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戦争を考える
1
:
管理者
:2005/11/14(月) 06:01:53
憲法改正について、戦争について、不戦について、戦争と不殺生戒について、などの議論が活発に展開される事を期待して、「世界の情報ボックス」スレツドでの議論から「戦争を考える」内容の議論を分離独立させたいと思います。よろしくお願いいたします。
2
:
管理者
:2005/11/14(月) 06:07:07
218 名前: 犀角独歩 投稿日: 2005/11/13(日) 13:54:06
管理者さんが、改憲問題も是ということでしたので、わたしが記したことを整理します。
・仏教には2500年来の「不殺生」という教えがある。
・仏教徒はこれを自戒とする。
・この教えを日達師との交流の中で学び取ったガンジーは非暴力・不服従の人生を歩んだ。
・ガンジーの意志を受けた人々は非暴力・不服従でインド独立に導いた。
・しかし、ガンジーは凶弾に帰らぬ人となった。また、多くの仏教徒は無抵抗主義の下、凶弾に殺された。仏教徒は、この遺志を継ぐ。
・いま、改憲、軍事拡大の危機が迫っているとき、全仏教界は不戦、非暴力、憲法擁護を採択した。
・以上のような歴史を懐く仏教徒は、困難ではあるけれど、非暴力という教えを放棄せず、そこから、考え、行動していくことが仏教の存在価値であるという原点を捨てない。
(イラク参戦、改憲、自衛軍については、すでに世論に上ることであり、特に屋上億を重ねて記すまでもないので、ここには略す)
・わたしは現在、憲法改正し、軍備増強を計ることが国家安全に必要であるという主張には疑問を懐かざるを得ない。故に、わたしが投げかけている疑問は
・国家安全のための改憲、軍備増強と言うがそれは事実か?
・戦争は最大の消費産業であり、一部特権階級の利益追求のための詭弁になっていないのか。
・このような一部特権階級の利益獲得の隠匿に、国民は騙されていないか。
・軍備増強はひいては徴兵、もしくは兵役として国民に跳ね返る‘可能性’があるが、この点を国家安全、自分たちの憲法などの甘言をもって目を逸らし、見せないようにしていないか。
・軍備増強には膨大な軍事費が掛かることが予想されている。となれば、今でさえ、増税に泣く国民の負担は現代では比較にならないほど、さらに深まるのではないのか。この増税、国民負担という現実を覚悟したうえでの軍備増強への賛成なのか。
・現代の改憲、軍備増強論は、国家安全、自前憲法という美名を売り物にしながら、いまだアメリカからの‘独立’を果たせない日本は、仮に軍隊を作ったところで、自国防衛のためというより、アメリカのための軍隊以上の意味を持たないのではないのか。
・過去60年、軍隊をもたないことによって戦争が起きなかった奇跡的歴史は、軍隊をもつことによって終止符を打つことになる可能性は大きい。このようは不戦60年の奇跡の平和が終わってしまってもよいのか。
等々です。しかし、ここのところの議論?を見てもわかるとおり、これら疑問に応じるものではなく、専ら、わたし、または全仏教界が戦争から目を背けている、何も考えていないかのようなデマゴカシーを弄し、肝心の疑問には何一つ答えていません。
議論されるべきは、仏教徒が何も考えていない、何もわかっていないなどという言われなき誹謗ではなく、改憲論者は上記、その他の実際的な疑問へ答えることにあります。
219 名前: 犀角独歩 投稿日: 2005/11/13(日) 13:58:37
もう一つ忘れました。
藤川さんとも同意した点ですが、いまの政府は、軍隊をもたせて安全な政府なのか。
国民は、仮に軍隊を有したとき、それを管理できる能力を
3
:
管理者
:2005/11/14(月) 06:07:59
220 名前:犀角独歩 投稿日: 2005/11/13(日) 14:01:41
コマを喰って恐縮ですが、218の訂正
誤)デマゴカシー
正)デマゴギー
222 名前:ラスカル 投稿日: 2005/11/13(日) 16:12:09
私は体力など無くて自衛隊などには入隊できません。兵役制になるのでしょうか?
