したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

閲覧専用掲示板について

1管理者:2009/01/20(火) 07:09:13

閲覧専用掲示板を立ち上げました。この掲示板は書込みできないようになっています。ご意見・ご要望が御座いましたら、当スレッドにて承ります。

「富士門流信徒掲示板 抜粋」 http://jbbs.livedoor.jp/study/10128/

2管理者:2009/01/20(火) 07:12:10

当掲示板の過去よりの議論を纏めてほしい、というご要望を以前より多数戴いておりましたが、この度閲覧専用掲示板を作りました。項目別に、当掲示板の議論の抜粋を載せて、要約を書いてみました。順次、必要に応じて項目を増やしたいと思っています。

3管理者:2009/02/01(日) 17:20:38

大森さんから次のようなご指摘がありました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

>日本第一の板御本尊、紫宸殿の大曼荼羅

独学徒さんが日本第一の板御本尊の紫宸殿の大曼荼羅の意味だと指摘されていましたね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

独学徒さんの指摘されている箇所は以下の通りです。

http://ip1.imgbbs.jp/read3/fujikyougaku/0/10/

大森さんのご意見は、この祖師伝の当該箇所は、戒壇板本尊を指さないのでは、という指摘がある以上、当掲示板の抜粋として、適切ではない、とのご指摘です。

ご参加の皆様のご意見を賜りたいと存じます。

4問答迷人:2009/02/01(日) 17:39:29

ご参加のみなさん

独学徒さんのご提示になっておられる原文では、当該文面には、句読点が何処にも打たれておらず、『日本第一ノ板御本尊紫宸殿ノ大曼荼羅病息消滅ノ曼荼羅其外曼荼羅数幅御書』と区切らずに書き並べられています。「日本第一の板御本尊の紫宸殿の大曼荼羅」の意味と取るのには無理が有ると思います。

「日本第一の板御本尊」と「紫宸殿の大曼荼羅」を関係付ける根拠が何か有るのでしょうか。ご教示賜りますれば幸いです。

5顕正居士:2009/02/01(日) 18:25:48
「日本第一板御本尊」は「紫宸殿大曼荼羅」とは別のものを指しているようにわたしには読めます。

6問答迷人:2009/02/01(日) 19:58:43

4の追加です。

3で引用されている談義書の議論で、犀角独歩さんは、次下に、次のように述べられています。

『御霊宝等不残頂拝中ニモ日本第一ノ板御本尊紫宸殿ノ大曼荼羅□病息消滅ノ曼荼羅□其外曼荼羅□数幅御書… という文章ですね。□で表した文字は、‘候’、もしくは‘矣’でしたか。また、それ以外の字でしたか。富要で見ると 御霊宝等残らず頂拝す、中にも日本第一の板御本尊、紫宸殿の大曼荼羅、病即消滅曼荼羅、其の外曼荼羅数幅、御書…となっており、略されています。しかし、これは文・句の畢りに置かれる文字だと思えます。』

ここで、犀角独歩さんは、「□で表した文字が富士宗学要集では略されている」と述べられていますが、略されているのではなくて、曼陀羅の羅の字であると判読出来るのではないでしょうか。「曼陀羅口」ではなくて、「曼陀口」と書かれていて、口を羅であると判読されていると思われます。

こうみれば、富士宗学要集では『日本第一ノ板御本尊紫宸殿ノ大曼荼羅病息消滅ノ曼荼羅其外曼荼羅数幅御書』では読みにくいので、意味を取って句読点を加え『御霊宝等残らず頂拝す、中にも日本第一の板御本尊、紫宸殿の大曼荼羅、病即消滅曼荼羅、其の外曼荼羅数幅、御書…』とされたものと思われます。

7犀角独歩:2009/02/01(日) 20:30:53

問答名人さん

1日留守にしている間に、自分が話題になっておりました(汗)

ご批正、有り難うございます。
まったく仰るとおりで、先のわたしの投稿は、読み間違いによる、勘違いでした。

ところで、日陽といえば、時は元和3年(1617)のこと、大石寺は15代日昌、14代日主が没した年に当たりますね。日主といえば、れんさんがご提示くださった日興跡条々事示書を挙げることになります。

