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「α」についてはここで語ってください
1
:
法の受験人
:2003/05/21(水) 00:37
ぼーんさんが述べられてる「α」なる理論。
これに対しては批判も多いので、
こちらでまとめて話しませんか?
56
:
○○番長
:2003/07/30(水) 00:26
>>55
ぼーんさんへ
僕の文章は冗長に過ぎますね。後から見てそう思います。
以下簡潔にお答えします。
>私たちがあるルールに基づいた要求を聞く「べき」と言えるためには、そのルールが両者に共有されていなければなりません。
有効な批判を展開する為には、まず両者共有のルールがいるというわけですね。ルールを共有できない相手への批判は無意味であると。
確かに人殺しを善とする連中と僕らの間に、お互いを『矯め合う議論』の成立するはずもありません。殺人は悪だといくら訴えても、相手はそれを良い事と考えているのですから。相手を殲滅するか、第三者的な権力の介入を待つしかないでしょう。僕らの身の安全を確保したいなら。
第三者的機関があるなら良いけれども、それがない場合、仮初にも平和を維持するには、相手が凶悪ではないか、こちらが圧倒的な力を保持するしかありませんね。残念ながら人間はこれまで多くの屍を築いてきた経歴がありますから、少なくとも前者、凶悪な生き物ではないという淡い期待は持てません。自分を内省してもそうです。結局武力や暴力で身を守るに如くはないということになってしまいます。
57
:
○○番長
:2003/07/30(水) 01:05
>>56
続き
>それと、「理念と行動の一貫性」は、今考えている論点ではほとんど重要ではありません。
>相手に対して要求する力を持つ理念とは、共有されている理念によってのみ可能なのであり、
>一方がその理念を拒否している場合、その理念に基づいた要求をすることは無意味なのです。
先に書いたこととも重なりますが、αによって平和を齎すには、まずαを受け入れる
相手のいることが前提となります。そして多くの人はαの受容が可能であろうとする
根拠は、皮膚の色や国籍・宗教の別を問わず、αにしたがって生きているからという
ことになりますね。
ただ僕の理解では循環論法に思えてきます。もしαに従って多くの人が生きているなら
とっくの昔に平和を達成しているでしょう。
『理念』と『掟』の用法が完全に自己流で、説明不足でした。
理念=無条件の当為
掟=条件付の当為
くらいに考えて頂ければ宜しいかと。
『理念』は宗教的な、とりわけキリスト教的な当為を下敷きにしています。
『姦淫する莫れ』『汝の如く隣を愛せよ』など。
『掟』は共同体限定的なルールのイメージです。法律もそうですね。
ある条件を前提にした当為です。国籍、宗教、身分、治安維持など。
これは読み飛ばして頂いて結構です。
閑話休題。
ぼーんさんは言うかも知れない。今世界が平和でないのは、αが受け入れられていないからではなく、認めたαと実際の行動に矛盾を来しているだけなのだと。
そして、αを共有している故にお互いの批判・理解は可能で、その矛盾を突くことによってα違反者を矯正していけば、平和は達成されるではないかと。
うーん、どうでしょうね。αを認めたと宣してはいても、内心はどうか分らない。色々言い訳は可能です。理窟と膏薬はどこにでも付きますからね。
となれば、αを認めたかどうかより、その行動で相手の信条を測るしかないのでは?また他人の理念や信条そのものは僕らに害悪を及ぼしませんが、行動は僕らを脅かし得る。
αを認める認めないで悶着するよりは、相手の行動を評価するほうが確実ですし、掲げたお題目の如何よりは、過去の行動を基準に相手の出方を予測する方が実際的でありましょう。
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