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倉工ファン

1名無しさん:2017/08/17(木) 17:05:06
春、選抜でベスト4まで行ったからには、夏は優勝しかない。
倉敷市民の熱い期待を背に、大優勝旗に向かって走る倉工ナイン。
当然、招待試合などに招かれるケースも増える。

小山にとっては、これが不運。
痛めた左腕を休める間もなく状態を悪化させて行く。
女房役で主将の藤川は、「高校生離れした球威を誇った、一年生時の小山を思うと、どんどん状態が悪くなっていた。」

こうした中、九州招待試合があった。( 中津工 津久見 ) 「今日こそ、小山を休ませよう。」と、小沢監督。
小山を温存したのだった。ナインも投げられない小山を励ました。
ところが、スタンドからヤジが飛んで来た。「こらっ!小山を投げさせろ。
小山を投げささんか。ワシは小山を見に来ているんじゃ。」と。
このヤジに対して、小沢監督は知らん顔。

しかし、倉工ナインは燃えた。
主砲の、武のバットが火を噴いたのだ。
中津工のエース大島 康徳投手 (中日ドラゴンズ 入団) からセンターバックスクリーンに、豪快なアーチを放つ。
『武 渉選手のユニホームが、甲子園博物館に展示されています。』
津久見には、通算打率4割2分。本塁打17本をマークした、太田 卓司選手(西鉄ライオンズ 入団)がいた。
2年生の時、春の選抜 (倉工と対戦) に出場。
エース吉良 修一投手の好投もあり決勝に進出。
延長12回の熱戦の末、弘田 澄男選手の 高知高 を、2対1で降し初優勝。
この、太田 卓司選手も、倉工期待の一年生投手から、センターバックスクリーンに叩きこんだのだった。

倉敷工 武  津久見 太田 。
両主砲の一発に観客は酔い痺れた事だろう。
工業に観光に発展して行く倉敷市。水島コンビナートでは、連日フル操業が続いていた。
こうした中、倉工は、街のシンボルとして脚光を浴びて行くのだった。
当然、倉工ファンも多くなって行く。

小山は、「とにかく、倉工のファンは、特別なファンなんです。」と言う。

189名無しさん:2018/07/14(土) 10:06:05
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1982年8月16日  三回戦  「 目のあるボール 」


きれろ ラインをきれろ まっすぐに来るんじゃない ゆっくりと転がって来るボールは 願いをあざ笑うように

そして たっぷりと水気を含んだ土が まるでボールを抱きすくめたように 軌道のなくなったグラウンドを

コロコロと転がり サードベースにコトンと当った その時 ボールは生きものだった


雨が降っていた オレンジの雨だった その雨の中を法政二高は いきいきと動いていた

わずかにのぞく ストッキングのオレンジが 不思議に鮮やかに目に映えていた 

だから 煙る雨もオレンジだった  きれろ ラインをきれろ まっすぐに来るんじゃない 


運命のバントが転がったとき 雨は上っていた  瞬間 チカチカしていた オレンジが消え 

何故かその時から 東洋大姫路のユニホームが 泥でよごれるようになった 泥濘戦での汚れたユニホームは

果敢の勲章だった  果敢さを誘発したのは ラインの上を忠実に転がった 目のあるボールだった

21年ぶりの法政二高が 甲子園を去る日  雨がはげしく降り  途中から薄日がもれた 



ついこの間だと思っていた法政二高の優勝も22年前だときかされると驚く。
柴田投手の勇姿を知るどころか、後輩たちは誰も生まれていなかったのだから。

しかし、同じユニホームで登場して来ると、時代を超えてつながってしまう。 甲子園のファンというものは、
そういう風に忘却を知らない感傷を持ちつづけているのである。

史上最強といわれる往時には及ばなかったが、それでも今大会の活躍は、
そういう感傷的なファンをも喜ばせたのではないだろうか。
願わくば、この試合で、もっともっと泥の勲章をと思うのだが、それも見るもののわがままかもしれない。

190名無しさん:2018/07/14(土) 11:12:28
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1982年8月17日  三回戦  「 大旗ロード 」 


大旗が海を渡る夢は 今年は果たせなかったけれど それはもう近い 黄金色の蝶の群れが

きらめきながら海を渡るように 歓喜と興奮が南へ飛翔する日も 近いだろう


やがて沖縄の地に ハイビスカスよりもなお紅い 深紅の大旗が 誇らしく凱旋をする夢が

実現することだろう それが夢想でも幻想でもないくらい きみらは今や屈指の強豪なのだ


旋風を巻き起した先輩がいて 百メートル打線と恐れられた先輩もいて  そして 今年 きみらは

褐色の稲妻か 超特急で 大旗ロードを着々とつくっている きみらの奇跡の何マイルかは もうそこなのだ 


強くなれば拍手は少くなり しかし ズシリと重い拍手はふえて来る

やがて 手をうつことも忘れる強さで きみらは帰って来るだろう


うずくまり かき集める土は きっと大旗ロードにふりまかれ 歓喜の行進のスパイクの下になる

もはや そういう思いで きみらを見つめる

さらばKONAN  また来年の夏に 戦慄の対面をしようじゃないか 



興南にとっては、全く悪夢と思える1イニングであったに違いない。 仲田幸投手の許したヒットはたった二本、
それが、三つの四死球とからんで六回に集中、アッという間に4点をとられて逆転されたのは、
悪夢としかいいようがない。 相手の広島商にとっては、全くのワンチャンスであった。

この悪夢の1イニングによって、興南は野望を絶たれ甲子園を去ることになる。
今でも負けた気がしない、という監督談話はおそらく実感であろう。

昭和33年第40回記念大会に首里高校が初めて甲子園に出場、絶大な拍手を浴びてから、来年で25年。
もはや敢闘では飾る言葉にならないほど強くなった沖縄のチームが、大旗を手にする可能性は充分にある。
二年生が主軸の興南の来年は明るいといえよう。

191名無しさん:2018/07/14(土) 12:16:20
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1982年8月18日  準々決勝  「 最後の夏 」


少年の蒼白に見える顔が  もっと悲観的に  蛍光色に弱く光る瞬間を見た

どんよりと垂れこめた雲の下  少年の印象は  はかなく美しく最初から蛍光だった 

そして  何故かその周辺には音がなかった


少年が対するチームには  常に音が充満していた  気力のうめきや  筋肉の雄叫びや 

興奮の総毛立つ皮膚のはじけや  体内に収めきれない活力が  音になってあふれていた

少年を蛍光色に染めたものは  一体何だったのか  それは誰も知らない 


少年は五度も出場し すでに十六試合も戦い 冷徹に思い シャープに投げ 誰よりも光輝やく筈であった

そして 十九試合を投げぬいた時に 夏を終らせなければならなかった

少年を蛍光色に染めたものは 一体何だったのか  それは誰も知らない 


少年の最後の夏は  曇天の下で蛍光のように揺れた  長い一日だった 

少年は十七試合で  夏を終らせなければならなくなった  甲子園は少年をひき止めない

誰も必ず去って行く  この少年も去って行った  荒木大輔の夏は終った



事実上の決勝戦とも思われた早実・池田戦は、大仰にいえば戦慄するような結果で終わった。
五季連続出場、常に優勝候補に上げられながら果たせなかった大旗の夢を、
最後の夏に賭けた荒木大輔も、池田の猛打の前に砕け散ってしまった。

その凄まじいばかりの終幕は、むしろ、人気という怪物と懸命に戦いつづけた三年間との
決別の儀式とも思えるほどだった。

甲子園というのは、別れの魅力である。  どんな名選手も三年たてば去って行かなければならない。
そんな思いが常にたちこめている。  それをこの試合ほど具体的に感じたことはないのではないだろうか。
しかし別れはいやでも、送るというのはいいことである。 送ったのだ。

192名無しさん:2018/07/15(日) 10:35:14
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1982年8月19日  準決勝  「 やまびこ打線 」


あのやまびこをきいたら 快感を通りこして 恐怖すら感じる たえまなく 容赦なく 金属音はくもり空を駈けめぐり 

コンクリートの壁にこだまする 甲子園はしばしなすがままに わめきつづけた


きみは あのやまびこをきいたか 逞しい少年たちが 自信で打ち出す球音の 冴えざえとしたやまびこを

体に負けた と相手監督にいわせた少年たちは 何より精気に満ちている 生きものの精気を洗い流さずに

若い体にしみこませている  だから 少年たちの打ち出すボールは 誰のものより いきいきと転がり

誰のものより のびのびと飛翔する 金属音はバットの響きだけではなく 少年たちの活力の万歳だ


かつてのさわやかイレブンは 涙ぐましい健闘の時を超え 猛々しいまでに 自信にあふれたチームになって

甲子園に帰って来た 失われた野性の時代に 黒々とした顔と よく光る目と 時にこぼれる白い歯と

大胆にふるまえる度胸と 野性故に律する節度を心得て 少年たちは勝ちつづける



49校も、日を重ねて、ついに2校になってしまった。16校が8校になり、8校が4校になるこの期間は、
夏が急速に去って行く慌ただしさと、もの悲しさを感じさせて特別のものである。
帰って行った47校を呼び戻すことは出来ないし、傾きかけた季節を戻すことも出来ない。

さて、池田高と広島商だけが今甲子園に残っている。 久々に怪腕と呼びたい雰囲気を持った畠山投手と、
豪打を誇る池田と、軟投技巧の池本投手と、試合巧者が伝統の広島商とは、実に対照的な両校が残ったものである。
三回戦以後の三試合、実に43本のヒットの池田と、わずか15本のヒットの広島商が対戦するわけであるが、
この数字が全くあてにならないのが甲子園である。

193名無しさん:2018/07/15(日) 11:51:15
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1982年8月20日  決勝  「 猛烈な季節 」


列島は既に秋の色で 常に雨雲が覆い この甲子園でも 雨のない日はわずかに三日だった

ジリジリと照りつける 狂熱の日の下での若者の祭典は ついにただの一度も 夏の舞台に恵まれなかったが

しかし そうはいっても 猛烈な季節だった 猛烈な少年たちの 猛烈な活躍は 甲子園神話に幕をひいた


如何に勝つべきかの戦略や そのために身につける技術や そのために形づくるタイプは 過去の神話になってしまった

少年というものは猛烈なものなのだ ほとばしる生命力や 一瞬の燃焼力は誰よりも激しい


猛烈な少年たちは 選手である前に そういう摂理にそった少年だった 

一人一人がいきいきと 誰はばかることなく発散し 駈け巡った 


灰色のうすら寒い夏を 興奮で渦巻かせたのは この猛烈な少年たちだった 熱い魂があってよかった

そして すべてが終った時の 感傷の種類も どこか違っていた 明るい 明るい感傷だった



徳島県に初めて大旗が渡った。阿部牧郎さんの小説「ワシントンの陥ちた日」というのは大変素晴らしい作品で、
昭和17年の徳島商業の幻の優勝について書いてある。
この小説のことにふれる紙面はないが、池田高校の優勝でいくらかは幻でなくなったといえよう。

とにもかくにも、幻にならない時代を危いながらも保っていることを喜ばなければならない。
それにしても、池田高校の優勝は猛烈であったの一語につきる。

6試合総得点44点、ヒット総数85本、ホームラン総数7本でありながら、大型チームとか、
大型打線という評価とは少し意味合いが違っているように思う。
精気と活力と力と個性が基本になっていることが、強くなっても、なおさわやかな因となっている。



1982年の出来事・・・ホテルニュージャパン火災、 羽田沖に日航機墜落、 フォークランド紛争、 五百円硬貨発行、

              東北、上越新幹線開通、 長崎集中豪雨、 テレホンカード発売、 戸塚ヨットスクール事件

194名無しさん:2018/07/15(日) 13:05:17
「  夏の公立校アラカルト  」


☆ 優勝回数・・・ 私立58回に対し公立は39回。 松山商が優勝した96年に38回ずつで並んだが、
           以降21年間で公立Vは07年の佐賀北しかなく差がついた。
           96年松山商―熊本工は最後の公立同士の決勝。


☆ 出場校数・・・ 49代表となった78年以降、公立が最多だったのは79年の31校。
           箕島が池田との決勝公立対決を制し、春夏連覇を達成した。 元号が平成となった89年以降は公立劣勢。
           私立を上回ったのは94年しかない。 同年は公立の佐賀商が優勝。


☆ 商業高校・・・ 全大会に欠かさず出場。 広島商が制した88年は14校を数えたが、昨夏は初めて1校(高岡商)だけに。


☆ 公立王国・・・ 徳島は23度出場の徳島商をはじめ全出場校が公立。


☆ 私立の壁・・・ 神奈川、大阪の公立校は横浜商、渋谷が出場した90年を最後に夏の甲子園が遠い。



昨夏の甲子園大会は49代表中、公立校が8校にとどまった。
49代表制となった1978年以降の最少を更新し、勝ったのも2校、合計で3勝だけ。
これらも外人部隊が席巻するようになっては、仕方なしか。


このたびの西日本を中心とした豪雨により、被災された皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。
皆様の安全と、一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。

195名無しさん:2018/07/15(日) 15:52:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1983年8月8日  一回戦  「 幕は上がった 」


幕は上がった 今年の夏はまともに勝負を挑んで来た 最大の讃辞を日光の照射にこめて

少年よ 心の中の一匹の牛のために戦うがいい その激情にふさわしい幕を上げよう


甲子園だ 夏の挑みを しっかりと受けとめた 少年たちがいた

横浜商業  鹿児島商業  いきなりのクライマックスは 夏も面食らっただろう

おそらく四十度に熱せられた土に それ以上の昂りが 余韻として残されている


四十九代表 七百三十五名のそれぞれの期待と 興奮と 歓喜と 緊張の足が

確かめ 踏みしめた戦場には 掃いても ならしても消し去れない 青春の心が居座っている

その中で全力を出しきることは難しい ましてや 劇的になど・・・


時間の流れの中でじゅうりんされ 呆然の間に終わることが多い  しかし その第一試合に於て

南の健児たちは 胴上げなしで乗りこんだ意気を見せ 


東の優勝候補は 意気に呑まれることなく Yの勲章を手に入れた 幕は上がった 

今年の夏は いつもより 更に雄々しい牛が 少年の胸にいると見た



何故か、このように暑さの中で高校野球を迎えるのは、久々という気がする。そのせいだろうか、
舞台は整い、待ちかねて幕が上がったという思いがしてならない。

無気力にスタートすると、全体に熱さが伝わるまでに時間がかかる。
しかし、初戦が激しさを見せてくれると、次もそれ以上の高揚を示すものである。

第一日の第一試合、第二試合の延長戦は、昭和39年以来のことだというが、
今や、魂の会わせ鏡となった感のある高校野球が、空騒ぎでない浪漫の一本道として、
光輝く予感がする。 一匹の雄々しい牛を欲しているのは、少年たちより、我々大人の方なのだから。

196名無しさん:2018/07/21(土) 10:01:27
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1983年8月9日  一回戦  「 大魚を逸したか 」 


大魚を逸したか いや そうではない 釣り落した勝利よりも もっと巨大なものを 甲子園から釣り上げた筈だ

慰めの言葉だと思わないでくれ 気休めなどと考えないでくれ 


今日を思えば勝利が価値を持ち 明日を思えば敗戦が意味を持つ さらに 五年 十年 三十年と過ぎた時 

きみたちが釣り落した大魚と 同時に釣り上げた見えない大魚の 本当の重さがわかるに違いない 

それでも勝ちたかったというだろう たとえ 敗戦に 光輝く価値を認めたとしても やはり勝ちたかったというだろう


掌の中にあり ただ指を曲げて 握ればいいだけになっていた 勝利の姿を見たきみたちに 今は言葉はない

しかし あえていわせてくれ 大魚は逸したか いや そうではない 


揚はきらめき  青空は映え 入道雲が氷壁の連なるアルプスに見え 草に陽炎がゆれ 土に逃げ水があり 

きみたちは敢闘した 多分 何年も後 同じように暑い夏の日に きみたちは 釣り上げたものを発見する



更に詩をつづけるなら・・・人と人の戦いでは、きみたちは圧倒した。少年と少年の戦いでは、きみたちは勝者だった。
ただ、西の強豪には魔が棲んでいた・・・と書くだろう。

吉田高校は勝っていた。どう考えても、負けにつながるプログラムは、この試合に限っていうなら、インプットされていない。
スクイズ失敗で、二死無走者、カウント2-3になり、しかもスクイズ出来なかったという動揺のある打者が、
同点の超大ホームランを打つなどとは、どんなコンピューターも予測出来ない答えである。

しかし、逆からいえば、箕島高校には、この不可能を打破する不思議な力が備わっている。
かつて「最高試合」という詩を書いた箕島ー星稜戦をまざまざと思い出し、また、奇跡という言葉を使わせられるのかと思った。

197名無しさん:2018/07/21(土) 11:17:20
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1983年8月10日  一回戦  「 チャンピオン 」 


球児の誰もが口をそろえて 目標はきみたちだという そして 甲子園で戦う相手を選べるのなら 池田とやりたいという

永遠に巡り合う機会がないであろう 弱小の高校の選手までもが 目を輝やかせ きみたちの名前を口にする


3567校の それぞれの15名の選手 5万3505名の球児たち さらに その倍数の 野球を愛する高校生が 池田と戦えたらと思っている

夏に勝ち 春に勝ち 頂点に立った少年たちは 史上初の三連覇をめざして また甲子園にやって来た


きみたちが登場すると スタンドは倍にふくれ上り どよめきが低い興奮でかけ巡る 人々はきみたちに 何を求めているのだろうか

ぼくはきみたちが好きだ  だから 勝つことに慣れないでくれ  勝ったら狂喜してくれ 危機にはおびえてくれ

目を輝やかせ 唇を結び 頬を紅潮させ  勝ったら 飛ぶように駈け 抱き合ってくれ それが三連覇の鍵だ



かつて、これ程までに注目された高校球児たちはいなかったであろう。高校野球にチャンピオンの宿命、双葉山や、ロッキー・マルシアノや、
ニューヨーク・ヤンキースや、ビヨルン・ボルグが背負った不敗の期待を感じるなどとはないことである。
史上初の夏・春・夏の三連覇の期待は、もはや、要求といっていい強さで支配してしまっている。

勝って欲しい、勝たなければならない、というのは何と重いことだろう。 しかし、何と幸福なことだろうともいえる。
重いか、幸福かは、誰のために戦うかできまって来る。池田ナイン、いや、フィフティーン、自身の歓喜のために偉業を引き寄せて欲しい。
余りある活力がほとばしる結果としての勝利を期待している。 笑え、叫べ。

198名無しさん:2018/07/21(土) 15:05:16
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1983年8月11日  一回戦  「 ボールよ走れ 」 


エースであるから 血マメのつぶれた指でボールを握り 懸命に投げつづける 

痛ましさを感じさせないように 動揺を誘わないように 平然をよそおいながら投げる ボールよ 走れ 

もはや 今のぼくには 力を発揮する術も 技を駆使する手だてもない

あるのは ただ ボールよ 走れ と祈ることだけだ


何ということだろう 晴れの甲子園にやって来たというのに 完全でない状態で 投げなければならないとは

学校は七十七年目の初出場で 悲願の達成に湧き返り しかも 対戦相手は 願ってもない強豪だ


おそれるものか 巨象だって倒れないわけではない 前脚を折りたたみ 地響きをたてることだってある

それを夢見ていた ボールよ 走れ うなりを上げて行ってくれ せめて百球だけ 百球だけ走ってくれ


巨象は倒せないか 七十七年目は飾れないだろうか エースであるから投げつづける 懸命に・・・ 

しかし 巨象は無傷で立っている



北陸高の竹内投手が、右手中指のマメをつぶし、おそらくは血染めのボールとしながら投げつづける姿を見て、
声をかけてあげたい。 出来れば、胸の内なる思いを代弁してあげたいという気持ちになった。

彼の姿から、悲壮さが感じられたら、そうは思わなかったであろう。 悲壮でなく、ひたむきさ、
真面目さであったから、そんな気になったのである。 悲壮感を賛美するつもりはさらさらない。

合理的にものを考えれば、明らかな負傷者に競技させることはない、ということになる。
しかし、人のドラマは合理では成立しない。 合理でいえば、負傷さえ不注意、不届きということになるのだが、
そうであっても思いはある。 代弁してもいいじゃないか。

199名無しさん:2018/07/22(日) 10:13:18
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1983年8月12日  一回戦  「 大器に贈る言葉 」


甲子園が大器に微笑むとは限らない 時に 過酷な仕打ち わざとらしい程の 冷淡さを示すことがある

大器が評判通りの大器として 喝采も栄光も未来までも 手に入れたというのは少い


大器であればこそ なお 好意という名の微笑は示さない それが甲子園なのだ 

甲子園は母にもなり 父にもなる きみには 多分 父の心で接したのだろう


しかし 厳格でやさしい父は 喝采と栄光はとり上げたけれど 未来に対しては文句なく 目を細めてくれた筈だ 

もう一本 あと一本 あるいは あと一球の選択で 局面は変わったかもしれない 

もう一本 あと一本 あるいは あと一球の選択で きみの手には 喝采と栄光も残されたかもしれない。


しかし 終ってみれば敗戦投手だった 甲子園の一番大きな贈り物は 試練とともに手渡した未来だ

母のぬくもりは示してくれなかったが 炎熱のもとで 父の大きな愛情に育まれた大器よ 

きみのたった一度の甲子園は 余りにも短く早く行き過ぎたが きみなら どこででも会える 何しろ未来を手にしたのだから 



騒がれた大器が、評判通りの活躍を示し、幸運にも恵まれるということは数少ない。
大抵は悲劇の、という語られ方をして、甲子園を去っていく。 創価高校の小野投手も、その例かもしれないが、
悲劇の、とはいいたくない。 個人の格闘技でない限り、当り前のことなのである。

小野投手は、久々に感じる、君臨するエースというタイプで、それはそれで楽しみにしていた。
しかし、野球は面白い。 五回に、この君臨エースが打者の時、長打の欲求を捨ててバントヒットを成功させてから、
その後のピッチングが目に見えてよくなった。 それだけでも収穫は大きいだろう。

200名無しさん:2018/07/22(日) 11:18:19
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1983年8月13日  二回戦  「 突然のヒーロー 」


でっかいことをやってしまったよ 二年生のヒーローは 後になってふるえるかもしれない 

周囲の興奮が鎮まり 一人になった時に初めて 掌から二の腕に伝導する 快いしびれに似た感触や 

楽器よりも美しく 弾よりも激しい 球音を思い出すだろう


そして それは おそらく  一生忘れないに違いない そうなのだ  きみは でっかいことをやってしまったのだ

ヒーローは突然誕生する 甲子園という奇跡づくりの名手は 晴れがましさの切符をちぎって

突然に手渡す 手渡しされたことを 気づかない人もいれば きみのように 二枚も使う人もいる


さぞかし 運命論者の甲子園も 満足したことだろう 乱戦の幕切れは 逆転サヨナラ・ホームラン

史上二人目 甲子園未勝利の暗雲は 一気に晴れ上り 歓喜の太陽を呼び戻した


一球は 勝者と敗者を瞬時に逆転させ その過酷な運命の仕組を 戦慄とともに見せつけた

逆転サヨナラ・ホームラン まさに でっかいことをやってしまったよ

この日 南の海を大型台風が ゆっくりと北上していたが 甲子園は青空だった



劇的なヒーローを讃えるというのは、一方で心が痛む。 スポットライトを浴びた宇部商浜口大作選手の対極に、
どうしても悲運の人を思ってしまう。 七回、ピンチでリリーフに立った山下投手の、
冷静な投球に心引かれていたから尚更である。

一球の魔性、冷酷さ、あるいは、劇的要素というものを感じないわけにはいかない。
とんでもない感傷かもしれないが。 さて、この試合に限らず、今大会はスクイズの失敗が多い。
どうやら、これは、監督と選手の間に、甲子園の野球に対するイメージの違いが生じて来た結果だと思うのだが、
どうだろうか。

201名無しさん:2018/07/22(日) 12:31:15
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1983年8月14日  二回戦  「 49番目 」


次々に校歌が流れ 校旗が真夏にひるがえり ヒーローが生まれ 敗者の涙が土を濡らし

熱狂のドラマが始まっているのに 戦う相手がきまらない 早くしてくれ 秋になってしまう 


49番目のチーム駒大岩見沢高校 ヒグマといわれる少年たちが 満を持して登場した日は

夏を一気に秋に変えるつもりの台風が ジワリと接近して来た日で 雲が湧き 時にちぎれて飛ぶ

青空は凄惨な色を見せ 東の風 9・1メートル 波乱を感じさせる舞台だった


ヒグマたちよ さあ 舞台は整った ヒグマたちよ ためこんだ闘志を吐き出してくれ 

相手にとって不足はない 奇跡の神話を 野性の雄叫びで覆そう 元気を出せば何でも出来る

落胆の色も 焦燥のかげりも まるで無いようだ 元気を出せば何でも出来る 


本領を発揮した九回には 奇跡の神話が少しだけ傾いた どうやら ヒグマたちは 今年の夏に間に合った 

49番目は33・3度の夏の中で 嵐の音楽までつけながら すこぶる元気だった



49番目というのがひどく気になる。相手がきまらない学校が一つだけあるということである。
特に不運ということでも、物理的に不利ということでもないが、やはり、たった一校だけ残っているというのは、
心理的には微妙に響くであろう。

去年の49番目はどこだろうと調べてみたら、石川の星稜高校で、遅れてひき当てた対戦校は早稲田実業で、
そのせいでもあるまいが10対1で大敗している。 興奮と緊張とある種の恐怖感も抱いてやって来ていながら、
それらを照らし合わせる標的を持たないというのはどうだろう。
仕方ないといえばそれまでだが、49番目から優勝校を出して安心したい気持ちさえする。