「日本第一の板御本尊」が所謂「本門戒壇の大御本尊」であったとすると、まあ、それなりの脈絡とはなりますが、さて、如何なものでしょうか。

なお、「日本第一の板御本尊」「紫宸殿の大漫荼羅」が同一句である根拠は、独学徒さんから口述いただいた記憶があり、お聞きした折、説得性を覚えたものでした。よって、わたしは、この件に関しては、管見もいったんは保留とさせていただきます。

8問答迷人:2009/02/01(日) 22:15:27

犀角独歩さん

過去の御投稿、しかも他サイトでの書き込みを勝手に持ち出して、とやかく申し上げて、誠に申し訳有りません。

あとは、独学徒さんのご教示をお待ち申し上げる事と致します。

9独学徒:2009/02/02(月) 21:59:24
2年前の議論のことですので、正直よく覚えていませんが、大変珍しいくずし字のようですが、確かに問答迷人さんご指摘の通り「羅」の字のようです。

川澄勲編著「仏教古文書字典」を検索しても、あのような「羅」の字のくずし字は見当たらず、くずし字というよりも書いた本人のくせ字といったほうがいいかもしれませんね。

原本の寸法からいけば、確かに日禅授与の方が紫宸殿より大きいですから、「日本第一」という比較級表現であることを加味すれば、「日本第一板御本尊」と「紫宸殿大曼荼羅」は別のものを指しているかもしれません。

ただし議論にあるとおり、妙法寺に紫宸殿大曼荼羅の彫刻が、戒壇本尊写として伝わっているという伝承は気にかかります。

10犀角独歩:2009/02/03(火) 06:59:43

この「戒壇本尊」と、「万年救護本尊」という常套句は、何らかの形で発生し、複数の本尊にかぶせられ、「我が方こそは」と競われた前史があったように思えます。

既に記したことですが、特に『誑惑顕本書』では、日禅授与本尊を「万年救護板本尊」と称していたことが記されています。いまでも北山では「万年救護本尊」と呼んでいますね。

こうした同名異体の見極めは、歴史の読み解きにおける注意点になりますね。

11犀角独歩:2009/02/03(火) 07:17:03

【10の訂正】

誤)「万年救護板本尊」
正)「万年救護戒壇本尊」

12れん:2009/02/05(木) 10:19:57
独学徒さん

妙法寺の石山紫宸殿の模刻が“戒壇本尊写し”と伝承されている事実は、軽くないかも知れませんね。石山紫宸殿は応永年間あたりから、盛んに模刻が作成されており、この模刻の原本、つまり現在の石山紫宸殿が、当時の日道門下では、信仰の中心に置かれていた漫荼羅であることを物語るのではないかと思います。




犀角独歩さん

“万年救護”の呼称の文献上の初見は、管見に入った限りでは、安土桃山時代頃の日長書状(千葉県の歴史 中世3 県史16 441ページ)の様です。


“戒壇本尊”の呼称は石山日主の日興跡条々事示書が初見でしょう。何れも、安土桃山時代頃の物であることは注意されるところですね。

13そううそ:2009/06/23(火) 21:52:00
こんばんは。
管理人さん&犀角独歩さん

日蓮本仏論の問題点について - 富士門流信徒掲示板 抜粋
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/10128/1232401020/

>4.日蓮、日興は ”日蓮は上行菩薩の再誕” という認識だった。

上記の文と、greeにおける問答迷人さんと犀角独歩さんの議論の結論が違っています。
抜粋でないBBS側に転載の上、出来れば議論して頂き、議論の上
必要ならば書き換えて頂きたいです。

転載箇所は アンチ日蓮正宗 コミュ 三大秘法抄の真偽について です。
http://gree.jp/?mode=community&act=bbs_view&thread_id=9688732&offset=0&limit=0#sole-commentbox
の34以降が良いと思います。44〜49も必要だと思います。

