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万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る

139ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2005/04/12(火) 01:56:30
決して揶揄するつもりはありませんが……



愛知万博、盛り上がってないですねぇ……。

これからまだGWや夏休みがありますので、日本国内の来場者のピークは
まだまだ先だとは思うのですが、台湾・韓国・中国・シンガポールなどの、
近郊国からの来訪者や、欧米、中東、南米、アフリカなどからの来訪者は
どんな具合なんでしょうか。

もっと注目を集めるといいですねぇ……。

なんか、開始以来、今のところお弁当解禁問題以外でほとんど巷の話題に
上がってこないところが心配でなりません……。

140中葉:2005/04/22(金) 10:40:03
トップでこう言いました。

===================================
1 名前: 中葉 投稿日: 2004/06/15(火) 12:18

朝日新聞6月11日付けによれば、5月31日に神田愛知県知事他が
北京で中国側関係者にご挨拶した際、昨年12月にBIE(博覧会
国際事務局)議長に就任した呉建民氏(前在仏中国大使、中国
外交学院院長)は「大阪万博以降、低調傾向にある万博運動を
盛り返したい。21世紀以降の紛争解決の糸口、新しいコミュニ
ケーションの方策、マルチラテラリズム(多国間主義)の観点
からも日本の努力を期待し、BIEも愛知万博に協力を惜しまな
い」と語ったとのことです。

2005愛・地球博では、このような国際的、歴史的な期待に対応
し、地球フォーラム・シンポジウム「地球に生きるものの使命」
http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=23
その他、多種多様な企画・準備とともに、万博後の恒久的な
体制づくりも進めています。

しかし、まだまだ不十分です。
皆さんのご支援をよろしくお願いします。
===================================

いつも私は、「藩はわたくし、おおやけは日本」とか、
尊皇攘夷、佐幕開国という二律背反が、蓋を開けたら尊王開国という
第三の道になった。 今回も第三の道を追求するべきだろう、と言っています。

昨日4月21日(木)の朝日新聞「不信の連鎖 きしむ日中韓 ゆがむ三角形」に
よれば、

盧武絃大統領は「韓米日の同盟など存在しない。日米があり、韓米があるだけだ」
と親しい記者に漏らしているとのことです。

さらに、韓国政府関係者は「日米と等距離を置き、中国や北朝鮮に近づく。
つまり、韓国中心の等距離外交だ」と説明したそうです。

また、日韓、日中の関係悪化がブッシュ政権のアジア外交に持つ意味について、
ハドリー大統領補佐官(国家安全保障担当)を、国家安全保障会議のアジア
担当幹部が囲んだ会議の後、以下のように語ったとのことです。

「我々は内政干渉しない。しかし、心配している。とくに日韓の摩擦は困る。
米国の同盟国である日韓両国が対立すれば、アジアでの米国の立場が弱まるからだ」
また、「米国は中国の台頭に対し、封じ込めるのではなく、内部の民主化を促し
ていく。だが、中国の近隣で民主国家同士がいがみ合えば、民主主義の魅力が
失われ、21世紀のアジアが軍事力に規定されるという後退を招くだろう。これは
米国の国益と理想に反する」

はっきり言えば、米国の希望は、日韓の信頼関係をベースに、東アジアの安定的な
平和を強化したいという姿勢です。私は、米国は東アジアにおいて、マルチ
ラテラルの平和を望まず、ユニラテラルの集合体(鵜飼いの鵜匠ですね)を
望んでいると思って今した。米国が、部分的にでも(そして将来は広い範囲で
の)マルチラテラルな国際関係がアジアに育つことを、奨励しないまでも容認
するとすれば、こんな嬉しいことはありません。

私が考えている第三の道とは、正にこんな方向です。

141中葉:2005/04/24(日) 23:38:34
>>139 愛知万博、盛り上がってないですねぇ……。

盛り上がらないのは当然だと思います。

取り上げたテーマが「持続可能な社会づくり」。
21世紀のもっとも重要で、問題自身が複雑怪奇で、現在の人類の知恵では理解さえできない。
ましてや、解決できない。

しかし、このテーマで真剣に取り組むことには意味あり。それを取り上げただけでも、愛知県は世界の歴史に残るでしょう。
愛知県に続く国・地方があると信じたい。

142中葉:2005/05/27(金) 09:59:54
ようやく万博で「持続可能な社会をつくる方法論」としてユビキタス組織論を
ぶつける準備は整いました。

面倒だから全部お見せします。

『持続可能なコミュニティづくり』シンポジウム企画書
http://home1.catvmics.ne.jp/~shibatay/sustainable-dev.htm
をご覧ください。

143中葉:2005/07/25(月) 00:43:14
「万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策」

おかげさまでできました。後は、粛々と実行するのみです。

144中葉:2005/08/18(木) 15:19:40
次は2010年上海へ向けて準備を始めます。

忙しいことです。

145うろちい:2005/08/19(金) 20:40:34
>>143
すみません、結局どういうものが「できた」のですか?
2010年はそれを受けてのことだと思うのですが。

146中葉:2005/08/26(金) 11:40:11
もっともなご質問をありがとうございました。

上海万博と愛・地球博との間で開催理念の共有化ができたのです。
そして、それを前提に、官・産・学・民の間でも広範な協力関係ができました。

そして、それを受けての2010年です。

147中葉:2005/08/26(金) 11:50:30
実は、中国の人達と日本の我々とは同じ問題を抱えているのです。

以下にして持続可能な国づくりを実現するか?という深刻な課題です。

我々の万博のテーマはそれでした。中国の上海万博のテーマも同じです。
すなわち、ベターシティー、ベターライフ

これを以下に実現するかの国際会議が

International Forum on Education for Sustainable Development
28 October - 1 November 2005, Beijing, China
http://www.bj-aes.org/forum2005/
10月28日から11月1日まで北京で開催されます。

私は、万博の成果をもって参加したかったのですが、準備が間に合わず、
諦めました。

2010年までには準備を完了し、誰か、代理の人に参加してもらうつもりです。
私は高齢になったので辞退する予定です。

148中葉:2005/08/26(金) 11:53:42
理念の作成はシンポジウムを中心にやりました。例えば、
http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=23
http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=101
http://www.chikyuheiwa-f.jp/
などをご覧ください。

149中葉:2005/10/02(日) 05:43:09
多分、万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探った中で、
もっとも成功しそうな例のNo.1に近いのはこれでしょう。

http://www.minna-chubu.jp/history400/television/guzyoudance/guzyoudancefes.htm
http://www.minna-chubu.jp/history400/television/guzyoudance/guzyoudancefes2.htm

150中葉:2005/10/29(土) 04:37:18
次のステップは胸突き八丁!

大変だがこつこつやるしかないか?! という心境です。

151大神:2005/10/29(土) 07:13:42
万博。愛知万博行きたかったなぁ・・。

152中葉:2005/10/29(土) 17:41:58
行きたかったのに行けなかったのは可哀想ですね。

私は、はじめは行きたくなかったのですが、
準備をしているうちにだんだんのめり込み、
今や、万博人間です。
出来たら、次のサラゴサにも、その次の上海にも行きたいですね。

153大神:2005/10/31(月) 17:48:25
 愛知万博はでだしはあまり良くなかったみたいですが、中盤以降からは
予想以上の大勢の人が訪れたみたいですね。

 テレビで見た、日本人の小さな子供がボランティアの外国人学生スタッ
フとが別れを惜しむ姿が印象的でした。
 多分、その子供は一生忘れないだろうな・・。

 近い上海には行ってみたいですね。

154中葉:2005/11/03(木) 11:57:35
今から準備すると相当楽しめますよ。

愛・地球博の場合は、事前に2年ほど準備しました。
上海まで、あと4年準備できる!

155中葉:2005/11/03(木) 11:59:48
4年間かけて何を準備するかって?

もちろん、市民外交による平和構築の準備です。

156大神:2005/11/04(金) 01:03:35
>中葉さん

 なるほど。4年あれば中国語も勉強できますね。

 それに日本にいる外国人の人と仲良くなればそのツテで色んな人と知り合うことも
できますね。

157中葉:2005/12/09(金) 23:06:12
着々と東アジア共同体に向けて動いているね。

祝着祝着!

「共同体」宣言明記目指す 政府、東アジアサミットで
2005年12月 6日 (火) 19:24
 政府は、クアラルンプールで14日に初開催される東アジアサミットを
「東アジア共同体」形成に向けた歴史的会議とするため、焦点の共同宣言に
将来の目標として「共同体」の文言明記を目指す方針だ。
ただ小泉純一郎首相の靖国神社参拝を発端とする中核メンバー中国、韓国との
関係悪化が影を落とし、各国への根回しに苦慮しそうだ。

東アジアサミットは、麻生太郎外相が出席する10日の外相昼食会で事実上
幕開けし、東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス3(日中韓)の首脳、
外相会議など一連の会議が続く。

この中で政府は、将来の共同体形成に向け貿易、環境など多分野の協力を
重層的に組み合わせていく「機能的アプローチ」や、民主主義など普遍的価値の
実現を目指す方針に、各国の理解を得たい考え。

http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/seiji/20051206/20051206a1980.html

158中葉:2005/12/13(火) 19:07:34
ASEAN+3、東アジア共同体の「中心」を宣言 2005年12月12日 (月) 22:50

 東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス3(日中韓)の首脳会議が12日開かれ、
この枠組みを東アジア共同体構築の主要な枠組みとすることなどを盛り込んだ
首脳宣言を採択した。一方、これにインドや豪州などを加えた東アジアサミットについても、
毎年開催する方向で最終調整に入った。

 首脳宣言では、東アジアの共同体の実現という「共通の長期的目標」のために、
ASEANプラス3が「引き続き主要な手段であることを確信する」と位置づけた。
首脳会議をこれからも毎年開催することを確認した。

 東アジア共同体をめぐっては、ASEANプラス3と東アジアサミットの
どちらが基本の枠組みになるかをめぐって、日本と中国の間で綱引きが続いていた。

 日本外務省によると、小泉首相は「ASEANプラス3の協力は
東アジア共同体形成に主要な役割を果たしている。さらなる協力実績の積み重ねの上に
他のパートナーとお互い胸襟を開いて、将来の共同体構想を議論したい」と述べ、
ASEANプラス3に加えて、サミットも共同体形成にかかわっていくべきだ、
との姿勢をにじませた。一方、中国の温家宝(ウェン・チア・パオ)首相は
「困難を乗り越えてきたASEANプラス3は地域協力の主要な推進力、主要な道筋であるべきだ」
と述べ、ASEANプラス3が中心になるという考えを示した。

 議長国マレーシアのアブドラ首相は会議後の記者会見で「長い経験に支えられたASEANプラス3は
今後も重要であり、東アジアサミットにとって代わられるものではない。両者は対立するものではない」と述べた。
また東アジアサミットについて「ASEANプラス3は毎年開催で大筋合意した」と述べ、
14日のサミットで正式に提案する考えを示した。

 ASEANプラス3首脳会議は例年、議長国が声明を出して総括しているが、今回は各国首脳が宣言に署名した。

以上は http://news.goo.ne.jp/news/asahi/kokusai/20051212/K2005121202050.html?C=S より
朝日も乗ってきたのかな?