202名無しさん:2018/07/22(日) 15:03:21
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1983年8月15日  二回戦  「 逃げない清野 」


朝 胸さわぎがした 試合直前にもした もしかして 池田が倒れるのではないか しかし 

そんなロマンチックな胸さわぎは 滑稽な白日夢で 終わってみると 陶然とするような戦慄だけが残った

20安打12点  そして 4安打 完封 何という強さなのだ 


清野投手は逃げない 打たれても 打たれても 真向から投げこんでくる  顎から汗をしたたらせ

乾いた唇を噛み まるで 小型で勇気のある日本犬のようだ  おびえを見せない 救けを求めない

ワンサイド・ゲ-ムでありながら 悲惨さはない 勝負している 戦っている


逃げまどい 姑息に策を弄し それがまた墓穴になるという 乱戦ではない 

12対0でありながら 最後まで美しい緊張の糸はあった  多分 勝者も 彼の勇気を称えるだろう


雨が降って来た 小雨の粒を蹴ちらしながら 球は飛び 球音がほとんどきれまなく

甲子園を覆った雲にこだましつづけ  五万八千の観衆は息を呑んだ 

この猛烈な少年たちを ひきとめる者はいるのだろうか もはや 胸さわぎさえあてにならないのだ



強さに絶対というものはない。ましてや、団体競技ともなると、どこかに弱点が潜んでいるかもしれないし、
その弱点が思いがけない動きをするということもあり得る。 

池田高校にも絶対ということはない。とするのが常識であり、見識であろうが、
今日の池田を見る限りあるいは絶対ということもあるかもしれない、という気がして来るのである。

高鍋・清野投手はまさに乱打されたが決して悪くはなかった。
好投手が好投しながら20安打12点である。一体彼らは何者なのだろう。

203名無しさん:2018/07/22(日) 16:31:16
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」 

1983年8月16日  二回戦  「 ロマンは明日に 」


あのしなやかな躰の あの逞しく張った腰の あの大きな手の 長い指の 

そして 赤胴色の太陽の子の キッと吊り上った眼の 黒々と対象を射る瞳の 

これこそ投手だという條件を 全てそろえた少年に 栄光だけがない


ひょろりと背の高い少年が 若さにまかせて速い球を投げ しかし若さ故に自滅し 涙を呑んだ時から 

一年たち 見違えるような逞しさを身につけ 一年たち  投球術にも熟練が加わり 

そういう未完から完成への道を うっとりとして見つめながら 

ぼくらは 沖縄の歴史に新しい一ページを 確実に飾る日を夢みていた


今年こそ大旗は海を渡るだろう 今年こそ大旗は海を渡るだろう 悪夢は二度くり返された 

まるで ヴィデオ・テープを見るように 去年と同じ相手に 同じように敗れてしまった


大望を托された仲田幸司から 興南高ナインから 熱い視線で見つめた沖縄から 栄光の二文字はかき消えた 

あの少年は去る  ロマンは明日に残された



去年、たった2安打におさえながら、その2安打を四球がらみの時に集中され、悪夢のように4点を失った興南が、
今年もまた、同じ相手に、ワン・チャンスの逆転ではないけれどムードとしては同じの、敗戦を喫してしまった。

興南にとっては、三年計画のラストチャンスであっただけに、無念の敗戦だと思う。
これで、大旗は遠くなったか、それはわからない。 仲田幸司以上の大器を擁して出て来ることも考えられる。

いずれにしても、代表校が優勝候補に数えられるレベルになっている。 体力が出来た、技術も磨いた。
あとは、野球とは、今どこにボールがあり、どんな意味を持っているか、というイメージであろう。

204名無しさん:2018/07/28(土) 11:11:17
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」 

1983年8月17日  三回戦  「 チャンスをありがとう 」


希望とは決して諦めないこと そして 希望とは決して裏切らないもの 多分 きみたちは そう確信しただろう

また こうも思ったかもしれない 幸運は 数少ないチャンスに最大の誠意を尽して 初めて訪れるものだと


背番号12の控え選手に 突如巡って来たチャンスは もしかしたら 甲子園の 想い出づくりだったかもしれない

打席に立つことに意味のある 三年間野球をやったことを よかったと確認する そんな出番だったかもしれない


戦局は不利で 4点をリードされ もう甲子園で 打席は訪れない チャンスに対して誠意を その思いが反撃の口火となった

そして 思いがけなくチャンスは二度訪れた チームは絶望から希望へ 諦めない強さを示して同点になっていた


同点打は ダイビングするレフトのグラブに あと10センチの明暗を示して ヒットになっていた 誰かが 何かが

チャンスを二度くれたのだ 背番号12の控え選手は その好意に最大の誠意で応えた ライト線を破った

ダイヤモンドを一周し 本塁にヘッドスライディングする もう一人の殊勲者の姿が見えた やったぞ!



チャンスの神様は前髪で、来たと思う時につかまないと、行き過ぎてからは、毛のない後頭部はつかめない。
とは昔からいわれている言葉である。 しかし、これはチャンスの到来に気がつくつかないの問題ではなく、
その巡り合いが如何に貴重なものであるかということを、感じるかということであろう。

4-0を八回、九回で逆転した久留米商の重松選手、彼に二度巡って来たチャンスへの対し方を見ていると、
何故か心うたれるものがあった。 石貫の同点打の時の一つのドラマ、その余韻の中でのもう一つのドラマ、
全く甲子園は油断のならない脚本家である。

205名無しさん:2018/07/28(土) 12:20:20
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」 

1983年8月18日  三回戦  「 巨大な好敵手よ 」


さあ 待っていてくれ 全てが整った いつ どこで出会っても たじろぐことはない 躰に力をみなぎらせ

心に闘争心をたぎらせ 目に敬意を 唇に微笑みを そして あふれる歓びで好敵手に会える

必ずやって来てくれ 必ず行く 巨大な好敵手よ もう胸を借りるなどといわない 


春にきみらと対した時 ぼくらは戦う相手でありながら どこか陶然としているところがあった

栄光の決勝戦だというのに 獅子の手強さと 岩の手応えに 動かし難いものを感じ

何て強いのだと讃えていた それ程きみらは圧倒的だった


しかし 今は違う 夏は違う もううっとりすることはない 対等に それ以上に 戦えることを誇りに思っている

最後の夏をきみらと一緒に終らせたい 甲子園が凍りつく投手戦でもいい 甲子園が沸騰する打撃戦でもいい


五十八年の夏といったら あれ と人が思い出すような 完全燃焼の最高試合をやりたい

そして きみらに会えたことを喜びたい ぼくらに会えたことを よかったと思わせたい さあ・・・



学法石川には気の毒だが、今日の横浜商の猛打を見て、これは池田高校への熱いラブレターだと思った。
それは同時に挑戦状でもある。 ラブレターを届ける相手を持った時代というのが一番幸福で、特に男は、
少年であれ、大人であれ常に誰か、敬意をはらえる誰かに対して、書きつづけるものなのだ。 

男の場合、大抵は敬意に満ちた挑戦状という形をとる。 19点という大量得点をあげた試合で、
勝者の方が緊張を保つのに苦心し、常に点差のない状況の戦法をとっていたのが印象に残った。
その姿こそ、ラブレターを出し得る力を備えたという自信ではないかと思う。
神はこの二枚を会わせてくれるだろうか。

206名無しさん:2018/07/28(土) 15:36:17
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」 

1983年8月19日  準々決勝  「 価値ある敗戦投手 」


くずおれた膝を汚した泥は 夏の終止符だった 傾いた躰をささえながら ふり仰いだ空には

既に秋の色が漂い始めていた 何万球という球を投げた三年間が 一球で余韻もなく終ってしまった

熱戦はそこまでだった ダイヤモンドを一周する殊勲者が 無縁の風景に見えた


記録には 敗戦投手野中としか残らない 被安打14 失点3 準決勝進出ならずとしか残らない

マウンド上で如何に美しく 男としての魅力に満ちていたかは 数字の行間には記されない

ただ 他の試合 他の投手と変りなく 烙印のような 敗戦投手


出来るなら その四文字を この日を思い出させる言葉で 飾ってあげたい 胸が熱くなり 興奮にふるえ 

そして 女々しくない感傷に浸れるような・・・  その熱投を その敢闘を忘れない 


何年か先になって 記録を見て 敗戦投手の文字に出会っても 必ず 価値ある敗戦投手であったと

思い出すに違いない 敗れても大きく見える少年よ 静かで 熱くて 狂おしい 稀に見る熱戦だった 



今年ほど、一つの学校を対極に置いて、全てのドラマが見えて来るという大会は、いまだかつて無かったであろう。
池田高校と対戦しようが、全く組合わせの上では無縁で過ぎて行こうが、当事者も、ファンも、池田を重ねて考えてみる。
投手が快投すれば、これは池田に通じるかと思い、打線が爆発すれば、水野をもこのように打てるだろうかと考える。

池田を除く48校が、常に池田神話の中で戦いをすすめた。 考えれば、ものすごい学校が存在するものだということになる。
対戦前は可能性を語り、対戦後は絶望を語っている。 可能性は10%、絶望は100%である。
さて、野中投手の胸には何%でのこったのであろうか。

207名無しさん:2018/07/29(日) 10:16:17
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」 

1983年8月20日  準決勝  「 やまびこが消えた日 」


まさか それは事件だった 池田が敗れた瞬間 超満員の観衆は 勝者への拍手を忘れ

まるで母国の敗戦の報を聴くように 重苦しい沈黙を漂わせた


雲の多い夏空に 麦わらのようなとんぼが飛び 季節は静かに移ろうとしていた たかが高校野球の

たかが一高校に対する  思い入れとしては度が過ぎる 

人々は この少年たちに 何を夢見 何を托していたのだろうか そして 今 何を失い 何に呆然としているのだろうか 


少年たちが かくまでに 人の心の中で築き上げて来た ロマンの大きさに 今 少年たちが敗者となった今

初めて気がつくのだ 甲子園にこだましつづけた山彦が 何かに吸いとられたように消えた日

気温は29.8度と真夏日をきった そして 池田が敗れた まさに それは事件だった 


人々よ呆然自失はおかしい 立ち上って拍手を 山彦にもまさる拍手を 甲子園にこだまし 

渦を巻き 虹を吐きながら上昇する風のように 惜しみない拍手を 少年たちが去って行く

背中に最後の夏の日を浴びて 少年たちが去って行く  普通の少年たちに戻るために



池田高校野球部というのは、思えば、常人の夢であったに違いない。
管理社会の中にあって、虹をつかむことも、雲にのることも、もはやあり得ないと、諦めていた男たちに、
一筋の光明を与え、その光明が天下をも照らし得ることを証明した。

高校野球の歴史の中で、圧倒的強さを示した学校は幾つもある。 名門といわれ、強豪といわれた。
しかし、池田は、それらとは少し違っている。 彼らは誰よりも強く、勝ちつづけたが、強豪校という思い方はしない。
いくら強くても、いくら勝っても、ロマンの旅人のような、素朴なサクセス・ストーリーが似合っていた。
二年もつづけて、いい夏をありがとう。

208名無しさん:2018/07/29(日) 11:25:19
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」 

1983年8月21日  決勝  「 はじめは小石だった 」


何でもない小石が 一つ勝つことに光を放ち 最後には とうとう たった一つの宝石になってしまった

石が磨かれて光沢を帯びる過程を あるいは 生命の神秘を見せて さまざまに姿を変えて行く

動物たちの不思議を ぼくらは PL学園チームに見た


昨日が1なら 今日は2になっていた 今日が2なら 明日は4になる 初戦と最後では 10倍以上の力の差があった

みんな この甲子園で誕生した 思いきり羽根をのばして 殻を破った そして 高く高く翔上がった


未知数はあくまで未知数で ロマンは感じても 信じることは難しい

しかし 未知への期待が全ての扉を開いた そんな優勝だった 


二週間前 甲子園は49代表で埋めつくされ 太陽は燃え 土は焼け 狂おしい夏の祭りに蒸気を吐いていた

たった二週間前 興奮が躰じゅうを駈け巡り 列島は白く浮き上がっていた みんな去って行った

たった二つ残った学校が 影をひきながら行進し 本当にみんな去って行った アドバルーンが風を見ていた 



夏の高校野球は、準々決勝を頂点にして、急激にもの悲しくなる。 大会として、
いよいよ最後の栄光を手にするものは誰かという、クライマックスに入って行くのだが思いとしてはひどく悲しい。 
この感傷が、また魅力の一つでもあるのだろう。 正直いって、いま、躰の支えがなくなったような頼りなさを感じている。

今年の大会は暑かった。 台風が二つも襲来していながら、甲子園だけは避けた。
三日しか晴天のなかった去年と比べると、大変な違いである。 池田高校のV3はならなかった。
横浜商は春と同じスコアで決勝で敗れた。 沖縄へはまた海を渡らなかった。 そして、PLが勝った。



1983年の出来事・・・ 東京ディズニーランド開園、 任天堂ファミコン発売、 NHK連続テレビ小説「おしん」

               福本豊939盗塁で世界新記録、 大韓航空機撃墜事件、 三宅島大噴火、

               田中角栄元首相に実刑判決 (ロッキード事件)

209名無しさん:2018/07/29(日) 15:22:13
「 甲子園の詩 ( うた ) 」 はこうして生まれた   阿久さんとの37年  ( 小西良太郎 )



「 判った。そのスケジュールじゃ確かに無理だろうけど、一応本人にどうするか聞いてみてよ 」
阿久悠さんの秘書児島俊さん相手に、こちらはねばった。 あくる日の甲子園準決勝二試合の観戦記執筆をねだる僕。

その日のうちに渡す歌詞が六篇もあるから・・・ と断る彼女。 電話での押し問答に少し隙間が出来て、
阿久さんの答は 「 OK! 」 だった。 ほらね、これが二人のつき合いさ・・・ という得意顔で、僕は翌日の午後、
彼の仕事場へ出かけてテレビ観戦につき合った。


阿久さんが机に向かったのは、小一時間ほどだったろうか。 夕刻、手渡された原稿は、観戦記を超えて一篇のエッセイである。
球児たちの闘いに 「 男の原点 」 を見、時代とのかかわり方を語り、いろどりみたいに入道雲と赤トンボ・・・。


その真情と詩情は 「 君よ八月に熱くなれ 」 のタイトルで、1976年8月21日付けスポーツニッポン新聞の一面を飾った。
それから三年後、 「 あれはいってみれば総論だったでしょ。 その各論を一日一詩にして、期間中連載ってのはどう? 」

「 そうね、面白いかも知れない・・・ 」 月に何度も続けていた食事と雑談の中から 「 阿久悠の甲子園の詩 」 はこうして生まれた。
1979年の夏、連載はスタートした。


阿久さんは球児たちを 「 甲子園という聖地を目指した巡礼者 」 と捉えた。 彼らが青春を賭して戦う姿に 「 正しさ 」 「 美しさ 」
「 清らかさ 」 「 厳しさ 」 「 潔さ 」 を見、それらを限りなく 「 貴いもの 」 とした。 自立から生まれるそんな美点を、
日本人はいつからか見失っている・・・ そういう彼の思いは、おびただしい数のヒット曲や多くの著書にも共通している。


阿久さんの仕事ぶりは、僕らを仰天させた。 テレビの前に座って毎日四試合、一投一打を凝視する。
阿久式スコアブックに色鉛筆で、球児たちの動き、生まれるドラマとその背景が記録される。 ブラウン管から眼をはなさないために、
食事はいつも丼めし。 そんな難行苦行の果てに見つけた、その日一番の感動シーンを詩に書くのだ。


僕は当日の注目カード一試合を見て・・・と依頼した。 ところが野球は筋書のないドラマ、どこでいつ、
どんなクライマックスが生まれるか判らないからと、阿久さんは全試合をフォローする。 そこまでやらなくてもと思っても、
そこまでやらなくては気が済まない阿久さんの誠心誠意に、僕は脱帽するしかない。


「 原稿料は一日一篇分。 十五日間の拘束料は出ないだろうけどさ 」 と彼は笑った。
70年代以降、阿久さんは 「 怪物 」 の名をほしいままにするヒットメーカーだった。 人気者が軒なみ彼の作品を歌った。

そんな仕事を夏の十五日間、完全に中止して甲子園・・・である。 たかがしれた新聞社の原稿料を伝票に起こす都度、
「 彼のこの間の見込み損は億単位になるか!? 」 と、僕は肩をすくめたものだ。

210名無しさん:2018/07/29(日) 17:16:23
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1984年8月8日  開会式  「 もう一つの選手宣誓 」


ちょうど 今  九千キロはなれた海の彼方に オリンピアードの火が燃えている 視線を集め 耳をそば立たせ

涙腺を刺激し 心臓を高鳴らせ 人間の歓喜の祭典に 地球は傾いているぞ

 
そして 今日 もう一つの聖火が 日本の若者の未知なるエネルギーで 点火された 

炎なき炎が 夏という聖火台で 燃えつづける これで地球は真直になるぞ 選手宣誓は 甲子園から未来へと語った


若者が若者の言葉で思考し 若者の言葉で率直に述べた いたずらに蛮声に頼るのではなく しっかりとよく通る声で

しかし 狂気に至らずに 若者を証明した若者を讃えたい 若者の唇に 未来と云う言葉を咲かせた


選手宣誓は素晴らしい 参加校三千七百五校 十万の球児の中の選ばれた一人 

福井商業高校野球部主将 坪井久晃 きみは エドウィン・モーゼスを超えた



真夏日が二十数日つづいている。 熱帯夜も同様で、その寝苦しさをまぎらわせるために、
オリンピックの女子マラソンを見たりする。 ベノイトの完全独走で、面白くもないレースだと思っていたら、
最後の最後、アンデルセンの劇的完走があったりする。

政治がどうのこうのといっても、戦う瞬間には、介入しようのない人間の祭りである。それを見ればいい。
その時は人間ではなく国民になっているのだから。 高校野球もそうである。
我を忘れて、一番正直な、一番基本的な若者の顔を見せてほしいと思う。 

生きものの魅惑と、若さの純度を、形でなく生理で示してくれたなら、過熱という言葉は空しくなる筈である。
さあ始まったと、ぼくも宣誓する。

211名無しさん:2018/08/04(土) 10:05:24

「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1984年8月9日  一回戦  「 凧 凧あがれ 」


風は浮力にもなれば 落下を強いる圧力にもなる 大凧は ガッと風を受けとめ

ギリギリと歯がみしながら耐え ついに 自らの浮力として 天空高く舞い上った 


凧 凧あがれ 天までとどけ  風 風やむな 嵐に変れ 風を我がものにした大凧は

自らのうなりに鼓舞されながら 高く 高く上る 見えなかったものが見えて来る

凧よ そこから何が見える


甲子園は遠州灘の砂丘になった 42度のグラウンドの熱は そこで 試練のつむじ風をつくった

浮くか 落ちるか 過酷な一瞬が地上の凧に訪れた 浮いたぞ 上れるぞ そう感じさせる瞬間が確にあった


0-7からの大逆転は 異常などよめきを巻き起し 絶望という言葉が 甲子園に存在しないと教えた

凧よ どうせそこまであがったら めったに見れないものを 見てみようじゃないか



逆転というのは過酷なもので、した方の興奮で語る分には楽しいが、当然のことに逆転された側がある。
そちら側に立ってしまうと、どのように熱っぽく肩を叩いても、感傷である。
甲子園の魅力の半分以上はこの感傷である。 青春とか、戦うとか、夏とか、有限のものには全て感傷がある。

春の大会に比べて、夏にその色が濃いのは、三年生が卒業するという有限の感傷があるからである。
勝者のみに有頂天になっていると、心ないしわざのように思われる。

それもわからないではないが、いっそ無邪気に称えてしまうこともいいのではないか。
めったにやれないことをやった若者には、その例外を認めてもいいのではないかと、手放しで凧々あがれである。

212名無しさん:2018/08/04(土) 11:31:15
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1984年8月10日  一回戦  「 標的はきまった 」


さあ 諸君 標的はきまったぞ きみらが汗を流し登る山が くっきりと全貌を現わし

過酷なまでに堂々と 高さと 美しさと 見事さを 誇って見せたぞ 


諸君は この山に ひるむか おびえるか それとも 闘志をたぎらせ あるいは 冷静に策を練り

いずれにしても いつかは登らなければならない 楽園をめざすには 必ずこの山を越えねばならない 


PL学園14-1享栄  清原4打数 4安打 2四死球 3ホームラン 桑田被安打3 奪三振11 失点1

全員安打 毎回安打 一試合4ホームラン 


ギラギラの夏の日の中に 優勝候補はいささかの緊張もなく まるで この場が最も心地よいと云うように

それぞれが最高を それぞれが最大を 嬉々として見せた それにしても 何と云う 完璧な船出だろう


さあ 諸君 高校生が同じ高校生を 標的にして恥じることはない すぐれた能力への敬意は 自らをも高める

しかし 諸君 決して始めから屈してはいけない



勝負ごとのロマンには、四冠を宿命づけられているカール・ルイスが、期待通りに栄光を手にして行く絶対のものを、
陶然として見つめるのもあれば、大番狂わせで、モロッコに歴史上初めての金メダルをもたらした、
女子四百メートルハードルの、ナワル・エル・ムータワキルのような意外のものもある。

果たして、今年の高校野球の筋書きは、どちらのロマンを描こうとしているのか、絶対のものか、意外のものか、
どう云う終幕のエクスタシーを与えてくれるのかと、思ってしまった。

それにしても、PL学園が今日示して見せた強さと完全さは、絶句しそうになりそうである。
ロマンの結末は、ぎりぎりまで二つあった方がいい。 日本のモロッコがあったっていい。

213名無しさん:2018/08/04(土) 12:38:20
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1984年8月11日  一回戦  「 入れかわったヒーロー 」


こんな残酷な幕切れを見たことがない その瞬間 二万三千人の観客は 何が起きたのか信じられない目をして

白球の行方を追い ヒーローを讃えることを忘れていた ダイヤモンドを一周するヒーローより

マウンドに立ちつくす悲劇の主人公に 多くの視線はそそがれたのだ 


劇的とは いつの場合も残酷だが それにしても 完璧なお膳立てで劇的を作るとは 残酷を通りこしている 

延長十回裏 法政一高初安打 その初安打がサヨナラ・ホームラン 人々が我に帰り 突然入れかわったヒーローに

喝采を送ったのは 何十秒後であったろうか 記録とは何なのだ 記録によって讃えられる栄光とは・・・


結局 境高 安部投手には 敗戦投手の烙印しか残さない  九回を投げ終え 無安打無得点 投球数百十六

四球一 奪三振九 残塁ゼロ 本来なら晴れやかにお立台に昇り 三年間で最高の投球だと語り 永遠の記録に残される


たった一球の失策を たった一球の好球に変えた末野は 何分の一秒かの ボールとバットの接触に

全てを入れかえる奇跡を見せた



そして詩はつづく。 ヒーローは二人いた。 そう記録に残したい、と。 
何気ない思いで見つめていた試合が、たとえば、この法政一高と境高戦も、単なる貧打線で、大して昂揚もしないでいたが、
いつの間にか、最後に至る伏線になっていることに気がつき、唖然としてしまうことがある。

思えば、小しゃくな伏線の張り方で、片や孤軍奮闘、援軍のないまま快投をつづける投手がいるかと思うと、
片側に直撃の打球を受け、手をしびれさせながら投げる投手がいる。

「 憎らしい程の 」と「 気の毒な程の 」とが、最後の最後で入れかわる。 しかも、十回二死までその状態を引っ張っておいて・・・
こう云う試合を見つめて、大人たちは、つい人生を思ってしまうのだ。

214名無しさん:2018/08/05(日) 10:11:15
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1984年8月12日  一回戦  「 好試合に喝采 」


世の中が 激とか 烈とか 猛の時代になり 好ましいなどと云うささやかな思いは 路傍の石のようになっていたが

なかなか なかなか捨てたものじゃない 好試合は どっこい生きていた


飾りけのない純白のユニホームは 銀粉をまきちらしたような夏の光に ただ一つ許された美しさで 人々は安堵する

何故か見たこともないのに かつての中等野球を想い 少年倶楽部のような感動を覚える 明石高校対北海高校


それ以上を求めることは理想でも それ以上を装うことは空虚である 装うことに誰もが慣れて そもそもを見失いつつあった時

突然原点に出会えたのは 誰かのメッセージの気がする もしかして これが高校野球ではなかったかと


日ざしの強さは影の黒さでわかる 乾いた砂に影がしみついている そして ユニホームの白 いつか見た光景ではないか

驚愕はなかったが満足はあった まさに久々に どちらにも勝たせたいと思う  小さくて偉大な好試合 

明石5-3北海  延長11回 勝っても 負けても きみたちはチャーミングだ



ホームランに慣れて来ると、ホームランの出ない試合で興奮することが難しくなる。
第一、今日まで、十八試合でホームランのない試合は、三分の一の六試合しかない。
かなりキッチリした試合でも、ホームランがないために、スリルに乏しい凡戦に思えたりする。

しかし、そうではないことが今日証明されたように思う。 「 らしい 」とか「 かくあるべき 」と云うつもりはさらさらないし、
それの強制は嫌悪するが、しかし、忘れていたいいものを発見することは嬉しいものである。
野球が変わったを云い訳にしないように、もう一度、それぞれの野球を見つめてみてはどうだろう。

215名無しさん:2018/08/05(日) 11:38:53
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1984年8月13日  二回戦  「 候補が敗れた日 」


