だから「私達は君等とは次元の違う所にいる、違うモノなんだよ」という話には
所詮「大きく違うか 小さく違うか?」の違いであって「違う事」は打破しないからです。
「アメリカ人」なのか「火星人」なのか「次元が違う方々」なのか?
は 違いがあるといういう意味において全く変わり映えの無い事だからです。
幽霊がいたって、自分が幽霊じゃない事は問題ではないし、金星人がいたからって自分がそれでない事も
問題にはならないですよね?
所が「あなたは私である」と言われれば「私にとって大打撃」ですから、
知るべき事として興味がわきます。
また「私が居ない」という話も大打撃として 知るべき事です。
でもね「私はあなたとは別の次元なんです」には 大打撃が無いんですよ。
それは「単なる個性」であって、それはこの世の私達も持っているものだからです。

595 釈 無限 :2014/07/02(水) 01:24:19 ID:TGZTIih60
             「念の使い方について」

念の使い方によっては、人を幸福にもし、不幸にもします。

感謝の念とかは善に働くけど、相手をねじ伏せようとする念による
攻撃は悪であり、慎まなければなりません。

念は、人の心を楽しませるものとなり、念は剣ともなり弓矢ともなり、
相手を害する道具ともなります。

私は、極力念は良き念を発しようと努めていますが、人を害するよ
うな念を発した場合、反省を入れるようにしています。

相手から害を及ぼす悪しき念が来たら、「あなた様の害する悪念は
入りませんので、そのままお返しします」という念の使い方をします。

嫉妬や恨み妬みなどからくる相手に害を与える悪念となるので、自分
に都合のよい正義となっていないか注意すべきであります。

四正道の「愛」の与える愛と「知」のこの世とあの世を貫く、善なる明る
い智慧と「反省」で心を中道にして、「発展」で与える愛の質の向上に
よる悟りの高さと、感謝からの与える愛の私的幸福からユートピアづく
りの公的幸福へとなっているかであります。

日々、心の内を自己観察して、智慧に先立つ与える愛としての念の使い
方をしていただきたいものであります。

596 TK :2014/07/02(水) 03:53:05 ID:H9KwW0OM0
>>594

>「ある」が一つだけありましたよ。
>それを「私」と呼ぶためには「戻り」が必要でしたけど。

まじに、これでは以前のラピ。さんのリバイバル。

私はラピ。さんの彼岸に至る僅か運命の激流の一日のために、
何か月この類のやり取りをした事か思い出しました。

ラピ。さんの時もそうでしたが、変な中途半端な結果を得た酔っ払いは立が悪い。

思い出しました。

見てるとうんざりしてきました。

ラピ。さんが頑張る気持ちもよく分かりますけどね。

597 :2014/07/02(水) 04:20:34 ID:2OB2rbPY0
>>588
信じる対象そのものがないということですかね?

598 ラピ。 :2014/07/02(水) 05:30:19 ID:5Kki1KY.0
みなさま、おはよございます!


Yさん

幻想がなければ生きていけないなら
どうぞ、その幻想の世界なかで生きてください。

自由ですよね。


TK師

かつて師が
「お話になりません」と私によく言ってた意味が
わかりました。

ほんとお話になりませんね。

>私はラピ。さんの彼岸に至る僅か運命の激流の一日のために、
>何か月この類のやり取りをした事か思い出しました。

ぴったり6カ月でしたね。

TK師、ほんとうにありがとうございました。

599 TK :2014/07/02(水) 07:22:54 ID:H9KwW0OM0
>>597
>信じる対象そのものがないということですかね?

信じるも含めて行為そのものが無い、これが一番近い表現です。

当然、あなた方から私は受け答えの行為をしているように見えると思いますが、
我々は何もやってないし出来ない、
これは私やラピ。さんの所「常住(唯作心)」へ至っている者でなければ推測不可能です。