4
:
管理者
:2005/11/14(月) 06:08:53
223 名前:犀角独歩 投稿日: 2005/11/13(日) 18:03:55
> 222
こういう具体的な質問をどんどんするのはよいことですね。
匿名さんは、わたしより何でも軍事、改憲について。具体的に掌握している自負されているわけですから、さらに具体的な資料を提示するでしょうが、たとえば、現在の防衛庁予算は以下のようなものがあります。
[PDF] 防衛力整備と 予算の概要
http://www.jda.go.jp/j/library/archives/yosan/2004/gaiyou.pdf
もちろん、これは、あくまで現行憲法下の話です。
改憲論者は、この予算立てを具体的にどのようにしているのか、また、なにによって賄うとするのか、具体的にビジョンを示す必要があるでしょう。
改憲論者には、具体的な提示を求めます。
まず、自衛軍であれ何であれ、参戦すれば、戦死は起こることになるでしょう。
この場合、軍人1人当たりの死亡給付金はどれほどの金額となるのでしょうか。
現代、自動車事故でも1億円アップは常識となっています。また、戦傷(含・戦病)には、どのような保障を試算されているのでしょうか。
国家命令で死亡しても同額、またはそれ以下となるのでしょうか。また、国家命令における死亡の場合、遺族の補償はどのように会見後では具体的にどのように考えられているのでしょうか。また、これらの軍人の疾病、戦死、戦病予算は通常軍事予算のほか、どのように試算され、また、その歳出は何によって賄うのでしょうか。
たとえば、戦死兵士1人当たりの保障が1億円であった場合、100人で100億円、1000人で1000億円、1万人で1兆円となります。
実際は、国家命令で死ぬわけですから、自動車事故以下とはならないでしょうから、上記を上回る特別予算が見込まれなければならないことになります。
実際のところ、どの程度が試算されているのでしょうか。
次に改憲後、日本の軍事予算は、どのように試算されているのでしょうか。
また、その増加する軍事費は、何によって賄われ、国民負担はどのようになるのか、具体的な試算の提示をお願いします。
イラクへのあの‘人道支援’でも年間予算は400億円を超えようとしています。
これが実際の軍備増強、増員となり、さらに常駐、駐屯、緊急配置その他となってくるとき、どれくらいの金額となるのでしょうか。改憲論者には、当然、試算を掌握されているのでしょうから、提示をお願いいたします。
224 名前:犀角独歩 投稿日: 2005/11/13(日) 18:04:44
【223の訂正】
誤)会見後
正)改憲後
5
:
管理者
:2005/11/14(月) 06:09:51
225 名前:匿名 投稿日: 2005/11/13(日) 22:39:57
>216
>全仏教界は、国家レベルで「不戦の誓いや非暴力」を訴えているわけですから、それに対して、あなたは批判するのかと問うているわけです。
仏教界に対する批判などというものではありません。
「仏教徒だから戦争には反対だ」というのは、当然のこと正論です。
しかしそれは、不殺生は自己への戒律なのですから、仏教徒ではない他者に対しては、どうしても説得力に限界があるのではないかと思っているのです。
何度も書きましたように、そこに国家に対して物申す仏教の限界というものを感じているということです。「仏教界」ではなく「仏教」に対する、そして「批判」ではなく「限界」です。
それは、犀角独歩さんが、>151に書かれていることですが、
>シャキャムニは出家したのであって、国家という家からも出たのです。
国家の決定である軍隊を云々する理由はありません。
最後は、ここに行き着くと思います。
やはり国家に対しての仏教からの反戦の訴えには、限界があるのではないかということです。あくまで国家に対しての限界であって、仏教そのものに限界があるということではありません。国家から抜け出たときに、その限界を超えられるものなのではないでしょうか。
もちろん、だからといって、国家に対して反対を訴えるなということではありません。仏教徒にとって、戦争こそ、自らの不殺生戒の妨げになるものでしょうから。
6
:
管理者
:2005/11/14(月) 06:10:33
226 名前:乾闥婆 投稿日: 2005/11/14(月) 00:32:36
>>225
匿名さん。はじめまして。横から失礼いたします。
>そこに国家に対して物申す仏教の限界というものを感じているということです。「仏教界」ではなく「仏教」に対する、そして「批判」ではなく「限界」です。
国家に対して限界のない宗教という前提があるとして、仏教の限界を言うのであれば、まさにそのような限界はあるべきなのであって、国家を容易に左右できる宗教があるのであれば、それこそ「批判」の対象となるべきなのだと思いました。おそらく今の一連の議論の流れでは「限界」云々を言うべきではなく、仏教徒ならその立場から物申すことに意味があるのだという話ではないかと思います。「限界」などが問題なのではないのでしょう。
