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疑問を解消したいスレッド
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「自分のわからない事をお伺いしたい、知りたい」
という趣旨のスレッドであります。
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菊川さんの事で恐縮なのですが、おにゆりさんのホームページで、菊さんの体験談を以前、読みました
(今年10月に楽天インフォシーク、ホームページサービスが終了したので、今「おにの隠れ部屋」は読めませんが)
その体験の中で、隣近所に嫌な人がいるので引っ越しした、と書いてありました。
その気持ちはわかります。私も同じ立場だとしたら一刻も早く、別の所に移って離れたいです。
鯖さんの、どこかの書き込みで「環境を変えていける」とありましたので、うーん、ケースバイケースなのかな?
と思いました。
変えられる環境とそうでない環境とがあるのでしょうか。
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>>2
ケースバイケースでしょうね。
もちろん、御本尊の絶大なパワーで、環境もひっくるめて全てに影響を及ぼす事ができますし、皆、少なからずそういう体験を持っているでしょう。
その一方で、「信心しているから、現実には何も対処しなくていいんだ」という極端な態度は誤りかと。
例えば、どんな病気も怖くない信心ですが、健康にも留意し、なにかあれば病院に行き、医者に見てもらうという態度が正しい。
近所のトラブルも、事と次第によっては警察に相談すべき事もあるし、引っ越したほうがいい場合もあるかもです。
とにかく、「信心しているから」と無策で、ヤセガマンをするような事はあってはならないです。
もし具体的な悩みがあれば、早急にしかるべき相談・対処をしてくださいね。
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小説・人間革命第2巻で、戸田先生一行が東北の地を訪れ、集まった村人の前で、お弟子さんが信心の体験談をする話で、こういうのがあります
「折伏して信心に反対した者は、みな死んでしまいました(趣意)」
学会を誹謗し、今だ学会にたいする中傷ビラをまく坊主の親玉、平成不況の元凶の法主が、なぜさっさと、くたばらないのでしょうか?
信心に反対する者は逆縁で救われる、という教学なのに、小説の中では死んだ、とされ
我欲に満ち溢れた救いようのない法主が、生きてる(かもしれない)のはどう考えてもおかしいです。
疑問を解消したいです、ご教示願えましたら幸甚です(_ _ペコリ)
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>>3
回答ありがとうございます、今のところ私は「住処」に関しての悩みはありません
(_ _ )
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>>4
大聖人が御書の随所で述べておられるように、法華経の行者を悪口罵詈する罪は計り知れない事は確かです。
その一方で、開目抄では「順次生に必ず地獄に堕つべき者は重罪を造るとも現罰なし」とも明かされております。
積んだ罪業が、どのように今世で「精算」されていくかは、凡夫の目で現象のみを追っていってもわからないものがあるでしょう。
従い、おっしゃるように、学会を陥れた生臭坊主どもが、のうのうと今日も生きている事は、なんら不思議ではありません。
逆に、反逆したら即座に死ぬ、とか、今年中にこうなるぞ、と予言する事は、そのへんのオカルトと同じ次元に堕してしまいます。
もちろん、全てに意味があり、もっと後になって「なるほどこういう意味があったのか」と納得する事にはなるでしょう。
また、長い目で見れば、「法華経の行者を軽賎する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」との御書の仰せの通りになっていく事は明白です。
こんなんでご理解いただけますでしょうか。
>>5
あ、そりゃ良かったです。具体的に悩んでいるのかと思いました(´∀` )
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>>6
なんと!
>開目抄では「順次生に必ず地獄に堕つべき者は重罪を造るとも現罰なし」
なるほど!ありがとうございます(_ _ペコリ)
逆に言うと、救われる者は現罰が現れるというわけですね、ふむふむ
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>>4
>「折伏して信心に反対した者は、みな死んでしまいました(趣意)」
この箇所は、酒田たけ自身が信心をすること、に反対しつづけた人、がつぎつぎと
気の毒な死にかたををしていく、だと思うのですが
(自分が)信心することに反対する者が、小説の中では死んだ、かどうかは不明じゃないでしょうか
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>>8
>この箇所は、酒田たけ自身が信心をすること、に反対しつづけた人
ああ、そうでしたか、神戸虎キチさん、ご指摘ありがとうございます(_ _ペコリ)
記憶で書いたので間違えました。
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本が出てきました
孤児として育った酒田たけ、が入信して家中が猛反対し、反対しつづけた人が
1年間で8人死亡した、と
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>>10
なんか、知らない人が読むと八つ墓村のお話かと思うので、あまりそういう所だけクローズアップするのはよしましょう(笑)
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>>11
申し訳ありませんでした
>>10のレスを削除してください(_ _ペコリ)
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すいません
どなたかご助言よろしくお願いいたします。
報恩抄293ページの抄題の下の
日蓮之を『撰す』
は『せんす』と読むのでしょうか?それとも『せんしいだす』と読むのでしょうか?
※急ぎ質問ではありません
いつでも結構です。
よろしくお願いいたします。
m(__)m
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>>13
改めて聞かれると自信がないのですが、「せんす」でしょう。
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>>14
菊川さん
わざわざありがとうございます。
「せんす」了解しました^^/
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ふと?思ったんですが
なんで 税金って足りないんですか?
民主主義に なって何年たつんですか?
そのあいだの ムダ使いとか やってなければ
税金は 足りていたのでしょうか?
