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避難用作品投下スレ2

1管理人★:2007/04/24(火) 01:55:07 ID:???0
新スレが立たない、ホスト規制されている等の理由で
本スレに書き込めない際の避難用作品投下スレッドです。
また、予約作品の投下にもお使いください。

12募る不安、見えない恐怖:2007/04/25(水) 18:36:24 ID:oBzskNlg0
言葉は柔らかいものだったが、そこに甘さはない。その雰囲気に多少言葉を詰まらせたマナだったが、すぐに「…当たり前じゃない」と言い返す。それを受けた貴明がさらに続ける。
「まーりゃん先輩が出てこない可能性も十分にある。それどころか、俺達の装備じゃ歯が立たないような凶悪な奴と戦うことになるかもしれない。その時…観月さんは迷わず、人を撃てる?」
今度はすぐに返答できなかった。迷わず人を攻撃できるどころか…引き金すら引ける自信があるかどうか、分からなかった。
「そういう…河野さんはどうなのよ」
自身の不安を隠しながら、逆に貴明に尋ねる。
「それは俺にも分からない。このショットガンだって実はまだ一発も撃ってないんだ。だけど…それでも『やらなきゃならない』って決めてる。今だから言うけど、1回目の放送で友達が死んでた。
それで、タマ姉やこのみ…久寿川先輩や、他の皆を守る為にそれまで一緒に行動してた仲間と別れてここまで来た。だから…その事を無駄にしないためにも、もう誰も失わないためにも…俺は『覚悟』を決めなきゃならないんだ」
予想とは違った。死線を潜り抜けている訳ではない。別れた仲間の為に、誰も悲しませないために、それだけの理由で貴明は手を血に染めようとしている。恐怖や、心を押し殺して。
そんな貴明の雰囲気に何か感じるものがあったのか、ささらが不安そうな顔で貴明の顔を覗き込みながら言った。
「貴明さん…あまり気負いこまない方がいいと思います…これから先、この島で手を汚さずに進んでいけるなんて少なくとも私は思ってません。
ひょっとしたら数分後には戦闘になって、貴明さんを守るために人を撃ってしまうかもしれない。もちろん、それが正しい事だなんて少しも思っていませんけど…かと言って黙って貴明さんが殺されるのを見ていられるほど私は優しくもない、と自分で思っています。
それは誰だって同じ。同じだから…貴明さん、自分一人が罪を背負うだなんて思わないで下さい」
「…先輩」
ささらの励ましに、僅かながらも貴明は強張っていた顔を緩ませる。
しかしこれでいざ戦闘になって容赦なく撃てるか、というともちろんそういう事は少しもない。未だ全員が『撃てるかどうか分からない』のだ。言葉では口に出せても、心の奥底が最後まで殺人という言葉を否定し続けている。
それは人間として当然の考えであるが――この殺戮の島においては足枷にしかならないのだ。
気違いにでもならないとやってられないなあ、とマナは思う。
実際、狂人になってしまった方が何倍も楽には違いない。何も考えずに殺し、何も考えずに死ねるのだから。
しかし、それでも、マナ達は――人間だった。
「ともかく、先に進みましょ。何にしてもあの人をこのまま放っておくわけにはいかないわよね?」
「うん…その通りだ。立ち止まっててもあの高槻って人に怒られそうだもんな」
「そうですね…今頃は…みなさんと上手く合流している頃かしら」

13募る不安、見えない恐怖:2007/04/25(水) 18:37:24 ID:oBzskNlg0
遠く、森の向こう側にいるであろう無学寺へ向けてささらが視線を飛ばす。今はまだ、何も見えない。
そうして、少しだけ寺の方角を見やった後、また三人は歩き出した。中途半端に、覚悟を残したまま。



河野貴明
【所持品:Remington M870(残弾数4/4)、予備弾×24、ほか支給品一式】
【状態:左腕に刺し傷、出血はあったが現在行動に大きな影響なし。麻亜子を止めるために一路鎌石村に】
久寿川ささら
【所持品:スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、SIG(P232)残弾数(2/7)、仕込み鉄扇、ほか支給品一式】
【状態:麻亜子を止めるために一路鎌石村に】
観月マナ
【所持品:ワルサー P38・支給品一式】
【状態:足にやや深い切り傷、麻亜子を止めるために一路鎌石村に】

【時間:2日目6:00前】
【場所:C-5】
【備考:由依の荷物(下記参照)と芽衣の荷物及び二人の死体は職員室内に放置】
   (鎌石中学校制服(リトルバスターズの西園美魚風)
    カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)
    荷物一式、破けた由依の制服

→B-10

14予約スレ2:2007/04/25(水) 22:17:22 ID:.QizSAos0
リサ・ゆきねえ・朋也・敬介・環・留美・珊瑚・ゆめみ・佐祐理・柳川、投下します
予想よりかなり長くなったので、二つに分けて掲載をお願いします>まとめさん

15深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:18:24 ID:.QizSAos0
暗黒の空より降りしきる陰鬱な雨、じっとりと濡れた地面。生暖かい風が、頬を撫でる。
湿った空気が、耳障りな雨音が、荒野の雰囲気をより一層不快なものへと変えてゆく。
河野貴明の離脱から暫く時が経過した頃、七瀬留美達はようやくショックから立ち直りつつあった。
貴明の走り去った方向にずっと視線を送っている姫百合珊瑚の肩を、留美が軽く叩く。
涙目で振り返った珊瑚に対して、留美は優しく言った。
「いつまでもこうしちゃいられないよ。そろそろ、行こう?」
「で、でも……」
「河野も言ってたじゃない。『皆は何処か安全な場所を探して、隠れてくれ』って。
 大丈夫……ささらも追い掛けて行ったし、きっと無事に戻ってくるよ」
弱々しく肩を震わせる珊瑚を励ますように、力強い声で語り掛ける。
だが珊瑚は留美の言葉に対して、ゆっくりと首を振った。
「アカンよ……。そんな保障、何処にもあらへんやん……」
「…………」

確かに、それはそうだった。
留美の言葉は何の根拠も伴わぬ、気休め以外の何物でもない。
いくら強力な装備を持っているとは言え、重傷である貴明が無事に帰ってくるかどうか確証などない。
しかし留美は珊瑚の両肩をしっかりと掴んだ後、顔を引き寄せた。
「留美……?」
「珊瑚の言ってる事は分かるわ。でも実際問題、今から追い掛けても貴明には追いつけない。
 ここで立ち尽くしてても、何にもならないよ。今は貴明とささらを信じるしかないの」
それにね、と付け加えて留美は言った。
「河野が帰ってきた時に、あたし達の誰か一人でも欠けてたら、きっとアイツ凄い悲しむよ?
 河野が帰る場所を守れるように、あたし達は今出来る事をしよう?」
「あう……」
恐らくはまだ不安を拭えないのだろう――真剣な眼差しを受けた珊瑚が、困ったような表情を浮かべる。

16深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:19:20 ID:.QizSAos0
留美は顎に手を当てて少し考え込んだ後、にこっと笑って、言った。
とても、場違いな事を。
「見てたら何となく分かったけど……好きなんでしょ? アイツの事」
「え……」
珊瑚は一瞬口を小さく開いて、ぽかんという表情になった。
しかし次の瞬間には、はっきりと頷いていた。
「そうだよね。だったら信じてあげようよ」
「……うん、分かった」
珊瑚の返事を確認すると、留美は他の者達の方へ振り返った。
「じゃあ、みんな行きましょうか。……と言っても、何処に行けば良いか分からないんだけどね」
留美は苦笑混じりに、後頭部をぽりぽりと掻きながら言った。

自分達は村にいるのだから、隠れる場所自体は幾らでもある。
しかし下手な場所を選べば、襲撃された時に圧倒的に不利となる。
それに仲間すら知らぬ場所に隠れてしまうと、合流はかなり難しくなるだろう。
ここは慎重に行動しなければならなかった。
留美は珊瑚とほしのゆめみに視線を向けたが、両方共心当たりは無いようで、首を横に振るばかり。
どうしたものかと留美が思い悩んでいたその時、倉田佐祐理が言った。
「……北川さんが言っていた『工場』はどうでしょうか?確かここからそう遠くない位置にある筈です。
 前回参加者の方達が滞在場所に選んだみたいですし、隠れ家としては最適だと思います」

北川潤が訪れたという平瀬村工場――工場というくらいなのだから、色々と使える物があるかも知れない。
それに屋根裏部屋もあった筈だから、上手く隠れれば敵が来てもやり過ごせる可能性が高い。
佐祐理が思いつく中では最良の選択肢だった。
他の者も特に異論は無いようだったので、一行は速やかに移動を開始した。

17深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:20:26 ID:.QizSAos0






歩く事、十分。
短い時間とは言え、豪雨に見舞われ、雷も断続的に響く中での移動は決して楽なものでは無かった。
しかし、北川より大まかな位置を聞いていた事も幸いして、留美達は無事に平瀬村工場の前まで辿り着いていた。
「ふえー……思ったより大きいですね」
佐祐理が工場を眺めながら、困ったような表情で呟く。
こんな孤島にあるくらいだから小さな工場だと思ったのだが、実際は予想以上に大きかった。
「これはちょっと隠れるのには向いてないかも知れませんね……。大き過ぎて目立っちゃいます……」
「っていうか……ガソリン臭いわね……」
各々が各々の感想を口にする。
本当にこの建物を隠れ家として良いものか――留美の頭を疑問が過ぎる。
しかし外で考え込んでいても始まらない。
こんな所で雨に打たれているよりも、今はまず中に移動すべきだ。
留美がそう思った時だった。底冷えするような声が聞こえてきたのは。
忘れる筈も無い悪魔の声が、聞こえてきたのは。

「――やはりここにいましたか」
「…………っ!?」
後ろから聞こえてきた声に、誰もが弾かれたように振り向き、そして絶望を覚えた。
七瀬留美達の眼前には、絶対の殺気を纏ったリサ=ヴィクセンと、歪んだ笑みを浮かべた宮沢有紀寧、そして見知らぬ男が直立していたのだ。
「どうしてこの場所を……?」
留美が震える声で問い掛けると、有紀寧は愉しげに答えた。
「脱出派の方々は教会にいらっしゃらなかったので、地図に載っていないこの場所へ逃げ込んだと予測したのですが、案の定でしたね。
 この方――岡崎さんが、工場の場所については知っていました。仲間を集めようとする余り、情報を広め過ぎてしまったみたいですね?」
有紀寧はそう言って、横にいる朋也に視線を移した。
佐祐理がその視線を追って、ゆっくりと口を開いた。
「岡崎さん、春原さんから貴方の事は聞いています……。貴方も殺し合いに乗ってしまわれたのですか……?」
「くっ……」
朋也は苦々しげに奥歯を噛み締めたが、それ以上は何も言えなかった――余計な事を言えば、首輪を爆破されかねない。

18深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:21:18 ID:.QizSAos0
「…………最悪ね」
留美が複数の感情――怒り、そして恐怖が入り混じった声を絞り出す。
冬弥を殺した宮沢有紀寧は絶対に許す事が出来ないが、今回は柳川がいない。
即ちあのリサ=ヴィクセン……向かい合ってるいるだけで寒気を催す怪物を、自分達で相手にしなければならないのだ。
しかもゲームに乗っているのか、脅されているだけなのかは分からないが、新たに一人、敵側の人間が増えてしまっている。
黒い憎悪をそれ以上に大きな絶望が塗りつぶしてゆき、心臓が早鐘を打つ。
「あの人らが……」
リサ達とは初見である珊瑚だったが、尋ねるまでも無く、目前に立ちはだかる敵の正体が理解出来た。
有紀寧の外見的特長は春原陽平から、リサの外見的特徴は倉田佐祐理から聞いていたというのもある。
しかしそんな情報を引き出さずとも、際限無く向けられる凍りつくような殺気が、敵がどれだけ危険な存在であるかを認識させる。
下手な動きを見せればその瞬間に撃ち抜かれかねない事を、本能が報せていた。

有紀寧が、絶対の余裕に裏付けされた優美な笑みを湛えながら、口を開く。
「藤井さんがいませんね? もしかして私に撃たれた所為で死んでしまいましたか?」
――決まりきった事を聞く。大口径の拳銃で腹部を撃ち抜かれて、死なぬ人間などいる筈が無い。
忌々しげに歯軋りする留美だったが、そんな彼女にリサが追い討ちを掛けた。
「あら、何を悔しがってるのかしら? あの男は私の大切な人を奪った連中の片割れ……死んで当然の人間よ」
闇夜に良く響く、冷え切った声。
リサからすれば、藤井冬弥は那須宗一の命を奪った怨敵であり、絶対悪以外の何物でもない。
出来る事ならば自らの手で、凄惨に縊り殺したい程憎い相手だった。

物の怪のような視線に射抜かれて萎縮しそうになった留美だったが、別れる間際に見た柳川祐也の背中を思い出す。
度々意見がすれ違う気に食わない人物ではあったが、彼はこの圧倒的な相手に一人で挑んだのだ。
ならばここで自分が気後れする訳にはいかない。
自分達では敵わないかも知れないけれど、心まで折られてしまってはならない。
留美はしっかりとリサの目を睨み返しながら言い放った。
「よく言うわね。あんた達だって罪の無い人の命を幾つも奪ってるじゃない。
 それに藤井さんは少なくとも、自分の命惜しさに戦ってたんじゃないわ。
 自分の事しか考えてないあんた達なんかよりも、何十倍もマシよ」

19深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:21:56 ID:.QizSAos0
それを後押しするように、佐祐理も迷いの無い声で口を開く。
「七瀬さんの言う通りです。藤井さんは一度は道を間違えたかも知れないけれど……最後には分かってくれました」
大きく一度息を吸って、覚悟を決めた瞳で敵を見据えながら続ける。
「佐祐理達にはリサさんのような力はありません。それでも皆で力を合わせて、頑張っています。
 脱出への道程も少しずつ明確になってきています。佐祐理達はまだ諦めていませんが、リサさん……貴女は希望を捨てました。
 少なくとも心の部分では、貴女に劣っているとは思いません」
「……そうかも知れないわね。でもそんな事、どうだって良いわ。貴女はここで死ぬのだから、佐祐理」
リサの視線が細まり、M4カービンの銃口が持ち上げられる。
気温が急激に低下したかと錯覚を覚える程の威圧感が、佐祐理達を襲う。
「そして、貴女だけじゃない。貴女以外の人間も全員仕留めて、『脱出への糸口』とやらを断ってあげる」
もはやリサの声からは、怒りや迷いといった感情は感じられない。
これ以上の会話は不要とばかりに、純粋な殺気だけを向けてくる。
――始まる。圧倒的戦力を誇る相手が、躊躇う事なく自分達を仕留めに来る。

そこでこれまで一言も言葉を発していなかったゆめみが、突如右手を振り上げた。
「――――ッ!?」
ロボットのゆめみには気配と言うものが無い為、リサの反応が一瞬遅れる。
次の瞬間にはゆめみは地面へ、忍者セットの中の一品――煙球を叩きつけていた。
「What!?」
外人にとっては未知の道具により、視界が突如封じられてしまう。
「こっちよ!」
煙の向こう側で、留美の叫ぶ声と、駆け出す複数の足音が聞こえた。
しかし流石に歴戦のエージェントは立ち直りが早く、すぐに冷静さを取り戻して狙撃を開始する。
リサは敵が外に向かって逃げ出すと予測し、留美達の左右の空間を中心に弾丸をばら撒いたが、それが敵を射抜く事は無かった。
「……わざわざ逃げ道の無い場所に逃げ込むなんて、どういうつもり?」
煙の向こうにうっすらと見えた留美達の影は、悉くが工場の内部へと駆け込んでいったのだ。
その意図こそ理解しかねるが、悩んでいる暇など無い。
リサはすぐに有紀寧と朋也を急かして、工場の中へと飛び込んだ。

20深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:23:19 ID:.QizSAos0

内部に突入した有紀寧達は、目前に広がる光景を観察した。
最早使われていない施設なのだろうか。それともこの部屋だけが、例外なのだろうか?
工場の一室である作業場には大した設備は無く、せいぜいボイラーが数個並んでいる程度だった。
作業場の四隅には、言い訳程度に工具や雑品が幾つか転がっている。
大規模な工場の実に半分程度を占めるだだっ広い空間が、酷く寂しいものに感じられた。
そんな場所で、留美達が拙い陣形を組んで待ち構えていた。
先頭は留美、その左右に佐祐理とゆめみ。
そして三人に守られるように、後方にいるのが珊瑚だった。
有紀寧にとって一番不可解だったのが、留美達の手に持っている武器だ。
銃くらい持っている筈なのに、留美達は揃いも揃って日本刀やナイフなどの刃物で武装していたのだ。
「何のお遊びですか? そんな物で銃に勝てるとでも思っているのですか?」
有紀寧はそう言って、トカレフ(TT30)の銃口を留美に向けた。
「……随分とナメちゃってくれるわね。でも、あたし達はいたって真面目よ。ほら、撃ちたきゃ撃ってみなさいよ」
ただの強がりかどうかは分からないが、留美は口元に勝気な笑みを浮かべていた。
――何か考えがあるのか?
そんな疑問も浮かんだが、有紀寧はすぐに考える必要など無いと思い直す。
ともかく実際に撃ってみれば良いのだ。
相手が強がりを言っているだけならそれで仕留められるし、対策があったとしてもその正体は掴めるだろう。
有紀寧は銃口にかけた人差し指に、力を入れようとする。
しかしそこでリサが横からすっと手を伸ばしてきた。
「……どうしたのですか?」
「駄目よ。この場所はガソリンの臭いが充満してる……銃なんて使ったら、爆発してしまうわ」
「――――!」
有紀寧はぎりぎりの所で指を押し留め、大きく息を飲んだ。
この工場内には、気化したガソリンが充満している。即ち、銃など使ってしまえば間違いなく自滅する。
だからこそ敵は全員、火薬を用いぬ装備で武装していたのだ。

21深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:24:15 ID:.QizSAos0

――出来れば敵が自滅してくれればと思い挑発したのだが、思惑が外れた留美は大きく舌打ちした。
「く……大人しく引っ掛かってくれれば楽だったんだけどね」
「残念だけどそれは無いわ。私が居る限りはね」
リサはそう言うとM4カービンを鞄に戻して、傍にいる有紀寧へと小さく耳打ちした。
(……私があの三人を殺してる間に、貴女達は佐祐理達の後ろにいる女を倒して。
 佐祐理達の陣形は一人を守ろうとしている――奥にいる女がきっと『脱出の糸口』であり、キングよ)
(――了解、お任せください)
確かな承諾の意を確認してから、リサが一歩、足を前に踏み出す。
続いて目にも留まらぬ動作で真空を巻き起こしながら、一対のトンファーを構える。
その姿を目の当たりにした留美は、警戒心を強め刀を深く構え直した。
「さて、神様へのお祈りは済んだかしら? まさか勝てるなんて思ってないわよね?」
「勝負はやってみなきゃ分からない。少なくとも、慣れない銃で撃ち合いをするよりはマシよ」
次の瞬間、疾風と化したリサが、留美達に襲い掛かった。

――有紀寧は珊瑚を襲撃するのも、朋也へ指示を出すのも忘れて、目の前の光景に魅入っていた。
冷静沈着である彼女にそうさせてしまう程、雌狐は圧倒的だった。

リサは一瞬で間合いを詰めると、留美の鎖骨に狙いを定めて、右手に携えたトンファーを振るう。
信じられない速度を誇ったその一撃を、しかし留美は何とか受け止めていた。
留美がリサの攻撃を受け止められたのは、かつて剣道部に所属していた時の経験のお陰だろう。
曲りなりにも剣の道を歩んでいたからこそ、ぎりぎりの所で反応出来たのだ。
だが、そこまでだった。
「今の攻撃を受けたのは褒めてあげる。だけど次の動作への移行が遅すぎるわ」
リサは冷え切った声でそう言うと、留美の刀をトンファーで押さえつけたまま、鋭い中段蹴りを放った。
「がっ……」
無防備な脇腹に衝撃を受けた留美が、がくんと地面に膝を突く。

22深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:24:55 ID:.QizSAos0
続いてリサは視線を動かさぬまま、左手のトンファーをさっと斜め後ろへ振るった。
「――――!」
がきんと大きな音がして、佐祐理の手に持った暗殺用十徳ナイフが弾き飛ばされる。
背後より隙を突いたつもりであった佐祐理だったが、リサにとってはその程度の攻撃、楽に予測出来るものだ。
素手となってしまい大きな隙を晒した佐祐理を、リサは敢えて攻撃しない。
リサは佐祐理を攻撃する前に身体の向きを変え、ゆめみを前方に捉えていた。
ゆめみの振るう刀をしゃがみ込んで躱した後、海老のように背中を丸めたまま体当たりを敢行する。

「あぐっ!」
意表をついたその攻撃に、ゆめみが弾き飛ばされ、尻餅をつく。
続いてリサは斜め後ろにいる佐祐理目掛けて、衝撃波付きの回し蹴りを打ち込んだ。
高速の蹴撃はガードの上からでも十分な衝撃を伝え、佐祐理がたたらを踏んで後退する。
その後リサは尻餅をついているゆめみの腹を、刃物さながらの片脚で踏みつけようとし――背後へ、跳んだ。
留美が地に膝を付いたままの体勢で、横薙ぎに日本刀を振るってきていたのだ。
その一撃を悠々と躱してみせたリサは、すたんという音と共に、地面へと降り立った。