転載についてはgreeコミュの管理人さん、問答迷人さんと犀角独歩さん、44の方、皆さんに
私から切望します。m(_ _)m
どうか宜しくお願い致します。

そううそ
ではでは

14顕正居士:2009/06/25(木) 19:08:33
大石寺派の宗祖本仏論には様々に誤解があるのでその要点を述べます。

1 大石寺派が本仏というのは久遠初発心の時の釈尊をいい名字即の仏です。この仏(レベル1の菩薩)
の行位が宗祖と全同であるというのであって、宗祖が妙覚の仏であるというのではない。この「本」とは
潜勢態(可能性・ポテンシャル)をいう。「体用」の「体」という時と同じである。中国哲学の用語です。
妙覚の仏を釈尊とすることは変わっていません。
2 したがって宗祖の本地を等覚の菩薩(観音等、あえて涅槃に入らない大悲の菩薩)とする上行垂迹説
を大石寺派は退け、あくまで久遠初発心の時の釈尊であるとします。末法に釈尊二度の出現とします。
3 日蓮の教説は始覚の釈尊(迹門教主)を退け、本覚の釈尊(迹門教主)を採るのであるから、九界本・
仏界末であり、すなわち大石寺派の宗祖本仏論は日蓮の教説からの自然的発展です。
4 月称(チャンドラキールティ)が『入中論』(マドヤマカ・アヴァターラ)で「声聞中ニ仏ハ能王トシテ生ズルモ、
諸仏復タ菩薩従ヨリ生ズ、大悲心ト無二慧ト菩提心ト是レ仏子ノ因ナリ」(現代漢訳)と述べるように菩薩本、
仏従は大乗仏教の基本思想です。

15顕正居士:2009/06/25(木) 19:11:16
訂正 ×本覚の釈尊(迹門教主) ○本覚の釈尊(本門教主)

16れん:2009/06/26(金) 06:31:52
顕正居士さん

大石寺の歴代で、明確に宗祖本仏論を唱えたのは、文献上は十三世日院師の要法寺日辰御報の「本因妙日蓮大聖人を久遠元初の自受用身と取り定め申すべきなり」(但し、この文章は日院師の自説ではなく、室町中期の文明年間までに日尊師門下で成立していた本因妙口決からの引用)が初見で、それ以前は、大石寺九世日有師談の聞き書きに釈迦の本因が宗祖との規定の下、御影本尊や信唱題目に基づいた名字即成義が見えますが、宗祖本仏そのものの主張は述べられておらず、日有師の時点では大石寺では宗祖本仏論は完成していないと愚考しております。
むしろ、明確な形の宗祖本仏観は、大石寺九世日有師と同時代の保田妙本寺十一代日要師や西山八世日眼師並びに左京日教師の属した日尊師門下の方が先行しているので、大石寺のそれは、日郷師門流・日尊師門流からの逆輸入であると存じます。

また、注意深く見ていきますと、宗祖本仏観は富士日興師門下でも、日郷師門流・日尊師門流という日目師の門下の門流を淵源として、次第に他の富士日興師門下に浸透していったものと考えられますので、宗祖本仏観そのものは、日興師門下でも日目師門流において、宗祖の晩年の教説の自然的発展形の形態の一つとして、仰る通り、形作られていったものと愚考している次第です。

17れん:2009/06/26(金) 09:29:27
訂正

誤)逆輸入

正)輸入

18顕正居士:2009/06/26(金) 22:43:01
れんさん。久遠名字の本仏という思想は日尊門流で作成されたであろう両巻血脈に明瞭なのですが、
なぜか後世の要法寺は果分の妙法という教義に変わっていますね(大石日応との論争)。

「本仏」とは何かと考えますと、ビルシャナ仏が本仏であって、応身の仏はこれの化現であるとする。
しかし大乗仏教も汎神論ではあるが有神論ではないので全知全能の人格が宇宙に先立って存在した
とは認めない。したがってビルシャナ仏とは宇宙に潜在する覚性(久遠元初の自受用身)の擬人化であり、
一人格に擬人化すればビルシャナ仏であるが、あらゆる衆生、草木自体が潜在的な仏である。つまり
本仏とは可能性としての仏で、だから元初仏(アーディトヤ・ブッダ)とは金剛薩捶であり、やはり菩薩です。
ただし宇宙に潜在する覚性としての元初仏の意味では金剛薩捶や上行菩薩という等覚の菩薩よりも
名字即の菩薩のほうがさらに「菩提心ヲ因ト為ス」(大日経)の理屈に合っています。