なんか 給料から、やたらと 引かれてる額が多くて
ふと思いました。
偉い人達の為に税金 払ってる感じがします。
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>>16
昔から、強者が弱者からうまい汁を吸い取る構図ですね。
〜〜様に「献上」とか言って、結局、タダで持ってかれるだけでしょ(笑)
持論で恐縮ですが、この構図は国家間でも起きていると思います。
その意味でも、我々も「うまい汁を吸う」側にいる場合があるかと。
たとえば、チョコレート。
カカオを子供が収穫してる場合がありますね。
学校にも行けず、無理やりタダ同然で働かされている子供の労苦を思うと、無邪気にチョコレートなんか食べてる場合じゃない、という気になります。
私、「勝ち組」というコトバはすごく薄気味悪いと思っています。
本来は、蓮さんのおっしゃるように、皆でムダを廃していけば、少ない税金で国家運営なんて簡単にできるはずでしょ。
それを、弱肉強食の仕組みをスンナリ肯定し、あわよくばその上位に収まってヨシとする態度。
世界が椅子取りゲームなら、あるイスに座ろうとする青年よりも、イスをつくろう、という青年を育てたいものです。
また、自分も生涯青年でありたいものです。
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>>17鯖さん。わかりやすい説明
ありがとう〜ございます。
鯖さんの持論で おっしゃると
今の政治的な 流れは
ババ抜き。と、言う事ですね?
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内容の本筋的なことじゃなくてちょっとした語句に引っ掛かってしまいました。(*_*)
どなたか教えて頂けないでしょうか?
御書306頁13行目に、
『・円澄(えんちょう)大師別当(べつとう)・』
と したためられてあるのですが、
(1)『円澄大師』と『別当大師』という別人のことなんでしょうか?
それとも
(2)『円澄大師』の『別当』という役職みたいなもののことなんでしょうか?
それとも
(3)『円澄大師』と『別当』が同一人物のまたの呼び名のことなんでしょうか?
もし別人なら、間(あいだ)に、
『・』(クロチョン)を入れてほしいです。…
個人的な些細な語句の引っ掛かりで申し訳ありません。
どなたか教えて頂けないでしょうか?
m(__)m
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仏教哲学大辞典(第三版)を確認しました。
まず、「円澄」はでてきますね。埼玉県埼玉郡出身。同郷出身ハゲワロタ__φ(・∀・;)
次に「別当」でひっかけます。出てくるのは3つ。
「別当」①高級寺院の事務総長 ②どっかの省庁長官
「別当御房」生没年不詳の大聖人の弟子。千葉県の清澄寺住職、あるいは義浄房のこと?
「別当御房御返事」上記弟子に対する寺院の所有権争いについてのご指南
さらに「大師」でひっかけます。出てくるのは2つ。
「大師講」①11月24日におこなわれる天台宗のサークル ②6月4日〜5日間ひらかれる伝教のサークル活動 ③弘法大師のサークル
「大師号」偉大なる師匠という意味の称号。死んだら国からもらえる。
大切な教学研鑽において、間違ったことをお伝えすると申し訳ないので、ぜひ信濃町の教学部にお電話し確認いただきたいのですが。
(まぁぶっちゃけ、わたしが仏罰こうむりたくないってだけなんですけどね!(・∀・;))
■仮説
1、もし円澄が「別当大師」と呼ばれていたならば、仏教哲学大辞典の項目で検索できるはず。
2、円澄は比叡山延暦寺の第二台座主をつとめていた。
3、円澄の項目に「俗性は壬生氏。諡号(しごう)は寂光大師」とある。大師号はすさまじいステータスな称号なので、ふつうは一個しかもらわないのではないか。
以上から類推するに。
「円澄という名で大師号を保持する比叡山延暦寺の事務総長(円澄大師別当)」という意味になるんじゃないかなと・・・。
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>>20
無明まよゐさん
さすが一級!ピカッ☆
激感謝です。
m(__)m
>「円澄という名で大師号を保持する比叡山延暦寺の事務総長(円澄大師別当)」
なるほど!!!^^/
ありがとうございます!
了解しました(^o^ゞ
今風に言えば
承知しました(・・)(笑)
あと仏罰の件は御足労を掛けてわずらわしたということで全部頂いときます
m(__)m(∵)
めっちゃ納得いきました。(感謝)
ありがとうございます!
\^^/
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>>19
> (1)『円澄大師』と『別当大師』という別人のことなんでしょうか?
だと思います。後者は、「光定」の事ではないかと思われます。
詳しくは、報恩抄の解説本等を参照してください(笑)
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>>22
鯖さん
ありがとうございます
^^☆(感謝)
(∵)えらいことになってしまいました……
970頁10行目に
『円澄寂光大師・別当光定(こうじょう)大師・』
って出てました。
ただ、邪宗の坊さんの名前関連のことで御足労かけてしまうとは、本当に申し訳ありませんでした。
深く御詫び致します
m(__)m
ただ、わざわざ引っ掛かってるのを取り除こうとしていただいた真心だけは一生涯消えない宝物にさせて頂きます。
無明まよゐさん
そして鯖さん
ありがとうございます!!☆
^^
m(__)m
ええ人ばっかりですな
甘えててすいません
……
また甘えるかもしれません
スッキリ以上の宝物ありがとうございます!
