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疑問を解消したいスレッド

1実験:2010/12/15(水) 05:01:44
「自分のわからない事をお伺いしたい、知りたい」
という趣旨のスレッドであります。

52河越武蔵守頼重:2012/02/04(土) 00:49:40
>>50>>51承知致した。

53瑛子:2012/02/06(月) 00:13:12
お久しぶりです。
皆さま、いつも様々なアドバイス、ありがとうございます。m−−m

質問なんですが、
どんな環境でもそれに負けない自分になる信心であると
地元の先輩に教えていただいたのですが
どうしても合わない環境、自分の限界を超えて努力しても現実には
それほど結果が出ない、変えられない、どうがんばっても
前向きにもなれないことがあると自分は思います。

ではだからといって自分が望むような環境を探せばいいのかというと
必ずそれが見つかるとも限らないし、環境なんていつ変わるのか分かりません。
じゃあがんばって前向きになり、環境を自分で変えよう、
大変な環境だけどそこで喜びを見つけよう、できないことは諦めようと、
それで本当に良いのか、自分の気持ちを押し殺すのだろうかとも
思います。単なる甘え、わがままかもしれませんが、
いつか良いことが起こると我慢を重ねて
心底良かったと思ったためしが私はありません。(ある程度は良い所がありましたが)
それとも人生はそれの繰り返しでだんだん今はつらくても環境に負けないスキル、自分になっていくのでしょうか。

世の中は確かに厳しいですが、私は家族か自分が発狂するかというところまで
行きかけましたが、それほど厳しすぎるのでは生きていけないと思います。

どんな環境でも乗り越えられる自分とはどういった人間でしょうか。
必ずしもすばらしい結果を出せるのではなく、結果は変えられないが、
前向きな自分、になれるということでしょうか。
よろしくご教授お願いします。

すいません、そのつもりはないのですが、学会を馬鹿にしているだとか
なめているだとか思われたら
申し訳ありません。

54:2012/02/06(月) 01:59:18
>>53

瑛子さん、まじめな質問、ありがとうございます。

> どんな環境でもそれに負けない自分になる

なんてのは、ウソです。無理です。
酸素がない宇宙で、生きていける人間がいますか?いないでしょ(笑)

「いつか良いことが起こると我慢を重ね」ても、「心底良かった」なんて事になるわけがない。
人生はガマン大会ではありません。自我偈には「衆生所遊楽」と。本来、楽しむ為に生きているのです。

環境もひっくるめて、変えていくのがこの信心です。
当然ながら、自分を強くする事もできます。
生きていけない環境なら、変えることです。移動した方がいいとか、対象に影響を与えるとか、具体的な悩みによって対処策は違ってきますが、基本は「信心」です。

大聖人は、死刑になるという「環境」を、竜の口で見事に変えたでしょう。
四条金吾は、江馬氏からの処分という厳しい環境を乗り越え、逆に給与UPしましたね!
学会の諸先輩方も、沢山の体験を残している。皆、厳しい環境を「信心で」変えていますよね。

なぜ、信心で環境が変わるのか。それは「依正不二」だからです。
自分が「一念」を定めて宿命転換していけば、かならず環境も変わる。それが仏法の不思議さです。

具体的に「こうなりたい!」と定め、祈り行動してください。
必ずその通りに叶っていきますよ!
ただし、愚痴、不信、同志誹謗等、せっかくの福運を貯めるお風呂の「栓が抜けている」状態にはご注意下さい。

満々と福運の水をたたえたお風呂につかって、ゆったりと人生の醍醐味を味わえるよう、祈っております。

55瑛子:2012/02/08(水) 01:48:24
鯖さん、ありとうございますm−−m

つい頭で考え込んでしまうようです。
たまに愚痴と不信になってしまうようです。。

必ずいつかそうしてみせるという主体性・・・一念が必要ですね。
それがなかったため、坂道を転がるようなことが続出しましたが、
今は驚くほど逆の心境です。

私を支えてくれたのが勤行なんて何年もしていなかった(最近はやっています
父達ですが、私はそれほど努力していないのに
娘の私も変わるのでしょうね。

不思議ですね。

私はこうやりたい!なりたい!と思ったことが
少しづつではあるんですが、叶えられる自分になってきているので、
無理せずのんびりぽちぽちやっていこうと思います。

ところでなぜタコなんでしょうか?

56:2012/02/08(水) 02:39:41
>>55
> 少しづつではあるんですが、叶えられる自分になってきている

すごいです!
素晴らしい信心ですね。また、お父様に感謝ですね。

どうか、親孝行してあげてください。
別に、お金をかける必要もありません。男親なんてのは、娘が幸せそうな顔で、にこにこっと笑いかけてくれるだけで、何者にも代えがたい無上の喜びを得られるもんなんですよ(笑)

> ところでなぜタコなんでしょうか?

これには甚深の理由がありまして、厳密な論理性に則った、厳格な由来を語りだすと文庫本10冊分になってしまうので、また今度…

あ、嘘です(笑)
そもそも、この板をはじめる前から、BLOGをやっていたのですが、世界の諸問題を客観的に論じたいな、と思い、「すでに広宣流布を成し遂げ、平和である星から来た宇宙人なら、どう洞察するか」という視点を考えたのです。
だから、「火星人」となり、「タコ」となった。
そのキャラが、掲示板にも継承されたに過ぎません(笑)

57一支国:2012/02/08(水) 19:38:06
>>56

えっ?9本の足が「九界」を現し、それらが頭「仏界」に具足している姿と
ばかり思ってましたぜい(大嘘)。

58命斗:2012/02/09(木) 03:37:52
私はなぜゆえ貧乏なのでしょうか?

59:2012/02/09(木) 03:39:42
>>58
> 私はなぜゆえ貧乏なのでしょうか?

たぶん、お金がないからでは?

祈れば出てきますよ。
100個の願いにはお金関係は入っていませんか?

60命斗:2012/02/09(木) 03:46:23
>>たぶん、お金がないからでは?
そのようです。

そうでした、お金関係の願いは最近真剣に祈っています。近々に叶うでしょうね。

61:2012/02/09(木) 03:57:22
>>60

私の経験から言いますと、祈りは具体的である程、叶いやすいです。
お金であれば、いくらを、いつまでに、何の目的で欲しいのか。

「あ〜、貧乏いやだな〜」といった漠然とした祈りでは、なかなか難しいでしょう。

また、結構つまらない事に出費していたりしませんか?
「収入」がいくら増えても、「支出」がだらしなくては、いつまでたってもお金は流れていくだけです。
あえてせき止めるには、「使わない」事が大事。
貯蓄しよう、という意識よりも、ローコストな生活をめざしたほうがベターです。

貧乏は、必要なものが窮乏している状態。ローコストは、ムダなものを「必要としない」事で、本当に必要な事にお金を回すのですから、貧乏とは違うでしょ。

たとえば、たばこをやめる。
これは、健康にもなるし、節約にもなる。非常に価値的ですね!

