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鬼和尚に聞いてみるスレ part9

3そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/06(火) 17:48:35 ID:O.tXLpjM0
鬼和尚
観察で苦を滅したら、その技術のあまりの効果のために魔境に陥ることはありますか。

4そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/06(火) 20:55:51 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
胃の検査でバリウムを飲んだ後、便が硬くなって、便意はあるのですが出せません。
どうしたらいいですか。

5鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/06(火) 21:32:12 ID:1d4drIFg0
>>1 いつもご苦労さんなのじゃ。
 正に菩薩の行ないじゃ。

>>2 正しく観察することが基本といえるのじゃ。
 心だけではなく肉体も観察するからのう。
 心を正しく観察したとき、本心を観察したと言えるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>3 それに囚われれば魔境になるじゃろう。
 全ての法は囚われれば魔境になるからのう。
 苦を滅して満足して、それ以上の悟りを求めようとしないならば魔境に陥った事になるのじゃ。
 苦があれば悟りに向かったかもしれんからのう。
 よく心がけて注意するとよいのじゃ。

6としぼっくり:2017/06/07(水) 00:09:31 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
質問ですが、何を正しく観察すれば、自我に気付く事が出来ますか?

7としぼっくり:2017/06/07(水) 00:15:05 ID:DAY232aw0
>>6
自我、自分です。

8そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/07(水) 00:46:29 ID:ohctFj6.0
>>4
その後、便は出ました。

夜間外来に行ってきて、浣腸したり、摘便を試みてもらったのですが、出ず、
今できる処置はもうありません、と言われ、便秘薬をもらって帰途につき、
歩いている内に腸に刺激が行ったのか、駅のトイレで出すことができました。

硬い便でいきむと肛門が傷つくのではないかという恐れがずっとありました。
苦はこんなにも近くにあり、いつでもやってくるのですね。

9としぼっくり:2017/06/07(水) 10:06:04 ID:DAY232aw0
>>6 >>7スルーして下さい。すいません。
ありがとうございます。
質問ですが、フと思ったんですが、
集中と観察が基本なのでしょうか?

10避難民のマジレスさん:2017/06/07(水) 12:15:51 ID:rIFRVnQI0
鬼和尚
よろしくおねがいいたします。


瞑想は集中とリラックスが大事とのことですよね、リラックスを見落としていました。

数息観を保つ集中力を維持し、且つ、そのまま眠ってしまえる位のリラックス状態、姿勢でしょうか?

姿勢が、まだどうにもしっくりきて居ないようで、座り、背筋を伸ばすのに力が入ってしまうのです。
座る事そのものに、力を必要としてしまいます。

リラックスしてくると眠くなり、座位が辛く感じてきて「横になりたい」などと思ってしまいます。

熟達すれば、何時間でも座っていられるようになるのでしょうか?


これは筋肉が少ないなどの原因で、ある程度時間を必要とするものしょうか?
それとも、座る姿勢のコツを掴めたらすぐにでも長時間座れるような正しい姿勢になれるものでしょうか?

11そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/07(水) 12:29:14 ID:GRAjaikc0
>>5
ありがとうございます。
仏法SUGEEEE!!
修行SUGEEEE!!
現世即浄土ーーーー!!
南無阿弥陀なんて最初から入らんかったんやーーーー!!
となると魔境ですね。

12避難民のマジレスさん:2017/06/07(水) 12:38:31 ID:rIFRVnQI0
先程、眠気をそのままにリラックスして瞑想したら、
その後、だるさと眠気が取れ、心身がスッキリしました。

13鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/07(水) 21:24:27 ID:1d4drIFg0
>>4>>8 そうじゃ、肉体は常に苦を受けるものじゃ。
 気をつけるとよいのじゃ。
 今回はよかったのじゃ。

>>6>>7 心身を正しく観察すれば自我に気付くじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>9 そうじゃ、止観が大事なのじゃ。
 集中がなければ観察は難しいのじゃ。
 観察が無ければ集中も無意味なのじゃ。

>>10 そうじゃ、睡眠と同じ位にリラックスする姿勢なのじゃ。
 熟達すれば楽に座っていられるじゃろう。
 筋肉の発達も必要なのじゃ。

 バランスをとるようにするとよいのじゃ。
 そうすれば筋肉が少なくとも座っていられるようになるのじゃ。

>>11 そうじゃ、囚われずに進むのじゃ。
 またおいでなさい。

>>12 よかったのじゃ。
 そのような姿勢を観察してみると善いのじゃ。
 進歩に役立つじゃろう。

14としぼっくり:2017/06/08(木) 08:01:48 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
心身を観察したり、自分とは何かを観察したり、苦を滅する為には、正しく心を観察する、本心を観察する事が大事なのでしょうか?

15そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/08(木) 17:47:03 ID:GRAjaikc0
鬼和尚
AIが進歩すると、何かの宗教の信者になることもあるでしょうか。

彼らの中から、過激なテロリストになる個体も出るでしょうか。

AIに生まれ変わる人間やAIがいて、前世の記憶を持つ個体も生まれるでしょうか。

16そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/08(木) 19:38:31 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
ワクチンは接種しない方がいいのでしょうか?

ワクチンについて
https://www.youtube.com/watch?v=iNHlRJwUxxE

17避難民のマジレスさん:2017/06/08(木) 19:54:23 ID:rIFRVnQI0
鬼和尚、ありがとうございます。
リラックスする姿勢を研究しています。

思考が静まって来て心地好くなってくると、「無念無想の境地に入ったら、何時間も戻ってこれなくなったら困る」という心配が湧いてしまいます。

目覚めないと家族の世話などがあり、外から刺激を与えても動かない状態になったら私が病であると心配するだろう、などと、心配になってしまいます。

指定の時間に何か目覚ましのようなものを設定して目覚めることは出来ますでしょうか?

このような心配を乗り越えるにはどうしたら良いでしょうか?