瀬古が敗れ キャステラが敗れ イカンガーが敗れ 宗兄弟が敗れ サラザールが敗れた日

箕島が早々と甲子園を去った 八月十三日 今日は 候補が敗れる日かもしれない

そして 八月十三日を勝者の日としたのは カルロス・ロペスと取手二高だった


甲子園で数々の魔術を演じて見せ 幾度となく奇跡を呼び起し 神話になり 伝説になり

語りぐさになった逆転を 今日は 取手二高がやって見せた 


突然の雨も 水をさすのではなく 火にそそぐ油となるとは 如何にも魔術らしいではないか

しかし 魔術で勝ったのか いや そうではない 劣勢に耐えつづけた粘力が 壮大なワンチャンスを与えた

それに応えたエネルギーが 魔術に見えただけだ


エースは九回裏になって エースの美意識を発見した いい球と悪い球の他に 美しい球と美しくない球のあることを

エースは実感したようだ 逆転の魔術より 自然の才能開花の魔術の方が 見ていて嬉しい

八月十三日 候補が敗れた日 新たな候補が誕生した



強いと云われるチームが、真に強豪ぶりを発揮するとか、逸材と云われる選手が、真に怪童ぶりを示すには、
そのままの力競べでは駄目で、一皮むける必要がある。 

これが何より難しくて、筋力を鍛えても、二百球投げても、マシーンを打ちつづけても、一皮はむけない。
何故なら、時と、場と、相手と、状況が必要なもので、もし、運、不運と云うことを云うなら勝敗ではなく、
一皮むける機会に恵まれたかどうかを論じるべきであろう。

それは、試練とチャンスで、この一つしかない機会に化けられたチームなり、選手なりは、一皮むける。
取手二高と、そして、エースの石田投手は、そうなった気がする。九回裏には別人に見えたから。



取手二の茨城県勢初優勝が、阿久悠さんには見えた瞬間だったのでしょうか。
エースだった石田さんは、直腸癌のため、41歳の若さで天国に旅立っています。

216名無しさん:2018/08/05(日) 12:56:15
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1984年8月14日  二回戦  「 小さい勇者 」


百六十九センチ 五十五キロ なで肩の華奢な躰と 少年の面影を残す小造りの顔は その数字よりはるかに小さく見える 

まるで 猛々しい牡牛に対する闘牛士が 紅顔の少年であったというように 人々は不安にさえ思う

しかし やがて その不安が 思い過しであったことを知るのだ 


強打者のわずかな弱点に 針の穴を通すような神経を使う投手に 胸が痛くなるような感動を覚える

行ってくれ 思うところへ行ってくれ  一球一球に祈るようだ


ボール一つ狂っても 強打を浴びてしまう緊張の中で 明石・高橋投手は投げつづけた 

勝つとか 負けるとかを超越して 一球の成功を喜び  一球の失敗を痛ましく思い

そして ワンサイドでありながら弛緩せず 声援を送ったというのも珍しい


試合開始から終りまで その表情は全く変らない 気負いも おびえも 落胆もない 

表情を変えることによって ぎりぎりの緊張や  めいっぱいの勇気や考えぬいた知恵がくずれてしまう 

そう信じているかのようだった  巨大なものに立向う時の人の姿 そう 人の姿という大切なことを 敗戦投手は教えてくれた 



PLの強打線に立ち向かう明石高橋投手のストライク・ゾーンは、葉書き程の大きさしかなかったに違いない。
残念ながら球威のない彼は、その葉書きの大きさに命中させるしか活路はない。
ぼくは、一人の投手が、一球を投げるのに、これ程考え、これ程祈り、冷静に投げようとした姿を見たことがない。

それは、野球というより、射撃か、アーチェリーかを息を詰めて見ているような感じで、
彼が設定したであろう標的をボールが通ると、ホッとしていた。 それにしても、その標的を少しでも外すと、
確実に打ち込んで来るPL学園の強打は恐るべきもので、これだけ凄いと敵役にされてしまいそうだ。

217名無しさん:2018/08/11(土) 10:07:04
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1984年8月15日  二回戦  「 無傷の甲子園 」


ブルーライト・ヨコハマを 甲子園で聴くのも妙なものだが その昔 アメリカだって セントルイス・ブルースを

マーチにして行進したのだから 妙ともいいきれない 


あの昭和46年を想い出すために さん然と輝く栄光の記憶を よみがえらせるために

歩いても 歩いてもは マーチになる 甲子園七連勝 桐蔭学園


小粒は非力ということではない それどころか 堂々の技と したたかな知恵と 心も細胞までもフリーにして

たとえば弾力のある壁のように 相手の力を吸収する


気を合せ 気を外し 気を呑み 凡にして非凡な集団の野球は しなやかな武道を思わせる

まことに平凡に見える ゴツゴツしたところがない 当たり前のことを 当たり前のように

律儀に積み重ねながら いつの間にか 当たり前でない結果を出している


昭和46年 初出場初優勝 その年 ブルーライト・ヨコハマ ヒット 

昭和59年 あとでマーチにする曲は何か? 8月15日 正午 黙とう 60秒間 時間が静止した



桐蔭学園の関川浩一選手が、今大会の選手中、一番若いということである。
昭和44年4月1日生まれというから、生まれた時既に戦後は四半世紀を過ぎようとしていたわけだ。
当然のことに時は流れ、過去は遠くなる。 忘却も激しいし、今いったように忘却ですらない世代もいる。

戦争を語ることに気をとられ過ぎ、いつの間にか疲れてしまったが、平和はどこから来たか、
という話し方では語っておいた方がいいだろう。 黙とうの光景を見つめながら、そして、その後、
昭和42年、43年、44年生まれという若者を見つめながら、そう思う。

さて、まことに唐突だが、今日の桐蔭学園の試合を見て、筋書きの変更を感じないだろうか?
これは予感だが・・・。

218名無しさん:2018/08/11(土) 11:26:17
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1984年8月16日  二回戦  「 夏の日に桜散る 」


老監督は前屈みにならない 背筋をのばし 端然と ベンチの前にいる 

甲子園出場が嬉しいと語った時は 稚気にも似た含羞を見せていたが 今は 夏という季節と 

子供という活力を同時に見ながら 一徹さと 冷哲さと そして 時に 詩人のような顔を見せる 


日大一高 高橋理監督 六十一才  子供たち 十六才  十七才  十八才

日大一高 夏の日に 桜咲くか散るか 二回戦 スタンドはスクールカラーの 時ならぬ桜のあざやか色

揺れ どよめき 時折しずまる 老監督の目差しを受けて エースは力投する 


四十数才の年令の差も 白球を中に置き 魂を燃焼させることを語り合えば 全てが埋まる 

だからエースは再三の危機をしのぎ 汗にまみれて投げつづける


入道雲が湧き立つ コバルトブルーの空が秋を拒む  だが 秋は影に棲みついている 勝利は逃げた 

伏兵の一振りが決勝点になった  老監督はベンチの前に立ち 帽子を脱ぎ 両手を膝に置き一礼する

その時 初めて 六十一才のように思えた  しかし 多分 胸のうちは 来年また来ますであっただろう



今日は、人そのものが気になる日であった。 試合経過の中の働きに応じた評価や讃辞ではなく、
人間そのものの個性とか、人格とか、魅惑と云ったものである。 日大一高の高橋監督のことは何も知らない。
六十一才で、やがて六十二才になる今大会の最年長監督であると云うことぐらいである。

第三試合になって、急に眩しくなり、その強烈な光の中で老監督の姿を見たら、
何か日本の美意識を持ちつづけている人のように思えて来た。 それで詩にした。 フィクションである。

甲子園の高校野球の魅力は、多分に、フィクションを思い描ける人物に出会うことにあるのではないかと思う。
沖縄水産城間投手の、猟師を思わせる風貌、部厚い胸板、事実素もぐりが得意だと云う話などをきくと、嬉しくなる。



この頃は、61歳で老監督だったようですね。 今なら70歳過ぎというところでしょうか。
智弁和歌山の監督は72歳、興南の監督は68歳、創志の監督は65歳、まだ元気でやれそう。
群馬県の利根商、豊田監督は、今年82歳で監督を退くそうです。 この夏、試合前のシートノックもやった。

219名無しさん:2018/08/11(土) 12:52:21
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1984年8月17日  三回戦  「 竜二への鎮魂歌 」


田口竜二投手 きみにとっての甲子園は 何だったのだろうか それは記録が語るように

悲運の証明に過ぎなかったのだろうか  思いがけない陥穽が 常にきみの栄光をはばみはしたが

しかし 悲運の投手という呼び名は きみ自身が固辞してほしい  


いや 甲子園は ぼくの荒野であり 大洋であり 峻険な山でしたと 負け惜しみでなく語ってほしい

荒野の渇きに 大洋の怒号に 山の神秘に勝てなかったのだと 謙虚に思ってほしい

その時 きっと 甲子園は勲章になるだろう


真夏日が暦にさからって照りつける日 五万の大観衆の吐息と いくぶんかのはげましの拍手の中で

きみの甲子園はたしかに終った  蟻の一穴が大洪水を招く教訓も  平常心が如何に難事であるかも

力とは何かも 挑むとは何かも 甲子園の砂よりも多くのものを 少々手荒く覚えさせられた


そして きみは去る その背中に これだけはいいたい いつか万全の姿のきみを見たいと・・・

きみはまだ ぼくたちに 完璧という姿を見せていない それを見せつける責任が きみにはある 



田口竜二投手は、いつの間にか、打倒PL学園の切札にさせられてしまった。
PLが強さを発揮すればするだけ、人々の期待は、この大型の左腕投手にそそがれるのである。
もしかして、田口なら、あの強打を封じられるかもしれない、と人々は勝手に思うのである。

それは、ある意味では大器といわれる人の宿命で、常に多くの夢やら、希望やら、
中には身勝手な願いまでを背負わせようとする。 地元の期待だけでも大変なのに、
全国の野球ファンの祈りまで背負わされてはたまらない。

春の雪辱という意識も逆作用して、都城のチームごと自滅した。 大器に望みたい。
この大器に欠けるものがあるとするなら鋭さだろう。

悲運を切り裂く刃物のような肉体をつくり上げてほしいと思う。

220名無しさん:2018/08/11(土) 15:12:22
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1984年8月18日  三回戦  「 モロッコの金メダル 」


粘り強く あくまでも粘り強く 耐えて 耐えて 耐えぬき  そして いつか活路を見出す

1点ぐらいと思えば5点になる  もう駄目かと思えば全てが崩れる


一勝したら充分だと甘えたら 相手の蹂りんにまかせて恥をかく 精神の揺らぎをぎりぎりで保ち

念力で いや 恐るべき念力で 危機を切り抜けつづけた 新潟南高校 


それは あたかも 野球の一回の危機など 日本海の風雪に比べたら 何のことはないといわんばかりに

黙々と しかし 烈々と 投げ 守った 危機は何度あったか 毎回が危機でありながら 崖っぷちで力を発揮する


冷徹さも 闘争心も その時になって底力を見せる 決して諦めないこと これですよといわんばかりに

決して諦めないこと 普通のことですよといわんばかりに エースが耐えて 投げぬき 


代打の主将が追撃の火をつけ 超美技のレフトが そのラッキーを攻撃に持ち込み あの巨大な 

まことに華やかな エースの一発を誘い出した どうやら モロッコの金メダルは きみたちであるらしい



金メダルのない国へ、最初の一個をもたらす時のロマンは何ともときめく。
モロッコの金メダルでは、何のことかはわからないかもしれないが、今度のオリンピックで、
そのロマンがあったということである。 女性が初の金メダルをモロッコにもたらした。 

新潟県勢がベスト8に進出するのは、昭和になって初めてだということで、これはもう、この時点で快挙である。
そういうところに、ふっと怪童が誕生したり、勝利の奇跡が起こったりすることが、ロマンである。

PL学園が、本命の重圧にもめげず、更に力をつけて見事にそそり立っている今大会。
残るは、モロッコの金メダル的学校の敢闘を称えることで、それが、今日の新潟南の勝利で見つかった。
ロマンチストも野球を見るのである。

221名無しさん:2018/08/12(日) 10:20:23
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1984年8月19日  準々決勝  「 古豪の復活 」


この名前を こんなにいきいきと聴いたのは 何年ぶりだろう この名前は かつて 高校野球そのものであったのだ

大観衆は通路まで埋めつくし コバルトの空を背にして膨れ上る どよめきがピタリと止まり

静寂とさえいえる空気に包まれたのは 緊張という心地よい息苦しさを きみたちが与えたからだ


息詰るとは まさにこのことで 投手戦とは まさにこのことだ PL学園 松山商業 準々決勝第三試合 

気温三十四度七分 快晴 いつもより二倍も三倍も時間をかけ 燃え上る闘争心と はやる気持ちを懸命に鎮めながら

しかし 焦らすでもなく 逃げるでもなく あくまでも大胆に勝負を挑む気迫で 二年生左腕は投げ込む あくまでも勝つ気で


王者が弓なりになり あと半歩で土俵を割る それこそ噛みしめる歯の音や 握りしめる掌の音が聴こえるような

試合には敗れたが 古豪の復活の太陽と 新時代の風を同時に見た 松山商業 この名が今新しく響き始めた 



あの太田幸司の三沢高校を破って優勝して以来といっても、あのが、思い浮かばない世代になっている。
たかが十五年前のことなのだが、歴史的事実も何かで反復継続しない限り、なかなか人々の記憶にはとどまらない。

PL、箕島、早実、池田といえば恐れを抱くが、古豪という名前だけで、相手にプレッシャーはかけられなくなっているのである。
そうなるのに、十五年という時間は充分で、別に人々の記憶がいい加減なわけではない。

松山商は見事に復活した。 いや誕生か。
古豪ということで復活は果たせないが、復活した後には歴史は大きな価値を付ける力がある。
これから先は、また、人にプレッシャーを与えるだろう。

222名無しさん:2018/08/12(日) 11:35:23
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1984年8月20日  準決勝  「 大地の草の詩 」


大地のぬくもりを足裏で知る子は 大地に愛され 育まれる草だ 草は生命の歓びを知り 草は生命の厳しさを知る

草よ 根をはれ 雨が来るぞ 草よ 実をつけろ 風が吹くぞ 緑を語る季節を過ぎて 枯れても死なない草のいのちよ


土と話が出来れば 誰とでも言葉が交せる 掌のぬくもり 指先の凍てつき 土の香の豊かさ すべてが言葉になる

自然を相手にすれば 何とまあ饒舌に生きられることか 大地の草よ 青々とした草よ


夏という季節の中で 草の生命を誇った金足農高よ  きみらの短い夏は おそらく誰よりも熱く 明るく 

そう 草が実をたわわにつけることもあると みんなに教えた 

草の強さを思い知れと 今更いうこともない 草の心を それぞれが 噛みしめて帰ればいいだろう


甲子園には猛暑が居残る しかし 北国ではもうどこかに 秋の気配があるかもしれない

きみらが胸をはって帰ると やがて黄金の季節が訪れる  また 大地とたっぷり話をしてくれ



準々決勝という馬鹿騒ぎが終ると、突然、もう四校しか残っていないのだと気がつき、感傷を覚える。
それは、甲子園で蝉が鳴いたり、赤とんぼが舞ったりする秋の序曲と一致しているせいかもしれない。

王者を決するクライマックスに向っていながら、興奮よりは淋しさが大きく支配するのが夏の高校野球なのだろう。
金足農の健闘は天晴れとしかいいようがない。 しかし、敗れた彼らを送るのに感傷はなく、珍しくときめきがあった。

参加することに意義があるといったオリンピックでさえ、今や、負けることに価値は見い出せなくなっている。
しかし、甲子園には、まだ、敗れても価値ありというのが残っているのである。

223名無しさん:2018/08/12(日) 13:15:15
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1984年8月21日  決勝  「 最後の楽園 」


女は脱皮し 姿を変え 少女から母までその時々の顔を造る 男には脱皮はなく 姿も変えず

ただ年輪という深味を加えるだけで 少年も 青年も ひきずって生きている


大人と見えても 彼方へ石を投げることを試みた少年が そのまま居残っている だから夏に夢中になる

それは 稚気のなせる他愛なさではなく 自らの少年時代との会話なのだ 


三百六十五日のうち たった十四日間だけ 男は少年時代の自分と出会うことを 神から許される

甲子園という舞台と 高校野球という祭を通して 男たちが夢見る最後の楽園なのだ


決勝の日に嵐が列島をかすめ 暗雲がたちこめたり 豪雨が土をはね返したり かと思うと弱々しい陽ざしを

秋の色合いで見せたり いずれにしても 楽園はこの日限りで消えてしまう


壮絶な決勝戦を おそらくは球史に残る熱闘を 男は 時を惜しむ気持で見つめる そして 劇的に試合が決した時

もう 話しかける少年は 男の胸からいなくなっていた  あぁ 勝者取手二高が 笑いながら行進している 



テレビ画面に映し出された甲子園は、灰色の雨が幕となっている光景で、一気に猛暑の熱を奪い去るようであった。
昨日までと違うギラつきのない空を確認しただけで、もうぼくは落ち着きをなくし、胸を痛くしていた。
既に、大人に立ち戻らなければならなくなっている思いに捉われたのだ。

いつも思うことだが、決勝戦はあまり好きではない。 勝者があり、敗者があり、そして決勝戦の敗者というのは、
他の日の敗者と違って、どこへも埋もれないし、拭い去ってくれる何ものもない。

さて、絶対のPL学園が敗れ、彼らもまた少年であることを証明した。
取出二高の勝利は、三年生のしたたかさが二年生を打ち砕いたといえるかもしれない。
利根川を渡りかけ、一旦引き返した大旗は最後に急ぎ足で渡った。



1984年の出来事・・・サラエボ冬季五輪、 植村直己・下山中に行方不明に、 グリコ・森永事件

             NHKが衛星放送の試験放送開始、 新札発行(一万円、五千円、千円札)

224名無しさん:2018/08/18(土) 10:12:18
「 甲子園の詩 」  1984年 あとがきより  ( 阿久悠 )



「 甲子園の詩 」と云うタイトルは、高校野球の詩と云う意味でもある。 それは、ことわるまでもない。
誰もが自然にイメージしてくれる。 それ程、高校野球と甲子園は不可欠のものなのである。

しかし、高校野球と甲子園が結びつかなかった年がある。
戦後、復活第一回の全国中等学校野球大会は、昭和二十一年八月十五日から二十一日までの一週間、
西宮球場で行われた。 甲子園球場は、占領軍に接収されていて使用不能だったのである。
ぼくは、その時代に野球に出会った。


さて、何故高校野球が好きなのかと云われても、答に窮する。 余りに多くの要素があり過ぎるからである。
天才の存在も、鈍才のサクセスも、ゲームの進展の妙も、入道雲も、赤とんぼも、カチワリ氷も、敗者の砂も、
そして、甲子園を存在させている時代も、甲子園を存在させない歴史も、全く同じ重量でもって胸を叩くのである。


胸を叩きつづけるから、毎年見るし、毎試合詩を感じるのである。 それは、どっちが勝ったとか、負けたとかは関係ない。
ぼくの問題なのである。 スポーツを競技者の側から書いたものは沢山ある。 傑作もある。
しかし、スポーツを見る側から書いたものはない。


ぼくは、一球の行方が見る側の胸をどう云う叩き方をするか聞きたいと思っている。 そして、全試合、
一球も目をそらさずに見つづけ、一日一詩を書き、六年が過ぎた。

スポーツニッポン新聞に連載を始めたのは、同紙の小西良太郎運動部長との友情からである。
一つの詩を作者の思い入れとともに扱ってくれるなどと云うことはめったにない。
末尾ではあるが、感謝の気持を託したいと思うのである。

225名無しさん:2018/08/18(土) 11:23:23
金足農、次勝てば34年前の再来  「 KKコンビ 」のPL追い詰めた昭和59年準決勝 



第100回全国高校野球選手権大会で17日、横浜を逆転で破って準々決勝に進んだ金足農。
18日の準々決勝で近江を破れば、「 甲子園有数の名勝負 」と呼ばれる34年前のPL学園との準決勝以来となる。


昭和59年の甲子園。 初出場を果たした金足農は1回戦で強豪・広島商に6-3でまさかの勝利。
別府商を5-3、唐津商を6-4で破り、準々決勝で新潟南に6-0と快勝。
「 雑草軍団 」 「 金農(かなのう)旋風 」と呼ばれた。

準決勝で、2年生だった桑田、,清原を擁するPL学園を八回表まで2-1とリードした。
だが、その裏に清原を四球で出し、桑田に逆転2点本塁打を浴びて敗れた。


エースだった水沢さんは、かつて産経新聞の取材に「 清原を歩かせるつもりはなかった。
彼の持つオーラで制球が乱れたのだと思う 」 「 桑田への球は甘かった。一球の恐ろしさを思い知った 」と振り返った。



この時の詩が「222」、 準決勝 「 大地の草の詩 」。
金足農では、この詩を石に刻んで記念碑としています。

さて、本日の近江も強敵、ドラフト1位候補の吉田投手の疲労が心配。
秋田大会で43回、甲子園3試合で27回(475球)、計70回を一人で投げ続けている。

226名無しさん:2018/08/18(土) 12:26:23
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1985年8月8日  一回戦  「 幕あけ 」


あかあかと燃える人の心の祭が 夏の云う姿を借りて 日本列島に満ちあふれる

祭は 故郷へ帰ることであり 今一度 青春を思うことであり 肉体の活力と純な精神に

大いなる憧憬を抱くことである 生きると活きるが同じ意味を持つ 何とすばらしいことか


夏は過激な昂ぶりをひそめて 噴出を待つ火山のように 劇的な少年の 劇的な幕あけを

静かに待っていた 今年の夏を 期待に満ちた気分にさせたのは 北国の少年たちだった


開会式のどよめきが残る中 サイレンの響きが尾をひく中 激しさを伝える一打が快音を発し

ああ!夏だ・・・と思わせる  それは まさに 台風8号の曇り空を引き裂き 光を呼び戻す役目を果たした


そして 緊迫の接戦を決したのも また 劇的なホームランであった 旭川竜谷高校 

みじかい夏を知る少年たちは 誰よりも 夏に燃えるかもしれない



とうとう始まった。 連続二十日を超える真夏日も、この祭のための序曲であったと考えるのは、
少々はしゃぎ過ぎであろうか。 年々昂揚の度合を増して行く夏の高校野球であるが、
それは、単に野球の試合と言うことを超えて、人々をさまざまに旅させる役目を持っていると思う。

過去へ、可能性へ、情熱へ、奇跡へ、十四日間、人々は、どのコースの旅を選ぶのであろうか。
わが心のうちなる甲子園は、同時に、空とぶ円盤でもあるのだ。 

とにかく、夏は、旭川竜谷の岡田選手の一発で一気に始まった。 この試合、何故か、勝負が決するとするなら、
岡田選手か、大社の板垣選手のホームランになるはずだと、予感がしていたのである。

227名無しさん:2018/08/19(日) 10:12:14
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1985年8月9日  一回戦  「 サヨナラの瞬間 」


突然のENDマークには 感傷ですまされない痛みが伴う サドンデスには 倍する歓喜と倍する残酷さがある

サヨナラの瞬間には いつも二重の思いが駈け巡る これ程に鮮やかに 光と影を描き出すものがあろうか


そこで終ってしまう瞬間に 何が凝縮されるのだろう おそらく 快音の響きの消え残る何秒かに

勝者は勝者として 敗者は敗者として それぞれに信じられないコマ数を 頭の中に巡らせるに違いない


いや 勝者は空かもしれない 敗者こそ多くの人生を見る 少年には重過ぎる程の人生を見る 想像してみるがいい

白球が消え去った彼方から もう拒みようのないENDマークが 迫って来る時の 悔いを そして 戦慄を 怖れを


ドラマチックであればある程 光が鮮やかであればある程 影の部分に思いが走る

それにしても サヨナラ・ゲームとは 誰が名付けたのだろうか 



常に劇的に、劇的に、ドラマチックにと願っていながら、実は、それを怖れているようなところがある。
劇的の昂揚と歓喜だけをみつめているわけにはいかないのである。

どうしても、突然の敗者の方に目が行き、心が捉われてしまう。 高校野球独持の、見る側の心情で、
これはプロにはない。 そして、そう言う心情が高校野球人気を支えていると思う。

東農大二高と智弁学園の一戦は、東農大二高の鮮やかなサヨナラ勝ちであった。
左中間を抜けて行く一つの白球が、運命を決する力を持っているのだと思いながら、ぼくは見つめていた。
実に天晴れな勝利である。 しかし、多くに人の目には、左中間の白い線の残像しか見えていないかもしれない。



昨日、金足農は見事な逆転サヨナラで、34年ぶりに準決勝進出。
無死満塁からの2ランスクイズは凄い、球史に残る試合をまた演じましたね。
8強入りした第77回大会、一回戦の倉吉東戦でも九回に2ランスクイズを決めています。

無死満塁からサインを出した監督の勇気、三塁手前に絶妙なバントを決めた選手、果敢に走りこんだ二塁走者、
そして何より吉田投手のピンチでの踏ん張り、8回と9回の攻守は見応え満点でした。
吉田投手が左股関節を痛めているので、準決勝は厳しいと思いますが、奇跡を期待したいと思います。

228名無しさん:2018/08/19(日) 11:25:25
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1985年8月10日  一回戦  「 九回裏 」


さあ あと一回と思ったかもしれない さあ あと三人と思ったかもしれない 九回の味方の一発は

幻想を確実に変えるだけの力があった 初出場 初勝利の瞬間を 思い描いたとしても無理はない


確かにリードをして 勝利の切符の一点を手にして そして あと一回 あと三人になっているのだ

しかし 九回裏と言う一回は 八回までの一回と まるで異る様相をしていた これは言うなら 時間の砂漠だ


時があるようで刻みがない 果てがあるようで見えない 曖昧な無重力がそこにあった

勝者になるためには この砂漠を迷わずに 歩ききらなければならない

あと一回の果てしなさ あと三人の何と言う無限 少年よ これが現実なのだ


鹿児島商工6-5北陸大谷  九回裏  同点ホームラン サヨナラヒット 勝者への大いなる讃辞 

それにも勝る 初陣北陸大谷への拍手 



初出場北陸大谷の清水投手の第一球は、デッドボールであった。
こんな場合、カッと、逆上と言う気分になるものであろうか、それとも、胸のつかえがスッとおりるような、
むしろ、楽な気持になるものであろうか。 そんなことを、あれこれ考えることから、この試合の観戦は始まった。