(感謝)
^^/
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とりあえず、自分の仏罰が回避できればそれでおkですよ。__φ(・∀・;)hahaha.....
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>>24
思い切って聖教新聞社に電話確認してみました∵
僕所持の御書は『昭和61年6月30日 167刷』版の御書で古い御書で
語句の間に『・』(クロチョン)が入っていない御書なんですが、
最新の御書には
『・』(クロチョン)が入っているとのことでした。∵
一応スッキリはしましたが、
再応、まよゐさんや鯖さんから頂いた真心は
僕的にはスッキリ以上の朽ちない宝物を頂いた想いで一杯です。
ちょっと忘れられない出来事になりました。(激感謝)
ありがとうございました!
(;_;)
^^☆
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>>25
いえいえ(笑)
御書に原文であたるのも見上げた根性ですが(笑)、講義本もあるので、座右に置きながら学ぶのも手かと。
なければ、古株の学会員のおたくにおじゃましたとき、ホコリをかぶっている講義本があれば借りてみればいかがでせう・・・(笑)
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>>26
はい。^^;(汗)
もし借りれたら誰か声かけてみます。
…!∵大白に出る予定とのことでしたので、それまで愚釈研鑽頑張ってみます。∵
(勿体無いこと言ってすいません^^;)
ありがとうございます!^^/
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はじめまして。
こちらでなら教えて頂けるかと…。
ご本尊には九界の衆生が左右に認められています…と教学の基礎と言う本(P166)に書かれていますが、伝教大師と天台大師の事なのでしょうか?
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>>28
まーさん
はじめまして^^
御書の1243ページ14行目に、
『一人ももれず』
としたためてありますので、
天台・伝教の二人だけじゃなく、十界の衆生全員をさしていると思います^^
その十界の衆生全員が本来持っている宝の名前がど真ん中にしたためられているんだと思います^^/
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>>28
ご質問は、ご本尊に認められている内容のうち、「九界の衆生が左右に認められています」
にあたるのは具体的に「伝教大師と天台大師」の事を指すのか?
という事と思いますが・・・
「富士宗学要集」の「御本尊七箇相承」には、「舎利弗は声聞界」「大梵天王は天界」「転輪聖王は人界等」「竜女竜王等は畜生界」「十羅刹女は餓鬼界」「提婆達多乃至天王如来は地獄界」
といった記述があるようです。
私も、御本尊の相貌に関して特段詳しいわけではありませんし、上記はさらっと調べただけですので、詳しくは、お近くの教学に詳しい人に聞くか、学会本部に電凸していただければ(笑)
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>>29
赤ポスさん
はじめまして。
有り難うございます(^-^)
御書を開いて読んでみました。
御書は昔の文体なので難しく(T_T)今年の目標だった御書拝読も最初の方で挫折しておりました。
しかし、はっきりと分からないながらも日蓮大聖人様の書いて下さっている御書を読むと、心に響いて喜びの泉のような感情が湧いて来ました。
赤ポスさん、ありがとう!
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>30
鯖さん
調べて下さり有り難うございます。
「富士宗学要集」!その様な素敵な物があるのですね(^◇^) 何でも調べられそうですね。
すごーい。
諸天がそれぞれ九界を担当されてる風な感じですね(^w^)
興味深いです。
学会本部に確認する発想がありませんでした。
緊張してしどろもどろになりそうです(笑)
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>>32
「富士宗学要集」は、古株の学会員宅の本棚に、ほこりをかぶっているのがあるはずです(笑)
学会本部で納得いかなかったら、聖教新聞社にTELしてみてください!
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>>31
まーさん
大聖人凄いですね^^
あと九界というのは、九番目という意味じゃなくて、
いろんな方々 という意味だと思います^^;
大白蓮華の12月号の先生の講義
「勝利の経典「御書」に学ぶ」
のなかに究極に物凄いことを講義されてますわ^^/
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>>32
はじめまして。無明まよゐと申します。
「○×県にある△□本部婦人部のヤマダハナコです。●●●●についてお分かりになる方におつなぎいただきたいのですが」
っていうと、「いつもお世話になってます」の応答とともに担当部署へつないでもらえるかと思います。
基本的に氏名と用件をちゃんと伝えられたらキチンとした対応してもらえるはずです。
電話代は自腹なんですから、ふつーにかけたらいいと思いますよ。
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>>35
無明まよゐさん
はじめまして(^-^)
わざわざご丁寧に、教えて下さって有難うございます。
学会本部やっぱり緊張しそうです(-.-;)
でも、電話じゃなくていつか行って思いっきり題目上げてきたいです!
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>>34
赤ポスさん
こんにちは。
12月の大白先生の講義 勝利の経典『御書』に学ぶですね。 開いて見てみました。自分で蛍光ペンを引いてちゃんと読んだ形跡がありました。
が、何だかすっかり目を通すまで忘れていました(-_-#)
駄目ですよねぇ、こんな事では。
私みたいな、ぼんくらは常に手元に置いて見れるようにしておかないとですね。
感動の先生のご講義 が勿体無い事です。
同じく12月号の『未来を創る』も感動して書き写しました。
学べば学ぶ程に、池田先生が大好きになりました。
昨日、3回目先生の夢を見ました(笑)
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>>37
まーさん
僕も蛍光ペンでライン引きすぎてマッキッキになって
どこがポイントかワケわからんようになることあります。(笑)^^;;
…まぁ全部大事なこと書いてくれてありますんけどね(笑)(省)^^
大きめのいいことが3回あるいうことですんかな…
僕も先生の夢見たいです^^
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先日、地区婦人部長が交代しました。
ご本人いわく、交代の二日前に連絡があったそうで、
本人はひどいショックを受けてご本尊様の前に座れなっかったそうです。
組織の人事でこれってあり?なのでしょうか。
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>>39
組織ですから、人事があれば、異動もあるでしょう。
特にショックを感じる必要もないと思いますがいかがでしょう?
