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万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る

1中葉:2004/06/15(火) 12:18
朝日新聞6月11日付けによれば、5月31日に神田愛知県知事他が
北京で中国側関係者にご挨拶した際、昨年12月にBIE(博覧会
国際事務局)議長に就任した呉建民氏(前在仏中国大使、中国
外交学院院長)は「大阪万博以降、低調傾向にある万博運動を
盛り返したい。21世紀以降の紛争解決の糸口、新しいコミュニ
ケーションの方策、マルチラテラリズム(多国間主義)の観点
からも日本の努力を期待し、BIEも愛知万博に協力を惜しまな
い」と語ったとのことです。

2005愛・地球博では、このような国際的、歴史的な期待に対応
し、地球フォーラム・シンポジウム「地球に生きるものの使命」
http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=23
その他、多種多様な企画・準備とともに、万博後の恒久的な
体制づくりも進めています。

しかし、まだまだ不十分です。
皆さんのご支援をよろしくお願いします。

190中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/08(日) 12:49:49
私の経験と理論によれば、個人間のコミュニケーション、集団間のコミュニケーション、
組織間のコミュニケーション、社会・国家などの間のコミュニケーションは、
実践においても理論においても、極度に大きな相違があります。

「紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る」対象は、複雑度の極致だと考えております。
味噌とクソを一緒にしないように、私は気を付けております。

191ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/08(日) 16:20:05
>>190
つまり、

・個人間でつかみ合いの大げんか、殺し合いをするに至る方法は解決できない

が、

・そのつかみ合いの大げんか、殺し合いをする個々の人間を、それぞれの勢力内に含んだ「集団」間の宥和は可能である

ということでしょうか?
もちろん、個人間の対立に高度な軍事力の行使や派閥のパワーバランスによる駆け引きは存在しないのでしょうが、「子供の喧嘩を仲裁できない者が、大人の喧嘩を仲裁できる」と言われても説得力はありません。
その意味で、ミソもクソも一緒ですよ。
マクロな解決のための手段は、ある程度の簡略化はされるものの、その基本的な公式はミクロな解決にも援用できて当然と思いますが。

子供の喧嘩を大人が仲裁できるのは、双方の話し合いを促す以前に「より強大な権力で、双方の衝突そのものを制止する」からですよね。
大人(国・地域など)の対立の仲裁も、より強力な権力(それは国連決議だったり、その決議を背景にした軍事力だったり、経済制裁だったり)で、双方の衝突そのものを制止する、というところから入るじゃないですか。
ミクロな方法は、マクロでもほぼ似たような動きをする、ということの好例と思いますが。
この場合の例えが正しいかどうかわかりませんが(中葉さんが理系なら通じると思いますが)、そうした「コミュニケーションによる対立解消」というテーマにあっても、マクロとミクロの相似性と言いますか両者のフラクタルな関係は保たれているように思われます。

もちろん、この「大きな権力で強制的に介入するという方法はうまく行っていない」という意見を中葉さんはお持ちなのでしょうから、「万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る」というテーマを掲げられたのだと思います。
が、「万博では成功裡に終えた」とされる理論は、結局の所現実に援用できる見通しは立っていないようですし、加えて「マクロには応用できるが、ミクロには応用できない」といういびつな(そしてそれは説得力のない)ものになっている、と仰る。

192ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/08(日) 16:44:59
私の主張は実は非常にシンプルなんですよ。

・個人Aと個人Bは意見が異なり、対立している。
・個人Aは集団(A')に、個人Bは集団(B')にそれぞれ所属している
・個人A、Bの意見は、それぞれの所属する集団では一般的主張/主導的主張だ
・集団(A')と集団(B')は、それぞれの主張に基づき対立している

・命題:集団(A')と集団(B')の対立を解消したい

ここまではok?
中葉さんが仰る「万博でコミュケーションで」というのは、恐らく一般的な考えでよくあるところの、「国同士の政治的対立は棚上げし、民間交流を進め、そこから友好関係に進みましょう」ということをむずがしげに述べているということ、と了解しています。
この考え方は、「個人(有権者)の代表的意見の代弁者としての政府の主張が、相手と噛み合わないこと(=政冷)を、政府を個人と無関係の障害であるかのようにみなす」という前提に立っていることもあり、私はあまり同意できませんが。
それはそれとし、つまり、こういうことですよね。

・集団(A')と集団(B')の対立解消のためには、まずそれぞれの個人A・個人Bの対立が解消されればよい
・集団同士の対立は、それに所属する個人同士の対立を解消することで、発展的に解消される

一方、個人同士の完全な対立解消は最終的には不可能だから、一般には

・集団の代表者同士が対立解消を約束し、それぞれの集団に所属する別意見の個人には、約束をした代表の主張(命令)に従わせる

という方策が採られるわけですが。国(個人の代表的意見の代弁者としての政府)が条約を結んで、それぞれの国の国民はそれに従う、という図式ですな。

集団内での意見(命令)の徹底は、その集団がどのような「統治方法」で成り立っているかによって方法が異なりますよね。
民主主義国家であれば、「多数意見」が権力を持ち、集団の代表者は「多数意見の代弁者」であるので、集団そのものの多数派を代表することそのものが、少数派への意見の強制の根拠になります。
共産主義、王権、ある種の独裁国家であれば、集団の代表者は「集団の支配者・所有者」であり、恐怖・財力他何らかの強制力を根拠に集団を支配することになるわけですよね。

民主主義国家(A')と非民主主義国家(B')が対立した場合、相手には民主主義の常識が通じず、先方からも独裁的常識が通じない、ということになりますね。これが対立のもと。
どちらかの常識(ルール)に合わせることで、問題の解決はスムーズに進むが、ではどちらの常識に従うか? という点が解消できていない問題点。
現在の世界的潮流では「話し合いで」「より多数意見に従う」という民主的手法が良しとされているわけですが、そもそもその手法を統治に取り入れていない集団(独裁的集団)は、民主的方法を取り入れた段階で国内統治が崩壊してしまいます。(外部の多数意見に従うなら、内部の多数意見にも従え、という意見を、押さえきれなくなったらアウト)
それは受け入れられないから、多数意見を尊重する民主的解決方法は独裁的集団(B')には受け入れられない。
もちろん、「少数者の専制的権力による支配」というルールを、民主主義国は受け入れられないから、この方法もダメ。

193ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/08(日) 16:49:03

ここでは、国(集団)同士の争点を「相手に言うことを聞かせるための方法の相違」というところに仮に集約していますが、これは個人間にも言えることなのでは。
自分の正義を絶対に曲げないという人=独裁思考の人と、他人の意見を取り入れることで正義に修正を図ってもいいという人=多数決/合理主義/民主主義思考の人との間に例えることができます。
もし、「全体としてのスムーズな解決」を望んだ場合、自分の正義を絶対に曲げない人を矯正するより、ハイハイワロスワロスと従ってしまったほうが「前進」はするでしょうけれども、そうすると常に少数者(正義を曲げない人)に支配されるという構図が「正しい」ということになってしまい、従ってはいるけれども不満を抱えた人が増え、膨張したその集団は遠からず崩壊してしまいます。

いずれにしても、「プロトコルの違う相手との間に接点を見つけるにはどうしたらよいか?」がカギになっていますね。
これは、集団同士でも個人同士でも基本的な部分では変わらない。

その解決方法の提案として、「より大きな敵/共通の障害(=大集団)と対峙する」ことで、小集団同士の協力を図る、という案は現実味を持っていると思います。
これは、個人間にも援用できますよ。

例えば、私と中葉さんが異なる主張で対立しているとします。(今、模索の最中ですが協力できていないことは確かですね)
我々が協力して、別の外敵と対応する場合、初めて私と中葉さんは「協力体制」「暫定的な友好関係」を結ぶことができる、ということになります。
この場合の外敵は、例えば野卑な話ですが、エロ宣伝の荒らしが来たとして私と中葉さんが意見としては対立しているけれども、どちらもそうした投稿を削除する資格/権限を持っていた場合、対立は棚上げしてエロ宣伝の削除には当たることになるでしょう。(もし、この意見交換の場に対する重要度が高いなら。別にどうでもいい、というなら話はご破算ですが)
この場合の「エロ宣伝荒らし」が共通の外敵、それへの協力した対応が「対立を棚上げできる、より優先度の高い問題への協力」となるわけで。

こうした、「相違を解決せずに棚上げして協力し、事に当たる」という解決方法は、SF映画ではよく題材にされますよね。宇宙人が攻めてきたり巨大隕石が落下したり。
この方法は、個人というミクロな場でも集団というマクロな場でも、どちらにでも援用可能であり、そうであるが故に両者はフラクタルであるなあと思ったりするわけですが。

これはクソもミソも一緒ですか?

194中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/08(日) 22:47:20
仮想の話でなく、具体的な話にしませんか?

このスレッドで提案した「万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る」
の関係では、

>>130 「持続可能な開発のための教育の十年」は愛・地球博を皮切りに、2005年から2014年まで十年間続きます。

という状況があるので、この関係ならば具体的な共通課題として議論できると思います。

例えば、愛・地球会議の総合テーマ「持続可能な社会の創造」
http://www.expo2005.or.jp/jp/D0/D10/D10.4/D10.4.1/
に関連して以下のような定義がされています。

「持続可能性への学び“Learning for Sustainability”」とは:
http://www.expo2005.or.jp/jp/N0/N1/N1.2/N1.2.26/N1.2.26.3/

持続可能な社会をつくるためには、技術革新や制度改革と並び、意識変革につながる
教育の重要性が指摘されてきた(1992年の地球サミットで採択された行動計画「アジェンダ21」など)。

ユネスコ(国連教育科学文化機関)は、このアジェンダ21を受けて、持続可能な社会を達成するため、
教育全体の再構築を提言した。「テサロニキ宣言」(97年12月、ギリシャ、テサロニキ)と呼ばれ、
「持続可能性という概念は、環境だけでなく、貧困、人口、健康、食料、民主主義、人権、平和、
道徳・倫理、文化的多様性、伝統的知識などを含むこと」、「環境教育を持続可能性のための教育と
表現しても構わないこと」などの内容からなる。

他に、「持続可能性のための教育(Education for Sustainability)」「持続可能な開発のための教育
(Education for Sustainable Development)」「持続可能な未来のための教育(Education for Sustainable Future)」
などと呼ばれることもある。

もっと具体的には、以下のプロジェクトに参加し、現在、そのフォローを続けております。
世界ミーム博覧会 2005 http://www.memeproject.jp/hiki.cgi?NL_No4

もっと一般的に言えば、持続可能な開発にかかわる紛争の問題は数限りなくありますから、選択の幅は広いですよ。

195ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/09(月) 00:26:07
至極具体的な話をするなら、私とあなたがどうすれば仲良くなれるか、ですよw

そして、あなたが書いた「設計図」を、どのようにすれば「門外漢に一般化できるか」が、あなたが今後解決していかなければならない、もっとも重要(むしろ必要)な「コミュニケーション技術を行使すべき場所」かと思いますよ。
専門家が専門的なことを専門的な言葉で述べるのだけでは、その専門外にいる人間に専門家の下した結論や理論を援用することは難しい、と。

もっと平たく言うと、「今のままではあなたの理想は画餅に過ぎないのですが」ということです。

196ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/09(月) 00:28:08
でもその、「専門的な研究から得られた画期的な解決策」を、専門外の人間に適用し、なおかつ共感を得ていくという、これまたもっともコミュニケーション技術(特にプレゼン技術ですね)の必要な、「実用性」の部分に対しては、専門家は本当に弱いですよね。
問題はむしろ、その「プレゼン」「プロパガンダ」の部分なのではないのかなあ、と思いますが。

197中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/09(月) 06:55:54
おっしゃる考え方については同意します。

しかし、「専門的な研究から得られた画期的な解決策」というようなアプローチはとっていませんので、ご承知下さい。
ここがヤスツさんと私の基本的な分かれ道かもしれません。

私が長い間追求し実践してきたのは、非専門的なシステムズ・アプローチです。

>「実用性」の部分に対しては、専門家は本当に弱いですよね。

ここは全く同意・同感で、我が意を得たり!です。

198中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/09(月) 10:45:21
> 私が長い間追求し実践してきたのは、非専門的なシステムズ・アプローチです。

私の「非専門的なシステムズ・アプローチ」とは似て非なる「専門的なシステムズ・アプローチ」
が生まれそうな組織を発見しました。

サステナビリティ学連携研究機構 http://www.ir3s.u-tokyo.ac.jp/
です。否定的な表現でしか説明できないのが、歯がゆく、もどかしいですが、
了承をお願いします。