「一瞬で決められると思ったけど……意外にしぶといのね」
よろよろと立ち上がる少女達を、リサが凍った瞳で睨みつける。
圧倒的に押しているリサだったが、その言葉に嘘偽りは無い。
敵三人のうち、二人は戦いが始まる前から怪我をしていた。
故に数秒で決着をつけれると判断したのだが、読みが外れた。
原因はあのツインテールの女だ――あの女が自分の初激を止めたからこそ、攻め切れなかった。
あの動体視力、そして攻撃を受けてからの立ち直りの早さは評価に値する。
しかし所詮は素人に過ぎないのだから、問題になる程では無い。
もう一度攻め込めば今度こそ、敵全員を戦闘不能に追い込む事が出来るだろう。
リサは早々に決着をつけるべく、腰を低く落とし脚に力を込める。
しかしそこで、背後より走り寄ってくる音が聞こえた。

23深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:25:36 ID:.QizSAos0
「――リサ君。まさか本当に、君が殺し合いに乗ってしまっていたなんて……」
工場の入り口に一組の男女――橘敬介と向坂環が現れていた。
彼らは工場外でリサが放った銃声を耳にして、急いで駆けつけてきたのだ。
二人の視界に飛び込むのは、苦悶の表情を浮かべる少女達と、ブロンドのハンターの姿。
敬介は双眸で目前の光景を視認し、リサが紛れも無くゲームに乗っているという事を理解した。
続けてわなわなと肩を震わせながら、リサに視線を送る。
「どうして……どうして殺し合いに乗ってしまったんだ……リサ君……」
それは音声だけでも十二分に感情が伝わってくる程、重く哀しい声だった。
しかしリサは、敬介の感情を受け流すように、肩を竦めて言った。
「別に大した理由なんて無いわよ? 足手纏いの貴方達と協力するのが馬鹿らしくなっただけよ」
「何だと……?」
「貴方達のフォローをして命を落とすなんてお断りよ。貴方達なんかと協力して脱出するよりも、優勝を勝ち取る方が遥かに容易だわ」
「クッ……!」
自分達が足手纏い――この点に関して敬介は、何も言い返せなかった。
実際診療所に居た時の自分は、宗一とリサに頼りっぱなしだったのだから、反論出来る訳が無かった。
だが脳裏に浮かぶ、栞とリサの暖かいやり取り。
少なくとも栞と接している時のリサは、心の底から笑っていたように思えた。
「君は嘘を言っている。君は自分の命惜しさにそんな選択をする人間じゃ無い筈だ。
 君がそんな人間なら、美坂君と行動を共にしたりしないだろう」
そうだ――リサは優しい心を持った女性なのだ。それは殆ど、確信に近かった。
黙すリサに対して、敬介が続けて話す。
「……宗一君か? 宗一君が死んでしまったから君は――優勝の褒美で、生き返らせようとしているのか?」
敬介の言葉を受けたリサが、眉間へと微かに皺を寄せ、パチンと右の親指を噛む。

24深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:26:23 ID:.QizSAos0
リサはすっと視線を横に移した。
「有紀寧、あの二人は貴女達が相手してくれないかしら?」
「あら? 図星を突かれてやり辛くなりましたか?」
有紀寧が嘲笑交じりにそう言うと、リサの双眸に怒りの色が浮かんだ。
すると有紀寧は取り繕うように、ひらひらと手を振った。
「まあまあ、言われた通りにしますから怒らないで下さい。さて、岡崎さん」
「……何だよ」
朋也が陰鬱そうな口調で声を出す。
有紀寧は右腕を伸ばして、環と敬介を指差した。
「いよいよ出番です。あのお二人の相手をしてあげて下さい。
 分かっていると思いますが、拒否権はありませんからね?」
「……畜生!」
朋也は苦々しげに毒づくと、鞄から薙刀を取り出し、すっと前に出た。

環は、朋也の向こう側に見える少女達へと言葉を投げ掛ける。
工場内に良く響く、凛と透き通った声で。
「留美、佐祐理、また会ったわね。長々と話してる時間は無いから手短に言うわ。
 私と橘さんはそこの男の人と有紀寧を倒すから、それまで何とか粘って頂戴」
「で、でも向坂さんは怪我をしてらっしゃるんじゃ……」
佐祐理がそう言うと、環は腰に手を当てて呆れたような表情となった。
「貴女達も似たようなもんでしょ。こんな状況だもの、やるしかないわ」
環の言葉通り、自分達の中で無事な者など殆どいない。
ゆめみは左腕が動かない。佐祐理は右肩を負傷している。
環も敬介も、あちこちに傷を負っている。
このような状況下で、怪我人だから静観するなどといった事は不可能なのだ。
圧倒的に戦力が不足している以上、傷付いた体に鞭を打って戦うしかなかった。

25深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:27:03 ID:.QizSAos0
環は鞄から包丁を取り出すと、その切っ先を朋也へ向けた。
「貴方……有紀寧に脅されているのね?」
「…………」
朋也は答えない。それに構わず、環は続けた。
「……やっぱり答えられない、か。良いわ、私が貴方を止めて、有紀寧の性根も叩き直してあげる。
 それから首輪を外して、こんな馬鹿げた殺し合いなんてとっとと終わりにさせて貰う」
「そうだ、殺し合いなんて絶対に間違ってる。これ以上人が死ぬのなんて、僕は認めない。
 君達が話しても分かってくれないというのなら、力尽くでも止めてみせる」
敬介がベアクローを取り付けながら、澄んだ目で朋也を見据えた。

朋也は、環・敬介と対峙していた。
リサは、留美・ゆめみ・佐祐理を獲物と断定していた。
各々がそれぞれの敵と、睨み合う。
「前口上はもう十分――死になさい」
リサが獲物を狙う肉食獣のように、ぐっと頭を下げて攻撃態勢に入る。
次の瞬間雌狐は、弾けるように駆けた。

26深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:27:46 ID:.QizSAos0
前の突撃が疾風なら、今度は暴風だ。
今度こそ敵を仕留めるべく、リサが殺気を剥き出しにして留美に襲い掛かる。
「――――ハァァァッ!」
「くぅぅぅ!」
真空波を巻き起こしながら迫るトンファーを、留美はどうにか受け止めた。
あまりの衝撃で、受けた手に痺れが走る。
鍔迫り合いの形で二人は顔を突き合わす。
烈火の如きリサの眼光が間近で留美を射抜いたが、しかしーー
「こんのっ…………どおりゃああぁっ!!」
「なっ――!?」
武器を突き合わせての押し合いは、裂帛の気合を搾り出した留美が勝利した。
リサは両方の手に一本ずつトンファーを握っている為、今の力比べでは片手しか用いていない。
だがそれでもあの雌狐に、一介の女子高生が押し勝ったのは驚くべき事態だった。
後退するリサに、ここぞとばかりにゆめみが斬り掛かる。
「――ク!」
リサは尋常で無い早さで態勢を整え、くるりと体を横回転させ、ゆめみの攻撃より逃れる。
そしてそのままの勢いで、独楽のように回転しながらトンファーを横薙ぎに振り回す。
留美が素早く飛び出して、その一撃を刀で受け止めた。

27深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:28:25 ID:.QizSAos0
リサはもう力比べに固執せず、すっと腰を落としてゆめみの懷に潜り込んだ。
ゆめみの右腕を掴み取り、流麗な動きで極めの形に移行する。
続けて力任せに、ゆめみの体を真横へ振った。
「――――!?」
横でナイフを振り上げていた佐佑理の腕が止まる。
リサの体がゆめみの後ろに隠れる形となっていたのだ。
リサはその隙を逃さず、ゆめみの体を佐佑理に叩きつける。
「つぅ……」
リサは佐佑理が尻餅をつくのを待たずに、今度は背負い投げの要領で、ゆめみの体を留美へと投げつけた。
腕を極められた状態から強引に投げられた為、ゆめみの右肩に罅が何本か入る。
「ゆめみ!」
留美は日本刀を手放して、何とかゆめみの体を抱き止めた。
そしてリサは後ろを振り返って――思い切りトンファーを投げた。

   *     *     *    *     *     *

「く……」
環が焦りを隠し切れない様子で舌打ちする。
環と敬介は、朋也相手に攻めあぐねていた。
相手の薙刀と、自分達の得物のリーチ差が災いしての事だ。
敬介はベアクローを右腕に付けているものの、扱いづらい武器である為に思ったような動きが出来ない。
一方環の得物は比較的扱いが容易な包丁であったが、敵を倒すにはもう少し距離を詰める必要があった。
環は相当勝れた運動神経と身体能力を誇っている。
全快時なら造作も無く、敵に接近出来ただろう。
だが満身創痍の今の体では、薙刀から身を躱しつつ前進するのは厳しいものがあった。
どうしても自分の間合いまで踏み込めず、一方的に攻撃されてしまう。
一発、二発と、連続して薙刀が奔り、環はぎりぎりの回避を続けていた。
とは言えこのままでは埒が開かない。
「どうせ避け切れないなら――」
上方から迫る白刃をバックステップでやり過ごした後、環は一気に前へと駆けた。
「そこだっ!」
間合いに踏み込んできた敵に対して、朋也が素早く返しの一撃を放つ。

28深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:29:10 ID:.QizSAos0
「っ……!」
脇下より迫る鋭い一閃を、環は敢えて避けなかった。
前進を続ける環の脇腹に、薙刀の柄の部分が食い込む。
だが、これは環の想定通りだ。
白刃の部分さえ食らわなければ、致命傷にはならないのだから問題無い。
環は薙刀の柄の部分を、尋常でない握力で握り締めた。
「くそっ、なんて馬鹿力してやがる!」
朋也が強引に薙刀を振るおうとするが、どれだけ力を入れてもビクともしない。
女のものとはとても思えぬその膂力に、朋也は驚きを隠せなかった。

「橘さん、今です!」
「ああ!」
仲間の作ってくれた好機を活かすべく、敬介が大きく前に踏み込む。
続いてベアクローを大きく上に振り上げた。
――狙いは朋也の右肩だ。
その場所なら、恐らく致命傷にはならないだろうから。
「悪いけど、暫らく大人しくしててくれ!」
「チィ――!」
朋也が薙刀を手放して、後方に飛び退こうとする。
しかしそこで環の腕が伸びて、がっしりと朋也の右腕を掴み取った。
「しまっ!?」
身動きの取れぬ朋也に、鋭い爪が空気を割きながら襲い掛かる。
次の瞬間、鮮血が舞った。

29深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:31:19 ID:.QizSAos0
――敬介の、鮮血が。
「ごふっ……」
「た、橘さんっ!?」
腹から鮮血を迸らせ崩れ落ちる敬介の姿を目の当たりにし、環の胸を驚愕が過ぎる。
「――岡崎さんにはまだ利用価値があるので、今殺されては困りますね」
聞こえてきた声の方へ顔を向けると、有紀寧がにっこりと優雅な微笑みを浮かべていた。
右手に、電動釘打ち機を握り締めて。
「流石に工場だけあって、便利なものが落ちていますね。
 火薬を用いないコレなら、この場所でも好き放題に使えます」
「な……何て事……」
最悪の事態に、環が掠れた声を絞りだす。
電動釘打ち機は空気圧を利用する武器なのだから、引火の心配が無い。
つまり敵はこの場所においても、強力な遠距離攻撃が可能となったのだ。
そして――

ガツンという、鈍い音がした。
「がっ……!?」
環は突然即頭部に衝撃を受け、意識が遠のいていくのを感じた。
ゆっくりと崩れ落ちながら、地面に倒れ伏せている敬介に目をやる。
(たち――ばなさん――ごめん……なさい……)
岸田洋一に遅れを取った時と同じく、突然の奇襲により環は意識を失った。

「――油断は禁物よ? 私が留美達だけを狙うとは限らない。
 これはスポーツでも何でも無い、ただの殺し合いなんだから」
リサがそう言って、環の傍に落ちたトンファーを拾い上げる。
先程環を襲った衝撃の正体は、リサの投擲したトンファーによる不意打ちだったのだ。
続いて、くすくすという笑い声が工場の中に響き渡る。
有紀寧が眼を細めて、どこまでも愉しげな声で口を開いた。
「ふふ、そろそろチェックメイトのようですね」

30深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:31:53 ID:.QizSAos0

確かに、勝負は決まったも同然だった。
敬介と環は倒れ、留美だって体力を消耗してしまった。
ゆめみは右腕を破壊され、佐祐理も前から左肩を負傷している。
唯一珊瑚だけは無事であったが、彼女が殺されてしまった時点で全ては終わりなのだから、前線で戦う戦力としては数えられない。
対する敵は、三人とも余力十分である上に、新たな武器まで入手してしまったのだ。
(柳川さん……すみません。佐祐理達はここまでかも知れません……)
もう勝ち目など無い――いや元から勝算など、微塵も無かったのかもしれない。
たとえ自分達が全員五体満足な状態であったとしても、リサと有紀寧を打倒するなど出来ないのではないか。
そんな思いに駆られ、佐祐理の頭を深い絶望が支配する。
それは留美も、ゆめみも、珊瑚も同じで、誰もが悔しげに敵を睨みつける事しか出来ない。

「――それじゃ、キングを取らせて貰いましょうか」
リサは異形のような眼で珊瑚を睨みつけた後、ゆっくりと足を踏み出そうとする。
しかし突如足首に違和感を感じ、一歩も先に進めなくなった。
「……敬介?」
何本もの釘で腹を穿たれた筈の敬介が、リサの右足首をがっちりと掴んでいた。
敬介は大きく息を吸い込んで、人生最大の、そして恐らくは最後になるであろう絶叫を上げた。
「みんな、逃げろおおおおおおおおっ!!」
工場内に――いや、それどころか村中にさえ響き渡ったのではないかと思える程の声量。
その叫びは、絶望に打ちひしがれていた佐祐理達の心を揺れ動かす。
「早く……逃げてくれっ! 僕がリサ君を、止めていられる間に……!」
今度の声は、先程より随分と小さかった。
無理もないだろう。口の端から、次々と血の泡が吹き出ているのだから。
しかしそれでも、敬介の言葉は十分に伝わった。
敬介と留美達は面識が無いにも拘らず、心が伝わった。

31深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:32:22 ID:.QizSAos0
「――みんな、行くわよっ!」
留美がそう叫ぶと、弾かれたように珊瑚もゆめみも佐祐理も動き出した。
入り口方面にはリサ達が居るのだから、正面の扉を通って工場の外に出るのは不可能だ。
ならば奥に逃げ込むしかない。
北川の話によれば、奥の方にある階段から屋根裏部屋へと行ける筈。
前回参加者達が使っていた場所なのだから、もしかしたら逆転の切り札か何かがあるかも知れない。
一抹の希望に縋りつくように、留美達は工場の奥に続く扉を目指して駆けた。

「逃がさない!」
それを黙ってリサが見逃す筈も無く、素早く後を追おうとする。
敬介の手を振り解くべく、思いきり右足に力を込める。
死に損ないによる拘束如き、一秒と掛かからずに外せるだろうという確信を持って。
しかし一秒後には、確信が驚愕へと変貌していた。
「外れ……ない……?」
足は腕の三倍の筋力があるという。ましてや雌狐の脚力は、常人と比べ物にならぬ程強いだろう。
それなのに、敬介の手を振り解くことが出来なかった。
何度足を引き抜こうとしても、がっちりと固定されたままで、状態は一向に変わらない。
まるで物理的なものだけでなく、目に見えぬ何かで掴まれているような、そんな感覚。
だがリサはすぐに思考を切り替えて、別の手段で脱出する事にした。
「外れないなら――壊してしまえばいい」
そう、頭を砕いてしまえば確実に敬介の手は外れるだろう。
わざわざ力比べを続ける理由など、何処にも存在しないのだ。
リサは眼下の負傷兵を見下ろしながら、トンファーを大きく上方に振り上げた。
だがそこで、リサは初めて気付く。敬介の口元が、笑みの形に歪んでいる事に。

32深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:32:50 ID:.QizSAos0
「何が……可笑しいの?」
「いや、旅の道連れが君みたいな美人なんだから、僕は案外恵まれてるかも知れないと思ってね」
「…………?」
まるで意味が分からず、リサが怪訝な表情となる。
敬介は一度咳き込んで、大きく血を吐いてから、言った。
「知ってるかい? 逆転のカードは、こういう時にこそ使うものだよ」
敬介はそう言って、ポケットから左手を出した。
「僕は観鈴を探さなきゃいけなかった。観鈴と一緒に花火をしたかった。だけど僕はもうここまでみたいだから……」
「それはっ……!」
リサの表情が、見る見るうちに驚愕と焦りの色に染まってゆく。
敬介の左手に握り締められているのは、花火セットの一つである百円ライターだったのだ。
「まさか、貴方――!」
「そのまさかさ。一緒に見ようじゃないか――飛び切り派手な花火を!」
ガソリンの充満した場所でライターを点ければどうなるか――少なくとも、間近にいる人間が助からぬくらいの爆発は起こるだろう。
リサが慌ててトンファーを振り下ろすが、明らかに遅い。
どう考えても、敬介が指を動かしてライターを点火する方が早い。
カチャッ、という音がしてライターのスイッチが、入った。

33予約スレ2:2007/04/25(水) 22:33:30 ID:.QizSAos0
ここまでが第一パートです。
続いて第二パート行きます

34深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:34:49 ID:.QizSAos0
「――危ない所でしたね」
「ええ。本当にね……」
工場内部に二人の女の声がする。
一人は有紀寧、そしてもう一人は――敬介に決死の攻撃を仕掛けられた筈の、リサだった。
リサは背中を冷や汗でびっしょりと濡らしながら、後頭部を砕かれた敬介の死体を眺め下ろしていた。
あの時、間違いなく自分は死にゆく運命にあった。
その運命を捻じ曲げたのは、ライターの側面に見える、小さな罅だろう。
その罅が自分達との戦いの時に生成されたものか、それより以前からのものかは分からないが――ともかくそれが原因で、ライターより燃料が漏れ出たのだろう。
敬介のライターには十分な燃料が無く、火を巻き起こす事が出来なかった。
結果として、ライターのスイッチを入れても何も起こらず、唸りを上げるトンファーが敬介の頭部を破壊したのだ。


リサが頬に付着した汗を拭い取り、ゆっくりと口を開いた。
「有紀寧。貴方は岡崎を連れて、佐祐理達を殺してきなさい」
それを聞いた有紀寧は、訝しむような表情となった。
相手は怪我人だらけな上に、工場内の戦いなら電動釘打ち機を持つ自分が相当有利なのだから、追撃する事自体に文句は無い。
しかしリサの口ぶりに少し違和感を覚え、有紀寧は問い掛けた。
「……それは構いませんが、リサさんはどうなさるおつもりで?」
「私は此処に残るわ――彼と決着をつけなければならないようだから」
リサが首を回した先、工場の正面入り口。有紀寧はその空間を眺め見る。
「……成る程、そういう事ですか」
そこには、白いカッターシャツで長身の体躯を包み、眼鏡の下には紅蓮の炎を宿した眼を持つ男。
『鬼の力』を持つ、正真正銘の人外――柳川祐也が立っていた。

35深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:35:24 ID:.QizSAos0
「――岡崎さん、行きますよ。私達は逃げた人達の方を追い掛けましょう」
素早く朋也に命令を下すと、有紀寧は留美達が走り去った方向へ駆け出した。
柳川の姿を確認した有紀寧の心に湧き上がったのは、恐怖や焦りなどではなく、声を張り上げたくなる程の喜びだった。
有紀寧が策を弄するまでも無く、柳川とリサの対決は実現した。
自分と朋也が死に損ないの始末をしてる間に、怪物共は二人で勝手に潰し合ってくれる。
どちらが生き残るにせよ、勝った方もとても無事では済まない筈。
おまけに電動釘打ち機とガソリンにより、自分だけが飛び道具を使用出来るという圧倒的な優位性まである。
怪物狩りにはこれ以上ないくらいの、好条件だった。
自分はまず死に損ないの一般人達を悠々と始末し、それから駆けつけてくる手負いの獣を狩れば良いのだ。

有紀寧は走りながらも、口元に浮かぶ笑みを押さえ切れなかった。

   *     *     *    *     *     *

有紀寧が走り去った後の作業場で、柳川とリサは正面から向かい合っていた。
「貴様――倉田達を襲っていたのか」
「ええ、そうよ。たっぷりと痛め付けておいたから、もう少しすれば有紀寧達に追いつかれて、殺されてしまうでしょうね」
リサが無表情で告げると、柳川は鞘より日本刀を抜き出した。
「そうか。ならば早く貴様を殺して、助けに行かねばならんな」
「それは無理ね。貴方も此処で死ぬのよ、柳川」
お互いに、負けるなどとは微塵も思っていないような口振りを見せる。
「ふん……この臭い、ガソリンだろう。銃器の使えぬこの場所でなら、前のようにはいかんぞ」
柳川からすれば、不慣れな機関銃での戦いを避けられるこの場所は、最高の戦場だった。
「それはどうかしらね? 案外前より酷い結果になるかも知れないわよ」
リサからすれば、たとえ異能の力を持っていようとも、戦闘のプロで無い人間などいくらでも倒しようがある。

36深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:36:14 ID:.QizSAos0
柳川が、怒りを押し殺した声で言った。
「殺す前に聞いておこう。貴様――何故、ゲームに乗った? 同じ志を抱いていた筈の貴様が、一体何故……!」
「――何故、ですって?」
リサは一瞬どうするか迷ったが――素直に本当の理由を話す事にした。
理論や理屈による判断ではない。この男相手には、話さなければならない気がしたのだ。
「簡単な事。ここで主催者を敵に回しても犬死するだけ……。私は優勝して、褒美で仲間を蘇らせなければいけないのよ」
「褒美、だと……? 下らん。まさか貴様があのような虚言に騙されるとは思わなかったぞ」
「下らない、ね。貴方にとってはそうかも知れない。だけど私にとって、宗一や栞、それに栞の大切な人達を生き返らせるのはとても大切な事だわ。
 それに今反旗を翻した所で勝算はゼロよ。だったら、褒美の話がブラフで無い可能性に賭けた方が良い。
 褒美が本当なら宗一やエディを生き返らせる事が出来る。そうすれば主催者だって、十分倒せるもの」
今は亡き那須宗一とエディ。
彼らは間違いなく世界最高のコンビであり、数々の不可能を可能にしてきた猛者中の猛者。
そしてリサと非常に親しい間柄にあるアメリカ大統領、アレキサンダー=D=グロリア。
彼らの力を借りれば、主催者がどれ程強大な存在だったとしても十二分に対抗出来る筈。
そう、十分な勝算を以って、主催者に決戦を挑める筈。
だからこそ、リサにとっては優勝する事こそが最優先事項なのだ。
勿論優勝したって殺されてしまう可能性はあるし、無事に帰らせてもらえる保障など何処にも存在しないだろう。
それでも今主催者に決戦を挑むより、優勝を目指した方が勝算は遥かに高くなる。
宗一の、栞の、命を背負っている自分は、絶対に勝ち残って目的を成し遂げねばならないのだ。