>国家から抜け出たときに、その限界を超えられるものなのではないでしょうか。
この一文、よく意味が分かりませんでした。
7
:
管理者
:2005/11/14(月) 06:12:15
「世界の情報ボックス」スレッドの218レス〜226レスをこちらに移転しました。よろしくお願いいたします。
9
:
犀角独歩
:2005/11/14(月) 09:56:04
匿名さん、あなたの議論の仕方は、自分の過ち、非を認めず、非礼を詫びるわけでもなく、不都合な点は無視し、自分の言いたいことだけを言う実に卑怯なやり方であり、到底、まともに話し合いとは思えません。その意味であなたとは議論は成り立ちません。しかしながら、以下の点は、まったく仏教に対する誤解から来ているので、一応、間違いをただしておきます。
>>シャキャムニは出家したのであって、国家という家からも出たのです。
> 国家の決定である軍隊を云々する理由はありません。
もちろん、シャキャムニが国政を云々することはありませんでした。
また、国家も、シャキャムニを含む林棲期に入った修行者を国家統制の枠内に入れることはありませんでした。しかし、それは弟子である出家に対してまでです。在家信者は、その不殺生の教えをもって社会に生きることを教えているわけです。そこには布教もあり、不殺生の奨励も、主張もあったでしょう。ここでは既に自戒から社会へ開かれています。
また、シャキャムニの時代と現代は、以下の点で大きく違っています。
すなわち、日本では、真の出家を法律が認めないということです。
出家とは、単に自分の家を出るということではなく、国家体制、社会から分離すること意味します。つまり、法律の外にも出ます。戸籍も捨てます。貨幣を含む経済構造からも出ます。それがシャキャムニが言う出家です。しかし、日本ではそのようなことは法律が認めません。明治太政官布以降、僧侶といえども、一般人に引き戻され、ここに日本の出家はいなくなりました。出家といえども、乞食(こつじき)鉄鉢に受けた金銭まで税金が課せられ、20歳になれば投票権も放棄されません。
また、何より、在家信者は、シャキャムニの時代から今日に至るまで、出家ではなく、この社会に生活をしながら、仏教を信仰する人々です。つまり、日本において、出家・在家を通じて、国民であるという点は、シャキャムニの時代の出家とは大きく異なっていると言うことです。また、宗教法人も国家の定める憲法・法律に基づいています。つまり、国法の範囲にあります。となれば、憲法改正は宗教法人とその構成員、並びに信者にとって現実的な問題です。故に自己の信念信条に基づいて、一国民として信念信条をもって世に問うことは何らそこに限界があるとは言えません。他の国民と同様、まったく同じ権利と義務を有するからです。あなたは、この点を勘違いしています。
10
:
犀角独歩
:2005/11/14(月) 09:56:32
―9からつづく―
> 国家に対しての仏教からの反戦の訴えには、限界がある
では、反詰しますが、以上のように日本国民でもある仏教徒が、その国民という立場から、反戦の訴えをすることに限界があるとすれば、‘限界なく反戦の訴えが出来る’国民とは、どのような種類の国民であるというわけでしょうか。
> 国家から抜け出たときに、その限界を超えられるものなのではないでしょうか。
これは全く逆です。国家を抜け出た真の出家が超える限界は、社会そのものであり、その点で、社会を相手取ることはありません。いわゆる「浮世離れ」と言うことです。しかし、上述したとおり、このような立場を国は認めていません。
> 仏教徒にとって、戦争こそ、自らの不殺生戒の妨げになるものでしょうから。
ですから、反対するのです。
しかし、あなたの言動で、ここでも一つ勘違いしているのは、不殺生界は自戒であるから個人の限界を超えない・故に社会を変える力とはならないとする点です。
先に、例に示したとおり、不殺生、無抵抗、非暴力、不服従によってガンジーを中心とするインド国民は独立を克ち取っています。
祭政一致であった時代、生け贄の儀式をなくしていったのも仏教の不殺生ということであったでしょう。日本では肉食は明治までその習慣を失い、現在も日本で人々が護身のために武器を持たずとも安全に生活できるのは、不殺生という考えが少なくとも人間相互で暗黙の了解となっているからでしょう。このような殺人への罪悪視は仏教の不殺生の教えを通じて日本社会に根付いてきたよき習慣でした。
上述の話と関連することですが、仏教徒は信条信念信仰の面で不殺生の自戒をもち、何より前提として、一国民として、思想信教の自由を訴える権利を有します。故に人類の到達すべき目標とする、不殺生、非暴力、不戦を理想とし、その実現を仏教徒として、そして、国民として訴えるということです。別段、ここに限界はありません。
