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戦争を考える
15
:
匿名
:2005/11/15(火) 04:17:54
>9
ご批判は承りました。
問いかけに応じないわけではありません。
ひとつずつ、私の時間的都合に合わせて返信させて頂きます。
でまずは、「世界の情報ボックス」でのご返信に一点お答えしておきます。
>何のために否定・肯定を斥けるのか
これは斥けてはいませんね。この二択は「おかしい」という私なりの観測を述べながら、それでも、「肯定」とお答えしたはずです。
戦争を起こすには、起こすなりの、大義があるわけです。現在日本は、憲法によって国権の発動による戦争は永遠にこれを放棄しているわけですが、わざわざ放棄しているということは、裏を返せば国際的には認められているということです。
国際法で、どういう戦争が認められているのかは、こちらで確認してください。
http://www4.ocn.ne.jp/~tishiki/kokusaihou.html
国際法にもとずき、ある条件のもとで、戦争は認められています。条件付ですから、これこれいなかる理由で戦争開始を宣言するという、大義が必要なわけです。
しかし、いくら国際法で認められているとはいっても、必ずしも個々の人々がそれを認めているというものではありませんから、賛成とか反対とか出るわけです。
そして戦争が終われば、敗戦国は責任をとらされます。まさにこれは勝負で決着することですから、敗戦国の大義はそこで否定されるということになります。同時に勝った側の大義は肯定されるということになるのではないでしょうか。
それでも、敗戦国の人にとっては、否定しきれないものは残ります。日本における大東亜戦争肯定論というのがそれでしょう。
ですから、肯定か否定かでいえば、戦争を起こす「大義」、つまりは「理由」を肯定するか否定するかということになるかと思います。
いかなる理由であれ戦争の大義は肯定しませんというのが、仏教徒の立場になるのだと思います。
しかし、私は敢えて、動かし難い結論として、肯定・否定を決め付けてしまうのではなく、なぜ戦争を起こすのかという、そこのところをよく考えておきたいのです。
>もし仏教徒であれば、この質問はむしろ自分自身に向けられるものではないでしょうか。
もちろん、自分自身に問い掛けてきています。でなければ、顰蹙を承知で投稿はいたしません。
>では、反詰しますが、以上のように日本国民でもある仏教徒が、その国民という立場から、反戦の訴えをすることに限界があるとすれば、‘限界なく反戦の訴えが出来る’国民とは、どのような種類の国民であるというわけでしょうか。
戦争を起こすか否かの決定を下すのは、国家ですから、議会で物言う政治家ということになるでしょう。
しかし、憲法改正の場合、そもそも、この憲法を押し付けたのはアメリカでありながら、改憲と再軍備を迫ったのもアメリカです。ご承知のとおり、米ソ東西冷戦のはじまりによる、対日占領政策の方向転換からのことですが、地形的な戦略から日本を反共の砦にしなければならなかったことが発端ですね。
ですから、日本の政治家は、直接アメリカから、改憲と再軍備が要求されてきた立場にいるわけです。軍事同盟の日本の立場としては、それを正面きって拒否はできないわけです。しかし、否応なく拒否する方法がひとつだけあります。それは日本の国民が反対しているという場合です。大国アメリカといえども、民主主義国家です。そこは民主主義の原則に従い、日本の国民が改憲にノーを示す結果が出れば、アメリカも呑まざるを得ないわけです。
とかと今や、郵政法案の経緯をみてもおわかりのように、政治家は弱い立場です。内心では護憲でも、改憲に投票せざるを得ない状況といえるでしょう。今回の選挙がその実情を示しました。
ですから、最後は国民の憲法に対する意識にかかっているということです。
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