199中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/16(月) 11:42:23
> 問題はむしろ、その「プレゼン」「プロパガンダ」の部分なのではないのかなあ、と思いますが。

全くその通りです。愛・地球博 国際シンポジウム『「持続可能な開発」の媒介者たち』プログラム
http://www.minpaku.ac.jp/jcas/symposia/2005/20050919_20/program.html
に登壇し、「広告と持続可能な開発」と題して発表したマイク・ロングハースト氏(マッキャン・エリクソン上席副社長、英国)
の発表内容は、正に「プレゼン」「プロパガンダ」そのものでした。
私には大きな教訓でした。

200中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/27(金) 23:18:14
繰り返すが、次は上海万博だ。間に合うように準備しなければ。

201ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/02/01(水) 09:15:28
近代洗脳の父と言えばコードウェイナー・スミス……は置くとしてw、

ゲッベルス、中国共産党、北朝鮮、大韓民国など、軍事政権/軍関係者によって
研磨されてきたジャンルでもありますね。
今もプレゼンとプロパガンダを商売にしている広告代理店への浸透工作などが
問題視されています。

プレゼン/プロパガンダをそうした軍事政権が活用することは今さら珍しくありま
せんが、そうしたプロパガンダを受ける側は、自分が洗脳を受けている可能性に
対して疑問を抱かない、という危険性があります。でも、洗脳を受けている真っ最中
の人は、自分の行動を「自分で決めた選択」だと思いこんでいて、決して「誰かに
そうさせられた」とは思いもしないところがまた怖いわけで。

「相手に自分の想った通りの行動を取らせる。しかもその行動を取った当人は、
自分の判断でそれをしていると信じている」
というのがプロパガンダの理想型なわけですが、このあたりは銀河帝国の興亡の
第二巻のミュールあたりに注目すると「ああそういうものか」と見えてくるのかも。

どっちにせよ、「自分の考えを相手に理解させる技術」としてのプレゼンが、もう
一歩進んで「相手が無自覚なまま、自分の考えを支持・選択させる技術」である
ところのプロパガンダ、突っ込んで言えば洗脳なわけですが、そういうところに
突き進んでいってしまうのは、それはそれで恐ろしいものです。

202中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/02/07(火) 20:13:20
洗脳は非常に微妙なところがあって、Edgar Scheinなど、組織開発も洗脳だと
言っています。

万博期間中は、ミーム・マネジメントにどっぷり漬かっていたのですが、あれなど
非常に微妙で、パネリストとして参加したスーザン・ブラックモアはミーム・マネジメントは
可能だが、ミーム・コントロールは不可能だと言ったり、佐倉統さんはミーム・マネジメントは
教育だと言ったり、てんやわんやで面白かった。

万博に関係がある「持続可能な開発のための教育の十年」では、
http://www.esd-j.org/documents/DESDIIS_Final_JapanesebyESD-J.pdf
教育の十年の最大の課題として意識改革を取り上げているのですが、これなど
洗脳と見分けがつかない。

いやあ、面白い時代がきたものです。

203中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/02/26(日) 10:21:44
いよいよ日本政府も重い腰を持ち上げて、
「持続可能な開発のための教育の十年」
http://www.esd-j.org/documents/DESDIIS_Final_JapanesebyESD-J.pdf
に着手し、意識改革と取り組む破目に陥ったようです。ご同慶のいたりです。

http://www.env.go.jp/press/press.php3?serial=6797
に以下のアナウンスがありました。
私は意見を申し上げましたが、皆さんも注目して下さい。

平成18年2月3日
わが国における「国連持続可能な開発のための教育の10年」実施計画案に対する意見の募集について

 「国連持続可能な開発のための教育の10年」関係省庁連絡会議では、わが国における「国連持続可能な開発のための教育の10年」実施計画案に対する国民の皆様のご意見を募集いたします。
 同実施計画案に対してご意見をお持ちの方は、平成18年2月23日(木)までに、電子メール、郵送、FAXのいずれかの方法によりご意見をお寄せ下さい。 1 趣旨
 わが国の「国連持続可能な開発のための教育の10年」実施計画については、関係省庁の緊密な連携を図り、
 総合的かつ効果的な施策の推進を図るため、昨年12月、関係省庁連絡会議を内閣に設置し、政府外の関係者(教育関係者・産業界・NPO・自治体等)との円卓会議等を通じ、
 検討を行ってまいりました。
 同実施計画案に対する国民の皆様のご意見を募集いたします。

2 意見募集の対象
わが国における「国連持続可能な開発のための教育の10年」実施計画案(別添)

3 参考資料
参考1わが国における「国連持続可能な開発のための教育の10年」実施計画案(概要)
参考2国連持続可能な開発のための教育の10年について
参考3国連持続可能な開発のための教育の10年に係る経緯
4 意見提出締切日
2月23日(木)(消印有効)

今回は期限切れですが、次回は遅れないように、皆さんにお知らせします。

204中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/02/28(火) 10:23:37
「持続可能な開発のための教育の十年」
http://www.esd-j.org/documents/DESDIIS_Final_JapanesebyESD-J.pdf

この大プロジェクトに成功すれば、
「万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る」ことも
夢ではなくなるだろう。

205中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/03/03(金) 11:24:57
日本の万博ではここまで行って、そこで息が切れました。
http://expo.ecoaction.info/dmarket/blog/peaceforum/article/atc00000002

後は次世代の皆さんと中国の人達の上海万博にバトンタッチします。

206大神:2006/04/01(土) 17:23:39
>中葉さん

上海万博について言われていますが

>>159のように

中国を平和の実行者のように持ち上げたり、国連などで提唱される
「持続可能(sustainable)〜」を中国万博が日本万博の先を行くように書いていますが、

それだったら

             何で日本の外務省職員は
     
                自  殺
 
           しないといけなかったんですかね?