37深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:36:57 ID:.QizSAos0
「……それが理由か。その為に貴様は、罪の無い人間をその手にかけるというのだな」
「そうよ。だけどそんなの今に始まった事じゃない……私は昔からずっと人を殺し続けてきたわ。任務の為に、正義の為に、目的の為に、何人も何人も。
 私の前に立った人間は容赦無く屠ってきた……その中にはきっと罪の無い人間も少しは混じっていたでしょうね」
柳川は黙したまま、複雑な表情でリサを眺め見る。
鬼に操られての事とはいえ、人を殺し続けてきたのは柳川も同じだった。
「だって仕方ないでしょう? そうしないともっと多くの人が、苦しむ事になったんだから。今回だってそうよ。
 このゲームの主催者を放っておけば、いずれもっと多くの人間が犠牲になる。ここは泥を被ってでも生き延びて、体勢を整えてから反撃するべきよ」

――それがリサの選んだ道、そしてこれまで歩んできた彼女の人生そのものだった。
悪を滅して、罪の無い人々を救う。己の心を凍らせてでも、巨大な悪への復讐を果たす。
その為に何か代償が必要ならば、支払うだけだ。たとえその結果、自分の手を汚す事になっても。
篁の悪事に加担した事だってある。雌狐は、今更躊躇いなどしない。

しかし、柳川はリサの言葉を認める気にはならなかった。
眉を鋭く吊り上げ、強い怒りを籠めて言葉を紡ぐ。
「……貴様は間違っている。正義を語るのならば、この島にいる人間も救ってみせろ。
 多勢の為に少数を見捨てるというのなら、貴様は正義などでは無い……ただのエゴイストだ」
柳川の言葉を受け、元より氷の仮面を纏っていたリサの顔が、より一層凍りついた。
「愚かな人ね。実現しようが無い夢を追いかけるのは、子供だけ。そう、私がエゴイストなら、貴方はただの子供よ。
 もう御託は要らないし、時間も勿体無いわ――決着をつけましょう」
言い終わるとリサは、一対のトンファーを構えた。
リサの瞳が、獲物を射抜くソレへと変貌してゆく。
応じて、柳川も日本刀を構えた。
息苦しいまでの圧迫感が、周囲の空気を支配する。
二人の間を灼けつくような、或いは凍りつくような、人智を超えた殺気が飛び交ってゆく。

38深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:37:37 ID:.QizSAos0
直後、辺りに旋風が吹き荒れた。
同時に踏み込んだ二人の距離が、一瞬にして無になる。
まずは柳川の攻撃が嵐の如き勢いで繰り出されたが、それは一対のトンファーによって悉く弾き飛ばされる。
続いて放たれたリサの連撃に、柳川は戦いの最中にも拘らず見惚れそうになってしまった。
一発、二発、三発、四発――次々と迫る烈風に、柳川は守勢を強いられる。
リサの流れるような華麗な動きから放たれる攻撃には、全くと言って良い程無駄が無い。
リサの膂力は、通常の成人男性を遥かに上回ってはいるが、柳川と比べれば女のソレに過ぎぬ。
しかし速い――余りにも速過ぎる。
その動きは人間の常識を超えており、制限付きとは言え鬼の力を有している柳川すらも凌駕していた。
更に悪い事には、得物の差だ。
幾らでも他の武器を得る機会はあっただろうに、何故わざわざリサが、殺傷力に劣るトンファーを選んだのか。
その理由を柳川は、自身の身を以って思い知らされていた。
刀の方がリーチと殺傷力には優れるが、トンファーは小回りが効く上に一対の武器である。
故に柳川が一の攻撃を放つ間に、リサは悠々と二発の攻撃を繰り出せる。
他の武器を用いる必要など無い――こと近接戦に限っては、この武器こそがリサのスピードを最大限に活かせるのだ。

39深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:38:11 ID:.QizSAos0
常に先手を取られる形となり、柳川は一発一発の攻撃を十分な予備動作を伴って放つ事が出来ない。
閃光のようなリサの連撃に対抗しようとすると、攻撃は全ては半端なものとなってしまう。
衝突を重ねる度に受けきれなかったトンファーが迫り、身を捻って躱そうとしても、避けきれない。
「くぁ……!」
一発、二発と柳川の身体に硬いトンファーが打ち込まれる。
内臓にまで響く衝撃に、柳川は呻き声を上げた。
急所は避け衝撃もある程度は逃している為、それは致命傷と成り得ないが、軽視出来るような甘い代物ではない。
雪崩のようなリサの連撃は確実に柳川の身体を傷付け、その機能を低下させてゆく。
「……まだだ!」
柳川は痛みを堪えて、大きく日本刀を振り上げた。
両の腕にこれ以上無いくらい力を込めて、速さを放棄し一撃の重さに賭ける。
例えその動作中に攻撃を受けようとも、敵の命を絶てさえすれば良い。
衝撃波を巻き起こし、空気を切り裂きながら、リサの肩口へと迫る日本刀。
それは刀の強度を度外視すれば、岩をも砕きかねない剣戟だった。
しかし――
柳川の手に、十分な反動が伝わってこない。
「ば……馬鹿なっ……」
渾身の一撃を簡単に、受けられた――否、受け流された。
リサはトンファーを斜めに構えて、刀の軌道を変える事により衝撃を逃していたのだ。

40深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:38:56 ID:.QizSAos0
至近距離で顔を突き合わせながら、リサが余裕の笑みを浮かべる。
それとは正反対に、柳川の顔は焦りの色に染まっていた。
「白兵戦なら勝てるとでも思ったの? お生憎様、私はありとあらゆる状況に対応出来なければ生きていけない世界の人間なのよ」
「チッ……」
単純な身体能力だけ見れば、柳川に分があるかも知れない。
しかし戦いは、一方的にリサが押していた。
片や平和な島国の一刑事。
片や世界最強の軍隊を誇る米国において、なお頂点に君臨する最強の雌狐。
無駄が多い柳川の攻撃に対して、リサの攻撃は最小限の動作で正確に急所目掛けて放たれる。
生まれ持った物だけでは埋めきれない技術差が、二人の間には存在していた。
リサが両の手に堅持したトンファーを、同時に振り回す。狙いは柳川の右脇腹と左肩だった。
一本しか無い刀で、二条の閃光を全て防ぎ切るのは困難を極める。
柳川は刀を斜め上に薙ぎ払い、続いて身体を斜め後ろへと逸らす。
「――――っ……」
上から迫る一撃は食い止めたものの、脇腹への攻撃は避け切れない。身を捻って、衝撃を緩和する程度が限界だ。
痺れるような激痛、体の内側が破壊される感覚。柳川が苦悶に顔を歪める。
動きが鈍ったその隙を、リサが見逃すなどあり得ない。
ここで必要なのは大振りよりも、確実な攻撃――速さのみに重点を置き、トンファーを奔らせる。
連続して旋風が巻き起こり、その内の一つがまたも柳川の腹を掠めた。

41深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:39:30 ID:.QizSAos0
「があっ……!」
度重なる衝撃に堪りかねた柳川が、跳ねるように後退する。
その最中、思った。
(駄目だ――正面勝負ではこの女に勝てない!)
激しい斬り結びを経て、柳川はその事実を認めざるを得なくなっていた。
スピード勝負では、はっきり言ってお話にならない。自分の動作はリサに比べて、無駄が多過ぎるのだ。
パワー勝負も試みたが駄目だった。恐らく何度やっても、さっきと同じように受け流されてしまうだけだろう。
ならばもう、小細工を弄すしかない。
そして幸いにも、その為の策は既に準備してある。
自分が唯一リサに勝っているのは、鬼の力による膂力だ。
先程までは両腕で日本刀を握り締めていたが、右腕だけで持ったとしても力負けはしない筈。
ならば――柳川は左手をぱっと離し、残る右手だけでしっかりと日本刀を握り締めた。
それを見て取ったリサが、訝しげな表情となる。
「それは何のつもり? 両腕を使っても勝てない癖に、その上手加減をしてくれるのかしら?」
「ふん、ほざいてろ。非力な貴様如き、片腕でもお釣りが来るというものだ」
「そう。それじゃ、その自信の所以を見せてもらいましょうか」
「――良いだろう!」
柳川が上体を折り畳むようにして体勢を低く保ち、そのまま猛然と前方へ駆ける。
疾風と化した柳川は一瞬のうちに間合いを詰め、リサの足元まで潜り込んでいた。
「シッ!」
密着に近い状態から、頭上に見えるリサの首へと狙いを定め、斜め上方の軌道で日本刀を振るう。
当然そのまま切り裂かれるのをリサが許容する筈も無く、柳川の攻撃はトンファーによって遮られた。
超近距離戦でならば、小回りの効くトンファーの方が圧倒的に有利に決まっている。
それを思い知らせるべく、リサは刀の動きをトンファーで封じ込めたまま、もう片方のトンファーを柳川の顔面へと振り下ろす。
だが柳川は顔をリサの方へと向け――笑った。

42深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:40:15 ID:.QizSAos0
「――かかったな」
日本刀を右腕だけで振るうという事は、左腕は自由に使える状態であるという事。
柳川は自由になった左腕の前腕部を盾にして、迫るトンファーを受け止めていた。
敵の攻撃が振り切られる前に止めたのである程度威力は抑えられたが、それでも生身で防ぐのは無理がある。
「…………っ!」
激痛が頭脳に伝達されるが、しかし気になどしていられない。
何しろ勝利の好機は、今を置いて他には無いのだから。
柳川は左手に握り締めた青矢――先の突撃の際に取り出しておいた物を、リサの両目を割く軌道で横薙ぎに振るう。
「――くぅぅっ!」
リサが超人的な反応で上体を逸らし、辛うじて視界を潰される危険より逃れる。
だがその刹那、柳川は握り込んだ手をぱっと開いた。
縛めを失った青矢は勢いに任せて宙を突き進み、リサの頬を軽く切り裂く。
(――勝った!)
柳川は勝利を確信していた。
リサに与えた傷は、本来ならば戦闘に影響など無いものだっただろう。
だが青矢には麻酔薬が塗ってあり、しかも佐祐理の話によれば相当強力な即効性の筈。
程無くしてリサは倒れるか、或いは大きく動きが鈍るに違いない。
自分は佐祐理達の後を追わなければならないのだから、決着は早いに越した事は無い。
柳川は決戦に終止符を打つ一撃を叩き込むべく、日本刀を全身全霊の力で振り下ろした。

43深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:40:52 ID:.QizSAos0
「何だと!?」
そこで柳川の胸を、驚愕をよぎった。
柳川の剛剣が目標に達する寸前で、リサが横方向に軽やかなステップを踏んだのだ。
リサは迫る一撃からあっさりと身を躱すと、そのまま腰を大きく捻らせて鋭い回転蹴りを放ってきた。
柳川は慌てて後ろへ跳ねようとしたが、間に合わない。
半ば弾き飛ばされる形で後退し、苦しげな表情で蹴られた腹部を押さえた。
(……どういう事だ? 俺はあの女の身体に、間違いなく青矢を掠らせた筈だ)
どうして敵が何事も無かったかのように反撃に移れたのか、まるで理解出来なかった。
その疑問を見透かしたかのように、リサが口元を吊り上げる。
それから腰に手を当てて、余裕の表情で口を開いた。
「その矢は確か、麻酔薬が塗ってるのよね? でも悪いけど私にそういった類の薬は一切効かないわ。
 職業柄――そういう身体なのよ、私」
それで柳川は全てを理解した。この女の素性は知らないが、軍の関係者なのは間違いない。
そして、そういった裏の世界で生きる人間ならば、薬への耐性をつける訓練ないしは実験をしていても可笑しくは無いのだ。

「クッ……!」
柳川は一旦仕切り直すべく、大きく後ろへ飛んだ。
身体の節々に走る痛み、乱れる呼吸。
左腕は一度攻撃を受けたものの、まだ動く。骨に罅が入っているかも知れないが、まだ動く。
しかし先程の不意を突く回し蹴りは不味かった――恐らく、腹部の骨が一本、折れている。
救いは日本刀がよほど出来が良い品なのか、未だに罅一つ入っていない事だけだった。
「グ……ハァ……ハァ…………」
外部だけでなく、内臓にもダメージを受けている所為で、時折喉の奥から血が溢れそうになる。
「苦しそうね。眼は闘志を失っていないようだけど、身体の方はそろそろ限界かしら?」
悠々と話すリサの身体は、戦いが始まる前の姿と見比べてもなんら遜色は無い。
手にしたトンファーも表面こそ木製である為にボロボロとなっているが、中に仕込まれた頑強な鉄芯は健在だった。
「貴様、本当に人間か……!」
「ええ、生物学的にはその筈よ。けれどね、とっくの昔に私は人間なんて捨ててるわ。
 ある時は狡猾な雌狐として、ある時は獰猛な兵士として目的を果たす、ただの兵器よ」
リサは冷たい声でそう言うと、地面を大きく蹴った。
金色の髪が翻り、影が柳川の下へ迫り来る。

44深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:41:48 ID:.QizSAos0
「チィ――ッ!」
柳川が苦し紛れに日本刀を何度も振るう。
リサはそれを難なく掻い潜って、柳川の眼前まで肉薄した。
超至近距離で柳川の目を睨みつけながら、鬼気迫る形相で口を開く。
「これが貴方の実力よ。私一人に勝てない男が主催者を倒すなんて、妄言もいい加減にしなさい!」
叫びと同時に、トンファーが振り下ろされる。
それはこれまでとは違い、疾さを感じさせぬ強引な一撃だった。
しかし、重い――どうにか受け止めはしたが、刃伝いに凄まじい衝撃が伝わる。
「理想を追い続けた所で、何にもならない……貴方は偽善者に過ぎない! 理想を追った所為で悪を倒せなければ、誰も救えないじゃない!」
リサが再び、大きくトンファーを振り上げた。
己の中に蓄積した鬱憤を込めて、何度も何度もそれを叩きつける。
柳川の刀を持つ腕がガクガクと震える。
次第に痺れるような感覚が両腕を襲い始める。
「貴方は冷徹なフリをしてるけど、本当はとても甘くて弱い人! 足手纏いに過ぎない佐祐理をいつまでも連れていたのが、その証拠よ!
 でも私は違う。何を犠牲にしてでも、絶対に悪を滅す……それが私の生き方なのよ!」
爆撃のようにすら感じられるリサの攻撃。
リサの攻撃が柳川の体と精神を、次々と蝕んでゆく。
身体の節々から伝わる激痛が、歪む視界が、限界を報せる。
「主催者打倒の為に人を殺さなければいけないなら! 私は敢えてその道を突き進む! それこそが真の正義!」
間断無く豪快な金属音が工場内に響き渡り続ける。
柳川の膝が、ガクガクと力無く揺れる。繰り返し打ち込まれる、強固な意志。
宗一を死なせてしまったという後悔と、ゲームの勝利を栞に託されたという責任感が、リサに後戻りを許さない。

45深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:42:25 ID:.QizSAos0
「ヤッ――!」
リサが大きく叫んで踏み込んだ。これまで見せた中でも一番の、異常なまでの速度。
その手に握り締められた、二つの凶器。
殆ど同時のタイミングで、天より二つの流星が落とされる。
柳川はそれを受け止めようとして――
「――――ッ!?」
上段への攻撃はフェイク。トンファーは柳川の目前で止まっていた。
意識が上に行っていた柳川の鳩尾に、渾身の蹴りが突き刺さる。
数々の屈強な軍人を沈めて来た、高速ワンツーから蹴撃に繋げるコンビネーション、それを応用した必殺の一撃だった。
警戒し受身を取っている状態で攻撃を受けるのと、全くの無防備で受けるのではまるでダメージが違う。
「が――はっ……!」
柳川の身体が放物線を描き、後方に勢いよく弾き飛ばされる。そのまま彼は、背中から地面に叩きつけられた。
倒れこんだまま咳き込んだ柳川の息には、赤い鮮血が混じっていた。

「終わりね……でも安心なさい。主催者はいずれ、私が倒してみせるわ」
リサはすぐに追撃を仕掛けようとはせず、祈るように軽く目を閉じた。
これで勝敗は決したと、そう思ったから。
もう相手は起き上がれないだろう――後は落ち着いてトドメを刺すだけだ。
それ程改心の手ごたえであり、絶対の自信があった。

     *     *     *

46深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:43:05 ID:.QizSAos0
意識が薄れてゆく。もう体が、言う事を聞かない。
俺は……負けたのか。まさかこの世に、鬼の一族を凌駕する者がいるとは思わなかった。
リサ=ヴィクセンは、信じ難い強さだ。
口惜しいが、制限されている鬼の力ではとても敵わない。
それに、リサの言い分の方が正しいかも知れない。
たとえこの島で正義を振りかざして戦い続けた所で、最後には主催者との対決が待っている。
あのリサですら、対決を避けた程の相手。
リサを、俺を、柏木家の人間を、一夜にして拉致してみせた怪物。
想像を絶する程の存在が、このゲームの裏には隠されているのだろう。
そんな存在を相手にして、一体どれだけの勝ち目があると言うのだろうか。
……少なくとも、主催者打倒を掲げておきながら、人の感情を捨て切れていない俺では勝てぬだろう。
そうだ、ここで勝ったとしても、俺を待つのは死のみなのだ。
しかしリサならきっと、何時の日か主催者に手痛い反撃を食らわせてくれる気がする。
なら、もう良いんじゃないか……。
俺の目標を、”主催者を倒す”という事を、自分より上手くやってくれる人間がここにいるのだ。
この状況で立ち上がる意味が、どれ程あるというのだろう。
もう、俺は――

47深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:43:48 ID:.QizSAos0
だが、そこで俺の脳裏に映像が次々と浮かんだ。

――彼女は戦っていた。唯の女子高生に過ぎぬ身で、鬼の血を引く柏木梓から俺を庇っていた。
無謀にも思えるその行為のおかげで、俺は救われた。

――彼女は泣いていた。二度と動かぬ親友の亡骸を抱えて、まるでこの世の終わりが来たかのように泣いていた。
俺は助けられなかった。彼女の親友を守ってやれなかった。

――彼女は笑っていた。俺などより遥かに重い悲しみを抱えている筈なのに、それでも笑い続けようとしていた。
それは優しい、しかしとても悲しい笑顔だった。何時の日か、彼女が本当の意味で笑えるようにしてやりたい。

彼女は言った。『これからも、ずっと……よろしくお願いしますね』と。
それは何よりも優先しなければならない約束だ。主催者の打倒よりも、大事な約束だ。
そうだ――人の感情を捨てる必要など無い。
リサがこれまでどんな道を歩んできていたとしても、最終的には主催者を打倒するつもりであろうとも、関係無い。
リサに目的があるように、俺にだって絶対に譲れない目的がある。

刑事の役目?主催者の打倒?最早そのような物はどうでも良い。
俺は貴之を守れなかった。楓を守れなかった。
だが今度こそ、何としてでも倉田だけは守り抜いてみせる。
倉田を元の世界へ帰して、彼女の幸せを取り戻してみせる。
それを成し遂げるにはこの女に……リサ=ヴィクセンに、勝たねばならない。
あの柏木耕一すらも上回る強さの、怪物に。
しかし俺は、圧倒的な力量差で戦い抜いた人間を知っている筈だ。

48深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:44:23 ID:.QizSAos0
川澄舞――彼女はあの耕一を相手に相当の時間を稼いだ。
そして傷付いた体で尚戦い続け、柏木千鶴から倉田を守り抜いてくれた。
人の想いは時として、信じられぬ程の力を生み出すのだ。
制限されている鬼の力だけではリサに及ばぬのなら、後は人間としての想いの力で補うまでだ。
今なら出来る筈だ……俺も川澄と同様、もう倉田を守る事しか考えていないのだから。
俺の心は鬼の物では無いのだから。

そうだ――俺は人間、柳川祐也だ!