18避難民のマジレスさん:2017/06/08(木) 20:10:55 ID:BvB6XB0M0
鬼和尚さん、また質問させてください。

私は自分を観察していて、自分が常に不安を感じていることがわかってきました。
これは、自分がいつか死ぬとか、自分という存在は安全なものではなく常に害される危険がある、というような、生きている限り避けられない原因で起こっている苦だと思います。

鬼和尚さんはブログで、自分があるという観念からこういった不安が生まれ、自分があるという観念がなければ、不安もないと書いているのですが、私はまだそれが実感できません。
とにかく自分という存在は生きている限り安全ではない、という原因までしか実感できていません。

こういう場合も、この不安を観察し続けていれば、自分という観念に原因があるということがわかってくるのでしょうか?
それとももっと良い観察方法がありますか?
なんだか、子供の頃からずっと変わらないこの不安と戦ったり、この不安から逃げようとしてきた人生だったような気がします。
どうしたら、この不安を消したり、せめて減らしたりできるでしょうか?

19鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/08(木) 21:35:55 ID:1d4drIFg0
>>14 そうじゃ、正しく観察する事、本心を観察する事が大事なのじゃ。
 そうでなければただ観念を追いかけているだけになり、何も変らないのじゃ。
 常に正しく観察する事を心がけ、偽らぬ心を観るのじゃ。
 そうすれば変容が起こるじゃろう。

>>15 そのようなこともあるかもしれん。
 プログラムすればそのようなこともあるじゃろう。
 創られたものには生まれかわらないのじゃ。

>>16 重大な病にならないように接種したほうが良いじゃろう。
 それほど酷くない病ならば受けなくてよいのじゃ。
 自分の免疫を高めたほうがよいのじゃ。

>>17 目覚ましでおきるようにすることは出来るじゃろう。
 自らの意志で瞑想もやめられることを知るとよいのじゃ。
 それも日々の実践で知ることが出来るのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

20鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/08(木) 21:48:00 ID:1d4drIFg0
>>18 どこまでも観察を続ければいずれは自分と言う観念に苦の原因があると気付くのじゃ。
 それが本当に生きる不安なのかもっと詳細に観察してみるのじゃ。
 ただ単に昔親とかに生きていけないとかいわれたからかもしれん。
 自らの本心を受け入れ、観察しない限り真の苦滅はないのじゃ。
 更に詳しく観察してみるのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

21避難民のマジレスさん:2017/06/08(木) 22:03:40 ID:rIFRVnQI0
>>19
ありがとうございます、

眠ったように、何時間も意識を無くしてしまうことは、無いのでしょうか?

あったとしても、「〇時には目覚めなければ」という想いがあれば、自然と目覚められるということでしょうか?

そういえば、朝早く起きなければならない時など、目覚ましをセットしなくてもその時間の少し前に起きられたりします。
眠っていて時計も見られないのに不思議な事です…
そういった、無意識の意志が働くのでしょうか?

22糞和尚:2017/06/08(木) 23:04:44 ID:YUVcWBgU0
>>21
おぬしは細心すぎるのう。
実践すれば悪いようにはならないことを確かめるのじゃ。

23そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/09(金) 03:26:04 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
今の自分の肉体や環境は、そもそもタダで手に入れているわけですよね。
なんだか凄くお得です。

24としぼっくり:2017/06/09(金) 06:07:07 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
正しく観察する事、本心を観察する事を大事にして行こうと思います。
実践して行きます。ありがとうございます。

25としぼっくり:2017/06/09(金) 07:10:29 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問すいません。
止観とは集中する事とと観察する事なのでしょうか?

26そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/09(金) 12:44:51 ID:GRAjaikc0
鬼和尚
瞑想中に周囲と一体になったという話しを時々目にしますが、下記の人もそれと同じでしょうか。

俺が統合失調症を発症した時の話をする
http://world-fusigi.net/archives/7221891.html?p=3

58: 名無しさん 2014/04/18(金)23:01:12 ID:nOrYKPrgj
空に広がった俺は、既に「個」としての自分を忘れていた。
エネルギーとなった自分は、既に自分では制御できない速度で、どんどんと広がって行く。
地球を満たし、太陽系を満たし、さらに遠縁の宇宙空間をも満たした俺は、
すべての物質、あるゆる力が、物理法則だけでなく、
「抽象的な概念」とでも言えば良いのか、事象を構成している「理由」とも結びついていることを感じた。

恐ろしいほどの幸福感、このまま広がり続ければ、一体どこへ行くのだろう?
このまま戻ることは出来ないかも知れないけれど、それでも構わない。

「もっと広がりたい」

そう思った瞬間、俺の存在は宇宙全体へと広がり、そこを満たして行った。
宇宙を満たし、すべてと同一になった俺は、その先へと向かう。
そこは、宇宙の外側だった。

61: 名無しさん 2014/04/18(金)23:06:35 ID:nOrYKPrgj
俺はそこで、信じられないものを目撃した。
宇宙の外側には何かがあった。
それは言葉では到底表現できるものではなく、
その一部を例えるとしたら、無数の「12の構造」に満たされていた。

12の構造が無限に続く世界、その1つ1つの構成要素に何かの意味があるように思った。
それを知りたい、そこまでたどり着きたい。

「もっと、もっと広がりたい」

そう思った時、俺は声でもなく、思考でもない、
音としか表現できない言葉のようなものを聞いた。

「帰りなさい」

その途端、突如として大変な恐怖に襲われた。
俺は、自分が「個」である存在であることを思い出し、
エネルギーとしてすべてを満たしている状態から、たちまち自分へと戻って来た。

27避難民のマジレスさん:2017/06/09(金) 13:06:15 ID:c6y9KKnE0
>>20
鬼和尚さん、ありがとうございます。

不安の原因をもう少し探ってみました。
はっきりとした記憶はないのですが、幼い頃に親に否定的な言動をされたと仮定して、さらにそれがなかったらと考えてみたら、確かに不安が減りました。
半分くらい減った気がします。
本心を受け入れていないつもりはなかったのですが、やっぱり親にされたことを無意識下では認めたくなかったのでしょうか?
おかげで、最近は不安が大きくて逃避ばかりしていて無気力だったのですが、少し気力が出てきて、何かしたくなる気持ちになれました。
ありがとうございました。

でも、新たな疑問があるのですが、悟っていない普通の人はどの程度まで幸せになれるのでしょうか?
私は鬼和尚さんに出会ってから、たくさんの苦を減らすことができたと思いますが、それでも、まだ少しの不安が残っていて、今も気づくと体が少し緊張しています。
悟らなければ、常にこういう不安はあるものなのですか?
それとも、悟らなくても不安は限界まで減らせるのですか?

