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「α」についてはここで語ってください
1
:
法の受験人
:2003/05/21(水) 00:37
ぼーんさんが述べられてる「α」なる理論。
これに対しては批判も多いので、
こちらでまとめて話しませんか?
2
:
武蔵
:2003/05/21(水) 00:48
>>1
え!?
批判多いのですか?
批判論点をちょっと箇条書きにしてもらえますか?
3
:
<未入力>
:2003/05/21(水) 07:16
http://society.2ch.net/jsdf/
#15
武蔵氏へ ↑これ知らないの?
4
:
<未入力>
:2003/05/21(水) 07:18
続き
*反戦・平和アクション議論板は自壊しましたPart16*
辺りを見てね。
5
:
武蔵
:2003/05/21(水) 08:02
>>4
知らないです。この掲示板を全部は見切れないのに、他まで見ることは出来ません。
批判が多いとして、それをこの「平和造りの部屋」に書いてあるとしても(他ならまして)
ここで討論する気なら、
批判の論点を全て提示するのは当然ではありませんか?
6
:
法の受験人
:2003/05/21(水) 08:34
>>ぼーんさん
実はですね、今ぼーんさんの考える平和を考えているのですよ。
もしかしたら、αがなければ平和が達成できないのかもしれないと。
そこで、ぼーんさんの発言をじっくり読んでるんです。
で、友人とかにもこのことを話そうとは思ってるんだけど、
「バカ」というと話をきかなくなって、逆にこっちを殴ってくる
人間もいるから、
「αを実践していない人をバカと呼ぶ」のではなく、
「αを実践してない人をバカと思ってOK、でもそうすると、
そう呼ばないようにする」
として欲しいんだけど。
αをもっと真摯に考えたいから、そしてαを知ってもらうときに、
私も、ぼーんさんも、そうしたいんだけど、どうかな。
7
:
武蔵
:2003/05/21(水) 08:53
>>6
横レスですが、ここはあなたの出した《「α」について語るスレ》です。
バカ論議をするスレを別に立てますか?
また、
>「αを実践していない人をバカと呼ぶ」のではなく、
実践していない人を馬鹿と榮ではいないですよ、ぼーんさんは。
αを認めない人をバカと呼ぶ、の誤りです。
最初に私が申し上げましたように、αに対する批判と言うものを箇条書きにすることから始めてください。
8
:
武蔵
:2003/05/21(水) 08:54
馬鹿と榮では=バカと呼んでは
9
:
法の受験人
:2003/05/21(水) 09:23
>>7
おっと、すみません。
では、「αを認めないい人をバカと思ってOK、でもそうすると、
そう呼ばないようにする」
と訂正しておきます。ありがとうございました。
まず、αに対する批判をここに書くよりも、
αへの理解を深めることからはじめたいと思うんですね。
ですから、まずは私からぼーんさんへいろいろ
話す上で、αを認め、実践していきたいと
思っております。
批判に対する返答は、それからでも遅くはございません。
また、バカ論議をするスレッドでございますが、
このスレッドに一本化してよろしいかと存じますが。
10
:
武蔵
:2003/05/21(水) 10:26
>>9
反・反戦スレの23
「α あくまでも、他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値を置かない。」
裏表がややこしいかもしれませんが、《他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値をおく》
ということに対する批判が多く出ているといわれたのですから、
まずその批判と言うものを聞かせていただかないと論議出来ないです。
私なんぞは人間が社会の中で生きていく上で、最低限必要な理念であって、
幼児期に親から兄弟から、保育所では他の園児たちから叩き込まれて育つものと解釈しています。
どんな批判があるのか、まず多くの批判を箇条書きにしてみてください。
11
:
イカフライ
:2003/05/21(水) 10:39
>>9
>また、バカ論議をするスレッドでございますが、
>このスレッドに一本化してよろしいかと存じますが。
ゆうべ、2ちゃんにも書いたけど。「バカ」と言うの、言わないのと、言葉遊びをする気なら、それを無駄話と言ったんです。
実際、以前にも、「バカ」という単語だけを取り出して、大騒ぎの不毛な論争になりました。
もう、ああいう時間の無駄はごめんです。
無駄話したいのなら、それこそ2ちゃんねるでやってください。
12
:
イカフライ
:2003/05/21(水) 11:00
「a」について、実際的に語るなら。
「他者と自己について等しい価値を置く」とは、どういうことか?についてからはじめることだと思うのです。
まず、この価値を否定している人はいない。いない、と断言してしまうのは、みんなここで「話し合い」をしたい、と言ってるんですよね。
特に「反・反戦」の方々は。
「話し合い」ってのは、自己と他者に同価値をおかねば成立しません、これ、解りますよね?
で、この同価値が、「理念」においては同価値を置くが、命や痛みに関しては同価値を置かない、というのは、論理的に矛盾しとらんかあ?てことがまずひとつ。
壱学生さんが批判されとるのは、この辺です(「反・反戦」スレ、読み直せば解りますわ)
で、この「他者と自己に等しい価値を置く」というのは、理念的には賛同できるが、現実としては、難しい、所詮、建前ではないか?つ-意見が出てるんですよね。
私は建前ではなく本音だし、まあ、反戦を唱える人の殆どは本音だろう。じゃなければ、エンもゆかりも無いイラクの人々のために休日潰してデモしたり、ましてや、身の危険を顧みず人間の楯なんぞになってイラクくんだりまで行かんよ。
とは言え、実際に、これを実施するのは、難しい。
特に、我が身が危なくなれば、人間、多かれ少なかれ自分やせいぜい自分の身内や恋人を優先してしまうもんだ。
これも事実。
このギャップをいかにするか?
もし、実際的な議論をするのなら、ここからはじめるべきじゃなかろうか?
13
:
ぼーん
:2003/05/21(水) 13:37
>>11
> ゆうべ、2ちゃんにも書いたけど。「バカ」と言うの、言わないのと、言葉遊びをする気なら、それを無駄話と言ったんです。
> 実際、以前にも、「バカ」という単語だけを取り出して、大騒ぎの不毛な論争になりました。
> もう、ああいう時間の無駄はごめんです。
> 無駄話したいのなら、それこそ2ちゃんねるでやってください
実は、僕はこの意見にはあまり賛成ではなくて、本来ならば、バカ、バカ言ってい
る方が矛を収めるべきでしょう。常識的に。
だから、あまりに非礼な奴がいれば、しばしばここでもなされるように「言葉づか
いを改めれば?」というべきだと個人的には思ってる。
ただし、常識的にそういう対応が必要だ、と言えるのはどういう根拠でか、という
ことは考えねばならない。それほど考える必要ないけれど、議論の相手をともかく
その内容とは区別して「尊重せよ」と言うのは、「相手を自分と等しい価値のある
他者として認める」からです。
僕がこの板で掟破りというか、そういう尊重を一切しないのは、そもそもの尊重の
根拠であるαを否定する、少なくとも肯定することの責任を負わない、と明言して
いるからです。
それに対して態度をどうこう厚顔にも言ってくる柏葉氏、壱学生氏、その他彼らの
シンパは、その主張とαの論理的つながりすら理解できないバカであることを、そ
の書き込みのたびにさらしているわけです。あまり無意味と思ってません。
# 既に明らかになっていることが何度も何度も半年経っても変わらず同じ形で
また明らかになる、という意味では、もういいかげんにせーよと思いますが。
態度の問題は、僕は重要だと思ってます。
しかし、態度の問題を云々する前提は、僕と彼らの間では明確に否定されていま
すのだということを忘れないでいただきたい。僕の態度は、そういうメッセージ
です。
14
:
ぼーん
:2003/05/21(水) 13:49
>>6
> 「バカ」というと話をきかなくなって、逆にこっちを殴ってくる
> 人間もいるから、
> 「αを実践していない人をバカと呼ぶ」のではなく、
> 「αを実践してない人をバカと思ってOK、でもそうすると、
> そう呼ばないようにする」
> として欲しいんだけど。
バカをバカと呼ぶか、心の中でそう思うだけにするか、それは僕が僕の状況を
鑑みて考えることです。
α以外にもいろいろ話し合わなきゃいけない相手なら、ともかく怒らないよう
には気を遣うでしょうけど。でも、柏葉君等々に気を遣う理由なんて1つもな
いんですよ。別に利害関係者でもないしお友達でもない。αを認めてる人を怒
らせて出て行かせるんじゃ「人間としてダメだ」と激しく自己批判するべきで
しょうけどね。柏葉君たちはそうではないですから、何をどう感じようとどう
でもいいです。
15
:
ぼーん
:2003/05/21(水) 14:05
>>3
最近の200レスくらい読んだけど、愚痴以外何も見出せなかったんですが。
あれを「批判」と言うの?ページ内検索かけても「α」という記号すら発見
できませんが。
# 唯一論理的に書こうと努力されてるコメントが、壱学生氏が僕の氏素性に
ついて憶測してるコメントだ、ってのがなんとも笑える。
他にやることあるだろうに。
>>1
by 法の受験生氏
あなたに聞きたいのだけど、あなたが
>>1
で言及してる「批判が多い」ってのは、
一体どこのどういう話のことですか?