62命斗:2012/02/09(木) 07:38:14
ありがとうございます、ローコスト生活をめざします!
最近、発心して唱題に挑戦しながらたばこを止めることができました(笑)

638341ライオン:2012/02/09(木) 12:09:12
 ご本尊様の相貌?について教えてください。
 中央に南妙法蓮華経と日蓮とあり、こちらから見て、その右側に多宝仏が、左側に釈迦仏がそれぞれ存在しています。
 一方、四菩薩は上行菩薩が右側に存在しています。変な言い方ですが、上行菩薩は、四菩薩の間では上首上行と言われています。仏のほうは、よく釈迦多宝と言われています。
 これがランキングであれば、釈迦仏と上行菩薩はこちらから見て、右なら右に、左なら左に同じ側に存在しているほうが自然な感じがします。
 どうして左右に分かれているのでしょうか。ごく最近分かったもので気になって仕方がありません。
 そんなことより完治を祈れ、と言われそうですが、教えてください。

648341ライオン:2012/02/09(木) 12:12:21
ごめんなさい。「変な言い方」とは、「ランキング」という表現のことです。決して、「上首上行」を「変な」と言ったわけではありませんので、怒らないでください


65:2012/02/09(木) 14:46:35
>>63

うーん…そんな事考えもしなかった(笑)
そもそもデザインをした方に聞いてみないと…

66レオ ◆DlyW/s8ibQ:2012/02/09(木) 16:10:32
>>63
小休止にカキコします。
8341ライオンさん初めまして。

仏界と菩薩界の違いではないでしょうか。
釈迦仏と多宝仏は仏界を表すので南無妙法蓮華経如来の、直接の脇士となる。
いかがでしょうか。

病の克服をお祈りします。

67レオ ◆DlyW/s8ibQ:2012/02/09(木) 16:33:58
>>67
それとも多宝仏と上行菩薩が右側(上座)にいるのはなぜか、という疑問でしょうか。
うむ、それはあいにく知りません。

推察すると、多宝仏は証明役の仏ですから、釈迦からみれば一応、先輩格、格上としての敬意を払った姿ではないかなと思います。

小休止し過ぎましたw

68追記人:2012/02/12(日) 07:13:35
遅まきながら、あけおめ・ことよろ

ところで本尊仕様の件ですが、あれは対面の儀式になっていて、
釈迦・多宝はこっちむき、上行以下はあっちむきです。
すなわち釈迦は多宝の右におるわけですよ。多宝は上座に釈尊を招きいれます。
古代インドでは君子東面で、陰陽によって右が左より上座。
一方日本なんかは君子南面で、左のほうがえらいわけなんですわ。
左大臣は右大臣よりえらいっしょ。いまのインドのことは知りませんが、
釈尊当時はそういうことらしいです。

69追記人:2012/02/12(日) 07:18:41
ちょと混同する書き方したかもしれないので、再度かきますと、
古代インドでは右が上座、日本なんかでは左が上座ということです。
御本尊はその古代インドの方式で表現された虚空会霊山会の儀式を借りて久遠永遠大宇宙の師弟不二という
生命本来の姿を書かれたものですから、右を上座として認められてます。
仏界がこっちむき、九界があっちむき。
仏界即九界九界即仏界の対面誓願の儀式になっています。

70:2012/02/12(日) 07:41:53
>>68
ほえ〜〜
よく知ってますねぇ。
遅まきながら、追記人さんってナニモノ?

あ、変な意味じゃなく、畏敬の意味での質問ですからね(笑)

71(^^;)<ケシタ:(^^;)<ケシタ
(^^;)<ケシタ

72:2012/02/12(日) 14:29:51
>>71

詳細なご返答、ありがとうございます。
ただ、詳細すぎて「個人を特定しやすい情報」がいくつかあったので、独断と偏見で削除・編集し、以下に再掲いたしますね。

> ナニモノって曲者じゃあないよw ごく普通のアメリカの会員だけど。
> こっち(アメリカ)では1995年の3月から本尊取り替えが始まりましたが、ちょうどその一年前くらいから、
> いろいろ本尊のこととかはっきり知りたいと思ったもので、
> SGI図書館に毎日のように図書閲覧にいっていました。
> そこにあった本はほぼ一回通りは読み終えましたが、その読んだ本のなかに上記の件はあったとおもいます。
> 戸田先生なんかも若干の説明を質問会あたりでしていますし、六巻抄あたりにもあったと思う。
> その図書閲覧してた1994年中、一か月に一回、ボストンのある職員さんと、
> 互いの思索を交換する機会もあったので、わからないところとか、いろいろ聞いていました。

73追記人:2012/02/12(日) 16:00:19
手間をおかけして、すまねえ m(_ _)m

74レオ ◆DlyW/s8ibQ:2012/02/12(日) 16:17:52
>>68
それほど深く複雑な意義があったのですね、驚きました。
脇士についてですが、飛躍かもしれませんが、学会役職で言えば副役職に当たるのでは、と考えたことがありますが、どうなんでしょう。

これほどすごい人が副役職で脇を固めてるということは、中心者は大した人材なのだろう。
或いは、そうした主要幹部でその組織を護り、広布を進める核としての姿を表している。
ちょっと深読みでしょうか。

75追記人:2012/02/12(日) 17:22:16
まあそれでいいとも思いますよ。

多宝塔というのは生命体のことで、それの本有の姿を表現してあるのが御本尊です。

生命体というのは個々人の生命もさしますし、家族家庭、会社、地域社会、国家、世界・・・というような、組織体のことも
生命体とみなします。と、いうか、仏法では生命体と見ます。
当然創価学会も一生命体とみるわけだし、各地域、地区、なんかも生命体とみます。
生命体ですからそれぞれ一念三千の当体です。個人も一念三千体、家庭も国家も、全部一念三千の生命体です。
生命体を表現したのが多宝塔で、そのヌシが多寶如來です。そのヌシの多寶如來が成仏の法を携えた釈尊を上座にむかえるわけです。
生命体が個人の場合はわかりやすいですが、組織構造体の場合、中心者がいなければ、一念三千体になるわけがありません。
一念であって、、二念三念・・とはいいませんから。 そしてその生命体(組織体)の構成要員は、ことごとく必要不可欠の存在になるわけです。
あたかも心臓や肝臓のない肉体、細胞や血液のない肉体がありえないように。

御本尊というのは、先にもかきましたが、生命体の本有の状態を認められたものです。
すなわち、個々人にも、家庭にも、会社にも、地域社会にも、国家、世界にも、本有の状態があるというわけなんですよ。
したがいまして、成仏という言葉を先生が、人間革命という言葉に翻訳されましたが、
当然のことながら、家庭にも会社にも国家にも、人間革命という状態が存在するということです。

このあたりから思索を進めていけばいいのではないかなと思います。

76レオ ◆DlyW/s8ibQ:2012/02/13(月) 23:29:10
>>75
追記人さん、自分と異なる視点、はるかに広大な視点をご教示、ありがとうございます。

一切を包含し、生かし、輝かせゆく。
諸法は実相であり、題目の光明に照らされて本有の尊形となるのですね。

人間革命とは一次元から言えば、久遠の自分に帰る、思い出すということ。
すなわち何物にも縛られず障りが無い、ありのままで自在の清浄な生命ですね。

自分とかけ離れた、或いは人間とかけ離れた、何か特別な存在になる訳ではない。
ありのままの自分が、真剣に仏法を行じ抜いた時に、仏に等しい智慧と力が湧き上がるのである、と先生は仰ってます。
便乗質問スミマセンでした。

77命斗:2012/02/14(火) 09:41:04
ご本尊様のこと
凄く勉強になりました、今まで聞いたことも勉強したこともなかったので改めて勉強したいのですが、文献を教えてください。
何が書かれているのかわかりません(汗)

78:2012/02/14(火) 12:37:46
>>77

おすすめの本は沢山ありますよ!

ちなみに…
教学は何級で、これまで、教学関連の本はどういったものを読まれましたか?

>何が書かれているのかわかりません(汗)

具体的に、どういった部分が難しかったでしょうか?

79命斗:2012/02/14(火) 14:30:30
お騒がせしてすみません、教学は2004年に初級試験に合格しています。教学関連の本は読んでいない事がわかりました。読んだのは折伏経典くらいです。
何が書かれているのかわかりませんというか>>63 :8341ライオンさんの質問の内容すら高度すぎてわかりません(冷汗)

80:2012/02/14(火) 17:14:29
>>79

なるほどですね…

そしたら、「法華経」の知識から攻めてはいかがでしょう?
まずは、池田名誉会長の「法華経方便品・寿量品講義」を読んでみて下さい。
勤行で読誦する方便品・寿量品に関しては、毎日読むものですから、興味あるでしょ?
そして、「法華経の智慧」。ちょっと長いですが、対話形式で内容もそんなに難しくないですから、スラスラ読めるでしょう。

また、同時並行でもいいですが、「日女御前御返事(本尊相貌抄)」という御書が、御本尊の相貌について書かれております。

あと、仏教哲学大辞典はお持ちですか?
わからない用語や人物等、出てきたら引きまくるのにかなり便利です!