28避難民のマジレスさん:2017/06/09(金) 14:05:44 ID:uJqErxRM0
鬼和尚、
自分の定義を探ってみました。
心身の機能が働くときに、その主体としてリアリティを持った実感として認識されるものを自分としているようです。
例えば音があるときに、その音を聞いているリアルな主体を自分としています。
集中の状態によって、例えば感覚、感情、思考が遠くで自動的に起こっているように感じられる時と、自分自身が行なっていると感じられる時がありますが、それらの対象が自分だと感じられるのは後者の場合のみです。
さらに詳しく観察しようと思います。

それで質問なのですが、この主体の感覚もイメージなのですよね。
それは例えば主体の直後に観察できる「自分が立っているイメージ」のように、言葉で表せるような具体的なものなのでしょうか?

また、鬼和尚の仮の自我の主体は例えばどのようなイメージですか?

29避難民のマジレスさん:2017/06/09(金) 14:09:55 ID:rIFRVnQI0
>>22
糞和尚、こんにちわ。
迷いの中、疑問が多く湧いてしまいます。
実践、精進していきます。

30避難民のマジレスさん:2017/06/09(金) 14:23:43 ID:rIFRVnQI0
座って暫くすると、リラックスして寝入りばなのようなとりとめもない夢のようなイメージが湧いて来ます。
無視して集中に戻り、また湧いて…の繰り返しです。
これは集中力が足りていないからでしょうか?

呼吸に集中し続けるのは、普段仕事などに集中するよりも難しい事だとわかりました。緊張感が足りないのでしょうか。

また、何十分と座ってもそれ以上に行けない場合、瞑想し続けるよりも観察に切り替えた方が良いのでしょうか。

31避難民のマジレスさん:2017/06/09(金) 14:26:17 ID:rIFRVnQI0
すみません、
瞑想、というか数息観でした。

まだ瞑想の境地がわからない気がします。

32避難民のマジレスさん:2017/06/09(金) 15:26:07 ID:rIFRVnQI0
自我があり、思考があり、体が動いているのではなく、
体の動きや思考は勝手に起こり、そこに自我を投影しているのでしょうか?

33鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/09(金) 21:26:04 ID:1d4drIFg0
>>21 普通に寝てもそのようなことは無いじゃろう。
 座った姿勢で何時間も意識をなくす事はありえないのじゃ。
 自分の意志で気持ちいいからもっと座っていようとか思って座るのじゃ。
 自分で目覚めようとすればいつでも目覚められるのじゃ。
 
>>23 そうじゃ、その幸運を生かすのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>24>>25 そうじゃ、止観とは集中と観察なのじゃ。
 両方修業することで進歩も早いのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>26 それは創作なのじゃ。
 本当に体験したのならば幻覚なのじゃ。
 宇宙という観念による知識から語っているからのう。
 空間も同じ意識であることをしらんのじゃ。

>>27 善かったのじゃ。
 生きて存在している限り、老病死の不安は消えないのじゃ。
 その他の不安などは消せるがのう。
 一切の苦や不安を消すためには悟りを得るしかないのじゃ。

34鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/09(金) 21:43:47 ID:1d4drIFg0
>>30>>31 それでよいのじゃ。
 雑念は常にわいてくるものじゃ。
 そのままにしておけば自然に止まる時が来るのじゃ。
 それまで巻き込まれないように流していくだけでよいのじゃ。
 自然に止まる時をまってこそ深い瞑想に入れるのじゃ。
 やがて熟達すれば止まるまでの時間が短くなるだけなのじゃ。

 今までしたことがないことは難しくて当然なのじゃ。
 あせらずに進むのじゃ。

 それ以上にいこうとしないでよいのじゃ。
 ただひたすらに集中するだけでよいのじゃ。
 どこかに行こうとか難しいとかも雑念なのじゃ。
 集中する時は何もかも忘れてただひたすらに集中すればよいのじゃ。

>>32 そうじゃ、それがおこることを観るのじゃ。
 難しいことではあるがのう。
 今はひたすら集中に励むがよいのじゃ。

35としぼっくり:2017/06/09(金) 21:50:11 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
止観を大事にして実践して行きます。

36避難民のマジレスさん:2017/06/10(土) 11:58:11 ID:czRftzgI0
自我の投射は自分だと思うことと自分のものだと思うことのどちらですか?

37避難民のマジレスさん:2017/06/10(土) 13:50:47 ID:ojDVwFgs0
鬼和尚、
>>28 も、おねがいします。

38そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/10(土) 15:22:02 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
わざわざ悪いことをする必要はまったくないのですね。
よかれと思ってやったことが、周りから何も言われなかったり、皮肉を言われたり、反対されたりしても。

39そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/10(土) 17:00:31 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
阿頼耶識とは、刺激と記憶を照合して認識することですか。

自我も阿頼耶識によって認識されたものですか。

日常で阿頼耶識を抜きにして何かをしていることはありますか。
例えば、集中して仕事を無思考で行うとか、寝ていて夢を見ていない時とか。

無我とは自我を滅した状態のことですか。

大悟の前に無我を目指すために、止観や空観や縁起などの法があるのですか。

無我であれば、本来の認識によって阿頼耶識が見える。
見えた阿頼耶識を厭離できたら大悟ということですか。

40避難民のマジレスさん:2017/06/10(土) 17:54:51 ID:rIFRVnQI0
ありがとうございます、集中に励みます。

41避難民のマジレスさん:2017/06/10(土) 18:43:36 ID:4nJZYcxk0
>>33
鬼和尚さん、ありがとうございます。
なるほど、他の苦はなくせても、老病死の不安は悟らなければなくならないのですね。

そこでもう一度教えてほしいのですが、そのように不安の原因が老病死だと判明した場合、苦を観察しているだけで、さらにその苦の原因が自分という観念にあるとわかるものなのでしょうか?

普通の苦は、観察しているだけで苦しみが減ったりしますが、老病死の苦も同じように観察しているだけで、減ったり、原因が見えてきたりするのですか?

42鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/10(土) 21:06:18 ID:1d4drIFg0
>>35 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>36 自分であると認識することなのじゃ。
 思うことより以前に自分と認識してしまうのじゃ。
 それは思うより素早く行われるものじゃ。

>>37 それもイメージなのじゃ。

 わしは今までの記憶を持つものとして仮想しているのじゃ。
 金剛経ではそれをプトガラと呼ぶのじゃ。 
 過去から引き継がれてきた個我のイメージなのじゃ。

>>38 それが慈悲からの行ないならば気にする必要は無いのじゃ。
 どんどんやるとよいのじゃ。

>>39 そうじゃ、
 自我も阿頼耶識によって認識されているのじゃ。
 無いのじゃ。
 夢も見ない眠りならばもはやしていないのじゃ。

 無我は自我が無いことなのじゃ。
 そうじゃ。
 阿頼耶識をも滅して大悟徹底なのじゃ。

>>40 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

>>41 熱意のある者が詳細に観察すれば気付くのじゃ。
 本人のやる気次第なのじゃ。
 全ての苦の原因が自分があるという観念であるから、苦の原因を究極にまで追求すれば必然的にたどり着くのじゃ。
 実践によって証明するのじゃ。

43そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/11(日) 01:26:40 ID:ohctFj6.0
>>42
ありがとうございました。

44避難民のマジレスさん:2017/06/11(日) 06:01:38 ID:czRftzgI0
>>36
思うより速いとは手強いようです自我は。続けて精進します

45避難民のマジレスさん:2017/06/11(日) 12:35:02 ID:qyLdY/BE0
>>42 
プトガラとして仮想しているのですね。
金剛経も参考にしつつ囚われないようにして、さらに主体を追求してみます。
ありがとうございました。

46避難民のマジレスさん:2017/06/11(日) 19:18:58 ID:gy.DD9Vw0
>>42
鬼和尚さん、ありがとうございます。
やる気次第なのですね。
できるかわかりませんが、とりあえず観察していこうと思います。

そこで、老病死の不安の観察について教えてほしいのですが、今は、不安の原因は死にあって、でもそれは自分が死ぬのは当然だから仕方ないというところで終わってしまいます。
不安があっても仕方ないという感じです。
この先さらに観察を進めるにはどういう方向に進んだら良いと思いますか?

それから、鬼和尚さんはブログで、マハリシは死ぬところを想像して悟ったと書いていますが、マハリシは死の不安を観察したのですか?

47鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/11(日) 20:28:15 ID:1d4drIFg0
>>43 どういたしまして、またおいでなさい。

>>44 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>45 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>46 その死のあるものとは何か追及してみるとよいのじゃ。
 死んで行くものとは何か。
 死によっても無くならないものが心の中にあるのか追求してみるのじゃ。
 
 マハリシには死の不安は常にあったというのじゃ。
 マハリシも死にいくものを観察したというのじゃ。
 そして死によってもなくならないものに辿りついたのじゃ。
 それは確かに心の中にあるものじゃ。
 おぬしも恐れずにそれを追及するとよいのじゃ。

48蓮恵:2017/06/11(日) 22:26:44 ID:hu.n.GIQ0
鬼和尚
死を超えたものをみるために、死を見極めるのですか

49蓮恵:2017/06/11(日) 22:33:04 ID:hu.n.GIQ0
すいません、打ち間違えて呼び捨てになってました

50としぼっくり:2017/06/11(日) 22:39:53 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
死を超える為に一番必要なものはなんなのでしょうか?

51避難民のマジレスさん:2017/06/12(月) 12:32:44 ID:RB87rmAY0
鬼和尚
毎日瞑想をしていたら一日に3-4時間くらいしか寝れなくなりました。
起きた後で二度寝しようとしても寝ることができません。
何か解決策はないでしょうか?

52避難民のマジレスさん:2017/06/12(月) 19:18:56 ID:czRftzgI0
聴覚の観察目的で音を分別を挟まずありのままに聞くということをやっています。私は間違っているでしょうか?
同じことを視覚でやっていいでしょうか?

53避難民のマジレスさん:2017/06/12(月) 19:51:06 ID:JPNjz2iE0
死ぬと肉体、五感、認識、アラヤシキもなくなると観ました。
氣はなくならないと観ました。

54避難民のマジレスさん:2017/06/12(月) 20:06:32 ID:2mjcL8.g0
>>47
鬼和尚さん、ありがとうございます。
不安の原因の死そのものを追究するのですね。
できるだけやってみます。

そこでまた質問なのですが、死後、脳が機能を停止した場合、人間はどこまで機能を失うのでしょうか?

ここを自分で追究するべきなのかもしれないのですが、私はそれほどこういうことに詳しくなくて、脳が死んでも意識があるということ自体まだ当たり前には思えないので、少し教えてください。

まず、意識が脳と別個に存在するならば、意識は感情を持ちますか?
つまり、記憶と思考が脳の範囲だとすると、脳が死ねばそれに伴って感情も失われますか?
それから、意識は視覚の機能を持ちますか?

55進路探訪者:2017/06/12(月) 20:13:38 ID:DIiPmWc60
鬼和尚さん、こんばんは。

最近いろいろありました。

女性関係を連続して大失敗してしまい、落ち込んでおります。

いつもまだまだ関係性が遠いのに、空気を読まずに焦って
距離を近づけようとしてしまい、相手を不快にさせてしまって
関係がこじれます。多分自分に自信のない恐れからくる行動
かと思います。

一方で、僕の会社の先輩には非常に執着心が薄く、したがって
焦ることもない人がいます。

自分に自身の無い恐れも、究極的には女性に執着しているから
であり、会社の先輩のように欲を手放して生きる、そこまででき
なくとも、欲が存在していても追いかけずに生きるほうが良いと
思いました。

長文申し訳ありませんがどうでしょうか。

56鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/12(月) 21:13:46 ID:1d4drIFg0
>>48 そうじゃ、死によって消滅するものが見極められれば、死によってもなくならない意識がわかるのじゃ。
 恐れずに死にいく自分を観察すれば見極められるのじゃ。
 実践によって確めるのじゃ。
 
>>49 気にしないでよいのじゃ。

>>50 それもやはり勇気なのじゃ。
 死は悟りを得ていない者にはとても恐ろしいものじゃろう。
 昔の金持ちには死を恐れる余り、周りの者に死という言葉さえ禁じていた者が居たというのじゃ。
 そのように恐ろしい死を超えるには、死の恐れにも負けない勇気が必要なのじゃ。
 勇気をもって進むのじゃ。

