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疑問を解消したいスレッド

1実験:2010/12/15(水) 05:01:44
「自分のわからない事をお伺いしたい、知りたい」
という趣旨のスレッドであります。

152千都:2012/06/25(月) 00:17:36
総論として、いかなる学問も結局のところ人間の幸福を目的とする--という事に異論はありません。
鯖さん、赤ボスさんの指摘された>>147-148の引用部では、「科学」がどこまでを含むのかはいまひとつ不明確です。1,2番目では特に工学にフォーカスされているようですし、3つ目の文の「略C」部分では資本主義か共産主義かという問題が論じられているわけで、いわゆる「人文科学(って、今でも言うのかな?)」までを含むようにも見えます。
この発言には、おそらくは冷戦時代であるということも影響しているのでしょうし、またいわゆる「ビッグサイエンス」の時代であったことも影響しているのでしょう。
つまり、いまだ原理も定かでない現象を戦争のために科学者、工学者、技術者を総動員して国家プロジェクトで兵器に仕上げるというイメージです。
恐ろしい動画を発見しました。
tp://www.youtube.com/watch?v=hh89h8FxNhQ (よくわからないけど、リンク先をみると権利者がうpしてる?)
この金属の球体がどうなったかというと
tp://www.youtube.com/watch?v=ufR8FXMGCak (広報フィルムだし60年以上たってるのでおk)
くわしくは
tp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%82%A2
上の動画の事故をタンクの中でやってしまったのがJCO事故です。何十年か経つうちに(実験系)科学者の蛮勇や倫理の問題から、技術者の手順指示や現場作業者の作業安全の問題になってるわけです。
 さて、私が疑問に思っている分野は、狭義の科学、というか総合大学のキャンパスで「科学者のバカヤロー」と言えば必ず振り向くだろう人の専門であるところの、自然科学のことです。
今でも防衛庁の研究施設で基礎研究にいそしむ(狭義の)科学者がいるのかどうかは知りませんが、ES細胞をあつかう生物学者など、その倫理を厳しく問われる科学者もいらっしゃるだろうし、もうすこし卑近な例で言うと家電業界の研究室でマイナスイオンの研究をしている研究者は良心痛まねえの?とは思います。
ただ、自然科学とは 原則として自然がいかにあるかを問う哲学のはずです。
俺は調べる、だから応用は別の人が考えてくれよ! という分野です。実験系の巨大施設であるカミオカンデも、なんの実利も生んでいない…かどうかはわかりませんが、少なくともそれが目的ではないはずです。
何を知るべきか?という問い、そして得た知識に「人間のため」を性急に問うべきでしょうか?
 曾谷入道殿御返事に「例せば餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随つて別別なり、此の経の文字は盲眼の者は之を見ず、肉眼の者は文字と見る二乗は虚空と見る菩薩は無量の法門と見る、仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり即持仏身とは是なり(p.1025)」とあるように、問題設定自体に探求者自身の、そしておそらくはそのパトロンである市民の境涯が反映されるだろう事はうたがいありません。ただ、だとしてもそのことが問われるのは研究者の生涯をかけての物になるのではないでしょうか。今日から「さあ!人間の為に!!」と決意して結果がすぐ見えてくるものなのかなあ。
私がなぜ自然科学者のことを考えたのか、なにを念頭においているかというのは、また次回にさせてください。

>>150
赤ボスさん
tp://www.youtube.com/watch?v=voW0RiNTbGI (1951年だしセフセフ)
うーん

153赤ポス:2012/06/25(月) 08:29:10
>>152
千都さん ありがとうございます。m(__)m記号イッパイ@@;でえらいことになってますんで、ちゃんと152を読んで千都さんの言おうとされてることを、全部理解できないかも知れませんけども、ある程度は把握してから返事させて頂きますわ。
すいません。∵;;
ご了承下さい。
ちゃんと記号を読んで努力してみます。少し2〜3日時間下さい。m(__)m(謝)

154:2012/06/25(月) 13:07:02
>>152
マイナスイオンの例でふと思ったのですが、「それを言っちゃあおしめぇよ」と言われるかもしれない方向性であえて言いますと…

科学の定義云々にかかわらず、畢竟、いかなる科学に従事している人も、その研究が人類にもたらす影響や、その正邪を性格に把握している人はまずいないのでは、とおもいます。というか、このカオスな現実世界で、人知では無理というものでしょう。
ともあれ、「盗人にも三分の理」なんて言いますが、それがいかに怪しい「トンデモ科学」であっても、良心の呵責などを感じる人のほうが少数派のように感じます。

人は、職業であれなんであれ、何かに従事している時にはそれなりの「正論」を持っているものかな、と。
私なんかも、「世のため人のため」なんて言いながら仕事していますが、すべての事業が世の中に常にプラスである、という命題に自信を持てるほどではありません。

自分ができもしないでこのような事を言うと笑われますが、グローバルな「慈悲」を体現した哲学を持つ人材が、多く輩出されることが、平和への鍵なのかな、とつくづく思いました。