仏教徒から見る戦争とは大量殺戮であり、たとえば国家命令により兵士となって攻撃をし、相手が死ねば、それを殺人と見なします。また、死刑執行も殺人に他なりません。故にそれら自戒という範囲に留めず、不殺生という見地から反対を述べるとき、その自戒の限界を超えていきます。不殺生は自戒する理由は、その行いが最大の過ちであるからです。ですから、その過ちを自ら犯さないことと共に人に為させない、それはシャキャムニ在世の時代から現代に至る仏教徒の不変の信念と行動です。
12
:
01
:2005/11/14(月) 18:44:17
あ、そうか。ここは揶揄みたいなことを書いちゃいけないんだっけ。
だったら、4に対する匿名さんの試算を教えてください。
まさか、してないわけないよね。
よろしくお願いします。
13
:
管理者
:2005/11/14(月) 18:52:50
01さん
11レスは当掲示板のルールに違反していますので、削除いたしました。
14
:
匿名
:2005/11/15(火) 04:17:18
>6
はじめまして。
>仏教の限界を言うのであれば、まさにそのような限界はあるべきなのであって、国家を容易に左右できる宗教があるのであれば、それこそ「批判」の対象となるべきなのだと思いました。
国家的な立場から考えると、まさにそうだと思います。
>仏教徒ならその立場から物申すことに意味があるのだという話ではないかと思います。
もちろんです。その通りです。
>おそらく今の一連の議論の流れでは「限界」云々を言うべきではなく、
>「限界」などが問題なのではないのでしょう。
そうかもしれません。
これは、私が投稿する前の、議論を読んでいて、思ったことです。
完璧な仏教で国家を形成しなければならないとしたら、国民の生命・身体・財産は守られないと思いました。
その原理主義的なまでの国家論に、限界があるでしょうと言いたかった。
それと、読んでいるうちに、なんだか個人的な立場の主張ばかりに聞こえてしまい、これで反戦を訴えても、むしろ逆効果だという思いもしました。
そもそも憲法改正が国会発議目前まできているというのに、自衛隊が合憲か違憲かでしゃかりきになっている場合ではないのにという思いでもあります。そこを一歩も譲らない議論になるから、逆に「じゃあ、合憲になるように憲法を改正しましょう、それなら文句はないでしょう」という話になります。実際そういう流れで、今日にきているようなものです。本当なら、米ソ東西冷戦の終結後は改憲の必要には迫られず、自衛隊は合憲という解釈でこの先も乗り切れたかもしれなかったのですから。
例えていえば、中国や韓国の反日暴動が、かえって日本人のナショナリズムを目覚めさせてしまうのと同じで、自衛隊は違憲だと、訴えれば訴えるほど、逆効果ということだったということでもあります。
ところが、自衛隊を認める議論をここで言えば、ものすごい顰蹙を買ったわけです。
私は反戦の立場から、護憲をある意味の正攻法的立場で訴えたかった。
とにかく、改憲されれば、自衛隊は違憲だ!という抗議は通りません。当然、海外派遣の要求に対しても、憲法を理由に「人道支援」だけというわけにはいかなくなるでしょう。
戦争に賛成の人は、そうそういるものではありません。意外に思われるかもしれませんが、軍人だって戦争には反対だということをよく耳にします。そりゃあそうでしょう。死ぬかもしれないのですから。海外派遣の任務につかれる方々は、「自衛隊反対!」と叫ぶ人たち以上に、本当は行きたくないということも聞いたことがあります。
そもそも彼らは、日本の国土と国民を守る任務に忠誠を誓っている人たちですから、それ以外の任務は宣誓外のことであり、非常に複雑な心境で海外に出向いていかれるということを聞いたことがあります。それでも、日本の国益のために命令に従い出動しているのですから、仏教徒の立場であっても、私は彼らを責める気持ちにはなりません。
>>国家から抜け出たときに、その限界を超えられるものなのではないでしょうか。
>この一文、よく意味が分かりませんでした。
稚拙な表現しかできませんが、国家がどうあるべきかという執着を離れたとき、ということになるでしょうか。それは、お釈迦さまがされたような出家をしなければできないことかもしれません。しかし、在家の私たちは、まさに国家との限界を認めるところにあるかもしれないと、私は思っております。
15
:
匿名
:2005/11/15(火) 04:17:54
>9
ご批判は承りました。
問いかけに応じないわけではありません。
ひとつずつ、私の時間的都合に合わせて返信させて頂きます。
でまずは、「世界の情報ボックス」でのご返信に一点お答えしておきます。
>何のために否定・肯定を斥けるのか
これは斥けてはいませんね。この二択は「おかしい」という私なりの観測を述べながら、それでも、「肯定」とお答えしたはずです。
戦争を起こすには、起こすなりの、大義があるわけです。現在日本は、憲法によって国権の発動による戦争は永遠にこれを放棄しているわけですが、わざわざ放棄しているということは、裏を返せば国際的には認められているということです。