159中葉:2005/12/17(土) 06:27:11
やはり、万博が終わった今になって、ようやく呉建民が1年半前に言った以下の意味が分かってきた。
東アジア共同体を作る布石の一つだったとは!

4 名前: 中葉 投稿日: 2004/06/17(木) 23:46

それにしても、呉建民氏(前在仏中国大使、中国外交学院院長)は何を考えているんだろう?

21世紀以降の紛争解決の糸口
新しいコミュニケーションの方策
マルチラテラリズム(多国間主義)
・・・・・
の観点からも日本の努力を期待
BIEも愛知万博に協力を惜しまない

とは何を言わんとしているのだろう??

考えれば考えるほど奇々怪々!

160中葉:2005/12/24(土) 16:55:00
>>1 名前: 中葉 投稿日: 2004/06/15(火) 12:18
>
> 朝日新聞6月11日付けによれば、5月31日に神田愛知県知事他が
> 北京で中国側関係者にご挨拶した際、昨年12月にBIE(博覧会
> 国際事務局)議長に就任した呉建民氏(前在仏中国大使、中国
> 外交学院院長)は「大阪万博以降、低調傾向にある万博運動を
> 盛り返したい。21世紀以降の紛争解決の糸口、新しいコミュニ
> ケーションの方策、マルチラテラリズム(多国間主義)の観点
> からも日本の努力を期待し、BIEも愛知万博に協力を惜しまな
> い」と語ったとのことです。
>
> 2005愛・地球博では、このような国際的、歴史的な期待に対応
> し、地球フォーラム・シンポジウム「地球に生きるものの使命」
> http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=23
> その他、多種多様な企画・準備とともに、万博後の恒久的な
> 体制づくりも進めています。
>
> しかし、まだまだ不十分です。
> 皆さんのご支援をよろしくお願いします。

愛・地球博での
「万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る」
偉大な実験は終わりました。

次は2005上海での実験を目指して準備を始めました。
皆さん、よろしくお願いします。

161厨葉:2005/12/26(月) 11:36:08
ま、アレですわな。

大東亜共栄圏は日本の主導だからダメだが、
東アジア共同体が中国の主導ならokだ。

建前としては、ASEANの主導だが、中国と日本が
影響力のある実質的主導権争いをせざるをえない、のが実情。

日本が東アジア共同体に参加しないという選択肢もあるが、
それではASEANを含む東アジア共同体という枠組みに
日本が影響を及ぼすことができなくなってしまう。
(東アジア共同体が中国の衛星国倶楽部になってしまう)

東アジア共同体に日本はコミットせざるを得ないが、
「共産主義政府(民主主義と法治主義以外のものに支えられた政府)」の
主導の東アジア共同体にしないようにしようとしたら、
日本が主導するか、中国を牽制できる別の大国・地域大国(インドや豪州)
のコミットが必要だ。
日本単独で東アジア共同体に影響力行使を試みたら、
「大東亜共栄圏の悪夢再びだ」と言う予定なのだろうし。

日本はアジアでなくていいと思うんだがなあ。
文化・風土・人種・風習的にも、環太平洋からの影響のほうが大きく、
また、大陸的な枠組みに囚われると、60〜70年前と同様の失敗
に至るのは目に見えてるし。

それでも(厭でも)東アジア共同体にコミットせざるを得ないなら、
やはりインド・豪州を引き入れて、50年掛けて頑張るしかないのかも。

EUだってここまでくるのに50年以上掛かってるんだしね。
その間に中国が民主化されるなら話はまた別だろうし。
でも、民主化されて歯止めが利かなくなった中国が、民主主義的決定
に基づいて拡大政策を採ったら、それはそれで怖いなw

162中葉:2005/12/26(月) 13:58:01
優柔不断は愚策のなかの愚なるもの。

163中葉:2005/12/26(月) 14:04:15
いかのような、あるか無いかわからん日本政府の方針でも、無いよりまし。

我々はもう少しましな物を考えよう。

http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/seiji/20051206/20051206a1980.html

「共同体」宣言明記目指す 政府、東アジアサミットで
2005年12月 6日 (火) 19:24


 政府は、クアラルンプールで14日に初開催される東アジアサミットを
「東アジア共同体」形成に向けた歴史的会議とするため、焦点の共同宣言に
将来の目標として「共同体」の文言明記を目指す方針だ。
ただ小泉純一郎首相の靖国神社参拝を発端とする中核メンバー中国、韓国との
関係悪化が影を落とし、各国への根回しに苦慮しそうだ。

東アジアサミットは、麻生太郎外相が出席する10日の外相昼食会で事実上幕開けし、
東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス3(日中韓)の首脳、外相会議など一連の会議が続く。

この中で政府は、将来の共同体形成に向け貿易、環境など多分野の協力を重層的に
組み合わせていく「機能的アプローチ」や、民主主義など普遍的価値の実現を
目指す方針に、各国の理解を得たい考え。

164大神:2005/12/27(火) 23:07:17
 中葉さんに質問ですが、中葉さんは中国に行かれるんですよね。

         あちらでは徴兵制はあるんでしょうか?

165中葉:2005/12/29(木) 05:40:26
さあ? 知りません。

166大神:2005/12/29(木) 09:58:42
 おや?「大学に入って2週間の訓練を受けた」とかの話を聞いたんじゃないですか?

167中葉:2005/12/29(木) 19:30:27
いや全然!

私は技術系でしたから、何かの聞き違いだと思いますよ。

168大神:2005/12/29(木) 21:04:38
 済みませんが、技術系なのって何か関係があるのでしょうか・・?

ちなみに私も技術系ですが。

169ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2005/12/29(木) 23:13:05
やっぱり中葉さんて、複数人いるんじゃないですか。
愛・地球博でいろいろやってたのを報告してたほうの中葉さんは、
トリップ付けたほうがいいのでは?

170大神:2005/12/30(金) 09:13:27
>>133のとかを見ると別人に見えますね。

171中葉:2005/12/30(金) 10:11:03
2ちゃんねるではトリップ付けましたが、こちらではどうすれば良いのですか?

172中葉 ◆cxXEFKh5dM:2005/12/30(金) 10:12:35
これでいいのかな?

173中葉 ◆Uq4tWGbn2I:2005/12/30(金) 10:18:32
2ちゃんねるに合わせてこっちにします。よろしく。

174中葉 ◆Uq4tWGbn2I:2005/12/30(金) 10:22:52
>>170 >>133のとかを見ると別人に見えますね。

全く同じ私です。

175大神:2005/12/30(金) 20:05:35
じゃぁ、性格代わったんですか?それとも最初から

         人 を 呼 び 捨 て に す る

人だったのでしょうか?

176中葉 ◆Uq4tWGbn2I:2005/12/31(土) 14:37:49
時と所と相手によりけり。
2ちゃんねるずれするとどうしてもお行儀が悪くなりますね。

177大神:2005/12/31(土) 19:42:54
呼び捨てする必然性はあったのでしょうか?

        それとも相手がヤスツさんだから?

178中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/01(日) 15:02:24
明けましておめでとう

179大神:2006/01/02(月) 21:57:33
>中葉さん

 今年も宜しくお願い申し上げます。

          で 、

呼び捨てする必然性はあったのでしょうか?

        それとも相手がヤスツさんだから?

180中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/04(水) 13:30:41
私は必然性や偶然性でなく、可能性と主体性に賭けています。

181大神:2006/01/04(水) 22:18:29
 呼び捨てにする必然性はあったのですか? と尋ねたら、

「私は必然性や偶然性でなく、可能性と主体性に賭けています。」

と来ましたが、「万博で国際平和だ!」と言う人がそんな誤魔化しでいいの
でしょうか?

いっそ素直に

「180 名前:中葉 ◆22bKXenR5Q 投稿日: 2006/01/04(水) 13:30:41
 呼び捨てにする必要はありませんでした。ヤスツさん御免なさい」

と言った方が良いと思うのですが、いかがでしょうか?


182ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/05(木) 00:59:22
いやいや、もういいですよ。
理論を設計する人が、必ずしも自分の理論には従えないということが明らかになっただけでも収穫でしょう。

「万博で平和を」という理念に基づいて何かの理論を構築なさったのだとしても、それは到底現実に援用できる段階にはないということで、なるほど納得です。

183大神:2006/01/05(木) 12:19:14
>>182

 確かに 同じ日本人 で、 同じところ で話をしている人で 向かい合っている
人とも満足に関係を構築できないのなら、万博のようなイベントで 自分と関係無い所にいる異国の人間 
と良好な関係は構築できないですね。

 ヤスツさんの言われるように、中葉さんは身を挺して現実に援用できないということ
を証明してくれたわけですね。

184ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/05(木) 13:34:52
少し脱線を交えながら話します。


万博という催しは、その当初の目的は「各国の国力の誇示」であったり、技術力の誇示/宣伝であったりしたのだろうと思います。
その端緒はともあれ、そこに言語・文化・習慣・伝統・歴史の異なる民族が集まり、交流の機会となっていることは間違い在りません。
そこで「新しいコミュニケーション」で「紛争解決の糸口」を、というスローガンはとてもステキだと思います。

なぜ紛争が起こるのかと言えば、それは持っている言語が異なるために意志の疎通が難しいから、というのがあるかもしれません。
日米間では暗号文の誤訳で戦争が泥沼に……という話もありましたもんね。
もちろん、同じ言語を使う者同士の間でもコミュニケーションが不十分であれば紛争は起こりうるでしょう。戦国時代の日本のように、言語がほぼ同じ(方言はあるけど)であっても、意思疎通に激しく時間が掛かる時代にはそうした紛争は避けにくかったのかもしれませんし。
現代はコミュニケーションを取るための「速度」はネットや通信の発達で解決されていますし、言語に関しても翻訳手段の発展で相応な解決は進んでいると思います。
が、それでも宗教観の相違を【足がかり】にした、階級闘争/領土紛争/経済戦争は起こります。
それらがコミュニケーションの充足で完全に回避できるかと言えば、それはまだまだ難しいとしか言えません。

もし、コミュニケーションの充足で紛争を本当に回避できるとしたら、それは対立する両者の間に【共通の利益】が見出され、それが【両者がそれぞれ個別に求めている、それぞれにとっての利益(正義)】を上回る場合のみです。
「目の前の問題より大きな、避けがたい共通利益を、双方が同様に優先順位一位に位置づけられる」
ということ。

例えば、「妻の不倫を巡って、旦那と間男が殺し合いをしている。そのとき、双方の利益は「妻」という女の獲得なので、双方譲れない。が、ここで火事が起き、そこから逃げ出さなければ双方ともに死んでしまうため「一端、殺し合いをやめて火事から避難しよう」という合意が成り立てば、一時的にだが「より上位の共通目的=火事からの避難」によって、当面の殺し合い=紛争は回避できる」
例えば、「アメリカと中国が全面戦争突入。そこに宇宙人が地球を破壊対象として攻撃してくる。アメリカと中国は、より強大な敵である宇宙人と闘うために覇権争いを棚上げせざるをえない。宇宙人撃退後に覇権争いが再開する可能性は残るが、より上位の危機である宇宙人襲来が続く間は、米中間は講和される」
例えば、「明治維新後、日本がひとつの国にまとまったのは、列強諸国というより強大な敵に対抗するため」

現実にあった例としては、911事件の後、「テロとの戦いのために、各国間は協力しよう」という呼び掛けがあって、実際、ロシアとアメリカはかつてないほどの宥和関係に。また、今はまた対立していますが、イランすらアメリカを支持したり。テロリストがテロという非常手段を用いることを認めるわけにいかない多くの国の間での共闘は成立しましたね。これも国家間の対立の一時的回避の一例であったかと。



以上から、
「より上位の共通の敵を得ることで、共闘する域内は平和になる。域外との対立は、さらに外側の共通の敵を得るまで続く。【域内の平和】を拡大するためには、より大きな【域外の共通の敵】を獲得すること以外にあり得ない」
が、私の得ている「域内平和論」の当面の結論となります。

185ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/05(木) 13:35:12
以上を踏まえて、中葉さんが設計に携わった理論は、「同じ考えの人」の間には成り立つけれども、「違う考えの人」に対しては効力を発揮しないタイプの理論なのではないかな、と推察します。
同じ理想を共有する者は、イコール「同じ域内の人間」なので、その域内でならその理論も平和も成り立つ、ような錯覚に陥りますし、実際成り立つのでしょう。
しかし、待ってください。
コミュニケーションの不足から起こる多くの紛争というのは、「域外と域内の対立」から起こるものです。
域内外の定義はいろいろありましょうが、「国境の中と外(=領土紛争)」「経済的利益の中と外(=経済摩擦)」「階級的利益の中と外(=利権の取得者と利権にあぶれた者の階級闘争)」などなど、あらゆる場所に「域内と域外」は存在します。対立する双方の差異は多くの場合平面的な違いではない(対等な高度に存在しない)と思います。
どちらか一方が特権的利益を持っている(と、もう一方は思い込み)、もう一方は不利益を被っている(と、思いこむ)。そういう不対等な域内外関係が、臨界点を越えたときに「実力行使=紛争」となります。

「域内の平和」を理想とする考え方の方々は、多くの場合ここで「ならば双方を対等にすれば対立はなくなる。双方をともに対等にすることで、共通の域内に取りこめばいい」という【誤解】に陥ります。
何らかの強制的な理由(私はこれを、より上位の災厄、共通の敵と考えています)が、双方の対立をより小さな、優先順位の低いものに変えてしまわない限り、域内での不平等/不対等を双方(特に不満に感じている側)が対等になったと受け入れることは難しいと思います。

日本と北朝鮮の関係を見た場合、両国の間に「共通の敵」が設定されない限り、対立の解消(または棚上げ)は難しいものと思います。
逆に、本来北朝鮮と戦争をしていて、今も講和していない(そして、その北朝鮮を支援していた中国とも対立関係にあった)【韓国】の場合、「反日」または「日本という共通の敵」を持つことによって、北朝鮮・中国と友好関係を結んでいます。
これは、「中韓朝」という域内と、「日本」という域外の対立、という図式を作ることで、「中朝韓の域内は、対立を回避できている」ということになります。現実にはそんな簡単なものではないのでしょうけれども、昨今の韓国の対北観の変化、経済・外交戦略における中国への接近から見てもあながち間違っていないと思いますよ。

では日本が「中朝韓の域内に加わる」のが良いのか? 昨今の「近隣諸国と仲良く」という親中韓的思想ならそうなりますが、「より大きな域内に属したほうが、小さな域内に留まるよりも得られる安全は大きい」わけですから、現在の「日米同盟」という域内に留まり、これを強化拡大するほうが日本としては
スケールメリットが大きいわけで。より小さい域内に入ろうとするというのは、矛盾でしかないように思います。


さて、話を元に戻しましょう。
コミュニケーションの不足が紛争に至るという考えには、一部同意します。
が、コミュニケーションの充足だけでは紛争回避は不可能であり、コミュニケーション(これは手段でしかありませんので。口げんかの手段をチャットに変えようが電話に変えようが、罵倒の中身が変わらないのと同じ)の手段・機会の獲得だけではなく、より上位の共通利益(共通の的)を得ることを求めなければ、コミュニケーションによる紛争回避は実現できないものと思います。
また、コミュニケーションによる紛争回避のための「共通の域内」は、より大きな域内に拡大されることで、平和/安全な地域も拡大する、と考えられます。
二つの異なる「域内」があった場合、より大きな、または影響力のある「域内」に属した方が、享受できる「域内の平和」も大きく(広く)なります。
域外の敵が強大であればあるほど、域内の結束は強まり、また「域内」も拡大しやすくなるものと思います。

私はそのように考えております。
これは、すでに以前このスレか別スレで述べていることの繰り返しでしかありません。
同じ話が出てくるのは、これを上回る実現可能で効果的な方法と提示と【援用】が見られたことがないからです。

新しい方策を設計されておられる方が、その足下で自分と自分以外の間に起こる対立(小さな紛争ですね。個人間の)をも自説の援用で解決できないところを見ると、「共通の理念/目的を持たない者同士の間の対立を回避する方法」「共通の理念/目的を持たない者同士の間に共通の理念/目標を持たせる方法」は、まだまだ遠い未来の理論なのだな、と実感しました。

186中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/06(金) 10:25:35
もちろん、私の理論も、私の人格も不十分であり、完全でないことは認めます。
また、完全を求めてはいません。

それよりも、実践を通じで、失敗を通じて成長することと、もっと現実的には、
私の協力者が、私の失敗を見て、成長し、独自の実践を展開してくれることを、唯一の未来への希望にしております。

これまでもそうでしたし、これからもそうなるでしょう。

“必要なのは、次世代のために「連帯を求め孤立を恐れず」もう一度立ち上がる気構えだけだ。
下の世代は、必ずや拍手を送り、後に続くだろう。”

林信吾氏の著書「昔、革命的だった お父さんたちへ」から一部抜粋
http://n-geneki.com/subject_19.htm

187ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/06(金) 19:10:42
完全を求めているわけではありませんが、「コミュニケーション(相互理解と交流)で平和を」というのを求めている人が、いきりたって喧嘩腰になったり、またそういういきりたって喧嘩腰(かもしれないしそうではないかもしれない)を相手に、自説であるところの「コミュニケーションの促進で相互理解」を実践できないのはなぜでしょう?