81命斗:2012/02/14(火) 17:52:06
ありがとうございます、早速、読みまくります。
仏教哲学大辞典も手に入れます。


学会活動の中では勉強できないこともこちらの板で知識を吸収できるので楽しくなります。

82:2012/02/14(火) 20:47:46
>>81
共に学びましょう!

> 学会活動の中では勉強できないこともこちらの板で知識を吸収できるので楽しくなります。

ありがとうございます!
でも、結局この板の参加者も普通の学会員なわけで…(違う人もいるかも知れませんが)、要は、組織にしても掲示板にしても、「縁」だなぁ、って思いますよ(笑)

83虎キチ:2012/02/14(火) 21:09:48
御本尊は御本尊指示書の通りにするなら
書道家が書いても彫刻家が彫ってもいいような気がするのですが
どんなもんでしょうか

84:2012/02/14(火) 21:17:38
>>83
私個人の考えとしては、同感です。
たとえば、火星で入信し、遠方すぎてどうしてもご本尊が得られない事情があったとします。
この場合、自分で心を込めて作成する、という事でも仕方ないのかな、と。
ただ、安易にぽんぽん作る、という事態を招いてはいけないので、慎重にすべきかと思います。

一方、どこぞの法主が言うように、法主しか書いてはいけない、開眼しないと効力がない、という事は、大聖人もおっしゃっていませんし、「ご本尊利用」でしょうね。

85虎キチ:2012/02/14(火) 21:29:43
>>84
まさか同感していただけるとは思いませんでした^^
出来上がりをチェックする検査官がいた方がいいですね

私も開眼には胡散臭さを感じております

86:2012/02/14(火) 21:40:58
>>85
仏法は、宇宙根源の「法」ですから、要件を満たせば誰がやってもインプットとアウトプットの関係は同じなのかな、と思います。
化学実験なんかも、誰がやっても同じ結果になる。
同じ性能の車なら、誰が作っても同じ走りをするでしょう。

もちろん、人情というものはありますから、「花和尚の書いたご本尊だと、なんだかいやだ」という場合には、ご本尊をお取替えするのがよいのでしょうね(笑)

87虎キチ:2012/02/14(火) 21:51:46
>>86
なるほどです

ということは、絵画なら本物と贋作が存在しますが
御本尊は、要件を満たしているなら
そもそも本物かニセ物かを議論するのはピントがずれている、ということでしょうね

88レオ ◆DlyW/s8ibQ:2012/02/14(火) 21:56:09
>>83
対話は進んでいるようですが、ちょっと一言します。

御本尊は書かない方が身のためです。
書写する資格では極悪法主、邪法主などに、資格が無いのは当然ですが、その意味では真に広布にまい進する学会員が、法主より何万倍も資格があると思います。
でも、会員や書道家、彫刻家が書いたとしたら罰が出ます。

自らしっかり信心を奮い起こして、学会から授与して頂くのが、唯一正しいあり方です。
安易に考えて自分で御本尊を書いたりすると、不敬に当たります。
なぜなら獅子奮迅之力で、日蓮が魂を墨に染め流してしたためた御本尊だからです。

不敬というのは本当に恐ろしいです。
御本尊を不敬にした人が、特に粗末にした人が、悲惨な末路や死に方をした例を、いくつも見聞きしています。
ちょっとネットに公開するのは憚れますので、メール等ではお教えしますが、御本尊不敬の末路の例は、学会員であれば身近で見たり、指導されたりはあるでしょう。

89:2012/02/14(火) 22:02:37
>>87

おっしゃる通りだと思います。

ところで、「一般的な」絵画の価値についても、私は懐疑的です。
もし、その絵画自身がもつ美しさのみを追求するのであれば、誰か書いたかはあまり関係ないのではないでしょうか。
絵画にとって「誰が書いたか」が大事なのは、それを、「金額的価値」で測りたいから、といえば乱暴に過ぎますかね(笑)

絵画の値段と、そのものが持つ本当の美しさとは、実際、あまり連動しないのでは、と思います。
逆に、「これは、あの有名な人が書いたんだ!」という感動は、ときに、「自分の目で価値を見出す」力を曇らせるのでは、と思いますね(笑)

90赤ポス:2012/02/14(火) 22:11:31
>>80
>仏教哲学大辞典

僕小辞典は所持してますねんけど仏教哲学大辞典は持ってないので、最近やっぱり欲しいなぁと思うようになりました。

91:2012/02/14(火) 22:21:56
>>88

私個人の考えとしては、レオさんにも同感です。
表面的に反対の方向に論じているだけであって、とくに、レオさんが私と反対の意見だとは思いませんが(笑)

> ちょっとネットに公開するのは憚れますので、メール等ではお教えしますが

むむ…
その話、是非お聞きしたいですね。
是非メールでお教え頂ければ幸甚です。
アドレスは、「4649server」@マーク、gmailドットコムです。

92赤ポス:2012/02/14(火) 22:30:52
>>89
絵とかは、誰かが綺麗やなぁとか面白いなぁとかいろんなことを感じ取ってキャンバスに表現する世界やったのが、なんとも言えない美しさがあるなぁとか、これがかの有名な絵かとか、なんか癒されるなぁとか、清々しいなぁとか、力強いなぁとか、その絵を描く人の世界やったのが、その絵とその絵を見る人の世界という新たな世界が広がって、自由やとあえて断らなくても、勝手に自由に広がっていってるってなんか面白いなぁと思います。^^

93赤ポス:2012/02/14(火) 22:45:31
>>88
レオさん
不敬は恐ろしいですね。

うちの親父が破って灰皿で燃やすという不敬をしましたが、まぁ悲惨のオンパレードでしたわ。最終的に自宅御本尊に1週間程勤行唱題小さな声であげて病院で死んで成仏の相を隣組近所の人に見せつけ(笑)て逝きましたけど、両極端勉強になりました。また親父に誇りを持っています。^^/(感謝)
親父の例は特異な例ですけど、
当然僕は不敬は恐ろしいことになるとだけ同意させて頂きます。

94虎キチ:2012/02/14(火) 23:20:50
>>88
運用規則と性能

自分で御本尊を書いたりするのは、尊厳を軽んじる行為に該当する、といった感じでしょうか
なので運用規則として「学会から授与して頂くのが、唯一正しいあり方」とする、と
運用の決め事に関して異存はありません

性能面ではどうなのでしょうか
書写する資格のある法主と、資格が無い極悪法主が書写したもので
どちらも要件を満たしているのなら同じ性能であるような気がしているのです
違いは、利用者によって出る、そんな気がするのですが

95虎キチ:2012/02/14(火) 23:22:34
>>89
絵画の価値
絵画自身がもつ美しさとそれに感動する感性に誰か書いたかは関係ないと思いますね

言いたかったのは、本物の御本尊を書写したものでも本物の御本尊は存在すると思うのですが
絵画の場合は本物を模倣しても、それを本物だと主張すれば贋作になってしまう
という事を言いたかった次第です

96レオ ◆DlyW/s8ibQ:2012/02/14(火) 23:30:02
功徳を讃歎するとともに、罰の恐ろしさを知ることも大事ですね。
不敬と言えば、同志誹謗も一段と罪業が深いので、気をつけねばならないですね。

>>93
赤ポスさん、両極端の姿を示して身をもって教えてくれたお父さんに、感謝と誇りを持っておられるのですね。

仏教哲学大辞典はあったほうがいいですよ、本当に重宝します。


>>91
鯖さん、先ほど、メール送りましたので、ご覧になってください。

97虎キチ:2012/02/14(火) 23:35:04
あと、宗教の根幹に関わっているところを
無碍に扱われてる感があれば、気持ちのいいものではないでしょう
私の不徳のかぎりです