日蓮系の本覚思想の特色は天台の口伝をアレンジしたものではありますが、宗祖を名字即の本仏とし
衆生は理即成仏する(御義口伝)ところに特色が見られます。

19れん:2009/06/28(日) 18:41:20
顕正居士さん。
そもそも大乗仏教そのものの中に、宗祖本仏の因子があり、宗祖の教説の自然的な発展が日興門流の宗祖本仏観であるとの御教示を頂き有り難うございます。
私も、両巻血脈につきましては、室町中期の八品派祖・慶林房日隆師の活躍に刺激されて、日尊師門流にて両巻血脈が纏められ、尊門出身の左京日教師・大法律師日眼師により、富士五山に両巻血脈がもたらされ、受容されていったものと思います。日尊師門流の変説は、外面的には天文法乱・永禄の規約という時代の流れを受けて、内面的には同門中興の広蔵日辰師が堺における日真門徒本隆寺の僧侶との法論に敗れて、不造像・不読誦を立てる富士五山の義を捨てて、積極的に造像・読誦を推進したことによるものであると思います。
日郷師門流においては、日郷師の弟子の薩摩日睿師の著・類集記には、「名字即内にて五十二位をも仏の知見をも開示悟入をも得るなり」と名字即成道を示し、宗祖について「大上人三の義有す。一には父母。二には主君。三には師匠。御入滅以後は此義失するか然らず。上人三義有す。一切衆生の戒師定師恵師。彼此六義あるべし。人法各二。人にをいて主師親。法にをいて戒定恵六を上人具足し給へり」と定義し、又、一方で、「仏三次第あり。一、久遠釈迦〈是にあみだあり〉。二、三千塵点釈迦〈是にあみだあり〉。三、今日釈迦〈又西方あみだ〉。顕本する時は皆仮立なり。有名無実の仏なり」と述べており、同じく薩摩日睿師の著述の後信抄に「此の初一念の識より前は無覚了の極位なり。是を本覚真如の都と名く。此の本覚の心に背きて以て起こる、木石に異なるを初一念と名く」「抑も法性真如の都を出つと云ふ事は何事ぞや。答ふ、経に云く、仏一切衆生の心中を見るに皆如来有りて結伽趺坐したまふ文。我等衆生本より諸仏の性を含み、十方三世の諸仏も亦我等衆生の性を備へ給へり。故に凡聖一如と云ふなり(中略)但し秘密の奥蔵を開く之を名つけて妙と為すと先徳大師達釈し定め給へり。其の秘密とは何事ぞや。答へて云く、我等一切衆生が妙法蓮華経にて有りけるなり」と、室町中期に確立した日興門流の宗祖本仏観の前段階とも謂うべき思想が見えるのが注目されるところで、日興門流における宗祖本仏観の成立の胎動は、南北朝時代にあったものと考えております。

20ケン:2009/07/05(日) 10:56:44
管理人さんへの質問です。

この質問は、「そううそ」さんの
「13 名前:そううそ 投稿日: 2009/06/23(火) 21:52:00」の中の
「日蓮本仏論の問題点について - 富士門流信徒掲示板 抜粋」
を拝見して生じたものです。

前記抜粋「日蓮本仏論の問題点について・・・」の
「3 :管理者:2009/01/20(火) 06:42:42」の中で、
管理人さんは、以下のようにまとめを述べておられます。
「日蓮本仏論とは何か?
日蓮を本仏と仰ぐ教えの事。・・・創価学会も以前は日蓮本仏論を
肯定していたが方針転換を行った。顕正会は日蓮本仏論を現在も
主張しており創価学会の方針転換を批判している。」

上記のように「創価学会も・・・方針転換を行った」とありますので、
創価学会(あるいは池田さん)の正式表明があったということなのでしょうが、
具体的には、どのような表明を行ったのでしょうか。
池田さんの過去の指導内容を変更することになると思うのですが、
整合性はどのように処理したのでしょうか。
また、この「方針転換」は、創価学会会員に周知徹底されているのでしょうか。
日蓮正宗創価学会時代からの会員に影響はないのでしょうか。

なお、大石寺板曼荼羅(出世の本懐)や身延・池上相承書についても、
創価学会の「方針転換」が行われているのでしょうか。
もし、行われているとしたら、前記と同様の点についても
ご教示下さい。

すでにどこかに記載されているのかもしれませんが、宜しくお願いします。

21そううそ:2009/07/08(水) 06:42:24
ケンさん
おはようございます。

>上記のように「創価学会も・・・方針転換を行った」とありますので、
>創価学会(あるいは池田さん)の正式表明があったということなのでしょうが、
>具体的には、どのような表明を行ったのでしょうか。