155千都:2012/06/26(火) 01:49:49
目が冴えて眠れないので
>>153
赤ボスさん
すみません。「AだけどB」タイプの言い訳がましい文が延々続く文章で
自分が読んでも読みにくいと感じます
リライトしますのでお待ちください

156八甲田山Z ◆1Rm6x9u9HY:2012/06/27(水) 23:24:43
>>154
> 科学の定義云々にかかわらず、畢竟、いかなる科学に従事している人も、その研究が人類にもたらす影響や、その正邪を性格に把握している人はまずいないのでは、とおもいます。というか、このカオスな現実世界で、人知では無理というものでしょう。
科学自体は無記。
二乗がはまるのが、この無記の範疇。
真実の探求が目的であり、それがどういう効果をもたらすかというのは、二の次。
アインシュタインが後で後悔したのは、有名な話。

知らない人のために。
無記:仏教用語。以下二つの意味がある。
・実際に自分が体験できないこと・認識できないこと等に関しては、判断を保留する・あるいは判断を下さない。(これが大元の意味)
・善でも悪でもない。
ここでの意味は、2番目。
わかりやすい例を。
科学的な見方をすれば、刃物。
人間を救うために使えば、メス。
人間を殺すために使えば、ドス。

157赤ポス:2012/06/28(木) 01:59:51
>>152
千都さんへ
ものすごくいろんな勉強できました。
ありがとうございます。(感謝)
どうにかこうにか難儀して動画ちゃんと見ることできましたわ(笑)良かった(笑)^^

ただ動画内容はめちゃめちゃ重たい恐ろしいテーマを扱った記録フィルムのようなドキュメンタリータッチな映画のワンシーンでしたな∵

そして千都さんの本題に入って、
自然科学についてのことと。

僕は自然科学自体に興味あるというよりは、千都さんの抱いている疑問の内容のほうに興味があります。^^

158赤ポス:2012/06/28(木) 02:05:23
>>155
千都さん
了解しました。^^

159:2012/06/28(木) 13:20:12
>>156
おお〜!そんな便利な概念があったんだ!
教えてくれてありがとうございます!

160八甲田山Z ◆1Rm6x9u9HY:2012/06/29(金) 22:57:23
>>159
・・・鯖氏なら知っていると思ったのだが。
ちなみに、仏教での釈尊の無記という態度(>>156の最初の方の意味)の価値を端的に示すのが、有名な毒矢の例え。
(皆さん知っていると思うので、内容は省略。)

161:2012/06/30(土) 01:13:35
>>160
いやー、不勉強なものでお恥ずかしい(^^;)

162赤ポス:2012/07/01(日) 00:54:30
>>160
八甲田山Zさん
僕も無記ってはじめて知りました。大変勉強になります∵

僕はやっぱり千都さんの引っ掛かりの内容が気になります∵

(BGM♪は井上陽水の『傘がない』が流れている状態です)^^

163赤ポス:2012/07/02(月) 00:00:13
千都さん
すいません
こちらから質問させていただいてもよろしいでしょうか?

164千都:2012/07/02(月) 00:05:22
すみません。随分時間があいてしまいました。
いちおう、話がこんがらからないための分野わけの話を書いておきます。

 ・小中学校の理科は高校では生物、物理、化学などに続きます。
  もっと勉強したい人は理学部に進みますが、この分野を「自然科学」といいます。
 ・中学校の技術科は工業高校に続きます。
  もっと勉強したい人は工学部に進みます(職業高校から進学が大変なのって、おかしいですよね)が、
  この分野を「工学」といいます。
 ・哲学、心理学などを「人文科学」ということがあります。
  「社会科学」というのもあります。こんがらがるのでこの言葉は注意が必要です。
  このへんの分野わけはよくわからないのでwikipediaの該当ページをごらんください。
 ・「科学技術」というと、普通は「自然科学」と「工学」のことです。
 ・単に「科学」というと、まず「自然科学」は含みます。
  「科学」を「自然科学」の略だと思っている人や
  「科学技術」の略だと思っている人がいてややこしいのです。
  ですから「工学」を含むかどうかは文章を書いた人や文の内容によります。
  「科学」とはと言ったとき「人文科学」や「社会科学」は、含まない場合が多いと思います。

>>147-148の戸田先生の指導の中では、「科学」という言葉は確実に工学を含むように思います。それどころか学問全般の話をされているところも多いのではないかと思います。
自然科学は、世界のつくりがどうなっているのか知ることが目的で、工学は何かを作って社会の利便を高めることが目的なのではないかと思います。そして宗教は幸福が目的です。
「すごく不便だから不幸」「○○が便利なら死なずに済むのに」という境涯は多くの人が経験していると思います。
この境涯は不便の原因が解消されれば幸福感を感じることができます。
かといって、この原因と結果をひっくり返して「便利でさえあれば(だれでもor必ず)幸福」というわけではないことは、これまた言うまでも無いでしょう。
20世紀は、自然科学と工学の発展が互いに互いを牽引し、巨大なエネルギーをたやすく使えるようになったことで社会全体に大きな利便をもたらしてきました。