98レオ ◆DlyW/s8ibQ:2012/02/14(火) 23:40:40
>>97
いえいえ、悪意ではなく真摯な思いからの発言と感じますので、気にする必要はないです。

ところで虎キチさんは、御本尊に関しては今、ご安置はされていますか?
それとも、過去に受持していたのですか。

99赤ポス:2012/02/15(水) 01:05:08
>>94
虎キチさん
今年初からみですな(笑)^^
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。(って今頃ぉ(笑)∵)
シモ星野さんと固き握手超感動!^^/
と阪神ネタは追い追い交わすということで^^(笑)

御本尊の化儀面は時代時代で変わり、化法面は不変いうことですんかな。
ニュアンス違って申し訳無いんですが、
無始無終円の命のお札(さつ)を頂いて、…以前まよゐさんがどこかのスレで十如是のいろんな境涯の姿感じかた振舞いを言われていたのが面白いなぁと勉強になりました。
こんな凄い命のお札(さつ)は皆に行き渡らせよう!という人と、はたまた、いいのを手にした(笑)独り占めしよう(笑)という人や、学問材料的に見る人や、芸術的に感じる人や、薬的に処方しようとする人や、いろいろやと思います。
なので、やっぱり虎キチさんおっしゃる人の問題に重点がありますんやろね。^^

あと、又、ニュアンスちょっと違うかもしれませんけど、発信者が伝言して、いろんな人を中継ぎにして、中継ぎの人がわかってなかっても、「なんかこれこれこんなこと伝えてほしいとのことですわ」っていうのを聞いて、そのあとの人が、「あーハイハイ。わっかりました。ハイハイ。OK了解。了解。」って発信者とあとの人とが繋がってて、中継ぎの人がわからないまま(笑)っていうことも、日常的にありえるような風景(笑)やと思います。
その場合、発信者と、間飛ばして、あとの人とは『同じことしよう』という目的観が一緒なんやと思います。
^^
脱線話になってすいません。
またシーズン賑わいはじめたらそちらでもよろしくお願いいたします。^^/

100:2012/02/15(水) 02:15:49
>>94

> 性能面ではどうなのでしょうか

厳密に性能について論ずるのであれば、「同じ」ではないかと。

当然、「安易に作る」という行為が持つ危険性もあるので、実際には私もやりません(笑)

101:2012/02/15(水) 02:20:24
>>95

> 絵画の場合は本物を模倣しても、それを本物だと主張すれば贋作になってしまう

なるほどです。
「作者」が大事な世界ですからね(笑)

102:2012/02/15(水) 02:21:04
>>96
はいはい〜受け取りました!

103虎キチ:2012/02/15(水) 22:07:57
>>98
レオさん、昨日は私が発端を作っておきながら、先に終えてしまいすみません

私は現在も過去からも非会員のままです
他人のをお預かりしたこともありません
ただ山本伸一のファンです

104虎キチ:2012/02/15(水) 22:09:44
>>99
赤ポスさん今年もよろしくお願いします
下柳良かったですね^^

御本尊の化儀・化法とは、これまた難しかったですが
化儀とは運用規則のようなもので、化法とは指示書のようなものでしょうか
命のお札をどう使用するかは、使用者にかかってくるということでしょうかね

発信者の伝言があとの人に伝わったということは、中継ぎの人はわかってなかっても
伝言書だけは紛失されずにメッセンジャーボーイの役割だけは果たしたんでしょうね

他スレで釈迦在世から800年の時を経て法華経が誕生した、とありましたけど
発信者が13世紀に登場して、間飛ばして800年の時を経て、
発信者と『同じことしよう』というあとの人とは21世紀の人じゃないですか

105虎キチ:2012/02/15(水) 22:16:15
>>100
もう印刷があるので
今後は書写する人がいなくてもいいのかもしれませんね

106:2012/02/15(水) 23:20:55
>>105
そうですね。
どこの印刷屋で、どうやって印刷・表具をやっているか興味ある所ですが(笑)

107赤ポス:2012/02/16(木) 00:17:52
>>104
虎キチさん
さすが!(驚)∵
恐れ入ります。
恐ろしいまでに意味汲み取ってくれはりますね^^;
ありがとうございます。^^(感謝)

108レオ ◆DlyW/s8ibQ:2012/02/16(木) 21:00:37
>>103
虎キチさん、未入会ながら山本伸一のファンだったり、すっかり学会員の中に溶け込んでいるところを見ると、まったく不思議であり違和感が無いです。
きっと虎キチさんも、学会、先生との過去世からの宿縁が深いのでしょうね。

>>106
鯖さん、メール返信ありがとうございました。
再返信が少し遅れてますが、もう少し待ってください。

私個人は、恐れ多い言い方ですが御本尊の「製造」には、余り興味は無いです。
譬えがかけ離れますが、お金で言うと、紙幣を印刷してる日銀の造幣局には興味は無くても、紙幣そのものや買えるもの、月々の収支には関心が大です。

ちなみに今、決算時期でして、昨年から複式簿記に切り替え、かつ電子会計にも移行したので、四苦八苦しております。

109:2012/02/16(木) 21:33:23
>>108
私ももちろん、御本尊の「製造」には興味はありませんし、やるつもりもありません(笑)
逆に、「法主の特権」のように振る舞い、ご本尊を利用して自分の「食い扶持」にしよう、という行為へのアンチテーゼとして、理論上の可能性を論じたまでです。

ああ、日本は決算ですね(笑)
複式簿記は、コツというか慣れが必要ですからね。最初は面倒でしょう。
お察しします(笑)

110追記人:2012/02/17(金) 06:52:29
鯖さん、 >>80  での推薦本の提示、ありがとう。

御本尊の製造ですかいww まあこういう時代になって、はっきりいうと、いろいろわかるようになるスピードが速いというか、
ある意味ありがたいなとかって思うこともありますね。
宗門と別れなければ、御本尊に関する事なので化法だと広く思い込まれていたものが、実は化儀の範疇であったなどとは、
だれも当時わからなかったんじゃあないでしょうか。

僕も昔、「700年前に現在の印刷技術があったとすれば、大聖人はどうされたと思いますか?」などと質問してたことがありますね。
ほかにも、デジタル御本尊などという発想をもったときに、いま言われているところの御不敬という現象はおこりえなくなるのではあるまいか?とか、なにも2Dだけではなく3D御本尊というものがあってもいいんじゃないのかな?とか、、、、
良いか悪いかは別として、こういう発想ができるようになったのも、ある意味では、宗門とさようならができたからですね。

日寛上人が、「観心の本尊の、『の』 の字を形見と思へ」 と言われたことがあります。 
これはこの御本尊様は、決して教相の本尊ではなく、己が観心していくところの本尊なのだと強調されているところですが、
これが、なぜ「形見と思へ」というほど重要なことなのか、昔はよくわかりませんでした。
我々がいただいている御本尊を教相の本尊としてとらえた場合に、いろいろ陥る錯覚というか誤解がうまれてくるわけなんですよ。
ですが、世にでている各種各宗派の本尊というのは、おおむね教相の本尊なので、我々はそういう発想に慣れていて、
この観心の本尊を教相の本尊として考えてしまう癖がある。

これに関する詳細はそれぞれ個々の思索にまかせますが、これを打開できる時代がついに来たということなんじゃあないかなと思えてなりません。

111追記人:2012/02/17(金) 07:25:58
ところでさ、鯖さんだったら理解っていうか、思うところあるはずじゃないかなと予想するんですが、
各国SGIがね、いつになったら会長制に移行できるのか?って思いません?
これね、僕は大分前から思ってるんですよ。
日本が元祖にして本家であることは当然なんですけども、そろそろこういう発想が巷からおこってきてもいいんじゃないかなと。
経済的な要素は重大ですけど、そろそろ各国ひとりだちしないとだめっしょw

それと創価大学ですが、ヨーロッパにもどうですか?w
それともパリ創価学園というところからでも始めます?w
そういう方向をヨーロッパSGIとか創価大学が、考えていないわけがないと思ってるんだけどw

112追記人:2012/02/17(金) 07:31:36
あと、もう一つ 知りたいとおもってるんですが、
大分前 北○さんがヨーロッパ担当でしたが、今は、どなたなんですか?