国際法で、どういう戦争が認められているのかは、こちらで確認してください。
http://www4.ocn.ne.jp/~tishiki/kokusaihou.html
国際法にもとずき、ある条件のもとで、戦争は認められています。条件付ですから、これこれいなかる理由で戦争開始を宣言するという、大義が必要なわけです。
しかし、いくら国際法で認められているとはいっても、必ずしも個々の人々がそれを認めているというものではありませんから、賛成とか反対とか出るわけです。
そして戦争が終われば、敗戦国は責任をとらされます。まさにこれは勝負で決着することですから、敗戦国の大義はそこで否定されるということになります。同時に勝った側の大義は肯定されるということになるのではないでしょうか。
それでも、敗戦国の人にとっては、否定しきれないものは残ります。日本における大東亜戦争肯定論というのがそれでしょう。
ですから、肯定か否定かでいえば、戦争を起こす「大義」、つまりは「理由」を肯定するか否定するかということになるかと思います。
いかなる理由であれ戦争の大義は肯定しませんというのが、仏教徒の立場になるのだと思います。
しかし、私は敢えて、動かし難い結論として、肯定・否定を決め付けてしまうのではなく、なぜ戦争を起こすのかという、そこのところをよく考えておきたいのです。
>もし仏教徒であれば、この質問はむしろ自分自身に向けられるものではないでしょうか。
もちろん、自分自身に問い掛けてきています。でなければ、顰蹙を承知で投稿はいたしません。
>では、反詰しますが、以上のように日本国民でもある仏教徒が、その国民という立場から、反戦の訴えをすることに限界があるとすれば、‘限界なく反戦の訴えが出来る’国民とは、どのような種類の国民であるというわけでしょうか。
戦争を起こすか否かの決定を下すのは、国家ですから、議会で物言う政治家ということになるでしょう。
しかし、憲法改正の場合、そもそも、この憲法を押し付けたのはアメリカでありながら、改憲と再軍備を迫ったのもアメリカです。ご承知のとおり、米ソ東西冷戦のはじまりによる、対日占領政策の方向転換からのことですが、地形的な戦略から日本を反共の砦にしなければならなかったことが発端ですね。
ですから、日本の政治家は、直接アメリカから、改憲と再軍備が要求されてきた立場にいるわけです。軍事同盟の日本の立場としては、それを正面きって拒否はできないわけです。しかし、否応なく拒否する方法がひとつだけあります。それは日本の国民が反対しているという場合です。大国アメリカといえども、民主主義国家です。そこは民主主義の原則に従い、日本の国民が改憲にノーを示す結果が出れば、アメリカも呑まざるを得ないわけです。
とかと今や、郵政法案の経緯をみてもおわかりのように、政治家は弱い立場です。内心では護憲でも、改憲に投票せざるを得ない状況といえるでしょう。今回の選挙がその実情を示しました。
ですから、最後は国民の憲法に対する意識にかかっているということです。
16
:
匿名
:2005/11/15(火) 04:20:44
>12
>だったら、4に対する匿名さんの試算を教えてください。
自衛軍になっても、現在の予算と変わりません。
防衛費を上げるための改憲ではありません。自衛隊を違憲と言わせないための、改憲ですから、予算の問題はないはずです。
だいたい、日本の防衛費、言い換えれば軍事費は、私の認識違いでなければ、アメリカに次いで世界第2位のはず。
言い換えれば、世界第2位の軍隊を保持している。軍事力でいえば、核兵器がないだけで、他の国の軍隊と変わらないのではないでしょうか。
もしかしたら、中国に次いで第3位だったかもしれません。この程度のことは、検索すれば出てくるでしょう。
それから、防衛費(軍事費)というのは、その約6割が人件費です。いわば、雇用対策のひとつです。政策的にいえば、国の公共事業のような存在。
ついでに、私は軍事の専門家ではありません。大筋は外れていないと思いますが、本当の専門家がみれば、なんと稚拙な内容と、危なっかしく読まれていることと思います。ですから私の書いたことを鵜呑みにせず、きちんとしたことは、ご自分でお調べになって確認してください。
17
:
犀角独歩
:2005/11/15(火) 09:33:23
匿名さん
あなたは、まだ勘違いしていませんか。
ここは、自分の考えを述べるところです。
専門家の意見が必要であれば、それを読めばよい。
> ご自分でお調べになって確認
ですから、このようなことはいわれなくても当然のことでしょう。
あなたの考えをただしているのです。
> なぜ戦争を起こすのかという、そこのところをよく考えておきたい
では、考えを記してください。
> 戦争…決定…国家…政治家…拒否する方法…日本の国民
というのであれば、一国民である仏教徒が戦争に反対する意見を述べ広げるというわたしの考えとの違いはどこにありますか。
>> もし仏教徒であれば、この質問はむしろ自分自身に向けられる