まさかあの2chのスレのこと?だったらお笑いなんだけど。
紹介されてる2chのスレがあんな状態だったので、あなたの言う「批判」って
いうのが一体どこにあるものなのか分からなくなりました。一体どこの話を元に
「批判が多い」なんていったのか教えていただきたい。
16
:
<未入力>
:2003/05/21(水) 20:04
>唯一論理的に書こうと努力されてるコメントが、壱学生氏が僕の氏素性に
ついて憶測してるコメントだ、ってのがなんとも笑える。
どれの事でしょうか?極最近のものからは見当たらないのですが・・・・。
(それよりも、ネタとコピペの方が目に付くのだが・・・?)
17
:
武蔵
:2003/05/21(水) 20:13
いい加減に本論に戻りましょうよ、
未入力さんと
法の受験人さん。
αに対するたくさんの論理的批判と言うのを列記してください。
このスレの意図がいまだにつかめないんですよ。
18
:
16
:2003/05/21(水) 21:20
あのう・・・
未入力さん一人じゃないんですけど・・・
誰かと間違ってませんか?
16を聞きたいだけですので、本題が何か知りませんが、やりたい人同士やって下さい。
場違いなら消えます。
19
:
法の受験人
:2003/05/21(水) 21:31
>>13
,14
なるほど、それは確かに一理あるね。
ただ、どんな時になっても、バカって言われると
どうしても腹が立つ人間がいる。
ぼーんさんも、αを認めなかったけれど、話すことで
その人がαを認めるようになったのであれば、
とってもうれしいでしょう?
半年っていうけれど、話し合いはそんなに短いものじゃない。
何年も何年もかけて話し合いが行われる。
たとえば、第一次・第二次湾岸戦争の間には10年もの話し合いが
あった。
だから、平和を創るためにも、戦争を起こさないためにも、
もうちょっとこっちが我慢して話し合おう
たぶん、間違ってはないはずなんだけどなぁ。平和のためなんだから。
20
:
法の受験人
:2003/05/21(水) 21:33
>>10-12
,17
まあスレッドタイトルがタイトルですから
誤解されるかもわかりません。
ただ、
>>6
をよく読んでくれたら、私が
αの内容じゃなくて、αを広めるため、と書いてあるのがわかるはずです。
21
:
法の受験人
:2003/05/21(水) 21:34
あと、αの批判がどうとかこうとか書いてる
人がいますが、
>>9
を読みましたか?
22
:
ぼーん
:2003/05/21(水) 22:03
>>16
200くらい読んでて、最後の方にあったので、その前後を探してみてください。
僕の記憶では壱学生氏のコメント自体少なかったので、300レスくらい開いて
みてからページ内検索をかければすぐ見つかると思いますよ。
>>21
>>9
に書いたことを無視するつもりはないんですが、「どこを見て」批判が多い、
とおっしゃってるのかが不明なものですから、それくらいは教えていただけません?
少なくとも2chのスレにはなかったです。
「反・反戦派の方へ」のスレッドにかかれてた意見を指してますか?
23
:
武蔵
:2003/05/21(水) 22:44
>>20
αを広めるため」もヘチマも
あなたはαに対する批判が多いから議論しようと言っているんですよ。
その批判を書かなければ議論のしようがないではありませんか!!
24
:
ぼーん
:2003/05/21(水) 22:59
>>23
by 武蔵氏
まぁ、
>>9
で軌道修正してるから、それは尊重しましょう。
>>法の受験人氏
「批判」ってのがどこにあるかだけ教えてよ。
後はお好きなようにすすめてくれれば、答えられるもんなら答えますし。
25
:
法の受験人
:2003/05/21(水) 23:00
>>22
ええ、私の「批判が多い」という書き方が悪かったでしょう。
「αの内容について語ると、不毛な議論に陥る」
という意味に受け取ってくれるとありがたいです。
ぼーんさんであれば、私がしたいのは、
αをもっとみんなにわかりやすく知ってもらいたい、
そしてみんなにそのことを認めるようにしよう、
そのほうが平和のためになるから、
と読んでくれているな、と信頼しています。
ぼーんさんは、こうしてみるとかなり話せる人ですから。
>>23
とにかく、そういうことを
言い出すと、あなたの言う「言葉遊び」になるので
やめましょう。
26
:
武蔵
:2003/05/21(水) 23:22
>>25
>
>>23
とにかく、そういうことを
言い出すと、あなたの言う「言葉遊び」になるので
やめましょう。
私がいつ「言葉遊び」なんて言いました?
それはともかく
「αの内容について語ると、不毛な議論に陥る」
というのも分かりません。
>αをもっとみんなにわかりやすく知ってもらいたい
ん?
分かりにくいのですか?