113:2012/02/17(金) 14:53:03
>>110

確かに、宗門と別れた(というかあっちが勝手に切ってくれたわけですが)のって、本当にご仏智としか言いようがないですね(笑)

デジタル御本尊…たしかに、考えてしまいますね。
キャッシュから消去したら、御不敬であるとか(笑)

> これが、なぜ「形見と思へ」というほど重要なことなのか

実は私もいまだによくわかりません…

教相の本尊・観心の本尊について、もっとしっかり学ばねば、と思います。

114レオ ◆DlyW/s8ibQ:2012/02/17(金) 15:44:58
>>109
ひと休み中に書き込みます。

極悪法・邪法主が御本尊書写を特権・専権であるかのように、信徒支配・金もうけの手段にしていることへの反論との主旨、理解しました。

その上で、法主の極悪を糾弾することが、間違っても御本尊軽視の言論に堕すことがあってはなりません。
法主糾弾と御本尊を軽く扱わないことの2つは、明確に立て分けるべきです。
某御仁などは、この重大な過ちの言説により、大きなひんしゅくを買ったのはご存じの通りです。

この意味で、不敬の恐ろしさの事例を、前にいったん引っ込めたものを、投稿したいと思います。
もしや聞いたことがある方は、確認の意味で。

【事例1】
御本尊のしわが目立つので、良かれと思って、御本尊にアイロンをかけた年かさの婦人部。

 → アイロンをかけると、御本尊から青い炎のようなものが出て(見えて)、恐ろしくなって止めたが直後にくも膜下出血になってしまい、間もなく帰らぬ人に。

【事例2】
小さな女の子が、親が居ない時に寂しさもあってか遊びのつもりで、御本尊をハサミで切り絵のように切り刻んだ。

 → 間もなくその少女は行方不明になり、バラバラ死体となって発見された。
  誘拐事件に巻き込まれ、猟奇殺人の標的となったと考えられる。

【事例3】
私の身内が折伏した友人で、御本尊をお返しした年配の婦人がいます。

 → 重度の糖尿病でインスリン注射を毎日打たないと生きられない体になってます。
  呼吸器系の疾患もあり、そちらも治療を受けています。その他にも、色々なことが起きていることを聞いたのですが、記憶が薄れて忘れました。


末法の功徳が顕益よりも冥益であるように、罰も現罰よりも冥罰の方が何重も恐ろしい。
御書に、
「過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣・万民、はじめは事なきようにて、ついには滅びざるは候わず」
 (1190ページ)
とある通りです。

したがって不敬にしたとして万が一、その時は何事も起きなかったようであっても、時とともに重大な罰が現れる場合もあるのです。

<鯖さんへ>
上の1と2の事例は伝聞であり作り話でないかとのご指摘でしたが、どちらなのかは真偽未決です。
少なくとも私は、信心でとらえていきたいと思ってます。
ここに載せた意をくみ取って頂ければ幸いなのですが、もし問題あれば、削除でもかまいません。

115レオ ◆DlyW/s8ibQ:2012/02/17(金) 15:45:39
>>110
「の」の一字については私もそう習いました、懐かしいです。

観心の本尊とは、観心は己心の十界を観ることであり、十界互具して自他の仏界を開き顕わすことですね。
解りやすく一面から言えば、自分も地域や国土等の依報も、より良く変わっていくことです。
国土であれば戦争や悲惨を無くす。
個人であれば、強き自己を確立しつつ悩める友を励まし救って、大目的へと糾合していく。

絶望の無明の闇を払う「希望の宗教」、そしていかなる困難な現実も根底から改善しゆく「変革の宗教」が、観心の本尊とも言えましょう。

116:2012/02/17(金) 16:52:45
>>114

うーん…
事例1や2は、デマのように思います…
よく、バルサンを焚いたらどうとか、お風呂でやけどしたとか、稲川淳二ばりの話を聞きますが、私は信じません(笑)
以前話題になった「怪文書」と同じで、「話」自体がショッキングだとか、センセーショナルだとか、いわゆる「拡散力」を持っている場合、一旦疑う事、ソースをチェックしてみる等、いわゆる情報リテラシーの「ファイヤーウォール」が必要ではないかと思っています。
そうでなければ、学会は怪文書やデマがまかりとおる世界である、という事を世間に公言しているのと同じでしょう。
結局、「法を下げる」結果となってしまうと思うのですがいかががでしょうか。

また、ご本尊の不敬については、「心こそ大切」ではないでしょうか。
ご本尊を大切にするのはもちろんですが、あまり、曼荼羅そのものを物質的に神格化し、「呪い」的なオカルト話を強調しないほうが良いのでは、と思います。
たとえば、形あるものはいつかは滅びるわけで、ご本尊も、いつかはお取替えをしなきゃいけない時も来る。
その取り替える行為自体、「ご本尊を捨てる」行為ではないでしょうか。
また、火事などで避難しなくてはならない場合、人命を粗末にしてまでご本尊をとりに火中に入る、という発想を生み出しかねないでしょう。

人間は生きていれば、必ず虫や微生物など、多くの生き物を殺してしまう。
しかし、釈尊は「殺す心を殺す」との絶妙な解答を示した。
物質的な「破壊」に悪が潜むのではなく、その「心」に原因があるととらえていく事が大事であると、私は考えます。

むしろ、「手はくださない」としても、心が離れてしまうとか、同志を誹謗するとか、そちらのほうが、恐ろしいと思います。
まぁ、罰論で脅すのも、なんだか時代遅れのような気もしますし…(笑)

と、つらつらと愚論を書きなぐってしまいましたが、…いかががでしょうか?

117ななしのかかし:2012/02/17(金) 17:57:47
 こちらへの無断投稿は、これで2回目となります。
  読み終えましたら、私のIDでは書き込みできないようにしてくださいませ。といいつつ、できれば例外的処置を望みます(^^;
  ( この板は、病人は参加できないのですよね〜 当方病人です 元長三郎さんなら、私の変人ぶりがわかるでしょう )


 御本尊様を造る(?)とき、入魂の儀式(魂を入れる)があると、聞いたことがあります。
 御本尊様は、信徒がお借りするものです。
 よごれたりしたら、最後は交換し、そのよごれたほうは、魂を抜き取る儀式をおこなうのだそうです。
 そののち、まとめて燃やすんだそうです。
 
 失礼しました。

118:2012/02/17(金) 18:23:26
>>117
本来は処分対象ですが、今日は機嫌がいいので、例外的に参加を認めましょう(笑)
今後は、ちゃんと自己紹介から入って下さいね。

「入魂の儀式」にしても、「魂を抜き取る儀式」にしても、誰が、どんな権限で、大聖人のいかなる教えに基づいて行なっているのか、明らかにする必要があるでしょうね。
これまで、そういった部分を「坊主の専売」として許してきたから、坊主がつけ上がるスキを与えたのではないでしょうか。

>  御本尊様は、信徒がお借りするものです。

という貸与形式にしても、実質は「誰にいつ貸したか」なんて管理はしてないでしょう…

119レオ ◆DlyW/s8ibQ:2012/02/17(金) 19:45:29
>>116
仰ること1つ1つごもっともと思います。
劇薬ほど使用方法を細心に守らねばなりません。
その上で申します。

時と場合によっては、御本尊の(罰であっても)その力を、これでもか―! と示す時が必要な時もあると思うのです。

私がこれらの話しを聞いたタイミングは、1つは折伏が実る直前でした。
2つめは、自分にとっては、それまでの人生最大のピンチの難が起きた時で、ふっと気弱になり信心が揺らいでいた時でした。