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なるほど、そうですね。
ありがとうございます。
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>>41
解決ですか(笑)
地区婦人部長さんが意気込みを持っていた中で「解任」されたとすれば、何らかのわだかまりはある事でしょう。人間ですから(笑)
しかし、根本が「広宣流布」に根ざした意気込みであれば、どのような立場でもお役に立てるわけで、「ご本尊様の前に座れない」程のショックを受ける必要もなければ、落ち込むのは価値的ではありません。
逆にいえば、そういった傾向性に、異動の原因があった、という穿った見方もできるわけですが、もちろん、命斗さんの組織のことは知りませんので、変に勝手な想像をするのはよしときます。
いずれにせよ、皆が幸福になる為の学会組織ですから、賢く受けとめていきたいものですね!
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コメントありがとうございます。
今回の人事で後任の婦人部長(元圏女子部長)が30歳位若返ったのでちょっと意外でした。
まさしく青年学会ですね(若ぁ)
とにかく異体同心で団結して前進して行きまぁす!!!
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>>43
ご武運を!
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つまらないことですが、他宗を邪宗と呼ぶのはやめましょう(笑)
『外典の外道内典の小乗権大乗等は皆己心の法を片端片端説きて候なり』です。
己心の法を片端片端説いている故に、必ずしも邪宗、邪教ではありません。
謗法は、正法を誹謗中傷すること。四箇の格言も、謗法故であるからです。
「御本尊七箇相承」は、ほぼ偽書です。詳細はググってください(笑)
「富士宗学要集」は、今さら必要性を感じません。
どこぞでほこりにかぶっている以外は、手に入りませんし(笑)
それこそ、必要なものを個別に揃えた方が良いでしょう。
聖教文庫などに、日寛、日亨上人などの書籍はあります。
それ以上に、『日興上人全集』などを購入した方が、よほど価値的でしょう。
以上老婆心ながら(笑)
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>>45
> つまらないことですが、他宗を邪宗と呼ぶのはやめましょう(笑)
些細なことですが、
に訂正。
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>>45
では、威風堂々の歌詞も変えたほうがいいのでは?(笑)
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>>45邪宗を邪宗と言って何が悪い?
我々は、邪義を唱える輩を破折すろまで!
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すろまで→するまで
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河越さん。悪いこと、なにもないですよ。
だけど、いちいち「!」つけて反応することもないですよ。
鯖板は同志が言い争う板じゃないはずなんで、すこし落ち着いてくださいまし。
無明まよゐ拝
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そうですね。
是非、うちの板の雰囲気に慣れて頂ければ。
ご別懇におながいします(笑)
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>>50>>51承知致した。
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お久しぶりです。
皆さま、いつも様々なアドバイス、ありがとうございます。m−−m
質問なんですが、
どんな環境でもそれに負けない自分になる信心であると
地元の先輩に教えていただいたのですが
どうしても合わない環境、自分の限界を超えて努力しても現実には
それほど結果が出ない、変えられない、どうがんばっても
前向きにもなれないことがあると自分は思います。
ではだからといって自分が望むような環境を探せばいいのかというと
必ずそれが見つかるとも限らないし、環境なんていつ変わるのか分かりません。
じゃあがんばって前向きになり、環境を自分で変えよう、
大変な環境だけどそこで喜びを見つけよう、できないことは諦めようと、
それで本当に良いのか、自分の気持ちを押し殺すのだろうかとも
思います。単なる甘え、わがままかもしれませんが、
いつか良いことが起こると我慢を重ねて
心底良かったと思ったためしが私はありません。(ある程度は良い所がありましたが)
それとも人生はそれの繰り返しでだんだん今はつらくても環境に負けないスキル、自分になっていくのでしょうか。
世の中は確かに厳しいですが、私は家族か自分が発狂するかというところまで
行きかけましたが、それほど厳しすぎるのでは生きていけないと思います。
どんな環境でも乗り越えられる自分とはどういった人間でしょうか。
必ずしもすばらしい結果を出せるのではなく、結果は変えられないが、
前向きな自分、になれるということでしょうか。
よろしくご教授お願いします。
すいません、そのつもりはないのですが、学会を馬鹿にしているだとか
なめているだとか思われたら
申し訳ありません。
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>>53
瑛子さん、まじめな質問、ありがとうございます。
> どんな環境でもそれに負けない自分になる
なんてのは、ウソです。無理です。
酸素がない宇宙で、生きていける人間がいますか?いないでしょ(笑)
「いつか良いことが起こると我慢を重ね」ても、「心底良かった」なんて事になるわけがない。
人生はガマン大会ではありません。自我偈には「衆生所遊楽」と。本来、楽しむ為に生きているのです。
環境もひっくるめて、変えていくのがこの信心です。
当然ながら、自分を強くする事もできます。
生きていけない環境なら、変えることです。移動した方がいいとか、対象に影響を与えるとか、具体的な悩みによって対処策は違ってきますが、基本は「信心」です。
大聖人は、死刑になるという「環境」を、竜の口で見事に変えたでしょう。
四条金吾は、江馬氏からの処分という厳しい環境を乗り越え、逆に給与UPしましたね!