165千都:2012/07/02(月) 00:17:08
さてここまでは一般論です。
すこし挑発的に(?)書きます。
自然科学が知識の問題ならば、「人間の為の(自然)科学」とは「人間の為の図書館」みたいなものでしょう。
単に市民講座すればいいんじゃね?それで責任果たしたといえるんじゃね?
それだって教育のプロである高校教師あたりにやってもらえばいいんじゃね?こんなふうに
tp://www.youtube.com/watch?v=uOLpnE4IHz0
直径数センチです
tp://www.youtube.com/watch?v=_14nbgdu6ps
でかい。宇宙からたくさん飛んできます
tp://www.youtube.com/watch?v=MWm-wo7DoKw
実用にもなるかもしれません

すくなくとも原発事故に対して(自然)科学者に文句いうのって、りんご畑を歩いていたらりんごが落ちてきて頭にぶつかって痛かったぞってニュートンに文句言うのと同じじゃね?
だいたい日本の原子力って自然科学者追い出して成立してるわけで、俺はしらねえぞって言っても無責任じゃないんじゃね?
tp://rara840.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-2540.html

>>163
赤ボスさん
すれ違ってしまいました。すみませんでした。
どうぞ

166赤ポス:2012/07/02(月) 00:54:14
>>164-165
千都さん
長文書き込みありがとうございます。

要するに、6月21日の聖教新聞の寸鉄に書いてある
「震災後、科学者への信頼
下落──白書。教訓生かせ。『人間の為』の視座忘れず」
って書いてあるけど、
「科学者は何も悪くない。非難することは筋違いだ」
という意味合いのことを千都さんは仰っているんでしょうか?

167赤ポス:2012/07/02(月) 07:15:02
千都さん
意思の疎通はかれなくて申し訳ない限りです。
m(__)m(謝)

僕がこの三行の寸鉄を読んで正直に思ったことは、
当日はここの三行のところを読みとばしてましたわ。すいません。
改めて読んでみて思った浅い読み方で申し訳ないですけど、
「科学者への信頼」って記されてますけど、「震災後」って先に記されてるので、

168赤ポス:2012/07/02(月) 07:18:19
>>167
書いてる最中に送信ボタンを押してしまいました。m(__)m
ごめんなさい。間違いです。
赤ポス(謝)

169赤ポス:2012/07/02(月) 08:01:36
千都さん
すいません。
僕がこの三行読んで思うことは、
科学者への信頼って記されてますけど震災後って記されてるので
「あぁ原発関連に対しての記事やな∵」
と思いました。
その信頼下落って記されてるので
「政府とか東電とか原発のなんとか委員会のことの対応の仕方の悪さのことなんやろな∵」
と思いました。
そして白書って記されてるので、
「あぁなんかそうゆう調査か検討した報告書みたいなものになんか載ってんねんな∵」
と思いました。
そして、教訓生かせ。って記されてるので、
「うんまたいつ災害起こるかわかれへんから、同じ対応の過ち繰り返さないようにしてほしいゆうことやねんな∵」
と思いました。
そして、『人間の為』の視座忘れず って記されてるので、
「人命第一、安全第一ゆうことで取り組んでいってほしいということやねんな∵」
と思いました。

僕は何故かこの寸鉄の三行には引っ掛かりを感じずに、浅い大雑把な理解で
「うんうん∵」
とうなずいてましたわ(笑)

まぁ浅い無茶苦茶な僕なりの受けとめ方してました。
なので、

『人間の為』の視座

って
「生命の尊厳や安全が第一いうことやねんな∵」
とうなずいてましたわ。

僕なんか騙されてますんかな(笑)^^

(なんでやねん)

170千都:2012/07/02(月) 21:55:35
ええと、(^_^;)
とにかくまず赤ボスさんの>>166にレスします。

的確な要約なのですが、私の考えている事と違うように思えるのは、私が書きたいことを書けていなかった駄文の証拠です(恥)
なので補足します。

 (自然)科学者は「知る」事が仕事なのですから、その仕事の社会に対する還元というのは「知ってもらう」ことでしょう
自らの社会的責任を果たそうとするなら、それは社会教育ではないでしょうか。
放射線とはなにか?なんで原子力発電所から放射性物質がでてるのか?という基礎知識の共有です。
そういう活動をしようとしている人たちもいるけれど、困ったことにそれは科学者が適任なわけでもなく、下手をするともっとも苦手な事だったりします
tp://togetter.com/li/194145
怒っていたり心にキズを負ったり利害がからんだり政治的思惑のある人相手に語る訓練をしている人たちではないわけです
高校教師なりサイエンスライターなりはもうすこしはコミュニケーションは得意なはずだけど、じゃあお呼びでないなら科学者はどうすれば?
教える仕事のプロなのにその技能を活かすことが適任でない、逆に政府や東電の意思を代弁しているように思われさえするという大矛盾