時と場合によっては、良い意味での威【おど】しが必要な時もあります。
私の場合は、これらのことを聞いた時に、おかしな邪念を斬ることができたと、振り返って思います。

120:2012/02/17(金) 20:04:13
>>119

自己を鍛える事ができる人は、路傍の石に刻まれた模様でさえも、何かの意味を見出して成長の礎にできる事でしょう。
ただし、その石が、誰にでも同じ意味を持つかといえば、疑問が残ります。

私は、話の真実性に「責任を持つ人」が不在であるオカルト話については、先に述べた弊害から、その効用よりも「副作用」を心配すべき、というのが持論です。
数年前に流行った怪文書にしても、「結局は、ご本尊はすごい、という事が書いてある。それで発心した人もいるんだからいいじゃないか」といった言論も聞かれましたが、それを許してしまえば、「学会は嘘を流してもよい、という世界なんだ」と言っているのと同じになってしまいます。

121:2012/02/17(金) 20:21:09
(つづき)
大聖人は、「何れの月何れの日何れの夜の何れの時」と御書にあるように、真実を追究され、デマ・ウソを糾弾されました。
また、「世間の失一分もなし」とおっしゃっていますように、あれだけの迫害を受けながら、ご自身は清浄な行動を貫かれた。

その流れを汲む我々が、たとえ信仰の根幹である曼荼羅を大事にする為とはいえ、オカルトちっくな怪談話を利用しなければ主張できない、という事であれば、大聖人は嘆かれるのではないでしょうか。
ご本尊を大切にすべき、同志を大切にすべきとの論を張るならば、もっと違うアプローチがあるのではないかと思いますよ。

122レオ ◆DlyW/s8ibQ:2012/02/17(金) 20:46:17
>>121
なるほどその通りですね。

因果応報の事例だと思ってました。
オカルトや怪文書のつもりは微塵も無かったのですが、人によってそう捉える可能性もあるのですね。

日時や場所の記録は大事ですが、聞いた体験全てでそうした記録が調査・保持できている訳ではないので、どうなんでしょうね。

しかし、そもそも不敬の事例を大きく書くような、話の流れではなかったですね。
もっと違うアプローチがあるはずとの指摘ももっともです。
今後は気を付けます。

123:2012/02/17(金) 21:08:53
>>122

> オカルトや怪文書のつもりは微塵も無かった

そこが、デマや怪文書の「拡散力」なんだと思いますよ(笑)

「セミナー資料」と書いてあって、それらしい教授名とか何とか書いてあるから、コピーして配りたくなる。
題名に「これは捏造された情報であり、怪文書です」なんて書いてあれば、速攻捨てられますからね(笑)

それを伝える人も、悪意のない場合がほとんどでしょう。
「いい情報だわ!みんなに知らせなくっちゃ」「これは、あの悩んでいるA君にコピーしてあげよう!」と、学会員は善意で動く。
しかし、善意で行った事がすべて善行かといえば、その保証はないわけで(笑)

>聞いた体験全てでそうした記録が調査・保持できている訳ではないので、どうなんでしょうね。

私は、体験談には文責をしっかり書くべきだと思っております。
それが広まってしまうと、いまは個人情報がどうのこうの、とうるさいので問題になる可能性も否定できませんが…

> しかし、そもそも不敬の事例を大きく書くような、話の流れではなかったですね。

いやいや、お互い、思ったことを忌憚なく言い合えるのは、幸せな事だと思っております。
きっかけを作って下さって感謝してます。
また、これまでの流れも、私の信条を述べただけで、レオさんを責めているわけではありませんので、もし嫌味に聞こえた節があれば、深く謝罪します。

124:2012/02/17(金) 21:25:51
先ほどのお話も、冷静に検討してみると、真実性は非常に疑わしいと思いますよ。

【事例1】
・御本尊のしわが目立つ
ご本尊は掛軸の形ですので、普通にご安置して、しわがとれる事はあっても、しわが付くことなど、まずないでしょう。
しわの付いたご本尊を見たことある人、いますか?

また、アイロンをかけるにしても、その温度で即座に「青い炎」などが出るわけがない(笑)
更に、婦人はよかれと思ってアイロンをかけたわけで、その心は、大切にしよう、きれいにしよう、という気持ちであったはずです。
過失ではありますが、特に大きな「不敬」ではないでしょう。

本当にご本尊に行った物理的な事が、即座に自分にはねかえってくるならば、ご不敬を行った人は「全員〜日以内に死ぬ」といった事にならざるを得ない。
しかし、私の友人の父親など、ご本尊を破ったことがあるのですが、いまだにピンピンしてますよ(笑)

【事例2】
小さな女の子とはいえ、親が大事にしているものぐらいわかるでしょう。
わからないような年齢の子を、ひとりで留守番させる事もおかしい。
(ハサミが使えるのなら、幼稚園ぐらいでしょうか。であれば、毎朝、毎晩、親が拝んでいるものを切り刻むなど、ありえないかと)

もちろん、子供ですから、かなり突飛な行動に出ることもあるでしょうが(笑)

でも、百歩ゆずって、その子の過失で、切ってしまったにしても、ご本尊からの罰が「死刑」であるなら、なんと無慈悲な仏ではないですか。
その流れでいけば、釈尊に、たべられもしない餅を供養した子供は、「飢餓の刑」か「腹痛の刑」で即死となるでしょう(笑)

いずれの話も、過失であってもご本尊を不敬すると、ひどいめに遭う、という警鐘の意味でのつくり話かと思います。
先に述べたように、不敬は不敬でも、「ご本尊不信」「邪見」「法華経の行者を誹謗」といった罪のほうが重いのではないでしょうか。

以前、私に信心の事でひどく中傷した知り合いが数人いますが、いずれも例外なく、かなりひどい目に遭っている(笑)
まぁ、そういった話をことさらにネット上で披露する趣味もないので、詳細は語りませんが(爆)

125レオ ◆DlyW/s8ibQ:2012/02/17(金) 22:46:09
1つは25年以上前、当時支部長の母親に当たる、多宝会で指導員の方に直接聞いたものです。
もう1つは20年位前に、青年部時代、圏幹部までやった近しい人に、これも直接聞いたものです。

したがって怪しい文書の類で私が読んだものではありません。
実際の話しか嘘かは、私には正直、解らないのです。

近しい人はそういうことを話したことさえ、忘れていたようでした。
古過ぎて、前時代のものであるのは確かかもしれません。

126:2012/02/17(金) 23:13:54
>>125
出所の不確定な情報が、文書であれば「怪文書」、口頭であれば「怪情報」に過ぎないかと。

逆にいえば、25年以上も前に聞いたことでも、鮮明に記憶している、という事自体が、私に「その情報、ちょっと待った!」と訴えかけています(笑)
先に述べたように、人の心にのこり、人口に膾炙しやすい「話の作り」となっているものほど、疑うべきと思っております。

また、そういった話が「古いネタしかない」というのも、一考すべきかと。
本当に、曼荼羅への物理的な破壊が常に瞠目すべき事件を引き起こすなら、もっと頻繁にそういった話が出まわる事でしょう。

127レオ ◆DlyW/s8ibQ:2012/02/17(金) 23:44:53
>>126
鯖さんが仰るように本当にあった事か、作り話かは、検証の余地があるかもしれません。
ご指摘の「話の作り」や「古いネタしかない」のが疑わしいというのも、有りそうな気もします。

改めて思うのは、
御本尊をお護りし大事にすれば自分が護られます。
反対に、御本尊を粗末にすれば自分が粗末な扱いを受けます。

そして師弟の精神を現実に体現し弘める人を、馬鹿にし誹謗することも重大な不敬に通じるものです。
法と人では法が師となりますが、誹謗の罪業では法より人に対する罪の方が重いと考えられます。
それは法を弘め、如来の事を現実に行じているのは、人であるからです。
法を謗るよりも人を謗る方が、悪業が重いというのは、御書に何カ所も出てきますね。