学会の諸先輩方も、沢山の体験を残している。皆、厳しい環境を「信心で」変えていますよね。
なぜ、信心で環境が変わるのか。それは「依正不二」だからです。
自分が「一念」を定めて宿命転換していけば、かならず環境も変わる。それが仏法の不思議さです。
具体的に「こうなりたい!」と定め、祈り行動してください。
必ずその通りに叶っていきますよ!
ただし、愚痴、不信、同志誹謗等、せっかくの福運を貯めるお風呂の「栓が抜けている」状態にはご注意下さい。
満々と福運の水をたたえたお風呂につかって、ゆったりと人生の醍醐味を味わえるよう、祈っております。
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鯖さん、ありとうございますm−−m
つい頭で考え込んでしまうようです。
たまに愚痴と不信になってしまうようです。。
必ずいつかそうしてみせるという主体性・・・一念が必要ですね。
それがなかったため、坂道を転がるようなことが続出しましたが、
今は驚くほど逆の心境です。
私を支えてくれたのが勤行なんて何年もしていなかった(最近はやっています
父達ですが、私はそれほど努力していないのに
娘の私も変わるのでしょうね。
不思議ですね。
私はこうやりたい!なりたい!と思ったことが
少しづつではあるんですが、叶えられる自分になってきているので、
無理せずのんびりぽちぽちやっていこうと思います。
ところでなぜタコなんでしょうか?
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>>55
> 少しづつではあるんですが、叶えられる自分になってきている
すごいです!
素晴らしい信心ですね。また、お父様に感謝ですね。
どうか、親孝行してあげてください。
別に、お金をかける必要もありません。男親なんてのは、娘が幸せそうな顔で、にこにこっと笑いかけてくれるだけで、何者にも代えがたい無上の喜びを得られるもんなんですよ(笑)
> ところでなぜタコなんでしょうか?
これには甚深の理由がありまして、厳密な論理性に則った、厳格な由来を語りだすと文庫本10冊分になってしまうので、また今度…
あ、嘘です(笑)
そもそも、この板をはじめる前から、BLOGをやっていたのですが、世界の諸問題を客観的に論じたいな、と思い、「すでに広宣流布を成し遂げ、平和である星から来た宇宙人なら、どう洞察するか」という視点を考えたのです。
だから、「火星人」となり、「タコ」となった。
そのキャラが、掲示板にも継承されたに過ぎません(笑)
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>>56
えっ?9本の足が「九界」を現し、それらが頭「仏界」に具足している姿と
ばかり思ってましたぜい(大嘘)。
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私はなぜゆえ貧乏なのでしょうか?
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>>58
> 私はなぜゆえ貧乏なのでしょうか?
たぶん、お金がないからでは?
祈れば出てきますよ。
100個の願いにはお金関係は入っていませんか?
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>>たぶん、お金がないからでは?
そのようです。
そうでした、お金関係の願いは最近真剣に祈っています。近々に叶うでしょうね。
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>>60
私の経験から言いますと、祈りは具体的である程、叶いやすいです。
お金であれば、いくらを、いつまでに、何の目的で欲しいのか。
「あ〜、貧乏いやだな〜」といった漠然とした祈りでは、なかなか難しいでしょう。
また、結構つまらない事に出費していたりしませんか?
「収入」がいくら増えても、「支出」がだらしなくては、いつまでたってもお金は流れていくだけです。
あえてせき止めるには、「使わない」事が大事。
貯蓄しよう、という意識よりも、ローコストな生活をめざしたほうがベターです。
貧乏は、必要なものが窮乏している状態。ローコストは、ムダなものを「必要としない」事で、本当に必要な事にお金を回すのですから、貧乏とは違うでしょ。
たとえば、たばこをやめる。
これは、健康にもなるし、節約にもなる。非常に価値的ですね!
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ありがとうございます、ローコスト生活をめざします!