申し訳無いですが、少しは現実を見た方が良いと思いますよ。
本気で運動に取り組んでいるのなら尚更。

万博開催はオリンピック招致と同じで国威発揚でやっているんですから。
表向きは綺麗な言葉を使うでしょうが。
共産主義国はリアリストであり、特に中国人はリアリストですから、中国政府が
日本人にニコヤカにしている時はそれは単にその日本人が工作対象になっている
だけですから。日本人は笑顔に弱いですが。


根本の認識を変えた方がいいと思いますよ。中葉さんが個人的にいくら中国人と
仲良くったとしても。ニコヤカな思い出があったとしても。

その上で本当に運動の効果を期待するなら、

「各国の実際の目的は題目から乖離しているが、それを【どうすれば結果的に】
役立たせし得るか」 と考えるべきでしょう。そもそも題目と実際の目的が
同じで世界中の政府が平和とsustainableな発展を求めているのなら

友引さんがそもそも運動なんてする必要もなく世の中は平和になっているはずでしょう?

が、今現に友引さんがこのように運動をしているのはそうではないからでしょう。

願望で観察眼を曇らせては運動なんて出来ませんよ。厳しい言い方ですが打算で
動いている連中(各国政府)から利用されて終わりですよ。

207大神:2006/04/01(土) 17:30:33
>>206

訂正

>>206の友引さんは中葉さんの間違いです。

208中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/04/01(土) 23:29:40
ご親切なご助言をありがとうございます。

私は生まれてからずーっと大東亜共栄圏と八紘一宇を夢見てきましたし、
少数ながら同志もおります。今日も彼らと今後の相談をしてきたばかりです。

困難であればあるほど、意欲が起きる性質です。見逃して下さい。

209ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/02(日) 00:35:42
八紘一宇の意味をわかってお使いなんでしょうかね(^^;)

210ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/02(日) 00:52:44
私の昨今の興味は、「先駆的な方法は、研究者の手の内にある間はなぜ一般化(普及)しないのか」について。
これは、科学・工学技術でもいいですし、ある種の思想や理念に置き換えていただいても結構です。

画期的な方法というものは、研究者が理論を完成させるまで発表しない、という段階にある場合、およそ普及はしませんし、していません。
が、これが利益を生むなどの商業的ラインに乗ってくると、加速度的に普及し、なおかつ低コスト化/高機能化/発展が期待できるようになります。
それに関わることで「得をする=利益を得る」人間が出ることで、初めて「その恩恵として便利になる、公益を受ける」ことができ、また、公益を得られるようなものになると、爆発的に普及していきます。
携帯電話、ネットなどの技術もそうですね。

で、これが研究者や一部の先行している専門家の手の中にある間はなぜ普及しないのか。
これは、研究者や先行している専門家は「まだ発達段階にあるからだ」と言い訳をするわけなんですけれども、実は「先鋭的な研究であるが故に、その理念、理論、ノウハウを独占したい」という意識がやはり働いてしまうようです。
これは、技術・理論の研究だけにとどまりません。

例えば、仕事上で画期的または経年蓄積によってある種のノウハウを得たとします。
そのノウハウを、同僚ないしは後輩、社内に向かって普及すれば、社内の作業効率は爆発的に上昇します。
が、それをすることによって、同僚ないしは後輩に社内での業績を追い抜かれ、先鋭的手段によって得た独占的地位が脅かされる可能性があります。
そうなると、社内での優先的地位確保のために、そうしたノウハウは公開したがりませんし、なかなか公開されなくなります。
それこそ、蓋を開けてみれば「なあんだ」というコロンブスの卵のようなものであったとしても、いや、だからこそそうしたノウハウは公開されないものでもあるわけです。
そういった「公開されない状態」もしくは「もったいぶった状態」が、私が言うところの「研究者の手の内にある」という状態です。

実際に公開させてみると、多くの画期的技術の基礎理論はいずれもシンプルです。
ものによっては、理論を学ばせれば高校生中学生にすら再現できてしまうもの、小学校の理科の実験でまかなえてしまうものすらあります。

こうした技術・理論を研究者の独占から取り上げ、一般化するためにもっとも効率のいい方法は何か。
やはり、その技術・理論によって「利益を得る者」が出るようにし、技術・理論によって報酬を得る少数の人間と、その技術・理論で金ではない受益(便利さ、安全、安心など)を得て報酬の資金源となる多数の人間が出る仕組みにしていくということが重要であるように思います。

平たい言い方をするなら、あらゆる懸念事項はそれを「金儲け」に転化または昇華することができれば、速やかに解決に向かうということでしょうか。
CO2排出量規制を例に挙げれば、「排出権の売買」というシステムが機能し始めたことによって、そこからくる「旨み」、事業が、これの実現を加速していますね。

中葉さんのテーマであろうと思われる「持続可能な」についても、それによって利益(報酬)を得る少数の人間と、公益を得て報酬を得る人間の資金源であることをいとわない多数の人間が必要なのではありませんか?
また、そうした「それによって利益を得る少数の人間」の存在をどのように受容しているのか(そもそも受容しているのか)、そうした概念をなしに「良心に対する期待」だけで成立させようと言うものなのかが、いまひとつはっきりしません。

「名刺の裏に、概念と目的と手段と収益獲得方法のすべてを記述できるようにまとめる」
というのは、営業の基本中の基本と言われますし、企画書の作成でも「最大でもA4一枚ですべての概略を説明できる」というのは、これまた基本だと思うのですが。

中葉さんのお話は、いつも「参考資料」への接続があるだけで、全体の概要の解説がないところが、「専門家によるノウハウの占有」を連想させてしまいます。

211大神:2006/04/02(日) 01:32:04
>>208

ヤスツさんも言われていますが大東亜共栄圏と八紘一宇の意味分かっていますか?

八紘一宇は別としても、少なくとも大東亜共栄圏(アジア連合)はEUのような
連合ではあってもそれはあくまで外(EUに取ってみればアメリカ、日本)に対
する優越のための手段の一つとしての連合なのですが。

 で、それは国連が表向き提唱している全地球規模〜や、そして中葉さんが掲げ
ている万博のような地球としてのsustainableとは矛盾するでしょう?

背反、矛盾していることを運動しても仕方ないでしょう?

212大神:2006/04/02(日) 01:47:42
それと、

>困難であればあるほど、意欲が起きる性質です。見逃して下さい。

          言っている事が矛盾していますよ

【意欲が起きる】のであれば、問題点を直視するべきでしょうし、困難を乗り越え
るべきでしょうから、わざわざ他人が【見逃す】必要はないですよね?