128:2012/02/18(土) 00:07:02
>>127
> 法を謗るよりも人を謗る方が、悪業が重い

開目抄の「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出せば若しは実にもあれ若しは不実にもあれ此の人現世に白癩の病を得ん」
とのご金言を思い出しました。
また、当掲示板のルールにもありますように、「忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか」と。

思えば、ご本尊への不敬は、その根底に、それを持つ学会員を「困らせてやろう」という恨みがある場合がほとんどでしょう。
そういった「身口意の三業」に、厳然とした現証が現れる、という見方もできるかも知れません。

129追記人:2012/02/18(土) 09:43:24
そのての話は、昔、結構聞きましたねえ。

あれでしょ、なんだっけ、バルサン炊いて出かけて、かえってきたら、近所のおばちゃんに呼び止められて、
「あんたんち、法事でもあったの? お坊さんがたくさんさっき出て行ったわよ」と言われ、
いそいで家の中に入って御本尊をみたら、真っ白になっていた、、、、、 とかっていうやつ。

当時は、バルサンの余韻で目がやられてそうみえただけだろっておもったけども、まあ、、そういう指導をされたことはありましたw

そういう系の話は結構昔からあるようで、戸田先生も質問会で、それに関するコメントをしていますね。
ぜひ、それを読んでみてください。

最近というか、数年前に、「お題目は7.5ヘルツ」っていうのがありましたね。
僕、これをアメリカの草創からの大幹部に直接ききました。 その大幹部も、信じ切ってそう解説していましたね。
なるほど、題目は周波数でも5字7字なのか・・・・すげえもんだな、と 皆思ったもんです。
このお話、世界的に一瞬広宣流布したんですよ。 で、これを聞いた若手学生部のひとりが、
「人間が直接きける音の周波数は16ヘルツから20kヘルツのはずなんですが・・・」と向こう場面から物言いをつけましてね、
この指導、まがいものということで世界的に修正するメールが幹部間で飛び交うという話になりました。

なかなか懐かしい話だなと思う人もけっこういるのでは?w

130虎キチ:2012/02/18(土) 13:57:29
うわ、お坊さんたち逃げ出しちゃったんですね
バルサンがよっぽど煙たかったんでしょうね

私も小さい頃、母からタンスの一番上の引き出しを指さされ
「ここに、お化け閉じ込めとうからな、開けたら出てくるで」
言われて怖くて引き出しをさわろうともしませんでしたね

「マッチさわったら、夜怖い夢見てうなされるで」も信じてました
小学校1年のとき給食を食べてから帰るんですが、土曜日は給食がないんです
土曜日の学校帰りにそのままともだちのうちによったら
ともだちがチキンラーメンを作るためにマッチをすろうとするんですよ
当時は自動点火じゃなかったんですわ
ともだちに怖い夢見させたらあかん思うんで必死で止めました
「ほな、ぼく昼たべられへんやんか」いうて泣き出しました

ともだちは、おかあさんからキチンとマッチの使い方や火事の恐ろしさを教えてもらってました
おかあさんの前でちゃんとガス台に火をつける練習したそうです
ともだちに悪いことしましたね

こっちも、そりゃぁ母から言われたことなんで本気で信じてましたわ

131:2012/02/18(土) 14:03:45
>>129

うわー、そのバルサンの話、世界中に流布してますね(笑)

「7.5ヘルツ」の怪文書に関しては、当時私もかなり格闘しまして、いまだに私の青〜い文章が残っております。
tp://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20031129/p1

いや〜〜、懐かしい(笑)

132:2012/02/18(土) 14:05:18
>>130
台所だけに、「キチンと」マッチを使わないけまへんなぁ(笑)

133うるさいおやじ:2012/02/19(日) 10:19:47
バルサンの話聞いた事あります。真剣にお詫びの題目唱えたら、御文字が戻ってきた40
年位前の話、私が入信して数年後の聞きかじりです。
オヤジの後輩が仏哲大の誤りについて本部に問い合わせしたら、判らなかった情けない

134テンコ♪(音符省略可w):2012/02/20(月) 12:02:09

 どこに書き込んだらいいのか不明でしたので、こちらにて質問させていただきます。

 gメールでは、自動転送が可能だそうですが〜、昨日鯖さんにメールを送りました。

 >☆管理人「鯖」のメールアドレスは、「4649server」@マーク、ドメインはgmailドットコムです。

 これは、現在使用されておられますか?(^^;
 まさかとは思うのですが、自動で、どこか他に転送されているということは、ありませんか(^^;
 確認です。

135:2012/02/20(月) 17:02:06
>>134
メール受け取りましたよ〜!
今、ちょっと多忙なのであとで落ち着いて返事かきますね。

1368341ライオン:2012/02/20(月) 18:27:57
>>68
ご教示、ありがとうございます。
昔、初座が終わると諸天善神が後ろに来て、一緒に勤行するということを聞いた覚えがあります。きっと、それを表しているんでしょうか。何となくおそれおおい感じがします。
お返事が遅くなりましたが、本日退院したばかりなので、ご免なさい。

1378341ライオン:2012/02/20(月) 18:58:49
>>69
すみません。これを読まずに>>136で変なことを言ってしまいました。凄い意味があったのですね。
病気を契機に、改めてご本尊を拝してみて考えもせず、質問してしまいました。
勤行の姿勢を改めて反省します。

138テンコ♪(音符省略可w):2012/02/20(月) 20:05:24
>>135

>メール受け取りましたよ〜!

 了解しました!そうと分かれば問題ないです。
 (たまたま、「登録完了」というヘンな所からメールが来ましてw パニクりました、それだけです、スイマセン)

139赤ポス:2012/06/13(水) 00:56:18
台湾SGI 凄い歴史刻んでますんね(超凄)

台湾SGI 理事長の
「林」という字と
「金偏に縦棒二本」という字で

なんと読めばいいんでしょうか?
お名前の読み方わかりません
m(__)m

140追記人:2012/06/13(水) 06:32:02
ひさびさです。こんにちは or こんばんは

>>139 件ですが、英語表記では Lin Zhao とナッテます。

リン ズァオ、と読むんじゃあないかなあとおもいましたが、知り合いの中国人に北京語で発音してみろとためしにやらせてみたら、
リン ツァオのように聞こえました。 ちなみに広東語ではどうなるんだ?ときいたら、リン ジウってきこえたような気がしました。
自分の耳に絶対の自信があるわけでもないですが、ご参考まで。

141赤ポス:2012/06/13(水) 22:52:17
>>140
追記人さん
わざわざ調べて頂いてありがとうございます。m(__)m(感謝)
そして発音して頂いた知り合いの中国人の方ありがとうございます。m(__)m(謝謝)

>Lin Zhao
>リン ズァオ
>リン ツァオ
>リン ジウ

凄いイッパイあってややこしいですね(笑)^^;
先日台湾SGI の50周年記念の大会の記事を聖教新聞で目にして、凄いなぁと思いながら読んでましてんけど、ほかの色々な読みにくい漢字にはほとんど ふりがな表記のルビふってくれてますねんけど、ことごとく理事長さんの名前のところだけ ふりがな表記なし でしたので、「なんでかなぁ」 とか、「こんな字読める人日本人でいてるのかなぁ(笑)」とか思ってました^^;
持ち合わせの国語辞典で調べたら載ってませんでした。聖教新聞社に電話してみたら、時間外なので記事のお問い合わせはこちらまで という番号教えて頂きましたが、そちらにかけたらベルだけなり続ける状態で、どなたも電話に出られませんでした。…

追記人さんありがとうございます。^^
これから台湾の理事長さんの名前の表記読むときは、
「えーと、リン…ズァオ…ツァオ…ジウ…さんて方がハーモニカの文化運動を足掛かりにして信頼復興うんぬんされた」と読ませて頂きます。^^/