最近、発心して唱題に挑戦しながらたばこを止めることができました(笑)
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ご本尊様の相貌?について教えてください。
中央に南妙法蓮華経と日蓮とあり、こちらから見て、その右側に多宝仏が、左側に釈迦仏がそれぞれ存在しています。
一方、四菩薩は上行菩薩が右側に存在しています。変な言い方ですが、上行菩薩は、四菩薩の間では上首上行と言われています。仏のほうは、よく釈迦多宝と言われています。
これがランキングであれば、釈迦仏と上行菩薩はこちらから見て、右なら右に、左なら左に同じ側に存在しているほうが自然な感じがします。
どうして左右に分かれているのでしょうか。ごく最近分かったもので気になって仕方がありません。
そんなことより完治を祈れ、と言われそうですが、教えてください。
-
ごめんなさい。「変な言い方」とは、「ランキング」という表現のことです。決して、「上首上行」を「変な」と言ったわけではありませんので、怒らないでください
。
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>>63
うーん…そんな事考えもしなかった(笑)
そもそもデザインをした方に聞いてみないと…
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>>63
小休止にカキコします。
8341ライオンさん初めまして。
仏界と菩薩界の違いではないでしょうか。
釈迦仏と多宝仏は仏界を表すので南無妙法蓮華経如来の、直接の脇士となる。
いかがでしょうか。
病の克服をお祈りします。
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>>67
それとも多宝仏と上行菩薩が右側(上座)にいるのはなぜか、という疑問でしょうか。
うむ、それはあいにく知りません。
推察すると、多宝仏は証明役の仏ですから、釈迦からみれば一応、先輩格、格上としての敬意を払った姿ではないかなと思います。
小休止し過ぎましたw
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遅まきながら、あけおめ・ことよろ
ところで本尊仕様の件ですが、あれは対面の儀式になっていて、
釈迦・多宝はこっちむき、上行以下はあっちむきです。
すなわち釈迦は多宝の右におるわけですよ。多宝は上座に釈尊を招きいれます。
古代インドでは君子東面で、陰陽によって右が左より上座。
一方日本なんかは君子南面で、左のほうがえらいわけなんですわ。
左大臣は右大臣よりえらいっしょ。いまのインドのことは知りませんが、
釈尊当時はそういうことらしいです。
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ちょと混同する書き方したかもしれないので、再度かきますと、
古代インドでは右が上座、日本なんかでは左が上座ということです。
御本尊はその古代インドの方式で表現された虚空会霊山会の儀式を借りて久遠永遠大宇宙の師弟不二という
生命本来の姿を書かれたものですから、右を上座として認められてます。
仏界がこっちむき、九界があっちむき。
仏界即九界九界即仏界の対面誓願の儀式になっています。
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>>68
ほえ〜〜
よく知ってますねぇ。
遅まきながら、追記人さんってナニモノ?
あ、変な意味じゃなく、畏敬の意味での質問ですからね(笑)
-
(^^;)<ケシタ
-
>>71
詳細なご返答、ありがとうございます。
ただ、詳細すぎて「個人を特定しやすい情報」がいくつかあったので、独断と偏見で削除・編集し、以下に再掲いたしますね。
> ナニモノって曲者じゃあないよw ごく普通のアメリカの会員だけど。
> こっち(アメリカ)では1995年の3月から本尊取り替えが始まりましたが、ちょうどその一年前くらいから、
> いろいろ本尊のこととかはっきり知りたいと思ったもので、
> SGI図書館に毎日のように図書閲覧にいっていました。
> そこにあった本はほぼ一回通りは読み終えましたが、その読んだ本のなかに上記の件はあったとおもいます。
> 戸田先生なんかも若干の説明を質問会あたりでしていますし、六巻抄あたりにもあったと思う。
> その図書閲覧してた1994年中、一か月に一回、ボストンのある職員さんと、
> 互いの思索を交換する機会もあったので、わからないところとか、いろいろ聞いていました。
-
手間をおかけして、すまねえ m(_ _)m
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>>68
それほど深く複雑な意義があったのですね、驚きました。
脇士についてですが、飛躍かもしれませんが、学会役職で言えば副役職に当たるのでは、と考えたことがありますが、どうなんでしょう。
これほどすごい人が副役職で脇を固めてるということは、中心者は大した人材なのだろう。
或いは、そうした主要幹部でその組織を護り、広布を進める核としての姿を表している。
ちょっと深読みでしょうか。
-
まあそれでいいとも思いますよ。
多宝塔というのは生命体のことで、それの本有の姿を表現してあるのが御本尊です。
生命体というのは個々人の生命もさしますし、家族家庭、会社、地域社会、国家、世界・・・というような、組織体のことも
生命体とみなします。と、いうか、仏法では生命体と見ます。
当然創価学会も一生命体とみるわけだし、各地域、地区、なんかも生命体とみます。
生命体ですからそれぞれ一念三千の当体です。個人も一念三千体、家庭も国家も、全部一念三千の生命体です。
生命体を表現したのが多宝塔で、そのヌシが多寶如來です。そのヌシの多寶如來が成仏の法を携えた釈尊を上座にむかえるわけです。
生命体が個人の場合はわかりやすいですが、組織構造体の場合、中心者がいなければ、一念三千体になるわけがありません。
一念であって、、二念三念・・とはいいませんから。 そしてその生命体(組織体)の構成要員は、ことごとく必要不可欠の存在になるわけです。
あたかも心臓や肝臓のない肉体、細胞や血液のない肉体がありえないように。
御本尊というのは、先にもかきましたが、生命体の本有の状態を認められたものです。
すなわち、個々人にも、家庭にも、会社にも、地域社会にも、国家、世界にも、本有の状態があるというわけなんですよ。
したがいまして、成仏という言葉を先生が、人間革命という言葉に翻訳されましたが、
当然のことながら、家庭にも会社にも国家にも、人間革命という状態が存在するということです。
このあたりから思索を進めていけばいいのではないかなと思います。
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>>75
追記人さん、自分と異なる視点、はるかに広大な視点をご教示、ありがとうございます。
一切を包含し、生かし、輝かせゆく。
諸法は実相であり、題目の光明に照らされて本有の尊形となるのですね。
人間革命とは一次元から言えば、久遠の自分に帰る、思い出すということ。
すなわち何物にも縛られず障りが無い、ありのままで自在の清浄な生命ですね。
自分とかけ離れた、或いは人間とかけ離れた、何か特別な存在になる訳ではない。
ありのままの自分が、真剣に仏法を行じ抜いた時に、仏に等しい智慧と力が湧き上がるのである、と先生は仰ってます。
便乗質問スミマセンでした。
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ご本尊様のこと
凄く勉強になりました、今まで聞いたことも勉強したこともなかったので改めて勉強したいのですが、文献を教えてください。
何が書かれているのかわかりません(汗)
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>>77
おすすめの本は沢山ありますよ!