ということです
そういえば、ある芸術家(美大の先生)も「今は芸術にできることなどない!ボランティアに行け!」みたいなことを去年の夏か秋頃に仰ってました。
心に触れる事のプロでさえそうなのか、と思います

171千都:2012/07/02(月) 23:42:39
上の
>そういえば、ある芸術家(美大の先生)も
以降を撤回します

この方の去年の五月までの発言をたどってみたのですが
該当発言にたどりつけませんでした
どうやら記憶違いだったようです

172赤ポス:2012/07/03(火) 20:34:50
>>170
千都さん
了解しました。^^
>社会教育
そうですね。僕もそう思いますわ。^^
科学者のかたが各学校を回ってそこの学校の先生が生徒役になって授業受けるようにしたらよろしいんな。
あといろんなとこへセミナーで回るとか。
子供とか女性に受け入れられたら一気に火がついて弘まる可能性があるので心ある良識豊かな魅力的な科学者の出現に期待(笑)ですな。

あと放射能関連やったら素人判断ではかなり難しいので、安全地帯と危険地帯の間のグレーゾーンに科学者のかたに積極的に入っていただいて、安全地帯の確認をどんどんやっていただいてどんどん判断していただいて現場教育をやっていくというやり方もありますね。^^

昔、中学校時代に漢字の覚えかたで「専『門』家には『口』だすな。訪『問』したら『口』を聞け。」(笑)ってあったのをふと思い出しましたけど、今はどんどん交流していただいて現場で住民の方々と科学者の方々と「どっちも『口』を聞け」(笑)状態になればいいですね。^^
しょうむないことゆうてすいません。^^;

173千都:2012/07/17(火) 00:46:05
なんという不覚!
長文レスを書いたのにNGワードで(?)撥ねられてしまいました orz
また書きます

174千都:2012/07/18(水) 00:27:40
今日のところは、すこしだけ。
赤ボスさんにレスするかわりに、ちょっと散文

tp://www.sham.jp/studio/product/06falsie/cd.shtml (音声が出ますので注意)
今の時代にはこっちが必要なのかなとおもっていたけど
tp://jamberry.at.webry.info/201207/article_377.html
むしろこっちかもしれません
笑いの破壊力って大きいですからね

上のURLは初心者には難しいです
「何千年もの積み重ねも (略) 1度や2度の実験でくつがえせる」のが科学だって私も信じてましたし
「理屈じゃ解けない不安な気持ちに 白黒つけてTrueと言」うのがなんでいけないのか、
わかっていなかったのですから
恥ずかしいかぎりです

ところで「妄想」ってNGワードだったりしますか?

1758341ライオン:2012/07/25(水) 15:30:44
割り込んで、質問します。
ご本尊様にあげる「水」については、一日の終わりに捨てるものですか。又は飲む?頂く?ものでしょうか。
というのは、前所属の地区婦人部長の聞いたところ、埃が入っているから捨てる、ということでした。
妻の姉は、「ほっすい」だから飲むものだ、ということです。病気なのだから飲んだほうがよい、ということです。
病気だから云々は別にして、どちらの考え方がよりよいものなのでしょうか。
私は、「ほっすい」なるものが大切なものならば、組織で徹底されているはずのものでしょうが、皆さんは、どうしていますか。

176千都:2012/07/25(水) 20:46:13
 失礼します。千都です。
以下は「お華水を飲むとよいか」という質問への戸田先生の指導です。
お華水というのは大石寺で御本尊への給仕に使用されている泉というか井戸(?)の水のことです

>お華水を飲ませれば病気はなおると、私は一ぺんも教えた覚えはありません。
>水を飲ませてなおすというのは、仏立宗や霊友会の教えで、創価学会の教えにはありません。それは、邪宗から転向してきたものがいい始めたものであります。
(略)
>お華水によってなおったのは、偶然か、それとも信心の一念が水を通じてなおったものと思います。
tp://situmon30.blog122.fc2.com/blog-entry-16.html

お水の意義について、wikipediaを引いてみます
>インドでは古く、来客に対し足をそそぐための水と食事の後口をすすぐための水が用意されたといい、それが仏教に取り入れられ、仏前や僧侶に供養されるようになったものである。
tp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%BC%E4%BC%BD

なんと、ご本尊様が飲まれる水では無かった!?
また、お水にシキミの葉をさしたりしますが
>単なる水ではなく、樒という照葉樹の一枝を刺すことによって水が香水となることを、鑑真によって伝えられた
tp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E6%B0%B4_(%E4%BB%8F%E6%95%99)

う〜ん。飲むものではないような
他宗ではどうでしょう。キリスト教の聖水は飲んだりもするようですが
>信徒の信仰との協同によって実現するものである。従って聖水の恩寵がもたらされるのは信徒が聖水の恩寵を心から信じ、かつ神の意思と信徒の意思が一致した場合のみであるとされる。
tp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%B0%B4