それにしても、後半八回、九回になって、このように急激な展開の試合になるとは思ってもみなかった。
ホームランが三本もとび出し、その一本一本が大いなる意味を持って、勝敗の行方を転々とさせた。

相変わらず甲子園は、いや、例年にもまして、次から次へと、少年たちに試練を提出する。
男を磨く機会が全くなくなった今の社会で、甲子園は唯一の場であり、師であるかもしれない。

229名無しさん:2018/08/19(日) 12:35:23
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1985年8月11日  一回戦  「 怪童の條件 」


少年は少年にしか持ち得ない 活力をあふれさせてほしい それは たとえば 

地球の中心に直結しているような 途方もないエネルギーと 果てしない大きさを感じさせることだ


ぼくらは 心のどこかで そう言う少年に出会いたい祈りを持ち 甲子園を見つめる 

そして 大きく勢いのある少年のことを 怪童と呼んだりする 


怪童と言う言葉を口にし あれこれと思い描くだけで 細胞にたっぷりと 酸素が行き渡る感じがする

怪童の條件は 心と言う存在が露出しない 分厚い胸板と 大地の木を思わせる


よく張った腰と太腿と そして 童顔を持つことだ そう どこかで うねりのような 雲のような

曖昧な風のようでもあってほしい 計り難いと言うことも必要だ

高知商 中山裕章投手 黒潮の音がする きみは そんな 怪童の條件に当てはまる



中山投手は、きっと、発表されている体格サイズより、ずっと大きいに違いない。もし、
あの数字に間違いがないとすると、大したものである。 これ程大きく見えると言うことは、非凡の証拠でもある。

野球評論家ではないから、技術よりも存在そのものを見る。 存在によって生じる風のようなものを見る。
これは楽しみの一つでもある。 評論家ではないが、ファンであるから、いろいろとイメージを重ねて見る。

マウンド上のこの少年は、角度によっては、尾崎に見えたり、江夏に見えたり、阪神の中西に見えたりする。
もしかしたら、この先、もっと違う顔がダブって来るかもしれないし、逆に、
たった一つの顔が確立して来るかもしれない。 楽しみである。

230名無しさん:2018/08/19(日) 13:53:26
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1985年8月12日  一回戦  「 雨の中に消ゆ 」


のぞましい灼熱の太陽は 分厚い雨雲のかげで出番を失う ジリジリと照りつける狂騒曲はなく

波乱含みの雨が 動悸と同調する 濡れた土が鈍く光る 銀色に見えるダイヤモンドは 何故か静か過ぎる

北東の風一・五メートル  雨  気温二十五・二度  湿度九十一% これが 神様がくれた戦いの舞台だった


そして あれ程降りつづいた雨が いくぶん小降りになった頃 優勝候補は敗者になっていた

紗幕の彼方の幻想劇のように 戦いは終わっていた 大旗の夢は一瞬に消えたのだ 宇部商8-3銚子商


きみたちの夏は あまりにも早く終わってしまった しかし あの 泥濘の中の果敢なスライディング

全身を墨のように黒くした敢闘や 九回裏二死後 あくまで 最後の打者になることを嫌った 


左中間二塁打に 人の心をうつものを残したきみたちは きっと何かを見つけるだろう

今は日蝕の夏と思えても 自らが示した誠意や闘志は きみたち自身の夏を呼び戻す



ぼくは、自分の小説の中で、主人公に「夢って、汗のようなものですね」と言わせたことがある。
優勝候補と言われた銚子商が、田上投手の力投と、佐藤、福島、二本のホームランの前に宇部商に敗れた瞬間、
いわば、夢が砕けた時に、何故かその言葉を思い出した。

それは、必ずしも、適当とは言えない連想だが、フッと頭にうかんだ。 銚子商の前評判は高かった。
ぼくなども、PL学園は頂点に考えるとしても、次は、高知商、銚子商、
それに、沖縄水産を加えて黒潮ラインを候補と考えていた程である。

夢の無情さを知る。 確認し得ない夢と言うものの存在の恐さを知らされる。
何故夢を抱いたかの材料は確かなのに、夢とイコールにならないのだから。

231名無しさん:2018/08/25(土) 10:15:27
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1985年8月13日  二回戦  「 力尽きても 」

 
投手の視線の先に 神がいると思う 何を投げようかと思案した後 ふと投手が上げる視線の彼方に

何かを答える神がいると見える 見ていてくれ かもしれない 俺をたすけてくれ かもしれない

それ程 投手は孤独なのだ


微笑み うなずき つぶやき 首を曲げ 肩を動かし それは あたかも 充ちあふれた楽しさに

躍るように見えるかもしれないが 孤独との斗いなのだ 陽のあたるマウンドは きらめきに満ちていても

おののきが去るわけではない だから 視線を上げる


東海大工 長縄投手は 見えない誰かと饒舌に語りながら 夏が戻った甲子園で投げつづけた

それは ボクサーの姿に似ていた おそらくは その一球で その一打で 力尽きたに違いない


思わず膝をついたボクサーが 一瞬の後悔と それにもまして感じる 一瞬さわやかな敗北感

それを 感じたに違いない きみの視線は 二度と神を求めなかったし 微笑むことも 躍ることもなかった



投手が、一瞬上げる視線が気になっていた。 勿論、バックネット裏の上方のスコアボードで、
ボールカウントを確認しているのだが、それだけではないように思えるのである。

最も信頼出来る人がそこにいて、うなずきあっている、そんな風に見える顔を投手はするのである。
東海大工の長縄投手は、一球一球に表情を変え一球一球に反応を示し、その心のうちを読みとろうと、
ついついそう云う見方をしてしまった。

七回、押し出し四球の後、スクイズを空振りさせた一球は、そこで力尽きるものをせきとめるものであったが、
九回、強打の上島と対した時には、既に、その魂と力のこもった一球とはならなかった。
シーソーゲームが、終ってみれば、四点の大差になっていたのも、その一球によるものである。



第100回大会は、金足農のお陰で盛り上がった。 次々と私学の強豪を倒した姿は痛快。
5-1鹿児島実。 6-3大垣日大。 5-4横浜。 3-2近江。 2-1日大三。
県立が、一つ勝つのも難しい時代に、私学の強豪に五つ勝った。 よって優勝したのは、金足農と言っていいでしょう。

78回大会の松山商 → 89回大会の佐賀北 → 100回大会の金足農。
次に県立が決勝へ行くのは、早くて111回大会か? もう少し早く見たいものです。

232名無しさん:2018/08/25(土) 12:12:26
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1985年8月14日  二回戦  「 このままでは終らせない 」


このままでは終らせない このままで終れば 身を灼き 汗を絞り 眩暈を起しながら刻んだ時間が

泡沫になってしまう 青春が確固とした青春であるために きみらの選択に悔いを残さないために

このままで終らせてはならない たとえ 勝敗の帰趨は決していても 自らの内なる甲子園はこれからだ


さあ どうだ 君の甲子園は傷ついていないか 理想を失い傾いていないか 夢を忘れて立ちつくしていないか

他の誰のものでもない きみら自身の甲子園を 心の中で辛くさせてはならない

高校生活最後の一回を 悔いなく戦えば甲子園は光る そして永遠に消えない


強豪の容赦のない攻撃は さながら真夏の嵐のように 吹き荒れ 渦巻き 同じ高校生が と言う思いを

粉々に打ち砕き 観客も最後にはただ呆然の 白い壁になっていた

しかし きみらの甲子園は 九回に見事によみがえった もうそれは 消えることがない 

東海大山形7-29PL学園  九回 青春の証明の5点 



陸上競技や水泳の記録なら、手放しでその記録を称讃し、喜ぶことができる。 しかし、野球の記録と言うのは、
それを達成させてしまった相手があるわけで、その心情を思うと複雑である。

それにしても、七日目にして、ようやく、その姿を現わしたPL学園は絶対の本命と言う予想を、
あらためて実証するようなもの凄さで多くの記録を書きかえてしまった。

32安打、毎回得点、29点。 両校併せて41安打も、36得点も新記録である。
得点差新24と言う記録も必至・・・八回を終って27点差あったから・・・と思われていたが、
これは、東海大山形の脅威の反撃で記録にならなかった。 
成らなかった記録に、何故か救われた思いがするのは野球特有、高校野球特有のことであろう。



第100回大会、16日間、阿久悠さんは、どんな詩を感じられたのでしょうか。
逆転サヨナラ2ランスクイズ、輝星、鉄腕、のけ反る、881球、雑草軍団、逆転サヨナラ満塁ホームラン、
吠える、ガッツポーズ、うつ伏せ、いごっそう、74歳と72歳の監督、侍ポーズ、タイブレーク、
103年ぶり、ミラクル、祝100回、連覇、100万人突破、平成最後の夏、虹がかかった。

金足農に偏りすぎるも、この中に、詩になるタイトルが一つあったのでは?
そうだね、タイトルは違うけれど、内容にはあるよ、とおっしゃりそう。
それにしても、閉会式で虹がかかったのは、神の素晴しい演出だったと思います。

233名無しさん:2018/08/25(土) 15:15:22
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1985年8月15日  二回戦  「 北へ 」


今 みちのくは夏のさかりで 光が満ち 青葉はきらめき 風は緑に染まる 人々は唇をなめらかにして 

大旗が北上するロマンを 語っていることだろう  もし きみたちが 最初のロマンの戦士となるなら 

傾く季節を元に戻し 今しばらく明るさを 北の空にとどめるだろう


少年の快挙ほど 人に活力を与えるものはない 少年の理想ほど ときめきを誘うものはない 

理想も快挙も 蜃気楼ではない きみたちが 日常培い そして 胸の中に 蛍光灯に光らせた自信がもたらす 

夏ざかりの北国で 唇をなめらかにしている人々は それを見ていたに違いない


はるかに遠い道が 今は近くに見えて来た 踏み出した爪先の彼方に 何が存在するかもわかって来た

さあ 走ろう 東北高校 さあ走ろう みちのくの健児たち この先の道はけわしくても 見えない道ではない

ロマンは 可能と不可能の 間に存在するのだ



八月十五日、終戦記念日、正午に、戦没者の霊を慰めるための黙とうがあった。 
グラウンドには、沖縄水産と旭川竜谷の選手たちがいた。

「 唯一の陸上戦を経験した県の選手が、この時間にグラウンドにいるのも、何かの縁でしょう 」
と言った沖縄水産の栽監督の談話が伝えられたが、印象的であった。

黙とうの意味を心を、心をつくして語ってやりたい。 この素晴しい夏の祭典を永遠につづかせるためにも、と思う。
今なら、ぼくらが、まだ肉声で語れるのだ。

さて、その後の試合で、東北に大旗が行くロマンを幻想した。
それを口に出来る程の実力校になって来たと言うこともあるが、そればかりではない幸運の味方を強く感じた。
東北に大旗をと言う願いは、東北に新幹線をと言うくらいに強いに違いない。



東北勢はこれまで春3回、夏8回、決勝に進出しているが、優勝旗が“白河の関”を越えてはいない。
仙台育英、花巻東、聖光学院、光星、東北、盛岡大付、、、そんなに遠くない気もしますが・・・。
金足農の大活躍は、東北地区の高校に大いなる刺激になったことでしょう。

234名無しさん:2018/08/26(日) 10:16:22
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1985年8月16日  二回戦  「 たった一球 」


九十七球の投球のうち 思い通りにならなかったのは たった一球だけだった ほかはみな 心をのせ

力をのせ 思いが一条の道となって 生きたボールを運んでいた 静かだが 気魄があると

猛々しくはないが 鋭くはあると 満足していた


九十七球の投球のうち 思い通りにならなかったのは たった一球だけだった そのたった一球が

敗戦につながるものとなった 快音を残してセンターの頭上を越え 走者は踊り上ってホームへ駈け込んだ


指先をはなれた瞬間に どのような思いを抱こうが 決して やり直すことが出来ないのが 野球なのだ

弦を放れた矢を 追いかけることは出来ない 快投も 好投も 熱投も そのたった一球で 敗戦投手と言う記録に隠れた

延岡商 花田投手  久留米商 秋吉投手 稀に見る投手戦も 九回二死後の一球で 勝と敗にわかれた



らしいとは何ぞやと問われるかもしれないが、久留米商と延岡商の一戦は、高校野球らしいと満足を感じる試合であった。
金属バット以前の高校野球の、好ましいと思える要素を全て盛り込んだ好試合であったと思う。

一点を取ることの困難さが原点にあるのが、その頃の野球の特徴で、それはそれで、静かではあるが緊迫感が満ちるものである。
小粒で、豪快なスリルには欠けるが、キリッと引きしまって、さながら、甲子園の真珠と言える試合である。

今日一日は投手が目立った。 珍しくホームランが一本も出ていない。 花田投手、秋吉投手の投げ合いの後、
これは同じ好投でも、また一味違う豪快な高知商中山投手が、六者連続三振などでうならせた。

235名無しさん:2018/08/26(日) 11:27:23
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1985年8月17日  三回戦  「 1フィート 」


幸運と不運はわずか1フィートの差だ 勝利と敗戦もそうだろう 1フィート右か左かで 運命は決してしまう

両手をひろげた捕手の足許へ 熱戦に終止符をうつ走者が 渇いた砂とともに滑り込んだ


終った 負けた ふとふり仰ぐと青空があり キラキラときらめく光の中に 秋が流れているのがわかった

もう夏は戻らない 報われなかった百八十七球が 夏の彼方に消えて行く感傷が どよめきの中にあった


マウンドを降りるスパイクの爪先を 見つめることはなく ただ一瞬の青空を 瞳にうつして歩いた

川之江高校 松下投手 延長十一回を一人で投げぬき しかし サヨナラの歓喜を遠く見つめる 敗戦投手だった


すべてが1フィートの差だった 同点にされた一打も また 勝越をねらって 自らホームをついた時も

1フィートの味方がなかった しかし 熱投に悔いはない 思い通りに投げたのだから



体の中にわき起こって来る興奮や歓喜を、素直に表現すると言うのも気持ちのいいものだが、逆に、黙々と何かを
押し殺しながら、表情を変えることなく投げつづけると言うのも、うたれるものである。

川之江高校の松下投手は後者で、かなりの波乱に見舞われながら、動揺を表すことなく、百八十七球を投げつづけた。
変わりがあるとしたら、十一回で、これは明らかに呼吸の早くなっているさまがわかった。

口の中に渇きがあるようで、唇の動きや、ちょっとのぞく舌の動きで、そうと察せられ、やはり、疲労が極に達していたのだろう。
ただし、これは生理的なもので、感情が顔に表れたと言うことではない。 表情を変えない松下投手が、敗戦の決まった瞬間
天を仰いだが、それが最初の表情の動きだった。


( 延長11回、川之江2-3高知商、高知商のサヨナラ勝ち )

236名無しさん:2018/08/26(日) 12:37:25
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1985年8月18日  三回戦  「 泣くな 一年生 」 


肩の力をぬけ 力みを取り払え 頭を空っぽにして 何も考えるな ただ このミットを目がけて

しなやかに投げろ 此処がどこなのか 今が何なのか 背負った責任が何かなんて 一さい忘れて投げ込め


ストライクが入れば打たれない 思いきりよく 無心に あどけない程無心に投げてくれ よしよし よし その球だ

甲子園が唸るぞ お前の熱球に唸っているぞ 背番号11の一年生が 甲子園の重圧に耐えながら挑む


深呼吸をし 腕をひろげ 呑み込もうと襲いかかる圧力を 逆に呑もうと健気に振舞う 負けてたまるか 負けてたまるか

展開はクライマックスを迎え 一年生に全てが託される 


このまま投げきれば 甲子園に勝てる それと同時に 運命の舞台裏には 残酷と思える劇的さも用意されていた

負けてたまるか 負けてたまるか  九回裏  同点 一死満塁  あぁ 劇的な幕切れはワイルドピッチ 

だが 泣くな一年生 沖縄水産 上原晃投手 きみの非凡さは誰もが見た 



結果は、ワイルドピッチのサヨナラ負けと言う、残酷なことになってしまったが、ぼくらの心の中に、
今大会で最も印象に残る投手の一人となった。 その才能は非凡であり、今から来年の夏を夢想することが出来る程である。

甲子園は、決して甘い笑顔だけは見せてくれないが、その仕打ちの中に、来年を約するものがあったように思う。
七回のピンチ、そして、九回最後の場面と、こんなにも、祈るような気持で、躰を固くして見ていたことはない。

本当に、来年、彼が、この経験をどう活かして帰って来るか、ときめくものを感じる程である。
ベスト8が出そろった。 あと三日になってしまった。


( 沖縄水産5-6鹿児島商工、鹿児島商工の逆転サヨナラ勝ち )

237名無しさん:2018/09/01(土) 10:15:24
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1985年8月19日  準々決勝  「 ワッショイ 」  


君たちは ワッショイがよく似合った 人の歓喜が噴出する時の雄叫び 人にエネルギーを伝達する時の

おさえきれない昂揚の声 ワッショイ ワッショイ それにも増して若さの誇らしさ 闘争心の揺るぎなさ

ワッショイ ワッショイと 君たちは夏に躍った


少年の汚名は その肉体や精神に 精気を感じないと言われることで 君たちは その汚名を見事にそそいだ

少年は かく元気だと 甲子園の土の上で実証した 君たちは 常に躍るようにあった 

ワッショイ ワッショイと 駆け巡っていた


激闘は最後に死闘になった 声にならないワッショイは 叫びつづけ 念じつづけ 最後には涸れるほどだった

蒸気を吐く土の上で 終りの一滴まで汗を流し 気力の欠片も残さずに戦った 完全燃焼と言う言葉の意味を

その時 知ったに違いない さらば 関東一高 君たちは 実に 実に 甲子園の夏がよく似合った



完全燃焼と言う言葉は、口にすることは簡単だが、なかなかそういう機会には出会わない。
仮に出会ったとしても、そう出来るとは限らない。 何かを仕残してしまうものだ。
しかし、東海大甲府ー関東一高のこの試合に関して言えばどちらも完全燃焼をj実感できたのではないかと思う。

大阪では午後二時一分に、三十八度一分を観測した。 甲子園がそれだけあったかどうかわからないが、
猛暑であったことは確かである。 まさに熱戦であった。

それにしても関東一高、惜しくも勝利の女神には見放されたが、その敢闘ぶり、元気ぶり、小さな165センチの
エース木島投手を中心にした集団の活力は、魅力があった。 甲子園を餌にして大きく強くなっていったように思う。


( 東海大甲府8-7関東一 )

238名無しさん:2018/09/01(土) 11:16:18
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1985年8月20日  準決勝  「 ミラクル甲西 」 


甲子園には石ころがない だから プレイが楽でいい そんな気楽さが 奇跡につながったのかもしれない

この最高の晴舞台で 思いきり躍動することが嬉しいと 素直に歓ぶ心が 無心と言う 得難い宝物になったのかもしれない

自分が自分であるために 虚飾を捨てる嫌気さが 勝利を呼んだのかもしれない 


やれば出来ると言う言葉が 空念仏でないことを証明した 甲西高校ナイン 猛暑の中のさわやかな風のように

陽炎の彼方の夢幻の夏景色のように 人々の心に夢を与えた ミラクル甲西 だから 甲子園は見逃せない


きみたちが一つ勝つごとに それを我がものとして喜んだ球児が 何万人いたことだろうか 甲子園は遠いものだと

勝つことは困難なことだと はるかに遠い夢としている球児たちに 希望を与えたに違いない


そして きみたち自身 猛烈な夏の 猛烈な甲子園で 身をもって証明した青春は 一万ページの本を超える

多分 来年の春 初めての卒業式は 誇りに満ちた明るいものになるだろう



県岐阜商を破り、久留米商を延長で逆転し、東北に逆転サヨナラ勝ちし、甲西高校はとうとう準決勝にまで進出して来た。
この健斗を誰が予測し得ただろうか。 まさに、ミラクル、奇跡と呼ぶにふさわしい戦いぶりで、今大会の陰の主役となった。

学校創立三年目で代表になっただけでも快事であるのが、甲子園で三つも勝ったのである。 
学校に、素晴しい伝統の芽を植え、大いなる自信と誇りを生徒に与えたに違いない。 

準決勝戦、しかし、対戦したPL学園の壁は実に厚かった。 奇跡もそこまでで、もしやも、まさかも起きなかった。 
桑田投手から打った西岡選手のホームランが、更に一つの語りぐさを加えたのが、大きな土産ではあったが・・・。 


( 甲西2-15PL学園 )

239名無しさん:2018/09/01(土) 12:26:16
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1985年8月21日  決勝  「 蜃気楼 」 


いつもなら 今日を限りに去る夏が 今年はまだ列島にとどまっている 

入道雲や 赤とんぼや アドバルーンの揺らぎに 秋を見ることが出来ない いつもなら 感傷に胸塞がれ

行き場のない思いに立ちつくすのに 今年は カッと照ったまま クライマックスのままで停止した


緊迫の決勝戦は 情緒や感傷に委ねることなく 真に互角の攻防で回を重ね 力が押し 力が押し返して

二転三転 死闘はサヨナラ試合で決した


雲はあった しかし 甲子園の中天だけ ポッカリと青空がのぞき そこから夏が降りそそいでいた

去り行く者たちへの歌は 何故か聴こえて来なかった 試合の充実が 季節を超え 思いを超えたのだろう


だが やがて PL学園の優勝を称え 宇部商の健闘に手を叩き  一服の煙草に時を追う時 間違いなく 

祭の終りの耐え難い感傷と 青春に対する痛ましい憧憬が 襲って来るに違いない

あぁ この14日間は 蜃気楼であったかと



人は誰も、心の中に多くの石を持っている。 そして、出来ることなら、そのどれをも磨き上げたいと思っている。
しかし、一つか二つ、人生の節目に懸命に磨き上げるのがやっとで、多くは、光沢のない石のまま持ちつづけているのである。

高校野球の楽しみは、この心の中の石を、二つも三つも、あるいは全部を磨き上げたと思える少年を発見することにある。
今年も、何十人もの少年が、ピカピカに磨き上げて、堂々と去って行った。 たとえ、敗者であってもだ。

大会は、PL学園の優勝で幕を閉じた。
頂点の風圧に耐えながら、それに屈することなく優勝したと言うのは見事としか言いようがない。
彼らは時の勢いを超えるものを持っていたと思う。 


( 宇部商3-4PL学園、PLのサヨナラ勝ち )


1985年の出来事・・・公社民営化でNTT、JT発足、 日本人エイズ患者第一号、 プラザ合意 

               8月12日、日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落 (520名死亡)

240名無しさん:2018/09/01(土) 12:51:34
高野連は甲子園常連校の“越境入学”を許すな!  ( 広岡 達朗 )



私は「 高校野球はこれでいいのか? 」と心配している。

今年は56校のうち48校が私立高校で、公立は8校だけ。
56出場校のうち、昨年に続く連続出場は優勝した花咲徳栄や準優勝だった広陵など18校。
聖光学院は12年連続、作新学院は8年連続である。
初出場は6校あるが、このうち公立は県立の白山と市立の明石商だけだった。


甲子園代表校の私立化がエスカレートする一方、夏の地方予選に出場した大会参加校は、
この3年間だけを見ても2016年が3874校、2017年が3839校で、今大会は3781校に減っている。
さらに高野連によると、全国の硬式野球部員数も15万3184人で、4年連続の減少だという。

これは少子化を反映して高校数や野球部数が減っているのと、
生徒がサッカーなど、野球以外の他競技に流れるケースが増えているからだ。

こうした社会情勢のなかで私立の甲子園常連校が増えているのは、
全国の優秀な野球少年が各地の私立強豪校や、遠方の野球名門校に集まっていることを意味している。


そしてこれらの野球名門校は、通学できない生徒のために大規模な寄宿舎を設置しているのだが、
問題はこの野球合宿所での生活である。 たとえば私が知っている東京の私立強豪校でも、
野球部員は午前中の授業に出席するだけで、午後から日没までは野球漬けだ。


いうまでもなく、野球の練習で心身を鍛えるのも大事だが、高校の3年間は野球だけでなく、
将来の社会人として、しっかり基礎教育を身につける時期である。
プロ野球で不祥事が絶えないのも、高校時代のいびつな球児教育と無縁ではないだろう。


たしかに現代の教育制度では、私立高校に学区の制限はない。 しかし都道府県の代表を誇りとする甲子園大会で、
私立高校だけ日本中どこから入学してもいいのはおかしいだろう。

甲子園球場が高校野球の聖地なら、高野連は100回のお祭りに浮かれるより、
足元を見つめ直して“越境入学”による野球留学の禁止を検討したらどうか。



さすがに広岡氏。 高野連の中に、この問題を提起する人が出て来てほしいもの。
佐伯達夫さんの嘆きが、天国から聞こえて来るようです。


広岡達朗:1932年、広島県呉市生まれ。早稲田大学卒業。 1954年に巨人に入団、
打率.314で新人王とベストナインに輝いた。 引退後は評論家活動を経て、広島とヤクルトでコーチを務め、
監督としてヤクルトと西武で日本一を達成。 1992年に野球殿堂入り。

241名無しさん:2018/09/01(土) 15:15:21
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1986年8月8日  一回戦  「 北のジャンボが幕をあけた 」