     *     *     *

「――――ッ!?」
リサが唖然とした表情になる――有り得ない事態が起こっていた。
「グ……ハァ、ハァ……」
必殺の一撃を受けた筈の柳川が、起き上がろうとしていた。
彼は日本刀を地面に突き立て、それを杖のように用いている。
そうしなければ起き上がれぬ程、深いダメージを受けているのだ。
それでも、今にも飛びそうな意識を強引に押し留め、柳川は立ち上がった。
かつて川澄舞が使っていた日本刀を、しっかりと握り締めて。
「ど……どうして起き上がれるの……?」
リサが呆然としたまま呟く。だが、その質問に答えは返ってこない。
「アアアアアアアアアッ!!」
正しく猛獣の咆哮を上げて、柳川が駆けた。一瞬で間合いを詰めて、斬撃を放つ。

49深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:44:57 ID:.QizSAos0
「――なっ!?」
リサは信じられない思いだった。
柳川の肉体は満身創痍、最早立っているだけで精一杯の筈。
その身体から繰り出される攻撃。それは間違いなく、脆弱なものとなるに決まっているだろう。
しかし、かつてない気迫で打ち込まれたその斬撃は、異常なまでの重さだったのだ。
「ありえ、ない!」
驚きは連続する。再度迫る刀の速度は予測を大幅に上回るものだった。
咄嗟の判断で、リサは両手に握ったトンファーを用いて刀の軌道を遮った。
「…………!!」
体を支える両足が悲鳴を上げる。防御の上からでもなお、柳川の攻撃はリサにとって十分なダメージとなっていた。
「――調子に乗らないで!」
リサはすっと腰を落とすと、肩口を突き出した形で猛牛の如き当身を繰り出した。
体格では遥かに勝っているにも拘らず、当身を受けた柳川がよろよろと後退する。
それを見たリサは、敵は確実に死に体であり、先の攻撃は燃え尽きる前の蝋燭のようなものだと判断した。
ならばこれ以上、無駄な足掻きを許す必要など無い。
次の一手で全てを終わらせる。
リサの両手に握られたトンファーが、目にも止まらぬ速度で、眼前の敵を排除しようとする。
続いて何度も激しい金属音がした。
「そんなっ!?」
リサの口から零れ出たのは、勝利の雄叫びでは無かった。
勝負を決める筈だった連撃は、一つ残さず叩き落されてしまったのだ。

50深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:45:39 ID:.QizSAos0
「オオオオオオオッッ!!」
柳川が喉の奥底から、凄まじい戦叫を上げる。
その間にも引き千切れそうな腕で、爆撃の如き斬撃を幾度と無く繰り出す。
戦槌によるものかと聞き間違えんばかりの炸裂音が、何度も何度も工場の中に響き渡る。
意識は朦朧としている――もう、技術も何も無い。より速く、より強く、刀を振るっているだけだ。
度重なる衝撃で損傷した肺が酷く痛み、限界を報せる。
気を抜けば一瞬で意識が飛ぶだろう。
壊れかけたテレビのように、視界が時折白で覆い尽くされそうになる。
理屈や復讐心などでは、この満身創痍の体を支える事など出来ぬ。
身を任せるのは鬼の本能、心の奥底より沸き上がる破壊衝動を躊躇いも無く吐き出してゆく。
この肉体は鬼の血を引いてる以上、それは当然の事だ。
しかしいかに鬼の力が強力であろうとも、それだけでは耐えれない。
自分は別の――もっと大事な物を支えとして、この身を動かし続けている。
狩猟者としての誇りも、主催者への復讐心も、既に心の中では大した比重を占めていない。
この身に秘められているのは鬼の力だが、それを根底で支えてるのはただ一つの想い。
――何よりも強き想いを胸の内に秘めて、柳川は刀を振るい続けた。

「Shit!」
リサが舌打ちしながら刀を受け止めた。
度重なる猛攻を受け、リサもとうとう息を切らしていた。
対する柳川の攻撃は、ここに来て更に勢いを増している。
「――――フッ!」
リサは頭上で刀を受けながら、素早くローキックを放った。
それは間違いなく柳川の脛のあたりを捉えていた。
威力よりも疾さを重視した一撃とはいえ、完全に不意を突いたのだ。
あわよくば転倒、最低でも動きは大きく鈍るに違いない。
しかしリサのそんな思惑とはまったく別の方向へ、事態は移り変わる。

51深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:46:33 ID:.QizSAos0
「……効いてない!?」
狼狽するリサをよそに、柳川は機械か或いは手負いの猛獣のように、攻め手を全く緩めない。
断裂寸前の筋肉、呼吸の度に激痛を訴える肺、しかし瞳の奥底に宿る獄炎だけは決して衰えない。
「ウオオオッ!」
咆哮と共に、柳川の剛刃が振り下ろされる。続いて鳴り響く、爆音。
受け止めたリサの両腕に鋭い痛みが奔り、自身の状態を思い知らされる。
(駄目……このままじゃ持たない!)
リサの体もまた、限界が近付いていた。
柳川の怪力を受け止め続けた両腕の筋肉が、激痛を伝達する事で休養を訴える。
身体を支えてきた足腰にも、人間離れした動力を提供し続けた心臓にも、酷く負担が掛かっている。
とは言え、敵の方が自分より遥かにダメージは大きい筈。
なのに何故、これ程の動きが出来るのだ――

そこでリサはようやく思い至る――柳川を突き動かしているモノの正体に。
橘敬介は瀕死の状態にも拘らず、自分を上回る膂力を見せた。
那須宗一は、普段でこそ自分とせいぜい互角程度だが、いざという時は桁外れの強さを誇っていた。
彼らに共通しているのは、強い信念に基き、人を守る為に行動していた。
『愛と平和の代理人』とは宗一の言葉だが、彼はその台詞通りの生き様を貫いていた。
そう、コウモリのように揺らいでいる自分などとは違って、頑なに子供のような信念を貫いて生きていた。
今の柳川を支えている力は、彼らと同じ類のものだ。
ならばこの男はどれだけ傷を負おうとも、生半可な攻撃では決して止まらぬだろう。
柳川を仕留め得るには、死に物狂いで放つ渾身、必殺、捨て身の一撃のみ。
ならば――リサは痛んだ両足の筋肉を総動員して、全力で後方へ跳躍した。
そのままステップを踏むように、華麗な動きで後退してゆく。両者の間合いが大きく離れる。
それからリサは、尋ねた。たった一つの疑問を解消する為に。

52深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:47:24 ID:.QizSAos0
「最後に一つ、答えて。貴方は何故、私と戦うの? ここで勝ったとしても最後には主催者に殺されるだけなのに、どうしてそんなに強い意志を貫き続けれるの?」
するとそれまで猛獣の――いや、それすら遥かに上回る殺気を放っていた柳川の目が、唐突に人間のものへと戻った。
「……俺の中では、もう主催者の打倒など二の次というだけだ。貴様の言うとおり、俺は甘くて弱い『人間』だからな」
そこで柳川は目を閉じた。脳裏に浮かぶのは、一人の少女の笑顔。
親友を二人共失い、それでもなお笑顔を失わずに自分を支えてくれた少女――倉田佐祐理。
「理屈や計算などどうでもいい。俺はただ倉田を守りたいだけだ。俺はたとえ心臓が止まろうとも、魂だけで戦い続けて倉田を守ってみせる。
 その為に主催者を倒す必要があるなら、躊躇わずその道を突き進む。たとえそれが不可能な目標だったとしても、俺は迷わない」
佐祐理を守りたい――柳川の心を占める思いは、ただそれだけ。
辛い思いをし続けてきた彼女を幸せにしてあげたい。
主催者の打倒も、ゲームに乗った人間の殲滅も、それ自体は既に二次的な目的となっている。
この島から佐祐理を生きて帰す為に必要だから、行うだけだ。
自分には佐祐理を守るという選択肢以外有り得ないのだから、主催者に勝てるかどうかなど関係無い。
そこには小難しい理屈も計算も、復讐心すらも存在しない。
「OK……貴方の決意、よく分かったわ」
リサは静かに頷きトンファーを構えた後、重く纏わりつく殺気を放出した。
「それでも私は次の攻撃で貴方を倒し、自分の目的を成し遂げてみせる。それが多くの人を殺めてきた私の義務よ」
応じて柳川もまた、日本刀を深く構えた。
「そうか。だが次の攻撃で最期を迎えるのは、貴様の方だ」

53深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:48:20 ID:.QizSAos0
これが正真正銘、最後の勝負。
両者共に防御を捨てた以上、どちらかの渾身の一撃が必ず決まる。
(さて……奴はどう出る?)
柳川は考えた。
リサの攻撃――特に、あの上段攻撃からの蹴撃を両方防ぐ事はまず不可能。ならば、攻めるしかない。
リサが先と同じように上段フェイントからの蹴撃で来るならば、トンファーを無視して刀を横薙ぎに振るえば良い。
さすればリサの蹴撃が放たれる前に、こちらの刃が相手を切り裂くだろう。
だが、あのリサが全く同じパターンで来るとは考えがたい。
上段攻撃がフェイントではなく、本命の可能性もある。
どうする――?
そこでリサが地を蹴って、文字通り神風と化して疾駆してきた。
それを見た柳川は鞘に刀を収め、いわゆる居合い抜きの体勢を堅持したまま前方に弾け飛んだ。
工場内の空気がビリビリと揺れる。二つの暴風が激しく接触する。

54深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:49:03 ID:.QizSAos0
「ヤナガワァァァァッッ!!」
「リィィィサァァァァッッ!!」
頭上から振り下ろされるトンファーが、唸りを上げて柳川に迫る。
フェイントでもなければ、速さを重視したものでもない、恐ろしい殺傷力を伴った文字通り必殺の一撃。

――リサの狙いは単純にして明快、全ての攻撃を必殺の気合で放つ。
もう防御は考えない――この衝突に全力を注いで、骨が切られようとも敵の命を絶ってみせる。
全力で攻撃を放てば隙が生まれ、次への行動が遅れるのは自明の理。
しかしそんなもの、超越してみせる。
柳川も限界を越えて、今自分と対峙しているのだ。
ならば自分も肉体の可動限界を越えて、その隙を縮めてみせよう。
相手がトンファーを受け止めなければ、そのまま頭蓋骨を粉々に砕く。
受け止めたのならすぐさま渾身の襲撃を見舞い、間髪入れずにトドメも刺す。

――対する柳川の攻撃は、鞘から鋭く抜き放つ居合い抜き。
ここで決めなければ、長期戦になるのは避けられぬだろう。
既にボロボロになってしまった今の身体で長期戦は、余りにも不利過ぎる。
廃車寸前の車と相違無いこの身体では、いつ限界が来ても可笑しくは無いのだ。
ならばこの瞬間、この一撃に、己の命、信念、全てを注ぎ込むしかない。
居合い抜きは放った直後の隙こそ大きいが、速度や威力という点では申し分無い。
勝負を賭ける攻撃には最適と言えるだろう。

55深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:50:00 ID:.QizSAos0
そして――終局。
衝突は一瞬、ほんの一秒にも満たぬ時間で決着を迎えた。
柳川の振るった渾身の一撃は、リサ本体では無く、一対のトンファーを狙ってのものだった。
彗星と化した刀と、疾風を纏うトンファーが正面衝突し、激しく爆ぜ合う。
リサにとっては、トンファーを全力で握り締めていた事が完全に逆効果となった。
単純な膂力の勝負となってしまえば、結果は一つしか有り得ない。
得物から伝わる膨大な衝撃をモロに受けて、リサの上体が大きく後ろに流される。
そこに柳川が踏み込んで、一直線に刃を突き出した。
それはあくまで先の居合い抜きのおまけに過ぎぬ、速度も迫力も伴わぬ一撃だった。
しかしその一撃はリサの腹を、深く刺し貫いていた。


それまでの戦場のような狂騒が嘘かのように、辺りが静寂に包まれる。
「……Nice Fight」
ガソリンの臭いが充満する薄暗い工場の中で、リサが静かに言った。
その直後、夥しい量の血がリサの口より吐き出される。
柳川がゆっくりと刀を引き抜くと、支えを失ったリサの身体が、ドサリという音と共に地面へ崩れ落ちた。
直後、眩暈を感じて柳川の身体が力無く左右に揺れる。
「く……ぐうっ……」
戦いに集中していた為に多少は目を逸らせていた痛みが、負債の如く一気に襲い掛かってくる。
異常に上昇した体温を発散させるべく、額や背中は汗でびっしょりと塗れている。

56深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:50:38 ID:.QizSAos0
柳川が口許にこびり付いた血を、乱暴に服の袖で拭っていると、弱々しい声が掛けられた。
「……柳川」
柳川が視線を移すと、無機質なコンクリートの上、自らの身体より漏れた血の中に、リサは仰向けに倒れていた。
「何だ?」
「私の負けね……」
リサはそう呟くと、多分に自嘲の意味が込められた笑みを漏らした。
しかしすぐさま柳川は、本心を包み隠さずに吐露した。
「ああ。だが俺の方が強かったという訳では無い……ただ運が良かっただけだ」
敗者への慰めなどでは無く、心の底からそう思う。
もしこれが銃撃戦ならば、最後の衝突における直感が外れていたならば、間違いなく勝敗は逆だった。
圧倒的な技術の差を、幸運で補っただけなのだ。

だがリサはゆっくりと、本当にゆっくりと、首を振った。
「いいえ……それは違うわ……。少なくとも貴方は……自分に負けなかった……」
「自分に……だと?」
意味が分からず、柳川の表情が怪訝なものへと変わる。
問い返されたリサが、一度血を吐き出した後、喉の奥から声を絞り出す。
「そう。私は……貴方とは違う。私は、殺し合いに乗った時点で……貴方との約束を放棄した時点で……、きっと自分に、負けて……いたのよ」
「…………」
柳川は黙したまま答えない。
それには構わず、リサは言葉の意味を噛み締めるように、ゆっくりと話を続けてゆく。
「虫の良い話だけど……、後は貴方に……任せたわ。あくまで……自分の道を貫くと、言うのなら……、そのまま最後までやり遂げて。
 佐祐理を……守り抜いて、そして主催者を……倒しなさい」
それは、依頼。か細い声だったけれど、とても強い感情が込められた依頼だった。
リサはあくまでも最後まで己の使命を果たすべく、柳川に全てを託そうとしているのだ。
その依頼を、柳川は――
「当然だ」
透明な声で、まるで躊躇う事無く引き受けた。

57深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:52:01 ID:.QizSAos0
柳川は床に落ちている自身のデイパックを拾い上げた後、日本刀の刃先をリサに向けた。
「俺はもう行くが、そのままでは苦しかろう。貴様が望むのなら、楽にしてやるが?」
腹を深く穿たれたリサがもう助からないのは、誰の目にも明白だった。
だからこそ安楽死を提起したのだが、リサはゆっくりと首を振る。
「いいえ、結構よ……。残された僅かの時間で……、色々、考えたいの」
「……そうか」
柳川は短く答えて、踵を返す。自分は急いで佐祐理を助けに行かねばならない。
これ以上この場で費やして良い時間など、一秒たりとも存在しなかった。
けれど――背後からとても寂しい青の瞳が向けられている気がして、最後に一度、口を開いた。
「リサ=ヴィクセン。出来れば貴様とは同志として、共に歩みたかった」
それだけ言うと、柳川はもう足を止めず、かつての仲間が横たわる作業場を後にした。


「ごめん、宗一、栞。私、駄目だったわ……。形振り構わず人を殺したけど、駄目だった……」
リサは独り、自嘲気味に呟いた。
自分は負けたのだ。柳川にも、自分自身にも、負けてしまったのだ。
大切な人を守りたい――たった一つ、そのシンプルな想いさえ貫けば良かったのに。
有紀寧が悪魔の囁きを口にした時、問答無用で斬って捨てていれば栞は守れた。
それなのに、自分は勝手に希望を捨ててしまい、何も守れなかった。
結局自分は柳川や敬介ら、最後まで希望を捨てない人間よりも、遥かに心が弱かったのだ。

「パパ……ママ……」
思えば両親が死んでしまった時から自分はそうだった。
別に復讐などしなくても良かったのだ。
新しい幸せを探す事だって出来た筈なのに。
わざわざ自分から戦いに身を投じ、不幸になる道を選んでしまった。
きっと自分の人生は、間違いだらけだったのだ。

58深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:52:36 ID:.QizSAos0
だがそれでも、これだけは思う。
生まれて来て良かったと。
宗一と、栞と出会えて良かったと。
あの二人と過ごした時間はとても短かったけれど、一生で一番大切な思い出だ。
自分の人生は、殆どが暗いものだったけれど、楽しい時間が無かった訳ではないのだ。
「……スパスィーバ、ソウイチ、シオリ」
たっぷりの後悔と、感謝の気持ちを抱きながら、リサの意識は途絶えた。

     *     *     *

「――ッハァ、ハァ……」
意識が途切れ途切れになりつつあり、視界が時折断線する。
圧倒的な酸素不足と過剰な強度の運動により、今にも心臓が破裂するような感覚に襲われる。
指先は痺れ、手足の筋肉は疲弊し尽し、喉はカラカラに渇いている。
一歩を踏み出す度に身体に響く小さな衝撃が、今は脊髄に直接電撃を流された程にも感じられる。
身体を支える足は頼り無く、油断するとすぐに前のめりに倒れそうになる。
「くら、た……倉田っ…………」
それでも柳川は進み続ける。ただ一つの想いを貫く為に。


【残り31人】

59深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:53:31 ID:.QizSAos0
【時間:2日目23:35】
【場所:G−2平瀬村工場】
柳川祐也
【所持品:イングラムM10(24/30)、イングラムの予備マガジン30発×6、日本刀、支給品一式(食料と水残り2/3)×1】
【状態:左上腕部亀裂骨折、肋骨三本骨折、一本亀裂骨折、内臓にダメージ大、肩から胸にかけて浅い切り傷(治療済み)、極度の疲労】
【目的:佐祐理達との合流、有紀寧と主催者の打倒。最優先目標は佐祐理を守る事】


【時間:2日目23:25】
【場所:G−2平瀬村工場】
宮沢有紀寧
【所持品①:トカレフ(TT30)銃弾数(6/8)・参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、スイッチ(0/6)】
【所持品②:ノートパソコン、ゴルフクラブ、コルトバイソン(1/6)、包丁、電動釘打ち機(46/50)、ベネリM3(0/7)、支給品一式】
【状態:軽度の疲労、前腕軽傷(治療済み)、腹にダメージ、歯を数本欠損、左上腕部骨折(応急処置済み)】
【目的:まずは佐祐理達を追撃。リサと柳川の生き残った方も殺す。自分の安全を最優先】
岡崎朋也
【所持品:・三角帽子、薙刀、殺虫剤、風子の支給品一式】
【状態①:軽度の疲労、マーダー、特に有紀寧とリサへの激しい憎悪。全身に痛み(治療済み)、腹部打撲。最優先目標は渚を守る事】
【状態②:首輪爆破まであと23:15(本人は47:15後だと思っている)
【目的:有紀寧に同行、有紀寧に大人しく従い続けるかは不明】

60深淵に秘めたる想い:2007/04/25(水) 22:54:27 ID:.QizSAos0

【時間:2日目23:20】
【場所:G−2平瀬村工場】
姫百合珊瑚
 【持ち物①:デイパック、コルト・ディテクティブスペシャル(2/6)、ノートパソコン】
 【持ち物②:コミパのメモとハッキング用CD】
 【状態:軽度の疲労】
 【目的:まずは屋根裏部屋に移動】
ほしのゆめみ
 【所持品:無し(持てる状態で無くなった為に廃棄)】
 【状態:疲労、胴体に被弾、右肩に数本の罅、左腕右腕共に動かない】
 【目的:まずは屋根裏部屋に移動】
倉田佐祐理
 【所持品1:支給品一式×3(内一つの食料と水残り2/3)、救急箱、吹き矢セット(青×3:麻酔薬、赤×3:効能不明、黄×3:効能不明)】
 【所持品2:二連式デリンジャー(残弾0発)、暗殺用十徳ナイフ、投げナイフ(残り2本)、レジャーシート】
 【状態:疲労、右腕打撲、左肩重症(止血処置済み)】
 【目的:まずは屋根裏部屋に移動】
七瀬留美
 【所持品1:S&W M1076 残弾数(7/7)予備マガジン(7発入り×3)、消防斧、日本刀、あかりのヘアバンド、青い矢(麻酔薬)】
 【所持品2:何かの充電機、ノートパソコン、支給品一式(2人分、そのうち一つの食料と水残り2/3)】
 【状態:疲労、腹部打撲、右拳軽傷、ゲームに乗る気、人を殺す気は皆無】
 【目的:まずは屋根裏部屋に移動】
向坂環
 【所持品①:包丁、レミントン(M700)装弾数(5/5)・予備弾丸(10/10)】
 【所持品②:救急箱、ほか水・食料以外の支給品一式】
 【状態①:作業場で気絶中、後頭部と側頭部に怪我・全身に殴打による傷(治療済み)、全身に痛み、脇腹打撲】
 【状態②:左肩に包丁による切り傷・右肩骨折(応急処置済み)、疲労大】
 【目的:不明】


リサ=ヴィクセン
 【所持品:包丁、鉄芯入りウッドトンファー、懐中電灯、支給品一式×2、M4カービン(残弾3、予備マガジン×3)、携帯電話(GPS付き)、ツールセット】
 【状態:死亡】
橘敬介
 【所持品:ベアークロー、FN Five-SeveN(残弾数0/20)、支給品一式x2、花火セット、燃料切れのライター】
 【状態:死亡】

 【備考1】
  ※イルファの亡骸(左の肘から先が無い)は工場入り口付近に置いてあります。
  ※以下のものは平瀬村工場作業場に置いています
 ・日本刀、忍者セット(忍者刀・手裏剣・他)、おたま、青い矢(麻酔薬)、ほか支給品一式
 【備考2】
工場内は気化ガソリンが充満(濃度は金属の摩擦程度の火花では爆発しないが、火薬の類は使用出来ない程度)
有紀寧の電動釘打ち機は岸田が持っているのとは別タイプ

→799
→812
→813
→815
ルートBー13、Bー16

61再誕:2007/04/27(金) 01:24:38 ID:r4XznFsA0

光。
最初に浮かんだのは、そんな言葉だった。
ぼんやりとした光に包まれたまま、水の上に浮いているような感覚。

「―――私の声が聞こえるかね」

耳を打ったその音を、意味を持った言葉として認識するまでに、しばらくの時間がかかった。
返事をしようとして、口が開かないことに気づく。
口だけではない。不思議なことに、手も、足も、指の一本さえ動かすことができないのだった。
開いているはずの目は薄ぼんやりとした光を届けてくるばかりで、結局のところ私は自分が
今どういう状態なのかもよくわからないでいる。