ちなみに…
教学は何級で、これまで、教学関連の本はどういったものを読まれましたか?
>何が書かれているのかわかりません(汗)
具体的に、どういった部分が難しかったでしょうか?
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お騒がせしてすみません、教学は2004年に初級試験に合格しています。教学関連の本は読んでいない事がわかりました。読んだのは折伏経典くらいです。
何が書かれているのかわかりませんというか>>63 :8341ライオンさんの質問の内容すら高度すぎてわかりません(冷汗)
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>>79
なるほどですね…
そしたら、「法華経」の知識から攻めてはいかがでしょう?
まずは、池田名誉会長の「法華経方便品・寿量品講義」を読んでみて下さい。
勤行で読誦する方便品・寿量品に関しては、毎日読むものですから、興味あるでしょ?
そして、「法華経の智慧」。ちょっと長いですが、対話形式で内容もそんなに難しくないですから、スラスラ読めるでしょう。
また、同時並行でもいいですが、「日女御前御返事(本尊相貌抄)」という御書が、御本尊の相貌について書かれております。
あと、仏教哲学大辞典はお持ちですか?
わからない用語や人物等、出てきたら引きまくるのにかなり便利です!
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ありがとうございます、早速、読みまくります。
仏教哲学大辞典も手に入れます。
学会活動の中では勉強できないこともこちらの板で知識を吸収できるので楽しくなります。
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>>81
共に学びましょう!
> 学会活動の中では勉強できないこともこちらの板で知識を吸収できるので楽しくなります。
ありがとうございます!
でも、結局この板の参加者も普通の学会員なわけで…(違う人もいるかも知れませんが)、要は、組織にしても掲示板にしても、「縁」だなぁ、って思いますよ(笑)
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御本尊は御本尊指示書の通りにするなら
書道家が書いても彫刻家が彫ってもいいような気がするのですが
どんなもんでしょうか
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>>83
私個人の考えとしては、同感です。
たとえば、火星で入信し、遠方すぎてどうしてもご本尊が得られない事情があったとします。
この場合、自分で心を込めて作成する、という事でも仕方ないのかな、と。
ただ、安易にぽんぽん作る、という事態を招いてはいけないので、慎重にすべきかと思います。
一方、どこぞの法主が言うように、法主しか書いてはいけない、開眼しないと効力がない、という事は、大聖人もおっしゃっていませんし、「ご本尊利用」でしょうね。
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>>84
まさか同感していただけるとは思いませんでした^^
出来上がりをチェックする検査官がいた方がいいですね
私も開眼には胡散臭さを感じております
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>>85
仏法は、宇宙根源の「法」ですから、要件を満たせば誰がやってもインプットとアウトプットの関係は同じなのかな、と思います。
化学実験なんかも、誰がやっても同じ結果になる。
同じ性能の車なら、誰が作っても同じ走りをするでしょう。
もちろん、人情というものはありますから、「花和尚の書いたご本尊だと、なんだかいやだ」という場合には、ご本尊をお取替えするのがよいのでしょうね(笑)
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>>86
なるほどです
ということは、絵画なら本物と贋作が存在しますが
御本尊は、要件を満たしているなら
そもそも本物かニセ物かを議論するのはピントがずれている、ということでしょうね
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>>83
対話は進んでいるようですが、ちょっと一言します。
御本尊は書かない方が身のためです。
書写する資格では極悪法主、邪法主などに、資格が無いのは当然ですが、その意味では真に広布にまい進する学会員が、法主より何万倍も資格があると思います。
でも、会員や書道家、彫刻家が書いたとしたら罰が出ます。
自らしっかり信心を奮い起こして、学会から授与して頂くのが、唯一正しいあり方です。
安易に考えて自分で御本尊を書いたりすると、不敬に当たります。
なぜなら獅子奮迅之力で、日蓮が魂を墨に染め流してしたためた御本尊だからです。
不敬というのは本当に恐ろしいです。
御本尊を不敬にした人が、特に粗末にした人が、悲惨な末路や死に方をした例を、いくつも見聞きしています。
ちょっとネットに公開するのは憚れますので、メール等ではお教えしますが、御本尊不敬の末路の例は、学会員であれば身近で見たり、指導されたりはあるでしょう。
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>>87
おっしゃる通りだと思います。
ところで、「一般的な」絵画の価値についても、私は懐疑的です。
もし、その絵画自身がもつ美しさのみを追求するのであれば、誰か書いたかはあまり関係ないのではないでしょうか。
絵画にとって「誰が書いたか」が大事なのは、それを、「金額的価値」で測りたいから、といえば乱暴に過ぎますかね(笑)
絵画の値段と、そのものが持つ本当の美しさとは、実際、あまり連動しないのでは、と思います。
逆に、「これは、あの有名な人が書いたんだ!」という感動は、ときに、「自分の目で価値を見出す」力を曇らせるのでは、と思いますね(笑)
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>>80
>仏教哲学大辞典
僕小辞典は所持してますねんけど仏教哲学大辞典は持ってないので、最近やっぱり欲しいなぁと思うようになりました。