飲むクリスチャンにとっても、信心が無ければダメということのようです
昔、「僧俗和合」だったころに化儀について書かれた本を読んだこともあるのですが、晩の勤行の前に下げる事しか書いてなかったように思います。

私の考えを述べます。
ありがたいから飲もうという気持ちなら、飲むことを止める理由はないと思います。
私のウチでも飲んでいた事があります。ただし、シキミの葉っぱが入ったものや夏場で器を洗うとヌルヌルする状態ならば飲む事はお勧めしません。衛生上の理由です。
>花や葉、実、さらに根から茎にいたる全てが毒。
tp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%81%8D%E3%81%BF

また、8341ライオン さんは免疫力が減退されていることと思います。その辺も考慮されるべきかと思います。

1778341ライオン:2012/07/25(水) 21:58:00
千都さん ありがとうございました。
大変詳しく、丁寧に教えていただきました。良く分かりました。
ありがとうございました。

178:2012/07/26(木) 21:55:01
私も、衛生上の理由から、一日常温に置かれていた水をそのまま飲むべきではないと思いますね。
御書にも、「供養した水を飲むと病気が治る」なんて教えは見たことがないです(笑)

179虎キチ:2012/09/17(月) 14:31:21
法華経展に行ってきました
「冬は必ず春となる」婦人への手紙の実寸大コピーがありました
手紙といっても大きな巻物みたいな感じですね
これが残っているということは、婦人はきっと春を迎えたのでしょう
お手紙を宝物とし病弱だった女の子にも何度も読んであげ
女の子もその子孫も家宝として大切に受け継いだからきれいに残ったのでしょうかね
逆に大切にされなかったため残らなかった手紙もあることでしょう

立正安国論も日蓮撰筆実寸大コピーとありました
連れて行ってくれた友人いわく「御真筆は2つ残ってるんやで」
「なんで2つも残ってるん?」「さあ」とのこと

ひとつは北条一族が保管していたのでしょうか
それとも時頼に処分されてもいいように予備を幾つか書いておいたのでしょうか
あるいは後世に残すため後年に再び執筆したのでしょうか

180きひろ:2012/09/17(月) 22:02:29
虎キチさま
>「御真筆は2つ残ってるんやで」
そうですか。
控えとして、いくつか書かれていてもおかしくないと感じます。

181:2012/09/18(火) 18:46:07
>>179
日蓮は、立正安国論を、「提出しておしまい」ではなく、晩年にも弟子に講義していた、と聞いております。
もちろん、論文を後世に残すという事もあったのかと思いますが、むしろ「後継者」を育成する事に主眼があったのでは。
そういった意味では、「授業の為のテキスト」という位置づけも可能ですし、真筆が複数残っているという事も頷けるのかと思います。

182きひろ:2012/09/18(火) 18:51:09
>>181
そうでしょうね。同意!^^

183虎キチ:2012/09/19(水) 22:37:21
きひろさん、鯖さん ありがとうございます
「後継者」を育成するためですか、なるほどです

でも、よく残りましたよね 
あんなに難が多くては大事な物だからといって
肌身離さず持ち歩くわけにもいかなかったでしょうし

「二十一世紀に伝える『あの一冊』」で立正安国論が2位になってますが
二十一世紀に伝えるために残されていたとしたら凄いことですね

184:2012/09/19(水) 23:43:23
>>183
たぶん、二十一世紀だけではなく、三十一世紀、四十一世紀…と伝えていく事を想定していたのだと思います(笑)

185我が生涯に一片のHN無し:2012/09/25(火) 00:45:56
お久しぶりです。その後、皆様お変わりはないでしょうか?

い、いつの間に『創価の森のゴーヤカーテン』に…。

1868341ライオン:2012/12/04(火) 16:25:58
「怨嫉」についての疑問
少人数の会合でのこと  副本部長(婦人)が、「Iさん(壮年)(副本部長が訪問した婦人の兄)に、『怨嫉をしたほうが100%悪い。』と言うべきことは言い切った。」と言いました。(このIさんは、妹さん(少々鬱気味)が、この副本部長から言いたいことを言われ、怨嫉しているが、怨嫉させた側は責任が無いのか?といったらしい。)
十四誹謗の説明では、「折伏行に精進する人を軽んじたり憎んだりすることは謗法であり、同志の怨嫉があれば功徳を受けられない理由がここにある。」として、確かに「怨嫉をしたほうが100%悪い」とも受け取れるような解説ですが、それはそれとして、怨嫉させた方も何らかの形で、好ましくない出来事が出てもいいのかな?と思いますがいかがですか。その方がバランスが取れているのではないでしょうか。
また、自分に懐いてくる者にはやさしく懇切丁寧に接するのに対して、自分の指示、指導について、意見や(うっかりすると)疑問を述べる人に対しては厳しく対応したり、無視する幹部((女性に多いか?)気持は何となくわかりますが)(この副本部長)がこのような発言をすると、「怨嫉をしたほうが100%悪い」ことが事実なのか?と疑問を感じますがいかがでしょうか。皆さんの考えを教えてください。