阿羅漢の行為はカルマを作らない、これがその仕組みですが、
我々がこの状態を言葉に表すと、
ここにもいますが勝手に変な人たちが拾って自らの妄想のネタに使うのです。

「ここには、私とラピ。さん以外にこれが分かる境地にいる人はいません。」

アイ・アム・ザット 私は在る―ニサルガダッタ・マハラジとの対話より
>私は無だ。
>
>何も持たず何も出来ない。だが、すべてはわたしから立ち現れる。その源が私だ。その根底と源泉が私なのだ。

600 Y :2014/07/02(水) 07:34:19 ID:kBC6GKGU0
>>596

>信じたくても「信じる」行為が逆立ちしてもできません。
という話が境地なら「うんざりしたくても出来ない」のが境地ですよね?
TKさんは本当はうんざりしていないのに うんざりしていると嘘をついている。
嘘もつきたくてもつけない筈なのに 事実「嘘をつける」「偽れる」。
これは私達が この世を生きるにあたって、自分を知識で装飾し、
偽りの自分を見せ続けてきた行動様式と 何処がどう違います?
その価値観が全く違わないんですよ。
「私とあなたは違うんです」とずっと主張してきた価値観と全く変わってない。
「あなたはB型で私はA型だから違うんだ」という主張と「私は境地人であなた人間とは違う」
という主張が この世の価値観そのものなんだという事。
「うんざりしてないのに うんざりしていると書かなければコミュニケーションが取れない」
から「嘘だけど そう(うんざりと)言う」という行動様式が この世の行動様式だという事。
「君には私の事など わからない」という考え方 それが「この世のものだ」という事。

ラピ。さん
>幻想がなければ生きていけないなら

あなたもそうですよね。
幻想と話したくて 掲示板なんですよね?
幻想とお話する為に「逆立ちしても出来ない事まで、さもやっている様にみせかけて」
喋ってるんですよね?
嘘をつかなきゃ、しゃべる事も出来ない不自由の話ですよね?

601 ラピ。 :2014/07/02(水) 07:42:57 ID:5Kki1KY.0
>>598

>ぴったり6カ月でしたね。

間違えました。

1月14日から師と対話させていただいて
私が至ったのが5月13日だから
4ヵ月ですね。

602 ラピ。 :2014/07/02(水) 07:46:11 ID:5Kki1KY.0
>>600

Yさん

違います。

603 ローマ法王 :2014/07/02(水) 08:26:18 ID:h8tbrXaM0
Tkさんラピさんは、
コミュニケーション
とってないです。
何もしていないです。
幻想がないということです。

604 Y :2014/07/02(水) 08:51:56 ID:kBC6GKGU0
何故 お二人が「戻って認識した事」が悟っていない理由となるのか?
私達の普段している「認識」というのは「違いを認識する」特徴だからです。
「私が私を認識する」は「同じを認識する」んです。
これを理解するには「ふたつない」を通過しないとわからない。
これは「無を認識する私」が相対関係である事に気づかないと仕方ない。
だから お二人は 私が認識したと言えば どうしても
「違いがある、自分でないモノを認識した」としか読み取れない。
そして その経験なら確かに自分も通ったので「そのことだろうと推測する」。
読み取れないのは当たり前で ここが「不立文字」と言われる所だからです。
「違い以外を認識する」という意味は その経験でしかわからないから。
「同じしか認識出来ない」という認識の在り方がわからない。

605 ラピ。 :2014/07/02(水) 12:15:03 ID:TYoEs5Ls0
>>604

Yさん

>何故 お二人が「戻って認識した事」が悟っていない理由となるのか?

簡単です。

私たちは例えていうなら「戻らず、認識していない」からです。
明らかにYさんと違うでしょう。


Yさん曰く

>この「不二」という境地において「だけ」例外がある。

>その常識を打ち破る事実が「不二」です。

なんですよね?


だからYさんにとっては

>嘘をつかなきゃ、しゃべる事も出来ない不自由の話ですよね?

