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「三位一体」の本質

99パンプキン:2004/03/15(月) 08:47
>タチバナさま、chiaraさま

>三位一体とりわけイエスの神性の肯定は、他のセム一神教(ユダヤ教とイスラム教)と
キリスト教を分かつ重大な特徴だと思いますが。

そこなんですよね。アラーを礼拝していればイスラム教、とか普通は考えるのに、キリスト
を神として礼拝していながらキリスト教ではない、というのはどうも変だなという思いが
あるんですよね。異教なら異教でいいんですけど、キリスト教ってイエスさまを神様と
している宗教じゃないんかい?とか、普通思いますでしょ。なんで線引きが「三位一体」
なのかと。

私の理解では、「三位一体」はアリウス派などが出てくる中で、いかに「キリストの神性」
と「唯一神」の神学を両立させるか。そういうことで定義されてきた神学だと思っている
のですが、その両立のさせ方は一通りではないわけです。
「三位一体」はその両立のさせ方の、ある一例に過ぎず、それ自体に固有の(特殊な)
概念を含んでいます。
なので、それ自体を「キリスト教であるかないか」の線引きの基準としてしまうことで、
イエスさまを神様と礼拝しているのに、また神は唯一であるとしているのにもかかわらず、
「キリスト教でない」とされるものも、出てくるのです。
「三位一体の否定」はイコールイエスの神性の否定ではなく、三位一体という固有の
解釈に対する否定に過ぎない場合もあるのですし。

>暴力的にいえば、「ユダヤ教から派生した宗教であり、イエス・キリストを通じて
>思考する宗教である」とかね。

これ、面白いですね(笑)私はこれでもいいような気もしますが。
というか、その団体が「キリスト教」を自認したいならば、別に邪魔することはない
だろうと。
なぜキリスト教とそうでないものの線引きというものに、学者がこだわるかと言うな
らば、おそらくはこれから入信する人が「どれに入ったら安全か」(どこならちゃん
と救われるか?)というようなことからではないかと、想像するのですが、それなら
それで、正統派でもカルトがあることですし、そういうことを心配する学者さんたちは
がんばって各宗派の教義(主張)の比較リストのようなものを作って出版してくれれ
ばいいのではないかと思うのですね。
もっとも、どこの立場にも与しない公平な資料を作るのは至難の業でしょうけどね。
そういう意味で、フランシスさまのような立場の方は、貴重ですが。


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