さあ まばたきを忘れて 一瞬の夏に心を感光させよう 眩しさに満ちたものはそれだけで早い

虚ろな瞬間をつくってしまうと 劇的な場面とは出会えない 夏はふり返らない 

少年のドラマもリピートしない その時をとらえることこそ 夏に出会ったという証明なのだ


時が流れ 人の心は変り だけど 甲子園は まるで それ自体が季節ように 列島のド真中に存在する

さあ クタクタになろう ときめこう ふるえよう 動きを忘れた心にカンフルを 冷えた感情に汗を

ちょっと愚かになっていいじゃないか


心憎いプロデューサーの甲子園は さまざまな個性を 陽光の中に立たせる あり余る才にきらめく少年を

才を越えた奇跡を演じる少年を 幸運と不運の綱渡りに ぎりぎりの粘りをみせて 神の指示に勝つ少年を


そして 今日は 北のジャンボがマウンドに躍り あたかも 大いなる夏の予感のように 熱いドラマの幕をあけた

秋田工 川辺投手 百九十二センチ 九十二キロ ギイーッと開く 季節の音がした



この「甲子園の詩」も八年目である。 最初の年、ぼくをたかぶらせた少年たちは、香川であり、牛島であり、
石井であり、嶋田であり、彼らはもうプロのいっぱしの選手である。

八年の間の、高校球児の心の変化といったものを見落とせない。 
選手宣誓に定型を破ろうとする試みをなされたのは一昨年からで、福井商坪井主将は、甲子園から未来へと語り、
昨年は、銚子商の今津主将が、ぼくたちは仲間たちの代表としてやって来ました、と平易に話した。

今年の米子東の石川主将は、明日にむかってはばたく高校生として、という言葉は使っているものの、
定型の見直しが感じられた。 この変化も、甲子園をどう感じるかという興味においてなかなか興味深い。
とにもかくにも、暑い夏、そして、熱い夏、北のジャンボが最初の火をつけた。

242名無しさん:2018/09/02(日) 10:21:21
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1986年8月9日  一回戦  「 風か 砂か 」


風のように生きたいと誰もが思う 砂のように生きたいと思わない 主役は嵐 猛々しく 

己の意志で来り 去る 砂の上を気ままに過ぎて 命の足跡をそこに記す 生きるなら風のように

何かを変えたいと男は思う  風か 砂か 風か 砂か


しかし 風が去った時 吹き上げられ 運ばれ 小さな粒に分散していた砂が いつの間にか山を築き

前よりも高く 前よりも美しく  朝日に光っていることがある


宇都宮工業高校 きみたちの勝利は まさに この朝日に光った砂を思わせた 

打ちのめされたとみえて立ち上り 押しきられたとみえて踏みとどまり 打たれ強く耐えたあとに

そそり立つ山を築いた  風か 砂か 風か 砂か


唸りを上げて過ぎるのも勇気なら 砕けることもなく復活するのは更に勇気 派手やかさにはほど遠い

地味で着実な勝利に 大きな教訓を見た気がする



27年ぶりの宇都宮工と、25年ぶりの桐蔭、ともに過去に実績を持つ古豪同士の対戦は、地味ながら、
妙に心に残る試合であったと言える。 

桐蔭から言えば、毎回の好機を勝利につなげ得なかった拙攻と言えるかもしれないが、
それよりも、全てがピンチであった一戦を耐えぬいた宇都宮工の粘りを評価した方がいいように思える。

ボクシングで言うなら、乱打に揺らぎながら、たった2回のチャンスに大いなるポイントを稼いだようなものである。
執念と言う言葉は、どこか暗く辛さがつきまとうが、打たれ強くしのいだ執念が攻撃にのりうつり、
必ずしも立派な当りでないものまでヒットにしてしまった。

かっこよく打ち、かっこよく勝つのも素晴しいが、諦めずに勝利を呼び込むと言うことも、実は、
なかなかにかっこいいことなのだと言いたいのである。 この執念は暗くない。


( 桐蔭2-3宇都宮工 )

243名無しさん:2018/09/02(日) 11:22:23
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1986年8月10日  一回戦  「 ヒーロー交代 」


昼過ぎから風が出た 青空に雲を飛ばし 旗をちぎった 時折 グラウンドを 空の影が気配のように走った

そして 二時間後 神話が一つの結末を見せ 頬の紅いヒーローたちが残った 明野高校7-2池田高校

確実に これで 一ページがめくられたことになる


五万六千の大観衆も それ以外の 耳をそば立て 目をこらす人たちも 池田が演じつづけた甲子園神話を

最後の最後まで信じていた このまま去る筈がない このままで終る筈がない 

いつか それは 残酷なほどに劇的に 不可能を可能にするドラマを 描くに違いない


この神話を信じない人がいたとするなら それは 明野高ナイン きみらは見事なリアリストで 幻想に怯えることもなく

一個のボールを通して知る 力と力を感じていた筈だ ヒーローが躍り出る瞬間は 上手に去るかつてのヒーローが必要で 

きみらは 今 堂々と選ばれて歴史に踏み出した


三日目に波乱があった。 池田高校が完敗したのだ。 池田は、歴史のみが語る名門校ではなく、春の選抜大会優勝校、
現役の強豪であっただけに驚かされた。 しかし、明野の、実に堂々たる戦いぶりを見ていると、一時代の終わり、
いや、一時代の幕あけかなと言う感じもする。 

予選で、高校野球そのものであったPL学園が敗退し、そのPLを完封した泉州が浦和学院の豪打に打ち砕ける前段があってみると、
尚更その感を強くする。 池田高校、PL時代、思えば、この連載を始めてからは、ほとんどその中にあったが、
どうやら、今年の大会を契機にして、新しい時代の旗手たる学校が登場しそうで、大変に興味深い。

それにしても、素朴に、元気に、明るく、力強く、金属音を響かせて打ち勝った明野高校に、
かつての池田イメージを感じたのも不思議な符合である。

244名無しさん:2018/09/02(日) 12:56:29
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1986年8月11日  一回戦  「 十一年目の校歌 」


一試合の中で天国と地獄を見た いや 地獄が先に訪れ そこからはい上って天国を味わった

乱調でマウンドを譲った時 誰が 彼の中に 最後に笑う男を予測しただろう


屈辱の降板の十数分 再び呼び戻されプレートを踏んだ時 5点が入っていたのだから

更に 痛い一撃を受け 烙印は烙印のまま胸にあり 影法師だけが長く まるで敗走の道をたどるように

はかなげに揺れていたが しかし どうやら 魂の中の不死鳥は その黙々と耐えて投げるあたりから

はばたきの仕度をしていたらしい


地獄を一転して天国に変えたのは 自らのバットだった 九回裏 それはあまりにも楽々とした一振りで

激情とは無縁のようであったが ガックリと膝を折った 相手の好投手の姿に 価値の大きさを知る

東海大四高 大村投手 彼の味わった長い一日は 最後の最後 初めて聴く母校の校歌で飾られた



面白い試合の日と言うのがあるらしい。 名門対決とか、顔合わせの妙ではなく、試合そのものが
予測もつかない展開を見せるということで、つまり、野球が面白い日だ。
この東海大四高ー尽誠学園戦の前の試合、鹿児島商高と松商学園の一戦も、これが野球だという
スリリングな要素をすべて盛り込んで、堪能させた。

サスペンス映画の名手が、何分に一回かはドキリとさせる、と知恵を絞ったくらいの充実度で、こうなると、
運も不運も要素に組み込まれて一層劇的になる。 重盗あり、隠し球あり、最後に二死満塁の設定まであった。
それにひきつづいての逆転サヨナラ試合である。

こうなると、選手の顔や名前になじみがあるとかないとかはどうでもよくなる。
14安打と12安打、傷だらけの乱打戦に見えて、緊迫感を失わなかったのは、双方とも、
勝利に対するひたむきな祈りがあったのだろうと、これまた喝采に値する。



( 尽誠学園6-7東海大四、東海大四の逆転サヨナラ勝ち )

245名無しさん:2018/09/02(日) 15:18:18
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1986年8月12日  二回戦  「 さらば 旋風児 」


誰もがきみたちを待っていた 春の旋風児が夏の嵐となり 今度は そびえ立つ入道雲に挑む姿を

心待ちにしていたのだ もしかしたら 春の土を巻き上げたつむじ風は 竜巻になっているかもしれない

それは 一度は見てみたい大人の夢だ 


そして きみたちは帰って来た あの素朴で初々しい しかし どこかしたたかな少年が 

充分に期待に応える風格を備えて 入道雲を見上げていたのだ だが 戦況は不利に進んだ

春の旋風児も 夏の中では陽炎のようにさえ思えた


夢は夢か 少年は少年か 春は春か 無欲は無欲か 勝ち負けは誰も問わない この甲子園で何かを証明出来たか 

それだけを問う 後悔と無念を持ち帰らぬように 汗の最後の一滴にすることを試る


それが美しいと思った瞬間 きみたちは 見事に旋風児を証明したのだ 敗れはしたが 新湊高校

きみたちは夏もまた自分たちであり得た 心に竜巻が起きた筈だ



春、選抜大会における新湊高校の印象は強い。初出場でベスト4。もっと上位の学校があったにもかかわらず、
今年の春は、新湊のためにあったとさえ思えるのである。 それは、専門家になり過ぎず、かと言って、
のびのびと言う美名のもとに緊張を欠かず、高校生が高校生としてなし得る限界の中での、
一生懸命さが心を打ったのだ。 原点を感じた人も多くいた筈である。

その新湊が、優勝候補の一つにあげられている天理と対戦した。 
天理の強打は、ホームランを打った中村を筆頭に評判以上のもので、春の小さな奇跡を圧倒しつづけ、
8-0、おそらくはこのままで終るだろうと思えた。 

しかし、8点の大差をつけながら、何が天理を動揺に誘ったのかわからない。
それこそ、人の戦いそのもので、どうしても一矢を報いようとする見えない執念が、
エネルギーとなって立ちこめていたのだろう。


( 新湊が九回に4点を取って、天理8-4新湊 )

246名無しさん:2018/09/08(土) 10:12:26
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1986年8月13日  二回戦  「 一点の壁 」


過酷な試練を与えた甲子園よ 少年を谷底につき落す 獅子の愛を見せた甲子園よ

誇りを奪い 夢を砕き 心を傷つけ それでも 手をさしのべなかった甲子園よ

汗と涙の中ではいずりまわり やっと己の力を示して見せた少年に 少しばかり微笑んだ甲子園よ


しかし 敗者には あまりにも高く 大きく とりすがることも許さなかった甲子園よ

一年前の八月十四日 この日の記憶は あなたへの限りない憧憬と あなたへの限りない憎しみを生んだ


憎しみは愛に近く たとえば 父を見上げる幼児の目のように 懸命に何かを証明したがる

あの日 見つめるだけで 慰めの言葉も発しなかった甲子園よ 

いつか あなたを動揺させ 驚愕させ 狼狽させ 遠い旅から戻った子を迎える父のように 満足の涙を流させてみせる


東海大山形高校 大敗の日から一年目 一点の壁は厚く またも敗れはしたが 憧憬と憎悪の甲子園は

確実にふり向いた そして 何かをささやいた



他の学校は、甲子園へ何かを探しにやって来る。 しかし、東海大山形だけは、何かを返しにやって来ると思われてならない。
まず、その背負わされた重い荷物を、甲子園につき返さなければ、そして、受取らせなければ、ことが始まらない。

如何に記録的大敗であったとは言え、負けは負け、一つの負けに変りないのだと言ってしまえばそれまでのことだが、
やはり、そうは行かないだろう。 この一年、相当に重いものがあったのではないかと思う。

甲子園の一勝が、全てをプラスにしてしまう最高の良薬であったのだが、残念ながら、今年は、
一点の壁という新たな試練を与えられて敗れてしまった。 だが、もう、何も背負うことはない。
もう次からは、のびのびと、甲子園に目にもの見せてやればいいのだ。


( 京都商1-0東海大山形 )

247名無しさん:2018/09/08(土) 11:56:22
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1986年8月14日  二回戦  「 ジンクスに勝つ 」


待つということは戦うより難しい 待ちながら平常でありつづけ 待ちながら昂ぶらせるのは 躰の中に

理不尽な虫を飼っているようなものだ 勇んで乗り込んできた甲子園は 触ることの出来ない蜃気楼で

ただ 待つことを 待つ運命を与えた


大会が佳境に入り 列島の夏は燃えているのに 相手を待たない勇士たちは その炎の中に入れない

激闘を見 熱闘を聴き ライバルに熱い視線を送り 早や去る友に複雑な思いを抱き すると もはや

闘志は時に重い荷物に変る 己に勝つ 己に勝つ ただ一枚の不運を ただ一校の選ばれたものと思う


49番目は勝てない 49番目は勝てない 拓大紅陵高校 遅い遅い初勝利 きみらは 運命に勝ち

疎外感に勝ち 時間に勝ち 自分に勝ち ジンクスに勝った 49番目は縁起がいい 49場目は縁起がいい



毎年思うことだが、49代表のうち一校だけ、相手が決まらずに取り残されるというのは、
抽せんの方法として仕方がないことではあろうが、罪なものである。 運命のいたずらと言いたくもなる。 

更に、この場合、実に過酷な現実まで加わって来るのだから、ついてないで済まされないものもある。
49番目は勝てないというジンクスが存在するのも無理からぬことで、ぼくも、毎年、
どういう言葉で励ますべきだろうかと考えたりするのである。

肉体の調整や緊張の維持は、非情にメンタルでナーバスなもので、目標が定まっていると何とか組立が出来る。
しかし、闘志などというものは一旦空転するとどうにもならないだろう。
だが、拓大紅陵はこのジンクスを破った。 もし、優勝でもしたら、来年から49番目は、選ばれた一つになる。


( 拓大紅陵4-0岩国商 )

248名無しさん:2018/09/08(土) 15:25:26
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1986年8月15日  二回戦  「 天国から 」


男の夢というものは 一生賭けてコツコツと作り上げ 不器用に 頑固に 粘土のように こねて こねて 

それが出来上るのと生命とは まるで競争のようなもので めったなことに 生命が勝つことはない

しかし 胸の差か鼻の差で負けた夢は 生命が消えたところで 崩れるものじゃなく たとえ 俺がいなくても

見事に完成するものだよ


まあ そうは云っても 生命と駆けっこをやらなくて済む時に 夢ってやつが固まればいいのだけど

そうは行かないものでね 大抵はギリギリのところで どっちが早いかって勝負だ


云いかえれば そこまで行って何が夢かわかるので そうしてみれば お前たちは 土壇場で見つけた本物で

もうちょっとで最高傑作に出来たな


この前はポンポン打ったから 今日はガッチリした野球を見せてやれ 楽しくな しめっぽいのはいけないよ

しばらく俺のことは忘れて 優勝したら来てくれ 傑作だぞ お前たちは



高校野球の名物監督野本喜一郎さんが亡くなられた。 お会いしたこともない方だが、
男の夢とはこう云うものではないかなと思い、浦和学院勝利の日に詩にしてみた。
多分、氏は、現在の浦和学院チームを、夢の最高傑作と信じていたのではないだろうか。

初出場校に対する甲子園の壁は厚く、10チームが敗退し、浦和学院のみが勝ち進んでいる。
傑作でありつづけてほしい。 豪打で勝ち、完封で勝ち、いい形をとっているように思える。

さて、八月十五日、四十一回目の終戦記念日、正午にサイレンが鳴り、永遠の平和を祈って一分間の黙とうを捧げた。
ある者は頭を垂れ、ある者は顔を上向け、選手たちは一番短い影を足許に落として・・・
儀式でなく、真の心の祈りでありたい。


( 浦和学院4-0宇都宮工 )



春は平成25年に優勝していますが、夏は、この大会のベスト4が最高。
野本監督は病気の為、夏の大会前に辞任。それでも埼玉大会で初優勝を果たしたが、
甲子園開会式の当日、甲子園で初めてプレーをする選手達の姿を見ることなく、64歳の生涯を閉じた。

249名無しさん:2018/09/09(日) 15:11:27
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1986年8月16日  二回戦  「 静かに そして 激しく 」


激しさが 火のような形をとるとは限らない 吹き荒れる嵐や 岩を砕く流れや 絶叫の渦の中で演じられる

過激な興奮とは限らない 激しさは 激しさ故に 時に 静寂と同じ形をとることがある


同じ力で押し合えば停って見え 同じ高さで支えれば 水はどちらへも流れない だからと云っても それは

静寂とは根本的に違う 対等に力を出し合うことは 手を振り上げ叩き伏すよりも 余程激しい 激しいことなのだ


全く久々に 観客に沈黙を強いる試合を見た 饒舌を忘れ 目をこらす 時々不規則な呼吸を思い出すのは

静かさをよそおったエネルギー 針穴一つで噴出するに違いない 表面化の力を感じるからだ


広島工1-0熊本工  乱れ飛ぶ白球もいい 駆け巡るヒーローもいい 奇跡の大逆転は更にいい しかし

鍛え上げられた力と力が がっぷりと組み合い 静かさに至るような戦いの原点もいい 両校に拍手を



選手宣誓に定型の見直しを感じたように、高校野球にも、原点の見直しと云ったものを感じるのである。
金属バット、筋力トレーニング、池田高校で、全く新しい神話を生んだ高校野球も、今年を見る限り、
全校が右へならえではなく、かつての甲子園戦法を見直ししているようなところが何校か見受けられた。

土浦日大に勝った松山商がそうであり、この広島工、熊本工がそうであると、ぼくには思える。
やってみなければわからない攻撃ではなく、結果の計算の成り立つ攻撃を忠実にやると云うことである。

見る側から云っても、これはうれしいことで、高校野球が空砲ばかりの花火大会になってしまったのでは味気ない。
いろんな信念や個性が混り合ってこそ、面白さも生まれようと云うものである。

250名無しさん:2018/09/09(日) 16:12:27
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1986年8月17日  三回戦  「 石ころの詩 」


風は ただの風ではなく 石ころは ただの石ころではなく とびっきりのからっ風が 

男になれ 男になれ 一冬かけて磨きあげた光る石ころだ 

奢ればかげり 眠れば砕け 夢見ることを知る魂と 悔いのない誇りに チカリと光る石ころだ


指を凍らせ 頬を赤らめ 耳をひきちぎる風に耐えながら 黙々と石ころでありつづけ

降りそそぐ夏の陽の中で 光ることだけを考えた少年たちよ 石から花咲くことはないけれど

石から虹を吐くことはないけれど 石ころは とにかく 心に近い


前橋商ナイン フィフティーン 五十七年ぶりの熱い期待の中で 君たちは期待を超え

半世紀の夢を実現し さらに 好ましい印象まで残した


打ち砕かれても恥じることはない 敗れて去るも うつ向くことはない 夏の陽炎が見送る中を

踏みしめて 踏みしめて帰るがいい やがて 早足で季節が変れば また からっ風が磨きにやって来る



群馬大会決勝戦の、最後の最後の場面をたまたまテレビで見ていた。  
逆転につながる大飛球がライトを襲い、九分九厘まで甲子園への夢が消えたと思われた瞬間、
ライト中塚だったと思うが、超美技が生まれ、夢が実現したのである。

言わば、崖っぷちからはい上ったような彼らの、甲子園を注目したいとその時から思っていたが、
一戦の浜田商、二戦の東海大四と、二試合でわずか八本のヒットで勝ちぬいて来た粘りは、
充分に注目に価した。 妙なもので、夢をつないだ一瞬を目撃したことで、縁のようなものを感じているのである。

取り立てて語るところを持たずに強いと言うのが高校野球の好チームで、その中に立派に入る。 しかし、
この日、前橋商、拓大紅陵、秋田工と敗れ、関東以北の学校では、浦和学院を残すのみになったのは淋しい。


( 前橋商3-11鹿児島商 )

251名無しさん:2018/09/09(日) 17:18:26
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1986年8月18日  三回戦  「 未完の楽しみ 」


誰もがアッと言った あの 去年の夏 さよなら暴投で号泣した一年生が 一まわりも 二まわりも大きくなり

しかし きかん気の童顔だけは面影にとどめて 今度は満々の自信でやって来た


泣けるということは くやしさの何たるかを知ることであり 胸の中で 腹の中で 男の魂がつき上げることだ

つき上げられる度に泣き 泣く度に一皮むけて行き 涙を絞りきったところで 去年のあのシーンが彼方に消えた


上原晃の二度目の夏は 勇気を手にして戻って来た 獅子の王子のようだ

黒々と光る瞳が まばたきもせず一点を見つめるのは 少年らしい美学があって 逃げたり かわしたりを拒む


たとえば 一番速い球を 一番真中に投げ込んで それを空振りさせたいと 捕手のサインに首を振る

稚気満々 男の子 それもいい  未完のままで勝てる大器の 末おそろしさにニンマリする 

もう二度と泣くことはないだろう ブンブン投げろ



忘れ難い少年というのを甲子園はつくってくれる。 去年の大会は、ほんの一瞬、まばたきの間に登場して、
まばたきの間に去って行った。 沖縄水産の一年生投手上原晃であった。
それも突然のヒーローという役どころではない。 サヨナラ負けになるワイルド・ピッチを投げてしまったリリーフ投手なのだ。

忘れ難さは、しかし、可哀想にという感傷だけではなく、その悲劇のさ中に、楽しみを抱かせていたのだから、
この黒々とした顔の、黒々とした瞳の、柔軟そうな躰の少年が、余程印象的であったのだろう。

そして、その印象は、感傷の彼方に消え去ることなく、見事に成長して帰って来、より楽しみを感じさせたのだから、
大したものである。 少年の変り行くさま、化けるさまをじっと追えるのも甲子園の妙味だ。


( 沖縄水産14-0京都商 )

252名無しさん:2018/09/15(土) 10:11:30
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1986年8月19日  準々決勝  「 古豪あたらしく 」


怪童もいなければ 天才もいない 大器もいなければ 逸材もいない 目を見はる幸運児も

特別のツキ男もいない 一人一人が一人一人の役を果しながら 巨大な歯車をまわす


圧倒するプレッシャーはなくても 気のぬけないプレッシャーはかけられる 

あたりまえのことを あたりまえにやって来るということは きっと恐いことなのだ


戦慄をさそう一発の快打より 誰もがミスしないことの方が 相手に与えるダメージは大きいと 

彼らはそれを知っている それを知り得たことが勲章で 裸の千本ノックも 今光る 


新しいということは 時に流れにそって動くことではなく 今 何かを見つけることで たとえ それが

古びた定説であっても 信念を持って選べば新しい


古豪と云われる松山商業が 誰よりもみずみずしいのは 15から18までの少年が

努力でなし得ることを発見したからだ 怪童もいなければ 天才もいない 大器もいなければ 逸材もいない

しかし 怪童を超え 天才を超え 大器を超え 逸材を超え 彼らは強い



古豪が用いる甲子園戦法が、ひどく新鮮に、目新しく思えるのも、時代の流れが、
いつの間にか常識を変えていたのだろう。 四年前、池田高校が広島商を打ち砕いた時、
甲子園戦法は過去のものになったが、どうやら復活して来たようである。

多分、あらためて、甲子園における戦略を研究する監督もふえるだろう。
もうあり得ないと云っていたことが、松山商によって、充分あり得る、やはり一番確率の高い戦法と証明したからだ。

それに、豪打をイメージするあまり、大ざっぱな野球になりかけていて、緻密さや妙味に欠けていたから、
よけい新鮮に見えるだろう。 時代の演出とはそういうものである。
それにしても、沖縄水産の上原投手、またもサヨナラ負け、あと一年の試練だとぼくは云いたい。


( 沖縄水産3-4松山商、サヨナラ勝ち )

253名無しさん:2018/09/15(土) 11:31:17
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1986年8月20日  準決勝  「 爆発したぞ 」


春には負けた 敗れて仰ぎ見る桜島は 巨大に過ぎた 力の半分も出せなかった自分たちは

その前では小さく悲しげだった 勝つか 負けるかと思う前に 自分が自分であり得るか

躰の中にためたエネルギーを 最後の一滴まで燃やしつくせるか それが問題だと桜島は言う


勝ちたいの 残りたいのと言う前に 今度甲子園へ出たなら 爆発して来いと煙を噴き上げる 

どうだ 見てくれ 誰も春の顔はしていない それぞれが 心を絞り 躰を絞り 可能性まで絞り

もう一滴も余すことなく出しつくす いい顔してるだろう 爆発したぞ 何度も 何度も爆発したぞ


大旗は持って帰れなかったが 青空の下で堂々と 砂塵の中で撥剌と 完全爆発 完全燃焼

その満ちたりた男の顔が 今度の土産だよ 爆発したぞ 何度も 何度も爆発したぞ

甲子園に負けなかったぞ 今度は大旗だぞ



中日を過ぎたあたりからの早さというのは特別の感情である。季節の変り目と重なるせいか、
毎日毎日惜別の詩を歌う心持ちになって、切ないものである。

前半に覚えなかった感傷が入り込んで来るのもその頃からである。
残暑はいくらきびしくても残暑で、盛りのにぎわいは出し得ない。 

今日で、七百三十五人の選手のうち、七百五人が甲子園を去ったことになる。
明日の決勝戦という最大のヤマ場を待ち望みながら、去った人への思いが支配するのも、
準々決勝、準決勝あたりの不思議な気持である。

さて、今大会で、鹿児島商は、なかなかに印象に残る好チームであった。初戦の松商学園との試合は、
面白さという意味では屈指であったし、この日の天理戦、絶望的と思えた6点リードを、
一時は1点差まで追いつめた粘りは、付焼刃や幸運だけでない。日常貯えた活力を感じさせた。


( 天理8-6鹿児島商 )

254名無しさん:2018/09/15(土) 12:56:21
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1986年8月21日  決勝  「 いいドラマをありがとう 」