「私の声が、聞こえるかね」

聞こえている。聞こえてはいるが、それを表わす術がない。
ぼうぼうと反響するようなその声がどこから聞こえてくるのかさえ曖昧だった。
そんな私の無反応をどう捉えたのか、声はしばらくの間、沈黙を保っていた。

「―――」

ほんの少しの間を置いて、世界に音が戻ってくる。
しかし不自由な私の世界に一度に詰め込まれた音は、いくつもの断片に分かれて暴れ回り、
声として認識できない。反響し、次々と消えていく音の乱舞。
僅かに残った音だけが、やがて一つに収束し、最後に意味を持った言葉になった。

「……君が答えるべきは一つ、たった一つだ」

その声は厳かで、些かの揺らぎもなく。

「―――君は、生きたいか?」

私を、審判する。


******

62再誕:2007/04/27(金) 01:25:01 ID:r4XznFsA0

霧島聖は、眼前に横たわる少女をじっと見つめていた。
色を失ったその白皙の頬はぴくりとも動かない。
微かに開かれたその瞳に光はなく、何も映してはいないように見えた。
医師としての見地から言うならば、それは既に手の施しようもなく、ただ生命活動を終えていないというだけの
存在だった。やがて自発呼吸も止まるだろう。
だが聖は、そんな少女に向けて口を開く。

「―――君は、やがて死ぬ」

それは決して独り言めいた声音ではなく、しっかりと少女に語りかけるような、そんな口調だった。

「君の体には既に、生きる力は残されていない。時間の問題だ」

聖の声が途切れると、代わって時計の秒針の刻む音が狭い部屋を支配する。
昨夜から降り続いていた雨の音は、いつしか聞こえなくなっていた。

「……君の前には」

しばらくの沈黙の後、意を決したように聖が口を開いた。

「君の前には、二つの道がある」

雨に打たれながらも少女から失われずにいた温もりを思いながら、聖は続ける。

「一つめは、このまま生を終える道。そして二つめは……人を捨て、存える道だ」

傍らに置かれた小さな鍋を、聖の視線は捉えていた。
すっかり冷めて表面に固まった油の浮いたその鍋の中には、小さく刻まれた肉片がいくつも入っていた。

63再誕:2007/04/27(金) 01:25:18 ID:r4XznFsA0
「私には、君を生かすことができる。
 ……しかし、それによって君は、ヒトと呼べるものではなくなるかもしれない。
 君が得る、力と命……それは君の中のヒトを喰らって大きくなる」

ムティカパ症候群。
その病名は、常におぞましい猟奇事件と共に語られる。
不幸と悲劇を呼ぶ奇病。医師としての倫理を踏み躙りながら、聖は振り絞るように声を出していた。

「それでも、それでも欲するか。君の求めるものへもう一度手を伸ばす、その機会を。
 ヒトを捨て、醜い姿を晒してもなお、君は立ち上がりたいと望むか」

聞く者の胸を締め付けるような、それは声音だった。
瞳を閉じ、首を振って、聖は言葉を続ける。

「……いいや、いいや、そうではないな。ああ、訊ねるべきはそういうことではない。
 私が訊ね、君が答えるべきは一つ。たった一つだ」

間。
一瞬の静寂の後、聖はそっと、少女に問いかけた。

「問おう。―――君は、生きたいか?」


******

64再誕:2007/04/27(金) 01:25:36 ID:r4XznFsA0

―――生きたいか、と。
その声は私に問いかけ、そうしてそれきり、世界は静かになった。
光の中に浮かびながら、私は思いを巡らせる。

生きたいか。
私自身に問い直しても、答えは返ってこない。
わからない。
これまでだって、生きたくて生きていたんじゃない。

私は生まれ、お母さんを傷つけた。
私は生まれ、何も守れなかった。
私は生まれ、ただ生きていた。
生まれたくて生まれたんじゃない。

だけど、それは言ってはいけないことだとわかっていたから。
お母さんと私の全部を捨ててしまう言葉だとわかっていたから、口には出さなかった。
生き終わろうとしている今だから、こうして言葉にすることができる。

私のちから。
私を苦しめ、支えてくれたちから。
剣と魔物と―――そして、麦畑。

金色に輝くあの場所はもうない。
私が守れなかったあの場所には、もう誰も戻ってこない。
たいせつな約束をした、黄金の野原。
それが永遠に失われてしまったのが悲しくて、悔しくて、それを認めたくなくて。

だから、認めなかった。
私の中には永遠に輝く麦畑があると、世界を作り変えた。
誰に見えなくとも、誰に蔑まれようとも、私にとって大切なのは、そんなことではなかった。
あの場所が、あるということ。それだけが、私にとってのすべてだった。
約束は失われてなどいないと、ずっと守り続けているのだと、私は私を塗り潰した。

 ―――全部、嘘だった。

65再誕:2007/04/27(金) 01:26:08 ID:r4XznFsA0
私は私を騙しきれずにいて、塗り潰しそこねた空白から錆は拡がっていった。
大切なものが、大切な約束が薄れていくのを感じながら、私は何もしようとしなかった。
倉田佐祐理という雑音が、私の大切を塗り替えていく。
それは決して赦してはいけないことのはずなのに、あの場所への裏切りに他ならないのに、
私はそれを、ひどく心地よく感じてしまっていた。

愚かしい勘違いだったと、今になってようやく思う。
生きるということに疲れていたのだと、抗うということに迷っていたのだと、そう思えた。
私は私の大切を履き違え、そうして擦り切れてしまっていた。
重荷を下ろそうと、誰も見ていないのだからと、そんな風に磨耗していたのだ。
他ならぬ私自身の目が、いつだって一番近くで見ていることを忘れて。

ああ、ああ。
私は、生きたくて生きていたんじゃ、ない。

―――だけど、そんな確信の裏側から、小さな声が聞こえてくる。
一生懸命に耳をそばだてなければ聞こえないような、微かな声。
鼓動や呼吸、私自身の生きる音で聞こえなくなってしまうような、小さな小さな声。
声は、問うていた。

 ―――あなたは、生きたくないの?

それは小さな問いだった。
小さな、そして私の一番深くから聞こえてくる、問いだった。
私の中の雑音の全部が、消えていく。

66再誕:2007/04/27(金) 01:26:20 ID:r4XznFsA0
いつの間にか、金色に輝くあの場所が、私を包んでいた。
音はなく、穂を揺らす風と傾きかけた陽射しだけがあった。

私の守れなかった場所。
私が、守ってきた場所。

今はもうない、いつまでもそこにある、大切な場所。
私にしか見えない、そしていつか、いつか誰かが戻ってくるための、約束の場所。

手には、剣。
私を囲む、私の憎むべき、大切な魔物たち。
黄金の野が、月光に煌く刃の銀色が、蠢く魔物の漆黒が、私を包んでいた。
雨が降っていた。泥があり、炎があり、吹雪があり、鬼がいた。
輝く猪と魔犬の咆哮があった。私自身の血飛沫が私を濡らした。
私は私の腕を切り落とし、そしてチエは死んだ。

ああ、と。
私の中の混沌が、渦を巻きながら凝集していくのを見ながら。
私はようやく、理解する。

 ―――喪われた命が掴めないと、誰が定めた。

結局のところ私は、それが赦せなかったのだ。
死は喪失で、喪失は罪で。
だが、それだけだ。

取り返しのつかぬものなど、私は認めない。
守れなかったものが、もうこの手には戻らないと、そんなことを私は肯んじない。

抗うもの。
黄金の野に刃を翳し、あり得べからざる真実を切り伏せようとするもの。

それが私だ。
川澄舞の十年間だ。

ならば、私は認めてはならない。
死が取り返しのつかぬことなどではないと、私は私に示す。

 ―――私は、死を認めない。

それが、川澄舞の意志だ。
瞬間、光に包まれた世界に、私の声が満ちていた。


******

67再誕:2007/04/27(金) 01:27:21 ID:r4XznFsA0

午前十一時。
小さな寝息だけが響くその民家の静寂を破る、声があった。

「―――大変! 大変なの……聖さん、助けて!!」

数時間前に出ていったはずの少女、長岡志保の声に霧島聖が振り向く。
焦燥に満ちた声音に、悲壮と恐慌を混ぜ合わせたような表情。
着込んだ制服は所々でほつれている。

「……何事かね」

ただならぬその様子にも動じることなく問い返す聖。
その傍らには、すっかり空になった鍋が転がっていた。

68再誕:2007/04/27(金) 01:27:41 ID:r4XznFsA0

 【時間:2日目午前11時ごろ】
 【場所:F−2 平瀬村民家】

霧島聖
 【所持品:魔法ステッキ(元ベアークロー)、支給品一式、白虎の毛皮】
 【状態:ドクター】

川澄舞
 【所持品:村雨・大蛇の尾・鬼の爪・支給品一式】
 【状態:安定・睡眠・獣】

長岡志保
 【所持品:不明】
 【状態:異能・ドリー夢、狼狽】

→682 746 ⇔820 ルートD-5

69猜疑心:2007/04/27(金) 01:30:44 ID:HrL/sx4.0
実を結ばぬ捜索活動で蓄積した疲労を取り除くべく、一時の休息を取っていた里村茜達。
そんな折、彼女達が滞在する鎌石村消防署に、予期しえぬ来訪者が現れた。
「中に居る人達、聞こえていますか? 私は戦う気などありません……出来ればお話がしたいのですが」
それは重い沈黙の降りた部屋の中にまで、よく響く落ち着いた声だった。
来訪者の言葉を素直に飲み込めば、同志を増やす好機という事なのだが――
茜は少し考えた後、緊張した面持ちで口を開いた。
「待って下さい、まずは名前を聞かせてくれませんか? ちなみに、私は里村茜といいます」
何よりも最初にまず相手の名前を聞きだし、自分達の知り得る情報と照合し危険人物かどうかを判断する。
それで、間違い無い筈だった。
対主催の同志を集めねばならぬとはいえ、このデスゲームにおいて安易な選択は命取りとなりかねないのだ。
どうか自分達の知る人物であってくれと願う茜だったが、現実はそう甘くない。
「……鹿沼葉子です」
扉越しに向かい合っている人物の名は、鹿沼葉子。
茜達は葉子の情報を一切持ち合わせていない。
即ち相手を信用し得る要素は、先の『戦う気などありません』といった言葉だけなのだ。
どうすべきか茜が思案しているその時、唐突に坂上智代が言った。

「私は坂上智代という者だ。殺し合いに乗っていないという事は、お前もこの島からの脱出を企てていると考えて良いんだな?」
「ええ、その通りです」
「そうか。なら遠慮する事は無い、早く中に入れ」
智代は既に警戒を解き、専用バズーカ砲の銃口を下ろしてしまっていた。
純粋で真っ直ぐな性格の智代は、葉子の言葉をそのまま信じ込んでしまっていたのだ。
だが智代が信じたからと言って、他の者もそうだとは限らない。
「では、入りますよ」
葉子がそう言ってから、扉のノブを回そうとしたその時、大きな叫び声が消防署に響き渡った。
「待ちなさい!!」
「茜……?」
突如声を荒げた茜の顔を、智代はぽかんと口を開きながら見つめた。
見れば茜はまだ身構えたままで、その手にはしっかりと包丁が握り締められている。

70猜疑心:2007/04/27(金) 01:32:28 ID:HrL/sx4.0
「どうしたんだ? 折角同志が向こうから来てくれたんだぞ?」
「……正気ですか?もう少し頭を使って下さい。もし相手が殺し合いに乗っていれば、中に入れた瞬間撃たれて終わりです」
苛立ちを隠し切れぬ様子で、ぴしゃりと撥ね付ける茜。
茜からすればただの一言で相手を信用するなど、有り得ない事だった。
ゲームに乗った者ならば平気で嘘をつくに決まっているのだから、まだまだ警戒を解くべきでは無い。
だというのに平然と来訪者を中に入れようとした智代に対し、茜は憤りを感じていた。

そんな茜を宥めるように、詩子がひらひらと手を振りながら言った。
「まあまあ、そんなにピリピリとしないでも良いじゃない。仲間を集めるんなら、人を信じなきゃ駄目だよ」
だがその軽い口調も、言葉の意味そのものも、茜を酷く苛立たせるだけだった。
――詩子も智代も、まるで話にならない。
何故そんな簡単に相手を信じるのだ。何故二人とも武器を下ろしているのだ。
そんな事では、もし相手がゲームに乗っていれば何も抵抗出来ぬまま殺されてしまう。

茜は鋭い眼で詩子を睨みつけてから、言った。
「詩子は黙ってて下さい! 前にも言いましたよね? 油断すれば――住井君のようになると。
 この島では一つ選択を誤まれば、その瞬間に命を落としてしまうんですよ」
そう、住井護は人に裏切られて命を落としてしまった。
かつて行動を共にした柏木耕一による騙し討ちを受け、殺されてしまったのだ。
仲間が相手ですらそうなのに、見知らぬ人間が騙まし討ちを仕掛けてこぬ保障など何処にも無い。
「じゃ、じゃあどうするっていうのよ……。追い返しちゃうつもりなの? そんな事してたら、仲間なんて集められないよ……」
それも確かにその通りだった。
島からの脱出には多くの人手が必要である以上、ようやく訪れた機会をみすみす逃すのは余りにも惜しい。
「……借りますよ」
茜はそう言うと、詩子の手からニューナンブM60を奪い取った。
それから扉に向かって銃を構えながら、厳しい声で告げる。
「鹿沼葉子さん、でしたね? 中に入っても良いですが一つ条件があります。武器を持たずに、両手を頭の後ろで組んでから入ってきて下さい」
「おい、やりすぎだぞ……!」
智代が非難の声を上げるが、茜はそれを黙殺した。

71猜疑心:2007/04/27(金) 01:33:03 ID:HrL/sx4.0
暫しの間、場を沈黙が支配する。やがて扉の向こうから、静かな声が聞こえた。
「分かりました、ですが扉を開ける瞬間だけは手を使う事をお許し下さい。そうしなければ、中に入れませんから」
「……良いでしょう」
茜が返答した後、扉のノブがゆっくりと回転し、それから少しずつ開かれていった。
続いて葉子が茜の指示通り、両手を頭の後ろで組んだまま、一歩ずつ部屋の中へと侵入してくる。
見た所武器は持っていないようだし、何かを企てている様子も無かった。

「ほら、やっぱりお前の言ってた事は杞憂に過ぎなかったんだ」
智代は得意げに微笑みながらそう言って、つかつかと葉子に歩み寄った。
それからすっと、葉子に向けて片手を差し出す。
「もう一度自己紹介をしておこう。私は坂上智代だ、呼ぶ時は智代で良い。宜しく、葉子さん」
「……こちらこそ、宜しくお願いします」
葉子が表情を変えぬまま、その手を握り返す。
続いて同じように詩子も手を伸ばし、葉子と握手を交えていた。

だが、その間も。
茜は険しい顔で、ニューナンブM60を握り締めたままだった。

72猜疑心:2007/04/27(金) 01:33:36 ID:HrL/sx4.0
【時間:二日目・22:50頃】
【場所:鎌石村消防署(C-05)】

坂上智代
【持ち物1:手斧、LL牛乳×3、ブロックタイプ栄養食品×3、食料1食分(幸村)、他支給品一式(食料は残り1食分)】
【持ち物2:専用バズーカ砲&捕縛用ネット弾(残り1発)、38口径ダブルアクション式拳銃用予備弾薬69発ホローポイント弾11発使用】
【状態:健康、若干の焦り、葉子を信用】
【目的:同志を集める】

里村茜
【持ち物1:ニューナンブM60(5発装填)、包丁、フォーク、他支給品一式(食料は残り1食分)】
【持ち物2:LL牛乳×3、ブロックタイプ栄養食品×3、救急箱、食料二人分(由真・花梨】
【状態:苛立ち、まだ葉子を信用していない】
【目的:同志を集める】

柚木詩子
【持ち物1:予備弾丸2セット(10発)、鉈、他支給品一式(食料は残り1食分)】
【持ち物2:LL牛乳×3、ブロックタイプ栄養食品×3、食料1食分(智子)】
【状態:健康、葉子を信用】
【目的:同志を集める】

鹿沼葉子
【所持品:メス、支給品一式(食料なし、水は残り3/4)】
【状態:軽度の疲労、肩に軽症(手当て済み)、右大腿部銃弾貫通(手当て済み、激しい動きは痛みを伴う)。マーダー】
【目的:何としてでも生き延びる、まずは偽りの仲間を作る】

→668
→804

74なめないでよ:2007/04/30(月) 10:58:10 ID:R2sjwhXc0
七瀬留美達は平瀬村工場の屋根裏部屋で、必死に武器を探していた。
見知らぬ男性がリサ=ヴィクセンを引き留めてくれていたが、恐らく数分と保たぬだろう。
その僅かばかり与えたられた時間の間に、逆転の秘策を見出さねばならぬのだ。
留美は部屋の片隅に散在してある雑品を物色しながら、視線を移さず問い掛けた。
「……佐祐理、そっちは何かあった?」
「駄目……使えそうなのは何にも無いよっ……」
机の下を探していた佐祐理が、焦りを隠し切れぬ声で返答する。
屋根裏部屋には――前回参加者達の夥しい血痕が残されているこの部屋には、めぼしい武器は残されていなかった。
血で錆びて折れた日本刀、銃身が曲がって使えなくなった猟銃など、既に廃棄物同然となってしまった物しか無かったのだ。
有紀寧が入手したような電動釘打ち機があればまだ逆転の目もあったかも知れないが、そのような物は無かった。
それも当然だろう、この部屋は既に北川潤達が訪れ、大方物色した後なのだから。
前回参加者達の痕跡があるこの部屋だけは北川も完璧に調べており、使える物は全て持ち去った後だったのだ。
だが、全ての希望が途絶えた訳では無い。
もう一つだけ――ほんの僅かながら、勝機が生まれる可能性は存在する。

「珊瑚……ゆめみはどう?」
「アカン……もう少し時間が掛かりそうやわ……」
留美が訊ねると、珊瑚はゆっくりと首を振った。
珊瑚の傍らで横たわるゆめみは、電源が落とされた状態となっている。
珊瑚は部屋の最奥に陣取りながら、床に落ちていた工具を用いて、ゆめみに対し緊急の修理――否、改造を行っていた。
ゆめみの両腕が動かない原因は、一部回路の断線だったので、修理だけならばすぐに終わった。
だがそれだけでは意味が無い。
あの恐ろしい強敵達に対抗するには――以前より大幅に強化された状態で、ゆめみに復活して貰わねばならない。
必要な部品は、ある。
教会を出発する前に、必要な部品はイルファから取り出していた。
イルファに搭載されていた最新型OSを移植し、機体維持の為に設定されている『リミッター』も解除する。
平たく言えば最高の反応力を持つ神経機能と、無尽蔵に運動能力を引き出せる身体を、ゆめみに与えようとしているのだ。
その状態では機体に凄まじく負担が掛かるに違いないが、僅かの時間ならば相当な強さが得られる筈だった。
しかし飛び抜けた技術力を持つ珊瑚といえども、この作業は困難を極める。
目にも留まらぬ速度で工具を振るってはいるものの、完了まではまだまだ時間が掛かりそうに思えた。

75なめないでよ:2007/04/30(月) 10:59:50 ID:R2sjwhXc0
そしてあの悪魔が――宮沢有紀寧が、余分な時間など与えてくれる筈も無い。
扉の向こうより、階段を駆け上る複数の足音が聞こえてきた。
「…………来たわね」
留美はそう言うと覚悟を決めた表情となり、日本刀を握り締め、すっと立ち上がった。
その間もけたたましい足音は鳴り響き続け、やがて部屋の扉が開かれる。
「――――見つけましたよ」
開け放たれた入り口に、聞こえてきた声の方に、留美は視線を注ぎ込む。
そこには有紀寧と、その傀儡と化した岡崎朋也が直立していた。
歪に吊り上った、有紀寧の口元。
そこより発せられる軽々とした調子の、しかし確かな重圧を感じさせる声。
「全く無意味な逃避行を続けて余り手間を掛けさせないで下さいね? 貴女達みたいな鼠相手に労力を注ぎ込みたくはありませんから」
「五月蝿いわね。アンタの方こそ氷川村の時は涙目で逃げ出したじゃない」
余裕げな有紀寧に対抗してか、留美も負けじと憎まれ口を叩く。
そんな折に、何時の間にか留美の横まで来ていた佐祐理が口を開いた。
「……リサさんはどうしたんですか?」
それは当然の疑問だった。
『脱出の糸口』を断つ事に一番躍起になっていた筈の、リサの姿が何処にも無かったのだ。

76なめないでよ:2007/04/30(月) 11:01:06 ID:R2sjwhXc0
ふふ、と微かに有紀寧が笑った。
「先程柳川さんが来られましてね。リサさんは今頃、柳川さんと戦っているでしょう」
「柳川さんが――」
半ば絶望感に打ちひしがれていた佐祐理の心が、希望の光で照らされてゆく。
氷川村で別れて以来音信不通であった柳川祐也だったが、彼は生きていて、しかも此処まで助けに駆けつけてくれたのだ。
だが佐祐理の目に灯った光を見て取り、有紀寧は言った。
「ですが、助かったなどと思わない方が良いですよ? 貴女達は十分に思い知ったでしょう――リサさんの実力を」
そうだ――リサはたった一人で何人もの人間を同時に相手して、なお圧倒する程の怪物。
そんな怪物が相手では、いかな柳川と言え苦戦は必至だろう。
そして、柳川がリサの相手をしてくれているとは言え、眼前の二人だけでも十分過ぎる脅威だった。
特に電動釘打ち機を持つ有紀寧は、銃器の使えぬこの地に限れば最悪の処刑人だ。
有紀寧がその気になれば、満身創痍の自分達など一人きりで打倒出来るだろう。
今は出来るだけ時間を稼ぎ、逆転の機会が訪れるのを待つしか無かった。