187千都:2012/12/04(火) 18:36:50
以下引用です
"信心している人に対して、どうしても好きになれないと思うのは、謗法にならないでしょうか"と質問した女子部員に、池田会長は――。
「なりません。嫌いな人は嫌い、合わない人は合わない、それは人間の自然です。そのことによって妙法や広布の組織そのものを誹謗するならともかく、そうでない限り、謗法ではありません。当然の人間性です。
『仏法の世界』は、本当の『人間性の世界』なのです。あなたが人間らしく、さらに人間らしく、生き抜いてゆけば良いのです」と励ました。
(企画 本門の陣列は立つ!8 大白蓮華 2012年12月号25ページより)
以上です

「好きになれない」と「怨嫉」はどこが違うのか、いまひとつはっきりしないのですがご参考までに。
 鬱だと「がんばろう!」と言われると「がんばれない私はどうしようもない。死にたい」と思ってしまい
「無理をしないで。すこし休んだら」でも「がんばって休もう!規則正しくしなくては」とちっとも休まらない
普通の指導激励は大抵逆効果なんですが、そのことを理解されている人はどの程度いるのか、少々心もとなく思います

188我が生涯に一片のHN無し:2012/12/05(水) 10:41:49
会合に参加しないと後悔するのですか?
例えば日曜日、朝から題目を二時間あげ午後選挙活動をして、夜ゆっくりと休もうと思っていたら、日程表を見たら四者全員参加の地区部長地区婦人部長会が入っていました。こう言うときに疲れてるから休んだり、友人との遊びだから休んだりすると、後悔したり、罰が当たったり、良い事なかったりするのでしょうか?
また、会合に参加しないと、いけないのでしょうか?
家で、題目をあげ、新聞を読み、友人に語る。だけでは、信行学にはならないのでしょうか?会合が多すぎて、自分の時間や余暇も取れません。本部幹部会も、はっきり言って新聞に掲載されるのだから、わざわざ行く必要もないと思います。
今年の大白蓮華(何月号かは忘れました)に、自分が出るべき会合に参加しないと、後悔する、自分の人生をも左右してしまう。みたいな内容の事が書いてありました。 それからは、会合に参加したくなくて参加しなかった時や、友人との遊びで参加しなかった時などに、あっ!後悔するんだろうな、とか思ってしまいます。また、仕事が残業になってしまった時など、あっ!会合に参加しなくちゃ!後悔するとか罰当たるとか、思ってしまいます。
自分では、会合は、はっきり言って、そんなに頻繁には行く必要がないと思っています。
幸せになるためにやってきたのに、会合ばかり、会合にこんなに参加するためにやってきたのではないのに…と思ってしまいます。 皆さんはどう思いますか?会合ばかりで幸せでしょうか?意見ください。

1898341ライオン:2012/12/05(水) 23:49:27
<188
 こう言うときに疲れてるから休んだり、友人との遊びだから休んだりすると、後悔したり、罰が当たったり、良い事なかったりするのでしょうか?

 私は、月3回の壮年部の唱題会(選挙期間中は一時休止)と座談会、本部幹部会のビデオ?くらいしか会合が無いので、出来るだけ参加させてもらっています。少ないですからね。
 確か、人間革命の初めの2〜3巻でしょうか、山本青年が、男子部の会合(班長会だったでしょうか)を休んで映画鑑賞をしていた場面がありました。その当時、非常に勤務が大変で、疲れきっていて映画を完全には見ることができなくて自然に寝てしまった、とあったような気がします。映画を見た理由として、会合をサボったのではなく、休息を取ったのだ、ということだったと記憶しています。

190千都:2012/12/06(木) 23:13:22
ああレスつけてもいいのか
>>188 先に自己紹介スレに書いてね
と鯖さんの代わりに

>>188-189
私の青年部時代には
「会合自体に功徳なんてないよ。そんな事も知らなかったのか?」
と言ってくれる先輩が(会合でも、活動中やプライベートでも)複数いましたが
今はいないのかなあ

これ、ちとトリッキーな言い回しだと思うのです

191千都:2012/12/07(金) 00:24:12
>>189で8341ライオンさんが指摘されている『人間革命』の描写は
4巻「波紋」の章です
聖教文庫版ではp.165〜166ページ
眠いので引用はまた明日にさせてください