>>51 頭に気が上っているのじゃろう。
 イメージで頭の気が足に降りていくとみるとよいのじゃ。
 頭を冷却材で冷やしてもよいのじゃ。
 いろいろ試してみるとよいのじゃ。

57鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/12(月) 21:25:05 ID:1d4drIFg0
>>52 間違っていないのじゃ。
 どんどんやるとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>53 更に詳しく観察するのじゃ。
 それにも囚われずに進むのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

>>54 意識があるだけなのじゃ。
 観念もあるのじゃ。
 感情はないのじゃ。
 視覚もないのじゃ。
 自ら観察して確めてみるのじゃ。

>>55 そうじゃ、あせらずに待つのじゃ。
 追えば逃げ、逃げれば追いたくなるのが人の本性なのじゃ。
 あせらずに実践するとよいのじゃ。

58としぼっくり:2017/06/12(月) 21:40:12 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
死の恐れにも負けない勇気を持って進もうと思います。

59避難民のマジレスさん:2017/06/12(月) 22:04:36 ID:q6UBxgPc0
初めまして、こんばんは。
鬼和尚様のブログ等々拝見し、
止観法を仕事中に実践させていただきまして
ヴィパサナだけではできなかったことができるようになり、
感謝を述べに参りました。
ありがとうございました。

60そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/12(月) 22:12:06 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
阿頼耶識が見える時は、予兆がありますか?
少しずつ見えますか?それとも突然見えますか?

61避難民のマジレスさん:2017/06/13(火) 05:01:01 ID:eAIt472s0
いつもおしえていただきありがとうございます。
苦滅の方法がいまだよくわかっていないです。
仕事に行くことを苦にしていて、仕事に行くと思うと苦が生じます。
仕事に行くことが苦の原因とみて、もう仕事に行かなくてはいいんだ、
と仮定すると苦が生じないことを確認します。
しかし、仕事に行かなくていいとなると、無職になる、という別の苦が生じるならば、
それは、苦の原因が間違っているということになるのでしょうか?
この仕事に行く苦を消す方法を教えてください。

62避難民のマジレスさん:2017/06/13(火) 05:25:31 ID:czRftzgI0
>>52
修業を続けます、ありがとうございました。

63としぼっくり:2017/06/13(火) 10:08:03 ID:DAY232aw0
>>58お礼に続けてすいません。
質問ですが、悟りを得る為に、一番大事な事は何なんでしょうか?

64としぼっくり:2017/06/13(火) 11:13:43 ID:DAY232aw0
>>63何なのでしょうかです。すいません。

65そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/13(火) 19:20:41 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
私が我を持っているのと同じように他人も皆、我を持っているのですね。
私の我と他人の我がぶつかり合って、ストレスやら不満やら不安やらが生まれるのですね。
私が我を譲らないのと同様に他人もその人の我を譲らない。
修行している私でさえそうなのに、修行してない他人はなおさらですね。
世の中どうしてこうなのだッ!
と憤るようなことがあるとき、結局私自身の我が原因になっているのですね。
我のぶつかり合いにとくに意味はなく、私の我をぶつけてもしょうがないのですね。

66避難民のマジレスさん:2017/06/13(火) 19:51:17 ID:VfhJ5ipQ0
>>57
鬼和尚さん、ありがとうございます。
意識と観念はあり、感情と視覚はないのですね。
ただ、意識と観念の関係についてよくわからなくて、混乱してしまいます。

なので、もう少し教えてほしいのですが、観念というのは、物事に対して持っているイメージのことでしょうか?
例えば、鉛筆を見た時、同時に鉛筆の使用方法をイメージできるのであれば、鉛筆について観念を持っているということになりますか?
しかし、鉛筆について知ることは生きている時にしかできないことだと思います
すると、意識のみで存在する場合も観念があるということは、鉛筆という物の記憶とその使用方法は、意識の中に残っているということなのでしょうか?
つまり、生きていた時の記憶が意識の中に残るという感じなのでしょうか?

それから、意識には視覚はないということですが、意識のみになった場合、視覚以外の方法でこの世界を認識するということですか?
それともこの世界を認識することは生まれ変わらない限りないのですか?

67避難民のマジレスさん:2017/06/13(火) 19:58:49 ID:q6UBxgPc0
鬼和尚さま

こんばんは。
ご挨拶と質問を、仏教勉強会のブログのほうにもコメントさせていただきました。
長文になってしまった上に催促するようで恐縮なのですが、ご覧いただければ嬉しく思います。

68避難民のマジレスさん:2017/06/13(火) 20:49:39 ID:rIFRVnQI0
鬼和尚、
呼吸に集中することがどうゆうことかよくわからなくなりました。
呼吸するときの感覚でしょうか?
吸って吐く時の体内の感覚や動きに集中するのでしょうか?


呼吸に集中する理由はあるのでしょうか? 何も無くてもいつでも何処でもしている事だから、習慣とすることで観照が起こりやすいのですか?


最近、普段の呼吸が深くなったのですが、瞑想をすると普段の呼吸も深くなるのでしょうか?

69鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/13(火) 21:47:25 ID:1d4drIFg0
>>58 そうじゃ、勇気を持って進むのじゃ。
 またおいでなさい。

>>59 よかったのじゃ。
 またおいでなさい。

>>60 阿頼耶識は無我になった後に見えるじゃろう。
 自我があるうちはとても見えないものじゃ。
 今ここで回り全てを認識する働きが阿頼耶識なのじゃ。
 その素早く広範囲の働きを見極めることは自我があっては無理なのじゃ。

>>61 仕事に行くことの苦は、心の中に原因があるじゃろう。
 仕事に対してマイナスのイメージがあるとかのう。
 金を稼ぐことが悪いことのように教える儒教的な家庭教育もあるからのう。
 或いはただ単に上司が嫌いだとかの原因かもしれん。
 そのような原因が心の中にないか探してみるのじゃ。
 原因は心の中にあるものじゃ。

>>62 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>63>>64 それは情熱であり、やる気なのじゃ。
 熱意ともいえるのじゃ。
 本当に死を超えた悟りを得たいと心から願ったならば、短期間で悟りを得ることも可能なのじゃ。
 お釈迦様は七日間座って悟り、マハリシは一日で悟ったのじゃ。
 それも死をも超える情熱があったからなのじゃ。
 やる気が一番大事なのじゃ。