が常識なんでしょうけど、私たちは違うんですよ。


常識を打ち破るのが不二であるのですから
Yさんの常識が私たちに当てはまらないのは当然です。

606 TK :2014/07/02(水) 17:58:21 ID:d3Al9VVg0
>>600

>という話が境地なら「うんざりしたくても出来ない」のが境地ですよね?
>TKさんは本当はうんざりしていないのに うんざりしていると嘘をついている。

嘘はついてませんが、私は何もしてないのです。

嘘というものも「行為」の一つなので、
このような唯作心など境地に居ない人に口で説明できるものではありませんから、
どうぞご勝手に妄想してください。

ラピ。さんはともかくとして、私はあなたと取り合うつもりはありません。

私はあなたに理解してもらわなくても何にも損しませんから、全然かまいません。

強制はしませんが、ラピ。さんもこの人かまうの早くやめればいいと思いますし、
変に情報提供しようなどと試みても我々の得には何もならない、
このままこの人の好きにやらせておいてあげた方が良いと思いますが。

自らで至っていると言うのなら、良かったねと言ってあげてた方が、
面倒無くていいと思います。

607 TK :2014/07/02(水) 18:23:56 ID:d3Al9VVg0
>>603

>Tkさんラピさんは、
>コミュニケーション
>とってないです。
>何もしていないです。
>幻想がないということです。

幻想どころか内面と外面が無いのですが、
「常住(唯作心)」は言葉で説明しても無理ですね。

釈迦も同じ経典内で、私はこのことを説くということはないと言ってみたり、
わたしは説くと言ってみたり、エゴ次元の人の常識で照らしたら嘘つきと言われる内容です。

無理ないと思いますよ。

言うだけ野暮ですので、どうぞ勝手に妄想してくださいと私は説く。

これは私やラピ。さんの所へ至っていない人には推測不可能です。


スッタニパータ837
>師が答えた、「マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。

スッタニパータ1033
>師(ブッダ)が答えた、
「アジタよ。世間は無明によって覆われている。世間は貪りと怠惰のゆえに輝かない。
>欲が世間の汚れである。苦悩が世間の大きな恐怖である、とわたしは説く。」

スッタニパータ1048
>師は答えた、
「プンナカよ。世の中でかれこれ(の状態)を究め明らめ、
>世の中で何ものにも動揺することなく、安らぎに帰し、煙なく、苦悩なく、
>望むことのない人、──かれは生と老衰とを乗り越えた、──と、わたしは説く。」

608 TK :2014/07/02(水) 18:33:52 ID:d3Al9VVg0
それでも「常住(唯作心)」の境地について、私は若干の説明を試みていたようです。

>>346

609 :2014/07/02(水) 21:09:38 ID:2OB2rbPY0
>>599
本物の言葉であることは、伝わってきます。

610 TK :2014/07/03(木) 07:21:14 ID:d3Al9VVg0
>>609
>本物の言葉であることは、伝わってきます。

そうですね、
とくに今のように比較対象としての自らの誤認による自称至った人とかが近くに居ると、
この方の書き記した内容の差が、
大きな引き立て役効果になってくれてよりそのように見えるのです。

611 ラピ。 :2014/07/03(木) 07:53:15 ID:9Vur5waM0
みなさん、おはよございます。

「まだ」の場合、
その状態で人を導いても
「まだ」にしか導くことはできません。

人に教えを説くのは「まだ」を卒業してからです。

「まだ」では「まだ」の教えしか解くことができません。

そして、結果的にそれは
「悟り」への道を邪魔することになります。

確か釈迦も偽の教えを説くことは
罪であると言ってたと思います。

まずは至ることです。

偽の教えで人を偽の道へ導くことは
そういうカルマを生み出すだけです。

教える人にとっても教えられる人にとっても
いいことはひとつもありません。

612 ローマ法王 :2014/07/03(木) 08:55:17 ID:q7b1fXyc0
もし気が進むのなら、アートマン常住とブラフマン常住の違いを説いていただけますか?

613 ローマ法王 :2014/07/03(木) 11:22:46 ID:q7b1fXyc0
>これは「無を認識する私」が相対関係である事に気づかないと仕方ない。

相対的な私はそもそもいません

614 無記名 :2014/07/03(木) 15:06:07 ID:nIm/XTjc0
悟った人は日常どんな生活をしているのですか?
もはや何事にも挑戦することなく
社会的責任も果たさず、気の向くまま、というところですか?