「自分はうまくいかなかったから誰かがうまくやってくれることを期待する」
というのが>>186の主旨かと思いますが、「理想/理念として大々的に掲げていた方法論を、なぜミクロなコミュニケーションの場であり意見として対立している個人の解決に援用しないのか? できないのか?」という問いに対する回答にはなっていないように思いますよ。

自説が実現性に乏しく現実への援用が難しいのは、ご自身の説に欠陥があったのか、説に欠陥はないが実際には個人間の対立回避にも援用できないものだったのか、説を実践する人間を選ぶ(つまり、普遍性がない)ということだったのか、そのあたりについて、説を提唱された方ご自身がよくよく点検すべきなのでは? 「後輩/協力者に譲る」と逃げてしまうのは、説だけブチあげて逃亡しようとしているようにも見えて大変残念です。

ところで、中葉さんのトリップが昨年と今年で違っているところを見ると、やはり中葉を名乗る方は複数いると判断せざるを得ないような……。
この懸念はどうやれば払えるのでしょうね(^^;)

188中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/08(日) 05:56:33
> この懸念はどうやれば払えるのでしょうね(^^;)

今回について言えば、そして私としては、どちらも同一人物であることは
ハッキリしていますから、懸念自身が存在しません。

多分、将来もそういうことは起きないと思いますが、その時はその時に対応します。
中葉を名乗る価値を低くしておくことが最強力な方法だと思いますよ。

189ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/08(日) 07:07:12
>>188
あなたにとって「主観的にハッキリしている」ことが、第三者にとって「客観的には曖昧だ」ということなんですよ。
あなたにとっては懸念は存在しないのでしょうけれども、そのことを第三者にあなたの意図したとおりに伝えられない限り、第三者があなたに感じる懸念は晴れないと思います。

「自分(A)が主観的に了解している」
「(A)の主観的な了解が、第三者(B)と共有できている」

というのは、必ずしもイコールではありません。
そのことを踏まえた上で、AとBの間で意志の疎通と意図の了解(共有)を進めるのが「コミュニケーションを図ることで、紛争のタネを回避する」ということでしょう?

190中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/08(日) 12:49:49
私の経験と理論によれば、個人間のコミュニケーション、集団間のコミュニケーション、
組織間のコミュニケーション、社会・国家などの間のコミュニケーションは、
実践においても理論においても、極度に大きな相違があります。

「紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る」対象は、複雑度の極致だと考えております。
味噌とクソを一緒にしないように、私は気を付けております。

191ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/08(日) 16:20:05
>>190
つまり、

・個人間でつかみ合いの大げんか、殺し合いをするに至る方法は解決できない

が、

・そのつかみ合いの大げんか、殺し合いをする個々の人間を、それぞれの勢力内に含んだ「集団」間の宥和は可能である

ということでしょうか?
もちろん、個人間の対立に高度な軍事力の行使や派閥のパワーバランスによる駆け引きは存在しないのでしょうが、「子供の喧嘩を仲裁できない者が、大人の喧嘩を仲裁できる」と言われても説得力はありません。
その意味で、ミソもクソも一緒ですよ。
マクロな解決のための手段は、ある程度の簡略化はされるものの、その基本的な公式はミクロな解決にも援用できて当然と思いますが。

子供の喧嘩を大人が仲裁できるのは、双方の話し合いを促す以前に「より強大な権力で、双方の衝突そのものを制止する」からですよね。
大人(国・地域など)の対立の仲裁も、より強力な権力(それは国連決議だったり、その決議を背景にした軍事力だったり、経済制裁だったり)で、双方の衝突そのものを制止する、というところから入るじゃないですか。
ミクロな方法は、マクロでもほぼ似たような動きをする、ということの好例と思いますが。
この場合の例えが正しいかどうかわかりませんが(中葉さんが理系なら通じると思いますが)、そうした「コミュニケーションによる対立解消」というテーマにあっても、マクロとミクロの相似性と言いますか両者のフラクタルな関係は保たれているように思われます。

もちろん、この「大きな権力で強制的に介入するという方法はうまく行っていない」という意見を中葉さんはお持ちなのでしょうから、「万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る」というテーマを掲げられたのだと思います。
が、「万博では成功裡に終えた」とされる理論は、結局の所現実に援用できる見通しは立っていないようですし、加えて「マクロには応用できるが、ミクロには応用できない」といういびつな(そしてそれは説得力のない)ものになっている、と仰る。

192ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/08(日) 16:44:59
私の主張は実は非常にシンプルなんですよ。

・個人Aと個人Bは意見が異なり、対立している。
・個人Aは集団(A')に、個人Bは集団(B')にそれぞれ所属している
・個人A、Bの意見は、それぞれの所属する集団では一般的主張/主導的主張だ
・集団(A')と集団(B')は、それぞれの主張に基づき対立している

・命題:集団(A')と集団(B')の対立を解消したい

ここまではok?
中葉さんが仰る「万博でコミュケーションで」というのは、恐らく一般的な考えでよくあるところの、「国同士の政治的対立は棚上げし、民間交流を進め、そこから友好関係に進みましょう」ということをむずがしげに述べているということ、と了解しています。
この考え方は、「個人(有権者)の代表的意見の代弁者としての政府の主張が、相手と噛み合わないこと(=政冷)を、政府を個人と無関係の障害であるかのようにみなす」という前提に立っていることもあり、私はあまり同意できませんが。
それはそれとし、つまり、こういうことですよね。

・集団(A')と集団(B')の対立解消のためには、まずそれぞれの個人A・個人Bの対立が解消されればよい
・集団同士の対立は、それに所属する個人同士の対立を解消することで、発展的に解消される

一方、個人同士の完全な対立解消は最終的には不可能だから、一般には

・集団の代表者同士が対立解消を約束し、それぞれの集団に所属する別意見の個人には、約束をした代表の主張(命令)に従わせる

という方策が採られるわけですが。国(個人の代表的意見の代弁者としての政府)が条約を結んで、それぞれの国の国民はそれに従う、という図式ですな。

集団内での意見(命令)の徹底は、その集団がどのような「統治方法」で成り立っているかによって方法が異なりますよね。
民主主義国家であれば、「多数意見」が権力を持ち、集団の代表者は「多数意見の代弁者」であるので、集団そのものの多数派を代表することそのものが、少数派への意見の強制の根拠になります。
共産主義、王権、ある種の独裁国家であれば、集団の代表者は「集団の支配者・所有者」であり、恐怖・財力他何らかの強制力を根拠に集団を支配することになるわけですよね。

民主主義国家(A')と非民主主義国家(B')が対立した場合、相手には民主主義の常識が通じず、先方からも独裁的常識が通じない、ということになりますね。これが対立のもと。
どちらかの常識(ルール)に合わせることで、問題の解決はスムーズに進むが、ではどちらの常識に従うか? という点が解消できていない問題点。
現在の世界的潮流では「話し合いで」「より多数意見に従う」という民主的手法が良しとされているわけですが、そもそもその手法を統治に取り入れていない集団(独裁的集団)は、民主的方法を取り入れた段階で国内統治が崩壊してしまいます。(外部の多数意見に従うなら、内部の多数意見にも従え、という意見を、押さえきれなくなったらアウト)
それは受け入れられないから、多数意見を尊重する民主的解決方法は独裁的集団(B')には受け入れられない。
もちろん、「少数者の専制的権力による支配」というルールを、民主主義国は受け入れられないから、この方法もダメ。

193ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/08(日) 16:49:03

ここでは、国(集団)同士の争点を「相手に言うことを聞かせるための方法の相違」というところに仮に集約していますが、これは個人間にも言えることなのでは。
自分の正義を絶対に曲げないという人=独裁思考の人と、他人の意見を取り入れることで正義に修正を図ってもいいという人=多数決/合理主義/民主主義思考の人との間に例えることができます。
もし、「全体としてのスムーズな解決」を望んだ場合、自分の正義を絶対に曲げない人を矯正するより、ハイハイワロスワロスと従ってしまったほうが「前進」はするでしょうけれども、そうすると常に少数者(正義を曲げない人)に支配されるという構図が「正しい」ということになってしまい、従ってはいるけれども不満を抱えた人が増え、膨張したその集団は遠からず崩壊してしまいます。

いずれにしても、「プロトコルの違う相手との間に接点を見つけるにはどうしたらよいか?」がカギになっていますね。
これは、集団同士でも個人同士でも基本的な部分では変わらない。

その解決方法の提案として、「より大きな敵/共通の障害(=大集団)と対峙する」ことで、小集団同士の協力を図る、という案は現実味を持っていると思います。
これは、個人間にも援用できますよ。

例えば、私と中葉さんが異なる主張で対立しているとします。(今、模索の最中ですが協力できていないことは確かですね)
我々が協力して、別の外敵と対応する場合、初めて私と中葉さんは「協力体制」「暫定的な友好関係」を結ぶことができる、ということになります。
この場合の外敵は、例えば野卑な話ですが、エロ宣伝の荒らしが来たとして私と中葉さんが意見としては対立しているけれども、どちらもそうした投稿を削除する資格/権限を持っていた場合、対立は棚上げしてエロ宣伝の削除には当たることになるでしょう。(もし、この意見交換の場に対する重要度が高いなら。別にどうでもいい、というなら話はご破算ですが)
この場合の「エロ宣伝荒らし」が共通の外敵、それへの協力した対応が「対立を棚上げできる、より優先度の高い問題への協力」となるわけで。

こうした、「相違を解決せずに棚上げして協力し、事に当たる」という解決方法は、SF映画ではよく題材にされますよね。宇宙人が攻めてきたり巨大隕石が落下したり。
この方法は、個人というミクロな場でも集団というマクロな場でも、どちらにでも援用可能であり、そうであるが故に両者はフラクタルであるなあと思ったりするわけですが。

これはクソもミソも一緒ですか?

194中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/08(日) 22:47:20
仮想の話でなく、具体的な話にしませんか?