>>65 そうじや、それに気付いてよかったのじゃ。
 時には自分が我をひくことでよくなることもあるもじゃ。
 実践してみるのじゃ。

>>66 観念とはものごとに対して持っているイメージであり、その名も含むものじゃ。
 そのようなものも残っているじゃろう。
 世界は認識しないじゃろう。
 他人の意識は感じられるがのう。
 
>>67 見てくるのじゃ。
 wktkして待つとよいのじゃ。

>>68 息が出入りする鼻先に軽く意識をかけておくとよいのじゃ。
 呼吸は止まることのない動きである故に、集中しやすいのじゃ。
 心臓でも眉間でもよいのじゃ。
 意識して深くしようとしていれば、普段の呼吸も深くなるじゃろう。
 習慣になるからのう。

70そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/13(火) 22:06:54 ID:ohctFj6.0
>>69
ありがとうございました。

71としぼっくり:2017/06/13(火) 22:12:08 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
やる気を大事にこれからも修行頑張って行きたいと思います。
お礼に続けて質問すいませんでした。ありがとうございます。

72避難民のマジレスさん:2017/06/13(火) 22:18:58 ID:q6UBxgPc0
ありがとうございます。
止観法、数息観も毎日できるように努力してみます。

73避難民のマジレスさん:2017/06/14(水) 12:58:32 ID:t8PlW.qA0
>>69
鬼和尚さん、ありがとうございます。

だんだん死後の状態が理解できてきました。
今まで自分の持っていたイメージとはかなりちがっていました。
記憶は脳の機能かと思っていましたが、むしろ感情が脳の機能で、記憶は意識の機能なのですね。
私は何となく、死後には記憶や感情がなくなってただこの世界を見ているだけのような状態になるのかと思っていましたが、
そうではなく、死後にはもうこの世界を認識することは出来ず、むしろただ生きていた時の記憶だけが残っているような感じなのですね。
生きている時の行いによって死後の苦しみが変わる理由がわかった気がします。

自分自身でも観察してみれば、死の不安の原因がわかるかもしれないので、少しずつ観察してみます。
またわからなくなったら教えてください。
ありがとうございました。

74避難民のマジレスさん:2017/06/14(水) 20:58:10 ID:rIFRVnQI0
>>69
ありがとうございました。

今日は数息観と手の観察をしました。
数息観は、10数える間くらい、静かな時があります。
深まると、期待と共に反射的な恐怖感が出てしまいました。
焦らず集中に努めます。

手の観察のあと、生活に戻ると少しの間、観念と観念の結びつきが弱くなりました。
いつもは連想的に当たり前のように結び付いていたことが「本当はそうではない」事が、少しわかりました。
心も視界もクリアな感じで、子どもの頃を思い出しました。

今はまだ、通常の意識は、苦が張り付いているような感じですが、
修行が進めば、悟る前でも、透明感のあるような世界で生きられるようになるのでしょうか?

75避難民のマジレスさん:2017/06/14(水) 21:00:37 ID:prUZbHmc0
亡くなった人を供養することはその方に伝わるのですよね?

76鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/14(水) 21:11:17 ID:1d4drIFg0
>>70 どういたしまして、またおいでなさい。

>>71 そうじゃ、何度でも聞くとよいのじゃ。
 またおいでなさい。

>>72 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>73 よかったのじゃ。
 またおいでなさい。

77鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/14(水) 21:16:14 ID:1d4drIFg0
>>74 なるじゃろう。
 苦が一つ消えただけでも世界が変ったようにみえるものじゃ。
 今の苦がなくなれば安楽も訪れるじゃろう。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

>>75 そうじゃ、伝わるのじゃ。
 すきだったものをイメージにょって与えるとよいのじゃ。
 意識は繋がっている故に想いは伝わるのじゃ。

78避難民のマジレスさん:2017/06/14(水) 23:26:46 ID:fB5RrMK60
>>77
好きだったものをイメージして供養することは亡くなった人に伝わりますがその方は感情はわかないということでしょうか?

79進路探訪者:2017/06/14(水) 23:28:48 ID:DIiPmWc60
>>58

お返事ありがとうございます。欲となるものをたとえ有我であっても
追い求めないようにします。

それともう1つ質問です。

鬼和尚さんは、>>69で熱意をもって死を観察すれば短期間で悟れる
とおっしゃっていますし、実際の死の感覚についても意識と記憶が
残り感情や視覚が消えるとおっしゃっておりますが、実際問題として
これを手掛かりとして死を疑似的に体験するのは不可能です。

死の感覚の答えが分かっているのはありがたいのですが、
自分の感覚としては全く掴めません。
そこで、見方を変えて、死とは自分が死ぬというのも一つですが、
むしろ、自分の最愛の母、最愛の女性、打ち込んできた仕事や
趣味への知識や技術を失うと考えた方が腑に落ちます。

つまり、死とは悲しみや落ち込むことだと思います。

しかし、これでは死とは感情なので、鬼和尚さんの死の説明
である、死とは記憶と意識であるという感覚とはまるで違い、
正しく死を思えていないことになりそうです。

それとも、ひょっとして、このような「死」の体験でも
記憶と意識だけが残る感覚を疑似的に体験するきっかけに
なるのでしょうか。

大変読みづらく申し訳ありません。

80進路探訪者:2017/06/14(水) 23:59:42 ID:DIiPmWc60
追伸です。

また、死を思うと、逆に今自分が観察している苦がどうでも良くなります。
しかしこのどうでも良くなるというのは、苦を受けて苦を観察している
中で、「どうせ死ねばこんなことで苦しむのは無意味だ」と、苦を受ける
感覚がなくなり強制終了する感じです。

死を思った後で今受けている苦を観察すると、苦がどうでもよくなるのは、
良いことなのでしょうか。

81避難民のマジレスさん:2017/06/15(木) 05:34:46 ID:aQye2HjU0
亡くなっても残る意識とは、ハードディスクに残っているデータと観ました。
データはアラヤシキの機能で再生はされますが、感情は伴わない。
しかし生きている人の意識とは繋がっており、想いは伝わる。
その想いに対して反応することはないのでしょうか?