では、おっしゃるように分かり易く説明してみてください。
27
:
ぼーん
:2003/05/22(木) 00:50
>>26
by 武蔵氏
> それはともかく
> 「αの内容について語ると、不毛な議論に陥る」
> というのも分かりません。
それは確かにわからないです(笑)
多分ですね、「αの内容についての理解がバラバラなままでαへの批判の話
をしても、不毛な議論に陥る」と言いたいのだと思います。
28
:
<未入力>
:2003/05/22(木) 04:29
>>25
> ぼーんさんは、こうしてみるとかなり話せる人ですから。
「反・反戦」スレの210で、ぼーんさんにαを認める人達だけで語っているサイトを教えてもらった者ですが、
まだ300位しか読んでいませんが、そこでは、確かにぼーんさんは、話せる人っていう印象を受けています。
意図的にやっているとおっしゃってますが、
あんな風にここでも話してくれると、もっと理解者が増えるような気がします。
29
:
ぼーん
:2003/05/22(木) 12:56
>>28
300くらい読んだとなると、tztztzさんとやりあったあたりはまだですね。
tztztzさんは自分のコメントを自主的に削除して出て行かれたのであのあたりの
つながりが読みにくいですが、少なくとも僕の非は間違いなくある、と思ってて
ください。tztztzさんの意見には今でも反対ですが、ともかくここでやってるよ
うなαとかの話とは関係ナシに叩いてたのは確かですし、その意味では僕は彼を
十分に尊重しなかったとはいえます。あまり認めたくないですが、それは確かで
すね。
# ただ、念を押しておくと、αを否定する柏葉氏(元国家主義者氏)や、回避
する壱学生氏なんかに対しては、別に気にしておりません。
> あんな風にここでも話してくれると、もっと理解者が増えるような気がします。
αを否定する人には、「尊重してはいけないんではないか」とすら思ってます。
オフラインでもそういう人は稀にいますが、その人のαを否定している側面は
決して尊重しません。「あなたがそう言うんなら、あなたはあなたが尊重される
べき根拠を自ら掘り崩しているから、僕はあなたの人格を傷つけるようなことを
平気で言ってもいいことになるけど、そういうのは許容するの?」と聞きます。
許容するんなら、多分そういう言い方しますね。実際にその人を尊重しない。
# 幸い、そこまで言われると自分の言ったことの意味に気付く人ばかりなんで、
そういうことになったことないですが。
30
:
武蔵
:2003/05/22(木) 13:27
>>29
>αを否定する人には、「尊重してはいけないんではないか」とすら思ってます。
オフラインでもそういう人は稀にいますが、その人のαを否定している側面は
決して尊重しません。
そうなんですよね。
決して尊重してはいかんことが、いくつかあります。
一番大きいものは、差別をする自由です。
このαというのも、これにつながることですから。
31
:
<未入力>
:2003/05/22(木) 21:16
>>29
>十分に尊重しなかったとはいえます。あまり認めたくないですが、それは確かで
すね。
>αを否定する人には、「尊重してはいけないんではないか」とすら思ってます。
オフラインでもそういう人は稀にいますが、その人のαを否定している側面は
決して尊重しません。「あなたがそう言うんなら、あなたはあなたが尊重される
べき根拠を自ら掘り崩しているから、僕はあなたの人格を傷つけるようなことを
平気で言ってもいいことになるけど、そういうのは許容するの?」と聞きます。
許容するんなら、多分そういう言い方しますね。実際にその人を尊重しない。
なるほど、そーゆー事なら話がわかりました。誤解していたことをお詫びします。
32
:
ぼーん
:2003/05/23(金) 08:07
>>30
戦う、というのは、αの否定について妥協しないことではないのかな、と最近思
っています。
>>31
ご理解感謝します。
33
:
<故意に未入力>
:2003/05/24(土) 01:25
揚げ足取りでは無い事を最初に断って。
「α」と「β」が反対になってますよ。自分の主張の基にするなら、訂正したほうが
良いですな。それが故に混乱しないとも限らないし。
ま、他人の忠告を聞く耳を持ってる程、まとまな人間とも思えないが。
↓
----------------------------------------------------------------------------------
反・反戦派の方々へ
23 名前: ぼーん 投稿日: 2003/05/07(水) 09:37
ひとまずお久しぶり。
>>14
>>15
壱学生さん、進歩ないねぇ。僕の去り際に述べたことを、もう一度繰り返しにきました。
ぼーんの宗教、イカフライの宗教、武蔵の宗教、壱学生の宗教、その他もろもろの宗教が
「違う」なんてことは、そんな程度のことは最初から分かっている。
また、「違うこと」それ自体は容認してもいる。
しかし、壱学生の持つ宗教がその宗教内部において人間の価値の等しさを否定しているな
らば、その一点において壱学生のもつ宗教全体の修正を迫る根拠になる。そう言っている
に過ぎない。
「α あくまでも、他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値を置かない。」
「β 他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値をおき、自分の宗教を修正する。」
----------------------------------------------------------------------------------
34
:
ぼーん
:2003/05/24(土) 01:29
>>33
完全に勘違いです。
訂正多謝。
「β あくまでも、他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値を置かない。」
「α 他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値をおき、自分の宗教を修正する。」
で統一してください。>皆様
35
:
<未入力>
:2003/05/24(土) 08:27
>「α 他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値をおき、自分の宗教を修正する。」
等しい価値をおくなら、ます、等しい価値作りをしなくてはならないですね。最低限のライン(ぼーん氏が例を挙げていた)は共通できるかもしれないけど、宗教クラスになると絶対等しい価値をもてないと確信しています。
等しい価値どころか、その価値とやらを認めない人とはまともに話をしない、説法もしない(例えばの話ですよ)とすれば、議論は進みません。限界だと思いました。
36
:
武蔵
:2003/05/24(土) 09:27
>>35
また《故意に?》読み違えています。
ぼーんさんも、こんな風に格言的に書くならもっと言葉を選ばなければいけないと思いますが。
ここで言う「宗教」というのは、キリスト教とかイスラム教とか言う「宗教」の意味ではありませんね。
ぼーん教とか、柏葉教と言うようなものです。
つまり、あなたの言う「最低限のライン」=「人間の尊厳」と言うようなレベルです。
相手にも(全ての人に)自分と同じ尊厳がある、それを認めるべき(尊重すべき)だということです。
37
:
ぼーん
:2003/05/24(土) 10:55
>>35
その宗教は、柏葉氏が僕を誹謗する目的で用いた「宗教」という語法に従っていま
す。僕の用いた意味は、「ある段階まで行くとそれ以上根拠をさかのぼれないような
信念体系」という意味のもので、誰でもが持っているものであり、また、必ずしも狭
義の宗教の(そのまた狭義の信者たちがやっているような形での)宗教とは、ちょ
っと違います。
まぁだいたい武蔵さんが言っているような意味ですね。
38
:
<未入力>
:2003/05/24(土) 16:02
ぼーん教と柏葉教=信念体系
そうとも思ったのですが、こちらの
>>35
の書き方にも言葉が足りなかったようです。
>>35
の宗教レベル=
>>37
の信念体系という意味です。
>>37
に同意と思っていいと思うのですが、読み違えがありましたらごめんなさい。
39
:
イカフライ
:2003/05/24(土) 20:19
亀レスですが。
>>13
についてですが、私は
>>11
でぼ-んさんを批判したつもりではなくて。
なんのために議論するか、というより、私はなんのために議論したいか、ということなんです。
これは、本来「反・反戦」スレで言うべきことなのかも知れないのですが。
別にこのサイトだけに限ったわけじゃないですが、ネットのいわゆる「議論トピ」といわれるものを見ていると
「議論のための議論」というものが良く目に付きます。まあ、それでも議論になればまだ良いのですが、言葉尻掴みの揚げ足取りや、勘違いした知識自慢がすごく多いんです。
これを「言葉遊び」と称したい訳でして。
そういうのを楽しみたい人は別にいいけれど、私自身は、少なくともこのサイトでは、「平和造り」の現実に役立つ議論をしたいと思っています。
ですから、平和論のお勉強をしたい人は、それこそ専門家である学者先生に聞けばいいし、向こうはプロなんだから。
また、善意で反戦に役にたつ理論や知識を提供してくださりたい方々は、その善意はありがたいと思いますが、それならば、本当に役に立つものを提供されなくては、悪いけれど
「気持ちだけ受け取ります」
で実質、なんも伴わないんですよね。
で、「α」についての私の意見は、
>>12
にかいた通りです。
>>25
で法の受験人さんの言われている
>αをもっとみんなにわかりやすく知ってもらいたい、
>そしてみんなにそのことを認めるようにしよう、
この方法論を考えませんか? ッて事なんですが、いかがでしょう?
40
:
だよもん星人
:2003/05/24(土) 20:53
ぼーん様
>「α 他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値をおき、自分の宗教を修正する。」
理念的な何が等価値で、どういう状態をもって等しいとするんですか?
41
:
イカフライ
:2003/05/24(土) 21:11
>>40
だよもん星人さま、その疑問については、「反・反戦スレ」の最初の方の壱学生さんのご意見を中心に読み直されてみると、理解に近ずくのではないか?
と思います。(老婆心ながら)
42
:
緑装薬4</b><font color=#FF0000>(aL5K3vps)</font><b>
:2003/05/26(月) 14:57
>イカフライさん
>私は建前ではなく本音だし、まあ、反戦を唱える人の殆どは本音だろう。じゃなければ、エンもゆかりも無いイラクの人々のために休日潰してデモしたり、ましてや、身の危険を顧みず人間の楯なんぞになってイラクくんだりまで行かんよ。
>とは言え、実際に、これを実施するのは、難しい。
>特に、我が身が危なくなれば、人間、多かれ少なかれ自分やせいぜい自分の身内や恋人を優先してしまうもんだ。
>これも事実。
アルファなるもんがようわからんかったけど、これでようわかった(笑)
要するに「良心」とか「いたわりの心」とか「モラル」とかなんとか言う
本能「以上」のもののことだよね?
本能以上のものは、本能発動するような環境でない場合は当然発揮できないと
人間として生活もでけんし、犯罪者になっちまうわな。
ただ、その本能発動せんくてはならん状況に自分が「追い込まれない」という
確証がなければ、すべての状況にそれを適応することはでけんだろうね。
43
:
武蔵
:2003/05/26(月) 15:46
>>42
>アルファなるもんがようわからんかったけど、これでようわかった(笑)要するに「良心」とか「いたわりの心」とか「モラル」とかなんとか言う本能「以上」のもののことだよね?