77なめないでよ:2007/04/30(月) 11:02:48 ID:R2sjwhXc0
佐祐理の顔が再び曇るのを確認してから、有紀寧が続ける。
「それで、何か良い策は見つかりましたか? このままぶつかれば勝負は見えていると思いますが」
「…………」
留美も佐祐理も、答えない。
だがその時有紀寧は、留美達の後方に珊瑚とゆめみの姿を発見した。
珊瑚は一心不乱にゆめみの改造作業を続けている。
ゆめみがロボットであった事実を知り、有紀寧は少し驚いたが、すぐに冷静さを取り戻す。
リサと戦っている際のゆめみを見る限り、その運動能力は常人以下だったのだから、少々手を加えようとも問題になる筈が無かった。
「ふふ……、今更あんなスクラップを弄った所で、何になると言うんですか」
有紀寧は呆れたような表情でそう吐き捨ててから、朋也に視線を移した。
「では岡崎さん――まずは貴方が戦って下さい。私は高みの見物を決め込ませて貰います。
 それから岡崎さんが敗れればその瞬間に渚さんを殺しますので、文字通り死ぬ気で戦って下さいね」
「ぐ……てめぇっ……!」
朋也は歯を剥いて有紀寧を睨んだが、しかしすぐに否応無く薙刀を構えた。
朋也を一人で先に戦わせる理由は単純にして明快、敵の手の内を探る為だ。
電動釘打ち機を持つ自分は、この場において間違いなく最強の存在だが、防御力自体は他の人間と変わらない。
予想外の一撃を受けてしまうような事態だけは、避けたかった。
それに有紀寧が見た限り、相手でまともに戦えるのはツインテールの女のみ。
男であり且つ十分な体格を持つ朋也ならば、一人でも敵を殲滅させれるように思えた。
だが、まだ甘い。
敵は偽善者の集団なのだから、そこを突かぬ手は無い。
「それと、留美さんでしたっけ? もうお分かりかも知れませんが、岡崎さんは私に人質を取られているだけです。
 その辺りを十分にお考えになった上で、相手してあげて下さいね」
「アンタって奴は……!」
忌々しげに向けられる留美の視線を、有紀寧は優雅な笑みで受け流した。
これで、詰みだ。
甘い思考しか出来ぬ敵は、朋也の境遇に同情して全力を出し切れないだろう。



78なめないでよ:2007/04/30(月) 11:04:13 ID:R2sjwhXc0
一歩一歩近付いてくる朋也の前に、留美が立ちはだかった。
その手にはしっかりと日本刀が握り締められている。
「止めてくれって言っても、無駄そうね」
「……そうだな。悪いけど、俺にはお前達を殺す以外道が無いんだ」
朋也が答えると、留美は日本刀を深く構えた。
それから、きっと朋也の目を睨み据えて、言った。
「そっか。でもね、あたしだって此処は譲れないの。貴方や人質に取られてる人には悪いけど、勝たせて貰うわ」
それが留美の瞬時に出した答えだった。
勿論、人質も救えるものなら救ってやりたかったが、現状ではどう考えても不可能だ。
此処で大人しく自分達が殺された所で、有紀寧は朋也を傀儡として操り続けるだろう。
ならば心を鬼にしてでも、悲劇の連鎖を此処で終わらせなければならなかった。
「佐祐理、アンタは珊瑚を守ってて頂戴。この人は、あたしが一人で倒す」
狡猾な有紀寧の事だから、自分と朋也が戦っている隙に珊瑚を狙うかも知れない。
その対策だけは打ってから――留美は、前方へと駆けた。

79なめないでよ:2007/04/30(月) 11:05:48 ID:R2sjwhXc0
薙刀と日本刀。圧倒的なまでのリーチの違いにより、留美は必然的に後手となる。
横薙ぎに、唸りを上げる白刃が留美へと迫る。
まともに食らってしまえば、間違いなく一撃で死に至るだろう。
それを、留美は、
「でぇぇぇぇいっ!」
力任せの一振りで、あっさりと払い除けていた。
「何ッ……!?」
朋也が大きく目を見開き、驚愕に声を洩らす。
彼が驚くのも、至極当然の事であろう。
朋也の体格は留美を大きく上回っており、体重にすれば1.5倍はあるだろう。
普通に考えれば、力比べで留美に勝機は無い。にも拘らず――
「せやああああっ!」
「ぐっ……」
屋根裏部屋の中に、大きな金属音が鳴り響く。
留美は再度迫る薙刀を、日本刀を振り下ろす事により叩き落していたのだ。
少し手を伸ばせば触れることが出来る距離に見える朋也の顔は、焦りの色に染まっていた。
留美は手首を返し、峰打ちの形を取ってから、朋也の背中に強烈な剣戟を叩き込む。
鈍い感触が、留美の手にまで伝わってくる。
「がっ……あああ!」
渾身の一撃は確かに決まったが、しかし朋也は咆哮を上げて反撃を繰り出してきた。
瞬時に留美は後方へ飛び退いて、斜め上より飛来する剣風から身を躱した。

一旦距離を置き、息を整えながら、留美は思った。
(ふぅ……まだ腕は然程錆び付いてないみたいね)
かつて腰を痛め辞めてしまった剣道であったが、そこらの男如きに遅れを取らぬ程度の実力は残っていたらしい。
先の斬り合いで悉く朋也の攻撃を弾き飛ばせたのも、全てはそのお陰だ。
朋也の剣筋を正確に見極め、正面は避け真横から刀を激突させる形で迎撃したからこそ、力勝ち出来たのだ。
留美はばっと日本刀の切っ先を朋也に向けて、大きく一喝した。
「――なめないでよ。七瀬なのよ、あたし!」

80なめないでよ:2007/04/30(月) 11:06:53 ID:R2sjwhXc0
【時間:2日目23:30】
【場所:G−2平瀬村工場屋根裏部屋】
宮沢有紀寧
【所持品①:トカレフ(TT30)銃弾数(6/8)・参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、スイッチ(0/6)】
【所持品②:ノートパソコン、ゴルフクラブ、コルトバイソン(1/6)、包丁、電動釘打ち機(46/50)、ベネリM3(0/7)、支給品一式】
【状態:軽度の疲労、前腕軽傷(治療済み)、腹にダメージ、歯を数本欠損、左上腕部骨折(応急処置済み)】
【目的:まずは様子見。リサと柳川の生き残った方を殺す。佐祐理達を殺す。自分の安全を最優先】
岡崎朋也
【所持品:・三角帽子、薙刀、殺虫剤、風子の支給品一式】
【状態①:中度の疲労、マーダー、特に有紀寧とリサへの激しい憎悪。全身に痛み(治療済み)、背中に重度の打撲、腹部打撲。最優先目標は渚を守る事】
【状態②:首輪爆破まであと23:10(本人は47:10後だと思っている)
【目的:留美の打倒、有紀寧に大人しく従い続けるかは不明】

姫百合珊瑚
 【持ち物①:デイパック、コルト・ディテクティブスペシャル(2/6)、ノートパソコン】
 【持ち物②:コミパのメモとハッキング用CD】
 【状態:軽度の疲労、ゆめみの改造中】
 【目的:まずはゆめみの改造を終わらせる】
ほしのゆめみ
 【所持品:無し(持てる状態で無くなった為に廃棄)】
 【状態:電源オフ、胴体に被弾、右肩に数本の罅、左腕右腕共に動く】
 【目的:不明】
倉田佐祐理
 【所持品1:支給品一式×3(内一つの食料と水残り2/3)、救急箱、吹き矢セット(青×3:麻酔薬、赤×3:効能不明、黄×3:効能不明)】
 【所持品2:二連式デリンジャー(残弾0発)、暗殺用十徳ナイフ、投げナイフ(残り2本)、レジャーシート】
 【状態:中度の疲労、右腕打撲、左肩重症(止血処置済み)】
 【目的:珊瑚の防衛】
七瀬留美
 【所持品1:S&W M1076 残弾数(7/7)予備マガジン(7発入り×3)、消防斧、日本刀、あかりのヘアバンド、青い矢(麻酔薬)】
 【所持品2:何かの充電機、ノートパソコン、支給品一式(2人分、そのうち一つの食料と水残り2/3)】
 【状態:朋也と対峙、中度の疲労、腹部打撲、右拳軽傷、ゲームに乗る気、人を殺す気は皆無】
 【目的:まずは朋也を殺さずに倒す】

→819
ルートB-13 B-16

81ゆとりトリオのそれぞれ:2007/04/30(月) 23:39:41 ID:l7Laycbg0
里村茜は柚木詩子と坂上智代の軽挙を忸怩たる思いで見ていた。
来訪者の鹿沼葉子と名乗る一見して年上の女性は、全身ずぶ濡れでいたる所が汚れ、腿に怪我をしていた。
深夜の来訪者など信用できない。否、深夜でなくとも……。
果たしてどう扱かったらよいものか。
受け入れてしまった以上は、いつまでも警戒を露にしているのは得策ではない。
上辺だけの友好を取り繕い、詩子や智代をといえども欺きながら様子を窺うことにしよう。
ニューナンブM60を下ろし左手を差し出す。
「失礼しました。里村茜と申します」
「夜分遅くすみません。宜しくお願いします」
目と目が合う。
能面のように感情の起伏がなく何を考えているのかわからない人だ。

「何かお食事でもいかがですか?」
詩子がタオルを渡しながら尋ねる。
「はい、いただきます」
「その前にシャワーを浴びられたらいかがですか? 着替えを用意しておきますよ」
「……ではそうさせていただきます」
返事があるまで少しの間があった。
「茜、案内をお願いね。あたしは、ごはんの用意っと」
──私に案内を頼むとは詩子もどこか不安に思うところがあるのか。
何か裏があるのかと詩子の顔を見つめるが、引き攣った笑顔が不自然だ。
茜はもしもの場合に備え、葉子のほぼ横に並び浴室へと向かう。
背中を見せるのは恐ろしくてできることではない。
緊張感を漲らせ殺気を窺うが、葉子は何ら不審な挙動は見せなかった。
「何か代えの着物を持ってきます。ごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます」
脱衣所を出て間もなく浴室の開き戸を開ける音が聞こえる。
茜は振り返り、葉子の神経のず太さに舌を巻いた。

82ゆとりトリオのそれぞれ:2007/04/30(月) 23:41:18 ID:l7Laycbg0
事務室の棚を漁り、消防署員の制服を手に脱衣所へと戻る。
ガラス戸越しに葉子の姿を確認し、彼女の着ていた物を調べる。
──やはりあった。刃の部分を厚紙で作った即席の鞘に納まるメス。
部屋に戻ると詩子と智代がデイパックを調べ終えたところであった。
三人小声で話し合う。
「共通の物しかなかったよ。茜の方は?」
「メスを持ってました。強力ではありませんが闇討ちに使うなら手軽で便利です」
「もういい加減疑うのをやめたらどうなんだ。不審な所は見当たらないし気分を害してしまうではないか」
「そこまで言うのならこれだけは言っておきます。心の片隅にわずかながらでも疑念を持ち続けて下さい」
必死の説得に智代は軽く頷く。
「彼女にはこちら側の情報はどこまで教えようか?」
「首輪の秘密やまーりゃんという女の子のことも言っていいだろう。いや、内容からして全部いいのでは?」
「そうですね。私達の情報は大したことではないですから」

台所に行ってみると、詩子は準備をすると言っておきながら何もしてはいなかった。
「どうしましょう。ポタージュがもう残ってません」
「冷凍物のスパゲティがあったような気がするよ」
──冷凍室の扉を開けようとした手に茜の手が重なる。
「唯一修羅場を経験しているのに、よくもまあ脳天気ですね」
「わかってるよ。用心に越したことはないって言いたいんでしょ?」
「葉子さんから何も感じませんか? 邪悪な気配とか……。もっと感性を働かせて下さい」
小声で諫言するが詩子の楽観的な見方は変わりそうもない。
「あんまり顔顰めてると眉間に縦皺が寄っちゃうよ」
「縦皺が寄るくらいならマシです。穴を開けられたらおしまいではないですか」
──それでも詩子なら……詩子ならきっと何とか理解してくれる。
どこまで理解してくれるかわからないが、茜は念を押さずにはいられなかった。

83ゆとりトリオのそれぞれ:2007/04/30(月) 23:42:48 ID:l7Laycbg0
湯上りした葉子に智代と詩子の視線が注がれる。
蛾が蝶になったがごとく、みすぼらしかった彼女は容姿端麗な女性に変貌していた。
智代は葉子に見とれつつ策を弄してみることにした。
──この人がどれほどのものか試してみよう。
「このあたりで人が集まりそうなところといえば役場です。今夜のうちに移動するのはどうでしょう?」
「人は動物と違って闇を恐れます。土地勘のない所を夜間、無闇に移動するなど自殺行為も同然と思いませんか?」
「……そうですね。警戒にかなりの気力を使いますから」

(何がそうですね、ですか。葉子さん自身、鷹野神社からここまで来るなど無謀なことをしてるではありませんか。矛盾してます!)
台所で二人の会話を聞きながら、茜は平静を装いつつ苛立ちを募らせる。
智代は腕っ節は強いが謀略には弱そうだ。
よくもまあ、生徒会長が務まるものだと呆れるほかない。

「もし通り道に殺し合いに乗った人がいたとすると、待ち伏せに遭います。こちらが多勢でも大混乱に陥ると思います」
「では行動するなら明朝にしましょう。作戦について何か案はありますか?」
「現状を鑑みると少人数のグループでの行動は危険です。せいぜい一グループ五、六人ぐらいの編成が良いかと思います」
さすが見識のある人だと感心する智代。
「ところで脚の傷は大丈夫ですか?」
「……忘れてました。すみませんが消毒と包帯の交換をしてもらえませんか?」
「今すぐします。詩子、救急箱はどこだったか?」
処置をしながら考える。
(今の「間」はなんだろう。まあ、酷い目に遭ったから話しにくいのかもしれないが……)
初めて見た時から感情の起伏がないのが引っ掛かるが、茜がいうほど心配するまでもなさそうだ。
これで私達も戦力アップしたも同然。
怪我が治ったら葉子さんに指揮を取ってもらいたいものだ。
智代はすっかり葉子に心酔していた。

84ゆとりトリオのそれぞれ:2007/04/30(月) 23:44:26 ID:l7Laycbg0
「申し訳ありませんが、フォークがないので箸で召し上がって下さい」
「スパゲティはいつも箸で食べてます」
(箸でスパゲティを? 変な人)
怪訝な顔をする茜をよそに、そこへ詩子が割り込む。
「とぐろを巻いた形したチョコと鹿せんべいがあったとすると、葉子さんはどっちが好きですか?」
「私は……チョコです」
「そのチョコなら私も好きだ。あたり麻枝の……ハッ」
「えっ、智代と葉子さんがリアルウンコチョコ好きだなんてショックゥ! あたしは鹿せんべいだけど、茜も鹿せんべいよね?」
茜は失望を禁じえない。
確かに『鹿せんべい』は好きだが話があまりにも下らなさ過ぎる。
誘導質問のようなことはできないものか。
「葉子さん、そろそろあなたの情報を教えて下さい」
「そうですね。診療所とその付近の出来事をお話しましょう」
都合の悪いことは除き、葉子の口からは淡々と滞りなく「事実」が述べられる。
診療所をめぐる攻防を聞くうちに、三人の表情が蒼ざめていく。
生々しい体験談は詩子が目にしたものを凌ぎ、今後の戦術を再考するほどのことであった。

葉子の来訪により部屋替えを行うことになった。
三人が寝る部屋を葉子に譲り、詩子は茜と共に別室で寝支度をしていた。
「彼女、素敵な人だね。あたしなんだか魅了されちゃった」
「それだけですか?」
「なんか腑に落ちないとこあるけどねえ。あたしの勘だと特殊な環境にいたんじゃないかって気がするんだ」
台所で聞いた忠告を詩子は内心反芻していた。
これも茜との長い付き合いによるものである。
「葉子さんは否定してましたが、私は人を殺した経験があるような気がします」
「どうだろうねえ。あの達観した性格はただものじゃないってことは確かだよ。気休めに占いをやってみようっと」
その時智代の呼ぶ声がした。
「オーイ茜、詩子。見張りの割り当てを決めるから来てくれ」
詩子は一人残り、結果が出るまで待つ。
「どうでるかな。はにゃにゃん、はにゃにゃん。しぃーちゃん、はにゃにゃん……」

85ゆとりトリオのそれぞれ:2007/04/30(月) 23:46:50 ID:l7Laycbg0
詩子が戻ると冷静な智代の様子がどうもおかしい。
「さあ、詩子も「せっぽう」を聞くがよい。葉子さんがお世話になった宗団に入ると『人生の宝物』が見つかるそうだ」
妙にノリノリな智代は幼女のように目を輝かせている。
「『せっぽう』? え、『ポア』だっけ。聞いたことあるようなないような」
「申し訳ありませんが私がいた宗団は既に消滅しました。今日のところはここまでに……」
そう言って葉子は入れ違いに部屋を出て行く。
「『人生の宝物』なんて興味はありません。割り当てについての話を始めて下さい。私は朝が弱いので一番目を希望します」
茜はどことなく不機嫌である。
「では始めよう。零時から二時までが茜。二時から四時までが詩子。残りを私。名簿チェック後少し寝させて欲しい」
「銃の受け持ちは交代でいいですね」
「ああ、それでいい。後を頼んだぞ」
鼻歌交じりに智代はスキップしながら出て行った。

「まずいことになりました。智代が葉子さんの虜になってしまいました。葉子さんは新興宗教の信者です」
「へえー、新興宗教ねえ。道理でアブナイ人の気がしたわ」
深刻に悩む茜をどう励ましたらよいものやら……と、隣に座り、彼女の膝頭の上に手を置き、ゆっくりと撫でる。
「この非常時に何をやているんですか。そんなことはいけません」
きゅっと太腿を閉じ軽く睨むが詩子は平然と撫で続ける。
「さっきのチョコの件だけど。七瀬さんがあれをコンビニの……ローリコンだったか、こっそり買ってるの見たことあるよ」
「はうっ……七瀬さんて、私のクラスの……七瀬留美さんですか?」
「そう、あの七瀬さんよ。顔に似合わず恐ろしい物を買ってたなんてショックだったわ」
言い終わるや蠢く手がスカートの中に滑り込み──その手が掴まれる。
「こんなこといつまでもしてると、妙なレッテルが永遠につきますよ」
「人は見かけによらずとは、このようなことをいうのよね。彼女、二面性があるのはわかってたけど……」
潤んだ眼差しで見つめるが茜は一向に取り合わない。
──もう寝よっと。
溜息をつき立ち上がろうとしたところを、手を引っ張られ座り直す。
「詩子。くれぐれも用心を怠らないでくださいね」
「…………わかってるって。二時間後、お願いね」
熱い友情を交わし、詩子は余韻に浸りながら寝室へと向かった。

86ゆとりトリオのそれぞれ:2007/04/30(月) 23:48:33 ID:l7Laycbg0
詩子が去った後火照りから醒め、部屋を見回す。
到着時に気づいたものの、二人とも気づかなかったのだろうか。
──ここには私達が来るよりも前に誰かがいた。
そんな気がするのは自分だけだろうか考える。
もしかしてゲームに乗った者が隠れているのだろうか。
少なくとも室内にはいないようだ。
懐中電灯を手にドアを開け、ガラ空きの車庫を照らすがこれといって変化はない。
──否、倉庫の戸が僅かに開いていた。
開けて見ると消防の機器がいろいろと置いてあるが、もともとは三つだったのであろう消防斧が二つ。
手にとってみるが、
(重い。非力な私には使いこなせないけど、役に立つこともあるかもしれない)
一つ拝借し急いで部屋へと戻り、清掃用具入れに隠しておく。

あの人──葉子は今夜動くだろうか? 否、疲労の度合いからして今夜は動くまい。
彼女に対する不信の念は相性の違いではないような気がする。
癌のように気づいた時には既に遅し、というようなことが起きなければいいが……。

外の様子を窺うと雨はまだ降っているようでる。
(朝の放送でまた死者が増えているに違いない。怖い、聞きたくない)
明かりを消し、耳を澄ませると静寂の中にいることを実感する。
(今日は、晴れるかしら)
椅子に座り、真っ暗な部屋で冷めた紅茶をすする。
ゲーム開始後、今まで無事に過ごせた幸運を噛み締めずにはいられなかった。

87ゆとりトリオのそれぞれ:2007/04/30(月) 23:50:17 ID:l7Laycbg0
【時間:三日目・00:15頃】
【場所:鎌石村消防署(C-05)】
坂上智代
【持ち物1:手斧、LL牛乳×3、ブロックタイプ栄養食品×3、食料1食分(幸村)、他支給品一式(食料は残り1食分)】
【持ち物2:専用バズーカ砲&捕縛用ネット弾(残り1発)、38口径ダブルアクション式拳銃用予備弾薬69発ホローポイント弾11発使用】
【状態:就寝中。健康、若干の焦り、葉子を信用】
【目的:同志を集める】

里村茜
【持ち物1:ニューナンブM60(5発装填)、予備弾丸2セット(10発)、包丁、フォーク、他支給品一式(食料は残り1食分)】
【持ち物2:LL牛乳×3、ブロックタイプ栄養食品×3、救急箱、食料二人分(由真・花梨】
【状態:見張り中、健康、まだ葉子を信用していない】
【目的:同志を集める】

柚木詩子
【持ち物1:鉈、他支給品一式(食料は残り1食分)】
【持ち物2:LL牛乳×3、ブロックタイプ栄養食品×3、食料1食分(智子)】
【状態:就寝中、健康、葉子にやや懐疑心を持つ】
【目的:同志を集める】