創価学会の会則の中に以下のキーワードはあったと記憶しています。
>「日蓮大聖人が末法の御本仏」「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」
-----------------------------------
「所感恩師の二十三回忌に思う」(聖教新聞 昭和55年4月2日)
「代々の会長を神格化などしてはなりません」「私などを絶対視してはならない」「私自身、罪業深き、過ち多き身であることをよく知っております」
-----------------------------------

明確な「創価学会(あるいは池田さん)の正式表明」というのはないと思います。

ところが「池田本仏論」「凡夫本仏論」でネット検索すると宗門との軋轢の経緯が見えてくると思います。
”永遠の指導者であり、広宣流布してきたのは池田先生。”
”池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わり。”

”法主の言う事よりも池田先生の言う事が正しい。”池田先生を信じる””お山には行かない”という意思表示、雰囲気作りでしょうか?
学会の方が、池田先生の方が信心がある、という認識であって、教義ではありません。
しかし学会にとって暗黙の了解であり必然なのでしょう。

>整合性はどのように処理したのでしょうか。

ですから整合性はありません。
これは法華経や大御本尊についての教義が変わっているのと同様、過去の教義と矛盾して整合性はありません。
折伏教典で以下のように書かれていた点と類似します。
「この大御本尊を拝む以外に末法の衆生は基本的に幸福になれないのである」
「釈尊出世の本懐である法華経でさえも末法の今日には まったく力はない」

しかし現状では以下のように矛盾があります。
”大御本尊を拝まなくても学会配布の印刷し、誰が書き足したのかも不明な本尊でも幸福になれる。”
”法華経の智慧という書籍が池田大作氏の名前で出版されています。”

>また、この「方針転換」は、創価学会会員に周知徹底されているのでしょうか。

周知徹底ではなく、世代や地域など人によってバラバラだと思います。
アメリカSGIなど一部の海外では池田信仰は薄いらしいです。

>日蓮正宗創価学会時代からの会員に影響はないのでしょうか。

MC(マインドコントロール)の影響を受けている人は気がつきませんから
当人とっては問題は無いのでしょう。
学会や正宗の嘘や不誠実やいいかんげんさに気がついた私にとって
学会退会を選択しましたし、正宗に移るのもありえません。
日蓮遺文や法華経に意義を見いだせる人は信仰継続出来るんじゃないでしょうか?

ではでは

22パンナコッタ:2009/07/08(水) 15:35:41
横レス、失礼します。問答さんの対応がまだなようですけど1箇所だけ気になった、

>創価学会も以前は日蓮本仏論を肯定していたが方針転換を行った
の文章は、"日蓮本仏論"と"本門戒壇の大御本尊"が混同していますね。

『ありがたいことに、三障四魔と戦い、勝ち切っていく軌道は、師匠であられる
御本仏・日蓮大聖人御自身が歩んでこられた道です。
まさに「日蓮が身に当たる」実践です』  
  大白蓮華2009/6月号  池田名誉会長講義 勝利の経典「御書」に学ぶ
  第6回 兄弟抄(下)断じて勝て!師は勝利を待っている!  より引用

日蓮本仏論は、未だ学会内では揺るがない教義の一つでしょう。矛盾があっても
お構いなしのようですし。以下は主観なのですが、第二次創宗戦争以後、
弥四郎板への帰依が名誉会長礼讃(師匠の恩)へスライドしている印象ですね。

23ケン:2009/07/08(水) 20:30:44
そううそさん
パンナコッタさん
ご回答ありがとうございます。
予想外の複雑な方向に行きそうな感もありますが、
管理人さんや、諸賢のご見解を頂ければ幸いです。

24そううそ:2009/07/08(水) 20:55:54
>パンナコッタさん
こんばんは。

>>創価学会も以前は日蓮本仏論を肯定していたが方針転換を行った
>の文章は、"日蓮本仏論"と"本門戒壇の大御本尊"が混同していますね。

 ご指摘有り難うございます。
私個人の意見でしかありませんが、学会では日蓮本仏論と日蓮以外の本仏論は
両立しているのでは?との考えです。
私はダブルスタンダードと表現する事があります。
少なくともMCが多い学会員にとっては日顕氏よりも池田氏の方が上なのでしょう。
僧侶でない池田氏が日顕氏の上であるというのは池田先生が凄い、というだけでなく
「開かれた仏法」「より広宣流布する前兆のようなもの」などと私個人が考えていました。