意欲が起きるのなら必要なのは

             問題点の解決であって、

           見逃してもらうことではない

のですから。そもそも中葉さんは何ら回答になっていないですよ。

私が

「Aという理想のためには貴方がしているBという手法にはCという問題点が
あって達成不能です」

>>206で言っているのに対して、中葉さんが

「私にはAに対する情熱があります。同志もいます。意欲もあります。見逃して下さい」

って何の回答にもなっていないですよ?

 と、言いますか、貴方が中国など(中国政府や国連や万博開催国)に貴方自身の願望
を投影して、現実の問題点(表看板と実際の各国の思惑との乖離)から目を背けて
いるのは分かりますが(そしてそのためにいつも私やヤスツさんからの具体的な指摘や
反論から逃げているのも。まぁこんなだから説明が出来ないのは当然でしょうが )

それではそもそも貴方自身同志に対して裏切っている事になりますよ?
また、sustainableな社会の実現にも裏切っていることになりますよ?

貴方にとっては同志や、sustainableな社会の達成の情熱は

             その程度のものなのですか?

213ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/02(日) 02:23:39
大東亜共栄圏よりもむしろ、「八紘一宇」を夢見るほうが中葉さんのお立場的には矛盾を生じると思うんですが(笑)

八紘一宇を旗印にしたら、中国韓国を含めた特定アジアの方々との間に平和的な共存関係を築くのは不可能だと思いますけど。
という、私の杞憂の意味はわかっていますよね?

まさか、「どうせおまえらネット右翼だろ? プゲラ 大東亜共栄圏&八紘一宇マンセーって言っておけば文句はないだろ?」というような意味で使っていらっしゃるのだとは思いませんが、「八紘一宇」の言葉の真意を知った上で本気でお使いになっているのだとしたら、前述通り特定アジアとの平和的かつ対等な共存関係は築けないと思いますが。
八紘一宇をそうした理解なく使っていらっしゃるのだとしたら、それはあまりにも迂闊であるように思われるのですが。

私、中葉さんのことがときどきわからなくなります。
本当に同一人物なのかどうか。
グループハンドルなのではないか、後輩もしくは教え子が、先生のコテ&トリップを使っていたずら書きをなさっているのではないかと、別の意味で心配です。

214大神:2006/04/02(日) 11:59:13
>>213

大東亜共栄圏:ある意味アジア連合ではあるが、あくまで米欧との対抗を基調とした
       連合にしか過ぎないので世界全体の福祉とは矛盾
八紘一宇:一応世界が一つになるが、一つの宇を考えると現在の中国や韓国を否定して
     解体して吸収しないといけないので矛盾

というところですかね。まぁ、ただ
>、「どうせおまえらネット右翼だろ? プゲラ 大東亜共栄圏&八紘一宇マンセーって
>言っておけば文句はないだろ?」

の意味の方が強そうですね。

>私、中葉さんのことがときどきわからなくなります。
>本当に同一人物なのかどうか。
>グループハンドルなのではないか、後輩もしくは教え子が、先生のコテ&トリップ
>を使っていたずら書きをなさっているのではないかと、別の意味で心配です。
 
 私もそれを思います。75歳のお方にしても思慮分別の無い行動だったり、
やっていることは単なる宣伝だったりと。しかもその宣伝されている内容も
役人文書である外務省の一ページだったり
(ですから友引さんに懺悔を勧めたりしたのもそれだったのですが)。

215ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/02(日) 12:56:41
>>214
加えて、「八紘一宇」が、何を旗印に、何の後光(権威)でそれを行うという意味の言葉か、
中葉さんが75歳の退官教授ならおわかりのはずなんですが。
わかった上で転向されたのだとしたら、戦争体験は人をこうもねじ曲げてしまうものなのかな、と思いますし、現役でなくなった方に現実感を求めるのは所詮無理なのかなとも思われます。

寂しいことですね。

216通りがかり:2006/04/02(日) 14:25:48
〉中葉さんが75歳の退官教授

中葉氏が自らを「75歳の退官教授」と書かれたことは一度もないはずですが・・・
ヤスツ氏は匿名性を否定する立場を取っておられるのでしょうか?

217ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/02(日) 16:59:42
>>216
ネットに当人が自発的に公開されているものをそのまま再提示するのは、匿名性の否定には当たらないと思いますが?
中葉さんは、自らの研究について自らのホームページをお持ちで、そのホームページへのリンクをご自身が公開されています。
これを辿ると、ここには直接は書きませんけれども、ご本人について詳細に知る手がかりを、ご本人が自ら明かされています。

私は、「本人が明かしていない情報を開陳することは否とする」とする一方で、「本人が自発的意志で開示している情報は、自由にそれを考慮してよいもの」と考えています。
ヤスツについてわかる限りの情報を掘り当てられるなら、それは自由に利用してよいわけです。
中葉さんはご自身のホームページへのリンクを、このスレッドの中にご本人自ら記載されており、なおかつ、その主張についての補足資料としてご自身のホームページを見るように、本人が促しておられます。
私は本人の意志と判断を尊重する者であって、それが私に害を及ぼすものでない限り、強制によって本人の主義を変えるつもりはありません。
この場合は、中葉さんご自身がご自身の意志で開陳している情報が、【あくまで真実である】という信頼に基づいて引用しているにすぎません。

そういうわけで、>>216さんには過去ログの精査を求めたいと思います。
具体的には>>14にあります。

218中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/04/02(日) 21:47:33
私は別に何をお書きになっても構いませんよ。

219大神:2006/04/02(日) 22:59:45
>>217

birth が 1931.1ってネットで公開していますからね。

>>216さんは

反吐が出ている友引生まれの「武蔵の守」のヤンキーな吉岡さんですから。

220ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/02(日) 23:37:01
>>216
重ねて言えば、私は匿名性を否定しているわけではありません。
むしろ、「実名の開陳は、本人及び家族の実生活に、なんらかの問題を引き起こす場合もあり、慎重であるべきだ」という考えを持っています。
これは、N.I.さんとの往来の中でも明らかにした通り。ドアに鍵を掛けないことで泥棒に入られた場合、もちろん指弾されるべきは泥棒ですが、そうされない予防行動が取れたはずなのにそれをしなかったのは、被害者の落ち度である。そうする予防行動は取るべきである、というのが私の主張です。
が、これは「私が考える、そして自分に対して任じている考え」であって、他の方がそれとは違う行動を取っている場合、「危ないですよ」とご忠告することはあっても、当人の行動を強制的に束縛することも変えさせることもできないわけです。
今回のケースで言えば、中葉さんがご自身のホームページで公開されている情報を「今すぐ削除しろ!」と命令し強制させることも当然ながらできませんし、それをするつもりもありません。
中葉さんが>>218でおっしゃっておられるように、それはご本人が覚悟の上そうしておられるのでしょうから、それを尊重したい、ということです。