このスレッドで提案した「万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る」
の関係では、

>>130 「持続可能な開発のための教育の十年」は愛・地球博を皮切りに、2005年から2014年まで十年間続きます。

という状況があるので、この関係ならば具体的な共通課題として議論できると思います。

例えば、愛・地球会議の総合テーマ「持続可能な社会の創造」
http://www.expo2005.or.jp/jp/D0/D10/D10.4/D10.4.1/
に関連して以下のような定義がされています。

「持続可能性への学び“Learning for Sustainability”」とは:
http://www.expo2005.or.jp/jp/N0/N1/N1.2/N1.2.26/N1.2.26.3/

持続可能な社会をつくるためには、技術革新や制度改革と並び、意識変革につながる
教育の重要性が指摘されてきた(1992年の地球サミットで採択された行動計画「アジェンダ21」など)。

ユネスコ(国連教育科学文化機関)は、このアジェンダ21を受けて、持続可能な社会を達成するため、
教育全体の再構築を提言した。「テサロニキ宣言」(97年12月、ギリシャ、テサロニキ)と呼ばれ、
「持続可能性という概念は、環境だけでなく、貧困、人口、健康、食料、民主主義、人権、平和、
道徳・倫理、文化的多様性、伝統的知識などを含むこと」、「環境教育を持続可能性のための教育と
表現しても構わないこと」などの内容からなる。

他に、「持続可能性のための教育(Education for Sustainability)」「持続可能な開発のための教育
(Education for Sustainable Development)」「持続可能な未来のための教育(Education for Sustainable Future)」
などと呼ばれることもある。

もっと具体的には、以下のプロジェクトに参加し、現在、そのフォローを続けております。
世界ミーム博覧会 2005 http://www.memeproject.jp/hiki.cgi?NL_No4

もっと一般的に言えば、持続可能な開発にかかわる紛争の問題は数限りなくありますから、選択の幅は広いですよ。

195ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/09(月) 00:26:07
至極具体的な話をするなら、私とあなたがどうすれば仲良くなれるか、ですよw

そして、あなたが書いた「設計図」を、どのようにすれば「門外漢に一般化できるか」が、あなたが今後解決していかなければならない、もっとも重要(むしろ必要)な「コミュニケーション技術を行使すべき場所」かと思いますよ。
専門家が専門的なことを専門的な言葉で述べるのだけでは、その専門外にいる人間に専門家の下した結論や理論を援用することは難しい、と。

もっと平たく言うと、「今のままではあなたの理想は画餅に過ぎないのですが」ということです。

196ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/09(月) 00:28:08
でもその、「専門的な研究から得られた画期的な解決策」を、専門外の人間に適用し、なおかつ共感を得ていくという、これまたもっともコミュニケーション技術(特にプレゼン技術ですね)の必要な、「実用性」の部分に対しては、専門家は本当に弱いですよね。
問題はむしろ、その「プレゼン」「プロパガンダ」の部分なのではないのかなあ、と思いますが。

197中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/09(月) 06:55:54
おっしゃる考え方については同意します。

しかし、「専門的な研究から得られた画期的な解決策」というようなアプローチはとっていませんので、ご承知下さい。
ここがヤスツさんと私の基本的な分かれ道かもしれません。

私が長い間追求し実践してきたのは、非専門的なシステムズ・アプローチです。

>「実用性」の部分に対しては、専門家は本当に弱いですよね。

ここは全く同意・同感で、我が意を得たり!です。

198中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/09(月) 10:45:21
> 私が長い間追求し実践してきたのは、非専門的なシステムズ・アプローチです。

私の「非専門的なシステムズ・アプローチ」とは似て非なる「専門的なシステムズ・アプローチ」
が生まれそうな組織を発見しました。

サステナビリティ学連携研究機構 http://www.ir3s.u-tokyo.ac.jp/
です。否定的な表現でしか説明できないのが、歯がゆく、もどかしいですが、
了承をお願いします。

199中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/16(月) 11:42:23
> 問題はむしろ、その「プレゼン」「プロパガンダ」の部分なのではないのかなあ、と思いますが。

全くその通りです。愛・地球博 国際シンポジウム『「持続可能な開発」の媒介者たち』プログラム
http://www.minpaku.ac.jp/jcas/symposia/2005/20050919_20/program.html
に登壇し、「広告と持続可能な開発」と題して発表したマイク・ロングハースト氏(マッキャン・エリクソン上席副社長、英国)
の発表内容は、正に「プレゼン」「プロパガンダ」そのものでした。
私には大きな教訓でした。

200中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/27(金) 23:18:14
繰り返すが、次は上海万博だ。間に合うように準備しなければ。

201ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/02/01(水) 09:15:28
近代洗脳の父と言えばコードウェイナー・スミス……は置くとしてw、

ゲッベルス、中国共産党、北朝鮮、大韓民国など、軍事政権/軍関係者によって
研磨されてきたジャンルでもありますね。
今もプレゼンとプロパガンダを商売にしている広告代理店への浸透工作などが
問題視されています。

プレゼン/プロパガンダをそうした軍事政権が活用することは今さら珍しくありま
せんが、そうしたプロパガンダを受ける側は、自分が洗脳を受けている可能性に
対して疑問を抱かない、という危険性があります。でも、洗脳を受けている真っ最中
の人は、自分の行動を「自分で決めた選択」だと思いこんでいて、決して「誰かに
そうさせられた」とは思いもしないところがまた怖いわけで。

「相手に自分の想った通りの行動を取らせる。しかもその行動を取った当人は、
自分の判断でそれをしていると信じている」
というのがプロパガンダの理想型なわけですが、このあたりは銀河帝国の興亡の
第二巻のミュールあたりに注目すると「ああそういうものか」と見えてくるのかも。

どっちにせよ、「自分の考えを相手に理解させる技術」としてのプレゼンが、もう
一歩進んで「相手が無自覚なまま、自分の考えを支持・選択させる技術」である
ところのプロパガンダ、突っ込んで言えば洗脳なわけですが、そういうところに
突き進んでいってしまうのは、それはそれで恐ろしいものです。

202中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/02/07(火) 20:13:20
洗脳は非常に微妙なところがあって、Edgar Scheinなど、組織開発も洗脳だと
言っています。

万博期間中は、ミーム・マネジメントにどっぷり漬かっていたのですが、あれなど
非常に微妙で、パネリストとして参加したスーザン・ブラックモアはミーム・マネジメントは
可能だが、ミーム・コントロールは不可能だと言ったり、佐倉統さんはミーム・マネジメントは
教育だと言ったり、てんやわんやで面白かった。

万博に関係がある「持続可能な開発のための教育の十年」では、
http://www.esd-j.org/documents/DESDIIS_Final_JapanesebyESD-J.pdf
教育の十年の最大の課題として意識改革を取り上げているのですが、これなど
洗脳と見分けがつかない。

いやあ、面白い時代がきたものです。

203中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/02/26(日) 10:21:44
いよいよ日本政府も重い腰を持ち上げて、
「持続可能な開発のための教育の十年」
http://www.esd-j.org/documents/DESDIIS_Final_JapanesebyESD-J.pdf
に着手し、意識改革と取り組む破目に陥ったようです。ご同慶のいたりです。

http://www.env.go.jp/press/press.php3?serial=6797
に以下のアナウンスがありました。
私は意見を申し上げましたが、皆さんも注目して下さい。

平成18年2月3日
わが国における「国連持続可能な開発のための教育の10年」実施計画案に対する意見の募集について

 「国連持続可能な開発のための教育の10年」関係省庁連絡会議では、わが国における「国連持続可能な開発のための教育の10年」実施計画案に対する国民の皆様のご意見を募集いたします。
 同実施計画案に対してご意見をお持ちの方は、平成18年2月23日(木)までに、電子メール、郵送、FAXのいずれかの方法によりご意見をお寄せ下さい。 1 趣旨
 わが国の「国連持続可能な開発のための教育の10年」実施計画については、関係省庁の緊密な連携を図り、
 総合的かつ効果的な施策の推進を図るため、昨年12月、関係省庁連絡会議を内閣に設置し、政府外の関係者(教育関係者・産業界・NPO・自治体等)との円卓会議等を通じ、
 検討を行ってまいりました。
 同実施計画案に対する国民の皆様のご意見を募集いたします。

2 意見募集の対象
わが国における「国連持続可能な開発のための教育の10年」実施計画案(別添)

3 参考資料
参考1わが国における「国連持続可能な開発のための教育の10年」実施計画案(概要)
参考2国連持続可能な開発のための教育の10年について
参考3国連持続可能な開発のための教育の10年に係る経緯
4 意見提出締切日
2月23日(木)(消印有効)

今回は期限切れですが、次回は遅れないように、皆さんにお知らせします。

204中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/02/28(火) 10:23:37
「持続可能な開発のための教育の十年」
http://www.esd-j.org/documents/DESDIIS_Final_JapanesebyESD-J.pdf

この大プロジェクトに成功すれば、
「万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る」ことも
夢ではなくなるだろう。

205中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/03/03(金) 11:24:57
日本の万博ではここまで行って、そこで息が切れました。
http://expo.ecoaction.info/dmarket/blog/peaceforum/article/atc00000002

後は次世代の皆さんと中国の人達の上海万博にバトンタッチします。

206大神:2006/04/01(土) 17:23:39
>中葉さん

上海万博について言われていますが

>>159のように

中国を平和の実行者のように持ち上げたり、国連などで提唱される
「持続可能(sustainable)〜」を中国万博が日本万博の先を行くように書いていますが、

それだったら

             何で日本の外務省職員は
     
                自  殺
 
           しないといけなかったんですかね?


申し訳無いですが、少しは現実を見た方が良いと思いますよ。
本気で運動に取り組んでいるのなら尚更。

万博開催はオリンピック招致と同じで国威発揚でやっているんですから。
表向きは綺麗な言葉を使うでしょうが。
共産主義国はリアリストであり、特に中国人はリアリストですから、中国政府が
日本人にニコヤカにしている時はそれは単にその日本人が工作対象になっている
だけですから。日本人は笑顔に弱いですが。


根本の認識を変えた方がいいと思いますよ。中葉さんが個人的にいくら中国人と
仲良くったとしても。ニコヤカな思い出があったとしても。

その上で本当に運動の効果を期待するなら、

「各国の実際の目的は題目から乖離しているが、それを【どうすれば結果的に】
役立たせし得るか」 と考えるべきでしょう。そもそも題目と実際の目的が
同じで世界中の政府が平和とsustainableな発展を求めているのなら

友引さんがそもそも運動なんてする必要もなく世の中は平和になっているはずでしょう?