> もちろん、自分自身に問い掛けてきています
あなたは、どのような類の仏教徒なのか、その明言を避けている以上、これはただの言い逃れでしょう。言い逃れにしないためには、立場をはっきりとさせるべきでしょう。
また、あなたの書いていることは一般的であって、わかりきった当たり前のことしか書いていません。あなたの発言は、ただ口先だけで自分は仏教徒であるといっているだけで、では仏教としての信念から論じられているものは単に世間一般の改憲論者の受け売りに過ぎません。つまり、まったく自分に向けられているものがありません。
結論からいえば、あなたが言っていることは自分は仏教でありながら、戦争に賛成、憲法改正に賛成、軍隊賛成といっているに過ぎないでしょう。それ以上の内容はありません。
簡潔に言えば、なんら参考にするところはありません。そして、わたしは「不殺生」という観点から、あなたの考えには反対です。また、わたしが挙げた2に転載された内容には一切触れず、単にわかりきった国際法云々をもってきてまたもや議論から逃れています。まるで参考になるところもなく、また、議論にもなっていません。ただ、世間一般の自分が感化されたことをあたかも自分の考えだと思って吐き出しているに過ぎません。
不毛です。そして、誤読による謝罪もないわけですから、併せて不誠実です。当然の礼儀すら取れないものが、吐く言説には信頼もありません。
18
:
匿名
:2005/11/15(火) 09:52:15
>仏教の限界を言うのであれば、まさにそのような限界はあるべきなのであって、国家を容易に左右できる宗教があるのであれば、それこそ「批判」の対象となるべきなのだと思いました。
実は、この点について、昨日は一日考えていました。もう少し補足いたします。
国家に対して限界はあります。では、国家に対して宗教が無力かというとそうではない。
ということになるかと思います。
19
:
匿名
:2005/11/15(火) 10:02:40
>19
>というのであれば、一国民である仏教徒が戦争に反対する意見を述べ広げるというわたしの考えとの違いはどこにありますか。
違いはありません。それについて反論はしておりません。
最初に申し上げたように、不戦、非暴力をいうわりには、非常に乱暴な印象を受けるのです。
怒ってはならないという戒律もあるはずでしょう。
不殺生をしないためには、まず怒らないことから戒めなければならないのではないでしょうか。
>どのような類の仏教徒なのか、
これは、特定の教団に所属しているのか?という問いでしょうか。
そうであれば、籍だけ残っているということになります。
しかし、このような個人情報を掲示板で相手に強要するのは、あまりよくないのではないでしょうか。
黙秘権というのもあります。
>自分は仏教でありながら、戦争に賛成、憲法改正に賛成、軍隊賛成といっているに過ぎないでしょう。
全然、違います。
戦争に反対。憲法改正に反対、自衛の為の軍隊は肯定です。
>簡潔に言えば、なんら参考にするところはありません。
わかりました。
よって、なぜ戦争が起きるのかの、私の考えは控えることにいたします。
20
:
匿名
:2005/11/15(火) 10:11:35
>19
誤=不殺生をしないためには
正=殺生をしないためには
21
:
犀角独歩
:2005/11/15(火) 17:26:44
匿名さん
> 怒ってはならないという戒律
はて、なんという戒律ですか。
> 不殺生をしないためには、まず怒らないことから戒めなければならない
これでは「自戒」を他戒として押しつけていることになりませんか。
この矛盾に気付けませんか。
人にこのような自戒を守れというのは、まさに自戒の精神に反します。
また、怒っているのではなく、あなたの無礼と、論理をすり替えるやり方を窘めているのです。常にそのように他人事に転化して自己責任を放棄するようなやり口をおやめになったほうがよろしい。これは戒としてではなく、一般常識としてです。
>> どのような類の仏教徒なのか、
> 個人情報を掲示板で相手に強要する
また、勘違いしています。
たとえば、涅槃経では、「殺」は正法護持のためには肯定されています。
しかし、上座部であれば、当然、不殺生です。
同じ仏教と雖も以上のような相違があります。
ですから、あなたはどんな教え・戒律に基づいているのかという質問です。
わたしに不怒・不殺生を促すと言うことは、自分がそのようにしているのかという質問です。
当掲示板では、自己紹介スレッドというものが途中から出来ました。
わたしはそれまでに、自己紹介に類する文章を書き記していますので、敢えて記していませんが、途中から議論に参加される人はここに記す程度の礼儀は示します。
あなたは人の有り様にケチをつけるのは上手ですが、自分は慇懃無礼に振る舞って省みるところがない。わたしは強要しているのではなく、議論にはそれなりのエチケットはあるだろうといっているのです。
> 戦争に反対。憲法改正に反対、自衛の為の軍隊は肯定です。