雨もなく 嵐もなく ただ照りつけて彼らを見守った夏よ 雲を湧かせ 陽炎を立て

土に落した涙を気化した夏よ 殊勲を見 失敗を見 勝者を眺め 敗者を眺めた夏よ


もう去っていい 行進の先頭には夏があるが 一番最後の選手の背を秋が押している

ここで秋と入れかわるがいい 今年もまた いいドラマをありがとう


ほんの数十分前まで 死闘が展開されたグラウンドが 穏やかな表情を見せている

少年たちに極限を迫り 激しさを求めた土が ただの土になって乾いている

ドームのような青空が銀箔を落し 透明にぬけている


勝った天理高フィフティーンよ 敗れた松山商フィフティーンよ 

身も心もくずおれる直前の極限で しかし きみらは 最高の試合をした 

土や 風や 空が 示して見せる穏やかさは そのことに対する満足だ 


本橋投手の百二十七球目 最後の一球になお心を残した好試合は 去り行く夏の誇りになる

夏よ そして 両校よ いいドラマをありがとう 



新たな出発を迎えた高校野球は、この大会でどこが勝つかによって、次の時代の野球が決定すると思われた。
そして、天理高、松山商が勝ち残り、ともに手を携えてという形で新時代の扉を開いたと云えよう。
これで、確実に、新しい高校野球が始まる。

十四日間、全試合、極端に云うと一球も目をそらさずに見ていると、ずいぶんといろんなことが勉強出来る。
人生というものに関わって考えることも出来る。

野球は、10本のうち3本打てば名人で、2本ならヘボになる。この1本の真中あたりに大多数がいるのだと云うこと。
また、野球は、9人のうち何人が野球を知っているか、つまり、X/9の分子の大きい方が勝つのであって、
力ではないと云うこと。 そんなことを考えながら、ぼくも、10本のうちの3本になろうと秋に向う。


( 天理3-2松山商 )


1986年の出来事・・・スペースシャトル・チャレンジャー打ち上げ後に爆発、 三原山噴火で伊豆大島全島避難

             ソ連チェルノブイリ原発事故

255名無しさん:2018/09/16(日) 10:16:26
☆ サラリーマンから高校野球の監督に転身した48歳 



今春、富士(東東京)の指揮官に就任した綿引監督(48歳)は損保業界で22年間のサラリーマン生活を経て、
44歳で東京都の教員採用試験に合格した“オールドルーキー監督”だ。

日立一(茨城)では1985年夏の甲子園で1年生ながら決勝打を放つ活躍を見せた男は、
なぜ今、都立進学校の硬式野球部でノックバットを握ることになったのか。
初めて迎える夏の大会を前に、その生きざまに迫った。


大手損保会社に入社後は、主に企業営業を担当。 22年間の勤務を経て、課長職まで務めた。
長男の野球チームを手伝うたびに、野球熱が高まってきた。 これからの人生について思った。

「 当時44歳。定年が65歳と考えると、あと20年ある。じゃあチャレンジしようと。
教員採用試験について調べると、東京には年齢制限がないんです。都立高はまだ、甲子園で勝ったことがない。
勝って、歴史に名を刻みたいと。そのためにも、本気で教員を目指そうと思ったんです 」


保健体育教諭の採用試験には陸上、水泳、球技、武道、ダンス、器械運動と6種類の実技があった。
44歳のオッサンには、いささかハードな試験でもあった。

「 1600人が受けて、合格するのは100人。1500人が落ちるんです。多くの受験者は体育大を卒業した20代。
私は健康診断でも 『 太りすぎ 』 とされていた頃で、これまでもダイエットを試みたんですが、全く体重が落ちなかった。
でも 『 甲子園に行くんだ 』 というモチベーションを掲げた途端、17キロも落ちたんですよ。
食生活も塩分と油を抑えて。それで何とかパスした感じです 」


45歳の春。念願の教員になった。 月収は半分になったが、新たな目標へ活力がみなぎった。
最初の配属先は高校ではなく荒川四中。 3年間、バスケ部や軟式野球部の顧問に全力投球した。
そして4月、東大合格者を輩出することでも知られる富士へと赴任した。
部員は3年生1人、2年生8人、1年生9人。女子マネジャー2人も含めて計20人。野球未経験者もいる。

チームのモットーは柔道家・嘉納治五郎の「 精力善用 自他共栄 」。
野球を通じて心身を鍛え、助け合いながら目標へと近づき、よき社会人を目指すというもの。
一般企業で社会の荒波にもまれたからこそ、若者たちに教えられることがある。
初めての夏。 1年生監督の挑戦が始まった。


第100回大会、初采配は9-3で新宿高校に勝利。 次の紅葉川高校には0-10で敗退。
頂上への道が険しいのはあたりまえだが、オールドルーキー監督は、都立の弱小チームで確かに一つ勝った。


100回大会の外人部隊を調べると、県内100%は・・・公立の金足農、高岡商、明石商、丸亀城西。 
私立の旭川大、花巻東、作新、中越、愛知産大、東海大星翔、興南。

残りの45校は外人部隊頼み。 花咲徳栄、大垣日大、八戸光星、藤蔭が16名が外人。鳥取城北が15名。
大阪桐蔭は13名。 益田東は全員外人部隊・・・大阪から15名、京都、兵庫、福岡から各1名。

合計1008名のベンチ入りで、島根県人はゼロ。 青森、大分などの少人数参加県も非常に多い。
この現状を、高野連のボンクラ達は、何も感じないのだろうか。
そして、広岡達朗さんのお言葉「240」へ。

256名無しさん:2018/09/16(日) 11:31:29
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1987年8月8日  一回戦  「 初陣の花 」


記録として残る数字は空しい 汗の匂いがない 昂ぶりの脈搏が聴こえない 7対2の試合を

波乱の熱闘として伝える術がない どちらが圧し どちらが耐え 戦慄はどちらにあったか 数字は語らない


辛うじて展開の妙は読みとれても 大観衆に沈黙を強いる緊張が 甲子園を覆ったことを 7対2の記録は物語らない

年経れば ただ乾いた数字としてのみ残る 初陣 中央高校 詩を書く男はそれを口惜しがる

ドラマに満ちた7対2であったことを どうしても記したいと願う 人々よ 今 感動の詩人になれ


その夏 その日 その試合 そして その時 その瞬間 誰が主役であったか 何が慄えを呼び 何が胸をえぐったか

時間の経過とともに薄れる宿命の 心の襞の小さな記憶を 色鮮やかに あらん限りの饒舌でとどめてほしい


人々よ 少年のドラマはこのようにして 永遠のものにしたいじゃないか 負けて悔いなしと云いたくない

負けて悔いあり 大いに価値ありと称えたい 今日 みんなが詩人になった



組合せ抽選会で、PL学園を相手に引き当てた学校の表情がいつも面白い。 悲鳴に思える声が上がり、
落胆のどよめきになり、しかし、それで終るかというとそうではなく、何ともいえぬ昂揚が満ちて来るのである。

それは、まさに、現在の高校野球の実情を物語っている。 甲子園が彼らにとって宇宙であるなら、
PL学園もそれと同様の、征服を試る価値を持った宇宙であるといえる。 だから、ぶつかる不運と、
引き当てた意欲を同時に感じるのだ。

今年、PL学園と対したのは初陣の中央高校で、そこに見られた中央高校の一種のときめきは、
引き当てた意欲をありありと感じさせるもので、心をうった。


( 8回表までは、2-2の際どい試合 )

257名無しさん:2018/09/16(日) 13:17:22
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1987年8月9日  一回戦  「 手の中から 」


その瞬間 勝利も栄光も歓喜も 充ちあふれる満足感までもが 掌の中にあった 

皮の厚みを貫いてズシリとした感触が 晴れがましく躰中を走った 

あとは ゆっくりと落着いて 一塁へ投げるだけでいい 


一秒後の暗転を 誰が予測しただろう 頂上から奈落へ 得意から絶望へ運命の切り換えが

わずか一秒で行われるとは 女神の悪戯としたら度が過ぎる 女神の他所見としたら罪深い


一秒後 ゲームセットの筈のボールは 転々として 敗戦の門を開いた 何が起るかわからない甲子園

しかし それは 不穏の中でのこと 全てが停止した中で 運命だけがはしゃぐのは珍しい


徳山高校 温品投手 きみは選ばれて 稀有の試練を与えられたとしか云えない 青春の記憶の中で 

痛恨といえる一秒であったが こんなに重く こんなに激しく こんなに残酷な一秒は 誰も持ち得ない


いつか この一秒は 無限のような価値を持って きみの人生に戻って来るだろう

薄ぐもり 微風 甲子園に波乱の気配はなかった



ツキという云い方をするなら、むしろ、徳山高の方にあった。 それなら、そのまま幸運を与えつづければいいのに、
直後にソッポを向くのだから、甲子園というところは恐い。 毎年毎年、この恐さは感じる。

試合後の徳山高の監督の談話として 「野球の原点はキャッチボールにあることを、あらためて教えられた」という
言葉が伝えられた。 これに納得し、ホッとした。

運命の神でも、甲子園の魔物でもなく、技術の不足に因を求めたところが素晴しい。 
確かに、技術や力を超えたものが存在することは否定出来ない。 しかし、運命の神や、
甲子園の魔物を黙らせる唯一の手段が、キャッチボールの原点にあることも、また事実であろうと感銘する。


( 東海大山形2-1徳山。 1-0とリードしていたが、9回二死3塁で、投ゴロ悪送球から東海大が逆転 )

258名無しさん:2018/09/16(日) 15:13:29
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1987年8月10日  一回戦  「 夏の壁 」


今年こそはと決意を示す 今年こそはと予感を覚える 決意と予感の距離が 空しいほど遠い年もあり

希望と呼べる近さの年もある そして 今年は 八戸工大一高 決意と予感はほぼ同じところにあった


偶然が重なるとジンクスになり ジンクスを繰り返すと 高い壁になって行った 時うつり 人変わりながら

青森の球児たちは 年々高くなる壁の前で立ちすくんだ 神話は遠くなり 彼らの夏は またたきの間で終りつづけた


迷走の梅雨が昨日あけた 夏の壁に挑む青森の球児たちに それは いいしらせだった

池田5-4八戸工大一 サヨナラ負け 今年も また 彼らは一瞬で去った

しかし 語るべき多くのものを持って 彼らは甲子園を去った 


青森の球児たちよ もうきみらを縛るものは何もない 偶然は偶然であり ジンクスは安易な意味付けであり

こだわる必要は何もない それより 今日示してみせた八戸工大一の 力の実証を信じるがいい

彼らは 大きなメッセージを持って帰る



話はそれるが、近藤真一投手が、プロ入り初登板でノーヒット・ノーランの快挙を演じた。 
去年の今頃、彼は、この甲子園の熱い土の上にいたのだ。 その時、才能の卵であった。 それを考えると、
甲子園を見つめる目が急に眩しく感じられる。 一年で孵化する才能の卵が転っているかもしれないのだ。

さて、青森勢の悲願ともいうべき初戦突破が今年も果たせなかった。しかし、去年までと違うものを今年は感じる。
八戸工大一は堂々たる好チームで、悲壮な思いや同情を拒絶する強いものがあった。

大仰に云えば、呪縛から解き放たれたように思える。
太田幸司から十八年、そろそろ新しい神話が誕生する頃だという予感がする。

259名無しさん:2018/09/22(土) 10:01:24
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1987年8月11日  一回戦  「 宇宙という名の少年 」


大舞台は人を変える 人を作る 潜在能力や潜在意識を 残酷なほどに拡大して見せる

ある人は才能に気づき ある人は気弱を発見して狼狽する しかし 大舞台は結果に責任を持たない

変えるだけである 甲子園ほど見事な大舞台を知らない


この大舞台に似合う少年がいた 彼にとって甲子園は大きさの象徴で 自らも不思議に大きくなる

不安が闘争心になり 怯えが冷静さになる 


多分 探るような視線も射るように変り 眉も唇も凜としているに違いない

もしかしたら それは 甲子園の大きさを遥かに超えた 彼の名前によるかもしれない


彼の名前は宇宙という 時に勝ち 状況に勝ち 舞台に勝ち 機会に勝ち 

それを細胞の一つ一つに息づかせる知と可能性と それらがほとばしる不思議さが好きだ


とりまくあらゆる宇宙を 自分に取り込める若さが好きだ それを見事に示して見せた 

宇宙という名の少年の 更なる宇宙は またひろがったに違いない



帝京高、芝草宇宙投手は、春のセンバツ大会の好投の印象が強い。(優勝のPL学園に準々決勝2-3で敗退)
だから、当然好投手としての評価が高いのだと思っていたら、春も、どちらかというと予想外の好投であったらしい。

しかし、この春の甲子園での活躍を機に、大いに評判上るかと思われたが、どうもそうではない。
エースに不安ありといったようなことが書かれていたりした。

事実、チラと見た東東京での予選も、印象とは全く別人のような投球をしていた。
故障もあって、3イニング以上は投げていないと云う。 そして、今日、甲子園で見る芝草は、
またまた別人で、春の快投の姿で、驚かされたわけである。

名前がいいとか、ひろがる宇宙とか、ほとんど野球と無関係の言葉を使いたくなるのも、
驚きのせいである。 甲子園は不思議である。


( 帝京6-1明石 )


芝草宇宙・・・日本ハム、通算46勝56敗。 今年2月より帝京高コーチ。

260名無しさん:2018/09/22(土) 11:05:05
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1987年8月12日  二回戦  「 無名の熱闘 (熱い試合) 」


リードして ひっくり返され 追いついて ひっくり返され また追いついて めまぐるしく めまぐるしく

そして 試合は突然に 終りがないように動きを停めた


青空と入道雲と熱風と 時折 頭を空白にする陽炎と いちばん暑い時間の試合 高岡商5-4長崎商 

人々は もうどこまでもつき合う気持で この試合に酔った


夢を託す天才の活躍や 心をかき立てるスターの出現や 強豪の如何にも強豪らしい圧倒や 

奇跡をくり返す新鋭も それはそれでいい それはそれで心ときめく しかし 無名の少年たちの真摯な闘いに 

いつの間にか同化して行き どちらが敵でも 味方でもなく 奮闘に涙ぐむのも 甲子園の醍醐味だ


顔馴染みのない北と南の少年に 一喜一憂を教えられ 胸のあちこちが痛くなる 猛暑の午後の夢だ

勝つことで得たものと 敗れることで得たものと 秤にかけて重さを比べれば やがて同じ目盛になる

勝った高岡商 敗れた長崎商 今年の夏はいい夏だった

 

どちらの立場で書くべきか、しばらく迷った。
九回二死から、劇的に決勝点を得た高岡商の立場になって歓喜を語るべきか、
残念ながら甲子園を去って行く長崎商に、健闘を称える言葉を書くべきか。
しかし、迷った末、どちらの立場もとらないことにした。

両者はクタクタになっていた。 疲れてクタクタになっているのとは印象が違っていて、
もう全てを出しきったという感じだった。
そこまで感じさせる試合で、どちらの立場は、余り意味のないことに思えた。

無名の少年たちの一戦は、ひき込まれて行くまで時間がかかったが、入り込んでしまうと大変だった。
それにしても、今大会、一点差の試合が多く、静かな緊迫に満ちて面白い。

261名無しさん:2018/09/23(日) 10:16:26
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1987年8月13日  二回戦  「 長い一本道 」


それこそ ほんのまばたきの間の決断と 更に短い時間の中での伝達で 監督と選手は 大きな

勇気ある賭けに出た いささかの迷いも いささかの疑問も許されない


出すものと受けるものが 信頼という名の電波を通わせて それは決し それは行われた

もしも 一息呑む思いが存在したら 賭けは失敗に終っただろう 


佐賀工高 野田選手 決勝のホームスチール 劇的な一瞬は 劇的と知られることのよって無になる 

静かに しかし 大胆に 石灰の石を舞い上らせながら 真直ぐに走った


塁間は同じ距離であって 同じ距離でない 一塁までよりも 二塁までが長く 三塁まではその倍にもなり

本塁を望むとなると 遥かと思えるほど遠くなる 


野球のドラマは 左まわりに進行し 最後の直線は人生にも似た 起伏と波乱と試練になる

勇気と決断と幸運とに恵まれた ほんの何人かが駆けぬける

賭けはなされた ホームベースへ正面から一直線 右足の踵が 賭けの成功を確認した



三塁ベースの周辺、それから、三本間のライン上、そして本塁ベースの直前には、
小説よりも豊かなドラマがあり、人生訓より鋭い教訓が満ちている。 
ダイヤモンドの三辺はゲームでも最後の一辺は人生になる。 全く違う二つがつながって野球なのである。

佐賀工野田選手のホームスチールは、実にスリルを含んだ野球の醍醐味であったが、もう一つ、
その前の試合、北嵯峨と秋田経大付のゲームセットの一球前も、何とも意味深いものであった。

二、三塁で三塁ゴロ。ボールは奇妙にバウンドして三塁手後逸、一瞬同点かと思われたが、
ボールはグラブにも触れず、ファウルとなった。 グラブに触れないのも、方向を変えたボールも、
ゲームの域を超えている。


( 佐賀工2-1東海大甲府 )



昨日、光南戦を観戦したが、相変わらずの勝負弱さであった。
指揮官については、「127」〜「129」のあたりに書き込んだ通りで、私の考えは不変。
可哀想だが、勝負運は持って生まれたものがあるからね。
「持ってる指揮官」の登場を心待ちにしている。

262名無しさん:2018/09/23(日) 11:31:24
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1987年8月14日  二回戦  「 一瞬の夏 」


夏は一瞬に過ぎ去った 怪物の証明はならなかった 花道はあまりにも短か過ぎ 大きな姿のシルエットを

残像としてとどめただけだった 夏という季節に敗者復活はない 恵まれた素質の大器にも 心を磨く高校生にも

同じ條件しか与えられない 敗れれば去る 去れば それで終る


どんなに君に好意を示し 怪物の証明を渇望しても それぞれの夏は それぞれの終りを冷酷に宣する

走り過ぎる季節との 一瞬の交錯の中で 巨大なる 逆光の像を描いたきみは やはり夢を託するに値する

大物なのだろう 浦和学院 鈴木健三塁手 


人々は ここで 証明される快挙を諦らめ 未来への希望と幻想とに 心を切り換える 

大きな高校生が 大きな男として証明する日を ときめきながら幻想する


甲子園は去る人の闘いで だから 熱狂の底に感傷がある 大物も去る 普通も去る 敗者も去る 勝者も去る

たとえ 優勝しても 終る人 去る人に変りはない



人間とは勝手なもので連日の接戦の好試合に満足しながら、これが高校野球の面白さだと礼讃しながら、
同時に、怪物、怪童、天才も心待ちにしている。 

懸命の美しさに陶然と酔いながら、それらを軽々とクリアする、もの凄い子供の、存在も期待している。
いや、考えてみれば、それは勝手ではなく、両者が混り合ってこその甲子園なのだろう。

82本の本塁打の鈴木健選手には、ぼくのみならず、大勢の男たちが、どえらいことを、期待していたに違いない。
何しろ、世の中、罵られるどえらいことはあっても拍手の来るどえらいことはなくなっている。
しかし、彼は、不完全燃焼のまま、まず第一幕を去って行った。


( 尽誠学園5-2浦和学院 )


鈴木健・・・西武、ヤクルト。プロ通算19年、189本塁打、1446安打。

263名無しさん:2018/09/23(日) 12:52:04
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1987年8月15日  二回戦  「 巧者と猛者 」


来た! 捕手の視界の片隅に 動き出す走者が入った はずせ! 捕手の躰が半ば本能で右に傾く

しかし 投球に入った投手には 既に修正する時間がなかった スクイズ 決勝点 中京2-1池田

巧者が猛者を その巧みさで破った一瞬だった


頂点で青空はつきぬけ 入道雲が手を伸ばす 完璧な夏の姿に甲子園は燃える

早朝から人々は昂揚し 五万五千人の祭を作った 


たがいに名のある巧者と猛者は 誇りと栄光を賭けて闘い それは 熱さや猛々しさより

もっと過酷な緊張を強いる 静かな一戦となった 人々は いつの間にか 今日 この時点で

どちらかが去って行くことを惜しみ 早過ぎる対決の 組合せを呪ったりした


猛者はとうとう 猛者であり得なかった 巧者は土壇場で 目覚めたように巧者を発揮し

そして 勝った 空高く 平和の朝の 子らの汗 終戦記念日



ジュンジュンが面白いと云う。 つまり、大会中で、準々決勝戦が一番充実し、組合せも面白いということである。
そういう云い方をするなら、今年は、毎日が、ジュンジュンで、十五日などは、
これ以上ない豪華で妙味のある組合せだった。 だから、早朝から超満員になる。

中京ー池田戦は、二回戦ではもったいない顔合せである。 壮絶な打撃戦になるかと思ったが、全く逆であった。
九回裏、中京は好機で、打率のない木村に代打を送らなかった。しかし、結果はそれがよく、
スクイズを成功させて同点、木村は十回も好投することになる。

英断には、動く英断と、動かない英断があることを教えられた。 これは、かなり勇気のあることに思える。
さて、今年も、八月十五日が過ぎた。 確かに野球があり、熱狂する人がいた。
それも一つの平和の姿であった。


( 池田1-2中京、延長10回サヨナラ勝ち )

264名無しさん:2018/09/23(日) 15:57:26
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1987年8月16日  二回戦  「 生れたてのヒーロー 」


ヒーローは アッと云う間に誕生する 長い時間をかけて殻を脱ぐのではなく パチンと弾ける

そして 飛び出す ヒーローは日常の人ではなく 神との二人三脚であるから そういう形をとる

アッと云うのも無理はない 


生れたてのヒーローは 青空と同じ色のユニホームを着て 染まるのか 溶けるのか

光り輝やく甲子園に躍る 素質には恵まれているものの まだ若い二年生だと そんな目で見つめていた人々に

ただごとでないものを感じさせる どうやら 一年早く飛び出したらしい


横浜商 古沢直樹 二年生 百八十二センチ 七十五キロ 二試合連続完封 二試合連続本塁打

そして この日 昨年の覇者を封じ 一発で野望を砕いた


濃い眉の下の鋭い目 稚さをそぎ落した頬 細いと見るか しなやかと見るか 鞭のようにしなる躰

凄味にはまだ至らないが 少年とは呼べない 神の人選に間違いはなかった 自覚しなかったヒーローが

これ以後自覚を強いられる しかし 気にすることはない このままの勢いで化けてくれ



明暗ともに投手の日であった。横浜商の古沢投手は、かくの如き印象を与えてヒーローとなった。
無理矢理ではなく、スッとなってしまうのが今風である。 第一試合で、帝京の芝草宇宙投手が、
大会史上二十一回目のノーヒット・ノーランを達成した。

芝草に関しては、ぼくの予感を自慢させてほしい。 四日目に、この、甲子園の詩で
「宇宙という名の少年の、更なる宇宙は、またひろがったに違いない」と書いている。

そしてもう一人、沖縄水産の上原晃投手は、予想外の大敗を喫し、最後の夏も早々に去ることになった。
「泣くな一年生」から、「未完の楽しみ」と、二年つづけて詩を贈って来たが、今年は、
無言を最大の詩として、見送りたいと思う。 いつか、また・・・。


( 横浜商1-0天理 )


沖縄水産、上原投手・・・

完成度の高い速球に「沖縄の星」として注目を集め、阪神がドラフト1位で指名すると噂されるも、
明大への進学を希望。 しかし、中日が3位で強行指名し、星野監督の説得もあり中日への入団を決意する。
ルーキーの上原は、ウエスタン・リーグ最優秀防御率及び最多勝率を記録した。

一軍に抜擢された後は、抑えの郭源治に繋ぐ前のリリーフを任せられ、8月7日にはプロ初勝利を挙げる。
同年は24試合に登板、防御率2.35と堂々の成績を残し、日本シリーズでも登板。

翌年から先発に転向するが実績は残せず、1991年にセットアッパーに戻って8勝をあげる。
しかし指先の血行障害で手術を余儀なくされ、その後は登板機会も少なく、1996年には中日を自由契約になる。
広島、ヤクルトと球団を転々とするが一軍登板はなく、1988年限りで引退。 現在は整体師を務める。


古沢投手・・・社会人野球(日本石油)、プロ入りぜず。

265名無しさん:2018/09/23(日) 17:16:30
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1987年8月17日  三回戦  「 青春三部作 」


大河ドラマの三部作を この夏 きみたちは 見事に完結させた 充分に歓喜に満ちた

そして 明日への希望にあふれた 晴ればれとしたENDマークを 自らの手によって出したのだ


思えば この三年間 東海大山形の甲子園は さながら 激動の魂の放浪を描く 青春のドラマに似て

次から次へと重い枷を与え 夢という言葉の甘い思いを 粉々に打ち砕きつづけた


しかし きみたちは 三年目の今年 暗雲を払い 一条の光を見つけ キラキラとあふれさせたのだ

一昨年の記録的な大敗は 屈辱と同時に立ち上る意地を教えた

昨年の一点の壁は ほんものの口惜しさを教えた 


第一部は激流  第二部は厳冬だった  そして 第三部 きみたちは 黎明と名付け得る試合をした

夜が明けた 過酷なだけであった甲子園が 初めて きみたちのために 運命の駒を動かした

努力と敢闘への好意に思えた 訪れた時と去る時と きみらは違う顔をしている



三部作は、東海大山形にとって意味あるものであると同時に、見つづけるぼくにとってもそうであった。
個人を追って見ることもあるし、学校を気にすることもある。
個人の場合は三年間で一つの解決を見せて行くが、学校の場合は、ひきついで行く。

一昨年、PL学園に29-7の大敗を喫した選手と、今年の選手とは全く違っているのだが、
それでも何かが残され、残されたものを背負ってやって来なければならない。
それが高校野球の独持のものであろう。

しかし、東海大山形は、見事にそれらをふり払い、幸運にも恵まれたが、甲子園で二勝した。
二回戦の大勝は、重荷を降ろした歓喜の躍動にも見えた。 残念乍ら、三回戦で惜敗したが、
迎える言葉は、拍手であろう。


( 北嵯峨3-2東海大山形 )