が、今現に友引さんがこのように運動をしているのはそうではないからでしょう。

願望で観察眼を曇らせては運動なんて出来ませんよ。厳しい言い方ですが打算で
動いている連中(各国政府)から利用されて終わりですよ。

207大神:2006/04/01(土) 17:30:33
>>206

訂正

>>206の友引さんは中葉さんの間違いです。

208中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/04/01(土) 23:29:40
ご親切なご助言をありがとうございます。

私は生まれてからずーっと大東亜共栄圏と八紘一宇を夢見てきましたし、
少数ながら同志もおります。今日も彼らと今後の相談をしてきたばかりです。

困難であればあるほど、意欲が起きる性質です。見逃して下さい。

209ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/02(日) 00:35:42
八紘一宇の意味をわかってお使いなんでしょうかね(^^;)

210ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/02(日) 00:52:44
私の昨今の興味は、「先駆的な方法は、研究者の手の内にある間はなぜ一般化(普及)しないのか」について。
これは、科学・工学技術でもいいですし、ある種の思想や理念に置き換えていただいても結構です。

画期的な方法というものは、研究者が理論を完成させるまで発表しない、という段階にある場合、およそ普及はしませんし、していません。
が、これが利益を生むなどの商業的ラインに乗ってくると、加速度的に普及し、なおかつ低コスト化/高機能化/発展が期待できるようになります。
それに関わることで「得をする=利益を得る」人間が出ることで、初めて「その恩恵として便利になる、公益を受ける」ことができ、また、公益を得られるようなものになると、爆発的に普及していきます。
携帯電話、ネットなどの技術もそうですね。

で、これが研究者や一部の先行している専門家の手の中にある間はなぜ普及しないのか。
これは、研究者や先行している専門家は「まだ発達段階にあるからだ」と言い訳をするわけなんですけれども、実は「先鋭的な研究であるが故に、その理念、理論、ノウハウを独占したい」という意識がやはり働いてしまうようです。
これは、技術・理論の研究だけにとどまりません。

例えば、仕事上で画期的または経年蓄積によってある種のノウハウを得たとします。
そのノウハウを、同僚ないしは後輩、社内に向かって普及すれば、社内の作業効率は爆発的に上昇します。
が、それをすることによって、同僚ないしは後輩に社内での業績を追い抜かれ、先鋭的手段によって得た独占的地位が脅かされる可能性があります。
そうなると、社内での優先的地位確保のために、そうしたノウハウは公開したがりませんし、なかなか公開されなくなります。
それこそ、蓋を開けてみれば「なあんだ」というコロンブスの卵のようなものであったとしても、いや、だからこそそうしたノウハウは公開されないものでもあるわけです。
そういった「公開されない状態」もしくは「もったいぶった状態」が、私が言うところの「研究者の手の内にある」という状態です。

実際に公開させてみると、多くの画期的技術の基礎理論はいずれもシンプルです。
ものによっては、理論を学ばせれば高校生中学生にすら再現できてしまうもの、小学校の理科の実験でまかなえてしまうものすらあります。

こうした技術・理論を研究者の独占から取り上げ、一般化するためにもっとも効率のいい方法は何か。
やはり、その技術・理論によって「利益を得る者」が出るようにし、技術・理論によって報酬を得る少数の人間と、その技術・理論で金ではない受益(便利さ、安全、安心など)を得て報酬の資金源となる多数の人間が出る仕組みにしていくということが重要であるように思います。

平たい言い方をするなら、あらゆる懸念事項はそれを「金儲け」に転化または昇華することができれば、速やかに解決に向かうということでしょうか。
CO2排出量規制を例に挙げれば、「排出権の売買」というシステムが機能し始めたことによって、そこからくる「旨み」、事業が、これの実現を加速していますね。

中葉さんのテーマであろうと思われる「持続可能な」についても、それによって利益(報酬)を得る少数の人間と、公益を得て報酬を得る人間の資金源であることをいとわない多数の人間が必要なのではありませんか?
また、そうした「それによって利益を得る少数の人間」の存在をどのように受容しているのか(そもそも受容しているのか)、そうした概念をなしに「良心に対する期待」だけで成立させようと言うものなのかが、いまひとつはっきりしません。

「名刺の裏に、概念と目的と手段と収益獲得方法のすべてを記述できるようにまとめる」
というのは、営業の基本中の基本と言われますし、企画書の作成でも「最大でもA4一枚ですべての概略を説明できる」というのは、これまた基本だと思うのですが。

中葉さんのお話は、いつも「参考資料」への接続があるだけで、全体の概要の解説がないところが、「専門家によるノウハウの占有」を連想させてしまいます。

211大神:2006/04/02(日) 01:32:04
>>208

ヤスツさんも言われていますが大東亜共栄圏と八紘一宇の意味分かっていますか?

八紘一宇は別としても、少なくとも大東亜共栄圏(アジア連合)はEUのような
連合ではあってもそれはあくまで外(EUに取ってみればアメリカ、日本)に対
する優越のための手段の一つとしての連合なのですが。

 で、それは国連が表向き提唱している全地球規模〜や、そして中葉さんが掲げ
ている万博のような地球としてのsustainableとは矛盾するでしょう?

背反、矛盾していることを運動しても仕方ないでしょう?

212大神:2006/04/02(日) 01:47:42
それと、

>困難であればあるほど、意欲が起きる性質です。見逃して下さい。

          言っている事が矛盾していますよ

【意欲が起きる】のであれば、問題点を直視するべきでしょうし、困難を乗り越え
るべきでしょうから、わざわざ他人が【見逃す】必要はないですよね?

意欲が起きるのなら必要なのは

             問題点の解決であって、

           見逃してもらうことではない

のですから。そもそも中葉さんは何ら回答になっていないですよ。

私が

「Aという理想のためには貴方がしているBという手法にはCという問題点が
あって達成不能です」

>>206で言っているのに対して、中葉さんが

「私にはAに対する情熱があります。同志もいます。意欲もあります。見逃して下さい」

って何の回答にもなっていないですよ?

 と、言いますか、貴方が中国など(中国政府や国連や万博開催国)に貴方自身の願望
を投影して、現実の問題点(表看板と実際の各国の思惑との乖離)から目を背けて
いるのは分かりますが(そしてそのためにいつも私やヤスツさんからの具体的な指摘や
反論から逃げているのも。まぁこんなだから説明が出来ないのは当然でしょうが )

それではそもそも貴方自身同志に対して裏切っている事になりますよ?
また、sustainableな社会の実現にも裏切っていることになりますよ?

貴方にとっては同志や、sustainableな社会の達成の情熱は

             その程度のものなのですか?

213ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/02(日) 02:23:39
大東亜共栄圏よりもむしろ、「八紘一宇」を夢見るほうが中葉さんのお立場的には矛盾を生じると思うんですが(笑)

八紘一宇を旗印にしたら、中国韓国を含めた特定アジアの方々との間に平和的な共存関係を築くのは不可能だと思いますけど。
という、私の杞憂の意味はわかっていますよね?

まさか、「どうせおまえらネット右翼だろ? プゲラ 大東亜共栄圏&八紘一宇マンセーって言っておけば文句はないだろ?」というような意味で使っていらっしゃるのだとは思いませんが、「八紘一宇」の言葉の真意を知った上で本気でお使いになっているのだとしたら、前述通り特定アジアとの平和的かつ対等な共存関係は築けないと思いますが。
八紘一宇をそうした理解なく使っていらっしゃるのだとしたら、それはあまりにも迂闊であるように思われるのですが。

私、中葉さんのことがときどきわからなくなります。
本当に同一人物なのかどうか。
グループハンドルなのではないか、後輩もしくは教え子が、先生のコテ&トリップを使っていたずら書きをなさっているのではないかと、別の意味で心配です。

214大神:2006/04/02(日) 11:59:13
>>213

大東亜共栄圏:ある意味アジア連合ではあるが、あくまで米欧との対抗を基調とした
       連合にしか過ぎないので世界全体の福祉とは矛盾
八紘一宇:一応世界が一つになるが、一つの宇を考えると現在の中国や韓国を否定して
     解体して吸収しないといけないので矛盾

というところですかね。まぁ、ただ
>、「どうせおまえらネット右翼だろ? プゲラ 大東亜共栄圏&八紘一宇マンセーって
>言っておけば文句はないだろ?」

の意味の方が強そうですね。

>私、中葉さんのことがときどきわからなくなります。
>本当に同一人物なのかどうか。
>グループハンドルなのではないか、後輩もしくは教え子が、先生のコテ&トリップ
>を使っていたずら書きをなさっているのではないかと、別の意味で心配です。
 
 私もそれを思います。75歳のお方にしても思慮分別の無い行動だったり、
やっていることは単なる宣伝だったりと。しかもその宣伝されている内容も
役人文書である外務省の一ページだったり
(ですから友引さんに懺悔を勧めたりしたのもそれだったのですが)。

215ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/02(日) 12:56:41
>>214
加えて、「八紘一宇」が、何を旗印に、何の後光(権威)でそれを行うという意味の言葉か、
中葉さんが75歳の退官教授ならおわかりのはずなんですが。
わかった上で転向されたのだとしたら、戦争体験は人をこうもねじ曲げてしまうものなのかな、と思いますし、現役でなくなった方に現実感を求めるのは所詮無理なのかなとも思われます。

寂しいことですね。

216通りがかり:2006/04/02(日) 14:25:48
〉中葉さんが75歳の退官教授

中葉氏が自らを「75歳の退官教授」と書かれたことは一度もないはずですが・・・
ヤスツ氏は匿名性を否定する立場を取っておられるのでしょうか?

217ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/02(日) 16:59:42
>>216
ネットに当人が自発的に公開されているものをそのまま再提示するのは、匿名性の否定には当たらないと思いますが?
中葉さんは、自らの研究について自らのホームページをお持ちで、そのホームページへのリンクをご自身が公開されています。
これを辿ると、ここには直接は書きませんけれども、ご本人について詳細に知る手がかりを、ご本人が自ら明かされています。

私は、「本人が明かしていない情報を開陳することは否とする」とする一方で、「本人が自発的意志で開示している情報は、自由にそれを考慮してよいもの」と考えています。
ヤスツについてわかる限りの情報を掘り当てられるなら、それは自由に利用してよいわけです。
中葉さんはご自身のホームページへのリンクを、このスレッドの中にご本人自ら記載されており、なおかつ、その主張についての補足資料としてご自身のホームページを見るように、本人が促しておられます。
私は本人の意志と判断を尊重する者であって、それが私に害を及ぼすものでない限り、強制によって本人の主義を変えるつもりはありません。
この場合は、中葉さんご自身がご自身の意志で開陳している情報が、【あくまで真実である】という信頼に基づいて引用しているにすぎません。

そういうわけで、>>216さんには過去ログの精査を求めたいと思います。
具体的には>>14にあります。

218中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/04/02(日) 21:47:33
私は別に何をお書きになっても構いませんよ。

219大神:2006/04/02(日) 22:59:45
>>217

birth が 1931.1ってネットで公開していますからね。

>>216さんは

反吐が出ている友引生まれの「武蔵の守」のヤンキーな吉岡さんですから。

220ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/02(日) 23:37:01
>>216
重ねて言えば、私は匿名性を否定しているわけではありません。
むしろ、「実名の開陳は、本人及び家族の実生活に、なんらかの問題を引き起こす場合もあり、慎重であるべきだ」という考えを持っています。
これは、N.I.さんとの往来の中でも明らかにした通り。ドアに鍵を掛けないことで泥棒に入られた場合、もちろん指弾されるべきは泥棒ですが、そうされない予防行動が取れたはずなのにそれをしなかったのは、被害者の落ち度である。そうする予防行動は取るべきである、というのが私の主張です。
が、これは「私が考える、そして自分に対して任じている考え」であって、他の方がそれとは違う行動を取っている場合、「危ないですよ」とご忠告することはあっても、当人の行動を強制的に束縛することも変えさせることもできないわけです。
今回のケースで言えば、中葉さんがご自身のホームページで公開されている情報を「今すぐ削除しろ!」と命令し強制させることも当然ながらできませんし、それをするつもりもありません。
中葉さんが>>218でおっしゃっておられるように、それはご本人が覚悟の上そうしておられるのでしょうから、それを尊重したい、ということです。

ですから、中葉さんのホームページから得られる情報は、中葉さんの主張を理解する上で必要だと思えばそれに照らし合わせて引用します。公開情報ですから。
中葉さんの過去の仕事・実績、現在の仕事、これまでの職歴や肩書きなどが、中葉さんの主張の形成に深い関係があると考えれば、公開情報の中からそれを引用することもあります。
しかしながら、実名や住所、電話・FAX番号などは、中葉さんの主張を理解するためには当面は不要であるので、とりあえず公開情報ではあるけれどもここに引用してくる(情報を積極的に拡散させる)必要は今のところない、と判断しているので、それは自分の指針に照らし合わせてしない、というだけのことです。

中葉さんの主張を検討する上で、実名での引用が必要になれば、公開情報から借用することもあるでしょうけれども。


そして重ねて言うなら、どこの誰兵衛の主張であるかということよりも、ネットのこうした互いが誰かわからない場では「何を言いたいのか」「何を伝えたいのか」がまず主であり、「それを言っているのは誰か」というのは従であるということです。
中葉さんは、「誰が言っているか」へのインデックスを貼り付けることはなさいますが、「何を言いたいのか」がうまく伝わっていらっしゃいません。
ここ数年の間に、ネットを活用しきれず、伝達力不足を露呈させて消えていった言論人、化けの皮が剥がれてしまった政治家も多数おります。
晩年にきてそうした轍を踏まれないよう、切にご心配申し上げる次第です。

221中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/04/03(月) 11:13:40
ヤスツさんの多弁・能弁には脱帽です。

222ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/03(月) 15:09:10
>>221
私のは多弁ではなく、過弁です。
ですが、これでも足りないと思っていますよ。
そして、インデックスを自慢していくとき以外の中葉さんは「寡弁」にすぎるのではありませんか?

短い言葉、シンプルな言葉の中に鋭い本質が含まれている場合もありましょう。
しかし、短い言葉は複数の意味を含み、その中のどれを選ぶかを、受取手にゆだねてしまうという危険性も持っています。
フランス国営テレビの解説員が善意と賛意を持って「荒川の金メダルはご飯一杯に値する」と言った言葉も、受け取りようによっては「バカにしている」と考えてしまう人も出るかもしれない。(解説員は釈明と謝罪をしたそうですが、荒川側は最初から問題だと思ってはいなかったと表明しているとのこと)
そう考えたときに、事例を大量に挙げていく文章が多弁過弁であることは、確かに「行き過ぎ」であるかもしれませんけれども、短くシンプルすぎる言葉を投げ捨てて誤解を増長するよりはいいと思っています。

その一方で、その過弁の中に専門家にだけわかる専門用語がちりばめられているのは、いかがなものでしょう。
結局それは「暗号文」と変わりありません。専門家同士の会話ならそれもいいでしょう。
相手が専門家だとわかっているなら。

しかし、匿名掲示板という場はそういう場所ではないでしょう。
中高校生が課題の調査のために出入りしていることだってあるんですから(^^;)
相手の練度・精度が特定できない場において自分の意見を申し述べるのであれば、ある程度は「補足のための補足」をかみ砕く努力も必要です。
かみ砕きもしないで短ければいいというものではなく、専門用語をずらずらならべればいいというものでもありません。

これまでの学内ではどうだったかわかりませんけれども、例えば中葉さんのお考えを一営業として客先に持って行ったら、企画資料のタイトルすら見てもらえませんよ。
誰かに自分の意見を聞かせようとしたくて、こうした場に意見表明をするならば、「読まれること」「理解されること」「意見に賛同する人間を増やすこと」に少しは気を遣うべきではないかと、常々思います。
人に広く受け入れられにくいアイデアや、広めていきたいけれどもまだ普及には至っていない理論をお持ちの方は、より一層そうされるべきだと思いますが。

223中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/04/08(土) 00:18:11
何をどう使っても痛痒を感じない。しかし、その人の人となりはなんとなくわかるな。

224ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/08(土) 02:09:12
>>223
一言で言えば、中葉さんのご意見は「他の人に再伝達しにくい」と申し上げているのですが。

あなたに痛痒を感じて頂くために申し上げているわけではありません。
「主張・理念の普及」というのは、なんだかんだ言っても伝言ゲームなんですね。
Aさんの主張を、Bさんが聞く。それをCさんに伝える。CさんはDさんに伝える。
このとき、BさんがCさんに「詳しくはAさんのところを見てくれ。他の人にもそう伝えてくれ」と言っているのが中葉さん。

ところが、この「Aさんが詳しいから後はAさんに聞いてくれ」形式の伝達方法だと、Dさん、Eさんのところにまで行き着かないことのほうが多いのです。
なぜか。
自分がある程度理解できて、人に「勧めよう」と思ったことでないと、人は他人の考えを人に伝達するということはしないんですね。

簡単な例を挙げましょう。
Aさん「民主党の代表選で小沢が新代表になったってよ」
Bさん「へー、そりゃすごいな」
Cさん「へー」
Dさん「それより、今日の晩ご飯どうする?」
と、A→Dさんに向かうに従って興味が薄れていきます。そうすると、Dさんはたぶんその話題をEさんには振らないでしょうね。
なぜか。自分が理解できていない=興味がないことだから。

では、どうすれば興味を持たせる(=次のEさんへのリレーを途絶えさせないようにさせられる)か。

そのためには、B→Dさんに至る仲介者が、Aさんの発言の「全体」ではなくても、「概念の要約」を理解し、それを自分の言葉で情報下流の人に伝えられるということが重要になってきます。
論文の冒頭に抄訳を付けるようなものと言いましょうか。
でも、論文冒頭の抄訳が「短いけど専門用語ばりばり」では、やはりそれは抄訳にも「概念の要約」にもなりません。Bさん以降、Aさんから遠ざかるに連れて専門用語も前提知識も薄くなっていくわけですから。
そうなると、「よく知られた別の事例」や「Bさん以降の人間が、それぞれの間で引き合いに出せる何か」に載せ替えて説明できるような概念の要約が、やはり必要になってきます。

中葉さんはこの場合Aさんです。
私などはBさん、ということになります。
中葉Aさんの仰りたいことが理解できれば、私はCさんやDさんに中葉Aさんの考え方を説明する=情報伝達のリレーに与し、中葉Aさんの考え方を普及させることの手伝いができるでしょう。
ところが、中葉Aさんには、そうした「概念の普及」はまったく興味がないご様子であり、「詳しいことは私のHPを見るように言ってください」としか仰らない。
行ってみて、そのHPを見てみましたが、あの内容では人に説明も普及も出来ないなあ、これじゃどんなにいいアイデアでも広まらないだろうなあ。と、思った次第です。


繰り返しますが、痛痒を感じて頂く(=悪口)として言っているのではないのですよ?
このスレのタイトルを今一度ご覧ください。「コミュニケーションの方策を探る」のが中葉さんの掲げた主題でしょう?
なぜ、コミュニケーションの方策(=情報伝達の手法)の実践をなさらないのですか? ということです。

225ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/08(土) 02:22:35
他の議題、例えば「いかにして世の中を平和にするか」についてでもそうですし、中葉さんの「紛争解決の糸口としてコミュニケーションの方策を探る」でもいいんですが……
それらについて、何らかの(例えば中間的なものであっても)「こうするべきだ」「こうするといいかもしれない」という手段を提唱されていらっしゃるわけでしょう?
しかも、それらは、「国対国」の関係解決、多少ダウンサイジングするにしても地域の問題解決に援用するつもりで提唱されているわけですよね。

ところが、そうした手法を提唱される方に、「では、その手法をこのスレ内に適用して、意見対立の回避、スレの平和、スレ内での(論者同士の)紛争解決に繋がるコミュニケーション手段の実演を見せてください」とお願いすると、実現した試しがありません。
「国対国」というマクロな関係を解決するための手段は、「スレ内の人対人」というミクロな関係の解決には援用できないのですか?
それとも、「設計図は提示できても、実現は難しい(画餅)」ということでしょうか?