ですから、中葉さんのホームページから得られる情報は、中葉さんの主張を理解する上で必要だと思えばそれに照らし合わせて引用します。公開情報ですから。
中葉さんの過去の仕事・実績、現在の仕事、これまでの職歴や肩書きなどが、中葉さんの主張の形成に深い関係があると考えれば、公開情報の中からそれを引用することもあります。
しかしながら、実名や住所、電話・FAX番号などは、中葉さんの主張を理解するためには当面は不要であるので、とりあえず公開情報ではあるけれどもここに引用してくる(情報を積極的に拡散させる)必要は今のところない、と判断しているので、それは自分の指針に照らし合わせてしない、というだけのことです。

中葉さんの主張を検討する上で、実名での引用が必要になれば、公開情報から借用することもあるでしょうけれども。


そして重ねて言うなら、どこの誰兵衛の主張であるかということよりも、ネットのこうした互いが誰かわからない場では「何を言いたいのか」「何を伝えたいのか」がまず主であり、「それを言っているのは誰か」というのは従であるということです。
中葉さんは、「誰が言っているか」へのインデックスを貼り付けることはなさいますが、「何を言いたいのか」がうまく伝わっていらっしゃいません。
ここ数年の間に、ネットを活用しきれず、伝達力不足を露呈させて消えていった言論人、化けの皮が剥がれてしまった政治家も多数おります。
晩年にきてそうした轍を踏まれないよう、切にご心配申し上げる次第です。

221中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/04/03(月) 11:13:40
ヤスツさんの多弁・能弁には脱帽です。

222ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/03(月) 15:09:10
>>221
私のは多弁ではなく、過弁です。
ですが、これでも足りないと思っていますよ。
そして、インデックスを自慢していくとき以外の中葉さんは「寡弁」にすぎるのではありませんか?

短い言葉、シンプルな言葉の中に鋭い本質が含まれている場合もありましょう。
しかし、短い言葉は複数の意味を含み、その中のどれを選ぶかを、受取手にゆだねてしまうという危険性も持っています。
フランス国営テレビの解説員が善意と賛意を持って「荒川の金メダルはご飯一杯に値する」と言った言葉も、受け取りようによっては「バカにしている」と考えてしまう人も出るかもしれない。(解説員は釈明と謝罪をしたそうですが、荒川側は最初から問題だと思ってはいなかったと表明しているとのこと)
そう考えたときに、事例を大量に挙げていく文章が多弁過弁であることは、確かに「行き過ぎ」であるかもしれませんけれども、短くシンプルすぎる言葉を投げ捨てて誤解を増長するよりはいいと思っています。

その一方で、その過弁の中に専門家にだけわかる専門用語がちりばめられているのは、いかがなものでしょう。
結局それは「暗号文」と変わりありません。専門家同士の会話ならそれもいいでしょう。
相手が専門家だとわかっているなら。

しかし、匿名掲示板という場はそういう場所ではないでしょう。
中高校生が課題の調査のために出入りしていることだってあるんですから(^^;)
相手の練度・精度が特定できない場において自分の意見を申し述べるのであれば、ある程度は「補足のための補足」をかみ砕く努力も必要です。
かみ砕きもしないで短ければいいというものではなく、専門用語をずらずらならべればいいというものでもありません。

これまでの学内ではどうだったかわかりませんけれども、例えば中葉さんのお考えを一営業として客先に持って行ったら、企画資料のタイトルすら見てもらえませんよ。
誰かに自分の意見を聞かせようとしたくて、こうした場に意見表明をするならば、「読まれること」「理解されること」「意見に賛同する人間を増やすこと」に少しは気を遣うべきではないかと、常々思います。
人に広く受け入れられにくいアイデアや、広めていきたいけれどもまだ普及には至っていない理論をお持ちの方は、より一層そうされるべきだと思いますが。

223中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/04/08(土) 00:18:11
何をどう使っても痛痒を感じない。しかし、その人の人となりはなんとなくわかるな。

224ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/08(土) 02:09:12
>>223
一言で言えば、中葉さんのご意見は「他の人に再伝達しにくい」と申し上げているのですが。

あなたに痛痒を感じて頂くために申し上げているわけではありません。
「主張・理念の普及」というのは、なんだかんだ言っても伝言ゲームなんですね。
Aさんの主張を、Bさんが聞く。それをCさんに伝える。CさんはDさんに伝える。
このとき、BさんがCさんに「詳しくはAさんのところを見てくれ。他の人にもそう伝えてくれ」と言っているのが中葉さん。

ところが、この「Aさんが詳しいから後はAさんに聞いてくれ」形式の伝達方法だと、Dさん、Eさんのところにまで行き着かないことのほうが多いのです。
なぜか。
自分がある程度理解できて、人に「勧めよう」と思ったことでないと、人は他人の考えを人に伝達するということはしないんですね。

簡単な例を挙げましょう。
Aさん「民主党の代表選で小沢が新代表になったってよ」
Bさん「へー、そりゃすごいな」
Cさん「へー」
Dさん「それより、今日の晩ご飯どうする?」
と、A→Dさんに向かうに従って興味が薄れていきます。そうすると、Dさんはたぶんその話題をEさんには振らないでしょうね。
なぜか。自分が理解できていない=興味がないことだから。

では、どうすれば興味を持たせる(=次のEさんへのリレーを途絶えさせないようにさせられる)か。

そのためには、B→Dさんに至る仲介者が、Aさんの発言の「全体」ではなくても、「概念の要約」を理解し、それを自分の言葉で情報下流の人に伝えられるということが重要になってきます。
論文の冒頭に抄訳を付けるようなものと言いましょうか。
でも、論文冒頭の抄訳が「短いけど専門用語ばりばり」では、やはりそれは抄訳にも「概念の要約」にもなりません。Bさん以降、Aさんから遠ざかるに連れて専門用語も前提知識も薄くなっていくわけですから。
そうなると、「よく知られた別の事例」や「Bさん以降の人間が、それぞれの間で引き合いに出せる何か」に載せ替えて説明できるような概念の要約が、やはり必要になってきます。