266名無しさん:2018/09/29(土) 10:03:32
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1987年8月18日  三回戦  「 キャプテン 」


ヒーローという言葉は ケバケバし過ぎる 殊勲者でいい その方が如何にも地道に しかし しっかりと

勝利に貢献した感じがする たった一点を競う接戦の その一点を叩き出したのは キャプテンだった

帝京高 捕手 八番打者 木村亨 やはり 殊勲者の方が似合う


試合は動かない 一進一退もミリの単位 実力伯仲の好敵手が ただ荒い息だけを吐きながら 

押し合う姿になる 走者はにぎわっても二塁は遠く 三塁は更に 本塁はかすむ遠さ 静かな緊迫の連続

それは それで ヒーローが誕生する舞台が さりげなく整ったことでもある


そして ヒーローが いや 殊勲者が快打を放った 甲子園ノーヒットの八番打者に 監督は勝負を託した

それは 多分 信頼というエネルギーとともに 渡された賭けに違いない


キャプテンはたった一本のヒットで キャプテンを証明した ヒーローという言葉は ケバケバしい

殊勲者でいい 曇天の甲子園に いい光がさした瞬間だった



そう云えば、殊勲者とか、貢献者という言葉を忘れていたなと思う。 それだけ野球がケバケバしくなり、
カキーンという金属音に心を奪われがちだが、鈍い音の快打の意味深さにも感動しなければならないだろう。

片や、ノーヒット・ノーランの芝草、片や、二試合連続完封、二試合連続ホームランの古沢と、
甲子園で花開いたヒーローたちを擁し、しかも、京浜対決という煽りも効果的で、壮絶な試合になると思われた。

しかし、試合は静かに推移し、花に勝る実のある殊勲者の一打で試合が決した。 そうなのだ。
あの芝草のノーヒット・ノーラン、彼のボールを黙々と受けつづけ、記録のアシストをしたのも木村捕手である。


( 帝京1-0横浜商 )

267名無しさん:2018/09/29(土) 11:17:28
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1987年8月19日  準々決勝  「 怪物になった 」


一つ勝って 爪が尖り 二つ勝って 牙がとび出し 三つ勝って 鬣がさか立ち 

四つ勝って 翼が生え とうとう天空を翔ける 轟々の羽音の怪物になった

風を起こし 砂を巻き上げ 流れを逆流させる勢いだ


夏の日の眩しさを翼に飾り 自信と誇りに目を光らせ 虹の尾を引いて 見たこともない怪物が

甲子園を舞う もう弱いとも 普通だとも 力が無いとも云えない 

 
この自信と粘りと 更に 更に 圧する勢いの どこが弱いと云える 

あの信じる力と集中する念力に 弾き出された球の速さを見 どこか非力と云える 


しかし 弱いも 平凡も 非力も 誰の見間違いでもなく 一週間前までは

確かにその通りだったと思うと 少年の奇跡 人間の可能性に嬉しくなる


不可能に屈しない 逆境に諦らめない 好機を裏切らない 負の意識を持たない

一日の試合で これだけのことを証明して 常総学院は怪物になった



三千九百校の頂点に立つために、三千八百九十九校に勝たなければならないと思うと、気持が萎える。
絶望する。しかし、十二勝すれば、たった十二勝てば、三千九百校の中の一位になれるのだと云われると、
可能性がありそうな気がする。

三千八百九十九回戦う気になるか、十二回でいいと思うかは、ちょっとした発想の展開で、これは人生にも通じる。
勝ちつづけ、化けつづける常総学院を見ていると、これに近いものを感じる。 

遠く感じない、重く感じない、たったこれだけのことが、こんなにも重要なことに通じるという認識があるように思えてならない。
それはともかくとして、今大会の常総学院は驚くばかりである。
土壇場で代打に出た甲子園初打席の益田の殊勲打などは、まさに、好機を裏切らない、であった。


( 中京4-7常総学院 ) 4点を先取されたが、初出場の常総学院が逆転。

268名無しさん:2018/09/29(土) 12:25:26
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1987年8月20日  準決勝  「 去り行く夏とともに 」


ほれぼれとして見つめた好投手に 去り行く夏とともに別れを云いたい それは きみに

微笑みそこねた女神の 少しばかりのざんげでもある 東亜学園 川島投手


クルリと勝利が背を向けた瞬間 頬先で光っていた汗の玉が 凍りついて見えた

さて きみは 甲子園が不似合いなくらいに 大人の投手の技を見せた 


きみが投げると 不思議な静けさがあった 豪球でありながら荒々しくなく 

速球でありながら猛々しくなく ひとときも自己を見失うことなく 完璧に投げた

心と躰のバランスが きみほどに見事な投手は この夏いなかった 


その瞬間まで 頬先からしたたり落ちる汗は キラリと光りながら生きていた

サインをのぞき込む時の 激情を静かなエネルギーに変える その表情が好きだ


一喜一憂の愚かしさを どこかで知ったに違いない

無邪気な気合の空しさも 感じたに違いない 堂々の大人の投手であった

敗戦投手に ほれぼれと 夏傾いた季節とともに ほれぼれと さよならを



こんなことってあるんだな、起り得るんだな、と思わせるのが甲子園である。
毎年それを感じていながら、しかし、絶対に予測の立たない、こんなこと、が次々と起きる。

だから、ぼくらは、自分の生活や人生の何かを重ね合せながら、いわば、
縁もない少年たちの野球に熱中している。 どこが勝った負けたより、生きることや、
戦うことについてまわる微妙な明暗に気を奪われる。

一つの失投や、一つのエラーの、スコアブックをはみ出した部分を考えると、
かなり重いものも大分たまる。 かと云って、辛いかというと決してそうではなく、
めったに感じない驚きもある。 常総学院は、あの箕島に似て来た。


( 東亜学園1-2常総学院、延長10回サヨナラ勝ち )


東亜学園、川島投手・・・

理想的なフォームで、34イニング連続無四球という抜群の制球力で完成された投手といわれた。
阪神、近鉄、広島の3球団からの1位指名を受け、広島が交渉権を獲得し入団。

高卒新人ながら即戦力として期待され、ルーキーイヤーから一軍登板を果たしたが、
伸び悩み、ピッチングフォームの変更による肘の故障にも見舞われ、大成することはなかった。
2007年からは東京都の一橋整骨院で院長を務めている。

269名無しさん:2018/09/29(土) 15:06:30
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1987年8月21日  決勝  「 夏燃えて 」


栄冠を手にした少年が行進する 惜しくも敗れ 大旗の代りに 敢闘という言葉を手にした少年が

さわやかに後につづく 一番晴れがましい行進が 熱狂に至らず胸ふさがれるのは やはり季節のせいか


七百三十五人の開会式が 閉会式では三十人になる この場にいない七百五人の 満足と無念をついつい想う

むしろ それを想う そうなのだ 夏は瞬時にして想い出に変り 行進が終った土の上には 青春の記憶だけが残る


最後の夏の最後のイニングだけ 大器の証明をしてみせた 沖縄水産の上原投手 エースの不調に

思いがけない登板の機を得  黙々と好投した佐賀工の和田投手 みんなで甲子園をと

代打に起用された延岡工の控え選手たち カラカラと音立ててシーンがまわる


生々しい筈の記憶が どこか遠い過去に思えるが 鮮やかさに変りはない 行進の後にまだまだ

それぞれのドラマを演じた 少年の夢と現実がつづく それを幻想している間に 甲子園は秋になった

春夏連覇 PL学園おめでとう 青い青い空です



やはりPL学園は強かった。 全国球児たちの絶対の目標にされながら、なお勝ちつづけ、
桑田・清原時代にもなしえなかった春夏連覇を達成したのだから、ほんものの強さである。

今年のPL学園が強さの割りにさわやかだったのは、受けて立つという気負いや自意識がなく、
挑戦者の姿を貫いたところにあると思う。 PL元年、真のチームづくりによる勝利ではなかったかと思う。
もし、受けて立つ意識があったら、あの常総学院の勢いに敗れたに違いない。

今年の夏は短かかった。 毎日毎日面白さが発見出来た。 青春の注射をしつづけ、昂揚の限りをつくしたが、
それは、ぼく一人ではない筈である。 今、胸の中にはたっぷりと熱いものが残されている。


( PL学園5-2常総学院 )



1987年の出来事・・・国鉄分割民営化、 大韓航空機爆破事件、 ブラックマンデー 世界同時株安、

              後楽園球場最後の公式戦、 安田火災がゴッホ「ひまわり」53億円で落札

270名無しさん:2018/09/30(日) 10:32:28
☆ 50年前、第50回夏の甲子園の記憶  ( 「Number Ex」増田  ) ①



100回目の全国高校野球選手権大会が終わった。
決勝戦の日、私は大阪にいた。

生家が経営していたものの、店をたたんで廃屋同然になったレストランがある。
その店を取り壊すのに立ち会うためだ。  ギラつく太陽の下、重機がモルタル壁をぶち破る。
鉄筋がひしゃげた。 もうもうと舞う粉塵に作業員がホースで水をぶっかける。

50年前の昭和43年、レストランはオープンした。 その年、夏の甲子園は50回記念大会。
全国2485校から48校が勝ち上がっている。 アメリカ統治下の沖縄から来た興南高の姿もあった。


感慨にひたっていると、ケータイのニュース速報が大阪桐蔭の優勝を知らせた。
「オーサカトーイン? なんぞ、それ」  「東京のやつらが『大阪は遠いん』とかいうてけつかんのやろ」
「違うがな、北大阪の代表校や」  「アホ、大阪は興國やないけ」

無残な残骸となったレストランから、当時の客たちの声がきこえてくるようで、思わず私はあたりを見回してしまった。
1968年の夏、興國高校は初出場ながらアッパレ初優勝をとげてみせた。


当時の私は小学2年生、やっぱりメッチャ暑かったこの夏を、昨日のことのように覚えている。
レストランは東大阪市にあった。

近鉄大阪線と奈良線が分岐する布施駅が最寄り駅。
中河内の東端で、大阪市生野区と平野区の境界線が複雑に入り組んだエリアだ。
やたら零細工場が多く、町の風景を決定づけている。 油で汚れた菜っ葉服のオッサンたちが、今となれば妙に懐かしい。

こんな町の店なのだから、レストランといっても高級フレンチ、ワインセラーとはほど遠い。
食堂に喫茶店と居酒屋をぶちこんだような店だった。
夏来たりなば、窓にでかでかと「クーラー完備」「大型カラーテレビ」「甲子園放送中」の手描きのポスターが貼られていた。

「ようようハンディが決まったで」 秀やんがノートをかざす。 

あちこちのテーブルに散っていたオッサンどもが、わいわいと集まってくる。
組み合わせ抽選が決まった日を機に、店の話題は高校野球一色になった。


「優勝候補はどこや」 「倉敷工に広陵、海星ちゅうとこやろ」

「ふん、西にばっかり賭けても儲けは少ない。わいは日大一に張るで」
「あほんだら、大阪のモンが東京の学校やと。間違うても、そないなこというたらあかん」

大阪人にとって東京というのは、今以上に何につけ目障りな存在だった。
「もう締め切るで。早よしてや早よ」


こう、わめく秀やんは40がらみの旋盤工で、若い頃はミナミ界隈でブイブイいわせてたらしい。
高校野球が始まると、昔取った杵柄、胴元の手先として大活躍する。

「根性なしは1回戦を指くわえてみとれ。 そん代わり2回戦からハンディが厳しなんど」
「ちょっと待ったらんかい。掛け率の計算がややこしい。ソロバンもってきて」

とはいえ、彼らが損得だけで高校野球を観ていたのかといえば、それはまったく違う。
やっぱり、高校野球は独特の魅力に満ち、強烈な磁力を放っていた。 ②へつづく。

271名無しさん:2018/09/30(日) 10:58:15
☆ 50年前、第50回夏の甲子園の記憶  ( 「Number Ex」増田  ) ②



あの頃は野球留学なんて、あまりいわれていなかった。 選手は地元出身のヒーロー。
おまけに、近所の兄ちゃんということさえあった。 おのずと親近感がわき、応援のボルテージも高まってくる。

しばしば起こる大逆転劇は、筋書なしのスリリングさを生む。一戦必勝のトーナメント戦だからこそ、散ったチームに光があたる。
「ようがんばった、負けて悔いなしや」 オッサンは敗者に己を重ねているのか。  夏の甲子園は明日のスターの宝庫でもある。
「この選手、阪神に引っぱったらどないや」


朝日新聞、NHKら大メディアあげて「清く正しく美しい高校野球」と謳う戦略も功を奏した。
もっとも、大阪の球児にはヤンチャなのが多かった。 でも、そんな連中が必死のパッチでプレーする。
あまつさえ泣きだすのだから、こっちもジ〜ンとしてしまう。

「えらいこっちゃ、また興國が勝ちよった」

肝心の第50回全国高校野球選手権大会は大阪代表が金沢桜丘、飯塚商、星林、三重と撃破していく。
準決勝では、人気ナンバー1だった沖縄の興南を14-0の大差をつけ圧勝してみせた。
「決勝の相手は静岡商かい」


興國の投手はアンダースローの丸山朗。 コーナーのギリギリに投げ込む制球力には、ため息がでる。
ここまで完封4試合で1点差が1試合と完璧だった。 圧倒的に投のチームだが、準決勝では打棒が大爆発している。
秀やんはノートをみつめてつぶやく。  「これでオッズの潮目がかわったの」

勝ちを重ねるにつれ、大阪代表校の評判は高まる。 レストランにたむろするオッサンどもが浮足だってきた。
それどころか、近所の商店街でも「コーコク」「オーサカ」「ユーショー」と声高にいいかわされ、
今や大阪中に響きわたる大合唱になっているのだ。 「こうなったら、マジで応援せなあかんで」


「坊(ぼん)、大きなっても、おっちゃんらみたいなことしたらあかんねで」
50年前、小博奕にうつつを抜かしていたオッサンは、私の頭を撫でながら自嘲気味にいったものだ。
「たかがタバコ銭やゆうて賭け事してるけど、このカネを貯金したらけっこうな額や」

してみれば、彼らにも“違法行為”に手を染めているという自覚はあったはず。
そのくせ、昼休みになれば、工場の隅でオイチョカブやらチンチロリンに興じているのだから始末が悪い。

おまけに、広場と呼ばれる空き地では、しばしば闘鶏が行われ、血煙をあげる河内軍鶏の勝敗にもカネが行き来していた。
オッサンはペロリ、舌を出すのだった。  「へへへ。庶民のささやかな手慰み……」


郷愁をまぶした昔話に酔い、彼らを擁護するつもりはない。
ただ、半世紀前の布施界隈で、高校野球をめぐりあれやこれやがあった。そのことを摘記していく。

「大阪代表の興國はどないやねん」  「ここに書いたある」  秀やんはノートを示す。
鉛筆書きの汚い字で、なにやら細かい数字が並んでいる。

「1回戦、金沢桜丘相手にハンディ5かいな」  「興國の前評判、そないにようないねん」
興國は春の選抜大会にも出場したが、初戦で仙台育英に8-9と打ち負けていた。 ③へつづく。

272名無しさん:2018/09/30(日) 11:20:30
☆ 50年前、第50回夏の甲子園の記憶  ( 「Number Ex」増田  ) ③



「ナンギなこっちゃのう」  「けど、勝ったらぼろくそ儲かるがな」  「よっしゃ。郷土の代表に千円張っとくわ」
「伊藤博文とはケチくさい。 大阪代表を意気に感じとるなら聖徳太子いっとけ」

「聖徳太子ちゅうたら五千円のほうか」  「アホ、万札に決まっとるやないけ」
「きつい、それ。岩倉具視でもええくらいや」  オッサンどもはオバハン以上にかしましい。
「ほな、今日はこのへんで」

秀やんは集まった札束(ほとんどが千円札)の角をトントンとあわせ、ラクダ色の腹巻にすっくりしまいこむ。
「安心せい、お支払いは現金決済や」


対戦する静岡商は強敵だ。1年生エースの新浦壽夫は大会屈指の好投手で完封3試合、
1失点完投2試合と力投を続けてきた。ぶ厚い黒縁メガネがキャラを決定づけている。

「わいは静岡商を応援する」  「さよか。けど、やっぱり興國やで」
「明日は正々堂々と戦おうやないか」  そこにいた皆が、瓶ビールを傾け健闘を誓いあうのであった。


50年前の8月22日、木曜、この日も大阪は暑かった。

興國、静商とも勝てば初優勝だ。  甲子園の熱戦はNHKと朝日放送がテレビ中継する。
同じ試合を2局も同時に流しやがって。 おまけに大阪は東京より1局少ない。

テレビっ子だった私は大いに不満だったのだが、この日は黙ってテレビの前に座った。
しかも、私のみならずガキども、いやお子様たちにとっても、甲子園大会は思い入れが強かったはず。
春から伝説のスポ根アニメ『巨人の星』が放映されていたからだ。

♪重いコンダラ、試練の道を♪ 68年の夏休み、アニメでは星飛雄馬が青雲高校野球部で甲子園出場を目指していた。
ちびっこは虚構と現実をごちゃまぜにして、自分が甲子園のマウンドにあがったり、
ホームランをかっ飛ばすシーンをオーバーラップさせていた。


本家の決勝戦は、予想通り胸苦しくなるほどの投手戦となった。 命運を分けたのは5回裏だ。
興國の丸山が内野安打で出塁。 次のピッチャーゴロの処理を新浦が誤り、丸山は2塁にすべりこむ。
打順がトップにかえってセンターへヒット! 興國が1点を先取した。

この時、工場の旋盤やフライスが止まり、町中にウオーッと、どよめきがこだましたのを鮮明に覚えている。
果たして、興國高校は虎の子の1点を守り抜き、大阪に5年ぶりの深紅の大優勝旗をもたらせてくれた。

「ほれみい。興國が優勝したやろ」   「おのれは東京代表に張っとったやないか」
この夜、レストランは常連客による祝勝会とあいなった。

「死のロードで甲子園を留守にしてた阪神、知らん間に首位の巨人に詰め寄っとる」
「プロ野球も大阪が優勝じゃい」  「再来年は万国博覧会、景気ようなんで」
同じような光景が、大阪のあちこちでみられたことだろう。


静岡商の新浦は同年9月、電撃的に高校を中退しプロ入りする。 長嶋巨人のエースから韓国野球へ。
日本球界に復帰し大洋、ダイエー、ヤクルトと渡り歩く波乱の野球人生を送った。 昨年まで母校のコーチを務めていた。
興國高の丸山は早大に進んだが、プロ野球選手にはならなかった。今は運送会社の社長さんらしい。

レストランは跡形もなく更地になった。  町の様相だって激変している。
工場は消え、マンションや建売住宅が並ぶ。 首からタオルをぶら下げたオッサンはもちろん、
白いランニングシャツに短パン、膝小僧に赤チンを塗って走り回る子どもの姿もない。

私だって大阪を離れて34年になる。 もう、二度と故郷で暮らすことはあるまい。
「変わらんのは、この暑さだけやな」 時間を確かめた。 布施駅から新大阪駅まで30分ほど。
夜遅くならぬうちに、東京へ帰ることができる。



この頃は、大っぴらに、大なり小なり賭けをやってて、お咎めもなかった。古き良き時代です。
財布に岩倉具視が入っていると、リッチな気分だったのを覚えている。
倉敷も、いよいよ大優勝旗だと盛り上がった夏でした。

273名無しさん:2018/09/30(日) 12:51:31
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1988年8月8日  一回戦  「 これが本物 」


自信という言葉ほど 曖昧で捉え難いものはない あるかと問われれば あると答えるが

しかし どの部分にどんな形で存在しているのか 答えられる人はない 

常に幻想かと気遣いながら 確信に至る道を歩こうとする 


もしかして 本人が語れる自信というものは 誰にも永久に訪れないかもしれない

だが それは 本人の心の葛藤であって 外から見ると たっぷりと自信にあふれて見える

ということがある それが人を圧する


宇都宮学園のナインの動きに それぞれの意識を超えた自信が いきいきと表われているのを 見てとった

大会第一日 第二試合 宇都宮学園対近大付高は 興奮の日々を重ねたあとの ベスト4の戦いにも思え

ある種の風格さえ備えた 好試合であった


五分五分の力が 五分五分の力ゆえに 動きのない試合に見せたが 実は 激斗と云えるものをひそめていた

そして 一発のホームラン 踏ん張ったリリーフの好投 外貌淡々 内面烈々 それが自信の形かと思えた



春には、いくぶん元気のいいチームに思えた。波に乗ったと感じた。それが、夏に見る宇都宮学園は、
説明し難い心のエネルギーを得てやって来たと、そんなふうに見えた。

春のベスト4の自信かも知れないし、その他に何か、少年を充実させることがあったのかもしれない。
理由を知ることは出来ないが、この夏を満喫しそうな、そんな予感を覚えさせるチームになっていた。

心と細胞に熱を与えてくれる二週間になるであろう。
短いながら、情熱の旅人の水先案内をつとめてくれるに違いない。
十年目を迎えた連載に新たな昂揚を覚えている。


( 宇都宮学園2-1近大付 )

274名無しさん:2018/09/30(日) 15:06:47
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1988年8月9日  一回戦  「 雲のオマージュ(讃辞) 」


健闘も 敢闘も美しい 熱闘も 奮闘も もちろん 素晴しい 60の能力の少年が

瞬間120の力を出してしまう そんな奇跡も 甲子園ならではの魔術で 感動もし 興奮もする

しかし 緊迫した美や ぎりぎりの力や 涙ぐましさだけで 甲子園があるのではない


時に 嵐のように吹きぬける天才や 雲のように 高さも 底辺の広さも 奥行きもわからない

巨大な少年の出現に 頬をゆるめることも また 大いなる楽しみなのだ


この日 その雲を見た 雲のような巨大な少年の一撃は 一本はバックスクリーンへ 一本はライト中段へ

のどかな風貌とは無縁の 鋭い打球を叩き込んだ 


4打席 3打数 3安打 1四球 2本塁打 5打点 福岡第一高 山之内健一 九州のバース 

しかし まだ実力はわからない それは この成績への不安ではなく 持っている力の限界が計れない

という意味である 雲よ どこまでも どこまでも 壮大な未知であってくれ



勝ちつづけるチームには、はっきりとした役割を持った四人が必要である。
好投手と、超高校級の重量打者と、野球博士と云われるタイプの守備と攻撃のキイと、それに、
突然のラッキーボーイである。

PL学園も、池田も、天理も、かつて強豪と呼ばれたチームは全て、この四人を備えていた。
そして、この日圧勝した福岡第一が、この條件を満たしていた。

好投手前田、超高校級重量打者山之内、野球博士は鮮やかなグラブトスの併殺を見せた山口、
ラッキーボーイは、途中出場で三安打の田村である。 そんなことを考えながら、二日目から、
そのような予測は早過ぎると、次なる試合に入って行ったのである。


( 福岡第一7-4法政二 )



山之内健一・・・ダイエーで1年のみ、一軍では7試合出場、安打なし。

前田幸長・・・ロッテ、中日、巨人でプレー、通算78勝110敗。

275名無しさん:2018/09/30(日) 16:37:30

「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1988年8月10日  一回戦  「 コールドゲーム 」


まるで波がひいた瞬間の 渚の砂のように 鈍く銀色に光るグラウンド マウンドは既に泥濘で

投手のスパイクは足首まで埋まる 一投一投にポケットのロージンにふれ 雨滴のしみこんだ白球に

意志を伝えながら いや 願いをこめながら投手は投げる


雨 甲子園は激しい雨 悲願の晴舞台は イメージに描いた カッと照る太陽や 灼ける土や

のしかかる入道雲や 幻覚を誘う陽炎ではなく ただひたすら 自らとの戦いを強いる激しい雨

黙々と耐え 胸の中に炎をかき立てるしかない


初陣高田高の 夢にまで見た甲子園は ユニホームを重くする雨と 足にからみつく泥と 白く煙るスコアボードと

そして あと一回を残した無念と 挫けなかった心の自負と でも やっぱり 甲子園はそこにあったという思いと

多くのものをしみこませて終った 

高田高の諸君 きみたちは 甲子園に一イニングの貸しがある そして 青空と太陽の貸しもある



せっかくの甲子園だから、いい条件で力を試させてやりたかったと誰もが思う。
条件はともかく、九回は戦わせてやりたかったとも思う。 初陣の高田高は、八回降雨コールドゲームで
滝川第二に敗れたわけだが、もしかしたら9対3という勝敗より、九回出来なかったことに心残りを感じるかもしれない。

とはいえ、あれ以上の続行は不可能であっただろうと思う。 勝負の場合、誰にも公平にと、すべての人が気をつかい、
同じ条件に至るようにとルールまで作るのだが、それでも、完全に同じ条件は作れないことがよくわかる。

教育的と言うなら、これほど教育的なケースワークはない。 人が生きるのは常に全天候対応ということで、
悪意がなくても、有利不利はつきまとうものなのである。


( 滝川第二9-3高田、8回裏二死 降雨コールド、56年ぶりの出来事 )

276名無しさん:2018/10/06(土) 10:11:27
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1988年8月11日  一回戦  「 誰も傷つかない 」


やはり甲子園は 晴れた日の光と熱が似合う 舞台が整えば 少年には 舞台を超える力がある

光と熱を 太陽や土から奪うこともできるのだ 


東海大甲府・金沢 それにしても きみたちは 何という凄い試合をやったのだ もしかしたら これで

夏が終ってしまうのではないかと おそれるほどの 最興奮試合であった


戦術も 戦略も 甲子園が何であるかも 充分に心得た両校が 互いの力を認めつつ しかし

おそれることなく 多分に昂揚を示しながら 激しく組み合った一戦は あらゆる劇的要素を盛り込んで

波乱含みに展開した 


球運に翻弄されるのではなく 球運を力と気合で引張り合う そんな緊張がグラウンドに満ち

わずか二時間の間に 人生の戦いを凝縮した 


試練と充足を与え プレイボール時とは比較にならない 大きな少年たちを作っていた 勝者があり

敗者があっても 傷ついた人は誰もいない 全員が 自慢出来る想い出を残した 理想的な試合であった



少年は、充実した状況と、緊迫した時間と昂揚する立場を与えると、太陽を浴びた夏草のように、
二時間で成長し、姿が変わる。 高校野球を陶然と見るのは、母校がどうの、野球がどうのを超えて、
こんな奇跡が存在するからである。