192千都:2012/12/07(金) 22:39:45
 秋雨の日は、早くも暮れてきた。伸一は雨にうたれながら、武蔵野の雑木林のなかを抜け、駅へと急いだ。昼から降りだした雨は、あちこちに水溜(みずた)まりをつくっている。伸一は黄昏(たそがれ)の路上で、しばしば水溜まりに足を踏みこんでしまった。駅のプラットホームにたどり着いた時には、ぐっしょり濡(ぬ)れてしまった靴(くつ)のなかの不快さに、思わず舌打ちした。二か月ほどまえに買った中古品の靴は、もう水が滲(にじ)みだしてしまったのである。至急、修繕しなければならぬ、と思ったりした。
 山本伸一が銀座にでた時には、すっかり夜になっていた。雨の銀座は人通りもまばらであった。彼は、下請(したう)けの製版屋に立ち寄り、ある画家の凸版を二枚受け取ると、そのまま新橋のほうへ歩きだした。靴のなかの不快さは耐えがたかった。彼は、ぶるっと身震(みぶる)いした。また微熱が出てきたらしい。橋のたもとまで来た時、右手の川面(かわも)がひどく明るく光っていた。映画館の電飾が、水面に光を落としていたのだった。
 彼は、川岸の映画館に、吸いこまれるようにはいった。暗い座席に腰を下ろすと、彼はスクリーンを見るより、まず靴をぬいだ。靴下をとって、それを絞(しぼ)ると、饐(す)えた臭いが、鼻をついた。
 スクリーンには、アメリカの若い青年男女が踊っている。そこへ、ヨーロッパの戦場から帰った男が出てきた。この男は、戦傷のために記憶喪失症になっている。彼は、昔の恋人に会っても、それが解らない。病室が出た。……山本伸一は、うとうとと眠ってしまったらしい。目が覚めた時、映画の筋は解らなくなっていた。
 館内には、すでに空席が多くなっている。伸一は、ふと今夜の座談会を欠席してしまった事を思いうかべた。水の滲(し)みこむ靴が悪いのだ、と自己弁護したものの、それはまた自己嫌悪(けんお)でもあった。朝のショックが、また甦(よみがえ)ったのであろう。こういう日こそ、座談会で闘うべきなのだと、痛切にわが心を責めたりした。
 伸一は、座談会を忘れていたのではなかった。朝からの激動に、いささか疲れたわが心を、ひとり静かに慰めたかったのである。その時、目の前に映画館があったのだ。

『人間革命』4巻「波紋」の章より。聖教文庫版ではp.165〜166ページ

193我が生涯に一片のHN無し:2012/12/08(土) 13:47:29
>>192池田先生は会合を心で思っていたじゃないですか?わたくしの場合、会合そのものがなくなり、自分だけで、信行学をしていきたいのです。信→自分の家にある御本尊様に祈る。学→聖教新聞、大百蓮華、公明新聞、創価新報、SGIグラフ、潮、第三文明、人間革命を読んで勉強をする。行→選挙支援などをする。 会合が必要ないと思うんです。会合に参加するくらいなら、友人にあったり、遊びや仕事をするべきです。会合は必要ないと言っているのです。と言いながら、今日も会合いきますけどね…

194:2012/12/08(土) 17:31:42
>>186
> 「怨嫉」についての疑問

ライオンさん、重要な問題提起、ありがとうございます。

当然ながら、御書もあるように法華経の行者を憎む事は、信心をしていてもその功徳が消えてしまい、かえって罰を受ける、とありますね。
では、おっしゃるように「怨嫉をしたほうが100%悪いのか」…怨嫉をさせた側にも責任の一旦はないのか、との事ですが、基本的には「責任はない」と考えます。

たとえば、大聖人が正しい法を広めたからこそ、悪口罵詈が起こり、怨嫉されました。
御本仏を怨嫉する罪は、計り知れないものと推察しますが、ではその責任の一旦は、正しい法を広めた大聖人にもあるのでしょうか?

・よく舗装された道でころんだ人は、道を作った人を訴えられるのか
・金持ちの家に泥棒が入った場合、金持ちには責任はないのか

といったこともあわせて考えれば、基本路線は明らかなような気がします。
ただ、「基本」であって、例外もあると思いますが…

195:2012/12/08(土) 17:33:24
>>193
非常に共感できます。
結構、私の考えに近いです。
まぁ、ちょっと違う所もありますが(笑)

とはいえ、当板のルールを無視して書き込むのは言語道断です。
まずはルールを順守し、また他の参加者に対し誠意ある対応をお願いします。

196:2012/12/08(土) 17:40:49
学会における「会合」とは、お互いを切磋琢磨したり情報交換したり、また同志との親睦をはかる意味合いなど、色々あるかと。
ただし「会合さえ出て入ればいいか」というとそうでもないと思うし、全く会合がなくなれば、事務連絡もメールだけとか味気ないものになってしまうかと。
会社における「会議」と同じで、効率を重んじ、必要最低限にすべきだと思いますよ。
会社も会議ばかりで営業しない所は、つぶれるでしょ(笑)

まぁ、地域によって様々な事情があるでしょうから、出たくない人はでなければいいし、楽しい人は、出ればいい(笑)
行かないとバチがあたるよ、などと人を脅して参加率を上げるような功名心に食われた「信心利用」の幹部がいたとすれば、叩きだすべきでしょう(笑)