中葉さんはこの場合Aさんです。
私などはBさん、ということになります。
中葉Aさんの仰りたいことが理解できれば、私はCさんやDさんに中葉Aさんの考え方を説明する=情報伝達のリレーに与し、中葉Aさんの考え方を普及させることの手伝いができるでしょう。
ところが、中葉Aさんには、そうした「概念の普及」はまったく興味がないご様子であり、「詳しいことは私のHPを見るように言ってください」としか仰らない。
行ってみて、そのHPを見てみましたが、あの内容では人に説明も普及も出来ないなあ、これじゃどんなにいいアイデアでも広まらないだろうなあ。と、思った次第です。


繰り返しますが、痛痒を感じて頂く(=悪口)として言っているのではないのですよ?
このスレのタイトルを今一度ご覧ください。「コミュニケーションの方策を探る」のが中葉さんの掲げた主題でしょう?
なぜ、コミュニケーションの方策(=情報伝達の手法)の実践をなさらないのですか? ということです。

225ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/08(土) 02:22:35
他の議題、例えば「いかにして世の中を平和にするか」についてでもそうですし、中葉さんの「紛争解決の糸口としてコミュニケーションの方策を探る」でもいいんですが……
それらについて、何らかの(例えば中間的なものであっても)「こうするべきだ」「こうするといいかもしれない」という手段を提唱されていらっしゃるわけでしょう?
しかも、それらは、「国対国」の関係解決、多少ダウンサイジングするにしても地域の問題解決に援用するつもりで提唱されているわけですよね。

ところが、そうした手法を提唱される方に、「では、その手法をこのスレ内に適用して、意見対立の回避、スレの平和、スレ内での(論者同士の)紛争解決に繋がるコミュニケーション手段の実演を見せてください」とお願いすると、実現した試しがありません。
「国対国」というマクロな関係を解決するための手段は、「スレ内の人対人」というミクロな関係の解決には援用できないのですか?
それとも、「設計図は提示できても、実現は難しい(画餅)」ということでしょうか?

理想的な方法論が描けても、それを実現できなければ意味がないように思います。
よくできた方法論があるのに、それに従わない人が悪い。という言い方をされる方もおりますが、それは「現実が理想に従わないのが悪い」と言っているだけになってしまいます。
理想通りにならない現実を御する方法が「世界を平和にする方法」であり「紛争解決のためのコミュニケーション手段の確立を急ぐ」ではないのですか?

先だってのメール問題のときの国政調査権を要求した民主党(または、つい最近の衆院本会議での菅直人議員の質問)ではありませんが、遂行によって得られる利益を要求をする前に根拠を見せないと。
「これをこうすればこうなる。だからこの方法は実現性が高い」ということを示さずに、「この方法は完璧だが、実現されないときは理解しない奴が悪い。提唱者だが方法を普及する責任は自分にはない」では、誰もその案を支持することが出来ません。


世界が平和になる方法で、スレ内の意見対立を回避し、スレを平和にさせてみてください。
紛争解決のためのコミュニケーションの方策を探ったなら、その方策でスレに参加する人間同士のコミュニケーションを潤滑にさせてみてください。

私は中葉さんのお考えを理解するために、「こうですか?それともこうですか?」と積極的に自分の意見を述べ、また中葉さんが取られた態度に対する感想を述べています。
が、あなたはむしろそれに対して消極的であり、ますますもって私が思う「理想を提示する人は、行動が伴わない」という疑念を深めることに繋がっているのだ、ということを、私はあなたとあなた以外のこのスレを見ている人に訴えているのです。

スレで発言する人が例えば私とあなたしかいない場合、あなたはこのスレは寂れていて宣伝力が低い場所だとお考えになるでしょう。
しかし、時間をおいて誰かがこのスレを1年、2年後に見に来ることがあるかもしれません。今のこの瞬間、我々がわからないだけで、10倍100倍の誰かが読んでいるかもしれません。
また、私があなたの反論と私の反論を切り抜いて、自分のサイトに保管するかもしれません。
先だってのN.I.さんとのやりとりの記録などは、私は自分のサイトに4年ほど保管していますが、その間に私も知らない多くの方が繰り返し引用されていました。

ネットでの議論は、どういった態度を取ろうと、その向こうに「タイムラグをおいて見ている人」がいることを忘れてはならないと思います。
中葉さんの取られている態度は、そうした人々にどう映るか、ご自身のHPに掲げられた内容に対する信頼性を、どの程度損なわずにすむかをよくお考えになって行動なさるべきではないでしょうか。

226中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/05/18(木) 08:51:48
「万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る」次なる舞台は
上海万博です。

これから準備期間は満4年を切りました。急ぎましょう。

227中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/08/21(月) 05:36:12
幸い、準備はできました。後はこの調子を維持することのみ。

228中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/11/08(水) 14:23:30
「中部地域の持続可能な発展教育」拠点準備フォーラム
次世代への思いやりをカタチにしよう−この地域で生き継いでいくために
日時: 2006年12月3日(日) 9:30〜17:00
場所:名古屋大学環境総合館
http://bernerland.com/cgi-bin/cocoro/contribute.cgi?mode=res&no=96
もなんとか格好がついたし、うまくいきそうです。

229大神:2007/01/06(土) 20:51:42
「持続可能な社会」について

結局持続可能な社会を作るのに問題としては

エネルギー問題、環境問題、食糧問題等になりますかね。

日本の場合は前二つについて考えた場合、

・エネルギー問題:石油などのエネルギーの枯渇への対処
・環境問題:CO2の問題

があります。ここで最近はバイオエタノールが注目されていますが
(燃焼しても光合成して植物内に取り込んだCO2から作られた糖由来の
エタノールが燃焼するだけなので見た目にはCO2発生量は0になる)、
ブラジルでは既に実用化されているので何とか日本でも実用化されないものかと思います。
バイオエタノールによる燃料が実用化出来れば環境、エネルギーの両方の
問題にプラスになるので(勿論、実際にはプラントを作る際にCO2が発生
してしまうのですが)。