615 TK :2014/07/03(木) 17:56:11 ID:viOdl9Vc0
>>612
>もし気が進むのなら、アートマン常住とブラフマン常住の違いを説いていただけますか?

少なくとも私はこのような教えは説いていません。

酔っ払いの酒の肴みたいな話しは提供するつもりがありません。

616 TK :2014/07/03(木) 18:06:34 ID:viOdl9Vc0
>>614

>悟った人は日常どんな生活をしているのですか?
>もはや何事にも挑戦することなく
>社会的責任も果たさず、気の向くまま、というところですか?

振る舞い方や見かけは他者と特に変わってないと思います。

挑戦しているようにみられる事もあれば、
社会的な責任を果たしているように見られる事もあると思います。

メンタルによる作業能力がアップしてますから、
それ相応の評価をされていると思います。

ただいずれにしても、他者がどう思おうが気になりませんし、それは他者の勝手です。

617 ローマ法王 :2014/07/03(木) 18:08:45 ID:WGN5pcDg0
>酔っ払いの酒の肴みたいな話しは提供するつもりがありません。

ありがとうございます
確認できました
あと本物であることも

618 TK :2014/07/03(木) 18:42:29 ID:viOdl9Vc0
色々な人向けの先駆者として話をしているつもりですが、
なかなか聞く耳が無い人には役に立ちません。

束の間であっても心解脱の経験は、かけがえのないものですが、
私とてそこから退転して、戻ったのはエゴ次元の人です。

同じ退転でも、私の退転はラピ。さんや誤認の方のようにそこで終わりにはしなかった、
従ってさらに実践し先に進んで阿羅漢の境地は唯作心であると言われていますが
「常住」の境地である彼岸に辿り着くことが出来た訳です。

途上でまごついている人たちを見て、話をしても、
分かってもらえないと言うのも、ラピ。さんの時もそうでしたがなんとも言いようがありませんね。

619 あやふや :2014/07/03(木) 19:03:27 ID:ZDoFNhv60
色々なわからない途上の人にとって
おおざっぱですが
これだけは気をつけているべきことはありますか?

私の場合は、選んでいる基準は自分でわかりませんが、
惹かれる人の言葉を鵜呑みにすることで、
自分よりずっと優れた人と
接することができていると感じていることはあります。
友人などはすべてにおいて自分より優れています。

620 ローマ法王 :2014/07/03(木) 19:13:35 ID:WGN5pcDg0
ヴァーサナー消しの実践を説いていただけますか?
皆さん聞きたいと思っているはずです。

621 TK :2014/07/03(木) 19:50:44 ID:viOdl9Vc0
>>620
ヴァーサナやサンスカーラ、これら内面世界へのアプローチは、
普通の人には不可能です。

私はそのような事はここでは話しておりません。

このようなものを人に教えられたり本見たりしてやろうとして、
みんな酔っ払いになっている、
私はこのような馬鹿げたことをやめるように説いているものです。

こんなことをしてて、
悟ったと言う人がいたら是非お話してみたいと最初から話しています。

そう言うのが好きな人は、世の中に一杯いますね。

現実からの逃避です、それで何かが得られるはずが無い。

私は精神世界など説かない、脱精神世界を説く者です。

内面世界へのアプローチには、まず、
煮詰まった状態を作り上げなければ不可能なのです。

そのためには、精神世界はご法度です。

私が賢者と認めているEO氏と言う方も、釈迦の仏法はほとんどの者には必要が無い、
まずはサバイバル能力の方が必要だと話していたと思います。

酔っぱらいたければ、ここはお門違いです。

私もラピ。さんも、このようなプロセスを経て、
今の所へ辿りつけてこの真実を自らで実証済みです。

622 TK :2014/07/03(木) 21:04:19 ID:viOdl9Vc0
まず、精神(内面)世界では無く現実世界の生き方です、
そこからスタートをしなければ、巷に居る酔っ払いたちのようになります。

そうでなくて悟った人はどこかに居ますか、居るのだったらお話してみましょうよ、
ここには阿羅漢二人います。

623 ラピ。 :2014/07/03(木) 21:17:33 ID:D0un4Zxw0
>>614

>悟った人は日常どんな生活をしているのですか?
>もはや何事にも挑戦することなく
>社会的責任も果たさず、気の向くまま、というところですか?