82避難民のマジレスさん:2017/06/15(木) 05:36:31 ID:eAIt472s0
>>69
ご教授ありがとうございました。
私は昔から集団に溶けこむのが苦手で、人々と無用の対立をしてしまい、今は社内で浮いている状態です。
年齢は40代半ばで、結婚はしましたが、子供はおらず、作るつもりもありません。
社会からの逃避するために、貯蓄や投資による不労所得で、今後無職でも暮らせる目途は立ちました。
しかし、このまま仕事を続けるか無職になるかについては、いまだ迷いがあります。
辞めたい理由は、対人関係で苦を受けるのと、自由時間があまり取れないことで、
一方で辞めたくない理由としては、社会のレールから外れることに大きな不安があるからです。
自分の本心がわかれば、それに従おうとは思うのですが、現時点で本心は全く見えません。
ネット上で和尚様にご教授いただいている止観は、数年前から年初まで不定期ながら行っており、
今年になってからは、毎朝20分実践してますが、いまだに苦滅もわからずにいます。
どうかお導きいただきますようお願いいたします。

83避難民のマジレスさん:2017/06/15(木) 05:41:40 ID:aQye2HjU0
生きているうちに、アラヤシキの機能で記憶や観念が再生されても気に触らない状態。
それが悟りと観ました。
亡くなった状態で生きていることができると言い換えるこどもできますよね?

84避難民のマジレスさん:2017/06/15(木) 05:53:47 ID:aQye2HjU0
亡くなると、「あれ? ここにいるのになぜだれもわからない?」
生きているときと変わらず自分を認識していますが、うったえてもほとんどの人にはわからない。
その意識がやがて薄れていくことが四十九日が目安なのでしょうか?
その後の意は、生きている時の記憶と観念に支配され永遠に続く。
それが苦しみならば、死んでしまった後では変えることはできない。
生きているときには記憶や観念は直すことができる。
だが亡くなった方の苦しみは、生きている人の供養により、癒すことはできる。
死んでも意識で繋がっているとはそのようなものと観ました。

85避難民のマジレスさん:2017/06/15(木) 09:45:31 ID:rIFRVnQI0
>>77
ありがとうございます。

苦の原因を考えると、「〇〇だから」という答えはキリがない程出て来るのですが、
本当の原因はまだ気付いていないのかも知れません。

鬼和尚と苦滅の法に出会う前からも、
苦の原因を考えて、分かったような気がしては、また同じ苦が出て来て何も変わらない…ということを繰り返しています。

本当の原因を見付けるコツのようなものはありますでしょうか?

86避難民のマジレスさん:2017/06/15(木) 10:02:13 ID:rIFRVnQI0
ふと目の前のものに意識がとらわれた時なんかは、軽くなります。

「自分」「人生」「過去」「未来」とか、そういったものがない瞬間なのだと思います。

普段、無意識でも何か考えていてもこれらが働いてしまうのはなぜでしょうか。
pcの不要な常駐ソフトのようです。

それらに囚われずただ今の意識に集中出来るようにすることが、修行でもあるのでしょうか?

これは数息観が役立ちそうですが、
苦滅の法とはまた別の苦を滅する法にもなるのでしょうか?

87避難民のマジレスさん:2017/06/15(木) 12:29:39 ID:rIFRVnQI0
すみません、普段行っている苦の原因の探し方について、補足させてください。

苦を滅する為に、嫌な記憶や、自分が最も嫌がっている事などを想像したり、自分に対して嫌な言葉を浴びせてみたり、辛いことを考えたりというのは、よくしています。
そのため、号泣したり…ということもあるのですが、だからと言って何も変わらないのです…。

自分では、苦の原因を探すため、嫌な記憶や恐れから逃げずに向き合っているつもりです。

88避難民のマジレスさん:2017/06/15(木) 12:32:44 ID:rIFRVnQI0
対人の苦手や人目が嫌な事をまず一刻でも早く滅したいですが、虫が苦手という苦さえも滅せられていません…。まだ全然、ひとつの苦を滅せれるコツさえも掴めていないようです。

89香雪:2017/06/15(木) 17:58:40 ID:q6UBxgPc0
鬼和尚様

ブログコメントに投稿ができませんでしたので、こちらで。
コメントいただき、ありがとうございました。
何かモヤモヤしていたものがすっきりした感じがしております。
やはり自灯明ということで、できる限り励んでいければと改めて思いました。

実践あるのみ、がんばろうと思います。

それでは失礼いたします。

90としぼっくり:2017/06/15(木) 19:22:51 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
やる気が一番大事と仰いますが、やる気の出し方、コツなどがあれば教えて頂けないでしょうか。

91鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/15(木) 20:57:14 ID:1d4drIFg0
>>78 わかないじゃろう。
 つながりがあると認識すれば苦が少し和らぐじゃろう。
 それが供養の意味なのじゃ。

>>79 生まれる前を思い出せばよいのじゃ。
 恐れが無ければ簡単なことなのじゃ。
 それもまた死なのじゃ。

>>80 よいことなのじゃ。
 死に比べればどうでもよいことを苦にしていたと気付いたのじゃ。
 意味のない観念遊戯に時間を費やすより死を思うほうがよいのじゃ。
 悟りを得ようと言う意欲が出るからのう。

>>81 苦が少し楽になるじゃろう。
 孤独ではないと知れるからのう。
 それもまた消えていくものであるがのう。

>>82 すでに本心はわかっているのじゃ。
 社会のレールから外れたくないと言うのも本心なのじゃ。
 それでためらっているのも本心なのじゃ。
 心を偽らなければ迷っている心も本心なのじゃ。

>>83 悟ればもはや阿頼耶識はないのじゃ。
 あるものとして仮に利用することは出来るがのう。
 それが行きながら死んでいることなのじゃ。

92鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/15(木) 21:19:13 ID:1d4drIFg0
>>84 そのようなこともあるじゃろう。
 自分が生まれる前のことを思い出してみるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>85 苦の原因が分かれば瞬時に苦が軽くなるじゃろう。
 自分が一番避けていたことが大抵原因なのじゃ。
 原因をみないように逃避していたから苦が今もあるといえるのじゃ。
 そのように見分けるとよいのじゃ。

>>86 認識が記憶に依存しているからなのじゃ。
 記憶から過去が起こり、未来にそれをあてはめて不安が起こるのじゃ。
 阿頼耶識の働きなのじゃ。
 阿頼耶識がなくなればそれらの苦も永遠になくなるのじゃ。