ちょっと違います。
他者と自分との間に理念としての価値(尊厳)に差を認めないこと。
確かに「わが身が危なくなれば」という究極の場面では、自分を優先する「本能」は働くわけで
その本能があるからこそ人類が生存しつづけているともいえます。
しかしその究極の場面でも、
自分が相手より価値のある人間であるから助かるべきだと言うような
理念上の価値(尊厳)の差によって自分を救うのではないはずです。
こいつらには価値がないから死んで当然という価値判断ではありません。
>ただ、その本能発動せんくてはならん状況に自分が「追い込まれない」という
確証がなければ、すべての状況にそれを適応することはでけんだろうね。
個人的には何の恨みもないもの同士が殺しあうのが、戦争です。
本能発動せんくてはならん状況に自分が「追い込まれる」のが戦場ではないですか。
本能発動せんくてはならん状況に自分が「追い込まれない」ために、戦争反対なのですよ。
44
:
ぼーん
:2003/05/26(月) 16:58
>>42
> ただ、その本能発動せんくてはならん状況に自分が「追い込まれない」という
> 確証がなければ、すべての状況にそれを適応することはでけんだろうね。
別にそんなことはないですよ。
追い込まれたにせよ、そこでαを否定する行動を取った人は、その行動において
αを否定した、ということを認めなければなりません。
その上で、進むことの可能な道は幾つかあります。
1つは、αを徹底的に否定するか。
いま1つは、そのαを否定する行動を反省的に捉えなおすか。
その場合、「本当にその場面ではαを否定する行動しかありえなかったのか」と
問い直すことがあります。また、「αを否定する行動しかありえない状況はどう
してありえたのか」ということを問い直すことがあります。
たとえば、戦争で中国人を殺した日本兵の場合。
殺さなければ自分が殺されていただろう、という状況があることはわかる。
しかしこの場合でも進むことの可能な道は幾つかある。
「仕方が無かった」といって、すべてを殺した相手の方に投げつける方法。
この場合、いかに仕方がなかったとしても、それは殺す側の論理であり、自らの
背後にいて殺すよう仕向けた国家や様々なものの側に立っていることになるでし
ょう。いかにそれが切羽詰ったものであろうと、殺される側にとっては無意味で
す。本質的にαの否定でしかありえない。
もう1つの道は、殺さざるを得なかった状況を作り出した当時の国家の責任や社
会情勢に目を向けることです。当時の日本政府には多大なる責任があるでしょう。
まずはそれを考えること。そして、日本政府を追い込んだ外国政府の責任がある
なら、それも同時に言っていくべきでしょう。殺さざるを得ない状況で殺した人
に可能なことは、自分自身においてαを否定したことの責任を自分で引き受けて、
殺した相手ではなくて殺さざるを得ない状況を作った社会構造の批判へと向けて
いくことが大事です。
さらに言えば、このような兵士を戦地に送った後方の人たち、そのような兵士た
ちを戦地で送った結果としてある今を生きる人たちも、そのような責任を(部分
的には)引き受けていくべきでしょう。
αの否定・肯定にこだわることは、「私」において発生した矛盾(殺すか殺される
か)を引き受けて社会を問い返していくか、殺した相手に覆いかぶせて逃げ去る
か、その分岐点になりえるでしょう。僕がαの否定・肯定にこだわるのはそういう
意味です。
仕方なかったから、「そういう場合にはαを否定していい」なんてのは、いかに
切羽詰った人の悲しい言い訳であったとしても、それは単なる「論理的間違い」
に過ぎません。その心中を慮りつつも、「間違いだ、共に責任を引き受けるべき
ではないか」と詰め寄ることも大事でしょう。
45
:
武蔵
:2003/05/27(火) 08:50
>>44
全くその通りだと思います。
過去や他国のことを、こういう視点で捉えることによって、
今から後に起こりうる状況に対して、自分たちに出来ることをする。
最低限は声をあげること、
大切だと思います。
アメリカは今回のイラク戦争で、クラスター爆弾を1500発落としたのだそうです。
不発弾被害を受け続けているイラク人たち、不発弾が恐ろしくて外に出られない住民たち
その不発弾処理に、アメリカは専門部隊を派遣したのだそうです。
46
:
イカフライ
:2003/05/27(火) 20:19
>>42
>要するに「良心」とか「いたわりの心」とか「モラル」とかなんとか言う
>本能「以上」のもののことだよね?
なのかな? どっちも本能ではないかな? とか思うんだけれど。
これは、弱肉強食スレで言った事の繰り返しになるけれど、
「自己の利益の為に他者を犠牲にする」というのも
「他者の利益の為に自己の利益を犠牲にする」というのもどちらも本能ではないだろか?
これは、随分前にうろちいさんが言っていた、種の存続というか生存の為に、自己と言う種のうちの一個体を犠牲にする、だっけ?
(う-、うろちいさん、もう一回説明キボンヌです^_^;)
いや、じゃあイカフライはイラクの子供の為に自分の命捨てられるか?つ-反論になるかもしれんけど。
そ-じゃなくてさ、「良心」とか「いたわりの心」とか「モラル」とかが、なんで人間に生じるのか?ってことを考えると。
道徳はその社会を維持する為ではあるのだろうけれど、その道徳に、まあ大多数の人が従っちゃう、受け入れちゃうっていうのは、
本能としての自己保存として、もともと備わってるもんではないだろうか?
そんな風にも思うんだけれどね。
上手く言えないが。
47
:
イカフライ
:2003/05/27(火) 20:25
>>46
つまり、自分の命という利益を守る為に他者を犠牲にするという本能が発動されなければ、人間は滅びちゃう。
けれど、自分の利益さえ守られれば、他者に何をしても良い、という一見本能のママに行動すれば、それも人間は滅びちゃう。
環境や状況の差はあれ、人間の中に「良心」とか「モラル」とか呼ばれるもんがあるのは、それも人類と言う種を存続させる為のひとつの本能ではないんじゃろか?
そして、利己と利他という一見相反する本能が備わっているからこそ、人間の情念による苦悩も生じるのではないのかなあ?
なんて、素人は考えるのだけれど。
48
:
イカフライ
:2003/05/27(火) 21:03
>>46
>>47
まあ、こんな風に考えるのは、私があまりモラリスティックな人間ではなく、ホンネと本能で生きているからかも知れないけれど。
49
:
<未入力>
:2003/06/02(月) 18:52
ところで…
法の受験人さんは、スレの立て逃げですか?
50
:
<未入力>
:2003/06/02(月) 21:05
忙しくて来れないのでは?