鹿沼葉子
【所持品:メス、支給品一式(食料なし)】
【状態1:消防署員の制服着用、マーダー】
【状態2:就寝中、軽度の疲労、肩に軽症(手当て済み)、右大腿部銃弾貫通(手当て済み、激しい動きは痛みを伴う)】
【目的:何としてでも生き延びる、まずは偽りの仲間を作る】

【備考1:ニューナンブM60と予備弾丸セットは見張り交代の度に貸与】
【備考2:智代、茜、詩子は葉子から見聞きしたことを聞いている(天沢郁未と古河親子を除く)】
【備考3:葉子は智代達の知人や見聞きしたことを聞いている(古河親子と長森瑞佳を除く)】

→795、823

88名無しさん:2007/05/01(火) 06:18:39 ID:QxFK1geI0
予約期限切れっぽいし、分岐投稿くらいなら良いかな……?
様々な方向性を示せるのが分岐制と信じて、貴明絡みの話を投下します

89再会は雷鳴と共に:2007/05/01(火) 06:19:48 ID:QxFK1geI0
雷による轟音と共に、周囲が照らされる。
桃色の髪を雨に濡らしたまま、修羅は哂う。
右手には最強の復讐鬼を屠ったH&K SMG‖が握り締められている。
そんな死神ともいうべき存在を前にして、小牧愛佳は呆然と口を開く。
「貴女は前生徒会長の……まーりゃん先輩!?」
すると修羅――朝霧麻亜子は満足気に無い胸を逸らした。
「いえすっ! あいどうーん! まい・すいーとはーと、まーりゃん先輩でーす!」
この戦場に不釣合いな、明るく軽い少女の声。
だがそれを聞いても、愛佳達が警戒を緩めるというような事は無い。
それも当然だった。愛佳達は目の前の少女から奇襲を受け、既に手痛い損害を被っているのだから。
吉岡チエは血に染まった右肩を押さえながら、鋭い視線を麻亜子に送る。
「まーりゃん先輩、で良いんスよね? ……どうしてこんな事をするんスか」
すると麻亜子は口の両端を吊り上げて、悠然と首を傾けた。
「おやおや、チミは撃たれたのに、まだそんな事を言ってるのかね? 見れば分かるじゃあないか、あたしは殺し合いに乗ったのさ」
告げられるその声音、向けられるその眼光には、一切の迷いが感じられない。
チエは試みるまでもなく説得不可能な状況である事を思い知らされていた。
そして、柏木千鶴との激戦を潜り抜けた今なら分かる。
この女は、自分達如きがまともに戦って勝てる相手ではない。
敵の片手に堅持されたマシンガン、冷静を保ったままに向けられる刺々しい殺気。
千鶴が獰猛な肉食獣だとすれば、麻亜子はさしずめ冷徹な暗殺者といった所だろう。
純粋な戦闘能力だけ見れば千鶴には劣るかも知れないが、この女にはそれを補う『何か』がある。
そう直感が報せていた。
(河野先輩……藤田先輩……あたしどうすれば良いんスか……!?)
思わず、この場にいない河野貴明や今は亡き藤田浩之に縋り付きたくなってしまう。
それ程、自分達が置かれている状況は絶望的だった。
敵との距離は僅か十五メートル程度、逃亡という選択肢は成功率が極めて低いと言わざるを得ない。
かと言って正面勝負を挑んだ所で、ポケットに入れてあるグロック19と愛佳のドラグノフだけでは火力不足。
地面に落としてしまった89式小銃を拾い上げようとしても、その前にマシンガンで穴だらけにされるのがオチだろう。
一体どうすれば――そこでチエの思考は中断される事となる。
「チエちゃん、後ろに走って!」
叫びとほぼ同時、真横より銃声がした。
愛佳がドラグノフの銃口を持ち上げ、すぐさま引き金を引いたのだ。
しかしその行動を予期していた麻亜子は既に身を躱しており、即座に反撃体勢を取る。



90再会は雷鳴と共に:2007/05/01(火) 06:20:53 ID:QxFK1geI0
「歯ぁ食いしばれ! そんな後輩、修正してやる!」
麻亜子は横に駆けながらH&K SMG‖を構え、その直後にはもう撃っていた。
素人では走りながらの射撃は難しいが、数撃てば当たるという言葉もある。
マシンガンより吐き出された銃弾の何発かは、愛佳を貫く軌道で突き進む。
そして相手が防弾性の装備をしている可能性も考慮し、麻亜子は既に第二射の準備に入ってる。
たとえ敵が防弾性の服を着ていたとしても、弾丸は莫大な衝撃により標的に損傷を与えるだろう。
その隙を狙って一気に勝負を決めれば良い筈だった。
だが次の瞬間に起こった、予測し得ぬ事態に麻亜子は己の目を疑った。
「にゃにぃっ!?」
銃弾は全て、愛佳のデイパックに隠されていた強力無比な防具――強化プラスチック製大盾により遮られていたのだ。
アサルトライフルすら防ぎ切るその圧倒的装甲の前に、マシンガンの銃弾は悉くが大した役目も成さずに弾き飛ばされる。
愛佳は剥き出しになった大盾で身を守りながら、後ろ向きに走ってゆく。
しかし麻亜子がこのまま敵の逃亡を許容する筈も無く、即座に大地を蹴って追い縋る。
背面走状態の愛佳と、全力疾走をしている麻亜子では速度に大きな差がある。
「ぬっふっふ、すぐに追いついて刺し身にしてあげようではないか」
麻亜子はそう呟きながら、左手の中でくるくるとバタフライナイフを回した。
遠距離からの銃撃が効かないのなら、近距離で直接牙を突き立てれば良いのだ。



91再会は雷鳴と共に:2007/05/01(火) 06:21:41 ID:QxFK1geI0
「っ――――」
両者の距離は、後十メートル。
愛佳は必死の思いで盾を構えたまま、後方への背走を続けていた。
進行方向には背中を向けている為眼を向ける事が出来ず、正面の視界も大盾に遮られている。
閉ざされた視界の中、修羅の近付いてくる音だけが聞こえてくる。
後五メートル。
「――っあ――くぅぅ……」
急げ急げ、もっと速く逃げなければすぐに追いつかれてしまう。
極度の緊張に息が詰まり、心臓がドクンドクンと大きく早鐘を打つ。
たとえ姿が見えずとも無視できない死が、すぐ傍まで迫ってきている。
後一メートル。
「あ……?」
愛佳が横を振り向いた時には、既に状況は致命的なまでに悪化していた。
視線を向けた先には、二つの大きな瞳。
麻亜子が真横を併走しながら、サバイバルナイフを振り上げていたのだ。
「き……きゃぁぁぁぁぁっ!」
一秒後には降りかかるであろう絶対の死を前にして、愛佳は無意識に両目を閉ざす。
足も竦みあがって止まってしまい、完全に無防備な姿を晒してしまう。
続いて鳴り響く銃声、頬に降りかかる鮮血。
「…………?」
痛みも死も訪れない事を疑問に思い、愛佳が目を開けると。
「つぅ……あぐぐっ……」
先程まで自分を執拗に狙っていた麻亜子が、赤く染まった左肩を押さえながら呻いていた。
地面にはそれまで麻亜子が握り締めていたH&K SMG‖とサバイバルナイフが落ちている。
「先輩、こっちッス!」
呆然としていた愛佳だったが、後ろから聞こえてきた声に振り返り、ようやく事態を理解した。
チエが深い茂みの前で眉を吊り上げながら、グロック19を水平に構えていたのだ。
「う……うんっ!」
逃げ出す好機はこの瞬間、この好機を置いて他には存在しない――
愛佳はもう盾を投げ捨てて、形振り構わずチエの方へと駆けた。

92再会は雷鳴と共に:2007/05/01(火) 06:22:39 ID:QxFK1geI0


「ぐぬぅ……逃がさないよっ!」
麻亜子は苦痛に顔を歪めながらも、取り落とした
H&K SMG‖を拾い上げようとする。
だがその刹那、背筋に嫌な予感が奔り、麻亜子はそれまで自分がいた場所を飛び退いた。
遅れて甲高い音が聞こえ、すぐ傍の地面が弾け飛んだ。
チエが逃げる愛佳を援護する形で、麻亜子に攻撃を仕掛けていたのだ。
チエによる攻撃の手が休められる事は無く、銃弾が何度も放たれる。
「ぬあっ、くぅ、おわっととっ!」
数々の激戦で鍛えられた常人離れした勘と、類稀な身のこなしにより、麻亜子はその猛攻を凌いでゆく。
しかし傷付いた今の身体ではそれで限界であり、反撃にまではとても手が回らない。
銃声が止んだ時にはもう、チエ達の姿は闇の中へと消えてしまっていた。

麻亜子は肩より伝わる激痛を意にも介さず、すぐに次の行動へと移る。
痛みなどには屈しぬと決めてあるのだから、怪我の治療など後回しで良い。
周囲の状況を確認し、落ちている武器を次々と拾い上げると、チエ達が消えた方向に向かって呟いた。
「ここまで生き残ってきただけあって、なかなかやるじゃないか……。でもこのまま逃げ切れると思ったら大間違いだぞぅ?」

   *     *     *    *     *     *

麻亜子の襲撃をどうにか凌いだ愛佳達は、百メートルばかり先の茂みの中で息を潜めていた。
全速力で逃亡を続けるという選択肢もあったが、敵があの女だけとは限らない。
銃声を聞きつけた他の誰かが、漁夫の利を狙って近付いてきているかも知れないし、目立つ真似は出来るだけ避けるべきなように思えた。
だからこそ愛佳達は敵を振り切ったと判断した時点で足を止め、大人しく隠れる事にしたのだ。

93再会は雷鳴と共に:2007/05/01(火) 06:23:46 ID:QxFK1geI0
愛佳はチエと地面に座り込んだまま、ぜえぜえと肩で息をしていた。
「ふぅ〜……、ここまで来れば大丈夫そうッスね」
「そうだね。チエちゃん、本当にありがとうね……凄い助かったよ」
愛佳が穏やかに笑ってそう告げると、チエは顔を少し紅潮させた。
「そ……そんな、お互い様ッスよ。あたしだって、小牧先輩がいなきゃどうなってたか……」
チエはそう言って手を振ろうとする。
だが途端に先程撃たれた右肩がズキズキと痛み、慌てて手を元に戻した。
「もう、無理はいけないよぉ? さ、怪我の手当てをしようよ」
「すいませんッス……」
「謝る必要なんて無いよ。こんな時だからこそお互い助け合わなきゃね」
愛佳は静かに答えた後、鞄から救急箱を取り出した。
雨で濡れた茂みの雑草を軽く払いのけた後、箱を地面に置く。
それから愛佳は救急箱の蓋を開けようとして――大きく息を飲んだ。
「――――ッ!?」
間断無く続く雨音に混じって、生い茂る雑草の向こう側より足音が聞こえてきたのだ。
茂みで視界が遮られている為に姿こそ見えぬが、確認するまでも無い――タイミング的に、間違いなく朝霧麻亜子のものだろう。
気付いたのはチエも同じで、彼女もまた動揺を隠し切れぬ表情をしていた。

(そんな……ちゃんと振り切った筈なのにどうして――?)
焦りで、恐怖で、疑問で、愛佳の身体が凍り付いてゆく。
自分達は麻亜子の姿が見えなくなったのを確認してから、すぐに逃げる方向を変えた。
ならば敵は追いついてなど来れぬ筈なのに、どうやってここまで再び肉薄してきたのか。
まるで検討もつかない。
唯一分かる事はここまで近付かれてしまった以上、取りうる選択肢は限られてくるという事だ。
今から茂みを飛び出しても到底逃げ切れないし、敵の姿が見えない以上、まだ奇襲は難しい。
となると、残された道は一つ。
このまま茂みの中に身を隠し続け――もし敵の姿が視界に入ったら、機先を制して攻撃を仕掛ける。
これならば上手くいけば敵をやり過ごせるし、発見されそうになっても先手を取れるのだから勝機はある筈だった。

94再会は雷鳴と共に:2007/05/01(火) 06:25:39 ID:QxFK1geI0
愛佳は地面に腰を落とした姿勢のまま、ドラグノフを聞こえてくる方に足音の向けて構えた。
出来れば見つりませんようにと祈りながらも、銃身を握り締める手には確実に力を籠める。
掌の中が汗と雨でじっとりと濡れており、しっかりと銃を握っていなければ取り落としてしまいかねなかった。
――大丈夫、敵が見えぬという事は、即ち相手もこちら側を視認出来ぬという事。
このまま警戒態勢を取り続け、もし敵の姿が見えたらその瞬間に銃を放てば良いのだ。
そう自分に言い聞かせながら、愛佳は引き金にかけた指に全集中力を注ぎ込む。
横では同じように吉岡チエがグロック19を構えている。
そしてなおも近付いてくる足音に、二人の緊張が最大限まで高まったその時だった。
――視界が、燃え盛る液体の濁流で埋め尽くされたのは。

「――――危ないっ!」
「えっ!?」
愛佳は半ば反射的に真横にいるチエを突き飛ばし、その次の瞬間には炎に飲まれていた。
「ああああああああぁぁぁぁっ!!」
想像を絶する激痛が、耐え難い灼熱が、雪崩の如く襲い掛かってくる。
顔も、胴体も、足も、例外無く真っ赤な炎に包まれてしまった。
「消えてっ……消え……てよぉっ……!」
火達磨となった愛佳は纏わりつく炎を消すべく、必死に両手で己の身体を叩き続ける。
しかしそれは、川の流れを手で押し留めようとするのと何ら変わらぬ行為。
雨の中でも勢いを失わぬ豪炎を、手を振るう程度で消すなど到底不可能だ。
ましてや愛佳自身の手も燃え盛っているのだから、火が勢いを緩める事など有り得ない。
「うああ……うあああぁぁぁっ……」
全身の機能を破壊されてゆき急激に力が抜けてくるが、莫大な苦痛と熱だけは未だに伝わってくる。
火炎放射器は『不快な死を撒き散らす』というのが特徴の武器であり、それにより与えられる苦しみは並大抵の物では無かった。
(いや……だ…………誰か……たすけてよ…………)
混乱し、疲弊し切った思考の中に、その想いだけが浮かぶ。
死にたくなかった。この苦痛から解放されたかった。助かりたかった。
そして、愛佳は見た。
前方五メートル程離れた所で、怯えた表情で地面にへたり込んでいるチエを。
「チ……エ……チャ……ン……タス…ケテ……」
そうだ――自分だって身を挺してチエを庇ったのだから、次はこちらが救ってもらう番だ。
その結論に達した愛佳は、炎に包まれたまま一歩、また一歩とチエの方へと歩を進める。
「小……牧…………先……輩……」
チエが物の怪を見るような眼差しを、愛佳へと送る。
それ程今の愛佳の姿は異常であり、焼け爛れた喉から発せられる声音も怪物のものだった。
愛佳がまた一歩足を踏み出すと、チエは尻餅をついたまま一歩後退した。
「チエ……チャン……ドウシテ……ニゲルノ……」
炎を消す手段を持たぬチエが逃げるのは当然なのだが、それは愛佳からすれば許し難い裏切り行為だ。
「ドウシ……テッ……!」
苦痛と憎悪で無茶苦茶となった思考に従い、愛佳が更に歩くペースを早めようとする。
そこで上空から火炎放射器の本体が飛来し、続いて連続した銃声が聞こえ――辺り一帯が閃光に包まれた。
最早狂ってしまった愛佳の頭では到底理解出来なかったが、銃弾で撃ち抜かれた火炎放射器が爆発を巻き起こしたのだ。
「ウアアアアアアアアアアアッッ……!!」
何者にも祈りを捧げる事無く、ただ己の境遇を呪いながら、愛佳の意識は闇の奥底へと飲み込まれていった。

95再会は雷鳴と共に:2007/05/01(火) 06:26:33 ID:QxFK1geI0


「……ここまで酷い武器だとは思わなかったよ。修羅といえども、これはちょっと後味が悪いね」
火炎と爆風により半ば焼け野原と化した地の上で、肩を落としながら呟く少女の名は、朝霧麻亜子。
近くには見るも無残な焼け焦げた死体と、今にも息絶えそうなチエが横たわっている。

――麻亜子はチエ達に逃げられた後、レーダーを頼りに追撃を行った。
しかし間近までレーダーを点けたままで行こうとすると、漏れ出る光により自身の位置を悟られてしまう為、電源を切りざるを得なかった。
敵の大体の位置は把握してるとは言え、その状態で正確な攻撃を決めるのは難しい。
そこで麻亜子は攻撃範囲の大きい――チエ達が落としていった火炎放射器を使用したのだ。
結果は予想以上のもので、燃え盛る火炎は茂みに隠れていた獲物の片割れを完全に飲み込んだ。
麻亜子はその機を逃さず、砲丸投げの要領で火炎放射器を投げ込み、続いて狙撃を行った。
狙い通り生み出された爆発は火塗れの愛佳だけでなく、傍にいたチエすらも蹂躙した。
結果は上々、左肩を撃たれてしまったが幸いにも、『まだ』左腕は動く。
指一本動かす度に激痛が跳ね、放っておけば治療不可能な状態まで悪化してしまうかも知れないが、『まだ』何とか動く。
だが一度に二人の獲物を仕留めたとは言え、火達磨となった愛佳の惨状は麻亜子にとってもショックが大きかった。
この世のものとは思えぬ絶叫、直視に耐えぬ黒焦げの亡骸。
かつて人だった者が目の前で、自分の手によって、人間では無い何かへと変貌していった。

ともかく先程の爆発音はかなり広範囲に響き渡った筈なのだから、今すぐこの場を離れなければならない。
息を乱しているチエに手早くトドメを刺し、戦利品を回収して、怪我の治療を行わねばならない。
しかし麻亜子は苦々しく表情を歪めたまま、自身が生み出した惨状を眺めていた。
それは修羅としての役目を成すには、決して抱いてはいけない罪悪感によるものだった。
それが決定打となり、麻亜子は再会を果たす事となる。
「……むっ!?」
遠くより駆けてくる足音に、麻亜子が振り向く。
麻亜子は手馴れた動作でH&K SMG‖を構えたが、近付いてくる人影の正体を認識した瞬間、ぽろりと銃を取り落とした。
「たか……りゃん……」
現れたのは、麻亜子にとって二番目に大切な存在――河野貴明だったのだ。

96再会は雷鳴と共に:2007/05/01(火) 06:27:05 ID:QxFK1geI0


「こ……これは……」
河野貴明が戦場に辿り着いた時、眼前に広がったのは正しく地獄の光景だった。
焼け焦げた地面、鼻をつく嫌な臭い。
呆然とした顔で視線を送ってくる麻亜子を意にも介さず、貴明は地面に倒れ伏せているチエを抱き上げた。
先の爆発音の時に負傷したのろうか、チエの背中は血で濡れていた。
「吉岡さん……」
声を掛けると、それまで目を閉じていたチエが、ゆっくりと瞼を押し上げた。
「せ……先輩……やっと会えたッス……」
それは今にも消え入りそうな声。
まるで少年との一戦を終えた後の、笹森花梨のように。
「一体何があったんだ?」
心の奥底より沸き上がる『嫌な予感』を振り払うように、震える声で訊ねる。
「まーりゃんって人に襲われて……頑張ったけど、やられちゃいました……」
「そっか……」
そんな事は分かっていた。『嫌な予感』はこれでは無い。
そして、麻亜子がいくら憎かろうとも、今は戦うべき時じゃない。
「もう良い――治療出来る場所を探しに行くから、今は喋っちゃ駄目だ」
そうだ、復讐よりも目の前の人を救う方が大切だ。
今はチエの救助を最優先に行動すべきなのだ。
『嫌な予感』を、現実のものとせぬ為に。

97再会は雷鳴と共に:2007/05/01(火) 06:27:51 ID:QxFK1geI0
しかしチエはゆっくりと首を振って、言った。
「それよりも…………先輩、聞いて欲しい事があるんスよ……」
「……何かな?」
チエはこれまで見せた事の無い程真剣な瞳で、こちらを見つめていた。
その視線を一身に受けた貴明は、素直に話を聞くしかなかった。
「あたしね……このみと会ったんスよ。夢の中で――もう死んじゃった筈のこのみと会ったんスよ」
「このみと?」
「このみはね……、河野先輩の事が……好きだったんスよ。ずっとずっと……、昔から……好きだったんスよ。
 このみは……心配してました。自分が死んだ事を嘆くよりも……、残された河野先輩を……心配してました」
「そっか……」
このみらしいな、と思った。
彼女は子供のように見えて、芯の部分では自分などより余程しっかりしているから。
それに自分がこのみより先に死んでしまったとしたら、同じように残された相手の心配をするだろう。
自分とこのみはそういう関係なのだ。
「それでこのみは……、あたしに言ったんスよ。『よっちにタカくんをお願いしたいの』って……」
「――吉岡さんに? どうして?」
分からなかった。自分とチエは、親しい仲では無い。
環や雄二に頼むのなら分かるが、このみがどうしてチエにそんな事を言ったのか、理解出来なかった。

98再会は雷鳴と共に:2007/05/01(火) 06:28:41 ID:QxFK1geI0
目を丸くしている貴明を見て、チエが優しく微笑む。
「あたし……河野先輩が好きなんスよ」
「――――え?」
思わず、随分と間抜けな声で訊ね返してしまう。
今チエは何と言ったのだ?自分の聞き間違えで無ければ――
「あたし……河野先輩の事が大好きなんスよ。このみはそれを知ってたから、あたしに頼んだんだと思うッス……」
「――――!」
チエの言葉を聞いた瞬間、貴明は後頭部を思い切り殴り付けられたようなショックを受けた。
目を大きく見開いた後、震える唇をどうにか動かす。
「そうだった……んだ……」
「……でも、このみに怒られちゃいますね」
「どうしてさ?」
貴明が聞き返すと、チエは沈んだ表情を浮かべた。
「あたしは……もうそろそろ死んじゃうから……河野先輩を支えて上げられないから……約束を果たせないッス……」
これが、『嫌な予感』だった。チエの姿は、今際の際の花梨とあまりにも似すぎていたのだ。
やはり、もうチエは――