ようやくと具体的な自分の考えを書きましたね。
軍隊が賛成なのはわかりましたが、憲法を改正しない自衛のための軍隊は不可能、もしくは違憲を指示することにならないのでしょうか。
それとも自衛のための軍隊とは現行の自衛隊とでも言うのでしょうか。
>> 簡潔に言えば、なんら参考にするところはありません。
> よって、なぜ戦争が起きるのかの、私の考えは控えることにいたします。
あなたの常套論法ですね。逃げるときには相手のせいにするわけですか。
問われたことで答えられない逃げ口上としては、よくできています。
しかし、わたしが参考にならないといったのは世間一般のわかりきった話を書き連ねることに対してです。ご自分の考えを記しなさいと言ったわけです。ところがその言葉を逆手にとって、枉げて使っています。人に不怒を言う割に、不誠実なやり口ではないでしょうか。そのような論の運び方が、あなたの記すことの説得性を欠くわけです。
22
:
匿名
:2005/11/16(水) 20:10:48
>21
>はて、なんという戒律ですか。
不瞋恚戒。怒るなかれ。
戒律と書きましたが、戒でした。訂正いたします。
>これでは「自戒」を他戒として押しつけていることになりませんか。
私の文章の末尾を省いて提示されていますが、
>19で私は、
「戒めなければならないのではないでしょうか。」と問いかけの文章で投稿いたしております。押し付けたつもりはございません。
>あなたの無礼と、論理をすり替えるやり方を窘めているのです。
とうとつな投稿であろうかとは思いますが、謝罪しなければならないほどの無礼ではないと思っております。
理論のすり替えにつきましては、私は自覚しておりません。
前にも申し上げましたように、私個人に向けて長い返信を頂きましても、そのひとつひとつに充分なレスをご返信することは、時間的に不可能です。この点は、ご容赦頂きたい。
私としては、長く留まって投稿をするつもりではございませんでしたし、投稿するにしましても「対話」は軽視しませんが、「意見交流」というスタンスを守りたいと思っております。
その意味で、失礼に思われたかもしれませんが、個人宛へのレス形式は控えさせて頂きました。あくまで、記述内容に対して、意見を述べることを自分なりの原則とさせて頂いております。
犀角独歩さんからは、「成果の情報ボックス」の>200から、質問を頂戴いたしました。
今も基本的にはそのレスから、順を追って返してきたつもりです。
ただ、しかし、何か書けば、さらに質問が返ってきまして、少々困惑しております。
>ですから、あなたはどんな教え・戒律に基づいているのかという質問です。
八正道を求めておりますが、特に正見、正志、正語、を心がけております。
仏教ではありませんが、中庸精神と人権尊重を重んじております。
>途中から議論に参加される人はここに記す程度の礼儀は示します。
こちらの掲示板での自己紹介も「差し支えなければ」との前置きがありますので、それに甘んじさせて頂いております。
私の投稿名から、私の都合をお汲み取りいただきたいと思います。
もしそれが、こちらの掲示板において問題があるならば、私は管理者の指示に従い、投稿を遠慮いたします。
>議論にはそれなりのエチケットはあるだろうといっているのです。
最初に議論というほどの投稿をするつもりはないと断りました。
それと、一般社会ではむしろ、個人の内心における思想や信条に関わるようなことを、その人自らが自分の意志で語らないうちからとうとつに質問することのほうが、エチケットに反するかと思います。
また、よくこちらの議論展開で、答えないのは無礼だと指摘され、さらには卑怯だと詰る光景がよく見受けられますが、しかし、それでは回答することを暗に強要した質問をしていることになりはしないでしょうか。
ただし、こちらは仏教の掲示板ですから、仏法教義についての議論はいわば法問答であり、これは問題投げかけ積み上げながら結論を導いていかなければならいないわけで、当然、問答形式の議論展開になるでしょう。議論形式は、暗黙のルールとして、問いに答えない中で、議論が進めば、それはマナー違反を指摘されてしかるべきだと思います。
しかし、私が投稿しているのは、そのような仏法教義の議論を目的としたスレッドではないはずです。
そもそも掲示板の投稿というのは、投稿者の自由意志で投稿するものであり、強要されて投稿するものではありません。
こちらの掲示板のルールを拝見いたしましても、そのことをよく配慮されて書かれてあると思い、これならと、私も投稿させていただきました。
ですので、自由意志に基づく投稿というものを、もう少し広く尊重しては頂けないでしょうか。
23
:
匿名
:2005/11/16(水) 20:11:22
>21
>憲法を改正しない自衛のための軍隊は不可能、もしくは違憲を指示することにならないのでしょうか。
これは、なりません。現行の憲法の解釈において合憲を私は支持します。
「世界の情報ボックス」で藤川一郎さんが、芦田修正について触れられていますが、