はっきりと、プレイボールとゲームセットの間に、キュッと伸びることがある。それをこの試合で見た気がする。
多分、何にもかえ難い、素晴らしい二時間あまりであったのだろうと思う。

点にならなかったのは、攻めのミスではなく相手に超美技が出たからである。
点を奪われたのは、守りのミスではなく、相手の力がこちらの全力を超えたからである。
ヒーローの蔭の悲劇の人のいないこの試合を手放しで称える。


( 金沢3-4東海大甲府、サヨナラ勝ち )

277名無しさん:2018/10/06(土) 11:38:27
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1988年8月12日  一回戦  「 普通であること 」


普通の人が 確実に普通のことをやり 普通に徹することで 特別をしのぐ結果になることを

きみらは 鮮やかに証明してみせた 怪物もいない 大器もいない 怪童も 天才も ましてや 

野球の鬼も見当らない 


普通の体格の 普通の技の 普通の少年たちが 華やかさを捨てて地味に 大きさを捨てて確実に

幻想を捨てて確実に そう 出来ることを出来るように 臆することなく素直に出して

晴舞台での華やかな一勝を得た 


初出場 浦和市立 記録を見ても恐いものは何もない 49代表の最低定打率  メンバーを見ても

身ぶるいすることもない 普通の高校生の 平均体格が並んでいる しかし ただの普通で

強豪ひしめく激戦区を 勝ち上って来る筈がないのだ 


何故負けないのか 何故勝つのか もしかしたら 何故という種明しを 甲子園の場で きみら

浦和市立はしつづけるのかもしれない



ふと、仕事のヒントを得たような気がする。 浦和市立の圧勝の姿を見てである。
とにかく、浦和市立は打てないという評判であった。 それが、15安打も打って勝った。
人の信頼を得るということは、相手の期待を見事に裏切ることである。

期待の範囲内におさまることではなく、期待の枠外へ振ることである。 
この程度とか、こっちの方向と思われていることを完璧に裏切ってみせることが、
相手への最高の誠意であるとも云える。この程度のところでご期待に応えても仕方がない。

そういう意味では、浦和市立は大変な裏切りで、最低打率の貧打線という評判を、
15安打の猛打線に書きかえたのである。 まだ天気が不安である。関東では地震もあった。
大会は、波乱の裏切りを示しながら、進みそうである。


( 浦和市立5-2佐賀商 )

278名無しさん:2018/10/06(土) 12:55:33
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1988年8月14日  二回戦  「 限りなく・・・そして更なる拍手を 」


延長戦になり 本塁は果てしなく遠くなった 何度もその前まで行きながら その都度遠くなる気がした

本塁を駆けぬける幻想さえ 浮かばなくなってしまった十四回  


突然 勝利の門は目の前にあった 白球は右中間にあり 三塁ベースをまわった時 相手の外野手は

既に返球を諦らめていた 浜松商 サヨナラ 


五万五千人のスタンドの熱と 三十一・四度の厚さと 五十九%の湿度の息苦しさが歓喜と

悲鳴をカクテルして 爆発した  多分 勝った浜松商ナインにも 敗れた池田高校のナインにも

体内に残されたものは 何もなかったであろう

完全燃焼が単なる言葉ではなく 真に体内の酸素を燃やしつくした そんな感じのする熱戦であった


この試合を語る時 技がどうの 作戦がどうのは 全く無意味な感想で 驚異的な粘りを見せた両校ナインに

限りない拍手を送ることが 好ゲームに接した人間の 最小の敬意の表現であろう

二百球を超え あるいは 二百球に近く ともに一人で投げた両校投手に 更なる拍手を送りたい



池田高の圧勝になるかと思われた。その流れを断ち切ったのは、四回の、浜松商のレフト西尾のファインプレーである。
同姓の池田西尾の左中間のライナーを、躰を地面と平行にしてジャンプ、地上数十センチのところでキャッチして、
躰は何メートルが緑の芝生の上を滑った。

こういう美技は、一点の追加を防いだというだけではなく、時の勢いの流れを変える力を持っている。
それと、五回、同点になるきっかけとなった山田の三塁前バントヒット。
これも、やっと方向を変える意志を見せた勝運の流れを、決定づけたものと云える。そして、勝った。 

それにしても、凄い試合をやったもので、浜松商・岡本投手、池田高・桜間投手には、
握力で計り得ぬ力の存在することを、知らされた思いがする。


( 池田2-3浜松商、延長14回サヨナラ勝ち )

279名無しさん:2018/10/07(日) 10:11:32
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1988年8月15日  二回戦  「 大魚の夢 」


善戦も 健闘も 讃辞の一つではあろうが やはり どこか空しい 

とり落した大魚が 再び水面に跳ね上って姿を見せた時 倍の美しさと 大きさに見えるように

幻の甲子園一勝も 善戦健闘が事実であるだけに 悔しさは増すであろう


ただの悔やしさではなく 充分に誇りに満ちたものであっても 去ることはない

きらきらと鱗を光らせた 勝利という名の大魚は 最後の最後 するりと体をかわしてしまったのだ


初陣 上田東高 対する相手は 夏の出場二十一回 優勝五回の 古豪広島商 

相手にとって不足はない どうせやるなら名門がいいと 全力でぶつかって 緊迫の熱戦をくりひろげた 

そして 勝利と同じ価値の敗戦 という評価を得たが やはり 同じではない


今年の夏の甲子園はもうないのだから 上田東高の諸君 大魚は益々大きく美しく思えるだろう

しかし ぼくらは違う 人の記憶は記録を超えることがあり 記録では敗者でも

記憶ではすがすがしい勇者として そう きみらこそ光る大魚だと 鮮やかに残るのだ 



前日の浜松商と池田の十四回の熱戦の余韻が残っていたのかもしれない。
あのように激しくはないが、静かな緊張に満ちた延長十回戦であった。

新鋭と古豪とは云っても、人が入れかわって行くわけだから、その時点では全く同等の筈なのだが、
そうでもないらしい。 受けつがれた無形の財産が、名前も大きくし、新鋭校を圧する気を放つのである。

その中でも、最大のビックネームである広島商に対した上田東は、アヘッドにも気後れすることなく、
二度までも逆転して、古豪を慌てさせた。そののびのびとした戦いぶりは、実に甲子園がよく似合う姿と動きで、
敗れはしたが印象に残るものであった。


( 上田東3-4広島商、延長10回サヨナラ勝ち )

280名無しさん:2018/10/07(日) 11:27:29
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1988年8月16日  二回戦  「 泥の勲章 」


ミラクルを超えるミラクルだと 誰もが思った それほどに八幡商ははつらつと 宇部商を圧し

甲子園を圧し 甲子園を魅了した 二塁打を放ち 猛然とセカンドへスライディングした

田中の顔半分が泥で汚れ しかし それは 闘志を称える勲章に思えた


田中はその勲章をぶら下げたまま スクイズ失敗を 得点につなげる好走を見せた

それが幕あけのファンファーレで 八幡商は全員が よく走り よく守り ミラクルの名を奪う勢いだった


執念があるとかないとか 闘志あふれるとか欠けるとか それは考えてみると 手首から先一つ

時には指の関節一つの差で ホームベースの端に触れたり 落下するボールをすくい上げたり

つまり もうここまでと思った後の 闘志と執念で伸びる数センチ数ミリは 大変な結果の差となって現われる


八幡商ナインは 一つでも先の塁へ 一センチでも前への意をみなぎらせ 真の闘志や執念を知る姿を見せた

そして そのまま 勝利へつき進むと思われたが ミラクルの名は奪えなかった

だが 泥の勲章は ピカピカに光り輝いている



宇部商の粘り強さ、そして、ミラクルを実現してみせる潜在パワーには驚かされる。
ミラクルは幸運や偶然ではなく、蓄積された力の噴出であり、この一点に集中出来る精神力であり、
好結果を思い描くことの出来るイマジネーションによるものである。

多分、信じる力、集める力、吐き出す力、そういったトレーニングが日常の中に組み込まれているのであろう。
春につづいて、またも、甲子園の奇跡、宇部商は誰もが称賛するであろうから、ぼくは、
八幡商の闘志と執念と、動くことに対する歓喜といった野球に目をやり、称えたいと思う。
あの守備、あの走塁と一つ一つ並べて数えたいくらいの気持である。


( 宇部商6-4八幡商 )

281名無しさん:2018/10/07(日) 12:52:29
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1988年8月17日  二回戦  「 心のこり 」


とうとう校歌を 聴くことが出来なかった 甲子園で勝利をあげながら 降雨コールドゲームのため 

セレモニーは 主将同志の握手だけで終った 敗れたチームの無念さに比べれば セレモニーのない無念さは軽かった


次の試合で勝ち 二勝分の感激と感動を味わえばいいと そう思ったかもしれない 滝川第二高校

一回戦の雨中の圧勝も 降りしきる豪雨と それに対する処置の慌しさの中で 歓喜も中くらいだった


校歌が流れ それに和し 校旗を目で追いながら涙を流す  称えるとか称えないとか 愛するとか愛さないとか

そんな思いを超えた熱い感傷が ある時代のある時間に 共通の感傷を刻みこむ だから その一瞬は

重々しいよりは甘ずっぱい 甘ずっぱいから値打ちがある


滝川第二高は 歌われなかった校歌 揚がらなかった校旗の心のこりを 取り払おうとこの日戦ったが 東海大甲府に敗れた

「ただいまから 滝川第二高等学校の栄誉を称え 同校の校歌を斉唱し 校旗の掲揚を行います」

いつの日か ほんの近い未来に その声は響くであろう



東海大甲府の都築が、五回に放った2ランホームランが、シーソーゲームのような一戦にケリをつけ、
それは同時に、滝川第二の、セレモニーのやり直しの夢を砕くものになった。かと云って、勝った東海大甲府や、
打った都築を敵役にしようというのではない。 これは、あくまで、感傷である。

そして、夏の高校野球には、力や、技や、勝負の機敏や、熱戦の興奮といった要素の他に、人それぞれが感じる感傷も、
大きな魅力の一つになっているのである。 さて、甲子園にようやく明るさが戻って来たようである。
近年なかったくらい雨にたたられたが、そろそろカッと照るだろう。 感傷も乾いていた方が甲子園らしい。


( 東海大甲府5-3滝川二 )

282名無しさん:2018/10/07(日) 16:57:32
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1988年8月18日  三回戦  「 一点の壁の向うに 」


他から見るとささやかで ほんの小さな目的に見えても それが最大で 

そこから全てが始まるということが よくあるものだ 一試合に 二十九点も取った学校もあるのに

江の川高にとっては 甲子園で一点を取ることが 小さくて大きい希望であった


誰のスパイクが踏んでもいい あの五角形のホームベースに 一点の刻印を記せば そこから先は

ささやかでない目的と希望を抱く そして 江の川高は あれ程遠く 薄情だったホームベースを

もう十五回も踏んでいるのだ


一点を念じる思いが いつの間にか 一勝のスケールにひろがり さらに さらに 

もう心を縛るものは何もなく 目的という小窓から 希望という未来を見つめている


いま 甲子園で自信に満ち かつての優勝校に逆転を許しながら 挫けることも 諦めることもなく

再度逆転する底力の持ち主にとって 一点の悲願は既に遠く 一球一球 一戦一戦を重ねる度に

自らの力を運を知り 新しい神話を作るだろう



江の川高は、一度自らが手放した球運を、ふたたび呼び戻して勝利を得た。 二点をリードして、
流れを作っていた七回、江の川の攻撃は3球で終った。 遊ゴロ、遊飛、中飛である。

これは、と案じていると、その裏、天理は無死満塁と攻め、後藤の走者一掃の二塁打で三点を奪った。
予感が当ったことに球運の恐さを感じ、試合はこのままかと思った。

逆転された次の回も第一打者が1球でアウト、実に4球で四死という状態であったが、
次打者谷繁の三遊間安打は強烈で、球運を呼び戻すきっかけとなった。 試合の流れが、
何によって変ったかと見るのがぼくの仕事であるが、このように流れが戻って来る例は珍しい。
力を感じる。


( 江の川6-3天理 )


江の川は過去二回の夏、いずれも初戦無得点敗退だった。

谷繁・・・大洋(横浜)、中日で通算27年、229本塁打、2108安打。

283名無しさん:2018/10/13(土) 10:05:29
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1988年8月19日  三回戦  「 劇的すぎる大逆転 」


もしも こんな状況で 自分が指名されたらどうだろう 絶好のチャンスだと武者ぶるいするか それとも

責任の重さに当惑し 過剰な意欲で硬直してしまうだろうか あるのは 功名のはやりか 失敗の戦慄か

いずれにしろ 突然のチャンスは 楽天と絶望の二重鏡で どちらの自分の姿を映せるか

人生のある瞬間さえ思い浮かぶ


一点をリードされた最終回 状況は 敗戦 同点 逆転の 三つのカードが用意され 

この一打席によってどれかが決まる そこでの指名が 重くない筈がない

宇部商 代打宮内洋 一年生 バックスクリーン直撃 逆転スリーラン・ホームラン


もしもとか 仮にとか 自分が直面した難事での 決意やら度胸やらと重ねながら 

大人たちが緊張するのを嘲笑うように まだほんの少年である筈の巨砲は 歓喜と悲鳴の渦の中を

悠然とダイヤモンドを一周した


あまりにも劇的で 劇的であり過ぎるために 他愛なくさえ見える 一瞬の逆転劇であった

甲子園にどよめきが流れた どよめきは 代打逆転を夢みる人々が吐き出す 若い心と肉体への

嫉妬と憧憬に違いない



一年生とは云っても、宇部商の宮内洋は、一メートル七十七センチ・九十三キロの堂々たる躰、
あの九州のバースに匹敵する。 しかも、先の八幡商戦では、これも代打で出て、
同点のきっかけとなる右線二塁打をはなっている。

普通の一年生の少年をイメージすると大分違って来るが、しかし、経験の少い一年生であることに違いはない。
それが、二度までも、ぎりぎりの土壇場で、大いなる重圧を背に打席に立ち、天晴れな結果を出したのだから、
驚きという他はない。

若い故の無心なのか、無心を作るための集中心が既に養われているのか、屈託多い、
無心になり難い大人としては、全く羨やましいかぎりである。
衝撃の甲子園登場の新たな重圧に屈することなく大成してほしい。


( 宇部商4-2東海大甲府 )


宮内洋・・・

史上初となる「代打逆転スリーラン」を放ち、この年はベスト8。
3年の夏もソロホームランを放つなどして3回戦まで進出。
卒業後、7年間住友金属でプレーし、97年に横浜5位指名され、念願のプロ入り。

二軍では主軸として好成績を挙げるが一軍では活躍することが出来ず、2001年引退。
一軍出場試合数は16試合で1安打だった。

284名無しさん:2018/10/13(土) 11:15:38
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1988年8月20日  準々決勝  「 スパイクの紐 」


二塁ベースを少しはずしたところで 上地が スパイクの紐を結びなおす

緊迫の空気が満ちる中での エア・ポケットのような真空の風景 九回裏 二死二塁 

同点に追いついた後の 勝ち越しを期待するランナー


本塁を駈けぬける祈りと執念が その小さな影に集約する そして 上間の一撃が右線へ 

魂を持った生きもののように 飛んで行った時 紐をしめなおした上地のスパイクは

本塁を歓喜で踏んだ 沖縄水産 サヨナラ勝ち 小さい風景から数分後だった


前夜試合が終ったのが十九時八分 この日試合開始が八時五十八分 激戦の十三時間五十分後に

もう新たな気持で グラウンドに立った 不利だとか 疲れているとか云うより 興奮の余韻の中で

勝利の昂揚が冷めない間に 戦う方がいい 多分そういう思いで きみたちは奮闘したに違いない


淡々と進む展開の中で 最後の最後に 心と技と力の全てを集めて 考えられる限りの

きみたちの一番いい野球をやり 非願への階段を 自力で駈け上った



沖田幸司がいた時の興南高校、そして、上原晃を擁した昨年までの沖縄水産、数年にわたってぼくは、
もしやという期待を抱いて、いや、もしやよりはもう少し強い希望を持って、沖縄県代表の優勝を予想していた。
しかし、正直云って、今年は、それ程強烈に感じていたわけではない。

圧倒的な力のスーパースターがいないせいかもしれないし、誰かに夢を託すという相手が存在しなかったせいかもしれない。
今年の沖縄水産のチームは、ぼんやりと見ていると強くないが、じっと見ていると強さが発見出来るチームである。
他所見をふり向かせる迫力はないが、見つめていると感心させられるチームである。


( 浜松商1-2沖縄水産、逆転サヨナラ勝ち )

285名無しさん:2018/10/13(土) 12:27:21
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1988年8月21日  準決勝  「 あと一日をのこして 」


一試合勝つごとに きみらは きみら自身の力に驚きながら 信じられないを連発していた

それぞれの肉体の奥深く それぞれの精神の核心に これ程に強いものが潜んでいたとは

今の今まで知らなかったと 勝者は驚嘆の目を見開き 時に 照れもした


青春が 自己の発見の最初の一人旅であるなら きみらは 何という実りの多い 発見の旅をしたことだろう

甲子園という やさしさと酷薄さを併せ持った海原で 人を呑む波もあれば 人を運ぶ波をあると知り

そして その真只中を泳いだ時 気負いや 力みや 晴れがましさを求める気持より 自分でありつづけることが

能力の発見の近道だと きっと実感したに違いない


浦和市立高 きみらの活躍は甲子園を沸かせ あれよあれよと云う間に勝ち進んだが 奇跡のかけらもない

勝っても 勝っても きみら自身でありつづけたことに 大いなる価値を認める 


ようやくにして 夏が戻って来た十三日目 きみらは晴れやかな笑顔で 甲子園を去った

あと一日を残したことに悔いはない



五日目に浦和市立が佐賀商に勝った後、ぼくは、「普通であること」という詩を書いた。
その結びに、何故負けないのか 何故勝つのか もしかしたら 何故という種明しを 甲子園の場で 
きみら 浦和市立はしつづけるのかもしれないと、こういう予感と興味を並べたのだが、まさに、
その通りの大会になったと思う。

まさに、浦和市立が提出し、浦和市立が種明かしして行く、何故こそが、
今年の高校野球そのものであったと云っても過言ではないだろう。

さわやかと、ムードで片付けられたらそれまでだが、さわやかを超えた何故を解き明かせば、
高校野球の役にも立つし、日常の生活でも教訓は多いと思える。


( 広島商4-2浦和市立 )

286名無しさん:2018/10/14(日) 10:22:30
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1988年8月22日  決勝  「 敗者の表情 」


涙するにしろ 笑うにしろ 勝者には どこか共通のものが見られるが 敗者の表情は 

実にさまざまである それは 自己の内なる期待の大きさと 比例するものかもしれないし

活躍の度合と 関係あるかもしれない 


わずか一点で敗戦投手となったエースは サバサバと いつにもまして明るく

最高の満足感を現わしていたのは 納得の行く快投がなし得たという 心の充足だろう


それに比べて 不発に終った巨砲の目からは 涙がとまることなく 場内を一周する時もなお

閉幕の現実を悔いるさまが見え 彼らが自らに課したノルマの大きさを 知らされた気がする


そして 一周の行進を遠く 松葉杖で見つめる負傷退場の土屋の 声なき慟哭とも思える表情は

男が泣く時の原点を感じさせた  第七十回記念大会 決勝戦  広島商1-0福岡第一


美を誇る刃物のような光もなく 天の存在を失わしめる高い空もなく どこか冷えびえと 鬱々と

季節の鬼子のように過ぎて行ったが 甲子園の中はまぎれもなく夏で ふんだんな感動と

たっぷりの涙で 十四日間を飾った



今年は十校あまりの学校に優勝のチャンスがあった。 図抜けた一校を中心に大会が進行するのではなく、
実力伯仲の複数校が、球運と、大会へ入ってからの進歩の度合をプラスにして競り合う、珍しい大会であった。

どこにもチャンスはあったが、結局優勝したのは広島商で、この高校野球の古豪は、
金属バット以後の野球の変化の中で、常に議論の中心に置かれていたが、また一つ、実証してみせた。

広島商の野球には哲学がある。 作ったチャンスの時より、貰ったチャンスを大事にする。
スリーバントを確実にやる。これは不利、不確実の時に、どれくらい、有利確実に出来るかということで、
見事に一貫性を持っていたと云える。



1988年の出来事・・・ソ連ペレストロイカ  アフガン撤退、 瀬戸大橋 青函トンネル開通、 リクルート事件

              ダイエーが南海ホークス買収、 ソウル五輪

287名無しさん:2018/10/14(日) 11:12:44
幻の甲子園



戦中の1942年夏、甲子園球場で選手権大会は開かれなかった。
代わりに文部省が甲子園で催したのは、戦意高揚のための全国中等学校錬成野球大会。
選手権史には記録されず、「幻の甲子園」と呼ばれる。

甲子園100勝を達成した平安も出場16校の一つで準優勝だった。
当時の選手が思い出を語った。


平安中は1、2回戦と準決勝を勝ち上がり、決勝は準決勝と同日。
徳島商に延長十一回、押し出しで7―8でサヨナラ負けした。 捕手だった原田清さん(91歳)
「平安の100勝に私たちの3勝が含まれないのは寂しい。幻なんかではなく、確かに甲子園の土を踏んだんだ」。


スコアボードには「勝つて兜の緒を締めよ」 「戦ひ抜かう大東亜戦」というスローガンが掲げられた。
選手は「選士」と呼ばれた。 突撃精神から死球を避けることは禁止。 選手交代も許されなかった。

試合中、その日に召集令状が来た観客の名前が読み上げられ、「ご自宅にお戻りください」と呼びかけられた。
原田さんは「観客から拍手がわいたが、本人にしたらたまらんかったやろうな」と話す。


原田さんは39年に平安中に入学してすぐに野球部に入り、甲子園を目指した。
戦時色が強まった41年7月の地方大会中に、文部省はその年の選手権大会中止を決めた。
野球部は43年に休部。 それでも原田さんは、授業の合間に、仲間とキャッチボールをした。
心のどこかで開催を期待していた。  錬成野球大会の開催は一度きりだった。 


戦時中は軍事教練で模擬の手投げ弾を投げ、銃を担いで行軍する日々。 
学徒動員で軍需工場に通い、火薬づくりを続けた。 44年に平安中を卒業した後は海軍入り。
広島県呉市の島で特殊潜航艇に乗る訓練を受けた。 沖縄に出撃するはずだったが命令はなかった。
兄はインパール作戦で死亡した。


終戦後に立命館大に入り、野球を再開した。「物資も食料も乏しかったが、野球ができるだけでうれしかったね」。
卒業後は8年間、プロ野球の東急(現日本ハム)でプレーした。母校の活躍はテレビで見守っている。
「平和やから野球ができるし、母校が終戦の日に試合をする。もう戦争はあかんよ」。

龍谷大平安の原田監督(58歳)はこの日、「先輩たちが戦中も思いやりとやり通す気持ちをつないでくれて、
今がある。 第100回大会で終戦の日に野球ができるぼくらは幸せ」と話した。



第1回(1915年)〜第3回まで開催。 

第4回 代表校は決定していたが米騒動により本大会中止。

第5回〜第26回まで開催。

第27回(1941年)〜1945年、第二次世界大戦で中止。

第28回〜中止なし。

288名無しさん:2018/10/14(日) 12:52:40
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1989年8月9日  一回戦  「 早過ぎる夏の終り 」


奇跡の春は 夏には無情の蜃気楼となった 連覇の夢は どこかかけ違えたボタンのように

嚙みそこねた歯車のように おそらくは切実感を伴わぬままに スルリとすり抜けた行ってしまった


勝者の誇りを胸に飾って行進してから わずか数時間 君らが敗者となって去る姿を 誰が予想しただろう

しかし 絶対のないのが現実で 可能と不可能は どちら側からも焦点が合うという教訓を 

酷薄なまでに知らしめて 試合は終ってしまったのだ


野球というゲーム 同じ一点が日によって グラムとトンほども違うもので だからこそ 一点にこだわるべきだと教える

そして それは まさに 生きることそのままで 春にミクロの運命線を突破した 東邦高ナイン 夏は教訓のページを数枚めくった


君たちに もし 悔いるところがあるとしたら 完全燃焼の炎を 自覚することが出来なかったことだろう

さらば 春の勝者 早過ぎる夏の終り グラウンドから一瞬の闇の通路を通って 引き上げて来る君らに

それでも夏は灼きついたと 声かけたかった



人で埋めつくされたスタンドは、豊饒な光を分解して描く点描画に見える。 緑の芝生は、夏の日に既に葉先が焦がすものと、
土から新に芽吹くものが、数刻で入れかわる。 鉄塔で雀が遊びつづける。 青空はないが、光はたっぷりとある。

そのグラウンドから、勝者も敗者も同様にくぐって退場して来るトンネルがあって、当然のことに逆光線である。
ドラマの後の主人公たちを迎えるには、効果があり過ぎる自然の仕掛けである。 多くを考えようとすると、いくらでもひろがる。

倉敷商と東邦高の試合の直後、ぼくは、その中に立って、勝者と敗者を見た。 不思議なことに、勝った者も、
敗れた者も全く同じように呆然としている姿が印象的であった。 とにかく、波乱の幕が開いた。


( 倉敷商2-1東邦 )




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