そのうちお見えになるでしょう。
51
:
49
:2003/06/02(月) 21:17
>>50
そうであることを願っています。
52
:
ぼーん
:2003/07/28(月) 13:02
愛国心スレより引越し。
101 名前:ぼーん 投稿日:2003/07/26(土) 01:50
>>61
番長さん
隣のスレには復帰しましたが、こちらはまだ放置したままでした。すいません。
ごく簡単に。
I氏の信念にしたがってぼーんを批判することは無意味です。
ぼーんの信念にしたがってI氏を批判することが無意味なのと同じように。で、
> たとえばぼーんはん以外の者にⅠ氏が差別的な扱いを受けたとすると、Ⅰ氏は自らの論理・自分>他人
> に従い、差別者に対して差別はもとより平等な扱いをも拒否し、敬意を表するように求めることが出来ま
> す。それは自らの論理に合致しているからです。
> さらに、ぼーんはんがⅠ氏と自分を対等と見做しまたそう扱っても、Ⅰ氏はぼーんはんを不当だと訴える
> 資格を持ちます。これもⅠ氏の内的論理から由来します。
は、上記の「批判が無意味なケース」に当たります。
> もちろんぼーんはんも自らのαに従い、Ⅰ氏の不当性を非難することは可能ですが、Ⅰ氏の資格云々には言及できません。
はむしろ逆で、僕が自らの信念にしたがって相手を批判することはやはり無意味です。
他方、I氏が、ぼーんの信念を共有しないが、しかしそれに基づいてぼーんを批判することには意味はあります。
ありますが、ここではむしろ、「I氏には批判する資格がない」と、資格を云々することはできると思います。
ぼーんは、少なくともI氏の選択したルール上、否定されていない振る舞いをしているだけですから。
> 最後に一番の不具合は、Ⅰ氏がぼーんはんを如何に差別的に扱ったとしても、彼は自らの信条に
> 矛盾しないでしょうが、その逆は明らかにぼーんはんのαに抵触してしまう。何故ならαは自分と全
> ての他人が対等だとゆう理念なのですから。
それを批判することはできます。
で、その批判を僕が聞かなければならないのは、批判者がαを肯定しており、僕とその批判者との間で
αが共有されているときだけです。
もし、その批判者がαを共有していないならば、僕はその批判を「聞いても聞かなくてもいい」とまでしか
いえないはずです。「あなた矛盾してるんじゃないの?」と聞かれたら、「そうですね。で、何か文句ある?」
と僕は言い返したとして、そのα否定者に言えることは既に残ってないでしょう。
I氏が何もいえない、という意味では、僕自身がαに抵触していたとしても、大した問題ではありません。
# 別の意味では大した問題になりえますが。
53
:
○○番長
:2003/07/29(火) 00:16
>>52
ぼーんさんへ
ここでぼーんさんの言う『無意味』がよく分りません。相手に何かを要求する『資格』に的を絞れば、自らの信条にその要求が合致するかどうかは一つのポイントであります。他には、何らかの共通の規範や基準に適っていることも重要でしょう。
自分>他人と考える者・Ⅰ氏が、Ⅰ氏の優越性を認めない全ての人間に抗議する資格があるのではないでしょうか?少なくとも自らの信条には矛盾していません。もちろんこちら側がそれを受諾する必要性・必然性は全くありませんが。
そしてαを当為として認める者は、理念として自他の優劣を否定するがゆえに、自分>他人と考え行動することは許されません。自らの信条に反してしまうからです。掲げた理念と実際の行動との整合性は、たとえ如何なる立場の者であっても常に問われ続けることでしょう。
ひとまず上記のような『理念と行動の整合性』だけから考えれば、Ⅰ氏の『資格』は揺ぎ無いものと考えます。もちろんαを受持する人たちが、他者にαを遵守するよう呼びかける資格もです。能書きと行動の矛盾する人間が軽侮され、失笑を買うのは古今東西普遍的であります。
ただこれは言葉の遊び、スコラ哲学みたいな面があり、僕自身感覚的にそのおかしさを自覚しています。何故かと問うまでもなく、理念と行動の整合性だけを問題にしてしまえば、結局ふっかけた方が有利になってしまう。厚顔無恥な原理を掲げた方が勝ちだと。しかしこれは明らかにおかしい。僕だけではなくぼーんさんも、恐らくは他の大多数の人たちもそう感じることでしょう。
54
:
○○番長
:2003/07/29(火) 01:17
>>53
続き
理念と行動の整合性だけでは、他者へ何かを要求する資格を得られない。僕らはそう考えてきたし、これからもそうでありましょう。僕らの思考・感情の基礎には、自他を対等と見做せという格率があります。そしてそれを無みする者には、対等の資格を付与しないでも良いという報復の感情も。宗教を奉じる人たちはどうか分りませんが、この格率と報復の感情は、先に書いた『理念と行動の整合性』を問う姿勢とともに、かなり普遍的ではないでしょうか?
あくまで私見ですが、ぼーんさんの提唱するαは、不犯の理念というよりも、こうした掟に類するものと推察します。掟は論理ではありませんから、αを否定する者に対等の扱いをする必要はありませんし、そのことの矛盾を突かれても『それがどうした!?』と言い返すことが可能です。それなら僕にも合点がいくんですよ。
ただ、理念としてしまうと綻びが出てくる。無条件な当為としてしまうと人間は身動きが取れない。それはそうです。掟でさえ守るのは至難の業ですが、理念にまで高めてしまえば、それを掲げた瞬間から人はαに反せざるを得ません。十字架を背負うことになる。誰もに守ることの出来ないルールは、もはやルールではありません。少なくとも社会を律する規範にはなりえないし、まして野望と悪意の渦巻く国際社会に対しては蟷螂の斧であります。
では掟として提唱すればことは解決するのか?と云えば、僕にはそう思えないのです。掟なら今でも数多くある。『神を信じるもの全てに云々』『この地に生まれたもの全てに云々』『国家に忠誠を誓うもの全てに云々』と、条件付α或いはαもどきなら枚挙に暇がないほどです。ここに新たな掟としてのα(理念・無条件的当為としてのαとは既に別物ですが)を掲げるのは、屋上屋を架す振る舞い以外の何ものでもないというのが、僕の考えであります。
批判・反論をこそ歓迎いたします。
おやすみなさい。
55
:
ぼーん
:2003/07/29(火) 10:33
>>53-54
「無意味」というのは、その主張を聞くべき理由がどこにもない、という意味です。
私たちがあるルールに基づいた要求を聞く「べき」と言えるためには、そのルールが両者に共有されていなければなりません。
I氏がI氏の理念にしたがって相手の行為を批判したり要求したりすることは、その理念を相手が共有していなければ、無意味な要求に過ぎません。
I氏が相手の理念にしたがって相手の行為を批判したり要求したりすることは、有意味ではありますが、それに答える義務は相手にはありません。
あくまでも、こたえてもこたえなくてもいいものでしかありません。
それと、「理念と行動の一貫性」は、今考えている論点ではほとんど重要ではありません。
相手に対して要求する力を持つ理念とは、共有されている理念によってのみ可能なのであり、
一方がその理念を拒否している場合、その理念に基づいた要求をすることは無意味なのです。
> ただ、理念としてしまうと綻びが出てくる。無条件な当為としてしまうと人間は身動きが取れない。
> それはそうです。掟でさえ守るのは至難の業ですが、理念にまで高めてしまえば、
> それを掲げた瞬間から人はαに反せざるを得ません。十字架を背負うことになる。
> 誰もに守ることの出来ないルールは、もはやルールではありません。
> 少なくとも社会を律する規範にはなりえないし、まして野望と悪意の渦巻く国際社会に対しては蟷螂の斧であります。
身動きが取れない、かどうかは、後で検討したいと思います。
私たちは身動きを事実として「とる」んです。
原則やルールは、その身動きを評価したりするためのものでしかありません。
「殺人は罪である」というルールは、私たちが殺人行為をするときにそれを評価するだけです。
そういうルールがあろうとも、私たちは殺人をしなければならない状況においては、殺人をします。
しかし、そうではあっても、「殺人は罪である」というルールをルールとして確認しておくことには意味があります。
しばしば人が守れないから「殺人は罪である」というルールはルールとして機能していない、と言うことはできません。
私たちが、そのルールを守れるかどうかということと、それがルールとして機能しているかどうか、ということは、
ひとまず別の話であります。「守れるかどうか」が無駄な話だといいたいわけではありません。それはそれで