台湾SGI 50周年 万歳
\(^o^)/
追記人さんありがとうございました(謝謝)

142虎キチ:2012/06/18(月) 22:20:27
>>141
政府から組織の解散を命ぜられて27年間 無組織
ならば文化活動を通して人間主義の精神を次代に伝えていこう、とハーモニカ隊を結成した当時の台北の支部長の朱さん

「ところで、今、支部長の朱さんは何歳なのかい」
「確か、間もなく四十歳になると思います」
「そうか。勝負は七十代、八十代だよ。こんなことが何十年も続くわけがない。
(中略)この試練に打ち勝てば、台湾の創価学会は大発展するぞ。
二十一世紀にはきっと“黄金の時代”になる」(新・人間革命第7巻「操舵」の章)

朱さんは台湾SGIの名誉理事長として御健在で黄金の50周年を迎えた

143赤ポス:2012/06/18(月) 23:50:45
>>142
朱さんリンさん麗しいですね。∵

144千都:2012/06/22(金) 01:43:04
6月21日の「寸鉄」欄に
>震災後、科学者への信頼下落-白書。教訓生かせ。「人間の為」の視座忘れず
とありました。
「人間の為」の科学 というのは、何回か聞いたことのある言葉なのですが、
具体的にはどういう意味なのかよくわかりません。というか考えてみてもなんだかわかりません
なにか参考となる資料がありましたらご教示ください。
また、『「人間の為」の科学』について
私はこう思う!というような事があれば書き込みをお願いします

145:2012/06/22(金) 06:07:29
本来、科学の発展は人間の生活向上に寄与するものでしょうが、科学技術が戦争に使われたり、、必ずしも科学の発展イコール幸福とはいえない面があるかと。
もちろん、科学者だけが悪いのではなく、為政者、また民衆自身の賢さにもかかっているのだと思います。

たとえば、原発事故にしても、もし政治家・科学者・関連企業が真に「エゴ」ではなく「人間の為」という視点で行動してきたなら、安全対策をもっと厳重にするとか、ああいう場所には作らないとか、対策がなされていたかと。

146赤ポス:2012/06/22(金) 07:16:59
>>144-145
千都さん
参考資料は
人間革命第7巻『原点』の章のなかで戸田先生が法華経講義最中に『生命哲学』について語られてる場面と、同じ章の青年部第1回総会の最後に『学会の根本の問題』と前置きされ、やっぱり『生命哲学』について語られてる場面のなかでも『科学』について触れられているところがあります。
鯖さんは要点を汲み取られて話されてるので凄いなぁと思いました。

人間を幸福にするにはどうしたらよいかということを探究するときに、イッパイ何々学って誕生してきたんやと思います。
幸福の出所はやっぱり人間の中にあるんだと思います。^^

147千都:2012/06/23(土) 20:02:20
「今の学者で、科学ですべてが解決すると思っている人には、さっぱり仏法がわからないのです。困ったものです。日本の国は、徳川幕府崩壊いらい約八十年、科学にかけては非常に遅れていたために、もう一生懸命に科学、科学で進んできたのです。世界全体もそうですが、それで科学万能ということになって、この大事な東洋の哲学、われわれの生命哲学を忘れてしまった。
(略A)」
「われわれの幸福というものは、ほんとうの生命の哲学がはっきりしてこそ、はじめて得られるのです。その哲学の実践的な略図が御本尊である。ゆえに、御本尊と境智冥合するときに、ほんとうの幸福境涯が涌現するのであります。それを忘れて、ただ科学だ、学問だなんて言っているのは『一切声聞。辟支仏。所不能知』にあたるわけです。結局、これらの人は、科学や学問を本尊としているわけです。だから、いつもなにかしら不幸を感じていることになる。(略B)」(聖教文庫版ではp.102-104)
「科学と真の宗教は、けっして相反するものではない。人間を幸福にするにはどうしたらよいかーーそれを探求した生命哲学の最高峰の大定理が、ここにあるのです。(略C)
 根本の哲学は生命哲学です。私たちは、これらより一歩上の大哲学によって、世界を指導するのです。われわれの哲学は、共産主義や資本主義と相並ぶ同格の哲学ではありません。これら一切の科学を指導する、最高にして、しかも未来の哲学であります。したがって諸君は、すでにして世界の指導者なのであります。(後略)」(聖教文庫版ではp.128)

ですね、ありがとうございます。ちなみに略した部分は
略A : 科学の発展は幸福をもたらすというが、もたらしているのは利便にすぎない
略B : 二乗は信心のすばらしさをなかなか理解しない
略C : その本源の集約こそ御本尊である。御本尊によらずして幸福は無い。/イデオロギーは人を政治経済の次元から幸福にしようとするが、部分観にしかすぎない
と読みました。例によって荒い引用ですので、みなさんなるべく原文にあたってください。

疑問が解消したかというとそうでもないので、またあとで。

148千都:2012/06/23(土) 20:40:25
すみません。誤植が4箇所ありました。本文のみ掲載しなおします。

「今の学者で、科学ですべてが解決すると思っている人には、さっぱり仏法がわからないのです。困ったものです。日本の国は、徳川幕府崩壊いらい約八十年、科学にかけては非常に遅れていたために、もう一所懸命に科学、科学で進んできたのです。世界全体もそうですが、それで科学万能ということになって、この大事な東洋の哲学、われわれの生命哲学を忘れてしまった。
(略A)」(聖教文庫版ではp.102)

「われわれの幸福というものは、ほんとうの生命の哲学がはっきりしてこそ、はじめて得られるのです。その哲学の実践的な縮図が御本尊である。ゆえに、御本尊と境智冥合するときに、ほんとうの幸福境涯が涌現するのであります。それを忘れて、ただ科学だ、学問だなんて言っているのは『一切声聞。辟支仏。所不能知』にあたるわけです。結局、これらの人は、科学や学問を本尊としているわけです。だから、いつもなにかしら不幸を感じていることになる。(略B)」(聖教文庫版ではp.104)

「科学と真の宗教は、けっして相反するものではない。人間を幸福にするには、どうしたらよいかーーそれを探求した生命哲学の最高峰の大定理が、ここにあるのです。(略C)
 根本の哲学は生命哲学です。私たちは、これらより一歩上の大哲学によって、世界を指導するのです。われわれの哲学は、共産主義や資本主義と相並ぶ同格の哲学ではありません。これら世界の一切の科学を指導する、最高にして、しかも未来の哲学であります。したがって諸君は、すでにして世界的指導者なのであります。(後略)」(聖教文庫版ではp.128)

 あと、ルビは省略しました。
また、略Cの中に”」”、地の文2行、”「”を含みます。つまり1つの台詞に見えますが実際は2つの台詞です。

149:2012/06/24(日) 01:08:29
>>147
科学がもたらしているのは「利便にすぎない」。
との言葉で、幸不幸は「心」で感じる分野ですから、「科学」や「政治」の面からのアプローチは、必要条件ではあっても十分条件ではない、という図式が思い浮かびました(笑)

150赤ポス:2012/06/24(日) 07:20:33
現今、地球が住劫の時代なので色々なアプローチで励まし合ったり団結しあったりの余地がありますけど、一個の地球も一個の太陽も一個の月もそれぞれの星々一個一個も皆 寿命があるので、地球の壊劫の時代になったらもっと切羽詰まった(笑)問題になってきますね(笑)^^
やっぱり地球の住劫の時代の今のうちに三世の生命観、無始無終の仏法で説かれる生命観を実感して、不滅の境涯に感謝して、今ある事柄に当たっていきたいです。^^

151赤ポス:2012/06/24(日) 07:44:54
>>147
話しずれ込んですいません。m(__)m

千都さんの
>疑問 解消 そうでもない またあとで

というのがメッチャ気になりますので進行続けてください。m(__)m^^∵
すいません∵




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