見た目は至る前と変わらず普通に生活してるように
見えると思います。

至る前、社会人としてするべきことをきちんとしていましたし
至った後も変わっていないように見えると思います。

でも至ってからは大変快適に
いろんなことをこなしています。

でもこなしていると言っても何もしていないのですが。

どんなときも何もしていないけど
できてしまうんです。
だから仕事も休日も区別がありません。

てきぱきとこなせてしまいます。

動くのに意志が必要なく
動作そのものになっている、という感じです。

624 ラピ。 :2014/07/03(木) 21:20:37 ID:D0un4Zxw0
「アートマン常住とブラフマン常住」
「ヴァーサナー」

私にとっては聞きなれない言葉たちです。

でもそんな言葉知らなくても大丈夫です。

私がそうであったように。

625 TK :2014/07/03(木) 21:38:10 ID:viOdl9Vc0
我々がもし精神(内面)世界を説くとしたらそれは釈迦の言う通りの激流、
すなわち「地獄」のことです。

巷の酔っ払いの良い気分のスピ系だかなんだか酔っ払いだか知りませんが、あれ、
狂ってます。

あれはまったくの非なる別物です、
その前の現実生活を生きるプロセスの実践をインチキして吹っ飛ばしたので激流(地獄の環境)が起きないで、
結果酔っぱらって一生を死ぬまであの頭のボケたままで行くのです。

あのようなゾンビの群れは私には用はありません。

あの者たちは気持ちが悪い、しかし哀れなものだ。

626 ラピ。 :2014/07/03(木) 21:46:30 ID:D0un4Zxw0
>>619 あやふやさん

選ぶ基準は「自分の善なる価値観」です。

あやふやさんの善なる基準で
あやふやさんの人生を生きていけばいいと思います。

自分の納得する生き方をしていけばいいと思います。

>私の場合は、選んでいる基準は自分でわかりませんが、
>惹かれる人の言葉を鵜呑みにすることで、
>自分よりずっと優れた人と
>接することができていると感じていることはあります。

なるほどです。

あやふやさんにとって、自分より優れていると思っている人と接することが
納得する生き方でしょうか?

>友人などはすべてにおいて自分より優れています。

そしてそのことからあやふやさんがどのように生きていきたいか?
ですね。

627 ラピ。 :2014/07/03(木) 21:57:17 ID:D0un4Zxw0
>>618 TK師

かつての私のような方がいたので
どうにかして力になりたい、
と思いましたが無理だったようです。

至れば答えそのものになるので
何の言葉も必要なく わかります。

ただ、それには至るしかありませんが、、、、。


>途上でまごついている人たちを見て、話をしても、
>分かってもらえないと言うのも、ラピ。さんの時もそうでしたがなんとも言いようがありませんね。

かつてはいろいろありがとうございました。

今はそのときのTK師の気持ちがよくわかりますね。

628 TK :2014/07/03(木) 22:41:18 ID:viOdl9Vc0
>>627

>かつての私のような方がいたので
>どうにかして力になりたい、
>と思いましたが無理だったようです。

やがてこの時を思い出す時が来ると思います。

なぜなら、あの者は我々「常住」の境地には至っていないのでやがて苦悩が来ますから。

世の中は良くできているのです。

楽な時には人は考えないものですから。

ここは酔っ払いにとっては凄く居心地の悪いサイトだと思います。

誰でもチャンスがものにできるわけではありません。

629 ローマ法王 :2014/07/04(金) 05:39:16 ID:2pCNhLnw0
>我々がもし精神(内面)世界を説くとしたらそれは釈迦の言う通りの激流、
すなわち「地獄」のことです。

これを説いていただけますか?