99再会は雷鳴と共に:2007/05/01(火) 06:29:13 ID:QxFK1geI0
「吉岡さんッ!」
貴明は叫んだ。
チエの身体を強く抱き締めて、精一杯叫んだ。
「吉岡さんは十分頑張ってくれたよ! 今だって辛いだろ!? 痛いだろ!? 
 それなのに吉岡さんは、気力を振り絞ってこのみと自分の思いを伝えてくれたじゃないか!」
「先輩……」
腕に籠めた力をより一層強めながら、半ば涙声で続ける。
「ゴメン、吉岡さん……。俺がもう少し駆けつけてくるのが早ければ、守ってあげれたのに……」
「良いんスよ……でもその代わり、少しだけお顔を見せてくれませんか?」
言われて、貴明は少しだけチエから身体を離した。
それでも少し動けば口付けが出来そうなくらいの距離で、チエがゆっくりと口を開く。
「河野せんぱ、ううん……貴明先輩。これだけはずっと覚えておいて欲しいッス。貴方を好きな女の子が、二人いたって事を――」
言い終えると、チエは眠るように静かに目を閉じた。
その寝顔は場違いな程、穏やかに見えた。
「よし……おか……さん……?」
呼び掛けても返事は無い。チエはもう、動かなかった。
まだまだ伝えたい言葉があったのに。
死を迎えるその瞬間まで精一杯想いをぶつけてくれた少女に、色々言ってあげたかったのに。
自分は馬鹿で、鈍感で、その所為でチエの好意にも気付いてやれなかった。
女が苦手だからなどという理由で、チエとの関わり合いを避け続けてしまった。
その事を謝りたかったのに。
もうそれは、永久に叶わぬ願いとなってしまった。
「吉岡さん……お休み」
貴明は静かにそう呟くと、るーこの時と同様に、チエの瞼を優しく閉じさせた。
それからすくっと立ち上がって、もう一人の亡骸へと目をやる。
「小牧さん……」
それは既に原型を留めていない黒焦げの死体だったが、髪型と焼け残った制服からかろうじて判別がついた。
愛佳の亡骸は、顔の大部分が焼け爛れており、閉じさせてやる瞼すら存在しない。
特に苦しい死に方の一つに、焼死が挙げられる。
生きたまま火に巻かれ、意識を保ったまま身体の機能を破壊されてゆくのは、どれ程の苦痛なのだろうか。
きっと、想像もつかないものなのだろう。
自分がこれまで負ってきた傷よりも、何百倍も痛かった筈だ。

100再会は雷鳴と共に:2007/05/01(火) 06:30:39 ID:QxFK1geI0
貴明はくるりと身体の向きを変え、首を上げた。
あの女を――かつての先輩で、そして最早怨敵と化した相手を、視界に収める為に。
「まーりゃん先輩……俺は貴女を――」
貴明の塗れた瞳が、紅い涙を流す双眸が、麻亜子を睨みつけた。
表現しようが無い程の悲しみと憎しみを乗せた声で、告げる。
「殺します」
猛り狂う雷鳴が、二人を照らし出した。

【2日目・23:05】
【場所:F−2右下】

朝霧麻亜子
 【所持品1:H&K SMG‖(11/30)、H&K SMG‖の予備マガジン(30発入り)×1、IMI マイクロUZI 残弾数(12/30)・予備カートリッジ(30発入×1】
 【所持品2:防弾ファミレス制服×2(トロピカルタイプ、ぱろぱろタイプ)、ささらサイズのスクール水着、制服(上着の胸元に穴)、支給品一式(3人分)】
 【所持品3:サバイバルナイフ、投げナイフ、携帯型レーザー式誘導装置 弾数1・レーダー(予備電池付き、一部損傷した為近距離の光点のみしか映せない)】
 【所持品4:強化プラスチックの大盾(機動隊仕様)、89式小銃(銃剣付き・残弾30/30)、ボウガン、バタフライナイフ】
 【状態①:マーダー。スク水の上に防弾ファミレス制服(フローラルミントタイプ)を着ている、肋骨二本骨折、二本亀裂骨折、内臓にダメージ、全身に痛み】
 【状態②:精神状態不明、頬に掠り傷、左耳介と鼓膜消失、左肩重傷(動かすと激痛を伴う)、両腕に重度の打撲、疲労中】
 【目的:目標は生徒会メンバー以外の排除(貴明に対する対応は不明)。最終的な目標はささらを優勝させ、かつての日々を取り戻すこと】

河野貴明
 【装備品:ステアーAUG(30/30)、フェイファー ツェリスカ(5/5)、仕込み鉄扇、良祐の黒コート】
 【所持品:ステアーの予備マガジン(30発入り)×2、フェイファー ツェリスカの予備弾(×10)】
 【状態:激怒、左脇腹、左肩、右腕、右肩を負傷・左腕刺し傷(全て応急処置および治療済み)、疲労小、マーダーキラー】
 【目的:麻亜子の殺害、ゲームに乗った者への復讐(麻亜子含む)、仲間が襲われていれば命懸けで救う】

101再会は雷鳴と共に:2007/05/01(火) 06:31:44 ID:QxFK1geI0
吉岡チエ
 【装備:、グロック19(残弾数2/15)、投げナイフ(×2)】
 【所持品1:89式小銃の予備弾(30発)、予備弾丸(9ミリパラベラム弾)×14】
 【所持品2:ノートパソコン(バッテリー残量・まだまだ余裕)、救急箱(少し消費)、支給品一式(×2)】
 【状態:死亡】
小牧愛佳
 【所持品:備考参照】
 【状態:死亡】

【備考】
※愛佳の荷物【ドラグノフ(5/10)、包丁、缶詰数種類、食料いくつか、支給品一式(×1+1/2)】
は一部が焼失していると思われますが、具体的な内容は後続任せ。

ルートB18(B13準拠、予約制有りルート)ルートB19(B16準拠、予約制有りルート)
→815

102娘の願い、母の願い:2007/05/01(火) 15:16:50 ID:RYnJ3lb.0
日はすっかり沈み、周辺を映す光は何もない無学寺の一室。
水瀬秋子と水瀬名雪は寄り添いあいながら休息を取っていた。
月島拓也を迎撃し彼らと別行動を開始した後、二人は終始無言で歩きつづけた。
再会は出来た、だがこれで終わりなどではない。
むしろこれからが重要なのだ。自分は手負いの中、なんとしてでも娘を守らなければならない。
疲労と、怪我と、そしていつまた襲われるとも限らない危機感に、秋子はとても安堵に浸る余裕などなくなっていた。
それを感じ取ったのか、隣を歩く名雪も秋子の腕にしがみつきうつむいたまま寄り添いながら歩きつづけ、何事もなく目的地に着いたのが数刻前の出来事。
惨劇の島に閉じ込められながらも,初めて訪れた親子水入らずの一時。
小さく寝息を立てる名雪の頭をひざに乗せ優しく撫でるその顔は、娘を慈しむ一人の親の顔で。
とても怒りに人を殺したなどとは思えないほど慈悲に満ち溢れていた。

「―ーう……ん……、ゆう……い……ち……」
閉じた瞳から一筋の涙が零れると同時に、名雪の口が小さく開く。
不意に発せられた人名に秋子の手がピタリと止まっていた。
娘の大好きだった甥っ子、そして自身も二人を見ていて暖かい気持ちになれていた。
……だがそんな彼も目の前で死なせてしまった。
寺に向かう道中名雪と交わした唯一の会話を思い返す。
『祐一の名前が呼ばれちゃったんだ……』
秋子の胸がちくりと痛む。
あの時自分がもっと冷静にだったならば、祐一も、そして澪もあのような事にならなかったのではないか。
少なくとも自分の行動が原因の一端を担っていると言っても間違いはない。
だからなにも答えることは出来なかった。
『その話は後でしましょう。今は安全な場所へ』
そう答えるのがやっとでしかなく、再び彼のことを聞かれた時いまだになんと答えればいいのか秋子は判断できなかった。
止めた手をゆっくりと下げながら名雪の頬に当て、流れ落ちたしずくをぬぐい考え続ける。
目の前で死んだ事を隠し彼の遺志までも握りつぶしてしまうべきなのか……いやそんなことは出来ない。
だが正直に話して、娘は自分を許してくれるのか……。

答えは出ないまま、極度の疲労が秋子を襲い、逆らうことも出来ずに意識は闇へと落ちていった。

103娘の願い、母の願い:2007/05/01(火) 15:17:34 ID:RYnJ3lb.0




パラパラと断続的な音が耳に届き、その音に秋子はボンヤリと目を開けた。
――雨かしら?
まどろんだ意識の中、そんなことを考えながら視線を下に落とし、そこに寝ていたはずの娘の姿がなくなっていることに驚愕を覚えた。
「名雪っ!?」
首を左右に振りあたりを見渡すも、そこに気配は何も感じられなかった。
――まさか誰かが?
我を忘れ立ち上がると、娘の名前を再び叫んでいた。
拍子に腹部がズキリと痛み足がもつれかけるが、なんとか重心を建て直し、そして部屋を飛び出していた。
気の休まる暇なんてあるはずなどないはわかりきっていたはずなのに。
娘を守れるのはもう自分しかいないと言うのに何たるざまだ。
顔を顰めながらも、周囲に注意を飛ばし声を上げ続けながら隣の部屋を扉を勢いよく開く。
……だが何の気配もそこにはなく冷たい空気が秋子の体を包み込む。
閉めることも忘れ、その隣の部屋の扉も開けるが結果は変わらなかった。

庭のほうに目を向けるが、秋子の邪魔をしようとしているのか雨はますます強くなっていた。
地面を跳ねた雨が、素晒しの渡り廊下を僅かながらに濡らしていく。
耳障りな音に苛立ちを隠そうともせずに足を踏み出した瞬間……再び腹部を激痛が襲い、大きくバランスを崩し秋子は倒れこんでしまう。
「――くっ……」
衝撃に嗚咽が漏れる。

104娘の願い、母の願い:2007/05/01(火) 15:18:29 ID:RYnJ3lb.0
倒れこんだ秋子の視線の先……立っていては木に邪魔され見えなかった位置。
雨から逃げようともせずにその身で受け、立ち尽くす少女の後姿。
光も差さぬ暗闇。視界を奪う雨。
だが見誤う訳がない。
「……な、名雪? 名雪ぃぃぃっ!!」
痛みのことも忘れ、秋子は雨の中へと駆け出していた。
最愛の娘の下へ。

「あ、お母さん」
秋子の葛藤も知らぬそぶりで、名雪はゆっくりと振り返り笑顔を浮かべながら答えた。

……違和感を覚えた。
その顔も、その声も、ずっと一緒に暮らしてきた娘のものであることは間違いないはずなのに。
瞬間、秋子の足は止まっていた。
すぐに近寄って抱きしめたい衝動に狩られながら、体は拒絶するように秋子の体を押さえ込んでいた。
向かい合う二人の前に沈黙が訪れる。
声をかけたい、でも口が動かない。
――何故!?
名雪がくるりと秋子に背を向け、そして顔を天に向けた。
雨は名雪の額を、頬を、顔のすべてを打ち付けているにもかかわらう、一向に気にする様子もないまま天を仰ぎ続ける。
「――お母さんは……」
背を向けたまま、名雪がポツリと口を開く。
「放送を聞いた?」

直感でその問いが祐一の死を指すものだと気づく。
「祐一さんは……」
言葉に詰まる。
いまだかける言葉が思い立っていなかった。
だが秋子の答えを待たずして帰ってきた返事は、秋子の想像とはまた違ったものだった。

105娘の願い、母の願い:2007/05/01(火) 15:19:10 ID:RYnJ3lb.0
「違うよ、……祐一が死んだって放送もそうだけど、それは私も聞いたから。
私が聞きたいのは1回目と2回目の放送の事。おぼろげに流れたのは覚えてるんだけど、走るのに必死になってて全然覚えてないの」
真琴やあゆちゃん、香里さんの事を聞きたいのだろうか。
何の疑問もなく単純にそう考え、そして彼女らの死をも伝えなければならないのかと秋子の顔が悲痛にゆがむ。

「瑞佳さんが言ってたよね」
――ああ、彼女から聞いていたのか――と考え、苛立ちが募っていた。
けして喜ばしいことではないことなのに、自分の口から告げなくて良いことに安堵している自分がいて許せなかった。
さらに気持ちを整理する間もなく問い掛けられた次の質問に、秋子の全身が凍りついた。
「『放送でいってた優勝したら何でも願いを叶える』……お母さんはこれを聞いた?」
……もちろん聞いている。
そしてそんなことは嘘だとも考えている。
自分達に殺し合いをさせるために用意された餌でしかない、と言う事。

「私ね、起きてからずっと考えてたんだ」

「私達これからどうなっちゃうんだろうって」

「何にもしてないのに、みんな私を殺そうとやってくる」

「最初に会った人もそう、月島さんだってそう」

「誰にされたかはわからないけど、お母さんはひどい怪我をして」

「……祐一も死んじゃった」

一拍一拍と息をつきながら、淡々と告げる言葉に秋子は黙って耳を傾けていた。
そこで名雪の口が止まり、雨音だけが場を支配する。
なんて声をかけてはやれば良いか正解はわからないが、それでもかける言葉を探しながら秋子が口を開こうとした瞬間、名雪が不意に叫んだ。

106娘の願い、母の願い:2007/05/01(火) 15:20:00 ID:RYnJ3lb.0
「だからね!」
秋子へと振り返りながら、名雪は屈託のない笑顔を浮かべた。
見慣れているはずなのに、どこか無機質に感じるその微笑みを秋子は恐ろしく感じた。
想像したその先の言葉は聞きたくなかった。
娘の口からそんな言葉が出るなんて想像したくもなかった事だ。
娘には普通の生活を、幸せな生活を送らせることだけが自分の夢だったはずなのに。
願いむなしく、無情にも名雪は続けてその言葉を発した。
「逃げてちゃダメなんだよ! みんな殺して、優勝すれば、きっと元の生活に戻れると思うんだ!」
頭を鈍器で殴られたような衝撃に襲われた。
なんでこんな時だけ自分の予想は当たるのか。
「……名雪、そんなことは言うものじゃありませんよ」
諭すように言葉を投げかけるものの、口が震えて止まらない。
「え?」
名雪の顔が疑問の色に染まる。
「私間違った事言ってるのかな。私かお母さんが優勝して、この島にくる前の生活に戻してもらえば良いんじゃないの?」
「名雪、死んだ人はね。生き返らないのよ」
「願いは何でもかなうんでしょ? だったら生き返らせることだって出来るよね?」
「ううん、それはないわ。人は死んだらもう生き返ることは出来ないの。だから必死に生きるの。悔いの無いようにね、精一杯楽しむの」
「嘘だよ!!」
名雪の目が見開かれ、驚愕の表情を浮かべながら秋子を見つづける。
「どうしてお母さん、いつもみたいに『了承』って言ってくれないの? お母さんが何を言ってるのかわからないよ?」
そう力の限り叫んだ後、絶望に満ちた顔が一瞬で喜びのものへと変わりパンッと軽い手拍子を打ちながら言った。
「そっか、これは夢なんだ。そっか、そうだよ。こんなことあるわけないもんね。今ごろ目を覚まさない私を祐一が呆れ顔で覗き込んでて、必死に起こそうと体をゆすってくれていて。
それでも起きなくてしょうがなく私の顔を覗き込んで、そして悪戯心にキスなんかしようとして、私がそこでいきなり目を開けて驚いて飛びのいちゃうの。それで私は寝たふりでもしてればよかったってきっと後悔するんだよね。
あっ! こんなことしてる場合じゃないよ。早く目を覚まさないと祐一に会えないよ」

107娘の願い、母の願い:2007/05/01(火) 15:21:04 ID:RYnJ3lb.0
叩いた手を頬へと持っていき、そして軽くつねる。
だが期待とは裏腹に、名雪の頬に訪れた痛みにきょとんとした表情を浮かべる。
「あれ、痛い。おかしいな。覚めないよ」
今度はもう片方の手も頬へと回し、両側から両手でつねっていた。
それでも結果は変わらないものだった。
「痛い。痛い。何で? 何で?」
「止めなさい、名雪!!」
止めようと近寄る秋子の静止も無視しながら頬をつねり続けるその腕を抑えると、名雪は膝を突く。
濡れた地面から泥が跳ね名雪の顔にかかるものの、それを拭おうともせずに名雪は呟き始めた。
「嘘だよ、こんなの嘘だよ…。夢じゃなきゃおかしいよ……」
「夢じゃないのよ……祐一さんはもういないの」
自身の服の袖で名雪の顔を拭きながら、非情な、それでも伝えなければいけない現実を初めて口にした。
「そんなの嫌だよ! 祐一がいないと私もう笑えないよ! なんで!! どうして!!!」
会いたい……。祐一に会いたいよ。祐一がいない世界なんて生きてたってしょうがないよっ!!」

その叫びと同時に、名雪がポケットをまさぐり取り出した右手にはいつの間に持ち出したのか八徳ナイフが握られていた。
勢いよく上に振りかざし、振り子のように切っ先が腹部へと吸い込まれるように振り下ろされる。
「止めなさい!!」
ナイフが突き刺さる寸前、秋子の腕は名雪の腕を必死に捕らえる。
同時に反対の手でナイフをを弾き飛ばし、ナイフはコロコロと地面を転がっていった。
「なんで……? 祐一はもういないんだよ?」
全身から力が抜け、糸の切れたマリオネットのようにうなだれる名雪の身体を抱き寄せながら秋子は大粒の涙をこぼした。
雨に混じりながら名雪の頭へと流れ落ちる涙をぬぐおうともせず、名雪にとっての祐一の存在の大きさ、そして彼を目の前で死なせてしまった自分の罪を再びかみ締めている。
この怪我で、この殺し合いを仕組んだものを倒すなんてことは出来るのだろうか。
開いた傷口より流れ出る血が巻かれた包帯から染み出し、服を赤く染めていた。
それ以前に我が子を守り通すことすら出来るのだろうか。
そもそも守り通しても名雪は喜んでくれるのだろうか。

108娘の願い、母の願い:2007/05/01(火) 15:21:53 ID:RYnJ3lb.0
「……名雪」
今娘が自分に対して望んでいることは只一つ……。
「祐一さんを生き返らせて欲しい?」
言葉は返ってこなかったが、抱きしめた名雪の頭が胸の中で上下に動いた。

この怪我ではどこまで出来るかはわからない。
だが今まで出会った人間に自分はゲームに進んで乗っているとは思われていないはず。
それが自分に取っての大きな利点だ。
まず出会ったことのある人間を探し、彼らに隠れて知らない人間を排除していこう。
だが、同じように考えている人間も必ずいるはずだ。
診療所で出会った人間はことごとく名前を呼び上げられているのがその顕著な例だろう。
そう、3回目放送にはあの橘敬介の名前が挙げられていなかったのだから……。
もしかしたら他の誰かに襲われたのかもしれないが、彼が裏切ったかどうかなんて今は些細な問題でしかなかった。
自分が考えついたのだから他の誰かだって考えつくはずなのだから。
こうなっては他人なんか信用できるはずも無い、する必要も無い。
信用も出来ない他人と手を組み、この殺し合いを仕組んだものを殺すよりも……一縷の望みにかけて優勝したほうがよほど現実的な可能性に思えた。
だから――

「……了承」
それが娘の願いならば全霊を尽くそう、そう誓いを立て秋子ははっきりと答えたのだった。


【時間:二日目・22:30】
【場所:無学寺】
水瀬秋子
 【持ち物1:ジェリコ941(残弾9/14)、トカレフTT30の弾倉、澪のスケッチブック、支給品一式】
 【状態:腹部重症(傷口は開いている)、出血大量、疲労大、優勝に向けゲームへの参加を決意、名雪の身の安全が第一優先】
水瀬名雪
 【持ち物:八徳ナイフ(地面に転がってる)】
 【状態:疲労、マーダーへの強い憎悪】

→775

109No.829 解体作業:2007/05/01(火) 16:56:25 ID:zWo7iSL.0

まーりゃん先輩……
もう戻ることは出来ないんですね……
貴女が闇に手を染めるなら……
俺は……その闇を……

110No.829 解体作業:2007/05/01(火) 16:56:47 ID:zWo7iSL.0




貴明さん……
貴明さん……
貴明さん……
あんなに怪我を負っているのに……
あんなに早く動いている……
追いつけない……
見失う……
まーりゃん先輩を……
……殺してしまうの?
貴明さん……
「貴明さん!」
待って……
待って!

111No.829 解体作業:2007/05/01(火) 16:57:26 ID:zWo7iSL.0




っ……! 糞……あの餓鬼に撃たれた傷が疼きやがる……
……銃声が鳴ったのは確かこっちのほうだったな。
高槻……存分に楽しもうじゃないか。
こんな楽しみはないぞ?
食うか食われるか。
殺すための武器まで頂いてるんだ。
くくくくくくくく……
ああ……楽しいなぁ? おい……
「貴明さん!」
あ?
あれは……
「くくっ……」
そうかそうか……
高槻の女じゃないか……
ええ?
しかも誰の名前を呼んだ?
高槻はどうした?
残念だったなぁ……高槻ぃ……
あの女を犯して……ははっ……肉人形にしてやるか……
高槻の前でもう一度犯してやったらどんな顔をするかねぇ?
最高だ……最高だよ……!
なんて楽しいんだ……!
「くくっ」
さっさと前の餓鬼を葬って高槻を狩りに行くか……
待っていろよ……高槻……!


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