重要な話です。僕が言いたいのは、それらは別の話であり、それぞれが別の意味で重要なのだということです。
その上で、「殺人は罪である」というルールがなく、殺人行為が吹き荒れているような状況Aと、
「殺人は罪である」というルールがあるが殺人行為が吹き荒れているような状況Bがあるとします。
殺人行為をなくしていく、平和にしていくにあたって、Bの方がずっとチャンスが多い。
これはAでとりえる手段はBでも使えるが、他方、Bで使える手段はAでは使えないことがあり、
それゆえBの方が平和を達成するにあたっての手段が多くある、ということから証明できます。
「殺人は罪である」をαに入れ替えても同様です。
守ることができるかどうかということと、それをルールとすべきかどうか、ということは、基本的には関係ない話です。
で、理念を掟と言い換えることに何か意味があるとは思えません。
そもそも掟にしても「無条件な当為」のはずです。
56
:
○○番長
:2003/07/30(水) 00:26
>>55
ぼーんさんへ
僕の文章は冗長に過ぎますね。後から見てそう思います。
以下簡潔にお答えします。
>私たちがあるルールに基づいた要求を聞く「べき」と言えるためには、そのルールが両者に共有されていなければなりません。
有効な批判を展開する為には、まず両者共有のルールがいるというわけですね。ルールを共有できない相手への批判は無意味であると。
確かに人殺しを善とする連中と僕らの間に、お互いを『矯め合う議論』の成立するはずもありません。殺人は悪だといくら訴えても、相手はそれを良い事と考えているのですから。相手を殲滅するか、第三者的な権力の介入を待つしかないでしょう。僕らの身の安全を確保したいなら。
第三者的機関があるなら良いけれども、それがない場合、仮初にも平和を維持するには、相手が凶悪ではないか、こちらが圧倒的な力を保持するしかありませんね。残念ながら人間はこれまで多くの屍を築いてきた経歴がありますから、少なくとも前者、凶悪な生き物ではないという淡い期待は持てません。自分を内省してもそうです。結局武力や暴力で身を守るに如くはないということになってしまいます。
57
:
○○番長
:2003/07/30(水) 01:05
>>56
続き
>それと、「理念と行動の一貫性」は、今考えている論点ではほとんど重要ではありません。
>相手に対して要求する力を持つ理念とは、共有されている理念によってのみ可能なのであり、
>一方がその理念を拒否している場合、その理念に基づいた要求をすることは無意味なのです。
先に書いたこととも重なりますが、αによって平和を齎すには、まずαを受け入れる
相手のいることが前提となります。そして多くの人はαの受容が可能であろうとする
根拠は、皮膚の色や国籍・宗教の別を問わず、αにしたがって生きているからという
ことになりますね。
ただ僕の理解では循環論法に思えてきます。もしαに従って多くの人が生きているなら
とっくの昔に平和を達成しているでしょう。
『理念』と『掟』の用法が完全に自己流で、説明不足でした。
理念=無条件の当為
掟=条件付の当為
くらいに考えて頂ければ宜しいかと。
『理念』は宗教的な、とりわけキリスト教的な当為を下敷きにしています。
『姦淫する莫れ』『汝の如く隣を愛せよ』など。
『掟』は共同体限定的なルールのイメージです。法律もそうですね。
ある条件を前提にした当為です。国籍、宗教、身分、治安維持など。
これは読み飛ばして頂いて結構です。
閑話休題。
ぼーんさんは言うかも知れない。今世界が平和でないのは、αが受け入れられていないからではなく、認めたαと実際の行動に矛盾を来しているだけなのだと。
そして、αを共有している故にお互いの批判・理解は可能で、その矛盾を突くことによってα違反者を矯正していけば、平和は達成されるではないかと。
うーん、どうでしょうね。αを認めたと宣してはいても、内心はどうか分らない。色々言い訳は可能です。理窟と膏薬はどこにでも付きますからね。
となれば、αを認めたかどうかより、その行動で相手の信条を測るしかないのでは?また他人の理念や信条そのものは僕らに害悪を及ぼしませんが、行動は僕らを脅かし得る。
αを認める認めないで悶着するよりは、相手の行動を評価するほうが確実ですし、掲げたお題目の如何よりは、過去の行動を基準に相手の出方を予測する方が実際的でありましょう。
58
:
武蔵
:2003/07/30(水) 03:22
>>56
横レスすみません。
>結局武力や暴力で身を守るに如くはないということになってしまいます。
アメリカ的思想がこれですね。
「身を守るための銃」規制は、自由を侵すものであるという発想です。
それによってアメリカは身を守れているのでしょうか?
数字は忘れましたが、アメリカの死亡率で一番高いのが、銃による殺人ではなかったですか?
世界中でダントツに多かったはずです。
身を守る必要は、私もあると思います。むざむざ殺されていいわけはない。
だけど、武力や暴力が横行することによって、数字的には明らかに殺される率が高いとすれば
他の方法を考える方がいいように思いませんか?
殺人者は、「社会的な自殺者」でもありますね。自分の人生を捨てるという意味で。
自分の人生を捨てたくなる瞬間と言うのも誰にでも一度や二度はあるとは思いませんか?
人生を失うことが分かってあえて殺人を犯すという時(人)が武器を持つから恐いのではありませんか?
誰もが持たなくするという方向のほうが、身を守るにはいい方向のような気がしますが・・・いかがでしょう?
(軍縮を訴え、第9条を輸出する方向)
59
:
ぼーん
:2003/07/30(水) 10:59
>>56-57
先に1つ確認してから話を先に進めたいと思います。
ブッシュやフセインですら正義を口にします。
その内容は、限定つきαなどではなく、れっきとしたαです。
ブッシュが武力行使をする理由は、「α破りをしているから」です。
今、まさに番長さんが書かれているような難しい状況の中で考えてみるに、
αを限定つきでしか認めないような人たちとか、内心否定している人たちであっても、
「私はαを否定する人である」と明示するのを避ける傾向がある。
僕はそう考えているのですが、そういう傾向性の存在には同意できますか?
60
:
ぼーん
:2003/07/30(水) 11:06
>>57
> 先に書いたこととも重なりますが、αによって平和を齎すには、まずαを受け入れる
> 相手のいることが前提となります。そして多くの人はαの受容が可能であろうとする
> 根拠は、皮膚の色や国籍・宗教の別を問わず、αにしたがって生きているからという
> ことになりますね。
> ただ僕の理解では循環論法に思えてきます。もしαに従って多くの人が生きているなら
> とっくの昔に平和を達成しているでしょう。
現状の認識が違うのが原因だと思います。
>>59
を参照してもらうと、相違点がハッキリすると思います。
私たちは、皆、態度としてはαにコミットしていますよ、という態度をとるのです。
いかに行動が矛盾していようとも、口ではなんとでも言うのです。
そこに、逆説的ですが、可能性もあると思っています。
口ではなんとでもいう、というのは、実は違います。
彼らは、何をしようとも、「αにコミットしています」と言わざるを得ないんです。
「αにコミットしていない」と正直に言うことはできないんです。
現実に平和が達成されないのは、
人々がαと矛盾した行動を政府に許している、あるいはそれに気づいていないから、
というのが僕の現状認識です。
現状に置いて、「αが否定されている」とは、考えていません。
非常に弱いですが、誰であれ、αにコミットせざるを得ないのでコミットしているわけです。
61
:
○○番長
:2003/08/02(土) 00:09
武蔵さんこんばんわ。
>数字は忘れましたが、アメリカの死亡率で一番高いのが、
>銃による殺人ではなかったですか?(
>>56
)
検索をかけるとこんなページが引っかかってきました。
http://idsc.nih.go.jp/iasr/18/213/fr2137.html
1996年CDCのデータですが、死亡率のトップはHIV感染症のようです(26%)。
殺人は第2位(11%)ですね。トップではないにせよ、ここまで殺人が横行しているのは、
確かに異常な事態やと思います。
>身を守る必要は、私もあると思います。むざむざ殺されていいわけはない。
>だけど、武力や暴力が横行することによって、数字的には明らかに殺される率が
>高いとすれば、他の方法を考える方がいいように思いませんか?
