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疑問を解消したいスレッド

192千都:2012/12/07(金) 22:39:45
 秋雨の日は、早くも暮れてきた。伸一は雨にうたれながら、武蔵野の雑木林のなかを抜け、駅へと急いだ。昼から降りだした雨は、あちこちに水溜(みずた)まりをつくっている。伸一は黄昏(たそがれ)の路上で、しばしば水溜まりに足を踏みこんでしまった。駅のプラットホームにたどり着いた時には、ぐっしょり濡(ぬ)れてしまった靴(くつ)のなかの不快さに、思わず舌打ちした。二か月ほどまえに買った中古品の靴は、もう水が滲(にじ)みだしてしまったのである。至急、修繕しなければならぬ、と思ったりした。
 山本伸一が銀座にでた時には、すっかり夜になっていた。雨の銀座は人通りもまばらであった。彼は、下請(したう)けの製版屋に立ち寄り、ある画家の凸版を二枚受け取ると、そのまま新橋のほうへ歩きだした。靴のなかの不快さは耐えがたかった。彼は、ぶるっと身震(みぶる)いした。また微熱が出てきたらしい。橋のたもとまで来た時、右手の川面(かわも)がひどく明るく光っていた。映画館の電飾が、水面に光を落としていたのだった。
 彼は、川岸の映画館に、吸いこまれるようにはいった。暗い座席に腰を下ろすと、彼はスクリーンを見るより、まず靴をぬいだ。靴下をとって、それを絞(しぼ)ると、饐(す)えた臭いが、鼻をついた。
 スクリーンには、アメリカの若い青年男女が踊っている。そこへ、ヨーロッパの戦場から帰った男が出てきた。この男は、戦傷のために記憶喪失症になっている。彼は、昔の恋人に会っても、それが解らない。病室が出た。……山本伸一は、うとうとと眠ってしまったらしい。目が覚めた時、映画の筋は解らなくなっていた。
 館内には、すでに空席が多くなっている。伸一は、ふと今夜の座談会を欠席してしまった事を思いうかべた。水の滲(し)みこむ靴が悪いのだ、と自己弁護したものの、それはまた自己嫌悪(けんお)でもあった。朝のショックが、また甦(よみがえ)ったのであろう。こういう日こそ、座談会で闘うべきなのだと、痛切にわが心を責めたりした。
 伸一は、座談会を忘れていたのではなかった。朝からの激動に、いささか疲れたわが心を、ひとり静かに慰めたかったのである。その時、目の前に映画館があったのだ。

『人間革命』4巻「波紋」の章より。聖教文庫版ではp.165〜166ページ




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