 日蓮は御本仏であって凄いが学会員にとっては日蓮は死んだ人であり言葉や表情、手紙はくれません。
思想だけの日蓮よりも「言葉や表情、手紙(新聞)を与えてくれる池田先生!」
「凄いことをしている先生」という認識なのでしょう。
生身の人間ですから学会員でなくても見たり聞いたり実感出来る人に
より感情が働くのは人として普通にありえます。

>日蓮本仏論を肯定していたが方針転換を行った

「宗門問題以前は法主が言う日蓮本仏論でしたが、以後は法主の言う日蓮本仏論ではなく
池田氏の言う日蓮本仏論が重要であり、宗門に法主本仏論という学会側の批判があります。
その対極として凡夫本仏論、池田本仏論などの意見もあります。」

うーん。長い。(笑)(^_^;A

 「以前は日蓮本仏論だけで日蓮だけが永遠の指導者だったが、
池田大作氏をも仏法を体現する永遠の指導者としている。」

こんな感じではどうでしょうか?>パンナコッタさん、皆さん。

池田大作氏が永遠の指導者ってなんでやねん、どこがやねん!ってツッコミ入れたくなりますが。

>第二次創宗戦争以後、弥四郎板への帰依が
>名誉会長礼讃(師匠の恩)へスライドしている印象ですね。

ほんと帰依とか礼讃(師匠の恩)という印象ですね。
いつの間にかそうなってましたね。

ではでは

25そううそ:2009/07/08(水) 20:58:43
>ケンさん
こんばんは。

実は日蓮本仏論批判の文章を書いたのは私です。(^_^;A
わかりにくくてご免なさい。m(_ _)m
管理人さんに御願いしてアップロードをしています。

26ケン:2009/07/08(水) 23:12:36
そううそさん
管理人さん
21,24及び25が、文責者からのご回答(背景説明)ということで了解しました。

27顕正居士:2009/07/10(金) 14:50:33
れんさん。そもそも大乗仏教の立場からは仏陀釈尊とは「小乗仏教」の開祖であり、つまり
「声聞ノ中ニ能ク生ゼシ王」なので、彼の史実上の教義を形式的には尊重するが、
実質的には無視する傾向が強い。なぜ大乗仏教が仏陀釈尊を形式的な開祖にし続けたのか、
多分、部派仏教の出家者の中から起こった新思想だからではないでしょうか。
この形式的には仏陀釈尊を尊重するが、彼の史実上の教義は否定する立場が、「諸仏復タ
菩薩従リ生ズ」ですね。『因本果迹論』(望月歓厚師の用語)には大乗仏教興起の事情が
淵源していると思います。

日蓮宗の宗祖本仏論とは日本天台宗の「理即成仏論」の一アレンジです。大乗仏教の菩薩
思想と日本人の神道が融合した教義、いわゆる「反本地垂迹」です。室町時代に完成した
日本天台本覚思想は仏教を発展的に解消し、儒学、洋学に自ら道を譲った。信仰自由の体制と
常識本位の思想、この二つの普及は日本がいくらか西ヨーロッパより先んじました。

今の日蓮正宗や創価学会の本仏論は大石寺の伝統教義とはまあ一抹の関係もありません。
ただし大石寺の教義が変更されているわけではなく、宗祖本仏論がそもそも理解できないか、
或いはできても無視するのです。宗祖本仏論とは実には全き権威否定の思想です。

28顕正居士:2009/07/10(金) 15:11:38
宗祖本仏論がなぜ理解できないか?

両巻血脈とか六巻抄をまず読んでいないからだとは思います。
しかしもっと常識上の原因がありますね。

仏教は大乗でも無神論であって全知全能の存在者が宇宙に先立ってあったとは認めない。
望月歓厚師は『日蓮教学の研究』で興門の思想を「因本果迹論」と命名し、変な思想だと
いっておられる。
「因本果迹」は無神論には当然の論理であり、単純なビッグバンが本(もと)で現在の宇宙の
複雑な様相は迹(結果)である。反対の「果本因迹」とは結果が原因に先立つということで
そもそもありえないが、宇宙に先立って全知全能の存在者がおり、現実の宇宙はその貧しい
影である、あるいは文明は発達するのではなく、時間とともに衰退するという考えである。
しかし有神論のキリスト教でも神の母は人であったとするのです。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板