銃器の普及と殺人事件の多発に関しては、色んな見方があります。
銃器の普及が殺人を促進しているとゆうのも一つの考えですが、
貧困や社会制度、信頼関係など、様々な要因が殺人を蔓延させているとも言えます。
特に貧困層の問題は深刻であります。米国民の1/4が無保険者ですからね。
必ずしも銃器の普及が殺人による死亡率を上げているとは言えません。
>誰もが持たなくするという方向のほうが、身を守るにはいい方向のような
>気がしますが・・・いかがでしょう?(軍縮を訴え、第9条を輸出する方向)
軍縮が合意に至るのは、平和志向が高まったからではなく、単に経費の問題で
あります。その証左に、相手を殲滅しうるだけの軍備はみな手元に残しています。
核軍縮なんてのはその典型例ですね。残念ながら僕らにとっては福音ではありません。
軍備の全廃される日が来れば良いと僕も思います。ただ、核兵器を廃絶すれば通常兵器を
多く持った者が猛威を振るうでしょうし、通常兵器を無くせば銃砲を、銃砲を禁止すれば
刀器を、刀器ならば棍棒・・・とゆう風に、およそ人間のいる限り、争いは無くなる
ことはないでしょう。
また、一度出来てしまった兵器、呼び出してしまった悪魔は、いまさら無かったことに
することが出来ません。仮に100のうち99カ国が武器を捨てても、たった1カ国が
禁を破ることにより恒久の平和は崩壊します。不心得者がいる限り、すべての武器を
楽器に(by喜納昌吉)変える事は出来ない相談です。
可能性の高低を問わないならば、恒久平和を確立する方法として唯一僕が認めうるのは、
すべての人間がαを共有することだと考えています。意外でしょうが(笑
>
62
:
○○番長
:2003/08/02(土) 00:37
>>59
ぼーんさんへ
返事が遅れてすみません。
>ブッシュやフセインですら正義を口にします。
>その内容は、限定つきαなどではなく、れっきとしたαです。
掲げた正義のために戦争をするのは、既にαに反していませんか?人を殺めることが
他者を否定するものであるなら、戦争はその最たるものです。
ただお互いの正義そのものは、確かにαに抵触しないと考えます。お互いとも、
お前らは低級民族だから今から殺しに行ってやる、とは言ってませんもんね。
>αを限定つきでしか認めないような人たちとか、内心否定している人たちであっても、
>「私はαを否定する人である」と明示するのを避ける傾向がある。
>僕はそう考えているのですが、そういう傾向性の存在には同意できますか?
それには同意します。たとえいかなる悪事を行うに際しても、人間は正義を掲げずには
居れない生き物です。ちょっと逆説を弄せば、正義は必要悪とも言えましょう。
63
:
○○番長
:2003/08/02(土) 01:42
続きです。
>私たちは、皆、態度としてはαにコミットしていますよ、という態度をとるのです。
>いかに行動が矛盾していようとも、口ではなんとでも言うのです。
>そこに、逆説的ですが、可能性もあると思っています(
>>60
)
そうですね。ポアしてやるのも相手に功徳を積ませるため、とゆうオウムの理窟も、
確かにαに反していません。いかに行動がαに矛盾していようともです。
それにも同意します。ただそれでは結局何も事態は変わらない。
汚れた壁を黒いペンキで塗りつぶすが如く、善も悪も、正義も不正も、
等し並に扱う思考停止の源があると危惧します。
>現実に平和が達成されないのは、人々がαと矛盾した行動を政府に許している、
>あるいはそれに気づいていないから、というのが僕の現状認識です。
>現状に置いて、「αが否定されている」とは、考えていません。
>非常に弱いですが、誰であれ、αにコミットせざるを得ないので
>コミットしているわけです(
>>60
)
そう誰であれαを当為として認めざるを得ない、たとえ行動が矛盾していたとしても。
ぼーんさんとは逆に、それこそが正にαの致命的弱点やと考えてるんですよ。
αに矛盾している政府を糾弾するといっても、糾弾される側、する側双方とも
α肯定者ですから、認めた理念の差で互いの立場の正邪は決められない。
何をもって糾弾する側の正当性を、またされる側の不当性を決めるかといえば、
その行動でもって判断する他はありません。
しかし、理念と行動の矛盾は、理念が崇高であればある程大きくなりますから、
αに合致して行動できる国家や組織、個人はありえません。みんなαの前では
罪人であります。
αを当為として認めた瞬間から、人はみな背教者にならざるを得ません。
αとの矛盾の程度で行動の良否を決める方法も確かにあります。ホロコーストと
怨恨からの殺人は同じではありません。盗みと戦争犯罪は同一視できない。
そう考えれば、αからの距離で互いの正当性を決められるように見えます。
しかしそこが大きな問題です。その正当性を巡って争いが起きるでしょう。
αと行動との距離、それを測る規矩について醜い諍いが繰り広げられるに違いない。
それはそうです。自己の正当性を保証するものはαしかないのですから。
αを完全に遵守可能な人物・組織があれば問題は起こらないのですが、
悲しいことに、人間が人間である限り、それは為す能ざることです。
客観的に正しい判定者が居ないとすれば、自分に不利となる『αのガイドライン』を、
いったい誰が受け入れるでしょうか?
現実世界にαを持ち込むことは、思考停止か、互いを殲滅しあう無限の闘争
以外の何ものをも齎さないのでは?と僕は考えます。
64
:
武蔵
:2003/08/02(土) 02:59
>>61
>貧困や社会制度、信頼関係など、様々な要因が殺人を蔓延させているとも言えます。
特に貧困層の問題は深刻であります。米国民の1/4が無保険者ですからね。
必ずしも銃器の普及が殺人による死亡率を上げているとは言えません。
貧富の差の上に、銃器保持が重なっているとしたら
その両方をなくしていく必要がありますね。
アメリカほどの富裕国の富裕者が身を守るために銃器を手放せない――そのままでいいですか?
アメリカの農業の85パーセントは販売額が10万ドル以下の小規模な家族農場なのだそうです。
しかし残りの15パーセントが販売額の80パーセントを占めている。
100人村の話ではないけれど・・・・こんな社会がまともとは思わない。
>また、一度出来てしまった兵器、呼び出してしまった悪魔は、いまさら無かったことに
することが出来ません。仮に100のうち99カ国が武器を捨てても、たった1カ国が
禁を破ることにより恒久の平和は崩壊します。不心得者がいる限り、すべての武器を
楽器に(by喜納昌吉)変える事は出来ない相談です。
私はそうは思いません。
今や孤立してはやっていけない世界です。
石油分限者のイラクでさえ、経済制裁で医薬その他大変な苦しみをえていました。
北朝鮮の貧困は、孤立のせいもあります。ロシアからの肥料すら手に入らなくなり
農村が疲弊した。
貿易がなければやっていけません。
一国からでもはじめられます。
コスタリカに見習いましょう。
65
:
ぼーん
:2003/08/02(土) 08:34
>>63
> そうですね。ポアしてやるのも相手に功徳を積ませるため、とゆうオウムの理窟も、
> 確かにαに反していません。いかに行動がαに矛盾していようともです。
> それにも同意します。ただそれでは結局何も事態は変わらない。
αを掲げているからこそ、「行動がαと矛盾していること」を問うことができるのです。
また、それで「結局何も事態が変わらない」とは言い切れません。
相当ゆっくりとしか変わりませんが、ゆっくりとは変わってきました。
今も世界中で多くのα違反がありますが、α違反をとがめ、それを軽減する動きも進んできて、
そのおかげで今の不十分ながら少しはαが実現できている状況にまできています。
そのような流れの中にいる、という認識は決して無茶なものではありません。
また、そのような流れをさらに推し進める、という方向性も、決して無茶な認識ではありません。
ですから、「結局何も事態が変わらない」という主張には、根拠がないと僕は考えます。
> そう誰であれαを当為として認めざるを得ない、たとえ行動が矛盾していたとしても。
> ぼーんさんとは逆に、それこそが正にαの致命的弱点やと考えてるんですよ。
これは論理的に言っておかしいです。
行動はともかく、「αを認めざるを得ない」ということは、もっとも悪い状況においても「無力だ」
とまでしか言えず、このことが積極的に悪いことになることはありえません。
番長さんは「αの導入が思考停止をもたらす」といいますが、その根拠はまったくありません。
思考停止は思考停止それ自体として、αの助けなど借りずにそこに存立可能です。
人が、たとえば世界の悲惨を最初には無視し、それを指摘され気づいてからは、
その悲惨に立ち向かう人を賞賛するようになるのと一緒です。「自分が何もしない」
ことの言い訳として、最初には「無知」を使い、それが使えなくなってからは「何かす
る人を特別と位置づけること」を用いるわけです。こうやって思考停止は生き延びま
す。
生き延びますが、そうやってαを導入したり、問題を指摘することが無意味なわけで
はありません。そこで、さらに「特別と位置づけることによる自己の責任の隠蔽」について
知らされたら、そこから先でさらに思考停止を維持する理屈を考え出すのはのはもっと難
しくなりますから。イタチゴッコですけど、イタチは確実に追い詰められてはいきますから、
大事なのは根気ですね。
つまり、αが積極的に問題を引き起こすことはありえない。という立場を僕は取ります。
> 何をもって糾弾する側の正当性を、またされる側の不当性を決めるかといえば、
> その行動でもって判断する他はありません。
いいえ、その行動は関係ありません。
たとえば、殺人犯が政治家の脱税を告発した場合と、そういった大きな罪を取り立てて犯していない
人が同じ罪を告発した場合で、そこに差が生じるとは思われません。(これは実定法において、という
だけでなく、法が法として成り立つために、そこに差が生じるわけにはいかない、というより強い意味で
主張できます。)
66
:
武蔵
:2003/08/02(土) 11:03
>>61
>>64
に追加。
こういうのを見つけました。
http://kyoto.cool.ne.jp/kyoto/3112/china/inter/inter028.htm
アメリカのキャンパスでは銃による被害があちこちで発生し、殺人事件が跡を絶たない。アメリカでは十校につき一校の割合で少なくとも毎年一回は重大な刑事事件が発生しており、さらに銃にからんだ殺人や暴力事件がますます増える傾向にある。九七年と九八年の二年間で、アメリカでは合計四十八人が校内暴力で死んだ。昨年四月にコロラド州のコロンバイン・ハイスクールの二人の生徒が銃と手製の爆弾で十三人の教師と学生を殺害し、二十五人に傷を負わせて、アメリカ史上最も悲惨な銃による校内殺人事件となった。統計によると、アメリカの青少年十万人につき毎年平均して十五人が銃によって命を落とし、十五歳以下の子供が銃による殺人事件に不意に巻き込まれる割合はその他の二十五の先進国における合計の十五倍も多い。
67
:
武蔵
:2003/08/02(土) 11:59
>>66
に追加。
「α」が大切なのは確かとしても、自分が一番大事と言うのも確かなことでしょう。
理念と利己のギャップの上で、社会に生きる限り、理念の上に立たざるをえない。
そして、自分が大事だからこそ人も大事なんだという理念の上に立って生活してはいても
時に自分の理性を超える恐怖や憎しみに駆られることがあるかも知れません。
手元に銃があれば、オノレの人生を捨ててでも銃をぶっ放す。
銃社会の悲劇がこれではないでしょうか?
