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「三位一体」の本質

100パンプキン:2004/03/15(月) 08:47
>つまり線引きをどこに据えるかのか?で、キリスト教のどこにもっとも魅かれたのか
>という自分自身の価値すら浮き彫りになるかも。

chiaraさまの書かれたこのことはとっても大事なことだと思えます。
ひどく感傷的な話で恐縮ですが、先日NHKで「ジャンヌ・ダルク」のドラマをやってました。
当時の異端審問の司祭たちは、字の読めないジャンヌに二重証文をつきつけて署名させたり、
男装をしないと誓わせながら、夜な夜なジャンヌを陵辱させるためにイギリス兵を送り込んで、
身を守るために再び女装したころあいをみはからって(それが策略だったらしい)、証文に
違反したとして火刑に処したというのをやってました。
その司祭たちが三位一体を信じているからというだけで「真に」キリスト教徒であるという
なら、キリスト教にカテゴライズされることに何の意味があるかと思うと、何の意味もない
なあとは思うのですが(笑)、やっぱり「線引き」以前に、ホンモノの宗教であるかどうか
の基準は自分的には「律法(誠実と正義と憐れみ)」と「神への信仰」かなあというものが
あります。エホバの証人の人たちがそれを満たしているなら、キリスト教とカテゴライズさ
れても、(カルトの問題を別にすれば)別にいいんじゃないかと私は思ったりしています。

まあ、chiaraさまとのやりとりで、三位一体とは神的三一性の立場から見るほど、そう
単純なものではなく(過去に実際3人の神を想像していた人がいたとしても)、もっと
神秘的な奥義なんだろうなということは文面から伝わってまいりました。もしかして、
個人レベルでは、根っこの部分でそう違わないのかもです。

「人格」の概念ですが、ギリシャ哲学的な頭脳がいるとのことでしたが、
誰を読めばいいとか、そういうのはありますでしょうか?
個人的に追求していきたい問題ですので、もしわかりましたら。


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