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1018910046/153
結局、この芦田修正によって、国際法との兼ね合いから、自衛隊合憲の解釈は十分に成り立つものと考えます。
さらに、日米安保条約と、国連において日本がいまだに敵国条項となっているという点も重要です。
私は、勝利国であるアメリカと同盟を結んで国権の発動たる戦争を放棄し、さらに国連の敵国条項という立場におかされているという3つの要件を前提に、合憲と考えます。
しかし、当然、仏教徒として国家の目指すべき方向は、自衛のための軍隊さえも保持しない国家であってしかるべきだと思っています。それは揺るぎない結論です。
ただし、考えてみて頂きたいのですが、もし自衛の為の軍隊も持たないで、万が一他国から戦争を仕向けられ、攻撃を受けた場合、国民が自分たちで応戦しなければならなくなるわけです。まあ、戦うというよりは逃げるになってしまうかもしれませんが、しかし、自分の国家を守るのが国民の総意となれば、国民皆兵と必然的になってしまうことが考えられます。
まさにスイスがそういう制度になっているわけで、ちなみにざっと調べてみますと、
20才より16年間、36才迄が現役で、37才〜49才迄は予備役。50〜62才迄を後備と定められ、しかも国民は自費で銃と弾丸・軍服にジープまでも保有して国防省に登録し自らの責任で保管しているとのこと。
一方、国民皆兵のため、職業軍人はほんの少数しかいないそうで、しかも国防予算は国家予算の40%を占め、陸軍の動員能力は80万人と言われている。
まあ、これは地形的な問題から中立政策を貫くための軍費ですから、海洋国家である日本の場合とは比較にはならないかもしれませんが、それでも、政策的にみると、職業軍人を減らせば減らすほど、かえって徴兵制に近づかざるを得ないという理屈になるわけです。
仏教に基づき、国民はそのような自衛のための応戦も放棄するなんてことを世界に宣言すれば、どうでしょう、国際法で侵略戦争は認められないとはいっても、国土はとられてしまうのではないでしようか。
国民は亡国の民となり、難民として逃げるしかありません。そんなことは、国民の総意になるわけもなく、どこまでいっても国が武力を完全に放棄することは有り得ないということになるのではないでしょうか。
国家というのはどんな国でも、「仮想敵国」ということを想定して政策を考えなければならない。これは鉄則です。むしろそうした適度なの緊張が、かえって世界平和の均衡をつくっていくものだろうと思います。
ですから、そこは宗教の完全なる理想郷の姿を国家に求めることはとうていできない。あくまで世界の情勢をみながら、世界的に軍縮しながら目指していく方向ということだと思います。
>それとも自衛のための軍隊とは現行の自衛隊とでも言うのでしょうか。
そうです。
>205
>> 軍隊があるから戦争が起きる、そんな単純な答えなのでしょうか。
>誰がそんなことを言ったのですか。
>> 軍隊さえなければ戦争は起きない、それこそ短絡です。
>繰り返しましょう。誰がいったい、そんなことを言ったのですか。
これは、
>133
>>戦後、60年、日本は奇跡的な不戦を歴史に刻みました。それは軍隊がなかったからでしょう。
の文章からの、質問半分・私のつぶやき半分、みたいなものです。
24
:
匿名
:2005/11/16(水) 20:18:48
>23
訂正
誤)私は、勝利国であるアメリカと同盟を結んで国権の発動たる戦争を放棄し、さらに国連の敵国条項という立場におかされているという3つの要件を前提に、合憲と考えます
↓
正) 私は、勝利国であるアメリカと同盟を結んで国権の発動たる戦争を放棄し、さらに国連の敵国条項という立場においかされていることと、そして国際法の3つの要件を前提に、合憲と考えます
25
:
匿名
:2005/11/16(水) 21:36:28
スイスについて。
スイスは連邦国家であり、連邦議会を最高統治機関とする議会統治制をとっています。連邦議会は両院制で、国民代表の国民議会(200議席)と州代表の全州議会(46議席)で構成される、直接民主主義の国です。
国民発議(イニシアティブ)と国民投票(レファレンダム)という、他国に類例をみない、直接民主制の制度が憲法上認められているのが大きな特徴です。
(詳細はこちらから)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9
日本は議会制民主主義という間接民主主義ですが、スイスは直接民主主義の国です。
ですから、詳細はわかりませんが、永世中立にしても、国民皆兵制にしても、国連加入にしても、すべて国会発議を経た後、国民投票によって決められているはずです。
日本の議会制民主主義という間接民主主義も、現行憲法によって定められています。
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