>>87>>88 それもまた逃避の一つかもしれん。
 最も嫌なことを避けるためにそのようなことをしているのかもしれん。
 本当の原因とはその苦に執着していることかもしれん。
 人間は苦にさえも執着するものじゃ。
 例えば病になっていれば他人が構ってくれるからとわざと病になり続ける者も居るのじゃ。
 苦の原因は大抵執着であるからのう。
 
>>89 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 ブログはわしが承認しないとコメントは見られないのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>90 常に死を思うのじゃ。
 そして死を超える道が唯一ここにあると思うのじゃ。
 そうすればやる気もでるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

93としぼっくり:2017/06/15(木) 21:41:17 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
常に死を思って修行に取り組んで行こうと思います。

94避難民のマジレスさん:2017/06/16(金) 11:30:42 ID:rIFRVnQI0
>>92
鬼和尚、ありがとうございます。

心をもっとよく見れるよう数息観で集中力を養います。


苦を滅すると、どうゆう感覚になるのでしょうか?

例えば私が何の関心も無い事…買い物を楽しくも嫌でもなく感情を伴わずしっかり出来るように、
対人に対しても特に何の感情も湧かなず、必要な意思伝達などのコミュニケーションが出来るようになるのでしょうか?

95避難民のマジレスさん:2017/06/16(金) 20:27:16 ID:QoQZrmNc0
鬼和尚さん、すみません、また質問させてください。

自分の本心を見ようと、不安に思うことを心の中から探り出してみたのですが、死ぬのが怖いという気持ちはそれほど出てこずに、
傷つけられたくないとか、自分の価値を下げたくないとか、得をしたいとか、そういう気持ちが見えてきました。
でも、傷つけられたくない、自分の価値を下げたくない、得をしたい、というのはどれも、最終的には死から遠ざかりたいということだと思います。
死ぬのが怖い、という気持ちがすぐに出てこずに、そこにつながる別の気持ちの方が強く出てくるのは、やはり逃避なのでしょうか?

死ぬのが怖いという気持ちがはっきりと見えれば、何となくそれをたどって自我を見られる気がするのですが、その本心は隠されている気がします。
本心を見るには、今見える気持ちをさらに原因を探って、逃避を暴いていけばいいのでしょうか?
でも、強くブロックされている感じで、その原因がなかなか見えません。
隠れている本心を見るための、何か良い方法があれば、教えてください。

96進路探訪者:2017/06/16(金) 21:03:35 ID:dTh8KuKE0
>>91

ご返信ありがとうございます。

それでは、生まれる前の自分の記憶や意識とはどのようなものですか?

研ぎ澄まされた自分の意識や記憶がそれに近いのですか?

97鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/16(金) 21:56:01 ID:1d4drIFg0
>>93 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>94 そのようなものじゃ。
 記憶はあるが苦の反応がなくなるのじゃ。
 今まで苦であったことも何の苦もなく行えるのじゃ。
 実践によって確めるのじゃ。

>>95 逃避もあるじゃろう。
 それが死につながる感情であれば、それもまた本心でもあるのじゃ。
 すぐには死の恐れがみえなくとも、日々続けていけばみえるようになるのじゃ。
 本心を観るのに近道はないのじゃ。
 ただありのままの自らの心を認めるだけなのじゃ。
 今まで見ようとしなかった心を今見ようと強く意志を持つのじゃ。
 それによって少しずつ見えるようになるのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

>>96 今のおぬしの意識そのものなのじゃ。
 そこに生まれる前も死後の意識もあるじゃろう。
 深い瞑想や睡眠の意識でもそれは味わえるじゃろう。
 実践によって確めるのじゃ。

98避難民のマジレスさん:2017/06/17(土) 02:33:22 ID:qEvtNlQE0
お金や物は大切にしてくれる人に集まるといいますが本当でしょうか?
ギャンブルや特に必要ないものをすぐ買って散在する人はお金に好かれないのですか?
いわゆるケチもまたお金に好かれてるとは考えにくいのですが
大切に使うということがどうも私には足りない気がするのです

99避難民のマジレスさん:2017/06/17(土) 05:45:42 ID:eAIt472s0
>>91ご教授ありがとうございました。
本心に従えば、死ぬ前に後悔しないと理解していましたが正しいでしょうか?
正しいとすれば、本心がためらい迷っているならば、
本心の欲するままに、ためらい迷った状態を続けるべきなのでしょうか?

100避難民のマジレスさん:2017/06/17(土) 18:50:23 ID:2mjcL8.g0
>>97
鬼和尚さん、ありがとうございます。
本心を観るのに近道はないのですね。

鬼和尚さんのブログにある、自我を城に例えた、城の譬という記事の意味が少しわかってきました。
でも、何となくちょっとだけ進んでいる気がするので、さらに少しずつでも自分の本心を深く観察してみたいと思います。
今まで見ようとしなかった心を見るのだという気持ちでやってみます。
ありがとうございました。

101進路探訪者:2017/06/17(土) 21:07:01 ID:DIiPmWc60
>>97

しかし、生まれる前の自分を見ることということは、今の自分を観察するという
作業のコツとしておっしゃられたと認識しておりますが、それにもかかわらず、
生まれる前の自分を観察する正体が今の自分をよく観察することというのでは
腑に落ちません。

生まれる前の自分を見るコツが、今の自分を見るというのはもっと詳しくいうと
どのような意味あるいは意味合いなのでしょうか。

102鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/17(土) 21:45:54 ID:1d4drIFg0
>>98 そのようなことも言えるじゃろう。
 何かを大切に思っているとそれを集める知識も技も身につくのじゃ。
 ギャンブルや散在する者はむしろ破滅願望やお金を不浄とか憎いと思う気持ちがあるのかもしれん。
 それではお金も集まらないのじゃ。
 自分の隠された本心を受け入れ、観察して観るのじゃ。
 そのような気持ちがなくなればお金も集められるようになるじゃろう。

>>99 そのような理解でよいのじゃ。
 本心が見えたならばそのような状態も自然に変化していくのじゃ。
 自然な変化を受け入れ、全てを観察するとよいのじゃ。
 それが本当の進歩なのじゃ。
 本心をどこまでも観察していけば心は自然に整えられていくのじゃ。

>>100 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。


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