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>>88
私個人の考えとしては、レオさんにも同感です。
表面的に反対の方向に論じているだけであって、とくに、レオさんが私と反対の意見だとは思いませんが(笑)
> ちょっとネットに公開するのは憚れますので、メール等ではお教えしますが
むむ…
その話、是非お聞きしたいですね。
是非メールでお教え頂ければ幸甚です。
アドレスは、「4649server」@マーク、gmailドットコムです。
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>>89
絵とかは、誰かが綺麗やなぁとか面白いなぁとかいろんなことを感じ取ってキャンバスに表現する世界やったのが、なんとも言えない美しさがあるなぁとか、これがかの有名な絵かとか、なんか癒されるなぁとか、清々しいなぁとか、力強いなぁとか、その絵を描く人の世界やったのが、その絵とその絵を見る人の世界という新たな世界が広がって、自由やとあえて断らなくても、勝手に自由に広がっていってるってなんか面白いなぁと思います。^^
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>>88
レオさん
不敬は恐ろしいですね。
うちの親父が破って灰皿で燃やすという不敬をしましたが、まぁ悲惨のオンパレードでしたわ。最終的に自宅御本尊に1週間程勤行唱題小さな声であげて病院で死んで成仏の相を隣組近所の人に見せつけ(笑)て逝きましたけど、両極端勉強になりました。また親父に誇りを持っています。^^/(感謝)
親父の例は特異な例ですけど、
当然僕は不敬は恐ろしいことになるとだけ同意させて頂きます。
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>>88
運用規則と性能
自分で御本尊を書いたりするのは、尊厳を軽んじる行為に該当する、といった感じでしょうか
なので運用規則として「学会から授与して頂くのが、唯一正しいあり方」とする、と
運用の決め事に関して異存はありません
性能面ではどうなのでしょうか
書写する資格のある法主と、資格が無い極悪法主が書写したもので
どちらも要件を満たしているのなら同じ性能であるような気がしているのです
違いは、利用者によって出る、そんな気がするのですが
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>>89
絵画の価値
絵画自身がもつ美しさとそれに感動する感性に誰か書いたかは関係ないと思いますね
言いたかったのは、本物の御本尊を書写したものでも本物の御本尊は存在すると思うのですが
絵画の場合は本物を模倣しても、それを本物だと主張すれば贋作になってしまう
という事を言いたかった次第です
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功徳を讃歎するとともに、罰の恐ろしさを知ることも大事ですね。
不敬と言えば、同志誹謗も一段と罪業が深いので、気をつけねばならないですね。
>>93
赤ポスさん、両極端の姿を示して身をもって教えてくれたお父さんに、感謝と誇りを持っておられるのですね。
仏教哲学大辞典はあったほうがいいですよ、本当に重宝します。
>>91
鯖さん、先ほど、メール送りましたので、ご覧になってください。
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あと、宗教の根幹に関わっているところを
無碍に扱われてる感があれば、気持ちのいいものではないでしょう
私の不徳のかぎりです
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>>97
いえいえ、悪意ではなく真摯な思いからの発言と感じますので、気にする必要はないです。
ところで虎キチさんは、御本尊に関しては今、ご安置はされていますか?
それとも、過去に受持していたのですか。
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>>94
虎キチさん
今年初からみですな(笑)^^
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。(って今頃ぉ(笑)∵)
シモ星野さんと固き握手超感動!^^/
と阪神ネタは追い追い交わすということで^^(笑)
御本尊の化儀面は時代時代で変わり、化法面は不変いうことですんかな。
ニュアンス違って申し訳無いんですが、
無始無終円の命のお札(さつ)を頂いて、…以前まよゐさんがどこかのスレで十如是のいろんな境涯の姿感じかた振舞いを言われていたのが面白いなぁと勉強になりました。
こんな凄い命のお札(さつ)は皆に行き渡らせよう!という人と、はたまた、いいのを手にした(笑)独り占めしよう(笑)という人や、学問材料的に見る人や、芸術的に感じる人や、薬的に処方しようとする人や、いろいろやと思います。
なので、やっぱり虎キチさんおっしゃる人の問題に重点がありますんやろね。^^
あと、又、ニュアンスちょっと違うかもしれませんけど、発信者が伝言して、いろんな人を中継ぎにして、中継ぎの人がわかってなかっても、「なんかこれこれこんなこと伝えてほしいとのことですわ」っていうのを聞いて、そのあとの人が、「あーハイハイ。わっかりました。ハイハイ。OK了解。了解。」って発信者とあとの人とが繋がってて、中継ぎの人がわからないまま(笑)っていうことも、日常的にありえるような風景(笑)やと思います。
その場合、発信者と、間飛ばして、あとの人とは『同じことしよう』という目的観が一緒なんやと思います。
^^
脱線話になってすいません。
またシーズン賑わいはじめたらそちらでもよろしくお願いいたします。^^/
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>>94
> 性能面ではどうなのでしょうか
厳密に性能について論ずるのであれば、「同じ」ではないかと。
当然、「安易に作る」という行為が持つ危険性もあるので、実際には私もやりません(笑)
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