630 TK :2014/07/04(金) 07:08:03 ID:viOdl9Vc0
>>629
>これを説いていただけますか?

お断りします。

無暗に公開出来るものではありません。

我々がその段階に至ったと認めた者にしか、不可能なものです。

ラピ。さんには、4カ月かけた後にようやく明らかにしました。

631 TK :2014/07/04(金) 07:24:28 ID:viOdl9Vc0
>>629

死ぬまで酔っ払いで居たいなら、自らの誤認による覚者はその辺に沢山いましたから
そちらで精神世界ができますのでここはお門違いです。

632 ラピ。 :2014/07/04(金) 07:29:50 ID:MIe9HzXo0
みなさん、おはようございます。

>>628 TK師

>なぜなら、あの者は我々「常住」の境地には至っていないのでやがて苦悩が来ますから。

そうですね。
こちらにないものがまだありますからね。

ただし「人とはそんなものだ」で終わらせるかもしれませんね。
そうではないんですけどね、、、。

お金をとっているのはもちろんですが、とってない場合でも
偽の教えを説くことは、どうなんだろう。

弟子もいるならなおさらのこと。

偽の教えを伝授していってどうするんでしょうか?

一人で妄想するのは自由ですが
堂々と偽の教えを説いてばらまくのは
どうなんでしょうかね。

633 ローマ法王 :2014/07/04(金) 10:11:04 ID:2pCNhLnw0
ここは破壊の特色が良かったのですがね
現実生きろを説くのは世にわんさかありますからね

634 TK :2014/07/04(金) 17:54:14 ID:HTUw7hxc0
>>633
>現実生きろを説くのは世にわんさかありますからね

そうですか、私はあまり目にしません。

私とあなたの見方は当然ですが違います。

例えば今を生きるとか、あれは、我々とは違いますから、
我々が酔っ払いと言う人たちの部類です。

この点についてならば我々は結果に捉われて生きる、という生き方を話ししています。

私には、酔っ払いとニセ物、万歳みたいな世の中に見えています。

あなたにとって微々たる似たようなものにしか見えないものでも、
我々にとっては大違いです。

しかし、死ぬまで酔っぱらって生きて、
そのまま一生を終えるのはその人の勝手ですから止めません。

635 TK :2014/07/04(金) 19:46:25 ID:HTUw7hxc0
>>632

彼は惜しいね。

彼は一時的な心解脱を果たしたが慧解脱(常住)は果たしていない。

仏教で阿羅漢の境地とは慧解脱で達成できる境地だ。

慧解脱とは束の間の心解脱のその束の間よりは境地的には下だが、
「我」の無い状態の常住の達成と言う点で、
束の間の心解脱では阿羅漢とは認められないが、慧解脱で阿羅漢の境地とされる。

正確ではないが次のサイトにも説明されている。

http://kawahata-m.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-abf4.html

だから、さらに精進あるのみと言っているのだ。

私はこの者のような段階では甘んじなかった。

この者一度至ったからと言って、もう一度即座に至れますかと問えば、
必ずノウと言う状況だ。

死んで肉体を離れてから後悔をするのだぞ。

今の状態で、得た境地へは再び辿りつくことは不可能だからだ。

束の間得た境地は肉体という道具を利用できるうちに、
より確実なものにしていかなければならない。

しかし、今のその者には、その先への手段は手詰まりだろう。

私に出会った時のラピ。さんのようなものだ。

普通で激流は起こせない、ラピ。さんは普通では無い私の眼を利用して激流を起こした。

この者、慧解脱にも達していないでここでこのお喋り、師にもなったと言う、
これらの行為を止めなければ釈迦が阿羅漢とした境地の慧解脱(常住)へは死んでも
辿りつけないし自ら束の間得た心解脱の境地にも当然に辿りつけることは無い。

この者のような経験をした者として、
束の間経験をさらに確実なものにすべく先に進まなければだめだと忠告しておく。


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