197ヒロGO:2012/12/08(土) 21:14:59
難しいところですね。
会合等に出席しないと、学会運営の流れがわからなくなるし
出席しても、業務連絡と数の報告
楽しくないけど、これも修行と割り切るしかないかもしれませんね。
日本社会は、自分の意見を言えば、我が強いと解釈されて、嫌われます。
幹部の話をありがたく聞いていれば、よろしいかと思います。
幹部も、人の子ですからね。

198千都:2012/12/08(土) 22:06:34
>>190にすこし補足しておきます。
「会合自体に功徳なんてないよ。(ry」と言われた/指導を受けた人のうち、
それなら会合に出席になくてもいいんだ。いいこと聞いちゃった。と
会合に出なくなった人は私の知る限りではいませんし、私もそうは思いませんでした
また、いくつも会合がバッティングして、どの会合に行くべきか悩むのが当たり前の時代でしたので
今ではこんな言い方は恐らくはしないでしょうね

 怨嫉については、
問題を「指導する側は、指導される側になんの責任も負わないのか」と書きなおしちゃダメですか?
この問いにYESなら、どんな思いつきでええかげんな指導をしてもいいことになっちゃうし
訓練と称して後輩を子分のようにこき使ってもいいことになるんじゃね
また、この問いにNoであったとしても、心がささくれるような指導や
信心することが苦痛に思えるような先輩幹部の話(が仮にあったとして)を
最初から聞かなかったことにしたら罰があたるのかな?
否だと思うけど

199レオ ◆DlyW/s8ibQ:2012/12/09(日) 00:48:26
久し振りに書込みます。
男子部時代戦いが佳境に入ると、部長宅で連日の毎日闘争。
それが数年続き、振り返って数えたら、200回以上参加してました。

そのことを部長に言ったら「会合に参加することが目的でないよ」
との返答でした。
その当時はその言葉に正直ガックリきました。

考えてみれば、参加する方も大変だったけれど、毎回会場を提供し拠点闘争を主催していた部長の方が、泣きたいくらいだったかもしれなかったのでは、と思いました。

信心数十年ともなると、参加した会合を合計したら凄い回数になるでしょう。
1カ月15回×12カ月×30年=5,400回
という試算もできます。
とにかく男子部時代は1カ月15回では、とてもですが納まらないほど多かったでしょう。

善知識の集いに参加することが、信心の持続には不可欠です。
ですがさすがに5,000回、10,000回ともなると嫌になることも、時にはあっても自然でしょう。
その上で視点を変えると、それだけいつも会場を提供してくれてるメンバーや、会館の運営者・役員等、何よりもそれらの中心者である先生に感謝の念がつくづく湧いてきますね。

会合に出られる、という一見当たり前のことが、どれだけ陰の人々と思いに支えられているか。
そこに思いを凝らすと、「なぜこんなに会合が多いの?」との倦怠感も吹き飛んでしまいます。

会合革命、会合を価値的に、終了時間厳守、については再三にわたって注意が載りますね。
それだけ戦いが苛烈になってくると、忘れがちになるからでしょうね。

200レオ ◆DlyW/s8ibQ:2012/12/09(日) 01:04:46
>>198
命を出させてやれ。
怒らせればこっちのものだ。
などと、あおり立てる意地悪な幹部がいたとすれば、その幹部自身がやがて行き詰りますね。

こういう極論すると、異体同心を破ることにもつながることを行なう幹部は、外見は幹部であっても正体は魔に食い破られてるのかもしれません。
「毒鼓の縁」という法理がありますが、これはあくまで根底に相手に内在する仏性を礼拝する一念があっての「毒鼓の縁」ですから。

201八甲田山Z ◆1Rm6x9u9HY:2012/12/09(日) 04:02:10
>>186
過去の指導より抜粋。

 怨嫉されやすく悩んでいます。

 怨嫉をすると、功徳を止めてしまうのみならず、罰をうけますから最も注意しなければなりません。
ここで怨嫉するほうは当然悪いのですが、怨嫉されるほうも、よくよく反省する必要があります。
自分では怨嫉されていると思っても、じつは怨嫉をさせている場合があるからです。
…略…
 ですから、そうさせてしまう原因が、自分のほうにないか、特に幹部は謙虚につねに反省する必要があります。
…略…
 そして、もし「態度が横柄だから嫌いだ」と思われているのでしたなら、大変申しわけないことをした。
嫌いだと思われていたら気の毒だ、好きになってもらうように努力しようと決意して、笑顔で謙虚に接していけば、必ず相手も変わるものです。
 冷たいといわれたら、温かくしてあげよう。威張っているといわれたら、やさしくしよう、会員のための幹部なのだ、嫌わせては申しわけがない。
このように自分自身にいいきかせて努力するところに、自分自身の人間革命も前進もあるのだと思います。
 次になぜ怨嫉されているのか、まったく見当がつかない、なにか誤解されているように思えてならない場合には、素直に会って話し合ってみることも必要です。
…後略
(出典:私の個人指導 辻武寿 聖教新聞社)




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