もし、イラクのような「悪の枢軸」国があると言う現実は同じでも、
アメリカが軍備を持っていなかったとしたら、
予算計上からはじめて戦争に至るまでの経緯の上で、今回のような戦争を仕掛けたかどうかは分かりません。
賞味期限つきの武器が既にあったからという見方もできるでしょう。
イラク問題も、もう少し別の解決を見たような気がします。
時間はかかっても、もっと抜本的な解決を。
施政者はすべて「α」を主張しているかも知れませんが
イラクや北朝鮮の国民の大部分は、自国が「α」に立脚していると思ってはいないかも知れません。
だけどアメリカの国民の大部分は、自国こそ「α」の実践先進国だと信じているのではないでしょうか?
しかし、他国の人間を殺すという究極の「α」破りを、最も多く実践しているのがアメリカであるのは確かなことです。
世界の富を独り占めして、アフリカをはじめとする多くの飢餓の国を生み出す国際秩序を力ずくでつくりあげている。
国内的には、一握りの富裕者と多くの貧民を生み出す政治システムで成り立っている。
そんな「α」破りの国アメリカの国民が、自国こそ「α」の実践先進国だと信じているとしたら?
それを訴えることが一番大切なことのように思います。
そして、わが日本はアメリカに、こういう点は学んではいけないと思います。
68
:
2chの匿名希望
:2003/08/02(土) 18:23
>>61
別のスレを汚し終わったと思ったら、またこっちで...(笑
すまんね。(笑
ただ、○○番長さんの引用した「米国の死亡率」の数字に、あまりに合点がいかなかったもんでね。
だって、HIVが死亡率全体の26%って、全体の死因の1/4でないかい!
殺人(11%)と併せると、全体の1/3以上?
癌とか心臓病とかもあるのに、ちょっとオカシイな、と思って引用元を見ると、
まぎらわしい書き方だね。これらの数字が「死亡全体に占める割合」なのか「低下率」なのか、よくわからん。
これなら○○番長さんが
>>61
のように思っても仕方がないね。
それで事実はどうなのかと検索したら、運良くトップでこの引用元と凄くよく似た記事を見つけたよ。
http://www.hhs.gov/news/press/1997pres/970911a.html
これは、日本なら旧厚生省にあたる Department of Health and Human Services(訳語不明、すまんね)に属するCDC (Centers for Disease Control and Prevention)とゆう所が出したニュースリリース。(番長さんの引用元の記事もCDCの発表の翻訳だね。)
これによると、「引用元」の数字は全て「低下率」で、死亡全体に占める割合ではなかった。
前年(1995)に比べて、HIVは26%の低下、殺人は11%の低下という意味。
順位とは全く関係なかったどころか、HIVと殺人はこの年の死亡率低下のトップ2ということで、特にHIVについては「努力の成果であり朗報」だと言ってる。ということは、「解釈」は逆方向になるかもね。
ちなみにHIVについては、このリリースによると、25才〜44才の年齢層においては1995年には死因の第1位だったが、96年には2位になっている。
その後HIVの死亡率はずーっと低下して、ロイターによると、97年には5位になった模様(全年令層では96年に8位から97年には14位)。
http://www.aegis.com/news/re/1998/RE981006.html
69
:
2chの匿名希望
:2003/08/02(土) 18:41
>>61
んで、「殺人」はどうなのかとゆうと、
CDCに、これまた属するNCHS (National Center for Health Statistics)とゆう、統計を専門にやっているらしいところがあった。
http://www.cdc.gov/nchs/products/pubs/pubd/nvsr/49/49-13.htm
#49_11
ここの最新の統計(1999年、PDFにてダウンロード可)の中の「死因ベスト15」によると、
殺人は14位(死亡全体の0.7%)でした。ただし殺人は銃によるものだけではない。
(ちなみに、1位は心臓病、5位は事故、11位は自殺、あとは病気)
それから、銃(firearm)による死亡人数(殺人、自殺、事故、法的介入を含む)は、
1998年 30,625人
1999年 28,874人
2000年 28,663人
比較対象として、
1999年 死亡第1位 心臓病 725,192人
1999年 死亡第14位 殺人 16,889人
とゆうことでした。なんか、銃による死亡はだんだん減ってるみたいね。ただ、サンプルが3年しかないから何とも言えんけどね。
とゆうことで、
>>58
武蔵さん、アメリカの死亡率で一番高いのは「心臓病」でした。
他の国と比べると、アメリカは多分高いだろうけどね。またヒマがあれば調べてみるよ。
しかし
>>66
の引用見ると、アメリカってヒドイねェ。最悪の国に思えるねェ、これ読むと。(笑
そんじゃあ、またまたスレ汚しひとえにスマソ。(笑
70
:
2chの匿名希望
:2003/08/03(日) 09:49
>>66
追加
この記事って、よく見ると中国国務院の新聞弁公室ってとこが発表したレポオトみたいだね。
そら、中国から見たらアメリカは酷い国になるわなァ。(笑
んで、このサイトは、ある中国人が作った中国に関する情報サイトだね。
こういうのを武蔵さんは情報源にして、アメリカについてもここの情報を信じちゃっている訳ね。
やっぱ、中国マンセーって言われても、仕方がないね。(笑
71
:
武蔵
:2003/08/03(日) 10:14
>>70
>やっぱ、中国マンセーって言われても、仕方がないね。(笑
ここまでは感心しながら読んでいたんですが、このひとことで馬脚を表しましたね。
中国語で「マンセ―」というのかどうかも知らないんですが・・・・
たまたま検索に引っかかったのが、あれだったわけで、言われるまで中国の国務院ってことも考えなかったですがね。
他にもいっぱいありますしね。
http://www.atikurin.com/save21/gun1.htm
主要国の年間銃犯罪による犠牲者( 人 ) アメリカ 40,000
英国 22
カナダ 68
日本 87
いずれも1993年のデータです。
このHPの素性も知りませんが・・・・
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