理想的な方法論が描けても、それを実現できなければ意味がないように思います。
よくできた方法論があるのに、それに従わない人が悪い。という言い方をされる方もおりますが、それは「現実が理想に従わないのが悪い」と言っているだけになってしまいます。
理想通りにならない現実を御する方法が「世界を平和にする方法」であり「紛争解決のためのコミュニケーション手段の確立を急ぐ」ではないのですか?

先だってのメール問題のときの国政調査権を要求した民主党(または、つい最近の衆院本会議での菅直人議員の質問)ではありませんが、遂行によって得られる利益を要求をする前に根拠を見せないと。
「これをこうすればこうなる。だからこの方法は実現性が高い」ということを示さずに、「この方法は完璧だが、実現されないときは理解しない奴が悪い。提唱者だが方法を普及する責任は自分にはない」では、誰もその案を支持することが出来ません。


世界が平和になる方法で、スレ内の意見対立を回避し、スレを平和にさせてみてください。
紛争解決のためのコミュニケーションの方策を探ったなら、その方策でスレに参加する人間同士のコミュニケーションを潤滑にさせてみてください。

私は中葉さんのお考えを理解するために、「こうですか?それともこうですか?」と積極的に自分の意見を述べ、また中葉さんが取られた態度に対する感想を述べています。
が、あなたはむしろそれに対して消極的であり、ますますもって私が思う「理想を提示する人は、行動が伴わない」という疑念を深めることに繋がっているのだ、ということを、私はあなたとあなた以外のこのスレを見ている人に訴えているのです。

スレで発言する人が例えば私とあなたしかいない場合、あなたはこのスレは寂れていて宣伝力が低い場所だとお考えになるでしょう。
しかし、時間をおいて誰かがこのスレを1年、2年後に見に来ることがあるかもしれません。今のこの瞬間、我々がわからないだけで、10倍100倍の誰かが読んでいるかもしれません。
また、私があなたの反論と私の反論を切り抜いて、自分のサイトに保管するかもしれません。
先だってのN.I.さんとのやりとりの記録などは、私は自分のサイトに4年ほど保管していますが、その間に私も知らない多くの方が繰り返し引用されていました。

ネットでの議論は、どういった態度を取ろうと、その向こうに「タイムラグをおいて見ている人」がいることを忘れてはならないと思います。
中葉さんの取られている態度は、そうした人々にどう映るか、ご自身のHPに掲げられた内容に対する信頼性を、どの程度損なわずにすむかをよくお考えになって行動なさるべきではないでしょうか。

226中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/05/18(木) 08:51:48
「万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る」次なる舞台は
上海万博です。

これから準備期間は満4年を切りました。急ぎましょう。

227中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/08/21(月) 05:36:12
幸い、準備はできました。後はこの調子を維持することのみ。

228中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/11/08(水) 14:23:30
「中部地域の持続可能な発展教育」拠点準備フォーラム
次世代への思いやりをカタチにしよう−この地域で生き継いでいくために
日時: 2006年12月3日(日) 9:30〜17:00
場所:名古屋大学環境総合館
http://bernerland.com/cgi-bin/cocoro/contribute.cgi?mode=res&amp;no=96
もなんとか格好がついたし、うまくいきそうです。

229大神:2007/01/06(土) 20:51:42
「持続可能な社会」について

結局持続可能な社会を作るのに問題としては

エネルギー問題、環境問題、食糧問題等になりますかね。

日本の場合は前二つについて考えた場合、

・エネルギー問題:石油などのエネルギーの枯渇への対処
・環境問題:CO2の問題

があります。ここで最近はバイオエタノールが注目されていますが
(燃焼しても光合成して植物内に取り込んだCO2から作られた糖由来の
エタノールが燃焼するだけなので見た目にはCO2発生量は0になる)、
ブラジルでは既に実用化されているので何とか日本でも実用化されないものかと思います。
バイオエタノールによる燃料が実用化出来れば環境、エネルギーの両方の
問題にプラスになるので(勿論、実際にはプラントを作る際にCO2が発生
してしまうのですが)。

ただこのバイオエタノールを日本で実用化する際に、日本は土地が狭いので
耕地面積が足りないという点と商業ベースに乗せるのが難しいというのが
あります(安倍首相も意欲的ですがやはりその点が批判されています)。

糖度が高い作物からは大量に取れるので、品種改良をして糖度の高い
植物を開発し、多毛作を行って休耕田を使って何とか商業ベースに
乗せれるだけにはなって欲しいものです。

明治の時には単に食糧問題として品種改良が行われていましたが、今後は
持続可能な社会を作るためにもこのような環境問題、エネルギー問題に
関連した品種改良が重要になってくるかも知れません。

230中葉 ◆22bKXenR5Q:2007/01/07(日) 20:18:36
反則かもしれませんが、世界のルールを紹介します。

愛・地球博協会企画事業「地球市民村」:「持続可能性への学び」をコンセプトに展開
http://www.expo2005.or.jp/jp/N0/N1/N1.2/N1.2.26/N1.2.26.3/
“持続可能な社会をつくるためには、技術革新や制度改革と並び、
意識変革につながる教育の重要性が指摘されてきた(1992年の地球サミットで
採択された行動計画「アジェンダ21」など)。 ユネスコ(国連教育科学文化機関)は、
このアジェンダ21を受けて、持続可能な社会を達成するため、教育全体の再構築を提言した。
「テサロニキ宣言」(97年12月、ギリシャ、テサロニキ)と呼ばれ、
「持続可能性という概念は、環境だけでなく、貧困、人口、健康、食料、民主主義、人権、
平和、道徳・倫理、文化的多様性、伝統的知識などを含むこと」、「環境教育を持続可能性のための教育と
表現しても構わないこと」などの内容からなる。 他に、「持続可能性のための教育(Education for Sustainability)」
「持続可能な開発のための教育(Education for Sustainable Development)」「持続可能な未来のための教育(Education
for Sustainable Future)」などと呼ばれることもある。”

231中葉 ◆22bKXenR5Q:2007/01/08(月) 14:08:29
大神さんは、
“持続可能な社会をつくるためには、技術革新や制度改革と並び、意識変革につながる教育の重要性が指摘されてきた”中の
“技術革新の重要性”を指摘て下さいました。

私は、
“制度改革と並び、意識変革につながる教育”を実践しております。

お互い、一人だけでは片手落ちです。

コラボレーションしましょう!協働しましょう!

232大神:2007/01/08(月) 16:18:32
>>231

環境問題にしても一人一人の意識が重要になってきます。

例えばアメリカは京都議定書への批准を拒みましたが、ここ数年の間において
米国民のCO2問題に関する関心が高まっています(Yahoo Newsより)。

京都議定書に関しても非批准国や批准を拒否する国に対して批准と
実行を促すのに有効な手段となるのは世界の世論に世論に拠るところが大きいです。
そしてそのような意識変革や教育の裏付けになるのは技術的に可能かどうかです。

233中葉 ◆22bKXenR5Q:2007/02/06(火) 09:23:55
おっしゃるとおり裏付けが必要ですね。

両面から、手分けして、進めましょう!

234中葉 ◆22bKXenR5Q:2007/08/03(金) 11:07:12
上海万博(2010)までにウェーバーの呪縛を解くことはできるでしょうか?
ウェーバーが提起した謎は、
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の最後の以下の文章です。

“こうした文化発展の最後に現われる「末人たち」《letzte Menschen》
にとっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。「精神のない専門人、
心情のない享楽人。この無のもの(ニヒツ)は、人間性のかつて達したことのない
段階にまですでに上り詰めた、と自惚れるだろう」と。――
 ただし、ここまでくると、我々は価値判断や信仰判断の領域に入り込むことになる。
が、そこまでは、この純粋に歴史的な叙述に求めるべきではあるまい。
むしろ、われわれのなすべき仕事は、以上の素描でその一端にふれたにすぎない
禁欲的合理主義の意義を、さらに社会-政治的倫理の内容について、
すなわち、私的集会(Konventikel)から国家にいたるまでの
社会的諸集団の組織と機能のあり方について、明らかにしていくことだろう。
その次に、禁欲的合理主義の人文主義的合理主義とその生活理想や
文化的影響に対する関係、さらには哲学上ならびに科学上の経験論の発展や
技術の発展に対する、また精神的文化諸財に対する関係が分析されねばならないだろう。
(岩波文庫版 pp.366-368)”

私たちは、

万博で開催した7月8,10日2回の「持続可能なコミュニティづくり」シンポジウム
そのⅠ.「持続可能なコミュニティづくり」―組織とマネジメントからの問題分析
そのⅡ.「持続可能なコミュニティづくり」―文化と価値の創造をめざす問題解決

において、正にウェーバーが提起した謎と悪戦苦闘し、その後も悩み続けてきました。

でも、もうタイムアップです。

何とか、操作的な結論を出しましょう。

237中葉 ◆22bKXenR5Q:2008/07/30(水) 18:16:33
出します。あせらずに待って下さい。

238中葉 ◆22bKXenR5Q:2008/09/12(金) 15:30:51
なんとか結論を出せそうです。

「ラディカル・プランニングの媒介」という方法論をフリードマンが提供してくれたからです。

John Friedmann: Planning in the Public Domain: From Knowledge to Action, 1987, Princeton UP, p.389
http://www.amazon.co.jp/Planning-Public-Domain-Knowledge-Action/dp/0691077436


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