ただこのバイオエタノールを日本で実用化する際に、日本は土地が狭いので
耕地面積が足りないという点と商業ベースに乗せるのが難しいというのが
あります(安倍首相も意欲的ですがやはりその点が批判されています)。

糖度が高い作物からは大量に取れるので、品種改良をして糖度の高い
植物を開発し、多毛作を行って休耕田を使って何とか商業ベースに
乗せれるだけにはなって欲しいものです。

明治の時には単に食糧問題として品種改良が行われていましたが、今後は
持続可能な社会を作るためにもこのような環境問題、エネルギー問題に
関連した品種改良が重要になってくるかも知れません。

230中葉 ◆22bKXenR5Q:2007/01/07(日) 20:18:36
反則かもしれませんが、世界のルールを紹介します。

愛・地球博協会企画事業「地球市民村」:「持続可能性への学び」をコンセプトに展開
http://www.expo2005.or.jp/jp/N0/N1/N1.2/N1.2.26/N1.2.26.3/
“持続可能な社会をつくるためには、技術革新や制度改革と並び、
意識変革につながる教育の重要性が指摘されてきた(1992年の地球サミットで
採択された行動計画「アジェンダ21」など)。 ユネスコ(国連教育科学文化機関)は、
このアジェンダ21を受けて、持続可能な社会を達成するため、教育全体の再構築を提言した。
「テサロニキ宣言」(97年12月、ギリシャ、テサロニキ)と呼ばれ、
「持続可能性という概念は、環境だけでなく、貧困、人口、健康、食料、民主主義、人権、
平和、道徳・倫理、文化的多様性、伝統的知識などを含むこと」、「環境教育を持続可能性のための教育と
表現しても構わないこと」などの内容からなる。 他に、「持続可能性のための教育(Education for Sustainability)」
「持続可能な開発のための教育(Education for Sustainable Development)」「持続可能な未来のための教育(Education
for Sustainable Future)」などと呼ばれることもある。”

231中葉 ◆22bKXenR5Q:2007/01/08(月) 14:08:29
大神さんは、
“持続可能な社会をつくるためには、技術革新や制度改革と並び、意識変革につながる教育の重要性が指摘されてきた”中の
“技術革新の重要性”を指摘て下さいました。

私は、
“制度改革と並び、意識変革につながる教育”を実践しております。

お互い、一人だけでは片手落ちです。

コラボレーションしましょう!協働しましょう!

232大神:2007/01/08(月) 16:18:32
>>231

環境問題にしても一人一人の意識が重要になってきます。

例えばアメリカは京都議定書への批准を拒みましたが、ここ数年の間において
米国民のCO2問題に関する関心が高まっています(Yahoo Newsより)。

京都議定書に関しても非批准国や批准を拒否する国に対して批准と
実行を促すのに有効な手段となるのは世界の世論に世論に拠るところが大きいです。
そしてそのような意識変革や教育の裏付けになるのは技術的に可能かどうかです。

233中葉 ◆22bKXenR5Q:2007/02/06(火) 09:23:55
おっしゃるとおり裏付けが必要ですね。

両面から、手分けして、進めましょう!

234中葉 ◆22bKXenR5Q:2007/08/03(金) 11:07:12
上海万博(2010)までにウェーバーの呪縛を解くことはできるでしょうか?
ウェーバーが提起した謎は、
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の最後の以下の文章です。

“こうした文化発展の最後に現われる「末人たち」《letzte Menschen》
にとっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。「精神のない専門人、
心情のない享楽人。この無のもの(ニヒツ)は、人間性のかつて達したことのない
段階にまですでに上り詰めた、と自惚れるだろう」と。――
 ただし、ここまでくると、我々は価値判断や信仰判断の領域に入り込むことになる。
が、そこまでは、この純粋に歴史的な叙述に求めるべきではあるまい。
むしろ、われわれのなすべき仕事は、以上の素描でその一端にふれたにすぎない
禁欲的合理主義の意義を、さらに社会-政治的倫理の内容について、
すなわち、私的集会(Konventikel)から国家にいたるまでの
社会的諸集団の組織と機能のあり方について、明らかにしていくことだろう。
その次に、禁欲的合理主義の人文主義的合理主義とその生活理想や
文化的影響に対する関係、さらには哲学上ならびに科学上の経験論の発展や
技術の発展に対する、また精神的文化諸財に対する関係が分析されねばならないだろう。
(岩波文庫版 pp.366-368)”

私たちは、

万博で開催した7月8,10日2回の「持続可能なコミュニティづくり」シンポジウム
そのⅠ.「持続可能なコミュニティづくり」―組織とマネジメントからの問題分析
そのⅡ.「持続可能なコミュニティづくり」―文化と価値の創造をめざす問題解決

において、正にウェーバーが提起した謎と悪戦苦闘し、その後も悩み続けてきました。

でも、もうタイムアップです。

何とか、操作的な結論を出しましょう。

237中葉 ◆22bKXenR5Q:2008/07/30(水) 18:16:33
出します。あせらずに待って下さい。

238中葉 ◆22bKXenR5Q:2008/09/12(金) 15:30:51
なんとか結論を出せそうです。

「ラディカル・プランニングの媒介」という方法論をフリードマンが提供してくれたからです。

John Friedmann: Planning in the Public Domain: From Knowledge to Action, 1987, Princeton UP, p.389
http://www.amazon.co.jp/Planning-Public-Domain-Knowledge-Action/dp/0691077436

239中葉 ◆22bKXenR5Q:2008/09/12(金) 15:37:32
MRP(Mediations of Radical Planning)による取組み:

オルタナティブな開発にはラディカルな実践が必要であり、
実践は適切な理論によって方向付けられなければならない。
以下に列挙するような構造改革の理論によるバックアップと
媒介とがなければ、ラディカルな実践は定着できないであろう。 *)

1.資本主義社会の構造的問題(人種差別、父権社会、資源枯渇、
  貧困、疎外など)

2.システムの暗黒面を繰返し再現する現実を批判的に解釈する。

3.対抗し、改革する運動がないとしたら社会がどうなるかの
  未来予想チャート
4.解放のための実践に基づく望ましい詳細な未来イメージを練り上げる。

5.多くの人が望む未来の実現に対する既得権側からの抵抗を克服する
  戦略を提案。

*)John Friedmann: Planning in the Public Domain: From Knowledge to Action,
  1987, Princeton UP, p.389


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